悪人

悪人

さてさて、本日はモントリオール最優秀女優賞で何かと話題の

悪人」を観てきました。

評価:(2/100点) – 人間の振れ幅ではなく、恣意的なキャラの振れ幅。


【あらすじ】

解体業の清水祐一は、出会い系サイトで出会った保険外交員の石橋佳乃を激情にまかせて殺してしまう。その後飄々と生活をしていたが、出会い系サイトで出会った別の女性・光代とデート中に家に警察が来ていることを知り、そのまま光代と共に逃亡生活をする。それまで殺人を何とも思っていなかった祐一だったが、光代に本気で恋したことで罪の重大さに気付いていく、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 石橋佳乃と増尾圭吾
 ※第1ターニングポイント -> 佳乃が殺される。
第2幕 -> 裕一と光代の出会い
 ※第2ターニングポイント -> 裕一の家に捜査が及ぶ。
第3幕 -> 裕一と光代の逃避行


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【感想】

本日は川崎チネチッタが1,000円だったので、あんまり見る気のなかった「悪人」に行ってきました。お客さんはよく入っていまして、ほぼフルハウスだったと思います。本作は先日、深津絵里がモントリオール国際映画祭で最優秀女優賞を獲ったことで話題になっていましたが、そのせいもあるかも知れません。春先の「パレード」よりも観客は入っていました。モントリオール映画祭自体はマスコミをいっぱい連れて行けばくれるモンドセレクションみたいなもんなので価値無いんですが、日本人はこういう謎の横文字に弱いですからね(笑)

大変申し訳ないというか、予告である程度予感はあったんですが、相変わらずな感じでボロカスに書かせていただきます。それも同じ吉田修一原作のパレードみたいに「腹は立つし酷い出来だけどやりたいことはわかるから、点数だけは45点」みたいな事もありません。っていうか満島ひかりと松尾スズキ以外に褒めるところが見当たりません。私の駄文を読んでいただいている奇特な方にはなんとなく察しがついているとおもうんですが、私は好きな俳優や可愛いアイドルがでていると点数が大幅に甘くなりますw 満島ひかりが出ているのに2点を付けたという根拠をこれから一気に書かせていただきます。すなわち私の燃えたぎる怒りのリビドーをw
お約束ですが、以後の文章は多大なネタバレを含みます。まぁ予告を見ただけであらすじは全部分かると思いますが(苦笑)、本作はそれ以上に演出面で本当に怒りを呼ぶレベルの事を平然としてきます。どうしても細部になってしまいますので、これから見ようと思っている映画未見の方はご遠慮下さい。

本作の流れ。

本作の流れをざっとおさらいしましょう。第1幕では、殺される事になる佳乃がいかに最低な女で「殺されても仕方がないか」という描写が続きます。

そして第2幕前半では、裕一が祖父の介護をしたり近所の年寄りの世話をしたりする「良い人」描写があります。そして「将来に希望が持てない閉塞的な人生を送る寂しい女」光代と出会います。裕一はここで光代のあまりの純朴さに惚れてしまいます。そして光代もまたそれまでの人生に居なかった「不良っぽい強引で影のあるイケメン」にコロっといきます。そして当初犯人と思われていた圭吾が実は直接的に事件と関係無いことが明らかになり釈放されます。この段に来てついに裕一に捜査の手が及び、裕一は光代をつれて逃亡します。道中の食事中に裕一が光代に語る回想シーンによって、再度、佳乃がいかに殺されて当然の女かという描写が入ります。一方、裕一の居なくなった実家では、祖母が詐欺にひっかかったりマスコミに追い回されたりして踏んだり蹴ったりな状況になっていきます。また、佳乃の父は、警察の取り調べから釈放された圭吾を逆恨みし、モンキーレンチをもって追いかけ回します。一度は自首を決めた裕一でしたが、光代は逃避行の続行を希望し、再び逃げます。

ついに光代のあこがれの灯台に潜伏した裕一は、買い出しにいった光代の後を付けた警察によって取り押さえられてしまいます。取り押さえられる間際、裕一は光代の首を絞めます。これによって光代はあくまでも犯人に連れ回された被害者として、逃亡援助の罪を免れます。

