ブラック・スワン

ブラック・スワン

今日は二作です。1作目は水曜公開で早くもそこそこ話題作

「ブラック・スワン」です。

評価:(100/100点) – 抑圧を狂気で解き放て!!! 永遠の清純派を卒業できるのか!?


【あらすじ】

ニナ・セイヤーズはバレエ団のソリスト(準主役)である。バレエ団は経営難から立ち直るために次シーズンでプリマ(主役)の交代を考えていた。タイトルは新しく振り付けし直した古典・白鳥の湖。即席のオーディションに合格したニナは念願のプリマの座を射止める。しかし、彼女は完璧主義者であるが故に感情を表に出した演技が苦手で、オデット(白鳥)の演技は出来てもオディール(黒鳥)の演技が上手く出来ない。演技監督のトマスの厳しい指導を受けるうちに、彼女の周りには不思議な事が起き始める。

【三幕構成】

第1幕 -> ニナのオーディション。
 ※第1ターニングポイント -> ニナがスワン・クイーンに選ばれる。
第2幕 -> ニナの苦悩と演技指導。
 ※第2ターニングポイント -> ニナがリリーと夜遊びに行く。
第3幕 -> ニナの開花と初演。


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【感想】

今日の1本目はアカデミー主演女優賞を獲った「ブラック・スワン」です。監督はレスラーのダーレン・アロノフスキー。日本では水曜公開でしたが、平日の初動で結構観客が入ったと話題になっていました。
もしかしたら興味ある人はもうレイトショーで見ちゃってるのかも知れませんが、私の見た回はあんまり人が入っていませんでした。

本作全体のテーマ

本作はダーレン・アロノフスキー監督の前作・レスラーと同様にハンディカメラ調のドアップ画角を中心にして徹底したニナ・セイヤーズの一人称視点で描かれます。どこまでが現実でどこまでが彼女の幻覚かまったく分からないまま(※そしてそんなことはどうでもいいんですが、、、)、世界全体が彼女を追い詰めていきます。
ニナは元端役のバレエダンサーでシングルマザーの母親の夢を全て引き受け、完全なる「良い子」として才能を発揮してきます。彼女は技術的には完璧でありながらバレエへの情熱が踊りには出ません。そんな彼女が「情熱の化身」とも言うべき黒鳥を踊るために苦悩し、そのプレッシャーに耐えきれずに発狂していきます。
本作では「白鳥の湖」の一番の見所である白鳥と黒鳥の一人二役をモチーフに、がちがちの母親に管理され続け抑圧されたニナの解放を描きます。
本作が大変すばらしく大傑作であると思う一番の理由がクライマックスの強烈なカタルシスです。彼女は完全にイっちゃってますが、しかしそれこそが彼女にとっては「解放」だからです。彼女は最後彼女にとってまさに「Perfect…」な結末を迎えたわけで、それがハッピーエンドで無いはずがありません。

やってること自体はレスラーと同じだけど、、、

とまぁ最高なワケですが、メタレベルでやっていることはレスラーとほとんど同じです。つまり13歳でリュック・ベッソンにフックアップされてレオンで世界規模のアイドルになり、さらには18歳でスターウォーズEP1を撮影しながら受験勉強をしてハーバード大学に合格、何カ国語も喋れる美人で秀才なセレブという完璧超人のナタリー・ポートマン自身を役柄に投影します。「超良い子だけどいまいち”良い少女”感が抜けない」というのはまさにナタリー自身であるわけで、それがニナ・セイヤーズの実在感に貢献しているのは間違いありません。
プラスとして、本作では発狂系サイコスリラーからの明らかな引用も随所にあります。一番言われるのはおそらくロマン・ポランスキーの「反撥(1965)」と今敏の「パーフェクトブルー(1998)」だと思います。「反撥」は発狂に至るプロセスと「性的な幻覚」を重ねてくるテーマ的な部分、「パーフェクトブルー」は壁一面の絵/ポスターが話しかけたり笑ったりしてくる演出と鏡の中の自分が挑発してくる場面、プラスでお腹を刺す部分ですね。まぁほとんどそのまんまですw

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左:ポランスキー監督「反撥」(1965/仏)  右:ダーレン・アロノフスキー監督「ブラック・スワン」(2010/米)

ただ、パクリまくってるから駄目だと言うことではなく、それらを使ってきちんと「抑圧からの解放」というドラマを作ってくる所がダーレン・アロノフスキーの小憎らしい所ですw こんだけ面白ければパクってようが目新しくなかろうがなんでも良いやって言う、、、それぐらい黒鳥のピルエットには強烈なカタルシスがあります。まぁ演出的にやり過ぎって話しもありますし、ちょっと吹き出しそうにはなるんですが、、、でも「成長したね!!!」って感じで微笑ましい場面です。文字通り強く羽ばたいてるのでw
この作品のずるいところは、きちんと作劇上のクライマックスと劇中劇「白鳥の湖」のクライマックスが完全にシンクロしていることです。オデットは王子をオディールに奪われたことで絶望しますが、身を投げることで終に呪いから解放されます。そしてニナ・セイヤーズは、、、、というのは見てのお楽しみです。

【まとめ】

発狂系サイコ・スリラーの新しい大傑作です。あの童顔で可愛いナタリー・ポートマンが最後には血走った目をかっぴらいて黒鳥に生まれ変わるワケで、これはもうファンならずとも感涙です。現実でも本作の振り付け担当のべンジャミン・ミルピエとよりによって出来ちゃった結婚して清純派のイメージを破ったので(笑)、間違いなく本作が彼女自身の解放にも良い方向にいったんでしょう。というわけで、これからは「レオンの子役のナタリー・ポートマン」「アミダラ役のナタリー・ポートマン」では無く、「ブラック・スワンのナタリー・ポートマン」です。間違いなく彼女の代表作です。オススメします。マジ必見。

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記事の評価
アンノウン

アンノウン

土曜の2本目は

アンノウン(2011)」でした。

評価:(65/100点) – 安心と信頼のダークキャッスル印


【あらすじ】

バイオテクノロジー学者のマーティン・ハリス博士は妻リズと共に学会に出席するためベルリンに来ていた。無事会場のホテル・アドロンに着いたものの、空港に忘れ物をしたマーティンは一人タクシーを拾って空港に戻ろうとする。しかしその途中、彼は交通事故にあって昏睡してしまう。
それから4日後、目を覚ました彼は朦朧とした意識の中でやっと思い出したホテルへと向かう。しかし妻は自分の事を知らないと言い、さらにまったく別の人間がマーティン・ハリス博士を名乗っていた。
彼は交通事故で記憶が混乱してしまったのだろうか? 彼はいったい何者なのか?


