無限の住人

無限の住人

昨日はキムタク主演で「コケた」「コケた」と言われまくっている

「無限の住人」を見てきました。

評価:(80/100点) – コスプレ・チャンバラ劇の快作


【あらすじ】

時は江戸。逸刀流を名乗る超党派集団によって街の剣術道場が次々と破られていた。ある夜、いつものように稽古を終え晩御飯を食べていた無天一流統主・浅野道場の一人娘リンの元にも、逸刀流の道場荒らしが押しかける。目の前で父を殺され母を連れ去られたリンは、両親の復讐を誓う。
それからしばらくして、父の墓の前で稽古をしていたリンの元に、不思議なオババが現れる。「やおびくに」を名乗るオババは、リンに「絶対に死なない用心棒」を雇うよう勧める。その男は、人里離れた山小屋に住んでいるという、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 逸刀流の道場荒らしとリンの決意
※第1ターニングポイント -> リンが万次と出会う
第2幕 -> 逸刀流剣士達との戦い
※第2ターニングポイント -> 天津影久が伊羽研水の元を訪ねる
第3幕 -> 公儀軍vs天津vs万次


【感想】

ご無沙汰しております。きゅうべいです。最近例によってあんまりブログを書いていなかったのですが、今日はこの「無限の住人」について書きたいと思います。去年の「バットマンvsスーパーマン」もそうなんですが、やっぱりこうブログを書くモチベーションが一番上がるのって「こんないい映画がコケるのか!?俺が擁護したる!!!」っていう謎の親心なんですね(笑)。そう、本作はキムタク主演で「コケたコケた」「キムタク終了」「SMAPを裏切った報いじゃ!ざまぁみろ!」みたいなトーンで語られることが非常に多いように見受けられます。でもね、君ら本当に映画みたのかと。少なくとも「娯楽アクション映画」というくくりの中では、本作はすごくオーソドックスで基本に忠実に作られた「出来の良い映画」です。そんな所も含めまして、以下全力擁護で書かせていただきます。

それではいつもの注意書きを。以下、多大なるネタバレが含まれます。どんでん返しとかを期待するようなミステリー作品ではないですが、未見の方、これから見ようと思っている方はご注意ください。いやね、本心から映画館で見たほうがいいですよ。2時間半近くある長い映画ですがあっという間に終わります。マジでオススメできる作品ですので、是非是非、未見の方は打ち切り前に劇場に滑り込んで下さい。

まずは前提とお詫びから

もしかしたらキムタクファンの方が間違って当ブログに迷い込んでしまうかも知れないので(笑)、一応私の立ち位置をハッキリさせておきます。

「無限の住人」という作品については、漫画とアニメは完全に未見で前情報も劇場予告のみです。つまりほぼまっさら。「なんかキムタクがチャンバラして三池崇史が監督なんでしょ?」ぐらいの情報量です。そして、三池崇史監督にはだいぶ好意的な立ち位置であり、「愛と誠(2012)」でさえ「三池監督の悪ふざけならこんなもんじゃね?」ぐらいのバイアスをもってます(笑)。

一方のキャストに踏み込みますと、キムタクは例のSMAP公開処刑でハッキリ嫌いになりましたし、役者としての評価は織田裕二と同じ「大根・俺様・スターアイドル」の引き出しに入ってます。福士蒼汰にも杉咲花にも、まったく思い入れがありません。というか、敵役が福士蒼汰なのに全然気付かず(笑)、なんかこの人ガリガリ・ホネホネでキモいな、、、伊勢谷のそっくりさんの韓国人俳優かな、、、と中盤まで本気で思っていました。そのぐらいの大変雑な感じです。

そんなわけでありますから、もし「キムタク格好よかった~!」「福士キュン最高!!!!」みたいなテンションの方はそっとブラウザを閉じてあげて下さい。以下「キムタクをうまく使えてたよ!」という話はしますが「演技が上手かった」的な話はありません。申し訳ございませんがご容赦下さい。

コスプレ時代劇としての説得力の出し方

さて、ここからが本題です。この作品は厳密には時代劇というよりチャンバラ劇です。ハナから「斬られても斬られても死なない男の話」っていう時点でホラー・ファンタジー要素全開ですし、開始早々の金子賢軍団vsキムタクや、道場破り=逸刀流揃い踏みの絵面が安全にコスプレ劇です。さらに話し言葉も軽い現代調ですし、武器にいたってはヘンテコな形状のものばかりです。ですから、これは相当頑張らないと説得力=リアリティが出せません。ただのデキの悪いコントになってしまいます。たぶん未見で本作を叩いていた方たちは、そういう「コスプレ時代劇」を想像していたんだと思いますし、実際に私も見る前は「どうせコスプレものでしょ」と思ってました。

ところがどっこい、、、、本作はそういったセリフや見た目といったキャラの軽さ=薄っぺらさに説得力を出させるために、とてつもなく気を使っています。わかりやすい所でいうと、いわゆる人体損壊の「グロ描写」です。「三池崇史=悪趣味節」として語られることも多いですが、コスプレ時代劇できっちり血や千切れた手足を見せるのは、それだけで十分にリアリティに貢献します。ちなみに、よく見てると同じ手首を切られるシチュエーションでも血が出る場面と出ない場面を使い分けていたりして、極力グロくならないように気を使っているのがわかります。「見た目はチャラいけど、中身は真面目なんだよ」ってことですね。さらにさらに、アクション動作一つとってもよく出来ています。本作の万次は、いくつかの武器を持ち替えながら大集団を叩きのめしていきます。その際、従来の殺陣のように「叩き切る」のではなくて「撲殺」していくんですね。日本刀は2~3人切っただけでも刃先がナマって切れなくなりますから、この「撲殺」描写はとてもリアリティがあります。殺陣の様式美ではなくて、アクションチャンバラとしての説得力に振り切ってます。実際には今からキムタクに殺陣を一から教え込むのは無理だからってのもあるんでしょうが、この選択はとても良いです。加えて、チャンバラの終盤になって疲れてくると、武器を肩に担ぐ時に「よっこらせ」って感じで背筋と振り子の反動を使ってゆっくり担ぐんですね。こういった細かい仕草・演出によって、絶妙なバランスのリアリティラインが保たれています。実際にはチャンバラの途中で急に袖から大きな武器を出したりしていて「四次元ポケットかよ!」みたいなツッコミは有るんですが、勢いがあるためそこまで気になりません。
この辺のバランス感覚は、久々に本気の三池崇史を見た気がしました。

いかに不死のヒーローを「無敵」と見えなくするか

ストーリー面で言いますと、この作品の万次は「死なないヒーロー」であり、それってつまり「セガール映画」的に大暴れできるってことなんですね。無敵のヒーローにピンチもヘッタクレもないですから、本来であればキムタクが格好良く暴れまわるだけの完全アイドル映画になっても不思議ではありません。ところが、この作品では「死なないヒーロー」=「命のやり取りの緊張感がない」=「剣の腕が鈍っている」という論理展開でもって、万次が弱いんです。これってプロレス的には非常に需要な要素です。ヒーローサイドの秘密兵器である「肉を切らせて骨を断つ」「ピンチからの大逆転」を毎試合出来ることになります(笑)。これは発明だと思います。実際、本作のチャンバラは毎回「必死剣・鳥刺し」を出しているようなもんです。反則じゃねぇか(笑)。

