スター・ウォーズ/最後のジェダイ

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

もうね、これは書かざるをえないでしょう

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」です。

評価:(15/100点) – これはスターウォーズの文化大革命だ!!!


【あらすじ】

前作「スターウォーズ/フォースの覚醒」によりついに居場所の割れたルークの元に、レイが降り立つ。反乱軍の希望としてルークを連れ戻しに来たレイだったが、ルークの意思は固い。レイに同行したチューイとの再会にも心が動かないルーク。しかしR2D2との再会により遂にルークは自分が「オビ=ワン」になることを決意する。フォースに目覚め困惑するレイにルークは指導っぽいことをしていく。

一方その頃、反乱軍はファーストオーダーの大追撃を受けていた。逃げ切れないと悟ったフィンは、女性整備士のローズとともに敵戦艦に乗り込み追跡装置の電源を落とす作戦に出発する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドレッドノートとの戦闘/レイとルーク
※第1ターニングポイント -> ルークがR2D2と再会する/潜入作戦開始
第2幕 -> レイの修行とフィンのカジノ惑星潜入
※第2ターニングポイント -> スノークとの闘いと敵戦艦への潜入
第3幕 -> 決戦!クレイトの闘い


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【感想】

さて、本日は話題沸騰の「スターウォーズ/最後のジェダイ」です。言わずと知れたスター・ウォーズの正伝最新作であり、エピソード8です。昨日から公開ですが、すでに大手WEB媒体の現代ビジネスだの産経ニュースだのでは大絶賛状態です。だが、ちょっとまって欲しい。ちょいっっと待って欲しい。本当でしょうか?あなたの心の中のフォースはなんて言ってますか?本当に褒めてますか?そう、私はこの映画に怒り心頭です。はっきり言います。

ふざけんなよライアン・ジョンソン!!!!!!!!

なんじゃこのクソ映画はボケ!!!!!!!!!

てめぇは偉大なるシリーズへのリスペクトが足らんのじゃカスが!!!!!

失礼いたしました。つい正気を失っちゃいまして(笑)。握りしめたビール瓶は汗で滑って落ちたので勘弁してください。

ということで、今回もご多分にもれずネタバレを多く含みます。もしまだ本作を見ていない方、本作を見て大満足した方は以下お気をつけください。

はじめに

結論から言ってしまえば、本作はシリーズを終わらせるための、、、そして今後無限に続けるための作品です。そういった意味ではディズニー資本となってより安売り/商品化されるための必要悪と言えます。

この映画の問題点は山ほどあります。というか問題しかありません。ストーリー駄目、キャラ駄目、設定クソ。この山ほどある問題は大きく3つに分けることが出来ます。1つ目はストーリーテリングがグダグダすぎる問題。2つ目は「リアリティ・ライン」「SFレベル」が旧作から大幅に乖離している問題。もう1つは世代交代における旧作全否定/キャラへのリスペクトが無い問題です。具体的な細部に入る前にまずは作品を俯瞰的に見ていきましょう。そう、キーワードは「文化大革命」です。

これは「神話」を「物語」に堕とすための作品だ!

スター・ウォーズシリーズはストーリー・ドラマの手法を取っているクロニクル形式の映画です。つまりスター・ウォーズ世界の年表を基に、「今回の映画はここからここ」みたいな歴史の一部分を切り取って映像化するスタイルです。そのため全てのシリーズでオープニングテロップにより「これまでのあらすじ」が語られ、そして映画本編のアバンタイトルが始まるわけです。今回のEP8はEP7の直後から始まっていますが、旧作はけっこう時系列が飛んでいました。

ストーリー・ドラマである以上はキャラクターの新陳代謝は必要不可欠です。前作では旧作キャラであるハン・ソロが大活躍し、かつ敵も新しくダークサイドに堕ちたスカイウォーカーであったわけで、必ずしも世代交代できたとは言えませんでした。今回のテーマはこの「世代交代」であり私に言わせればこれは「文化大革命」です。

以前のローグ・ワンでも触れましたが、スター・ウォーズシリーズは「スカイウォーカー家」を中心とした善=ジェダイと悪=シスの闘いの話です。よくスター・ウォーズは「スター・ウォーズ神話(サーガ)」と表現されますが、まさしく「善と悪との闘いで超能力一家が大活躍する」というギリシャ神話/エジプト神話/北欧神話的なストーリーなわけです。この辺は「キング・オブ・エジプト」を見た人ならよくわかると思います(笑)。このサーガにおいてスカイウォーカー家は神様であり大貴族様です。だからこそ昨年の「ローグ・ワン」がスター・ウォーズ史上初めて「普通の人間にフォーカスした」作品として大変面白かったわけです。

ところが、、、ディズニー的なポリティカル・コレクトネス=過剰な平等主義=共産主義が、この神話世界を完膚なきまでに俗世化し破壊いたしました。そう、平等主義の名のもとに保守的な神話/宗教を破壊する本作はまさしく「文化大革命」です

本作ではこの「文化大革命」について2度もジェダイとダークサイドの両方から語られます。

1度目はルークと霊体ヨーダのシーンです。ヨーダが出てきたテンションで誤魔化されがちですが(笑)、彼の言ってることは「保守的なジェダイの教えは役に立たない」ということなんですね。つまり保守主義を全否定する進歩主義です(笑)。
2度目の言及はカイロ=レンがスノークを殺した後にレイを勧誘する際のセリフです。「ジェダイ、シス、ファーストオーダー、反乱軍、そんなもんはどうでもいいんじゃ!俺等で新しい秩序をつくるぞ!一緒にやろう!」的なアレです。

そしてこの文化大革命にはプロダクション上で大きな狙いがあります。旧シリーズの「スカイウォーカー家の神話」を断ち切るため。そしてそれによって「今後の作品を作る上でのあらゆる制限を取り払うため」です。これまでだとどうしてもカイロ=レン的な旧作ゆかりのキャラ・スカイウォーカー家の人物の周辺で話を転がすしかありませんでした。しかし今回の文化大革命により、広く一般人に門戸が開放されたわけです。

この文化大革命の意図は本作の随所に見られます。「レイの両親が何者でもない=庶民である」というのもそうですし、血筋だけ見れば最強のはずのカイロ=レン(ベン=スカイウォーカー)がヘタレであるのもそうですし、そして最後のシーンで名もなき奴隷っぽい少年がフォースを使ってホウキを引き寄せて掃除するシーンもそうです。ジェダイ=フォース使いが特権階級・既得権益ではなく市民に開放されたわけです(笑)。

これによってスター・ウォーズシリーズは今後無限に作ることが可能になりました。スター・ウォーズ神話(サーガ)がスター・ウォーズ物語(ストーリーズ)に俗世化したのです。

全世界のスター・ウォーズオタクが涙を流した大傑作ドキュメンタリー「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス(2010)」を見ればわかるように、このSWサーガの創造主ジョージ・ルーカス自身も大変商売っ気のある人です。彼の同門であり大親友のスピルバーグがよくグチっているように、ルーカスは偉い立場になったり映画人としての責任で真面目映画を撮るみたいなことを全然しません(笑)。当のスピルバーグは一生懸命「ユダヤ人としての使命」とか「映画人としての責務」とかいって政治映画や歴史物をいっぱい撮ってるんですけどね。ルーカスはぜーんぜんそういうのに興味ありません。そんなルーカスですが、どんなに叩かれまくったプリクエル(※SWエピソード1~エピソード3の総称)でも、キャラクターの価値だけは頑なに守ろうとしてきました。商売道具ですからね。結果的にヨーダだけに全ての物語のしわ寄せがいって無能になってしまっていますが、続けてトリロジー(※SWエピソード4~エピソード6の総称)を見るとよりEP6最後の感動が増すようにちゃんと設計出来ています。

しかし今回の文化大革命によって旧作の全てのストーリーは破壊されました。結局旧来のジェダイ・オーダーはフォースのバランスを保つことが出来ず、新世代(レイとカイロ=レン)の独自判断に委ねられることになります。これが「創造のための破壊」だったのか、それともただの自爆だったのかは、次回作エピソード9の公開まで判断を待ちましょう。

