NINE

NINE

本日は二本観てきました。一本目は

NINE」です。

評価:(25/100点) – ドキッ。セレブだらけのカラオケ大会、ポロリもあるよ(※ただし後ろ姿)


【あらすじ】

かつて傑作をいくつも生み出した映画監督のグイドは、近作でスランプに陥っていた。彼は地元のイタリアで再起をかけた映画「イタリア」の撮影を決める。しかしアイデアが浮かんでこず、チネチッタの撮影セットや衣装だけが決まっていく。耐えかねた彼は愛人を呼んで現実逃避をするが、愛人の旦那に見つかり、妻にも愛想を尽かれて逃げられてしまう。さらには脚本が無いことを理由に主演女優にも逃げられ、彼はやむなく「イタリア」の制作を断念する。それから二年後、再会した衣装デザイナーにハッパをかけられ、彼は惨めな自身をモデルにして「愛の復活」を描く「NINE」を撮り始める。


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【感想】

さて巨大バジェットで有名女優をかき集めたある意味大作映画の「NINE」です。ご存じ1950年代を代表する巨匠・フェデリコ=フェリーニのキャリア転換点になった「8 1/2」を原作としたブロードウェイミュージカルをさらに再映画化したという屈折した背景の作品です。監督は傑作・シカゴで一躍映画界に躍り出たロブ・マーシャル。「シカゴ(2002)」と同じく定番ミュージカルの映画化で夢よもう一度といったところでしょうか?

ストーリーについて

このストーリーという部分が相当酷いです。なにせ上記のあらすじが完璧に全てです。「8 1/2」を元ネタにしておいてどうしてここまで駄作が作れるのかちょっと信じられません。実は今確認のためDVDで「シカゴ(2002)」を見ながら書いているのですが、やはり本作であきらかにロブ・マーシャルが失敗している事があります。それはミュージカル・パートの使い方です。

昔のミュージカル映画が好きな方には常識だと思いますが、ミュージカルにおける歌というのは台詞と同じです。例えば会話のシーンであれば二人の掛け合いの歌が流れ、法廷のシーンであれば弁護士がメインで歌って判事や傍聴席が合いの手を入れます。あくまでも台詞の代わりとしての歌なので、間奏で通常の会話が挟まったりします。これがミュージカル映画です。

ところが、、、本作ではミュージカル・パートが単なる歌の機能しか持っておらず、話に何にも寄与していません。歌が始まるとストーリーが止まってしまうんです。そのため、極端な話をすれば、ミュージカル・パートを全てカットしても物語に何の影響もありません。これは大問題です。要はミュージカル映画の体をなしていないんです。とはいえ舞台が専門のロブ・マーシャルがこんな基本を分からないはずが無いと思いシカゴを見直しているんですが、やはりシカゴではきちんとその点は出来ていました。むしろ歌で物語が綺麗にサクサクと進んで行く、ミュージカル映画の理想型でした。ということは、、、ロブ・マーシャルが劣化した!?、、、、というのは冗談として、やはりカラオケ大会的な部分を重視したということなんだと思います。また、ミュージカルパートで物語が進まないせいで、歌がただのキャラクター・ソングになっているように見えます。有名女優が出てきてキャラソンを歌うだけの映画。しかも結構みんな歌が下手。悪夢のようです(苦笑)。

そして今更なんですが、「8 1/2」が何故傑作たり得ていたのかという大きな要因に、「8 1/2」がメタ構造を取っていたという点があります。要は劇中で苦悩するグイドがそのまんまフェリーニの苦悩になっていて、一種の精神治療というか、独白になっていたわけです。しかし本作にその構造はありません。まぁ当たり前ちゃあ当たり前です。だってフェリーニの独白をリメイクしてるのに、ロブ・マーシャルの独白に変えられるわけがないですから。なので、そもそもリメイク企画自体がたぶん失敗なんだと思います。

【まとめ】

残念ですが、「有名人を大勢使えば良い映画になるとは限らない」という見本になってしまっています。見ると分かりますがソフィア・ローレンもケイト・ハドソンもファーギーもニコール・キッドマンも大して物語に絡んできません(苦笑)。せっかく題材がすばらしいのに、ただのカラオケ大会になってしまっていました。
強いて良いところをあげればペネロペ・クルスとマリオン・コティヤール が格好良いってことでしょうか。さすがはゲイの監督だけあって、女性に下品さや色っぽさが無く、格好良さが前面に出てきます。
まぁ、、、映画館で見る価値はないですよ。気になった方はDVDを待つかサントラを買って下さい。私も映画としては最低レベルだと思いますが、たぶんサントラを買います。
劇中でグイドに「みんな脚本脚本って五月蠅い!!!脚本がそんなに大事か!!!」という台詞があるのですが、私は大事だと思います(笑)。ちゃんとしたメタ構造を撮れないのに、本作がつまらない件の言い訳だけ劇中でやられても、、、、(苦笑)。

