レイトン教授と永遠の歌姫

レイトン教授と永遠の歌姫

久々の映画は「レイトン教授と永遠の歌姫」です。

評価:(20/100点) – 子供騙しなのに劇場に子供がいないっていう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> レイトン教授とルーク少年の日常、またはジェニスから手紙が届く。
 ※第1ターニングポイント -> クラウン・ペトーネ劇場でゲームが始まる
第2幕 -> 永遠の命を巡るゲーム大会
 ※第2ターニングポイント -> レイトン教授が別行動を取る
第3幕 -> デスコールとの対決とアンブロシア王国の復活


【あらすじ】

ある日大学教授のレイトンはかつての教え子にしてオペラ歌手のジェニスから一通の手紙を受け取る。その手紙は一年前に死んだ友人のミリーナが子供の姿でよみがえったという相談であった。レイトンと助手のルーク少年はジェニスに会うためにクラウン・ペトーネ劇場のオペラへと出かけていった。しかしオペラ終了後、劇場では「勝者は永遠の命を手に入れ、敗者は命を奪われる」というゼロサムゲームが始まってしまった、、、。


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【感想】

はじめに

まず言い訳からはじめさせてくださいw
というのも正直な話、別にこの映画見る気が無かったんです。たまたまアバターまで時間が空いちゃいまして、せっかくだからとスケジュール見てたらたまたま都合の良い時間だったと、、、それだけのことです。このシリーズのゲームはやったことがありませんし、事前知識は劇場のパンフレットが全てです。ファンの方には大変申し訳ありませんが、あくまでも門外漢がパッと見たらイマイチだったと、、、その程度に捉えてください。

大枠について

冒頭でいきなり手厳しいことを書きますが、要はよくある子供騙しの冬休み映画です。なのに大きなお友達しかいないていう、、、マーケティング的には大丈夫なんでしょうか?
「英国紳士」が口癖で謎解きが大好き、シルクハットにスーツで助手を連れていてちょいニヒルというキャラターは、そのまんまシャーロック・ホームズで良いと思います。子供の助手を連れているという意味では、それこそ大正・昭和初期の少年探偵団とか明智小五郎シリーズに通じる子供向け探偵物のお約束です。そしておとぎ話に出てくる「不老不死の薬をもった伝説の国」を巡るアドベンチャーと”どうかと思うほど適当な”ナゾナゾの数々。ライバルとして出てくるデスコールの仮面舞踏会的な格好(=セーラームーンのタキシード仮面に通じるセンス)。レイトンの助手一号のレミ女史が格闘が出来るという、コナンの毛利蘭以来のお約束。かように画面内の全ての要素がどこかで見たことがあるお約束で占められています。別にパクリとかパロディとか言うつもりはありませんで、要は大人が企画会議を繰り返して出てくる「子供が喜ぶ要素の集合知」ということです。そういった意味ではよくぞここまで突っ込んだという「強引なコラージュ感」が結構面白かったりします。
ただですね、、、劇場に子供がいないんですよ。日曜の昼間でしかも冬休みなんて一番子供連れが入りそうじゃないですか?どっか連れてくのも面倒になったお父さんが近場の映画館で子供と見るにはなかなかの作品だと思います。もしかして皆さん「カールじいさん~」や「ウルトラ~」に行っちゃってるんでしょうか?
実際にこの手の映画を見る場合は子供が劇場内に居るのってかなり重要なんです。子供が驚いたり喜んだりするのを見てこちらも納得したり、そういうポイントが分かるのって子供向け映画を劇場で見る醍醐味だったりします。でも居ない、、、本当に大きなお友達ばっかりなんです。ばっかりっていっても150人のキャパで観客10人ぐらいでしたので、もうみんな見ちゃったのかも知れません。そんな中ですと、ただただショボくて飽きてきてしまってポップコーンを食べる手が倍速になってしまいますw
たぶんアイデアは悪く無いと思います。少なくともゼロサムゲームをきっちり描いてくれれば、それこそ「KR-13」的なソリッド・シチュエーション・スリラーとしてカルトな人気が出たかも知れません。でも、やっぱり子供向けなので、人は死にませんし、別にどうと言うことはありません。特に、チェルミー警部がサメだらけの海の中を泳いで逃げるシーンのコミカルさを考えると、たぶんこの世界では車にひかれても「ペチャンコになってヘナヘナヘナ」みたいな描写で終わったり、大爆発に巻き込まれても「頭がアフロになって顔がすすける」程度のレベルで済んでしまうと思います。それが冒頭で分かってしまうので、後半に小型ヘリでレイトンが巨大ロボットに立ち向かうシーンも別にハラハラドキドキ出来ません。「どうせ墜落したって死なないでしょ」って思ってしまうんです。その辺の「世間スレした感性(笑)」を持っている人はたぶんこの映画には向いていません。あくまでも子供が見たときに「格好良い~」「イェ~イ!!!」みたいなテンションになるように画面・物語が設計されていますから。