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【感想】

土曜の2本目は「エスター(2009)」のジャウム・コレットセラ監督の新作「アンノウン」です。予告を見るだにB級臭がプンプンしますw その臭いにつられたのか、結構中高年のお客さんが入っていました。
サスペンスですのでネタバレ無しで行きたいと思います。
本作は前半と後半でまったくテイストが違います。前半はどちらかというとサイコスリラー風味なんですが、ある出来事をきっかけに急にアホな力技のサスペンス映画になります。でまぁ前半からダークマンの頃のようにちょっと猫背でガシガシ歩くリーアム・ニーソンが待ってましたとばかりに暴れまくるわけで、これがつまらないはずがありません。
直接的に連想されるのは昨年の「パリより愛をこめて」。それとリュックベッソンの一連のバカ・アクション映画です。全体的に投げっぱなしな感じですとか、実は凄い人という体裁の脇役が出てくるのに妙に薄っぺらい感じですとか、結局身内だけで全部完結してる感じですとか、そっくりですw
こういう「ド」が付くほどのB級映画は細かい事を考えずにポップコーンを食べられるかどうかが勝負ですので、これはもう大変すばらしいポップコーン映画に仕上がっています。だって俺たちのアニキが困り顔でモテモテなんですよ!!!! だってダイアン・クルーガーがちょっとヤンキーっぽくってイケイケなんですよ!!! パスポートを持ってない外人が事故って昏睡してるのに警察は調べに来ないのかとか、一流ホテルのドアマンがVIP客の顔を忘れるわけ無いとか、webサイトの画像を差し替えたってキャッシュで分かるしそもそもプロがそんな証拠になる痕跡を残さねぇよとか細かい所は一杯ありますが、一切気になりません。
超最高!!! 超楽しい!!! 超オススメです!!!!



って浮かれられれば良いんですけど、でもたぶんこれってリーアム・ニーソンが元々アマチュア・ボクサーでアクション俳優(アイドル)だっていう前提を分かってないとただのハチャメチャな映画に見えてしまうかも知れません。その辺はバットマン・ビギンズ以降でかなりアクション畑に戻ってましたのである程度は大丈夫かと思います。
タレ眉毛で困り顔なのに超強いというギャップがリーアム・ニーソンの一番の魅力なので、本作はまさしくバッチリの企画です。だからやっぱ最高!!!! 超楽しい!!! 超オススメです!!!!
っていうぐらい大味な感想がぴったりな映画です[emoji:i-229]

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記事の評価
キッズ・オールライト

キッズ・オールライト

土曜の1本目は

「キッズ・オールライト」でした。

評価:(40/100点) – 大変ごもっともな事であらっしゃいます、先生!!!


【あらすじ】

ジョニとレイザーはレズビアンカップルの子供である。両親は精子バンクから提供を受け、それぞれ1人ずつ子供を産んだ。ある日、弟のレイザーは姉のジョニに頼んで精子バンクに提供者の紹介を依頼する。こうして遺伝子上の父親であるポールとであった2人はすぐに打ち解け合う。そして両親の内で母親の立場であったジュールズはポールに惚れてしまう。家族を取られてしまった格好になった父親的立場のニックは果たして、、、。


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【感想】

昨日最初に見たのは「キッズ・オールライト」でした。公開から一週間経っていましたがそこそこお客さんは入っていました。アメリカでは大変な評判になっていますが、、、すみません。正直いまいちピンと来ませんでした。もしかしたら私が独身だからかも知れません。家庭を持っている人だとグッとくるんでしょう。
本作はレズビアン同士のカップルの間に生まれた姉弟が実の父親に会ってしまうところから話しが始まります。しかも実の父親はいわゆる「成り上がりのワイルドボーイな実業家」でして、性格も良ければ土地も金も持っているかなり好条件な独身男です。いくらレズビアンとは云え男日照り歴20年近い所にこんな超好条件な男が入ってくるのですから、当たり前のようにジュールズはコロっといってしまいます。しかも子供達は始めて会う「父親的な遊び相手」に興味津々で、こちらもイチコロです。こうして家族の中で父性的なヨゴレ役を買ってでていた仕切屋のニックだけが孤立してしまいます。
一方はイケイケな生活を送っていながらも遺伝学上の子供達と会うことで家族が欲しくなる独身男。
一方は20年間も「母親」としての立場に甘んじてきて、仕事もロクにさせてもらえず抑圧されてきた女性。
一方は20年間男性的な「父親役」を買ってでて気を張りながらも厳格な家庭を築いてきたと自負する女性。
この3者間における「家族」を巡る駆け引きが本作のストーリーとなります。
単純に私が恵まれているだけかもしれませんが、いまいち乗り切れなかったのは本作が全体的に排他的な感じがするからです。弟の友達は両親から「気にくわない」「あんなのと付き合うな」と罵倒されたあげく、後半は本当に頭がイッちゃってるバッドガイになります。
娘の友達は常にエロいことばかり言ってる色ボケなアホで、最後は「彼女は何でも性的な事に結びつける可愛そうな子」という酷いレッテルを貼られます。
そして結局ポールも排除されます。
最後は「家族の絆」に着地するハッピーエンドになるんですが、その過程では出てくる登場人物はことごとく排除されます。おそらく監督の意図としては「いろいろな障害があっても家族の絆さえあればみんな大丈夫。(KIDS ARE ALLRIGHT)」って事だとおもうんですが、いろいろやらかしたポールはともかくとして何か引っ掛かるモノがあります。
もっというと、ストーリー上はあんまり両親がレズビアンである必要もないかなというのもちょっと気になります。もちろんジュールズの浮気をある程度「仕方がないこと」とするための設定なんですが、ちょっと節操ないかなと。
とりあえず家族にとって大切なのはお互いの信頼であってそれに性別は関係無いと、まぁそういうことです。うん、まぁ子供が真っ直ぐに育って良かったですね。

【まとめ】

なんか道徳の授業のような嫌な汗が出てくる映画体験でした。たぶん一切感情移入できなかったのは私の環境が恵まれているからです。
正論だと思います。良いと思います。大変ためになりました、先生。オススメです!!!
、、、先生、授業時間終わったんでそろそろ帰っていいですか?