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渇き

渇き

いまさらですが「渇き」を観てきました。

評価:(75/100点) – 変テコながらハイテンション。


【あらすじ】

神父のサンヒョンは己の無力感からエマニュエル・ウィルスの被験者となる。死亡率の高いEV実験の中で、サンヒョンは発症しながらも生き残った初めての被験者として奇跡の象徴となる。しかし彼が生き残ったのは、輸血を受けた謎の血液の効果だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サンヒョンがEV実験の被験者となる。
 ※第1ターニングポイント -> サンヒョンがヴァンパイアになる
第2幕 -> サンヒョンとテジュの浮気
 ※第2ターニングポイント -> テジュがヴァンパイアになる。
第3幕 -> 結末


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【感想】

今日はパク・チャヌクの「渇き」を見てきました。観ようみようと思ったまま時間が合わず、気付いたら公開終了だったので滑り込みです。
とても変テコでハイテンションで、そして凄まじいフィルムでした。
大ざっばなジャンルとしてはモンスターホラーものです。神父であるサンヒョンがひょんなことからヴァンパイアとなり、聖職者としてのモラルとヴァンパイアとして生きるのに必要な血の獲得の間で揺れ動きます。そしてその均衡を崩す存在としてのテジュ。崩れるまでの苦悩と崩れた瞬間からの開き直り。まるで前半と後半で別の映画を見ているようで、それでも確実にサンヒョンの価値観だけがまっすぐに芯が通っています。分かりやすいモンスターとして描かずに、まるでヴァンパイアであることを病気か障害のように苦悩する人間像というのは結構珍しかったりします。
ヴァンパイアみたいな怪物は「十字架が嫌い」「神の敵」みたいな位置でキャラ付けをされることが大変多いのですが、本作ではむしろ神に忠実な人間くさい男です。このアイデアは中々です。
演出面ではかなりぎこちないカメラワークを使ってきまして、とても無骨で荒い印象を受けます。それは本作のトーンにばっちりです。
またソン・ガンホのすこしやつれた顔がまるで苦悩が張り付いているように見えてきてとても嵌っていますし、キムオクビンの終盤でがらっと変わる演技も本当に素晴らしいです。手放しで褒められるような脚本ではありませんが、しかし丁寧な人間描写と的確な伏線運びはさすがのパク・チャヌクです。
ゴア描写有りの怪奇映画でここまで人間ドラマを描かれてしまっては、正直そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできません。そういった意味で、文句なくオススメできる良作です。ゴア描写が平気な人にだけですが(苦笑)。

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噂のモーガン夫妻

噂のモーガン夫妻

今日は会社帰りに

「噂のモーガン夫妻」をレイトで見てきました。。

評価:(45/100点) – 潔い割り切り。ラブコメして何が悪い!


【あらすじ】

メリー・モーガンとポール・モーガンは、ポールの浮気が原因で別居していた。ある日仲直りしたいポールはメリーをディナーに誘う。その帰り道で両名はたまたま殺人現場を目撃し、犯人に狙われてしまう。二人は証人保護プログラムを適用されワイオミングのド田舎町・レイで一週間を一緒に過ごすことになる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> モーガン夫妻の別居状態
 ※第1ターニングポイント -> モーガン夫妻がワイオミングに着く
第2幕 -> ワイオミングでの日々
 ※第2ターニングポイント -> 夫婦の仲直り
第3幕 -> 殺人事件の結末


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【感想】

本日は「噂のモーガン夫妻」です。カップルが数組入っていたぐらいですので、標準的な入りではないでしょうか。
本作については正直あまり書くことがありません。というのも物語がスッカスカだからです。冒頭で起きる殺人事件も結局は「夫婦がいやいやでも一緒に居ないといけなくなる」という効果のみを狙ったものですし、それ以外は別になんにも起きません喧嘩していた筈の夫婦が、田舎の自然に触れて癒されていくうちに素直になって仲直りするっていうだけです。殺人事件だってツッコむ気もおきないくらい適当な設定で、ラブコメの小道具以上の事には使われていませんから。
ヒュー・グラントは相変わらずダメ人間が超似合いますし、サラ・ジェシカ・パーカーも年の割には青春まっただ中に見えます。でも本当にそれだけです。結局、2人の痴話げんかを延々と80分近く見るだけです。俳優力が素晴らしいので見ている間は全然問題無く見られるんですが、面白いってほど面白くもないし、けなすほどつまらないラブコメでもないので、まぁ時間つぶしにカップルで入るならいいのかなってぐらいの感覚です。
私の中では完全に「どうでもいい映画」枠でした。
予告はもっと面白そうだったんですけどね、、、。
ちなみに同じ「浮気と夫婦」を描くにしても「スイートリトルライズ」よりも数段上の綺麗な回収を見せてくれますので、何の問題もない標準的なラブコメなのでは無いでしょうか?
別に見なくて良かったかも、、、。

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スイートリトルライズ

スイートリトルライズ

今日は一本です。サービスデーで1,000円でしたので、

「スイートリトルライズ」を見ました。

評価:(10/100点) – 「お家に帰ろう」なメンヘラ雰囲気映画。


【あらすじ】

瑠璃子と聡は結婚三年目のおしどり夫婦である。しかしそれは見た目だけ、夫との生活にドキドキが足りないと感じた瑠璃子はふと知り合った春夫と浮気を始める。一方、夫の聡も大学のサークル同窓会で再開した後輩・しほと浮気をする。しかし春夫が彼女と別れて本気で自分にアプローチしてきたことに尻込みし、瑠璃子は夫の元に返る。その事情を悟り、聡もまた浮気をやめる事を匂わせる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 夫婦の日常。
 ※第1ターニングポイント -> 瑠璃子の個展に春夫が訪ねてくる。
第2幕 -> 浮気。
 ※第2ターニングポイント -> 春夫が文と別れる。
第3幕 -> 瑠璃子の決心。