映画におけるモンタージュ理論の基本

ちょっと話がそれますが、映画にはモンタージュ理論というものがあります。いまや常識としていろいろな表現に使われているもので、この理論を使っていない映像はほとんどありません。ソ連のエイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」から脈々と続く革命的な理論です。詳しく知りたい方は沢山本が出ていますので読んでみて下さい。

ざっくり説明しますと、これはまったく別々のカメラで撮った映像を編集によってつなげることでそこに意味が付加されるという理論です。例えば建物の映像が10秒ぐらい流れて、次いで居間のような所で夫婦が話している映像に切り替わるとします。これを見た観客は、当然この居間が建物の中にあると思います。でも、実際に最初に写っていた建物の中に居間があるかどうかは本当は分かりません。テレビドラマであれば、外観はロケで実物を撮影して、部屋はスタジオのセットで撮影していることだってあり得ます。ですが、私達はこの並びで映像を見せられると、「写っていた建物の中に居間がある」と認識します。これがモンタージュ理論です。映像は編集によっていくらでも恣意的に観客の心理や感覚を操ることが出来るんです。

これは映像に限ったことではありません。脚本にも同じ事が言えます。脚本はたとえ個別のシーンが全く同じだったとしても、見せる順番や編集点を変えることでいくらでも恣意的な印象操作をすることができます。これに失敗している映画は、見ててどうでもよくなってきたり、飽きてしまったりします。

本作で怒りを呼ぶ主張。

さて、前置きはこれくらいにしまして、いよいよ本題です。本作は、明らかに監督・脚本家の意図として、佳乃と圭吾を「最低な人間」、裕一と光代を「根は良い人」として印象操作を仕掛けてきています。それはエピソードのつなげ方を見ても明らかです。冒頭から佳乃と圭吾は本当に最低に描かれますし、一方の裕一は地元では世話焼きで無口な純朴青年として描かれます。そして逃避行の最中、駄目押しで犯行シーンを見せて佳乃を決定的な糞女として描きます。

私が一番怒りを感じるのは、この佳乃が完全な最低女として描かれる犯行シーンです。満島ひかりを使ってこれかよってのもあるんですが、それ以上に、このエピソードの入れ方に問題があるんです。いいですか、、、このシーンは、港町っぽい食事処で、裕一が光代に「人を殺してしまった」ことを弁解するシーンに裕一の回想として入れ込まれるんです。これぞまさに前述したモンタージュ理論の最低な悪用です。さんまイカの目のアップから回想に入るという面白演出で見失いがちですが、犯行シーンは真実(=神の視点のカメラ)では無く、あくまでも殺人犯が一緒に逃げてくれる恋人に弁解している都合の良い回想なんですよ? それをこのタイミングで入れてくるんです。そしていかにも同情するような深津絵里の顔を繋いできます。本っっつっっっ当にこういう事をされると腹が立ちます。加えて遺族の父親は指名手配犯の裕一を捜すのではなく、釈放された圭吾に説教しにいきます。おかしいでしょ、どう考えても。作品全体で裕一を全面擁護する方向につなげてるんです。

しかも極めつけは、母が訪ねてくるというエピソードと、夕日を灯台で見ている子供の裕一のカットです。つまり、彼は親に捨てられて寂しくってグレちゃったんだから人ぐらい殺してもしょうがないという繋ぎ方なんです。これに関しては、作り手側の良識を疑います。「重力ピエロ(2009)」で「親が人殺しの子供は人を殺しても仕方が無いから自首しなくてOK」という結論がありましたが、それ以来の衝撃です。今度は「孤児はグれて当然だから人を殺しても仕方が無い」そうです。全国の人を殺したことがない孤児の方は本気で怒ったほうが良いです。