さらに序盤で同じ不死能力をもった海老蔵を殺すことで、「弱いだけじゃなくて万次が死ぬ可能性もちょっとはあるぞ」という実例を示し、かつ理由はよく分かりませんが「戦いを重ねることで回復に時間がかかるようになる」という演出も入ります。これによって、中盤以降にリンが万次を気遣い始める描写がすんなりと入ってくるようになります。

ご都合主義の積み重ねと言ってしまえばそれまでですが、アクションの勢いと相まってものすごくテンションを上げてくれます。

終盤のぐちゃぐちゃっぷりだけが惜しい

とまぁ以上のように、本作はとても良くできています。ただ、それが終盤の市原隼人が出てきた辺りから収拾がつかなくなっていきます(笑)。具体的には「リン・万次の復讐劇」と「幕府による逸刀流壊滅作戦」が同時並行で進みはじめ、さらに共通の敵として共闘すること無くリン・万次組と幕府軍まで対立し始めちゃうんですね。そしてこの混乱が戸田恵梨香扮するマキエの登場でピークを迎えます。そう、この映画の悪いところを一身に背負わされたのは、実はキムタクではなく戸田恵梨香です。可哀想に、、、、。

マキエは、仇役である天津影久の人間性を補足する役として登場します。でもね、(漫画はわかりませんが)この映画において天津影久にそんな補強はいらないんですよ。天津影久は爺さんの逆恨みを晴らすために復讐鬼となった狂気の剣士であり、「復讐ばっかり考えてるとロクな大人にならないよ」というリンへの反面教師なんですね。だから、こいつはとことん利己的で、他人になんて全然興味も感慨も無くて、ひたすら野心と復讐心だけで突き進む「冷たい人」が似合ってます。その点で、福士蒼汰のちょっと浮世離れした無表情な感じがとても良くマッチしてましたし、闘争心をむき出しにして戦う粗野な万次と上手く対比できてるんです。余談ですが、その意味でキムタクにとっても万次役は最高でした。万次は基本的にはただ唸って剣を振り回しているバーサーカー的な役柄でOKですからね。

この天津にマキエというサポーターが現れ、さらに罠にはめられることで中途ハンパに人間味がでてしまい、悪役っぷりがヌルくなっちゃったのは否めません。どっちらけになる万次vsマキエ戦での自分語りと相まって、戸田恵梨香は完全にババを引きました(笑)。三節棍みたいな武器は良かったんですけどね。そこにきて最終バトルで急に天津と万次が共同で公儀軍を倒すみたいな謎バトルが勃発しちゃうもんですから、「結局、天津とはなんだったのか」みたいなよくわからない事態になってしまい、エピローグの一騎撃ちを盛り下げる要因になってしまいました。シラの乱入も明らかに蛇足ですしね。エンドロールに「脚本分析」でクレジットされてる方がいたのでスクリプトドクターを入れてるっぽいんですが、「リンの復讐劇」っていう一本筋だけは死守したほうが良かったように思います。

ちなみにこの終盤の大乱闘を見ていて一番頭に浮かんだのは園子温監督の「地獄でなぜ悪い(2013)」でした。「こまけぇことはいいんだよ!祭りじゃ!!!」みたいな勢いだけで乗り切ろうとするのがそっくりです(笑)

【まとめ】

久々にブログを書いたら纏まりきらなくなってきました(笑)。もしまだ「無限の住人」を未見で、しかもその理由が「キムタクがウザいから」という人は、是非レンタルが始まったあたりで騙されたと思って見てみてください。この映画、キムタクという”アク”を完璧にコントロールしています。ツイッターにも書きましたが、こういう中身がちゃんとしている映画がワイドショー的な要素で消えていくのはなんとも寂しいものが有ります。直近で言えば「暗黒女子(2017)」なんかもそうです。不倫して新興宗教に出家しちゃった人が出ていることと、映画の出来とは関係ないですからね。

ということで、本作、大プッシュで映画ファンにおすすめしたいと思います。

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記事の評価
本能寺ホテル

本能寺ホテル

今日はもちろんコレです!!!

「本能寺ホテル」じゃ!!!

(75/100点) – 綾瀬はるか史上最高傑作!


【あらすじ】

倉本繭子は現在無職の元OL。教員免許を持っているものの特にやりたいことが見つからず、周りに流される人生を歩んできた。そんな彼女は出会って半年の彼氏・吉岡からプロポーズをされ、なし崩し的に結婚を決める。彼の両親に挨拶をするために京都を訪れた繭子は、ひょんなことから「本能寺ホテル」に宿泊することとなった。そのホテルのエレベーターは、天正10年6月1日、すなわち「本能寺の変」前日に繋がっていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 繭子の京都旅行
※第1ターニングポイント -> エレベーターに乗る
第2幕 -> 天正10年の世界と信長との交流。
※第2ターニングポイント -> 繭子が信長に警告する
第3幕 -> 本能寺の変と繭子の決意



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【感想】

さて、本日は綾瀬はるか主演の最新作「本能寺ホテル」を見てきました。監督がフジテレビの鈴木雅之。そして主演が綾瀬はるかと堤真一。脚本が相沢友子。ということで、どっからどうみても「プリンセス トヨトミ2」なわけで、かくいう私も予告で完全に続編だと思っていました。万城目氏といろいろ揉めてるみたいですが真相はよくわからんのでどっちがどうかは何とも言えません。ただ少なくとも、「プリンセス トヨトミ」を見ている人には、本作は物凄いハードルが下がった状態だというのは確かです(笑)。

かくいう私も、半笑いで見に行ったわけです。

どうせプリンセス トヨトミ2でしょって(笑)。





で、ですね。実際見てみますと、、、

正直スマンカッタ。

これ滅茶苦茶面白いです!!!!!

マジおもろい。

どのぐらい面白いかって言うと、見てる間中ニヤニヤが止まらなくてハタから見てると「あ、、、変態かな?」って思われるぐらいオモロい。つまり、最高かよ!? これが最高のアイドル映画か!?!?!?

いままで綾瀬はるか主演映画の最高傑作って、黒沢清監督の「リアル〜完全なる首長竜の日〜(2013)」か「僕の彼女はサイボーグ(2008)」だったと思うんですよ。前者は映画的な意味で面白くて、後者はアイドル映画的な意味で綾瀬はるかが可愛すぎるという。

今回の「本能寺ホテル」は、この2作を超えました。作品の内容としても、そして綾瀬はるかの可愛さでも、文句なくダントツに「綾瀬はるか史上最高傑作」です。

以降、この映画を徹底的に褒めちぎります、、、いや、ちょっとだけ貶しますが(笑)、でも全体的に褒めます!ネタバレを多く含みますので、未見の方はご注意ください。いや、マジで見たほうがいいですよ!騙されたと思って、是非!

