ジーン・ワルツ

ジーン・ワルツ

今日は一本、

「ジーン・ワルツ」を見てきました。

評価:(5 /100点) – 「久広の件ってどうなった?」「知らね(´・ω・`)」


【あらすじ】

帝華大学病院で産科医として働く曾根崎理恵は、師の三枝茉莉亜が経営するマリアクリニックとの二足の草鞋を履いていた。ある日、同僚の三枝久広は帝王切開で医療ミスを犯し逮捕されてしまう。ただでさえリスクの伴う帝王切開手術で、診断の限りなく難しい合併症を見抜けなかったからといって逮捕されてはたまらない。理恵はこれを機に大学病院をやめマリアクリニック一本に尽力し、町医者からの医療改革を目指す。
一方、理恵と久広と共にマリアクリニックで育った清川吾郎は、帝華大学の教授を目前にして理恵の動きに困惑していた、、、。


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【感想】

本日は「ジーン・ワルツ」を見て来ました。「チーム・バチスタ」シリーズの海堂尊原作で、そのネームバリューか中年の方でそこそこ劇場は埋まっていました。監督は大谷健太郎。ぴあフィルムフェスティバル出身の監督ですが、正直お世辞にも職人や作家性のあるタイプではありません。

そもそも論1: ドラマが無い。

この作品を考える上で一番致命的なのは、そもそも「ドラマ」が無いことですw 本作には作品として「語りたいゴール」がありません。
本作の冒頭では、久広が医療ミスにより逮捕され、その影響で全国の産婦人科医達が急患の妊婦を受け入れ拒否したり産婦人科を廃院したりします。これを受けて、理恵は「安心して子供が産める環境」を作るためにマリアクリニックで孤軍奮闘しようと誓います。
一方、清川吾郎は大学病院で教授になって権力を持つことで、産婦人科学会での発言権を強めて上記の問題の解決に当たろうとします。
作品の最初の30分ほどでは、この問題提起がなされます。
しかしそれとは別に、マリアクリニック院長の茉莉亜が死にかけており、現在来院中の4人の患者を持ってマリアクリニックを一旦閉鎖するというストーリーが語られます。こちらでは「無脳症により生んでもすぐ無くなってしまう子供」「気軽に堕胎したいヤンキー娘」「5年の不妊治療を経てやっと妊娠した中年カップル」「代理母出産をする50代の女性」というモロにステレオタイプな患者達の「お涙頂戴ストーリー」です。
こちらのパートでは、代理母出産の倫理的問題を提起していたような気がしないでもありませんが、雰囲気で流れていくので特に明快なメッセージはありません。強いて言えば「生みたい女性が生める世の中」というのがキーワードでしょうか。
本作では、前半は前者の産婦人科の問題が語られますが、後半はただ後者の患者達のオムニバスになっていきます。そして前者については、問題提起をしただけで特に何もおこりませんし何も解決しません。逮捕された久広にいたっては冒頭以降出てきませんw 面会にすら回想で一回しか行きませんw
つまり、そもそも映画としてストーリーが組み立てられていないのです。普通に考えれば前半に問題提起した「安心して子供が産める環境」を巡って作品が転がっていくわけですが、それは雰囲気として忘れ去られてしまうからです。
恐ろしい事に、後半からクライマックスにかけての盛り上がりはまるでドタバタコメディのようです。何せクライマックスを引っ張るのは「三人の妊婦が同時に産気づいた」「台風が来て手術室の窓が割れ、さらに停電になった」という爆笑ものの安っぽい舞台演出です。これは医療問題とはまったく関係がありませんw ここだけ見るとこの映画のテーマが「町医者の設備的な問題」にしか見えませんが、そんな事はクライマックスまで一回も出てきません。話の運びが無茶苦茶です。
最後はなんとなく良さ気な雰囲気に着地しますが、実際には何の問題も解決していないのでお先真っ暗ですw

そもそも論2: 「出産」という「記号的な感動シチュエーション」に頼りすぎ。

本作を見ていてカチンとくるのは(苦笑)、作品が面白くなる勝算を「出産」というシチェーションに100%依存しているからです。当たり前の事ですが、出産シーンをやられればある一定の「感動的なシーン」には自動的になります。それは演出がどうとか脚本がどうとかいうことではなく、人間の反射神経みたいなものです。極端な話、何の背景もしらなくても、テレビ番組で妊婦の出産シーンがながれれば「感動的な雰囲気」にはなります。それは妊婦に感情移入しているからではなく、「出産」というイベントが持っている普遍的な感動誘発力です。
本作ではこの力に頼りすぎています。ストーリーをロクに語ることなく、記号的表現としての出産でもって観客は感動するはずだという確信がスクリーンから滲みでています。この出産の使い方には心底嫌気が差します。産科医を社会問題として取り上げて起きながら、出産に対するリスペクトがまるでありません。

そもそも論3: 代理母出産の問題を舐めすぎ 。

本作の中盤から後半にかけて提示される代理母出産は、非常にデリケートな問題です。本作のケースは明らかに2006年に実際にあった「諏訪マタニティークリニック」による不妊の娘が実母を代理母にして子供を作ったケースを元にしています。私はこの問題についておおっぴらに語れるほど勉強していませんので、一般的な代理母の問題については是非興味を持った方は文献を当たって見て下さい。
ただ少なくとも、本作における扱いは「子供が作りたいのだから代理母出産で作って何が悪い。」「私は医者だから技術的にもそれが出来る。」という非常にエゴイスティックな話になっていますし、さらには最終的に「代理母出産を秘密にする」という行為によって、作品内での社会への問題提起を理恵は意図的に行っていません。つまり、「自分は医者だから代理母出産出来るけど、一般の人は知ったことではない」という凄く酷い所に着地するわけです。
作品内での理恵は「産婦人科医会という硬直した旧体制から飛び出して独力で一般の人に奉仕しようとする仏のような革命児」という扱いを受けるわけですが、実際には自分の子供をこっそり作るためだけに大学病院を辞めているように見えます。こういったデリケートな問題を中途半端に扱うぐらいであれば、いっそのこと扱わない方がマシです。不誠実すぎます。

【まとめ】

実はこのブログ記事を書くに当たって一番苦労したのは最初の「あらすじ」部分です。なにせドラマがありませんから「あらすじ」の書きようがないんです。上映時間は110分と比較的短めですが、体感では2時間半くらいに感じます。それぐらいストーリーが無くまたいちいちカチンとくる描写が続きます。
あんまりオススメできませんので、無かったことにしましょうw
本作で唯一良かったところはオープニングの遺伝子→染色体→細胞核→細胞分裂→幼生と移りゆくCGです。このオープニング映像だけは素直にワクワクしました。白組は作品に関係無く本当に良い仕事をします。ですので、もし見に行ってしまった方は、オープニングで席を立つのをオススメしますw

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