HELLO WORLD

HELLO WORLD

久々の一本はこのアニメ映画

「HELLO WORLD」です。

評価:(85/100点) – これがセカイ系リバイバルへの最終回答だ!


【あらすじ】

本が大好きで内気な高校生・堅書直実は、ある日不思議なカラスと出会い、さらにそのカラスを追いかけた先で不思議な白服の男が突如空間から出てくるのを目撃する。男は未来の直実だと名乗り、この世界は作り物だと語る。そして不遇の事故により亡くなった恋人を、せめて作り物の世界でだけでも幸せにしたいとして直実に協力を強いる。かくして直実は、「同じ図書委員の一行瑠璃さんを口説きつつ来たるべき事故から命を救うという」という無茶なミッションを遂行することになった

【三幕構成】

第1幕 -> 直実とナオミの出会い
※第1ターニングポイント -> ナオミからミッションを言い渡される
第2幕 -> 直実の恋と夏祭り
※第2ターニングポイント -> 一行さんが連れ去られる
第3幕 -> 一行さん奪還大作戦


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【感想】

さてさて、大変ご無沙汰しております。きゅうべいです。たしかバットマンvsスーパーマンの時に「ブログを書くモチベーションは面白い映画が埋もれるのが嫌だから」的な話を書いたと思います。いま、まさにそんなテンションです。私がなんの変哲もない新海フォロワー風のセカイ系映画(失礼)をわざわざ書くのは、つまりそういうことなんですね。いま滅茶苦茶にテンションが上がってます。

なんでこんな面白い映画がコケるんだ!(※まだ公開3日目でコケたか知りませんが(笑))

この映画、はっきり言って宣伝というかルックがあまりにも微妙です。予告でもなんかマネキンみたいなキモいCGキャラがミニョミニョ動いてますし。でもですね、これマジで面白い。ほんと見た目で損してます。
この映画は一言で言うと「SFオタクがロマンスSFというジャンル映画を全力で作って、大量のエッセンスをぶち込みまくったお祭りのような映画」です。

この楽しさをぜひ見て体感してほしいですし、あわよくば、過去の名作ジャンル映画たちをガンガン見直してほしいです(笑)。

そんなわけで早速本題に行きます。

例によってここから先は多大なるネタバレと私の脳汁垂れまくりな妄想のオンパレードです。まだ見ていない方、正解を知っている関係者ならびに監督・脚本家の方はお気をつけください(笑)。

はじめに

いきなり確信から突きますが、本作はスパコンの中のバーチャル世界が舞台の映画です。そしてそれは一幕目ではっきりと明示されます。まぁそれが厳密には嘘だというのがこの映画の肝なんですが、そこを語るのは後にとっておきましょう。

本作はバーチャル世界の住人「堅書直実(かたがきなおみ)」を主人公にして、上位世界からやってきた未来の自分「カタガキナオミ」から与えられるミッションをこなすという構造になっています。

例えばマイケル・ベイの「アイランド(2005)」とか、ジョン・カーペンターの「ザ・ウォード 監禁病棟(2011)」とか、不朽の名作トロン(1982)とか、あとやっぱ最近だとドラマの「ウェスト・ワールド(2016)」なんかも浮かびますよね。作中でも最後の方でオマージュしていますが、「ミッション8ミニッツ(2011)」や「バニラ・スカイ(2001)」「オープン・ユア・アイズ(1997)」なんかも想起されます。

ただし、本作の主人公・堅書くんは上記名作たちで繰り返し語られてきた「バーチャル世界の住人としての葛藤」には全く陥りません。というか悩みすらしません(笑)。「おれプログラムなの?あ、そ。ほんで?」ってなもんです。その辺は尺の関係でしょう(笑)。そんな堅書くんが運命の相手・一行さんと恋に落ち、そして彼女のために上位概念たちを敵に回して戦うという大変セカイ系ど真ん中なストーリーが繰り広げられます。

セカイ系では世界を揺るがす大事件に際して「世界のすべてを敵に回しても君が好きだ!」と己の欲望に忠実に突っ走るのが王道です。

そう言った意味で本作は紛れもないセカイ系であり、「君の名は。(2016)」から始まった90年代セカイ系リバイバルのフォロワー作品の1つです。

とまぁこう書くと別に対して面白くなさそうなんですが(笑)、この作品の素晴らしいところはこのセカイ系の構造そのものを踏み台にしたところです。

バーチャルワールドで繰り広げられるセカイ系の果てに!

皆さん、「脱構築」って好きですよね(笑)?私はもう「脱構築」が好きすぎて「脱構築」って書かれた額を見ながら白飯3杯はイケます。

私、この映画がやりたかったことはまさにこの「セカイ系の脱構築」だと思うんですね。現在も公開中の「天気の子(2019)」がセカイ系そのものを再現したリバイバルであるならば、本作はそのセカイ系の向こう側、つまりポスト「セカイ系」的なところを狙った意欲作です。

本作のキーワードを無理やり1つに絞るならば、「リープ・オブ・フェイス」だと思います。これは理屈ではなく信念や信仰(※ときには愛)のために危険を顧みず飛び込むことを言います。多重バーチャル作品ではよくネタとして使われています。

例えばクリストファー・ノーランの「インセプション(2010)」ではマリオン・コティヤール扮する主人公の奥さんが「今いるのは夢の中だ。飛び降りれば目が覚めるはずだ」と言って飛び降り自殺を誘ってきますし、前述の「バニラ・スカイ」では主人公がこの世は夢だと確信して現実に戻るために高層ビルの屋上からダイブします。これはつまり、理性がどう判断したとしても信仰・信念のために飛び降りられるかってことなんですね。

本作では最後に主人公がバーチャル世界=夢から現実に戻るんですが、そのトリガーは「器(現実で起きたこと)と中身(バーチャルワールドで成長した精神)の同調」だと劇中で2度も説明されます。

そして作品を通して見ると、この直実のトリガーは「一行さんのために自分が犠牲になること」だとわかります。

物語の全容

本作のバーチャルワールドはザック・スナイダーの「サッカーパンチ/エンジェル ウォーズ(2011)」と同じアレンジをしています。すなわち「現実に起きたことが微妙に違う形で夢の中でも起こる」という法則ですね。

本作の舞台は遠い未来、おそらく2040年とかその辺りです。高校生の時に主人公・堅書直実は恋人の一行瑠璃を落雷から庇って(※そして恐らく背中に落雷を受けて)昏睡状態に陥ってしまいます。一行瑠璃は堅書を救うために昏睡で失われた精神をシミュレーションで再現して本物の肉体に「精神移植」することを思いつきます。そしてそのために、何十年もかけてバーチャルシミュレーションを作り、その中で堅書を育てようとします。彼女は「愛する恋人(=っていうか自分)のために命を投げ出す堅書君」を再現するために、バーチャルシミュレーション内でセカイ系のシナリオを展開し、そこにカラスの姿をしたガイドとして介入していきます。めでたく完全調教(苦笑)が完了して理想の堅書君が育て終わり、ついにラストで器と中身が同調してレプリカ堅書君が現世に受肉・復活します。めでたしめでたし。

一行さん怖いよ、、、(笑)。自分のために命を投げ出す恋人を作り上げるとか、この女、ヤベェやつやんけ、、、。
倫理的に言えばこれって「ペットが死んじゃったんでクローンペットを作ってまた一から飼いなおしました」みたいな話ですからね(笑)。宮崎駿が見たら「命への冒涜だ!」って言ってブチ切れしそうな案件です。SFではよくあるネタなんですけれども。

これが身も蓋もない本作の内容です(笑)。

セカイ系リバイバルへの回答

以上のことを踏まえると、この映画は「セカイ系」というジャンル自体を劇中劇として消化して、その上に伝統的な「ピグマリオンもの」を被せた意欲作だとわかります。

一応補足しときますと、ピグマリオンものってのはギリシャ神話の「ピグマリオン」を原型とした一連のジャンルでして、古くは紫式部の「源氏物語(1008)」、最近だとヴィリエ・ド・リラダン「未来のイヴ(1886)」とか、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン(1818)」とか、その辺のシリーズです。要は主人公が理想的な恋人や友達を育成したり創るために奮闘するっていう話です。「プリティ・ウーマン(1990)」とかね。

つまりこの映画はガラパゴス全力で日本国内で消化されてきたセカイ系というジャンルを、もう一段一般化して上に上げようとしてる実験作なわけです。

これはぜひ成功してほしいですね。個人的には完全にエヴァンゲリオン直撃世代としてセカイ系に思い入れがあるってのと同時に、その後の萌えアニメの氾濫とか一連のアイドル声優ブームとそのライブ商売の横行とか、いろいろ思うところがあります(笑)。

オタクっぽい事を言いますと、2000年代に萌えアニメ達が大増殖するなかでB級SFアニメで孤軍奮闘していたゴンゾの残党軍・グラフィニカがこれをやったってのが多いに意味があると思っています。

【まとめ】

取り留めもなくなってきたのでまとめます。

本作は「君の名は。」から始まったセカイ系リバイバルへの最終回答と言って良いかと思います。

「みんなセカイ系好きだよね?でもね、ちゃんとしたSFもいいもんだぞ!」ってな具合です。

たしかに本作はリピートしたくなる魅力に溢れています。私も多分あと2-3回は見ます。万人に受けるかって言われると自信がないですが、少なくとも「天気の子」を見た人にはこっちも見てほしいですね。ある意味「新旧そろい踏み」というか、昔ながらのセカイ系に対するポスト・セカイ系って感じのいい作品です。

劇場でかかっているうちに是非!

10月4日から今年の最注目作「ジョーカー」と「ジョン・ウィック チャプター3 パラベラム」が始まりますからね。大きなスクリーンで観れるのは今だけだと思います(笑)。

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記事の評価
スター・ウォーズ/最後のジェダイ

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

もうね、これは書かざるをえないでしょう

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」です。

評価:(15/100点) – これはスターウォーズの文化大革命だ!!!