これは綾瀬はるか版「ブラック・スワン」だ!

皆さん、ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン(2010)」は見てますよね? もし見ていない方はこれを機にぜひ見てみてください。ブラック・スワンは「強権的な母親によって抑圧された願望・欲望が狂気によって解き放たれる」という所謂「発狂系スリラー」の傑作であり、主演のナタリー・ポートマンそのもののような優等生的キャラクターがまさに劇中で自我を解放していくというカタルシスに溢れる作品です。

本作「本能寺ホテル」は、まさにこの「発狂系スリラー」の系譜に連なる作品です。

主人公の繭子はたぶんもう30歳近くて、それなのにいままでの人生で主体的に「これがしたい!」っていうものを持たないで生きてきました。ちょっと天然が入っていて、押しの強い彼氏の吉岡に流されまくって、なんだかんだで結婚するような雰囲気になってしまっています。教員免許をとったのも「手に職があるとなにかと便利」みたいななんとなくな理由です。そして春先に就職先が倒産して、次の職を探そうにもやりたいことが見つからずに悶々としています。

そんな繭子が、吉岡のお父さんという自分の好きなように生きるイカしたじいちゃんに出会い、問題意識を持つわけです。そして、実際にタイムスリップしたのかどうかは置いといて、本能寺ホテルで不思議な体験をし、自分の好きなことを遂に見つけて解放されるんです。

そう、この映画は、まさに私達が綾瀬はるかに持っているイメージそのものの「押しに弱そうで天然入ってる可愛い女の子」が自我に目覚めて大人の女性として成長する話なんです。まさに正統派の「発狂系スリラー」です。

ですから、この作品で「天正10年の描写が雑すぎ!」とか「信長の思想がおかしい!」とか、そういうのはもうどうでも良いんです。だって天正10年の描写は全て「繭子の内面の発露」なんですから。これは「胡蝶の夢」と同じ原理で、あくまでも繭子が内面的に「本能寺の変の日にタイムスリップして成長する話」であり、それが本当にタイムスリップしたのか彼女が発狂してそう思い込んだだけなのかは重要ではありません。だってタイムスリップ自体が「現実的じゃない」んですから、そこに出てくる信長の思想がおかしかろうが何だろうが、そんなのどうでもいいじゃないですか。これが大真面目なタイムスリップものだったら話は別ですが、あくまでも繭子が「精神的に追い込まれて、本能寺ホテルで不思議な体験をして、そして自己解放する」って話ですから。

実際に、本作を見ていて一番違和感を感じるのは不自然なカメラワークなんです。この作品では、カメラのフレームがすべて道や壁や階段に直角に撮られています。つまり凄く「カキワリ」っぽいんですね。本能寺ホテルのバーのシーンや人物の周りをカメラがぐるぐる回る一部シーンを除いて、映画の9割以上は繭子を「真横」か「真後ろ」か「真正面」から撮っています。いわゆるパース・奥行きがありません。「ブラック・スワン」がひたすらナタリー・ポートマンの肩口からカメラを撮り続けたように、本作では徹底して綾瀬はるかを直角から撮り続けます。アゴが目立っちゃってアレなんですが、これをすることで、画面全体が強烈に「ウソくさく」なるんです。これがまさに主体性の無い繭子の様子を映像的にも表現できていて、とても効果的です。意図してか単に下手なのかはわかりませんけれども(笑)。

テレビギャグも微笑ましく見られる

一応ちょっとだけ苦言を呈しておけば、エレベーターが開くときの天丼ギャグだったり、八嶋智人の一発ネタだったり、いわゆるテレビギャグがちょいちょい入ってきます。でもこういうのも、それこそ三池映画的な意味でのくだらないブッコミだと思えば微笑ましく見られます(笑)。本筋がグダグダな作品でやられると腹立つんですが、本作はメインストーリーが滅茶苦茶しっかりしてますからね。「十三人の刺客(2010)」の伊勢谷友介は腹立たないけど、「愛と誠(2012)」の武井咲は腹立つってのと一緒です(笑)。

この映画って明らかにマズいタイミングでギャグをぶっ込んで台無しにしている場面が無いんですね。だから、「まぁ、なんかクスグりでしょ^^;」ぐらいの感覚で流せます。

たぶん本作があんまりお気に召さない場合って、天正10年の軽すぎるノリが合わないか、または「女の子が好き放題に自分探しをする」っていうスイーツ成分が苦手かっていうパターンだと思います。あとは「タイムトラベルの意味ないじゃん」みたいな。タイムトラベル先と現在のリンクみたいなものは全くないですからね。どの時間帯にタイムスリップするのかっていう設定もよくわからないですし。最初に行ったときから同時並行的に時間が経ってるのかな、、、とかですね。

でも、映画的な見方だと、そもそも本当にタイムトラベルしてるかどうかが怪しいんです。たしかに靴を失くしてきたり着物を貰ってきたりっていう描写で「本当にタイムスリップしてるかな?」ってのは見せてますが、それだって別に繭子が発狂して自分の部屋で着替えて妄想ロールプレイしてるだけかも知れませんしね(笑)。

そういう意味でも、本作ではテーマを「繭子の内面の成長・解放」とした時点で企画的に勝ちなんだと思います。描写の矛盾や不満も「内面描写だから」で全部片付けられますから^^;

そして実際に、映画は繭子がやりたいことを見つけて綺麗に終わるわけです。これだと文句の言いようがありません。

まとめ

ということで、この映画は滅茶苦茶よく出来ています。フジテレビ映画にあるまじき出来の良さ(笑)。ちょっとスタッフが「プリンセス・トヨトミ」と同じというのが信じられないレベルです。これ本当に劇場で見たほうがいいです。邦画の、、、しかもビックバジェット映画で、まさか「ブラック・スワン」のフォロワーをやってくるとは思いませんでした(笑)。是非是非、声を大にしてオススメします!!!

