ハドソン川の奇跡

ハドソン川の奇跡

今日は満を持して

「ハドソン川の奇跡」を見てきました。

評価:(90/100点) – 最上級のクラシカル映画


【あらすじ】

サリーはUSエアウェイズ1549便の機長である。バードストライクにより両翼エンジン停止という絶体絶命の状況から、ハドソン川への不時着によって奇跡的に乗客乗員155人全ての命を救った英雄だ。しかし、いまや家にも帰れず、ニューヨークのホテルで事故の悪夢に魘され続けていた。人々は彼を英雄と讃え、テレビの取材も殺到するが、どうにも自分の事とは思えない。そんな中、国家運輸安全委員会(NTSB)の事故調査が開始される。経験に基づいた判断の正しさを主張するサリーだったが、ACARS(※飛行機と管制塔のやり取りデータ)には左翼エンジンが微力ながらまだ生きていたというデータが残っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サリーの悪夢と人々の賛辞
※第1ターニングポイント -> ホテルで左翼エンジンが生きていたと知らされる
第2幕 -> 事故の回想
※第2ターニングポイント -> タイミングが重要だったと気付く
第3幕 -> 事故シミュレーションと委員会


【感想】

今日は1本、クリント・イーストウッドの最新作「ハドソン川の奇跡」を見てきました。昨日に引き続き有楽町のピカデリーで見ましたが、500人箱でほぼフルハウスのすごい人気でした。トム・ハンクスが来日して神田の蕎麦屋に出没したりとなにかと話題でしたので、プロモーション大成功です。

今日はですね、この映画を褒めちぎりたいと思います。以下ネタバレを多々含みますので、未見の方はご注意ください。後ほど細かく書きますが、本作は、絶対前知識一切無しで一回見たほうがいいです。なにも情報が無い初見でこそ光り輝く演出があり、映画自体がほぼそこの一点突破型です。まずは劇場にダッシュです!

ストーリーの概略

本作は、2009年に起きたUSエアウェイズ1549便のハドソン川不時着事故を題材として、機長サリーの葛藤を描きます。トラウマにも近い後遺症にうなされるサリーは、「左翼エンジンが生きていたかもしれない」という新事実によって、自分の判断に自信を失っていきます。世間からの英雄という評価と、一方で自分の判断が間違っていたかもしれないという不安のギャップに、サリーはどんどん精神的に追い詰められていきます。本作はプロット上とても少ないシークエンスで語られます。しかしその少ないシークエンスを使って、イーストウッド監督はこれ以上無いほどのカタルシスと人間ドラマを描ききります。

そう、この映画は完全にサリー個人の感情面だけに焦点を絞った映画なんです。事故の原因がどうとか、事故のときの救助風景がどうとか、そういうのはサリーの周りの状況にすぎません。あくまでもサリーがそこで何を思い、何を行動し、そして事件後に彼の内面でどういうドラマが展開されるのか。それが全てです。

実際の事件や原作小説などを元にした「脚色」は、その元ネタのどの部分(ドラマ/葛藤)に焦点を絞って映画化するかがもっとも大切です。脚本家のトッド・コマー二キはこの事件から「キャプテン・サリーの意識の高さとプロの仕事ぶり」をピックアップしました。

そしてそれをまるでパズルのピースを嵌め込むように、最低限かつ無駄の無い演出で、クリント・イーストウッドは完璧に見せてくれます。上映時間96分の今時珍しいぐらい短いドラマが、あっという間に過ぎていきます。

「映画は映像で全てを語る」という基本に忠実

例えば、冒頭のシークエンスを見てみましょう。彼は飛行機事故の悪夢にうなされて飛び起きます。そして考え事をするためにジョギングに出ます。でも上の空で、車に轢かれそうになってしまいます。直後、彼がシャワーを浴び、風呂場で鏡を覗くシーンが入ります。

ここまで何も説明セリフはありませんが、彼が飛行機の機長であること、そして何か飛行機事故のトラウマに襲われていること、周りが見えないぐらい精神的に参っていること、そして何かを自問自答していることがわかります。このキャラクター設定をすべて映像/登場人物の行動だけで表現します。

例えば女性キャスターにインタビューを受けるシーンでは、彼はヒザをさすり、落ち着かない様子を見せます。まるでトラウマを押さえ込んでいるようにも見えます。そして取材が終わると外を見て、また事故の幻影を追ってしまいます。

このように、本作では、少ないシークエンスの全てに情報が高密度で叩き込まれています。そして、本作が「事故により精神的に追い詰められ自信を失ったサリーが、プロとしての自信を取り戻す話」であることがハッキリ提示されます。

モンタージュ理論の真骨頂

本作には、事故の回想が2回映し出されます。1回目は2幕目まるまる。ここでは、妻との電話中とバーでの飲酒中の前後半に分けて、事故の発生から完全に救助が終わるまでをフルで見せます。2回目は3幕目のクライマックス。事故調査委員会において、出席者全員でボイスレコーダーを聴くシーンで再び事故発生から着水までが映し出されます。これが本作で最大の映画的なトリックです。

1回目の回想では、観客に「もしかしたらサリーは判断をミスしていたかも知れない」という情報が直前に与えられています。そのため、一度は最寄りの空港へ向かうと管制塔に言ったのに急にハドソン側への不時着を主張するサリーが、とても自分勝手に見えます。そして、着水してからも飛行機の中を必死に捜索したり、救助後に「助かったのは何人だ!?」と繰り返し質問するサリーが、まるで自分のミスを取り返すために焦っているように見えるんです。

ところが2回目の回想はまったく違います。今度は観客には直前情報として「バードストライクから35秒間経つと、もう空港へ着陸するのは不可能である」という情報が提示されます。その上で回想シーンに入るわけです。当然私たちはバードストライクのシーンから頭の中でカウントします。「1、2、3、4、・・・・・35!」。そう、本当に決断まで35秒以上かかってるんですね。そうすると、さっきとまったく同じ回想シーンであるにも関わらず、今度はサリーや副操縦士のジェフがどんどん独断で対処していく姿が、一流のプロの仕事に見えるわけです。あくまでも回想シーン自体は一緒なんですよ。もちろんセリフも含めて。それが事前情報が変わることで180度違って見えるようになるんです。この2回目の回想シーンで「ハドソン側へ着水する」とサリーが管制塔に通達する場面が、本作のクライマックスです。そのカタルシスたるや凄まじいです。

そしてさらに追い打ちを掛けるように、「データよりもプロの勘の方が正しかった」というある事実が判明するわけで、これはもうガッツポーズなしには見られません。

この作品は、ほぼこのクライマックスのモンタージュ理論どんでん返しのアイデア一発を見せるためだけに撮っていると言っても過言ではありません。そこまで観客も含めてサリーに掛けられていたストレスが一気にカタルシスへ生まれ変わるわけで、これほど劇的でこれほど気持ちの良いクライマックスはありません。