もちろん裕一だけでなくこういった描写は光代にもあります。そもそも光代ってそうとう頭がイっちゃってます。だって出会い系サイトでナンパした男にいきなり「ホテル行こうか」って言われてホイホイついて行ったあげくに「私は本気で好きな人が欲しかったの」とかいうような子ですよ。描写がないですが、たぶんこれ出会い系サイトでナンパしたのは初めてじゃないはずでしょ。これって所謂ひとつの「ヤンデレ」ってやつですか? むしろ怖いんですけど、、、。だけど、その明らかにおかしい子を「理解力と包容力のある優しい純朴な子」みたいに演出してくるのがかなり引きます。要は光代はいままで誰からも相手にされなかったのに、裕一が相手にしてくれたのがうれしくって舞い上がっちゃっただけです。それをいかにも「本当の愛を知った」見たいな描かれ方をされるとツッコミたくなります。だって初めて会った日はホテルに連れ込まれてその場でさよならで、次に会った日の夜にはもう逃避行してるんですよ? いくらなんでも早すぎでしょ。もっとも、作りて側の「女なんて一発やっちまえば言うこと聞くんだよ!」という逞しい信念に基づいた物ならば大変結構なんですが、普通それはちょっとねぇ、、、、、女性を馬鹿にしすぎでしょ。北方謙三あたりが言ってるなら苦笑いで済みますけどね(笑)。

なんかもう全部が雰囲気でずさんなんです。そもそも祖母が詐欺に遭う話だって映画の本筋と全然関係ないじゃないですか。悪人と善人の見分けって話ですが、それはそれで余所でやれって。マスコミはマスコミで加害者の祖母の家には押しかけるのに、被害者の葬式や遺族の家には押しかけ無いんですよ。現実のマスコミは被害者の方にだって節操無くガンガンにアタック掛けるでしょ?さらには被害者の父親が、釈放された元容疑者をモンキーレンチで白昼堂々と襲うんですよ。なんで無実の元容疑者を襲うのかもさっぱりですが、そんなもん写真週刊誌に一発でやられますよ。

あと、圭吾君はたいして悪くありません。ストーカー気味の女の子に夜中にばったり会っちゃって仕方無くドライブに誘ったらウザイくらいアピールしてくるから車から蹴り出しただけです。まぁ蹴りはやり過ぎですけど。だから被害者の父は完全に言いがかりの八つ当たりです。そんな暇があったら駅前で裕一の似顔絵のビラでも配れ。そもそも、本作のテーマは「悪人にだって人間的な振れ幅はある」って部分でしょう?そのくせに圭吾を類型的な「嫌な奴」に描くのは、これ作品内矛盾じゃないですか。

ラストで「あの人は悪人なんですよねぇ」とか光代が言いますが、私断言します。裕一は悪人だし、おまえも刑法第100条・逃走援助で普通に逮捕じゃ。もっというと被害者の父も障害罪で逮捕じゃ(っていうか普通に通り魔)。ということで、結論としてはみんな悪人です。監督も、脚本も、こんな程度の演技に賞をくれてやったモントリオールの審査委員も、そしてこんなに口汚い言葉で罵ってる私も。

【まとめ】

映画館で見る価値はありませんが、DVDが出たらレンタルで見る価値はあると思います。確かに日本で出会い系サイトによる売春が普通に行われていて、田舎の閉塞した村社会で切れやすい若者が一杯いて問題視されているとカナダ人が誤解したならば賞の1つぐらいは来てもおかしくはないかも知れません。なぜなら、おそらくこの内容をコンゴとかパキスタンとか日本人に馴染みの薄い国の映画としてやられたら、日本でも文化を誤解して褒める人がいても不思議じゃないと思うからです。
一応マイナス方面でオススメをしておきますが、最後に1つだけ。
見終わった後、30代半ばぐらいの夫婦が「1,000円でよかったね」「いや、これはないでしょ。」という会話をしていたことをご報告いたします。でも後ろの若い女の子2人組は泣いてたんですよね、、、。

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悪人」への10件のフィードバック

  1. 先日の地上波初登場なロードショーで見て、結果不完全燃焼気味だったのでお邪魔させて頂きました。
    全てがごもっともでしたww
    でも、圭吾君が何一つ悪くない、ということだけはないと思いますよ。
    ストーカー気味のビッチな女の子に夜中にばったり会っちゃって仕方無くドライブに誘っただけにしても、誘って車に乗せたのは彼の意思です。
    若い女の子を夜中の山道に置き去りにすれば、佑一に殺されずとも、熊に襲われるか足を踏み外して崖下に転落するかなど、命の危険にさらされる可能性が充分あったはず。
    それを最も予見できただろう彼が何の責任も取らなくて良いというのはいささか無謀な気がします。
    言うたらやっぱり「全員が悪人」というわけですよね。