ちなみにツイッターでちょろっと書きましたが、何故か劇場がお年寄りばかりでした。しかもマクドナルドとか持ち込んじゃうタイプの筋金入りの、、、。もしかしたら「八重の桜」とか時代劇ものを期待しちゃったのかも知れません^^; 本作はバリバリの「自分探し映画」であり、「頑張れ、ワタシ♡」っていう例のヤツです。発狂してますけど(笑)。なので、くれぐれもタイムスリップ時代劇を期待して見に行くのは止めたほうがいいです。念のため。

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記事の評価
真田十勇士

真田十勇士

今日は堤幸彦最新作

「真田十勇士」を見てきました。

評価:(3/100点) – アクション以外、何も無い


【あらすじ】

時は17世紀初め。九度山の真田屋敷の近くで村を襲った忍者が女を人質にして立てこもる事件が起こる。真田幸村自らが人質交換に向かうものの、何故か立てこもり犯は幸村になついてしまう。犯人の名前は猿飛佐助。佐助は幸村に志願し、幸村の残りの人生を面白くしてやると嘯く、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 真田九勇士の結成
※第1ターニングポイント -> 出城の建設を進言する
第2幕 -> 大阪冬の陣・夏の陣
※第2ターニングポイント -> 幸村討ち死に
第3幕 -> 豊臣秀頼救出作戦


【感想】

今日は一本、おととい公開された「真田十勇士」を見てきました。なんで「ハドソン川の奇跡」じゃないんだという話はありますが、それはほら、、、美味しいものは最後にとっとくタイプなんで^^;
松竹のお膝元、有楽町のピカデリー・シアター1(※一番大きい800キャパの劇場)では、客入りは2~3割ぐらいでしょうか。正直興行収入を見ても封切り2日間ですでに終戦しちゃってるようなレベルなのですが、さもありなん。客席はわりと年配の方が多く、特撮俳優ファンをあんまり呼べてなさそうな雰囲気でした。結構若手のイケメン俳優を揃えてるんですけどね、、、。

点数を見ていただくとお分かりいただけますが、本作は映画としてみるとハッキリ言ってかなり厳しいです。というか下の下です。いつもならここから2,000字ぐらいかけてグチりまくるところなんですが、もう終戦しちゃってる映画にそれは酷なので、今日は別の切り口から書いてみようと思います。

ということで、お約束です。本作は見どころも何もありません。話もありません。ですから、ネタバレもクソもありません。ですが、今日は趣向を変えてこの「真田十勇士」をストーリーに絞ってみてみたいと思います。結末までがっつり書きますし、何より映画の本編を見ていることが前提で書いていきますので、未見の方はご注意ください。もし、未見でかつ今後もあんまり見る気がない方は、たぶん前売り券が金券ショップですぐに200円ぐらいまで落ちると思いますので、その際にまた改めて検討いただくと良いと思います。DVDで初見だと、絶対冒頭10分はスキップします(笑)。

まずはいつもどおり話の概要から

本作は、2014年に上映された舞台の映画化です。私、舞台畑は完全ノーマークでして、まったく前知識なく映画を見に行きました。もとの真田十勇士の話自体は知っていますが、あんまり熱心な感じではありません。

この映画は大阪冬の陣・夏の陣を戦う真田幸村一派の活躍を描いているっぽい作品です。主人公は猿飛佐助で、1幕目の謎のアニメパートで9人目までを集める所をダイジェストで見せ、その後大阪へ舞台が移り10人目の根津甚八を加え、十勇士となります。その後は冬の陣・真田丸での闘い→夏の陣・幸村特攻と話が進みまして、最終的には負けた豊臣秀頼と淀殿の救出作戦がクライマックスとなります。

話の大枠自体はごくごく普通でして、十勇士なんだから当然そこだよねという活躍ポイントをさくーっとなぞっていきます。相変わらず全編を通して堤幸彦特有の安っぽいテレビドラマ演出と常に流れるBGM、滑り続ける微妙なコントが繰り返されます。本作ではさらに輪をかけて、映画には到底向かない大げさでふざけた演技を中村勘九郎が繰り出してきますので、この2人のコラボレーションは本当に極悪な破壊力で観客を襲ってきます。この辺はグチりだしたら結構書けるんですが、今日は全部封印しましょう。もう興業的には死に体なので、武士の情けです(笑)。一点だけいえば、霧隠才蔵が強すぎて、たぶんあいつに全部任せればさくっと家康を殺せたと思います(笑)。

■ 大真面目に映画を分析してみよう!

ということで、ここからが本題です。見終わってからいろいろ考えていたのですが、たぶんこの映画を供養するには、これをテキスト(=教科書)にして映画のストーリー構成の仕方を真面目に考えるのが一番良いかなと思いました(笑)。そのぐらい本作は破綻していますので、良い教科書になります。全ての堤演出のクドさを脇に避けまして、まずは劇映画の構成の基本から見ていきましょう。

分析1: プロットポイントを掴む

まずは何はなくともストーリーのプロットポイントを正確に抑える必要があります。本作には大きなターニングポイントが2つあります。この記事冒頭の三幕構成を御覧ください。

映画の第1ターニングポイントまでを通常は「1幕目」と呼びまして、ここでは一般的に「物語の前提」「キャラクター達の紹介」「世界観の設定」を行います。普通はドラマが動き出すのは第1ターニングポイントからで、1幕目はイントロです。本作では、冒頭の戦国状況ナレーションで世界観を決め、9勇士の加入でキャラを紹介し、「ヘタレの幸村を佐助と才蔵が盛りたてる」という前提が規定されます。

その後、幸村が豊臣vs徳川の戦争に巻き込まれることで、本作のゴールが「幸村を戦争で活躍させて、彼を”漢”にする」と規定されます。ですから、この映画の第1ターニングポイントは「大阪に呼ばれた幸村が出城を任せろと秀頼に進言する」シークエンスになります。ここから「2幕目」が始まります。

2幕目は物語の核になるところです。作品のテーマの解決に向けて、すったもんだが行われるパートです。本作では大阪冬の陣・夏の陣がまるまるここです。2幕目は幸村の討ち死にで幕を閉じます。

3幕目は物語の解決編です。ここでは、佐助一行が幸村の遺言である「秀頼様を頼む」という言葉を果たすために、秀頼・淀殿救出作戦を行います。

分析2: キャラクターの「ストーリー上の欲求」を考える

さて、ここから本作の反面教師要素が全開になっていきます(笑)。登場人物、特に主要キャラにはかならず「ストーリー上の欲求」が必要です。話を転がすためにはキャラクターに「XXXXをしたい!」という欲求がないとそもそも始まりませんし、物事が動きません。映画に限らずストーリーものでは、必ず冒頭で主人公の欲求が明かされます。サスペンスであれば「事件を解決したい!」「犯人を捕まえたい!」とか、ファンタジーであれば「指輪を捨てに行きたい!」「大魔王を倒したい!」などなど。欲求があって初めて、キャラクターは行動を起こします。

本作は、猿飛佐助が主人公です。佐助が十勇士を集め、佐助が先頭にたって冬の陣/夏の陣を闘い、佐助が主体となって秀頼と淀殿を救出しようとします。では、猿飛佐助がこの一連の動きをするための、欲求とは何でしょうか?



答えは「幸村を”漢(ほんもの)”にしたい!」です。

これは映画の冒頭のアニメパートで本人がセリフでいいます。なので、本作では「幸村が”漢”になる」のが物語のゴールということになります。これに説得力があるかどうかは怪しいですが、それは堤演出の問題なので置いときましょう。本当は佐助が「ウソがホントになるっておもしれぇじゃねぇか」という考え/性格になった背景があるとベストなんですが、それはなんとなく中村勘九郎の「傾奇者」な雰囲気でなぁなぁになってます(笑)。

ちなみに、霧隠才蔵を始めとするその他のキャラクターには「ストーリー上の欲求」はありません(笑)。かろうじて、大島優子演じる火垂にだけは「才蔵を殺す」という欲求が定義され、三好青海・伊三には「才蔵を守る」という定義がありますが、他のキャラはすっからかんです。これが本作が駄作になった一番の原因です。主人公の相方である才蔵に欲求がないので、なんでそこまで付き合ってくれるかよくわからないんですね。十勇士に裏切り者がいるみたいな話もでてきますが、そのキャラにも欲求がありません。なので、行動に説得力が一切なく、みんなバカにしか見えません。

分析3: 主人公の欲求と物語がきちんとリンクしているかどうか

分析1と2で、ストーリーの全体像と主人公の欲求がわかりました。ではこれが正しくリンクしているでしょうか?



