真田十勇士

真田十勇士

今日は堤幸彦最新作

「真田十勇士」を見てきました。

評価:(3/100点) – アクション以外、何も無い


【あらすじ】

時は17世紀初め。九度山の真田屋敷の近くで村を襲った忍者が女を人質にして立てこもる事件が起こる。真田幸村自らが人質交換に向かうものの、何故か立てこもり犯は幸村になついてしまう。犯人の名前は猿飛佐助。佐助は幸村に志願し、幸村の残りの人生を面白くしてやると嘯く、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 真田九勇士の結成
※第1ターニングポイント -> 出城の建設を進言する
第2幕 -> 大阪冬の陣・夏の陣
※第2ターニングポイント -> 幸村討ち死に
第3幕 -> 豊臣秀頼救出作戦


【感想】

今日は一本、おととい公開された「真田十勇士」を見てきました。なんで「ハドソン川の奇跡」じゃないんだという話はありますが、それはほら、、、美味しいものは最後にとっとくタイプなんで^^;
松竹のお膝元、有楽町のピカデリー・シアター1(※一番大きい800キャパの劇場)では、客入りは2~3割ぐらいでしょうか。正直興行収入を見ても封切り2日間ですでに終戦しちゃってるようなレベルなのですが、さもありなん。客席はわりと年配の方が多く、特撮俳優ファンをあんまり呼べてなさそうな雰囲気でした。結構若手のイケメン俳優を揃えてるんですけどね、、、。

点数を見ていただくとお分かりいただけますが、本作は映画としてみるとハッキリ言ってかなり厳しいです。というか下の下です。いつもならここから2,000字ぐらいかけてグチりまくるところなんですが、もう終戦しちゃってる映画にそれは酷なので、今日は別の切り口から書いてみようと思います。

ということで、お約束です。本作は見どころも何もありません。話もありません。ですから、ネタバレもクソもありません。ですが、今日は趣向を変えてこの「真田十勇士」をストーリーに絞ってみてみたいと思います。結末までがっつり書きますし、何より映画の本編を見ていることが前提で書いていきますので、未見の方はご注意ください。もし、未見でかつ今後もあんまり見る気がない方は、たぶん前売り券が金券ショップですぐに200円ぐらいまで落ちると思いますので、その際にまた改めて検討いただくと良いと思います。DVDで初見だと、絶対冒頭10分はスキップします(笑)。

まずはいつもどおり話の概要から

本作は、2014年に上映された舞台の映画化です。私、舞台畑は完全ノーマークでして、まったく前知識なく映画を見に行きました。もとの真田十勇士の話自体は知っていますが、あんまり熱心な感じではありません。

この映画は大阪冬の陣・夏の陣を戦う真田幸村一派の活躍を描いているっぽい作品です。主人公は猿飛佐助で、1幕目の謎のアニメパートで9人目までを集める所をダイジェストで見せ、その後大阪へ舞台が移り10人目の根津甚八を加え、十勇士となります。その後は冬の陣・真田丸での闘い→夏の陣・幸村特攻と話が進みまして、最終的には負けた豊臣秀頼と淀殿の救出作戦がクライマックスとなります。

話の大枠自体はごくごく普通でして、十勇士なんだから当然そこだよねという活躍ポイントをさくーっとなぞっていきます。相変わらず全編を通して堤幸彦特有の安っぽいテレビドラマ演出と常に流れるBGM、滑り続ける微妙なコントが繰り返されます。本作ではさらに輪をかけて、映画には到底向かない大げさでふざけた演技を中村勘九郎が繰り出してきますので、この2人のコラボレーションは本当に極悪な破壊力で観客を襲ってきます。この辺はグチりだしたら結構書けるんですが、今日は全部封印しましょう。もう興業的には死に体なので、武士の情けです(笑)。一点だけいえば、霧隠才蔵が強すぎて、たぶんあいつに全部任せればさくっと家康を殺せたと思います(笑)。

■ 大真面目に映画を分析してみよう!

