ツリー・オブ・ライフ(解説こみ)

ツリー・オブ・ライフ(解説こみ)

先週末の2本目は

ツリー・オブ・ライフ」でした。

評価:(65/100点) – 正論すぎるので賞でもあげとくしかないっす。


【あらすじ】

ジャックは憂鬱の中で出社し、気も虚ろで部下の話も耳に入らない中、母や父や兄弟の事を思い出す、、、。


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【感想】

さて、先週末に見た2本目はカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作「ツリー・オブ・ライフ」です。テレビCMや劇場予告でも「親子の確執」みたいなキャッチーな所を大クローズアップしているからなのか、かなりお客さんが入っていました。配給のディズニーとしては「一本釣り大成功!!!」って感じでしょうか、、、。
え~~~ここからはどうしても宗教的な話が出てきますので、未見の方、キリスト教がどうしても嫌な方、爽快なハリウッド映画を見たい方はご遠慮下さい。ネタバレも何もない映画ですが、どうしても話を解説していくと核心部分に触れてしまいます。そこはご容赦を。

本作を読み解くキーワードにあたって。

この作品には分かりやすいノスタルジックな描写にまじって、一見わけの分からない観念的な絵や、なによりいきなり恐竜がでてきたりします。作品自体は肝のところさえ押さえていればそんなに難しい話ではないのですが、監督の嫌がらせみたいな場面転換で混乱してしまう方も居るかと思います。まずは本作で実際に劇中にでてくるキーワードを元に、作品の概要を見ていきましょう。
また本作は全編を通して完全に宗教映画です。キリスト教の価値観ありきで話がすすんでいきますので、以後かなり宗教色が強い読み解きになってしまうことをお詫びします。
ちなみに私の感想だけを書くとたった40文字で終わるので只のブログ記事水増しともいいますw 一応私は無宗教ですのであしからず。

キーワードその1:ヨブ記38章4節~7節

さて、いきなり小難しいキーワードが出てきましたw 「ヨブ記38章4節~7節」。旧約聖書です。このヨブ記38章4節から7節が映画の冒頭でいきなりドカっと表示されます。映画の冒頭にモノローグや有名な格言・本の引用が出てきた場合、それは間違いなく映画のド根本的なテーマです。ただ、そんな何の準備もなくいきなり旧約聖書が表示されたりしたら、困っちゃいます。ということでプレイバックです。

38:4 Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.
38:5 Who marked off its dimensions? Surely you know! Who stretched a measuring line across it?
38:6 On what were its footings set, or who laid its cornerstone
38:7 while the morning stars sang together and all the angels shouted for joy?

わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。

ヨブ記は敬虔な信者・ヨブが悪魔からの試練を受けるという話です。そしてその試練の後、「おれどうすっぺ」と迷い始めたヨブに、神は遂に語りかけます。それが上記の38章です。ものすごい乱暴にいうならば、これは「おまえら人間が何をわかってるっていうんじゃ。わしは人間の外の世界もちゃんと知ってるんだぞ。調子に乗るなよ。(by 主)」ってな具合です。敬虔なユダヤ教信者の方々すみません。
つまりここで提示されるテーマというのは、「人間なんてのは所詮ちっぽけであり、大局である神の計画の前には翻弄されるんだ」「だけれども、人間は神の作った世界で神の祝福を受けて生きているんだ」という事です。これは劇中でもう一度別の言葉で表現されます。それは次男の死を悲しむジャックの母が掛けられる言葉です。「神は全てを与え、全てを奪う」。つまり神様の行いっていうのは人間がコントロールできるようなモノではないし不条理だけどそれは仕方無いんだってことです。これが第一のキーワードです。
作中に出てくる地球が出来るところや恐竜のシーンはこの「人間のコントロールの外側の世界」を表現しているわけです。「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。」というのをそのまんまでCG映像化するという、、、律儀です。

キーワードその2:「生き方には二つある。世俗に生きるか、神に委ねるか、どちらか選ばなくては」

さて、つづいてのキーワードはこれまた映画の冒頭にでてくるモノローグです。劇場版予告でも流れていますので印象に残っている方もおおいかとおもいます。これは訳がアレなので、英語のセリフそのままで見てみましょう。

there are two ways through life …
the way of Nature…
and the way of Grace.
You have to choose which one you’ll follow.

