ラスト・ウィッチ・ハンター

ラスト・ウィッチ・ハンター

今日の2本目は

「ラスト・ウィッチ・ハンター」です。

評価:(25/100点) – ヴィン・ディーゼルのコスプレシリーズ


【あらすじ】

クイーン・ウィッチを退治して早800年、ウィッチ・ハンターのコルダーは呪われた「永遠の命」と共に魔女狩りを続けていた。そんな中、コルダーの所属する「アックス&クロス」の執事・36代目ドーランが何者かに殺害されてしまう。コルダーは仇討ちのため、犯人捜査に乗り出す、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 36代目ドーランの引退と殺人事件
※第1ターニングポイント -> ドーランの部屋で魔法の痕跡を見つける
第2幕 -> コルダーの捜査と過去の秘密
※第2ターニングポイント -> クイーン・ウィッチが復活する
第3幕 -> 最終決戦


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【感想】

今日の2本目は「ラスト・ウィッチ・ハンター」です。ご存知ヴィン・ディーゼル主演最新作で、かついつものヴィン・ディーゼルです(笑)。こちらも「高慢と偏見とゾンビ」と一緒で、ほぼ満員でした。予告を見た時に「デビルクエスト(2011)」と同じノリかと思っていたのですが、意外と現代描写の方が多く、あんまりヒゲモジャで中世風なヴィン・ディーゼルアクションはありませんでした、、、ちょっと残念です。

テンションが上がらんのです、、、

本作は「オカルト探偵もの」です。主人公はウィッチ・ハンターのコルダー。魔女狩り一筋800年の、年季の入った不老不死おじさんです。ある日、信頼していた助手の36代目ドーランが殺されたことから、その仇討ちに乗り出します。捜査の過程で、この事件が800年前に倒した宿敵・クイーン・ウィッチを復活させようとした陰謀だと発覚し、そこから怒涛のオカルトクライマックスへと向かいます。

そう、本作ですね、せっかく楽しいオカルト要素てんこ盛りなのに、完全にいつものヴィン・ディーゼルなんです(笑)。「ワイルド・スピード」シリーズもそうですし、「トリプルX」もしかり、「リディック」もしかり。基本的にちょい半笑いでもごっとした声を出すいつものヴィン・ディーゼルが、いつものように犯人を探すために突き進み、いつものように危なげなく勝利します。「じゃあセガール映画としていいじゃん!」って話なんですが、肝心の敵やアクションが微妙なんです、、、。そこが本作の一番の不満点です。

せっかくヴィン・ディーゼル主演なのに、基本的に魔女たちが精神攻撃ばっかりであんまり肉体アクションに発展しないんですね。そうするとディーゼルの大根っぷりだけが際立ってしまい、しょぼい敵と相まって物凄い退屈になります。
しかも肝心の敵が対して強くもなく、脅威かどうかもよくわからないので、爽快感もありません。まさに誰得映画。で、誰が得かというと、そりゃもちろん主演でプロデューサー兼任のヴィン・ディーゼル本人なわけで、これ単にいつもの「オレ様映画」です(笑)。

【まとめ】

ということで、超テンションが低く、あんまり書くことがありません(笑)。不満はいっぱいあるんですが、どっちかっていうとゲンナリ度の方が高くてもういいかなっていう、、、そのぐらいの温度感です。自慢じゃないですが、私はたぶんヴィン・ディーゼルが出てる映画を全部見てると思うんです。しかもわりと好きな俳優です。それでこのテンションっていうのが、、、お察しください。ファンの私ですらちょっと頭がクラっときたので、おそらくヴィン・ディーゼルのファン以外にはヤバいぐらいつまらないと思います。ということで、良い子の皆はレンタルDVDにしときましょう。ちょっと来年の「xXx: The Return of Xander Cage」が心配です(笑)。

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赤ずきん

赤ずきん

日曜は1本、

赤ずきん」を見てきました。

評価:(40/100点) – 赤ずきんというか、簡易版ジェヴォーダンの獣。


【あらすじ】

村には、月が赤くなる週には怪物狼が現れて村人を襲うという伝説があった。ここ数十年来は生贄を捧げることで犠牲を回避してきたが、ある日、村に久方ぶりに犠牲者が出てしまう。殺されたのはヴァレリーの姉であった。
すぐに狼ハンダーのソロモン神父を呼ぶことになったが、気が収まらない村の男達は討伐隊を組んで洞窟へと向かってしまう。一人の犠牲者をだしただけで狼の首を持ち帰った討伐隊に対して、訪れたソロモン神父は衝撃の事実を告げる。怪物狼は人狼で、死後は人間の体に戻るという。狼の首があるということはそれは人狼では無く、よって怪物狼は退治されていないのだ、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ルーシーの死と狼討伐隊
 ※第1ターニングポイント -> ソロモン神父の到着
第2幕 -> 狼の襲撃とヴァレリーの拘束
 ※第2ターニングポイント -> ソロモン神父が襲われる
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