  2. モンタージュ理論が飛び出し、「オデッサの階段」を思い起こしました。
    素晴らしい感想だと思いました。私のドタマにガーンと一発食らわされた感じです。
    いやあ素晴らしい。
    映画を観ている間は、引き込まれて涙さえ流しながら見ていました。
    とは言えいくらクズでも殺したらいけませんね、ええ。それに光代も
    折角祐一が自首しようとしているのにそれを妨げてまで
    「我」を通したわけですし。でも地方の寂れた感じとか、鬱積した感じとか
    逃避行に及んでしまう「ヤケクソ」感とか、共感できる点もあり、
    最後まであきることなく観る事が出来ました。そういう意味では面白かったし
    役者さんたちもそれぞれ良かったと思いました。だから一概にクソ映画とは
    私は思わないんですが
    しかし、見終わって時間がたち、冷静になると
    本当に日本の映画(というよりこの原作?)って
    深みが無いなあと。
    映画では柄本明や樹木希林などを初めとする俳優陣の熱演で
    あまり気にならなかった点が
    後から色々出てきました。
    そうして、確かにあの「殺されても仕方が無い」と観客が思い込んでしまう
    シーンは薄々感じてましたがご指摘の通り、祐一の「回想」にすぎず、
    客観的事実かどうかはわからないんですよね。
    そこがどうも服の上から掻いているような感じ?というのでしょうか
    何かスッキリしないものがあり、その点をはっきり
    文章に表現して頂き、ストンと腑に落ちましたね。それでなんか
    騙されていたような気がしましたね。
    あの催眠商法の部分もどうして入れてくるのか、なくてもいいのじゃないかと
    思っていました、いろんな「悪」のパターンを見せるためなのか、
    悪人の見本市なのか、そういう点が「深くない」と
    思ってしまうところなのかなと思います。
    が、それでも映画を観ているときは、入れ込んで思わず泣いてしまっていたりして
    まだまだ私も「浅い」人間です。
    しかし例えば「深い」と思わされた映画は「カッコーの巣の上で」などですが
    あのような表面的でない人間描写が、日本映画には
    現在少なくなっているのが残念です。長々とすみません。

  3. 大失敗です。
    全くもって無茶苦茶な映画。
    光代を強姦して無理やり連れまわす展開の中で、裕一の内面に触れ惚れることはある。でも最後は裏切るのが人間。
    もう一点。最後に首を絞めた程度で騙されるほど警察も馬鹿じゃない。
    目撃証言や妹との電話ですべてばれる。
    別にリアルを求めているわけでは無いけど、この映画は求めていい内容。あまりにも裕一・光代の描写がつまらない。無駄に長い。音楽(サントラ)がダメ。
    褒めるところは、満島の演技は良いぞ!
    死後、国道で柄本を見つめる姿は一番泣けた。
    因みに裕一の回想シーンの眼はイカだったような気がする。

  4. 「本作で怒りを呼ぶ主張」 について、興味深く拝見いたしました。
    自分が感じたものとは違う側面を発見できて、うれしかったです。
    ボクも今作についてのレビューを書いていますので、何卒、トラックバックさせてくださいませ。 よろしくお願い致します。

  5. はじめまして。
    映画ブログリンク集などから辿り辿って参りました。
    「悪人」は、私も劇場鑑賞しましたが、納得のいかないことだらけでした。
    なのに、一緒に見に行った人や、会社の同僚は大絶賛の嵐・・・挙句の果てに愛読の「キネ旬」や、「日本アカデミー」のあの評価・・・。
    で、「あれ?もしかして僕がおかしいのか?」とずっと思ってましたが、今日、ここにきてスッキリできました♪
    ありがとうございました。

