シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

久々の更新はこちら

「シン・ゴジラ」です。

評価:(100/100点) – 熱血”躁”ムービーの傑作!


【あらすじ】

東京湾羽田沖で謎の水蒸気爆発が起きた。政府は緊急で会議を招集するが、海底火山か、はたまた謎の原子力潜水艦潜の事故か、まったくわからない。そんなおり、ネット上の動画サイトに現場の映像があがる。そこには巨大生物と思われる尻尾のようなものが映っていた。水生生物が陸上にあがったら自重で崩壊する。そんな希望的観測を尻目に、生物は多摩川を昇り大田区に上陸する。それは、ウツボのようにのたうち回りながら這いずる、恐ろしい怪物だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 水蒸気爆発と、謎の怪獣の上陸
 ※第1ターニングポイント -> 怪獣が東京湾に帰っていく
第2幕 -> 政府対応と怪獣の再上陸、矢口プランの進行
 ※第2ターニングポイント -> 矢口プラン改めヤシオリ作戦の準備完了
第3幕 -> 最終決戦「ヤシオリ作戦」


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【感想】

昨日はレイト・ショーでシン・ゴジラを見てきました。最近あんまり長文を書きたくなるテンションの映画がなかったのですが、このシン・ゴジラはですね、久しぶりに書かざるを得ないというか、なんかこうスクリーンの熱血がそのままこっちに乗り移るような、とてもエモーショナルな映画でした。まるで劇中でゴジラが自身の熱核エンジンの放熱のために口から火炎を出すように、私も叩きつけられた「熱血」を吐き出さないとどうにも収まりがつきません(笑)
ということで、いつものお約束です。
これ以降の文章は、ほぼ最後の部分までのネタバレを多大に含みます。未見の方はご注意ください。とはいえ、本作の根幹はとてもシンプルなストーリーです。そして、一回の鑑賞で全部を拾うのは無理なほど、細かいディテール=オタクマインドでゴテゴテに装飾されています。ネタバレが作品の価値を削ぐたぐいの物ではないという言い訳をしつつ、書いていきます。悪いことは言いませんので、絶対劇場で見た方がいいです。大画面で、大音響で、このフィルムの熱量に当てられてこその作品です。

ハリウッドへの対抗=作品のピュア化という疑い(笑)

皆さん、昨年の映画を思い浮かべて下さい。「ハリウッド作品以外で世界的に大成功した作品」というと何を思い浮かべるでしょう?私がこのシン・ゴジラを見て真っ先に思い浮かべたのは、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でした。作品の根幹にドンと大テーマを据えて、そのまわりを限りなくピュアな要素で埋め尽くす。万人への受けを狙うのではなく、監督自身が好きなもの、好きなディテールを素直に全力で押し出し、観客はその熱量を正面から”叩きつけられて”興奮する。こういうある種のアトラクション・ムービーです。

本作のテーマは「熱血からくる人間の団結力」です。ポスターに「現実vs虚構」というキャッチコピーがありますが、正直あまり敵側(ゴジラ側)は関係がありません。人間側が団結して力を発揮した時、もう勝負はつきます。
本作は、いろいろな立場の人間達がいろいろな行動原理(※もちろん保身であったり建前であったり)で動きながらも、結局は己の意思で団結し、自分にできるベストを尽くして勝利を得るという、これ以上ないほどのカタルシスにつつまれた作品です。最終盤にそれまで頼りなかった総理代理がフランス大使に頭を下げて最敬礼するシーンが映りますが、これほどまでに格好いい土下座(※土下座ではないですが、精神的には土下座ですw)はあったでしょうか? これぞ漢の信念の土下座外交です。
この「己の信念にしたがって全力で行動する」ことこそ「熱血」の根幹であり、そして各人の「己の信念」がヤシオリ作戦へと収束していくところが「シン・ゴジラ」の最大の美点です。本作に対して、人間ドラマが足りないとか、庶民の愛憎(家族愛とか)が無いとか、そういう批判が出ることが正直よくわかりません。これほど人間ドラマに溢れ、これほど人間賛歌に徹底している娯楽作品が他にあるでしょうか?

ハリウッド・メソッドに忠実な構成

本作の素晴らしさに、映画構成の完璧さがあります。本作は一見するとずーっとセリフ劇が続くように見えますが、構造が非常にシンプルでしっかりしているため、まったく飽きることがありません。

一幕目では謎の怪獣が東京湾に出現し、大田区→品川区と街を壊していきます。この時、政府の対応はというと、異例の事態で法律がないとか、どの省庁の管轄になるかとか、学者を呼んで意見を訊くとか、本当にどうでもいいプロセスに終止します(笑)。このパートは「お役所ギャグパート」としても成立していまして、まさにハリウッド・メソッドで言うところの、「笑いは一幕目に固めるべし」というセオリーそのままの構成です。

これが二幕目に入りますと、主役である矢口蘭堂が正式にゴジラ対策プロジェクトの担当に任命されて、変人たちを集めた越境特別チームを動かし始めます。このパートでは徹底して「政府本丸」と「特別チーム」の対比が描かれます。政府側が法整備を進め組織としての体裁を保ったままで「正式な対応」を進めるのに対して、特別チームは「人事査定には関係ないから忌憚なく意見して好き放題動いてくれ」と現場の個の力を頼りに研究を進めます。そして、問題の石原さとみ扮する「カヨコ」が登場します。彼女はアメリカ大統領の特使というバリバリの権威側として登場しながらも、「タメ口でいいわよ」という一言で特別チーム側の価値観であることを表明します。
ここではギャグは段々と鳴りを潜め、シリアスな展開が続きます。きちんとミッド・タ―ニングポイントで「ゴジラの再襲撃→多摩川防衛のタバ作戦」という盛り上がりもあり、そして本作一番の盛り上がりどころ、ゴジラの放射熱線が入ります。この放射熱線にしても、プロレスで言う所の「ハルク・アップ」というか、ピンチからの一発大逆転というある種のカタルシスがあります。そしてその後の闇夜に浮かぶ神々しいまでの立ち姿は、まさに「ラスボス登場」を思わせる絶望の象徴であり、これこそ「団結しないと勝てない」ことをまざまざと見せつけてくるわけです。