日曜日はモンスター映画「赤ずきん」を見てきました。公開から1週たっていましたが、カップルを中心に客席は一杯でした。予告をどこからどうみても超B級モンスター映画なんですが、かなり不思議な客層です。「恋をした、大人になった赤ずきん」という嘘まるだしのキャッチコピーに引っかかったんでしょうかw ワーナーのマーケティング勝ちです。
正直な所、あんまり書くことがないくらいよくあるB級ホラーなんですが(苦笑)、一応ちょろっとだけ書きます。
本作がいわゆるグリム童話の「赤ずきん」っぽいのはラストもラスト、3幕目の冒頭だけです。そこまではただひたすら普通のカルト系モンスターホラーのフォーマットをさらっと流しながら使っています。大きな狼による村の襲撃。モンスターハンターとしてでてくる怪しげな神父さん。狼は教会には入れないというお決まりの「宗教観」「モンスターのアンチキリスト精神」。何十回と見たことがあるゴシックモンスターホラーそのものです。直近で一番近いのは、「ジェヴォーダンの獣(2001)」、雰囲気で言えばかのシャマランの「ヴィレッジ(2004)」あたりを彷彿とさせます。
そして、「なんじゃこりゃ。パチモノじゃんか、、、。」とゲンナリしていると、突然3幕でみんなが知っている「赤ずきん」が始まるわけです。「おばあさんの家まで赤ずきんが行く」「でも、おばあさんの家に着くと様子がおかしい、、、、。」という例のアレです。そこまでには物凄い退屈なストレスを食らっていますから(笑)、一気にテンションが上がるわけです。よっしゃキタコレ!!!! と思っていると、案外さらっと終わってモンスターの正体が明らかになって、、、、あっちゃー、、、、、、となるわけです。
なんで「ジェヴォーダンの獣」が面白かったのに「赤ずきん」は微妙かといえば、一番大きいのは構造的に本作が「巻き込まれ型サスペンス」になっているからです。本作はヴァレリーが事件に巻き込まれることでストーリーが展開します。事態に対してヴァレリーは主体的に行動し謎を解く余地がありません。さらに途中からヴァレリーがある事件によって事態の蚊帳の外に置かれてしまい、その後はピーターが主役になります。ストーリー上でヴァレリーが100%安全な立場になってしまうため、あんまりハラハラもしなくなってしまいます。そして唐突に語られる解決編。あらぬ所から急に現れる真犯人に「そういや居たね」ぐらいの感慨しか湧きません。結果として、なんか釈然としない終わり方で微妙な気分が残ってしまいます。
あんまり一般向けにオススメする作品ではありませんが、B級モンスター好きはとりあえず押さえておきましょう。そういやせっかくの怪物狼もあんまり怪物っぽい所がなくてただの大きいワンちゃんでした。でもカワイイからOK。全部OK。物語上はカワイくちゃですけど(苦笑)。オススメです!

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パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉

パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉

久々の金曜のレイトショーはThat’s ハリウッド大作、

「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」です。

評価:(35/100点) – パート4だからキャラのファンさえ喜べばOK。


【あらすじ】

バルボッサにブラック・パール号を奪われたジャックは、自分の名を騙って船員を集めているものが居るという酒場を目指してロンドンに戻ってきた。彼はそこでかつての恋人・アンジェリカと出会う。なんとか警察の追っ手を振り切ったジャックは、しかしアンジェリカに嵌められて史上最恐の海賊・ブラックビアード(黒ひげ)の船に乗せられてしまう。なんとアンジェリカはブラックビアードの船・クイーン・アンズ・リベンジ号の一等航海士だったのだ。そしてブラックビアードの死期が間近に迫ったという預言を信じ、ジャックが地図を持っている「若さの泉」を探していた。
こうして、「若さの泉」と泉での儀式に必要な「人魚の涙」と「ポンセ・デ・レオンの二つの杯」を探す冒険が始まった、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ギブスの救出とアンジェリカとの再会
 ※第1ターニングポイント -> ジャックがクイーン・アンズ・リベンジ号に乗る
第2幕 -> 「若さの泉」を目指す冒険
 ※第2ターニングポイント -> ジャックが杯を持ってブラックビアードの元に戻る
第3幕 -> 若さの泉


