スイートリトルライズ

スイートリトルライズ

今日は一本です。サービスデーで1,000円でしたので、

「スイートリトルライズ」を見ました。

評価:(10/100点) – 「お家に帰ろう」なメンヘラ雰囲気映画。


【あらすじ】

瑠璃子と聡は結婚三年目のおしどり夫婦である。しかしそれは見た目だけ、夫との生活にドキドキが足りないと感じた瑠璃子はふと知り合った春夫と浮気を始める。一方、夫の聡も大学のサークル同窓会で再開した後輩・しほと浮気をする。しかし春夫が彼女と別れて本気で自分にアプローチしてきたことに尻込みし、瑠璃子は夫の元に返る。その事情を悟り、聡もまた浮気をやめる事を匂わせる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 夫婦の日常。
 ※第1ターニングポイント -> 瑠璃子の個展に春夫が訪ねてくる。
第2幕 -> 浮気。
 ※第2ターニングポイント -> 春夫が文と別れる。
第3幕 -> 瑠璃子の決心。


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【感想】

本日は江國香織原作の「スイートリトルライズ」です。あんまり見る気は無かったんですが、1000円だったので入ってみました。小さな箱でしたが、女性を中心に結構お客さんが入っていました。ホワイトデーに女性だけで江國香織を見に来てる時点で「お察しください」なわけですが、それを言ったら私もなのであまり言及しません(笑)。

さて、本作については実はあんまり言及するようなネタもありません。というのも私の大嫌いな「雰囲気映画」だからです(苦笑)。
まず、本作のストーリーは上記の「あらすじ」が全てです。瑠璃子が夫婦生活に満足出来なくなって、ドキドキを求めるために浮気するが、相手が本気になったのにビビって元のサヤに戻る話です。このストーリーなら普通は瑠璃子に変化があるはずです。例えばポジティブ展開なら夫と積極的にコミニュケーションをとるようになったり、ネガティブ展開なら現状に歯を食いしばりながら耐えるようになったり。成長でも諦めでもなんでもいいんですが、必ず何かしら変化しないと物語にならないわけです。

ところが、、、本作ではそういう描写は全くありません。もっというと、そもそも瑠璃子と聡が「愛し合っている」という描写が無いんですね。だから初っ端からまったく乗れないわけです。聡はゲーマーで家に居るときは自室に籠もりがちで、一方の瑠璃子はわけ分からないことをブツブツ言ってる不思議ちゃんです。結局この2人がなんで夫婦なのかという肝心の前提が全っ然見えてこないんです。せめてオープニングの5分ぐらいで結婚前の恋愛状態を見せるとかの「愛し合っている描写」が無い限り、その後の展開がまったく意味の無いものになってしまいます。たぶん本作は「愛し合っていた2人が、結婚3年目にしてお互いに慣れすぎて愛を実感できなくなってしまった」っていう状況のもとで「いろいろあって互いの愛を実感できるようになる」「自分の(精神的な)安息の地としての家族/我が家へ戻る」って話をやろうとしてると思います。でも前提状況が描けていないために、さっぱり意味不明な映画になっています。

そんなわけ分からない話の中でも、本作のテーマを考える上で完全に失敗していると思うのは聡の描写です。聡が夫婦関係に不満を持っている様子が一切描かれませんので、少なくとも映画を見る限りでは聡が浮気したのは単にしほに誘惑されたからです。これってテーマにまったく合ってないんですね。夫婦がお互い浮気するのはいいんですが、一方は夫との恋愛に物足りなさを感じ、一方は単なる浮気(笑)。つまり根本的に浮気した理由がずれています。これじゃあ「互いの愛を実感」するのは無理です(笑)。なにせ、本作のなかで聡は浮気を辞めていません(苦笑)。いいのかそれで、、、。

【まとめ】

え~ここまでの文章であえてストレートな表現を避けてきたんですが、最後に身も蓋もないことを書きます。

 馬鹿いってんじゃないよ 
 お前と俺は ケンカもしたけど 
 ひとつ屋根の下暮らして来たんだぜ
 馬鹿いってんじゃないよ 
 お前のことだけは
 一日たりとも忘れたことなど なかった俺だぜ
 (以下略)

もうお分かりですね。本作は、ヒロシ&キーボーの名曲「3年目の浮気」を再解釈しただけです(笑)。再解釈と言っても、サイフォンやテディベアといったOL風オシャレ要素を足しただけ。ところが、中谷さんの演技の問題か演出家の問題かはわかりませんが、オシャレと言うよりは瑠璃子が単なるサイケな変人にしか見えないんです。しかも聡は普通に浮気。テーマが描けていない以上は結局雰囲気しか無いので、もうどうにもなりません。中谷さん以外の役者さんは結構良かったと思うんですが、、、ご愁傷様です。
作中で聡が瑠璃子を「彼女には実在感が無いんだ」と評しますが、それ言っちゃうと本作の世界全体に実在感がありません(苦笑)。この台詞が出た瞬間に「お、メタ構造の日本版レボリューショナリーロードか?」と期待した自分が恨めしいです。あ~~~8時間前にタイムリープしたい(笑)。
本作が気になった方はレンタルで「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」を借りてきて、本作を無かったことにするのがオススメです!!!

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花のあと

花のあと

今日も二本見てきました。一本目は

「花のあと」です。

評価:(70/100点) – 時代劇というよりは現代劇でありアイドル映画。若い人の方が乗れるかも。


【あらすじ】

父である寺井甚左衛門に剣術の手ほどきを受けて育った以登は、ある日花見中に江口孫四郎に声を掛けられる。羽賀道場の筆頭・孫四郎が気になった以登は、父に頼んで手合わせの機会を設けるが、自身を真っ向から打ちのめした孫四郎に惚れてしまう。しかし自身には許嫁がおり、孫四郎にも婚姻の話があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 以登と孫四郎が出会い、決闘する。
 ※第1ターニングポイント -> 以登が孫四郎に惚れる。
第2幕 -> 孫四郎の結婚と勘解由(かげゆ)の罠。
 ※第2ターニングポイント ->孫四郎が切腹する。
第3幕 -> 以登の敵討ち。


