釣りバカ日誌20 ファイナル

釣りバカ日誌20 ファイナル

さて2010年最初の映画はもちろんこれ。
釣りバカ日誌20 ファイナル」です。

評価:(60/100点) – ヌルい。だが、それが良い!


【あらすじ】

鈴木建設のハマちゃんこと浜崎伝助は釣りが大好きな駄目営業マンである。ところが持ち前の人望によって200億の案件を受注し、会長賞を獲得してしまう。会長はもちろんスーさんこと鈴木一之助。鈴木建設創業者にしてハマちゃんの釣り仲間だ。
祝いに訪れたスーさん馴染みの料亭「沢むら」で、ハマちゃんはスーさんが娘のように大事に面倒を見ている沢村葉子とその娘・沢村裕美を紹介される。亡くなった葉子の両親はスーさんの大親友であった。自身の老い先が短いと悟ったスーさんは、最後に葉子の父の墓参りに北海道を訪ねたいと申し出る。北海道と言えば渓流釣りの名所が目白押し。こうしてハマちゃんとスーさんの北海道旅行が始まった、、、。


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【感想】

あけましておめでとうございます。
2010年のお正月、10年代の始まりにふさわしい映画と言えば、もうこれしかないでしょう。日本最後のプログラムピクチャーにしてお正月映画・お盆映画の代名詞「釣りバカ日誌」であります。
とにかく全編を通してヌルいヌルい。微妙なギャグと古くさい演出のオンパレードで、客観的に見れば映画としてかなり如何な物かと思う出来です。
本作のメインストーリーは劇場予告にもあるとおり、沢村葉子がスーさんの隠し子ではとの疑惑と、裕美の同棲騒動から発展する沢村親子の話です。しかし正直に言って北海道および沢村親子の件は別にどうとも発展しません。極端な話、全部カットしても話は通じます。この適当な感じの脚本とヌル~い掛け合いが全編で続きます。
ここまで書くと酷い駄目映画に思えますが、でも本作はそれで良いと思いますし、それ”が”良いのです。理由は後述します。
役者の方々は全員素晴らしいです。三國さんや西田さんは言わずもがな、益岡徹さんや笹野高史さん、若手では吹石一恵さんも含めて、どなたも皆本当に素晴らしい仕事を見せてくれます。若干一名、塚本高史さんだけが浮いてますが別に出番もセリフも少ないのであんまり気になりません。そもそも演技には期待しない若い女性を劇場に呼ぶための撒き餌ですから(笑)。またカーテンコールで、本作初期のレギュラーメンバーのある方の顔が見えます。最近では健康上の理由で表舞台から離れていますので、本当にうれしいサプライズです。三國さんの本当にうれしそうな笑顔と相まって、私なんぞはこのカーテンコールだけで1000円分の価値はあると思ってしまいます。

最後のプログラム・ピクチャーということ

本作は現存する日本最後のプログラム・ピクチャーのシリーズです。プログラム・ピクチャーとは昔の劇場で二本立ての繋ぎで流れる、時間穴埋め用に適当に作られたB級映画です。ただ一概に適当=駄作とも言えませんで、もともと看板映画ではないので観客の存在を気にしないことから実験場という側面が強くありました。そして毎回独立した作品を撮り下ろすのは面倒ですから、必然的にシリーズ物が多くなります。一聴するとつまらなそうに聞こえますが、とはいえ東映のトラック野郎や不良番長シリーズはいまでも人気がありよく浅草とか神保町の単館でリバイバル上映しています。
プログラム・ピクチャーの低予算シリーズものは、「早撮り低予算」という必然から連続TVドラマのような雰囲気になっていきます。火曜サスペンスのシリーズ物をちょっとまじめに撮ったヤツと思ってもらえれば、当たらずとも遠からずです。
90年代からシネコンが日本でも爆発的に増えました。私は映画ファンとしてこのシネコン大増殖には大賛成ですし大変感謝しています。画一的な上映環境を提供してくれるシネコンのおかげで、都会だろうが田舎だろうが系列シネコンではほとんど同じフィルムが上映されます。ですので、田舎でもある程度ビッグバジェットの映画は見ることが出来ます。もちろん角川やハピネットが配給するB級ホラーや東宝の実験作は東京・大阪でしか見られませんが、それでも映画文化を考えれば田舎の映画上映機会を増やした功績は大きいと思います。一方で、経営的な面で単館に厳しくなっているのは間違いありません。私の近所の単館映画館も10年ぐらい前に2館が閉鎖してしまいました。子供の頃にドラえもんや東映まんがまつりを見に行った思い出の映画館が無くなるのは本当に寂しい物です。でもジャック&ベティや有楽町スバル座のように、大資本の後ろ盾が無いながらも差別化で頑張っている良質な映画館はまだまだあります。
ちょいと脱線してしまいました。シネコンが増えたことによる煽りは映画館だけにあるわけでは無く当然作品側にもあります。その一つが上映形態です。シネコンでは回転率をあげるために「全席指定入れ替え制」が当たり前です。一方でリバイバル上映や2番館(初回ロードショーの半年後ぐらいに余所で使ったフィルムのお下がりで上映するムーブオーバーが主流の映画館)では二本立て三本立ての自由席が主流です。朝チケットを買って入れば、いつまででも座っていられる形式です。前述のプログラム・ピクチャーはあくまでも後者の映画館でメイン作品とサブ作品の間に上映される「トイレ休憩用」の作品です。なのでシネコンでは必要ありません。このシネコン全盛の時代には、プログラム・ピクチャーが流れる環境自体が無くなってしまっています。釣りバカ日誌シリーズの終了も、三國さんのお年の問題とは別にやはりこの上映環境の問題が大きいと思います。日本最後のプログラム・ピクチャー・シリーズの終了が意味するのは、この複数本立てで新作を上映するという文化の終焉を意味します。かつてはメイン作品の看板スターで客を呼び、サブ作品で若手のスター候補を売り出すというのが常識でした。70年代の大映倒産で映画制作所とスター俳優の専属プロダクト制が終焉し、そして00年代のシネコン全盛で二本立て文化が終焉します。