そして二幕目の終盤、「私は好きにした。君たちも好きにしろ。」という牧悟郎博士の遺言をキーワードに、政府側も含めた全ての人物が「自分達の意思で」団結し、そして官民一体かつ統一目的意識で組織化された「ヤシオリ作戦」が開始するわけです。

ついにやってくる怒涛の三幕目、新幹線の突撃や「無人在来線爆弾」など、”これぞセンス・オブ・ワンダー”というオタクマインドにあふれた攻撃で、スクリーンは埋め尽くされます。ここまで来ると、もはや完全に祭りです(笑)。まさにピュアな意味での「熱血」。とにかく「やっちまえ!」というテンションだけの至福の30分です。
そこまでの展開との壮絶なギャップにニヤニヤしつつ、溜めに溜めたストレスを全力で放出する最高の時間です。はっきり言って三幕目は急に頭が悪くなり、スクリーン全体が幼児退行します(笑)。このピュアさがまたぐっと来るんですね。だって「無人/在来線/爆弾」という単語の繋がりを、どの大人が会議室で思いつきますか? 好きじゃなければ出てこない単語です。いままでのシリーズで散々踏み潰されてきた在来線が、ついに復讐するこのカタルシス!そして絵面の格好良さ!

庵野監督はいわゆる熱心な「信者ファン」が多いことでも有名ですが、やっぱりこういう自分の趣味全開の熱量を臆面もなく出してくるクリーエーターは、それだけで十分に価値があると思います。だってそれこそが「作家性」っていうことですから。

【まとめ】

私はあまり熱心な特撮/ミリタリーファンではないのですが、このテンションは最高に楽しめました。もちろんゴジラフリークの方からすると「こんなのゴジラじゃない!」みたいないつものパターンになるのかもしれませんが、ある意味「作家性」が「ゴジラ」を塗りつぶしたという事ですからまったく問題無いと思います。一応形式的に指摘しておけば、本作のゴジラが何故東京を目指したのか、そして最後に何故皇居へ向かったのかは特に説明はありません。そして本作が福島第一原発事故を意識しているのも疑いようがありません。このゴジラの「目的のわからなさ」こそが恐怖であり、そして最後に「一時停止させただけで根本的な脅威は残っている」という状況に繋がります。どうしようもないものや得体のしれないものに対峙して、人間が団結する。これこそ人間賛歌どまん中ではないでしょうか?

取り留めもなくなってしまいましたが、本作は最高の大娯楽作品です。日本映画だって全力で娯楽作品つくれるんじゃん!という希望に満ちた素晴らしい作品でした。「熱血」ってある意味「過剰さ」が肝だとおもうんですね。本作の「熱血」を堪能するなら、大画面大音響が絶対必要だと思います。是非劇場で御覧ください!

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記事の評価
トランスフォーマー: ダークサイド・ムーン

トランスフォーマー: ダークサイド・ムーン

はいはいどんどんいきましょう。続いてはマイケル・ベイの超絶アホ映画。

トランスフォーマー:ダークサイド・ムーン」です。

評価:(75/100点) – 夏だ!一番!マイケル・ベイ祭り!!


【あらすじ】

前作から数年後。オプティマスらのオートボットはアメリカ政府に協力して、世界各地で平和のために戦っていた。
ある日、いつものように敵を探しにチェルノブイリ原発跡に潜入したアメリカ軍とオプティマスは、そこで新たな巨大ディセプトコンと遭遇する。
ディセプトコンをなんとか撃退した彼らが見つけたのはかつてサイバトロン星から最後の希望として脱出した宇宙船アークの運搬物だった。
何故アークの残骸が地球にあるのか?その謎が明かされた時、かつてのアポロ計画の全容が明らかになる、、、。


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【感想】

さてさて、7月最後に見たのはマイケル・ベイのバカ映画シリーズ3作目、「トランスフォーマー:ダークサイド・ムーン」です。3D映像を前面に出したプロモーションをしていまして、いろいろと不安は一杯あったんですがとりあえず行ってみました。初日ということもありお客さんはかなり入っていました。てっきり前作「トランスフォーマー:リベンジ」のあまりの出来でもう飽きられてるかと思ってたんですが、意外や意外。なんというか、、懲りないというか、大作に弱いというか、、、。でも個人的には見て大正解だったと思います。相変わらず脚本はズタボロですが、3Dも相まってお祭り感がとんでもないことになっています。超躁状態。超ハイテンション。そして超頭が悪いw まったく問題無いと思いますw

「好きなものを詰め込む=俺だけの祭り」というサービス

本作にもし自分がサブタイトルをつけるとしたら「マイケル・ベイ リサイタル」です。この作品はとにかく過剰なサービス、つまりドラえもんの「ジャイアン・リサイタル」的な過剰なサービスに溢れていますw
「おまえら女の子は好きだろ。よし、尻とおっぱいを3Dで飛び出しとくぞ!」「おうおう。おまえらロボットも好きだろ。良し。じゃあ今度はもっと細かく書いといてやろう。」「そうかそうか。やっぱりおまえら侵略SFも好きだよな。おれも大好きだ。じゃあ宇宙戦争を入れとくか。」などなど。本当にこんな感じで悪意の無い過剰サービスに涙が止まりませんw
おばぁちゃんもうお腹いっぱいだからおかわりはいいって。え、おはぎもう一個? じゃあ一個だけね。えぇ!?スイカもあるの!?あ、じゃあ後で食べるから置いといて、、、。
気付くとどんどん後回しになっていて、どんどん上映時間が伸びていって、そしてどんどん最初の目的から脱線していきますw
ですから、本作をどう表現するかはすごく難しいんです。いわゆる「映画として良く出来ているか」で言えば
全然ダメです。文字通り話しになってません。でも「面白いか」って聞かれればこんなに面白いお祭りは他にありません。だってロボットがワイワイ活躍して、美女が周りをウロウロしていて、イケすかない奴はみんな痛い目をみるんですよ。こんな爽快でこんなに頭の悪い映画は他にありませんw
そもそもからして、開始早々に某ユダヤ人問題で降板したブルーカラー・セクシーのミーガン・フォックスをいきなりビッチ呼ばわりした挙句に貴族でお嬢様のロージー・ハンティントン・ホワイトリーが代わりの恋人として出てくるわけですよ。この半笑いで悪ふざけのキャスティング。絶対にミーガンはこの当て付けにムカついてると思うんですが(笑)、こういうことをやってくるこの悪ふざけセンスが始終続きます。ですから、なんというか真面目に突っ込んだら負けな気がするんです。どっカーン!ちゅどーん!いぇーい!で、エンディングロールw
100%良いと思います。
そりゃあね、最後に敵を倒すのがあっさりしすぎて雑魚にしか見えないとか、そもそも書き込み過多な上に3Dで雑然としてるからロボットキャラの区別がつかないとか、いろいろ言いたいことはあるんですよ。マルコビッチがなんだったのかもよくわからないですし、なんかパトリック・デンプシーも最後で帳尻を合わせただけみたいに雑ですし。でも良いんです。お祭なんです。だからこっちも乗っかっときましょう。
踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!!!!

