イップ・マン-序章-

イップ・マン-序章-

日曜日の3本目は

イップ・マン-序章-(葉問)」です。

評価:(90/100点) – ヘンテコな歴史風アクション映画の傑作。


【あらすじ】

中国の佛山は武家(=道場)が乱立するカンフーの盛んな地である。武家通りには多くの道場が開かれ切磋琢磨している。1935年、佛山に金山找と名乗る道場荒らしが現れる。数々の武家を破り最強を自負する金山找だったが、茶屋の主人に「佛山最強の葉問師匠を倒さずにどうする」と挑発され、葉問の家を訪ねる。しかし葉問は道場を開かず、妻と幼い一人息子に愛想をつかれながらも自己修練に励む日々を送っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 葉問と廖師匠。
 ※第1ターニングポイント -> 佛山に金山找が現れる。
第2幕 -> 金山找の道場破りと葉問。
 ※第2ターニングポイント -> 1937年、日中戦争が勃発する
第3幕 -> 日本占領下の佛山と三浦将軍の武芸修練。
 ※第三ターニングポイント -> 葉問が日本人空手家10人をまとめて倒す。
第四幕 -> 葉問vs三浦将軍


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【感想】

日曜の3本目は「イップ・マンー序章ー」です。新宿武蔵野館の夕方の回でしたが、キャパ133人で100人近く入っていたでしょうか。「イップ・マン2」よりも入っていました。「イップ・マン2」に武蔵野館で5,000人入ったら「イップ・マンー序章ー」を公開するという元も子もないキャンペーンをやっていまして、その結果の本作上映です。本当に5,000人入ったのかは知りませんが(笑)、フィルム1巻なら公開してペイできると見込めたというのは非常に大きいと思います。

一応前提:そもそもこれは事実ではない

まず第一の前提としてそもそもこの話は「伝記物」っぽい体裁の完全フィクションです。本作は「伝記物」の雰囲気を見せながらナショナリズムを喚起する作りになっています。プルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」等を見ていれば戦時中~戦後すぐを舞台にした香港カンフー映画で嫌味な日本人が敵役なのは常識です。確かに渋谷天馬演じる佐藤はあまりにあんまりというか、「出っ歯でカメラぶら下げてるチビな日本人像」そのまんまでちょっと腹立つんですが、映画の出来とは関係無いので政治的な部分は目を瞑りましょう。あくまでも「イップ・マン2」のあまりにあんまりな調子扱いてる白人・ツイスターを見るときのような生暖かい目で微笑ましく見ましょう。
一応、葉問の本当の略歴をざっとまとめておきましょう。
葉問は1893年、広東省・佛山の裕福な家庭の次男として生まれます。兄と姉が1人ずつ、妹が1人の6人家族です。13歳で陳華順師匠の詠春拳に入門します。15歳で香港に引っ越すと、セント・ステファンズ高校というお坊ちゃん学校に入学します。10年後の1918年、葉問は佛山に戻り警察官になります。そして警察官の傍ら、仲間に内々で詠春拳を教え始めます。そしてこの内弟子達が広東省に散らばり、詠春拳葉問派を広げていきます。
1937年に日中戦争が始まると、彼は家族と共に弟子の一人・郭富(クォック・フー)を頼り疎開します。そして1945年、終戦と同時に佛山に戻り警察官に復職します。しかしわずか4年後の1949年、中国内戦で共産党が南京を制圧すると、裕福だった葉問は共産党に財産を没収されてしまいます。路頭に迷いかけた葉問は、学生時代を過ごした香港へ逃げます。当時内戦後の食糧難で物価が高くなっており、香港に来たものの葉問は大好きなアヘンが買えませんでした(苦笑)。そこで彼はついに内弟子だけでなく本格的な詠春拳の道場を開き収入を得ることにします。この時葉問は56歳。「イップ・マン2」の舞台はまさにここです。ドニー・イエンが若すぎてピンと来ませんけど。 ちなみに「イップ・マンー序章ー」や「イップ・マン2」で葉問が吸ってたタバコっぽいものはアヘン入りですw
いろいろ弟子をとったり香港詠春拳体育会を設立したりとかありまして、1972年にガンで亡くなります。79歳でした。
ということで、本作のように1937年の日本占領下の佛山で葉問が誇りをかけて戦うというのは全くのファンタジーです。実物はその頃にはいち早く弟子の所に逃げています。この辺りをもって「中国共産党のプロパガンダ映画だ!」と非難するのはたやすいですが、本作はあくまでもエンタテイメント映画です。それは宇宙戦艦ヤマトに「65,000トンの巨大軍艦大和が空を飛ぶわけないだろ!」というのと同じなので気にするだけ野暮です。
あくまでも本作は葉問というカンフー界の有名人を題材にして、それこそ「ドラゴン怒りの鉄拳」がそうであったようにナショナリズムという分かりやすく燃える展開をベタに乗せた作品です。