【まとめ】

以上のことから、本作はある意味では日本映画文化の遺産であり、そしてプログラム・ピクチャーを象徴する作品でもあります。
適当な脚本も古くさい演出も、それ自体が一つの「型」として成立しているように思えるのです。本作はいわゆる「お正月映画」としてよりも、「最後のプログラム・ピクチャー」としての文脈を背負ってしまっています。だからこそ、ラストのカーテンコールでちょっと泣いちゃうわけです。別に良い話でも無いですし、泣くほど面白い作品ではありません。でも、こういうしょうもない作品を上映する環境が日本には存在していたんだということと、そしてそれが終わってしまったということ、それ自体が本作の価値だと思います。カーテンコールで三國さんが手を振る姿はまさに日活スターが手を振る姿であり、ひいては日本映画黄金期が手を振っているように見えてしまいます。
非常に残念な事に劇場は客入り4割ぐらいで、ほとんどが中年夫婦と老夫婦の家族連れでした。こういう作品だからこそ、是非20代・30代の人たちにも見て欲しいですし見るべきだと思います。私たちの世代は、こういう文化があったんだと言うことを子供達に話す義務があります。点数は60点としましたが全世代必見の歴史的作品です。全力でオススメします!!!
合体!!!

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スノープリンス 禁じられた恋のメロディ

スノープリンス 禁じられた恋のメロディ

今月に入って仕事の関係で全然映画が見られていないので「スノープリンス 禁じられた恋のメロディ」で癒されてみようかと思ってみました。

評価:(5/100点) – 岸恵子の無駄使い

【三幕構成】

第1幕 -> 早代ばあさんの元に封書が送られてくる。
 ※第1ターニングポイント -> 草太が秋田犬を拾い「チビ」と名付ける
第2幕 -> 草太とチビと早代とキタサーカス
 ※第2ターニングポイント -> じいちゃんが倒れる
第3幕 -> じいちゃんの死と草太の最期


【あらすじ】

ある日、一人暮らしの早代の元に封書が届く。そこには早代が子供の頃に好きだった草太との日々が綴られた原稿が入っていた。後日訪ねてきた老人から、原稿は草太の父が書いた物であり老人は草太の異母兄弟だと明かされる。老人は途中で終わっている文章が気になり、登場人物である早代に結末を聞きに来たのだ。
早代の孫娘も催促する中、彼女は草太の最期を語り始める、、、。


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【感想】

K・U・S・O・E・I・G・Aです。いろいろツッコミどころがありますが、まずは個別論に行く前に本作の概要から考えてみましょう。

「スノープリンス」の狙い

本作は、早い話がジャニーズのJr期待の星・森本慎太郎君をいかに売り出すかの一点のみに心血をそそいだアイドル映画です。アイドルにとって銀幕の初主演作というのは大変な意味を持ちます。ウケればアイドルのおかげ、コケればアイドルのせいです。
森本君の相方には「ちりとてちん」で活躍した劇団子役の桑島真里乃ちゃんが起用されています。
話の内容は典型的なお涙頂戴もので、別に「フランダースの犬をモチーフにしました」なんて言わなくても健気で純朴な少年を愛でるだけのよくある話です。ディテールとしては全く悪くはありません。ものすごく人の良い貧乏な少年が犬を拾って育てつつ悲劇に逢う。結構じゃないですか。ついこないだ「なくもんか」で「貧乏、動物、子供は泣けるドラマの三大要素」という苦笑ものの酷いセリフがありましたが、もろにそのまんまです。
逆に言えば、制作者の志もその程度の映画ってことです。