【まとめ】

右手にポップコーン、左手にコカコーラを抱えて劇場へダッシュです。あとお祭なので2Dはオススメしません。ぶっちゃけ話しとしては3Dの必要はまったくないのですが、毒を喰らわば皿までです。せっかくじゃんがらラーメン全部のせを頼んだのに、味薄めにしてもしょうがないじゃないですかw 思いっきりニンニクも放り込みましょうw どうせ話しは破綻してますし、全てはその場その場の勢いだけです。でもその勢いがとんでもないレベルの勢いなため、不思議な説得力と満腹感があります。
オススメです!!!

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アイ・アム・ナンバー4

アイ・アム・ナンバー4

やっつけ仕事パート3は

アイ・アム・ナンバー4」です。

評価:(85 /100点) – ジョックス共よ、帰宅部の本気を見せてやる!!!!


【あらすじ】

宇宙の侵略者モガドリアン達によって故郷をまさに破壊されようとしていたロリアン人たちは、最後の希望を9人の子供達に託し守護者と共に地球に避難させることにした。
それから十数年、ナンバー4と呼ばれるロリアンの少年は、偽名を使いながら父親代わりのヘンリーと逃走生活を送っていた。ある日、いつものように転校してきたオハイオのパラダイス高校でジョン・スミス(=アメリカ人の典型的な偽名。山田太郎みたいな感じ。)と名乗った彼は、学校でカメラマンをするサラと出会う。ミステリアスなジョンの雰囲気に魅かれるサラと良い感じの雰囲気になるものの、彼女にはアメフト部のエースで学園を牛耳る元カレのマークが居たのだ! マークはあまりの傲慢さからサラに振られたにも関わらず、まだまだ未練タラタラでちょっかいを出してくる。やがてジョンがロリアン人としての真の力に目覚めるとき、世を忍ぶ帰宅部員vs学園ナンバーワン・ジョクスの究極の恋愛闘争が始まる!! 果たしてジョンはマークを倒せるのか!? サラとの恋の行方は!? そして蚊帳の外におかれたモガドリアン達のロリアン人狩りは成功するのか!? 今、宇宙を揺るがす戦いがオハイオ州パラダイス高校のアメフト場で切って落とされる!!!!!!


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【感想】

さて、やっつけ仕事の3本目は「アイ・アム・ナンバー4」です。本作は一見すると超能力ヒーローものかと思いますが、実際には正当な学園ラブコメとなっています。あきらかにスーパーマン・クラーク=ケントを意識した設定で登場するナンバー4・ジョン=スミスは、転校早々にちょっと問題児っぽい美人カメラマンのサラ(=これがモロにスーパーマンのヒロイン・ロイス)と陰謀論者兼SFオタクでいじめられっ子のサムと出会います。この3人組とサラの元カレにしてジョックス代表のようなイケ好かないマーク&取り巻きとの戦いが作品の大部分を占めます。すなわち、ナードとジョックスが学園有数のプロム・クイーンを奪い合うという典型的なラブコメものです。ここに宇宙からの侵略者・モガドリアンが入り乱れて、非常に大がかりな大スペクタクル・アホ大戦が始まりますw アメフト野郎は終始情けない醜態を晒し続け父親にまで泣きついたあげくにモガドリアンに一蹴さられてしまいますし、ラストには聖地・アメフト場がジョンの本気によって見るも無惨な大爆発を起こしてしまいます。この作品を書いた人は本当にジョックスが嫌いなのねw
一方のナード軍団はパラダイスです。ジョンはきっちりサラをゲットしますし、なんとオタクのサム君にもスレンダーなのに超強いワイルド系美女・ナンバー6・ジャン・ドー(山田花子的な偽名)が割り当てられます。つまりナード軍団完全勝利!小五月蠅い保護者も居なくなって、ジョックス共はボコって改心、完全なるパラダイスが待っています!!
ということで、ヒーローモノかと思ったら実は頭の悪い童貞バンザイ映画だったわけです。つまり、、、、我々の大好物!!!!!
オススメです!!!! 絶対オススメです!!!!!

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マイティ・ソー

マイティ・ソー

土曜は手始めに

マイティ・ソー」をみました。

評価:(60/100点) – アベンジャーズの前振り第2弾!