直訳:
人生には2通りの生き方がある。
“ネイチャーの生き方”か”グレイスの生き方”か。
どちらに従うかを、あなたは選ばなければいけません。

本作は「the way of Nature」と「the way of Grace」の対立概念の話です。
え~これが非常にめんどくさいです。この「ネイチャー」を「大自然」と訳してしまうと全く正反対なことになってしまいますので。この「ネイチャー」は神学的な意味での「自然な状態」つまり「神様への信仰・神様からの愛を受けていない野蛮な状態」を表しています。そして一方の「グレイス」。これはそのまま「神様の祝福を受けている状態」です。ですので、これはそんなに小難しく考えずに、「キリスト教をあんまり信じていない人生」「キリスト教をちゃんと信じている人生」ぐらいに捉えていただけると大丈夫です。前者はこの世の生活を重視しますので、地位や名誉、金を重要視します。一方の後者は死んだ後で天国に行くことが大切ですから、周りの人に優しくしますし徳高く清貧に生きるわけです。人間の生き方はこの2つの内のどちらかだって言うんです。
こちらが本作の大テーマです。

結局どういう話よ。

とまぁ以上2つのテーマを頭に入れて映画を見ると、この映画は滅茶苦茶分かりやすいです。逆に言うとちゃんとテーマを冒頭で要約してから話が始まるので、大変親切ともいえます。
本作では、まずはフックとして冒頭で子供の頃のちょっとした思い出、そして弟が若いときに死んだことが語られます。そこからショーン・ペンがちょっとだけ出てきて、開始30分で問題の第2幕、つまり地球誕生と恐竜の話が始まります。なんやかんやあって子供の頃の思い出話が終わった後、再びショーン・ペンに画面が戻ってきてすごい晴れやかな顔をしてエレベーターを下りて映画が終わります。

この映画はあくまでも最初と最後に出てくるジャック(ショーン・ペン)の話であり、中盤は彼がひたすら神に語りかけるモノローグと思い出で埋まります。そしてこの思い出を最後まで見ると、つまりこれは信仰についての話だったのだと分かります。

ジャックは(おそらく母が死んだことで)憂鬱に囚われてしまい、頭がぼっーとして超高層ビルのいかにも大会社なオフィスで昔の事を思い出します。その中で彼はいかに母親が信仰心に満ちて優しい人だったか、そしていかに父が金や名誉を重視したことで悲しい人生を歩んでしまったのかを思い出します。彼は母親よりは父親に似ており、自身も信仰よりは金や名誉を重視して社会的な地位を築いてきました。だけれども、妙に空しい。彼は信仰の大切さに気づいて外に出ます。するとそこには晴れやかで明るい世界が待っていたのでした。神様バンザーい!!! 人生は美しい!!!! いぇーい!!!!

感想。

さて私の感想を40文字で書きたいと思います!!!
正しいかどうかで言えば圧倒的に正しいけど、面白いかどうかで言えば面白くは無い。
だって説教臭いし、、、、だって別にキリスト教信者じゃないし、、、っていうかキリスト教的な意味で信心がゼロな今でも十分に人生楽しいですけど、、、。仕事ばっかりの人生に空しくなったんなら趣味でも作れば、、、。

【まとめ】

というわけで、小難しい割には大変分かりやすい教育的で道徳的な内容の映画でした。キリスト教文化圏でなら絶賛されてもいいかなと思いますし、確かにこれを持ってこられたらグランプリぐらいは”差し出して”おかないと後からその筋からの圧力が大変そうです。なので、熱心なキリスト教信者の方は当然見に行くべきですし、なんならミッション系の学校なら神学の時間に授業で流しても良いのではないでしょうか? でもあんまり世間一般にはオススメしません。だって、、、、、、言ってしまえばこれは宗教の勧誘みたいなものですから。「信じる者は救われる」っていう類の映画です。一応メジャーなキリスト教だからギリギリセーフですけど、これがもしカルト系だったりとかしたらいつものアレな映画になっちゃいますし。
そういう意味ではテレンス・マリックが最初メル・ギブソンにオファーを出したのは大正解です。彼なら下手すれば私財を投じてやってくれそうです。
オススメ、、、しないと駄目ですかね、、、駄目ですよね、、、うん。オススメです!!!!!!!!!!
※私は一応幼稚園の時はミッション系で毎週ミサだの聖書読書会だのやらされていましたが、基本はズブのど素人です。軽めの文体でヨブ記をまとめたことで気を悪くされるような事がございましたら、ユダヤ教の方々には謹んでお詫び申し上げます。