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【感想】

金曜は久々に新作レイトショーで「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」を見てきました。初日のレイトショーですが、金曜にしては6~7割ぐらい人が入っていたので結構多い方です。
本作はお馴染み「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの4作目です。1作目の「呪われた海賊たち」は本当に良く出来た冒険活劇でしたが、「デッドマンズ・チェスト」と「ワールズ・エンド」の連作がかなり微妙な出来で、新作のハードルは下がっています。4作目は前3作の根幹にあった「エリザベスとウィルの身分違いの恋物語」が一段落し、仕切り直しとなっています。
極端な話しをすれば、4作目ですのでシリーズのファンさえ喜べればなんの問題もありません。そういった意味では本作は3作目でベビーターンしたバルボッサが大活躍しますし、ジャックはいつもの軽いふざけたノリ全開で来ますので、十分に楽しめると思います。思いますが、、、ちょっと全体的にはすごいことになっています。
一番ずっこけるのは、本作には迷ったり謎を解いたりという「冒険要素」が一つも無いことです。ジャックは最初から「若さの泉」への地図を持っていますし(というか前作の最後で手に入れてましたし)、人魚は最初からホワイトキャップ湾にいるのが分かっています。「ポンセ・デ・レオンの二つの杯」も何故かホワイトキャップ湾のある島にあります。ということで、本作はお宝に向かって最短距離で進みますw
結局アンジェリカがなんなのかは良く分かりませんし、ブラックビアードも「最恐の海賊」というのが納得出来ないほど全然活躍しません。スペイン軍も最後の最後まで目的がわかりませんし、それすらもなんとなくの宗教観・原理主義っぽさで動いています。ブラックビアードのクルーのゾンビも良く分かりません。全体的にすべてがとても記号的です。
本作はそういった薄いストーリーの上で記号的なキャラ達がワイワイキャキャとやるだけなので、これは作り手側がもう完全なファンムービーとして割り切っています。言い方を変えれば、本作を見て喜んでくれるファンが少しでもいれば全く問題ありません。私自身もちょいちょいズッコけながらも全体としては楽しく見られました。ジェフリー・ラッシュは「英国王のスピーチ」の先生役も良かったですがやっぱりバルボッサ役が一番イキイキと輝いています。
ということで、シリーズのファン限定でとりあえずオススメします!
ちなみに、本作では3Dはたいして意味がありませんのでどうでもいいです。暗すぎて全然3Dに見えませんし、最初から3Dカメラで撮ったわりにはあんまり有効に使われていません。私が言うのもなんですが、3Dブーム自体がもう終焉ですのでとりあえず記念に見ておくのは手だと思います。

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塔の上のラプンツェル

塔の上のラプンツェル

日曜は気分転換で

「塔の上のラプンツェル」を見て来ました。

評価:(90/100点) – 鉄板のお家芸


【あらすじ】

とある王国で王女が生まれた。しかし王女は生まれながらにして余命幾ばくも無い。王は怪我や老いを治すという言い伝えがある魔法の花を探し出し娘に与える。ラプンツェルと名付けられた娘は一命を取り留めた。
一方それまで魔法の花を使って永遠の若さを得ていた老女・ゴーテルは、自信の若さを保つために花の能力の宿ったラプンツェルを誘拐してしまう。ゴーテルは森の中の塔にラプンツェルを閉じ込め、自分の娘として育てていく、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ラプンツェルの日常と盗賊・フリンライダーとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> ラプンツェルが塔の外に出る。
第2幕 -> 「灯り」を見るための冒険。
 ※第2ターニングポイント -> 「灯り」の夜、ラプンツェルが連れ戻される。
第3幕 -> 救出。


