川の底からこんにちは

川の底からこんにちは

GWの中日となる今日は

川の底からこんにちは」です。

評価:(97/100点) – 頑張りますから!!!ってかもう頑張るしかないんですから!!!


【あらすじ】

木村佐和子はOLである。バツイチ子持ちの課長・健一と付き合い、何事にも無気力。東京に出てから5年で4人の男に捨てられた。
ある日、健一とのデート中に父が肝硬変で倒れたと連絡が入る。過去のしがらみから帰郷を拒否する佐和子だったが、丁度仕事の責任をとって退職したばかりの健一はノリノリであった。こうして、佐和子は健一と彼の連れ子の加代子を伴って帰郷する。佐和子は父が経営するしじみ工場「木村水産」を継ぐことになるのだが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 佐和子の日常。
 ※第1ターニングポイント -> 佐和子が帰郷する。
第2幕 -> 佐和子と加代子としじみ工場。そして健一が出て行く。
 ※第2ターニングポイント -> 佐和子が朝礼で開き直り宣言。
第3幕 -> 父の死。


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【感想】

さて、GWも真ん中にさしかかった本日は「川の底からこんにちは」です。渋谷のユーロスペースでしか上映していないということもあってか、昼の回で立ち見まで出ていました。石井裕也監督の本格デビュー作であり、何より満島ひかりさんの主演作として(局所的に)話題の作品です。
いきなり結論から言いますと、私は大傑作だと思います。少なくとも今のところは今年見た中で一番面白かったです。テーマ自体はとても重たいんですが、それを軽妙なギャグとテンポの良い語り口でサクサクッと見せてくれます。監督もとてもメジャーデビュー作とは思えない手腕でして、堂々たる演出です。素晴らしかったです。

概要

本作のテーマをざっくりと言ってしまえば、「無気力だった女性がどん底から開き直り、それに周りも影響を受けてみんなで頑張る話。」です。
満島ひかり演じる木村佐和子は男に捨てられ続けて無気力そのものの「よくいる普通のOL」です。一方の健一は妻に逃げられたバツイチ子持ちで、しかも仕事もロクにできずに退職させられてしまいます。佐和子はこの自分と似て「中の下」「ロクなもんじゃない男」である健一のヘタレ全開で最低な行動を目の当たりにすることで、ついにキレて開き直るわけです。
満島さんの演技も、前半はローテンションで無気力な「いまどきの娘」像なんですが、一転して悲壮な程に「頑張ろう」とする後半にさしかかるとこれはもう本当に鬼気迫るというか素晴らしい演技を見せてくれます。昨年の「愛のむきだし」といいとても着実に女優としてのキャリアを積んでらして、とても素敵だと思います。
健一役の遠藤雅さんも良い存在感を見せてくれます。ちょっと間の抜けた(←失礼)顔といい、ちょっとおどおどした小者っぽい佇まいといい、完璧です。ナイスキャスト。
そしてはずしていけないのが加代子役の相原綺羅さんです。この子が出てくるコメディシーンは本当にとても良く出来ています。「両親の離婚でもの凄い速度で”ませ”てしまった子供」という役柄を完璧に見せてくれます。
総じて役者さんはどなたも素晴らしいです。木村水産のおばちゃん達の「田舎に居るオバタリアン」っぽい体型・仕草なんかは、出てきただけでちょっと笑いが起きる程です。

ストーリーについて

肝心の話ですが、これも大変良く出来ています。
本作にはいくつもの「相似形」が仕込まれています。
 1)  共に母親の居ない「佐和子(幼少で死別)」と「加代子(両親の離婚)」。
 2)  共に恋人を奪い合う「佐和子」と「友美」。
 3)  共に浮気をして出て行く「健一」と「敏子の旦那」。
 4)  共に浮気で駆け落ちして東京へ行く「佐和子」と「健一」。
 5)  「糞尿を撒く」行為と「父の遺灰を撒く」行為。
さらに良く出来ているのは、これらが全て「デ・ジャヴ」を意図して構成されていることです。演出上は「相似形ですよ!」と声高に見せずにしれっと流してくるんですが、これらは全て「前に起きたことと同じ事が後でも起きる」という連鎖になっているんです。だから例えば3)では、健一が目の前で敏子が旦那を叱るのを見ることで、自分も叱られる予感を感じます。
ここでもっとも大きいのは5)の「遺灰を撒く」行為です。前者は「糞尿を撒いた」結果として巨大スイカが取れるわけなので、当然「遺灰を撒いた結果」として何かポジティブな事が近未来に起こることが予感されます。だから本作は悲惨な状況の中でもハッピーエンドとして成立します。
また、どんなにシリアスな場面だったとしても、ウェットになりすぎそうになると細かいギャグで意図的に”泣きポイント”を外してきます。それは男女の修羅場だろうが、人が死ぬ場面だろうが、関係ありません。
この外し方がとても見事で、結果として凄く重たい話なのにコメディとして楽しく見られてしまうんです。笑わそうとして下らないギャグを詰めるのではなく、きちんと話を語る上で必要な時に的確にギャグを入れてくるんです。是非DVDが出ましたら、去年公開の「なくもんか」に関わったスタッフは全員繰り返し見ることをオススメします。これが正しい「映画としてのギャグ」です。

【まとめ】

とにかくですね、映画が好きな方はもう行ってるとは思いますが、それ以外の方も悪い事は言いませんので見に行っとくべきです。めちゃくちゃ面白い2時間を確約いたします。惜しむらくは、こういう映画をこそシネコンの全国公開プログラムに組み込んで欲しいものです。そりゃこんだけ面白い作品が150席しかないユーロスペースで1日4回じゃあ立ち見ぐらい出ますよ。
私も月末ぐらいにもう一回見に行こうと思っています。
あとavexさん!木村水産の社歌はCD化して下さい(笑)。絶対売れますから!