本題のツッコミ所

さて本題に入ります。観ていて一番に気になるのは語り口の混乱です。このロジックは「ゼロの焦点」の時に触れましたのでそちらを見ていただくとして、要は「今スクリーンに映っている映像はなんなのか?」がさっぱり分からないんです。原稿を読んでいるシーンであれば、それは草太の父が書いた物の筈です。だったらサーカス団がくる前の話が書いてあるのは明らかにおかしいです。さらに父の登場しないシーンが山程出てきます。
さらに最終盤で原稿が終わった後は早代の回想になるわけですが、ここでも早代の知るはずが無いことが次々にスクリーン上に展開されます。
これを普通に(=常識的に)解釈すると、序盤~中盤にかけての「父が登場しないシーン」は草太から聞いた話の断片からふくらませた話です。さらに終盤のシーンは早代が美化して都合良くアレンジした思い出話です。
追加するなら、本作に登場する草太の心情表現はすべて父ないし早代というフィルタがかかったものです。
そんなわけで、見ているとどんどん早代が嫌な奴に見えてしまうんです。だって「あの子は貧乏だったけど心は清かった」「貧乏なあの子が好きだったからビスケットをあげた」「あの子はおじいさんが死んだ後は私に絵を渡すことに必死だった」etc。
書いてて腹立ってきたんでこの辺にしますが、草太が純真無垢な素晴らしい少年に描かれれば描かれるほど、それが現実離れしていけばしていくほど、この父or早代のフィルタが露骨に見えてしまいます。残念な話です。
ちなみに森本君と桑島ちゃんはそれほど悪い演技では無いです。すくなくともTAJOMARUに出てた子役3人よりは何倍かマシです。将来楽しみかはともかく、ジャニーズの巨大パワーを遺憾なく発揮していただいて是非次代のスターになっていただければと思います。
あと当たり前ですが岸恵子もすばらしいです。出番は少ないですが、彼女の柔らかく品のある佇まいのおかげで早代への反感は確実に減少しています。
最後に、これは改めて再確認したことですが、私は香川照之さんと浅野忠信さんの演技プランが嫌いです(苦笑)。この2人が出ていた映画で良かったと思った作品が皆無です。「SOUL RED 松田優作」の時に何となく感づいてはいたのですが生理的に無理。両名のファンの皆さんすみません。たぶんこの2人の印象で、個人的な作品の全体評価が相当下がってると思います。

【まとめ】

本作は、ショタコンやロリコンのみならず岸恵子萌えまでカバーするという、あらゆる意味で生粋のアイドル映画です。
はっきり言ってすっごいつまらないですが、でも森本君がこの後も事務所猛プッシュを受けられれば、たぶん10年後に話のネタぐらいにはなると思います。ですので見に行って損はありません。万馬券を買うような気持ちで1800円をどぶに捨てられれば、オススメです!
ちなみに観客は女性ばっかりなのかと思っていたのですが、予想以上に「いかにもオタク」な男性2人組が目立ちました。ロリコン業界には疎いんですが、もしかして桑島ちゃんって結構メジャーなんでしょうか?
いまいち「森本ー桑島 間」のパワーバランスが分かりませんで、、、。
ひょっとするとメジャー・桑島ちゃんが新人・森本君を引き上げている構図だったりして、、、。それだとちょっと話が変わってくるんですよね。完全に森本君に場を持ってかれてるので。


追記(2009/12/16)

なんか興行的にかなり塩っぱいことになっているようです。もしかしたら森本君も見納めでしょうか。ご愁傷様です。
でも大丈夫。ジャニーズに代わりはいくらでもいるもの、、、芸能界は残酷ですね。

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SOUL RED 松田優作―生きているのは、お前か俺か

SOUL RED 松田優作―生きているのは、お前か俺か

SOUL RED 松田優作―生きているのは、お前か俺か」を見てきました。最近ドキュメンタリー多いですね。
評価:(75/100点) – 丁寧に語るカリスマのフィルモグラフィ


<概要>
松田優作生誕60年および没後20年の記念ドキュメンタリー。早世したカリスマ松田優作とゆかりの深いゲストスピーカー達へのインタビューを通して、人物・松田優作を考える。


<感想>
人物ドキュメンタリーの場合にはまず立場をはっきりさせる必要があります。優作が亡くなったとき、私は小学生でした。ただ記憶にはありません。私がはじめて優作の作品を見たのは、日テレで夕方再放送していた「探偵物語」です。次いでテレ東の深夜放送で「蘇える金狼」を見ました。たぶん1998年のリメイク版「蘇える金狼」の宣伝枠だったと思います。そのほかの作品については後にDVDでフィルモグラフィを追いました。
おそらく松田優作に熱狂した方々とは二世代くらい離れているかも知れません。私にとっての松田優作はそれこそブルース・リーのような「映画史には欠かせない偉大な俳優」という認識でした。ただ、いまでも「ねぇジュピターには何時につくの?」を聞いたときの衝撃は頭から離れません。
このドキュメンタリーは、一世代上の黒澤満プロデューサー(=育ての親)、仙元誠三や丸山昇一といった同世代の仕事仲間(=戦友)、浅野忠信・香川照之・仲村トオルといった一つ下の世代(=後継者)、そして龍平・翔太という実の息子(=血脈)と全四層のそれぞれから人物・松田優作を語ります。とても分かりやすい人もいれば、酔っぱらいかと思う人や何故か正統後継者を自称してヒートアップする人もいて、まさに三者三様です。誰がどのタイプかは劇場でお確かめください(笑)。
私はこの映画を見ていてクリント・イーストウッドと松田優作を重ねてしまいました。歳は違えど優作もイーストウッドも、日米それぞれの「映画黄金期」にギリギリ間に合わなかった方々です。そして間に合わなかったが故にそれを生涯追い求め続けて”最後の守護者”となった方々です。優作は旧来の映画会社とスター俳優の「専属契約・主演作量産」体制に間に合わなかったが故に、個人の情熱と努力と才能と技量によって自らスターにのし上がり、最後には「松田組」とも言うべき制作体制を作り上げました。そして、テレビ局や広告代理店が主導の「クオリティを無視したマーケットビジネス商材としての映画」が氾濫する現在から見れば、まさに「陽炎座」から「華の乱」までの異様でいびつな優作のフィルモグラフィこそが「日本映画が燃え尽きる直前の最期の輝き」に見えるのです。前半生の狂気を身体で表現できるカリスマ・アクションスターから、後半生の姿や仕草で人間味と陰を表現する超演技派時代まで、非常に幅広い松田優作を系統立てて見ることが出来ます。そしてまるで「一人黄金期」と言っても差し支え無いほどの強烈なカリスマ性と自分勝手さによって、どんな役であったとしても鮮烈な印象を残していきます。
松田優作はもはや映画の教科書にでてくる「歴史的人物」になりつつあります。しかし、彼の情熱や映画に対する真摯な態度、そして何よりも圧倒的なまでの威圧感と存在感は今なおまったく色褪せていません。むしろ現在の邦画が酷くなりすぎて、優作の生きた当時よりも輝きを増しているかも知れません。ビッグバジェットのスポコン邦画なんて見てる場合ではありません。是非、映画館で「RED SOUL~」を見て、そして帰りの足でレンタルショップに行って「蘇える金狼」「野獣死すべし」「華の乱」を借りてください。まったく古びない感動を味わえること請け合いです。全力でオススメします!