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【感想】

映画の話しの前に、被災者の方々に謹んでお見舞い申し上げます。映画を見ていて少し後ろめたいような気分になっているのが正直なところですが、日常へのリハビリも兼ねていつも通りに書いていきたいと思います。
さて、先週の日曜日は「塔の上のラプンツェル」を見て来ました。横浜のブルク13で見ましたが、結構なお客さんが入っていました。地震直後ということもありあんまり映画を見ている気分ではありませんでしたが、人混みでいつも通りの繁華街というのも気分が紛れて結果としては良かったと思います。
あんまり論を重ねるほど頭の整理が出来ていないので、少し簡単に書かせていただきます。
本作は、ディズニーアニメの前作「プリンセスと魔法のキス」の長編セルアニメ復活からうって変わっての3Dアニメーションです。そして前作が「ディズニーの王道たるプリンセス・ストーリーの現代的再解釈」であったのに対し、本作はバリバリの「王道のプリンセス・ストーリー」です。主人公は魔女に攫われた王女様で森の中に囚われており、そこにワイルドでイケメンな盗賊が迷い込んだ所から物語が始まります。テーマは「魔女からの解放と幸せな結婚」。これ以上ないほど「白雪姫」であり、「眠れる森の美女」であり、ど真ん中のプリンセス・ストーリーです。ということで、これはもう十二分に安心して楽しむことが出来ます。いろいろ考えすぎている頭には丁度良い湯加減です。
本作では3D的な表現はあくまでも自然に見えるように使われる程度です。ですので、そこまで3D環境にこだわる必要も無いと思います。ここ数年はディズニーアニメもジョン・ラセターがプロデューサーになっていてピクサーとの差別化が難しくなっていますが、この作品は「ディズニーはやっぱりプリンセス・ストーリーだ!」という宣言のようにも見えました。「キャラクター化された白馬・マキシマス」というのがその象徴です。ピクサー映画に出てくるキャラクター化された動物は、動物的な仕草をコミカライズしてきます。あくまでも実在の動物に寄せる感じです。それに対し、本作のマキシマスは男気溢れ、まるで「みどりのマキバオー」のベアナックルのような愛すべきアホキャラです。
極めつけは90年代前半からのディズニーの象徴・アラン・メンケンによる音楽です。一聴しただけで「あ、これはディズニー映画の音楽だ」と分かるほどの”癖”が、「ディズニー復活」に花を添えます。ディズニーの第2黄金期の最後の一花を「リトル・マーメード」「美女と野獣」で咲かせたアラン・メンケンが、ヘラクレス以来13年ぶりにディズニーアニメに帰ってきたわけで、これはいよいよディズニーの第3黄金期が到来しそうな勢いです。
余談ですが、アラン・メンケンが参加した前作「魔法にかけられて」はディズニー自身による「プリンセス・ストーリーの脱構築(=自己パロディ化と破壊)」だったわけで、そこを通ってついにメンケンが王道的なストーリーに起用されたというのは大きな意味があります。
コメディ要素を入れつつも王道的なプリンセス・ストーリーをきっちりと上質なミュージカルを交えて描いてみせる。これを鉄壁と言わずしてどうしましょう。20年たっても30年たっても十分に鑑賞にたえるような普遍的なエンターテイメント、これがいわゆる「インスタント・クラシック(※)」ってやつです。とりあえず3連休は本作を押さえておきましょう。大プッシュです。
映画館はレイトがやっていなかったりそもそも閉館していたりしますので、くれぐれも無理をしないようにして是非ご鑑賞を。

※1 インスタント・クラシック(Instant Classic)
英語のスラングで、発表された瞬間に歴史年表に載ってしまうような大傑作の事。映画や音楽などの作品以外にも、語り継がれるべき超凄いスポーツ事件なんかでも使います。
例)近鉄・北川の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン お釣りなし」はまさにインスタント・クラシックだね!
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アメイジング・グレイス

アメイジング・グレイス

本日の2本目は

アメイジング・グレイス」です。

評価:(85/100点) – 気品ある歴史ものの傑作。


【あらすじ】

時は18世紀後半。イギリスの政治家・ウィルバーフォースは従兄弟の家に静養に訪れる。彼は長年にわたり奴隷廃止運動に注力するあまり心身共に疲弊していた。従兄弟に紹介された美女・バーバラは彼の運動の支持者で、すぐに意気投合する。彼女を部屋に招いたウィルバーはバーバラに催促され、彼の運動の歴史を語り始める。それは信仰と尊厳を巡る物語であった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ウィルバーの静養とバーバラとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ウィルバーがバーバラと出会う。
第2幕 -> ウィルバーの回想。
 ※第2ターニングポイント -> ウィルバーとバーバラが結婚する。
第3幕 -> 奴隷廃止運動の結末。