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【感想】

一本目は藤沢周平原作の時代劇「花のあと」です。私は勉強不足にして、監督の中西健二さんを存じ上げておりませんでした。彼の作品を見るのは初めてだと思います。昼の回で見ましたが、年配の方を中心に結構観客が入っていました。
本作は全体として中々良いまとまり方をしていまして、見た後の満足感はかなり高いです。が、、、実は二本目に見た作品で全部吹っ飛んじゃいました(笑)。それはそれとして、まずはストーリーから行ってみましょう。

本作のストーリーについて

本作品のストーリーはかなり良いです。要は男に興味の無かった女性が初めて惚れた男の仇を討つ話しです。シンプルな「女戦士の仇討ちもの」でして梶芽衣子の得意分野です(笑)。とどのつまりは昔の東映・大映に良くあった映画です。まず前半は以登が初恋にとまどいながらも悶々とする話。そして後半はサスペンス仕立ての仇討ち話です。この繋がりが結構面白くなかなかエンターテインメイントとして優れていると思います。
ただ、サスペンス部分に関してはかなり残念な事になっています。第一に、以登は孫四郎がハメられるまさにその場にニアミスするんですが、一方でそれが後半まったく生きてきません。第二に、捜査は全て才助が行ってしまい主役の筈の以登が全然仕事をしないことです(苦笑)。第三に、そしてコレが一番まずいのですが、観客に最初から犯人がハメる場面を見せてしまっていることです。だから謎解きには全く乗れません。以登にとっては謎でも、観客にとってはついさっきスクリーンに映ってたことですから(笑)。なのであんまり盛り上がれません。でも、サスペンス要素はあくまでも蛇足みたいなものです。根幹はあくまでも以登が恋心に悶々とする様子をニヤニヤ見るというアイドル映画です(笑)。
そんなわけで、以登が初恋を追いかけていく内に頼れる才助に惚れていく様子はかなり丁寧に描いています。作品の全編通じて仏頂面をしている以登ですが、最後の最後で、本当に最後で一回だけ笑うんです。そこまでの仏頂面にタメがあるからこそ最後のちょっとした微笑みがとても効果的です。

本作の演出について

演出についてですが、役者の顔のアップがかなり多いために時代劇というよりは現代劇に見えます。それ以上に北川景子と佐藤めぐみが完全に「いまどきの女の子」の顔なので全然江戸時代に見えません(笑)。また、宮尾俊太郎の棒読みもちょっとビックリするレベルです。役者さんでは無いので仕方がないんですが、いくら甲本雅裕や市川亀治郎が超頑張って好演していても全部帳消しになってしまいます。
かくいう以登のキャラ描写にも惜しいところがあります。というのも彼女が「男に興味が無い」という直接的な描写が無いために、孫四郎にちょっとナンパされただけでホイホイ引っ掛かったギャルに見えてしまうんです。冒頭の花見シーンで「別の男に話しかけられても無視した」という描写が欲しかったです。以登は面食いでは無く、あくまでも男勝りの自分を受け入れた初めての男に惚れたはずですから。
その「以登の剣術」についてですが、北川さんは相当頑張ってます。私も剣道を少し囓っていたんですが、映画で俳優さんが素振りをしたときにキチンと左手が鳩尾の高さで止まって右手が絞れているケースはほとんどありません。冒頭の稽古シーンでかなり綺麗な形で左右面の素振りをしているのはグッと来ました。ですが、、、これは仕方がないのかも知れませんが、やはり映画の時代劇で血しぶきの一つも出ないのは納得出来ません。人が切られたら血が出るのは当たり前でしょう? いくらアイドル映画とは言え、「汚いモノは見せない」というのはどうなんでしょう。別にR15+になるまで血糊を使えとは言いません。でもせめて切られた敵の服が赤くなったり、ちょっと返り血を受けるぐらいは当然だと思います。殺陣で血糊が無いと、それだけでショボくて幼稚に見えてしまいます。
最後に最もがっかりする部分を。まさしく最後の最後、以登が初めて笑顔を見せて完全に北川景子の魅力にヤラれたまさにその瞬間に、なぜか一青窈の「J-Popでござい!!!」っていう主題歌が流れ始めます(苦笑)。余韻ゼロ。そして作品のトーンと全くあってない軽快な音楽。それでもエンドロールならまだ諦めはつくんですが、桜並木を才助と以登が歩いていく作品上一番の見せ場が流れてるんですね。挙げ句の果てに間奏部分でナレーションまで入りやがります。タイアップが大事なのは分かるんですが、せめてもう5分待って、エンドロールが始まってからにしてください(苦笑)。これのおかげでせっかくジーンとくる場面が台無しです。

【まとめ】

ストーリーは面白いですし、北川景子さんのアイドル映画としてもバッチりです。ですがちょっと演出がノイズになって結構評価を落としてしまっています。全体のトーンも時代劇というよりは昼ドラっぽいですが、とても良く出来た作品だと思います。時代劇が好きな方よりも、恋愛ドラマが好きな方にマッチするかも知れません。
また、北川景子のファンであれば本作品は鑑賞必須です。義務です。絶対に見に行きましょう。

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きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション

きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション

は昨日はシネマート新宿で「きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション」を見てきました。本編も見たかったんですが、それ以上に目当てだったのは井口昇監督と江口寿史さんと主演の谷澤恵里香さんのトークショーです。
江口さん言うところの「すらっとしたモデル体型の美人ではないが、クラスのみんなが”あの子が良い”って美人に群がる中で僕だけが”後ろに座ってる谷澤さんの方が好き”ってなるような良い存在の女の子」と表する谷澤さんの魅力。男としてはすっごい良く分かるんですが、当の谷澤さんはイマイチ褒められた気がしないようでちょっとむくれていました。谷澤さんはけっしてスタイル抜群ではないですが(←失礼)、自然な美人というか、あきらかに健康を害するほどの無理をしてない範囲での「普通にかわいい魅力的な娘」って感じで、この作品のイメージにぴったりなんです。井口監督も、「オーディションで入ってきた瞬間に”この娘だ!”って思うほどハマリ役だった。」と絶賛するその存在感。本作の大成功を元に、是非とも飛躍して欲しいです。
井口監督は相変わらず「ドグちゃんTシャツを初日(2/20)から一度も脱いでない。多分公開終了まで脱がない。(=二週間着っぱなし)」とキモオタぶりを遺憾なく発揮していました(笑)。いやぁ、世界的にもトップクラスに人気のある監督なんですが、やっぱ変態だなぁと(←褒め言葉ですよ。念のため)。
トークショーの締めで生「ドキドキ・ウェーブ」を見れたので私としては大大満足です。これぞアイドル映画の醍醐味です。