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【感想】

本日は江國香織原作の「スイートリトルライズ」です。あんまり見る気は無かったんですが、1000円だったので入ってみました。小さな箱でしたが、女性を中心に結構お客さんが入っていました。ホワイトデーに女性だけで江國香織を見に来てる時点で「お察しください」なわけですが、それを言ったら私もなのであまり言及しません(笑)。

さて、本作については実はあんまり言及するようなネタもありません。というのも私の大嫌いな「雰囲気映画」だからです(苦笑)。
まず、本作のストーリーは上記の「あらすじ」が全てです。瑠璃子が夫婦生活に満足出来なくなって、ドキドキを求めるために浮気するが、相手が本気になったのにビビって元のサヤに戻る話です。このストーリーなら普通は瑠璃子に変化があるはずです。例えばポジティブ展開なら夫と積極的にコミニュケーションをとるようになったり、ネガティブ展開なら現状に歯を食いしばりながら耐えるようになったり。成長でも諦めでもなんでもいいんですが、必ず何かしら変化しないと物語にならないわけです。

ところが、、、本作ではそういう描写は全くありません。もっというと、そもそも瑠璃子と聡が「愛し合っている」という描写が無いんですね。だから初っ端からまったく乗れないわけです。聡はゲーマーで家に居るときは自室に籠もりがちで、一方の瑠璃子はわけ分からないことをブツブツ言ってる不思議ちゃんです。結局この2人がなんで夫婦なのかという肝心の前提が全っ然見えてこないんです。せめてオープニングの5分ぐらいで結婚前の恋愛状態を見せるとかの「愛し合っている描写」が無い限り、その後の展開がまったく意味の無いものになってしまいます。たぶん本作は「愛し合っていた2人が、結婚3年目にしてお互いに慣れすぎて愛を実感できなくなってしまった」っていう状況のもとで「いろいろあって互いの愛を実感できるようになる」「自分の(精神的な)安息の地としての家族/我が家へ戻る」って話をやろうとしてると思います。でも前提状況が描けていないために、さっぱり意味不明な映画になっています。

そんなわけ分からない話の中でも、本作のテーマを考える上で完全に失敗していると思うのは聡の描写です。聡が夫婦関係に不満を持っている様子が一切描かれませんので、少なくとも映画を見る限りでは聡が浮気したのは単にしほに誘惑されたからです。これってテーマにまったく合ってないんですね。夫婦がお互い浮気するのはいいんですが、一方は夫との恋愛に物足りなさを感じ、一方は単なる浮気(笑)。つまり根本的に浮気した理由がずれています。これじゃあ「互いの愛を実感」するのは無理です(笑)。なにせ、本作のなかで聡は浮気を辞めていません(苦笑)。いいのかそれで、、、。

【まとめ】

え~ここまでの文章であえてストレートな表現を避けてきたんですが、最後に身も蓋もないことを書きます。

 馬鹿いってんじゃないよ 
 お前と俺は ケンカもしたけど 
 ひとつ屋根の下暮らして来たんだぜ
 馬鹿いってんじゃないよ 
 お前のことだけは
 一日たりとも忘れたことなど なかった俺だぜ
 (以下略)

もうお分かりですね。本作は、ヒロシ&キーボーの名曲「3年目の浮気」を再解釈しただけです(笑)。再解釈と言っても、サイフォンやテディベアといったOL風オシャレ要素を足しただけ。ところが、中谷さんの演技の問題か演出家の問題かはわかりませんが、オシャレと言うよりは瑠璃子が単なるサイケな変人にしか見えないんです。しかも聡は普通に浮気。テーマが描けていない以上は結局雰囲気しか無いので、もうどうにもなりません。中谷さん以外の役者さんは結構良かったと思うんですが、、、ご愁傷様です。
作中で聡が瑠璃子を「彼女には実在感が無いんだ」と評しますが、それ言っちゃうと本作の世界全体に実在感がありません(苦笑)。この台詞が出た瞬間に「お、メタ構造の日本版レボリューショナリーロードか?」と期待した自分が恨めしいです。あ~~~8時間前にタイムリープしたい(笑)。
本作が気になった方はレンタルで「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」を借りてきて、本作を無かったことにするのがオススメです!!!

