パリより愛をこめて

パリより愛をこめて

今日は一本です。

ピエール・モレルの「パリより愛をこめて」を観てみました。

評価:(75/100点) – ストーリー? 何ですか、それ?(笑)


【あらすじ】

ジェームズ・リースはCIAの見習いとしての顔を持つ、優秀な在仏アメリカ大使補佐官である。ある日、彼はCIAから麻薬捜査で送り込まれた来たパートナーのワックスと出会う。ワックスはそのはちゃめちゃで強引な捜査方法でリースを振り回していくが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> リースの仕事風景
 ※第1ターニングポイント -> リースがワックスと出会う。
第2幕 -> 対麻薬組織の捜査
 ※第2ターニングポイント -> ワックスがアジトを壊滅させ、資料を提出する。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

本日は1本。ヨーロッパ・コープ期待のピエール・モレル監督の「パリより愛をこめて」です。昨年の「96時間」がかなり分かりやすい勢い重視のアホ・アクション映画だったため、本作もかなりの期待を持っていました。昼の回でしたが観客も5割ぐらい入っていまして、アクション映画にしてはそこそこ盛況でした。
本作を一言で言ってしまうと、「いつものヨーロッパ・コープの大味アクション映画」です。しかしやはりそこはピエール・モレル。とても早いテンポでサクサク進むため、いわゆる間延びとか飽きるといったことはありません。爽快感という意味ではかなりのものがあります。その時点で細かい事を気にしなければ全く問題ありません(笑)。ドッカーン!! チュドーン!!! エンドロール。
なので、勢いに乗ったもん勝ちです。
ところが、やはりそこはリュック・ベッソン。まったく期待を裏切らない超B級で超適当な脚本が全開です(笑)。
ヨーロッパ・コープのお約束としてマフィアはみんな中国・中東系ですし、敵は目的不明のテロリストです。たぶん映画を見終わった方が真っ先にひっかかると思うんですが、そもそも敵の新興宗教っぽい奴らが何をしたいかさっぱり分からないんです。っていうか構成員が二人しか出て来ないので、団体自体がよく分かりません(笑)。まさか教祖と唯一の信者って事は無いと思うのですが、にしても雑過ぎます。早い話が、ストーリーなんてどうでもいいんです。本作でやりたいのは、格好良い超人・ジョン=トラボルタとへたれなジョナサン・リース・マイヤーズのホモ・ソーシャル的なバディ感だけです。だから脚本はものっすごい適当です(笑)。
実際に、肝心のジョン・トラボルタはメチャクチャ格好良いです。まぁ「サイエントロジー信者のトラボルタを使って敵が新興宗教ってマズくないかい?」とかちょっと思うんですがOK、OK。
一応指摘をしておけば、本作の「From Paris with Love」というタイトルは100%間違いなく007映画の二作目、「From Russia with Love」を意識しています。「ロシアより愛をこめて」は、冷戦下のロシアにおいてジェームズ・ボンドにスパイとして送り込まれたタチアナが、本気でボンドに恋をしてしまい愛国心と恋との間で揺れ動くというアクション・ラブストーリーです。未だに私は007シリーズの中で一番好きだったりしますし、ボンドガールではダニエラ・ビアンキが一番好きです。では本作はどうかと言いますと、プロット自体は違うものの、やはり恋と忠誠心で揺れ動く女性と言う意味では「ロシアより愛をこめて」を意識したテーマ設定になっています。ところが、、、やっぱり「ヨーロッパ・コープが作るとこうなる!」っていうぐらい大味であっさりとしています(笑)。全然いいんじゃないでしょうか? 本作ではどうしても恋愛部分よりもバディ・ムービーとしての要素が強く出ているため、正直な所あんまりラストはどうでもいいような気がします。あくまでも「男向けの爽快アクション映画なんで美女も出しときました」って感じの適当さでサクサクと進んで行きます(笑)。
ちなみにやはりリュック・ベッソンなので、ボンクラギャグも忘れていません。リースがスタートレック好きと分かったときのやりとり、「おまえスポックが好きなのか?」「いやウフーラだよ。」というジョン・トラボルタのゲイ疑惑を利用したメタ・ギャグは声出すギリギリで笑いました(笑)。こういう無駄なギャグを入れてくるのが、ベッソンのB級作家としての目配せです。やっぱ駄目だこの人(笑)。
余談ですが、横浜ブルグ13でワーナーブラザーズの方が鑑賞後アンケートを採っていました。アンケートの質問内容がすっごい適当で心配だったんですが、私はハッキリと断言します。ヨーロッパ・コープのアクション映画で大ヒットを狙うなら、きちんとB級であることを受け入れた上で「話は適当ですよ。でも楽しさは無類です!」という流れで宣伝するべきだと思います。だって良作のハリウッド大作だと思って変にハードル上がってたら、たぶんがっかりします(苦笑)。そうじゃない!!! 特に本作は重低音と銃声で100分間テンションを上げまくってくれる栄養ドリンクみたいな映画です。鑑賞後には爽快感以外は何にも残りません(笑)。でもそれをこそ見に行くんだから、おしゃれ押しなんて要らないと思うんです。