【あらすじ】

前作「スターウォーズ/フォースの覚醒」によりついに居場所の割れたルークの元に、レイが降り立つ。反乱軍の希望としてルークを連れ戻しに来たレイだったが、ルークの意思は固い。レイに同行したチューイとの再会にも心が動かないルーク。しかしR2D2との再会により遂にルークは自分が「オビ=ワン」になることを決意する。フォースに目覚め困惑するレイにルークは指導っぽいことをしていく。

一方その頃、反乱軍はファーストオーダーの大追撃を受けていた。逃げ切れないと悟ったフィンは、女性整備士のローズとともに敵戦艦に乗り込み追跡装置の電源を落とす作戦に出発する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドレッドノートとの戦闘/レイとルーク
※第1ターニングポイント -> ルークがR2D2と再会する/潜入作戦開始
第2幕 -> レイの修行とフィンのカジノ惑星潜入
※第2ターニングポイント -> スノークとの闘いと敵戦艦への潜入
第3幕 -> 決戦!クレイトの闘い


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【感想】

さて、本日は話題沸騰の「スターウォーズ/最後のジェダイ」です。言わずと知れたスター・ウォーズの正伝最新作であり、エピソード8です。昨日から公開ですが、すでに大手WEB媒体の現代ビジネスだの産経ニュースだのでは大絶賛状態です。だが、ちょっとまって欲しい。ちょいっっと待って欲しい。本当でしょうか?あなたの心の中のフォースはなんて言ってますか?本当に褒めてますか?そう、私はこの映画に怒り心頭です。はっきり言います。

ふざけんなよライアン・ジョンソン!!!!!!!!

なんじゃこのクソ映画はボケ!!!!!!!!!

てめぇは偉大なるシリーズへのリスペクトが足らんのじゃカスが!!!!!

失礼いたしました。つい正気を失っちゃいまして(笑)。握りしめたビール瓶は汗で滑って落ちたので勘弁してください。

ということで、今回もご多分にもれずネタバレを多く含みます。もしまだ本作を見ていない方、本作を見て大満足した方は以下お気をつけください。

はじめに

結論から言ってしまえば、本作はシリーズを終わらせるための、、、そして今後無限に続けるための作品です。そういった意味ではディズニー資本となってより安売り/商品化されるための必要悪と言えます。

この映画の問題点は山ほどあります。というか問題しかありません。ストーリーは駄目だし、キャラも駄目だし、設定はクソ。こういった山ほどある問題は大きく3つに分けることが出来ます。1つ目はストーリーテリングがグダグダすぎる問題。2つ目は「リアリティ・ライン」「SFレベル」が旧作から大幅に乖離している問題。もう1つは世代交代における旧作全否定/キャラへのリスペクトが無い問題です。具体的な細部に入る前にまずは作品を俯瞰的に見ていきましょう。そう、キーワードは「文化大革命」です。

これは「神話」を「物語」に堕とすための作品だ!

スター・ウォーズシリーズはストーリー・ドラマの手法を取っているクロニクル形式の映画です。つまりスター・ウォーズ世界の年表を基に、「今回の映画はここからここ」みたいな歴史の一部分を切り取って映像化するスタイルです。そのため全てのシリーズでオープニングテロップにより「これまでのあらすじ」が語られ、そして映画本編のアバンタイトルが始まるわけです。今回のEP8はEP7の直後から始まっていますが、旧作は作品を跨ぐとけっこう時系列が飛んでいました。

ストーリー・ドラマである以上はキャラクターの新陳代謝は必要不可欠です。前作では旧作キャラであるハン・ソロが大活躍し、かつ敵も新しくダークサイドに堕ちたスカイウォーカーであったわけで、必ずしも世代交代できたとは言えませんでした。今回のテーマはこの「世代交代」であり私に言わせればこれは「文化大革命」です。

以前のローグ・ワンでも触れましたが、スター・ウォーズシリーズは「スカイウォーカー家」を中心とした善=ジェダイと悪=シスの闘いの話です。よくスター・ウォーズは「スター・ウォーズ神話(サーガ)」と表現されますが、まさしく「善と悪との闘いで超能力一家が大活躍する」というギリシャ神話/エジプト神話/北欧神話的なストーリーなわけです。この辺は「キング・オブ・エジプト」を見た人ならよくわかると思います(笑)。このサーガにおいてスカイウォーカー家は神様であり大貴族様です。だからこそ昨年の「ローグ・ワン」がスター・ウォーズ史上初めて「普通の人間にフォーカスした」作品として大変面白かったわけです。

ところが、、、ディズニー的なポリティカル・コレクトネス=過剰な平等主義=共産主義が、この神話世界を完膚なきまでに俗世化し破壊いたしました。そう、平等主義の名のもとに保守的な神話/宗教を破壊する本作はまさしく「文化大革命」です

本作ではこの「文化大革命」について2度もジェダイとダークサイドの両方から語られます。

1度目はルークと霊体ヨーダのシーンです。ヨーダが出てきたテンションで誤魔化されがちですが(笑)、彼の言ってることは「保守的なジェダイの教えは役に立たない」ということなんですね。つまり保守主義を全否定する進歩主義です(笑)。
2度目の言及はカイロ=レンがスノークを殺した後にレイを勧誘する際のセリフです。「ジェダイ、シス、ファーストオーダー、反乱軍、そんなもんはどうでもいいんじゃ!俺等で新しい秩序をつくるぞ!一緒にやろう!」的なアレです。

そしてこの文化大革命にはプロダクション上で大きな狙いがあります。旧シリーズの「スカイウォーカー家の神話」を断ち切るため。そしてそれによって「今後の作品を作る上でのあらゆる制限を取り払うため」です。これまでだとどうしてもカイロ=レン的な旧作ゆかりのキャラクターやほぼスカイウォーカー家の人物の周辺で話を転がすしかありませんでした。しかし今回の文化大革命により、広く一般人に門戸が開放されたわけです。

この文化大革命の意図は本作の随所に見られます。「レイの両親が何者でもない=庶民である」というのもそうですし、血筋だけ見れば最強のはずのカイロ=レン(ベン=ソロ・スカイウォーカー)がヘタレであるのもそうですし、そして最後のシーンで名もなき奴隷っぽい少年がフォースを使ってホウキを引き寄せて掃除するシーンもそうです。ジェダイ=フォース使いが特権階級・既得権益ではなく市民に開放されたわけです(笑)。

これによってスター・ウォーズシリーズは今後無限に作ることが可能になりました。スター・ウォーズ神話(サーガ)がスター・ウォーズ物語(ストーリーズ)に俗世化したのです。

全世界のスター・ウォーズオタクが涙を流した大傑作ドキュメンタリー「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス(2010)」を見ればわかるように、このSWサーガの創造主ジョージ・ルーカス自身も大変商売っ気のある人です。彼の同門であり大親友のスピルバーグがよくグチっているように、ルーカスは偉い立場になったり映画人としての責任で真面目映画を撮るみたいなことを全然しません(笑)。当のスピルバーグは一生懸命「ユダヤ人としての使命」とか「映画人としての責務」とかいって政治映画や歴史物をいっぱい撮ってるんですけどね。ルーカスはぜーんぜんそういうのに興味ありません。そんなルーカスですが、どんなに叩かれまくったプリクエル(※SWエピソード1~エピソード3の総称)でも、キャラクターの価値だけは頑なに守ろうとしてきました。商売道具ですからね。結果的にヨーダだけに全ての物語のしわ寄せがいって無能になってしまっていますが、続けてトリロジー(※SWエピソード4~エピソード6の総称)を見るとよりEP6最後の感動が増すようにちゃんと設計出来ています。

しかし今回の文化大革命によって旧作の全てのストーリーは破壊されました。結局旧来のジェダイ・オーダーはフォースのバランスを保つことが出来ず、新世代(レイとカイロ=レン)の独自判断に委ねられることになります。これが「創造のための破壊」だったのか、それともただの自爆だったのかは、次回作エピソード9の公開まで判断を待ちましょう。

さてここまでが本作の位置づけです。ここからは細かい問題点の話に行きます。長くてすみません。

問題1:話がクソすぎる

本作を単体で見たときの問題は話のグダグダっぷりです。これに尽きます。この映画では大きく3つのグループが並行で行動します。

第1グループはレイとルーク、R2D2、チューイです。こちらは「ルークが引きこもっている島へ行って連れ帰ってくる」というミッションを与えられたレイ一行の物語です。なんやかんやでルークにフォースを教えてもらうレイですが、しかし特に師弟関係になるでもなく仲違いしてすぐにレイが飛び出してしまいます。このシークエンスにおいて、レイはロクに修行をしておらず、いわゆる自主練だけでメキメキ強くなっていきます。ルーク師匠出番なし(笑)。結果的にレイが天才だったって話にしかなっていません。「子は親が居なくても強くなる」ってやつですね。

第2グループはフィンとローズのコンビです。2人は反乱軍を追撃してくるファーストオーダー艦隊を撒くため、潜入して追撃装置の電源を切ろうと企てます。追撃装置を切るためには直接敵艦に潜入するしかなく、そのためには世界最高の鍵破りが必要ということでマズ・カナタの紹介を受けスカウトに出かけます。こちらに関しては作戦工程もグダグダなら結果もグダグダで、エピソード自体が丸々どうでもいいという大惨劇になっています。おまけにポリティカル・コレクトネスの弊害でマッチョ黒人と不細工アジア人のラブロマンスという別に映画でまで見たくない絵面になっており、もう本当にどうしていいか分かりません。そういうのはブリジット・ジョーンズの日記とかのスイーツ映画だけにしてくれませんかね。人種差別だとかそういう変なこと抜きで、不細工が正統派ヒロインみたいな仕草をしているのを映画でみたくないっす。これも俗世化の反動ですね。神々しいまでに美人のアミダラと較べて、今作のローズは人間味に溢れています。しかし冒頭に出てくるローズの姉がめっちゃ美人なため、もう制作側の悪意しか感じません。このエピソードに関わった俳優は全員ババ引いてます。