答えはNOです。

本作において、「幸村が”漢”になった」のはどのシークエンスでしょう? それは最終出陣の前日夜の場面です。この場面で、幸村は「オレが特攻をかけて家康の首を取る」「最後くらいは”本物”になる」と宣言します。ここが物語上の解決です。ここで幸村は初めて自分から策を提案し、そして本物の軍師として主体的に行動しようとします。

ただ、これには作劇上の失敗が2つあります。

まず1つ目は、この「幸村が”漢”になった」ことに猿飛佐助が何にも関わっていないことです。本作の主人公佐助は、幸村を漢にするために一生懸命頑張ってきたはずで、そしてそれが映画のメインストーリーでした。だから、クライマックスは、佐助が幸村を”漢”にしないといけません。ところが、そもそもからしてなぜ幸村が特攻を決意したのかが見えません。超好意的にエスパー解釈すれば「淀殿を守るため」なのですが、でもそんな描写は無いですし、、、ね。結果的に、幸村の決断に佐助はなにも絡んでおらず、なんのカタルシスもありません。

2つ目は、ストーリーの構成バランスです。よりにもよって、この幸村の決心は物語の終盤手前で来てしまいます。この後実際に討ち死にするわけですが、本来であればこの決意は第2ターニングポイントに置かないといけません。この映画の解決とは「幸村が”漢”になること」なので、3幕目は「幸村が”漢”になるシークエンス」になるんです。ところが、この映画ではそこを含めて2幕目に押し込んでおり、本来であればエピローグ(=余談)になるはずの「幸村の遺言を守る件」が3幕目にドーンと30分も鎮座しています。これによって、ストーリー上のクライマックスと、映画としてのクライマックスがずれてしまいます。ストーリー上のクライマックスは幸村の特攻ですが、映画のクライマックスは最後のどんでん返しなんです。これによって、そもそもの話の焦点がボヤケてしまいます。

また、本来エピローグであるはずの「幸村の遺言を守る件」を3幕目(※映画全体のメインストーリーの解決)にしてしまったがために、そもそもの佐助の「嘘を本当にする」というキーワードもボヤケてしまってます。最後の「嘘を本当にするどんでん返し」は3幕目に唐突に出てきた話であって、映画の最初からの欲求ではないんですね。ですから、「結局この映画のストーリーってなんだったの?」と聞かれるとみんな口ごもってしまうわけです(笑)。佐助が幸村を担ぐ話?それとも秀頼を助ける話?本当は前者なんですが、映画の作りはクライマックスだけ後者なんですね(笑)。せっかく幸村特攻で盛り上がった観客は、その後延々30分も続く謎の茶番劇を死んだ目で見ることになります、、、。

じゃあ、どうしたら良かったんだ!

ではどうしたら良かったのかというと、まずは幸村が決意するためのエピソードに猿飛佐助をきちんと絡めること。理由はなんでも良いです。十勇士に情が移って勇気を奮い立たせるのでもいいし、息子の真田大助を佐助に頼んで逃がしてもらって自分は囮で特攻をかけるのでもいいです。佐助が提案した作戦を断って特攻を逆提案してもいいです。なにか佐助を絡めて幸村が成長しないといけません。そしてもし、この特攻において「嘘を本当にする」を絡められればそれがベストです。十勇士の皆で幸村のコスプレをして陽動作戦をとるのでもいいですし、そもそも幸村を影武者にしちゃってもいいです。この特攻で「嘘を本当にする」ような奇抜な作戦を立てられれば、作劇上はとても良い着地になります。

次に構成です。最後の秀頼のシーンを10分に縮めて全部エピローグに押し込んで、あくまでも三幕目を幸村特攻に絞ることです。エンタメストーリー映画でクライマックスをずらすのは絶対に駄目です。あくまでもクライマックスは特攻。キャラの悶え合いは最後のおまけで十分です。どうしても火垂関係を入れたいなら、特攻中に暇してる才蔵と脇で乳繰り合ってればOKです。

【まとめ】

回りくどくなってすみません。今日は変則的にストーリーに絞って見てみました。映画には必ずメインストーリーがあり、それは登場人物の「物語上の欲求」の結果として生まれます。そして、そのストーリーを構成するために、三幕構成(状況設定・葛藤・解決)があります。この3つは相互に関係性があって、これがきちんとできていないとそもそも見ても意味が分かりません。本作は堤演出を全て差っ引いても、そもそもの脚本構成がムチャクチャで整理できていないため、なかなか面白くはなりません。

もちろんこの方式が唯一絶対の正解ではありませんが、一つ物語を見る上での目安にはなるかと思います。

こんなんで、この映画をちゃんと供養できてるでしょうか(笑)?

ちなみにこの映画は完全にセリフ劇であり、そもそも舞台演劇を映画に置き換えるということをしていません。だから、大げさなリアクションを連発しますし、物理的な距離感も無茶苦茶です。家康の目の前で幸村の最期をダラダラやるのも演劇ならアリなんですね。演劇は物理的に同一の舞台を観客の想像でいろんなロケーションに置き換える文化ですので、舞台上で20メートルしか離れていなくても遥か彼方にいると脳内変換できます。

こういう滅茶苦茶な映画でも、アイドル要素だけで乗り切ることもできます。ですから俳優の熱心なファンなら楽しめるかもしれません。それはそれで大切なことなので、是非々々映画館で御覧ください。物語上の意味はほとんど無いですが、アクションシーンの俳優さん達は結構頑張ってますしよく動けてます。そこだけに絞るなら案外悪くないかもしれません。

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記事の評価
小川の辺

小川の辺

溜まったぶんを一気にお届け!!!
とりあえず7月2日は

小川の辺」を見てました。

評価:(50/100点) – 面白いけど、長過ぎ。


【あらすじ】

海坂藩士・戌井朔之助は討手の命を受ける。相手はかつての親友にして脱藩の士・佐久間森衛。佐久間は持ち前の正義感から藩を牛耳る実力者・鹿沢尭伯を公衆の面前で痛烈に批判し、その復讐を受けて政治的に追い詰められてしまっていたのだ。しかも佐久間は朔之助の妹・田鶴の夫でもある。決して悪ではない親友を立場上斬らなければならなくなった朔之助は、従者にして幼なじみの新蔵を従えてゆっくりと房総へと向かう、、、。