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僕らのワンダフルデイズ

僕らのワンダフルデイズ

「僕らのワンダフルデイズ」を見てきました。
評価:(50/100点) – どこを切っても竹中直人


<あらすじ>
胆石で入院していた藤岡徹は、ある日リハビリ中に主治医が「末期の胆のうガン。もって半年」と言うのを聞いてしまう。生きる気力を失った藤岡だが、息子の学園祭でバンド演奏を目撃し自身の学生バンド時代を思い起こす。彼は人生の最後にバンドを再結成することを決意する、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 藤岡が自身を末期の胆嚢ガンと思い気力をなくす。
 ※第1ターニングポイント -> 息子の学園祭でバンド演奏を目撃する。
第2幕 -> シーラカンズの再結成と練習風景
 ※第2ターニングポイント -> 練習後に山本が倒れる。
第3幕 -> 演奏会とエンディング


<感想>
本作は竹中直人が主演する他の映画と同じくどこを切っても竹中直人です。シリアスな話の内容とは裏腹に、彼の「面白い」「いつもどおりの」「ふざけた」演技が炸裂します。本作の評価は彼の演技を「うざい」「しつこい」「くどい」と感じるかどうかが全てといっても過言ではありません。
前半の気力を無くした藤岡と、バンド結成後に命を燃やし尽くそうとする藤岡を、竹中直人は非常に上手く表現します。彼が心の中の絶望をまったく表に出さずにハジけまくる様子は、竹中のオーバーリアクションと相まって悲痛な中にもすがすがしさすら感じます。お涙頂戴は前半も前半のみで、中盤からは仕事や私生活の悩みに翻弄されながらも趣味に打ち込む中年の青春活動を描きます。決して巧みなエンターテインメント映画ではないですが、かなり丁寧に作られている良作だと思います。
惜しむらくは、クライマックスであるバンド演奏会が終わった後の「後日談」が長すぎるため、見終わった後の「竹中直人がくどい」という印象を加速してしまっている点です。演奏会のバンド演奏をバックにエンドクレジットが出るか、せめて結婚式の演奏開始と同時にエンドロールでも良かったのではないでしょうか?10分は「後日談」としては間延びしすぎです。
またこの手の音楽物で一番難しい「音楽の説得力」の部分ですが、私はかなり良かったと思います。さすが奥田民生監修と言いましょうか、良い意味で素人バンド感がでていました。素人のわりに観客を煽りすぎではありますが、そこは竹中直人なので、、、諦めましょう(笑)。
<まとめ>
不覚にも、私は前半で一回泣きました。まさか竹中直人に泣かされる日が来るとは思わなかったです。本作は決して大絶賛できる内容ではありません。脚本もわりと雑ですし、観客の予想を超える展開はありません。でも安心して楽しめる良作だと思います。前売り券も安いですし、もし時間がある方は行ってみてください。なかなか良い2時間を過ごせると思います。オススメです。

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母なる証明

母なる証明

本日のハシゴ二本目は「母なる証明」です。
評価:(70/100点) – キレてるオバさんの観察記録

※今回はネタバレ全開です。公式の予告でも既に全部ネタバレしてますが、もしまっさらな気持ちで見たい人は読まないでください。


<あらすじ>
田舎町で女子高校生が殺害される。状況証拠から逮捕されたトジュン。母は息子の無実を信じ非合法な独自捜査を開始する。ついには事件の目撃者を発見するが、彼が見たのは、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> トジュンのキャラ紹介。
 ※第1ターニングポイント -> トジュンが逮捕される。
第2幕 -> 母の独自捜査
 ※第2ターニングポイント -> アジュンの携帯電話を発見する
第3幕 -> 解決編。