【あらすじ】

全知全能の神にしてアスガルドの王・オーディンの息子として生まれたソーは、その奔放な暴れっぷりから父にいまいち信用されていなかった。そんなソーに王位を譲ろうとするまさにその日、霜の巨人・ヨトゥンがアスガルドに侵入してくる。簡単に撃退したものの、怒りの収まらないソーはオーディンの制止を振り切って、仲間を引き連れてヨトゥンハイムに殴り込みをしてしまう。ついにオーディンの怒りに触れてしまったソーは、罰としてミッドガルド(人間界)へと追放されてしまう。
力を奪われて人間となったソーは天文学者のジェーンに拾われる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ヨトゥンの侵入とソーの殴り込み
 ※第1ターニングポイント -> ソーがミッドガルドに追放される。
第2幕 -> ムジョルニアとS.H.I.E.L.D.とロキの暗躍。
 ※第2ターニングポイント -> ロキがミッドガルドにガーディアンを送り込む。
第3幕 -> ロキの真の目的とソー。


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【感想】

土曜の一本目は「マイティ・ソー」です。「雷神ソー」の名前で有名な古典的アメコミの実写化で、来年のアベンジャーズへの前振り第2弾です。アメコミものとしては劇場が7割ぐらい埋まっていましたので結構入っている方だと思います。
本作は非常に書きにくい作品です。というのも、単体の映画として見た場合、正直なところあんまり出来が良くないんですね。全体的に非常にあっさり話が進んでいきますし、そもそも前提として北欧神話の世界観がある程度分かってないときついです。何の説明も無しに「オーディンの眠り」みたいなネタが普通に登場しますから。
基本的には「やんちゃなマッチョ系神様のソーが地球に下りてきて人間的な心に触れることで思いやりを知る」という成長物語です。なんですが、いまいち盛り上がらないのはその決定的な成長の瞬間がショボイからです。ロキが「親父、死んじゃったよ」って言っただけで改心してしまいますから。それってミッドガルドがあんまり関係ないですし、あまりにも普通すぎてイマイチ成長した感じがありません。そして当たり前なんですが、さすが北欧神話最マッチョの雷神ソーだけあって、最強ハンマー・ムジョルニアを手にするとまったく敵がいません。楽勝で次々と敵を倒していきます。一番盛り上がるはずのソーの復活までに至るカタルシスがちょっと弱くて微妙な雰囲気になります。
一応原作のコミックではソーがミッドガルドに追放された際はドナルド・ブレイクという足の不自由な人間の姿にされるわけですが、本作ではマッチョなまんまで人間界に落とされるため、それはそれで問題無く活躍してしまいます。ここはかなり押しが弱くなっており、ソーがいまいち成長したように見えない原因になっています。
とまぁあんまりな感じなんですが、本作は単体の映画というよりは来年公開の「アベンジャーズ」への前振りなわけで、そう考えると突然面白くなってきます。本作でも相変わらず大ヒーロー本部「S.H,I.E.L.D.」が超常現象に目を付けて調査しに来ます。ここはアベンジャーズ系の前作「アイアンマン2」のエンドロール後にあったシーンから繋がるストーリーです。劇中では「政府系機関」としか語られませんが、アベンジャーズを心待ちにしているアメコミファンからすればS.H,I.E.L.D.の登場は「待ってました!」っていう展開なわけです。
でまぁハッキリといってしまえば、本作での「S.H,I.E.L.D.」の扱いを見れば明らかなように、本作は単体の映画として面白くする気よりはやはり「アベンジャーズ」のための顔見せの色合いが大変強くなっています。なので、多少つまらなかったとしてもそのアベンジャーズへの期待だけで結構ニヤニヤしながら見られてしまいます。ただ、やっぱりその変の事情が飲み込めている前提での映画ですので、アメコミファン以外にはちょっとオススメしづらいです。
もしアベンジャーズが良く分からないと言う方は、とりあえず「アイアンマン」「アイアンマン2」を先にレンタルDVDで見ておくと良いと思います。一応単体でも成立してはいますが、ネタとしてはアイアンマン2からの繋がりになっています。
ちなみに、予告を見る限りだとアベンジャーズ系の次作「キャプテン・アメリカ」は普通に第2次大戦中の話っぽいので、おそらく原作同様に「キャプテン・アメリカ」のラストで主人公スティーブが冷凍催眠に入って時代を超え、ここから一気に現代でトニー・スタークとソーとスティーブと超人ハルク・ブルース・バナーが連合を組む話に繋がっていくはずです。
あくまでも前振りではありますが、アメコミファンはとりあえず押さえておくべき作品だとおもいます。
それにしても、ここまで前振りを大々的にやりまくると「アベンジャーズ」のハードルはガンガン上がっていっていまかなりの所にあります。ジョス・ウェドン監督は大丈夫なんでしょうか? ウェドン監督がマーヴェルに追い込みを掛けられているようにしか見えませんw 「トイ・ストーリー」の脚本家ですので大丈夫だとは思うんですが、、、ちょっと心配になってきます。
ということで、来年のアベンジャーズへの気持ちとハードルを上げるために、とりあえず劇場に駆けつけましょう。オススメです。

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記事の評価
SUPER8

SUPER8

さて2本目のこちらが大本命です。

そう「SUPER8」です。

評価:(89/100点) – スピルバーグ的なパブロフの犬


【あらすじ】

時は1979年オハイオ、田舎の炭鉱町。13歳のジョーは母親を事故で亡くしてしまう。父親とはあまり上手くいかず、唯一の楽しみは大好きな特殊メイクや模型制作の腕を活かした友人達との映画作りであった。
ある日真夜中の停車場で撮影中に、突如通りかかった空軍の輸送列車にトラックが突っ込んで大惨事を起こすところに出くわしてしまう。その日から町には不思議な事が起き始めた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 母の死と映画作り。
 ※第1ターニングポイント -> 空軍輸送列車の脱線事故が起きる。
第2幕 -> ジョーとアリスと列車事故のその後。
 ※第2ターニングポイント -> オペレーション・ウォーキング・ディスタンス開始。
第3幕 -> アリスの救出と結末。


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【感想】

今日の2本目はJ・J・エイブラムスの新作「SUPER 8」です。プロデュースにスピルバーグが名を連ね、エイブラムスのバッドロボットとスピルバーグのアンブリンの共同制作となっています。昨年から予告編が大きく話題になっていた期待作で、平日の昼間の回なのに8割方お客さんが入っていてちょっとびっくりしました。
なお、これ以降、いつもどおりネタバレが含まれます。完全に青春・ヒューマンドラマですのでネタバレがあってもあまり問題はないとは思いますが、未見の方はお気を付け下さい。一部であんまり評判が良くないみたいですが、私個人としては十分に今年のトップ10に入ってくる映画だと思います。懐古主義なだけと言われればそうかもしれませんけどねw