っかくなのでこの「古代少女ドグちゃん」についてちょっと書きたいと思います。いまいち知られていないようですが、この特撮ドラマは超ハイレベルで全映画ファン必見の作品です。
引きこもりで母親に先立たれた高校生・杉原誠は、考古学者の父親に無理矢理付き合わされた発掘作業で古代土器を発掘してしまいます。しかしこの土器こそが一万年前に妖怪退治で名を馳せた「土器の神様」ドグちゃんだったのです。現代に蘇ったドグちゃんは誠を下僕にして、相棒の土偶・ドキゴローと共に妖怪退治を行います。こうして普段はドジッコのドグちゃんは杉原家に居候することになりました、、、、。
というストーリーのラブコメ特撮ヒロインものです。
で、これだとどっから見てもありがちな変身ヒロインものなんですが、何せスタッフが超豪華なんです。監督で名を連ねるのは井口昇(「片腕マシンガール」「ロボゲイシャ」)、豊島圭介(「怪奇大家族」「怪談新耳袋」)、清水崇(「呪怨」)、三宅隆太(「ほんとにあった怖い話」「呪怨 白い老女」)。とにかく、日本のインディ・カルト映画シーンで活躍するトップクラスのクリエイター達が惜しげもなく才能を使って悪ふざけをしています。
さらにゲスト俳優もハンパ無く豪華です。ソニン、藤村俊二、田口浩正、斉木しげる、安達祐実、竹中直人、美保純、そして斉藤由貴。
このドラマシリーズを一言で表すならば、「バカじゃないの(笑)、素晴らしい。」です。特撮を見慣れていない方でも、存分に楽しめるだけの強固で正当派な脚本になっていますのでご安心ください。井口昇監督の近作で多用されるグロ描写はまったく無く(TVドラマなんで当然ですけど)、彼の監督としての基礎能力の高さが良く分かる傑作です。関東では放送がありませんが、すでにDVDも出ていますので是非ともチェックしてみてください。
日本にだって世界トップクラスのエンターテインメントを作れるクリエイターが居るという心強い発見があるはずです。
ちなみに井口昇監督の次回作は「戦闘少女」です。シアターNで上映するようなので必ず行きます。こんなに多作なのに傑作をバンバン作る監督も最近では珍しいですよ。

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BANDAGE

BANDAGE

おととい「BANDAGE」を見てきました。

昨日書く時間がなかったので、ちょっとずれてしまいました。

評価:(70/100点) – 自主制作映画なら絶賛してたかも知れません。


【あらすじ】

高校生のアサコは親友のミハルからLANDSというインディバンドのCDをもらう。その後すっかり気に入ったLANDSのライブに出かけたアサコは打ち上げに潜り込み、あろうことかボーカルのナツにナンパされてしまう。いろいろあってアサコは音楽事務所に就職し、LANDSに関わっていくようになる、、、。


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【感想】

妄想とファンタジーに彩られた青春映画の王道的な作品だと思います。
レイトショーで見たんですが、観客は20人ぐらいで私以外は皆女性でした。終わった後にギャルっぽい3人組が「なにこれ!?ラブストーリーじゃないし、、、よくわかんない。」と言っていたのがとても印象的です。「ゆとりって怖~い」とか思ってしまいました、、、あんまり年齢変わらないと思うんですが、妙に老け込みます(笑。

基本的なストーリーについて

ギャルの方々は脇に置いておいて(笑)、ストーリー部分については非常に分かり易いです。要はアサコという平凡な女子高生が、大好きなアイドルと個人的な知り合いになって、ついには仕事でも関わるようになるけど挫折を味わって成長する話です。非常にシンプルな青春作品です。そしていうなればジャニーズ・ファンの女性の妄想の映像化でもあるわけです。
スノープリンスをボロカスに書いたので私はアンチ・ジャニーズかと思われているかも知れませんが、単に興味ないので一般俳優として評価してしまうだけなんです。そんな私から見ても、本作のファン妄想はそこまで気持ち悪い感じはしません。おそらく北乃きいが頑張っているのがすごく伝わってくるためだと思います。妄想は多いに結構じゃないですか。よく言えばナチュラルで悪く言えば超大根な赤西仁の演技も、少なくとも本作のトーンには合っています。下手だとは思いますが酷いとは思いません。クライマックスがちょっと唐突すぎる気もしますが、「青春なんだからそんなもん」という気もしまして、そこまで違和感なく楽しめました。ストーリーは結構良いです。

演出・映像について

問題はこの映像表現についてです。終始ホームビデオのようにグラグラ揺れる映像は、正直気持ちが悪くなってくると共にイライラします。要は「現実世界と地続きな作品世界」を表現するための偽ドキュメンタリーテイストを出すためなのですが、それにしても揺れすぎ。すごくオッサン臭いカット割りも含めて、非常に素人っぽい作りになっています。なので、本作はどっからどう見てもインディ映画に見えます。でも実際はジャニーズと日テレの結構お金を掛けた映画なわけです。これは良くも悪くも岩井俊二色なんですが少し気になります。でも本作の凄いところは、その「演出の下手さ」と「90年代という”ちょっと前のダサさ”」が見事に混同出来ることです。つまりわざとダサくしてるようにも見える(笑)。意図してるかどうかは分かりませんが、プロデューサーのグッドキャストだと思います。