<感想>
もし皆さんが映画が好きで多くのサスペンスを見ているならこの映画のオチは予告と映画の冒頭5分を見ただけで分かります。
ある人物が逮捕され、その無実を証明するために主人公が独自捜査を行うという話は過去にいくらでもあります。この場合オチは二通りです。すなわち「誰かにハメられた」か「実際に彼が犯人」かです。そして本作の冒頭でトジュンがいわゆる「知恵遅れ」であることが明らかになります。
ということで、誰がどう見ても実際にトジュンが殺したのにその事を覚えていないというのは明らかです。そしてポン・ジュノ監督も当然そういう見られ方をするのは分かっているはずです。
すなわち本作は、スクリーン上は「真犯人探し」が行われるものの、観客は真犯人なんて最初から分かっているという不思議な環境のもと上映されるわけです。ではそこで画面に浮かび上がってくるのは何でしょうか? それこそが本作のメインテーマでありタイトルにもある「母」の感情です。
思い切って断言しますが、キム・ヘギャ演じる母親に感情移入出来る人は殆どいないと思います。正確には「理解は出来るがさすがにやり過ぎ」という感想を抱くと思います。証拠もないのに被害者の葬式に殴り込んだり家宅侵入したりやりたい放題です。あげくジンテというチンピラを使って脅迫までやります。これは暴走というには余りに凄まじく、まさに狂気です。
第三幕の冒頭で、母親は事件に関わっていると見られる男を訪ねます。話を聞くと、彼がトジュンの殺人現場を目撃したのが明らかになります。しかも証言の具体性や「知らなければ創作できない」トジュンの癖などから、証言の信憑性は明らかです。そこで母親がとった行動は、、、この目撃者を殺害することです。もはや「トジュンの無実を証明する」事など問題ではなく、「トジュンを助けること」のみが目的になっていることが明示されます。
そして彼女は無実だと確信しているダウン症とおぼしき少年にすべての罪をかぶせ、トジュンの釈放を勝ち取ります。
この一連の狂気を「母は強い」と一般論でまとめてしまうのは少々微妙です。あきらかにこの母親は一般平均レベルではありません。最後の最後で、彼女は内股の「嫌なことを忘れるツボ」に自ら鍼を打って、すべてを幸福の内に閉じ込めようとします。しかし出来るはずもなく、ただただ取り憑かれた様に踊ることで全てを忘れようとします。この女の狂気は業が深く、ある種の一貫性と圧倒的な存在感を観客に叩きつけます。
すなわち本作は殺人事件を巡るサスペンスというよりは、そこで解放された一人の女の狂気に恐怖するスリラー映画です。疑いようもなくこのキム・ヘギャは怖いです。
<まとめ>
この作品はハリウッド式エンターテインメントの構成をとった「キレてるオバさんの観察記録」です。このオバさんは一筋縄ではいきません。是非皆さんも映画館で、このオバさんのキレっぷりを堪能してください。「羊たちの沈黙」のレクター博士を筆頭に、映画史には多くの「魅力的な重犯罪者」がいます。キム・ヘギャの母親は、間違いなくこの系譜に入ってくるキャラクターです。オススメです。

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ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜

先月から見逃していた「ヴィヨンの妻」を見てきました。
評価:(72/100点) – 世界の亀山モデルの中では文句なくオススメ


<あらすじ>
大谷は酒遊びの酷い作家である。ある夜、大谷は中野の小料理屋から金5000円を盗む。店の主人にそのことを聞かされた妻・サチは人質として店で働きはじめるが、いつしか働く喜びに目覚め店の人気者になっていく。快く思わない大谷は自分の女遊びを棚に上げ妻の浮気を勘ぐり始める。いつしか夫婦の間にすれ違いが起こり始めた、、、。


