アイアムアヒーロー

アイアムアヒーロー

本日は

「アイアムアヒーロー」をレイトで見ました。

評価:(86/100点) – 亡きシアターNへ捧ぐ


【あらすじ】

ヒデオは漫画アシスタントである。15年前に新人賞をとって華々しく業界入りしたものの、いまやそれも過去の栄光。ヒモ同然の生活を送っている。
ある日、同棲中の彼女と喧嘩したヒデオが仲直りをしようと家へ戻ると、そこには変わり果てた彼女の姿があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ヒデオの鬱屈とした日常
 ※第1ターニングポイント -> パンデミックが起きる
第2幕 -> 富士山への旅とアウトレットモール
 ※第2ターニングポイント -> ヒデオがロッカーから飛び出す
第3幕 -> ゾンビvsヒデオ


[スポンサーリンク]

【感想】

公開からちょっと経ってしまいましたが、本日はアイアムアヒーローを見てきました。私は漫画を完全に未見でして、前知識も「ゾンビ映画である」ことしか知りませんでした。ただ結構評判がいいというのは聞いてましたので、結構ハードルは上がっていました。そんな中で実際見てみまして、、、これね、凄い良いです。めちゃくちゃ良く出来てます。「100%完璧!手放しで大絶賛!」とまではいかないんですが、でも見終わっての率直な気持ちは、日本だって「ゾンビランド」に近いレベルの作品が作れるんじゃん!という素直な喜びです。
今日はですね、もうさんざん言われてるのかもしれませんが、このアイアムアヒーローをガッツリ褒めます。いや本当に良かった!

ここで一応のお約束です。本作はアクション・スプラッター・ホラー映画です。決してお上品な作品ではないですし、予告を見ればある程度の話はわかってしまいます。今回も褒めるにあたり物語の最後の方まで書きますので、未見の方はご注意ください。

これは素晴らしき「終末負け犬映画」である!

本作は、「第9地区」や「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」、それこそ直接的には「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ゾンビランド」と同じ、「終末負け犬映画」です。
「終末負け犬映画」とは、冴えなかったりなにか致命的な欠点(※アル中とか)のあるダメ人間の主人公が、終末を迎えて完全実力主義のサバイバル世界になることで、その才能を活かしてダメ人間からスーパーヒーローに成り上がるというフォーマットです。つまり、これこそ世間に対して若干負い目のある我々(と断言しますがw)非リア充の妄想であり、「未知との遭遇」のように「いつか宇宙人がこないかな~」とか思ってることそのままの具現化なわけです。
さて、本作の主人公「ヒデオ」は完全無欠の負け犬キャラです。漫画家アシスタントで事実上のヒモ状態。過去の栄光にすがりお先真っ暗な上に彼女ともルーズな関係。趣味はクレー射撃。人はいいがしょっちゅう現実逃避をしている。こんな状況の中で、ある日急にゾンビ病のパンデミックが起こるわけです。こうなればヒデオの「クレー射撃」の趣味は最強の武器になります。ところが人がいいヒデオは悪人はおろかゾンビでさえも撃てない(笑)。うじうじうじうじ悩み続けるヒデオが遂に勇気を振り絞るきっかけとなるのは、自分の危機ではなく自分を救ってくれた女子高生・ヒロミのピンチなわけです。やっぱね、漢なら妄想の中で一度や二度は可愛い女の子を助けたことがあるわけですよ(笑)。それを恥ずかしげもなくきっちりと、最高に熱血な展開でスクリーンで見せてくれるわけです。これはもう大喝采を送るしかないです。

しかもですね、最後のシーンで長澤まさみ扮するヤブとヒデオがゾンビの返り血を顔に浴びまくっているのをゆっくり見せる描写まで入れてきます。これはつまり二人がゾンビに感染してしまう可能性を示唆しているわけで、決してハッピーエンドではないんですね。ゾンビはまだまだいっぱいいて、安全という富士山頂も本当に安全かなんてわからない。しかも自分たちはゾンビに罹った可能性すらある。それでもヒーローなんだから女子供は守るんだっていう完全なるルサンチマンでありマッチョイズムであり、でもそれって絶対に漢ならだれでも持ってるヒーロー幻想です。単純に「覚醒したから無敵」という甘えたところに落とすわけではなく、あくまでも負け犬のルサンチマンに帰ってくるこのラストこそ、本作を良作にしている決定打です。
田嶋陽子あたりに見せたら口から泡吹いて卒倒しそうですが(笑)。

ちゃんとゴア描写にも意味がある

本作がさらに素晴らしいのは、きちんと物語のテンションに合わせてゴア描写がエスカレートしていくところです。最初はまったく大したことが無いですし危ない所ではカメラが外れるのですが、だんだんと直接的にゾンビを殺すところが映るようになっていき、最終的にはクライマックスでヒデオのゾンビ大虐殺をきっちり見せます。こういう映画のゴア描写って結構サービスショットな側面が強く、ただグロいだけで緩急がついてないことが良くあります。典型的なのは「SAW3」とかですね。グロいけどそのグロさにあんまり意味が無いという。本作では、ちゃんと意味があります。ボスとして出てくる高飛び学生のゾンビなんかが典型で、高飛びをするから頭が凹みまくっており、そして頭が凹みまくってるから急所が隠れてなかなか頭の完全破壊ができないという、ちゃんとロジックが通ってます。こういうのってきちんと脚本を練らないといけないので面倒くさいんですよね。でも本作ではきちんとやっていて、とても好感がもてます。

惜しかった所:女性陣の非有効活用

今回、唯一おしいと思ったのが有村架純扮するヒロミの使い方です。ヒロミはいうなれば人間とゾンビのハイブリッドであり共生体なわけですね。それだったら当然、ワンダーウーマンよろしく覚醒して戦闘したり、またはヒロミの血からゾンビの特効薬ができたりとかいろいろ活用できるはずです。でも本作のヒロミは完全にマスコットなんですね。有村架純のちょっと丸っこい整った顔立ちって、すごいお人形さんっぽいんです。菜々緒のバービーっぽい感じじゃなくて、どっちかというと雛人形的な和風な感じ。これがヒロミの独特のマスコット感ととてもマッチしていて凄い魅力的です。「この子のためならヘタレが勇気を振り絞って立ち上がっても不思議じゃないな」という存在感・説得力があります。この立ち振舞は完璧なので、もっと活用して欲しかったです。

一方の長澤まさみはですね、こっちは看護師なので当然有村架純をつかってゾンビ病の究明をするのかな、、、、と思っているとまさかの肉弾アクション担当w 意外性はあっていいんですが、だったらせめてもうちょいサービスしてくれないかな、、、とちょっと拍子抜けな面がありました(笑)

総じてこのメイン級女優の使い方はちょっともったいないです。

【まとめ】

本作は、本当によく出来たジャンルムービーです。嬉しいのは、こういう作品がTOHOシネマやイオンシネマなんかの大手シネコンで掛かっているっていうこの状況なんですね。昔だったらこの手の映画は銀座シネパトスかシアターNでレイトショー限定が当たり前でした。それがほぼ全国どこでも見られるというのはとても素晴らしいことです。これはもう駆けつけるしかありません。CGバリバリとはいえグロいっちゃあグロいですから、そこだけは注意してください。あと、デートやファミリーは辞めたほうがいいです(笑)。私はGW終わりぐらいにもう一回見に行こうとおもいます。今度はポップコーンと生ビールを抱えて(笑)。とてもいいお祭り映画でした。

[スポンサーリンク]
記事の評価
七つまでは神のうち

七つまでは神のうち

先週土曜の2本目は

七つまでは神のうち」を見てきました。

評価:(70/100点) – モンスターホラーかと思いきやサスペンスでやっぱ心霊かと思ったらビジランテ映画だけどオバケ。


【あらすじ】

まゆは父と共に寡黙に教会に通い続けていた。ある日教会からの帰り道、いつものようにビデオレンタル店を出たところでまゆは不審なワゴンとその中に目隠しで縛られた少女を見かけてしまう。犯罪のにおいをかぎつけたまゆは父とともにワゴンを追跡する、、、。
一方、売り出し中の女優・さおりは廃校でのロケの後で一人取り残されてしまう。仕方無く校舎で一夜を過ごそうと中に入るさおりだったが、、、。
 