テーマは一緒。語るスタイルが別。

いきなりですが、実は本作の内容は「イップ・マン2」とあまり変わりませんw 両作品ともに最終的には友情と愛国心のためにイケ好かない外人をぶちのめします。違いがあるとすれば、「イップ・マン2」が「ロッキー4/炎の友情」と同じプロットでそのまんまハリウッド映画の作りをしているのに対して、「イップ・マンー序章ー」は前半・後半でガラッと話しが変わるヘンテコな構成になっている点です。
本作の前半・道場荒らしの件と後半・三浦大佐の件はまったく別物でなんの繋がりもありません。ですが、それを「日中戦争」という歴史的事件に乗せることで「歴史物」っぽさを演出しています。適当な歴史年表をググって見てもらえれば分かりますが、歴史年表はいわゆるストーリーの本筋としての事件の他に直接本筋とは関係無い事件がちょくちょく挟まってきます。この年表の雑多煮な感じと、前半・後半でガラッと話しが変わる感じが非常に相性が良いです。言うなれば年表の箇条書きを見ている感覚です。「1935年、佛山に道場荒らしが現れる。」「1937年、日中戦争が勃発する」というような事です。
ストーリー構成としてはヘンテコながら、この「本当の歴史っぽい」という一点において、この構成は大いに効果的です。
さらに本作は時間軸とイベントの配置が見事です。前半の舞台は言うなれば活気あふれる「ヤンチャな佛山」です。ここでは夫婦漫才的なギャグがどんどん入ってきますし、悪役として登場する道場破りの金山找もコミカルで熊さんっぽい魅力を放っています。画面は彩り豊かで、爆竹や青空が花を添えます。
しかし、これが後半になると一転して超シリアスな展開になっていきます。ギャグが入る余地は無く、色あせて粉塵が舞う黄色い荒廃した佛山が舞台の大半を占めます。室内のシーンでも全体的に暗く黒く、画面からは否応なく鬱屈したプレッシャーがにじみ出てきます。そしてこの鬱屈に合わせて、どんどん葉問も感情を表情に出すようになります。前半では全く無かった葉問が怒鳴り散らすシーンが繰り返され、彼のカンフーも寸止めではなく実戦仕様で相手を破壊するようになります。こういったスクリーン自体が鬱屈した中にあって、ラストのあるイベントの直後から急に画面に色が戻り始めます。その見事さとカタルシスたるや並のアクション映画ではありません。
歴史物っぽさと相まって、気付いたら「佐藤なんざやっちまえ!!!」と葉問を応援しています。で、ふと我に返って「あれ?なんだこの反日描写。チッ。」とかなるわけですw

【まとめ】

前述したように本作はあくまでもフィクションなので日本人に対する犬畜生的な腹立つ描写は気にしないのが一番です。三浦も佐藤も「敵役」以上の何者でもありませんから。ただ冷静に考えると「三浦って普通に弱くね?」とか、「葉問師匠が武器を練習する描写がないのに棒術上手すぎじゃね?」とか気になるところは出てきてしまいます。
これは推測ですが、「イップマンー序章ー」で比較的真面目な「伝記風アクション映画」をやってヒットしたため、続編「イップ・マン2」ではより分かり易くエンタテイメント性を重視したキャラもの作品にしたという流れだと思います。見やすさで言えば「イップ・マン2」の方が格段に上ですが、見易いというのは「話しが軽い」というのと表裏一体なので(苦笑)、是非どちらも見ていただきたいと思います。
そしてさすが柔道・黒帯の池内博之。もう日本の男子若手アクション枠はアンタに任せます!!!! G.J. !!!!!
オススメかって言われれば、そりゃもうオススメしないわけにはいきません。とりあえず「孫文の義士団」の前にドニー・イエン分を補給しておきましょう。オススメです!!!

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ヒア アフター

ヒア アフター

二本目は

ヒア アフター」です。

評価:(85/100点) – すごい混ぜ方のオカルト・ヒューマンドラマ。


【あらすじ】

ジョージは子供の頃に病気で生死を彷徨ってから、死者と対話できる能力を身につけた。しかし医者からは精神病患者と見られ、他人からは気味悪がれてしまいまともな生活を送れない。ジョージは霊能力者として生計を立てていたが、その能力を隠して普通の人間として生活することを決める。
一方、フランスの人気ニュースキャスター・マリーはプロデューサーの恋人との旅行中に大津波に遭って生死の縁を彷徨う。彼女はその時あの世を一瞬垣間見たように思い、それが気になって仕事に身が入らなくなってしまう。
時を同じくして、イギリスでは双子の兄を事故で亡くしたマーカス少年が、もう一度兄と対話をするため霊能力者を捜していた、、、。


