抱きたいカンケイ

抱きたいカンケイ

映画の日の2本目は

「抱きたいカンケイ」です。

評価:(60/100点) – アラサーでアイドルやってもよかですか?


【あらすじ】

エマは研修医。仕事にどっぷりで遊びに行く時間も無い。ある日彼女は酔った勢いで泊まっていった顔見知りのアダムと勢いで関係をもってしまう。付き合おうとするアダムに対してエマはそんな時間は無いと一周、体だけの関係なら構わないと言い放つ。一度は納得したものの結局エマに恋をしつづけるアダムと、面倒なことはお断りといいながらも徐々に魅かれていくエマ。結局2人はどうなってしまうのか、、、。


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【感想】

今月の映画の日の2本目は「抱きたいカンケイ」です。昼の回は完全満席だったので、レイトショーで見ました。1,000円の日とはいえ人が入らないでお馴染みのラブコメが満席というのは感慨深いものがあります。主演がナタリー・ポートマンとアシュトン・カッチャー。監督は「ゴーストバスターズ」「エボリューション」等のSFコメディの巨匠アイヴァン・ライトマンです。ライトマンはモンテシト・ピクチャーを作ってからはほとんどプロデューサーばかりやっていたので、本当に久々の監督作です。
ラブコメに真面目にツッコミを入れても仕方がないので触りだけ。
マサチューセッツ大学ウースター校を出た結構頭の良い医者の卵・エマは恋愛を「時間の無駄」として割り切っています。一方のアダムは等身大のダメ人間っぽい感じで登場します。父親が有名なTVの司会者で、自身は脚本家になりたくてTV制作会社でアシスタントスタッフをやっています。この2人がなんだかんだで出会って恋愛に発展するまでを映画にしています。
とまぁそんな感じですので、「そんなんあるかい!!!」みたいなご都合展開ばっかりです(苦笑)。ラブコメとして見れば本当に中の中というか、標準的な出来だと思います。ただですね、アシュトン・カッチャーのアシュトン・カッチャーらしさであったり、ナタリー・ポートマンのナタリー・ポートマンらしさみたいな、いささかカリカチュアされた特徴が良く出ていてアイドル映画としてはかなり破壊力のある作品です。
例えば、「アシュトン・カッチャーってどんな人?」と言われた場合に思い浮かべるのは「好青年」「アホの子っぽいけど素は真面目」「年上キラー」とかそういうキーワードが出てきます。それはナタリー・ポートマンも同じで、「頭よさそう」「超生真面目」「お嬢様」とかそういうキーワードが出てきます。そういういままでのキャリアやテレビ番組で付いてしまっているイメージのそのまんまをコメディとして役に当ててきてるんです。
二人とも童顔ですし、もう29歳と33歳なのにどことなく青春っぽさが出てくるのもナイスキャスティングです。
単純にナタリー・ポートマンが下世話なことをやらされてるという面白さもあるんですが、アシュトン・カッチャーもまったく期待を裏切らないサービスショットだらけですし、十分アイドル映画になっていると思います。アラサーの一線級俳優を捕まえてアイドルもないですけど(笑)。
ということで、主演俳優2人のファンであれば映画館に駆けつけつつDVDも予約した方が良いと思います。逆に言うとこの2人でピンと来ない方は絶対後悔しますので無かったことにしましょう。個人的には買いですw ここまで楽しそうなアシュトン・カッチャーはバタフライ・エフェクト以来かも知れません。

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記事の評価
スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団

スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団

連休2日目は渋谷で単館系を2本です。1本目は

スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団」です。

評価:(90/100点) – やっと来た! ファミコン世代感涙のアホ・コメディ・アクション・恋愛映画!


【あらすじ】

スコット・ピルグリムは無職でロックバンド「セックス・ボブ・オム」のベーシストのダメ人間である。最近17歳で中国系の彼女ができて浮かれている。そんな彼はある日、白昼夢を見てしまう。そして白昼夢で見かけたピンク髪の女性に一目惚れをしてしまう。ところがなんと、17歳の彼女ナイブス・チャウと図書館でデート中に夢の女性を見かける。どうしても彼女の事が知りたい彼はその日の夜パーティで聞き込みを行い、ついにピンク髪の女性ラモーナを発見する。なんだかんだで付き合う事になるスコットとラモーナだったが、なんとラモーナには元カレ達で組織された「エクシズ」というグループが付いていた! スコットの前に立ちはだかるエクシズの面々。はたしてスコットはエクシズを乗り越えてラモーナとの幸せを掴むことが出来るのか?

【三幕構成】

第1幕 -> スコットとチャウとの付き合いと白昼夢
 ※第1ターニングポイント -> ラモーナと付き合うことになる
第2幕 -> エクシズとの戦い。
 ※第2ターニングポイント -> ラモーナがギデオンについて行く
第3幕 -> ギデオンとの決闘。