【まとめ】

この映画は「いぶし銀」といっても良いイーストウッドのとてつもない演出力で、一発ネタをぶちこんできます。それこそ先日の「イレブン・ミニッツ」とやってることは一緒です。この「ワンアイデアを誠実に映画に組み立てる」というのはすごくクラシカルな映画の撮り方で、それこそアメリカン・ニューシネマより前の映画は大体こうでした。こういう、ちょっと古いけれども上質な映画が劇場で見られるというのは本当に幸せなことです。全世代に是非見ていただきたい作品でした。物凄く映画演出・構成の勉強になりますので、そちらに興味がある方はかじり付いて見てみてください(笑)。

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記事の評価
ファインディング・ドリー

ファインディング・ドリー

昨日は夏休み映画の4本目

「ファインディング・ドリー」を見てきました。

評価:(51/100点) – 書きづらいけど微妙


【あらすじ】

前作「ファインディング・ニモ」からしばらく立ったある日、ドリーは突然両親のことを思い出した。断片的に思い出した両親のことが気になって仕方がないドリーは、ニモとマーリンと共に「カリフォルニアの宝石」というキーワードを唯一の手がかりに、西海岸へと向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドリーの決意と西海岸への旅
 ※第1ターニングポイント -> 海洋生物研究所へ到着
第2幕 -> ドリーの両親の捜索
 ※第2ターニングポイント -> ドリーが両親を見つける
第3幕 -> ニモとマーリン救出作戦


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【感想】

さてさて、ディズニー映画が続きます。昨日はピクサー最新作「ファイティング・ドリー」を見てきました。東京ディズニーシーの”タートル・トーク”でもおなじみの「ファイティング・ニモ(2003)」の続編です。監督は引き続きアンドリュー・スタントン。なんで今続編なのかはあんまりよくわかりませんが(笑)、あいも変わらず鉄壁の布陣です。私は有楽町のTOHO日劇で字幕版を見ました。公開からしばらく経っているからか、お子さんは外国人の家族連れ1組のみで、後はほぼ社会人カップルでした。
コレ以降、本作に関してネタバレが多数登場します。というか上記の三幕構成でおもいっきりネタバレしており申しわけございません。未見の方はご注意ください。
また、以降、私はドリーのことを「短期記憶障害」と表現しますが、実際はただの「記憶障害」かもしれませんし認知症かもしれません。

ざっくり概要と続編としての真面目さ

まずですね、簡単に「ファインディング・ニモ」についておさらいしておきましょう。前作の「ファインディング・ニモ」は「親の子離れ」がテーマでした。ひょんなことから人間にさらわれてしまった子クマノミのニモを取り戻すために、父親のマーリンがクセのある仲間と交流しながらすったもんだします。片親でありかつニモが障害児(※片ヒレが極端に小さく不自由)であるが故に過保護気味なマーリンを尻目に、ニモはさらわれた先で仲間たちを作り自力で脱出します。そしてマーリンは、我が子が十分に一人でもやっていけることを理解し、寂しいながらも少しだけ子離れを決意します。前作は、まさに親の視点から見た「子供の成長と”親離れ”」の話であり、それを送り出さなければいけない寂しさと嬉しさを同居させた素晴らしい作品でした。

そして今回のファインディング・ドリーです。前作が「親が子供を探す話」だったのに対して、今度は「子供が親を探す話」になります。立場をひっくり返して同じ話を繰り返すというのは、とても正しい続編の作り方です。これだけでも企画の真面目さがヒシヒシと伝わってきて好感が持てます。持てるんですが、じゃあなんで私がこの点数を付けるのかというと、本作の語り口にあんまり乗っかれないからなんですね、、、。それを以降とくとくとグチりたいと思います(笑)。

いいところ:前作と同じく成長と親離れを描けている

まず先に褒めておきましょう。ドリーのご両親って「一年前に子供が突然行方不明になっちゃった」状況なわけで、これってモロに拉致被害者と同じなんですね。本来は子離れしろってのが無理なんです。ご両親はいつかドリーが帰ってくると信じて、ドリーへ手がかりというか信号を送り続けます。来る日も来る日も。そしてドリーは本当にひょっこり帰ってくるわけです。普通に考えたら「もうずっと一緒だよ!」みたいになっても不思議じゃありません。でも「一人で生きていけるかな」と超心配だった子供には友達がいて、しかもその友達を救うために一肌脱ぐって言ってるわけです。要はちゃーんと生き抜いて大人になってたわけですね。これですごい安心して、子離れするんです。これ、フォーマットは完全に前作「ファインディング・ニモ」と同じです。大変よく出来ています。

乗れないところ:「ドリー」というキャラの肯定の仕方が無理やりすぎる

あんまり大きな声で書きづらいんですが、私がこの「ファインディング・ドリー」を見ている最中に一番感じたのは「すごい24時間テレビっぽい」っていう所なんです。ドリーはですね、子供の成長課題としての「障害」がニモより重いんです。ニモは片足がちょっと不自由というレベルなので、まっすぐ泳ぐ練習さえできればそこまで厳しいハンデはありません。だから、「親が超過保護になるための設定上の味付け」で済んでました。ところが、ドリーの場合は短期記憶障害です。直前に言われたことを忘れちゃう病気。これは結構重い話です。もともと前作では、マーリンが「超慎重派」である描写と対比させるために、ドリーが登場しました。ドリーはすぐに物事を忘れてしまうので、結果的にその場の直感と勢いで物事を判断します。これが超慎重派のマーリンとの対比となり、デコボコ・コンビの珍道中としてうまく機能していました。

では、本作ではどうでしょう。本作でドリーがコンビを組むのは、ステルス機能があって手足を自在に操れるタコのハンク、声がよく通り離れても意思疎通ができるサメのデスティニー、そして遠くからナビゲーションができるイルカのベイリー。どれも最強クラスの超能力をもっており、100%万全のサポート体制です。この世界最強クラスのサポーター達が、ドリーを全力で盛り立てます。そして「ドリーがその場の直感と勢いで判断する」ことを全力で肯定してくれます。これね、、、どうなんでしょう。甘やかしてるだけっちゃあ甘やかしてるだけなんですが、そもそも「短期記憶障害をもってても立派にやっていけるから大丈夫だよ!」って話なのにここまでガッチリサポートしちゃうと、「それむしろやっていけてないんじゃないか」という気がしてきます。もちろんドリーの友達を作る能力=人間力(?)の賜物ですから別に良いんですが、あまりに過剰すぎてちょっと褒め殺しではないのかとすら思えてきて全然乗れません。この感じがすごい24時間テレビっぽくて嫌です。「ほら、こ~んな重い障害を持った子が芸能人のサポートと応援で立派に成し遂げたよ!エライでしょ!泣いて!」みたいな同調圧力を感じてすごい嫌。あまつさえ、映画の最後の方は、開き直って完全超能力ヒーローモノになるわけで、なんかちょっと雑だなという印象があります。

また、これは考え過ぎなのかもしれませんが、途中ギャグキャラとしてアシカ達が出てきます。このアシカ達は、2匹の兄貴分と1匹のガチャ目のとっぽい子=ちょっと障害者っぽい子で構成されるんですが、どうみても2匹がガチャ目の子をいじめてるんですよね。なんていうか「このテーマの作品でそれをギャグでいれるか!?」っていうのがアメリカンジョーク過ぎてよくわかりません。