第3グループはレイア将軍率いる反乱軍本隊です。こちらはひょんなことからホルド中将がレイアに代わって指揮を執ることになるんですが、この超絶秘密主義のババァ(※リンチ映画でお馴染みの怪優ローラ・ダーンですw)に掻き回されて無駄な小競り合いに発展します。もうね、、、全てがアホ過ぎます。ホルドが5分説明すれば済むだけのことで映画を30分以上使いますからね。反乱軍の連中は全員ナポレオン・ヒルでも読めよってレベルです(笑)。コミュニケーションって大事ですね、、、。

ということで、話に関しては褒めるところは一ミリもございません。全てがクソすぎます。監督兼脚本でこれは酷い。

問題2:SFレベルの旧作からの大幅な乖離

たぶん私も含めた旧作ファンで本作にブチ切れている人はここに引っかかっているんだと思います。本作は旧シリーズに対してリアリティ・ラインがズレ過ぎています。

ちょいと補足をしましょう。SFは「サイエンス・フィクション」=「科学的なハッタリ」という文字通りにウソをついてなんぼのジャンルです。スーパーマンが空を飛んだりバットマンが戦闘服を着ただけで大暴れできるのもこの「ウソ」の賜物です。そして各作品には「ウソの付き方」の度合いというのがあります。この「どの程度まで本当でどの程度ウソ=魔法的な要素を入れるか」を「SFレベル」とか「リアリティ・ライン」と言います。よく言われますが、スター・ウォーズでは「真空の宇宙空間なのにレーザーガンの音が聞こえる」というのがウソです。大前提としてもちろんフォースもウソです(笑)。

このSFレベルというのは「その作品がどの程度SFでどの程度ファンタジーか」を図る重要な尺度でありここがブレてはいけません。例えば、漫画のドラゴンボールでは、キャラクターが死んでもすぐに生き返ります。だからキャラが一回死んだくらいで長々とセンチメンタルなことをされたらシラケてしまいます。ところが同じSFジャンルの映画スタートレックでは、一度死んだキャラは生き返りません。ですから、老スポックの死が観客みんなの心をうつんです。これが作品ごとのSFレベルの違いです。同じ「キャラが死んだ」という状況なのに、SFレベルが違う作品では受け止め方が全然違うわけです。そんな重要なSFレベルにおいて、本作は旧作から大きく逸脱しています。

具体的に言いましょう。

まず映画の冒頭で皆さん引っかかると思うのが、「宇宙空間において爆撃機が爆弾を投下する」シーンです。旧作でもこのシーン以外でも、巨大戦艦の近くで重力が発生するという描写はただの一度も記憶にありません。宇宙空間で爆撃機の艦底を開けると爆弾が落ちていく意味がわかりません。浮くんじゃないの? 実際に撃破された戦艦の破片は浮いてますしね。なんで爆弾だけが戦艦に落ちていくのか意味がわからなすぎてポカーンとなります。

他にもレイアの宇宙遊泳なんかもそうです。宇宙空間に放り出されて意識を失っているのになぜかフォースを使って生き残るという、、、フォースって無意識でこんな便利に使えましたっけ? 霊体ヨーダが雷を起こすところも同じようにSFラインを崩しています。霊体になったジェダイが現実世界に物理干渉しちゃ駄目でしょう、、、。それがありならヨーダ・クワイ・オビワン・アナキンで全部の戦争を瞬間的に終わらせられそうです。さらにはルークの幻影術ですね。こんなんできるんかい!っていう。全然役にはたっていませんでしたが(笑)。さらに忘れちゃいけないのがライトセーバーの遠隔操作ですね。あ、それやっちゃうんだ、、、という呆れと驚きがありました。それがありならガンダムのファンネルみたいに自分の周りにライトセーバーを飛ばしときゃ無敵ですよね(笑)。このように本作におけるジェダイ/フォースの扱いは無茶苦茶です。

さらに驚くのが最後の最後、ハイパードライブ(ワープ)を使った特攻攻撃です。え!?それできるの!?という。全部それだけでいいじゃんって話です。ハイパードライブを積んだ無人機を魚雷みたいにすれば全部倒せるわけですよ。スター・デストロイヤーだって瞬殺です。この世界の戦争のあり方の根底が覆ります(笑)。

SFレベルというのはその作品の説得力を生み出す根幹の部分です。それがここまでブレていると、もはや真面目に見ているのが馬鹿らしくなるレベルです。

問題3:世代交代のやり方が上手くない

3つめの問題点はキャラクターの世代交代のやり方です。これは懐古主義者のグチといわれても仕方ない部分なので最後に持ってきました(笑)

前述のとおり、本作の文化大革命において世代交代は大きなテーマです。旧作キャラ達から新3部作キャラへのバトンタッチです。ところが、本作では新キャラを魅力的に描くというプロセスが欠けており、ただ単に旧作キャラを貶して退場させているだけです。これではいくら旧作キャラを退場させても新キャラに人気は移りません。

だって、レイもポーもフィンもローズも、なにも大勢(たいせい)に影響を与えてないじゃないですか。小さな活躍をスポットでしているだけで、まったく魅力が伝わりません。その代わりといってはなんですが、宇宙遊泳をするレイアや、幻影術で翻弄するルークなど、旧作キャラの強烈な能力だけが描かれています。

とはいえルークに関しては本作では貶されまくりです。特にカイロ=レンに裏切られるエピソードからの引きこもりの流れが酷すぎます。この監督はルークに怨みでもあるんですかね?本作のルークは結局ダークサイドを恐れているだけであり、ジェダイとして完成されているとは到底思えません。旧作ファンの戯言としては「こんなのルークじゃない!」と強く思います。演じるマーク・ハミル自身も思ってるみたいですが(笑)。クワイ・ガン・ジンや若き日のオビ=ワンの方が遥かにしっかりしていますからね。前作の「フォースの覚醒」が思いっきり旧作パロディに徹していたのと真逆のアプローチで、旧作ファンとしては怒りボルテージがどんどん上がっていきます。

そのくせ、本作でグッとくるシーンってことごとく旧作ファンむけの目配せなんですね。ルークとR2D2が再会したときのレイア映像とか、C3POへのウィンクとか、最後のルーク仁王立ちとか、太陽が2つ見える(=ルークとアナキンの故郷であり旧作の原点タトゥイーンを彷彿とさせる)シーンとか、ぜーんぶ旧作の思い出に頼りきってます。散々頼りきっといてそれかよっていう監督の不誠実さが本当に腹が立ちます。

【まとめ】

なんか書いていたらどんどんグチになってきたのでこの辺で切り上げます(笑)。この映画、マジで誰が得してるんでしょうか。私は前作のエピソード7は「EP4の焼き直しじゃねぇか!」と思いながらもまぁまぁ許せる範囲でした。ある意味でJJエイブラムスお得意の「同人映画」ですからね。ところが、本作は旧作へのリスペクトが無く、破壊して今後の商売につなげるためだけの作品です。冒頭に書いたように、ディズニーがスター・ウォーズを未来永劫続けるために必要な行為なのは間違いありません。ただ、これはやっぱり旧作ファンにはキツイものがあります。

ちょいと余談です、私、実はこの映画を見ていて一番感じたのは「これはスター・ウォーズにおける∀ガンダムだ」ってことなんです。ロボットアニメ史上に燦然と輝くガンダムシリーズは、創造主の富野由悠季自身による「∀ガンダム(1999)」によって完全に破壊され眠りにつきました。当時「ガンダム」というブランドが巨大になりすぎて、富野監督本人のコントロールできる規模ではなくなってしまっていたんですね。彼自身そのギャップでちょっと精神的にマイッてしまった時期もあるぐらいです、しかし一方のバンダイとしてはガンダムはドル箱であって、無限に作り続けたいというニーズがありました。そこで頭の切れる富野監督は、バンダイを騙し討ちする形でガンダムシリーズの完結編を勝手に作っちゃったんですね(笑)。「いままでのシリーズから何万年も後の遠い未来」という設定で、完全にピースフルで、どんな無茶苦茶な物語でもすべてを包み込んでしまう「優しい最終回」を書いてゲリラ的に放送しちゃうんです。富野監督本人は「ターンエーの癒やし」という単語でこの作品を表現していました。要は今後どんなにガンダムシリーズが粗製乱造されたとしても、物語上はすべて「∀ガンダム」に繋がるようになっていて、そしてそこで大団円のハッピーエンドになるわけです(笑)。このおかげで、どんなに「ガンダム」という名のもとで駄作が量産され続けたとしても、「どうせ最後はターンエーガンダムにたどり着いて、あの湖畔に行くんでしょ」と監督やファンは枕を高くして眠れるようになりました。

そうなんです。本作は、スター・ウォーズが好きな全世界のファンに別れを告げる作品なんです。「もうお前らの好きなスター・ウォーズは終わったから」というディズニーの決別宣言です。ファンとしては、もし本作をジョージ・ルーカスが撮ってくれていたら文句言いながらも泣いてお別れができたと思うんですね。ですけども、実際のルーカスはとうの昔にスター・ウォーズからイグジットしてしまっており、シリーズはもはや彼の興味から離れているわけです。私達はルーカスの幻影を追いかけていただけなんです。そして、本作では最大限の侮辱をもってその幻影を新オーナーであるディズニー自らが振り払ったんです。だからもう私達も後ろを振り返るのは止めましょう。2017年12月15日はスター・ウォーズの命日です。R.I.P。

私も、次作以降は心を無にして見ることができそうです。
日本全国のスター・ウォーズファンにこの言葉をお送りします。

「諸君らの愛してくれたルーク・スカイウォーカーは死んだ!何故だ!」
「ディズニーだからさ」

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記事の評価
本能寺ホテル

本能寺ホテル

今日はもちろんコレです!!!

「本能寺ホテル」じゃ!!!

(75/100点) – 綾瀬はるか史上最高傑作!