「子供向け」と「子供騙し」

非常にデリケートな話題なのですが、「子供向け」と「子供騙し」には明らかに乖離があります。「子供向け」というのはあくまでも子供の感性や子供の知識力の中でエンターテインメイントを成立させているものへの呼称で、「子供騙し」は明らかに子供を侮って手を抜いている場合の呼称です。そういった意味で本作は残念ですが子供騙しになってしまっています。
子供が好きな要素を詰め込むのは良いのですが、それが非常に恣意的なせいでちょっと舐められてる感じがしてしまいます。作り手側が子供の目線まで降りておらず、すっごい上の方の大人目線で「こんなもんでしょ」って放り出されているような感覚です。その一番の理由は序盤の謎解きゲームに対する不誠実さです。
序盤の謎解きゲームは観客も一緒に頭を使って考えられないと意味が無いのですが、観客への情報提供が不十分なために成立していません。本来ならこちら(子供の観客)が考えてギリギリ分からないナゾナゾを解いてこそ「レイトン教授は分かるんだスゴ~い!」となるわけです。ところがナゾナゾを解くための材料が提示されないために、画面内で後出しじゃんけんをしているようにしか見えずに他人事になってしまいます。これだとレイトンの凄さが伝わりませんので、必然的にルークへの感情移入も出来ません。
物語の根幹は非常にハードコアなサイコ・スリラーなのに、あまりにも子供騙し要素を詰め込みすぎて、ただショボくなってしまっています。大変もったいないです。

【まとめ】

ただただ惜しいです。下手なファンタジー要素や子供狙いを詰め込まずに、「マッドサイエンティストvs大学教授のアドベンチャー」にテーマを絞ればとっても面白かったはずです。だって話のプロット自体は「インディ・ジョーンズの新作ですw」って言われても何の違和感もないほど良いんです。しかもどうせ子供が見に来てないんですから(←失礼)これは本当にもったいない話です。是非、デスコール関連をばっさりカットして実写リメイクして欲しいですね。船の中だけで完結すれば良いんですよ。
一週間の船旅でゼロサムゲームをやって勝者には永遠の命を授ける。最初は派閥に分かれる参加者だったが、裏切り者が仲間を罠にはめたことで疑心暗鬼になっていく。極限状態の中でついには殺人事件が起きてしまう。レイトン教授と助手のルークは一癖も二癖もある参加者たちから犯人を捜すことは出来るのか?そもそも不老不死の秘薬は存在するのか?そして主催者の意図は?なぜ死んだはずのミリーナがよみがえったのか?、、、、レイトン教授は生き残ることが出来るのか?
これで良いと思うんですけど、、、。
実写化のあかつきには、是非、井口昇監督でお願いします!!!そしたら間違いなく初日に見に行きますよ。シアターNかシネパトスの単館上映でしょうけどw

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インフォーマント!

インフォーマント!

インフォーマント!」を見てきました。
「味の素」とか実名出していいのか心配になってしまいました。

評価:(20/100点) – マット・デイモンじゃね、、、そこだけじゃないですけど、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ウィテカーの工場でウィルス汚染が見られ、日本から脅迫電話を受ける。
 ※第1ターニングポイント -> ブライアン捜査官に価格カルテルをリークし、ウィテカーがスパイになる。
第2幕 -> FBIのスパイとしてのウィテカーの活躍。そしてADMに強制捜査が入り、幹部連中が逮捕される。
 ※第2ターニングポイント -> ウィテカーの裏金作りが判明する。
第3幕 -> ウィテカーの正体と顛末。


【あらすじ】

マーク・ウィテカーはADM社の最年少幹部である。彼の管轄であるコーンからリジンを生成する工場から、ある日ウィルス汚染が検出され生産量が目標に到達しなくなってしまう。そんな彼の元に日本から脅迫電話が掛かってくる。ADM社に産業スパイがおり、その内通者がウィルスを混入したという。事件に発展しFBIから協力を求められるウィテカーは、別件としてADM社が行っている世界を股にかけた価格カルテルの情報をFBIにリークする。興味をもったFBIはウィテカーに証拠集めの協力を指示、ウィテカーはFBIのスパイとしてミーティングの盗聴や書類の横流しに協力していく、、、。


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【感想】

スティーブン・ソダーバーグ監督でマット・デイモン主演、制作ジョージ・クルーニーということでオーシャンズ・シリーズが連想されますが、まぁかなり微妙な出来になっています。というのも、この作品は全体を通して目的地がボケボケだからです。
「ちょ、、、おま、、、話が変わってんじゃねぇか、、、。<30分後> あれ、、、また話変わった、、、どういうこと?」
こんな感じで110分間シリアスな状況の上で笑えないギャグを延々とやってる映像を見せられて辟易するというか、イライラしてきます。
ここからはネタバレ全開となります。もし本作を未見で超楽しみにしている方はご注意ください。

構成の問題

本作は話の構成が煩雑すぎます。上記の「話が変わる」という点なのですが、本作では大きく3つの事件が起こります。はじめにリジン生成工場のウィルス汚染問題。次にADM社の価格カルテルの問題。最後にウィテカーの「双極性障害(=躁鬱病:超気分屋)」と彼の犯罪についてです。
ところが本作をブラック・コメディにしようとしたために、この3つの事件がどれもとっちらかってしまっていて、まったく深く入り込まないんです。実話をもとにした作品であればこそ下手な事は書けないということかもしれませんが、それにしても酷いです。
本作を乱暴にまとめてしまえば「虚言癖の酷いウィテカーがヒーローになろうとして、実際にヒーローになって、そして失脚する話」です。なのでウィテカーがヒーローになるところで観客がカタルシスを得ることが必須な訳です。さもなければ失脚するところに落差が出なくて面白くありません。ですが肝心のヒーローになるところ、すなわちウィテカーが内部告発者として大企業の犯罪を世間に暴くところがまったく盛り上がりません。それはひとえに犯罪全体の重大さとウィテカーの活躍がいまいち描かれないからです。幹部達が逮捕されるシーンは本来ならばクライマックス級に盛り上がらなければなりませんが、実際に逮捕される瞬間ですら手錠掛けや取り調べがなく非常にショボいです。これじゃウィテカーの正体がばれた時も全然すっきりしません。単なるマヌケにしか見えないわけです。