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ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

昨日は

「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見ました。

評価:(80/100点) – 雰囲気満点のイケメン・アイドル映画


【あらすじ】

ロレンツォはユダヤ教徒であったが、教会でダンテの「神曲」の挿絵にあるベアトリーチェに魅了されカトリックに改宗する。それから数年、成人して神父として働くロレンツォは、しかしその煽動的で前衛的な詩が異端審問会で問題視され、国外追放処分を受けてしまう。彼は師であるカサノヴァの紹介でウィーンのサリエリの元を頼る。その道中、彼は同じイタリア系のモーツァルトと出会う。やがてサリエリの紹介で神聖ローマ帝国皇帝の後ろ盾を受けたロレンツォは、「フィガロの結婚」を作詞、モーツァルトとのコンビで成功させる。そして満を持してロレンツォの悲願である「ドン・ジョバンニ」の制作をモーツァルトに持ちかける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ロレンツォのヴェネツィアでの生活
 ※第1ターニングポイント -> ロレンツォが国外追放される。
第2幕 -> ロレンツォとモーツァルト
 ※第2ターニングポイント -> ロレンツォがアンネッタと再会する
第3幕 -> 「ドン・ジョバンニ」の完成。


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【感想】

日曜日は「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見てきました。銀座テアトルシネマで見ましたが、入りは3~4割強で、中年のおばさんとクラシック好きっぽい若い女性1人で見に来ている方が多かったように思えます。
それもそのはず。現在関東で上映しているのが「Bunkamuraル・シネマ」と「銀座テアトルシネマ」のみと完全に「オサレ映画」シフトです。男でいうならば「シアターN」単館とか「新宿シネマート」単館ってとこでしょうか?(苦笑)
本作は巨匠カルロス・サウラ監督の新作ですからそりゃ映画好きなら見ざるを得ないわけですが、、、にしても映画オタクっぽい観客は私以外皆無(笑)。
本気で化粧臭い劇場は久しぶりでちょっと気分が悪くなりました(笑)。「グッド・バッド・ウィアード」の韓流オバさん軍団以来かも、、、。

雰囲気作りの妙

さて、本作を語ろうと思うと真っ先に出さなければいけないのが、その雰囲気作りの巧さです。なにせロレンツォとモーツァルトが優男のイケメンっていうのもありますが、それ以上に背景の作り方が非常に独特です。というのも、いわゆる「書き割り」「緞帳」の要領で、平たい壁に絵を描いて背景にしてくるんです。一番目立つのは、ロレンツォが雪の中で放心状態で町中を歩くシーンと、カサノヴァの図書室です。全ての背景が平面的な壁に絵画として描かれており、それが写りの角度で微妙に立体的に錯視してくるんです。
さらに背景以外でも、静止した人々の中へロレンツォやアンネッタが入っていくと急に動き始めるシーンなぞは非常に幻想的な雰囲気を作っています。
要はこれらの演出をすることで、「絵画が動いている」ような感覚を表現しているんです。この表現は本当に見事で、きらびやかな衣装と相まって本作の雰囲気作りに多いに貢献しています。

ストーリーライン

そして、本作のストーリーもこれまた良く出来ています。
放蕩者のロレンツォは、アンネッタを食事に誘って口説くシーンで完全に最低な遊び人っぷりを観客に見せてきます。フェラレーゼという彼女が居るくせにアンネッタを情熱的に口説くのです。しかもそこをフェラレーゼに見られているわけですが、その言い訳がまた女々しいこと女々しいこと(笑)。本当最低。でもだからこそ、真剣に恋をしたアンネッタを思うあまり、どんどんジョバンニ(←ギャグじゃないよ。無いよ、、、たぶん。)に自己投影していくロレンツォがとても魅力的なダメ人間に見えるわけです。さらには、彼が遂に改心して遊び人から情熱の人に転身すると、その決意として遊び人たるドン・ジョバンニは地獄に堕ちざるを得なくなります。そこにさらに絡まってくる「もう一人のジョバンニ」としてのカサノヴァの存在。史実を活かしながらもかなり自由にアレンジして、物語にしていく所はきっちり創作する手腕はお見事の一言に尽きます。
ロレンツォにとって「過去の自分」であるドン・ジョバンニが地獄に堕ちて決別することで、彼は真の意味で改心し、愛の人に生まれ変わります。
一方、モーツァルトも「貧乏で変わりものだが良い人」というギミックを上手く活かした描かれ方をしていきます。記号のように逆立った白髪を振り乱す奇人のモーツァルトは、十分に魅力的な人間像です。仕事として作曲を続ける合間に金持ち令嬢のレッスンまでこなす妻思いのモーツァルトは、まさしく清貧の人であり、人徳の理想を体現するような好人物としてロレンツォと対比されます。