【あらすじ】

倉本繭子は現在無職の元OL。教員免許を持っているものの特にやりたいことが見つからず、周りに流される人生を歩んできた。そんな彼女は出会って半年の彼氏・吉岡からプロポーズをされ、なし崩し的に結婚を決める。彼の両親に挨拶をするために京都を訪れた繭子は、ひょんなことから「本能寺ホテル」に宿泊することとなった。そのホテルのエレベーターは、天正10年6月1日、すなわち「本能寺の変」前日に繋がっていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 繭子の京都旅行
※第1ターニングポイント -> エレベーターに乗る
第2幕 -> 天正10年の世界と信長との交流。
※第2ターニングポイント -> 繭子が信長に警告する
第3幕 -> 本能寺の変と繭子の決意



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【感想】

さて、本日は綾瀬はるか主演の最新作「本能寺ホテル」を見てきました。監督がフジテレビの鈴木雅之。そして主演が綾瀬はるかと堤真一。脚本が相沢友子。ということで、どっからどうみても「プリンセス トヨトミ2」なわけで、かくいう私も予告で完全に続編だと思っていました。万城目氏といろいろ揉めてるみたいですが真相はよくわからんのでどっちがどうかは何とも言えません。ただ少なくとも、「プリンセス トヨトミ」を見ている人には、本作は物凄いハードルが下がった状態だというのは確かです(笑)。

かくいう私も、半笑いで見に行ったわけです。

どうせプリンセス トヨトミ2でしょって(笑)。





で、ですね。実際見てみますと、、、

正直スマンカッタ。

これ滅茶苦茶面白いです!!!!!

マジおもろい。

どのぐらい面白いかって言うと、見てる間中ニヤニヤが止まらなくてハタから見てると「あ、、、変態かな?」って思われるぐらいオモロい。つまり、最高かよ!? これが最高のアイドル映画か!?!?!?

いままで綾瀬はるか主演映画の最高傑作って、黒沢清監督の「リアル〜完全なる首長竜の日〜(2013)」か「僕の彼女はサイボーグ(2008)」だったと思うんですよ。前者は映画的な意味で面白くて、後者はアイドル映画的な意味で綾瀬はるかが可愛すぎるという。

今回の「本能寺ホテル」は、この2作を超えました。作品の内容としても、そして綾瀬はるかの可愛さでも、文句なくダントツに「綾瀬はるか史上最高傑作」です。

以降、この映画を徹底的に褒めちぎります、、、いや、ちょっとだけ貶しますが(笑)、でも全体的に褒めます!ネタバレを多く含みますので、未見の方はご注意ください。いや、マジで見たほうがいいですよ!騙されたと思って、是非!

これは綾瀬はるか版「ブラック・スワン」だ!

皆さん、ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン(2010)」は見てますよね? もし見ていない方はこれを機にぜひ見てみてください。ブラック・スワンは「強権的な母親によって抑圧された願望・欲望が狂気によって解き放たれる」という所謂「発狂系スリラー」の傑作であり、主演のナタリー・ポートマンそのもののような優等生的キャラクターがまさに劇中で自我を解放していくというカタルシスに溢れる作品です。

本作「本能寺ホテル」は、まさにこの「発狂系スリラー」の系譜に連なる作品です。

主人公の繭子はたぶんもう30歳近くて、それなのにいままでの人生で主体的に「これがしたい!」っていうものを持たないで生きてきました。ちょっと天然が入っていて、押しの強い彼氏の吉岡に流されまくって、なんだかんだで結婚するような雰囲気になってしまっています。教員免許をとったのも「手に職があるとなにかと便利」みたいななんとなくな理由です。そして春先に就職先が倒産して、次の職を探そうにもやりたいことが見つからずに悶々としています。

そんな繭子が、吉岡のお父さんという自分の好きなように生きるイカしたじいちゃんに出会い、問題意識を持つわけです。そして、実際にタイムスリップしたのかどうかは置いといて、本能寺ホテルで不思議な体験をし、自分の好きなことを遂に見つけて解放されるんです。

そう、この映画は、まさに私達が綾瀬はるかに持っているイメージそのものの「押しに弱そうで天然入ってる可愛い女の子」が自我に目覚めて大人の女性として成長する話なんです。まさに正統派の「発狂系スリラー」です。

ですから、この作品で「天正10年の描写が雑すぎ!」とか「信長の思想がおかしい!」とか、そういうのはもうどうでも良いんです。だって天正10年の描写は全て「繭子の内面の発露」なんですから。これは「胡蝶の夢」と同じ原理で、あくまでも繭子が内面的に「本能寺の変の日にタイムスリップして成長する話」であり、それが本当にタイムスリップしたのか彼女が発狂してそう思い込んだだけなのかは重要ではありません。だってタイムスリップ自体が「現実的じゃない」んですから、そこに出てくる信長の思想がおかしかろうが何だろうが、そんなのどうでもいいじゃないですか。これが大真面目なタイムスリップものだったら話は別ですが、あくまでも繭子が「精神的に追い込まれて、本能寺ホテルで不思議な体験をして、そして自己解放する」って話ですから。

実際に、本作を見ていて一番違和感を感じるのは不自然なカメラワークなんです。この作品では、カメラのフレームがすべて道や壁や階段に直角に撮られています。つまり凄く「カキワリ」っぽいんですね。本能寺ホテルのバーのシーンや人物の周りをカメラがぐるぐる回る一部シーンを除いて、映画の9割以上は繭子を「真横」か「真後ろ」か「真正面」から撮っています。いわゆるパース・奥行きがありません。「ブラック・スワン」がひたすらナタリー・ポートマンの肩口からカメラを撮り続けたように、本作では徹底して綾瀬はるかを直角から撮り続けます。アゴが目立っちゃってアレなんですが、これをすることで、画面全体が強烈に「ウソくさく」なるんです。これがまさに主体性の無い繭子の様子を映像的にも表現できていて、とても効果的です。意図してか単に下手なのかはわかりませんけれども(笑)。

テレビギャグも微笑ましく見られる

一応ちょっとだけ苦言を呈しておけば、エレベーターが開くときの天丼ギャグだったり、八嶋智人の一発ネタだったり、いわゆるテレビギャグがちょいちょい入ってきます。でもこういうのも、それこそ三池映画的な意味でのくだらないブッコミだと思えば微笑ましく見られます(笑)。本筋がグダグダな作品でやられると腹立つんですが、本作はメインストーリーが滅茶苦茶しっかりしてますからね。「十三人の刺客(2010)」の伊勢谷友介は腹立たないけど、「愛と誠(2012)」の武井咲は腹立つってのと一緒です(笑)。

この映画って明らかにマズいタイミングでギャグをぶっ込んで台無しにしている場面が無いんですね。だから、「まぁ、なんかクスグりでしょ^^;」ぐらいの感覚で流せます。

たぶん本作があんまりお気に召さない場合って、天正10年の軽すぎるノリが合わないか、または「女の子が好き放題に自分探しをする」っていうスイーツ成分が苦手かっていうパターンだと思います。あとは「タイムトラベルの意味ないじゃん」みたいな。タイムトラベル先と現在のリンクみたいなものは全くないですからね。どの時間帯にタイムスリップするのかっていう設定もよくわからないですし。最初に行ったときから同時並行的に時間が経ってるのかな、、、とかですね。

でも、映画的な見方だと、そもそも本当にタイムトラベルしてるかどうかが怪しいんです。たしかに靴を失くしてきたり着物を貰ってきたりっていう描写で「本当にタイムスリップしてるかな?」ってのは見せてますが、それだって別に繭子が発狂して自分の部屋で着替えて妄想ロールプレイしてるだけかも知れませんしね(笑)。

そういう意味でも、本作ではテーマを「繭子の内面の成長・解放」とした時点で企画的に勝ちなんだと思います。描写の矛盾や不満も「内面描写だから」で全部片付けられますから^^;

そして実際に、映画は繭子がやりたいことを見つけて綺麗に終わるわけです。これだと文句の言いようがありません。

まとめ

ということで、この映画は滅茶苦茶よく出来ています。フジテレビ映画にあるまじき出来の良さ(笑)。ちょっとスタッフが「プリンセス・トヨトミ」と同じというのが信じられないレベルです。これ本当に劇場で見たほうがいいです。邦画の、、、しかもビックバジェット映画で、まさか「ブラック・スワン」のフォロワーをやってくるとは思いませんでした(笑)。是非是非、声を大にしてオススメします!!!

ちなみにツイッターでちょろっと書きましたが、何故か劇場がお年寄りばかりでした。しかもマクドナルドとか持ち込んじゃうタイプの筋金入りの、、、。もしかしたら「八重の桜」とか時代劇ものを期待しちゃったのかも知れません^^; 本作はバリバリの「自分探し映画」であり、「頑張れ、ワタシ♡」っていう例のヤツです。発狂してますけど(笑)。なので、くれぐれもタイムスリップ時代劇を期待して見に行くのは止めたほうがいいです。念のため。

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【ドラマ】11/22/63

【ドラマ】11/22/63

おはこんばんにちは。きゅうべいです。明けましておめでとうございます。皆さん、正月休みはゆっくりできたでしょうか? 私はひたすら喫茶店に入り浸って本ばっかり読んでました^^;

新年一発目の今日はちょっといままでと趣向を変えまして、海外ドラマの面白いやつを紹介したいと思います。やっぱね、まとまった時間があるときってついツタヤでDVD借りてきちゃうじゃないですか^^; そんな時海外ドラマってとっても使い勝手がいいんですよね。この「おすすめ海外ドラマ」シリーズではできるだけ新しいものを紹介していこうと思います。あくまでも紹介なのでネタバレは極力しません。さらっと読んでいただいて、もし気に入ったら是非是非、レンタル店に駆け込んでください。

ということで「おすすめ海外ドラマ」シリーズの1発目はこちら。

「11/22/63(全9話)」です。

評価:(95/100点) – 超ロマンティックなタイムスリップSF


【あらすじ】

時は2016年。国語教師をしているジェイクは、自身の離婚調停に辟易していた。ジェイクはある日、行きつけのダイナーのオヤジ・アルから不思議なことを聞かされる。彼のダイナーの倉庫に入ると1960年にタイムスリップできるというのだ。ガンに侵されていたアルは、ジェイクに最後の頼みとしてタイムスリップをして”あることをしてきて欲しい”と依頼する。それは1963年11月22日に起きた「ケネディ大統領暗殺事件」を阻止し、アメリカをより良い国にすることだった。ジェイクはしぶしぶながら1960年に飛び、そして3年間の独自調査を開始する。それはケネディ暗殺の最有力容疑者・オズワルドの尾行と、別容疑者の可能性の調査だった、、、。