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【感想】

本日の2本目は「アメイジング・グレイス」です。イギリスでは2007年の春休み映画で、4年遅れで日本に上陸しました。川崎のチネチッタで見ましたが、年配のお客さんでそこそこ埋まっていました。
本作は植民地政策全盛期の大英帝国が舞台になります。ご存じ賛美歌の名曲「アメイジング・グレイス」の作詞家ジョン・ニュートン牧師や英国史上最年少の首相ウィリアム・ピットとウィルバーフォースとの出会いからはじまります。
いわゆる史実もののスタンダードなフォーマットを使いつつ、本作では気力を使い果たし無力感に囚われるウィルバーがバーバラと出会い復活し、ついには本懐を遂げるまでを丁寧に描きます。歴史物としての圧倒的な正しさにプラスして、挫折したヘタレの復活劇に落とし込むわけです。つまり私の大好物ですw
もうとにかく「見て下さい!」としか言いようがないぐらい、ものすごい説得力とカタルシスが詰まった作品です。冒頭のウィルバーは信仰に厚く「女性になんか興味無い」というオーラビンビンで使命感に囚われています。それが若いのに物事をハッキリ言うバーバラに出会い、まるで懺悔をするように自らの失敗を吐露するわけです。お互い好きあってる男女が同じ部屋に夜通し居るのに、やることが徹夜で政治話という超真面目さ。そしてこの真面目さと真剣さがあるからこそ、後半に出てくる法案を通す「チート(=ずる)作戦」に「その手があったか!」と膝を打ち、そしてそこからはじまる歴史物としては稀に見るサスペンス展開にハラハラするわけです。
もちろん格調をだすために犠牲にしている部分もあります。一番大きい点でいえば、もし本作をもっと突き抜けた物にするのであれば、奴隷達が劣悪な奴隷船で運ばれている様子や農園で酷使されている様子を映像的に見せれば良いのです。そうすればもっと真に迫って「奴隷制度は本当に酷い」という感覚を観客にも植え付けられます。でもそこは奴隷廃止200周年記念のイギリス作品ですので、あんまり当時のイギリス人を悪く描くわけにもいきません。この「非人道的であるから廃止すべきである」という主張の根幹である「非人道的っぷり」を描かないというのは、テーマを考えれば随分ヌルい手法です。
本作での「非人道的っぷり」の描写は見た限り3カ所だけです。一つは最初の奴隷解放運動者との晩餐で鎖を見せられるシーン。次に、実際の奴隷船を見学するシーン。最後に議員達をクルージングに招いて奴隷船の前に付け、わざと悪臭をかがせるシーンです。この3シーンとも、直接的な描写はしません。ここが本作の上品さでもあり、そして不満点でもあります。
もしかしたらアフリカの人から見たら「イギリス人の自己憐憫」と思われてしまうかもしれません。ウィルバーは昔のイギリスの価値観(=奴隷を使って植民地で富を増やすのは当たり前)を真っ向から否定した人物ですので、ウィルバーの視点にするとどうしても「昔のイギリス」を否定しないといけなくなってしまいます。そこをギャグパートを挟んでやんわりと回避しつつ最終的には人道的な所に落ち着くという無難な方向で逃げたのはとても上手いと思います。
結果として本作は説教臭くないギリギリのバランスでのヒストリカル・ヒューマンドラマとして、大変すばらしい出来になっていると思います。

【まとめ】

「奴隷貿易」という歴史上の負の部分に立ち向かう男を丁寧に描いた傑作だと思います。それもただ歴史を追っていくのではなく、あくまでも挫折した男の復活劇という一般的な作劇に落とし込んでエンターテイメントにまで昇華しています。
おしゃれ映画の雰囲気でちょっと躊躇うかもしれませんが、まちがいなく見ておいたほうが良い作品です。公開規模が少ないですが、お近くで上映している場合は是非見てみて下さい。見た後にあらためてアメイジング・グレイスの和訳を見れば感無慮になること必至です。かなりオススメな作品です。
※余談ですが、本作で唯一がっかりしたのが最後に流れるアメイジング・グレイスのバグパイプ楽隊バージョンの映像です。ウィルバーが眠るウェストミンスター寺院の広場での演奏っぽいんですが、完全に合成で楽隊の輪郭が浮いてますw 世界遺産ですので観光客を避けて撮影するのが難しかったのかもしれませんが、ちょっと萎えました。せっかく上品な映画なのに、最後でちょっとずっこけますw