【まとめ】

決定的に価値観が違う者同士が少し疎ましく思いながらもやがて友情を結んでいく姿は、一種の青春映画やバディムービーのようですらあります。劇中劇としてのオペラ「ドン・ジョバンニ」がかなり長いのがズルい気もしますが、万人にオススメ出来る良い映画でした。
サリエリとモーツァルトの関係や「ドン・ジョバンニ」や「フィガロの結婚」の位置付けは語ってくれませんから、その辺りは事前に調べるなり見るなりしておいたほうが良いかもしれません。
基礎教養を要求してくるあたりもちょっとオシャレ映画っぽくて嫌な感じです(笑)。
順次拡大ロードショーですので、お近くで上映がある方は是非劇場で見てみて下さい。劇場の大音響で聴くドン・ジョバンニは最高です。オススメです。

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アリス・イン・ワンダーランド

アリス・イン・ワンダーランド

今日の一本目は期待の新作、

「アリス・イン・ワンダーランド」です。

評価:(55/100点) – つまらなくはないが、、、中途半端。


【あらすじ】

19歳になったアリスは、ある日大勢の前でヘイミッシュにプロポーズをされる。しかし困惑した彼女は見かけた白ウサギを追いかけて逃げ出し、ウサギの穴に落ちてしまう。目が覚めるとそこは子供の頃から夢に出てきたワンダーランドだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アリスがパーティーに出席する。
 ※第1ターニングポイント -> アリスがアンダーランドに迷い込む。
第2幕 -> アリスとハッターとの再会。アリスと赤の女王の城。
 ※第2ターニングポイント -> アリスがヴォーパルの剣を持って城の女王に合流する。
第3幕 -> アリスとジャバウォックの決闘。


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【感想】

さて、本日はディズニー期待の大作実写映画・アリス・イン・ワンダーランドです。宣伝は去年の11月頃から散々見せられてきましたから、話の内容はあらかた想像がついていました(笑)。監督はティム・バートン。おなじみジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターがメイン級ででており、鉄板のバートン組って感じでしょうか?

話のディティールについて

本作の話自体は、よくある類の異世界に迷い込んで独裁者を倒すファンタジー・アドベンチャーです。最近ですと、ナルニア国物語第一章/第二章あたりが全く同じ話ですし、古くは「ネバーエンディングストーリー」や「オズの魔法使い」など山程ある話です。
そんな中で本作がアリスとしてギリギリ成立出来ているのは、一重にキャラクター造形の巧さです。特に見た目に関しては本当にジョン・テニエルが描いたオリジナル挿絵にそっくりです。ジャバウォックなんてそのまんまで3Dで動きますから、感激とまでいかないまでも感心はしました。
しかし、キャラクターの性格については正直に言ってほとんど原作と関係ありません。っていうかハッターが真面目かつヒロイックすぎますし、原作での最重要キャラ・白ウサギもキャラが薄すぎます。
結局ですね、本作はルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」にある単語やエピソードやキャラクター造形を使って、ティム・バートンが(ディズニーの制約の中で)好き放題やっているという印象がします。この「ディズニーの制約」というのが結構微妙だったりします。

ティム・バートンという監督の資質

いまや日本でも一般認知度の高い人気監督になりましたティム・バートンですが、当ブログで彼の作品を扱うのは初めてです。ということで、そもそもこの監督の資質というものについて考えてみたいと思います。
ティム・バートンの代表作といえば、バットマンシリーズやシザーハンズ、マーズ・アタックあたりが有名でしょうか? 彼の作品に共通するキーワードは「弱者に対する優しさ」と「カルトな描写」です。例えば「シザーハンズ」では生まれつき人とふれあうことが出来ない孤独なエドワードの悲哀を描いていますし、「バットマン・リターンズ」では親に捨てられた孤独なペンギンの悲哀が前面にでてきます。「チャーリーとチョコレート工場」では貧乏な少年が正直さと真面目さで評価されるようになりますし、「スウィーニー・トッド」では悪徳判事にハメられた一小市民の反撃を描きます。
そしてこれらの「弱者に対する優しい視点」がカルトな雰囲気を混ぜて倒錯した描かれ方をします。
では今回の「アリス・イン・ワンダーランド」はどうでしょうか?
「アリス・イン・ワンダーランド」はまさに赤の女王の圧政で虐げられた人々の復讐劇です。その意味ではこれ以上ないほど「弱者の味方」そのままです。ところが、、、本作を見ていてイマイチ物足りないのはここに「カルトな描写」が入ってこないことです。具体的にはマッド・ハッターがまったくマッド(=気狂い)じゃないんです。せっかくジョニー・デップなのに、全然変人ではありません。マッドなのは服のセンスぐらいです(苦笑)。
本作で私が一番ワクワクしたシーンはずばり言って、赤の女王城のお堀に浮いた顔(生首)を飛び石にしてアリスが渡るシーンです。あとはアン・ハサウェイ演じる「白の女王」のエドワード・シザーハンズを連想させる変な動きぐらいでしょうか?
逆に言うとですね、、、そこ以外はきわめて普通で、「毒気」を抜かれたティム・バートンの抜け殻のように見えてしまいます。とてもディズニーっぽいと言った方が良いかもしれません。ディズニーなので赤の女王を処刑するわけにはいかないですし、人間の形をしたクリーチャーは殺せないんです。
でもそれってティム・バートンの魅力の大部分を削いでしまっているわけです。じゃあカルト表現を削いだ分だけファミリー向けになっているかというと、そうでもありません。生首が出てきたりしちゃうわけで、100%ファミリー向けにはなっていません。とっても中途半端です。