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【感想】

さてさて、そんなこんなで趣向を変えました海外ドラマ紹介シリーズの第一弾は「11/22/63」です。原作はスティーブン・キング。キングと聞いて皆さんがすぐイメージするように、本作はロマンティック・SFサスペンスです。主役は「サム・ライミ版スパイダーマン」ハリー役のジェームズ・フランコ。ヒロインは「複製された男」で怖い奥さん役をやっていたサラ・ガドンです。最近は映画俳優もあたりまえのようにドラマに出てきて、とっても豪華になりました。

このドラマは2011年から1960年へタイムスリップしてそこで右往左往する男の話です。いたるところに名作映画ギャグが散りばめられており、それだけでも結構ニンマリできます。タイムスリップ・コメディみたいな要素はほとんど無く、どちらかというと「丁寧に作られた巻き込まれ型サスペンス」といった様相です。

話は過去に戻ったジェイクがそこで仲良くなった相棒のビルと共に、ひたすらオズワルドを尾行・盗聴して犯行の手がかりを探す展開です。なかなか尻尾を出さないオズワルド。そしてだんだん過去の世界に溶け込んで愛着を持ち始めるジェイク。そんな中で過去の世界にもかかわらずジェイクは恋人を作ってしまいます。いよいよ過去と離れがたくなっていく。だけれでも使命は果たさなければいけない。悶々とする中、ジェイクはある究極的な「答え」を選択します。

そう、本作はいわゆる「過去改変SF」です。このジャンルの金字塔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」しかり、「バタフライ・エフェクト」しかり、そして昨年の「君の名は」。これらに一貫する「タイムスリップとロマンス」の最新版がこのドラマです。

本作は全9話と比較的短いドラマなのですが、実をいうと軽く中だるみします(笑)。するんですが、もし4~5話目で「ちょっとつまんないな~」とか思ってもそこで止めてはいけません。絶対最後まで見るべきです。というか、本作は最終話の第9話がもうそれだけで10,000点あげてもいいくらい滅茶苦茶面白いんです。もし上に挙げたような映画が好きな方がいたら、絶対見たほうがいいです。過去改変SF史上で最上級のロマンスを見ることが出来ます。甘ったるいご都合主義じゃなくて、これぞキングっていうすごーく苦くて、大人で、それでいて最高に泣ける展開がまっています。

必見の出来です。

ちょっとした補足

ちなみになんですが、、、、アメリカ人の感覚では「ケネディ大統領暗殺事件」というのは、まさに「アメリカ近代史のターニングポイント」なんですね。もちろんケネディ自身がアイドル的な人気があったというのもあります。ですがそれ以上に、後任のジョンソン大統領の始めたベトナム戦争、そして続くニクソンの経済政策失敗(1971年の第2次ニクソン・ショック)によるインフレ・高失業率・大不況、さらに繋ぎでグダったフォード、さらにその後のカーター政権で起きたイラン・アメリカ大使館人質事件を始めとする中東への弱腰外交。まさにケネディ暗殺からロナルド・レーガンのレーガノミクスまで約25年近くアメリカは暗黒期に突入します。その後も人によっては「湾岸戦争」「中東介入」「ITバブル」「リーマンショック」「格差拡大」などなど、挙げればキリがないでしょう。だから本作のように「もしケネディ暗殺が阻止されていたら、きっとアメリカはもっと良い国になっていたに違いない」というアイデアは凄く共感されるんですね。アメリカで本作が大絶賛されたのも、多分にこのバイアスはあると思います。

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ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

今日は

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」を見てきました。

評価:(95/100点) – 最高のファンムービー爆誕!!!


【あらすじ】

帝国軍の技術者ゲイレン・アーソは、大量破壊兵器の研究者だったが、嫌気がさして家族ともども軍を脱走して田舎の星に身をやつしていた。しかしそんなアーソ一家の元に、兵器計画の遅れを懸念するオルソン長官の魔の手が忍び寄る。妻を殺されたゲイレンは、1人娘のジンを逃し、自ら帝国軍に連行される。

それから十数年、、、反乱軍の元に「ゲイレン・アーソが破壊兵器の情報をリークするべくカーゴパイロットを脱走させた」という情報が届く。しかし肝心のパイロットは独立ゲリラのソウ・ゲレラ一派に拿捕されてしまう。反乱軍はこの情報を奪うべく、友好の使者としてゲレラの元に1人の少女を送り込むことにする。その女性こそ、ゲイレンの1人娘ジンであった、、、。

【三幕構成】

アバンタイトル -> ゲイレン一家が襲撃に遭う
第1幕 -> キャシアンとジン
※第1ターニングポイント -> ジンが使者として惑星ジェダへ向かう
第2幕 -> ジェダの崩壊とゲイレンとの邂逅
※第2ターニングポイント -> ゲイレンより設計図の在り処を聞く
第3幕 -> 潜入!惑星スカリフの決戦


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【感想】

2ヶ月ご無沙汰しております。きゅうべいです。今年は本当に面白い映画が節目節目で公開されて、ブログをサボっている暇もありゃしません(笑)。ということで、本日は当然これ。スター・ウォーズ・シリーズの最新作「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」です。監督は「ゴジラ(2014)」で一躍時代の人となったギャレス・エドワーズ。「スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望」の前日譚として、特殊部隊ローグ・ワンが帝国軍の最終兵器「デス・スター」を破壊するために設計図を入手するまでを描きます、、、、と公開前情報では言われていました(笑)。

ところがですね、これ実際見てみるとそんなチンケな話じゃ無いわけですよ。確かに大筋はローグ・ワンがデス・スターの設計図を盗むまでの話です。スター・ウォーズのファンならば、予告を見ただけで「これはローグ・ワンが頑張ってデス・スターの設計図を盗んでレイア姫に渡すまでのミッションインポッシブルみたいなケイパーものなんだろうな」「ディズニーのことだから、どうせ金儲け狙いで安直に外伝作っただけなんだろうな」と思うわけですよ。それが蓋を開けたらあらびっくり。ローグ・ワンとか全然特殊部隊じゃ無いし、こりゃもう完全にスター・ウォーズ愛に溢れた最高の「ファン・ムービー」なんです。

スター・ウォーズのファン・ムービーといえば、金字塔は「ファンボーイズ(2008)」と「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス(2010)」です。両方とも「ファンとしてスター・ウォーズを愛するがゆえに、商業主義丸出しのルーカスを信じながらも毎回裏切られ続け、それでもやっぱり嫌いになれない」というアンビバレンツな愚かさを笑いに変えています。僕ももちろんそうですし、例えば日本でも富野由悠季監督や押井守監督が好きなアニメファンは頷きまくりだと思うんですね(笑)。しかし、今回の「ローグ・ワン」はそれとは違うアプローチのファンムービーです。

すなわち、スター・ウォーズのオタクたちが日夜一生懸命勝手に撮影していたような「ファンカット・ムービー」の延長としてのスター・ウォーズ外伝です。「ゴジラ(2014)」とやってることが全く同じアプローチでして、本当にギャレス・エドワーズは最高だなと心の底からニンマリしていました(笑)。この人は絶対にエドガー・ライトとかタランティーノとかマシュー・ヴォーンと同類です(笑)。

スター・ウォーズ・サーガ。それは調和の物語。

スター・ウォーズの話を始めたら10,000文字あっても足りないのでどんどん先に進みましょう(笑)。みなさん、当然スター・ウォーズの実写映画は全部見てますよね?EP1〜EP6を見ているのが大前提で、出来ればイウォーク・アドベンチャー1・2と3DCGアニメのクローンウォーズシリーズも押さえておくといいでしょう。余力があったらEP7もついでで(笑)。

スター・ウォーズ・サーガは、ルーカス曰く「フォースが調和を失ってから、それを取り戻すまでのストーリー」です。

EP1〜EP3で、歴代最高の才能をもったジェダイナイト・アナキン・スカイウォーカーは、成長し、恋をし、そして絶望し、暗黒面に堕ち、ダース・ベイダーとなります。ダークサイド・オブ・フォースの化身・暗黒皇帝ダース・シディアスは、アナキンを誘惑し、堕落させ、独裁帝国を作り上げ、恐怖で宇宙全土を支配します。

EP4〜EP6では、主役はアナキンの息子ルーク・スカイウォーカーへと移ります。ルークは素性を隠し田舎惑星で百姓の息子として育ちます。そんなルークですが、後見人にしてアナキンの友オビワン・ケノービーや仲間のハン・ソロ、レイア・オーガナと共に帝国反乱軍のエースへと成長して行き、やがて父アナキンに善の心を思い出させます。善の心を取り戻したアナキンは、皇帝を殺し、宇宙に平和と共和制を取り戻します。

そう、EP1〜6までのストーリーは、まさに天才アナキン・スカイウォーカーがグレてから目を覚ますまでの壮大な物語なんです。しかし、このストーリーは必ずしも「ジェダイナイト」という超能力をもった貴族様の話ではありません。EP4〜6では、一貫して帝国軍に対抗するのは一般庶民であり有志の反乱軍です。そして最終的に帝国軍に壊滅的な打撃を与えるのは、田舎惑星に住む未開のもふもふローカル宇宙人のイウォークなんです。冗談でも比喩でもなく、まさに元ネタとなった「隠し砦の三悪人」や「七人の侍」と同じく、ジェダイという侍を先頭にした百姓たちの一揆の物語です。

ローグ・ワン:全てはバトンを繋ぐために

そして本作です。本作には特殊能力をもった人間は全く出てきません。主人公自身を含めて、彼女の周りにいるのは全て「強い意志」をもった普通の人間です。相方のキャシアンだけはずっと命令で動いていましたが、3幕目へと向かう最後の最後で自らの意志でローグ・ワンに参加します。ドニー兄貴扮する盲目の僧兵チアルートも「もしかしてフォースが使えるのかな?」みたいなミスリードがあるものの、実際はフォースを信じる強い意志を持っただけのただの人です。こういった普通の人間たちが、本作のテーマである「人は希望を繋ぐために戦う」というそのままに、命をかけてバトンを繋いでいきます。そしてその果てに「エピソード4 新たなる希望」があるわけで、これはシリーズの外伝として完璧な構成です。本作を通してゲイレンからジンへと渡された希望のバトンは、多くの犠牲をともなってその重みを増し、そしてエピソード4冒頭のレイア、R2-D2、オビワン、ルークへと繋がれていきます。そう、エピソード4も、実はこの「デス・スターの設計図」を反乱軍司令部まで届ける話なんですね。本作は単体での「特攻チームもの」としての面白さもさることながら、この「歴史的名作へシームレスにつながる」という点において、おそらく全世界のスター・ウォーズ・ファンを納得させるでしょう。わかってる!ギャレスはわかってるよ!!!最高!!!!