本作の概要

本作はタイトルの「SUPER 8」の通り、8mmで自主制作映画を作る少年少女達の物語です。主人公のジョーは13歳の春に母親を亡くし、以後保安官の父親と二人暮らしです。しかしながら父親とはあまり上手くいきません。いつも母の形見であるペンダントを肌身離さず持っていて、悲しみを引きずっています。そんな彼が、夏休みに起きた一連の事件をきっかけに恋をし、母親の死を受け入れて前向きに生きる決意をするまでをテンポよく描きます。
本作に登場するエイリアンは空軍に監禁・実験台にされた怒りから人間達を襲うようになります。それはまさしく主人公ジョーの心境そのものです。好きな女の子・アリスの駄目親父から「二度と顔を出すな」と言われ、父親からは「友達を選べ」「アリスとはもう会うな」と理不尽に命令され、そんなジョーの鬱屈とリンクするように、エイリアンは暴れまくります。こうして、アメリカ空軍のエイリアン捕獲作戦とジョー達の映画制作が並行して語られていきます。
確かにエイリアンは出てきますが本作はあくまでも青春映画です。母親の死から立ち直れない少年が似たような鬱屈を抱えるエイリアンと向き合うことで自身も前向きに生きる決意をするに至ります。そしてそれはスピルバーグが「E.T.」「ジョーズ」で描いたテーマと同じです。

70年~80年代映画とスピルバーグへの愛

本作にはかつての70年代・80年代映画への愛が溢れています。舞台となる1979年は、5月にロメロの「ソンビ(ドーン・オブ・ザ・デッド)」がアメリカで公開され全米のオタク少年が映画館に忍び込んで熱中していた時代です。この映画でも、ロメロのゾンビを見て夢中になったチャールズ達が自主制作でロメロに捧げるゾンビ映画を制作します。そのラグタイムはわずかに2ヶ月。ドーン・オブ・ザ・デッドを見てすぐにゾンビ映画を作り始めている計算になります。まぁ、、、アホですw
そして画作りやテーマはもろに初期アンブリンの青春・ジュブナイル作品そのものです。「未知との遭遇(1977)」「E.T.(1982)」「グーニーズ(1985)」を中心に、列車事故から逃げ惑う所は「スタンド・バイ・ミー(1986)」、バスがエイリアンに襲われるところは「ジュラシック・パーク(1993)」も入っています。要所要所ではCGを使うものの、全体的にはとても静かで基本的な演出を多用します。そしてそれはまさに70~80年代の、CGをほとんど使わずに特殊効果と役者の間合いで見せていたころの映画です。
髪型や服装が昔っぽいというのもありますが、この演出の古さによって本作は強烈に「アンブリンっぽさ」を感じさせます。それはもう冒頭でジョーが家の外で座っているところを窓越しショットから切り返してバストショットで撮るところから一貫しています。
だから何も劇的な事が起きてないのに、私は冒頭から泣きっぱなしでした。強烈にノスタルジックな映画になっています。
主人公のジョーと同じ1966年生まれのJ・J・エイブラムスがいわばこのジャンルの神様であるスピルバーグの公認の元で本作のようなパスティーシュを作ったことに意味があります。ジョーをはじめとする劇中の映画バカ達はエイブラムスの分身であり、そして自分が少年時代に見た映画を自分の分身を主役にして作り直しているわけです。だから映画内でのノスタルジーとメタレベルでのノスタルジーがぐっちゃぐっちゃに混同されており、それに巻き込まれる観客もまたノスタルジーに取り込まれてしまいます。

【まとめ】

この作品はスピルバーグに捧げるオマージュ/パスティーシュ映画です。ですから、大前提として子供の頃にそれらの元作品に触れたことがあるかどうかが鍵になります。30歳~40歳ぐらいの方ならばど真ん中にノスタルジーを刺激されると思います。一方で、10代~20代前半ぐらいの方であんまり昔の映画を見たことがないと、あんまり盛り上がらない映画に見えるかも知れません。派手なイベントもあるにはありますが、間接的に内面を描写する演出ばかりですので「映画」への慣れは必要かと思います。
ピンと来ない方がいるのは仕方が無いかなとは思いつつ、個人的にはかなり気合いを入れてオススメしたい作品です。とりあえず見て損することは絶対ありませんので、是非是非映画館でご覧下さい。オススメです。

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記事の評価
スカイライン-征服-

スカイライン-征服-

今日も今日とて新作2本です。一本目は

スカイライン-征服-」です。

評価:(75/100点) – 楽しい楽しい侵略SF。でもちょっと蛇足付き。


【あらすじ】

ジャロッドと恋人のエレインは親友であるテリーの誕生日パーティのためにロサンジェルスまでやってきた。楽しいパーティを過ごし雑魚寝をした夜更け過ぎ、急にマンションが揺れたかと思うと窓からは強烈な光が差し込んでくる。テリーの仕事仲間であるレイは窓からの光を見ると突然姿をけしてしまった。窓の外には強烈な青い光を放つ塊が何個もあったが、それらはすぐに消えてしまう。
不審に思ったジャロッドとテリーは屋上にあがって様子を探る。すると今度は複数の光が地上に落ちて来た。その直後、巨大な宇宙船が上空に現れる、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> テリーの誕生日パーティ。
 ※第1ターニングポイント -> 回想終了。
第2幕 -> 宇宙人の侵略と脱出方法の模索。
 ※第2ターニングポイント -> ジャロッドとエレインが屋上に出る。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今日は新作を2本見てきました。一本目は「スカイライン-征服-」です。「バトル・オブ・LA」と大変紛らわしいですが、新作の侵略SF映画です。完全なジャンルムービーですが、そこそこお客さんは入っていました。監督は「300」「アバター」等の特殊効果で知られるVFX会社・ハイドラックスのストラウス兄弟です。そんなわけなので、本作は人間ドラマと特殊効果が大きな見せ場となっています。
ここでいつものお約束です。以後本作のネタバレが含まれると同時に、関係無い映画までとばっちりを食ってネタバレされますw 本作および関係作を未見の方はお気を付けください。