話のプロット上で気になる点

物語で気になる点は結構あります。まず一番は、そもそもアリスが救世主であることの根拠の薄さです。「預言に書いてあるから」ってだけだとちょっと、、、。おそらく実際には「アンダーランド(ワンダーランド)はアリスの夢なのだから自分が最重要人物になるのは当然」って辺りの事情だと思いますが、ちょっと微妙です。しかも終盤では、いくら「ヴォーパルの剣が戦ってくれるから握ってるだけで良い」とはいえ、ちょっと驚くほどのアクションを見せてくれます。せめて白の女王に合流した後で剣術の練習ぐらいはして欲しかったです。
第二に、この物語の着地の仕方です。本作は最終的には「ダウナー系の不思議ちゃん」だったアリスが「物事をハッキリ自己主張する大人の女性」に成長する物語になります。でですね、、、この自己主張の仕方に問題があると思うんです。特に姉とおばちゃんに対しての態度は自己主張っていうよりは冷や水をぶっかけてるようにしか見えません。もしかしたらアメリカ人の感覚では問題無いのかも知れませんが、ちょっとどうなんでしょうね?

【まとめ】

ここまで書いていない重要な事があります。
原作の「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」が何故ここまで名作として普及しているかという理由は、もちろん1951年のディズニーアニメの影響もありますが、その原作の持つ暗喩性によるところが大きいと思います。早い話がアリス・キングスレーが少女から女性に成長する過程をワンダーランドのメタファーに置き換えて語っているわけです。
ですから、私個人としては「千と千尋の神隠し」で宮崎駿がやったような「倒錯した自分流の不思議の国のアリス」をティム・バートンがやってくれることを期待していました。その意味ではちょっとがっかりです。
しかし、決してつまらない話ではありません。手放しでは喜べないものの、最近のファンタジーアドヴェンチャーとしては手堅い出来です。小さいお子さんを連れて行くのは考えものですが、友人や恋人と気軽に見るには最適ではないでしょうか? ディズニーのエンタメ・ファンタジーとしては十分に及第点だと思います。

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シャッターアイランド

シャッターアイランド

本日はレイトで

シャッターアイランド」を見ました。

評価:(62/100点) – どうしたスコセッシ、、、。


【あらすじ】

連邦保安官のテディは相棒のチャックと孤島「シャッターアイランド」に捜査のためやってきた。犯罪者収容所のなかでも精神病患者に特化したシャッターアイランドで、レイチェルという女性が密室から忽然と姿を消したためである。捜査を続ける二人だったが、やがてテディは亡き妻の仇を探しにシャッターアイランドに入り込むチャンスをうかがっていたと語り始める、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> テディとチャックの出会い
 ※第1ターニングポイント -> シャッターアイランドに着く。
第2幕 -> レイチェルの捜索とレジェスの捜索
 ※第2ターニングポイント -> テディが島からの脱出を決意する。
第3幕 -> チャックの救出と真相


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【感想】

さてさて金曜恒例の新作レイトショーですが、今週はマーティン・スコセッシ監督の「シャッターアイランド」です。言わずと知れたハリウッド映画界・最重要監督の一人であり、なにより「ハスラー2」と「タクシードライバー」という巨魁を打ち立てた教科書に出てくるレベルの大巨星です。
で、その新作なんですが、、、公式サイトを見ていただくと分かるようにひたすら「謎」という名のどんでん返しを猛プッシュして来ていまして、ある意味では宣伝の失敗と言えるかも知れないんですが、、、、酷い。
一応サスペンスなんで多くは書きませんが、このどんでん返しを宣伝しすぎているために本末転倒になっています。どんでん返しっていうのは意表を突かれるから効果があるわけで、最初から「どんでん返しあります!」って言われたら何の意味も無いんです。
ネタバレギリギリをえぐると、要は「シャマラン問題」です。
これは、ご存じ「シックス・センス」以降のM・ナイト・シャマラン監督が、ひたすらラストの立場逆転や世界観どんでん返しにこだわり続けていることに関する議論の総称です。早い話が「ラストでひっくり返すための前振りを続けるって映画としてどうよ?」という論点で、面白ければ良いと思うか映画でやるなと思うかで意見が分かれるわけです。
ただ本作は、第2幕までの描写はそこそこ出来てはいます。だから見ている間はそこまで気になるほど酷いとは思いません。ただ、、、やっぱり10年遅いんです。いまさら「シックス・センス」のど直球なフォロワーを見せられても、アイデアに手垢が付きすぎていてまったく驚けません。
わかったのは、やっぱりデヴィッド・リンチの悪夢描写はずば抜けているという事と、シャマランも意外と映画力あるんだなって事です(笑
スコセッシ監督には、そろそろディカプリオをやめて昔のような男泣き必至の名作をまた作っていただきたいです。興行成績はともかく、作家としての彼のフィルモグラフィー上では間違いなく無かったことになる類の珍作でした。余韻の残し方なんかはこれぞスコセッシって感じの繊細さですから、まだまだ現役で撮っていただいて、もっともっと彼の作品が見たいです。
オススメはしづらいんですが、、、役者のファンならば間違いなく押さえておいた方が良いです。俳優や演出は全く問題無いですから。

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記事の評価
人の砂漠

人の砂漠

連休最後の映画は

「人の砂漠」です。

評価:

屑の世界     : 2/100点 – 雰囲気のみ
鏡の調書     : 0/100点 – 雰囲気すら無い
おばあさんが死んだ: 4/100点 – わかりきった出オチ
棄てられた女たちのユートピア: 60/100点 – 小池栄子ってこんなに演技できたっけ?