さてここまでが本作の位置づけです。ここからは細かい問題点の話に行きます。長くてすみません。

問題1:話がクソすぎる

本作を単体で見たときの問題は話のグダグダっぷりです。これに尽きます。この映画では大きく3つのグループが並行で行動します。

第1グループはレイとルーク、R2D2、チューイです。こちらは「ルークが引きこもっている島へ行って連れ帰ってくる」というミッションを与えられたレイ一行の物語です。なんやかんやでルークにフォースを教えてもらうレイですが、しかし特に師弟関係になるでもなく仲違いしてすぐにレイが飛び出してしまいます。このシークエンスにおいて、レイはロクに修行をしておらず、いわゆる自主練だけでメキメキ強くなっていきます。ルーク師匠出番なし(笑)。結果的にレイが天才だったって話にしかなっていません。「子は親が居なくても強くなる」ってやつですね。

第2グループはフィンとローズのコンビです。2人は反乱軍を追撃してくるファーストオーダー艦隊を撒くため、潜入して追撃装置の電源を切ろうと企てます。追撃装置を切るためには直接敵艦に潜入するしかなく、そのためには世界最高の鍵破りが必要ということでマズ・カナタの紹介を受けスカウトに出かけます。こちらに関しては作戦工程もグダグダなら結果もグダグダで、エピソード自体が丸々どうでもいいという大惨劇になっています。おまけにポリティカル・コレクトネスの弊害でマッチョ黒人と不細工アジア人のラブロマンスという別に映画でまで見たくない絵面になっており、もう本当にどうしていいか分かりません。そういうのはブリジット・ジョーンズの日記とかのスイーツ映画だけにしてくれませんかね。人種差別だとかそういう変なこと抜きで、不細工が正統派ヒロインみたいな仕草をしているのを映画でみたくないっす。これも俗世化の反動ですね。神々しいまでに美人のアミダラと較べて、今作のローズは人間味に溢れています。しかし冒頭に出てくるローズの姉がめっちゃ美人なため、もう制作側の悪意しか感じません。このエピソードに関わった俳優は全員ババ引いてます。

第3グループはレイア将軍率いる反乱軍本隊です。こちらはひょんなことからホルド中将がレイアに代わって指揮を執ることになるんですが、この超絶秘密主義のババァ(※リンチ映画でお馴染みの怪優ローラ・ダーンですw)に掻き回されて無駄な小競り合いに発展します。もうね、、、全てがアホ過ぎます。ホルドが5分説明すれば済むだけのことで映画を30分以上使いますからね。反乱軍の連中は全員ナポレオン・ヒルでも読めよってレベルです(笑)。コミュニケーションって大事ですね、、、。

ということで、話に関しては褒めるところは一ミリもございません。全てがクソすぎます。監督兼脚本でこれは酷い。

問題2:SFレベルの旧作からの大幅な乖離

たぶん私も含めた旧作ファンで本作にブチ切れている人はここに引っかかっているんだと思います。本作は旧シリーズに対してリアリティ・ラインがズレ過ぎています。

ちょいと補足をしましょう。SFは「サイエンス・フィクション」=「科学的なハッタリ」という文字通りにウソをついてなんぼのジャンルです。スーパーマンが空を飛んだりバットマンが戦闘服を着ただけで大暴れできるのもこの「ウソ」の賜物です。そして各作品には「ウソの付き方」の度合いというのがあります。この「どの程度まで本当でどの程度ウソ=魔法的な要素を入れるか」を「SFレベル」とか「リアリティ・ライン」と言います。よく言われますが、スター・ウォーズでは「真空の宇宙空間なのにレーザーガンの音が聞こえる」というのがウソです。大前提としてもちろんフォースもウソです(笑)。

このSFレベルというのは「その作品がどの程度SFでどの程度ファンタジーか」を図る重要な尺度でありここがブレてはいけません。例えば、ドラゴンボールではキャラが死んでもすぐに生き返りますので、キャラが一回死んだくらいで長々とセンチメンタルなことをされたらどっちらけです。でもスタートレックでは一度死んだら生き返りません。ですから、老スポックの死が観客みんなの心をうつんです。これが作品ごとのSFレベルの違いです。そんな重要なSFレベルにおいて、本作は旧作から大きく逸脱しています。

具体的に言いましょう。

まず映画の冒頭で皆さん引っかかると思うのが、「宇宙空間において爆撃機が爆弾を投下する」シーンです。旧作でもこのシーン以外でも、巨大戦艦の近くで重力が発生するという描写はただの一度も記憶にありません。宇宙空間で爆撃機の艦底を開けると爆弾が落ちていく意味がわかりません。浮くんじゃないの? 実際に撃破された戦艦の破片は浮いてますしね。なんで爆弾だけが戦艦に落ちていくのか意味がわからなすぎてポカーンとなります。

他にもレイアの宇宙遊泳なんかもそうです。宇宙空間に放り出されて意識を失っているのになぜかフォースを使って生き残るという、、、フォースって無意識でこんな便利に使えましたっけ? 霊体ヨーダが雷を起こすところも同じようにSFラインを崩しています。霊体になったジェダイが現実世界に物理干渉しちゃ駄目でしょう、、、。それがありならヨーダ・クワイ・オビワン・アナキンで全部の戦争を瞬間的に終わらせられそうです。さらにはルークの幻影術ですね。こんなんできるんかい!っていう。全然役にはたっていませんでしたが(笑)。さらに忘れちゃいけないのがライトセーバーの遠隔操作ですね。あ、それやっちゃうんだ、、、という呆れと驚きがありました。それがありならガンダムのファンネルみたいに自分の周りにライトセーバーを飛ばしときゃ無敵ですよね(笑)。このように本作におけるジェダイ/フォースの扱いは無茶苦茶です。

さらに驚くのが最後の最後、ハイパードライブ(ワープ)を使った特攻攻撃です。え!?それできるの!?という。全部それだけでいいじゃんって話です。ハイパードライブを積んだ無人機を魚雷みたいにすれば全部倒せるわけですよ。スター・デストロイヤーだって瞬殺です。この世界の戦争のあり方の根底が覆ります(笑)。

SFレベルというのはその作品の説得力を生み出す根幹の部分です。それがここまでブレていると、もはや真面目に見ているのが馬鹿らしくなるレベルです。

問題3:世代交代のやり方が上手くない

3つめの問題点はキャラクターの世代交代のやり方です。これは懐古主義者のグチといわれても仕方ない部分なので最後に持ってきました(笑)

前述のとおり、本作の文化大革命において世代交代は大きなテーマです。旧作キャラ達から新3部作キャラへのバトンタッチです。ところが、本作では新キャラを魅力的に描くというプロセスが欠けており、ただ単に旧作キャラを貶して退場させているだけです。これではいくら旧作キャラを退場させても新キャラに人気は移りません。

だって、レイもポーもフィンもローズも、なにも大勢(たいせい)に影響を与えてないじゃないですか。小さな活躍をスポットでしているだけで、まったく魅力が伝わりません。その代わりといってはなんですが、宇宙遊泳をするレイアや、幻影術で翻弄するルークなど、旧作キャラの強烈な能力だけが描かれています。

とはいえルークに関しては本作では貶されまくりです。特にカイロ=レンに裏切られるエピソードからの引きこもりの流れが酷すぎます。この監督はルークに怨みでもあるんですかね?本作のルークは結局ダークサイドを恐れているだけであり、ジェダイとして完成されているとは到底思えません。旧作ファンの戯言としては「こんなのルークじゃない!」と強く思います。演じるマーク・ハミル自身も思ってるみたいですが(笑)。クワイ・ガン・ジンや若き日のオビ=ワンの方が遥かにしっかりしていますからね。前作の「フォースの覚醒」が思いっきり旧作パロディに徹していたのと真逆のアプローチで、旧作ファンとしては怒りボルテージがどんどん上がっていきます。

そのくせ、本作でグッとくるシーンってことごとく旧作ファンむけの目配せなんですね。ルークとR2D2が再会したときのレイア映像とか、C3POへのウィンクとか、最後のルーク仁王立ちとか、太陽が2つ見える(=ルークとアナキンの故郷であり旧作の原点タトゥイーン)シーンとか、ぜーんぶ旧作の思い出に頼りきってます。散々頼りきっといてそれかよっていう監督の不誠実さが本当に腹が立ちます。