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【感想】

本日の一本目は「スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団」です。邦題について言いたいことはありますが、まずは公開されただけで良かったです。署名活動に携わった方々、本当にお疲れ様でした。
が、、、が、、、、、観客が少ない!!!!!!
渋谷のシネマライズで見ましたが、お客さんの入りは6~7割ぐらいでした。たしかにポスターを見るだにオタク向けですしアメリカでは盛大に転けていますが、あまりにもあんまりです。とりあえずこういう面白い映画に人が入らなくて公開されなくなるのは嫌なので、拡大ロードショーになる5月半ばにはもう一回見に行きます。
本作はテレビゲームやアニメへのオマージュがとてつもない事になっていて物凄い情報量を畳みかけてきますので、詳しく知りたい方は今月号の映画秘宝を読んで下さいw 主要所は全部載ってます。また下記のサイトがアメリカのオタク達がみんなで元ネタを持ち寄ったwikiです。
http://scottpilgrim.wikia.com/wiki/Scott_Pilgrim_Wiki
こいったオタクマインド全開なアホ映画ですので、好きな人には本当に心に刺さります。いきなり冒頭のユニバーサルロゴがドット絵かつ音も8ビット音楽だったり、「ファイナルファンタジー2だ!!!」とか言ってFF2のバトルBGMをベースで弾き始めたり、ストリートファイターの声が入ったり、スーパーマンリターンズでクラークケントを演じたブランドン・ラウスが胸に「3」のマークをつけて野菜好きのサイヤ人になってギターヒーロー対決したり、挙げればキリが無いくらい頭の悪いアホネタの宝庫になっています。
もし難点があるとすれば、スコットがナイブスと付き合ってるのに当然のようにラモーナと二股を掛けたり、ラモーナも元カレ軍団になんにも言わなかったり、ちょっと自分勝手過ぎる点です。結構ナイブスが健気で可哀想ですし、セックス・ボブ・オムのドラマー・キムもかなりツンデレで可哀想な人になっています。
ただ、軽く引くぐらい物凄いテンションで押し切っていますので、笑っていると2時間があっという間に経ってしまいます。圧倒的に頭の悪い戦いの数々と、そして頭の悪いゲイネタの数々。とにかく、20代~40代前半までの人ならど真ん中で突き刺さるはずですので、見に行ってみて下さい。
内容はありませんので(笑)、ただただとっても愉快な2時間が過ごせます。「高校デビュー」のような芸人の一発ネタを出してくる邦画と何が違うのかと言われてしまうかも知れませんが、本作はエドガー・ライトがきちんとしたテクニックでかなり上手く演出しています。だから所々は頭が悪くても、全体としては普通に良く出来た映画です。ファミコン世代は確実に見ておくべき青春映画です。超おすすめ大プッシュです。

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メアリー&マックス

メアリー&マックス

日曜日も1本、

メアリー&マックス」をみました。

評価:(65/100点) – マイノリティ達への優しい物語。


【あらすじ】

メアリーはオーストラリアに住む8歳の少女である。働き者で家庭に無関心な父とアルコール依存症の母と暮らし、友達は誰も居ない。ある日彼女は「子供はビール瓶の底から生まれる」という噂の真実を確かめようとアメリカの電話帳から適当に選んだマックス・ジェリー・ホロウィッツに手紙を出してみた。すると数週間後、彼女の元には返事が返ってきた。こうしてメアリーとマックスの国を超えた文通が始まった。

【三幕構成】

第1幕 -> メアリーの家庭事情と最初の手紙。
 ※第1ターニングポイント -> マックスが返事を書く。
第2幕 -> 文通して過ごした時間とメアリーの論文。
 ※第2ターニングポイント -> マックスが怒る。
第3幕 -> 仲直りと渡米。


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【感想】

先週の日曜日は「メアリー&マックス」を見て来ました。監督は前作「ハーヴィー・クランペット」でアカデミー短編アニメ作品賞を獲得したアダム・エリオット。そこまで大々的な宣伝はしていませんが、少ない公開館のマイナー映画な割には結構なお客さんが入っていました。
本作はいままでのエリオットの4作品「アンクル(叔父さん)」「カズン(いとこ)」「兄弟(ブラザー)」「ハーヴィー・クランペット」と同じく、一人の人物の成長・人生を描きます。画面はいつも通り暗いグレースケールで構成されており、精神的な病をもった人間や社会的弱者に焦点を当てて比較的冷めたトーンで描き、その上で人生をポジティブに見せます。
毎度毎度このパターンで来ていますので、これがエリオットの作家性なんでしょう。ちなみに過去の4作品はすべてイマジカ/BIG TIME ENTERTAINMENT版の「ハーヴィー・クランペット(REDV-00306)」に収録されています。気になる方はチェックしてみて下さい。
本作でもメアリーとマックスはそれぞれかなり壮絶な事になっています。夢も希望もないとは正にこのことで、ありとあらゆる不幸が彼女たちを襲います。しかし、それでもエリオットのキャラクター達はめげません。今回はかなり危ない所まで踏み込みますが、それでもメアリーは復活します。そしてそのシーンで流れるのが本作のテーマをそのままずばり歌った「Whatever Will Be, Will Be (ケ・セラ・セラ)」です。ヒッチコックの「知りすぎていた男」の有名な劇中歌です。ちょっと歌詞を載せておきます。

When I was just a little girl
I asked my mother what will I be
Will I be pretty, will I be rich
Here’s what she said to me
私が少女だった頃
お母さんに大きくなったら何になるのって聞いたの
可愛くなれるかな? お金持ちになれるかな?
そうしたらお母さんはこう言ったの
※Que sera sera
 Whatever will be will be
 The future’s not ours to see
 Que sera sera
ケ・セラ・セラ
なるようになるのよ
未来の事なんてわからないから
なるようになるの
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart what lies ahead
Will we have rainbows, day after day
Here’s what my sweetheart said.
大きくなって恋に落ちたとき
愛しい人にこの先なにが待ってるかなって聞いたの
来る日も来る日も、虹を見られるかしら?
愛しい人はこう言ったの
※繰り返し
Now I have children of my own
They ask their mother, what will I be
Will I be handsome, will I be rich
I tell them tenderly.
今は私にも子供達がいるの
子供達は私に「大きくなったら何になるの?」って聞いたわ
格好よくなれるかな? お金持ちになれるかな? って
私は優しくこう言うの
※繰り返し