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【感想】

本作は1980年に出版されたジャーナリスト沢木耕太郎のノンフィクション短編を東京芸大の院生が映画化したものです。なので本作はバリバリの素人映画でして、立ち位置としては大学の映研以上プロ未満といったところでしょうか。ぶっちゃけて言いますともし本作が文化祭でふらっと入った映研の上映会で流れていたら、頑張れって感じで好意的に見られたかも知れません。しかし大学配給とはいえ商業ベースに乗せていますし、しかもプロの俳優をキャスティングしてるのですから、今や彼らは立派なプロです。「素人が撮ったのだから」という甘やかしのエクスキューズを無しにして、酷評させていただきます。

まずは総評として

本作は4つの30分短編からなるオムニバス作品です。4つの作品は全て「人の砂漠」から持ってきていまして、全てに共通するテーマは「人と人との繋がり」です。
まず見ていて最初に気がつくのは、一つ一つの短編が終わるごとに逐一スタッフロールが流れることです。つまり計4回のスタッフロールを見ることになります。あのですね、、、本作は仮にも「人の砂漠」という一本の「オムニバス映画」なんですよ。だったら4本の短編を総括する総合プロデューサーが居るわけですよね? 4本の並び順とかトーン調整とかクオリティのチェックを誰かがやってるはずでしょう? だったら、最後にまとめてスタッフロールを出せ!
逐一スタッフロールが流れる時点で、作り手はこの映画を「”人の砂漠”という一本の映画」にまとめる気が無いという風に私は解釈しました。そんな志なら1本450円の4本立て上映にしろ。
次に、「人の砂漠」を「2010年に」映画にするということの根本的な意味です。原作の「人の砂漠」は1970年代当時の日本における「日の目を見ない端っこの人間」を取材したルポです。そこには残酷だったり、可笑しかったり、平凡だったり、そういった「主役になれない人達」が居るわけです。で、、、今、2010年になって、何故この原作を映画化しようと江口友起氏が企画したんでしょうか?
1970年代のノスタルジーを再現したかったからですか?
2010年になっても通用する普遍的なテーマがあると考え、それを掘り起こしたかったからですか?
この映画を見る限りさっぱり分かりません。後述する各作品にも通じることですが、映画は雰囲気だけで成立するものではありません。そんなものは堤幸彦や本広克之のようなエンタメ監督に任せておけばいい話です。学生でしかも映画を専攻しているのであれば、きちんとテーマと演出を勉強してもらって、我々を、世界中の映画ファンを引っ張るような映画監督を目指してもらいたいです。それに挫折してからでも、コネさえアレばTV局や広告代理店経由でなら映画監督にはなれますから。
最後に、ノンフィクション作品を映画化する手法についてです。ノンフィクションを映画にするためには、再取材してドキュメンタリー映画にするか劇映画に脚色するかの選択が必要です。そしておそらく本作は後者を選んでいます。だったら、各作品にテーマを決めて、嘘や誇張を混ぜながらストーリーを組む必要があります。ここが決定的に弱いです。特に前半3編については視点を決められなかったのが完全に失敗です。

1. 屑の世界

まず、1編目の「屑の世界」です。詳しい描写が無いのでさっぱり分かりませんが、おそらくホームレス達に慕われている屑鉄屋の主人公が、行政に強制移転命令を出された腹いせにマンホールや公園遊具の鉄を盗んで逮捕される話です。
これは本当に酷い雰囲気のみの作品です。そもそも孫がなぜ家出をしたのか?何故屑鉄屋がホームレスに慕われているのか?近隣住人との確執は?移転先に仲間を連れて行けない理由は?
背景が全く描かれないためにキャラクターが全て記号としてしか機能していません。まったく人間に見えませんので魅力なんぞあるはずもなく、何が起きても何の感慨も沸きません。
映画にとって視点の受け皿がいかに大事かが良く分かる反面教師的作品です。

2. 鏡の調書

これが本オムニバスの中で最も酷いです。ある詐欺師のおばちゃんが、田舎の商店街で町内会のおじさん数人とスーパーのレジのおネェチャンを騙す話です。これは演出の方向性を決められていないため終始意味不明な作品になっています。
そもそも本作のプロットは相当面白いはずです。なにせキャラの濃い詐欺師のおばちゃんの話なんですから。
・おばちゃんを格好良いアンチヒーローとして描くのか?
・おばちゃんをどうしようもない極悪人として描くのか?
・またはその振り幅で人間の奥行きを描くのか?
・犯罪サスペンスとして描くのか?
・コメディとして描くのか?
本作を劇映画に落とし込むためには、演出の方向性を決めないと行けません。この作品では方向がグラッグラのため、まったく説得力の無い退屈な映像の羅列になってしまっています。夏木マリの化粧がコントのそれですので、ルックスはコメディ方向に見えます。でも微妙にシリアスな雰囲気覆われていてまったくギャグが入りません。見ていてこの作品を監督がどうしたいかが見えてこないため、こちらも戸惑ったまま見続けることになります。結果的には何も盛り上がらず、何も伝わらない、雰囲気すら作れていない映像の羅列です。ホームビデオ以下。ご愁傷様です。