[スポンサーリンク]

【感想】

さて、先週の土曜の2本目は三宅隆太監督の最新作「七つまでは神のうち」です。TOHOシネマズ川崎で舞台挨拶直後の回にいきましたら、あんまり人がいませんでした。本当は舞台挨拶をみようとおもったんですがそちらはほぼ一杯で端っこしか残っていませんでした。スターダストのアイドルパワーおそるべしです。
本作は大変説明に困る作品です。というのも本作は15分に一回くらいジャンルが変わるからです。作品全体はちょっとした短編っぽいエピソードが繋がりながら事件の全貌が徐々にあきらかになるようなサスペンス調の構成をしています。神隠しっぽいエピソードと胡散臭いマメ知識の後、本作は偶然見かけた誘拐犯を追う少女の話になります。かとおもいきや、、、、と言う風に進んで行きます。一見関係の無いように見えるエピソードなのにだんだんに登場人物や地名が重なってきて、そうするとどんどん良い奴と悪い奴がひっくり返っていって、最後はすっごいイヤ~~~~~な気分になって帰るという、、、、、ね(苦笑)。本当後味悪いんですよ。「あれ?あたしゃこの子を応援してたはずじゃ、、、」みたいな。しかも後半はあからさまにスキモノを狙った映画パロディが続きます。「ダークナイト」のハービーデントから「オーメン」の神父のアレにつながり、最後はトリッキーに「リミット」っていうか「新・ヒッチコック劇場」の「最終脱獄計画」に落とすという、、、、ね(苦笑)。
という感じでして、本作は良くも悪くもオタク向けのジャンル映画です。こういったB級ホラーが好きだという前提で、かつそこそこ映画も見ていてある程度文法の知識があって、それでいて「どうせこうなったらこうだろ」みたいなひねた見方に慣れている人向けです。つまり私w
逆に言うとですね、映画の文法であったりお約束であったり過去作の展開であったり、そういう背景を持っていない人が見ると、おそらくこれは物凄くつまらないように見えると思います。というのも、結構その場その場のトリッキーな展開を優先しているため、終わってから振り返ってみるとすごく変なエピソードの繋ぎ方をしているんです。
基本的には「あ~いつものあれか」→「ん?ちがう???」→「え~~!?そっち(苦笑)」という展開の積み重ねなので、この「いつものあれか」が思い浮かぶかどうかが本作の全てです。「いつものあれか」が浮かばないと当然次の「え~~~!?」に行かないので、全然盛り上がらないばかりか訳の分からない方向に場当たり的に向かうヘンテコな映画に見えてしまいます。まぁ、タイトルとポスターとスターダストピクチャーズのロゴで十分に「一見さんお断り」になってるとは思いますが、そうとう人を選ぶというのは念頭に置いて見に行かれた方が良いと思います。

【まとめ】

個人的には久々に当たりなJホラーでした。Jホラーかはよく分からないですけどw 日南響子がホラークイーンとして最高に良かったです。なにより2エピソード目の家庭教師のやつとか本当に嫌w まじで嫌。
ちょろっと後半のパロディの話を書きましたが、後半も後半、というか最後のエンドロールで流れる日南さんが歌うエンディングテーマはGacktの「Metamorphoze~メタモルフォーゼ~」とコード進行が同じです。「Metamorphoze~メタモルフォーゼ~」は2005年公開の映画「機動戦士Ζガンダム A New Translation -星を継ぐ者-」のエンディングテーマです。いちいちパロディする作品がスキモノすぎw
あんまり大きな声では言えませんがオススメです。

[スポンサーリンク]
記事の評価
コクリコ坂から

コクリコ坂から

どんどん行きますよ!
ということで7月17日はゴロちゃんの奇跡の最新作

コクリコ坂から」でした。

評価:(70/100点) – ボロボロ!?冗談じゃない! 大成長やないけ!!!


【あらすじ】

松崎海は幼くして父を失い、おばあちゃんの下宿を一人で切り盛りしていた。母はアメリカ留学中の医者で、長らく家に帰っていない。
ある日、海は学校でひょんなことから風間俊と出会う。次第に魅かれ合う2人だったが、なんと二人の父親は同じだった、、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

7月17日はジブリ最新作にしてプリンス・ゴローのまさかの新作「コクリコ坂から」です。横浜のブルク13で見たんですが、完全に埋まっている大箱は初めてでした。さすがに日テレ・三菱商事・電通という超巨大資本が総力を挙げて大プッシュする映画です。
いきなり結論を書いてしまいますと、前作が前作だったのでものすごいハードルが下がっていた分を差し引いても普通に良く出来てました。もちろん海と俊が好き合うタイミングが分からないとか、ごねてた割には最後に納得するのが早すぎとか色々引っ掛かる部分はあるのですが、しかし決定的に甘酸っぱさがきっちり描けています。
カリチュラタンという古いクラブ棟を舞台にしたちょっと自虐的にも見える学生運動”感”であったり何度も流れる「上を向いて歩こう」だったり、ベタベタすぎてむしろファンタジックに見えてしまう過剰なノスタルジー描写だったりも、これを44歳のプリンス・ゴローが作っているのだと思えば大変微笑ましく感じるのは贔屓しすぎでしょうか?
だって彼の年齢を考えればいわゆる「バブル世代」のど真ん中なわけですよ。しかも親父が親父ですから。そりゃあね、本気でマボだエガだと言っていた流行り病を描くのは無理です。だったらすっごいノスタルジアに落とし込むしかないじゃないですか。元々この作品の企画は親父の方が(いつものサディスティック・ロリコン癖をこじらせて)入れ込んでいたわけで、乱暴に言えば、しかめっつらの不憫な女の子が前向きに頑張ってればそれで万事OKなわけですよ。だから全く問題ありません。ジブリ映画っぽさをきちんと出した上で、普通に良く出来ています。
ただ、こういっては何ですが、やっぱり吾朗氏の作家性みたいなものはあんまり見えないんです。良くも悪くも劣化コピーというか、あくまでも親父の企画を親父っぽくやろうとしてそれなりに出来てるという、、、、、ね、、、、、いろいろあるじゃないですか、この親子(苦笑)。だから一概に「大成長」といっていいかがちょっと分かりません。単品の映画としては、それこそ「平成狸合戦ぽんぽこ」とか「猫の恩返し」あたりと並んでるような感覚です。でも高畑勲がいつの間にかフランス文学者かぶれになって大先生になってしまった今(笑)、ジブリとしては劣化コピーだろうがなんだろうが宮崎駿テイストを受け継いでかつ周りが納得するネームが必要なわけで、それってやっぱりプリンスに白羽の矢がたっちゃうのは仕方が無いと思うんです。本人はすごい嫌でしょうし、間違いなく周りからはマイナス評価スタートで見られるでしょうけど。だからこの映画で一番の見所って言うのは、前作の「ゲド戦記」で才能無いだの二度とでてくるなだの散々な言われようだった(そして私もジブリ美術館の自宅警備員に戻れとか言ってましたがw)ゴロちゃんが、案外なんとかなるかも知れないという希望が見えたってことだと思うんです。劉禅だと思ったら関平だったみたいなw
だから見守る意味でも十分に劇場で見る価値があります。いいじゃない親父っぽくても。いいじゃない親父より下手でも。っていうか親父より上手い監督なんて富野由悠季と出崎統ぐらいだから安心していいですよ。
親父が学生時代にナウシカの企画を虫プロに持ち込んで手塚治虫にボロクソいわれてから反骨心で超進化したって言うのは有名な話です。ゴロちゃんだってゲド戦記でボロクソいわれてからどうしたかっていうのが大事なわけです。少なくとも本作を見る限りではある程度割り切って親父の真似をする限りは化けるかもしれないって分かったので、それで十分だとおもいます。
ということで、オススメです!!! いや、本当に見といた方がいいですよ。10年後に本当に化けてる気がします。