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ロビン・フッド

ロビン・フッド

久々の金曜レイトショーは

ロビン・フッド」です。

評価:(65/100点) – 鉄板のハリウッド・エンタテインメント


【あらすじ】

獅子心王・リチャード1世の時代。リチャード王に率いられたイングランド軍フランス遠征部隊に射手として参加していたロビン・ロングストライドは、王の死を知るや仲間を連れていち早く逃げ出した。イングランドへ渡る船へと向かう途中、ロビンは王冠を持ったロバート・ロクスリーが襲われた現場に出くわしてしまう。ロバートより王冠とロクスリー家の剣を託されたロビンは、騎士の服装を纏ってイングランドへ帰国する。そこには、リチャードの弟・ジョンとその腹心・ゴッドフリーが待っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> シャールース攻城戦とリチャード王の死。
 ※第1ターニングポイント -> ロビンがノッティンガムに住む。
第2幕 -> ジョン王の圧政。
 ※第2ターニングポイント -> 北の諸侯とともにゴッドフリー軍を撃退する。
第3幕 -> フランス軍との戦い。


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【感想】

今日は久々のレイトショーでリドリー・スコットの新作「ロビン・フッド」を見て来ました。金曜レイトにしてはそれほどお客さんは入っていませんでした。とはいえ、本作と来週の「トロン レガシー」がお正月大作映画の本命なのは間違いありません。(個人的には「キック・アス」と「モンガに散る」もですけどw)
最近BBCでもテレビドラマで「ロビン・フッド」をやっていましたのでその流れでコメディ寄りかもと若干心配したんですが、良くも悪くもいつものリドリー・スコット映画でしたw 「いつものリドリー・スコット映画」というと非常に乱暴ですが、つまりは政治的なメッセージを入れつつのスペクタクル映像満載でちょっと血が出る冒険活劇です。リドリー監督の前作「ワールド・オブ・ライズ(ボディ・オブ・ライズ)」で太りすぎてビックリされたラッセル・クロウも、きっちり割れた腹筋を披露してくれますw

ロビン・フッド物語へのリドリー的アプローチ

ロビン・フッドと言われて私が真っ先に思い出すのは、1973年のデイズニーアニメ版「ロビンフッド(※ロビンがキツネの作品)」と1976年のオードリー・ヘップバーンとショーン・コネリーの「ロビンとマリアン」です。この二つは共にロビン・フッドを題材にしていながら、まったく別のタッチの作品として歴史に名前が残っています。デイズニー版はひたすらコミカルで、プリンス・ジョンとロビン・フッドはさながら「トムとジェリー」や「ルーニー・トゥーンのロードランナーとワイリーコヨーテのコンビ」のような夫婦漫才を繰り広げます。一方の「ロビンとマリアン」は、年老いたロビンとマリアンがかつての代官との戦いを再びと老体にむち打ちます。こちらは哀愁に満ちた「枯れたラブロマンス」です。

ロビン・フッドというキャラクターは、判官贔屓から来る魅力とその圧倒的な人気によって、架空でありながらも多くの「お約束事」をもっています。マリアンとのラブロマンスしかり。”優しい力持ち”リトル・ジョンとのでこぼこコンビ。お茶目でずる賢いタック神父との交流。そしてジョン王を小馬鹿にしつつ金品を奪う義賊要素。ライオンハート・キング・リチャードの元で十字軍に参加し、その弟ジョン王の圧政に先王の代わりに鉄槌を下す正義の化身。多くの要素が相まって、アーサー王と並ぶイングランドのフィクション・ヒーローとして成立しています。

今回、リドリー・スコット監督はここ最近の監督作と同様のアプローチをしています。すなわち、「プライベート・ライアン以降のリアリズム表現」です。1998年のスピルバーグ監督作「プライベート・ライアン」は冒頭約30分におよぶ壮絶なノルマンディー上陸作戦の描写が大いに話題になりました。そしてそれまでの大作戦争映画ではなかなか無かった(もちろんサム・ペキンパーの不朽の名作「戦争のはらわた」とかはありましたけど。)、四肢や肉塊が飛び散る描写を行いました。手持ちカメラをグラグラ揺らすリアリズム表現もこの頃からです。

リドリー・スコットはこのプライベート・ライアンを相当苦々しく思っているのか(笑)、その後ことある事にプライベート・ライアンに対抗する演出を行っています。プライベート・ライアンの公開後すぐに制作を始めた「ブラックホーク・ダウン」では、彼は露骨にプライベート・ライアンを意識してほとんどパクリと言われかねないほどに似通った演出を行いました。