名作の言い訳としてのファンムービー

さらに本作が良いのは、そもそも「デス・スターがあんなに脆いのはわざとだったのだ!!!」という言い訳を無理なくはめ込んできた点です(笑)。わりと昔から、スター・ウォーズ好きで飲み会をすると定番になるネタは「ヨーダが一番悪い」というのと「デス・スターはヘボすぎる」というもの、あとは「イウォーク宇宙最強説」です。

この中でヨーダ戦犯説についてはもう擁護のしようがありません。アナキンがグレた理由はヨーダの頭が固い嫌がらせですし、弟子デューク伯爵と対決しても勝てず、挙げ句の果てにはラスボスの暗黒皇帝を追い詰めたのに油断した隙に逃したりしてます(笑)。

イウォーク宇宙最強説も、ある意味テーマに合致しています。スターウォーズは百姓一揆の話ですから、百姓の化身であるイウォークが弓矢とロープで帝国軍の最新巨大兵器を倒していくのも仕方ありません。

そうすると残るは「デス・スター弱点さらし過ぎ」という話になるわけです。本作はそこに後付けながら「実は反帝国軍の技術者が弱点を仕込んでいたのだ!」とし、さらにスター・ウォーズの根幹である「親子愛」をそこに絡めてきました。これはね、、、、あざといけど上手い(笑)。だってこれ誰も傷付かない完璧な言い訳ですもん。じゃあもう仕方ないよね、、、っていう説得力があります。めちゃくちゃ愛に溢れています。

【まとめ】

ということで、本作は最高のファンムービーです。期待以上というよりは、スター・ウォーズ・ファンが夢見ていた外伝に対する満額回答といった感じです。マジ完璧。これができるのなら是非ナンバリングタイトルもこのクオリティでひとつ、、、という期待を込めつつ、本気で猛プッシュお勧めします!!!!

私はしばらくレイトショーで通い詰めます(笑)。このクオリティなら本気で二桁回数見れます。まぁEP7もなんだかんだで二週間毎日見たのでアテになりませんが(笑)

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セルフレス 覚醒した記憶

セルフレス 覚醒した記憶

​今日は二本です。一本目はシャンテで

「セルフレス 覚醒した記憶」を見てきました。

評価:(75/100点) – 古き良きB級午後ロー映画


【あらすじ】

“ニューヨークを作った男”建築王のダミアンは、ガンに蝕まれ余命半年を宣告されていた。まだまだ若いもんには負けんという心意気はあるが、確実に死が近づいている。そんな折、彼の家にオルブライト博士の名刺が届く。博士は「人間の脱皮」として、魂を別の”器”へ移す研究を行っていた。人生最後の賭けとして、ダミアンは博士に依頼し、若い肉体への”脱皮”手術を行う、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ガンとオルブライト博士
※第1ターニングポイント -> ダミアンがキドナーとして生まれ変わる
第2幕 -> キドナーの生活と手術の秘密
※第2ターニングポイント -> マデリンとアナが誘拐される
第3幕 -> ラボへの潜入


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【感想】

今日はお休みをとって二本見てきました。一本目はターセム・シン監督の「セルフレス 覚醒した記憶」です。平日昼の回なのに意外と年配の方で埋まっており、ライアン・レイノルズ人気を感じました。

良きB級アクションSF

私、何が好きってB級SFアクションほど好きなものはありません(笑)。ターセム・シン監督といえばスローモーションの面白映像と気持ち悪い変なアーティスティック映像加工が特徴なわけで、それがSFアクションとくっついたら面白く無いはずがありません!

そんなこんなでかなり鼻息荒く見てきたんですが、これですね、すごい午後のロードショーっぽいんですね(笑)。面白映像はエッセンス程度に留まっていて、全体はこれでもかっていうミニマムかつバカっぽいアクション映画。肉弾戦と1:2カーチェイスが一番お金かかってるんじゃないかってくらいの節約っぷりで、前作「インモータルズ-神々の戦い-(2011)」とは180度違います。あっちはCGバリバリ、ケレン味たっぷり、話は一直線って言う王道の大作アクションエンタメ映画でした。対する今作は、もうユーロッパコープが作ってるんじゃないかっていうくらいアホっぽい体を張ったアクションです(笑)。

話はいたってシンプル。初代「仮面ライダー」と一緒です。主人公が改造人間になって、自分を改造した(=生みの親)悪の博士をぶっ殺しに行くっていう王道のエディプスコンプレックスもの。そこにさらに父と娘の確執と修復みたいなものも混ぜ、「親殺しかつ娘との仲直り」という世のお父様の不満を綺麗さっぱり解消する作品となっております。しかも、「まさかこのまんまなんてことないだろうな、、、」と不安だった私の懸念点も、最後にきっちり落とし前つけてくれました。ターセム!あんた、わかってる!わかってるよ!(サムズアップ)
作品のテーマとターゲティングが一致しすぎていて、あざとすぎるんじゃないかと思いつつ、泣いてしまいました(笑)。

いいキャラが勢ぞろい!

本作は、正直に言うと話は全部どっかで見たようなよくある内容です。それなのにめちゃくちゃ楽しく見られるっていうのは、やっぱり俳優さんたちの強度が素晴らしいからなんですね。

特にライアン・レイノルズ。ものすごいイケメンでガタイも良いのに、場面によってはタレ目かつ寄り目でちょっととぼけて見えたり、微妙に頼りなさそうに見えるんですね。この場面場面でガラッっと変わる顔の印象が、本作のような「巻き込まれ型」のサスペンスにはとってもハマってます。困ったな〜って言いながら危なげなく敵をなぎ倒していく感じが最高です。正当なリーアム・ニーソンの後継者です(笑)。

後は敵のマシュー・グードですね。「ウォッチメン(2009)」のオジマンディアスにしても、「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(2014)」のアレグザンダーにしても、こう何考えてるかよくわからん天才というか、淡々とモノ凄いことをやらかす雰囲気が100点満点です。無表情で目の焦点が合ってない感じですね。
もうね、この主人公と敵をキャスティングしてアクション物やろうっていう企画の時点で8割型勝ってると思います(笑)。

【まとめ】

B級アクションのお約束をちゃんと踏襲した上で安定して見せ場を供給してくれるとっても良い作品でした。大作感は全くないですから1800円出すにはちょっと、、、と思われてしまうかもしれませんが、見て損はありません。レンタルでも午後ロー待ち(※やるよね!絶対)でも良いので、ぜひ見て欲しい作品です。結構本気でオススメします!

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君の名は。

君の名は。

大変長らくお待たせいたしました。
本日は新海誠の最新作

「君の名は。」です。

評価:(59/100点) – 新海誠のメジャー・パッケージ化大成功!


【あらすじ】

飛騨のど田舎・糸守町に住む宮水三葉(ミツハ)は、いつもどおり朝起きて学校へ向かった。しかしクラスの皆の様子がどうもオカシイ。みんな口々に「昨日の三葉は変だった」というのだ。疑問に思いながらも授業を受けていた三葉は、ノートに奇妙な落書きを見つける。「お前は誰だ?」。
その夜、彼女は不思議な夢を見る。それは憧れの大都会東京で、男子高校生・瀧(タキ)として生活する、リアリティ溢れるものだった、、、。

【作品構成】

オープニング -> 2021年東京

第一話 -> 三葉と瀧、それぞれの入れ替わり
中間CMタイム -> 瀧としての目覚め
※第一話終了 -> 入れ替わりのルール決め。

第二話 -> 入れ替わりの終わりと飛騨への旅
中間CMタイム -> 一回目のバッドエンド
※第二話終了 -> 瀧が口噛み酒を飲む

第三話 -> 瀧の彗星避難作戦
中間CMタイム -> カタワレドキの邂逅
※第三話終了 -> 隕石が落ちる

エピローグ -> 再び2021年


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【感想】

紳士淑女の皆様、大変長らくおまたせいたしました。本日は、すでに公開から3日も経ってしまいました新海誠の最新作「君の名は。」です。客席はほぼ中高生で埋まっており、明らかに見た目がアレな大人は、私も含めて10人もいませんでした。ものすごい混んでまして、夜の回かつ500キャパの大箱だというのに、最前列でも両脇に高校生っぽい観客がいました。左隣が女の子だったのですが、第3話のラストでガンガン泣き出しまして、何故かなんかちょっと申し訳なくなってしまいました。「悪い大人でゴメンよ、、、」って感じで(笑)。そうなんです。本作は大変悪い大人が作ったとってもあざとい”良い話”です。そんなところも含めまして、書きたいことがいっぱいあるので早速本題に行きましょう。

なお、以降、多大なるネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。

まずは全体の概要から

まず、細かい話に入る前に、全体をざっくりと見ていきたいと思います。そもそもの「新海誠」という監督については「星を追う子ども(2011)」の時のブログ記事を見てください。

本作「君の名は。」は、新海誠の本来の作家性である「中二病的ロマンティックSFファンタジー」が最前面に出ています。相変わらず実写をトレースした高密度背景&CGモデルと、その上ののっぺりしたキャラ達。うざったいほどのモノローグと、かぶさるロキノン系音楽。これぞセカイ系という猛烈に閉じた関係性(今回は文字通り”己に入ってくる他者”との関係性)、そこに絡んでくる世界を揺るがす大規模な事件。すごい適当なシナリオと、めくるめく怒涛のエンディング。もうですね、「これが新海誠だ!」というエッセンスが振り掛かかりまくっており、誰がどう見ても紛れも無い新海誠印がここにあります。