侵略SFって最高じゃん!!!! という話

本作はいわゆる「侵略SF」と呼ばれるジャンルの映画です。侵略SF自体は昔からあるお決まりのジャンルです。例えば一番有名なところで言いますと、1898年発表のH・Gウェルズの傑作「宇宙戦争」や1953年発表のアーサー・C・クラークのこれまた歴史的傑作「幼年期の終わり」、さらには最近ですと1996年の映画「インデペンデンス・デイ」なんかもあります。基本的には宇宙人がやってきまして、なんだかんだありながら撃退したり撃退できなかったりします。1938年に「宇宙戦争」をラジオドラマにした際に全米が本当だと思って大パニックになったという有名なエピソードもあります。侵略SFは「戦争」や「天災」のメタファーとして描かれることが多く、強大な力や高度な知恵をもったエイリアンは「かなうはずのない圧倒的な敵」や「不条理性」の象徴として描かれます。
そんなわけで侵略SFは作られたタイミングでの時代背景に大きく左右されます。特に最近のハリウッド映画はその傾向が顕著です。個人的にあんまり好きな言葉ではないのですが、「9・11以降」に攻撃される事の恐怖をようやく実感として理解したハリウッド(アメリカ)映画は、侵略SFというジャンルで「個人の無力さと絶望」を描くようになります。

9・11以降の侵略SFの決定版は、おそらく異論の出る余地なくスピルバーグの「宇宙戦争(2005)」です。この「宇宙戦争」において、主人公はただの無力なブルーカラーとして登場します。妻には離婚され娘・息子からはバカにされるチビで情けないダメ親父が、エイリアン達の侵略で地獄絵図となったアメリカを舞台に元妻の所に子供を送り届けることに必死になります。主人公はニュージャージーからボストンまで子供達を届ける過程でガッツを思い出し、父親としての尊厳を取り戻します。ですが、この主人公は大勢に影響を及ぼしません。ヒーロー的な活躍をするわけでも無ければ、彼がすごい人物となるわけでもありません。完全に無力な一市民であり、ただただ逃げ惑っているだけです。しかもこのエイリアンの侵略が食い止められる理由も、人間がすごいからではありません。たんなる偶然です。人類はたまたま助かっただけで、人間様がすごかったわけではないんです。

「クローバーフィールド/HAKAISHA(2008)」も同様です。物語はいきなりニューヨークのマンハッタン島をゴジラっぽい巨大モンスターが襲うところから始まります。主役達はなんとかしてモンスターから逃げますが、別に退治するわけでもありません。逃げるだけです。次々と仲間が死んで脱落していくなか、主人公はただただハンディカメラを回しながら逃げまくります。でも最後まで解決はしません。残るのは必至に生きようとする人間と、その先の圧倒的な絶望だけです。

少しトリッキーな作品では「ミスト(2007)」があります。田舎のスーパーマーケットで急な濃霧に囲まれた主人公達は、濃霧の中から現れたエイリアン達に襲われます。いろいろその場で対処しようとはしますが、彼らは無力でただ籠城することしか出来ません。それすら困難になったとき、主人公達は命からがらスーパーから逃げ出します。しかし外には圧倒的な力をもつエイリアンがうじゃうじゃいます。なんとか生き残ろうとはするものの、、、という展開です。この作品において、主人公達は状況に貢献しないどころかむしろ悪化させてしまいます。そして状況は主人公達とはまったく関係無いところで解決に向かいます。主人公は無力というよりはむしろ結果的には邪魔者になってしまいます。

このように9・11以降、ハリウッドの侵略SFはどうしてもアメリカ同時多発テロを背景とした「大局にあって個人は無力だ」という方向の作品が多くなっていきます。1996年に「インデペンデンス・デイ」でウィル・スミスを先頭にしたアメリカ空軍が無邪気にエイリアン達をぶちのめしていたのを考えるととんでもない変わりようです。

では本作はというと、、、

さて、前述の状況を踏まえますと、本作がいかにオーソドックスな作りをしているかが良く分かります。本作の主人公ジャロッド達もやはりエイリアンの前では無力です。後半に火事場の馬鹿力でエイリアンを数体倒す描写はありますが、基本的には主人公達は今回の侵略行為に対してまったくなんの役にも立ちません。ただビビッてマンションに引きこもってるだけです。たまに部屋を出たかと思うと、すぐに作戦を失敗して戻ってきます。メインで描かれるのは「エイリアンの侵略」というシチュエーションを使った「極限状態における人間達のドラマ」です。2組の恋人達によるドラマであり、そして圧倒的な力の前での無力感とそれでも最後に残る意地の物語です。ですので、これはもう面白いにきまってるんです。
繰り返される痴話げんかとお化け屋敷のように急に画面の外から脅かしてくるエイリアン達。ハラハラどきどきしっぱなしの楽しいアトラクションの90分です。
大変愉快なんですが、一点だけ気になるのがクライマックス以降につくエピローグの展開です。このエピローグで描かれるある出来事によって、主人公のジャロッドが無力な一般人ではなく特別な存在になってしまうんです。本作の一番の良さは「どんなに格好を付けてもやっぱり個人は無力だ」という部分にありますので、主人公が特別になってしまうと話が全然違ってきちゃいます。ジャンルムービーとしてみればアリな展開ですし、つい続編をつくりたくなってしまったのかも知れませんが、急にトーンが変わるのでやっぱりちょっと吹き出してしまいますw

【まとめ】

とっても楽しいエンターテイメント映画です。エクスペンダブルズにも出ていたデクスターのあいつもマンションの管理人とは思えない熱い活躍を見せてくれますし、浮気者のちゃらいあんちゃん・ねぇちゃんにはきちんと天罰が下りますw お約束をしっかりやっているとはいえジャンルムービーには間違いありませんので、見る人は選ぶかも知れません。かなりオススメな作品ですが、もし未見の方はまずスピルバーグの「宇宙戦争」から見ると良いと思います。オススメです。

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記事の評価
X-MEN: ファースト・ジェネレーション

X-MEN: ファースト・ジェネレーション

火曜の2本目は

「X-MEN: ファースト・ジェネレーション(原題: X-Men: First Class)」です。

評価:(85/100点) – グイっと、ロック・オン!!!!