<感想>
■ 雑観
まずタイトルを見ても分かるように、この作品は妻である松たか子演じるサチの視点を中心に描かれていきます。非常に簡単にまとめてしまえば「駄目な夫を健気に支える妻を通して見える人生の無常観」の話です。
浅野忠信演じる大谷は完全に駄目人間で、毎日飲んだくれて有り金全部使うかと思えば愛人宅で作家仕事してたり、正直救いようもありません。ただし、いわゆる詩的な駄目人間と申しましょうか、人生を嘆いて口では死にたいと繰り返すのにその度胸もなかったりする女性にモテるタイプの鬱風優男です。これがクセ者で、どんなに駄目な事を繰り返していても母性本能をくすぐればすべて許してもらえると本人が知っているんですね。だから懲りずに繰り返すしそこから成長する気も無いんです。もちろん大谷だけでは話は成立しません。ただのアホですから。そこで登場するのがほとんど菩薩かと思うほどのサチの存在です。
正直な所、サチが大谷を愛しているかどうかはよく分かりません。過去にある事件で大谷に助けられたことがきっかけでサチは大谷と結婚します。それが愛情なのか、助けてもらった引け目で面倒を見てるだけなのかは最後まで分かりません。ただ、とにかくサチは自分を殺してひたすらに大谷を支えます。上記のあらすじでは乱暴に「働く喜びに目覚め」としましたが、小料理屋で働くことは彼女がアイデンティティを獲得する手段でもあります。家庭でひたすら自分を抑えて献身する彼女は、小料理屋でアイドル的な存在になることでついに居場所を見つけ、自己実現を果たします。ただ、裏を返せばそれは「夫の面倒を見る」こと以上に人生の意義を見つけたと言うことです。当然大谷は気に入らないわけで、そこから彼の被害妄想と破滅願望が暴走していきます。
太宰のすごいところは、ひとえに自己を客観的に評価するその視点にあると思います。正直なところ、太宰のような破滅願望をもった人間は現在でも山ほどいます。というより非常に現代的な病で、下手すれば皆が持っているかもしれません。でも普通それを客観的には見られません。誰だって自分は可愛いですから、卑屈にも限度があります。でも太宰は自分に対して殆ど私情を挟まずに断罪できるんですね。この「ヴィヨンの妻」でも、サチという客観(=被害者)を通すことで、より大谷の駄目さが際立っています。最後まで更正する様子すら見せない大谷を、それこそ人間の本質ではないかと思ってしまう所がこの話をなぜだかひどくハッピーエンドに見せています。
ハッピーエンドなんですよ、これ。すごい悲惨でバカに振り回されまくってるだけに見えますが、でもハッピーエンドなんです。もとの鞘に収まってるわけですから。
久々にきちんとした人間ドラマの邦画を見た気がします。
■ 俳優について色々
この映画は期待していた以上に出来がよいです。ただ、、、、ただですね、、、俳優がちょっと、、、。
まず、伊武雅刀と室井滋と広末涼子はすばらしかったです。特に広末涼子。彼女はゼロの焦点でも「昭和の女」を演じますが見事です。結婚前に現代劇ばかりやってた時はクドくてうっとうしいと思っていましたが、この「ちょっと昔」の舞台にはベストマッチです。アイドル的な可愛さではなく、ちゃんと苦労してきた女が演じられるようになったなんて、、、同世代として感無量です。実生活で苦労したんですね、色々と。眼力や口元の表情の作りなど本当に素晴らしいです。また、伊武さんと室井さんはもはや何も申しますまい。はっきり言って本作の演出は特に台詞回しが下手です。なんでもかんでも言葉に出すテレビ的な演出が随所に見られて、「見てれば分かるわ!」とイラっとする事がしばしば。でも、伊武さんと室井さんはきっちり背中で演技ができるんです。画面の端や奥に見切れてる時でも、彼らが何を考えているか分かります。私のような若輩者が恐縮ですが、本当に良かったです。
一方、浅野忠信、堤真一の両名は本当に勘弁してください。松たか子は惜しい感じでイマイチでした。とくに浅野さん。演技派で売ってる方だと思いますが、剣岳の時もそうだし、つくづく時代物には向きません。ファンには申し訳ないですが「演技が安い」んです。薄っぺらい。台詞回しなんて棒読みで酷すぎます。本作では大谷は駄目人間だけどそれを補って余りあるぐらいの魅力が無いといけないんですよ。残念ですが、浅野=大谷が女性にモテるという人間的魅力にまったく説得力がありません。それは台詞が口から出る前にその人物の中で作られる様子が見えないからです。台詞から感情が見えません。ご愁傷様です。
松たか子にも同じ事が言えますが、彼女の場合は台詞ではなく表情です。本作のサチは前半の「自分を殺す献身的な妻」が話を追うごとにどんどん「表情豊かに」人間性を獲得していかないといけません。本作は結局元の鞘に収まる「行って帰ってくる話」ですが、唯一サチだけが人間的に成長(変化)します。そのクライマックスが「他人には言えない手段」を使って大谷を救うところです。だからクライマックスに向かって、菩薩然としていた女神様みたいなサチがある意味で俗世に紛れて人間になっていく課程を演じないといけません。これはもの凄くハードルの高い役です。非常に残念ですが、松さんには少々荷が重かったように思います。
浅野さん松さんの両名に共通することですが、演技が非常に舞台的です。舞台演劇と映画では声の出し方だったり表情の作り方だったりが全然違います。例えば宝塚出身の女優さんが現代劇に出たとき妙にわざとらしく見えてゲンナリすることがありますが、その感覚です。そりゃ舞台だったら後ろの方の席まで届けないといけませんからどうしてもオーバーリアクションになりますし、腹式発声が基本です。でも映画は暗い中で観客がスクリーンに集中してるんです。それこそ、小さい音一つ、眉の動き一つ、瞬き一つを凝視してます。だから、広末涼子が口元をほんのちょっとつり上げただけでも、「私は勝った」「私は大谷にこの世で一番必要とされている」という表現が成立するわけです。別に高笑いしなくても良いんです。その辺の文化的な違いが悪い方に出てしまったかなと思います。浅野さんと松さんはミュージカルとかトレンディ・ドラマが良いのでは無いでしょうか。
最後に堤真一ですが、本当に映画にでない方が良いですよ。テレビドラマの二時間枠に行ったほうが絶対に本人のためになります。彼は人間が演じられていません。決められたスクリプトどおりに動くサイボーグのようです。端的に言って会話してるシーンでも相手の言葉に対して一切リアクションがないんです。だから映画のように画角が広くて自分のメイン・カット以外の演技を強く求められる媒体には不向きです。テレビドラマのように顔のアップが基本で、話してる人だけが画面に映る媒体ならバッチリです。是非そちらに注力してください。
<まとめ>
長々と書いてきましたが、本作は今年の邦画の中では文句なく良作です。DVD鑑賞でも全然問題ない作品ですが、途中で抜けられない・一時停止できないという映画館ならではの拘束力がとても作品に合っています。ですので是非映画館で見てください。オススメです!

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沈まぬ太陽

沈まぬ太陽

角川のビッグバジェット映画「沈まぬ太陽」を見てきました。
評価:(10/100点) – 大自然を最後に持ってくる映画にご用心


【あらすじ】

国民航空社員・恩地は労働組合の委員長としての活躍を疎まれ世界中をたらい回しにされる。そんな中、国民航空機墜落事故が発生する。遺族世話係として尽力する恩地は新会長のもとで抜擢され、会社の改革に着手していく。しかし、待っていたのは再度の報復人事であった。

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【感想】

演出ダメ、テーマダメ。以上!