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【感想】

本日の二本目は「ヒア アフター」です。本国では昨年の10月公開作品で、4ヶ月遅れで日本上陸です。老いてますます盛んなクリント・イーストウッドの最新作です。とはいえ、正直そこまでお客さんは入っていませんでした。予告でおもいっきりオカルトな面を見せているので、そこが敬遠されてしまったのでしょうか?
いきなりですが、本作はアメリカではあまり評判が良くないようです。ざっとrotten tomatoを見た感じですと、「死についてちゃんと書いていない」とか「意外な事がないから眠い」とか結構散々ですw ですが私は結構好きです。雰囲気映画は雰囲気映画ですし、前述の批判はもっともだとは思いますけどねw
本作は3つの話がまったく別々に展開していきます。一つは本物の霊能力者でありながらそれを呪いだと思って普通の生活に戻りたがる男の物語。これは永遠のとっちゃん坊やマット・デイモンが得意とするタレ目の困り顔で好演しています。霊能者としての苦悩については、正直私達一般人にはどうでも良い話題なので(苦笑)、そこについてどうこうはありません。ただ、本作ではその「霊能力者としての苦悩」を「他人の事がわかりすぎてしまう男」「社会の中で疎外感を感じている男」という一般論に落としてきます。そこがとても素晴らしいです。特に中盤でてくるメラニーとのロマンス未満の理不尽な感じは「あるあるネタ」として私のようなダメ人間にはど真ん中に来ます。
「映画好きなんでしょ?」「いや好きだけど、変なのばっかり好きなのよね」「何が一番好き?」「あー。ショーシャンクの空にとかかな(←好きでもないのに無難な線を言う)」「じゃあこんど家のDVD見せてよ。」<家に来てゾンビ映画やらカンフー映画やらB級輸入DVDの棚を見られる>「あ、、、(絶句andドン引き)こういうの好きなの?」「まぁ嫌いじゃないかな、、、。」<そしてこの後映画の話題に触れられなくなる。>
Noooooo!!!!!!!!!!!!! あるある。超あるある。人生で3回くらいあるw そう、コレが霊能力に変われば本作のマット・デイモンパートのできあがりです。さすがイーストウッド!!!!
2つ目は不倫中のニュース・キャスターの話です。彼女はあの世を一瞬見た事でその光景に取り付かれてしまいどんどん惹かれていきます。こちらはやはりオカルト的な話についての世間の冷たい目を表現している、、、ように見えますが、こちらも一般論としての「私の言うことをちゃんと聞いてくれない彼」の話に落とし込めますw 「スペル(2009)」では主人公のクリスティンが何度「呪われた」と訴えても取り合ってくれなかった彼氏・クレイが「最後はちょっとだけ話を聞いてくれて、でも理解はしてくれない」という線に落とすわけですが、本作では全然理解してくれません。それどころか本作の彼氏は「なんだこいつ?イカれた?」みたいな感じで新しい女を作って捨てやがります。そこに「自分と同じ体験をした(=趣味を持つ)男」が現れて理解してくれるわけです。言うなれば「オタク結婚のススメ」。やっぱそうだよね。うんうん。それしかない。ゾンビ映画やカンフー映画が好きで、筋肉少女帯のアルバムを全部聞いてて、家に「かってに改蔵」が全巻そろってる女性じゃなきゃだめだよね。うんうん。わかるよ。わかる。さすがイーストウッド!!!!
3つ目は不慮の事故で双子の兄を亡くした少年の話です。少年は「もう一人の自分」とも言える兄を失ったショックから立ち直れず、兄の遺品を常に身につけて霊能力者達を訪ね歩きます。言うなれば「失われてしまった古き良き青春を追い求め続ける」話です。そう、私達は「昔の映画ってよかったよね。」「アメリカ映画はやっぱ1940年代までだよね」とかつい懐古主義に走ってしまいがちですが、70年代にはロッキーだってあるし、80年代にはダイ・ハードだってあるし、90年代にはマトリックスがあるし、00年代には少林サッカーがあるんじゃないかと。過去に囚われたってしょうがないってことです。過去の名作は一旦置いておいて、今は前向きに「イップマン」や「KG カラテガール」を見ろって事です。わかる。わかるよ。さすがイーストウッド!!!

【まとめ】

ということで、本作は見ている間中は涙が止まらない傑作です!!! そりゃ雰囲気だけかも知れませんし、そもそも「霊能力ってそういう事なのか?」とか言う気もチラっと頭をよぎります。「死後ってさぁ」とか「オカルトってさぁ」とか考え始めると、確かに安っぽいヒューマンドラマに見えてしまうかも知れません。しかしですね、この霊能力を一度「自分が持ってる変わった趣味」と言う風に置き換えられると、もう涙が止まりません。
一風変わった趣味を持っている方には自信を持ってオススメできる作品です。劇場で泣いてらっしゃい!!!! オススメです!!!

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冷たい熱帯魚

冷たい熱帯魚

今日は新宿で3本です。一本目は今更ですが

冷たい熱帯魚」を見ました。

評価:(75/100点) – でんでんは最高 !


【あらすじ】

社本信行は富士郊外で熱帯魚店を経営している。最初の妻を亡くし、一人娘・美津子はグレ、後妻の妙子ともあまり上手くいっていない。
ある日、夜御飯の途中で飛び出していった美津子が万引きをしたとの連絡が信行の元へ来る。急いで妙子と共にスーパーマーケットへ向かった信行は、店長へこっぴどく叱られる。すると、そこに近くで熱帯魚店を経営しているという村田幸雄が現れその場を丸く収めてくれた。そのまま成り行きで村田の熱帯魚店を見学した社本一家は、どんどん村田のペースへと巻き込まれ、やがてにっちもさっちも行かなくなってしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 社本一家と美津子の万引き。
 ※第1ターニングポイント -> 吉田の死。
第2幕 -> 村田のビジネス。
 ※第2ターニングポイント -> 村田の死。
第3幕 -> 社本の逆襲。


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【感想】

今日は3本見て来ました。1本目は冷たい熱帯魚です。今月頭にちょくちょくレイトショー狙いで新宿テアトルに通っていたのですが、ずっと立ち見ばっかりで見逃していました。公開から1ヶ月経って拡大ロードショーが始まったからか、そこまで混んではいませんでした。
随所でかなり感想が出そろった感がありますので、細かい所を抜かして要点だけさらっと書いてしまいます。
個人的には本作は「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」以上、「愛のむきだし」未満って感じです。キャラクターはどなたも最高に切れてますし、役者はどなたも最高にすばらしいです。特に誰しも言うことですが、でんでん演ずる村田幸雄はいろんな意味でちょっと他では見られないくらい切れてます。激情的に捲し立てたかと思うと突然優しげになったり、本当に嫌な意味での「あるあるオヤジ」の村田は存在感抜群です。このキャラクターを作っただけで勝ちかなという気はします。
ただ逆に言うとこのキャラだけかなという印象もあります。もちろんそんなことは無いですし、社本の成長(?)物語にも見えます。ヘタレな社本が村田という暴力的な男性に感化されて”男らしさ”を獲得するも結局そんなことではどうしようも無いという、、、そういう風にも見えます。でもそういう全部を吹き飛ばすぐらい村田が濃すぎるため、どうしても村田が退場した後のがっかり感というか失速を感じてしまいました。
2時間半の長い映画ですが、すくなくとも途中で飽きることはありません。かなり高いテンションで見ることができます。ですがそこまで万人にお勧め出来るかというとちょっと微妙だと思います。そこまで言うほどでもないですがグロい事はグロいです。とはいえ、でんでんさんには是非賞を獲って欲しいので小声でオススメします。

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パラノーマル・アクティビティ2

パラノーマル・アクティビティ2

土曜の2本目は懲りずに

パラノーマル・アクティビティ2」を観てみました。

評価:(4/100点) – 前作より悪化しとるやないか!!!