  6. こんにちわ。私も遅ればせながら名画座で見てきました。手堅い作りで役者はみんな頑張っていたとおもうので、映画としての完成度は高いという印象がありました。でも、きゅべいさんのおっしゃる通り、主張にはなんか納得いきませんでした。これってつまりは「本当の悪人なんかいない」ということなんでしょうか。主人公は根はいい人だからって、殺人罪の落とし前を付けずに逃避行して乳繰り合う展開はいかがなものかと思います。いい映画だとは思いましたが、過大評価なんじゃないかと思いました。

  7. こんにちは。
    先日の日本アカデミー賞でこの映画が最優秀作品賞に選ばれなくてホッとしました。
    日本アカデミー賞なんてどうでも良いと言ったらそれまでですけどちょっと過大評価され過ぎ感はありましたし、私もこの映画から発せられる恣意的なメッセージに辟易した一人ですので。

  8. こういう人たちって居ると思うんですよね。
    メールでしか自己主張できない土木作業員も
    合っていきなりホテルさそわれて愛を感じる紳士服売り場の女性も
    調子に乗ってる保険外交員も
    目の前の手っ取り早く八つ当たりできる福岡の大学生に憤りをぶつける被害者の父も
    被害者意識をもった加害者の母も
    自分が被害に合う事でしか被害者の感覚を感じれない加害者の祖母も
    自分に都合の悪いことを言われると怒り始める加害者の祖父も
    みんなどこか病んでる。けれどもこういう人たちって結構いっぱいいると思います。
    共通して言える事はみんな貧乏。お金の描写はどれもこれも少額で
    キキキリンが騙されたおかねだって26万ちょっとで必死になって取り替えそうとしてる。あの描写からは他に預金があるようにはとても思えない。
    外交員も1円単位まできっちり割り間してるし。土木作業員がホテルの後渡すお金は1万円。
    加害者の母はカツカツで生活してるし。
    仕事だって高給をもらえるような仕事をしている人はいない。
    僕も貧乏な地域の生まれなのでよくわかります。
    こういう、一見ゆがんだ病人のような心を持った人は実際に多いです。
    でも、自分がゆがんでいると思ってる人は以外に少なくてみんな自分が正常だと思っている。
    最後に
    人をころすことは、社会通念を取り除いてみてみると以外と軽いかもですよ?

  9. こんにちは、はじめまして。
    悪人・・・どこにいっても好評でびっくりしていました。
    まったくばかばかしいおはなしです。
    私は舞台挨拶かなんかでツマブキくんがないていて、??と思いみにいきました。かれは主演のはずなのに、演技に関しては完全にキキさんやエモトさんにもっていかれ、
    そのうえ自分は死ぬほどがんばったのに、さらっとやったフカツさんに賞が・・・
    で、本編をみても迫力不足の自分、なので涙だとおもいました。
    真偽はわかりません。
    車で彼女を待ち、彼女にじゃけんにふられ、あいての車をおいかける一瞬の表情だけよかったかな・・
    満島さんは見事なビッチぶり、私は苦手ですが、なかなか稀有な女優さんだと思います。
    あのひとは悪人なんですよね、という説明せりふにはわらいました。
    それがいいたくてこの映画つくったの?
    で、まわりの感想が、あの二人がかわいそうだね・・本当の悪ってなんだろうね・・
    とあたまの悪いものばかり。
    そしてラストシーン、あの灯台で笑顔のツマブキくん。ひどすぎる。
    私が作り手ならせめてフカツさんに手をかけた瞬間笑わせてもうエンドロールです。事実なんてどうでもいいそこで最高に笑ってくれたらまだ救われたかな・・
    原作者や監督がかなり話あってつくられたみたいですが、
    生い立ちも不幸で底辺で、自分も底辺だとあきらめて不幸顔の、頭の悪い二人のにせ恋愛をみせられだけの感じです。
    悪が正義なら、私は今年一番好きだった告白のほうが何倍もいさぎいい!
    なんだかきついコメントですみません~
    不適切でしたら削除してください。
    ここの映画評はとても独特でおもしろい!
    ほかのもよませてもらいます!失礼しました^^

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