本作の掲げる音楽問題について

演出面ではガタガタですが、やはり小林武史は音楽の人です。本作の中でも、彼のバンド観であったり音楽観が出てきます。ステレオタイプ過ぎる気もしますが、でもすごくシンプルに表現していて非常に好感が持てました。
本作の中盤にLANDSが直面する問題はロックファンの間では当たり前に言われていることです。最近ですと「OASIS問題」というヤツです。
OASISというバンドは皆さん大方がご存じのようにイギリスの超人気ロックバンドです。彼らは最初期には音響音楽としてのロックを追求していたんですが、後に大衆歌謡曲に路線変更します。この時にバンドメンバーのインタビューやファンコミュで論争が合ったわけです。一方では「音楽は芸術なんだからストイックに質を追求して欲しい」というファンが居て、でもその一方で「みんなに聞いてもらえる曲を作って有名になって欲しい/大金持ちになりたい」という感情もあるわけです。どちらも正しいことだと思います。これはロックバンドが潜在的に持っている普遍的な問題です。それはひとえに、ロックがポップスと親和性が高すぎるためです。極端な話「チャート1位が狙えるんだから、曲の質を捨てでも1位を獲りに行く」という誘惑は常にロックバンドにはつきまとっていると言えます。そこで獲りに行く人も入れば、いわゆるメジャーを離れて独自路線を突き進む人も居ます。前者がOASISであり後者がSONIC YOUTHだったりするわけです。
(この辺の音楽について興味のある方は、私の敬愛する大友良英さんのHP「JAMJAM日記、別冊 連載「聴く」」を是非ご一読下さい。)
本作のLANDSにおいては、音響派のユキヤとアルミがトラックメイカーを担い人気より質を優先しようとします。一方マネージャーのユカリは売れることを最優先します。別にどっちも正しいわけで、その間で若いバンドメンバー達が苦悩します。とてもステレオタイプでありがちな話ですが、それだけに見入ってしまいました。やはり小林武史という偉大な「歌謡曲メイカー」に語られると背筋も伸びるってもんです。
ただ、、、その割にとか言っちゃいけないんですが、、、肝心のメインテーマソング「BANDAGE」の質はちょっとどうなんでしょう?
これって劇中では「LANDSの原点」であり「質が良くって評判になった」曲のはずなんです。
そんな2010年になってテイラー・デインのパクリ聞かされても、、、ねぇ(苦笑)。そりゃ小林監督にとっては青春の曲かも知れませんが、、、テーマを考えても、もっと他にパクれるバンドがあったでしょうに。それこそOASISでもいいし、Blurでもいいし、なんならgarbageでも。いくらでも「質と人気」の天秤で「質」から「人気」に転向した人いるのに(苦笑)。それともLANDSがテイラー・デインと同じ「一発屋」であることの暗喩なんでしょうか(笑)?

【まとめ】

ネット上では割と賛否が分かれているようですが、私はかなり楽しめました。なかなか良い青春映画だと思います。出てくる女性達がみんな元気ですし小林監督の女性の趣味が良くわかります。裏テーマでもある不倫とかも含めてですね(笑)。DVDが出たらたぶんレンタルでもう一回見ると思います。
見る前はジャニーズファン専用のアイドル映画かと思っていたんですが、なかなか良いですよ。オススメです。

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マッハ!弐

マッハ!弐

今日は「マッハ!弐」を見てきました。

評価:(45/100点) – やっぱりプラッチャヤー・ピンゲーオは偉大だった。

【三幕構成】

第1幕 -> ティンが奴隷商人に捕まる
 ※第1ターニングポイント -> ティンがガルーダの翼峰に拾われる
第2幕 -> ガルーダの翼峰での修行とティンの回想
 ※第2ターニングポイント -> ラーチャセーナの即位式に殴り込みを掛ける
第3幕 -> ラーチャセーナの即位式とガルーダの翼峰アジトでのアクション


【あらすじ】

アユタヤ王国が勢力を広めるタイ。その東にある王国ではクーデターが勃発していた。 ラーチャセーナの謀反より家臣によって救い出された王子・ティンは、道中家臣とはぐれ奴隷商人に捕らえられたところを山賊に助けられる。ガルーダの翼峰と名乗る山賊達の中でティンはあらゆる戦闘術を学び、やがて組織のトップへと成長する。
山賊のリーダー・チューナンよりリーダーの座を譲られたティンは、やり残した事があるとしてこれを固辞する。そして両親の仇であるラーチャセーナの即位式へと単身殴り込みを掛けるのだった、、、。


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【感想】

ついに日本で公開されました。 「Ong-Bak2」こと「マッハ!弐」です。アクション映画ファンならば言わずと知れた、タイの誇るスーパースター、トニー・ジャー主演の最新作です。ちなみに映画自体は2008年公開作品でして、すでに続編「Ong-Bak3」が来週・1月21日にタイで公開されます。つまり周回遅れ。
でもハリウッド以外の海外映画なんてそんなもんです。劇場公開されただけでもありがたいと思っておきましょう。

本作のストーリーについて

本作にとってストーリーはまったく問題ではありません。というか普段ハリウッド映画や日本映画を見慣れている人からすれば、ものすごく変テコな映画です。
例えば、いつの間にか回想シーンが始まっていてそれがなかなか終わらなかったり、場面転換したと思ったらいきなり10年近く経ってたり、おそらく戸惑うと思います。アクション映画ですのでストーリーは割とどうでも良いんですが、それにしても非常に分かりにくい構成をしています。とはいえ一度分かってしまうとものすごくシンプルな話だと気づきます。ある程度分からなくてもそういうものだと割り切ってしまいましょう(笑)。