【まとめ】

本作は、頭をカラッポにしてみる勢い重視のバカ・アクション映画です(笑)。おそらく会社帰りでちょっと疲れていて軽くお酒が入っていれば超楽しめると思います。わりとポスターがおしゃれ系でまとめていますが、騙されてはいけません(笑)!!!
いつものヨーロッパ・コープが好きな方なら間違いなくど真ん中で楽しめますので、是非是非劇場でご覧下さい。
あ、鑑賞時にはポップ・コーンをお忘れなく(笑)。

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運命のボタン

運命のボタン

今日は「運命のボタン」を観て来ました。

評価:(2/100点) – オカルトは断じて逃げの手段ではない。


【あらすじ】

ある日の早朝に突如ルイス家の呼び鈴が鳴らされる。不審に思いながらもドアを開けたノーラの前には、小箱が置かれていた。その日の夕方、ルイス夫妻の元にアーリントン・スチュワードと名乗る男が現れ、1つの提案をする。小箱の中のボタンを押せば、ルイス夫妻には賞金100万ドルが贈られるからりに見知らぬ人がどこかで一人死ぬという。決して裕福とは言えないノーラは、悩んだ末に勢いでボタンを押してしまうが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ルイス夫妻に箱が届く。夫妻の日常。
 ※第1ターニングポイント ->ノーラがボタンを押す。
第2幕 -> 不審な人々と、アーサーによる捜査。
 ※第2ターニングポイント -> ウォルターが誘拐される。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今日は一本、「運命のボタン」を見てきました。原作はご存じホラー・SFの巨匠リチャード・マシスンがプレイボーイ誌に載せた短編「Button, Button」で、1986年にはマシスン自身の脚本で映像化(連続ドラマ・トワイライトゾーンのシーズン1・20話)しています。
実際には、原作の短編とトワイライトゾーンでは結末が違います。もちろんこの映画版もです。
原作の短編では、アーサーがボタンを押した時、夫が列車事故で死亡します。そして「あなたは本当に夫の事を知っていますか?」というオチが付きます。
一方、トワイライトゾーン版では、目に見えては何も起こりません。しかしスチュワードが「次はこのボタンをリセットして別の人に渡します。きっとその人はあなたのことを知らないと思いますよ。」と言い、アーサーが「やっべ。次は私が死ぬかも」って顔をして終わります。
どちらにも共通しているのは、「正体不明のオジさん」が「正体不明の箱」を持ってきて「良く分からないけど大金をくれる」という不気味さです。
それを踏まえた上で、では映画版はどうなっているかと言いますと、もはや完全に別物の単なる出来の悪いX-FILEもどきになってしまっています。昨日の「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」と同じ症状でして、要は「説明が無いからこその面白さ」「どうしようもなく下らない説明」を付けてしまった結果、「想像の余地が無くなってしまった」って事です。
しかもオカルト系の話にしちゃうとか、リチャード・ケリーが正気だとは思えません。オカルトって言えば何でも許されるわけではないんですよ。オカルトっていうのはしばしば「理屈が付かなくて当然の事」として適当なシナリオの免罪符に使われることがあります。つまり「ここの辻褄が合わないじゃないか!」というツッコミに対して「いやオカルトですから何でもアリです」と言い訳が出来ると思われているんです。オカルト・ホラー好きとして断言しますが、オカルトは脚本家の逃げ道ではありません。オカルト・ホラーにするのであれば、きちんとそれ以外の部分を丁寧に演出して説得力を持たせないと行けないんです。ハッキリ言って本作のシナリオはあまりにもずさん過ぎます。正直かなり腹が立っています。本作の関係者は本気でマシスンに泣いて土下座するレベルです。舐めてるとしか思えません。

【まとめ】

まったくオススメできません。こんな糞映画を見るぐらいなら、是非原作を立ち読みするなり、レンタルDVDでトワイライトゾーンを見るなりして下さい。
断言しますが、こういう有名原作の良さを全部消すような適当な映画を撮って、しかも米国内で赤字をだした監督は干されます。
暫くさようなら、リチャード・ケリー。「ドニー・ダーコ」だけは面白かったよ(苦笑)。