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星を追う子ども

星を追う子ども

今日は3本見ましたが、一番面倒なコレを最初に書きます。
そう、新海誠の最新作

「星を追う子ども」です。

評価:(9/100点) – みんなジブリが好きね、、、。


【あらすじ】

アスナは山の上で一人鉱石ラジオを聞くのが好きだった。父は他界し、医者の母親はいつも夜遅くまで帰ってこない。
ある日、彼女は山でケモノに襲われたところをシュンという少年に助けられる。はじめて秘密のラジオを共有できる仲間が出来たが、彼は数日後に忽然と姿を消し、川縁で遺体が発見される。アガルタという遠い所から来たというシュンの手がかりを探すため、彼女は新任教師のモリサキから話しを聞く。
その後暫くして、彼女の元にシュンとそっくりの少年が現れる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アスナとシュンの出会いと別れ。
 ※第1ターニングポイント -> アスナがシンと出会う。
第2幕 -> アスナとモリサキの「生死の門」への旅。
 ※第2ターニングポイント -> アスナとモリサキが別れる。
第3幕 -> 生死の門


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【感想】

土曜の1本目は「星を追う子ども」です。知ってる人には超有名、知らない人は全く知らない新海誠監督の最新作です。完全に狭いマーケットの監督ですので客席も似たような雰囲気の20代~30代ぐらいのオタク系男子ばかりでした。結構みなさん大人数で連れ立って来ていまして、かなり埋まっていました。
さて、twitterでちょろっと書きましたが、ここから先は結構デリケートなことを書きます。ネタバレも含みますので未見の方はご注意ください。またアリバイを作るために(苦笑)、先ほどまで新海誠監督のDVD化された作品をすべて見返しました。「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」。まずはそもそも新海誠監督が歴史的にどういう位置にあって、そこから本作でどうなるのかという所を書いていきたいと思います。

前提:そもそも新海誠監督って、、、という話し

では面倒な話しに行きましょう。「新海誠」の名前を一躍有名にしたのは「ほしのこえ」です。2002年制作のこのアニメはほぼ全ての工程を当時まだ20代だった日本ファルコム社員・新海誠が制作した「同人アニメ」です。この作品は決して真新しいことはやっていませんでしたが、石原慎太郎のぶち挙げた「第1回新世紀東京国際アニメフェア21(いまの東京国際アニメフェア)」で一般公募部門の優秀賞を獲ることで歴史的な「象徴」となりました。なぜこの「ほしのこえ」が象徴になったかを説明するには、時代背景を理解する必要があります。以下3つのキーワードで新海誠を探っていきましょう。

新海誠を考える上でのキーワードの1つ目は「パソコン時代の自主制作アニメ」です。
自主制作フィルムというのはかなり昔からありました。1960年代にはNHK主催で一般公募の8mmフィルムコンクールがありましたし、例えば自主制作アニメという意味では80年代の関西SFオタクコミュニティを牽引したダイコンフィルム/ゼネラルプロダクツなんかもあります。ちなみにゼネプロは元々は輸入プラモデルやフィギュアを扱うグッズ屋でしたが、後にアニメ制作会社・GAINAXになります。
こういった状況がありつつ、90年代に入ると劇的な変化が始まります。それまで自主制作の現場ではあくまでも8mmフィルムが主体でしたがWindows98によってパソコン編集が使われるようになります。特に重要だったのは「Lightwave」「StrataVision 3D」という3Dモデリング・レンダリングのソフトと「Adobe Premiere」という編集ソフトの存在です。それまではパソコンを動画編集で使うとなるとAmigaみたいな100万円越えのワークステーションを用意するか、OpenGLに特化したグラフィックボードを数十万で用意する必要がありました。要はすっごいお金が掛かったんです。それがWindows98の登場で劇的に安上がりになりました。
この自主制作映像のパソコン編集の流れを決定づけたのが2000年に放送を開始したNHK衛星第一の番組「デジタル・スタジアム」です。
デジタル・スタジアムは毎週一般公募によって投稿された30秒~1分程度の映像をひたすら紹介・批評しつづけるというかなりチャレンジな30分番組でした。ここでいわゆる常連投稿者が誕生し、3Dモデリングのノウハウや編集方法がテレビで大々的にレクチャーされるというものすごいアグレッシブな内容になります。つまり、前述した2002年というのはパソコンを使った自主制作3D動画が一番盛り上がりを見せていたときだったんです。実は私も相当嵌っていまして、CGモデリングのためだけにLinuxマシンを自作してBlenderを回しまくっていました。
そこで登場したのが「ほしのこえ」だったんです。「ほしのこえ」は全編がパソコンを使って制作されており、まさしく2002年当時の自主制作シーンのど真ん中でした。しかもそれをほぼ一人で制作しているわけで、まさしく「21世紀の引きこもり型自主制作映画」の最先端だったんです。「ほしのこえ」はパソコン1台とガッツがあれば誰でもアニメ作品が作れるという夢に満ちていました。
「ほしのこえ」の作品自体はまったく新しいものではありません。宇宙と地球で離ればなれになった恋人達がお互いに携帯メールを送るものの、何光年も離れた2人のメールはとてつもない時差を伴って2人を引き裂いていきます。この作品の概要・世界観は前述のダイコンフィルム→GAINAXの代表作である「トップをねらえ!」からの影響と思われます。ヒューゴ賞・ネピュラ賞・ローカス賞のアメリカ3大SF賞を総ナメにした1974年の傑作「終りなき戦い」をモチーフにした「トップをねらえ!」のウラシマ効果を大々的にフィーチャーし、そこに恋愛と「セカイ系」の要素を入れてきます。