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時をかける少女(2010年版)

時をかける少女(2010年版)

2本目は

「時をかける少女」です。

評価:(85/100点) – これこそアイドル映画。


【あらすじ】

ある日、酒屋の吾郎が芳山和子に一枚の写真とラベンダーの花を手渡す。それを見た和子は放心状態で歩き車に轢かれてしまう。事故の昏睡から目覚めた和子は、かつて深町によって消された記憶を取り戻す。そして娘のあかりに自身の代わりに彼女が開発したタイムリープの薬を使って深町に会いに行くよう頼む。しかし、あかりはタイムリープする日付を間違えてしまった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 和子が記憶を取り戻す。
 ※第1ターニングポイント -> あかりがタイムリープする。
第2幕 -> 深町を探す。
 ※第2ターニングポイント ->深町に出会う。
第3幕 -> 1974年、最後の一日。


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【感想】

さて、二作目はもちろん「時をかける少女」です。夜の回で見てきましたが、すごい人の入り方でした。その後、つい今しがたまで「大林版・時をかける少女(1983)」と「細田アニメ版・時をかける少女(2006)」を見返してました。そうしないと本作を褒めるための理論武装が出来ません(笑)。
本作は「大林版・時をかける少女」の直接的な続編となっています。「大林版・時をかける少女」は原田知世の神懸かり的な可愛さと大林監督のカルトな表現技法が使われている、ものすごくイビつで変わった歴史的大傑作です。この大林版の時をかける少女への心酔度によって、おそらく本作の評価は180度変わります。私はこれから本作を絶賛いたしますが、ちょっと言い訳がましくなるのをご了承ください(笑)。
また前提として、私は大林版をリアルタイムでは見ていません。
時をかける少女に触れた順番は
「内田有紀版」→「筒井康隆小説」→「大林版」→「安倍なつみ版」→「アニメ版」→「本作」
となります。
なお、以後の文章では「大林版・時をかける少女(1983)」のことを「前作」と呼ばせていただきます。

ストーリーテーマについて

本作には二つのストーリーがあり、それが同時並行で進んでいきます。一方はおそらくほとんどの方が絶賛するであろうストーリーであり、もう一方は賛否が180度分かれるであろうストーリーです。まずは前者を見てみましょう。

□ ストーリー1:ラブストーリー

ストーリーの一つは、新キャラクターの芳山あかりがタイムリープした事で起こる過去人・涼太との恋愛話です。非常にオーソドックスでして、過去に影響を与えてはいけない未来人が過去の人間に惚れてしまうことから起こる悲恋話です。ここに若い頃の両親との出会いが合わさり、疎遠だった自分を捨てた父との関係にも影響を与えます。このパートでは仲里依紗の顔のアップショットが多用されます。これぞアイドル映画の醍醐味。とにかくいろいろな表情の仲里依紗がスクリーンに映し出され、それがものすごく魅力的に撮れています。
また未来人を”拾ってしまう”涼太の造形もオーソドックスで、ボンクラなダメ人間で映画や特撮に心酔しているオタクです。ですが彼が熱心に撮影する自主映画「光の惑星」の撮影を手伝ううちに、段々とあかりは涼太に惚れていきます。そして「ある事件を阻止しようとするが、過去を変えてはいけないために阻止できない」というお約束もあります。この全ての恋愛話の最後に、前作の和子と同様に記憶を消されて恋心も失われてしまいます。しかし、前作には無かった”救い”が本作には用意されています。安直に見えるかも知れませんが、私はこの救いのシーンで完全に号泣モードに入りました。
私はこちらのストーリーが本作のメインだと思います。

□ ストーリー2:大林版・時をかける少女の続報・回収

二つ目のストーリーは、芳山和子と深町一夫を巡る再会の話です。もう文字で書くだにセンシティブな話題です(笑)。本作では吾郎が持ってきた和子と一夫の2ショット写真と交通事故のショックで、和子が消された記憶を取り戻します。そしてそこから、和子と一夫の再会ストーリーが始まります。
あかりが過去に戻ると、和子はいきなり尾道(本作では東京?)から横浜に引っ越しています。そして新キャラ・長谷川政道に恋をしています。作品単体としては「娘が若い頃の母に出会いその恋愛観を見ることで、母も人間であることを少し理解する。」という比較的良い話です。ただですね、ここに前作の熱狂的なファンが拒絶反応をしめすであろう「引っかかり」が数点あります。
そもそも「原田知世 役」の石橋杏奈が原田知世と比べて可愛く無いというのが一点目です。2010年パートの和子は前作では出てきてませんから、安田成美については何の問題もありません。
おそらく石橋さんやスタッフは嫌だと思いますが、「時をかける少女」を制作し学生時代の芳山和子を演じる以上は、今後未来永劫、原田知世との比較は避けられません。そして前作の活発なショートヘアの芳山和子が、かなりおとなしめの長髪少女に変わっています。これは前作のファンとしてはわりとショックです。尾道という世界観が無くなったのもかなり大きいです。
二点目は深町君の未来描写です。前作では「緑の少なくなった未来からラベンダーを見つけるために来た」のが深町君です。本作の中盤で未来の深町君が映るんですが、なんというか、、、、SFとして致命的なまでに夢の無い手抜きな未来世界がCGで広がっています。これがセンスが皆無でダサ過ぎます。また石丸幹二というのもちょっと違和感があります。深町君はもっと無邪気で好青年なイメージがあったので、石丸さんはあんまり合ってないような気がします。
三点目は吾郎の扱いです。前作では吾郎と深町君と和子で仲良し3人組だったのに、本作では和子が引っ越した関係でほとんど出てきません。前作や原作をみて和子と吾郎がくっつくと思っていた人にとっては、いきなり新キャラが和子と結婚するのは納得が出来ません。
四点目が和子と深町君の再会です。前作は好きなのにすれ違うしか無いというシチュエーションが悲恋だったわけで、記憶を無くしてしまったのに偶然すれ違うことが肝だったと思います。再会させたら前作から27年にわたる余韻が台無しです。
そんなわけで、こちらのストーリーをどう評価するかはかなりパッカリ分かれると思います。いままで「時をかける少女」を見たことが無い人には普通に問題のないストーリーですが、大林版のファンであればあるほど、上記のようなノイズが猛烈に気になります。