スティーブン・ソダーバーグについて

スティーブン・ソダーバーグというと近年ではオーシャンズ・シリーズで知られていますが、元は職人肌の優等生監督です。非常に手堅い脚本と手堅い撮影で、どんな題材でもそれなりにこなしてしまいます。一方で、この手堅さが面白くない理由にもなってしまっていまして、デビュー作の「セックスと嘘とビデオテープ」でパルム・ドールを獲得した後はそれなりの作品を続けています。アカデミー監督賞なんかも獲ってますが、ファンが付く監督と言うよりは、業界関係者に重宝されるタイプの監督です。
本作「インフォーマント!」もある意味では非常にソダーバーグ監督らしい作品です。つまり、あまり盛り上がらない脚本をそれなりの編集テクニックでそれなりにまとめた佳作といったところです。あしざまに「糞映画!金返せ!」って感じでもありませんが、まぁ別に見なくても良いというか、たぶん来週には存在を忘れてると思いますw

【まとめ】

そんなわけで、本作はマット・デイモンという天才なのに大根役者で童顔なオッサンが醸し出す「とっちゃん坊や感」が悪い方に働いて、こじんまりとした学芸会的空気に包まれています。題材は面白いはずなんです。だって虚言癖全開でヒーローになりたい中年サラリーマンですよ。これをデビッド・リンチが撮ってたらたぶん大爆笑かつドラッギーな気持ちワル~い怪作になったはずです。もったいないな~と思いつつ、レンタルDVDで半額キャンペーン中に見るならオススメです!



余談ですが本作で最も気になっているのは、役作りのために太ったマット・デイモンがきちんとダイエット出来るかです。
もしやワールド・オブ・ライズのラッセル・クロウのように戻らなくなったりして、、、気懸かりですw

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THE WAVE

THE WAVE

2008年のドイツNo.1ヒット映画「THE WAVE (Die Welle)」を見てきました。
評価:(75/100点) -簡潔にまとめた「集団の隆盛」


<あらすじ>
短大出の体育教師ライナー・ヴェンゲルは、社会科の一週間実習で「独裁」のクラスを受け持つことになる。彼は一週間を使って生徒たちに自分への敬意とクラスの連帯感を持つよう洗脳を施していく。しかし、この「ヴェルレ(波)」と名付けられたクラスは、授業の枠を飛び越えて組織的な行動を起こすようになっていった、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 生徒の日常とヴェンゲルの鬱屈。
 ※第1ターニングポイント -> 独裁の授業にて実習を開始する。
第2幕 -> 「ヴェルレ」の成立とエスカレートする行動
 ※第2ターニングポイント -> 金曜の水球大会での乱闘騒ぎ
第3幕 -> 土曜日の「ヴェルレ」最後の集会


<感想>
非常にスリリングで非常に楽しめるすばらしい作品です。わずか100分で、ある無邪気な集団が誕生してからそれが拡大して危険性を帯びるまでを描ききっています。
■ 本作の概要
本作はドイツ映画で独裁を扱うというチャレンジを行っています。世界中の人がドイツと独裁という単語でナチスを思い浮かべるでしょう。本作はその起こりから栄えるまでを非常に簡潔に描いています。
冒頭、同じ学年という以外ろくに接点の無い子供たちが、「ハイル・ヴェンゲル」という忠誠の言葉と「行進(=行動の一体化)」や「制服(=衣装の統一)」を通じて、連帯意識を高めていきます。そしてその「裏切らない仲間」は人間関係に悩みを持つ子供たちにとってかけがえの無い存在になっていきます。いつしかその組織自体にアイデンティティを求めるようになり、それを誇示し、それを維持するために躍起になり、行動はどんどんエスカレートしていきます。そして解散を告げられた日、ついにはそのアイデンティティ・クライシスに耐えきれずに自殺する人間が出てきます。
■ 「ヴェルレ」という組織
「独裁(Autocracy)」という単語を使用していますが、この「ヴェルレ」においては指導者としてのヴェンゲル先生とは無関係に生徒たちが自発的に暴走していきます。その意味では「カルト宗教」や「秘密結社」と思って見た方がわかりやすいかもしれません。「仲間はずれになりたくない」というごく自然な心理が次第に強烈なアイデンティティと行動力を伴って暴走していく点に本作の怖さがあります。さくっと100分にまとめるためにだいぶ省略はされていますが、おそらく誰しもが「どこからヴェルレが危険集団になったのか?」と聞かれると戸惑うと思います。理論的な段階を踏んで、単なるお遊びクラスが危険集団にゆっくりとモーフィングされていくからです。ですから、本作でヴェルレ内部から問題提起は起こりません。唯一最終盤でマルコから異論が出ますが、彼も「恋人・カロを殴ってしまったことでふと目が覚めた」という描写がなされます。活動が短期間ということもありますが、いわゆる内ゲバのような内部抗争はおこらずに一枚岩の組織を貫きます。そしてこの集団に率先して心酔していくのがティムです。
ティムは家庭の事情とその性格から、友達がほとんどいない「クラスで浮いた存在」として描かれます。そしてだからこそ、最も集団に心酔し、自主的に取り込まれ、そして解散の際に発狂します。これはまったく特殊なことではありません。こういった集団では当たり前に起こりうることです。本作のおもしろさは、突拍子もない展開を混ぜながらも、しかし根底の流れはまったく自然であることです。実際にあってもおかしくないと思えるだけの理詰めがきちんとなされています。それがより一層、人間の理性や価値観の脆さを際立たせています。
■ Autocracy(独裁or専制)について
金曜日の授業で、ヴェンゲルは生徒たちにヴェルレについての意見レポートを書かせます。そこには画一的であることの安心と連帯と、そして強い帰属意識が記されています。すなわちこの危険集団に所属する子供たちは、確実に幸せを感じているんです。これが本作の鍵となる部分です。彼らのコミュニティは少なくとも内部に居る限り居心地がよく安全です。だから、彼らにとってAutocracyは全く悪ではありません。おそらく一般論としても「Autocracyは悪か?」という問いは皆さん困ると思います。「周りに迷惑をかけなければ、本人が幸せなら別に良いのでは?」と思わせられます。落書き等の犯罪行為を行いながらも、本作でヴェルレは悪としては描かれていません。とても怖い話です。
<まとめ>
とてもよく練られている構成で文句のつけようもありません。独裁・選民集団というテーマをものすごく簡略化してわかりやすくまとめています。
是非、皆さんも劇場で見てください。可能であれば高校の倫理の授業か何かで流すと大変おもしろいと思います。果たして日本の学生は集団にアイデンティティを求めるんでしょうか?引きこもりが多い点からも集団に帰属しない気もしますが(笑)、反応はとても興味深いです。
ということで、オススメです。良作なので公開館数増やしてください!