スタッフと制作時のゴタゴタについて

知っている方は知っていると思いますので読み飛ばしてください。実は本作は制作時にとてもゴタゴタしました。これはタイ・アクション映画のそもそもを語らないと説明しづらいため、少々長くなります。
アクション映画というと皆さんご存じの通り香港のカンフー映画が有名です。実際、スティーブン・セガールやジャン・クロード・ヴァン・ダム、近年だとウェズリー・スナイプスあたりの生粋のアクションスターは欧米にも居ます。ですが、やはり香港が生身のアクションでは最先端を突っ走っていました。
ところが2003年にまったくノーマークだったタイからとんでもない作品が登場します。それが「マッハ!!!!!」です。ムエタイを駆使して細身のトニー・ジャーがアクロバティックなアクションをこなす姿は本当に衝撃的でした。この作品をきっかけに、監督のプラチャヤー・ピンゲーオとアクション監督のパンナー・リットグライの名前がアクション映画界に轟きます。この2人はどちらも監督が出来るゴールデンコンビとして、時には監督、時にはプロデューサーとしてアクション映画を量産しはじめます。
特にピンゲーオ監督はかなり本気でタイをアクション大国に育てようと苦心し、独自に若手の育成に着手し始めます。なにせトニー・ジャーがたまたま天才だった可能性が有りましたから、タイ映画を香港映画のようなブランドにするためには育成システムの用意が急務だったわけです。そしてピンゲーオが育て上げた第1号が「チョコレート・ファイター」で鮮烈なデビューを飾ったジージャー・ヤーニンです。彼女もデビュー作にして素晴らしいアクションとスター性を見せ、ピンゲーオとタイ・アクション大国計画が本物であることを証明しました。
さてそういった背景の中で、ピンゲーオを抱える映画会社サハモンコル・フィルムは「マッハ!!!!!2」を企画します。ところがトニー・ジャーが超問題児でして、映画は自分が居れば成立すると嘯いて自らメガホンを取ると言い出します。サハモンコル・フィルムはプロデューサー兼お目付役としてリットグライをブッキングしてトニー・ジャーに監督をやらせます。そしてトニー・ジャーが「マッハ!!!!!2」を撮っている間に、問題児トニーの後釜としてピンゲーオに若手育成を託します。それが見事成功しジージャーが誕生するわけです。
じゃあ「マッハ!!!!!2」を撮っている間はトニー・ジャーもおとなしかったかというと、そんなわけはありません。急に失踪したり、テレビで奇行を披露したり、自分のギャラを上げたあげく制作費を使い込んで勝手にボイコットしたりしてます。超問題児。性格最悪です。
そんなわけで、「マッハ!!!!!2」はまさにトニー・ジャーのトニー・ジャーによるトニー・ジャーのための「オレ様映画」になりました。
しかしあまりにも問題行動が多かったため、トニー・ジャーはもはや「マッハ!!!!!」をシリーズ化する以外に俳優として生きる術はありません。どこも使ってくれないですし、すでに自分の代わり(=ジージャー)が世界的な評価を得ています。ピンゲーオ監督とも喧嘩別れ同然です。一方的にトニーからピンゲーオは要らないとか言っちゃってますから。ということで、本作はかなりがっかりな内容でしたが、次作は俳優生命を賭けて死にもの狂いでくるはずです。

【まとめ】

本作はストーリーもさることながらアクションも相当がっかりな出来です。というのも、トニー・ジャーが自分でやりたいことを詰め込んだという印象が非常に強く、ティンのアクションに整合性が見られないためです。前作では古式ムエタイという核がありましたが、本作は本当に「何でもあり」になってしまっており、あまりにもティンが万能過ぎます。万能すぎるが故にハラハラ感も薄く、漫然と戦闘が続いてしまいます。
この点はトニー・ジャーの監督としての力量不足だと言わざるを得ません。やはり「トム・ヤム・クン!」や「マッハ!」で世界を驚愕させた一因である「テーマを持ったアクション・シーン」はピンゲーオ監督の力量でした。トニー・ジャーとピンゲーオにはフィルム構成力に圧倒的なまでの差があります。
トニー・ジャーには心を入れ替えてピンゲーオに謝罪していただいて、是非ともまたすばらしいアクション映画を作って欲しいです。
ま、可愛いくってアクションも凄まじいジージャーがいれば、トニーこそ要らないんですけど(笑)。
そういった意味でも、トニーにはピンゲーオに謝りに行く事をオススメします!
こんな映画作ってたら、本当に居場所なくなっちゃいますよ、、、。

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スノープリンス 禁じられた恋のメロディ

スノープリンス 禁じられた恋のメロディ

今月に入って仕事の関係で全然映画が見られていないので「スノープリンス 禁じられた恋のメロディ」で癒されてみようかと思ってみました。

評価:(5/100点) – 岸恵子の無駄使い

【三幕構成】

第1幕 -> 早代ばあさんの元に封書が送られてくる。
 ※第1ターニングポイント -> 草太が秋田犬を拾い「チビ」と名付ける
第2幕 -> 草太とチビと早代とキタサーカス
 ※第2ターニングポイント -> じいちゃんが倒れる
第3幕 -> じいちゃんの死と草太の最期


【あらすじ】

ある日、一人暮らしの早代の元に封書が届く。そこには早代が子供の頃に好きだった草太との日々が綴られた原稿が入っていた。後日訪ねてきた老人から、原稿は草太の父が書いた物であり老人は草太の異母兄弟だと明かされる。老人は途中で終わっている文章が気になり、登場人物である早代に結末を聞きに来たのだ。
早代の孫娘も催促する中、彼女は草太の最期を語り始める、、、。


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【感想】

K・U・S・O・E・I・G・Aです。いろいろツッコミどころがありますが、まずは個別論に行く前に本作の概要から考えてみましょう。

「スノープリンス」の狙い

本作は、早い話がジャニーズのJr期待の星・森本慎太郎君をいかに売り出すかの一点のみに心血をそそいだアイドル映画です。アイドルにとって銀幕の初主演作というのは大変な意味を持ちます。ウケればアイドルのおかげ、コケればアイドルのせいです。
森本君の相方には「ちりとてちん」で活躍した劇団子役の桑島真里乃ちゃんが起用されています。
話の内容は典型的なお涙頂戴もので、別に「フランダースの犬をモチーフにしました」なんて言わなくても健気で純朴な少年を愛でるだけのよくある話です。ディテールとしては全く悪くはありません。ものすごく人の良い貧乏な少年が犬を拾って育てつつ悲劇に逢う。結構じゃないですか。ついこないだ「なくもんか」で「貧乏、動物、子供は泣けるドラマの三大要素」という苦笑ものの酷いセリフがありましたが、もろにそのまんまです。
逆に言えば、制作者の志もその程度の映画ってことです。