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9~9番目の奇妙な人形~

9~9番目の奇妙な人形~

二本目は

「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」を見ました。

評価:(15/100点) – あの短編が何故こんな無残に、、、。


【あらすじ】

布人形のナインが目覚めると、そこは荒廃した世界であった。そこで彼は自分とそっくりのツーと出会う。しかしツーは機械の獣に攫われてしまう。その後同じくウリ二つのファイブと出会った彼は、ツーの救出作戦を計画し実行に移すが、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ナインが目覚める。ツーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ナインがマシンを目覚めさせる。
第2幕 -> 打倒マシン。
 ※第2ターニングポイント -> ナインが目覚めた部屋で科学者のメッセージを見る。
第3幕 -> マシンとの決戦。


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【感想】

さて、本日の二本目はCGアニメ映画の「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」です。原題は単に「9」ですが、セレブカラオケ大会の「NINE」と紛らわしいということで変な副題が一杯ついてしまったという、公開前から災難な映画です(苦笑)。
夜の回でしたが、客席は5~6割ぐらいは入っていたでしょうか? 感覚的にはCGアニメでSFっていうとガラガラな事が多いので、もしかしたら「ティム・バートン制作」が結構なネームバリューになっているかも知れません。
本作は2005年にシェーン・アッカーが作った短編アニメ「9」(以下原作)をティム・バートンが気に入って出資を募り長編映画化させたという経緯があります。
でまぁいきなり結論を言ってしまいますと、原作の方が1億倍面白いです。正確に言うならば、原作の良かった点が全部消えています(苦笑)。
原作は10分程度の無声・ディストピアSFです。そして世界観の作り方が絶品です。とにかく無声ならではのヒリヒリする緊張感と、説明が無いからこそ想像する無限の物語可能性。なぜ布の人形が?なぜ機械獣が? そもそも人間は?
ディストピア(=ユートピアの逆。絶望郷)SFというのは、荒廃した地上が舞台となります。無限の荒野や崩れた廃墟が舞台となりますので、このジャンルのキーワードは「孤独」「疎外」「暗闇」「テクノロジーの残骸」です。実は原作にはこの全ての要素が完璧に備わっています。ところが、、、



本作ではナインがそもそも孤独じゃないんです。ナインには動く仲間達が一杯いますし、ちょっと恋愛っぽいニュアンスすらあります。これでディストピアSFとしては20点マイナス(苦笑)。
それに加えて画面も暗く無いし、テクノロジーの残骸もぜんっぜん効果的に使われません。ディストピアSFなんだから、銃弾をそのまま銃弾として使っちゃ駄目なんですよ!!! 彼らには鉄砲の概念は無いのですから「見たことも無い尖ったもの」として使って下さいよ!!! これでさらに20点マイナス。
決定的なのは、ナイン達が作られた背景や、この世界が崩壊した理由をベラっベラとセリフで説明してしまう点です。そこは言わなくて良いから!!! 何でもかんでも説明するのがファンサービスじゃないですし、作品価値の向上にはなりません。本作ははっきりと想像の余地が無いんです。これで30点マイナス。
そして物語に対してそもそも尺が長すぎます。80分でも長い。この話って、要は一体の敵を倒すだけなんですよ。敵倒すだけで30分も40分もかけてもらっても困ります。しかも結構あっさり倒されてしまいますし、、、残念!!!
正直言って、申し訳ありませんが褒めるところが見当たりません。
話として破綻しているというわけでは無いんですが、ただただワクワクしないというかセンス・オブ・ワンダーを刺激されないんです。断言しますが、この映画を見るくらいなら原作の短編を8回見たほうがよほど面白いです。

【まとめ】

ちなみに原作はコチラのYOUTUBEにありますので、是非ゆっくりご鑑賞下さい。
「9 By Shane Acker」
もしこの短編に点数を付けるとしたら、これはもう90点代はかたいです。



なんでこんな大傑作が、あんなになってしまったんでしょう(涙)。
「作品は尺を増やしたり説明を増やせばいいってものでは無い」という良い例だと思います。

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フェーズ6

フェーズ6

本日は新宿で二本観ました。一本目は

「フェーズ6」です。

評価:(25/100点) – 炭酸の抜けたコーラ。ソバの無い広島焼き。牛丼つゆだく牛肉抜き。


【あらすじ】

全世界が謎のウィルスに感染してほぼ死滅した世界。ブライアンとダニーの兄弟は、ガールフレンドのボビーとケイトを連れて4人でタートルビーチを目指していた。途中様々な人に会いながらも必死にビーチを目指す内、徐々に彼らは人間性を失っていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 4人とフランク&ジョディ親子との出会い。
 ※第1ターニングポイント -> フランクとジョディを置き去りにする。
第2幕 -> ウィルスから逃げる4人。
 ※第2ターニングポイント -> ブライアンが感染する。
第3幕 -> ダニーとブライアン。