【まとめ】

たぶんこの映画に乗れないのは私の心が濁っているからだと思います(笑)。ですので、心が清らかで、ピュアで、人間的によく出来た方達にはたぶん大好評ロングランなんじゃないでしょうか?単純に「さかなたち可愛いじゃん」っていうのは全面的に同意するんですが、ちょっとこういうテーマでこういうストーリーにされると素直に乗りたくないです。
真面目な話、ファインディング・ドリーを見るくらいなら、その入場料分をちゃんとした団体に寄付すりゃいいんじゃないでしょうか? 24時間テレビだと汐留と乃木坂のお城に吸われて最終的には某さんのハワイ旅行とかになっちゃいますんで(笑)。
個人的にはこの作品はレンタル100円でいいんじゃないかと思います。

ちなみに、リアル社会の飲み会で「ファインディング・ドリーどうだった?」と聞かれたら、とりあえず私は褒めときます(笑)。これが同調圧力と世渡りってやつです(笑)。

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ジャングル・ブック

ジャングル・ブック

夏休み映画3本目はレイトショーでディズニーの実写映画、

「ジャングル・ブック」を見てきました。

評価:(82/100点) – 最高のアイドル映画


【あらすじ】

人間の子・モーグリはジャングルで育てられた。黒豹のバギーラを師に、狼のラクシャを母親代わりに、狼の群れの中でモーグリは”ジャングルの子”として成長していく。
乾季のある日、ジャングルに平和の岩とオアシスが出現した。ジャングルの掟に従って肉食・草食問わずに仲良く水を飲む平和の泉に、ベンガルドラのシア・カーンも現れる。彼は人間のニオイを察知すると、狼の群れに警告を発する。「人間は必ず殺す。人間を匿うなら狼は多大な犠牲を払うことになるぞ」。狼の群れでの会議の末、モーグリは群れを離れ人間の村へと向かうこととなる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 平和の泉とシア・カーンの脅し
 ※第1ターニングポイント -> モーグリが人間の村へと向かう
第2幕 -> 人間の村への旅と熊のバルーとの出会い
 ※第2ターニングポイント -> モーグリが狼の群れの現状を知る
第3幕 -> シア・カーンとの対決


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【感想】

さてさて、夏休み映画シリーズの3本目はディズニーの実写、「ジャングル・ブック」です。丸の内ピカデリーのレイト・ショーで見てきました。500キャパぐらいの大箱ですが観客はせいぜい数十人規模で、しかもほとんどが女性の”お一人様”でした。そりゃ男の子はみんなX-MENかな、、、と思いつつ、やっぱり「癒やし」「ほんわか」みたいな雰囲気が出てるからでしょうか(笑)?そして実際見てみるとですね、その雰囲気は当たってます。大正解。本物かと勘違いするほど可愛い動物達が、所狭しと大活躍してとにかく終始ニヤニヤしっぱなしです。めちゃくちゃ楽しい2時間でした。

ディズニーがついに本気だした!

あんまりハッキリ言うのもなんですが(笑)、ディズニーの一連の「クラシックアニメのリメイク/スピンアウト路線」は作品的にはあまり成功しているとは言えません。「アリス・イン・ワンダーランド(2010)」「オズ(2013)」「ウォルト・ディズニーの約束(2013)」「マレフィセント(2014)」「シンデレラ(2015)」「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅(2016)」。素晴らしかったのは「メリー・ポピンズ(1964)」制作の裏側を劇化した「ウォルト・ディズニーの約束」ぐらいで、かろうじてまともなのは「シンデレラ」。後は本当に何考えてるんだっていうレベルの出来でした。

近年の長編アニメが名作揃いなのに対して、ディズニーの実写セクションはほぼアベンジャーズ・シリーズに全面依存しているのが現状で、それ以外のファミリー路線はちょっと残念なことになっていました。そんな状況の中、「アイアンマン」シリーズで全幅の信頼を得たジョン・ファブローが満を持してファミリー路線へ投入されたわけで、これは期待しないわけにはいきません。

ジョン・ファブローは”置きにきた”

そんなプレッシャーがかかる場面ですから、ファブローはこれをどう料理するのかと思いきや、、、完全に安全策にでました(笑)。昔のアニメ映画「ジャングル・ブック(1967)」から人種/性差別的に難癖を付けられていた部分を全て修正し、ポリティカル・コレクトネス的にも文句をつけようがない形にまとめて、エンタメ要素を全面に出しています。具体的には、母親代わりのメス狼・ラクシャの登場であったり、モーグリを群れから追い出す描写の緩和、最終的にはジャングルの子として受け入れる描写。私が鈍感すぎるのかもしれませんが、「そこまでやるの!?」ていうくらい猛烈に気を使っています。そうやって話の筋を「人間社会への復帰」から「ジャングルの子として生きる」方向へと変えた結果、そこに残ったのはピュアな意味での”ジャングルの魅力”であり、「動物ちゃんたち最高~~~~!!!」というモフモフ・キュンキュン・キャワワワ要素です(笑)。これはですね、ド鉄板です。動物の可愛さに国境はないですし、もっというとそこに文句のつけようがないですから。相当卑怯なやり方です(笑)。ずるいぞ、ジョン!

ワンちゃんクマちゃんがこの世で一番可愛い説

とにかくですね、何が可愛いって狼とクマちゃんのワンちゃんぽさですよ。肉食動物としてのエグさは一切見せず、この2種は完全に”ファンタジーなアイドル”として画面に登場します。クマのバルーがはちみつを食べる描写はあるのに、いわゆる”肉”は一切食べません。狼たちも狩りをする描写はなく、終始追いかけっこをしています。まるで「わたしアイドルだからウ○コしませ~ん♡」みたいなノリで、動物たちの可愛さだけが抽出され、描かれます。もうね、そんなの二時間も見せられたら無理(笑)。30過ぎたオッサンが映画館でずーっとニヤニヤしながら見ている絵面はさぞハタからみたら危なかったでしょう(笑)。マジでレイト・ショーでよかった、、、。

ストーリーはひたすら無難

細かいストーリーはですね、正直どうでもいいです(笑)。前述のようにポリティカル・コレクトネスを重視した結果、ストーリー自体はわりとありきたりで普通な感じに仕上がってます。平均偏差値50そのもの。褒めるほど上手くもなく、けなすほどアラもなく、動物たちの可愛さを邪魔しない程度の(笑)添え物です。でも、良いんじゃないでしょうか? だって可愛いは正義ですから。

【まとめ】

動物が好きなひとは絶対見たほうがいいです。特に犬が好きな人。これは義務です。ぜひ映画館で可愛さに悶ましょう(笑)。ただし一点だけ注意があります。大人が一人で見に行くなら、絶対レイト・ショーです。断言しますが、ツボにハマって終始ニヤニヤしている大人は完全に不審者です(笑)。昼の回は避け、是非、空いてそうな夜の劇場でニヤつきましょう。超オススメです!