この歌がメアリーが自分の踏んだり蹴ったりな人生に絶望した崖っぷちの時に流れるわけです。あまりにもベタですが、これはエリオットが前作までで繰り返してきたテーマそのものです。アスペルガー症候群で鬱病のマックスやアル中で万引き常習犯の母親に似ていってしまうメアリーを、決して特別視するわけでもなければ過剰に擁護するわけでもなく、ただ静かに「なるようになる」と見守りそしてそこに人生の素敵さを描いていきます。
テーマとしてはこれ以上ないほど道徳的な正論ですし、じっさい今の日本の状況下で劇場でケ・セラ・セラを聞くと感慨深いものがあります。あるんですが、じゃあ映画としてどこまで完成度があってどこまで面白いかと言われると、それは別問題です。
というのも、エリオットはヒジョ~にアクの強い監督なんです。例えばものすごいナレーションを多用してきたり、あえて悪趣味な下ネタを入れてきたり、同じ変人を描くにしてもヘンリー・セリックとは違います。ヘンリー・セリックはどこか天然にクレイジーな部分が見えるのですが、それに対してエリオットはよく言えば計算されていて悪く言えばあざとく感じる部分があります。そこに乗れるかどうかが本作を気に入るかどうかのかなり大きな分かれ目だと思います。あまりにも「泣きっ面に蜂」を重ねまくってきますので、ちょっと納得しづらいですし、いかにも結論ありきで説教されている気分になります(苦笑)。
もちろんものすごい努力のたまものですし、全体的にはかなり良作の部類には入ります。見て全く損はありませんので、お近くで上映されている場合は是非劇場でご鑑賞下さい。ただ、アニメだからといって子供連れでいったりデートでみたりするような作品ではありません。ものっすごいえげつないものを浴びせられる覚悟は必要な作品です。オススメです。
※ おまけ
気になったのでメルボルンとニューヨークのエアメールの料金を調べてみたら50gまでは2.25ドル=約200円でした。これなら貧乏なメアリーでもギリギリ払えそうです。ところが、お菓子を入れると話しが変わってきます。
 50g~125g   : 4.5ドル=360円
 125g~250g : 6.75ドル=540円
 250g~500g : 13.5ドル=1080円
 500g以上   : 22.5ドル=1800円
う~~~~ん。コンデンスミルクの缶を入れると1,000円を超えそうです。ちょっとメアリーでは無理かも知れません。おそらく切手は全部万引き品です。そういうことにしておきましょう。
参考:オーストラリア郵便局HP

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キラー・インサイド・ミー

キラー・インサイド・ミー

昨日の日曜日は1本、

キラー・インサイド・ミー」を見ました。

評価:(50/100点) – サイコパス視点のカントリー映画


【あらすじ】

ルー・フォードは紳士的な性格で皆から愛されているテキサスの保安官助手である。ある日、彼は町外れで売春を行っている女を追い出すようボブ保安官から依頼を受ける。女の元に向かったルーだったが、彼は彼女に魅了されてしまう、、、。


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【感想】

日曜日は一本、「キラー・インサイド・ミー」を見ました。そこそこ話題のサスペンスでしたがあまりお客さんは入っていませんでした。
実は正直なところ、どう扱ったらいいか困ってます。というのも、本作は典型的なサイコパス・シリアルキラーもので、別段書くような内容がないからです(笑)。幼少時のトラウマからサイコパスになった男が、なんだかんだで人を殺しまくっていくだけです。本作で特徴的なことがあるとすれば、対位法を多用して悲惨な場面にオペラやカントリーミュージックを掛けてくる部分です。でもそれ以外はごくごく平凡なサスペンスです。
ルーを徹底マークするハワード検察官も別段なにかをしかけてくるわけではありませんし、先輩のボブも最後までルーを信用してくれます。恋人のエイミーも最後までルーの味方ですし、ジョイスもそうです。強いて言えばルーを劇中で誰からも愛される魅力的な人物で「どんなに酷い事をされても嫌いになれない」人物として描いているとも見られるんですが、、、、でもそれっていつもの甘やかしってことです。
じゃあ実際にスクリーンに映っているルー・フォードが魅力的な人物かと言われると、、、、、それは別に、、、、って感じがして何とも煮え切りません。
なので、完全にフラットな意味での50点です。面白くないけどつまらなくも無く、飽きはしないが特別興味も湧かない。
たま~~にありますね、こういう本当にどうでも良い映画(笑)。
ということで、オススメデーーース。(←眠すぎて超適当)

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エンジェル ウォーズ

エンジェル ウォーズ

土曜は一本、

エンジェル ウォーズ(サッカー パンチ)」を見てきました。

評価:(70/100点) – さすがザック!!! オタク丸出しのダークファンタジー!!