新海誠のキーワードの2つめは「GAINAX」です。
新海誠の作風は直接的にGAINAXの影響を受けています。新海誠の最大の特徴である「ウジウジした男が延々と一人言をつぶやくモノローグ」は「新世紀エヴァンゲリオン」の影響で、これが「セカイ系」、つまりキャラクター個人の感情・事情が直接セカイと結びつくという「狭く閉じた自己中心的な世界観」に繋がります。プラスして、彼はカメラワーク・画面構成も庵野秀明から影響をうけています。人が映っていない自然風景からキャラクターに頻繁にパンしたり、廊下や線路といった奥行きのある背景を広角レンズ式の歪みで俯瞰で描いたり、こういった特徴的な画面構成です。これらは実際には庵野秀明の発明品ではなく実相寺昭雄監督の特徴的なカメラワークです。しかし新海誠はおそらく実相寺昭雄から持ってきたわけではなく、庵野秀明を経由した孫参照です。それは全体的に庵野流の演出・セリフ回しを多用していることから伺えます。

新海誠のキーワードの3つめは「サウンドノベル」です。
新海作品を注意深く見ていると、カメラフレームが静止することがほとんど無いことが分かります。キャラクターの動きとは関係無く、常にゆっくりとカメラフレームが縦・横にスライドしていきます。そして、画面の中央にキャラクターが居ることもほとんどありません。こういった手法はアニメーションにおいてはかなりイレギュラーといいますか、はっきりいって駄目出しされる手法です。少なくともアニメ制作会社で下積み勉強をした人間には出来ません。
これはアニメと言うよりは紙芝居・サウンドノベルの手法です。サウンドノベルはスーパーファミコンの名作「弟切草」が発明したジャンルで、名前の通り「音がでるゲームブック」です。(※最近は「ゲームブック」も見かけませんがw) このジャンルはカセットやディスクの容量との戦いなので、いかに挿絵を減らして音を入れるかというのが大切になります。ですので必然的に細かいエフェクトを多用することになります。これが前述のゆっくりスライドするカメラフレームであったり、中心よりずれたキャラクター配置です。つまり、新海誠はアニメ作品としてはかなり異端な事をしていて、どちらかというとビデオゲームに近い構図をとっているということです。逆に言うと、こういう構図を取るアニメ監督はあまりいないので、それが個性に繋がっています。

だらだらと書いてきましたが、一旦まとめましょう。新海誠監督は21世紀のはじまりに、パソコンによる映像自主制作の象徴として登場しました。彼の作風は直接的にGAINAX作品やビデオゲームから影響を受けています。つまり文脈上「いまどきの監督」というポジションで語られる人だということです。

本題:あれ、参照元を変えたの?

とまぁ延々と言い訳と予防線を張りつつ本題にいきますw
ジブリすぎ。さすがになんぼなんでもジブリすぎ。
本作はいままでの新海誠の特長・作風とはまったく違います。まず一見してわかるのが、うざったいほどのモノローグが無くなっている点です。単純にすっきりしています。そして画面の作り方もまったく違います。これまでは庵野演出 a.k.a. 実相寺昭雄演出だったのが、宮崎駿タッチにかわっています。宮崎駿演出の最大の特徴はフェティッシュなまでの「実動作のアニメ化」です。「水が流れるとはどういうことか」「草が風になびくとはどういうことか」。そして「空から女の子が落ちてくるとき、スカートはどういう風になびいてパンチラになるか」。彼は、スロービデオで研究したのかと思うほど、溜めと抜きによってデフォルメされた「実物よりも実物っぽい動き」をアニメーションで再現して見せます。今回の新海誠はこの宮崎駿演出を参照しています。いるんですが、あんまり出来てません。上っ面だけそれっぽい感じになってるだけです。

これまでの新海作品は背景を実際の風景写真からトレースした高密度の線で埋め、一方の人物は線の少ないアニメアニメした陰影で構成されています。そうすると背景から人物が浮き上がって見えますので、それが”素人っぽさ”に繋がり、結果的には新海誠の「インディ界の大物」という雰囲気にマッチしていました。ところが、今回は背景の線が減り、より「普通のアニメ」っぽくなっています。