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記事の評価
ペット

ペット

夏休み映画1発目はこちら

「ペット」です。

評価:(40/100点) – トイ・ストーリーのフォロワーとしてはあんまり…


【あらすじ】

マックスは、かつて捨て犬だった所をケイティに拾われ、今は幸せな生活を送っていた。ある日、ケイティは保健所から新しい犬―デュークを引き取ってきた。しかしこのデュークは乱暴者。自分の居場所が無くなることを恐れたマックスは、デュークと一触即発の関係になってしまう。そんなおり、いつものようにペットシッターにドッグランで放されている隙に、デュークはマックスを遠くの路地裏へほっぽり出そうとする。それが大冒険の始まりだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デュークの登場とマックスとの冷戦
 ※第1ターニングポイント -> デュークが路地裏でマックスを捨てようとする
第2幕 -> スノーボール一派との行動と脱出
 ※第2ターニングポイント -> デュークが保健所に連れ去られる
第3幕 -> デューク救出作戦


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【感想】

皆さん夏休みはいかがお過ごしでしょうか?今年の夏休みは珍しく大本命ファミリー映画が無く、「ファインディング・ドリー(ピクサー)」「ペット(ユニバーサル)」「ジャングル・ブック(ディズニー)」あたりの三つ巴となっているかと思います。個人的には「X-MEN アポカリプス」のほうが気になっており、こちらは近々で見に行ってきます、、、仕事帰りにでも、、、夏休みって本当にあるんでしょうか?(錯乱)
そんなこんなで昨日は「ペット」を見てきました。怪盗グルーシリーズで一躍3Dアニメの新興勢力に踊り出たイルミネーションの最新作です。お子さん連れを中心に結構お客さんが入ってまして、ファミリー映画としては大成功な雰囲気が出ていました。
この後、元も子も無いことを書きますが(笑)、安心して見られる作品なのは間違いありませんので涼みがてらお子さんと見るには丁度いい湯加減の映画だと思います。

ディズニーとドリームワークスとイルミネーション

90年代後半より、3Dアニメといえば王者ピクサー・ディズニー連合がど真ん中。それに対抗できるのはドリームワークスぐらいでした。ドリームワークスはアンチ・ディズニーというのを全面に出してきてまして、とにかく「ちょっと大人向けのほろ苦い&皮肉の効いた3Dアニメ」を作り続けてきました。初期ではディズニーのお伽話を盛大にパロったシュレック・シリーズですとか、マダガスカル/カンフー・パンダとかですね。そしてドリームワークス最高傑作はもちろん「ヒックとドラゴン」。極めてディズニー的な成長物語りでありながら、ディズニーが意図的に避けてきたちょっとエグいシーンや民族対立までちゃんと見せる。3Dアニメ映画市場はディズニー/ドリームワークスの2強体制といっても過言ではありません。

そんな中で、出てきた新興勢力がイルミネーション・エンターテイメントです。イルミネーションはクリストファー・メレダンドリが20世紀フォックスからスピンアウトして作った会社なのですが、このメレダンドリさん、もともとディズニー・ピクチャーズ出身の方なんですね。でまぁデビュー作の「怪盗グルーの月泥棒」とかその次の「イースターラビットのキャンディ工場」を見ていただくとわかるように、もろに「ザ・ディズニー」なメソッドそのまんまの作品が好きな人なんです。しかも80年台のディズニー第2黄金期世代のフォロワーです。おそらく当時若手としてディズニー・ピクチャーズに居たからだと思うんですが、それこそ「イースター~」は「ロジャー・ラビット」と「メリー・ポピンズ」のハイブリッド映画です。ドリームワークスがアンチ・ディズニーで差別化を図っているのに対して、イルミネーションはそのまんまディズニーの後追いをしています。
ただ、やはり毒のないキャラクター:ミニオンは安心して見れますし人気が出るわけで、ここ最近はむしろイルミネーションの方がドリームワークスよりも勢いがあるんじゃないかという所まで来ています。

本題の元も子もない話

あんまり長く書いても仕方がないのでいきなり書いてしまいますが、本作「ペット」は「トイ・ストーリー1~3」「わんわん物語」のハイブリッド映画です。このディズニーを代表するような超有名作品4本を、ぜーんぶゴッタ煮にして、それを40倍ぐらい薄めたのが本作です。なので、正直本作を見るならこの4本をレンタルで借りてきたほうが遥かに楽しめます。軸は、ウッディとバズが扮する犬2匹の対立と友情の物語。ストーリーの大枠は、家から遠くはなれたところで迷子になった二匹の犬が一生懸命ご主人の元に帰る話。途中、下水道で暮らす野良猫/兎達との対立を挟みながら、最終的にはペット達は幸せな我が家へと帰って行き、ロッツォ・ハグベア扮する敵の親玉スノーボールも新しいご主人の元でペットの幸せを再確認する旅に出ます。

これですね、もしかするとディズニー映画公開の隙間をついていれば良かったのかもしれません。でもいま、まさに”本物”の「ファイティング・ドリー」が同じシネコンで上映されているわけで、これで対抗しようっていうのはちょっと、、、どうなんでしょう(苦笑)。

映画単体としてもちょっと行き当たりばったり感が強く、あんまり上手くまとまっているとは言えません。
動物のデフォルメもどちらかというとペンギンズに近いもので、動物の可愛さを強調する方向よりは擬人化を優先しており、結構顔がノッペリとしています。

【まとめ】

あっさり書いてしまいましたが、結論としては、「わざわざ映画館で見るほどでもないけどまぁ安心して見れるかな」というぐらいの微妙な温度感です。
やっぱりイルミネーションはミニオンみたいなオリジナル・キャラを作ってドタバタコメディをやっていたほうが良いと思います。実際、本編上映前の「ミニオンズ:アルバイト大作戦」の方が遥かに面白かったですしね。私はちょい夏バテ気味、映画も製作者側の熱気が低い、ということで、今日はこんな適当さ加減でご勘弁(笑)。

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記事の評価
ズートピア

ズートピア

本日はレイトショーでディズニーアニメ最新作の

「ズートピア」を見ました。

評価:(79/100点) – 「普通に面白い」という贅沢さと物足りなさ


【あらすじ】

動物たちが理性をもって生活する世界。うさぎのジュディは「うさぎ界初の警察官」の夢を叶え、大都市「ズートピア」へとやってきた。ズートピアでは最近失踪事件が多発しており警察署内は大騒ぎになっていたが、しかしジュディが配置されたのは駐禁係。なかなか警察らしい仕事をさせてもらえない不満から、ジュディはついうっかり失踪者の一人=カワウソのオッタートンの捜索を勝手に買って出てしまう。タイムリミットは48時間。それをすぎると、ジュディは事実上解雇されてしまう。はたしてジュディは無事事件を解決することができるのか、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ジュディの上京とニックとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> オッタートンの捜索を買って出る
第2幕 -> オッタートンの足取り調査と発見
 ※第2ターニングポイント -> ジュディが田舎へ帰る
第3幕 -> 事件の解決と真相。


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【感想】

さてさて、今週2本めの新作映画は、ディズニー最新作「ズートピア」です。ディズニーアニメのお家芸といえば白雪姫/眠れる森の美女から脈々とつながる「かわいらしくデフォルメされた動物」です。本作・ズートピアは人間の登場人物が一人もおらず、この「かわいらしくデフォルメされた動物」が所狭しと登場します。
見る前から本作が某Rotten Tomatoで98% Freshを記録したというニュースは見ていましたから、さてこれはどれだけ傑作なのかと結構ハードルが上がっていました。
そして実際に見てみて、、、というところですが、これはRottenの仕組み上仕方ないといいますか、、、「大傑作!」というよりは「これは皆がそれなりに満足して帰る内容だな」という感想です。100点満点中の100点というよりは、「良いか悪いかで二択にしたとき”良い”が限りなく100%になる」という類の作品です。

本作は王道どまんなかのバディ・ムービー/ファミリー映画です。ですから極力ネタバレはしないようにいたしますが、少々感づいてしまう恐れもあるため、映画未見の方はできるだけご注意ください。

果たして優等生は魅力的なのか?