【あらすじ】

母の遺産を全て継ぐことになったベイビードールと妹は、継父に逆恨みされ命を狙われる。妹は継父に殺され、ベイビードールはその殺人の罪を着せられ(※)レノックス・ハウス精神病院に入れられてしまう。
継父に買収されたレノックス・ハウスのブルー・ジョーンズは、ベイビードールにロボトミー手術を行って廃人にしようとする。ベイビードールは果たしてレノックスから脱出することができるのだろうか?
※ http://www.metacafe.com/watch/6185190/exclusive_six_minutes_of_sucker_punch/
  何度かこのシーンを見直してるんですが、ベイビードールが撃った弾が誤って妹に当たっている様な
  演出にも見えます。その場合普通に逮捕されただけです。

【三幕構成】

第1幕 -> レノックスへの入所とロボトミー手術
 ※第1ターニングポイント -> ベイビードールが始めてダンスを踊る。
第2幕 -> 脱出作戦。
 ※第2ターニングポイント -> 脱出作戦がばれる。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今週の土曜日は信頼できるバカ(笑)、ザック・スナイダー監督の最新作「エンジェル ウォーズ」を見てきました。新宿ピカデリーでは半分ぐらいの座席が埋まっていたと思います。アメリカでは漫画オタク狙い撃ちなマーケティングをして見事に興行的に大コケしていますが、日本ではファンタジー色を前面に出して上手い具合にその辺りはぼかしています(笑)。とはいえ、アイドル声優ユニットのスフィアを吹き替えのメインどころに起用して、ちゃんとオタクを狙い撃ちにしてはいます。このマーケティングがすごい嫌だったので(笑)、あえて字幕上映に行ってみました。なんですが、字幕公開館が少なすぎです。3D映画以外でここまで吹き替えに偏重しているのはかなり異例です。

ここでいつものお約束です。本作にはいわゆる”オチ”がつきます。オチが付くんですが、構造上そのオチを前提にしないと色々と説明が出来ません。ここ以後、直接的なネタバレが含まれます。未見の方はご注意下さい。とりあえず本作は確実に面白い映画ですので是非見に行って下さい。かなりオススメです。

本作の構造

いきなりネタバレから話しを始めたいと思います。
本作はデヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ(2001)」と同じ構造をしています。要はある少女の夢見心地な走馬燈の話しです。それを時系列で見てみましょう。

物語はベイビードールが過去形で喋るモノローグから始まります。冒頭は台詞無しで彼女がレノックス精神病院に入れられるまでの経緯が描写されます。そして開始7分~8分ぐらいには彼女は椅子に縛られロボトミー手術(※目の上に長い釘を刺される治療)を受けます。その釘がささる瞬間に突然舞台が変化し、売春宿の話しが始まります。ロボトミー手術自体は夜の出し物の舞台で、縛られていたのはスイートピー。スイートピーは唐突に「やめやめ!!」と宣言し、そこから舞台がガラッと変わります。ベイビードールは夜の舞台で踊るダンスの練習をさせられ、その踊りの最中に突如迷い込んだ夢の中で老人に「5つのアイテムを探して自由を勝ち取れ」と教えられます。必要なアイテムは「地図」「炎」「ナイフ」「鍵」、そして最後だけが謎。ベイビードールはスイートピーを含めた4人の仲間と共に、この売春宿からの脱出を謀ります。本作はこの4人+1人の脱出作戦がメインになります。色々あって物語の終盤、舞台は再びレノックスに戻りロボトミー手術を受けた直後のベイビードールが映されます。そしてそこで事の真相が明らかになります。

この物語はベイビードールがロボトミー手術を受ける瞬間の頭の中を描写しています。彼女は妹を助けられなかった自責の念とレノックスに入ってからブルー・ジョーンズに受けた虐待によって、そのとき既に頭がおかしくなってしまっています。これにより彼女の走馬燈(=回想)は彼女の妄想によって実在の登場人物や舞台の設定が変わってしまっています。実際にレノックスで起きた出来事がそのまま歪んだ形で描写されていますので、これは夢の様なものです。現実の人物が彼女の印象によって別の設定で登場してきます。この回想の中で語られる出来事に「スイートピーとロケットという姉妹の話」があります。このエピソードで、ベイビードールがこの姉妹を助けることを自分の「運命」と割り切ったことが伺えます。自分の妹を助けられなかったことを悔いた彼女がいかにレノックスの中で振る舞い、そして受け入れたのかが明らかになります。

最後の最後、エピローグとして登場するスイートピーのバス停シーンはまるでベイビードールの見た妄想です。なぜならバスの運転手として登場する老人は唯一ベイビードールの回想の中のさらにファンタジーシーンだけで登場する人物で、彼女に助言を与える人物、すなわち彼女自身の意識の投影だからです。そして本作は完全にベイビードールの一人称視点であることも言及しないといけません。本作の妄想シーン以外は全て彼女の見た(=見られる)シーンで構成されています。このあたりは冒頭でベイビードールが鍵穴から継父が妹を襲いに行くのを見るシーンで印象づけられます。

ということを踏まえると、本作は病んだハッピーエンドだということになります。妹を助けられず継父に嵌められた少女が、精神病棟からの脱出を試み、そして仲間が犠牲になりながらもスイートピー(=精神病院にいれらている姉妹の姉。)だけを脱出させることに成功します。ベイビードールはロボトミー手術を受け、その瞬間に自分の人生を「自身の境遇に似たスイートピーを助けるためのものだった/彼女が主役だった」と割り切って納得します。そして壊れた心の中で、スイートピーが脱出した後で見事に故郷に戻るというハッピーエンドの妄想に閉じこもります。もちろん実際にどうなったかは分かりません。誰かを逃げそうとしたのは間違いないですが、本当に逃げられたのかもしれないですし、妄想かもしれません。

この辺はオリジナル版(143分バージョン)の「未来世紀ブラジル」とも同じです。

ザック・スナイダーの頭の悪さ(笑)。

という基本的なフォーマットを言い訳に使いつつ、本作は予算の限りをアクションとパンチラにつぎ込んできます(笑)。いきなりフェティッシュなコスチュームでパンツをチラチラ見せながら刀を振り回してゾンビをぶっ殺しまくるわけで、これは完全に言い訳できません(笑)。