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わたしを離さないで

わたしを離さないで

ようやく原作を読み終わりました。先週の日曜日に見たのは

わたしを離さないで」です。

評価:(96/100点) – 原作の世界観を利用した極上のラブストーリー


【あらすじ】

キャシー・Hは28歳の介護士である。彼女は提供者の安らかな最期を看取りながら、昔を振り返っていく。それは「ヘールシャム」という幻想的な学校で育った思い出だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 1978年、ヘールシャムでの思い出。
 ※第1ターニングポイント -> トミーとルースが付き合い始める。
第2幕 -> 1985年、三人のコテージでの思い出。
 ※第2ターニングポイント ->
第3幕 -> 1994年、現在。


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【感想】

原作を読んでいて一週間遅くなりました。先週の日曜日は「わたし離さないで」を見ました。原作はご存じ日本の生んだイギリス人ブッカー賞作家・カズオ・イシグロ。昨年の東京国際映画祭でも上映されていましたが、当日券目当てで朝8時に窓口にならんだらもう完売してました。当時は「カズオ・イシグロの作品がついに」っていうよりは「若手俳優の有望株が豪華集合!」みたいな扱いだったと記憶しています。公開2日目だったのですが、そこまでお客さんは入っていませんでした。たぶんこの一週間でだいぶ評判にはなっていると思いますが、勿体ない事です。
本作を見ていると、これは確かに俳優力が半端でなく凄いことになっていると分かります。一種のアイドル映画と見られないこともありません。ですが、それ以上に、本作はすばらしい純愛映画に仕上がっています。この「純愛映画」と言う部分がこれ以降書くことのキーワードです。アメリカやイギリスでの評判を見ますと、この「純愛」成分が賛否両論の的になっています。つまり、「原作と全然違うじゃないか」という不満が原作ファンから挙がっているんです。原作付きの作品にはある程度仕方が無いことですが、私は原作を映画の後に読んでみてそれでもこの映画は最高に上手く脚色していると思います。
ここで例によって注意があります。本作はSFラブストーリーですが若干のミステリー要素も含んでいます。個人的には世界観のネタバレについては全く問題ないと思いますし、実際、映画の冒頭2分ぐらいの「匂わせ」でSFファンならすぐ理解できる程度の内容です。原作者のカズオ・イシグロ氏も「ミステリーのつもりで書いたワケじゃないけど、発表後に読者に言われて気付いた。」と語っていますが、やはりネタバレによって幾分か面白さが減ってしまう可能性はあります。肝心の部分については書きませんが、もし完全にまっさらな状態で観たい方は、ここから先はお控え下さい。