【あらすじ】

ダン・レイの再婚した妻・クリスティは息子・ハンターを授かった。最初の妻との娘・アリとの四人家族で暮らすダンは幸福な子育てをしていく。ハンターが育ってきたある日、ダンの家では奇っ怪な現象が起こり始める、、、、。


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【感想】

土曜の2本目は「パラノーマル・アクティビティ2」です。「パラノーマル・アクティビティ」シリーズはこの一年で3本目ですが、若い学生中心で大変入っていました。いかにも普段映画を見ていないというような客層でしたので、アトラクション的な目当てのお客さんでしょうか。予告が始まっても携帯電話で話してる奴とか、本編始まってもずっ~と雑談している奴とか、最近はなかなか見ないくらいのモラルの低さですw まぁ配給会社からすれば本作のメインターゲットは間違いなく彼らでしょうから、そういう意味ではど真ん中にきちんと届いているのではないでしょうか?
駄目な点は「パラノーマル・アクティビティ」「パラノーマル・アクティビティ第二章/TOKYO NIGHT」と一緒ですからそちらを見ていただくとして、本作ではさらにそこから悪化していますw
前作からの決定的な違いは、ついにカメラが複数の防犯カメラになった点です。もはやフェイクドキュメンタリーとしてハンディカムを持つという体裁が崩壊していますw 複数の固定カメラで庭やら居間やら寝室やら玄関やらを撮った結果、明確に制作者の意図がでてしまっています。冷静に考えてみて下さい。ある家があってその各部屋に固定カメラがあるという状況は、これそのまんま撮影所のセットとカメラの関係そのものですw
なのでカメラが切り替わればそれは普通の映画の編集と同じ事なので、なにかあるに決まってます。コレに合わせて相変わらず「ブーーーーン」という重低音で「いくよ、いくよ、いくよ、いくよ、、、、、、ガシャーン!!! キャーーーー!!!!」という馬鹿の一つ覚えを続けてきますので、どんどんどうでも良くなっていきます。無駄に前作との関係を持たせようとしていますが、ファンサービスにすらなっていないような適当な設定なので気にしない方が良いです。しかも、本作で前作でケイティが呪われている理由を提示してしまった結果、このシリーズが「特殊な姉妹の特殊な話」になってしまいました。Jホラーでは状況を限りなく一般化することで、観客の身にも起こるかも知れないという恐怖を見せます。ところが、本作によってこのシリーズは「特殊な人の話」になってしまいましたから、全然怖くありません。前作も怖くは無かったですが、それに重ねて本作は前作のかろうじてあった設定すらぶちこわしています。
本作で唯一の救いは前作では顔が残念だった被写体に若い女の子(=アリ)が追加されたことです。逆に言うと、それ以外はどこも進歩がありません。見た方が悪いので、無かったことにしましょう。

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洋菓子店コアンドル

洋菓子店コアンドル

土曜も2本です。1本目は

「洋菓子店コアンドル」です。

評価:(65/100点) – 酷い話なのに説得力がハンパ無い。


【あらすじ】

鹿児島で実家のケーキ屋を手伝う臼場なつめは、恋人の海千尋を追って上京してきた。海が働く中目黒の洋菓子店・コアンドルを訪ねたなつめだったが、海はたったの2日で辞めてしまっていた。行くところの無くなったなつめは、コアンドルに転がり込み住み込みのバイトを始める。
彼女の一流パティシエへの道が始まった、、、。

【四幕構成】

第1幕 -> 臼場なつめの上京
 ※第1ターニングポイント -> なつめ、コアンドルのバイトになる。
第2幕 -> なつめ、海君を捜す。
 ※第2ターニングポイント -> なつめ、海君に振られ恋より仕事を選ぶ決意する。
第3幕 -> コアンドルのチャンスと十村の苦悩。
 ※第三ターニングポイント -> 十村、立つ。
第四幕 -> 復活のコアンドル。


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【感想】

土曜の1本目は「洋菓子店コアンドル」です。若い女性同士の二人組と中年夫婦が多く、客席はそこそこはいっていました。監督は深川栄洋。当ブログでは「半分の月がのぼる空」「白夜行」に次いで3本目です。
本作は「洋菓子店コアンドル」を舞台に描かれるソープオペラです。作品全体に明確なゴールは無く、前半と後半でまったく別のストーリーが描かれます。なので、実は昨年の「ハナミズキ」と同じように本作もテレビドラマ2話分の構成です。時計を見ていたところちょうど60分で話が切り替わりましたので、意図的にドラマ形式で構成していると思います。前半はなつめが自分を置いて上京した海君を追う物語。後半は天才パティシエ・十村のトラウマ回復話です。
個人的に私はこの作品がかなり好きです。その前提で「なんでこんな酷いストーリーの作品が好きなのか」という所で擁護方向で書きたいと思います。