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笑う警官

笑う警官

「笑う警官」を見てきました。
観客動員150万人いかなかったら角川春樹引退とか言ってるので協力してやってください(笑)。
評価:(20/100点) – もう何も言えません。


<あらすじ>
ある朝、生活安全課の婦人警官が分署で死体となって発見される。本庁から介入があり不自然な形で追い出された大通署の面々。さらに直後には同僚警官の津久井に逮捕状と射殺命令が出る。不振に思った面々はすすき野の喫茶・ブラックバードに集まり、真相解明のため独自捜査を開始した。
<三幕構成>
第1幕 -> 事件の勃発
 ※第1ターニングポイント -> ブラックバードに津久井が現れる。
第2幕 -> 事件捜査
 ※第2ターニングポイント -> 浅野が自殺する(殺される)
第3幕 -> 百条委員会への護送


<感想>
見終わって最初に感じるのは「間違いなく角川春樹監督作だ」という疲労感です(笑)。音楽から画角から台詞回しまで、あらゆるところから「俺ってオシャレだろ」というオーラがびんびん伝わってきて、何ともいえない気分になります。それもそのはず。だって角川春樹なんですから。怖いんであんまり言及できませんが、、、いろいろお察しください。
私は小説未読ですので、あくまでもこれから書くのは映画版「笑う警官」についてであるとお考えください。
■ 役者陣の健闘について
まず役者の方々は相当良いです。絶対的なレベルで良いわけではないですが、かなり健闘しています。というのも本作自体がもう完全に角川春樹の顔しか見えないくらい全ての要素に角川春樹印がついているからです。その時点でアクが強すぎて他の要素なんて吹き飛んでしまいます。、、、キツイっす。
本作は間違いなく大森南朋と松雪泰子で持っています。また、若干一名ほど腐敗体制側でスーパー役者魂を見せている猛者がいますが(笑)、あれはもはや反則の飛び道具です。笑うなっていう方が無理。シリアスな場面なのであんまり笑っちゃいけないんですが、絶対わざとやってるだろっていう役者根性、感服いたしました。
私は大森南朋がかなり好きなんですが良くも悪くも織田裕二の域に達してきてしまっていて少々心配です。重たい顔して俯いてればOKみたいな型に嵌らないで、是非ともすばらしい演技を続けていただければと思います。他の面々はいうことありません。非常に堅実に荒ぶる監督(笑)のオーダーをこなせていると思います。中川家だけがちょっとなんだかなぁという感じですね。宮迫さんがキチンとチンピラに見えていたので、中川さんももうちょい小物チンピラ感を出せれば大変良かったのではないでしょうか。でも角川演出自体がある意味で意図的に全員を大根役者にさせているような所がありますから、仕方ないでしょう。というか何を書いても結局角川春樹に行き着いてしまうというこのキツさ(笑)。
■ 角川春樹流の荒ぶる回顧権威主義
作品を通じて流れ続けるジャズの何ともいえない感じであったり、全ての台詞回しが「台詞舞台劇」調の説明体であったり、極めつけは全ての要素からビンビン伝わってくる警察への恨みだったり(笑)、一観客の僕にどうしろっていうんですか!?。
角川春樹御大が警察嫌いなのはよくわかります。でも肝心の「腐った組織に反抗して正義を貫く人間達」みたいな芯がなくて、「笑う警官」の面々も正義感っていうよりは好奇心で動いているように見えてしまいます。でもそこがエンターテインメントだったりするので良いのかもしれませんが、、、ねぇ。
作品の根底に流れているのは、間違いなく角川春樹監督自身の「かくあるべし」という信念です。「邦画は1960~70年代が黄金期だ」「ジャズ喫茶は漢(おとこ)の溜まり場」「国家権力は腐っている」「若者は正義感に燃えるくらいがちょうどいい」などなど。なんと言いましょうか全共闘の亡霊がフィルムに焼き付いている感覚です(笑)。2時間ずっと説教されてる気分(笑)。私はその荒ぶる魂を華麗にスルーしながらお茶を飲んで耐えてました。がっぷり四つは無理ですよ、いくら何でも。20代のペーペーと角川御大では気合いというか情念が違いすぎます。とはいえ客席は結構若めだったので、純朴にふらっと映画でも見に入ったカップルがどう思ったかはちょっと聞いてみたかったりします。
<まとめ>
すごいものを見させていただきました。ありがたく拝承いたします。敬礼!!!
でもつまんないから20点!!!