ということで、ここからが本題です。見終わってからいろいろ考えていたのですが、たぶんこの映画を供養するには、これをテキスト(=教科書)にして映画のストーリー構成の仕方を真面目に考えるのが一番良いかなと思いました(笑)。そのぐらい本作は破綻していますので、良い教科書になります。全ての堤演出のクドさを脇に避けまして、まずは劇映画の構成の基本から見ていきましょう。

分析1: プロットポイントを掴む

まずは何はなくともストーリーのプロットポイントを正確に抑える必要があります。本作には大きなターニングポイントが2つあります。この記事冒頭の三幕構成を御覧ください。

映画の第1ターニングポイントまでを通常は「1幕目」と呼びまして、ここでは一般的に「物語の前提」「キャラクター達の紹介」「世界観の設定」を行います。普通はドラマが動き出すのは第1ターニングポイントからで、1幕目はイントロです。本作では、冒頭の戦国状況ナレーションで世界観を決め、9勇士の加入でキャラを紹介し、「ヘタレの幸村を佐助と才蔵が盛りたてる」という前提が規定されます。

その後、幸村が豊臣vs徳川の戦争に巻き込まれることで、本作のゴールが「幸村を戦争で活躍させて、彼を”漢”にする」と規定されます。ですから、この映画の第1ターニングポイントは「大阪に呼ばれた幸村が出城を任せろと秀頼に進言する」シークエンスになります。ここから「2幕目」が始まります。

2幕目は物語の核になるところです。作品のテーマの解決に向けて、すったもんだが行われるパートです。本作では大阪冬の陣・夏の陣がまるまるここです。2幕目は幸村の討ち死にで幕を閉じます。

3幕目は物語の解決編です。ここでは、佐助一行が幸村の遺言である「秀頼様を頼む」という言葉を果たすために、秀頼・淀殿救出作戦を行います。

分析2: キャラクターの「ストーリー上の欲求」を考える

さて、ここから本作の反面教師要素が全開になっていきます(笑)。登場人物、特に主要キャラにはかならず「ストーリー上の欲求」が必要です。話を転がすためにはキャラクターに「XXXXをしたい!」という欲求がないとそもそも始まりませんし、物事が動きません。映画に限らずストーリーものでは、必ず冒頭で主人公の欲求が明かされます。サスペンスであれば「事件を解決したい!」「犯人を捕まえたい!」とか、ファンタジーであれば「指輪を捨てに行きたい!」「大魔王を倒したい!」などなど。欲求があって初めて、キャラクターは行動を起こします。

本作は、猿飛佐助が主人公です。佐助が十勇士を集め、佐助が先頭にたって冬の陣/夏の陣を闘い、佐助が主体となって秀頼と淀殿を救出しようとします。では、猿飛佐助がこの一連の動きをするための、欲求とは何でしょうか?



答えは「幸村を”漢(ほんもの)”にしたい!」です。

これは映画の冒頭のアニメパートで本人がセリフでいいます。なので、本作では「幸村が”漢”になる」のが物語のゴールということになります。これに説得力があるかどうかは怪しいですが、それは堤演出の問題なので置いときましょう。本当は佐助が「ウソがホントになるっておもしれぇじゃねぇか」という考え/性格になった背景があるとベストなんですが、それはなんとなく中村勘九郎の「傾奇者」な雰囲気でなぁなぁになってます(笑)。

ちなみに、霧隠才蔵を始めとするその他のキャラクターには「ストーリー上の欲求」はありません(笑)。かろうじて、大島優子演じる火垂にだけは「才蔵を殺す」という欲求が定義され、三好青海・伊三には「才蔵を守る」という定義がありますが、他のキャラはすっからかんです。これが本作が駄作になった一番の原因です。主人公の相方である才蔵に欲求がないので、なんでそこまで付き合ってくれるかよくわからないんですね。十勇士に裏切り者がいるみたいな話もでてきますが、そのキャラにも欲求がありません。なので、行動に説得力が一切なく、みんなバカにしか見えません。

分析3: 主人公の欲求と物語がきちんとリンクしているかどうか

分析1と2で、ストーリーの全体像と主人公の欲求がわかりました。ではこれが正しくリンクしているでしょうか?



答えはNOです。

本作において、「幸村が”漢”になった」のはどのシークエンスでしょう? それは最終出陣の前日夜の場面です。この場面で、幸村は「オレが特攻をかけて家康の首を取る」「最後くらいは”本物”になる」と宣言します。ここが物語上の解決です。ここで幸村は初めて自分から策を提案し、そして本物の軍師として主体的に行動しようとします。

ただ、これには作劇上の失敗が2つあります。

まず1つ目は、この「幸村が”漢”になった」ことに猿飛佐助が何にも関わっていないことです。本作の主人公佐助は、幸村を漢にするために一生懸命頑張ってきたはずで、そしてそれが映画のメインストーリーでした。だから、クライマックスは、佐助が幸村を”漢”にしないといけません。ところが、そもそもからしてなぜ幸村が特攻を決意したのかが見えません。超好意的にエスパー解釈すれば「淀殿を守るため」なのですが、でもそんな描写は無いですし、、、ね。結果的に、幸村の決断に佐助はなにも絡んでおらず、なんのカタルシスもありません。