3. おばあさんが死んだ

これは惜しい作品です。ある母子家庭で性格に問題のある母親が、病気がちな息子の看病を通じて精神を病んでいく話です。まず話全体が完全にラストの出オチのみに向かっていきます。方向性があるだけ「鏡の調書」よりはマシですが、前半で無意味な時系列シャッフルをしてしまうことで出オチが早々にバレてしまい、全て台無しです。時系列シャッフルというのは「オシャレ映画を作るためのカジュアルなツール」ではありません。なんでもかんでも時系列をシャッフルしては逆効果です。また息子の描写が薄いために終盤のインパクトが相当減じています。予定調和過ぎるというか、ベタベタな記号にしか見えません。せっかく向かいの娘さんを盗聴したり気があるそぶりをしたりする描写があるのですから、きちんとそこを積んでいけばもうちょっと良い作品になったと思います。
室井滋はよかったので、もっと親子のすれ違いで母親が追い詰められていく姿を描いた方が良かったです。残念。30分という制約はあるでしょうが、大変惜しいです。

4. 棄てられた女たちのユートピア

これが本作の中で唯一まともに構成された作品です。親に棄てられて自暴自棄になっていた元売春婦が、精神を病んだ人たちの暮らす教会で自分の人生を見つめ直して立ち向かおうとする話です。
不器用な作品ですが、私は結構好きです。
話の根幹は、親に棄てられた「いちこ」の成長物語です。きちんと「いちこ」の内面が描かれていますし、「いちこ」と「香織」と「娘」の関係性の作り方が良く出来ています。娘に説教しながらもその実は自分に説教をしているところなど、なかなか出来ない演出です。
キャラクターを描いて、ストーリーを組んで、きっちり30分にまとまっていますから。4本ともこのスタッフに撮らせた方が良かったのでは?

【まとめ】

ということでざっくりと4編を見てきましたが、はっきりいって劇映画として成立しているのは最後の「棄てられた女たちのユートピア」だけです。とはいえこの「棄てられた女たちのユートピア」がかなり良い作品ですので、見て損は無いと思います。
本作に参加した学生の方達は是非とも良い映画監督を目指していただきたいです。

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記事の評価
マイレージ、マイライフ

マイレージ、マイライフ

2本目は、ゴールデングローブの脚本賞を獲りました、

マイレージ、マイライフ」です。

評価:(90/100点) – 大人になるって、悲しいことなのかもね、、、。


【あらすじ】

ライアン・ビンガムはやり手の解雇通告人である。彼は依頼の来た会社に出向き人事担当に変わってリストラを穏便に通告していく。仕事で毎日のようにアメリカ中を横断する彼にとって、飛行機こそが「我が家」であった。ある日、新入社員のナタリーはビデオチャットで解雇を告げるシステムを会社に提案し、出張経費の削減を図ろうとする。これに反対したビンガムに、会社は彼女を実地研修のため出張に同行させるよう命じる。こうして、ビンガムとナタリーの解雇通告の長期出張が始まった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ビンガムの仕事風景とアレックスとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ナタリーが出張に同行するようになる。
第2幕 -> ビンガムとナタリーの仕事。そしてビンガムとアレックスの恋愛。
 ※第2ターニングポイント -> ビンガムの妹の結婚式が終わる。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

さて、残念ながらアカデミーは無冠に終わりましたが、ゴールデングローブ脚本賞を獲りましたマイレージ・マイライフです。監督は「ジュノ」のジェイソン・ライトマン。「ゴースト・バスターズ」で有名なアイヴァン・ライトマンの息子です。主演は大根役者ながら人の良さがにじみ出ているジョージ・クルーニー。ちなみに私はジョージ・クルーニーが大好きです。夜の早い回で見ましたが、かなり観客が入っていました。それでも大箱では無いのが残念です。
本作の原題は「Up In the Air」で、直訳しますと「空中を漂う」となります。ダブルミーニングになっていまして、「飛行機」そのものと「地に足が付いて無い男」の両方を表しています。すばらしいタイトルですので「マイレージ、マイライフ」よりも、これを意訳したタイトルをつけて欲しかったです。
また、以下の文章は例によって若干のネタバレを含みます。結末を知って見方が変わるたぐいのエンタメではありませんが、まっさらな状態で観たい方はご遠慮下さい。