[スポンサーリンク]
記事の評価
小川の辺

小川の辺

溜まったぶんを一気にお届け!!!
とりあえず7月2日は

小川の辺」を見てました。

評価:(50/100点) – 面白いけど、長過ぎ。


【あらすじ】

海坂藩士・戌井朔之助は討手の命を受ける。相手はかつての親友にして脱藩の士・佐久間森衛。佐久間は持ち前の正義感から藩を牛耳る実力者・鹿沢尭伯を公衆の面前で痛烈に批判し、その復讐を受けて政治的に追い詰められてしまっていたのだ。しかも佐久間は朔之助の妹・田鶴の夫でもある。決して悪ではない親友を立場上斬らなければならなくなった朔之助は、従者にして幼なじみの新蔵を従えてゆっくりと房総へと向かう、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

ご無沙汰しております。ここのところ何故か音楽ライブやらアニメイベントやらの美術・映像監修仕事が増えましてblogをサボっていましたw 今日は溜まりに溜まった脳汁を一気にお届け!!! ぶっちゃけ真夏のライブ4連チャンで気力が出涸らしなので、サラっとやっつけたいと思いますw
さて、やっつけ仕事の一本目は「小川の辺」です。原作は藤沢周平の短編集「闇の穴」に収録の同名短編の映画化です。ストーリーは至極単純でして、不器用な正義感から世渡りに失敗しちゃった親友を家名のために斬らなければならなくなったサラリーマン武士が、「やだな~~。あいつバカだな~~~~。あ~~~でも斬るしかないしな~~~。あ~あ~~。ゆっくり行くべ~~。」とぼやきながら道中で親友や妹の思い出を回想していくという話です。基本的にスクリーンに映されるのはいかに佐久間が良い奴かという描写と、いかに戌井兄妹の仲がぎこちないかということ、そしてだけど確かにそこにある家族の連帯感のようなものです。ただ、そこにあまり葛藤はありません。戌井は最初こそ迷いますが、旅に出る段にあっては完全に割り切っています。ですから、この映画で語られるのは武士の美徳であり、サラリーマンの悲哀であり、そういった諸々を含めた「世渡りと正義感と家族愛」の話です。なので、これはサラリーマンとしてはグッとこざるを得ないんです。
ということで確かに面白いんですが、なんぼなんでも長すぎます。結局原作はあくまでも短編であって、短編なりのボリュームしかないんです。それを引き延ばしまくっても、これはサービスにならないどころかドンドン退屈になってしまうんです。もちろんこの長さというのは直接的に戌井の「この件に乗り気じゃない」という描写に繋がるのですが、あまりに長すぎてラストの決闘の緊張感がだいぶ削がれてしまいました。
惜しいなと思いつつ、でも間違いなく良い作品だと思います。藤沢周平の描く武士ってほとんどがスーパーヒーローじゃなくて「中堅サラリーマン」なんですよね。その極北かなと思います。佐久間は何も悪くないし、戌井も悪くない。悪代官を絵に描いたような侍医・鹿沢以外は誰も悪くないんです。でも殺し合わなくちゃいけないっていうのが悲哀としてグッと来るんです。オススメデス。

[スポンサーリンク]
記事の評価
アンダルシア 女神の報復

アンダルシア 女神の報復

今日は当然これしかありません。みんなが待ちに待っていた史上最強のアイドル・コメディ映画

アマルフィ2 「アンダルシア 女神の報復」でどうじゃ!

評価:(30/100点) – マネー・ロンダリングってそういうことじゃないし(´・ω・`)


【あらすじ】

財務大臣の随行でフランスに滞在中の黒田の元に、アンドラ公国行きの指令が下る。アンドラ公国のスキー場のホテルで、現役警視総監の息子・川島直樹の死体が発見されたというのだ。アンドラに着いた黒田を待っていたのは、警視庁からインターポールに出向している神足捜査官と第一発見者の邦人女性・新藤結花だった。
何かから逃げようとする結花を保護して在スペイン日本領事館へと逃げ込む黒田。しかし結花は領事館を抜け出してしまう。果たして結花は何を隠しているのか? そして神足の目的とは?


[スポンサーリンク]

【感想】

さて、本日はこれ以外の選択肢は考えられません。全日本人必見の最強アイドル・織田裕二最新作「アマルフィ2 ~アンダルシア 女神の報復~」です。公開初日の昼の回ですが、客入りは3~4割ぐらいでした。とはいえ、前作「アマルフィ 女神の報酬」を見たときは同じ400人入る劇場で完全貸し切りでしたので、前作比で120倍ぐらいの観客です。さすが日本が世界に誇る大娯楽大作です!!!
さて、毎度毎度お馴染みとなりました恒例のお断りです。これ以降、あまりにもオダルフィが好きすぎるあまり話の内容をすべて書いてしまう恐れがあります。未見の方はご注意下さい。また、あまりのつまらなさに気が遠くなっていましたので、特に前半は場面の繋がりが若干前後しているかも知れません。

まずは公式のあらすじに載っているストーリーをプレイバック!