【あらすじ】

時は1962年。オックスフォード大学で新任教授となった遺伝子学の異端児チャールズ・エグゼビアの元に一人のCIAエージェントが協力を要請しに来る。エージェントの名はモイラ。彼女は対ソ連強硬派のヘンドリー大佐を調査中にヘルファイア・クラブで超能力者達を目撃したのだった。テレパシー能力を持つチャールズは、ヘルファイア・クラブによる第3次世界大戦を阻止するためCIAに協力することにする。
一方、かつてユダヤ人収容所でヘルファイアクラブのリーダー・ショウに母親を殺されたエリック・レーンシャーは、復讐を果たすため独自にショウを追っていた、、、。


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【感想】

昨日の2本目は「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」です。ご存じアメコミの人気シリーズ「X-MEN」の前日譚で、2006年から2009年までに刊行されたグラフィックノベル「X-MEN: First Class」の映画化です。公開4日目でしたがかなりお客さんが入っていました。監督はマシュー・ヴォーン。キック・アスに次ぐ監督4作目です。

はじめに

本作は映画化もされたオリジナルの「X-MEN」の前日譚にあたる内容です。X-MENのリーダー・プロフェッサーXは何故政府非公認でミュータントの自警団を指揮しているのか。かつてプロフェッサーXと友人だったマグニートはいかにして過激なミュータント原理主義者となったのか? そういったものが前日譚として語られます。当然本作を見る上ではX-MENの最低限の知識は必要になります。
映画はシリーズ1作目と同様に1944年ポーランドのユダヤ人収容所から始まります。ちゃんと前シリーズのファンにも目配せできるマシューは出来る男ですw
なんと言っても本作が素晴らしいのは、実在のキューバ危機に実はヘルファイア・クラブ(※マーベルユニバースにおける悪役商会。金持ちとかキザな奴の集団)が関わっていたというウソ歴史路線の上でチャールズとエリックの友情と葛藤をストレートに描いていることです。

ご存じのように、X-MENに出てくるミュータント達は等しく何かしらのコンプレックスを抱えています。ミュータントたちは「自分たちは普通じゃない」という点で被差別意識を強く持っています。チャールズは理想主義者としてミュータントと人類の共存を目指します。一方のエリックはミュータント達だけで世界を作る事を臨みます。新人類は旧人類を駆逐して楽園を作れるのだという思想です。
本作の前半は政治的なやりとりや状況の説明が多くつまっていますが、中盤から後半にかけては完全に超能力チームの結成→挫折→修行→活躍と繋がっていきますので、大変愉快なエンタメアクション熱血映画になっています。

心と心の交流映画として

とまぁ表面上の話はこれぐらいにしまして(笑)本題に行きます。つまりX-MENはゲイ映画だっていう例の話ですw

映画版のX-MENはシリーズの一作目から一貫してゲイをモチーフにした映画として作られています。X-MENにおけるミュータントはマイノリティであり、それは性的マイノリティ、、、、つまりゲイの表現になっています。
これはシリーズ1~2作目の監督であり本作のプロデューサーのブライアン・シンガーがゲイであることとも関係しています。
例えば、一作目の冒頭ではローグが男の子(デヴィッド)にファーストキスをすると相手が倒れてしまいます。ローグはミュータントであり、異性と普通の恋愛は出来ないんです。同じく本作で言えば、ここまで多くの男女が出てくるにも関わらず直接的に関係が描写されるのはエリックとレイヴンだけです。チャールズとレイヴンに至っては子供の頃からずっと一つ屋根の下で暮らしているのにまったく恋愛に発展しません。それはエマとショウにも言えます。エマがいつも胸の谷間をチラつかせているにも関わらず、ショウはエマに手を出しません。テンペストも同様です。彼は踊り子として売春をやっていますが、それを「男はみんなバカだから」と言います。男を恋愛の対象とは見ていません。それは何故か? 答えは簡単です。みんなゲイだから。

このシリーズにおけるマイノリティとはゲイであり、そしてブライアン・シンガー自身がゲイであるからこそ、素晴らしく実在感のある描写が出来るんです。
本作のメインテーマは「マイノリティの生き方とは?」です。

チャールズはマジョリティと共存することこそが平和への道だと語ります。つまり、ゲイであることを隠して生きろと言うんです。ビーストは自分の足が大きくて猿のように手として使えることにコンプレックスを抱えています。そして「本質は変わらなくても見た目だけでも普通になりたい」とレイヴンに語り薬をつくります。一方、レイヴンもチャールズの教えに従って普段は普通の女の子の姿に変身しています。そして酒場でちょっと目の色を変えただけで、チャールズから怒られてしまいます。テンペストは羽根を入れ墨のように肌にくっつけて普段は見せないようにしていますし、バンシーやハヴォックはもとより普通の見た目をしています。

一方のショウは能力を隠すことはしません。自分たちがマイノリティであることを一切隠さず、革命を起こしてマジョリティに取って代わろうとします。つまり彼らはゲイであることを100%受け入れた上で、それを当たり前にしてしまおうと言うんです。