【まとめ】

なんか書いていたらどんどんグチになってきたのでこの辺で切り上げます(笑)。この映画、マジで誰が得してるんでしょうか。私は前作のエピソード7は「EP4の焼き直しじゃねぇか!」と思いながらもまぁまぁ許せる範囲でした。ある意味でJJエイブラムスお得意の「同人映画」ですからね。ところが、本作は旧作へのリスペクトが無く、破壊して今後の商売につなげるためだけの作品です。冒頭に書いたように、ディズニーがスター・ウォーズを未来永劫続けるために必要な行為なのは間違いありません。ただ、これはやっぱり旧作ファンにはキツイものがあります。

私、実はこの映画を見ていて一番感じたのは「これはスター・ウォーズにおける∀ガンダムだ」ってことなんです。ロボットアニメ史上に燦然と輝くガンダムシリーズは、創造主の富野由悠季自身による「∀ガンダム(1999)」によって完全に破壊され眠りにつきました。当時「ガンダム」というブランドが巨大になりすぎて、富野監督本人のコントロールできる規模ではなくなってしまっていたんです。一方のバンダイとしてはガンダムはドル箱なわけで、今後も無限に続けたいというニーズがありました。そこで富野監督は、バンダイを騙し討ちする形でガンダムシリーズの完結編を勝手に作っちゃったんですね(笑)。「いままでのシリーズから何万年も後の遠い未来」という設定で、完全にピースフルで、どんな無茶苦茶な物語でもすべてを包み込む「優しい最終回」を書いたんです。富野監督本人は「ターンエーの癒やし」という単語でこの作品を表現していましたが、要は今後どんなにガンダムシリーズが粗製乱造されたとしても、物語上はすべて「∀ガンダム」に繋がるようになっていて、そしてそこで大団円のハッピーエンドになるわけです(笑)。このおかげで、どんなに「ガンダム」という名のもとで駄作が量産され続けたとしても、監督やファンは枕を高くして眠れるようになりました。

そうなんです。本作は、スター・ウォーズが好きな全世界のファンに別れを告げる作品なんです。「もうお前らの好きなスター・ウォーズは終わったから」というディズニーの決別宣言です。ファンとしては、もし本作をジョージ・ルーカスが撮ってくれていたら文句言いながらも泣いてお別れができたと思うんですね。ですけども、実際のルーカスはとうの昔にスター・ウォーズからイグジットしてしまっており、シリーズはもはや彼の興味から離れているわけです。私達はルーカスの幻影を追いかけていただけなんです。そして、本作では最大限の侮辱をもってその幻影を新オーナーであるディズニー自らが振り払ったんです。だからもう私達も後ろを振り返るのは止めましょう。2017年12月15日はスター・ウォーズの命日です。R.I.P。

私も、次作以降は心を無にして見ることができそうです。
日本全国のスター・ウォーズファンにこの言葉をお送りします。

「諸君らの愛してくれたルーク・スカイウォーカーは死んだ!何故だ!」
「ディズニーだからさ」

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記事の評価
ジャスティス・リーグ

ジャスティス・リーグ

さて、久しぶりの映画感想の更新です。今日見てきたのはこちら

「ジャスティス・リーグ」です。

評価:(35/100点) – どうしてこうなった、、、


【あらすじ】

前作「バットマンvsスーパーマン」からしばらくのち、世界は謎のエイリアンに襲撃されていた。謎のエイリアン「ステッペン・ウルフ」の目的は地球にある3つのマザー・ボックスを1つに融合し地獄の世界をよみがえらせること。世界の危機を察したブルースは、超人類達のスカウトを開始する。

【三幕構成】

第1幕 -> バットマンのスカウト活動
 ※第1ターニングポイント -> ステッペン・ウルフ降臨
第2幕 -> ステッペン・ウルフのマザー・ボックス集め
 ※第2ターニングポイント -> スーパーマンを蘇らせる
第3幕 -> 対決!ジャスティス・リーグvsステッペン・ウルフ


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【感想】

皆さんおはこんばんにちは。久しく映画の記事を書いていなかったのですが、当ブログの復活は元はと言えば「バットマンvsスーパーマン」を擁護するためでした。そう、ならばこそ、この映画は外せないでしょう。ということで「ジャスティス・リーグ」の登場です。

本作は「マン・オブ・ザ・スティール」「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」「スーサイド・スクワッド」「ワンダーウーマン」に次ぐDCフィルムズユニバースの5作目です。監督はおなじみザック・スナイダーで脚本も引き続きクリス・テリオが書いていたものの、最終的には両者とも降板して仕上げをなんと「アベンジャーズ」のジョス・ウェドンがやっています。相変わらずワーナー映画はプロダクションがグダグダです(笑)。

そんなこんなで相変わらず迷走を続けるDC映画陣営で、では本作はどうなったかといいますと、、、、これですね、まさに「どうしてこうなった」状態です。絵面は間違いなく格好いいのに、話が酷すぎます。このブログを読んでいただいている方にはなんとなく伝わってるんじゃないかと思っているんですが、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」と「スーサイド・スクワッド」は映画としては決して褒められる出来ではないものの、見るものを熱くさせるというか、こうエモーションを直接的に刺激してくるような魅力があったんですね。だからこそ文句もグチグチいいたくなるし、擁護もしたくもなるわけです。ところがですね、正直申し上げて、本作にはそういう魅力はまったくありません。早い話がただつまんない。今日は私のグチを全開でお届けします。

話の概要

本作は「バットマンvsスーパーマン」の直接的な続編です。スーパーマン亡き世界で、バットマンは今日も今日とてゴッサムの治安を守っています。そんななか、ゴッサムに前作の夢に出てきたパラデーモンが出現するようになります。いよいよ悪魔が地球に迫っていることを実感したバットマンは、目星をつけていた超人達をまとめようとスカウトに乗り出します。一方、ワンダーウーマンの故郷・アマゾンでは、代々守られてきたマザーボックスに異変が起きます。そしてマザーボックスは悪魔ステッペン・ウルフを召喚してしまいます。召喚されたステッペン・ウルフは、地球上に散らばる3つのマザーボックスを集めて地獄を蘇らせようとします。

そう本作はファンタジーよりな世界観で描かれるヒーローvs悪魔のバトルものです。強大な悪魔を倒すため、アマゾネス、アトランティス、人類、クリプトン人の各種族が力を合わせて闘います。これだけ聴くと超楽しそうです(笑)。ところが、、、

本作のマズい所:いま何を何故やってるかがわからない

本作が一番マズいのは、「話の目的」がわからないため、画面の登場人物が「いま」「何を」「なぜ」やっているかがまったくわからない所です。つまりガールズトークっぽい(笑)。これはかなり重傷です。

例えば序盤から出てくるロシアの田舎の家族がいます。なんか原発っぽい煙突がある村に親子で住んでいて、村がパラデーモンに占領されちゃったようです。映画全編を通じてちょいちょいこの家族の描写が挟まるのですが、この家族が本筋に絡むのはラスト15分前くらいです(笑)。しかも実際絡んでみると、それまでの描写がまったく意味がないのがわかります。はっきりいって作品上はただのノイズです。

その他にも、序盤に描かれるバットマンのスカウト活動があくまでも「迫りくる危機に予め対処しようとする」という体裁なので、まったく切羽詰まっていません。そうすると、なんでいまスカウトをやってるのか、そして画面上でなぜその描写が行われているのか、見てて戸惑うんですね。

スカウトが終わった後にしても、唐突に「スーパーマンって復活させられるんじゃね?」みたいな話が始まり、そして唐突に最優先事項として行われ、さらには「復活したスーパーマンは以前とは違うかも」みたいな謎の横滑り展開が始まります。そしてその結果、映画のストーリー上もっとも大切な最後のマザーボックスを置き引きされます(笑)。あのねぇ、、、映画の最重要アイテムをラスボスに置き引きでパクられるってさ、、、バカじゃないの?大げさに書いているように思われるかも知れませんが映画を見た方なら誰しもが納得いただけると思います。最後のマザーボックスは完全に置き引きです。そして最重要アイテムを置き引きされてまで始まった「スーパーマンがおかしい」みたいな展開も、特に収束しないまま適当に終わります(笑)。