映画はアンドラのスキー場からはじまります。スキーをやっていた男が突如ステッキを投げ捨て、崖から飛び降ります。そして織田裕二映画ではお約束のドコモの携帯電話を取りだし(キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゜Д゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)-_-)=゜ω゜)ノ━━━!!!)、なにやら黒木メイサと会話をします。
そんでもって色々ありつつ舞台は夜になり、花火を尻目に黒木メイサが死体のある部屋でパソコンの認証を解除しようとして諦める場面になり、さらに彼女は荷物を窓から投げ捨てて逃げ出します。
このシーンから分かるのは、黒木メイサが殺したか死体を発見しただけかはともかく、なんらかの情報をパソコンから引き出そうとして諦めてパソコンを一旦隠して逃げ出したということです。
さて、舞台はフランスに移ります。ちょっと気の利いたような雰囲気の路地裏レストランの描写がありつつ、いろいろあってサミットが始まります。ここでやっと我らがオダルフィが登場します。なんと今度のオダルフィはフランス語を喋ります。さすが日本が世界に誇る大娯楽大作!
ちなみにサミットでの村上大臣の命題は「マネー・ロンダリングを防止するために、OECDの規定を強化してタックス・ヘイブン化している国に経済制裁をしよう」というものです。これ自体は別にいいんじゃないでしょうか。実際に今回事件の舞台になるアンドラはタックスヘイブン・ブラックリストに載ってますし。ここでは今回の映画が何かマネー・ロンダリングに関わるものであることが示唆されます。
そしてオダルフィがコーヒーポッドと格闘している中、アンドラで警視総監の息子が死体で発見されたという電話が入り、オダルフィはアンドラ行きを命じられます。なんでもアンドラには日本大使館がないので、最寄りで一番暇なオダルフィに白羽の矢が当たったとか。在スペイン大使館がマドリッドにある気もしますが(゚ε゚)キニシナイ。オダルフィも暇扱いされるとか舐められたもんですw コーヒー飲むのに忙しいのに、、、。
一方、現場では髭が超似合うイケメン海難救助隊員がインターポールとして黒木メイサから事情聴取をしています。強盗殺人を疑う形式的な事情聴取ですが、横から入ってきてあまりにもうろつくオダルフィが目障りになったのか突如喧嘩を始めてしまいます。でも、そこはオダルフィ。トイレを我慢した顔で軽くいなしてみせます。芸歴がモノを言う貫禄勝ちです。
やっぱり色々あって結露が~~~とか、物盗りの犯行じゃなくねぇ~~~~とかスルーしまして、夜になります。黒木メイサは防寒着を身につけてパソコンを回収しに行こうとしますが、不自然なドアノックに危険を感じたメイサはベランダから逃げ出します。そこに監視していた伊藤英明とオダルフィも加わり、本日最初の4チーム・チェイスが始まります。ここでもオダルフィは上手いこと先回りをし、見事メイサをゲットして車でバルセロナの日本総領事館へと向かいます。外交官だから国境の検問もフリーパス。さすが世界のオダルフィです。ちなみにこの段階ではメイサはただの第一発見者ですので、オダルフィには誘拐罪こそあれ捜査妨害等の容疑は掛けられません。
さて、バルセロナについて一服した両名は領事館を拠点に別行動を始めます。オダルフィは世界的プレイボーイ・桜坂とコンタクトを取り、彼からメイサが務めるビクトル銀行の詐欺事件の情報を手に入れます。なんでも、ビクトル銀行の行員が架空の投資話で不正に資金を集めていたというのです。なんかマネー・ロンダリングっぽくなってまいりました!
そうこうしてオダルフィが桜坂といちゃついてるスキにメイサがまたしても逃げ出してしまいます。そういやこの間に戸田恵梨香も出てきた気がしますが、全然何の意味もありませんでした。もったいない、、、超可愛いのに、、、。やっぱりストーカー神足とオダルフィとメイサの3チームチェイスがありまして、オダルフィに軍配が上がってしまいます。しかし今回は正式にメイサが重要参考人となり、インターポールの証人保護マンションに移ることになります。これでもう一安心、、、、と思っていると、何の説明も無しに勝手にオダルフィもついてきてしまいます。おまえはストーカーか。っていうかオダルフィは参考人じゃないし事件の第3者なんだからそんな大事な施設の場所を教えたり、あまつさえ中に泊まらせちゃ駄目だと思うんですけど、、、。
そして退屈な日常が戻ってきたある日、保護マンションから警察に移動するタクシーが何者かに襲撃されます。ちゃっちぃカーアクションと銃撃戦があってオダルフィが左腕を負傷したりしつつ、ここでようやっと危機を切り抜けた神足とオダルフィに微妙な友情が芽生え始めます。
オダルフィは独自捜査で川島がビクトル銀行の架空投資詐欺に引っかかっていた事、そして神足がかつて日本の警察で内部告発しようとしてインターポールに左遷されたことを知ります。インターポールに左遷って凄い話です。「東京都の職員が経済産業省に左遷」みたいなw 左遷じゃなくて超エリート出世コースですけど、、、。
神足もまた、オダルフィがただの外交官ではなく「外務省邦人テロ対策室」というスパイ組織のエージェントであることを知ります。
そんなこんなでちょっとオダルフィと神足のバディ感を演出しつつ、ついにオダルフィが最終手段にでます。それは説得です。
オダルフィの「ユー、全部吐いちゃいなYO!」という説得を聞き入れ、メイサがついに川原の担当行員にして詐欺の主犯・ルカスの事をゲロっちゃいます。なんでも、ルカスはアンダルシアにて巨大テロ組織ARMの幹部と取引きをするというのです。
ようやっとタイトルになっているアンダルシアが出てきます。ここまで90分。いや~~~長かったw
しかしここで問題が出てきます。神足は警視庁より直々に今回の事件をうまいこと処理して川島がビクトル銀行に関わっていたことを揉み消すよう命令を受けます。そして一方のオダルフィも鹿賀丈史よりこの件から手を引くよう命令されます。なんでも、川島は暴力団のマネー・ロンダリングを請け負っていた会計士で、その金をビクトルの詐欺で擦ってしまったというスキャンダルが裏にはあると。しかも川島は警視総監の息子なだけでなく現総理の会計士までやってるそうです。総理直々に圧力を掛けられた鹿賀丈史は屈するほかないのです。イヤーニホンノセイジカハクサッテマスネ(棒読み)。総理もわざわざそこまで話さずにただ「何も言わず手を引け」でいいのにね。いい人w
当然のようにこれを断るオダルフィはやっぱり世界的スターです。
その夜、神足はふらっと寄った闘牛練習場でメイサと出会います。メイサに事件の真相を尋ねると、メイサは真実を語り始めます。川島はメイサの「泣き寝入るべきだ」という説得をきかず、目の前で自殺したと。そしてメイサは「自分に何かあったらビクトルと関わった証拠を隠蔽してくれ」と頼まれたと。もうすでに意味がわからないんですが、細かいことは気にしないw
そんなわけで、一行は遂にタイトルの地・アンダルシアへと向かいます、、、。

パッと見はスムーズに見えるけど実は結構適当なストーリー

さて、、、本作は適当に流してみているとなんとなくそれっぽい感じで物語が進んで行きます。ですから、な~~~んにも考えずにメイサやオダルフィにムハムハしていると、あんまり違和感が無いかも知れません。
しかし本作は根っこの部分、、、つまり話の進み方が非常に難解です。あんまり適当に書いていると説得力がなくなるので、ここからはおちょくり無しで真面目にいきますw
まず冒頭から順を追いましょう。
黒田はフランスからアンドラへと向かいます。これはアンドラで事件があったからです。何故黒田かはともかく問題はありません。次に黒田はインターポールに追われる結花を見かけます。彼女を強引に車に乗せ、一路バルセロナの領事館に向かいます。この黒田の行動も倫理的には問題がありますが、しかし彼の独断専行な性格と「邦人保護を任務とする」スパイの設定ですから物語上は問題はありません。ぐちゃぐちゃになるのはこの後、結花がインターポールに保護されてからです。
結花は2つの件で事情聴取を受けます。1つは冒頭の川島直樹殺害事件の第一発見者としての聴取。もう1つはビクトル銀行による架空投資詐欺事件におけるルカスの通訳としての聴取です。
第一発見者としての聴取についてはすでにアンドラで一通り終わっています。結花は領事館から逃げ出して捕まった際に「私を逮捕して下さい」と神足にいいますが、何の容疑で逮捕しろというんでしょう。あくまでもこの時点でも彼女は容疑者ではなく重要参考人止まりです。そしてもう一つの件、つまり架空投資詐欺の主犯と見られるルカスの捜査ですが、こちらでも結花はただの参考人です。結花はルカスと川島の通訳だったという設定のため彼女が何か知っている疑いは強いですが、逮捕できるだけの証拠は何もありません。あくまでも彼女はインターポールに参考人として保護されている形になります。
恐ろしい話なのですがインターポールに保護されて以降、インターポールは川島直輝殺害事件に関しては捜査をしません。つまり謎解きの要素がないんです。そしてひたすら「ルカスを探す」ことに躍起になります。タイトルになっているアンダルシアでのビクトル銀行とARMの会合もルカスの捜査の一貫で、川島の件とはまったく別件です。これは、神足が川島がビクトルに関わったことを揉み消すよう警視庁から依頼をうけていたためと説明されます。つまり神足としては強盗殺人で終わらせるつもりだったので捜査をしなかったというわけです。
ではルカスを探す動機はなんでしょう。国際犯罪である詐欺の容疑者を捜すのは当然ですが、一方で彼が川島の金を預かってマネー・ロンダリングをしようとしたことは揉み消さないといけません。この段にきますと、外交官である黒田は完全に部外者になります。彼は結花の人権を保護することをお題目にして首を突っ込んできましたが、この時点で結花自身がビクトル銀行から命を狙われていてインターポールに保護を求めているため、もはや黒田は不要です。
そう、本作はこの結花がインターポールに保護されたタイミングで話が変わるんです。それまでは殺人事件の話でしたが、ここからは全然話に出ていなかったルカスの詐欺事件がメインになります。川島が死んだ件はどうでもいい扱いになります。ひ、、酷い。
このあたりのルカスがらみは最後までみると分かるんですが、都度都度明らかにはされないため、見ているときには興味の持続がありません。突然殺人事件からルカスの捜索に話がかわって大混乱します。