と言いたいですが、それじゃこの映画と同じになってしまうので(笑)具体的に挙げていきたいと思います。
ちなみに、この映画は皆さんご存じの通り限りなく日航機墜落事故をモチーフとして描いています。それはもうモデルの人が透けて見えるレベルです。この「事実を元にしながらエンターテイメント性を上げるため大幅に設定変更・エピソード追加をした結果、政治的な意図すら透けて見える」という状況が随所で非難の的になっています。ただ、そこに踏み込むと色々面倒なので、今回はあくまでもフィクションとしての映画として意見を書きたいと思います。

それぞれのパート

この物語は「ひとりの真面目な男が周りの色々な(理不尽な)事件にめげずに信念を貫く」というフォーマットをとっています。すなわち、この映画は大前提として主人公・恩地に感情移入しなければいけません。これが演出家の腕な訳ですが、、、ご愁傷様です。何故かと言うところを全四部構成のそれぞれについて見ていきしょう。

1) 労働組合闘争編
冒頭、墜落事故から過去に戻る演出で労組闘争が描かれます。恩地は「劣悪な労働環境は労働者の集中力を削ぎ安全性を損なう」という主張で経営陣に冬のボーナス4.2月を要求します。ところが、肝心の「劣悪な労働環境」が描かれません。また「労働環境の改善」の話が無くひたすら賃上げのみ要求している姿を見るにつけ、とてもじゃないですが感情移入できません。「労組闘争って格好いい!」「勝ち取ったぞ!」という生き生きした雰囲気はガンガン伝わってきますが、なんというか草野球で頑張るおじさんを見るのと同じ感覚で、客観的に「よかったね。」レベルで止まってしまいます。明らかに描写が足りません。

2) 海外僻地勤務編
さて報復人事で海外に飛ばされる恩地ですが、ここでも描写不足が目立ちます。それは「恩地の会社に対する執着」と「海外僻地勤務の苦悩」です。たとえば「明日からイランに転勤ね」と言われて、普通の人はどうするでしょう? まず悩んで、次にどうしてもと言われたら会社辞めることも考えますよね。恩地も当然悩むんですが、彼は「2年我慢しろ」と言われて転勤を受け入れます。あまり元気とは言えない母親一人を残してです。ここで、「あれっ?」という感覚が出てきます。つまり、恩地の会社に対する愛です。彼は再三にわたって「労組の仲間のために」と口にするんですが、カラチ・テヘラン・ナイロビで具体的に労組をサポートすることはしません。いまいち会社にこだわってる描写が見えないので、「家族を振り回す自分勝手な男」にしか見えないんです。「そこまでして国民航空で働くことにこだわらなくてもよくないか?」と思ってしまいます。また、恩地の海外就労風景も少し出てくるんですが割と楽しくやってるんですね。ここは苦悩もきちんと見せてほしかったです。どうしても日本に帰りたいというエピソードが少なすぎます。唯一このパートのラストで、海外僻地勤務であるが故の人間として絶対に逃したくない事件を逃してしまう場面があります。ここで初めて海外勤務の苦悩が具体的になるのですが、直後に娘から届く手紙の「自分勝手なお父さん」「家族はバラバラです」という言葉にこそ観客は感情移入してしまいます。画面作りとしては渡辺謙に感情移入させて「こんなに頑張ってるのに、なんでわかってくれないんだろう」という共感をしないといけないのですが、残念な演出になっています。

3) 墜落事故編
この作品の一番のメインパートである墜落事故編です。恩地は遺族の側にたった誠意ある姿勢を見せ、遺族達の信頼を獲得していきます。ここがこの作品で一番共感を呼ぶ場面です。非常に正義感あふれる恩地は、まさに「あるべき日本男児の姿」として感情移入度MAXです。冗長な演出が目立ちますが、遺族の方々の空虚になってしまった絶望を表現するのであれば仕方のない事だと思います。

4) 会長室編
10分間の休憩を挟んで、映画は大きく動き出します。すなわち石坂浩二演じる新会長のもと会社の改革が行われます。「真摯な遺族お世話係」として評価を上げた恩地は新会長に抜擢され、会長室としてこの改革に携わっていきます。ここから、恩地は徐々にストーリーラインから外れて行きます。というのも、テーマが「大会社と政治とマスコミの腐敗」にシフトしていくからです。恩地が具体的に改革する様子はまったく描かれず、むしろかつての同士・行天が汚い手でのし上がっていく描写がメインになっていきます。フィクションなので当然最後に悪は失脚するのですが、「悪の行天」「善の恩地」という対比が弱い、もっというと「善の恩地」が並行で語られないため、カタルシスが少なく「淡々と失脚」(笑)していきます。ここも演出上どうかなと思います。また、美談に着地するために恩地の妻や子供との和解描写も描かれますが、海外僻地勤務編の移入度の低さが災いしてイマイチ乗れません。「頑固な親父が折れた」というより「家族があきらめた」様に見えてしまいます。

■ それらを総括すると、、、

ここまでざっと見てきましたが、一言で総評すると「描写が整理されていない」という事です。この物語は恩地に感情移入できない限りはまったく面白くないんです。極端な話、ダーレン・アロノフスキー監督の「レスラー」のように恩地の一人称視点を中心に描いても良かったのではないでしょうか?