そのほか。

本作で絶賛モードの私でもどうしても納得出来ないことがあります。
それは、エンディングを仲里依紗が歌っていないことです。
なんで「いきものがかり」なんじゃ!!!このタイアップで誰が得をするんだ!!!アイドル映画なんだから、最後は大林版のオマージュとして倒れてた仲里依紗がムクッと起き上がっておもむろに「時をかける少女」を歌うべきでしょ!!!
この点に関しては私は一切擁護の言葉を持ちません(笑)。完全に失策です。「なくもんか」を許した私でも、これでいきものがかりが嫌いになりました(笑)。

【まとめ】

前作との関連ではネガティブな部分ばかり取り上げましたが、もちろんポジティブな部分もあります。桜並木を歩くシーンや最後に深町とすれ違うシーンは明らかに大林版へのオマージュとして成功している部分です。
冒頭で85点としたのは、あくまでも仲里依紗のアイドル映画としての点数です。本編が100点で、エンディング曲無しなので-15点(笑)。ここに前作への心酔度が加わって、人によっては100点になったり-100点になったりします。
ですから、確かめる意味でも是非劇場で見てみてください。大林版を見たことが無い方は、まずレンタルDVDで大林版の鑑賞をオススメします。私も大林版が結構好きだったという意外な発見がありました。

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花のあと

花のあと

今日も二本見てきました。一本目は

「花のあと」です。

評価:(70/100点) – 時代劇というよりは現代劇でありアイドル映画。若い人の方が乗れるかも。


【あらすじ】

父である寺井甚左衛門に剣術の手ほどきを受けて育った以登は、ある日花見中に江口孫四郎に声を掛けられる。羽賀道場の筆頭・孫四郎が気になった以登は、父に頼んで手合わせの機会を設けるが、自身を真っ向から打ちのめした孫四郎に惚れてしまう。しかし自身には許嫁がおり、孫四郎にも婚姻の話があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 以登と孫四郎が出会い、決闘する。
 ※第1ターニングポイント -> 以登が孫四郎に惚れる。
第2幕 -> 孫四郎の結婚と勘解由(かげゆ)の罠。
 ※第2ターニングポイント ->孫四郎が切腹する。
第3幕 -> 以登の敵討ち。


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【感想】

一本目は藤沢周平原作の時代劇「花のあと」です。私は勉強不足にして、監督の中西健二さんを存じ上げておりませんでした。彼の作品を見るのは初めてだと思います。昼の回で見ましたが、年配の方を中心に結構観客が入っていました。
本作は全体として中々良いまとまり方をしていまして、見た後の満足感はかなり高いです。が、、、実は二本目に見た作品で全部吹っ飛んじゃいました(笑)。それはそれとして、まずはストーリーから行ってみましょう。

本作のストーリーについて

本作品のストーリーはかなり良いです。要は男に興味の無かった女性が初めて惚れた男の仇を討つ話しです。シンプルな「女戦士の仇討ちもの」でして梶芽衣子の得意分野です(笑)。とどのつまりは昔の東映・大映に良くあった映画です。まず前半は以登が初恋にとまどいながらも悶々とする話。そして後半はサスペンス仕立ての仇討ち話です。この繋がりが結構面白くなかなかエンターテインメイントとして優れていると思います。
ただ、サスペンス部分に関してはかなり残念な事になっています。第一に、以登は孫四郎がハメられるまさにその場にニアミスするんですが、一方でそれが後半まったく生きてきません。第二に、捜査は全て才助が行ってしまい主役の筈の以登が全然仕事をしないことです(苦笑)。第三に、そしてコレが一番まずいのですが、観客に最初から犯人がハメる場面を見せてしまっていることです。だから謎解きには全く乗れません。以登にとっては謎でも、観客にとってはついさっきスクリーンに映ってたことですから(笑)。なのであんまり盛り上がれません。でも、サスペンス要素はあくまでも蛇足みたいなものです。根幹はあくまでも以登が恋心に悶々とする様子をニヤニヤ見るというアイドル映画です(笑)。
そんなわけで、以登が初恋を追いかけていく内に頼れる才助に惚れていく様子はかなり丁寧に描いています。作品の全編通じて仏頂面をしている以登ですが、最後の最後で、本当に最後で一回だけ笑うんです。そこまでの仏頂面にタメがあるからこそ最後のちょっとした微笑みがとても効果的です。