2つ目は、ストーリーの構成バランスです。よりにもよって、この幸村の決心は物語の終盤手前で来てしまいます。この後実際に討ち死にするわけですが、本来であればこの決意は第2ターニングポイントに置かないといけません。この映画の解決とは「幸村が”漢”になること」なので、3幕目は「幸村が”漢”になるシークエンス」になるんです。ところが、この映画ではそこを含めて2幕目に押し込んでおり、本来であればエピローグ(=余談)になるはずの「幸村の遺言を守る件」が3幕目にドーンと30分も鎮座しています。これによって、ストーリー上のクライマックスと、映画としてのクライマックスがずれてしまいます。ストーリー上のクライマックスは幸村の特攻ですが、映画のクライマックスは最後のどんでん返しなんです。これによって、そもそもの話の焦点がボヤケてしまいます。

また、本来エピローグであるはずの「幸村の遺言を守る件」を3幕目(※映画全体のメインストーリーの解決)にしてしまったがために、そもそもの佐助の「嘘を本当にする」というキーワードもボヤケてしまってます。最後の「嘘を本当にするどんでん返し」は3幕目に唐突に出てきた話であって、映画の最初からの欲求ではないんですね。ですから、「結局この映画のストーリーってなんだったの?」と聞かれるとみんな口ごもってしまうわけです(笑)。佐助が幸村を担ぐ話?それとも秀頼を助ける話?本当は前者なんですが、映画の作りはクライマックスだけ後者なんですね(笑)。せっかく幸村特攻で盛り上がった観客は、その後延々30分も続く謎の茶番劇を死んだ目で見ることになります、、、。

じゃあ、どうしたら良かったんだ!

ではどうしたら良かったのかというと、まずは幸村が決意するためのエピソードに猿飛佐助をきちんと絡めること。理由はなんでも良いです。十勇士に情が移って勇気を奮い立たせるのでもいいし、息子の真田大助を佐助に頼んで逃がしてもらって自分は囮で特攻をかけるのでもいいです。佐助が提案した作戦を断って特攻を逆提案してもいいです。なにか佐助を絡めて幸村が成長しないといけません。そしてもし、この特攻において「嘘を本当にする」を絡められればそれがベストです。十勇士の皆で幸村のコスプレをして陽動作戦をとるのでもいいですし、そもそも幸村を影武者にしちゃってもいいです。この特攻で「嘘を本当にする」ような奇抜な作戦を立てられれば、作劇上はとても良い着地になります。

次に構成です。最後の秀頼のシーンを10分に縮めて全部エピローグに押し込んで、あくまでも三幕目を幸村特攻に絞ることです。エンタメストーリー映画でクライマックスをずらすのは絶対に駄目です。あくまでもクライマックスは特攻。キャラの悶え合いは最後のおまけで十分です。どうしても火垂関係を入れたいなら、特攻中に暇してる才蔵と脇で乳繰り合ってればOKです。

【まとめ】

回りくどくなってすみません。今日は変則的にストーリーに絞って見てみました。映画には必ずメインストーリーがあり、それは登場人物の「物語上の欲求」の結果として生まれます。そして、そのストーリーを構成するために、三幕構成(状況設定・葛藤・解決)があります。この3つは相互に関係性があって、これがきちんとできていないとそもそも見ても意味が分かりません。本作は堤演出を全て差っ引いても、そもそもの脚本構成がムチャクチャで整理できていないため、なかなか面白くはなりません。

もちろんこの方式が唯一絶対の正解ではありませんが、一つ物語を見る上での目安にはなるかと思います。

こんなんで、この映画をちゃんと供養できてるでしょうか(笑)?

ちなみにこの映画は完全にセリフ劇であり、そもそも舞台演劇を映画に置き換えるということをしていません。だから、大げさなリアクションを連発しますし、物理的な距離感も無茶苦茶です。家康の目の前で幸村の最期をダラダラやるのも演劇ならアリなんですね。演劇は物理的に同一の舞台を観客の想像でいろんなロケーションに置き換える文化ですので、舞台上で20メートルしか離れていなくても遥か彼方にいると脳内変換できます。

こういう滅茶苦茶な映画でも、アイドル要素だけで乗り切ることもできます。ですから俳優の熱心なファンなら楽しめるかもしれません。それはそれで大切なことなので、是非々々映画館で御覧ください。物語上の意味はほとんど無いですが、アクションシーンの俳優さん達は結構頑張ってますしよく動けてます。そこだけに絞るなら案外悪くないかもしれません。

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