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【感想】

ご無沙汰しております。ここのところ何故か音楽ライブやらアニメイベントやらの美術・映像監修仕事が増えましてblogをサボっていましたw 今日は溜まりに溜まった脳汁を一気にお届け!!! ぶっちゃけ真夏のライブ4連チャンで気力が出涸らしなので、サラっとやっつけたいと思いますw
さて、やっつけ仕事の一本目は「小川の辺」です。原作は藤沢周平の短編集「闇の穴」に収録の同名短編の映画化です。ストーリーは至極単純でして、不器用な正義感から世渡りに失敗しちゃった親友を家名のために斬らなければならなくなったサラリーマン武士が、「やだな~~。あいつバカだな~~~~。あ~~~でも斬るしかないしな~~~。あ~あ~~。ゆっくり行くべ~~。」とぼやきながら道中で親友や妹の思い出を回想していくという話です。基本的にスクリーンに映されるのはいかに佐久間が良い奴かという描写と、いかに戌井兄妹の仲がぎこちないかということ、そしてだけど確かにそこにある家族の連帯感のようなものです。ただ、そこにあまり葛藤はありません。戌井は最初こそ迷いますが、旅に出る段にあっては完全に割り切っています。ですから、この映画で語られるのは武士の美徳であり、サラリーマンの悲哀であり、そういった諸々を含めた「世渡りと正義感と家族愛」の話です。なので、これはサラリーマンとしてはグッとこざるを得ないんです。
ということで確かに面白いんですが、なんぼなんでも長すぎます。結局原作はあくまでも短編であって、短編なりのボリュームしかないんです。それを引き延ばしまくっても、これはサービスにならないどころかドンドン退屈になってしまうんです。もちろんこの長さというのは直接的に戌井の「この件に乗り気じゃない」という描写に繋がるのですが、あまりに長すぎてラストの決闘の緊張感がだいぶ削がれてしまいました。
惜しいなと思いつつ、でも間違いなく良い作品だと思います。藤沢周平の描く武士ってほとんどがスーパーヒーローじゃなくて「中堅サラリーマン」なんですよね。その極北かなと思います。佐久間は何も悪くないし、戌井も悪くない。悪代官を絵に描いたような侍医・鹿沢以外は誰も悪くないんです。でも殺し合わなくちゃいけないっていうのが悲哀としてグッと来るんです。オススメデス。

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処刑剣 14BLADES

処刑剣 14BLADES

先週の日曜日は1本、2010年の香港お正月映画

処刑剣 14BLADES(原題:錦衣衛)」を見てきました。

評価:(90/100点) – 圧巻のドニー兄貴。グリーン・デスティニー風の剣劇武侠映画


【あらすじ】

時は明朝末期。洪武帝の作った秘密組織・錦衣衛は暗君の元で暗殺集団として恐れられていた。錦衣衛のリーダーは代々「青龍(チンロン)」の名を名乗り、敵を討つ14振りの剣を収めた箱を渡される。
ある日、当代のチンロンは宦官の賈(ジア)より大臣の趙(ジャオ)の謀反を止めるよう命令を受ける。いつものようにジャオの屋敷に忍び込み謀反の証したる箱を手に入れようとしたチンロンだったが、なんと箱には伝国璽が入っていた。ジャオの謀反は真っ赤なウソで、ジアが伝国璽を手に入れるための策略だったのだ!
企みに気付いたチンロンはジアに嵌められ謀反人として仲間の錦衣衛たちに命を狙われてしまう。チンロンは正義護送屋に逃げ込み、自身を嵌めたジアの真意を探り皇帝を守るため首都・京城(北京)へと向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> チンロンのジャオ邸襲撃。
 ※第1ターニングポイント -> チンロンが正義護送屋に逃げ込む。
第2幕 -> チンロンとチャオ・ホアの逃走と砂漠。
 ※第2ターニングポイント -> 脱脱(トゥオトゥオ)に玉爾を奪われる。
第3幕 -> 雁門関での死闘


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【感想】

日曜日は昨年の香港のお正月映画「処刑剣 14BLADES」を見てきました。香港ではかなりのヒット作ですが、日本では一年遅れな上に小規模公開の寂しい扱いになっています。とはいえお客さんは結構入っていました。今年はドニー兄貴の過去作が続々公開されて嬉しい限りです。まさか上半期だけで4本も見れるとはw
いきなりですが本作はバリバリのB級アクション映画です。ストーリーはある程度世界観が分かっている前提で進んで行きますので、ちょっと説明不足で流れが分かりづらいかも知れません。
本作は明朝の末期を舞台にしています。皇帝の叔父・チン親王(サモハン・キンポー!!!)はかつて皇帝に謀反を起こし、それを罰せられて両足首から先を切られました。しかしまだ帝位を諦めてはおらず、娘のトゥオトゥオに暗殺術を仕込んで機会を狙っています。一方の皇帝はと言うと、宦官のジアに接待漬けにされて完全に骨抜きになってしまっています。皇帝の良き臣下であるジャオはこの事態を重く見て、皇帝の証しである伝国璽(=三国志等でお馴染みの皇帝のハンコ)を隠して保護しています。ここまでの説明が冒頭のモノローグで2分ぐらいで一気に語られますw 香港映画に馴れていないと、このテンポは結構厳しいです。
ここからジアが伝国璽を奪おうとする展開になり、そこでチンロンが嵌められ追われる身になります。ジアはチン親王と繋がっており私腹を肥やすために売国をしようとします。皇帝直属の暗殺集団としての誇りをもったチンロンは、自身のプライドを賭けて皇帝を守り、裏切り者のジアを倒すために奮闘します。
本作は追われる身となった孤高の天才暗殺者・チンロンと道中連れだった少女チャオ・ホアとのロマンスを混ぜながら、漢(おとこ)の尊厳を取り戻す戦いを熱く描きます。つまり私達の大好物です!!!! よし、全部OK。オススメです!!!!!



で終わってもいいんですが、なんなのでちょっとだけ書きますw 本作ではドニー兄貴の得意な剣劇アクションがメインになっています。アクションは生身のものよりはワイヤーを使ったものが目立ち、さながらグリーン・デスティニーのような雰囲気になっています。そもそもからしてチンロンの持っている箱が「スパイ7つ道具」っぽい面白いギミックがテンコ盛りの漫画チックなものですので、あんまりゴリゴリした肉体アクションではありません。敵のトゥオトゥオも幻影を使って鋼鉄の鞭を振り回しますし、”砂漠の判事”はくっつけるとブーメランになる日月彎刀(にちげつわんとう)をつかいます。全体をとおして非常にファンタジックなアクションが多く、肉体的な説得力よりは格好良さを重視しています。
本作はアクションがすごいというよりは、そのアクションに至るプロセスの見せ方が大変愉快な映画です。ホアが役所に殴り込みをかける所なんかは緊張感がありつつも完全にコントになっています。熱血な展開の合間合間に息抜きを入れてくるバランスはとてもすばらしく、110分があっという間です。かなりオススメです!!!