私、前作の「言の葉の庭(2013)」を見ていないのでなんとも言えないのですが、なんかこう”やっちまった”感満載だった「星を追う子ども」から見事に持ち直してきたなというのが率直な感想です。

さらにですね、中身はもう完全に新海誠そのものであるにもかかわらず、外見のルックスはとっても「よく出来た普通のアニメ映画」なんですね。はっきりと、原画やキャラデザインがよく出来てます。さらにいままでのテーマであった「オタクの自己憐憫(ある意味自己完結した一方的な失恋)→大人への成長」から、本作では明確にハッピーエンドっぽい着地になっています。この辺は伊達に天下の東宝が絡んでないなと感心しました。ですから、本作は「新海誠作品の入門編」としては今のところベストです。新海誠という”超アクの強いオタク系監督”をいい感じに包んでメジャー・パッケージ化できてます。

いまから、私はちょいと文句を書きますが、そんなものはこの満員の劇場がすべて吹き飛ばす些細なことです。だって新海誠はメジャー監督への道を選んだんですから。売れた以上はこのアクの強い作家性が受け入れられたってことですから、これはもう大勝利です。

良かった所:中2病的ロマコメ要素がテンコ盛り

まずは良かった所を見ていきましょう。「君の名は。」で一番良かったのはやっぱりこの「中2病っぽさ」だと思うんですね。お互い一度も逢ってないのにお互いを好きだと思ってしまう部分とか、相手に逢うためだけに凄い遠くまで衝動的に行っちゃう感じとか、最後の猛烈に恥ずかしい告白とかですね(笑)。極め付きは三葉が髪を切って瀧と同じ髪型になるとこですね。失恋/好きな人と外見で同化するというペアルック願望。
こういう「オタクや女子学生が好きなツボ=そりゃ無いだろってくらいロマンティックな青春妄想」をことごとく抑えていて、「やっぱ新海誠は妄想力あるな~」と大感心して見ていました。はっきり言ってしまえば、本作は私自身も含めたオタクが好きなもの、そしてたぶん新海誠自身も好きな要素がゴテゴテに乗っかってるんです。そういった意味で、新海誠作品にとっては「キモい」はかなりの褒め言葉です(笑)。40歳すぎたオッサンが真顔で書いてる青春ポエムですからね^^;。

話のフォーマットはもろに「オーロラの彼方へ(2000)」ですし、二人の関係性は「ラーゼフォン(2002)」やその元ネタの短編「たんぽぽ娘(1961)」(※共に未来から恋人がやってきて片方を救う話)、彗星が降ってきて世界が滅ぶっていうのだと「トリフィド時代(1951)」とか「メランコリア(2012)」なんかもあります。入れ替わりとタイムスリップは言わずもがなの「転校生(1982)」と「時をかける少女(1983)」。思い出せないんですが、「祭りの日にデカイことが起きる」ってのもなんかよく見た覚えがあります。ラストシーンはみんな大好きな「バタフライ・エフェクト(2004)」ですよね。こういう好きだったものをコラージュして見せられると、その同世代感だけでもう細かいアラはいいかなってくらい優しい気持ちになれます(笑)。

もちろん、こういう青春妄想ストーリーって、まさに青春真っ只中の人にはビンビンに響くはずです。冷静に考えると結構無茶苦茶な話しなんですが、そんな事は気にならないくらい、後半は妄想要素の乱れ撃ちで無理矢理感動させにかかります。実際「泣いた!」「感動した!」っ子供達がいっぱいいるみたいなので、これは大成功だと思います。ツイッターに書きましたが、やってる事自体はパチンコ店やキャバクラが4つ打ち音楽で無理やり客のテンションを挙げるのと同じ原理で、「感動、カンドっ、感動、カンドっ(※”ドン・ちっ・ドン・ちっ”と同じリズムで)」ってやると何故か感動するという結構雑な手口です(笑)。予告にもあった「忘れたくない人!」「忘れちゃいけない人!」みたいなセリフの反復なんかはモロにこの典型です。
ただ、これなんか悪口みたいですが、全然悪い意味ではありません。万人受けを狙った結果だと思ったら個人的には全然許容範囲です。「あぁ、こういう事やるやる。」ってテンションです。

良くない所:作品構成について

私が見ていて一番驚いたのは、映画が始まってすぐにまんまTVアニメなオープニングが流れたところです。しかも本編のダイジェスト/見せ場の抽象イメージとしてのオープニングになっており、100%TVアニメでの作り方です。本作ですね、なんと作品構成が完全に30分アニメのフォーマットなんです。全体で110分くらいの作品なんですが、およそ1話20~30分で、エピローグだけ15分くらいの全3+1話で構成されています。なんか昔「ハナミズキ」でごちゃごちゃ書いた覚えがあるんですが、映画としてはあんまり好ましい構成ではないですね。とくに本作の場合は「テレビアニメ化」が徹底されていまして、わざわざ毎話15分目くらいに場面展開まであります。第1話だと、三葉側の視点が最初の15分で、瀧側の視点が残り15分です。ど真ん中でちゃんとシークエンスが変わります。さらにきっちり30分経つと急に入れ替わりルールの説明セリフがダーーーーーっと入りまして、エンディングのRADWIMPSが流れます。CMが入るんじゃないかと思ってハラハラしました(笑)。

CMってのは流石に冗談ですが、ではこの構成で何がまずいかというと、話が途切れちゃうところなんですね。本作での3話分は、わざわざ1話毎にストーリー/イベントが独立した仕様になってます。例えば、1話目は「二人の入れ替わりの面白さとルールを伝える回」、2話目は「急に入れ替わりが起きなくなって焦る回」。この両方共が独立しており、各話ごとにきちんと起承転結があります。これ、全体としてみると、結構無駄な描写が多いのに話が進まないのでイライラします。しかもそのしわ寄せが最後にきます。クライマックスの住民避難大作戦がすごい唐突に感じられるんです。作品の真ん中あたりから徐々にストーリーを展開させてけば良かったんですが、3話目の30分だけで作戦立案→準備→実施→結果とすべて完結させようとしているため明らかに時間が足りません。「テッシーやさやちんがよく協力してくれるな」とか、「いきなり爆破はおかしくないか」とか描写不足がそのままノイズになるんですね。これわざわざこんなTVアニメ形式の構成にしないで、普通に三幕構成に落とせば十分処理できる情報量だと思いますし、もっとスムーズに出来たと思います。正直な所なんでこんなにしたのか、あんまり意図がわかりません。1年後くらいに「3夜連続テレビ放送」とかする想定なんでしょうか?

※ 完全に余談ですが、変電所の爆破は、本作のベース元ネタ「オーロラの彼方へ」のオマージュです。

※ 2016年9月6日追記:監督インタビューを見ていたら、今回ターゲットを「学生向けにしてる」という話がありました。これ映画慣れしてない人が理解しやすいようにテレビアニメ3話連続形式にしたのかなと邪推しました。それならそれで子供舐め過ぎなので違うかもしれませんが、あくまで邪推で。

一応細かいツッコミをば

とまぁ構成にツッコミを入れたところで、次は細かいツッコミに入ります。

一番厳しいノイズは、話の根幹である「入れ替わる二人の時代が実は3年ずれてる」事にふたりとも全く気が付かないところです。二人ともiPhoneっぽい携帯電話を使っています。学校にも通ってます。そして少なくとも両方の家にはテレビがあります。バイトのシフトに入るのにカレンダーも見てます。この状況で、二人共が年号が違うって気付かない可能性がありますかね?ちょっと無理があります。教科書には必ず〇〇年度って入ってますし、そもそもなんかiPhoneの日記帳アプリみたいなのつけてますしね。ここはそもそもの話の核になる部分なので、それがガバガバなのは流石にちょっとどうかと思います。

付随するところで行くと、「三年前の日本全土で話題沸騰の天体ショー&大事故」をまったく知らない高校生ってどうなんでしょう。一回ミキ先輩とのデートで入った変な写真展でわざわざ特集コーナーまで見てるのに、まったく分からないんですね。これもちょっと無理があります。

最終盤で名前は忘れるくせに隕石が落ちることは忘れない三葉とか、アプリ上の日記は消えるのにマジックでかいた「ある言葉」は消えないとか(※たぶん消えるまでタイムラグがある設定)、初めて入れ替わった直後になんで学校へいったり電車に乗ったり日常基本行動ができるんだとか、わりとこの入れ替わり周りのところが雑な印象があります。

あとは肝心の巨大隕石ですよね。巨大隕石が落ちてきて数百人規模の被害者が出るってある意味爆弾みたいなものですから、自衛隊が迎撃しないのかな〜って言うのもちょっと思いました。分裂してから実際に落下衝突するまで結構時間ありますしね。しかも見た感じ1200年周期で落ちる恒例シリーズの第3弾っぽいので、少なくとも村長レベルで手に負える事態じゃないなと。
(※ちなみに第1弾は御神体のあるクレーター、第2弾はもとからある隕石湖。隕石同士が引かれ合うってのも一種の「結び」ですね。)
もともと真面目にSF考証をするつもりが無い作品なので別にいいんですが、お話本筋のノイズになるレベルではなんかちょっと引っかかります。

でもそんなのどうでもいいんだよ!って話。

ただ、この辺のアラは「細かいストーリーなんてどうでもいいんだよ!」で済んじゃう部分でもあります。本作ではキーワードとして「結び」というのが出てきます。劇中ではかなり便利に使っていて定義が怪しいんですが、「運命の糸」「超常的なパワーによって人やモノが結びつくこと」「時間そのもの」みたいな万能な意味で使われます。これは結構逃げワードとしての破壊力がありまして、なんでもかんでも「だって結びだし」「結びの神様が適当にやってくれたんでしょ」で終わらせる力技が可能です。運命には過程も理屈も無いですからね。作品内でこういうエクスキューズを用意しておくっていうのは本当は反則なんですが、本作に限って言えば、「“理屈”より”情(じょう)”を優先させる」という宣言にもなっているので効果的だと思います。そして、この「”理屈”より”情”を優先させる」事自体が、まさに「セカイ系」の王道ど真ん中なわけです。