本題のツッコミ所

さて本題に入ります。観ていて一番に気になるのは語り口の混乱です。このロジックは「ゼロの焦点」の時に触れましたのでそちらを見ていただくとして、要は「今スクリーンに映っている映像はなんなのか?」がさっぱり分からないんです。原稿を読んでいるシーンであれば、それは草太の父が書いた物の筈です。だったらサーカス団がくる前の話が書いてあるのは明らかにおかしいです。さらに父の登場しないシーンが山程出てきます。
さらに最終盤で原稿が終わった後は早代の回想になるわけですが、ここでも早代の知るはずが無いことが次々にスクリーン上に展開されます。
これを普通に(=常識的に)解釈すると、序盤~中盤にかけての「父が登場しないシーン」は草太から聞いた話の断片からふくらませた話です。さらに終盤のシーンは早代が美化して都合良くアレンジした思い出話です。
追加するなら、本作に登場する草太の心情表現はすべて父ないし早代というフィルタがかかったものです。
そんなわけで、見ているとどんどん早代が嫌な奴に見えてしまうんです。だって「あの子は貧乏だったけど心は清かった」「貧乏なあの子が好きだったからビスケットをあげた」「あの子はおじいさんが死んだ後は私に絵を渡すことに必死だった」etc。
書いてて腹立ってきたんでこの辺にしますが、草太が純真無垢な素晴らしい少年に描かれれば描かれるほど、それが現実離れしていけばしていくほど、この父or早代のフィルタが露骨に見えてしまいます。残念な話です。
ちなみに森本君と桑島ちゃんはそれほど悪い演技では無いです。すくなくともTAJOMARUに出てた子役3人よりは何倍かマシです。将来楽しみかはともかく、ジャニーズの巨大パワーを遺憾なく発揮していただいて是非次代のスターになっていただければと思います。
あと当たり前ですが岸恵子もすばらしいです。出番は少ないですが、彼女の柔らかく品のある佇まいのおかげで早代への反感は確実に減少しています。
最後に、これは改めて再確認したことですが、私は香川照之さんと浅野忠信さんの演技プランが嫌いです(苦笑)。この2人が出ていた映画で良かったと思った作品が皆無です。「SOUL RED 松田優作」の時に何となく感づいてはいたのですが生理的に無理。両名のファンの皆さんすみません。たぶんこの2人の印象で、個人的な作品の全体評価が相当下がってると思います。

【まとめ】

本作は、ショタコンやロリコンのみならず岸恵子萌えまでカバーするという、あらゆる意味で生粋のアイドル映画です。
はっきり言ってすっごいつまらないですが、でも森本君がこの後も事務所猛プッシュを受けられれば、たぶん10年後に話のネタぐらいにはなると思います。ですので見に行って損はありません。万馬券を買うような気持ちで1800円をどぶに捨てられれば、オススメです!
ちなみに観客は女性ばっかりなのかと思っていたのですが、予想以上に「いかにもオタク」な男性2人組が目立ちました。ロリコン業界には疎いんですが、もしかして桑島ちゃんって結構メジャーなんでしょうか?
いまいち「森本ー桑島 間」のパワーバランスが分かりませんで、、、。
ひょっとするとメジャー・桑島ちゃんが新人・森本君を引き上げている構図だったりして、、、。それだとちょっと話が変わってくるんですよね。完全に森本君に場を持ってかれてるので。


追記(2009/12/16)

なんか興行的にかなり塩っぱいことになっているようです。もしかしたら森本君も見納めでしょうか。ご愁傷様です。
でも大丈夫。ジャニーズに代わりはいくらでもいるもの、、、芸能界は残酷ですね。

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記事の評価
ニュームーン/トワイライト・サーガ

ニュームーン/トワイライト・サーガ

「ニュームーン/トワイライト・サーガ」を見てきました。予想はしてましたが女の子ばっかでした。

評価:(30/100点) – ティーンエイジャーの女の子&腐女子向け”萌えアニメ”映画


【あらすじ】

ベラの誕生日に恋人の吸血鬼エドワードはカレン家に彼女を招待する。しかし、パーティー中にベラが指を切ってしまったことで状況が一転、興奮したジャスパーが彼女を襲おうとしてしまう。危機感をもったエドワードはカレン家全員でベラの元を離れる決意をする。エドワードと離れ傷心のベラを助けたのはジェイコブだった。いつしかジェイコブに惹かれるベラだったが、映画館でのトリプルデートをきっかけに急に音信不通になる。心配するベラは彼の家を訪ねるが、そこには風貌の変わったジェイコブの姿があった。彼の血脈が街にやってきた吸血鬼達に影響され人狼として目覚めたのだ。そんな中カレン家の仇敵ヴィクトリアがベラを襲う。間一髪ジェイコブに救われたベラだったが、その最中にベラが自殺したと誤解したアリスが彼女の元を訪ねてくる。アリスとのテレパシーで事態を知ったエドワードはベラが心配になってとうとう電話をかけてくる。しかし電話に出たジェイコブがベラが死んだと誤解を与えてしまう。絶望したエドワードはイタリアのヴォルトゥーリ家を訪ねて死刑を求める。ベラはアリスと共にイタリアに急行しなんとか事なきを得、ついに2人は再会する。吸血鬼へ変身してエドワードと共に生きることを求めるベラに、彼は一つの条件をつける。それは彼との結婚だった、、、。


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【感想】

■はじめに

本作品は「トワイライト・サーガ」全4作の映画化第2弾です。1作目は「トワイライト~初恋~」の題で今年の春公開、本作「ニュームーン(新月)」を挟んで3作目「エクリプス(日蝕)」が来春に公開されます。そして最後の「ブレイキング・ドーン(夜明け)」が来冬と2011年春に前・後編で公開予定です。
なんでこんなに映画化されるかというと、早い話が「トワイライト・サーガ」はアメリカの10代女子と30代オタク女子に絶大な人気をもつ「ライトノベル」なんですね。日本ではいまいちマイナーですが、アメリカでは各作品が500万部以上売れてる大ベストセラーでして、日本でいうとドラゴンボールとかガラスの仮面ぐらいの感覚の知名度です。ということで「トワイライト~初恋~」は日本では見事に転けましたが、本作はアメリカで公開初日興収で歴代3位に入った大ヒットでした。
なんですが、、、ぶっちゃけた話、オタク向けの作品なので何回も見に行くリピーターが多いのも事実でして、そこまで評判良い「名作!」って感じの空気ではありません。
というのを前提として、以下の感想を読んでいただければと思います。。