さて、この両者の間を揺れ動くのが本シリーズのもう一人の主役・マグニートとなるエリックです。エリックは最初はショウと同様の考えを持っています。自分の能力を理解した上でそれを復讐につかうことしか考えていません。しかしチャールズに出会うことで、彼の考え方に共感し、彼に協力することにします。多くの腐女子アイを持っている方が気付かれていると思いますが(笑)、チャールズはエリックを文字通り「口説き落とし」ます。「君の事は全部なんでも知ってるよ。」と何度も何度も繰り返し耳元でささやき続けるというキモい方法で(笑)、チャールズはエリックを自分のものにします。しかもエリックを(ゲイとして)目覚めさせるために、彼の幼少時の思い出を盗み見たりします。ゲイとか云々を脇に置いても完全に変態です。そしてまさにクライマックスでエリックはチャールズの自己中心的でメンヘラな姿勢に愛想が尽きて例のヘルメットを被るわけです。心で泣きながら。好きなのに別れざるを得ないから。
その後チャールズは非ミュータントのモイラと良い感じの仲になりますが、しかしキスをするのと同時に彼女の記憶を消して追い出します。何故でしょうか? それは彼女が非ミュータントでありストレートだから。チャールズは「ゲイであることを隠して生きろ」と言っていたにも関わらず、自分はストレートの女とは恋仲になれなかったんです。だから彼は森の中に引きこもって「恵まれし子らの学園」を作るんです。ゲイを隠して生きられないなら、ゲイだけの楽園を人里離れた場所に作っちゃえってことなんです。

本作の主題「マイノリティの生き方とは?」に対して、劇中では以上3通りの思想が語られます。「マイノリティであることを隠して生きろ。」「マイノリティであることを誇りにもって革命を起こせ」「マイノリティだけのコミュニティを作って引きこもろう」。この3つの思想を巡ってキャラクターが組んずほぐれつするわけですw

【まとめ】

男の友情にかこつけたアレすぎる描写も含めて、大変愉快な作品です。きちんと所々ギャグでテンポを抜いてきますし、必要な場所ではこれ以上ないほど熱血な展開がまっています。そして対アザゼル戦のワープ・アクション。それに加えてあからさまな心と心の交流を描くシーンもあります。だってチャールズがエリックを完全に落とすシーンは、それまでストレートよりだったエリックが巨大パラボナアンテナ(※丸いものの中央に先が尖った棒が立っているw)を能力で自分の方向にグイっと向けるんですよw そしてゲイに目覚めるw つまりナニがエリックにロック・オン!!!みたいなw 爆笑出来ます。
ゲイネタが嫌いな方も普通にエンタメ映画として楽しめますので是非見に行って下さい。オススメです。
グイっとね。ロック・オン!!!

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アジャストメント

アジャストメント

土曜の2本目はみんな大好きSFラブロマンス、

アジャストメント」です。

評価:(60/100点) – レトロSF感満載の小品の良作。


【あらすじ】

2006年、下院議員のデヴィッドは上院議員選挙に出馬するも酔ってスキャンダルを起こしてしまい敗戦してしまう。敗北宣言の練習をしていたトイレの中で、彼は偶然エリースという女性と会う。彼女はホテルに知人の結婚式をぶちこわしに来て、警備員から隠れているのだという。2人は一目でお互い惚れてしまい、デヴィッドは彼女に感化されて敗北宣言をアドリブで行う。
その後暫くして、デヴィッドは偶然にも通勤バスの中でエリースと再会する。運命を感じる2人だったが、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デヴィッドとエリースの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> デヴィッドがオフィスで襲われる。
第2幕 -> 三年後、調整局とデヴィッドの駆け引き。
 ※第2ターニングポイント -> デヴィッドとエリースが別れる。
第3幕 -> 11ヶ月後、エリース奪還作戦。


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【感想】

土曜の2本目はフィリップ・K・ディックがオービット・サイエンス・フィクション誌の1954年9月号に書き下ろした短編「調整班(アジャストメント・チーム)」の世界観だけを持ってきてオリジナルストーリーに膨らませた作品です。ですので、映画化というよりは「”調整班”からアイデアを得たオリジナル作品」という感じです。
マット・デイモンがスーツ姿で走るポスターというそのまんまジェイソン・ボーンシリーズのポスターで話題になっていまして、結構お客さんが入っていました。こういうオールドスクールなSFでちゃんと観客が入っているのはめずらしいです。
本作は典型的な「近未来ディストピアSF」の体裁をとっています。劇中での時間軸こそ2006年~2010年ですが、プロット上では「何者かに実は支配されている近未来」という雰囲気になっています。この「何者かにこっそり支配された世界」「人間に紛れた異物」という世界観はまさしくフィリップ・K・ディックのお家芸であり、例えばマイノリティ・リポートのプリコグやブレード・ランナーのレプリカントなんかがそうです。このあたりのテーマは実際にはディック自身の宗教観がものすごく大きく反映されている部分です。
本作も世界観はディックが作ったモノですから、非常にレトロ感があふれるディストピアSFになっています。本作の中盤で調整員は天使であるとはっきりと台詞で説明されます。この辺りは原作から何も変えていません。この作品の世界では神様が「運命の書」というシナリオブックを書いていて、これを遂行するために天使達がいろいろと弄くっているわけです。コーヒーをこぼしたりコケさせたりw、やってることは大変ショボいですw
ですがそこに追加したのが「神様は人間が自身の予想を超えた意志を獲得するのを期待している」という新しめのキリスト教的価値観なのがなんとも言えません。
原作の場合はこの世界観をドタバタコメディに落としてくるわけで「意外と世界ってこんな間抜けな感じじゃない?」となるわけですが、本作の場合は大真面目に大上段から「神様は人間が予測を超えた動きをするのを喜んでいるのじゃ!!!」みたいな宗教的価値観に振り切れるわけです。
まぁこれが良いかどうかというのはデリケートな問題なんですが、どうしてもこういう「宗教的価値観に基づいた教訓話し」にされると無宗教な私としてはちょっと微妙な気分になってしまいます。
もちろんエンタメとしてさらっと見れば普通に良く出来たSFラブロマンスなんですが、なんか引っ掛かる部分がある惜しい作品でした。いくら運命とはいえデヴィッドがストーカー過ぎますし、なんぼなんでもエリースが「都合の良い女」過ぎますしね。普通2回も裏切られたのに、それでもその男の事を信じますかね? 運命だからってちょっと可哀想すぎです。そんなマッチョイズムも含めて愉快なバカ映画ですw どこでもドアを使った追い駆けっこは夢が一杯ですから。 仕事帰りにレイトショーなんかでフラっと寄るのがちょうどいいのではないでしょうか? わりとオススメです!

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