作品の世界観

本作について書こうと思いますと、やはりまずは世界観と原作について触れなければいけません。正直に申しますと、世界観については本来なら予告編や公式のあらすじでバラしてしまっても良いと思います。というか本作の一番の肝はこの世界観の設定の部分なので、ここを説明しないと面白さがまったく伝わりません。この辺りがいつもの「SF作品はお客さんが入らない」という例の宣伝方針なのかな、、、とちょっと複雑な気分になります。
さて、本作は今現在2011年から見て過去の話しになります。そして映画の冒頭で一気にダイアログによって世界観が説明されます。
1952年、科学技術の発展によってそれまで不治の病とされてきた病気が駆逐され平均年齢が100歳を越えます。そしてその中で、提供者と呼ばれる人々を育てる学校が各所に建てられます。作品はその中の一つ「ヘールシャム」で育った仲良し三人組をメインに語られます。
本作の世界観は「臓器提供のためだけに”造られた”クローン人間達」の人生を描きます。原作にしろ映画にしろ、この世界観を設定したことですでに「勝ち」です。
まったく同じ世界観に大味馬鹿映画でお馴染みマイケル・ベイの「アイランド」があります。しかし本作は「アイランド」とは”人生”についての解釈が180度違います。「アイランド」は不条理な一生を余儀なくされたクローン人間の復讐・逆襲を描きます。つまり「被差別層の最終目標は自身が差別層と入れ替わることである」という価値観をストレートに描きます。一方で本作のクローン人間達は常に達観しています。彼女たちは幼少時より隔離された世界で育てられ、自身の人生を「そういうものだ」という前提として受け入れています。そして受け入れた上で一生を”普通に”送っていきます。
言うなれば、本作におけるクローン人間・臓器移植という設定は「人生をギュッと圧縮するための設定」なんです。本作のクローン人間達は成人すると「通知」と呼ばれる手紙が来ます。そして自身の臓器を提供します。最高でも4回、通常は2~3回目の提供手術でクローン人間は亡くなります。このとき大抵は30歳前後です。一方、その臓器を提供された「普通の人間」は、移植によって100歳近くまで生きることが出来ます。つまり寿命という点では非常に両極端な事態になっているわけです。
肝は、クローン人間達の寿命が極端に短いからといって一生が薄いというワケではないという点です。彼女たちはまさしく普通の人間が送るのと同じような一生を、ギュッと圧縮して送るわけです。幼少時は学校で保護者達に守られた生活を送り、次は同年代の人間達のみで共同生活を送り、そして成人して一人暮らしをしながら仕事をし、通知を受け取ってからは臓器提供を行うことで体が思うように動かなくなり、ついには一生を終えます。これはモロに幼少期→青年期→成人期→老年期のメタファーです。
本作はSF設定を用いることで人間の一生を擬似的に圧縮し、それによって「否が応でも迫ってくる人生の不透明性/不条理性」を浮かび上がらせています。
昨年末の「ノルウェイの森」の時にちょっと書きましたが、これはまさしく1960年代的な純文学要素をもったSFそのものです。原作「わたしを離さないで」は、新しいような古典的なような、懐かしさをいれつつ今風のポップな文体に起こした大傑作だとおもいます。

映画における脚色の妙

さて、前述のように「わたしを離さないで」は人間の一生を圧縮して見せています。原作において、キャシー・Hは一生を多感に過ごします。幼少時には無邪気なグループ間の争いやイジメ的なものも目撃しますし、青年期には一夜の遊びも何度も経験します。成人期には仕事に没頭しつつもストレスや学閥による嫉妬も経験します。まさしく私達が送るであろう人生そのものを経験します。
一方、映画版においてはその描写は恋愛要素に大きく偏っています。キャシー・Hは幼い頃より好きだったトミーをずっと思い続けます。なかなか自分に振り向いてくれないトミーを見ながら、それでもずっと一生を送っていきます。映画版におけるテーマはここです。「人生は怖い」「いつかは終わりが来てしまう」「もしその恐怖に対抗できるとしたら、それは愛だけである」。本作のクライマックスにくるエピソードはまさしくこれを表現しています。そして、クローン人間達の人生が圧縮されていることで、この「愛」が相対的に長くなり、それが「純愛」要素を帯びてくるワケです。ファンタスティックMr.FOX的な表現をするなら、「人間時間で15年、提供者時間で70年の恋愛」です。
これによって、本作はもの凄い大河ロマン的な恋愛ストーリーとなります。私はここの部分において映画版は原作を越えているとさえ思います。大河ロマンになることで、最終盤にふとキャシー・Hが見せる涙が、それまで達観していた人生からふと漏れ出して見えるわけで、これこそ一生の不条理性を強烈に印象づけます。しかもそこに人生の不条理を絞り出すブルース調の「Never let me go」と、まだそれに気付いていない無邪気で無垢な少年少女達による「ヘールシャム校歌」がかぶさってくるワケです。
まぁ泣くなって方が無理です。

【まとめ】

本作はキャシー・Hという内気な女性の一代記になっています。そしてそれがとんでも無いほどの魅力を放っています。ですので、当然演じるキャリー・マリガンのアイドル映画として見ることも出来ます。そう、本作は1年かけて大河ドラマでやるような「女性の一代記」をわずか100分に濃度そのままで超圧縮しているんです。この恐るべき編集力と脚本力はどれだけ褒めても褒めきれません。小説版にでてくる脇役達も大きく削り、メインの三人組に集中したのも上手い脚色です。しかもそれでいて端折っている感じはありません。きちんと100分で完結しています。アンドリュー・ガーフィールドも神経質で多感な少年をすばらしく演じていますし、キーラ・ナイトレイの悪女っぷりも最高です。
これは心の底から是非映画館で見て欲しい作品です。確かに原作をゴリゴリのSFとして読んだ方には若干甘ったるい印象を与えるかも知れませんし、そこで違和感を感じるのも分かります。しかし、ここまですばらしく纏まったラブストーリーはなかなか見られません。かなりのテンションでオススメします。とりあえず、この1本!