ごめんなさい、本当にごめんなさい。マゾっ気がある方にはおすすめです、ごめんなさい。

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ゼロの焦点

ゼロの焦点

ゼロの焦点」を昨日見てきました。TOHOシネマズデーと初日効果で激混みです。
評価:(10/100点) – 電通+テレビ朝日+韓国ロケ=????


<あらすじ>
見合いで結婚したばかりの禎子は夫・鵜原憲一が出張から戻らないことを不審に思い単身新潟へ捜索に向かう。そこでは禎子の知らない鵜原憲一のもう一つの顔が見え隠れした。やがて彼女の周りで起こる2つの殺人事件と2人の女から、夫のもう一つの顔が明らかになる、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 憲一が新潟出張から戻らず、禎子は新潟に捜索へ向かう。
 ※第1ターニングポイント -> 禎子が室田耐火煉瓦で室田佐知子に会う
第2幕 -> 新潟での捜索と殺人事件。そして東京に戻り捜査続行。
 ※第2ターニングポイント -> 禎子が集合写真に佐知子を見つける。
第3幕 -> 解決編


<感想>
ザ・電通。そしてザ・テレ朝。130分がここまで苦痛だったのは「20世紀少年・最終章」以来です。沈まぬ太陽でももうちょと盛り上がりました。全編通じて映像描写よりも言葉で説明することを優先しながら、あまつさえその語り口さえも混乱するという非常にカオティックな作品です。どこからツッコんで良いかよくわからないので、大枠のところから攻めてみたいと思います。
なお、なんとなく点数と冒頭でお察しのことと思いますが、今回はネタバレ込みで広末さん中谷さん犬堂監督の悪口と取られてしまうかと思います。彼女達のファンの方は今すぐブラウザを閉じて、幸せに過ごしていただければと思います。