基本的にいままでの新海作品も、クライマックスの「盛り上げ」をやりたいだけでそれ以外はただの前振り・舞台設定です。「秒速5センチメートル(2007)」が公開された時に、「イントロが50分ある山崎まさよしのPV」と言われましたが、相変わらずやってることは一緒です。ただ今回は「イントロが90分あるRADWIMPSのPV」にはなって無くて、ちゃんと「前振りを90分したうえでの感動の乱れ撃ち!」として抽象・一般化されています。より作家性がマイルドに表現されているわけです。実際、「秒速5センチメートル」は山崎まさよしにがっつり乗れないと厳しいですが、本作は別にRADWIMPSが好きじゃなくても大丈夫です。ただ、その分、強烈なロマンチシズムに乗る必要があります。

この映画は、2021年の東京で、三葉と瀧が喪失感を感じながら目覚めるところから始まります。本編はほぼ全てが(忘れてしまった)回想で、最終的には再び2021年に戻ってきます。ですから、この映画はあくまでもこの2人の喪失感が何かを明らかにし、そしてそれが埋まるまでの話なんですね。

結局、本作のロマンチシズムって「僕達が一目惚れをした時、または運命の人だと思った時、実は記憶を亡くしているだけで物凄い大宇宙的なバックボーンがあるかもしれない」ってとこなんです。

“運命の二人”というロマンチックなシチュエーションに乗れるかどうかだけ。そりゃバイブスに乗っかれた人は熱狂しますよね。「なんか良くわからんけど感動した!超傑作!」って。テーマ自体は普遍的といってもいいかも知れません。逆にこれに乗っかれなかった場合、どうしてもアラが気になっちゃって「なんじゃこれ?無茶苦茶じゃんか」となるわけです。

【まとめ】

本作は、本当に「新海誠作品の入門編」として最適な一本です。彼のフィルモグラフィの総決算でありながら、一方でちゃんと”大衆向け”にメジャー・パッケージ化されており、そりゃ大ヒットしてもまったく不思議ではありません。大人が真面目にみるにはちょっとアレですが、少なくともティーン・エイジャーには間違いなく記憶に残る作品になるんじゃないでしょうか?

こういう作家性の強い=アクの強い監督って、「いかにアクを損なわずに大衆化するか」っていうのが一番苦労する所です。「星を追う子ども」は大衆化を狙いすぎてただ気持ち悪くなっちゃったわけですが(笑)、本作はそのバランスが完璧だと思います。

そういった意味でも、今後の新海作品が非常に楽しみです。次作も引き続き「スレ違い続ける青春妄想ほろ苦SFラブファンタジー」をやるのか、それともまたジュブナイル的なものにリベンジするのか。監督としては次がキャリア勝負の分かれ目です。ティーン・エイジャーは是非是非、夏休みの間に御覧ください。猛プッシュオススメします。大人は夏休みが終わって落ち着いてからですかね(笑)。アルコール入ってるといい感じにアラをスルーできると思います。おすすめします。

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記事の評価
インデペンデンス・デイ: リサージェンス

インデペンデンス・デイ: リサージェンス

今日はいまさらですが

「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」をみました。

評価:(62/100点) – いつまでも変わらない味。エメリッヒの味。


【あらすじ】

エイリアンの侵略から20年。人類はエイリアンの残した残骸からテクノロジーを研究し、再襲撃に備えていた。ちょうど20周年を迎えるアメリカ独立記念日を控え、月にエイリアンの宇宙船が現れる。一方、地上でも不可解な現象が起き始める。コンゴで壊れた宇宙船が突如再起動し、エイリアンにゆかりのある人々は共通するナゾの模様を夢に見ていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 月でのできごとと、アフリカのエイリアン船。
 ※第1ターニングポイント -> 巨大エイリアン船が攻めてくる
第2幕 -> 宇宙船破壊作戦と白い球
 ※第2ターニングポイント -> ジェイク達が宇宙船を脱出する。
第3幕 -> クイーンエイリアン破壊作戦


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【感想】

本日はいまさらではありますが「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」を見てきました。もうぼちぼち公開が終りそうになっており、今日も劇場はガラガラでした。1996年の「インデペンデンス・デイ」の続編で、監督もエメリッヒ、脚本もディーン・デヴリンと、まったく同じ布陣です。キャラクターも引き続き登場が多く、前作キャラの娘・息子も登場するなど完全にファンムービーに仕上がっています。

そういった意味では、劇中にもあるように、これは「インディペンデンス・デイ20周年記念」以上のものではありません。前作を見ていない場合には、まずそちらをチェックすることをおすすめします。

ファンムービーとしての続編:ほぼリメイク

「スカイライン -征服-(2010)」の時もちょろっと書きましたが、もともと前作「インディペンデンス・デイ」はいわゆる侵略SFというジャンル・ムービーです。そしてアメリカの9.11テロ前夜の、このジャンルが一番”調子に乗っていた”時期の代表作です。なんかよくわからんエイリアン達を大統領を筆頭にした”大正義アメリカ軍”が無邪気にぶち殺しまくり、退役軍人の”パイセン達”も青春を取り戻すように張り切り、ほんとうにお祭りとしての侵略SFです。これが9.11を境にジャンル自体が一気に暗く・重くなっていくわけです。「インディペンデンス・デイ」の続編を今あえて作ると聞いた時、もしやこんなのまで暗くなってしまうのではないかと一抹の不安がありました。

結果ですが、これ全然暗くないです。っていうか前作のテイストと全く一緒。キャラ達みんな楽しそう(笑)。「もう15年も経ったしそろそろ良くね?」みたいな開き直りに見えて、ちょっと安心しました。
ストーリーはほぼ前作と一緒です。なんかわからんエイリアンが急に来て、あぶないから米軍でぶちのめしちゃおうかなっていう、、、まぁいつものアレです。前作からの違いはとにかく宇宙船がデカいこと。ほぼ地球の1/4ぐらいを覆うほど大きく、単船でロンドンのビッグベンからシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズまでを覆い尽くします。そして今回もバリアを張ってきますのでお約束で単騎特攻もあります。前作のキャラ一人一人にちゃんと見せ場が用意され、ギャラの関係で死んだことになったウィル・スミス以外はほぼ勢揃いです(笑)。そういう意味で、本作はリメイクみたいなものであり、20周年記念続編ファンムービーとしては文句の無い構成です。

変わらない味。エメリッヒの味

さて、ここからが本題です。ローランド・エメリッヒという監督さん、みなさんはどんなイメージがあるでしょうか?一番多いのは「ディザスター・ムービーでいつも地球を壊してる人」っていうイメージでしょうか。個人的には「ユニバーサル・ソルジャー(1992)」と「スターゲイト(1994)」は小学生の時に見てかなり好きでした。
このエメリッヒという人はもう60歳なんですが、本当にいつ見ても、どの作品を見ても、おもいっきり作家性のある人です。というか滲み出てくる”味”があるんですね。その話をしたいと思います。

エメリッヒ作品を一言で表すと「大味バカ映画」です。

この人は毎回必ずとてつもないスペクタクル感を出してきます。すっごいでかい何かが出てきたり、ものすごい大げさなギミックがあったり、とにかく「ハッタリという名のサービス精神」が溢れすぎてるんです。今回は超巨大宇宙船にプラスして、そんなエイリアン達に対抗するための「全宇宙エイリアン対抗組合」みたいな存在まで出てきます。もうね、スケールがでかすぎます(笑)。ただの町内会じゃなくて「全宇宙エイリアン対抗組合」ですよ。聞いただけでも男心が疼きます(笑)。そして宇宙船は地球のコアに向かってレーザー削岩するんですね。格好いい!っていうかスケールでかっ!!!

ところが、こういった超大きなハッタリに対して実際に起きる事件というのは、「バスに乗り遅れたワンちゃんがエイリアンに踏まれちゃう!助けなきゃ!!」とか、「やばーい!出口がしまっちゃう!でなきゃ!!!」とか「エイリアンが来たぞ!水に潜って隠れろ!!!」とか「やばい、、、車がガス欠だ、、、」とか、とにかくショボい(笑)。そう、このギャップがエメリッヒなんですね。すごい風呂敷広げまくるくせに、やってることはドン引きするぐらい小さい事っていう。「地球の命運がかかってるんだから犬一匹ぐらいほっとけよ!」って思っても、ちゃーんと助けに行くんです。それも重大ハラハライベントとして(笑)。

さらに凄いのは、エメリッヒさん、細かい設定には全く興味がないんです(笑)。「地球に穴開けていったらマントル吹き出ちゃわね?」「宇宙船に無防備な出入り口がありすぎじゃね?」とかそういうのは全く興味ない(笑)。エメリッヒ映画はよく「ご都合主義がひどい」と言われることがあるんですが、ヘタすると本人は「ご都合主義」だと思ってない可能性があります(笑)。「2時間で収めなきゃいけないんだから細かいこと言うなよ~」「ほら、突撃!入った入った。おけーい」ぐらいの相当軽いノリで作ってます。

こういった「大味」な部分を微笑ましく見られるか本気で怒るかで、エメリッヒの評価はガラっと変わります。個人的には結構好きなんですが、さすがに今回はちょっとバカすぎるかな、、、と思うこともしばしば(笑)。

本作「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」は、いつものエメリッヒに輪をかけて展開が雑で行き当たりばったりです。白い玉があんまり役に立たないとか、ラスボスのはずのクイーンエイリアンが急に特攻してきたりとか、そうこうしてたら捕まえたエイリアンが逃げちゃったりとか、イベントが急に来て急に解決するんですね(笑)。たぶんキャラをみんな活躍させようと思って詰め込みすぎちゃったんだと思いますが、詰め込んだ割には本筋の内容は全然無いな~とか本末転倒です。

【まとめ】

本作はあんまり評判がよろしくないようですが、私はむしろエメリッヒ節が全開すぎて微笑ましく見られました。よく言う「お酒を飲みながら盛り上がれるクソ映画」ってやつです。突っ込みどころしか無いので、知人と見に行って、終わった後にあれやこれやツッコミいれまくると楽しめるのではないでしょうか? 個人的にはかなり好きな作品です。

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