この話、酷くね。

ということで、まずは客観的なところから悪口を書いていきますw
本作の何が酷いって、それはもう主役のなつめがクソアマ過ぎる所です。この女、自分勝手過ぎ。それもオマエはアスペルガーかっていうくらい他人の感情にずかずかと土足で入り込みすぎ。
これは全編通じてのことですが、なつめは全ての人から甘やかされています。コアンドルのオーナーシェフである依子は田舎からポっとでのなつめを住み込みで働かせてくれます。常連の芳川さんは、なつめの事を目に掛けてくれます。同僚の佐藤マリコはぶっきらぼうながらも、なつめの至らない部分を注意してくれます。
そういった最高な環境の中で、なつめはやりたい放題に暴走します。自意識過剰で逆ギレも当たり前な彼女は、最初から最後までかなり最低な女です。この作品中でケーキ作りの腕は上がっているかも知れませんが、人間的にはどんどん調子に乗って手が付けられなくなっています。
仕事中にサボるのは当たり前。店の材料を横領するのも当たり前。職場の雰囲気を壊すのも当たり前。二日酔いで厨房にも立ちます。でも腕前は半人前。ふつうのオーナーなら即日解雇ですw ところが依子さんはまるで自分の子供のようになつめを可愛がってくれます。こんな仏のような依子さんをして「あんな奴の行き先なんて知らない」と言わしめた海君はどれだけ社会不適合な最低男なんでしょうかw
一方で、本作のストーリーはこのなつめの強引さを引き金にして物語が転がっていきます。なつめがマリコに逆ギレしなければ海君は見つかりませんでしたし、なつめが十村を無神経に挑発しなければ十村はいつまでも立ち直れませんでした。結果オーライとは言いたくないですが、本作の構造はなつめの暴走からストーリーが始まるようになっています。
前述の通り本作はテレビドラマのフォーマットですから、たぶん連ドラでは毎回冒頭10分でなつめが問題を起こしてそこから物語が始まるんでしょう。そう考えると、物語の構成としては無しではありません。

それでも嫌いになれない理由。

個人的になつめのような女性は無理ですが(苦笑)、それでも私はこの映画が好きです。それはひとえに映画としての圧倒的な説得力です。本作を見ていて、私は深川栄洋監督の演出が好きだと確信しました。見ている間に「半分の~」を見たときの記憶も蘇ってきたのですが、この監督はカットの切り取り方と音楽の使い方が上手いです。最近の日本映画は音楽をむやみやたらに使おうとします。先日の「あしたのジョー」なんかは顕著ですが、始終BGMが鳴っていて細かい環境音が全然聞こえません。ところが本作では食器の当たる音や、クリームをかき回す音、果てはケーキを食べるときの「クチャ」としたちょっと汚い口を開く音までも聞こえます。映画慣れしていない監督は音楽をずっと鳴らしていないと不安になる傾向があるようですが、映画の観客は暗い中で集中力が上がっていますから、そんなこってりクオーターパウンダーみたいな演出は体に良くありません。
それに加えて、特に室内のシーンではあまりカメラを揺らしません。同じフレームで焦点深度を変えることで客の視点を誘導したり、俳優の顔以外を映して感情表現したりします。本作で一番カメラが揺れるのはなつめが十村を説得しにマンションの廊下に押しかける場面です。そことなつめとマリコの喧嘩シーン以外はほとんど揺れません。当たり前の事ではあるのですが、こういう基本に忠実な演出はとても映画的に説得力があります。
一方で、おそらく深川監督のクセなのでしょうが、「ここで泣け!」という場面ではピアノのBGMに併せて俳優の泣き顔を堂々と映します。この安っぽさは「半分の月~」でもありましたし「白夜行」でもありました。捻くれている私はこういう演出で逆にテンションが下がります。でも他の作品達を考えれば、このぐらいは可愛いものです。ただ十村が玄関で泣くシーンは最後背中の引きショットで終わりますから、やれば出来るはずなんです。監督のインタビュー等当たって見ないと分かりませんが、もしかしたらワザと分かりやすさを重視して安っぽく撮っているのかも知れません。
雰囲気映画といってしまえばそれまでですが、見ている間に一口も飲み物を飲まないぐらい画面に引き込まれました。

【まとめ】

調子に乗ってる自己中な女の話ですから、一般的にはあんまりオススメできるものではありませんw ただ個人的には好きですし、DVDが出たらもう1回は見たいぐらいのテンションです。映画はストーリーだけでは成立しないですし演出だけでも成立しません。でも、見た目の部分だけでも説得力ある撮り方をしてもらえれば、どんなに酷い話でも少なくとも腹は立ちにくいですし十分に集中して見ることが出来ます。ちょいちょいなつめの言動に「あ~ん?」と引っ掛かる部分はありますが、120分楽しく見ることが出来ました。こっそりとオススメします。
※書いてて気付いたんですが、これもしかして毎年必ずある「バレンタインムービー」でしょうか? カップルで行くのは絶対止めた方が良いです。見た男は十中八九、蒼井優が嫌いになりますし、過去に彼女にイラっとした記憶が鮮明に蘇ってきますw

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幸せの始まりは

幸せの始まりは

金曜の2本目は

「幸せの始まりは」です。

評価:(35/100点) – 標準的なラブコメ


【あらすじ】

リサは全米代表のソフトボールプレイヤーである。チームのムードメイカーであった彼女は、31歳という年齢を理由に新しいチームから外され引退を余儀なくされてしまう。生き甲斐を失ったリサは普通の女の子のように結婚して子供を産むという幸せが想像出来ずにいた。優しいけれどもプレイボーイのマニーはナショナルズのピッチャーで給料も申し分無い。しかしどうしてもすれ違いを感じてしまう。
ある日、お酒の席で友人に「アスリート以外の人と付き合いたい」と言ったことから、友人の紹介で投資会社の御曹司・ジョージと出会う。しかしジョージは会社の不正取引で裁判所に召喚されるなどトラブルまっただ中だった、、、。