まずざっくりと語るならば、本作は大変良く出来たバディ・ムービーです。女性(メス)でか弱く体格的にも小さいが頭脳と工夫で乗り越えるウサギのジュディと、ひねくれ者だけど優しくて頭がキレるキツネのニックのデコボコ・コンビが手がかりを追って事件を解決していく、、、という教科書にでてくるような非常に理想的・類型的なフォーマットです。

そうなんです。先に書いちゃいますと、私の不満点はまさにここ。この一点だけです。「教科書にでてくるような非常に類型的な」よくできた映画。なんというか、毒にも薬にもならない「普通の良い映画」なんです。これは物凄い贅沢な話でして、「飽食の時代ここに極まれり」ってことなんですが(笑)、なんかこう「これっ」っていうチャームポイントがあんまないんですよね。「どうしてもズートピアがまた見たい!」ってなるような魅力的なポイントが、ですね。

全体を通じて凄く良く出来ていて、文句の付け所はほとんどないです。お話的には伏線はちゃんと回収されますし、きちんと「他者を属性で判断するな!」「善人は必ず報われる」という道徳的なテーマになっています。キツネのニックは全然言うほどひねくれても無ければ悪人でもないですし、悪役だってひねくれるだけのきちんとした事情があります。そして、ジュディの性別や体格が原因で捜査が行き詰まるようなこともないです。凄く優しい世界の中で物事が進んでいきます。テーマ自体は人種差別というか「マイノリティvsマジョリティ」という重い民族問題を扱っているわけですが、しかしテイストはどこまでも軽く、そしてとても誠実です。そういった意味で、本作は間違いなく良質なファミリームービーです。

なので、本作を減点式にした場合、まず間違いなくそんな貶す人はいないと思います。大幅にマイナスなポイントって本当にないですから。
一方でこれを逆側から、つまり「良かった所集めの加点式」にするとですね、、、これどうなんでしょうか? 少なくとも私個人的には「70~80点ぐらいかな」というぐらいの温度感なんです。それでも十分に高いですよ。

変な言い方ですが、例えば「ナルニア国物語 第1章(2005)」と「ハリー・ポッターと賢者の石(2001)」のどっちが好き?って聞かれたとしましょう。個人的には、「ナルニア~」のほうが間違いなく映画として出来がいいと思いますが、もう一回みるなら「ハリー・ポッター~」なんですね。それはやっぱりあの3人の仲間うちのワイワイをもっと見たいからです。本作は「ナルニア~」と同じで、なんというか優等生すぎて癖がなさすぎるというか、それこそ何年経っても印象に残るようなシーンがあんまり無くてですね、、、「出来はいいけど、そんないうほど好きでもない」ってところです^^;あくまでも贅沢な無いものねだりです。

とはいえよく出来てるよ!

いきなり「そんな好きじゃない」とか書いといてなんですが(笑)、本作は凄いよく出来てます。これだけは再三再四書いても書きたりません。よく出来てます。劇中のズートピアには、エリアが何個もあって、エリアごとに「ジャングルっぽい」とか「南極っぽい」とか特徴があります。これって要はほとんどディズニーランドなんですね。ディズニーランドにおける「クリッターカントリー」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」みたいなテーマエリアがあって。もっというと、ジオラマ的な「遊園地」です。ですから、この世界観の時点で、これはもう箱庭ファンタジーなんだというのをハッキリ表明しているわけです。

そしてこの「遊園地」を舞台に、かわいい動物たちが暴れまわり、しかもいろいろなパロディやギャグをかましてきます。実写だったら間違いなく腹が立つレベルの寒いギャグも、かわいいネズミキャラがやれば途端にキュートになります。そういった意味では、「動物が楽しく住んでいる楽園」っていう設定だけでもう勝ったも同然な作品です(笑)。

事件の解決はサラっとスマートに

本作は「ゾディアック(2007)」のような大真面目なサスペンスではなく、あくまでもコミカルアニメですから、事件はあっさりと解決します。とくに悩むこともなく、ジュデイとニックはほぼ最短距離で事件解決に向かっていくんです。
この作品の一番うまいところはまさにこの「コミカルアニメだからそこはそんな本気でやることないでしょ?」という言い訳を使ってくる部分です。そもそも動物がしゃべって二足歩行する世界なので、細かい部分は別に雑でもいいんです。
これのおかげで話の粗が目立たないというのは間違いないです。ニンジン型レコーダーの耐久性はどうなってんだとか、トイレの下水管が太すぎるだろとか、誰がこんな凄いズートピアを作ったんだとか、そういう所ですね。動物がしゃべって二足方向する世界なんだから、レコーダーの電池とか下水管の太さとかどうでもいいわけです(笑)。とても上手いです。

【まとめ】

表現が難しいんですが、「アニメの持ってる嘘やアラを隠してくれる懐の深さ」を最大限活用した良作だなと思いました。本作を実写でやったらかなりのトンデモ映画になるはずです。逆に言えば、アニメだからこそ出来ることをちゃんとやっているわけで、そりゃあ支持率が高いのは当たり前のことです。テーマが重くて子供向けじゃないんじゃないかという話もありますが、私はこれは大人も楽しめるバリバリの子供向けだと思います。
GW中の時間潰しやデートなら、ちょうどいい湯加減ではないでしょうか。

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ツリー・オブ・ライフ(解説こみ)

ツリー・オブ・ライフ(解説こみ)

先週末の2本目は

ツリー・オブ・ライフ」でした。

評価:(65/100点) – 正論すぎるので賞でもあげとくしかないっす。


【あらすじ】

ジャックは憂鬱の中で出社し、気も虚ろで部下の話も耳に入らない中、母や父や兄弟の事を思い出す、、、。


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【感想】

さて、先週末に見た2本目はカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作「ツリー・オブ・ライフ」です。テレビCMや劇場予告でも「親子の確執」みたいなキャッチーな所を大クローズアップしているからなのか、かなりお客さんが入っていました。配給のディズニーとしては「一本釣り大成功!!!」って感じでしょうか、、、。
え~~~ここからはどうしても宗教的な話が出てきますので、未見の方、キリスト教がどうしても嫌な方、爽快なハリウッド映画を見たい方はご遠慮下さい。ネタバレも何もない映画ですが、どうしても話を解説していくと核心部分に触れてしまいます。そこはご容赦を。