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マイ・ブラザー

マイ・ブラザー

今日は

「マイ・ブラザー」です。

評価:(45/100点) – 劇場予告で全部言ってるやんけ~~~~!!!!。


【あらすじ】

サムは海兵隊員。二人の娘と妻を残し、アフガニスタンへの派兵が決まった。一方、サムの弟トミーは銀行強盗の服役からようやく出所したばかり。父からは出来損ない扱いされ、常に優秀な兄と比較されてきた。サムがアフガンに出兵したのち、トミーは自身がサムの代わりとなってサムの家族の面倒を見るようになる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サムと家族。またはトミーの出所。
 ※第1ターニングポイント -> サムがアフガニスタンへ行く。
第2幕 -> サムのアフガニスタンでの出来事。トミーとサム一家との交流。。
 ※第2ターニングポイント -> サムが戻ってくる。
第3幕 -> サムの奇行。


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【感想】

本日は一本、「マイ・ブラザー」を見てきました、お客さんは3~4割くらい入っていました。この手の作品にしては入っている方だと思います。ナタリー・ポートマンとキャリー・マリガンという当代と次代のスターの共演作でもあり、デンマーク映画「ある愛の風景」のリメイクでもあります。
本作なんですがなんとも言えない感じでした。というのも終始2つの物語がグッチャグッチャに混ざり合っており、ぜ~んぜん収束しないからです。
2つのストーリーとは当然、「帰還兵の精神障害の問題」と「自信を亡くした負け犬が他人と交流を持つことで社会復帰していく話」です。要は兄の話と弟の話なんですが、これが交互に語られてしまうため、何が何やらさっぱりな感じになってしまいます。特にマズイのがサムが捕虜となっている姿を描写してしまうことです。スクリーン上はグレースが旦那が死んだと思って嘆いているのに観客は彼が生きてることを知っているという変な状況になってしまい、とんでもなく冷めてしまいます。
しかも、このグチャグチャの2つのストーリーに落とし所がありません。良くも悪くもヨーロッパ映画っぽい宙ぶらりんさなのですが、中途半端で切られてしまうためにとても不誠実な描き方に見えてしまいます。
またこの構造的な難点以外にも、特にアフガニスタンの描き方についてどうかと思う描写が多くなっています。「お父さんが殺すのは悪い奴だけだよ。」「悪い奴って誰?」「あごひげがある人。」という恐ろしいギャグを皮切りに、アフガン人が蛮族以上の描かれ方をしません。別にアメリカ映画の戦争描写に文句を言っても仕方がないんですが、それにしても酷すぎます。だから後半のPTSD気味になったサムの様子もあんまり感慨を持って見られないんです。なんだかなというか、、、、ハッキリ言いまして別にリメイクしなくて良かったんじゃないでしょうか。拍子抜けというよりは私の嫌いなタイプのハリウッド映画でした。
もちろん俳優達は本当に頑張ってると思います。ちょっとキャリー・マリガンの使い方がもったいないですが、気の強い役が多いナタリー・ポートマンもいつもより繊細そう見えますし、トビー・マグワイアはきちんとイっちゃってる人の目になってます。ジェイク・ギレンホールだって、中盤以降は優しいおじちゃんに見えてます。それだけに、、、ストーリーのとっちらかりっぷりがただただもったいない限りです。
すくなくとも、アメリカ国外に輸出するような映画では無かったと思います。アメリカ人がアメリカ国内で消費していればいいような問題設定と描き方ですから。
またこれは完全に余談ですが、またしてもGAGAのオリジナル邦題はアウトです。この話は弟と兄の2つの話が語られるから「Brothers(兄弟)」なんです。「マイ・ブラザー」だと「僕の兄さん(or弟)」となってしまい、どちらか一方が主役になります。それだと話が変わってしまいますので、これは素直に「ブラザーズ」と直訳するべきだったと思います。