テーマについて

本作のテーマは、僕の見る限り三つあるように思えます。
[1] 周囲に振り回される真面目な男の苦悩
[2] 大会社の腐敗、政治の腐敗、マスコミの腐敗
[3] 大自然のすばらしさ

まず[1]についてですが、労組での暴れっぷりを冒頭で見せられているので「振り回される」と言うところに引っかかりが残ります。また恩地も家族を振り回しているので、なんだかなぁ感が出てきてしまいます。でもテーマとしては良いと思うんですね。渡辺謙のしかめっ面にかなり助けられていますが少し残念です。

[2]については「浅薄」と言う言葉が似合います。後半にとってつけたように汚職・収賄・横領が起こるのですが、その絡繰りが非常にずさんでこの作品の制作者が真摯に考えてるとは到底思えません。ホテルの買い手と売り手の帳簿で値段が食い違っているってギャグですか?監査法人に対する冒涜ですよ。あまりにディティールがずさん過ぎて、真剣に受け取りづらいんです。もっと言うと、一般論としての判官贔屓感というか「よくわかんないけど政治家とか金持ちとかロクでもないんでしょ」という安いワイドショー感(笑)で終わってしまっています。しかもこれが後半のメインなので、作品全体がワイドショー感で包まれてしまいます。このテーマに手を出すのであれば、きちんと描かなければむしろ逆効果です。

[3]は正直に言って私は不愉快です。ご飯ブハッって奴です。本作のラストはナイロビに行った恩地がお遍路をする事故遺族に向けて送る手紙の朗読で終わります。きちんとメモとっていなかったのですが、要約すると以下のような感じです。

「お体大丈夫ですか?家族を失ったあなたの苦悩は私の想像を遙かに超えています。だから簡単に言葉で何かを言う資格は私にはありません。もし良かったら一度アフリカに来てください。ここの自然はすばらしいです。」

私にはこれを見て「大自然を目にすれば、自分の苦しみなんてちっぽけなものだと思って立ち直れるかもよ?」としか理解できませんでした。ふざけてるんでしょうか? 延々3時間30分やって来て結論それですか?
私の誤解の可能性もありますが少なくとも僕はこんな印象を持ったため、それまでの「つまんない映画」という評価から一気に「不快な映画」にランクアップしてしまいました。
超好意的に解釈すれば「大自然で癒されてください」とも取れるのですが、なんだかなぁ。冒頭でフィクションとして感想書くと言っておいて何ですが、これ日航機墜落事故の遺族が見たら、どう思うんでしょうか?作り手はエンターテインメントやるなら最低限のモラルをもって欲しいです。見終わった直後に、もし監督が目の前にいたら手が出そうな位に腹立ちました。

【まとめ】

冒頭に書いたとおり、演出駄目・テーマ駄目の最低ランク映画です。しかめっ面して真面目風なテーマを掲げれば社会派の良い映画になるわけではないという典型例です。社会派気取りで駄目な邦画の見本みたいです。
そういう意味で、邦画の現状を把握するという意味ではお勧めです。是非見てください。そして今のメジャー系邦画がいかに酷いことになっているかを見てください。
ちなみにほとんどの役者さんは頑張ってました。この点だけが唯一の救いです。でも政治家役の皆さんは腹から声を出し過ぎ。シェークスピアではないので、普通よりちょっと滑舌良いくらいでトーンを合わせて欲しかったです。
余談ですが、取って付けたような「癒し描写」って何とかなりませんね?最近の邦画に多すぎるんです。

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記事の評価
心の森(TRÄDÄLSKAREN:スウェーデン)

心の森(TRÄDÄLSKAREN:スウェーデン)

本日も東京国際映画祭に行ってきました。
「心の森」

評価:(60/100点) – スウェーデンのぼんくら三人組の奮闘記


<あらすじ>
スウェーデンは森が国土のほとんどを占めながら平地に人口の九割が住む国である。
そこで、スウェーデンのぼんくら三人組は木の上に小屋を造ることを考える。一夏三ヶ月をかけた建築をドキュメンタリーで送る。
<感想>
まず木の上に小屋を造ると聞いて一番最初に浮かぶのは、トム・ソーヤ的な冒険感覚です。そしてそれはあってます。いい歳して間違いなく「頭悪い(褒め言葉)」ですし、なんというか中2病(笑)な感じがプンプンします。でも面白いんですこれ。やってることはただ小屋を造ってるだけなので、別にドラマとか無いです。しかしそれだけで90分も画面がもつわけはないので、合間合間に森や自然をテーマにした専門家のインタビューが流れます。たとえば、キリスト教の神父さんが失楽園の知恵の実について語ったり、ジェンダー学者が森を母性にみたてて語ったりします。これは監督の意図とは違うかもしれないのですが、この「真面目な語り」と「ぼんくら三人組の中二病感」が見事に対比されていて、そのギャップがギャグとして成立する要因になっているのは否定できません。そして、ラストの小屋が完成した時の達成感と景色の美しさ。まさにFEEL THE NATURE。すっごいくだらない、そして半笑いが起こるようなことが、この最後の景色と合間の森語りによって、まるで人間が大自然に上手く協調したように見えるんです。言うなれば、GO BACK TO AFRIKA。でも「自然に帰れ」という歯の浮くようなメッセージをここまで柔らかくーしかし明確に表明したものはなかなかありません。「自然に優しくしろ。なぜならば地球が破壊されるからだ」という良くある(偽善的な)論法では無く、「自然と協調すると気持ちいいよ。オススメ。」という論法なんです。すばらしいフィルムでした。なかなか劇場配給するのは厳しいでしょうが、NHKで是非放送して欲しいですね。とてもオススメです。

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