本作を読み解くキーワードにあたって。

この作品には分かりやすいノスタルジックな描写にまじって、一見わけの分からない観念的な絵や、なによりいきなり恐竜がでてきたりします。作品自体は肝のところさえ押さえていればそんなに難しい話ではないのですが、監督の嫌がらせみたいな場面転換で混乱してしまう方も居るかと思います。まずは本作で実際に劇中にでてくるキーワードを元に、作品の概要を見ていきましょう。
また本作は全編を通して完全に宗教映画です。キリスト教の価値観ありきで話がすすんでいきますので、以後かなり宗教色が強い読み解きになってしまうことをお詫びします。
ちなみに私の感想だけを書くとたった40文字で終わるので只のブログ記事水増しともいいますw 一応私は無宗教ですのであしからず。

キーワードその1:ヨブ記38章4節~7節

さて、いきなり小難しいキーワードが出てきましたw 「ヨブ記38章4節~7節」。旧約聖書です。このヨブ記38章4節から7節が映画の冒頭でいきなりドカっと表示されます。映画の冒頭にモノローグや有名な格言・本の引用が出てきた場合、それは間違いなく映画のド根本的なテーマです。ただ、そんな何の準備もなくいきなり旧約聖書が表示されたりしたら、困っちゃいます。ということでプレイバックです。

38:4 Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.
38:5 Who marked off its dimensions? Surely you know! Who stretched a measuring line across it?
38:6 On what were its footings set, or who laid its cornerstone
38:7 while the morning stars sang together and all the angels shouted for joy?

わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。

ヨブ記は敬虔な信者・ヨブが悪魔からの試練を受けるという話です。そしてその試練の後、「おれどうすっぺ」と迷い始めたヨブに、神は遂に語りかけます。それが上記の38章です。ものすごい乱暴にいうならば、これは「おまえら人間が何をわかってるっていうんじゃ。わしは人間の外の世界もちゃんと知ってるんだぞ。調子に乗るなよ。(by 主)」ってな具合です。敬虔なユダヤ教信者の方々すみません。
つまりここで提示されるテーマというのは、「人間なんてのは所詮ちっぽけであり、大局である神の計画の前には翻弄されるんだ」「だけれども、人間は神の作った世界で神の祝福を受けて生きているんだ」という事です。これは劇中でもう一度別の言葉で表現されます。それは次男の死を悲しむジャックの母が掛けられる言葉です。「神は全てを与え、全てを奪う」。つまり神様の行いっていうのは人間がコントロールできるようなモノではないし不条理だけどそれは仕方無いんだってことです。これが第一のキーワードです。
作中に出てくる地球が出来るところや恐竜のシーンはこの「人間のコントロールの外側の世界」を表現しているわけです。「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。」というのをそのまんまでCG映像化するという、、、律儀です。

キーワードその2:「生き方には二つある。世俗に生きるか、神に委ねるか、どちらか選ばなくては」

さて、つづいてのキーワードはこれまた映画の冒頭にでてくるモノローグです。劇場版予告でも流れていますので印象に残っている方もおおいかとおもいます。これは訳がアレなので、英語のセリフそのままで見てみましょう。

there are two ways through life …
the way of Nature…
and the way of Grace.
You have to choose which one you’ll follow.

直訳:
人生には2通りの生き方がある。
“ネイチャーの生き方”か”グレイスの生き方”か。
どちらに従うかを、あなたは選ばなければいけません。

本作は「the way of Nature」と「the way of Grace」の対立概念の話です。
え~これが非常にめんどくさいです。この「ネイチャー」を「大自然」と訳してしまうと全く正反対なことになってしまいますので。この「ネイチャー」は神学的な意味での「自然な状態」つまり「神様への信仰・神様からの愛を受けていない野蛮な状態」を表しています。そして一方の「グレイス」。これはそのまま「神様の祝福を受けている状態」です。ですので、これはそんなに小難しく考えずに、「キリスト教をあんまり信じていない人生」「キリスト教をちゃんと信じている人生」ぐらいに捉えていただけると大丈夫です。前者はこの世の生活を重視しますので、地位や名誉、金を重要視します。一方の後者は死んだ後で天国に行くことが大切ですから、周りの人に優しくしますし徳高く清貧に生きるわけです。人間の生き方はこの2つの内のどちらかだって言うんです。
こちらが本作の大テーマです。

結局どういう話よ。

とまぁ以上2つのテーマを頭に入れて映画を見ると、この映画は滅茶苦茶分かりやすいです。逆に言うとちゃんとテーマを冒頭で要約してから話が始まるので、大変親切ともいえます。
本作では、まずはフックとして冒頭で子供の頃のちょっとした思い出、そして弟が若いときに死んだことが語られます。そこからショーン・ペンがちょっとだけ出てきて、開始30分で問題の第2幕、つまり地球誕生と恐竜の話が始まります。なんやかんやあって子供の頃の思い出話が終わった後、再びショーン・ペンに画面が戻ってきてすごい晴れやかな顔をしてエレベーターを下りて映画が終わります。

この映画はあくまでも最初と最後に出てくるジャック(ショーン・ペン)の話であり、中盤は彼がひたすら神に語りかけるモノローグと思い出で埋まります。そしてこの思い出を最後まで見ると、つまりこれは信仰についての話だったのだと分かります。

ジャックは(おそらく母が死んだことで)憂鬱に囚われてしまい、頭がぼっーとして超高層ビルのいかにも大会社なオフィスで昔の事を思い出します。その中で彼はいかに母親が信仰心に満ちて優しい人だったか、そしていかに父が金や名誉を重視したことで悲しい人生を歩んでしまったのかを思い出します。彼は母親よりは父親に似ており、自身も信仰よりは金や名誉を重視して社会的な地位を築いてきました。だけれども、妙に空しい。彼は信仰の大切さに気づいて外に出ます。するとそこには晴れやかで明るい世界が待っていたのでした。神様バンザーい!!! 人生は美しい!!!! いぇーい!!!!

感想。

さて私の感想を40文字で書きたいと思います!!!
正しいかどうかで言えば圧倒的に正しいけど、面白いかどうかで言えば面白くは無い。
だって説教臭いし、、、、だって別にキリスト教信者じゃないし、、、っていうかキリスト教的な意味で信心がゼロな今でも十分に人生楽しいですけど、、、。仕事ばっかりの人生に空しくなったんなら趣味でも作れば、、、。

【まとめ】

というわけで、小難しい割には大変分かりやすい教育的で道徳的な内容の映画でした。キリスト教文化圏でなら絶賛されてもいいかなと思いますし、確かにこれを持ってこられたらグランプリぐらいは”差し出して”おかないと後からその筋からの圧力が大変そうです。なので、熱心なキリスト教信者の方は当然見に行くべきですし、なんならミッション系の学校なら神学の時間に授業で流しても良いのではないでしょうか? でもあんまり世間一般にはオススメしません。だって、、、、、、言ってしまえばこれは宗教の勧誘みたいなものですから。「信じる者は救われる」っていう類の映画です。一応メジャーなキリスト教だからギリギリセーフですけど、これがもしカルト系だったりとかしたらいつものアレな映画になっちゃいますし。
そういう意味ではテレンス・マリックが最初メル・ギブソンにオファーを出したのは大正解です。彼なら下手すれば私財を投じてやってくれそうです。
オススメ、、、しないと駄目ですかね、、、駄目ですよね、、、うん。オススメです!!!!!!!!!!
※私は一応幼稚園の時はミッション系で毎週ミサだの聖書読書会だのやらされていましたが、基本はズブのど素人です。軽めの文体でヨブ記をまとめたことで気を悪くされるような事がございましたら、ユダヤ教の方々には謹んでお詫び申し上げます。

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ブラック・スワン

ブラック・スワン

今日は二作です。1作目は水曜公開で早くもそこそこ話題作

「ブラック・スワン」です。

評価:(100/100点) – 抑圧を狂気で解き放て!!! 永遠の清純派を卒業できるのか!?