今回の作品を総括すると、「いままでの新海誠節を捨てて”より普通のアニメ”を目指した結果、下手な上に参照元とおぼしき”ジブリ調”が露骨に出過ぎた」ということに尽きます。何度も書きますがジブリすぎ。
ムスカっぽい先生・モリサキが最後ちゃんと「目が~~~目が~~~!!!!」な展開になったり、ミミ(猫)のデザインや仕草はナウシカのテト(キツネリス)だし、クラヴィスのペンダントはそのまんまラピュタの飛行石と同じデザインだし、ちょっとこれは酷すぎます。そもそも「自然(=生死)を受け入れる」「ボーイ・ミーツ・ガール(少女と出会うことで少年が成長する)」ってのは宮崎駿のお家芸なワケで、絵柄から小物のデザインからテーマから一緒にして「知りません」はさすがに無理でしょう。
でも、別にパクるのがいけないというつもりはまったくありません。参照は大いに結構。だって全ての作品は大なり小なり他作品からの引用で出来ているわけで、本当にブランニューな革新的作品なんてまずありません。だから参照行為それ自体によって作品がマイナス評価になることはありません。
問題は、本作の完成度が参照元に遠く及ばないってことです。
例えば終盤近くの殺陣のシーン。チャンバラをやっているのに絵がほとんど動いていません。集中線の止め絵とカットエフェクトだけで構成されています。これは宮崎駿オマージュでは絶対にあり得ません。宮崎駿はこういった動きをアニメーションに起こすところに労力を傾ける人です。でも本作では新海誠はいままでどおりの「サウンドノベル」のやり方を使って、少ない枚数でいかに乗り切るかという方法論でやっています。
例えば前半の渓谷橋からバケモノが落ちるシーン。ただ漫然と同じスピードで落ちています。でも本来の物理法則からしたらそうはなりません。現実では、始めに溜めがあり、そこから徐々に加速して最後は一気に川に突っ込んで、そして突っ込んだ水面が落下点だけ最初一気にへこみ、次に周りの水が戻ってきて真ん中で高く舞い王冠型になります。こういった現実世界の動作/現象を、宮崎駿は徹底的にデフォルメ/再現してみせます。しかし、本作にはこういった細かいフェティッシュな表現はまったくといっていいほど出てきません。
本作に出てくる宮崎演出/ジブリっぽさというのは、本当に絵面だけです。なんとなくそれっぽい記号としてのジブリだけです。
その薄っぺらさを象徴するのが本作のストーリーのずさんさです。本作はストーリーが彷徨いまくっています。「モリサキ先生が亡き妻を蘇らせるためにアガルタにある生死の門を目指す」という軸はありますが、それに対してシンとアスナの行動原理がまったくはっきりしません。てっきりアスナはシュンに会いたくてアガルタに行ったと思ったのですが、終盤には死んだお父さんの話にすり替わっていて、あげく「さびしかっただけ」とか元も子もないことを言い出す始末です。友達に「一緒に帰ろう!」って誘われてるのに断ってたじゃん。
シンはシンで「異種族交流」みたいな無難な線に着地するんですが、「アガルタにも地上にも居場所がない」件はいつの間にか無かったことになってハッピーエンドっぽくなっています。
そもそも本作のフォーマットは「行って帰ってくる話」であって、「アスナが異世界に迷い込むけど成長して戻ってくる」という最近多いパターンの作品です。で、、、、アスナってなんか成長してましたっけ??? アスナってほとんど主体的に行動して無いと思うんですけど。ものすごい勢いで周りに流されまくってるだけでは、、、。アスナが主体的に行動したのは「アガルタから出ない」と決断したときと「モリサキ先生を追って生死の門に行く」って言った時だけです。そしてその二つとも理由がよく分かりません。
これらは駄目な作品の典型で、「興行上の必要はあるけど物語内での必然性がない」ということなんです。つまり、アスナが「じゃあ帰ります。お母さんが心配してますので。」って言うと映画が30分で終わりますし、「モリサキ先生は行ってしまいました。私達は帰りましょう。」っていうと盛り上がらないままシンミリと終わってしまいます。でも、作品内でのアスナの性格を考えれば帰って良いんですよ。だって家で洗濯物があるから友達の誘いを断る人物なわけでしょ。お母さんが心配してるんだから帰れよ、、、、、とかいってるとエピローグで母親がまったく心配していないという驚愕の事実が浮き彫りになるんですけどね。万事が万事これです。「誰がどうしたからどうなった」っていう因果関係がグチャグチャなので、見ててかなりどうでもよくなります。
前作までの新海監督は、基本的にはGAINAX作品のテイストを参照しながらも、そこに「現代の若者達の社会性/関係性」というテーマを入れてきていました。だから多少嘘くさかったり中2病っぽく見える恥ずかしい部分もなんとか「作家性」としてカバーできていました。
ところがいわゆる「普通のファンタジー」みたいな所に挑戦した結果、脚本も演出もガタガタで、素人っぽいというより、ただ下手なだけのトンデモ作品になってしまいました。

【まとめ】

相変わらずグダグダと愚痴ってきましたが(苦笑)、結論は前述したとおりです。
「いままでの新海誠節を捨てて”より普通のアニメ”を目指した結果、下手な上に参照元とおぼしき”ジブリ調”が露骨に出過ぎた」
あえて書きますが、見終わった後の感覚は「ゲド戦記」に近いです。本家に似ても似つかない妙なパチモノ感だけが残ります。
いやぁ、、、、、「作家性」って本当に難しいですね。ということで、オススメDEATH!!!!!

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記事の評価
抱きたいカンケイ

抱きたいカンケイ

映画の日の2本目は

「抱きたいカンケイ」です。

評価:(60/100点) – アラサーでアイドルやってもよかですか?


【あらすじ】

エマは研修医。仕事にどっぷりで遊びに行く時間も無い。ある日彼女は酔った勢いで泊まっていった顔見知りのアダムと勢いで関係をもってしまう。付き合おうとするアダムに対してエマはそんな時間は無いと一周、体だけの関係なら構わないと言い放つ。一度は納得したものの結局エマに恋をしつづけるアダムと、面倒なことはお断りといいながらも徐々に魅かれていくエマ。結局2人はどうなってしまうのか、、、。


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【感想】

今月の映画の日の2本目は「抱きたいカンケイ」です。昼の回は完全満席だったので、レイトショーで見ました。1,000円の日とはいえ人が入らないでお馴染みのラブコメが満席というのは感慨深いものがあります。主演がナタリー・ポートマンとアシュトン・カッチャー。監督は「ゴーストバスターズ」「エボリューション」等のSFコメディの巨匠アイヴァン・ライトマンです。ライトマンはモンテシト・ピクチャーを作ってからはほとんどプロデューサーばかりやっていたので、本当に久々の監督作です。
ラブコメに真面目にツッコミを入れても仕方がないので触りだけ。
マサチューセッツ大学ウースター校を出た結構頭の良い医者の卵・エマは恋愛を「時間の無駄」として割り切っています。一方のアダムは等身大のダメ人間っぽい感じで登場します。父親が有名なTVの司会者で、自身は脚本家になりたくてTV制作会社でアシスタントスタッフをやっています。この2人がなんだかんだで出会って恋愛に発展するまでを映画にしています。
とまぁそんな感じですので、「そんなんあるかい!!!」みたいなご都合展開ばっかりです(苦笑)。ラブコメとして見れば本当に中の中というか、標準的な出来だと思います。ただですね、アシュトン・カッチャーのアシュトン・カッチャーらしさであったり、ナタリー・ポートマンのナタリー・ポートマンらしさみたいな、いささかカリカチュアされた特徴が良く出ていてアイドル映画としてはかなり破壊力のある作品です。
例えば、「アシュトン・カッチャーってどんな人?」と言われた場合に思い浮かべるのは「好青年」「アホの子っぽいけど素は真面目」「年上キラー」とかそういうキーワードが出てきます。それはナタリー・ポートマンも同じで、「頭よさそう」「超生真面目」「お嬢様」とかそういうキーワードが出てきます。そういういままでのキャリアやテレビ番組で付いてしまっているイメージのそのまんまをコメディとして役に当ててきてるんです。
二人とも童顔ですし、もう29歳と33歳なのにどことなく青春っぽさが出てくるのもナイスキャスティングです。
単純にナタリー・ポートマンが下世話なことをやらされてるという面白さもあるんですが、アシュトン・カッチャーもまったく期待を裏切らないサービスショットだらけですし、十分アイドル映画になっていると思います。アラサーの一線級俳優を捕まえてアイドルもないですけど(笑)。
ということで、主演俳優2人のファンであれば映画館に駆けつけつつDVDも予約した方が良いと思います。逆に言うとこの2人でピンと来ない方は絶対後悔しますので無かったことにしましょう。個人的には買いですw ここまで楽しそうなアシュトン・カッチャーはバタフライ・エフェクト以来かも知れません。