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プリンセス・トヨトミ

プリンセス・トヨトミ

今日の一本目は大阪よ立ち上がれ!!!

「プリンセス・トヨトミ」でファイナルアンサー!!!!。

(4/100点) – 中学校のドアの件どうなった? 知らねヽ(´▽`)ノ


【あらすじ】

会計検査院の松平は部下2名を従えて大阪に会計監査に訪れた。特に何事もなく監査は進んだが、社団法人OJOの監査で不思議な事が起こる。監査後に忘れた携帯電話を取りに戻った松平が見たのは、つい1時間前までいた職員達が忽然と消え、電話も不通、机の中ももぬけの殻になった姿だったのだ。不信に思いながらも決定的な証拠を得られなかった松平だったが、空堀中学校で不思議な扉を見たことと研究者の漆原の言葉から、OJOに抜け道があることに気付く、、、。


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【感想】

本日の1本目は「プリンセス・トヨトミ」です。まるで2chのコピペでお馴染みの「大阪民国」を絵に描いたような映画ですが、結構客席は若い人もいて、埋まっていました。監督はフジテレビの鈴木雅之。フジテレビと東宝の協賛映画です。
ここでお約束のお断りです。本作にはロクにドラマがありませんがそれでも「話しが無い」という説明をするために結末付近までネタバレ有りで書きます。特に支障は無いと思いますが、未見の方はお気を付け下さい。

話しの地滑りっぷり

いきなりですが、本作はかなり話しが地滑りします。というか、そもそも話しが始まるまでに1時間以上かかります。
本作の前半は会計検査院の鬼の松平・ミラクル鳥居・旭の監査行脚を軸に物語が進みます。OJOで不思議な事があった後も監査は普通に進められます。物語が動き始めるのは開始約1時間目。松平がOJOの扉を開けさせるところです。ここまでがとにかく退屈です。いわゆる謎らしい謎もないまま(=話しが無いまま)ひたすら監査が続くものですから、とてつもなく退屈で睡魔との戦いになります。そして通路が開くと同時に、大阪国についての話しがすべて中井貴一の口から語られます。ここは完全に説明口調で、ナレーションで良いレベルで一気に情報が伝えられます。実は本作はある意味ではここで終わっているとも言えますw ここまでが言うなれば「前置き」にあたります。そして「木曜日」のインタールードの後、「金曜日」としてようやくドラマが始まります。最近の邦画にありがちなのですが、前置きでたっぷり状況やキャラクターの説明をして、映画上の第三幕だけで独立したドラマを語る構成になっています。これが私が良く使う「全○話のテレビドラマ」というやつです。
金曜日になると、ストーリーは監査から離れて一転、「豊臣国松の末裔が誘拐された」という話しになります。しかも「誘拐された」裏側も並行して見せながらの展開です。当然それまでにそんな誘拐の話しはありませんから、本当にここだけ全体から独立した話しになっています。そして、映画は最終的には「父と息子の関係性」「会話が途絶えがちな父と息子の幸せな一子相伝の話し」に着地します。前半の展開からは思いも寄らない所へのすごいすっ飛び方ですw 普通の映画は尺を最大限に使ってあるテーマ(=ゴール)を語るためにエピソードを逆算で構築するのですが、本作の場合はどうしても行き当たりばったりな感じがしてしまいます。だってこのテーマなら前半は丸々要らないですからw
ということで、本作にはかなり置いてきぼりにされた印象があります。「あれ、そこ曲がるの?」「あれ、その道は違くない?」って言ってる間に気がついたら知らない土地で迷ってる感じですw

細かい所が行き当たりばったりすぎる

当然話し全体の流れがずさんであれば、細部を見ればボロボロですw 例えばそもそものきっかけになった「OJOの職員が入り口から出ていないのに忽然と姿を消した件」は最後まで意味が分かりません。話しの流れ上は「OJOの建物に隠し扉があったのだ!!!!」ってことで解決しているような雰囲気になっていますが、この隠し扉の先は部屋が一つあるだけで行き止まりですw そもそもこの隠し扉の通路は「人生で2度しか歩かない」「父と子が語り合うための神聖な場所」なわけで、断じて昼休みに通るための通用口ではありませんw よしんばカメラが映していない所でこの行き止まりの部屋からさらに別の通路があったとしても、OJOの職員がそんな所を通って別箇所に行く理由がありません。OJOのオフィスで大阪国の業務をすればいいだけですからw
隠し通路といえば、やはりこちらも話しのきっかけになる中学校にあった不思議な扉があからさますぎる上にその後は一切登場しません。江守徹扮する漆原教授曰く「大坂城には最低でも三カ所の隠し通路がある」はずですが、これと中学校/OJOの扉との因果関係もまったくありません。けっきょくなんだったんでしょうか? もしかして中学校の扉とOJOの扉が中で繋がってたんでしょうか? じゃあOJOの職員って本業は学校の用務員とかっていう設定? なんかよく分かりません。
分からないと言えば、やっぱりそもそもこの「秘密結社 大阪国」という設定がさっぱりです。そもそも年間5億円の資金のためにものすごい苦労しているわけですが、有志団体で推定会員266万人(=大阪の人口)いるんだから、全員から年会費200円取った方が秘密が守れるんじゃないの? 「他へ引っ越した人はどうなるの?」とか、「そもそも大阪城が赤くなったら観光客にはバレバレじゃね?」とか「大阪城の前で数万人単位で集まって数で脅しといて秘密も何も無いだろ!」とか、「結局鉄砲もってるんだから危険分子じゃん!!」とか「御神体=教祖が匿名の”ミスX”じゃあ求心力無いでしょ。」とかツッコミ所は山ほどあります。
そもそもからしてメインのはずの「プリンセス・トヨトミ」がなんにもしませんから。ドロップキックを一回やったくらいですw
着地も結局「鬼の松平」が拳銃にびびって逃げ帰ったようにしか見えません。情にほだされたとも見えなくはないですが、それも単に拳銃で撃たれて気が弱ってただけにも見えます。っていうか検査員なんだから仕事しろ。ちゃんと報告挙げろ。おまえの独断で揉み消して良い規模の裏金じゃない。

でも良いところもあるよ!!!