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【感想】

さて、GWの最後は新宿で二本見てきました。一本目は「フェーズ6」です。
関東では「シネマスクエアとうきゅう」だけの公開ですが、その割には結構空いていました。レディーズデーだからなのか、ホラー映画にしては女性一人での来場もチラチラ見受けられまして、やはり若干とはいえ日本でもまだまだジャンル映画のニーズはありそうです。
本作を端的に表すならば「ゾンビの出て来ないゾンビ映画」です。まさに炭酸の抜けたコーラ。逆に言えば、ホラー映画が苦手だけどホラー映画の”フレーバー”だけちょっと味わいたいという微妙なニーズに応える映画です。微妙すぎる、、、。
本作は約90分の映画ですが、その間に起きる事は2つだけです。1つはひたすら「安息の地」に向けて必死に逃げるうちに段々と人間性を失って非道になっていく人間達の狂気の話。もう1つは全ての汚れ役を兄に押しつけて甘えていた弟・ダニーが、 遂に兄離れを果たして自立する話です。
そういった意味では、いわゆるゾンビ映画で起きる人間ドラマの部分は一通り網羅されています。唯一「恋人を助けるヒーロー」がありませんが、ミニマム規模だと考えればまぁ及第点でしょう。しかしですね、、、ゾンビ映画からゾンビを抜いてしまった結果、最も大事なドラマがごっそり抜け落ちてしまっているんです。
それは「襲われる恐怖」と「敵を倒すカタルシス」です。要は敵が出て来ないわけですんで、明確なカタルシスがまったく無いんです。
本作では「タートルビーチに着いてパンデミックが沈静化するまで待つ」のが最終ゴールとして設定されています。ただコレに根拠は全くありません。あくまでも記号としてしか使われていないんです。つまり本作の監督・脚本家は別に結末を描くつもりが無いんです。あくまでもその過程における「非人間的な行為」に対して、「そこまでして生き残る虚しさ」みたいなものを情緒的に表現しようとしています。
でもそれって本来ならばゾンビ映画の要素の一部分でしか無いわけです。ゾンビ映画の名作達がそれでも名作たりえるのは、その人間的な葛藤がありつつも一方で明確な「敵から逃げ、敵を倒す」というエンターテイメント的カタルシスがあるからです。本作ではそこがすっぽり抜け落ちてしまっているため、結果としてなんか微妙な「ホラー風味青春ロードムービー」になっています。
よく考えれば「ホラー風味青春ロードムービー」ってすんごいジャンルです(笑)。なんでも出来そうですよ。「ホラー風味青春スポコン映画」とか「ホラー風味青春ラブストーリー」とか(笑)。あ、それは「恋する幼虫」か。
もはや書いてて意味わかんないですが、肝心な所が抜けちゃったジャンルムービーってそりゃ一体誰がターゲットなんだって話しなわけで、、、それこそtwitterでちょっと書いたように、デートで怖くないお化け屋敷に入って予定調和的に「キャッ!」みたいな事しか用途が浮かびません、、、、、、微妙。
しかもぶっちゃけダブルデートしながらのロードムービーなのに全っ然恋愛要素が無いんですよ。若い男女が密閉空間の車の中で、しかも周りはほぼ人間全滅してるわけで、なんでそこで「アダムとイヴ」的な関係にならないのかさっぱり分かりません。ってかこのプロットをちょっと弄くれば、すくなくとも「アダムとイヴ」の人類創世(再生)の話にも出来るんですけど、、、、そこまではやらないか、、、そうか、、、、、微妙。

【まとめ】

なんといいますか、、、オタフクソースの無いたこ焼きというか、メンマの無いラーメンというか、ダシの無い味噌汁というか、、、、カタルシスな~んもないゾンビ抜きゾンビ映画というか、、、カルピスソーダ・カルピス抜きというか、、、、(以下略)。
ハッキリ言いましょう。
ツマンネ。
以上(笑)。完全に不完全燃焼です。宣伝は面白そうだったのに、、、、(涙)。



あ~レンタルでREC2借りてくれば良かった(笑)。

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ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

昨日は

「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見ました。

評価:(80/100点) – 雰囲気満点のイケメン・アイドル映画


【あらすじ】

ロレンツォはユダヤ教徒であったが、教会でダンテの「神曲」の挿絵にあるベアトリーチェに魅了されカトリックに改宗する。それから数年、成人して神父として働くロレンツォは、しかしその煽動的で前衛的な詩が異端審問会で問題視され、国外追放処分を受けてしまう。彼は師であるカサノヴァの紹介でウィーンのサリエリの元を頼る。その道中、彼は同じイタリア系のモーツァルトと出会う。やがてサリエリの紹介で神聖ローマ帝国皇帝の後ろ盾を受けたロレンツォは、「フィガロの結婚」を作詞、モーツァルトとのコンビで成功させる。そして満を持してロレンツォの悲願である「ドン・ジョバンニ」の制作をモーツァルトに持ちかける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ロレンツォのヴェネツィアでの生活
 ※第1ターニングポイント -> ロレンツォが国外追放される。
第2幕 -> ロレンツォとモーツァルト
 ※第2ターニングポイント -> ロレンツォがアンネッタと再会する
第3幕 -> 「ドン・ジョバンニ」の完成。