動機が変

そんなわけで、本作ではクライマックスにアンダルシアでのルカス含めた一網打尽劇が置かれます。置かれるんですが、なんと肝心のインターポールによる突入・逮捕の瞬間は画面で見せてくれません。結花が足を引きづりながらアンダルシアを去っていくシーンの裏でちょっと銃声が聞こえて終わりです。ちなみにこの一網打尽劇の容疑ですが、ルカスと目されるハゲについては詐欺罪、ARMの連中についてはテロにまつわる諸々になります。しかしご存じのとおり、ルカスと思われたハゲはルカスでは無いわけで、そうするとハゲを取り調べると結花/ルカスにまつわる真相は全部インターポールにバれてしまうわけです。これは結花にとって限りなくマズイ事態です。結花の計画はずさんだとしか言いようがありません。
また当然このタイミングでビクトル銀行の全員を逮捕しているわけではありませんので、ビクトルによる結花への制裁が止まるとは思えません。むしろ警察に身内を売ったのですから、よりハードに狙われる危険の方が高いです。最後に結花は悠々とスペイン投資銀行に入っていきますが、ちょっと考えられません。
この結花の動機周りの部分はツッコミどころの宝庫です。
そもそも新聞で報道されている詐欺事件に対して、川島がビクトルを訴えるかどうかで悩んで自殺する意味が良く分かりません。新聞で報道されている時点で詐欺事件は明るみになっているわけで、その詐欺にあった金の出所は当然警察だって調べます。それだったら川島は普通にビクトルを訴えればいいじゃないですか。川島の持っていた金が汚い金かどうかと詐欺事件は別の話でしょう? さらに言えば、マネー・ロンダリングをするのに資金を一括で銀行に任せるのはおかしいです。それはロンダリングになっていません。普通は複数の銀行で大量の別名義口座を使います。じゃないとそもそもの金の出所は何度回したって付いてきますから。どう考えても川島はマネー・ロンダリングに関してはど素人です。
さらに、結花が詐欺をしかけた動機が無茶苦茶です。「家族に迷惑をかけても平気なボンボンが許せなかった」とか語りますが、詐欺自体が新聞で公表されるほどバレちゃってるわけで大失敗です。しかも話のつじつまを考えると他にこの詐欺の被害者が何人かいないとおかしいです。だって川島は詐欺の被害者として届けていないんですから、別のルートで詐欺が明るみになってないといけないんです。ということは、結花がウソの動機を語っているか、または詐欺自体が結花が考えたのではなくビクトル銀行として複数の銀行員がいろいろな人物に仕掛けたかのどちらかです。少なくとも銀行が架空の投資を帳簿上利用してマネー・ロンダリングをしていたわけではありません。もしそうなら川島が文句を言う意味がわかりませんから。
そうなんです。話の流れのなかではあたかもビクトル銀行がタックス・ヘイブンのアンドラ公国を利用してマネー・ロンダリングをしていた様に見えますが、すくなくとも劇中でその事実はないんです。今回の件はあくまでも結花が勝手にやったことなんです。もっとも、一応アンダルシアでの一網打尽劇でビクトル銀行とテロ組織のつながりは明らかになりそうなので、最終的にはそういうことになるんでしょうけど。

そもそもアンダルシアである意味が全く無い

これは大前提の部分ですが、本作は海外を舞台にする理由が一つもありません。「国際テロ組織」が出てくる所でスケール感を出そうとしていますが、話自体は熱海や諏訪で十分成立します。せっかくインターポールなのに国際的なネットワークを活かした捜査をしませんし、アンドラに至っては劇中ではまるでスキー場のホテルの名前のような扱いですw
フラメンコダンスと闘牛場をだしてなんとなくアンダルシアっぽい表現をする演出ですとか、やってることがステレオタイプですごく軽いです。

【まとめ】

とりとめもなく書いてしまいましたが、本作は間違いなく前作の「アマルフィ 女神の報復」よりはマシです。脚本がどうしようもなく下手で演出が限りなくダサいのは相変わらずですが、少なくともやろうとしている意図は本作では伝わってきます。
パソコン内のデータを壊したいだけ(証拠を隠滅するだけ)なのになんで燃やしたり叩いたりしないで持ち出そうとしたのかとか全く意味が分かりませんが、黒木メイサが頑張ってるので全部OKです。1800円払うのはバカらしいので、来週の映画の日なんかに見るにはいいのではないでしょうか。オススメ、、、、、したいようなしたくないような、、、、、でも一応オススメデス。

[スポンサーリンク]
記事の評価
さや侍

さや侍

ようやっと休みが取れたので

「さや侍」を観てきました。

評価:(25/100点) – 切腹を申しつける!by 伊武雅刀


【あらすじ】

伊香藩水位微調役だった野見は脱藩の身で追われていた。賞金稼ぎに追われながらも娘のたえと逃避行を続ける野見は、ある夜、多幸藩に入ったところを捕まってしまう。野見はお白州にて「三十日の業」を宣告される。それは母親の死でふさぎ込んでしまった若君を笑わせるために、30日間異なる芸を一日一個披露するというものだった、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

さて、本日は2本観てきました。1本目は松本人志監督3作目の「さや侍」です。予告をみるだに危なげな臭いがプンプンでしたが、とりあえずはずせないので見てきました。平日の昼間ですが結構中高年で埋まっていました。TOHOシネマズで1000円だったからでしょうが、それでもまだまだファンはいるようです。
ちょっと今回は最終盤まで書かざるを得ないのでネタバレありで行きたいと思います。申し訳ございませんが、未見の方はご遠慮下さい。結論としては、前2作よりも映画っぽい部分は増えていますが、その分だけより明確に失敗しているのが見えてしまい残念な事になっています。さらにメッセージの不快さは桁違いにパワーアップしています。どうなるかはわかりませんが、個人的には仮に松本監督の次回作ができたとしても見に行くかどうかはかなり怪しいレベルです。

「三十日の業」の流れ

話は野見に課せられた「三十日の業」が中心になります。そして「三十日の業」にはフェイズが3つ用意されています。まず第1フェイズとして、野見は自分でギャグを考えます。これは腹芸だったりどじょうすくいだったりとクラシカルなものでクオリティは目も当てられませんが、劇中でもきちんとすべっているので特に問題はありません。
次に野見は門番2人を味方につけ、彼らのアイデアをそのまま実行するようになります。ここが一番長く取られている部分で、かご抜けだったり白刃取りだったりです。ここから最後まで野見は何も考えなくなります。これ以降はすべて誰かに言われた通りのネタを披露するだけで、本人が努力するような描写はありません。このフェイズが一番長いため、どうしても野見はただ周りに流されているだけのような印象がついてまわります。
最後のフェイズは人間大砲以降です。ここからヘソを曲げていた娘が協力して口上するようになり、ギャグはすべて大道具をつかったバラエティ的なものになります。また、これより舞台にギャラリーがはいるようになり公開の出し物になります。一貫してギャラリーたちは野見の出し物に手を叩いて喜びますが、若君は無表情なままです。
そんなこんなでクライマックスの最終日、殿様までも味方につけた野見は「何をやっても若君が笑ったことになる」というインチキな状況の中で、何もやらずに切腹します。作品上では、それまでみじめだった野見が最期に武士としてプライドをもって死を選ぶというような雰囲気で描かれています。