リドリーは初期の3作「エイリアン」「ブレードランナー」「レジェンド」で圧倒的なまでの世界観構築力を見せつけました。それ故にいまだにこの3作には熱狂的なファンがついています。彼がこの3作で行ったのは、予算の限りを尽くして特殊メイクや舞台セットを作り込むという「スペクタクル」の創造です。さすがにこの3作でやりすぎてしまったのと「レジェンド」が商業的に大コケしたことで、彼の「スペクタクル要素」は引きのショットを多用した「大自然風景スペクタクル」に移行していきます。本作でも特にラスト30分は空撮が目立ちます。大人数のエキストラ達が戦う合戦シーンも、彼なりの「スペクタクル要素」です。
本作ではその「スペクタクル要素」と「リアリズム表現」を徹頭徹尾ぶち込むことで、ロビン・フッドをより実在感のある存在として描こうとしてきます。ロビン・フッドの前日譚というある程度自由が効く設定を使うことで、リドリーは彼なりの「ヒーロー像」をいつも通りの演出で見せていきます。

そしてそのロビンの実在感の一端を担うのはもはや常連と化したラッセル・クロウです。ロビン・フッド=射手が持つ優男で小柄なイメージをぶちこわすマッチョで男臭いラッセル版ロビンは、しかし「十字軍に参加」「イングランドの英雄」というヒーロー像を分かりやすく体現しています。これも一つの実在感の表現です。非常に細かいところですが、本作のラッセル・クロウは常に両頬にでかいニキビをつけています。これも12世紀で風呂もロクに無い時代の実在感です。
本作におけるロビン・ロングストライドは血統書付きのナチュラル・ボーン・ヒーローです。「また生まれつき天才か」とかちょっと思ってしまうんですが(苦笑)、それはきっと私の心が汚れているせいです。ですが確かにこの12世紀という舞台では、一介の弓兵がヒーローとして諸侯と並ぶためにはそれなりの階級や根拠が無いと無理です。ですからこれも監督なりにリアリティを追求した結果のご都合主義だと取れないこともありません。
話の内容自体は非常にシンプルですし、ご都合主義や突っ込み所の嵐です。とくに後半にゴッドフリーが裏切り者だとジョン王が知る辺りからは、もはやストーリーもへったくれもないくらいの混乱が始まりますw ついワンシーン前までロバート・ロクスリーとして振る舞っていたのに次のシーンではいきなりロビンと呼ばれていたり、かと思いきや直後にはまたロクスリー家として周囲から認識されていたり、結構無茶苦茶なことになっています。とはいえ、きっちりケイト・ブランシェットの甲冑姿のサービスがあったり(もちろんクイーン・エリザベス仕様です)、義賊シーンがあったり、お約束事も入れてきます。タック神父が蜂を飼っているというのも、前述のディズニー版「ロビン・フッド」でタック神父がアナグマになっていることへのオマージュです。
そしてそういったリアリティ表現やお約束を入れた「エンタテインメント大作」の総仕上げとして、リドリー・スコットは遂にクライマックスで「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦の完全コピーに挑みますw 12年の歳月を経て、リドリー・スコットの「スピルバーグに追いつけ追い越せ」精神の集大成を見ることが出来ます。

【まとめ】

雑な話をスペクタクル映像で乗り切るという非常に”ハリウッドっぽい”大作です。その出来はまさに鉄板。つまらないこともなく、かといって面白すぎることも無く、きっちりとハリウッド式エンタテインメント映画を見せてくれます。リドリー・スコットがスピルバーグに追いつけたのかどうかは、是非皆さんが劇場で確認してください。個人的にはまだちょっと追いつけてないかなという印象です。
お正月にご家族やカップルで見に行くには、可もなく不可もなく、予備知識も特に必要ない鉄板の作品です。とりあえず冬休みに何を見るか迷っている方には無難な一本です。オススメです。

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ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

昨日は

「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見ました。

評価:(80/100点) – 雰囲気満点のイケメン・アイドル映画


【あらすじ】

ロレンツォはユダヤ教徒であったが、教会でダンテの「神曲」の挿絵にあるベアトリーチェに魅了されカトリックに改宗する。それから数年、成人して神父として働くロレンツォは、しかしその煽動的で前衛的な詩が異端審問会で問題視され、国外追放処分を受けてしまう。彼は師であるカサノヴァの紹介でウィーンのサリエリの元を頼る。その道中、彼は同じイタリア系のモーツァルトと出会う。やがてサリエリの紹介で神聖ローマ帝国皇帝の後ろ盾を受けたロレンツォは、「フィガロの結婚」を作詞、モーツァルトとのコンビで成功させる。そして満を持してロレンツォの悲願である「ドン・ジョバンニ」の制作をモーツァルトに持ちかける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ロレンツォのヴェネツィアでの生活
 ※第1ターニングポイント -> ロレンツォが国外追放される。
第2幕 -> ロレンツォとモーツァルト
 ※第2ターニングポイント -> ロレンツォがアンネッタと再会する
第3幕 -> 「ドン・ジョバンニ」の完成。