■ 感想

本作は、なんやかや言わずとも冒頭に書いた一文が全てです。「ティーンエイジャーの女の子&腐女子向け”萌えアニメ”映画」。
要はベラという「いたって普通で特別な才能も無い女の子」が実は「吸血鬼に取って特別魅力的な血を持っている」という先天的な要因ゆえにイケメンな優男の吸血鬼にモテモテになるという話です。さらには吸血鬼の天敵の人狼まで出てきて、やっぱり肉体派のイケメン人狼にモテモテ。違ったタイプのイケメン2人にモテモテ。終盤で「わたしのために争わないで~~~~!!!」というギャグを大まじめにやってきて失笑ものなんですが、まぁその一言が全てです。
すっごい俗な事を言ってしまえば、女性向けの「ギャルゲー」です。だから男の性格付けなんかは割と適当です。大事なのはベラにベタ惚れしている点です。あとはフレキシブルに(笑)脳内補完でカバーする感じです。
ただ一点だけ気になるというか頭にくる点があります。あくまで個人的な考えだという断り付きですが、どうも「吸血鬼」「人狼」というのを「恋の障害」としてだけ描いているように見えるんですね。本作では作中で吸血鬼が人間を襲う様子は直接描かれません。人狼も同様です。恋愛における女性心理の一つに「私だけが知っているor許せる彼の欠点」というのがありますが、それに使われてるんです。だから人ならざる者の悲哀とか狂気は描かれません。それがエスカレートしてしまったのか、ベラは終始「吸血鬼になりたい」を繰り返します。カレン家の人間が吸血鬼の「呪い性」を説いてもまったく聞きません。
別にこの程度のラノベに怒ることでも無いんですが、「アンダーワールド・ビギンズ(Underworld: Rise of the Lycans)」という吸血鬼と人狼の良作ラブ・ストーリーを今年見たばかりだったので、本作の薄っぺらい感じがどうも気になるんです。
ま、でもティーンエイジャー向けファンタジーとしては全然OKです。

【まとめ】

やはり二日連続で女性向け映画を見るのはキツいです(笑)。本作は意外とCGも悪くないですし、演出とストーリーのショボさを無視すればそれなりに楽しめます。ただし、初日興収で全米歴代3位というのは少々納得いきません。たしかに本作の男達は上半身裸が基本ですから、女性向けのソフト・ポルノと思えば分からんでも無いんですが、、、どうなんでしょう(苦笑)。
あと男達の一途さとは裏腹に主役の女の子が浮気性ってのも基本ですね。たぶん「花より男子」で喜べる人なら問題無くハマれると思います。なんだかんだで僕も残り三作品を劇場で見ると思いますし、、、中学生とおばちゃんの横で肩身狭くですが(笑)。
ということで、夢見る10代の女性と夢に逃げたい30代の女性にオススメです!!!

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記事の評価
ゼロの焦点

ゼロの焦点

ゼロの焦点」を昨日見てきました。TOHOシネマズデーと初日効果で激混みです。
評価:(10/100点) – 電通+テレビ朝日+韓国ロケ=????


<あらすじ>
見合いで結婚したばかりの禎子は夫・鵜原憲一が出張から戻らないことを不審に思い単身新潟へ捜索に向かう。そこでは禎子の知らない鵜原憲一のもう一つの顔が見え隠れした。やがて彼女の周りで起こる2つの殺人事件と2人の女から、夫のもう一つの顔が明らかになる、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 憲一が新潟出張から戻らず、禎子は新潟に捜索へ向かう。
 ※第1ターニングポイント -> 禎子が室田耐火煉瓦で室田佐知子に会う
第2幕 -> 新潟での捜索と殺人事件。そして東京に戻り捜査続行。
 ※第2ターニングポイント -> 禎子が集合写真に佐知子を見つける。
第3幕 -> 解決編


<感想>
ザ・電通。そしてザ・テレ朝。130分がここまで苦痛だったのは「20世紀少年・最終章」以来です。沈まぬ太陽でももうちょと盛り上がりました。全編通じて映像描写よりも言葉で説明することを優先しながら、あまつさえその語り口さえも混乱するという非常にカオティックな作品です。どこからツッコんで良いかよくわからないので、大枠のところから攻めてみたいと思います。
なお、なんとなく点数と冒頭でお察しのことと思いますが、今回はネタバレ込みで広末さん中谷さん犬堂監督の悪口と取られてしまうかと思います。彼女達のファンの方は今すぐブラウザを閉じて、幸せに過ごしていただければと思います。