作品内での問題点

さて、全体を通して言える作品内での問題点は3つです。
1つは野見の努力がほとんど描かれないことです。野見は最初から最後までただただ周りに流されまくるだけでほとんど自主的な行動をしません。ですから、そもそも感情移入も出来なければ応援しようという気もおきません。
2つめはギャグのクオリティの問題です。特に2フェイズ目までは作品内でもすべっているので気にはなりませんが、3フェイズ目は作品内のギャラリーは爆笑しているのに実際にはまったくおもしろくないという現象がおきています。これは例えば「ランウェイ☆ビート」で作品内では絶賛されているのに実際にフィルムに映っているファッションはダサいというのと同じで、どんどんフィルム内との価値観のズレが気になって興味自体がなくなっていってしまいます。
3つ目はフィクション・ラインの設定の問題です。本作では、冒頭で三味線の隠し刀で背中をざっくり切られて血が噴き出してもすぐに治ってしまいますし、鉄砲で頭を撃たれてもケロっとしています。ですから、どう見ても本作はルーニー・テューンズのような世界なんです。上から大岩が振ってきて押しつぶされても「ひらひらひらひら」みたいに人間がペチャンコになってすぐ元に戻るような世界観です。だから切腹くらいじゃ野見は死なないと思えるんです。介錯で首を切られたとしても、すぐ首がもどって生き返るんじゃないですか? だから全然感動できません。そもそも散々それまで生き恥をさらしていたくせに最期だけ「侍のプライド」みたいなことを言われてもどういう反応をしていいか分かりませんし。最終盤でお墓参りをした娘と若君の前に幽霊っぽい野見がでてきますが、このフィクション・ラインだとそれが幽霊かどうかすら分からないんですよ。単に切腹して首を切られても死ななかっただけにも見えます。

作品の世界観から見るメッセージの不愉快さ

とまぁ単純に映画としてかなり如何かと思う出来なのですが、はっきりいってこれだけであればそんなにケチョンケチョンに言うようなレベルの作品ではありません。よくある失敗した邦画です。ですがここに描かれるメッセージというのが本当に不愉快で本当にがっかりするんです。
見ればすぐ分かるように、本作は監督の前作「しんぼる」と同じく「天才・松本人志の苦悩」という自己評価がテーマになっています。本作の野見は松本人志の投影になっています。松本はアンチ松本(賞金かせぎトリオ)から致命傷と思われる攻撃をくらいますが、しかし本人はそんなことは一切気にせず、またたいしたダメージも負いません。ところが松本は奉行所につかまってしまい、辛口評論家である若君を笑わせなければいけないというバツゲームを食らうハメになります。しかし彼一人の力ではまったく笑わせることが出来ません。体を使った小規模なギャグではまったく笑いをとることが出来なかった彼は壁にブチ当たります。
その後に板尾と柄本Jrというブレーンを仲間にしてギャグを繰り出しますが、それでも評論家(若君)を喜ばせる事は出来ません。しかし、喧嘩別れしていた後継者(娘)が戻ってくることで、彼は本来の力を発揮します。大道具を使ったお金の掛かるギャグ(映画orTV)を繰り出すようになり、彼は一般大衆の人気者になります。しかしそれでも評論家(若君)を笑わせることは出来ません。評論家以外のほぼ全てを味方につけた彼は完全にイエスマンに囲まれた状況の中で「何をやっても笑ってもらえる」という状況を拒絶します。「自分にも表現者/男としてのプライドがあるんだ」として自ら切腹するわけです。
時は経ち、何百年もたって、町に残ったのは若君(評論家)ではなく彼の墓石(=作品)でした。彼は若君を笑わせることは出来ませんでしたが、歴史が彼を正当に評価したのです、、、。
ということなので、本作のテーマは「天才・松本人志の苦悩」となるわけです。彼の脳内では、彼はいま正当に評価されていないのです。「市中の人(一般人)には受けているのに若君(評論家)には評価されていない」というのが彼の自己認識です。しかしイエスマン・松本信者ばっかりに囲まれて甘やかされるのは嫌だと。そんな事になるぐらいなら引退したほうがマシだって言ってるんです。だけど今に見てろと。周りがどうこう言おうと、自分の正当性は50年とか100年経ったときにひっそりと作品が語り継がれていることで証明されるんだと。




好きにすればいいんじゃないですか。でも、今の松本人志さんの状況はまさしく「イエスマン・信者に囲まれて甘やかされている」んですから、わざわざ映画を撮ってまで宣言した以上はさっさと引退するべきだと思いますよ。それこそ「生き恥をさらすぐらいなら自害しましょう(by たえ)」な状況なんですから。

そもそもこの作品自体にオリジナリティがないんですけど、、、。

実は一番どうかと思うのはこの作品のオリジナリティの部分です。本作の元ネタは「千夜一夜物語」または「最後の一話(A Story Short/ケルト民話)」です。どちらもある事情によって毎日一つずつネタを披露しなければいけなくなった人間がネタ切れに悩みながらも表現者としての能力を発揮していく話です。本作はこれに松本人志本人の自己表現をかぶせてくるんです。そこに乗っかるギャグもクラシカルなものから大道具を使った良くあるバラエティ企画ものまで、まったくオリジナリティがありません。「わざと寓話的にしたんだ」と言われればそうかも知れませんが、ここまで類型的なモノで固めておいて「表現者でござい」と言われてもかなり困ります。しかもこのテーマ自体も前作でやったことの焼き直しなわけで、それすらオリジナルではありません。だから本作にはどこにも見所がありません。

【まとめ】

最初に戻りますが、私は本作を見て松本人志作品はもうお腹いっぱいです。私は「ごっつええ感じ」のど真ん中世代でとんねるずよりもダウンタウン派でしたし、松本人志のダラダラしゃべりのショートコントは本当に天才的だと思います。ですが、ここまで自意識が肥大化してしまうと、これはもう手が付けられないように思えます。松本さんの中ではもう彼は立派な歴史的映画監督になってしまっていて、死後に評価が改められるような位置に自分を置いちゃってるんです。そりゃあ確かに吉本興行の映画では良い方ですし、周りも稼ぎ頭に文句をいいづらいのも分からないではないですが、、、いい加減これは誰か止めた方がいいと思いますし、100歩譲ってもちゃんとした監督や脚本家を雇って本人は制作とか原案とかでクレジットさせた方が良いと思います。
特にオススメはしません。でも松本さんが好きな人は見に行った方が良いと思います。ある意味では信心テストのようなもので、「これでもまだついてこれるか?」って聞かれているようでした。申し訳ないですが私にはもう無理です、、、。本当にすべっているにも関わらず「わざとすべってるんだ」という負け惜しみを前面にだしてしまった時点で、もう彼に求心力は残っていないんだと思います。寂しい話です。

[スポンサーリンク]
記事の評価
パラダイス・キス

パラダイス・キス

土曜の2本目は

パラダイス・キス」を見てみました。

評価:(30/100点) – 女王様、調子扱いてすみませんでした m(_ _ “)m


【あらすじ】

早坂ゆかりは高校三年生。受験を控えた大事な時期だがどうも勉強に身が入らない。母は大変熱心な教育ママで少しコンプレックスも抱えている。
そんなゆかりは、ある日道端でチャラい男にナンパされたあげく追い回され、貧血で倒れてしまう。目が覚めると目の前にはナンパ男とギャルがいた。話しを聞くと、彼らは矢澤芸術学院の学生で、卒業制作のファッションショーのモデルを探しているという。早々に切り上げようとしたゆかりの前に、これまたスカしたナルシストが現れる。それが、運命の出会いだった、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゆかりとパラダイスキスのメンバーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ゆかりが家出する。
第2幕 -> ゆかりのバイト生活とジョージ。
 ※第2ターニングポイント -> ファッションショーが始まる
第3幕 -> ファッションショーとその後。


[スポンサーリンク]

【感想】

土曜の2本目は「パラダイス・キス」です。ご存じ矢沢あいの大人気コミックスで、私もさすがにZipperは買ってませんでしたが単行本は普通に買ってました。やはり客層は女の子ばっかりで、しかも10代~20代ぐらいの子ばっかりでした。一番前の列だったので周りに人は居ませんでしたが、物凄い肩身が狭かったですw
さて肝心の映画ですが、まず間違いなく原作ファンからは袋叩きに逢うだろうという前提で、私はいまから全力で擁護したいと思います。おそらく叩かれる一番の焦点になるとおぼしきラストについても当然触れざるを得ません。ということで、漫画未読で、まっさらな気持ちで映画を見たい方はご遠慮ください。