パっと見ただけでも、ベイビードールは押井守の「Blood The Last Vampire(2000)」、最初のファンタジーシーンは純オリエンタルな「鬼武者(2001/Play station)」、その次のナチスとの戦争シーンはスチームパンク風の「ナチス・ゾンビ 吸血機甲師団(1980)」「処刑山 -デッド・スノウ-(2009)」に「サクラ大戦(1996/Sega Saturn)」のロボット付き、さらに中世ファンタジー風の「ドラゴン・ハート(1996)」「ロード・オブ・ザ・リング(2001~2003)」、その後の暴走列車は「スパイダーマン2(2004)」や「バットマン ビギンズ(2005)」「ファイナルファンタジー7(1997/Play Station)」のような近未来風な舞台で「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス(1999)」風の対アンドロイドのチャンバラ活劇。きちんとやりたいことをぶち込んだ上で好きなように予算を使っています。まさにオタクの夢可愛い女の子達に可愛いコスチュームを着せて好きなようにゾンビやロボットをぶち殺すアクション映画を撮る。70億円もかかったあまりにもスケールがでかい中二病ですが、ある種の到達点という感じがして大変好感が持てます。というか画面からもハッキリとザック・スナイダーがはしゃいで居るのが分かります(笑)。

本作は「ガフールの伝説(2010)」という本当に酷い企画の映画を撮ってきっちりと利益を出してみせたザック・スナイダーへのワーナーブラザースからのご褒美の意味合いが強いです。

WB:「よくやったザック。予算をやるから好きな映画を撮って良いぞ。」
ザック:「マジッスか!?じゃあアクションものやらせて下さい!!!! パンチラとゾンビ多めで!!」

ってなもんです。まぁいいんじゃないですか、、、楽しそうだし(苦笑)。一応本作全体という意味での一番の元ネタはイギリスのロックバンドコンビ「ユーリズミックス」のセカンドアルバム「スイート・ドリームス」です。本作のレノックス・ハウスの名前もこのユーリズミックスのアニー・レノックスから取ってますし、冒頭でそのままずばりこの曲が流れて「レノックス・ハウス」の門が映るというコントみたいなシーンもあります(笑)。

ザックの素晴らしい所はこういう元ネタを一切隠さないことです(笑)。クリストファー・ノーランやダーレン・アロノフスキーは元ネタを指摘されてもしらばっくれるのですが、間違いなくザックはそこからオタク話に花が咲くタイプです。つまり生粋の良い人。クエンティン・タランティーノとかJ・Jエイブラムスみたいな明るいリア充オタクです(笑)。

【まとめ】

とりあえず男の子は見に行って下さい。苦笑しながらも微笑ましく見られること必至です。大傑作というわけではないですが、ザック・スナイダーが趣味丸出しで好きなことを好きなようにやっているそのテンションの高さは感じとれると思いますし、そのテンションがフィルムから否応なく漏れ出しています。ちょっと吹き替えを見に行く気力はないですが、字幕版であれば終了前にもう一回ぐらいは見に行こうと思っています。こういう無駄使いなバカ映画は無駄に大きなスクリーンで見た方が面白いに決まってますから(笑)、DVD待ちと言わずに劇場に駆けつけましょう。オススメです。

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ザ・ライト -エクソシストの真実-

ザ・ライト -エクソシストの真実-

今日は一本、

ザ・ライト -エクソシストの真実-」を観てみました。

評価:(25/100点) – クライマックスの手前で終わるエクソシスト。


【あらすじ】

マイケルは家業が嫌で全寮制の神学校への進学を決める。それから4年、卒業を間近に控えたマイケルは信仰の少なさから司祭になることを辞退しようとする。そんな矢先、先生であるマシュー神父からバチカンへの短期留学を勧められる。それはエクソシストを養成するための特別講座だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マイケルの留学。
 ※第1ターニングポイント -> マイケルとルーカス神父との出会い。
第2幕 -> エクソシズム。
 ※第2ターニングポイント -> ルーカス神父が取り憑かれる。
第3幕 -> マイケルと信仰。