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【感想】

日曜日は「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見てきました。銀座テアトルシネマで見ましたが、入りは3~4割強で、中年のおばさんとクラシック好きっぽい若い女性1人で見に来ている方が多かったように思えます。
それもそのはず。現在関東で上映しているのが「Bunkamuraル・シネマ」と「銀座テアトルシネマ」のみと完全に「オサレ映画」シフトです。男でいうならば「シアターN」単館とか「新宿シネマート」単館ってとこでしょうか?(苦笑)
本作は巨匠カルロス・サウラ監督の新作ですからそりゃ映画好きなら見ざるを得ないわけですが、、、にしても映画オタクっぽい観客は私以外皆無(笑)。
本気で化粧臭い劇場は久しぶりでちょっと気分が悪くなりました(笑)。「グッド・バッド・ウィアード」の韓流オバさん軍団以来かも、、、。

雰囲気作りの妙

さて、本作を語ろうと思うと真っ先に出さなければいけないのが、その雰囲気作りの巧さです。なにせロレンツォとモーツァルトが優男のイケメンっていうのもありますが、それ以上に背景の作り方が非常に独特です。というのも、いわゆる「書き割り」「緞帳」の要領で、平たい壁に絵を描いて背景にしてくるんです。一番目立つのは、ロレンツォが雪の中で放心状態で町中を歩くシーンと、カサノヴァの図書室です。全ての背景が平面的な壁に絵画として描かれており、それが写りの角度で微妙に立体的に錯視してくるんです。
さらに背景以外でも、静止した人々の中へロレンツォやアンネッタが入っていくと急に動き始めるシーンなぞは非常に幻想的な雰囲気を作っています。
要はこれらの演出をすることで、「絵画が動いている」ような感覚を表現しているんです。この表現は本当に見事で、きらびやかな衣装と相まって本作の雰囲気作りに多いに貢献しています。

ストーリーライン

そして、本作のストーリーもこれまた良く出来ています。
放蕩者のロレンツォは、アンネッタを食事に誘って口説くシーンで完全に最低な遊び人っぷりを観客に見せてきます。フェラレーゼという彼女が居るくせにアンネッタを情熱的に口説くのです。しかもそこをフェラレーゼに見られているわけですが、その言い訳がまた女々しいこと女々しいこと(笑)。本当最低。でもだからこそ、真剣に恋をしたアンネッタを思うあまり、どんどんジョバンニ(←ギャグじゃないよ。無いよ、、、たぶん。)に自己投影していくロレンツォがとても魅力的なダメ人間に見えるわけです。さらには、彼が遂に改心して遊び人から情熱の人に転身すると、その決意として遊び人たるドン・ジョバンニは地獄に堕ちざるを得なくなります。そこにさらに絡まってくる「もう一人のジョバンニ」としてのカサノヴァの存在。史実を活かしながらもかなり自由にアレンジして、物語にしていく所はきっちり創作する手腕はお見事の一言に尽きます。
ロレンツォにとって「過去の自分」であるドン・ジョバンニが地獄に堕ちて決別することで、彼は真の意味で改心し、愛の人に生まれ変わります。
一方、モーツァルトも「貧乏で変わりものだが良い人」というギミックを上手く活かした描かれ方をしていきます。記号のように逆立った白髪を振り乱す奇人のモーツァルトは、十分に魅力的な人間像です。仕事として作曲を続ける合間に金持ち令嬢のレッスンまでこなす妻思いのモーツァルトは、まさしく清貧の人であり、人徳の理想を体現するような好人物としてロレンツォと対比されます。

【まとめ】

決定的に価値観が違う者同士が少し疎ましく思いながらもやがて友情を結んでいく姿は、一種の青春映画やバディムービーのようですらあります。劇中劇としてのオペラ「ドン・ジョバンニ」がかなり長いのがズルい気もしますが、万人にオススメ出来る良い映画でした。
サリエリとモーツァルトの関係や「ドン・ジョバンニ」や「フィガロの結婚」の位置付けは語ってくれませんから、その辺りは事前に調べるなり見るなりしておいたほうが良いかもしれません。
基礎教養を要求してくるあたりもちょっとオシャレ映画っぽくて嫌な感じです(笑)。
順次拡大ロードショーですので、お近くで上映がある方は是非劇場で見てみて下さい。劇場の大音響で聴くドン・ジョバンニは最高です。オススメです。