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記事の評価
イヴ・サンローラン

イヴ・サンローラン

今月の映画の日の1本目は

イヴ・サンローラン」を見ました。

評価:(50/100点) – NHKでやりそうな良質なドキュメンタリー。


【あらすじ】

2008年6月、戦後フランスのみならず世界のファッション界を支えたイヴ・サンローランが亡くなった。このドキュメンタリーは50年に渡ってサンローランの恋人であり親友であり右腕であったピエール・ベルジェの口を通して語られるイヴの生涯と、そして彼との思い出が詰まった美術品の数々との別れの話しである。


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【感想】

今月の1本目はドキュメンタリー「イヴ・サンローラン」です。
ご存じ「YSL」が重なったロゴでお馴染みの20世紀後半のファッションを支えた重要人物、イヴ・サンローランをしのぶ物語です。とはいっても、何か劇的なドラマが待っているわけではありません。生涯イヴを支え続けたピエール・ベルジェを通じて語られる彼との静かな思い出の話しです。
大変勉強になる話しですので、公開が終わった後のDVDでも良いので見ていただいた方が良いと思います。
本作はフランスの国営放送が作ったドキュメンタリーで原題は「L’Amour Fou」です。これは「狂ったような愛」の意味です。その名の通り、本作ではピエール・ベルジェの超人的なまでの献身と、そしてサンローランの極度の鬱病を患いながらもファッションに没頭していく狂気性が静かに語られていきます。あんまりここでどうこう書くような内容の話しではありませんので「とにかく見て」としか書けないのですが(苦笑)、それで終わるのも何なのでここでは本作では語られない(=フランス人にとっては当たり前すぎて今更説明不要な)サンローランの立ち位置を書きたいと思います。

現在のファッション業界の仕組み

サンローランの功績を一言でいうと「貴族のものだった”おしゃれ”を大衆に下ろした」ということに尽きると思います。これを説明するために、そもそものファッション業界の成立の仕方を見てみましょう。
今のファッション業界の流れは以下の様になっています。
1. 有名デザイナーが新作を「コレクション」として発表する。
  (およそ年2回/ここは全てオリジナルもの)
2. コレクションの新作をオーダーメイドで金持ち向けに売る。
3. コレクションを大衆向けのサイズにアレンジしてコピーを作り世界中の直営店にならべる。
4. 有名ブランドのコレクションをパクッたデザインを中小のブランドが作りそこそこの値段で量産する。
   (だいたい2~3年遅れ/ここがいわゆる流行)
5. さらに中小のブランドが作った商品をパクってファーストファッションがさらに安値でばらまく。
だいたいこういう流れです。コレクションが発表されてから大衆服になるまではだいたい3年程度はかかります。例をあげましょう。
今年(2011年)の春の女性向けは花柄が流行ると言われていました。
参考): 夢のあるカラフルな色に注目!2011年流行色
これは4年前のパリコレクションの春夏モデルで発表されたものに由来しています。
参考): 読売オンライン:2008春夏パリコレクション…花柄 エコの合言葉
こういう風にファッション業界には明確なヒエラルキーがありまして、有名ブランドのコレクションで発表された物が時間を掛けて大衆に下りていくシステムになっています。ですので、たぶん来年の春にはユニクロやH&Mには花柄が一杯並んでいるはずです。

オートクチュールとプレタポルテ

上記で言う1番と2番の項目のことをファッション業界では「オートクチュール」と呼びます。「オートクチュール」は「オーダーメイド」とほぼ同じ意味です。つまりお金持ち向けの一点モノです。サンローランの師匠にあたるクリスチャン・ディオールもオートクチュールでしたし、基本的にサンローラン以前のファッションブランドは皆オートクチュールをメインにしていました。
ところがサンローランは自社ブランドを作ってわずか4年後には早くも「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」という量販用(=プレタポルテ)の直営店を立ち上げます。そして軍服だったトレンチコートを一般向けにアレンジして売り出したり、当時の”現代絵画”だった抽象画家のモンドリアンの絵をそのままワンピースにのせたり、奇抜なアイデアで大衆向けの服をデザインしていきます。これらは完全に既製品で、色やサイズを複数展開したいわゆる「つるしの服」です。当時はそこまで「大衆服」というカテゴリはありませんでした。クリスチャン・ディオールやシャネルは貴族や金持ちしか買えない服でしたし、そもそも普通の人は「服にお金を掛ける」という発想がありませんでした。そこにサンローランは「デザインが同じだけど色やサイズがいろいろあるコピー品」を売る商売を始めるんです。これはサンローランの革命でした。
ところが結局2001年に「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」はグッチに買収され、それがきっかけでサンローランは引退します。この引退会見が本作の冒頭に流れるものです。この会見にはかなり恨み言が入っています。ここで大事なのはグッチは元々デザイナーが立ち上げたブランドではなく、今で言うセレクトショップだったという点です。つまり「小売店」です。サンローランが作った「大衆に向けて服を作る」というビジネスが「小売店」を生み、そしてそのビジネスモデルの成功により市場が拡大した結果、アイデアの生みの親であるサンローラン自身のブランドが「小売店」に乗っ取られちゃったということなんです。自分が作ったビジネスに自分が喰われてしまうという皮肉な展開です。ですから、イヴ・サンローランの死というのはファッション業界にとっては本当に象徴的な出来事なんです。
現在のファッションは戦前の様に再び極端に2極化しました。いわゆるハイファッションと呼ばれる1着数万円の世界と、1着数百円からなるファーストファッションの世界です。日本で言えば「百貨店御用達ブランド」みたいな中間の市場がごっそり抜けてしまっています。身近な所で言うとワールドとかマルイ系の苦戦ですね。そしてこの中間層はまさしくサンローランが作った市場だったんです。
いまイヴ・サンローランのドキュメンタリーを見るというのは、彼の功績とファッション市場の移り変わりを考えることに繋がります。
ということで大変勉強になる映画ですので、是非劇場じゃなくても良いのでご覧下さい。オススメです。