文句ばっかりになってしまったので、良い所も挙げておきましょう。なんといっても一番良いところは沢木ルカの存在感です。この子がまだ13歳だというのでかなりビックリしてるんですが、かなり良いです。ちょっと古風な感じのボーイッシュさと相まって、往年の角川映画のヒロインっぽさを凄い感じます。東宝映画ですけどw
その他の存在感ではやはり玉木宏です。大阪城公園の屋台のお兄ちゃんというズルい役でシークエンスのすべてを掻っ攫っていきますw いきますが、残念ながら話しの本筋とは一切関係ない出オチです。本作で非常に困るのは、柱になる話しが無いためメインの役所のキャラクター達が総じて薄っぺらいことです。結果、沢木ルカや玉木宏や甲本雅裕のような直接ドラマに絡まない俳優の「地力」が目立ってしまっています。

【まとめ】

色々書きましたが、沢木ルカを見るためだけでお釣りがくるぐらい彼女は素晴らしいです。なのでオススメしておきたいのですが、、、ちょっと内容が内容だけに難しいです。幸い映画の日が近いですから、1日に1000円で見に行くぐらいでちょうど良いのではないでしょうか?
真面目に見るとやってられないくらいの出来ですから、あくまでも半笑いでビール片手に見るぐらいの態度でOKですw

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最後の忠臣蔵

最後の忠臣蔵

本日は1本、

最後の忠臣蔵」を観てみました。

評価:(60/100点) – 真っ当な作りだけど、面白いかは別問題。


【あらすじ】

赤穂四十七士の最後の生き残り・寺坂吉右衛門は遺族達を訪ねて生活の支援をしていた。16年を掛けて全ての遺族を訪ね終えた吉右衛門は、四十七士の十七回忌の法要のため京都の進藤長保の元を訪れる。その道中、彼はかつて討ち入り前夜に逐電(=脱走)した瀬尾孫左衛門によく似た人物を見かける、、、。


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【感想】

本日は一本、「最後の忠臣蔵」です。お客さんはお年寄りが中心でしたが、あまり入っていませんでした。原作は池宮彰一郎で、一度NHKで連続ドラマになっています。私は原作、ドラマ共に未見でした。
本作の話の内容自体は予告で全て語られます。なので、予告編を見れば十分です。オススメDEATH!!!!。




で終わるのもなんなので、ちょっとだけ書きますw
劇中繰り返し出てくる「曽根崎心中」があんまり関係無いとか、キャラも話も薄すぎるとかいう嫌いはあるのですが、全体的には結構よく出来ていると思います。ただ、良く出来ているといってもそれは「告白」的な意味で良く出来ているという感じです。どういうことかというと、それはあくまでも演出的な格好良さ・大作感が前面に出ているだけということです。
この話は世間から臆病者と罵られながらも生き抜いてきた孫左衛門の忠義の話であり、それには明確に「可音をしかるべき家に嫁がせる」というゴールが設定されているわけです。そしてこのゴールへの回答は、開始20分くらいに豪商のお坊ちゃん・茶屋修一郎が一目惚れする事で示されるわけです。後は「可音が嫁ぐ気になるかどうか」と「孫左衛門が隠している秘密とは?」という2点で1時間を引っ張ります。
後者については、予告の時点から散々見せられていますのでもはや引っ張りにはなりません。「だって内蔵助の隠し子でしょ?」というのは映画を見に来た全員が知っている事です。そして前者については、ものすごくあっさりと解決されてしまいます。映画の時間にして約3分。孫左衛門が可音とちょっと喋って終わりです。なので、この映画は非常に予定調和的に話が進んでいきます。そこには驚きや興奮はありません。私たちが予告を見て想像したまさにそのことが、たっぷりと間をとった演出でゆったりと語られます。
ですから、良い映画かどうかと聞かれれば「かなりまともな映画ですよ」と答えますが、「面白いですか?」と聞かれたら、、、、、お察し下さいw
元からしてそこまで盛り上げづらい題材ではあります。せめて討ち入りの回想をもっと豪華にするとか、所々で吉右衛門と孫左衛門の過去エピソードを入れるとかいう工夫があれば、もうちょい話の推進力を保てたかなと思います。
もちろん桜庭ななみが好きで好きでしょうがなかったりですとか、役所広司が好きで好きでしょうがないといった事情があれば興味も続くかとは思いますが、後半は結構睡魔との戦いでした。
チェックして置くに越したことは無い作品ですが、前夜にはたっぷり休息とカフェインを取って見に行くのがオススメです!!!

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雷桜

雷桜

本日も3本です。1本目は

雷桜」です。

評価:(9 /100点) – TAJOMARU級のコスプレ現代劇。


【あらすじ】

将軍の息子、清水斉道は癇癪持ちの問題児である。扱いに困りかねた側用人の榎戸角之進は斉道に瀬田村での静養を勧める。斉道はそこで山中に暮らすライという少女と出会う。彼女は側付・瀬田助次郎の行方不明になった妹だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 斉道の奇行。
 ※第1ターニングポイント -> 山中でライと出会う。
第2幕 -> 遊の帰郷と斉道との交流。
 ※第2ターニングポイント -> 斉道が再び瀬田村へ行く。
第3幕 -> 結末


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【感想】

本日の1本目は「雷桜」です。若い女性が多いのかなと思っていたら、老夫婦ばっかりでしかもガラガラというちょっと不思議な客層でした。監督は廣木隆一。ピンク映画出身で、5年に一本ぐらいちゃんとした映画を撮る以外は適当に仕事をさばく職人タイプの監督です。
正直酷評する必要も無いくらい誰の目から見ても失敗してますので、さらっと流したいと思いますw
私は本作が始まって3分くらいで心が折れたんですが(苦笑)、その理由は簡単です。登場人物の格好だけは時代劇っぽい感じにはなっているんですが、言葉遣いが完全にその辺にいるアンちゃんなんですw しかも中途半端に歴史物っぽい単語をつかったアンちゃんです。なのでものすっごい違和感があり、ハッキリ言ってふざけているようにしか見えません。これは全編通してです。恐ろしい事に、柄本明や坂東三津五郎といった普段ちゃんとした時代劇に出ている俳優さんも同じです。あきらかに脚本・監督の指定なんですが、これがリアリティラインを大幅に下げています。きっと時代劇を期待していたであろう年配のお客さんもズッコケたことと思います。
とはいえ、もし本筋のラブロマンスがまともであったならまだまだ良かったと思います。問題はこの部分でして、簡単に言えば雰囲気だけで勝手に惚れて勝手に暴走します。この恋愛周りの描写はお粗末の一言に尽きます。とにかく脈絡も常識も無く、ただ悶え合っているだけです。そもそも江戸時代に個人主義のような概念はありませんし、斉道は非嫡子とはいえ仮にも将軍の子なわけで、それが単独行動で山の中をうろつけている時点で変です。
本作では時代劇という部分がただの雰囲気でしか使われていません。殺陣のシーンでも岡田将生が片手で振り回している(←どんだけマッチョなんでしょうw)刀がすごい勢いで”たわんで”いたり、描写が学芸会レベルです。ロクに血しぶきも出ませんし、なんと終盤には介錯しないのに簡単に死ぬ切腹シーンまで出てきます。「13人の刺客」の間宮図書の切腹を見習って欲しいです。介錯なしの切腹はあまりにも苦しく惨いからこそ、それだけ必死さが伝わるんです。
このように、残念ながらいつものあんまり深く考えない人向けのラブストーリー以上のものではありません。ただ、TBS、電通、東宝、角川、IMJエンタ、というお馴染みの制作委員会の豪華メンツもメインターゲットであるはずの若い女性を集客するには至らなかったようです。残念!
まったくオススメはしませんが、岡田将生か蒼井優の大ファンであれば楽しめると思います。

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