■ 語りの視点
問題点の第一に、語り口の混乱があげられます。この作品は広末涼子演じる鵜原禎子の独白から始まります。そして作中なんども独白によって禎子の感情が吐露されます。この作品は新婚である禎子の視点で「夫が突然いなくなって、捜索していくうち夫の裏の顔が見えてくる」というサスペンスが根幹にあります。ですから独白で始まるのは非常に正解というか必然的なもので、ここに関しては何の違和感もありません。問題はその語り口と映画視点の混乱です。
まずは一般論ですが、どの作品にも必ず視点というものがあります。言い換えるならば、観客の目線・カメラマンの立ち居地です。映画やドラマは、役者が演じている何らかのイベントをカメラマンが撮影します。ですからカメラマンはある「立場」「役柄」を持って作品を録画します。これが映画の視点です。
たとえば、何気ないテレビドラマの場合、そのほとんどは「神の視点」を採用します。これは「誰が」「どこで」「どんなイベントを」行っていても撮影できる万能でオーソドックスな視点です。たとえば風呂のなかで溜息をついてるところだったり、便所で顔を洗ってたり、密室殺人の殺人現場でさえ撮影できます。なにせカメラマンは「神」なので、どこにでも入れるし、ワープだってタイムスリップだってできます。なんでもありです。
一方カメラマンが登場人物として作中に登場すると、いわゆるフェイクドキュメンタリーになります。この場合、カメラマンは役名を持ってハンディ・カムなんかを使い撮影します。当然登場人物たちはカメラマンに話しかけますし、カメラマンも人間なので彼が居るその場しか撮影できません。いわゆる空撮みたいなものもできません。場合によっては死んでしまうこともあります。ブレア・ウィッチ・プロジェクトやクローバー・フィールドあたりが有名だと思います。
「ゼロの焦点」においてカメラ自体は匿名の第三者視点を持っていますが、禎子の独白(心の声)から始まることでわかるように禎子の視点となっています。この作品は禎子に感情移入することによって「夫が何者だかよくわからない」という乗り物に観客を乗せて進んでいきます。ところが終盤、もっとも大事なクライマックスで破綻と混乱が起きてしまいます。それは崖沿いのハイウェイで行われる佐知子と久子のやり取りのシーンです。まさにクライマックスで、音楽も話も最高潮に盛り上がる場面です。ところが本作は禎子の視点で描かれています。ですからイベントのまさにその場に存在できない禎子にはこの場面は知りようがありません。そこで、おそらく意図的だとは思いますが、犬堂監督はこの佐知子と久子のやり取りを禎子が列車の中で眉間に皺を寄せるカットで挟みます。つまり、最高潮に盛り上がる物語のクライマックスが「禎子の空想」として描かれているんですね。ここにものすごい違和感というかガッカリ感があります。
メインストーリーの人物相関からすれば禎子は「善意の第三者」であり「巻き込まれる人」です。そしてサスペンスは憲一と佐知子と久子の関係性であり、禎子はあくまでも観客の移入先/語り手です。だからこそ、余所者である禎子を「佐知子と久子のシーン」に登場させるのは非常に難しいのです。でも登場しなければ撮影ができません。そこでちょっとだけ禎子の苦い顔で挟むことで「空想であること」を気付きにくくしたのは、犬堂監督のせめてもの工夫だと思います。たぶん私のように映画を見すぎて捻くれた(笑)見方をしていなければ、すんなりあのシーンが事実だとミスリードされたかもしれません。演出としては巧みなんですが、視点が混乱しているのは否めません。これは非常に根深い問題で、ストーリー全体にも実は影響を及ぼします。それは次項で見ていきましょう。
■ 物語の構成について
前項で触れたように、本作は新妻・禎子の視点でサスペンスが描かれます。観客は禎子とともに事件を体験していくわけです。一部・憲一の兄が殺されるシーン等で視点の混乱はあるものの、第二幕までは概ね禎子の視点のみで、「素人探偵もの」が展開されていきます。
ところが、第二ターニングポイントで佐知子がマリーだと分かった段階から、カメラの視点が突如佐知子にフォーカスされます。前述のとおり、描き方としてはあくまでも禎子の主観で「空想シーン」ではありますが、カメラは完全に佐知子に飛びます。すなわち観客は急に「禎子」という乗り物から「佐知子」という乗り物に強制乗り換えさせられるんです。そして佐知子の過去から動機から現在の心情・状況まで、まるでテレビの再現ドラマのように完全な説明口調で情報を畳みかけられます。もうここまでくると、禎子なんてどうでもよくなってしまいます。中谷美紀のまるで宝塚かシェイクスピアのような大仰で威圧的な「熱演」も相まって、これでもかというほどの佐知子の”業”が観客に叩きつけられます。難しいのは、ここでほとんどの人は佐知子に感情移入してしまうことです。旧映画版のように禎子の視点で通していれば佐知子は単なる「独善的な犯罪者」なのですが、佐知子の事情を観客が知ることで情状酌量の余地というか「見知った人」になってしまいます。だからこそ、佐知子と久子のシーンが物語上で一番盛り上がるクライマックスになってしまいます。
これがすでに混乱しているんです。本来、この物語のクライマックスは「佐知子と禎子の対決」でなければいけないはずです。だって禎子の物語なんですから。ところが、実際の佐知子と禎子のシーンはまったく盛り上がりません。それは佐知子への観客の移入度が上がりすぎて、クライマックスがずれてしまっているからです。
これが原因で、佐知子と久子のシーン以降がまったく盛り上がらず蛇足に見えてしまいます。禎子が佐知子に一太刀浴びせても、なんのカタルシスもないんです。なぜならすでにその一太刀は久子がやっちゃってるからです。これは脚本・構成の根本的なミスだと思います。本来の「傍観者たる禎子がひょんなことから怖い世界を覗き見ちゃった」というフォーマットではなくなっているわけです。
そんなわけで、おそらく映画を見終わった後は誰しも中谷美紀の印象が残ると思います。それは中谷美紀が上手いからではなく、脚本がそうなっているからです。これを良しとするか駄目とするかは難しいところです。
■ 広末さんと中谷さんについて
広末さんの役は完全にはずれでした。というのも、この人の声は舌っ足らずというかアホに聞こえるんです。子供っぽいと言っても良いです。ヴィヨンの妻では好演してたので残念です。「善意の第三者」にしては恐怖とか怯えとか好奇心とか、そういう部分がまったくナレーションに表れないので、何を考えてるかわからないアホの子にしか見えません。できれば広末さんはもうちょい悪女とか頭悪い子とか世間知らずの役の方が良いと思います。ご本人の悪口ではなく得手不得手の部分ですよ。本人はそれこそたくさん社会の裏を見て世渡りしてきてるはずなので(笑)。
また中谷さんですが、悪い意味で主役を食ってしまい作品を混乱させてしまっています。犬堂監督の意向でしょうが、いくらなんでも大仰ですし、とくに最後の柱に頭を打ち続けるところとか演説のところなんかはヒロイック過ぎます。棒立ちで後ろに倒れるところなんかは完全にコントでした。ショックで放心した場合、人はああは倒れません。膝が落ちてその場で腰を抜かします。格好良いんですがやりすぎです。中谷さんというよりは演出家の問題でしょうか?
最後に木村多江さんは出番が少ないながら非常に良い感じだったと思います。正直あのクライマックスが成立してるのは木村さんがいればこそです。中谷さんだけだと、それこそ舞台演劇になってドン引きしてしまいますから。
<まとめ>
え~~~~良いんじゃないでしょうか(笑)。本作はサスペンスとして頭を使いながら見てると失望します。でもぼけ~っと見てる分にはそれなりに盛り上がって、それなりに社会派っぽくて、それなりな出来に見えます。でもちょっと考えたとたんに破綻がいっぱいで突っ込みたくなります。そもそもこのテーマと内容で130分使っている時点で脚本がおかしいです。残念ですが、物語をせめて100分前後にして語り口を整理・統一するべきだったと思います。そうすればサスペンスとしてのスピード感がもう少し出て、勢いで破綻がごまかせたと思います。ただ、何にせよ火曜サスペンスで十分な内容です。私は昨日TOHOシネマズで1,000円で見ました。1,000円でももったいないと思います。ということで、タダ券をもらってから見に行くのがオススメです!