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【感想】

今日は公開が延び延びになっていた「ザ・ライト -エクソシストの真実-」を見て来ました。アンソニー・ホプキンスが物知りでちょっとマッドなメンター役という企画の時点ですでに面白いに決まっているワケですが、、、オカルトっていうよりは青年の成長物語でした。
所々のテイストは「エクソシスト(1973)」ですし、劇中でも「頭が回ったり黄色い反吐を出さなくて拍子抜けか?」という明らかに「エクソシスト」を意識したセリフが出てきます。主人公は「エクソシスト」と同じく悪魔を信じない(見習い)神父で、その彼がベテランのエクソシストと共に悪魔と戦うことで信仰と決意を深めます。
ということで、基本的なプロットはエクソシストとほぼ同じです。
両作品の決定的な違いは話しの趣旨です。「エクソシスト」は悪魔憑きに否定的だったカラス神父がいろいろあって悪魔払いを決意し、そして悪魔の長年のライバル・メリン神父とともに戦います。しかし、、、というのがエクソシストがカルト的な人気を誇る理由です。対して本作「ザ・ライト」は神父見習いのマイケルがいろいろあって信仰を取り戻し悪魔と戦って終わってしまいます。本作のメインはマイケルという不信心者が信仰を取り戻す話しであって、悪魔払いはその手段でしかありません。明らかに「エクソシスト」の一歩手前で話しが終わっています。約40年前の映画に影響を受けながらそれより温くなるってのは本末転倒です。
少なくとも劇中ではいきなり最初の悪魔払いでクライアントが口から釘を4つも出しているので、マイケルがそれを見ながらもなお悪魔の存在に懐疑的であるというのが説得力に欠けます。「証拠を目の前で見せられてもなお信じたくない」ほどの理由があればまだしもなんですが、本作で示されるのはそこまでの理由ではありません。彼が信仰を失ったのはある事件によって「神様は無力だ」「こんなことが起きるなんて神様は居ないのか」と思ったからです。
しかも、よりによって、本作でマイケルが信仰を取り戻すのは、信仰を失うきっかけになった出来事を乗り越えたからではないんです。もうどうしようもなく悪魔の存在を認めざるをえなくなって、彼は信仰を取り戻します。これはさすがに無いです。信仰を失ってから取り戻すまでの話しなのに、その2つが対応していないんです。そうすると「成長した」というよりも「観念した」という風に見えてしまいます。これによってマイケルがただの甘えたお坊ちゃんに見えます。結構台無しです。
本作ではこの「信じること」「信じないこと」をキーワードに話しが組み立てられています。不気味で胡散臭いルーカス神父を信じることができるかどうか。不可思議な事が目の前で起きているとき、それが超常現象ではないと断言出来るかどうか。つまりは、本作ではオカルト的な要素は直接話しとは関係なく、あくまでも「信仰」がメインなんです。これは劇中でもさらっとセリフで説明されます。ルーカス神父の「不信心者はすぐに科学的な証拠を求める。」「信仰とは胸の内にあるものだ。」というものです。はからずも全体を通して宗教の持つ危険性(=盲目的な信仰の詐欺性)が見えちゃってるわけですが、たぶん制作者の意図ではありません。
さらに、オカルト的な面でも悪魔払いの描写が結構微妙です。本作の悪魔は腕力に頼りすぎです。エクソシズムというのはエクソシストが悪魔を「言葉で追い払う」んですね。ですので、悪魔側も暴力に頼っちゃいけないんです。基本的には悪魔はエクソシストに対して「信仰を揺るがす言葉」をつかって「罪を行うように誘惑」し、それに対してエクソシストは「揺るぎない信仰」でもって対抗するんです。でも本作ではすごい勢いで悪魔が暴力を振るってきます。これだとアクション映画になってしまいます。これが相当がっかりです。

【まとめ】

決してつまらない作品ではないんですが、ちょいちょいテンションが落ちる箇所が出てきます。結果としては今一歩な感じが否めません。もちろんアンソニー・ホプキンスはいつもどおり最高にマッドですし、コリン・オドナヒューもちょっと何を考えているか分からない不思議なイケメンが雰囲気を盛り上げています。オカルト・ホラー好きにはちょっと微妙ですが、描写がかなりソフトなハリウッドエンタテイメントですのでとりあえずそこそこ楽しめるとは思います。

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SOMEWHERE

SOMEWHERE

土曜の2本目は

SOMEWHERE」です。

評価:(100/100点) – 完璧!!!


【あらすじ】

ジョニー・マルコは映画俳優である。ハリウッドのサンセット通りにあるシャトー・マーモントに部屋を借り、新作映画のプロモーションをしながら自堕落な生活を送っていた。フェラーリを乗り回し、派手なパーティをし、女性と遊んでも、彼の気は晴れない。
ある日目が覚めると妻のレイラと娘のクレオが部屋に来ていた。レイラは一日クレオの世話を頼んでいく、、、。


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【感想】

土曜の2本目はソフィア・コッポラの最新作「SOMEWHERE」です。昨年のヴェネチア国際映画祭の金獅子賞(グランプリ)作品です。ですが、、、あんまり観客は入っていませんでした。せっかく半年で日本公開されたっていうのに寂しいことです。
さて、本作は本当に心の底からオススメしたいすばらしい作品です。とにかく、演出も、シーンの繋ぎ方も、俳優も、文句の付けようがありません。ですから、いまから書くような細かい事ははっきり言ってどうでもいいので、とにかく見に行ってください。しかも特に小難しい作品ではありませんから誰でも理解出来るはずです。絶対に映画館で見るべきです。