本作の演出について

演出についてですが、役者の顔のアップがかなり多いために時代劇というよりは現代劇に見えます。それ以上に北川景子と佐藤めぐみが完全に「いまどきの女の子」の顔なので全然江戸時代に見えません(笑)。また、宮尾俊太郎の棒読みもちょっとビックリするレベルです。役者さんでは無いので仕方がないんですが、いくら甲本雅裕や市川亀治郎が超頑張って好演していても全部帳消しになってしまいます。
かくいう以登のキャラ描写にも惜しいところがあります。というのも彼女が「男に興味が無い」という直接的な描写が無いために、孫四郎にちょっとナンパされただけでホイホイ引っ掛かったギャルに見えてしまうんです。冒頭の花見シーンで「別の男に話しかけられても無視した」という描写が欲しかったです。以登は面食いでは無く、あくまでも男勝りの自分を受け入れた初めての男に惚れたはずですから。
その「以登の剣術」についてですが、北川さんは相当頑張ってます。私も剣道を少し囓っていたんですが、映画で俳優さんが素振りをしたときにキチンと左手が鳩尾の高さで止まって右手が絞れているケースはほとんどありません。冒頭の稽古シーンでかなり綺麗な形で左右面の素振りをしているのはグッと来ました。ですが、、、これは仕方がないのかも知れませんが、やはり映画の時代劇で血しぶきの一つも出ないのは納得出来ません。人が切られたら血が出るのは当たり前でしょう? いくらアイドル映画とは言え、「汚いモノは見せない」というのはどうなんでしょう。別にR15+になるまで血糊を使えとは言いません。でもせめて切られた敵の服が赤くなったり、ちょっと返り血を受けるぐらいは当然だと思います。殺陣で血糊が無いと、それだけでショボくて幼稚に見えてしまいます。
最後に最もがっかりする部分を。まさしく最後の最後、以登が初めて笑顔を見せて完全に北川景子の魅力にヤラれたまさにその瞬間に、なぜか一青窈の「J-Popでござい!!!」っていう主題歌が流れ始めます(苦笑)。余韻ゼロ。そして作品のトーンと全くあってない軽快な音楽。それでもエンドロールならまだ諦めはつくんですが、桜並木を才助と以登が歩いていく作品上一番の見せ場が流れてるんですね。挙げ句の果てに間奏部分でナレーションまで入りやがります。タイアップが大事なのは分かるんですが、せめてもう5分待って、エンドロールが始まってからにしてください(苦笑)。これのおかげでせっかくジーンとくる場面が台無しです。

【まとめ】

ストーリーは面白いですし、北川景子さんのアイドル映画としてもバッチりです。ですがちょっと演出がノイズになって結構評価を落としてしまっています。全体のトーンも時代劇というよりは昼ドラっぽいですが、とても良く出来た作品だと思います。時代劇が好きな方よりも、恋愛ドラマが好きな方にマッチするかも知れません。
また、北川景子のファンであれば本作品は鑑賞必須です。義務です。絶対に見に行きましょう。

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記事の評価
シャーロック・ホームズ(2009)

シャーロック・ホームズ(2009)

さてさて、雪降ったり暑かったりで体調崩してるんですが、金曜と言えば当然新作のレイトショー。

今日は「シャーロック・ホームズ」を観てきました。

評価:(65/100点) – 同人にしては良くできてる、、、、でも「天使と悪魔」。


【あらすじ】

ロンドンで5人の若い女性が殺される。捜査に乗り出したホームズとワトソンはブラックウッド卿を突き止め、6人目の犠牲者を危ないところで救出しブラックウッドを逮捕する。そしてブラックウッドは死刑を執行される。ところが彼が地獄から復活したという噂が流れ始める。実際にブラックウッドの棺桶を調べた警察とホームズは、その中に見たことのないミゼット(=こびと)を発見する。果てしてブラックウッドは生き返ったのだろうか? 獄中の彼が遺した「あと3件の殺人が起きる」という予言が徐々に真実味を帯びてくる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ブラックウッド卿の逮捕と死刑執行。
 ※第1ターニングポイント -> アイリーン・アドラーがホームズを訪ねてくる。
第2幕 -> 3件の殺人事件。
 ※第2ターニングポイント -> ブラックウッド卿の連続殺人事件の共通点にホームズが気付く。
第3幕 -> ブラックウッド卿の野望を阻止できるかどうか。


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【感想】

さてさて、本日はガイ・リッチーの最新作「シャーロック・ホームズ」です。マドンナと離婚した今となっては完全に「一発屋」扱いのガイ・リッチー監督ですが、久々にビックバジェット・エンタメ大作です。主演はアイアンマンで薬物中毒から一転ヒーロー路線へ復活を果たしたロバート・ダウニーJrです。
やはりホームズのネームバリューなのか、レイトショーでは珍しく6~7割ほどは座席が埋まっていたでしょうか?かなり混んでいました。
本作は説明不要の「シャーロック・ホームズ シリーズ」のキャラクターを使ったオマージュ作品です。予告でも分かるように、ホームズもワトソンもかなりの武闘派になっておりまして、かなりアップテンポな場面が目に付きます。
でもいまいち盛り上がらないというか、エンタメ映画の割にカタルシスがあんまりないんです。もちろんCGは結構豪華ですし目に見えた破綻があるわけではありません。この原因について考えてみます。