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記事の評価
ホースメン

ホースメン

本日のハシゴ一本目は「ホースメン」にしてみました。
評価:(5/100点) – スタッフの皆様、役者の皆様、ご愁傷様です。


<あらすじ>
ある日、フックで宙づりにされ殺害された女性の死体が発見される。担当刑事のブレスリンを前に、殺された女性の養女・クリスティンは自分が母を殺したことを告げる。しかしそれは連続猟奇事件の始まりでしかなかった。
<三幕構成>
第1幕 -> ブレスリンと家族の関係
 ※第1ターニングポイント -> クリスティンが自供、逮捕される。
第2幕 -> 猟奇的な事件が連続で起こる
 ※第2ターニングポイント -> 容疑者達の共通点の発見。
第3幕 -> 解決編


<感想>
CMで羊たちの沈黙やソウを引き合いに出していますが、、、なぜこの出来でそれらマスターピースに匹敵すると思ってしまったのでしょうか?見終わって率直な感想は拍子抜けも良いところです。早い話が、セブン風味の「笑い男事件」なのですが、全ての要素が10年遅いです。
予告編を見ると、連続殺人犯のチャン・ツィイーが、獄中から外の事件を操るかの様な印象を受けます。実際にはまったくそんなことはありません。せっかく黙示録のホースメンを持ち出したにもかかわらず、キャッチフレーズにもなっている「COME AND SEE」がただの「かまって」だったり、スケールがみるみる内にショボくなっていきます。期待が持続するのはせいぜい30分程度で、第二幕からは心底どうでも良い描写ばかり。最後に「あれは実は伏線だったのだ」みたいな大仰な演出をされても全く盛り上がりません。非常に申し訳ないですが、ただひたすらショボい印象だけが残ります。
そもそも、2009年にもなって「インターネットってよくわからなくて怖いよね」なんて誰が納得しますか?それこそセブン以降はサイコ・ホラーが量産されましたが、それを今更、しかもまるでパチモノの様な内容で作ってどうしようって言うのでしょう。具体的なネタバレは避けますが、全ての事件に対していわゆる「猟奇的であること」の説得力が全くないんですね。容疑者がそこまで狂っている描写もないですし、物語上の必然がありません。単に制作者サイドの「チャン・ツィイー使ってセブン風味にしたら受けるんじゃない?」っていうビジネス的な意図以外の必然がなくて、何とも言いようがありません。結局なんなのか? 被害者を吊ってどうしたかったのか? さっぱり分かりません。
<まとめ>
正直なところ、駄作と呼ぶのすらためらうほどの酷い出来です。タダ券をもらったのでも無い限り見る価値は限りなく薄いです。ちなみにアイドル映画としてもアウトです。なにせ、チャン・ツィイーがまったく可愛く見えないです。あまりに酷い出来で文句すら言う気が失せる映画がたまにありますが、まさにそのカテゴリーの作品でした。興行収益すら調べる気がしないですが、これ観客はおろかスタッフや制作会社や役者に至るまで、誰も得をしない映画なのでは無いでしょうか?ご愁傷様です。
この作品の予告編を見て少しでも興味を持った方は、いますぐレンタルショップでセブンを借りることをオススメします。そしてこの作品の事は忘れましょう。きっと来年になればジョナス・アカーランド監督のフィルモグラフィからも消えるでしょう。

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母なる証明

母なる証明

本日のハシゴ二本目は「母なる証明」です。
評価:(70/100点) – キレてるオバさんの観察記録

※今回はネタバレ全開です。公式の予告でも既に全部ネタバレしてますが、もしまっさらな気持ちで見たい人は読まないでください。


<あらすじ>
田舎町で女子高校生が殺害される。状況証拠から逮捕されたトジュン。母は息子の無実を信じ非合法な独自捜査を開始する。ついには事件の目撃者を発見するが、彼が見たのは、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> トジュンのキャラ紹介。
 ※第1ターニングポイント -> トジュンが逮捕される。
第2幕 -> 母の独自捜査
 ※第2ターニングポイント -> アジュンの携帯電話を発見する
第3幕 -> 解決編。