物語の妙

本作のストーリーは大変シンプルです。自堕落に過ごしてきた男が娘と一緒に過ごさざるを得なくなったことで人生を見つめ直します。この物語は娘からすれば「自分の事を構ってくれない父親が反省する話し」であり、父親から見れば「愛する娘の存在を再確認して改心する話し」です。つまりはファザー・コンプレックスが炸裂しているわけで、これはどう考えてもソフィア・コッポラ自身の人生のテーマであるわけです。
偉大すぎる父親を持ち、その親馬鹿っぷりが発揮した「ゴッドファーザーPartIII」ではファンに猛バッシングを食らったソフィアだからこそ撮れるテーマです。しかも彼女はその後映像オタクでダメ人間のスパイク・ジョーンズと結婚・離婚し、同じく映画オタクで足フェチな変態のタランティーノと付き合ってたワケで、どう考えても根が深いファザコンです。しかも今度付き合ってるのは5歳年下のバンドマンです。居るんですよ、こういうファザコンを拗らせて変な母性に目覚めてダメ人間を保護し続けるタイプの女性ってw
本作の場合、この親子にスティーブン・ドーフとエル・ファニングというとてつもない実力派のコンビを送り込んでくるわけです。弁護のしようがない無いダメ人間ながらギリギリで嫌悪感を抱かれないレベルのドーフと、あまりの透明感にちょっと浮世離れしてさえ見えるエル・ファニング。その浮世離れした雰囲気があるからこそ、最終盤でクレオの人間らしさが見えた瞬間にどうしようもなく私達の心を動かしてきます。
私が本作を見ていて一番驚いたのは、クレオがフィギュアスケートを行うシーンまでの展開の巧さです。このシーンは直前のポールダンスのシーンと対応しています。共に「音楽をバックに女性が踊る(回る)」のですが、ポールダンスには彼はほとんど関心を示しません。1回目は寝てしまい、2回目はダンス自体ではなくその後の情事を目当てにしています。ところがスケートは違います。彼はやはり最初関心を示さず本を読んでいますが、次第に娘の踊りにのめりこんでいき、最後には力一杯の拍手を送ります。このシーンが作品内のジョニーの転機です。ここで彼は自堕落な女性遊びよりも娘の方を無意識に選んだわけです。ここから、ジョニーとクレオの幸せな親子の日常が始まります。
それでもなお、彼は娘の見ていないところで女性遊びを続けます。つまり彼は最終盤のあるシーンまで、やはり自分にとって女性遊びよりも娘の方が大事だということに無自覚なんです。スクリーンに映る表情を見ていれば明らかなんですが、彼自身はなかなか気付きません。
ですから妻にまで愛想を尽かされたジョニーが最後に見せる覚悟は、やっぱり美しいわけで涙をさそうんです。
その覚悟っていうのはジョニーの投了宣言なんです。それまで好き勝手に青春を謳歌していた男が、ついに大人の男になって家族と向き合う決意をするんです。その舞台がまた「シャトー・マーモント」っていうのも気が利いています。シャトー・マーモントはハリウッドセレブやロックスター達がどんちゃん騒ぎをして夢をみる場所なんです。ジョニーはそこから抜け出すんです。だからこれは「パーティーは終わり」ってことなんです。

【まとめ】

本作は非常にシンプルですが、間の取り方が絶妙です。おそらくアート系の映画やインディ映画を見慣れていなくても、その品の良さと圧倒的なスクリーンの雰囲気作りは伝わると思います。本作においてジョニーとクレオの過ごした時間は、ダメ人間のジョニーを改心させられるだけの魅力をもっていないと説得力がありません。そして実際に大変魅力的に撮れています。だから、本作に文句は1カ所もありません。全てが素晴らしく、全てが完璧です。
オススメとか緩い言い方ではなく、悪い事は言わないので絶対に見た方が良いです。間違いなくソフィア・コッポラの代表作であり、男の成長物語としてはある種の到達点にあると思います。

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記事の評価
わたしを離さないで

わたしを離さないで

ようやく原作を読み終わりました。先週の日曜日に見たのは

わたしを離さないで」です。

評価:(96/100点) – 原作の世界観を利用した極上のラブストーリー


【あらすじ】

キャシー・Hは28歳の介護士である。彼女は提供者の安らかな最期を看取りながら、昔を振り返っていく。それは「ヘールシャム」という幻想的な学校で育った思い出だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 1978年、ヘールシャムでの思い出。
 ※第1ターニングポイント -> トミーとルースが付き合い始める。
第2幕 -> 1985年、三人のコテージでの思い出。
 ※第2ターニングポイント ->
第3幕 -> 1994年、現在。


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【感想】

原作を読んでいて一週間遅くなりました。先週の日曜日は「わたし離さないで」を見ました。原作はご存じ日本の生んだイギリス人ブッカー賞作家・カズオ・イシグロ。昨年の東京国際映画祭でも上映されていましたが、当日券目当てで朝8時に窓口にならんだらもう完売してました。当時は「カズオ・イシグロの作品がついに」っていうよりは「若手俳優の有望株が豪華集合!」みたいな扱いだったと記憶しています。公開2日目だったのですが、そこまでお客さんは入っていませんでした。たぶんこの一週間でだいぶ評判にはなっていると思いますが、勿体ない事です。
本作を見ていると、これは確かに俳優力が半端でなく凄いことになっていると分かります。一種のアイドル映画と見られないこともありません。ですが、それ以上に、本作はすばらしい純愛映画に仕上がっています。この「純愛映画」と言う部分がこれ以降書くことのキーワードです。アメリカやイギリスでの評判を見ますと、この「純愛」成分が賛否両論の的になっています。つまり、「原作と全然違うじゃないか」という不満が原作ファンから挙がっているんです。原作付きの作品にはある程度仕方が無いことですが、私は原作を映画の後に読んでみてそれでもこの映画は最高に上手く脚色していると思います。
ここで例によって注意があります。本作はSFラブストーリーですが若干のミステリー要素も含んでいます。個人的には世界観のネタバレについては全く問題ないと思いますし、実際、映画の冒頭2分ぐらいの「匂わせ」でSFファンならすぐ理解できる程度の内容です。原作者のカズオ・イシグロ氏も「ミステリーのつもりで書いたワケじゃないけど、発表後に読者に言われて気付いた。」と語っていますが、やはりネタバレによって幾分か面白さが減ってしまう可能性はあります。肝心の部分については書きませんが、もし完全にまっさらな状態で観たい方は、ここから先はお控え下さい。