これらの事は単に「一本の映画に要素を詰め込みすぎ」というだけではなくて、そもそものストーリーラインをちゃんと書けてないということなんですね。一本のストーリーラインを書いた後にエピソードを肉付けしていったならばこうはなりません。すっっっっごい行き当たりばったりです。これですね、おそらく元々前後編の2部作でやるはずだったのを1本にまとめたことと、監督・脚本が相次いで降板したことが無関係では無いと思います。少なくとも一人の「責任者」がちゃんと目を通したらこうはなりません。

万事が万事適当なので見てて本当に混乱しますし、今何を目的に何をしてるのかがよくわからなくなってきます。そんなわけで結果的には大した盛り上がりもせず、本当は結構強いはずのラスボス・ステッペン・ウルフがただの雑魚にしかみえなくなり、しかもフラッシュもアクアマンも「スーパーマンが居ればいらないんじゃね?」というアレな着地になってしまうんです。そう、せっかくのスーパーヒーロー集合映画なのに、ぜーんぜん役にもキャラも立たないんですね。本当どうしてこうなったんでしょう

【まとめ】

というわけで、DCFUの前2作と比べて明らかにテンションが低いのがお分かりいただけるかと思います(笑)。テンション、、、、、、上がらないっすよね。凄い期待してたんですけれども、なんだかな~~~となってしまいました。気を取り直しますと、DCFUの次回作は脚本・主演ベン・アフレックの「ザ・バットマン」になるはずです。これはさすがに面白いでしょう。天才ベン・アフレックがまさか得意の俺様映画で外すとも思えません。ということで「ジャスティス・リーグ」は見なかったことにしまして、ザ・バットマンに期待しましょう!!!

ちなみに「ザ・バットマン」は元々ベン・アフレックが監督・脚本だったのに、監督は猿の惑星リメイク版のマット・リーヴスに交代になり、脚本もベン・アフレック版からだいぶ改変されたと言われております。なんでワーナーはこんな話ばっかなんでしょう、、、、。

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記事の評価
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

土曜は2本見てきました。1本目はマーベル最新作

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」です。

評価:(82/100点) – ヤンキー=マイ・メン+マザコン


【あらすじ】

ガーディアンズの面々はソブリン人の依頼でアニュラクス・バッテリーの防衛を任される。軽々仕事をこなして、報酬として囚われの身のネピュラを確保したガーディアンズだったが、なんとロケットが肝心のバッテリーを盗んでいた!「防衛を引き受けた貴重品を自分で盗むバカがどこにいるか!」大激怒するソブリン人達から命からがら逃げるガーディアンズを救ったのは、謎のカプセル型宇宙船でサーフィンを決め込むナイスダンディだった。いかしたオジさんは、ピーターにこう声を掛ける。「探したぞ、我が息子よ」。こうしてガーディアンズは二手に別れる。ロケット、グルート、捕虜ネピュラの三人は壊れた宇宙船ミラノを修理するためとどまり、ピーター、ガモーラ、ドラックスの三人は、ピーターの父の故郷と言われる惑星エゴへ向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> バッテリー防衛とソブリン人の追撃
※第1ターニングポイント -> ガーディアンズがベアハートに不時着する
第2幕 -> ふた手に別れた行動
※第2ターニングポイント -> ピーターが真実を知る
第3幕 -> 惑星エゴ決戦


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【感想】

さて、土曜はマーベル・シネマティック・ユニバースの15作目、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」を見てきました。前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)」は「ダメ人間たちがダメなまんまで宇宙を救うスペース・オペラ」として超大傑作すぎる内容で親指が上がりっぱなしでしたが、本作ではダメ人間から「ダチ公マイ・メン!」な感じのマイルドヤンキー志向にシフトしまして、よりエモい方向に方針転換しています。ちょうど最近「ワイルド・スピード ICE BREAK (Fast & Furious 8)」を見たばっかりなので、完全にテーマが被ってました^^;

本作では実の「家族」と、マフィア/ヤンキー的な意味での「ファミリー」の間で多くのエモい事件が発生します。

アベンジャーズ・シリーズのラスボス・”青ゴリラ”サノスの娘であるガモーラとネビュラ姉妹の確執。実験動物として家族を持たない(=持てない)ロケットと、相方でありながら前作で犠牲となり転生した赤ん坊のグルート。妻と娘を殺されて孤独なドラックス。栄光のラヴェジャーズから追放されワルとして生きるヨンドゥと、彼に誘拐され育てられたピーター。こういった孤独を感じるハグレもの達が、「ガーディアンズ」というチームによって仮想家族となり、お互い絆を深めていきます。

そう、これ、スペースペラを使っているだけで、やってることはドヤンキー人情ものなんですね。全世界規模でマイルドヤンキー化が進んでいるという、、、良いのか悪いのか^^;

ただ、「ワイルド・スピード ICE BREAK」が「ヘッドの隠し子を救うためにファミリーが頑張る」という非道徳/ヤンキー色が強すぎる(笑)内容であるのに対し、こちらはよりマイルドで道徳的な方向に着地しております。そういった意味では、こちらの方がより万人受けします。

相変わらずジェームズ・ガン監督が上手いのは、こういったエモエモ全開の話の合間に事あるごとオヤジギャグをぶち込んでバランスをとってくる所です。最後の最後、カーテンコールの超エモい花火&ラストカットの涙まで、なるべく観客が泣き出さないようにひたすらハズしてきます。そして、観客の「泣きたいのに泣けないよ~~~」を完全に殺しに来るラストで、ものっすごいアザとい演出を使い、ものっすごいピンポイントに泣かせにきます。ダメ人間が名誉回復する話なんだから、そりゃウルっときても仕方ないですわ。仕方ないけど、あまりのアザとさに個人的にはちょっと引きました(笑)。正直な話、泣ける映画度は前作より格段に上がっていますが、映画としてのクオリティというか対象レベルはちょっと下がってると思います。

この後の展開として、マーベル・シネマティック・ユニバースとしては「スパイダーマン・ホームカミング(2017夏)」「ソー:ラグナロク(※バトルロイヤルとかいうクソ邦題はボイコットします。)」「ブラック・パンサー(2018春)」と続いて「アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォー(2018GW)」に行きます。ガーディアンズが前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)」でノバ帝国に預けたオーブをサノスが奪いに来るのは確実なので、「アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォー」でガーディアンズが乱入してくるのはほぼ間違いありません。

本作の舞台が2014年。「ドクター・ストレンジ」の冒頭が「キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー」と同時期(※事故に遭う車の中でローディのカルテが映る)で2016年。アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォーの舞台が2018年になると考えると、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」からは4年後になります。グルートはどこまで成長しているのか?ガーディアンズのチーム力は上がっているのか?スタローン率いるラヴェジャーズの参戦は? キャラが飽和状態で散らかり始めたMCUですが、まだまだ大団円まで突っ走りそうです。

ただ、結局これって原作アメコミと同じく「一見さんお断り」状態になりつつあるんですね。DCコミックでは全部リセットして「New52!シリーズ」と銘打って最初からやり直しましたが、MCUもどこかで一区切り付けないといけないかもしれません。

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記事の評価
無限の住人

無限の住人

昨日はキムタク主演で「コケた」「コケた」と言われまくっている

「無限の住人」を見てきました。

評価:(80/100点) – コスプレ・チャンバラ劇の快作


【あらすじ】

時は江戸。逸刀流を名乗る超党派集団によって街の剣術道場が次々と破られていた。ある夜、いつものように稽古を終え晩御飯を食べていた無天一流統主・浅野道場の一人娘リンの元にも、逸刀流の道場荒らしが押しかける。目の前で父を殺され母を連れ去られたリンは、両親の復讐を誓う。
それからしばらくして、父の墓の前で稽古をしていたリンの元に、不思議なオババが現れる。「やおびくに」を名乗るオババは、リンに「絶対に死なない用心棒」を雇うよう勧める。その男は、人里離れた山小屋に住んでいるという、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 逸刀流の道場荒らしとリンの決意
※第1ターニングポイント -> リンが万次と出会う
第2幕 -> 逸刀流剣士達との戦い
※第2ターニングポイント -> 天津影久が伊羽研水の元を訪ねる
第3幕 -> 公儀軍vs天津vs万次