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タイタンの戦い

タイタンの戦い

本日のレイトショーは

タイタンの戦い」です。

評価:(55/100点) – 名作のリメイクとしては無難な出来。でもちょっと3Dが、、、。


【あらすじ】

漁師の夫婦はある日、海で女性と赤ん坊の入った棺を発見する。幸運にも生存していた赤ん坊はペルセウスと名付けられ漁師として育てられた。それから十数年後、成人となったペルセウスと家族がアルゴス沖で漁をしていると、たまたまアルゴス兵達が巨大ゼウス像を倒す所に遭遇してしまう。そして冥王ハーデスの逆襲に巻き込まれ、ペルセウス一家は彼を除いて全滅してしまう。
さらに、ハーデスはアルゴス王に対し次の日蝕に怪獣クラーケンを解き放つ事を宣言し、止めたければ娘のアンドロメディアを生け贄として差し出すよう要求するのだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ペルセウスの生い立ちと一家の死。
 ※第1ターニングポイント -> ハーデスがアルゴス王に要求を突きつける。
第2幕 -> クラーケンを倒す方法を探る冒険。
 ※第2ターニングポイント -> 日蝕がはじまる。
第3幕 -> クラーケン襲来。


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【感想】

さて今週の新作レイトショーは「タイタンの戦い」です。ご存じストップモーションアニメの巨匠レイ・ハリーハウゼンの作品として知られる「タイタンの戦い」のCG実写版リメイクです。
主演は去年のターミネーター4から急に主役級で見かけるようになった期待のサム・ワーシントン、脇には往年のいぶし銀名優が勢揃いという映画ファンならエンドロールだけで御飯2杯はいける作品です。

ストーリーについて

作品の内容としては、まさにそのまんまオリジナルの「タイタンの戦い」です。かつてストップモーションアニメで撮っていた部分をフルCGで作り、そして3D用の演出に書き換えたようなものです。さすがは「アンドロメダ型」とまで言われるほどの「お姫様を救う勇者の冒険譚」の物語原型でして、非常にオーソドックスな骨組みにはなっています。実はそういった意味では限りなく「アリス・イン・ワンダーランド」と同じ話と言えます。
ただ、かなり駆け足な印象はありまして、明らかに描写が足りない部分も多々見受けられました。特に、本作の第2幕(=冒険パート)では大きく4つの有名イベントがあるのですが、その間の移動描写が極端に少なかったり、次のイベントに行くきっかけがかなり省かれたりしています。もし旧作を見たことが無ければ、おそらく最初に森やら砂漠やらをうろついている意味が分からないと思います。グライアイ三姉妹の件も人物関係を説明してくれませんから、ギリシャ神話自体を知らなければ何が何やら分かりません。
そしてこういった駆け足が何故行われているかというと、、、私はこれは3Dのせいだと思います。

3D表現について

本作は2D映画として撮影された映像をあとから3D変換しています。そして(ここが肝だと思いますが)、あらかじめ3Dを前提として撮影していないため、3D用にあとから追加した描写と元からあった物語本編の描写のトーンがあきらかにズレてしまっています。ここが3D変換を前提に2Dで撮影された「アリス~」との決定的な違いです。
3D用の描写は本作では大きく2パターンしかありません。1つはデジタルのコピぺを使った無限遠風景の表現です。要は地平線まで繋がる砂漠や波の表現でまさに奥行き表現そのものです。もう1つはある対象物の周りをぐるっと回る空撮っぽい描写です。これはオープニングの星座やゼウス像、巨大サソリに乗った一行や、冥界の渡し船など、繰り返し多用されます。
一方、作品の本道では、アクションシーンが多いせいか比較的アップで速いパンを連続させる描写を多用します。
そうするとですね、、、3D用のシーンは非常に間延びして冗長に見え、本道のシーンは動きが速すぎて3Dが破綻するという、かなり残念な状態になってしまいます。実際問題、本作はもしかしたら2Dの方が楽しめるかも知れません。あまりに不自然すぎて、3Dが逆にマイナス要素になってしまっています。
そもそも3Dはいわゆる「見せびらかす描写」になりがちです。「ほ~ら、凄いだろ、3D」って感じの長回しがどうしても多くなるので、その分本編に使える時間が少なくなってしまい、結果としてストーリーが駆け足になるという本末転倒な自体が起こってしまっています。

【まとめ】

個人的には、この作品に3Dは要らないと思います。なんでもかんでも3Dにすれば話題になるのかも知れませんが、それにしてもやはり作品によっては3Dの向き不向きはありますし、何より3Dが必ずしもプラス要素とは限りません。
本作をこれから観ようという方には、申し訳ございませんが2D上映をオススメいたします。これを機に、もう少し制作サイドが3D映画にすることによる影響範囲や作品価値の上げ方を考えていただければと思います。
でも面白かったんで、是非是非。ちょっと怖いシーンもありますが、お子さん連れでも十分楽しめると思います。

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オーケストラ!