作品の世界観

本作について書こうと思いますと、やはりまずは世界観と原作について触れなければいけません。正直に申しますと、世界観については本来なら予告編や公式のあらすじでバラしてしまっても良いと思います。というか本作の一番の肝はこの世界観の設定の部分なので、ここを説明しないと面白さがまったく伝わりません。この辺りがいつもの「SF作品はお客さんが入らない」という例の宣伝方針なのかな、、、とちょっと複雑な気分になります。
さて、本作は今現在2011年から見て過去の話しになります。そして映画の冒頭で一気にダイアログによって世界観が説明されます。
1952年、科学技術の発展によってそれまで不治の病とされてきた病気が駆逐され平均年齢が100歳を越えます。そしてその中で、提供者と呼ばれる人々を育てる学校が各所に建てられます。作品はその中の一つ「ヘールシャム」で育った仲良し三人組をメインに語られます。
本作の世界観は「臓器提供のためだけに”造られた”クローン人間達」の人生を描きます。原作にしろ映画にしろ、この世界観を設定したことですでに「勝ち」です。
まったく同じ世界観に大味馬鹿映画でお馴染みマイケル・ベイの「アイランド」があります。しかし本作は「アイランド」とは”人生”についての解釈が180度違います。「アイランド」は不条理な一生を余儀なくされたクローン人間の復讐・逆襲を描きます。つまり「被差別層の最終目標は自身が差別層と入れ替わることである」という価値観をストレートに描きます。一方で本作のクローン人間達は常に達観しています。彼女たちは幼少時より隔離された世界で育てられ、自身の人生を「そういうものだ」という前提として受け入れています。そして受け入れた上で一生を”普通に”送っていきます。
言うなれば、本作におけるクローン人間・臓器移植という設定は「人生をギュッと圧縮するための設定」なんです。本作のクローン人間達は成人すると「通知」と呼ばれる手紙が来ます。そして自身の臓器を提供します。最高でも4回、通常は2~3回目の提供手術でクローン人間は亡くなります。このとき大抵は30歳前後です。一方、その臓器を提供された「普通の人間」は、移植によって100歳近くまで生きることが出来ます。つまり寿命という点では非常に両極端な事態になっているわけです。
肝は、クローン人間達の寿命が極端に短いからといって一生が薄いというワケではないという点です。彼女たちはまさしく普通の人間が送るのと同じような一生を、ギュッと圧縮して送るわけです。幼少時は学校で保護者達に守られた生活を送り、次は同年代の人間達のみで共同生活を送り、そして成人して一人暮らしをしながら仕事をし、通知を受け取ってからは臓器提供を行うことで体が思うように動かなくなり、ついには一生を終えます。これはモロに幼少期→青年期→成人期→老年期のメタファーです。
本作はSF設定を用いることで人間の一生を擬似的に圧縮し、それによって「否が応でも迫ってくる人生の不透明性/不条理性」を浮かび上がらせています。
昨年末の「ノルウェイの森」の時にちょっと書きましたが、これはまさしく1960年代的な純文学要素をもったSFそのものです。原作「わたしを離さないで」は、新しいような古典的なような、懐かしさをいれつつ今風のポップな文体に起こした大傑作だとおもいます。

映画における脚色の妙

さて、前述のように「わたしを離さないで」は人間の一生を圧縮して見せています。原作において、キャシー・Hは一生を多感に過ごします。幼少時には無邪気なグループ間の争いやイジメ的なものも目撃しますし、青年期には一夜の遊びも何度も経験します。成人期には仕事に没頭しつつもストレスや学閥による嫉妬も経験します。まさしく私達が送るであろう人生そのものを経験します。
一方、映画版においてはその描写は恋愛要素に大きく偏っています。キャシー・Hは幼い頃より好きだったトミーをずっと思い続けます。なかなか自分に振り向いてくれないトミーを見ながら、それでもずっと一生を送っていきます。映画版におけるテーマはここです。「人生は怖い」「いつかは終わりが来てしまう」「もしその恐怖に対抗できるとしたら、それは愛だけである」。本作のクライマックスにくるエピソードはまさしくこれを表現しています。そして、クローン人間達の人生が圧縮されていることで、この「愛」が相対的に長くなり、それが「純愛」要素を帯びてくるワケです。ファンタスティックMr.FOX的な表現をするなら、「人間時間で15年、提供者時間で70年の恋愛」です。
これによって、本作はもの凄い大河ロマン的な恋愛ストーリーとなります。私はここの部分において映画版は原作を越えているとさえ思います。大河ロマンになることで、最終盤にふとキャシー・Hが見せる涙が、それまで達観していた人生からふと漏れ出して見えるわけで、これこそ一生の不条理性を強烈に印象づけます。しかもそこに人生の不条理を絞り出すブルース調の「Never let me go」と、まだそれに気付いていない無邪気で無垢な少年少女達による「ヘールシャム校歌」がかぶさってくるワケです。
まぁ泣くなって方が無理です。

【まとめ】

本作はキャシー・Hという内気な女性の一代記になっています。そしてそれがとんでも無いほどの魅力を放っています。ですので、当然演じるキャリー・マリガンのアイドル映画として見ることも出来ます。そう、本作は1年かけて大河ドラマでやるような「女性の一代記」をわずか100分に濃度そのままで超圧縮しているんです。この恐るべき編集力と脚本力はどれだけ褒めても褒めきれません。小説版にでてくる脇役達も大きく削り、メインの三人組に集中したのも上手い脚色です。しかもそれでいて端折っている感じはありません。きちんと100分で完結しています。アンドリュー・ガーフィールドも神経質で多感な少年をすばらしく演じていますし、キーラ・ナイトレイの悪女っぷりも最高です。
これは心の底から是非映画館で見て欲しい作品です。確かに原作をゴリゴリのSFとして読んだ方には若干甘ったるい印象を与えるかも知れませんし、そこで違和感を感じるのも分かります。しかし、ここまですばらしく纏まったラブストーリーはなかなか見られません。かなりのテンションでオススメします。とりあえず、この1本!

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