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【感想】

土曜の2本目は「幸せの始まりは」です。最新あまり人気のないラブコメジャンルなので、本作もあまりお客さんが入っていませんでした。中高年の夫婦・カップルが中心で、若い人はほぼ私のみというような客層でした。監督は「愛と追憶の日々」でアカデミーを獲ったほぼラブコメ専門家ジェームズ・L・ブルックスです。
あんまり書くこと無い類の映画なのでさらっと流しますw 本作は主人公的な女性リサが「人生絶頂の金持ちプレイボーイ」と「人生どん底でs財産を失った真面目な好中年」の間で揺れ動きます。言うなれば「真面目さとお金のどっちを選ぶ?」という昔ながらのストーリーです。でまぁ、それを道徳的な手続きで描いていくわけです。全然問題ない内容です。つまらなくもなく、でも面白くもなく(苦笑)。
ただ本作を見ていると少し物足りなさを感じるのは確かです。というのも、本作の大部分が雰囲気のみで過ぎていくからです。リサが自分勝手過ぎるというのもあるんですが、あまりにもジョージに降りかかる災難が内容の割に軽く流されすぎですし、マニーの優しさやジョージの父チャールズの卑怯さも流されすぎです。
極端な事をいってしまえば、キャラの配置をみればどう考えてもリサとジョージが最終的にくっつくのはわかりきってるわけですから、その過程を観客は見に来ているわけです。それが普通に仲良くなって普通にくっつくのって、映画として1,800円払ってどうなんだろうっていうのはちょっとあります。最後にでてくるジョージが選択しなければいけない問題も、常識的にも家族愛的にもどうかと思う悩みなのでいまいち感情移入できませんでした。
リース・ウィザースプーンは可愛いですし、ポール・ラッドの困り顔もオーウェン・ウィルソンの間の抜けた顔も最高です。その分、ちょっと勿体ないかなと思います。
とはいえ良い湯加減の作品ですので、カップルで適当に時間をつぶすには最適だと思います。

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あしたのジョー

あしたのジョー

今日も今日とて2本です。1本目は

「あしたのジョー(2011年版)」に突撃です!。

評価:(13/100点) – これは断じて「あしたのジョー」では無い。


【あらすじ】

時は高度経済成長期の日本。ドヤ街に流れ着いた矢吹丈はヤクザと喧嘩をし逮捕されてしまう。前科たっぷりの丈は刑務所へと収監される。刑務所内でも喧嘩の絶えない丈は、ある日食堂でのいつもの喧嘩でプロボクサーの力石徹に伸されたことから心を入れ替える。階級を超えた打倒・力石の戦いが始まる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 丈の喧嘩と刑務所
 ※第1ターニングポイント -> 丈と力石の刑務所マッチ。
第2幕 -> 丈の出所とプロデビュー。
 ※第2ターニングポイント -> vs力石開戦。
第3幕 -> 矢吹丈vs力石徹
 ※第三ターニングポイント -> 力石の死。
第四幕 -> エピローグ。


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【感想】

本日の1本目はおそらく上半期一番の(ニヤニヤ視点での)注目作、「あしたのジョー」です。客席は大半が若い女性とカップルで、いわゆる「梶原一騎世代」のおじさんはほとんどいませんでした。今のティーンエイジャー女子が「あしたのジョー」を読んだ事があるかはよくわかりませんが、ジャニーズファンが大挙しているということなのでしょう。監督はCGアニメーターの曽利文彦。脚本は人間描写とストーリー構成が苦手でおなじみの(苦笑)、TBS外注脚本家・篠崎絵里子です。
私は「あしたのジョー」が大好きなので、ちょっと長くなります。ですので先に結論だけ。
この映画は「あしたのジョー」として見なければ、せいぜい出来が微妙なジャニーズタレント・アイドル映画としてスルー出来るレベルです。積極的に見るレベルではないですが、怒りを呼ぶほどの出来でもありません。CGが下手くそで、無駄なスローモーションを多用していて、音楽が五月蠅くて、顔のドアップと棒読みが多い、標準的なテレビ屋映画です(苦笑)。
ただし、、、、、ただし、、、、、これを「あしたのジョー」だと思って見た場合どうしても「ハァ(呆れ)」みたいな溜息が多くなります。それはあまりにも脚本家が「あしたのジョー」を分かってないからです。

前提: なぜ「あしたのジョー」が最高に燃えるのか。

私は20代後半ですので当然「梶原一騎世代」ではありません。最初に梶原一騎に出会ったのは中学に入ったときで、学校の図書館にあった「巨人の星」「新巨人の星」でした。今調べてみたら、1980年代後半に刊行されたサンケイコミックス「梶原一騎傑作全集」版です。そのあまりの面白さに衝撃を受け、「あしたのジョー」や「タイガーマスク」を買いました。これがきっかけで「ドカベン」や「アパッチ野球軍」なんかに流れていってます。
さて、もう30年以上語られていることですが、「あしたのジョー」の魅力とはなんでしょうか? なぜ「あしたのジョー」は世代を超えて私のような若造の目頭までも熱くさせるのでしょうか?
簡単に二点だけ挙げます。一つはこれが「人生の負け犬・持たざる者が努力と根性でエリートを倒していく話」だと言うこと。もう一つは「全精力を注いだ男達の”青春の一瞬の輝き”を描いていること」です。

前提: テーマその1: 「持たざる者」の戦い

ジョーが孤児でグれている状態から物語は始まります。彼はたまたまドヤ街に流れ着き、そこで自分の居場所を獲得していきます。親のように愛情を注いでくれる丹下段平。自分を心配してくれる紀ちゃん。そして少年院のお山の大将で盟友の西。彼らは全員が人生の落伍者であり、その悲しみと反骨心と夢をジョーは一身に背負います。
そして彼は生き甲斐であるライバル・力石徹とそのパトロン・白木葉子に出会います。葉子は財閥のお嬢様で世間知らずの典型的な上流階級で、ことある事に丈と力石の間に入ろうとします。一方の力石は無敗のエリートであり、金持ちの彼女(=葉子)までおり将来を100%約束された人間です。
この「持つ者」と「持たざる者」の対立がそのまま「あしたのジョー」のテーマの一つになります。題材もそのままに、明らかに「ロッキー」に影響を与えています。