オーケストラ!

昨日の二本目は

「オーケストラ!」です。

評価:(75/100点) – 役者と音楽の魅力で脚本をカバー。


【あらすじ】

ボリショイ管弦楽団の天才指揮者・アンドレイは、共産党のユダヤ人排訴運動から楽団員を守った結果、楽団の解散に追い込まれてしまう。それから30年、いまや新生ボリショイ管弦楽団の掃除係に落ちぶれたアンドレイは、オーナー室を掃除中に一枚のFAXを見つける。それはパリからのコンサート依頼であった。彼はそのFAXを盗み、かつての仲間と共にボリショイ管弦楽団に成りすましコンサートに向かおうとする、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アンドレイの日常。
 ※第1ターニングポイント -> イヴァンが交渉役としてパリと連絡を取る
第2幕 -> 仲間集めとパリでの出来事。アンナ・マリー・ジャケとのあれこれ。
 ※第2ターニングポイント -> アンドレイとアンナの会食
第3幕 -> アンナがコンサートに出てくれるかどうか。そして本番。


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【感想】

昨日の二本目は「オーケストラ!」です。あんまり書くこともないくらい平凡な内容のヒューマンドラマなんですが、結構ズルい構成をしています。
話の内容は至ってシンプル。負け犬であり燻っているアンドレイ達が、唯一自信の持てる音楽でもって自己実現を果たす話です。いうなれば「少林サッカー」の音楽版です。ですから、少林サッカーが大好きな人にはたまらん物があると思います。特に、死んでしまった大事な仲間の穴埋めにその子供が合流するというベタベタな展開は、思わず親指を立てざるを得ません。
とはいえ、やはり使い古されたフォーマットであることには代わりがありません。その平凡な内容でありながら本作がとても良く纏まって見える”勝算”は間違いなくチャイコフスキーの音楽力です。そりゃ、チャイコフスキーを映画館の音響でフルに聞かせてもらえれば嫌でも気持ちよくなります。
もちろんストーリーはツッコミどころが満載です。でもそのツッコミどころですらコメディタッチなトーンに回収されてしまい、そこまで気になりません。そんなに文芸文芸している作品ではありませんが、軽いタッチで面白い映画が見られるということでは格別の物があります。
あまり公開館が多くは無いですが、是非是非、お近くで上映している方は観てみて下さい。「20世紀少年最終章」とは違った意味で、音楽の力を借りたフィルムの成功例を目の当たりにすることが出来ると思います。
負け犬万歳!!!

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アリス・イン・ワンダーランド

アリス・イン・ワンダーランド

今日の一本目は期待の新作、

「アリス・イン・ワンダーランド」です。

評価:(55/100点) – つまらなくはないが、、、中途半端。


【あらすじ】

19歳になったアリスは、ある日大勢の前でヘイミッシュにプロポーズをされる。しかし困惑した彼女は見かけた白ウサギを追いかけて逃げ出し、ウサギの穴に落ちてしまう。目が覚めるとそこは子供の頃から夢に出てきたワンダーランドだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アリスがパーティーに出席する。
 ※第1ターニングポイント -> アリスがアンダーランドに迷い込む。
第2幕 -> アリスとハッターとの再会。アリスと赤の女王の城。
 ※第2ターニングポイント -> アリスがヴォーパルの剣を持って城の女王に合流する。
第3幕 -> アリスとジャバウォックの決闘。


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【感想】

さて、本日はディズニー期待の大作実写映画・アリス・イン・ワンダーランドです。宣伝は去年の11月頃から散々見せられてきましたから、話の内容はあらかた想像がついていました(笑)。監督はティム・バートン。おなじみジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターがメイン級ででており、鉄板のバートン組って感じでしょうか?

話のディティールについて

本作の話自体は、よくある類の異世界に迷い込んで独裁者を倒すファンタジー・アドベンチャーです。最近ですと、ナルニア国物語第一章/第二章あたりが全く同じ話ですし、古くは「ネバーエンディングストーリー」や「オズの魔法使い」など山程ある話です。
そんな中で本作がアリスとしてギリギリ成立出来ているのは、一重にキャラクター造形の巧さです。特に見た目に関しては本当にジョン・テニエルが描いたオリジナル挿絵にそっくりです。ジャバウォックなんてそのまんまで3Dで動きますから、感激とまでいかないまでも感心はしました。
しかし、キャラクターの性格については正直に言ってほとんど原作と関係ありません。っていうかハッターが真面目かつヒロイックすぎますし、原作での最重要キャラ・白ウサギもキャラが薄すぎます。
結局ですね、本作はルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」にある単語やエピソードやキャラクター造形を使って、ティム・バートンが(ディズニーの制約の中で)好き放題やっているという印象がします。この「ディズニーの制約」というのが結構微妙だったりします。