【感想】

ご無沙汰しております。きゅうべいです。最近例によってあんまりブログを書いていなかったのですが、今日はこの「無限の住人」について書きたいと思います。去年の「バットマンvsスーパーマン」もそうなんですが、やっぱりこうブログを書くモチベーションが一番上がるのって「こんないい映画がコケるのか!?俺が擁護したる!!!」っていう謎の親心なんですね(笑)。そう、本作はキムタク主演で「コケたコケた」「キムタク終了」「SMAPを裏切った報いじゃ!ざまぁみろ!」みたいなトーンで語られることが非常に多いように見受けられます。でもね、君ら本当に映画みたのかと。少なくとも「娯楽アクション映画」というくくりの中では、本作はすごくオーソドックスで基本に忠実に作られた「出来の良い映画」です。そんな所も含めまして、以下全力擁護で書かせていただきます。

それではいつもの注意書きを。以下、多大なるネタバレが含まれます。どんでん返しとかを期待するようなミステリー作品ではないですが、未見の方、これから見ようと思っている方はご注意ください。いやね、本心から映画館で見たほうがいいですよ。2時間半近くある長い映画ですがあっという間に終わります。マジでオススメできる作品ですので、是非是非、未見の方は打ち切り前に劇場に滑り込んで下さい。

まずは前提とお詫びから

もしかしたらキムタクファンの方が間違って当ブログに迷い込んでしまうかも知れないので(笑)、一応私の立ち位置をハッキリさせておきます。

「無限の住人」という作品については、漫画とアニメは完全に未見で前情報も劇場予告のみです。つまりほぼまっさら。「なんかキムタクがチャンバラして三池崇史が監督なんでしょ?」ぐらいの情報量です。そして、三池崇史監督にはだいぶ好意的な立ち位置であり、「愛と誠(2012)」でさえ「三池監督の悪ふざけならこんなもんじゃね?」ぐらいのバイアスをもってます(笑)。

一方のキャストに踏み込みますと、キムタクは例のSMAP公開処刑でハッキリ嫌いになりましたし、役者としての評価は織田裕二と同じ「大根・俺様・スターアイドル」の引き出しに入ってます。福士蒼汰にも杉咲花にも、まったく思い入れがありません。というか、敵役が福士蒼汰なのに全然気付かず(笑)、なんかこの人ガリガリ・ホネホネでキモいな、、、伊勢谷のそっくりさんの韓国人俳優かな、、、と中盤まで本気で思っていました。そのぐらいの大変雑な感じです。

そんなわけでありますから、もし「キムタク格好よかった~!」「福士キュン最高!!!!」みたいなテンションの方はそっとブラウザを閉じてあげて下さい。以下「キムタクをうまく使えてたよ!」という話はしますが「演技が上手かった」的な話はありません。申し訳ございませんがご容赦下さい。

コスプレ時代劇としての説得力の出し方

さて、ここからが本題です。この作品は厳密には時代劇というよりチャンバラ劇です。ハナから「斬られても斬られても死なない男の話」っていう時点でホラー・ファンタジー要素全開ですし、開始早々の金子賢軍団vsキムタクや、道場破り=逸刀流揃い踏みの絵面が安全にコスプレ劇です。さらに話し言葉も軽い現代調ですし、武器にいたってはヘンテコな形状のものばかりです。ですから、これは相当頑張らないと説得力=リアリティが出せません。ただのデキの悪いコントになってしまいます。たぶん未見で本作を叩いていた方たちは、そういう「コスプレ時代劇」を想像していたんだと思いますし、実際に私も見る前は「どうせコスプレものでしょ」と思ってました。

ところがどっこい、、、、本作はそういったセリフや見た目といったキャラの軽さ=薄っぺらさに説得力を出させるために、とてつもなく気を使っています。わかりやすい所でいうと、いわゆる人体損壊の「グロ描写」です。「三池崇史=悪趣味節」として語られることも多いですが、コスプレ時代劇できっちり血や千切れた手足を見せるのは、それだけで十分にリアリティに貢献します。ちなみに、よく見てると同じ手首を切られるシチュエーションでも血が出る場面と出ない場面を使い分けていたりして、極力グロくならないように気を使っているのがわかります。「見た目はチャラいけど、中身は真面目なんだよ」ってことですね。さらにさらに、アクション動作一つとってもよく出来ています。本作の万次は、いくつかの武器を持ち替えながら大集団を叩きのめしていきます。その際、従来の殺陣のように「叩き切る」のではなくて「撲殺」していくんですね。日本刀は2~3人切っただけでも刃先がナマって切れなくなりますから、この「撲殺」描写はとてもリアリティがあります。殺陣の様式美ではなくて、アクションチャンバラとしての説得力に振り切ってます。実際には今からキムタクに殺陣を一から教え込むのは無理だからってのもあるんでしょうが、この選択はとても良いです。加えて、チャンバラの終盤になって疲れてくると、武器を肩に担ぐ時に「よっこらせ」って感じで背筋と振り子の反動を使ってゆっくり担ぐんですね。こういった細かい仕草・演出によって、絶妙なバランスのリアリティラインが保たれています。実際にはチャンバラの途中で急に袖から大きな武器を出したりしていて「四次元ポケットかよ!」みたいなツッコミは有るんですが、勢いがあるためそこまで気になりません。
この辺のバランス感覚は、久々に本気の三池崇史を見た気がしました。

いかに不死のヒーローを「無敵」と見えなくするか

ストーリー面で言いますと、この作品の万次は「死なないヒーロー」であり、それってつまり「セガール映画」的に大暴れできるってことなんですね。無敵のヒーローにピンチもヘッタクレもないですから、本来であればキムタクが格好良く暴れまわるだけの完全アイドル映画になっても不思議ではありません。ところが、この作品では「死なないヒーロー」=「命のやり取りの緊張感がない」=「剣の腕が鈍っている」という論理展開でもって、万次が弱いんです。これってプロレス的には非常に需要な要素です。ヒーローサイドの秘密兵器である「肉を切らせて骨を断つ」「ピンチからの大逆転」を毎試合出来ることになります(笑)。これは発明だと思います。実際、本作のチャンバラは毎回「必死剣・鳥刺し」を出しているようなもんです。反則じゃねぇか(笑)。

さらに序盤で同じ不死能力をもった海老蔵を殺すことで、「弱いだけじゃなくて万次が死ぬ可能性もちょっとはあるぞ」という実例を示し、かつ理由はよく分かりませんが「戦いを重ねることで回復に時間がかかるようになる」という演出も入ります。これによって、中盤以降にリンが万次を気遣い始める描写がすんなりと入ってくるようになります。

ご都合主義の積み重ねと言ってしまえばそれまでですが、アクションの勢いと相まってものすごくテンションを上げてくれます。

終盤のぐちゃぐちゃっぷりだけが惜しい

とまぁ以上のように、本作はとても良くできています。ただ、それが終盤の市原隼人が出てきた辺りから収拾がつかなくなっていきます(笑)。具体的には「リン・万次の復讐劇」と「幕府による逸刀流壊滅作戦」が同時並行で進みはじめ、さらに共通の敵として共闘すること無くリン・万次組と幕府軍まで対立し始めちゃうんですね。そしてこの混乱が戸田恵梨香扮するマキエの登場でピークを迎えます。そう、この映画の悪いところを一身に背負わされたのは、実はキムタクではなく戸田恵梨香です。可哀想に、、、、。

マキエは、仇役である天津影久の人間性を補足する役として登場します。でもね、(漫画はわかりませんが)この映画において天津影久にそんな補強はいらないんですよ。天津影久は爺さんの逆恨みを晴らすために復讐鬼となった狂気の剣士であり、「復讐ばっかり考えてるとロクな大人にならないよ」というリンへの反面教師なんですね。だから、こいつはとことん利己的で、他人になんて全然興味も感慨も無くて、ひたすら野心と復讐心だけで突き進む「冷たい人」が似合ってます。その点で、福士蒼汰のちょっと浮世離れした無表情な感じがとても良くマッチしてましたし、闘争心をむき出しにして戦う粗野な万次と上手く対比できてるんです。余談ですが、その意味でキムタクにとっても万次役は最高でした。万次は基本的にはただ唸って剣を振り回しているバーサーカー的な役柄でOKですからね。