前提: テーマその2: 「青春」の持つ爆発力と儚さ

そしてもう一つのテーマが「青春」です。ジョーが決戦を前にして紀ちゃんと交わす有名なセリフがあります。
おれ、負い目や義理だけで拳闘をやってるわけじゃないぜ。拳闘が好きだからやってきたんだ。紀ちゃんのいう青春を謳歌するってこととちょっと違うかもしれないが、燃えているような充実感は今まで何度も味わってきたよ…血だらけのリング上でな…。そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない…。ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る…燃えかすなんか残りやしない…。まっ白な灰だけだ。そんな充実感は拳闘をやるまえにはなかったよ。わかるかい紀ちゃん。
これが「あしたのジョー」の2つめのテーマです。丈の年齢は不詳ですが、少年院やプロライセンスを取得したことを考えるとラストマッチでもギリギリ20歳前後ぐらいです。彼は20歳にして、人生のドン底を味わい、ライバルを(事故とはいえ)殺し、そして全てのドヤ街の希望を背負うんです。この濃密すぎる時間を紀ちゃんに「普通じゃない」と言われたときの答えが上記のセリフです。丈はあまりにも残酷であまりにも劇的な運命に襲われながらも、本人はそれを「青春」として納得しているんです。彼は20歳そこそこにして「まっ白な灰」になるために死に場所を求めます。
これこそが「青春」という言葉の持つ、一瞬で過ぎてしまう儚さと、若いからこその無謀さと、そして「大人になったら自殺しよう」と本気で決めてしまえるような圧倒的な充実感です。後から考えると滑稽な事でもあるのですが、この青春の光と影を「あしたのジョー」は完璧に描ききっています。
「あしたのジョー」の評論は星の数ほどでていますので気が向いた方は是非そちらを当たって見て下さい。大切なことは、「あしたのジョー」は普遍的なテーマを2つも盛り込んだ上で完璧にまとめ上げているということです。

本題: この実写版ってさぁ、、、、、、

相変わらず2000字近く書いてからの本題ですw
本作で描いていることは原作「あしたのジョー」のテーマとはまったく別のものです。
本作では2つの物語が並行して描かれます。そのそれぞれが上記の前提で書いたことを「表面だけなぞっているように見せかけて、実は全然関係無い」という凄い事になっています。
この映画版では白木葉子はドヤ街の孤児院出身ということになっており、その経歴のコンプレックスからドヤ街を再開発でつぶそうとします。劇中ではその再開発の現場で明確に「ドヤ街の連中vs葉子」という対立が描かれます。一見すると「持つ者と持たざる者の対立」に見えないことも無いのですが、実際にはこれは「白木葉子個人の物語」であり普遍的なものではありません。白木葉子という一人の人間のコンプレックス克服物語なんです。ものすごい矮小化されています。ポスト・エヴァンゲリオンの「セカイ系」に良くみられる症状ですw

一応さらっと俳優に触れるならば、伊勢谷友介と香川照之は(意外にも)大変よかったです。特に香川さんについては予告を見て失笑していたことを全力で謝罪いたします。いや、良い仕事をされていました。普段はどうかと思う大袈裟でわざとらしい演技も、劇画の勢いを表現するにはぴったりです。意外な食い合わせです。
そして伊勢谷さんもグッドシェイプで非常に素晴らしかったです。雰囲気だけは本当に良かったです。最近の日本ではあんまりメソッド演技をする俳優さんはいないんですが、今後もかなり期待できると思います。メソッド演技をやる場合どうしても本気で演じられる本数が限られます。できれば出演作品は吟味して戴いて、良い映画を見せて欲しいですw
その対極で評価だだ下がりなのは山下智久と香里奈です。この2人は演技以前の問題。お遊戯会か。山下さんは伊勢谷さんと同じく減量して撮影に臨んだそうですが、大事なのはそこではありません。減量は役作りの一部であり、それによってキャラクターを自分と一体化させるためのプロセスにすぎません。酷い棒読みな上、感情表現もわざとらしい顔芸だけでは話になりません。役者は目指さずに歌ものアイドル一本で行った方が良いと思います。香里奈は、、、もういいっす。美人だとは思うけど全然進歩しないし。白木葉子の持つ優雅さがどこにもないし。あと土下座の仕方が汚いw

【まとめ】

ということで相変わらずウダウダと書いてきましたが結論は前述の通りです。原作のファンはおそらく制作者の想定するターゲットに入っていませんので(苦笑)、なかったことにした方がよさそうです。山下智久のファンが見に行って彼の上半身裸にムハムハいって悶えてればいいんじゃないですか、別に。
実はこういう映画が一番困ります。繰り返しますが、単体の映画としてはそこまで無茶苦茶酷いわけではありません。お遊戯会レベルではありますが決してボロカスに叩くレベルではありません。怒りも悲しみもない諦めの死んだ目で2時間10分を過ごしましたw
ジャニーズファンニカギリオススメデス(棒読み)。

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記事の評価
ジーン・ワルツ

ジーン・ワルツ

今日は一本、

「ジーン・ワルツ」を見てきました。

評価:(5 /100点) – 「久広の件ってどうなった?」「知らね(´・ω・`)」


【あらすじ】

帝華大学病院で産科医として働く曾根崎理恵は、師の三枝茉莉亜が経営するマリアクリニックとの二足の草鞋を履いていた。ある日、同僚の三枝久広は帝王切開で医療ミスを犯し逮捕されてしまう。ただでさえリスクの伴う帝王切開手術で、診断の限りなく難しい合併症を見抜けなかったからといって逮捕されてはたまらない。理恵はこれを機に大学病院をやめマリアクリニック一本に尽力し、町医者からの医療改革を目指す。
一方、理恵と久広と共にマリアクリニックで育った清川吾郎は、帝華大学の教授を目前にして理恵の動きに困惑していた、、、。