【あらすじ】

ニナ・セイヤーズはバレエ団のソリスト(準主役)である。バレエ団は経営難から立ち直るために次シーズンでプリマ(主役)の交代を考えていた。タイトルは新しく振り付けし直した古典・白鳥の湖。即席のオーディションに合格したニナは念願のプリマの座を射止める。しかし、彼女は完璧主義者であるが故に感情を表に出した演技が苦手で、オデット(白鳥)の演技は出来てもオディール(黒鳥)の演技が上手く出来ない。演技監督のトマスの厳しい指導を受けるうちに、彼女の周りには不思議な事が起き始める。

【三幕構成】

第1幕 -> ニナのオーディション。
 ※第1ターニングポイント -> ニナがスワン・クイーンに選ばれる。
第2幕 -> ニナの苦悩と演技指導。
 ※第2ターニングポイント -> ニナがリリーと夜遊びに行く。
第3幕 -> ニナの開花と初演。


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【感想】

今日の1本目はアカデミー主演女優賞を獲った「ブラック・スワン」です。監督はレスラーのダーレン・アロノフスキー。日本では水曜公開でしたが、平日の初動で結構観客が入ったと話題になっていました。
もしかしたら興味ある人はもうレイトショーで見ちゃってるのかも知れませんが、私の見た回はあんまり人が入っていませんでした。

本作全体のテーマ

本作はダーレン・アロノフスキー監督の前作・レスラーと同様にハンディカメラ調のドアップ画角を中心にして徹底したニナ・セイヤーズの一人称視点で描かれます。どこまでが現実でどこまでが彼女の幻覚かまったく分からないまま(※そしてそんなことはどうでもいいんですが、、、)、世界全体が彼女を追い詰めていきます。
ニナは元端役のバレエダンサーでシングルマザーの母親の夢を全て引き受け、完全なる「良い子」として才能を発揮してきます。彼女は技術的には完璧でありながらバレエへの情熱が踊りには出ません。そんな彼女が「情熱の化身」とも言うべき黒鳥を踊るために苦悩し、そのプレッシャーに耐えきれずに発狂していきます。
本作では「白鳥の湖」の一番の見所である白鳥と黒鳥の一人二役をモチーフに、がちがちの母親に管理され続け抑圧されたニナの解放を描きます。
本作が大変すばらしく大傑作であると思う一番の理由がクライマックスの強烈なカタルシスです。彼女は完全にイっちゃってますが、しかしそれこそが彼女にとっては「解放」だからです。彼女は最後彼女にとってまさに「Perfect…」な結末を迎えたわけで、それがハッピーエンドで無いはずがありません。

やってること自体はレスラーと同じだけど、、、

とまぁ最高なワケですが、メタレベルでやっていることはレスラーとほとんど同じです。つまり13歳でリュック・ベッソンにフックアップされてレオンで世界規模のアイドルになり、さらには18歳でスターウォーズEP1を撮影しながら受験勉強をしてハーバード大学に合格、何カ国語も喋れる美人で秀才なセレブという完璧超人のナタリー・ポートマン自身を役柄に投影します。「超良い子だけどいまいち”良い少女”感が抜けない」というのはまさにナタリー自身であるわけで、それがニナ・セイヤーズの実在感に貢献しているのは間違いありません。
プラスとして、本作では発狂系サイコスリラーからの明らかな引用も随所にあります。一番言われるのはおそらくロマン・ポランスキーの「反撥(1965)」と今敏の「パーフェクトブルー(1998)」だと思います。「反撥」は発狂に至るプロセスと「性的な幻覚」を重ねてくるテーマ的な部分、「パーフェクトブルー」は壁一面の絵/ポスターが話しかけたり笑ったりしてくる演出と鏡の中の自分が挑発してくる場面、プラスでお腹を刺す部分ですね。まぁほとんどそのまんまですw

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左:ポランスキー監督「反撥」(1965/仏)  右:ダーレン・アロノフスキー監督「ブラック・スワン」(2010/米)

ただ、パクリまくってるから駄目だと言うことではなく、それらを使ってきちんと「抑圧からの解放」というドラマを作ってくる所がダーレン・アロノフスキーの小憎らしい所ですw こんだけ面白ければパクってようが目新しくなかろうがなんでも良いやって言う、、、それぐらい黒鳥のピルエットには強烈なカタルシスがあります。まぁ演出的にやり過ぎって話しもありますし、ちょっと吹き出しそうにはなるんですが、、、でも「成長したね!!!」って感じで微笑ましい場面です。文字通り強く羽ばたいてるのでw
この作品のずるいところは、きちんと作劇上のクライマックスと劇中劇「白鳥の湖」のクライマックスが完全にシンクロしていることです。オデットは王子をオディールに奪われたことで絶望しますが、身を投げることで終に呪いから解放されます。そしてニナ・セイヤーズは、、、、というのは見てのお楽しみです。

【まとめ】

発狂系サイコ・スリラーの新しい大傑作です。あの童顔で可愛いナタリー・ポートマンが最後には血走った目をかっぴらいて黒鳥に生まれ変わるワケで、これはもうファンならずとも感涙です。現実でも本作の振り付け担当のべンジャミン・ミルピエとよりによって出来ちゃった結婚して清純派のイメージを破ったので(笑)、間違いなく本作が彼女自身の解放にも良い方向にいったんでしょう。というわけで、これからは「レオンの子役のナタリー・ポートマン」「アミダラ役のナタリー・ポートマン」では無く、「ブラック・スワンのナタリー・ポートマン」です。間違いなく彼女の代表作です。オススメします。マジ必見。

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八日目の蝉

八日目の蝉

昭和の日の2本目は

八日目の蝉」です。

評価:(85/100点) – 永作の狂気と母性全開のロードムービー


【あらすじ】

秋山恵理菜は生まれてすぐに父の不倫相手の野々宮希和子に誘拐された。4歳の時に希和子が逮捕され実の両親の元に戻ったものの、結局両親とも上手くいかず、自身も大学に入って不倫に走ってしまう。そんな時、彼女のアルバイト先に千草と名乗るジャーナリストが現れる。彼女は恵理菜に誘拐されていたときの様子を聞き出そうとする。徐々に記憶を辿っていく恵理菜は、やがて希和子との”親子関係”を思い出していく、、、。


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【感想】

昨日の二本目は「八日目の蝉」を見てきました。GWではほぼ唯一の邦画大型作品ですので、結構お客さんが入っていました。原作は角田光代。1993年の「日野OL不倫放火殺人事件」を元ネタにアレンジしたサスペンス小説です。去年一度TVドラマにもなっていたようですが、私はこちらはノーチェックでした。