原作の肝:現代日本版のプリンセス・ストーリー

本作「パラダイス・キス」は、ストーリーのフォーマットとしてプリンセス・ストーリーの型を使っています。主人公の早坂ゆかりは教育ママの元で進学校に通う”冴えない女の子”です。ポイントは、彼女は漫画ならではのトリックで絵面はすらっとした美形になっていますがストーリー上は決して美人ではないと言う点です。そんな彼女がある日街中でスカウトされます。スカウトといってもファッションデザイン学校の卒業制作のお祭りモデルであって、決してプロではありません。そしてそこで金持ちでナルシストが入った”天才”のジョージに出会うわけです。しかし、ジョージも実際には決して一般的な意味での”天才”ではありません。彼はあくまでも専門学校という井の中の蛙のトップクラスというだけです。ゆかりはそんなジョージと出会うことで、いっときの「夢」を見るわけです。しかしそれはあくまでも「夢」であって、現実はそんなに甘いものではありません。ジョージはゆかりの日常空間に非日常というイリュージョンを生み出したプリンスであり、ゆかりはそのイリュージョンを一瞬垣間見ることで一生の幸せを得るわけです。そしてそれこそが「青春」なわけです。だって青春ってそういうことですから。
ですから、「パラダイス・キス」は間違いなく青春漫画であり、そしてプリンセス・ストーリーなんです。まるでディズニー映画で魔女に出会ってプリンセスに変身する庶民の女の子のように、ゆかりはジョージによってモデルの夢を見るんです。

一方の映画版は、、、

さてさて、一方の映画版はどうかと言いますと、一言で言えば「天才が才能を発掘され調子にのる話し」です。つまり「ハリー・ポッター」「トワイライト」等でお馴染みのいつものアレです。ゆかりは元からモデルの才能があり、家出するなりいきなり雑誌のモデルの仕事を”バイト”としてこなし、しかもプロのモデル達からも一目置かれます。ファッションショーのリハーサルではロクに真っ直ぐ歩けなかったくせに、数時間後の本番ではスタスタと歩いた上にドヤ顔まで披露する余裕を見せます。ゆかりは努力の人ではなく完全に「選ばれし者」です。
このストーリーは才能のあるゆかりがジョージやイザベラという仲間にチヤホヤされてその才能を発揮するまでのストーリーです。当然天才ですから、周りの仲間は簡単に引き離されてしまいます。あれだけ天才扱いされていたジョージもラストでは完全に立場が逆転してしまいます。そうです。この映画版は原作の肝をことごとく潰しています。ゆかりはいっときの夢を見たわけではなく本物の天才モデルです。雑誌の表紙やグラビアを大量に獲得し、CMや街頭ポスターにも出まくりです。一方のジョージはデザインして委託販売したパラダイス・キスの服が一着も売れず、先生からは「彼は感性の人だから商売として服を作るのは無理」と一蹴され、実際にパリに留学しても泣かず飛ばずで結局洋服屋を諦めます。最後はミュージカルの衣装デザイナーに落ち着きます。
この映画版は原作のテーマでもあった「でも現実ってそんなに甘くないぜ。でもそういう調子こけてたことこそが美しき青春じゃん?」というド根本的な部分がバッサリ切り捨てられており「天才が天才としての才能を開花して人生思い通りでバラ色」になって終わります。つまり「現実は甘くない」という視点が無くなって甘やかされて終わるわけです。
ですから私は確信します。本作は間違いなく原作ファンの怒りを買います。当たり前です。だって話しが180度変わってるんですから。原作で儚いからこそ美しかったイリュージョンが、現実にずっと続くようになっちゃってるんですから。北川景子が「王様のブランチ」のインタビューで「原作は消化不良だった」とかふざけた事を言っていましたが、原作は消化不良なのではなく現実的な落としどころを見せることでより青春を美しく見せているんです。夢は覚めるからこそ美しい。醒めない夢の中にいる人はそれが夢だと気付きませんから。
いかんいかん、、、ついつい怒りが出てきてしまいましたw いかん!!! 私は今日は擁護しようと思ってたのに!!!!
ということで次のパートでは力の限り擁護しますw

よ~し。頑張るぞ!!!

もう欠点は指摘いたしましたので、ここからは全力で擁護するパートに行きたいと思います。制作関係者の皆様、ならびに北川さん・向井さんの熱狂的ファンの方々、お待たせいたしました!!!
まず何がすごいって、本作に出てくるジョージの衣装は完璧です!!! 一目で「うわぁ、、、、こいつセンス無いわ、、、、ダッサ、、、。」と分かるのに、劇中では高校に勝手に入り込んでキャーキャー言われるほどイケメン扱いされるわけです。この描写によって本作の舞台がファンタジックな異空間であり、まさしくイリュージョンの中だと分かるようになっています。つまり、画面に映っているジョージは驚くほどダサいのに、作中の人々の脳内では超絶なイケメンに見えているわけです。これは青春で舞い上がった少年少女達の新しい表現の仕方です。まさしくブラン・ニュー!!!
また、北川景子さんの表現も完璧です。冒頭からお嬢様・勉強できる子とは対極にある茶髪で厚化粧な状態で出てきますので、そりゃあ生活指導で呼び出されるのも当然です。この辺りは実在感が完璧です。います!!! いますよ、進学校でグレちゃって自分探しをはじめちゃう子にこういう雰囲気の子はいます!!! 完璧!!! しかも身長が160cm弱しかないのに道端でモデルとして声を掛けられるほどの圧倒的な存在感とドヤ顔感。これはもう北川景子にしかだせません。特に前半のサディスティックな雰囲気は最高に魅力的でした。鼻の穴にも華があって完璧なドヤ顔です。100点!!!!
恋愛要素という意味でも本作は良く表現できています。ゆかりはジョージを一目見た瞬間に惚れてしまうわけで、これは北川景子さんの「イケメン食い伝説」と相まって物凄い実在感を伴っています。ジョージはジョージで早い話が結局口だけの小者なんですが、しかしその小者がキザなハッタリを言ったばっかりに意志の強いギャルギャルしたイケイケな女に絡め取られていく感じがサイコホラーとして哀愁すら漂わせます。「あぁ、、、こういう半端な男ができちゃった結婚とかで強いチョイ可愛い女性に人生を食われていくんだな、、、。」という現実がしみじみと表現されていました。まさに弱肉強食。身につまされます、、、お大事に。
やっぱり実写で「パラダイス・キス」を表現するのってとんでもなく難しいと思うんです。だって原作は「青春ならではのキラキラとした夢の様なイリュージョン」を見せるものだったわけですから、それを実写にしたら全然イリュージョンじゃなくなっちゃうんです。「パラダイス・キス」を実写化するのであれば、どうしても一般的な恋愛映画にするのが一番簡単ですし、そうすると「実は天才な女の子がフックアップされる話し」「ハンパに才能のある男が慢心した末にイケイケな女に絡め取られて人生を潰す話し」に落とし込んじゃうのが手っ取り早いです。やっつけ仕事としては十分にまとまっていますし、問題無いクオリティだと思います。
そういう意味では、本作のヒーロー・ヒロインのキャスティングは本当に最適だとおもいます。時折清楚に見えるけど基本はガツガツした強いギャル女である北川景子と、遠くから見ると雰囲気がイケメンに見えるけど実はすごい弱気で純朴な丸顔をしている向井理。この2人がそのまんま本作のゆかりとジョージとしての強烈な実在感を支えています。もちろん原作のゆかりとジョージとはほとんど正反対なのが難点ですが、、、。

【まとめ】

ということで、本作のテーマは実は「半端な男の人生転落劇」だったんです。それまでイケイケだったのに自分よりはるかに上手(うわて)な女性と出会ってしまったことで主導権を完璧に奪われて転落していく話し。しかもその転落の瞬間が北川景子の本気で恐いドヤ顔@ファッションショーなんです。ドヤ顔一発で自称天才だった男の自信を粉砕した上に踏み台にして、かつその直後のキスで完全に男の人生を掌握する。あまりの恐ろしさに身震いしてちょっとチビりました。
パラダイス・キスとして見ればこんなゴミフィルムになんの価値もありませんが、恐い女と弱気な男の恋愛話としては大変面白い作品です。ドMな男の子とドSな女の子には全力でおススメします!!!!
YOUもこんな男の子or女の子に出会っちゃいなYO!!!! オススメDEATH!!!!