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【感想】

日曜日は「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見てきました。銀座テアトルシネマで見ましたが、入りは3~4割強で、中年のおばさんとクラシック好きっぽい若い女性1人で見に来ている方が多かったように思えます。
それもそのはず。現在関東で上映しているのが「Bunkamuraル・シネマ」と「銀座テアトルシネマ」のみと完全に「オサレ映画」シフトです。男でいうならば「シアターN」単館とか「新宿シネマート」単館ってとこでしょうか?(苦笑)
本作は巨匠カルロス・サウラ監督の新作ですからそりゃ映画好きなら見ざるを得ないわけですが、、、にしても映画オタクっぽい観客は私以外皆無(笑)。
本気で化粧臭い劇場は久しぶりでちょっと気分が悪くなりました(笑)。「グッド・バッド・ウィアード」の韓流オバさん軍団以来かも、、、。

雰囲気作りの妙

さて、本作を語ろうと思うと真っ先に出さなければいけないのが、その雰囲気作りの巧さです。なにせロレンツォとモーツァルトが優男のイケメンっていうのもありますが、それ以上に背景の作り方が非常に独特です。というのも、いわゆる「書き割り」「緞帳」の要領で、平たい壁に絵を描いて背景にしてくるんです。一番目立つのは、ロレンツォが雪の中で放心状態で町中を歩くシーンと、カサノヴァの図書室です。全ての背景が平面的な壁に絵画として描かれており、それが写りの角度で微妙に立体的に錯視してくるんです。
さらに背景以外でも、静止した人々の中へロレンツォやアンネッタが入っていくと急に動き始めるシーンなぞは非常に幻想的な雰囲気を作っています。
要はこれらの演出をすることで、「絵画が動いている」ような感覚を表現しているんです。この表現は本当に見事で、きらびやかな衣装と相まって本作の雰囲気作りに多いに貢献しています。

ストーリーライン

そして、本作のストーリーもこれまた良く出来ています。
放蕩者のロレンツォは、アンネッタを食事に誘って口説くシーンで完全に最低な遊び人っぷりを観客に見せてきます。フェラレーゼという彼女が居るくせにアンネッタを情熱的に口説くのです。しかもそこをフェラレーゼに見られているわけですが、その言い訳がまた女々しいこと女々しいこと(笑)。本当最低。でもだからこそ、真剣に恋をしたアンネッタを思うあまり、どんどんジョバンニ(←ギャグじゃないよ。無いよ、、、たぶん。)に自己投影していくロレンツォがとても魅力的なダメ人間に見えるわけです。さらには、彼が遂に改心して遊び人から情熱の人に転身すると、その決意として遊び人たるドン・ジョバンニは地獄に堕ちざるを得なくなります。そこにさらに絡まってくる「もう一人のジョバンニ」としてのカサノヴァの存在。史実を活かしながらもかなり自由にアレンジして、物語にしていく所はきっちり創作する手腕はお見事の一言に尽きます。
ロレンツォにとって「過去の自分」であるドン・ジョバンニが地獄に堕ちて決別することで、彼は真の意味で改心し、愛の人に生まれ変わります。
一方、モーツァルトも「貧乏で変わりものだが良い人」というギミックを上手く活かした描かれ方をしていきます。記号のように逆立った白髪を振り乱す奇人のモーツァルトは、十分に魅力的な人間像です。仕事として作曲を続ける合間に金持ち令嬢のレッスンまでこなす妻思いのモーツァルトは、まさしく清貧の人であり、人徳の理想を体現するような好人物としてロレンツォと対比されます。

【まとめ】

決定的に価値観が違う者同士が少し疎ましく思いながらもやがて友情を結んでいく姿は、一種の青春映画やバディムービーのようですらあります。劇中劇としてのオペラ「ドン・ジョバンニ」がかなり長いのがズルい気もしますが、万人にオススメ出来る良い映画でした。
サリエリとモーツァルトの関係や「ドン・ジョバンニ」や「フィガロの結婚」の位置付けは語ってくれませんから、その辺りは事前に調べるなり見るなりしておいたほうが良いかもしれません。
基礎教養を要求してくるあたりもちょっとオシャレ映画っぽくて嫌な感じです(笑)。
順次拡大ロードショーですので、お近くで上映がある方は是非劇場で見てみて下さい。劇場の大音響で聴くドン・ジョバンニは最高です。オススメです。

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