この天津にマキエというサポーターが現れ、さらに罠にはめられることで中途ハンパに人間味がでてしまい、悪役っぷりがヌルくなっちゃったのは否めません。どっちらけになる万次vsマキエ戦での自分語りと相まって、戸田恵梨香は完全にババを引きました(笑)。三節棍みたいな武器は良かったんですけどね。そこにきて最終バトルで急に天津と万次が共同で公儀軍を倒すみたいな謎バトルが勃発しちゃうもんですから、「結局、天津とはなんだったのか」みたいなよくわからない事態になってしまい、エピローグの一騎撃ちを盛り下げる要因になってしまいました。シラの乱入も明らかに蛇足ですしね。エンドロールに「脚本分析」でクレジットされてる方がいたのでスクリプトドクターを入れてるっぽいんですが、「リンの復讐劇」っていう一本筋だけは死守したほうが良かったように思います。

ちなみにこの終盤の大乱闘を見ていて一番頭に浮かんだのは園子温監督の「地獄でなぜ悪い(2013)」でした。「こまけぇことはいいんだよ!祭りじゃ!!!」みたいな勢いだけで乗り切ろうとするのがそっくりです(笑)

【まとめ】

久々にブログを書いたら纏まりきらなくなってきました(笑)。もしまだ「無限の住人」を未見で、しかもその理由が「キムタクがウザいから」という人は、是非レンタルが始まったあたりで騙されたと思って見てみてください。この映画、キムタクという”アク”を完璧にコントロールしています。ツイッターにも書きましたが、こういう中身がちゃんとしている映画がワイドショー的な要素で消えていくのはなんとも寂しいものが有ります。直近で言えば「暗黒女子(2017)」なんかもそうです。不倫して新興宗教に出家しちゃった人が出ていることと、映画の出来とは関係ないですからね。

ということで、本作、大プッシュで映画ファンにおすすめしたいと思います。

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記事の評価
モアナと伝説の海

モアナと伝説の海

週末はディズニーアニメ最新作

「モアナと伝説の海」を見てきました。

評価:(75/100点) – ザ・ロックの魅力で持たせる120分


【あらすじ】

かつて女神テフティは世界を作った。その強大な力を手に入れようとする邪悪な者達はテフティの心を狙い闘争を続けていた。そしてある時、マウイがテフティの心を盗む事に成功する。しかしマウイは悪魔テ・カァの襲撃にあいテフティの心と大切な武器・釣り針を海に落としてしまう。マウイは泥棒の罪で無人島に幽閉される。

それから1,000年、サモアの島々は闇に吸収されようとしていた。世界を救うために選ばれたムトゥヌイのモアナは海よりテフティの心を授かる。マウイを探し一緒にテフティに心を返すため、モアナは村の掟を破ってサンゴの海を渡る。

【三幕構成】

第1幕 -> ムトゥヌイに不吉な事が起きる
 ※第1ターニングポイント -> お婆ちゃんの死
第2幕 -> マウイ捜索とテフティへの旅
 ※第2ターニングポイント -> テ・カァに返り討ちにあう
第3幕 -> リベンジ・マッチ


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【感想】

さて、週末は1本、ディズニー映画最新作「モアナと伝説の海」を見てきました。監督はご存知ロン・クレメンツとジョン・マスカーのコンビで、「プリンセスと魔法のキス」以来7年ぶりの新作です。私は有楽町の日劇で見てきました。シアター1の大箱で、観客が6割ぐらいでしょうか。ちょっとさびしい感じでした。

本作のストーリー自体は指輪物語と同じです。世界を変えてしまうような強大な力をもったアイテムを返す・破棄するために、田舎出身の主人公は仲間とともに旅をします。途中なんやかんや妨害を受けながら最終的には目的を達成して、だけどもスーパーパワーを得るわけでもなくまたもとの田舎の生活に戻ります。

そう、この映画はただしく「行って帰ってくる話」であり、そこになんの文句もございません。

この映画は、最近のディズニーでは珍しく明確に子供向けにターゲットを絞っています。モアナは最初から選ばれた「ザ・ワン」として登場し、身体能力も超抜群、特殊能力を使わない生身の体で並み居る悪魔や怪物と戦っていきます。このモアナは完全に子供の考える「スーパーヒロイン」です。ピクサーの「メリダとおそろしの森(2012)」みたいに男勝りの女主人公はいましたが、ここまで明確に「女性であることを捨てずに身体能力抜群なアクションスター」というのを打ち出したのは初めてじゃないでしょうか?

そうすると、やっぱりちょいと年のいった身としては、相方のマウイの方に魅力を感じちゃうわけです。

このマウイがですね、声優をやっているザ・ロックに120%寄りかかったキャラなんですね(笑)。俺様キャラでありながら根は優しく力持ちでニヒルに笑うナイスガイ。挙句の果てには「みんなのヒーロー(=ピープルズ・チャンピオン)になりたいんだ」とかいいながらピープルズ・アイブロー(=ザ・ロックの決め顔で、片眉だけ思いっきり上げるドヤ顔)をする始末。狙いすぎだろっていうくらいザ・ロックそのものです。WWEアティテュードど真ん中世代としては、もうこのキャラだけで2万点だしていいかなと思います。

そんなバディ2人がすったもんだしながら珍道中を繰り広げるわけで、これがつまらないはずがありません。

本作は子供向けに全振りしてますので、細かいところのアラ・ウソはかなり多いです。食料問題とか、モアナが絶対ヤケドしないとか。でもそういうのも全部流して勢いでカバー出来ているのが本作のいいところです。やっぱオトギ話的な冒険譚って理屈じゃなくてノリと勢いですから(笑)。CGで作っているのにミュ―ジカルパートの入り方が往年のディズニークラシックそのものですし、音作りもモロにアラン・メンケンオマージュです。そういったところも勢いに一役買っています。

【まとめ】

取り留めもなくなってしまいましたが、本作はとってもよく出来たファミリームービーです。「大人も楽しめる」みたいな変な色気をださずに、全力で子供向けに作っています。残念ながら賞レースでは「ズートピア」に持って行かれましたが、子供向けとして見れば「アナと雪の女王」には周回抜かしで勝ってるくらいのレベルです。

大人が見ると言う意味で惜しむらくは、字幕上映が少なくザ・ロックが声優をやってるバージョンが見づらいことです。プロレスファンなら絶対字幕で見たほうが良いです。ネーション・オブ・ドミネーションの頃のちょっと太った初期ザ・ロックが見られます(笑)。

とまぁそんなこんなで、見て損はない作品です。なんせ私、吹き替え版を見た後にあまりのロック・リスペクトに感激して字幕版にハジゴしましたから(笑)。

春休みに鉄板でおすすめできる作品です。

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記事の評価
ラ・ラ・ランド

ラ・ラ・ランド

今日はアカデミー賞ノミネートで大宣伝中の

「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

評価:(45/100点) – 雰囲気パロディ


【あらすじ】

ミアは女優を夢見てハリウッドへやってきた。何百回とオーディションを受けながらも結果が出ず、ワーナー撮影所のコーヒーショップで働いている。
ある日、友達とハリウッドのプライベートパーティに参加したミアは、辟易しながら家路についていた。その途中、彼女はレストランから聞こえてきたピアノの旋律に耳を奪われる。それが、ピアニスト・セブとの運命の出会いだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 冬。ミアの上京。
 ※第1ターニングポイント -> ミアとセブがレストランで出会う。
第2幕 -> 春、夏、秋。ミアとセブが恋に落ちる。バンドと一人芝居。
 ※第2ターニングポイント -> ミアが故郷へ帰る。
第3幕 -> ミアが戻ってきてオーディションに受かる。

エピローグ -> 5年後の冬。セブズでの邂逅。


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【感想】

さて、本日は「アカデミー賞大本命!」とギャガが大宣伝中の「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

予告を見るとラブストーリーっぽいのでもっとデート客が多いのかと思ってたんですが、意外と老夫婦が多くちょっとびっくりしました。この辺が宣伝効果ですかね。大成功だと思います。