[スポンサーリンク]
記事の評価
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

本日の1本目は

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」です。

評価:(2/100点) – ドラッカーがまったく関係ない (‘A`)


【あらすじ】

川島みなみは親友で野球部のマネージャーの夕紀が入院したのを機に代役として臨時マネージャーに就任する。しかし、みなみは初日でいきなり部員達とぶつかってしまう。学校帰りに駆け込んだ本屋でマネージャーに関する本を探した彼女は、そこでドラッカーの「マネジメント」を購入する。マネージャーはマネージャーでも「管理職」の本を買ってしまったみなみだったが、彼女は「マネジメント」に書いてある教えが野球部にも活かせるのではないかと思い実行に移すことにする、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

本日の1本目は「もしドラ」です。初日でしたが、驚いたことに中学生ぐらいの子と親子連れとアイドルオタクっぽい人が入り乱れてそこそこ観客が入っていました。かなり異様な組み合わせの客層ですw

そもそもの話し

本作はいろいろと「曰く付き」な作品ですw 元々この原作の仕掛け人は某アスキーに居た加藤さんという方でして、彼がダイヤモンド社に移ってやったことと言うのが「アスキー的な方法論」をお堅いダイヤモンド社に持ち込むことでした。すなわち「オタク的なもの」と「ビジネス的なもの」のコラボです。原作はそれだけを見るとまったく面白くないラノベですが、それをダイヤモンド社のビジネス書シリーズで売ることで「ドラッカーの入門書」という付加価値をつけることに成功し、見事にドラッカーを読めない(めんどくさがりやな)叔父様達への「HOW TO本」に仕立てたわけです。
ところが、、、ここからが面倒なのですが、、、原作者の岩崎夏海さんはあくまでも「自分の作品がおもしろいから売れたのだ」という自意識が強いかたでして、この加藤さんのやり方にものすごい反発しています。ぶっちゃけた話し、岩崎さんは文庫化するときにはダイヤモンドから版権を引き上げて別の出版社でお堅い装丁にして出すとまでおっしゃってました。なので、実は岩崎さんとしてはNHKでやってるアニメ化にはかなり消極的でして、どちらかというと実写の本作の方に力を入れています。元々、岩崎さん自身は秋元康の事務所で放送作家をやっていたバリバリの秋元チルドレンで初期のAKB48にも関わっていますので、映画で前田敦子が主役をやって主題歌がAKB48なのは当然の流れです。

ドラッカーが関係無い。

という背景の元での本作の話しに行きます。確かに原作には忠実なのですが、それを映画にすることでより直接的に問題点が浮かび上がってしまっています。
一番の問題はーーそしてこれは根本的な問題ですがーー本作の内容はドラッカーのマネジメントと全く関係がありません。本作は「高校野球のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んで、経営の方法論を高校野球部に持ち込んで成功する」というストーリーだと勘違いされがちですが、実際にはただ単に「天才の集まりなのに団結力と精神力に問題がある高校野球部員が悶え合った末に仲間の死で一致団結して力を発揮する」という大変安っぽい話しです。
本作には技術論や効率的な方法論はまったく出てきません。基本的には「みんな頑張るぞ!!!!」という根性論でなんとかなってしまいます。唯一マネジメントっぽいのはチーム分けをして内部競争を起こすという部分ですが、それも野球部であればどこでもやっていることなので別にマネジメントがどうこうではありません。

まったく野球を描いていない

ですので、本作はROOKIESと同じくただただ仲間がイチャイチャしているだけのどうしようもない作品です。敵校が誰かも良く分かりませんし、そもそも味方も主要人物以外は良く分かりません。ピッチャーとキャッチャーとショートと代走ぐらいしかまともに名前も出てきません。なんとなく雰囲気だけで野球っぽい体裁を整え、なんとなく野球っぽいことをやっているだけです。そもそも応援団がピッチャー交代でもないのにピッチャーのテーマ曲を演奏するなんぞ聞いたことがありません。守備側のブラバン応援は高野連の禁止要項です。この映画の監督はそんな常識も知らないのか!!! 相手チームに失礼だろ!!!!
本作で映し出されているのは野球ではなく、ただの悶えあいごっこです。大振りして相手を油断させて次でホームランを打つというのも、結局は相手を舐めているだけで作戦でもなんでもありません。2塁ランナーがいるのに1塁ランナーが8歩もリードするのはリスクこそあれメリットはありません。無茶苦茶です。劇中ではイノベーションとか言ってますが、ノーバント・ノーボール戦法もまったく新しくありません(※往年の権藤監督の横浜ベイスターズ1998年~2000年はまさにノーバント・ノーボール戦法でした)。ちなみにこの権藤監督の方針と酷似した戦法をマネジメントの観点から実戦したのがオークランド・アスレチックスのGM:ビリー・ビーンで、2003年に「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」として彼の考えが本にまとめられ日本でも知られるようになります。
ぶっちゃけていうと、そもそもからして原作は明らかにこの「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」に影響を受けています。ただ岩崎さんが野球に詳しくなかったのか、「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」の肝心なところをパクリ損なっているのがなんとも微妙です。

役者も野球の動きがまったくなっていない

そもそもロクに場面もないくせに野球の動きがおかしいです。
特に一番酷いのがピッチャーの慶一郎こと瀬戸康史の動きで、どん引きするぐらい「手投げ」です。左足がまったくあがらない上に腰が回っていないので、砲丸投げみたいなフォームになっていますw しかも運動音痴で足腰が弱いのか、投げた直後にちょっと可哀想になるぐらい体が一塁側に流れます。ストライクが入らないのは精神論ではなく明らかにフォームの問題と筋力不足です。つまり練習不足。せっかく良い役をもらったんだからせめてキャッチボールぐらいは練習しようよ、、、、別にいいですけど。
また、バッティングも悲しいぐらいヘッドが寝ています。バットの動きとボールのはじき方が不自然なので打球はCGだと思うんですが、それにしてもちょっと野球映画としては、、、、無理でしょう。
ちなみに名前が分かりませんが、レフト(サード?)の子がショートのエラーをカバーしたときだけはちゃんとした動きでした。もしかしてメイン所以外はそこそこ出来る人をつかったんでしょうか?

【まとめ】

とまぁ書いてきたように大変残念な作品となっています。ほとんどが原作の不出来による問題ですので映画の制作側に言っても仕方がないのですが、、、所詮は人気作品を人気アイドルで実写化するというだけの企画だって言うことです。唯一良かったのは、前田敦子や峯岸みなみよりも川口春奈が遙かに可愛くて遙かに魅力的だったというのが分かったことです。前田さんも頑張ってはいたんですが、、、どうもね、、、。彼女に演技させるなら、「マジすか学園」1期みたいになるべく喋らない役の方が良いと思います。しゃべると途端にボロがでてしまいますので。
オススメはなかなか難しいですが、野球のことやビジネスのことをまったく知らないのであれば意外と楽しめるかも知れません。川口春奈を見に行く目的ならギリギリありではないでしょうか。
また、どうでも良い部分ですが、前半30分ぐらいのホンジャマカ石塚と青木さやかのセンテンスは思わず劇場から逃げ出したくなるほど恥ずかしいです。しかもストーリー上はまったく意味がありませんので、本当になんでいれたんでしょう?
大変残念な作品でした。

[スポンサーリンク]
記事の評価