<感想>
もし皆さんが映画が好きで多くのサスペンスを見ているならこの映画のオチは予告と映画の冒頭5分を見ただけで分かります。
ある人物が逮捕され、その無実を証明するために主人公が独自捜査を行うという話は過去にいくらでもあります。この場合オチは二通りです。すなわち「誰かにハメられた」か「実際に彼が犯人」かです。そして本作の冒頭でトジュンがいわゆる「知恵遅れ」であることが明らかになります。
ということで、誰がどう見ても実際にトジュンが殺したのにその事を覚えていないというのは明らかです。そしてポン・ジュノ監督も当然そういう見られ方をするのは分かっているはずです。
すなわち本作は、スクリーン上は「真犯人探し」が行われるものの、観客は真犯人なんて最初から分かっているという不思議な環境のもと上映されるわけです。ではそこで画面に浮かび上がってくるのは何でしょうか? それこそが本作のメインテーマでありタイトルにもある「母」の感情です。
思い切って断言しますが、キム・ヘギャ演じる母親に感情移入出来る人は殆どいないと思います。正確には「理解は出来るがさすがにやり過ぎ」という感想を抱くと思います。証拠もないのに被害者の葬式に殴り込んだり家宅侵入したりやりたい放題です。あげくジンテというチンピラを使って脅迫までやります。これは暴走というには余りに凄まじく、まさに狂気です。
第三幕の冒頭で、母親は事件に関わっていると見られる男を訪ねます。話を聞くと、彼がトジュンの殺人現場を目撃したのが明らかになります。しかも証言の具体性や「知らなければ創作できない」トジュンの癖などから、証言の信憑性は明らかです。そこで母親がとった行動は、、、この目撃者を殺害することです。もはや「トジュンの無実を証明する」事など問題ではなく、「トジュンを助けること」のみが目的になっていることが明示されます。
そして彼女は無実だと確信しているダウン症とおぼしき少年にすべての罪をかぶせ、トジュンの釈放を勝ち取ります。
この一連の狂気を「母は強い」と一般論でまとめてしまうのは少々微妙です。あきらかにこの母親は一般平均レベルではありません。最後の最後で、彼女は内股の「嫌なことを忘れるツボ」に自ら鍼を打って、すべてを幸福の内に閉じ込めようとします。しかし出来るはずもなく、ただただ取り憑かれた様に踊ることで全てを忘れようとします。この女の狂気は業が深く、ある種の一貫性と圧倒的な存在感を観客に叩きつけます。
すなわち本作は殺人事件を巡るサスペンスというよりは、そこで解放された一人の女の狂気に恐怖するスリラー映画です。疑いようもなくこのキム・ヘギャは怖いです。
<まとめ>
この作品はハリウッド式エンターテインメントの構成をとった「キレてるオバさんの観察記録」です。このオバさんは一筋縄ではいきません。是非皆さんも映画館で、このオバさんのキレっぷりを堪能してください。「羊たちの沈黙」のレクター博士を筆頭に、映画史には多くの「魅力的な重犯罪者」がいます。キム・ヘギャの母親は、間違いなくこの系譜に入ってくるキャラクターです。オススメです。

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ホワイトアウト

ホワイトアウト

レイトで「ホワイトアウト」を見てきました。
今日の二本ハシゴははずれかな、、、。
評価:(30/100点) – 予告だけなら80点。蓋を開けたら、、、(溜め息)。


<あらすじ>
南極で働く女性保安官キャリー・ステッコは2年の任を終えアメリカ本土への帰国と退職を考えていた。アメリカ帰国まであと3日に迫った日、アイスピックで刺された一つの死体が見つかる。殺人事件を捜査するうちに、彼女は五〇年前のロシアの墜落機に秘密があることに気づく。
<三幕構成>
第1幕 -> ステッコの日常と死体発見。
 ※第1ターニングポイント -> ボストーク基地でムーニーが殺される。
第2幕 -> 墜落機の発見と犯人の逮捕。
 ※第2ターニングポイント -> アメリカ行き飛行機の離陸。
第3幕 -> 解決編。そして真犯人の捜査。


<感想>
予告編の出来がすばらしいです。そのため、私は勝手にSF・ホラーだと思い込んでいました。だって南極の隕石調査隊員が謎の死を遂げるんですよ? だって隕石調査隊員が墜落機を見つけるんですよ? どう考えたってエイリアンが人を襲ってるか、宇宙からきた寄生虫みたいな奴に感染した人間が凶行に及んでるに決まってるじゃないですか!



でも、、、そんな事ないんですよ、、、、、これ。
序盤も序盤、開始30分程度でゴーグルつけてモコモコのジャケット着た男がアイスピッケルで襲ってくるんです。この時点でエイリアンではなくモロに人間です。じゃあ寄生虫か?とか思ったら、墜落機はただのロシアの輸送機で、なにかのお宝を調査隊が盗っちゃってそれを奪い合ってるとか言い出すんですよ、、、。ただの内輪揉めかよ、、、、。一気にしょぼくなっちゃって、、、。南極でマクガフィン奪い合ってるだけ。しかも外は吹雪なのでアクションが非常にスローかつ見にくい(失笑)。あの~この手のスリラーってそれこそレンタルDVDショップ行けば山ほどあるんですけど、、、。
<まとめ>
あんまり一般に知られていませんが、ダークキャッスル・エンターテインメントは好事家の間ではある種の一流ブランドです。さもありなん。バック・トゥ・ザ・フューチャーで有名なロバート・ゼメギス監督の作った映画マニア向けの制作会社なんですね。ホラーやサスペンスの専門ブランドで良質なB級映画をたくさん生み出しています。あくまでB級っていう所がポイントです。
そこでホワイトアウトなのですが、ダークキャッスル制作であの予告編を見たら、誰だって期待するわけですよ。ところが蓋を開けたら超ショボイ。ケイト・ベッキンセイルが格好良いだけで、あと何にも見所ありません。BOX OFFICEの興行収入みたら案の定赤字です。ここは是非ダークキャッスルに投資する目的で、映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。だってせっかく良質な作品が出来ても日本未公開なんて嫌じゃないですか。だから、ホワイトアウト、オススメです!

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