■ 語りの視点
問題点の第一に、語り口の混乱があげられます。この作品は広末涼子演じる鵜原禎子の独白から始まります。そして作中なんども独白によって禎子の感情が吐露されます。この作品は新婚である禎子の視点で「夫が突然いなくなって、捜索していくうち夫の裏の顔が見えてくる」というサスペンスが根幹にあります。ですから独白で始まるのは非常に正解というか必然的なもので、ここに関しては何の違和感もありません。問題はその語り口と映画視点の混乱です。
まずは一般論ですが、どの作品にも必ず視点というものがあります。言い換えるならば、観客の目線・カメラマンの立ち居地です。映画やドラマは、役者が演じている何らかのイベントをカメラマンが撮影します。ですからカメラマンはある「立場」「役柄」を持って作品を録画します。これが映画の視点です。
たとえば、何気ないテレビドラマの場合、そのほとんどは「神の視点」を採用します。これは「誰が」「どこで」「どんなイベントを」行っていても撮影できる万能でオーソドックスな視点です。たとえば風呂のなかで溜息をついてるところだったり、便所で顔を洗ってたり、密室殺人の殺人現場でさえ撮影できます。なにせカメラマンは「神」なので、どこにでも入れるし、ワープだってタイムスリップだってできます。なんでもありです。
一方カメラマンが登場人物として作中に登場すると、いわゆるフェイクドキュメンタリーになります。この場合、カメラマンは役名を持ってハンディ・カムなんかを使い撮影します。当然登場人物たちはカメラマンに話しかけますし、カメラマンも人間なので彼が居るその場しか撮影できません。いわゆる空撮みたいなものもできません。場合によっては死んでしまうこともあります。ブレア・ウィッチ・プロジェクトやクローバー・フィールドあたりが有名だと思います。
「ゼロの焦点」においてカメラ自体は匿名の第三者視点を持っていますが、禎子の独白(心の声)から始まることでわかるように禎子の視点となっています。この作品は禎子に感情移入することによって「夫が何者だかよくわからない」という乗り物に観客を乗せて進んでいきます。ところが終盤、もっとも大事なクライマックスで破綻と混乱が起きてしまいます。それは崖沿いのハイウェイで行われる佐知子と久子のやり取りのシーンです。まさにクライマックスで、音楽も話も最高潮に盛り上がる場面です。ところが本作は禎子の視点で描かれています。ですからイベントのまさにその場に存在できない禎子にはこの場面は知りようがありません。そこで、おそらく意図的だとは思いますが、犬堂監督はこの佐知子と久子のやり取りを禎子が列車の中で眉間に皺を寄せるカットで挟みます。つまり、最高潮に盛り上がる物語のクライマックスが「禎子の空想」として描かれているんですね。ここにものすごい違和感というかガッカリ感があります。
メインストーリーの人物相関からすれば禎子は「善意の第三者」であり「巻き込まれる人」です。そしてサスペンスは憲一と佐知子と久子の関係性であり、禎子はあくまでも観客の移入先/語り手です。だからこそ、余所者である禎子を「佐知子と久子のシーン」に登場させるのは非常に難しいのです。でも登場しなければ撮影ができません。そこでちょっとだけ禎子の苦い顔で挟むことで「空想であること」を気付きにくくしたのは、犬堂監督のせめてもの工夫だと思います。たぶん私のように映画を見すぎて捻くれた(笑)見方をしていなければ、すんなりあのシーンが事実だとミスリードされたかもしれません。演出としては巧みなんですが、視点が混乱しているのは否めません。これは非常に根深い問題で、ストーリー全体にも実は影響を及ぼします。それは次項で見ていきましょう。
■ 物語の構成について
前項で触れたように、本作は新妻・禎子の視点でサスペンスが描かれます。観客は禎子とともに事件を体験していくわけです。一部・憲一の兄が殺されるシーン等で視点の混乱はあるものの、第二幕までは概ね禎子の視点のみで、「素人探偵もの」が展開されていきます。
ところが、第二ターニングポイントで佐知子がマリーだと分かった段階から、カメラの視点が突如佐知子にフォーカスされます。前述のとおり、描き方としてはあくまでも禎子の主観で「空想シーン」ではありますが、カメラは完全に佐知子に飛びます。すなわち観客は急に「禎子」という乗り物から「佐知子」という乗り物に強制乗り換えさせられるんです。そして佐知子の過去から動機から現在の心情・状況まで、まるでテレビの再現ドラマのように完全な説明口調で情報を畳みかけられます。もうここまでくると、禎子なんてどうでもよくなってしまいます。中谷美紀のまるで宝塚かシェイクスピアのような大仰で威圧的な「熱演」も相まって、これでもかというほどの佐知子の”業”が観客に叩きつけられます。難しいのは、ここでほとんどの人は佐知子に感情移入してしまうことです。旧映画版のように禎子の視点で通していれば佐知子は単なる「独善的な犯罪者」なのですが、佐知子の事情を観客が知ることで情状酌量の余地というか「見知った人」になってしまいます。だからこそ、佐知子と久子のシーンが物語上で一番盛り上がるクライマックスになってしまいます。
これがすでに混乱しているんです。本来、この物語のクライマックスは「佐知子と禎子の対決」でなければいけないはずです。だって禎子の物語なんですから。ところが、実際の佐知子と禎子のシーンはまったく盛り上がりません。それは佐知子への観客の移入度が上がりすぎて、クライマックスがずれてしまっているからです。
これが原因で、佐知子と久子のシーン以降がまったく盛り上がらず蛇足に見えてしまいます。禎子が佐知子に一太刀浴びせても、なんのカタルシスもないんです。なぜならすでにその一太刀は久子がやっちゃってるからです。これは脚本・構成の根本的なミスだと思います。本来の「傍観者たる禎子がひょんなことから怖い世界を覗き見ちゃった」というフォーマットではなくなっているわけです。
そんなわけで、おそらく映画を見終わった後は誰しも中谷美紀の印象が残ると思います。それは中谷美紀が上手いからではなく、脚本がそうなっているからです。これを良しとするか駄目とするかは難しいところです。
■ 広末さんと中谷さんについて
広末さんの役は完全にはずれでした。というのも、この人の声は舌っ足らずというかアホに聞こえるんです。子供っぽいと言っても良いです。ヴィヨンの妻では好演してたので残念です。「善意の第三者」にしては恐怖とか怯えとか好奇心とか、そういう部分がまったくナレーションに表れないので、何を考えてるかわからないアホの子にしか見えません。できれば広末さんはもうちょい悪女とか頭悪い子とか世間知らずの役の方が良いと思います。ご本人の悪口ではなく得手不得手の部分ですよ。本人はそれこそたくさん社会の裏を見て世渡りしてきてるはずなので(笑)。
また中谷さんですが、悪い意味で主役を食ってしまい作品を混乱させてしまっています。犬堂監督の意向でしょうが、いくらなんでも大仰ですし、とくに最後の柱に頭を打ち続けるところとか演説のところなんかはヒロイック過ぎます。棒立ちで後ろに倒れるところなんかは完全にコントでした。ショックで放心した場合、人はああは倒れません。膝が落ちてその場で腰を抜かします。格好良いんですがやりすぎです。中谷さんというよりは演出家の問題でしょうか?
最後に木村多江さんは出番が少ないながら非常に良い感じだったと思います。正直あのクライマックスが成立してるのは木村さんがいればこそです。中谷さんだけだと、それこそ舞台演劇になってドン引きしてしまいますから。
<まとめ>
え~~~~良いんじゃないでしょうか(笑)。本作はサスペンスとして頭を使いながら見てると失望します。でもぼけ~っと見てる分にはそれなりに盛り上がって、それなりに社会派っぽくて、それなりな出来に見えます。でもちょっと考えたとたんに破綻がいっぱいで突っ込みたくなります。そもそもこのテーマと内容で130分使っている時点で脚本がおかしいです。残念ですが、物語をせめて100分前後にして語り口を整理・統一するべきだったと思います。そうすればサスペンスとしてのスピード感がもう少し出て、勢いで破綻がごまかせたと思います。ただ、何にせよ火曜サスペンスで十分な内容です。私は昨日TOHOシネマズで1,000円で見ました。1,000円でももったいないと思います。ということで、タダ券をもらってから見に行くのがオススメです!

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