お話しの部分について

本作は構成が非常にしっかりしています。ブラックウッドが死刑になるまでが約25分、ホームズが謎を解くのが100分ごろ、そこからは約30分で国会→ロンドン橋でのアクションシーンです。話の構成自体には何の問題もありません。
おそらく本作に欠けているのは、「観客視点の受け皿」と「物語の推進力」です。
まず前者ですが、原作では「語り手」「常識人」としてのワトソンが読者の受け皿でした。読者はワトソンの視点からホームズの奇想天外な推理を感心出来るわけです。ところが、本作にいわゆる「一般人」は出てきません。強いて言えばレストレード警部とメアリーぐらいが平凡なキャラで、ホームズもワトソンもアイリーンもアクが強く曲者です。濃いキャラだらけにしてしまった結果、観客が完全に客観的な視点からホームズを観察してしまうんです。そうすると、次の「物語の推進力不足」問題がより加速します。
先日の「ライアーゲーム~」や「コラライン~」でもちょっと書きましたが、物語には推進力が必要です。それはほとんどの場合、キャラクターが追い詰められて何かしないといけなくなることです。本作の場合は、「レオダンの家探し」→「殺人事件の謎解き」→「テロの阻止」と目的が変わるのですが、どれも中途半端というか他人事っぽい描き方になっています。例えば、レオダンの家は割とあっさり見つかってしまいますし、その後はアクション・シーンです。殺人事件にいたっては最初の一件だけが彼が直前に会っている「見知った人」で、後の2件はあんまり関係ないためやはり他人事です。
これだと、いくら構成が良くても全然面白くはなりません。きちんとホームズを事件に絡めさせて追い詰めないといけないのですが、本作ではそこまで事件捜査をすることもなくクライマックスの100%アクションシーンに行ってしまいます。また、ブラックウッド卿が獄中で宣言する「期日」もタイムリミットの役目を果たしていません。ですので、全体を通してあまり緊迫感が無いままに漫然と物語りが進んでしまいます。
後半は推理もかなり無茶になっていきますので、推進力はどんどん低下していってしまいます。

キャラクターについて

このキャラクターについてが本作の一番の肝です。おそらくシャーロック・ホームズとワトソン博士のコンビを知らない方はほとんどいないと思います。それほどまでに古典中の古典であるシャーロック・ホームズは、名前だけでも十分なキャラクター意匠になります。なので、本作ではキャラの描き方がかなり雑です。説明しなくてもどうせみんな知ってるという前提です。その上で原作にもあったホームズとワトソンのホモソーシャル的(=男子校的)な関係を拡大し、全キャラに格闘アクション要素を足しています。終盤にホームズの「腕ひしぎ逆十字固め」とワトソンの「胴締めスリーパー」の競演がありますが、場内爆笑でした。そりゃガイ・リッチー監督は柔道黒帯ですけど、、、。
この原作の要素をグッと拡大する感じがとっても漫画っぽいんですね。なので、キャラクターについては映画単体としてはかなり残念です。原作を読んでいるのが大前提で、その上で原作とのギャップを楽しむ感覚です。このあたりが原因で見終わった後にパロディ作品っぽい印象を持ってしまいます。

【まとめ】

キャラクターの名前を借りてきてオリジナルな事をやるという点ではいわゆる同人作品っぽさがあります。ところが見た目や名前がどんなにホームズでも、映画のプロットはそのまんま「天使と悪魔(2009)」です。
もちろんエンターテインメントとして標準のクオリティは十分に保っていますので、小難しいことを考えずに楽しめる良作だと思います。
最後に一点だけ。本作の冒頭でタイトルが出た直後のシーンは、完全に「グラナダ版(=ジェレミー・ブレット版)シャーロックホームズ」のオープニングそのままです。全体のテイストも「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎(1985)」っぽい雰囲気ですので、確実に過去作へのオマージュ感覚は入っていると思います。
もしシャーロック・ホームズが好きならば、確実に「グラナダ版TVドラマシリーズ」をレンタルしてきた方が良いです。でももしハリウッドのエンタメ・アクション映画が見たいのであれば、本作はまさしく適任です。是非、映画館へ足を運んでください。オススメです!!!
今週末ですと、「ハート・ロッカー」を見ていたたまれなくなった方のお口直しにぴったりです。

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記事の評価
ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

アカデミーについて書きたいのは山々なのですが、まずは今日のレイトショーで観た

「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」です。

評価:(45/100点) – 映画としては糞そのもの。しかしアイデアは素晴らしい。


【あらすじ】

バカ正直のナオは、ライアーゲームという大金を掛けたゲームの決勝戦に招待される。人気のない孤島で、ナオはそのほか10人の人間と共に莫大な金を掛けたゲームを始める。


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【感想】

さて、アカデミーについても色々書きたいことはあるんですが、今日は「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」についてです。つい先ほど見終わったばかりです。
人の入りはレイトショーにしては多く、10~20人ぐらいでした。私は例によってドラマ版を全く見ていない上に漫画も読んでいない状態です。ハッキリ言ってボーイズ・オン・ザ・ランの時に書いたように松田翔太を見に行ったようなものです。後はモロにSAWのトリック・ドールをパクってるピエロ人形が気になったという所でしょうか。
見終わっての感想ですが、なんと言いますか、、、非常に評価に困る作品でした。
といいますのも、映画としては文句なく糞なんです。詳しくは後述しますが相当酷いです。ところが本作は(SAWのパチモンとはいえ)日本でソリッド・シチュエーション・スリラーが作れる可能性を見せてくれました。その点は十分に評価に値すると思います。