本作の概要

さて、本作は非常に説明しづらい内容になっています。内容を簡潔にいうと、「子供の時に起きた事件で親の愛情を知らずに育った女性が、自分が妊娠したときに不安を覚えるが、過去と向き合うことで実は親の愛情を受けていたことに気付く。」という話しです。
でまぁそんな感じの話ですので、倫理的には相当きわどいことをやっています。ただ、本作では昨年の「悪人」と違ってかなり丁寧に描写を積み上げていますので倫理的な問題や描写としての不自然さはそれほど感じません。

本作は開始早々、裁判での秋山恵津子(実の母親)と希和子の供述から始まります。ここでハッキリと希和子が反省していないことと、そして恵理菜に感謝をしていることが告げられます。本作はすべての事件が終わった後に大学生になった恵理菜が回想をちょくちょく挟む形で進行していきます。そこで展開されるのが、恵理菜の家庭事情と希和子と恵理菜の逃亡生活です。

かなり序盤の段階で丈博(恵理菜の父)がいかに最低かという部分と恵津子がかなりのヒステリーかつ娘との関係でどんどん精神的に病んでいく部分が語られ、その一方で希和子には同情的に肩入れしていきます。希和子は堕胎により子供が産めなくなり、そして不倫相手の嫁からは罵倒され、ふらっと侵入した秋山家の中でたまたま赤ん坊の恵理菜を見つけて攫います。そして恵理菜に堕胎した娘につけるはずだった薫という名前を付けて実の娘として育てます。

本作のタイトル「八日目の蝉」については劇中で2回ほど言及する部分があります。一度目は夜の公園で恵理菜と千草が語り合う場面。ここでは「普通は一週間で死ぬのに八日目まで生き残ってしまった蝉はさみしい」という説明があります。そして終盤、今度は原っぱに寝そべってやはり二人が語り合う場面です。こちらでは千草が「とはいえ、八日目まで生き残った蝉は、きっと普通の蝉が見られなかった世界が見えたんだ。」と幾分かポジティブな解釈がなされます。

これは微妙に作品のテーマとはずれますが、おそらく希和子の事だと思われます。普通なら不倫がバレて子供が産めない・男不信という最悪な状態で終わるのに、そこから不倫相手の子供を攫ってしまったことで強烈な母性が目覚め、希和子は4年間だけ幸せな時間を送ります。それは希和子にとっては堕胎した娘とすごすはずだった時間の穴埋めであり、非常に利己的・自分勝手な行為です。というか犯罪ですし。

本作において、恵理菜は自分が忘れたと思っていた「育ての親」である希和子と境遇が似てくることに焦りと不安を感じています。自分も希和子と同じように妻子持ちのダメ男と浮気をし、そして希和子と同じように妊娠し、希和子と同じように男からは「今は生まないで欲しい」といわれてしまいます。そんな状態の中で、彼女は唯一の友達となった千草と共に自分のルーツを探る旅にでます。希和子の逃亡生活を追体験するように、恵理菜と千草は旅をし、そしてその土地々々で思い出を取り戻していきます。その思い出が遂にすべて戻ったとき、彼女は自分の境遇に折り合いが付くようになるわけです。

本作の良い所

ということで、本作は二重のロードムービーとなっています。
一つは「希和子と薫の幸せな親子の日々」
もう一つは「恵理菜と千草の自分探しの旅 a.k.a トラウマ克服話し」
このどちらもかなり面白いのですが、やはり尺のボリュームからしても話しの構造からしても、前者の「希和子と薫」の方が圧倒的に面白くなっています。こちらはただひたすら本当に何気ない日常を淡々と描いていきます。ちょっと舞台が某ヤ○ギシ会っぽいカルト・コミューンだったりしますが、そこで行われる親子関係は至って普通のものです。そして舞台が小豆島に移った後はより一般的なノスタルジー描写になっていきます。それは例えば「歩いても 歩いても(2008)」を見て泣いちゃうのと同じような、なんのドラマ性も無いノスタルジーの中にちょろっと見える怖さを魅力として見せてくれます。そして最後には本当に反則的な超ウェットで真っ正面な親子愛をド直球で見せてきます。ものすごいあざとく、感じ悪い演出なのですが(苦笑)、泣いちゃうのが人情ってもんです。「なんじゃこの監督、こんな甘ったるいことしやがって!!!!」と怒りながら顔は泣いてますw

後者の「恵理菜と千草の自分探しの旅」については正直な話しそこまで絶賛するほどとは思えません。一応「親子愛の認識・再確認」というのがこちらの主題なのですが、肝心の千草側の事情については具体的にはほとんど語られませんし、恵理菜についても「希和子に誘拐されていた4年間は実は幸せだった」という劇場予告でも分かる部分を受け入れるかどうかという話しになっています。結局実の両親との関係がどうこうなるわけではありませんし、希和子とどうこうなるわけではありません。正しい意味での「自分探し」だけです。そういう意味では本作はサスペンスでは無く、ジャンル的には「人間賛歌/ヒューマンドラマ」です。「人生はいろいろあるし良い事も悪い事もあるけど、でも最高!!!!」。演出のあざとさとか井上真央と劇団ひとりがダメダメだとか不満はありますが、でもここまでちゃんとやられたら褒めざるを得ません。いや面白いです、本当に。

演技はアレですが、井上真央と永作博美が顔がすごい似てるんです。目の感じですとかアゴ周りですとかそっくりです。この時点でたぶんキャスティングは大成功だと思います。
相変わらず怪演を見せてくれる永作博美はすばらしいです。この人の魅力はギョロッとして分厚いクマのある引っ込んだ目だと思います。結構危ないことを書きますが、時折ちょっとヤ○中に見えるんです。この「童顔でかわいいんだけどちょっとイッっちゃってる感じがする」のが永作博美の最大の魅力です。ちょいちょい狂気がちらついて、優しそうなのに結構怖いんです。本作でもその狂気性がそのまま母性の爆発に繋がっていきます。それが完全に物語とリンクしているので、ものすごい説得力があるんです。本当いい役者です。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の時と同じような怖さがあります。

井上真央もいままでより明らかにちゃんとした役で(←失礼)、それに本気で取り組もうという姿勢が見えて大変好感が持てます。芸歴は長いのにまだ「これは井上真央の役」みたいな得意技がありませんが、何かハマリ役やゴリゴリに追い込む監督に出会ったら化けるような雰囲気はありました。「ダーリンは外国人」の汚名返上傾向です。

【まとめ】

正直まったく期待しないで見に行きましたし、ぶっちゃけた話し上映時間の都合で「キッズ・オールライト」から「八日目の蝉」に見る物を変えたぐらいノーマークでした。なんか中島美嘉の大仰なテーマソングといい、予告といい、安い泣き脅し映画の匂いをビンビン感じます。実際泣き脅し気味なのは否めませんが、でもちゃんとした泣き脅しです。素直に面白い作品でした。
手放しで大絶賛!って感じではないですが、今年だと邦画の「白夜行」とためを張れるくらいの作品だと思います。拡大ロードショー中ですので、なにか別の映画を見に行ったついでにでも見ていただくと結構満足感が高いのではないでしょうか? 原作をかなりバッサリ整理していて、間違いなく原作よりもスマートになっています。とりあえずGWになにを見るかで迷ったら押さえておくと良いでしょう。オススメです。

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