監督は「セッション」のデミアン・チャゼル。まだ31歳でこれだけ話題の作品が撮れるんですから、素直に凄いと思います。個人的に主演(※厳密には主役ではなく脇役ですが^^;)ライアン・ゴズリングが大好きなんで、宣伝と相まってめちゃくちゃハードルが上がってました。

本作はラブストーリー部分だけに焦点を絞れば別にそんなに作りが変な話でもないですし、いい塩梅だと思います。ただ、いま見終わって1時間くらい経って書いてるんですが、私は個人的に結構キてます(笑)。いっぱい感動した人がいるのはわかりますし、大絶賛する人には多分この映画のバイブスが合ったってことだと思うので、全然いいと思います。いまから例によってグチグチ書きますが、それによって作品の価値が毀損するようなチンケなクオリティではありません。是非、劇場でご覧ください。

この後でもしかしたら取っちゃうかもしれませんが(笑)、個人的にはこれにアカデミー賞作品賞・監督賞はないと思います。それは個人的にどうこうっていうよりも、やってることが最近アカデミー賞を取ったばっかりの「アーティスト」とドンカブりだからです。さすがに二匹目のドジョウにサクッと賞をあげるようなことは無いんじゃないかな、、、と予想しています。とか書いといてハズれそうですが^^;

2017年3月1日追記:
本作、見事にアカデミー賞監督賞を獲得しましたね!おめでとうございます!!!とともに、私の予想の外れっぷりに謹んでお詫び申し上げます。主演女優賞と音楽関連は他にないし獲るんだろうな~とは思ってましたが、監督賞はまったく予想外でした。
m(_ _)mゴメンチャイ

ここでお約束です。これだけ評判の映画にグチるわけですから、具体的な部分に話が及ばざるをえません。以下多数のネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。

良かったところ1:ラブストーリーとして鉄板の話

まずは良かったところから行きましょう。1つ目は、多分本作で感動した皆さんがまさに思っているであろう点です。

この映画は「ハリウッドの夢追い人」=「あたまラ・ラ・ランド♪」な人が織りなす青春劇です。ミアは叔母さんの影を追って女優を目指し、セブは「ジャズの復興」という壮大な夢を提げ、お互いハリウッドにやってきます。ミアの友人たちが(いわゆる枕営業的なノリで)人脈を作ってのし上がろうとする中、ミアはそんな売り込みに馴染めず真っ向からオーディションを受けまくり、そして落ちまくります。一方のセブも「ジャズはバップこそが本流である」という信念を捨てきれず、レストランのBGMを弾くバイトでついうっかり勝手な演奏をしてクビになってしまいます。

こういった「信念はあるけど世渡りが下手で社会的に馴染めない」コダワリ派の2人が出会い、お互い励ましあいながらも夢に邁進していくわけです。そして大人になり、ちょっと回り道をしながら、見事に夢を叶えます。

この基本ストーリーは間違いなくよくできてます。っていうか鉄板です。オリジナリティはあんまり無いですが、「王道的」という意味では間違いなくど真ん中の青春ストーリーです。日本映画だってこの手の物は山程も作られていますし、これがダメなわけがありません。「パラダイス・キス(2011)」なんかはモロにこれですよね。

このストーリーの根幹部分は(面白いかは置いといて)減点法で言えば100点満点です。別にツッコム気は一切起きません。

良かったところ2:名作ミュージカルのパロディ

良かったところの2つ目はミュージカル・パロディです。本作は冒頭からして4:3の画面が広がってシネマスコープになるという20世紀フォックスの往年のロゴから始まります。もうこの時点でわかり易いくらいのパロディです。「いまから古き良きミュージカル映画をやるよ!」って宣言しており、そしてその宣言に違わず、映画はいきなり「ウソみたいな青空のもと」「原色のドレスを着た」人たちが群舞するオープニングソングから始まります。この色がモロに「着色感」があるギトギトなもので、完全に昔の天然色映画をパロっているのは疑いようもありません。余談ですが、このオープニングの長回しはとっても良かったです。

さらにさらに、本作は「本能寺ホテル」も真っ青なくらい、映画の舞台背景に奥行きがありせん。外のシーンでも道の真ん中から歩道を平行に撮るようなカメラ・ショットばかりですし、パーティやレストランシーンの舞台も狭く、そして何より例のポスターのポーズを2人で決める山の上からのシーンではわざわざ下界がピンボケしています。加えてそのシーンでのタップダンスは、今時珍しくクレーン撮影をしています。これらは完全に意図しており、要は「スタジオセットで撮影している」ような雰囲気を出すためなんですね。スタジオには奥行きもクソも無いですから、スケールを出すためにクレーンを多用します。

これを象徴するのが、本作で何度も出てくる「部屋の壁の絵」や「スタジオ内で運送中の書き割り」です。画面を意図的に書き割りとして撮っているわけです。まっすぐの道路や波止場を真正面かつ上から撮るのとかはモロにクラシカルですよね。こういうパロディはとっても微笑ましく見られました。

ワシのグチを聞いてけれ

さて、ここまで絶賛モードなわけですが、なんでこれが45点かという部分を書いていきます。

一番大きいのは、セブが夢を全然叶えてないところです。セブは「バトルスタイルのフリージャズ」にこだわりがあったわけですよ。そしてそういう「古き良きバップ」が若者に人気が無いという危機意識から、「俺が復活させるんだ!」「そのためにJAZZの店をやるぞ!」と野心ギラギラなわけです。ところが、最終的にセブが開いた店は「オシャレな大人向けのJAZZバー」です。カクテルとか出してやがるんですよ?は???おまえバップ至上主義者じゃなかったっけ?ミアがジャズの印象を「エレベーター/天気予報で流れてる曲」みたいなノリで言った時にマジギレしたり、熱くフリースタイルの素晴らしさを語ってなかったっけ?せっかく友達から売れるバンドに入らないかって声かけられた時「セルアウトとかジャズじゃねぇわ」とか言って断りかけたりしなかったっけ?そのおまえが最後に開くのが「大人の夜のオシャレJAZZバー」ってどういうこと?テキーラだの麻薬だので若者がハイになってガンガン踊り狂ってるような「狂乱のバップ酒場」じゃねぇの?

しかもですね、最後に開く「セブズ」ってバーがよりにもよってリラクシン♩な感じの椅子まで用意した本格的オシャレバーなんですよ(笑)。それじゃ踊れねぇだろ!ヤジれねぇだろ!アホか!!!!おまえが好きな「古き良きバップ」はラリったミュージシャンがラリったまんまのグルーヴを延々とアドリブでつなぎ続ける最高にサイケな音楽だぞ!!!!

というこのエピローグをもって、本作の私の中の評価はガタ落ちしたわけです。

そこまでも「ふーんa-haをそう使いますか?」とか「踊りも演奏も下手じゃね?」とか、「プリウスもiPhoneもあるのに、CG撮影はなくて車にもカセットテープなの?」とかちょいちょい引っかかる部分はあったんですが、この終わりが決定打で完全崩壊。

結局それっぽいのを表面だけそれっぽくやりたいってだけの志の映画なのね、、、っていう。じゃあ別にいいっすわ、それで。

そしたら急に雑さが目立ってきちゃったんです。ガラガラの一人芝居で何の前振りもなく急にフックアップってそれでいいのかとか、セブのバンドも最初はフュージョンだったのに初ライブで急にニューエイジポップスになっててジャンル変わってるじゃねぇかとか。

そんなわけで、せっかく一番盛り上がるであろう最後の脳内妄想パートもすっごいシラけてみてました。

結局セブは夢を叶えたんじゃなくて、一番現実的であろうところに妥協したってことなんですね。「若者にバップを広めてジャズを再興する」んじゃなくて「単価の高い大人をターゲットにオシャレバーをする」っていう。じゃあ最初に働いてたレストランと変わらないじゃん。

2017年3月2日追記:
実は私おとといのレイトショーで2回目を見てきたんですが、上記のセブが夢を叶えられなかったの自体が監督の意図のような気もしてきました。下でコメントいただいた「悲しき男代表」さんもおっしゃってますが、セブは未練タラタラでミアに引きずられまくっており、一方のミアはどんどん男たちを乗り換えて踏み台にしてのし上がっていくという構図ははっきりしてます。そんでもってこれ完全に薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」ですよね。

夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ
<中略>
愛した男たちを 想い出に替えて
いつの日にか 僕のことを想い出すがいい
–「セーラー服と機関銃 作詞:来生えつこ より」

まぁでもこの解釈になっちゃうと、本当に「パラダイス・キス(2011)」とまったく同じになるので、やっぱ45点で上等だよな~とも思います^^;

まとめ

多分この映画に乗れないのは、私の心が濁ってるからです(笑)。気に入る人が一杯いても全然いいですし、感動も全然ありです。かくいう私も描写に腹が立ってるだけで、ストーリー自体には別に文句はありません。最後だってそもそも冒頭で今カレから”ビビっと来て”速攻セブに乗り換えた前歴がありますから、別にどうとも思いません。

実際、ちゃんとミュージカルパートでお話が進んだりっていう基本的な部分はちゃんとできてますから、私もあんまり細かいところを気にせずに見ればそれなりに楽しく観れたと思います。

いろいろ書いてきましたが、こういうのは個人個人の好みの部分ですから、まずは見てみないことには始まりません。是非是非、劇場でご覧ください!もしアカデミー賞を取るようなことがあれば劇場が混んじゃいますから、ゆっくり見るなら今のうちです(笑)。

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記事の評価
咲 -saki-

咲 -saki-

2本目はこちら、

「咲 -saki-」です。

評価:(75/100点) – 意味がわからんけどテンションが高い!


【あらすじ】

麻雀がスポーツとして成立している世界。宮永咲を擁する清澄高校は、インターハイの長野県大会決勝まで上り詰めた。対するは最恐の天江衣(あまえ・ころも)擁する龍門渕高校、昨年天江に負けた雪辱に燃える池田華菜(いけだ・かな)擁する風越高校、そして影が超薄いステルスモモこと東横桃子(とうよこ・ももこ)擁する鶴賀学園。いま、長野代表を掛けた麻雀団体戦が幕を開ける!

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【感想】

今日のもう1本は「咲 -saki-」です。アニメの存在はしっていたのですが未見な上に漫画も読んだことが無く、完全に前知識なしの初見でした。いきなりダイジェストが流れて県大会が始まったので「すごい割り切り方だな(笑)」と思って見てたんですが、これ、前日譚でドラマもやってたんですね^^; いきなり連ドラの最終回だけ見ちゃったみたいなもんだったみたいです(笑)

実際、前知識がまったくないので最初よくわからなかったんですが、最初の10分ぐらいでだーーっと舞台を説明してくれて、しかも決勝がはじまるとちゃんとキャラ紹介の回想が挟まるので、終わったときにはもう「池田最高ーーー!!!!」ってぐらいテンションが上がってました^^;

そう、この映画、いわゆる「ドラマ」に関してはスッカスカなんですね。だけれども、フィルム全体から監督の「情熱」というか「愛」がめちゃくちゃ伝わってくるんです。それもこれも、ちゃーんと限られた時間の中で特定のキャラだけがきっちり”立つ”ようになってるからなんですね。猛烈に甘ったるくてただただホモソーシャルなところでイチャイチャしているだけに見えて、そこにちゃんと説得力があって、キャラごとの行動原理がわかるようになってるんです。だから私のようにまったく元がわからなくても、いきなりこの映画だけでも話が通じるんです。

作品のフォーマット自体はいわゆる「超能力スポ根もの」です。私の世代ですと「キャプテン翼」ですし、ちょっと下の世代だと「テニスの王子様」とか「黒子のバスケ」みたいなやつですね。スポーツを題材にしてるんだけどやってることはファンタジックな「必殺技」の応酬で「超能力バトル」が展開されるジャンルです。一見するとバカバカしくも見えますし、実際一時期は「シュート!」とか「スラムダンク」みたいなリアル路線のスポ根のほうが流行ってました。

本作では主要キャラがあり得ないような超能力を駆使して麻雀で戦っていきます。主人公・咲はカンからのリンシャンカイホウで必ずツモってきて超連鎖を起こしますし、ラスボス・天江衣はリーチからのハイテイを確実に決めてきます。劇中でも「2人の魔物」と称されていますが、とんでもないイカサマ級の超能力です(笑)。

この2人と戦う池田・加治木の両名は全然必殺技をもっていないわけで、こんなのに勝てるわけがありません。だけど、ちゃーんとこの作品はそんな「一般人」の2人に熱い見せ場を用意してくれます。池田の起死回生の数え役満からの「そろそろまぜろよ」で、私、涙がとまりませんでした。加治木も実は虎視眈々とオーラスで國士舞双を狙っていたり、もうね、こういう脇の描き方に親指が上がりっぱなしです。

ということで、遅ればせながら漫画に手をだそうと思います(笑)。いやね、本当によかった。

これ、原作ファンの方にはいつもの漫画映像化な感じで不評なんでしょうか? 個人的にはめちゃめちゃ面白かったですし、実際に原作漫画に手を出しそうな男がここにいますので大成功だと思います(笑)。テラフォーマーズとか映画はそれなりに楽しくても別に原作読みたくはならないですからね^^;

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記事の評価
セル

セル

今日は2本見てきました。1本目はこちら、

「セル」です。

評価:(35/100点) – オカルト侵略SFの凡作


【あらすじ】

クレイ・リデルは漫画家である。妻と息子を置いて放蕩の旅に出て1年が経ったが、やっと漫画の契約が取れて自宅へ戻ろうとしていた。そんなとき、空港で突然の暴動に巻き込まれる。どうも電話を使っていた人が凶暴化しているようだ。わけがわからないまま、クレイはやっとのことで空港を抜け出し地下鉄のホームまで辿りつく。地下鉄運転士のトムと共に、クレイは自宅を目指す、、、

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【感想】

今日の1本目はスティーブ・キング原作の映画化「セル」です。監督はパラノーマル・アクティビティ2のトッド・ウィリアムズ。脚本をスティーブン・キング本人が書いています。スティーブン・キングでホラーSFといえばお家芸なわけで、これは否が応でもB級の期待をするしかありません!

そして実際に見てみると、、、これ、B級が過ぎます(笑)。

どこかで見たような話のオンパレードでなんかちょっとパロディっぽさすらあり、あんまり盛り上がりません^^;

今回の一発アイデア風呂敷は、「ある瞬間に電話を使っていた人が急にゾンビみたいに凶暴化して襲ってくる」というものです。これ、すごいつい最近、まさにサミュエル・L・ジャクソンが出てた「キングスマン(2014)」にそのまんまのものがありました^^; もちろん小説の発表は「セル」が2006年で圧倒的に早いので全くパクりではないんですが、目新しさはありません。そして、途中で携帯人間がするある”進化”も、まんま「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!(2013)」でエイリアンがやってたのと同じです。大人の男2人と子供の男女4人の珍道中というのもテンプレ的ですし、「いろんなところに立ち寄りながら絶望的なパターンを体験していく」というのもありがちです。

そんなこんなで、な~んかテンションあがらないな~と思って微妙に目が泳ぎながら見ていますと、急に頭にとある作品が浮かんできました(笑)。

これ、全体的な雰囲気がニコラス・ケイジの「ノウイング(2009)」に似てるんです。シャマラン的といいましょうか、アイデア一発でグワァーーーっと風呂敷を広げまくって、それが急激にしぼむ感じ。オカルトホラーなんだけど、な~んか微妙に小じんまりした感じ。以前「スカイライン-征服-(2010)」の時に「最近の侵略SFは主人公たちの無力さを表現するから楽しいんだ!」みたいなことを書きましたが、本作は主人公たちが縦横無尽の大活躍をして携帯人間共をたぶん数千体単位で退治します(笑)。そんなところも引っくるめて、ジャンル映画としても「なんか微妙」なんです。最後の最後の絵面だけは最高にニヤニヤできるんですが、そのために1時間半はキツいです、、、

ということで、無かったことにしましょう^^;

「アンダー・ザ・ドーム」「骨の袋」「11/22/63」と、最近のスティーブン・キング原作者はドラマで当たりが多かっただけに、久々にアレなのを見た気がします。

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