ティム・バートンという監督の資質

いまや日本でも一般認知度の高い人気監督になりましたティム・バートンですが、当ブログで彼の作品を扱うのは初めてです。ということで、そもそもこの監督の資質というものについて考えてみたいと思います。
ティム・バートンの代表作といえば、バットマンシリーズやシザーハンズ、マーズ・アタックあたりが有名でしょうか? 彼の作品に共通するキーワードは「弱者に対する優しさ」と「カルトな描写」です。例えば「シザーハンズ」では生まれつき人とふれあうことが出来ない孤独なエドワードの悲哀を描いていますし、「バットマン・リターンズ」では親に捨てられた孤独なペンギンの悲哀が前面にでてきます。「チャーリーとチョコレート工場」では貧乏な少年が正直さと真面目さで評価されるようになりますし、「スウィーニー・トッド」では悪徳判事にハメられた一小市民の反撃を描きます。
そしてこれらの「弱者に対する優しい視点」がカルトな雰囲気を混ぜて倒錯した描かれ方をします。
では今回の「アリス・イン・ワンダーランド」はどうでしょうか?
「アリス・イン・ワンダーランド」はまさに赤の女王の圧政で虐げられた人々の復讐劇です。その意味ではこれ以上ないほど「弱者の味方」そのままです。ところが、、、本作を見ていてイマイチ物足りないのはここに「カルトな描写」が入ってこないことです。具体的にはマッド・ハッターがまったくマッド(=気狂い)じゃないんです。せっかくジョニー・デップなのに、全然変人ではありません。マッドなのは服のセンスぐらいです(苦笑)。
本作で私が一番ワクワクしたシーンはずばり言って、赤の女王城のお堀に浮いた顔(生首)を飛び石にしてアリスが渡るシーンです。あとはアン・ハサウェイ演じる「白の女王」のエドワード・シザーハンズを連想させる変な動きぐらいでしょうか?
逆に言うとですね、、、そこ以外はきわめて普通で、「毒気」を抜かれたティム・バートンの抜け殻のように見えてしまいます。とてもディズニーっぽいと言った方が良いかもしれません。ディズニーなので赤の女王を処刑するわけにはいかないですし、人間の形をしたクリーチャーは殺せないんです。
でもそれってティム・バートンの魅力の大部分を削いでしまっているわけです。じゃあカルト表現を削いだ分だけファミリー向けになっているかというと、そうでもありません。生首が出てきたりしちゃうわけで、100%ファミリー向けにはなっていません。とっても中途半端です。

話のプロット上で気になる点

物語で気になる点は結構あります。まず一番は、そもそもアリスが救世主であることの根拠の薄さです。「預言に書いてあるから」ってだけだとちょっと、、、。おそらく実際には「アンダーランド(ワンダーランド)はアリスの夢なのだから自分が最重要人物になるのは当然」って辺りの事情だと思いますが、ちょっと微妙です。しかも終盤では、いくら「ヴォーパルの剣が戦ってくれるから握ってるだけで良い」とはいえ、ちょっと驚くほどのアクションを見せてくれます。せめて白の女王に合流した後で剣術の練習ぐらいはして欲しかったです。
第二に、この物語の着地の仕方です。本作は最終的には「ダウナー系の不思議ちゃん」だったアリスが「物事をハッキリ自己主張する大人の女性」に成長する物語になります。でですね、、、この自己主張の仕方に問題があると思うんです。特に姉とおばちゃんに対しての態度は自己主張っていうよりは冷や水をぶっかけてるようにしか見えません。もしかしたらアメリカ人の感覚では問題無いのかも知れませんが、ちょっとどうなんでしょうね?

【まとめ】

ここまで書いていない重要な事があります。
原作の「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」が何故ここまで名作として普及しているかという理由は、もちろん1951年のディズニーアニメの影響もありますが、その原作の持つ暗喩性によるところが大きいと思います。早い話がアリス・キングスレーが少女から女性に成長する過程をワンダーランドのメタファーに置き換えて語っているわけです。
ですから、私個人としては「千と千尋の神隠し」で宮崎駿がやったような「倒錯した自分流の不思議の国のアリス」をティム・バートンがやってくれることを期待していました。その意味ではちょっとがっかりです。
しかし、決してつまらない話ではありません。手放しでは喜べないものの、最近のファンタジーアドヴェンチャーとしては手堅い出来です。小さいお子さんを連れて行くのは考えものですが、友人や恋人と気軽に見るには最適ではないでしょうか? ディズニーのエンタメ・ファンタジーとしては十分に及第点だと思います。

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