映画としての難点

冒頭の文を見ていただいて分かるように私は本作には好意的です。なので悪口を先に片付けてしまいましょう(笑)。
本作の映画としての一番の難点は、映画の文法を全く使っていないことです(苦笑)。いきなり話が終わってしまいますが、明確に本作は映画として構成されていません。100%TVドラマの文法で作られています。具体的に言いますと「間の徹底的な排除」「小刻みなカットバック・早回しの多用」「泣き喚き等オーバーリアクションの多用」そして「過剰なインパクト音としてのSE」です。要は、本作はずっ~と何かしらの映像効果や効果音といったエフェクトを掛け続けているんです。まるで作り手に脅迫観念でもあるかのように、映像に常に手を加えて「間」をつぶしています。これはTVチャンネルをたまたま合わせた人を逃がさないための演出です。その過剰さが恐ろしく安っぽく、観客のリテラシーをバカにしているように見えます。これはあくまでもTVドラマ特有の文法で、映画館の大画面で集中力が上がっている時に見せられるとものすごい白けます。
第二の難点は致命的なまでの演出のダサさです。本作を見ていて一番イライラするのはこの部分です。本作に登場する「エデンの園ゲーム」は全部で13回の「投票」が行われるのですが、その全てについて「何かイベントが起こる」→「結果発表」→「裏切り者が勝手に自白」→「罵しり合い」→「次の投票へ」というワンパターンが延々繰り返されます。この中でも特に裏切り者が勝手に自白するパートや、聞かれても居ないのに秋山が手の内をバラすパートは本当に最低な出来です。聞いてもいない悪事や工夫をベラベラ勝手に喋りだすものですから、どっちらけも良いところです。
第三の難点は、すべてを台詞で説明するところです。これは後述する事にも関わってくるのですが、本作はまるで舞台演劇のように台詞だけで物語が進行していきます。映画としてはとても不自然なところが多々あります。なにせ映像の力に全く頼っていないというか、映像自体を利用できていません。なので映画的な興奮や感動は一切ありません。

本作の最も優れた点。「エデンの園ゲーム」のアイデア。

書いていたら割と手厳しくなってしまいましたので、今度は褒めるパートに行きましょう。以上に書いてきたように本作は映画としては全くもって酷い出来です。ところが本作には唯一にして最大の美点である「エデンの園ゲーム」があるんです。エデンの園ゲームのルールを説明するのは面倒なので公式ホームページを見てください。実際にこのゲームにもツッコミ所は結構あります。しかし私が大事だと思うのはこういったソリッド・シチュエーションのアイデアを考えようという脚本家・プロデューサがでてきたということです。
本作の序盤では、同一のルールを使っているにも関わらず、少し状況をいじくるだけで「囚人のジレンマ」を複数パターン作って見せます。そして中盤、ここまで一切使われなかった”新ルール”でさらに別の展開を作って見せます。そして最終盤、きちんとゲームの盛り上がりと話の盛り上がりを一致させてきます。
ソリッド・シチュエーションはキャラクターを論理的・環境的に追い詰めていくための構造です。本作では穴だらけながらもきちんと数学的に追い詰められているように見えますし、言葉で延々と観客を”説得”してきます。
たしかにこのシチュエーションの作り方自体の詰めはボロボロで、実はいくらでも抜け道があったりします。もっというと、おそらく本作は最後のオチから逆算して、脚本の後ろからルールと経過を書いています。そのため、通常の状況ではまったく必要の無い不自然なルールがあります。でもこういうチャレンジをしてきたことに意味があると思います。その志を買いたいです。
木のプレートがあるのに赤リンゴを燃やしちゃったり、焼きごてを使った直後にポケットに入れたり、あまつさえリンゴを隠したり(どこにそんな場所があるんじゃ!)、暖炉の火程度で純金や純銀が燃えたり、脱落した連中がいきなり最後にしれっと復活したり、ディティールは最低ですがあまりにも早い話のテンポと中田ヤスタカの中毒的なワンループ構造音楽の「勢い」で結構誤魔化されます(苦笑)。

【まとめ】

本作は映画としてはかなり酷い出来です。どのぐらい酷いかというと「交渉人 THE MOVIE」とどっこいどっこいなレベルです。しかし、私はソリッド・シチュエーションのアイデアを買いたいと思います。稚拙ながらもこのジャンルに挑戦する作品が出てきたことは大変好ましいことです。もっとディティールを真面目に作った上でゴア描写を追加できれば、本作は十分に面白くなる余地があります。
ということで、本企画の未来に向かってオススメです!!!
余談ですが、本作でも「猿ロック」にみられたような「疑うことを知らない無垢」=「良い事」という気色悪い構図があります。戸田恵梨香がただの頭足りない子にしか見えないのが実は最大の難点でしょうか? 可愛いのに、、、。
またドラマのDVDをとりあえず1シーズン分借りてみました。その程度には期待の持てる作品です。

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