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記事の評価
ブルーノ

ブルーノ

日も二本です。
一本目でブルーノを見てきたんですが、ちゃんと書くのが難しいので駄文で逃げたいと思います(笑)。

評価:(80/100点) – 正気とは思えない、受け止めるのが大変な芸人魂。


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【感想】

この作品は言わずと知れたイギリスの体当たりコメディアン、サシャ・バロン・コーエンの持ちキャラクター「ブルーノ」を映画にしたものです。今回はゲイキャラということで、とにかく「アナル」と「ち○こ」ネタが大量動員されていまして、画面上がモザイクだらけです。相変わらずの有名人ネタも多く、特にメル・ギブソンを「反ユダヤ人の親分・総統」呼ばわりしたり、アイドルにして人権派のポーラ・アブドゥルに男体盛りを出したり、かなり危ないギャグで弄くります。
不謹慎コメディとしてはかなり度を超している凄いレベルなんですが、どうしてもアメリカのドメスティックな笑いになってしまうため、日本人には分かりにくい部分があります。アーカンソーは保守的なのでゲイがやばいとか、ユダヤ教でゲイはやばいとか、アラバマの荒くれ狩人にゲイはやばいとか(笑)。
まぁとにかくゲイがやばい所ばっかに行くわけで、よく生きて帰ってきたなと。
本作が物凄い所は、そういった「たけしの元気が出るテレビ」的というか「ジャッカス」的な不謹慎なことをやりまくっていながら、きちんと劇映画としての「ブルーノの成り上がりストーリー」にまとまっているところです。不謹慎ネタの連続なのにストーリーとしてきちんと成立しているんです。だから子供が伏線になってたりして劇映画としても楽しめるんです。
こう言ってはなんですが日本でお笑い芸人が映画を撮ると、出来もしないのに「一流劇映画」を目指してしまい、結果煮ても焼いても食えない産廃が生まれます。でもお笑い芸人なんだから映画で堂々とお笑いをやれば良いんですよ。本作のサシャ・バロン・コーエンはきちんとシングル・コメディアンでも超面白い映画を作れるということを完璧に証明しています。「映画監督」の肩書きが欲しいだけの糞三流吉本芸人とは違う、本物の一流コメディアンの映画がここにあります。是非映画館でご鑑賞を!!!
ただし下品なエロ・ゲイネタのオンパレードですので、そこいらに耐性がある人限定です(苦笑)。
エア・ゲイ・セックスとか杉作J太郎さん以来の革命です(笑)。

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ハート・ロッカー

ハート・ロッカー

今日はある意味で一番の話題作、

「ハート・ロッカー」を観て来ました。

評価:(60/100点) – これがアカデミー監督賞の最有力候補なのか!?


【あらすじ】

ジェームズ軍曹はイラクの爆弾処理班「ブラボー部隊」のリーダーとして赴任する。マッチョで冷静なサンボーン軍曹と気の弱いエルドリッジ技術兵と共に、ジェームズは数々の爆弾を処理していく、、、。


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【感想】

本日観ましたのは「ハート・ロッカー」です。おそらくこのエントリーを書いている6時間後には女性初のアカデミー監督賞受賞作として歴史に残るのではないでしょうか?そういった意味では今もっともホットな作品です。
皆さんご存じの通り本作は全米映画批評家協会賞の作品賞・監督賞・主演男優賞を獲って一躍アカデミーの有力候補に躍り出ました。キャスリン・ビグローとジェームズ・キャメロンの元夫婦対決というキャッチーなコピーも相まって、その知名度が急上昇しています。
実際に私が見に行った際も、夕方の回は完全に満員完売で、夜の回も最前列以外は全席埋まっていました。元がインディ映画なので箱が少ないという問題はあるものの、それにしても物凄い入り方です。マナーが悪い客が結構いましたので、それだけアカデミー賞の話題によって普段映画を観ない人まで来ているという事だと思います。
もちろん前評判の高さから、私の期待値も相当高かったです。それ故に観ている最中はちょっと信じられませんでした。これが数々のマイナーなものからメジャーなものまで映画賞を獲っているという事実。そしてアカデミーでも作品賞(プロデューサー賞)と監督賞で最有力候補に挙げられるという事実。その事実こそが本作を読み解くキーワードであり、そして現在のアメリカが抱える病理のようなものだと思います。それを順を追って考えてみましょう。