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アバター(2011/邦画)

アバター(2011/邦画)

4月最後の映画は同名のハリウッド映画とは全く無関係な

「アバター」です。

評価:(65/100点) – 無茶苦茶すぎて一周して面白い。


【あらすじ】

阿武隈川道子(あぶくまがわ みちこ)は高見女子高校に通う二年生。しかしクラスは女王様・阿波野妙子が牛耳っており、教師の面前で平然とイジメが行われるほど荒れていた。
道子は17歳の誕生日祝いで母親から携帯電話をプレゼントされた。喜んで学校にもっていった道子だったが、それを阿波野に見つかり、強制的にアバQなるSNSに招待されてしまう。この学校ではアバQの人気こそが絶対で、そのゲーム内でレアアイテムを持っていることが阿波野の権力の源だったのだ!
しかし道子が期間限定スロット企画でレアアイテムを手に入れてしまったことから状況は一転する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 道子とアバQの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 道子と西園寺の結託。
第2幕 -> アバターサークル結成と道子の復讐。
 ※第2ターニングポイント -> 道子が阿波野に復讐する
第3幕 -> 阿波野の逆襲


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【感想】

土曜の2本目は「アバター」です。とはいっても某ジェームズ・キャメロンの3D大作では無く、「リアル鬼ごっこ」「Xゲーム」でお馴染みの山田悠介原作の方です。たぶん製作費用はキャメロンの800分の1ぐらいですw 初日で昼の回は舞台挨拶をやっていましたが、あまり混んでるのが苦手なので敢えてレイトショーで見てみました。そして予想的中。初日に行くような人は当然舞台挨拶が見られるなら見たいわけで、夜の回はガラガラでした。現在渋谷のシアターNと名古屋のシネマスコーレだけで上映していまして、画質が荒かったのでたぶんBD上映だと思います。
いきなり結論を言ってしまいます。本作は突っ込み所だらけで出来もヘッたくれもありませんが、テンションだけは無駄に高く、面白さはかなりのものです。なので全然OKです。問題なし。オススメです!!!!!
真面目な話し、面白さだけで言えば間違いなくジェームズ・キャメロンのアバターを越えてます。いまからダメな所を書きますが、でもだから最低ということではなく、そういう適当な所も含めて本作はアイドル映画として十分成立しています。
ここでいつものお約束です。これ以後書くことは本作の直接的なネタバレを含みます。まっさらな気持ちで鑑賞したい方はご遠慮下さい。重ねて言いますが、オススメですよ!!!!

本作の話しの流れ

本作は行き当たりばったりで滅茶苦茶な話しなので整理しないとワケが分かりませんw なのでまずは設定とストーリーを整理しましょう。
本作における学校ではアバター(=ネット上の似顔絵キャラ)を着せ替える「アバQ」というサイトが物凄く流行っています。「アバQ」は広告収入で成り立っており、アバQ公式サイト内のアフィリエイト広告をクリックするとポイントが溜まり、そのポイントと着せ替えグッズを交換してアバターを着飾っていきます。
ポイントを獲得するにはアフィリエイト以外にも、他人を招待したり直接的にwebマネーで買う方法やイベントゲームで獲得する方法もあります。また着せ替えグッズには星1~星5までのレア度が設定されており、レア度の高い物はイベントゲームでしか手に入りません。
学校内では阿波野妙子が絶対的な女王様として君臨しています。彼女は手下をつかって弱い者達からレアアイテムをカツアゲしており、そのレアアイテムを見せびらかすことで生徒達から指示を得ています。レアアイテムの譲渡を拒んだ西園寺真琴(さいおんじ まこと)は猛烈なイジメにあっています。
そんな状況下でたまたま道子が全国で50個しかないレアアイテムを手に入れたことから状況が一変します。西園寺と道子は美人局をしながら金を巻き上げレアアイテムを次々と購入、学園内でのし上がっていきます。
その道子の強烈な野心の背景として、かつて妙子によって父親を間接的に殺されたことと、そして自身の顔に対するコンプレックスが描かれます。次第に道子は権力におぼれ、狂気に走るようになります。
この作品はいろいろなエピソードがぐちゃぐちゃに混ざっていますが、柱になるのはこの道子のコンプレックスの話しであり、コンプレックスがやがて強迫観念に変わり、そして遂には決定的な狂気になって周りも巻き込んでいくというサイコホラーになっています。
本作の一番の見所はこの「道子がどんどん狂っていく」部分です。ただの内気な少女が、自己表現としてのゲームにのめりこんで行き、しまいには完全にそこに取り込まれます。このディティールは素晴らしく良く出来ています。それこそお金と時間を掛けて脚本を書き直せば、普通にファンタスティック系の賞レースに絡めるぐらいのプロットです。