本作のストーリー

本作の主人公ライアン・ビンガムは、独身で親戚や近所付き合いもほとんど無く、ほぼ一年中出張しています。夢は史上7人目の1000万マイレージを貯めて機長と会話をすること。時には「What’s In Your Backpack? (あなたは何を背負ってる?)」というテーマで「悠々自適な人生」の講演会まで引き受けたりします。彼にとっては家族は重荷であり、女性とも「カジュアルな関係」以上には踏み込みません。非常に合理的というか実利的に生きています。彼にとっては空港と飛行機がくつろげる唯一の場所であり、アテンダントの笑顔が癒しです。
ところが、彼が仕事として解雇通告をする際は非常に人間的で親身な対応をモットーとします。マニュアルに沿って事務的に解雇通告するのではなく、きちんと相手に納得させた上で生きる希望をもたせます。
そんな中で、彼は自分とは180℃考えの違うナタリーの面倒を見ることになります。プレイベートでの彼女は若くしての結婚を望み、高学歴ながら彼氏を追ってオマハまで来て解雇人のような泥臭い仕事に就きます。しかし仕事となると彼女は徹底した合理主義者になります。経費削減のためのビデオチャットを提案し、解雇通告もフローチャートでマニュアル化して誰でも出来るようにしようとします。
そんな全く別の存在・ナタリーがいる一方で、ビンガムは自分と同じく出張好きのアレックスに出会います。彼女との恋愛はあくまでも「カジュアルな関係」であり、お互いにショートメールをしたり落ち合って一晩だけ過ごしたりするだけの関係です。
この「似たもの同士」「正反対」という2人の女性を通じて、ビンガムは自身の価値観を徐々に変えていきます。

ビンガムの価値観

彼にとって家族は重荷です。女性とも真剣に付き合いません。そして飛行機が大好きです。要は「子供」なんです。たしかに仕事中にはとてつもない包容力を見せますが、プライベートは決定的に「子供」です。
彼は終盤、2人の女性を通じて真面目に恋愛しようと決意するに至ります。要は大人になろうという決意を固めたわけですね。まさにそのとき二つの悲劇が起こります。そしてこの悲劇によって彼は否応なく大人に”させられて”しまいます。彼は他人との関係をきちんと考えるようになります。それが如実に表れるのが最後に出てくる「ある手紙」です。
しかしその一方で、彼は夢が叶っても素直に喜べず、いままで好きだったはずの物を前にしてただ呆然としてしまいます。大人になったことで世界から喜びが消えてしまったんです。ビンガムは間違いなく「正しい大人」になったんですが、幸せそうには見えません。
本作における大人への成長は、責任の獲得であり、無邪気さの消失であり、そして夢に向かう情熱の喪失です。
本作が上手いのは、この流れが序盤でビンガムが解雇通告する際の話に通じるところです。ビンガムは自身を「ウェイクアップ・コール(目覚まし電話・価値観の転換を促す存在)」だとし、リストラ対象者に子供のころの夢をあきらめるなと言うんですね。ところが、いざ自分がウェイクアップコールを受けたら夢が消えちゃったんです。
だから、発着陸掲示板を前にしたビンガムの姿を見て、ちょっと泣いちゃうわけです。

【まとめ】

本作はかなりアクロバティックな変形の「少年の成長物語」です。たぶん社会人ならば、そして特に夢をあきらめざるを得なかったサラリーマンやOLなら、誰しも身につまされて心を揺さぶられるでしょう。ただのエンタメではありません。ある種のロマンでありファンタジーがこの作品には詰まっています。
大規模公開ではないですが見ておくべき良作です。間違いなくオススメします!!! 劇場で泣いてしまえ!!!

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NINE

NINE

本日は二本観てきました。一本目は

NINE」です。

評価:(25/100点) – ドキッ。セレブだらけのカラオケ大会、ポロリもあるよ(※ただし後ろ姿)


【あらすじ】

かつて傑作をいくつも生み出した映画監督のグイドは、近作でスランプに陥っていた。彼は地元のイタリアで再起をかけた映画「イタリア」の撮影を決める。しかしアイデアが浮かんでこず、チネチッタの撮影セットや衣装だけが決まっていく。耐えかねた彼は愛人を呼んで現実逃避をするが、愛人の旦那に見つかり、妻にも愛想を尽かれて逃げられてしまう。さらには脚本が無いことを理由に主演女優にも逃げられ、彼はやむなく「イタリア」の制作を断念する。それから二年後、再会した衣装デザイナーにハッパをかけられ、彼は惨めな自身をモデルにして「愛の復活」を描く「NINE」を撮り始める。


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【感想】

さて巨大バジェットで有名女優をかき集めたある意味大作映画の「NINE」です。ご存じ1950年代を代表する巨匠・フェデリコ=フェリーニのキャリア転換点になった「8 1/2」を原作としたブロードウェイミュージカルをさらに再映画化したという屈折した背景の作品です。監督は傑作・シカゴで一躍映画界に躍り出たロブ・マーシャル。「シカゴ(2002)」と同じく定番ミュージカルの映画化で夢よもう一度といったところでしょうか?