本作の大枠について

いきなりですが、本作の冒頭である文章が表示されます。ニューヨークタイムズが出版している「War Is a Force That Gives Us Meaning(戦争は我々に存在意義を与える力)」というベストセラー本からの一節で、「The rush of battle is a potent and often lethal addiction, for war is a drug.」という文です。直訳しますと「戦いの連続は良薬であり、時に中毒を引き起こす。戦争とは麻薬だ。」となります。これが本作で描かれる全てです。
テーマをそのまま言葉で表すのは最も避けるべき演出の一つですが、恐ろしいことに本作は冒頭でいきなりテーマをそのままずばりの文章で説明してしまうわけです。なんか演出そのものをいきなり放棄しているというか、映画であること自体を放棄しているように見えます。ところがこの「映画演出としての致命的な下手さ」が、観ている内にだんだん実は意図的なのでは無いかと思えてくるわけです。
本作にはいわゆる三幕構成のようなものはありません。もっというと、話の展開すらロクにしません。ただひたすらジェームズ軍曹とブラボー部隊の爆弾処理を淡々と描くだけです。ですので率直に言って退屈です。物凄く退屈です。その退屈っぷりはかなり度を超していまして、はっきりと観ていてイライラしてくるレベルです。しかしですね、、、どうもこの反応こそが監督の意図のような気がするんです。
というのも、この作品は常にグラグラと揺れるカメラでドキュメンタリータッチな映像が流されるわけです。ここに先ほど書いた「映画としての演出の放棄」が加わり、それがドキュメンタリー感を補強する効果を持ちます。そして別に劇的な事がおこらないというのもある意味では現実的です。
要はですね、本作は観客に戦場を疑似体験させているわけです。そのために意図的に映画を退屈にして、観客に緊張とストレスを与え続けるわけです。結局二時間近くスクリーンには緊張する爆弾処理の様子が映されているわけで、そもそも面白くなんてなりようがないんです。であればこそ、おそらくこの観客のイライラは意図的なものの筈です。すなわちこの「ハート・ロッカー」という映画そのものが、実はアバターと同じく「アトラクション」なんです。ただし、アバターが「楽しいパンドラ観光ツアー」だったのに対して、ハート・ロッカーは「悲惨な戦場ストレス体験ツアー」です。
私が先ほど「現在のアメリカが抱える病理」と書いたのはまさしくこの部分です。つまり、あれだけ「世界の警察」面してイラク戦争を強行しておきながら、実はアメリカ人の大半が戦場のなんたるかを映画アトラクションにしないと理解できないほど薄っぺらにしか考えていなかったということです。そしてこの作品が高い評価を受けているということは、このアトラクションをみんな良くも悪くも気に入ったということです。
注意しなければならないのは、本作には特別政治的な描写は無いということです。というよりも、舞台がイラクであるという必然すらありません。劇中に出てくるイラク人・イスラム教徒は、はっきり言ってゾンビと大差ない描かれ方ですし、限りなく抽象化された「驚異となる敵」以上の存在ではありません。そして、本来であれば爆弾を800個以上解体した英雄のジェームズは、しかし全く英雄的には描かれません。むしろ狂人(=戦争中毒者)として描かれます。妻と子供と暮らす平凡な日常に嫌気が差し、彼は自ら危険な戦場へ志願し続けます。
この作品は救いのない要素で埋め尽くされていて、ただただ緊張とストレスを観客に与え続けます。そういった意味ではもしかしたら反戦映画なのかも知れません。少なくとも本作を観て「超面白かった。サイコー!!!」とか感じる人とは友達になれないと思います(苦笑)。

【まとめ】

タイトルの「ハート・ロッカー(The Hurt Locker)」は「棺桶」を表すジャーゴンで、転じて戦場そのものを表現しています。
そのままずばり、これはこのアトラクションの名前なわけです。
ここまで長々と書いておいてなんですが、、、これって映画として果たして出来が良いのでしょうか? アトラクションとしてはOKだと思うんですが、これがアカデミー作品賞・監督賞の有力候補と言われるとちょっと考えてしまいます。これなら「イングロリアス・バスターズ」の方が数倍面白いですし、なんなら「しあわせの隠れ場所」だってコレよりは面白いです。
「アバター」と「ハート・ロッカー」という両極端なアトラクションがアカデミー賞を争うという構図が、ハリウッドの現状を如実に表しているように思えます。
もし極限のイライラを体験したいという方は止めませんが、エンターテインメントでは無いことを十分にご理解の上でのご鑑賞をオススメします。きっと今週末はアカデミーの影響で入ったカジュアルな観客が、呆然としながら劇場を後にする様子を多く見ることになると思います(笑)。

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