本作のツッコミ所。又は、ほつれ具合

本作のツッコミの全ては「大仰」「嘘くさい」「そんなアホな!」。この3パターンが全てです。そしてその全てが脇がガラ空き過ぎてそもそもガードする気が無いくらい途方もなくほつれており、そこが逆に魅力になっています。
一番ひどいのは道子が整形手術するくだりでしょう。整形前と整形後でかわったのはアイシャドーとファンデーションが濃くなって髪がシャギ掛かっただけ。つまりただの高校デビューです。それは整形じゃないw しかもこの前後で橋本愛がものすごい無理をして話し方を変えようとするものですから、その滑舌の悪さと相まって悶えるレベルの恥ずかしさになっています。この瞬間、私はこの映画がアイドル映画として完璧に成功していると確信しましたw
これ以外にもツボは山ほどあります。たとえば何故かサークルの皆が付けるガスマスクです。ガスマスクには「金のガスマスク(道子専用)」と「銀のガスマスク(西園寺専用)」と「銅のガスマスク(幹部用)」と「黒のガスマスク(雑魚用)」があるんです。何故ガスマスクかもわかりませんし、ガスマスクを特注している意味もわかりませんw 東急ハンズとかで頼めるのでしょうか? 意外と部活グッズで流行るかも知れません。 しかもこのガスマスクはチェーンソーを跳ね返すほどの強度をもってます。是非一家に一個!!!
あとはなにせ阿波野です。昨年の実写版マリみてで令ちゃんを演じた坂田梨香子がいかしたテンションで怪演しています。男に振られた腹いせにチーズ味のカールを泣きながらヤケ食いしたり、キレてチェーンソーを持ち出してきたり、いちいち小ネタを仕込んできます。阿波野最高。
アバター程度でなんでそこまで人を操れるのかとか、この世界の警察は無能すぎるとか、夜中に学校に侵入している割に声が大きすぎとか、プロジェクターがどんだけでかいんだとか、高校性がwebマネーを何百万も使ったら不審だろうとか、そういう現実とつなげたリアリティは全くありません。ですが逆に言うと本作のリアリティ水準は冒頭からその程度ですので、特に引っ掛かる部分もなく見ることが出来ます。
本作は最初から最後まで設定が無茶苦茶なため、ある意味ではツッコミ所だけで出来ているとも言えます。ただその無茶苦茶さこそがハイテンションさにつながり、そしてアイドル映画としての魅力にもなっています。だから昨年の「私の優しくない先輩」と似たような雰囲気になります。純粋に映画としてみれば酷い出来ですが、アイドル映画としては十分ですし、結果として面白さはかなりのものです。

【まとめ】

ということで、本作は好事家専用の良作と言って良いと思います。とにかく面白いですが絶対に一般受けはしませんし、なによりアイドル映画視点を持っていないと結構つらいと思います。演技力は全員お察し下さいレベルですし、話しも無茶苦茶です。でもあまりに弾けすぎていてむしろ物凄く熱気・スクリーン圧力のある作品になっています。DVDが出るかもわからない作品ですので、お近くの方は是非映画館で見てみて下さい。オススメです!!!

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スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団

スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団

連休2日目は渋谷で単館系を2本です。1本目は

スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団」です。

評価:(90/100点) – やっと来た! ファミコン世代感涙のアホ・コメディ・アクション・恋愛映画!


【あらすじ】

スコット・ピルグリムは無職でロックバンド「セックス・ボブ・オム」のベーシストのダメ人間である。最近17歳で中国系の彼女ができて浮かれている。そんな彼はある日、白昼夢を見てしまう。そして白昼夢で見かけたピンク髪の女性に一目惚れをしてしまう。ところがなんと、17歳の彼女ナイブス・チャウと図書館でデート中に夢の女性を見かける。どうしても彼女の事が知りたい彼はその日の夜パーティで聞き込みを行い、ついにピンク髪の女性ラモーナを発見する。なんだかんだで付き合う事になるスコットとラモーナだったが、なんとラモーナには元カレ達で組織された「エクシズ」というグループが付いていた! スコットの前に立ちはだかるエクシズの面々。はたしてスコットはエクシズを乗り越えてラモーナとの幸せを掴むことが出来るのか?

【三幕構成】

第1幕 -> スコットとチャウとの付き合いと白昼夢
 ※第1ターニングポイント -> ラモーナと付き合うことになる
第2幕 -> エクシズとの戦い。
 ※第2ターニングポイント -> ラモーナがギデオンについて行く
第3幕 -> ギデオンとの決闘。


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【感想】

本日の一本目は「スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団」です。邦題について言いたいことはありますが、まずは公開されただけで良かったです。署名活動に携わった方々、本当にお疲れ様でした。
が、、、が、、、、、観客が少ない!!!!!!
渋谷のシネマライズで見ましたが、お客さんの入りは6~7割ぐらいでした。たしかにポスターを見るだにオタク向けですしアメリカでは盛大に転けていますが、あまりにもあんまりです。とりあえずこういう面白い映画に人が入らなくて公開されなくなるのは嫌なので、拡大ロードショーになる5月半ばにはもう一回見に行きます。
本作はテレビゲームやアニメへのオマージュがとてつもない事になっていて物凄い情報量を畳みかけてきますので、詳しく知りたい方は今月号の映画秘宝を読んで下さいw 主要所は全部載ってます。また下記のサイトがアメリカのオタク達がみんなで元ネタを持ち寄ったwikiです。
http://scottpilgrim.wikia.com/wiki/Scott_Pilgrim_Wiki
こいったオタクマインド全開なアホ映画ですので、好きな人には本当に心に刺さります。いきなり冒頭のユニバーサルロゴがドット絵かつ音も8ビット音楽だったり、「ファイナルファンタジー2だ!!!」とか言ってFF2のバトルBGMをベースで弾き始めたり、ストリートファイターの声が入ったり、スーパーマンリターンズでクラークケントを演じたブランドン・ラウスが胸に「3」のマークをつけて野菜好きのサイヤ人になってギターヒーロー対決したり、挙げればキリが無いくらい頭の悪いアホネタの宝庫になっています。
もし難点があるとすれば、スコットがナイブスと付き合ってるのに当然のようにラモーナと二股を掛けたり、ラモーナも元カレ軍団になんにも言わなかったり、ちょっと自分勝手過ぎる点です。結構ナイブスが健気で可哀想ですし、セックス・ボブ・オムのドラマー・キムもかなりツンデレで可哀想な人になっています。
ただ、軽く引くぐらい物凄いテンションで押し切っていますので、笑っていると2時間があっという間に経ってしまいます。圧倒的に頭の悪い戦いの数々と、そして頭の悪いゲイネタの数々。とにかく、20代~40代前半までの人ならど真ん中で突き刺さるはずですので、見に行ってみて下さい。
内容はありませんので(笑)、ただただとっても愉快な2時間が過ごせます。「高校デビュー」のような芸人の一発ネタを出してくる邦画と何が違うのかと言われてしまうかも知れませんが、本作はエドガー・ライトがきちんとしたテクニックでかなり上手く演出しています。だから所々は頭が悪くても、全体としては普通に良く出来た映画です。ファミコン世代は確実に見ておくべき青春映画です。超おすすめ大プッシュです。

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