ストーリーについて

このストーリーという部分が相当酷いです。なにせ上記のあらすじが完璧に全てです。「8 1/2」を元ネタにしておいてどうしてここまで駄作が作れるのかちょっと信じられません。実は今確認のためDVDで「シカゴ(2002)」を見ながら書いているのですが、やはり本作であきらかにロブ・マーシャルが失敗している事があります。それはミュージカル・パートの使い方です。

昔のミュージカル映画が好きな方には常識だと思いますが、ミュージカルにおける歌というのは台詞と同じです。例えば会話のシーンであれば二人の掛け合いの歌が流れ、法廷のシーンであれば弁護士がメインで歌って判事や傍聴席が合いの手を入れます。あくまでも台詞の代わりとしての歌なので、間奏で通常の会話が挟まったりします。これがミュージカル映画です。

ところが、、、本作ではミュージカル・パートが単なる歌の機能しか持っておらず、話に何にも寄与していません。歌が始まるとストーリーが止まってしまうんです。そのため、極端な話をすれば、ミュージカル・パートを全てカットしても物語に何の影響もありません。これは大問題です。要はミュージカル映画の体をなしていないんです。とはいえ舞台が専門のロブ・マーシャルがこんな基本を分からないはずが無いと思いシカゴを見直しているんですが、やはりシカゴではきちんとその点は出来ていました。むしろ歌で物語が綺麗にサクサクと進んで行く、ミュージカル映画の理想型でした。ということは、、、ロブ・マーシャルが劣化した!?、、、、というのは冗談として、やはりカラオケ大会的な部分を重視したということなんだと思います。また、ミュージカルパートで物語が進まないせいで、歌がただのキャラクター・ソングになっているように見えます。有名女優が出てきてキャラソンを歌うだけの映画。しかも結構みんな歌が下手。悪夢のようです(苦笑)。

そして今更なんですが、「8 1/2」が何故傑作たり得ていたのかという大きな要因に、「8 1/2」がメタ構造を取っていたという点があります。要は劇中で苦悩するグイドがそのまんまフェリーニの苦悩になっていて、一種の精神治療というか、独白になっていたわけです。しかし本作にその構造はありません。まぁ当たり前ちゃあ当たり前です。だってフェリーニの独白をリメイクしてるのに、ロブ・マーシャルの独白に変えられるわけがないですから。なので、そもそもリメイク企画自体がたぶん失敗なんだと思います。

【まとめ】

残念ですが、「有名人を大勢使えば良い映画になるとは限らない」という見本になってしまっています。見ると分かりますがソフィア・ローレンもケイト・ハドソンもファーギーもニコール・キッドマンも大して物語に絡んできません(苦笑)。せっかく題材がすばらしいのに、ただのカラオケ大会になってしまっていました。
強いて良いところをあげればペネロペ・クルスとマリオン・コティヤール が格好良いってことでしょうか。さすがはゲイの監督だけあって、女性に下品さや色っぽさが無く、格好良さが前面に出てきます。
まぁ、、、映画館で見る価値はないですよ。気になった方はDVDを待つかサントラを買って下さい。私も映画としては最低レベルだと思いますが、たぶんサントラを買います。
劇中でグイドに「みんな脚本脚本って五月蠅い!!!脚本がそんなに大事か!!!」という台詞があるのですが、私は大事だと思います(笑)。ちゃんとしたメタ構造を撮れないのに、本作がつまらない件の言い訳だけ劇中でやられても、、、、(苦笑)。

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渇き

渇き

いまさらですが「渇き」を観てきました。

評価:(75/100点) – 変テコながらハイテンション。


【あらすじ】

神父のサンヒョンは己の無力感からエマニュエル・ウィルスの被験者となる。死亡率の高いEV実験の中で、サンヒョンは発症しながらも生き残った初めての被験者として奇跡の象徴となる。しかし彼が生き残ったのは、輸血を受けた謎の血液の効果だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サンヒョンがEV実験の被験者となる。
 ※第1ターニングポイント -> サンヒョンがヴァンパイアになる
第2幕 -> サンヒョンとテジュの浮気
 ※第2ターニングポイント -> テジュがヴァンパイアになる。
第3幕 -> 結末


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【感想】

今日はパク・チャヌクの「渇き」を見てきました。観ようみようと思ったまま時間が合わず、気付いたら公開終了だったので滑り込みです。
とても変テコでハイテンションで、そして凄まじいフィルムでした。
大ざっばなジャンルとしてはモンスターホラーものです。神父であるサンヒョンがひょんなことからヴァンパイアとなり、聖職者としてのモラルとヴァンパイアとして生きるのに必要な血の獲得の間で揺れ動きます。そしてその均衡を崩す存在としてのテジュ。崩れるまでの苦悩と崩れた瞬間からの開き直り。まるで前半と後半で別の映画を見ているようで、それでも確実にサンヒョンの価値観だけがまっすぐに芯が通っています。分かりやすいモンスターとして描かずに、まるでヴァンパイアであることを病気か障害のように苦悩する人間像というのは結構珍しかったりします。
ヴァンパイアみたいな怪物は「十字架が嫌い」「神の敵」みたいな位置でキャラ付けをされることが大変多いのですが、本作ではむしろ神に忠実な人間くさい男です。このアイデアは中々です。
演出面ではかなりぎこちないカメラワークを使ってきまして、とても無骨で荒い印象を受けます。それは本作のトーンにばっちりです。
またソン・ガンホのすこしやつれた顔がまるで苦悩が張り付いているように見えてきてとても嵌っていますし、キムオクビンの終盤でがらっと変わる演技も本当に素晴らしいです。手放しで褒められるような脚本ではありませんが、しかし丁寧な人間描写と的確な伏線運びはさすがのパク・チャヌクです。
ゴア描写有りの怪奇映画でここまで人間ドラマを描かれてしまっては、正直そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできません。そういった意味で、文句なくオススメできる良作です。ゴア描写が平気な人にだけですが(苦笑)。

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