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【感想】

本日は「ジーン・ワルツ」を見て来ました。「チーム・バチスタ」シリーズの海堂尊原作で、そのネームバリューか中年の方でそこそこ劇場は埋まっていました。監督は大谷健太郎。ぴあフィルムフェスティバル出身の監督ですが、正直お世辞にも職人や作家性のあるタイプではありません。

そもそも論1: ドラマが無い。

この作品を考える上で一番致命的なのは、そもそも「ドラマ」が無いことですw 本作には作品として「語りたいゴール」がありません。
本作の冒頭では、久広が医療ミスにより逮捕され、その影響で全国の産婦人科医達が急患の妊婦を受け入れ拒否したり産婦人科を廃院したりします。これを受けて、理恵は「安心して子供が産める環境」を作るためにマリアクリニックで孤軍奮闘しようと誓います。
一方、清川吾郎は大学病院で教授になって権力を持つことで、産婦人科学会での発言権を強めて上記の問題の解決に当たろうとします。
作品の最初の30分ほどでは、この問題提起がなされます。
しかしそれとは別に、マリアクリニック院長の茉莉亜が死にかけており、現在来院中の4人の患者を持ってマリアクリニックを一旦閉鎖するというストーリーが語られます。こちらでは「無脳症により生んでもすぐ無くなってしまう子供」「気軽に堕胎したいヤンキー娘」「5年の不妊治療を経てやっと妊娠した中年カップル」「代理母出産をする50代の女性」というモロにステレオタイプな患者達の「お涙頂戴ストーリー」です。
こちらのパートでは、代理母出産の倫理的問題を提起していたような気がしないでもありませんが、雰囲気で流れていくので特に明快なメッセージはありません。強いて言えば「生みたい女性が生める世の中」というのがキーワードでしょうか。
本作では、前半は前者の産婦人科の問題が語られますが、後半はただ後者の患者達のオムニバスになっていきます。そして前者については、問題提起をしただけで特に何もおこりませんし何も解決しません。逮捕された久広にいたっては冒頭以降出てきませんw 面会にすら回想で一回しか行きませんw
つまり、そもそも映画としてストーリーが組み立てられていないのです。普通に考えれば前半に問題提起した「安心して子供が産める環境」を巡って作品が転がっていくわけですが、それは雰囲気として忘れ去られてしまうからです。
恐ろしい事に、後半からクライマックスにかけての盛り上がりはまるでドタバタコメディのようです。何せクライマックスを引っ張るのは「三人の妊婦が同時に産気づいた」「台風が来て手術室の窓が割れ、さらに停電になった」という爆笑ものの安っぽい舞台演出です。これは医療問題とはまったく関係がありませんw ここだけ見るとこの映画のテーマが「町医者の設備的な問題」にしか見えませんが、そんな事はクライマックスまで一回も出てきません。話の運びが無茶苦茶です。
最後はなんとなく良さ気な雰囲気に着地しますが、実際には何の問題も解決していないのでお先真っ暗ですw

そもそも論2: 「出産」という「記号的な感動シチュエーション」に頼りすぎ。

本作を見ていてカチンとくるのは(苦笑)、作品が面白くなる勝算を「出産」というシチェーションに100%依存しているからです。当たり前の事ですが、出産シーンをやられればある一定の「感動的なシーン」には自動的になります。それは演出がどうとか脚本がどうとかいうことではなく、人間の反射神経みたいなものです。極端な話、何の背景もしらなくても、テレビ番組で妊婦の出産シーンがながれれば「感動的な雰囲気」にはなります。それは妊婦に感情移入しているからではなく、「出産」というイベントが持っている普遍的な感動誘発力です。
本作ではこの力に頼りすぎています。ストーリーをロクに語ることなく、記号的表現としての出産でもって観客は感動するはずだという確信がスクリーンから滲みでています。この出産の使い方には心底嫌気が差します。産科医を社会問題として取り上げて起きながら、出産に対するリスペクトがまるでありません。

そもそも論3: 代理母出産の問題を舐めすぎ 。

本作の中盤から後半にかけて提示される代理母出産は、非常にデリケートな問題です。本作のケースは明らかに2006年に実際にあった「諏訪マタニティークリニック」による不妊の娘が実母を代理母にして子供を作ったケースを元にしています。私はこの問題についておおっぴらに語れるほど勉強していませんので、一般的な代理母の問題については是非興味を持った方は文献を当たって見て下さい。
ただ少なくとも、本作における扱いは「子供が作りたいのだから代理母出産で作って何が悪い。」「私は医者だから技術的にもそれが出来る。」という非常にエゴイスティックな話になっていますし、さらには最終的に「代理母出産を秘密にする」という行為によって、作品内での社会への問題提起を理恵は意図的に行っていません。つまり、「自分は医者だから代理母出産出来るけど、一般の人は知ったことではない」という凄く酷い所に着地するわけです。
作品内での理恵は「産婦人科医会という硬直した旧体制から飛び出して独力で一般の人に奉仕しようとする仏のような革命児」という扱いを受けるわけですが、実際には自分の子供をこっそり作るためだけに大学病院を辞めているように見えます。こういったデリケートな問題を中途半端に扱うぐらいであれば、いっそのこと扱わない方がマシです。不誠実すぎます。

【まとめ】

実はこのブログ記事を書くに当たって一番苦労したのは最初の「あらすじ」部分です。なにせドラマがありませんから「あらすじ」の書きようがないんです。上映時間は110分と比較的短めですが、体感では2時間半くらいに感じます。それぐらいストーリーが無くまたいちいちカチンとくる描写が続きます。
あんまりオススメできませんので、無かったことにしましょうw
本作で唯一良かったところはオープニングの遺伝子→染色体→細胞核→細胞分裂→幼生と移りゆくCGです。このオープニング映像だけは素直にワクワクしました。白組は作品に関係無く本当に良い仕事をします。ですので、もし見に行ってしまった方は、オープニングで席を立つのをオススメしますw

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