ザ・ライト -エクソシストの真実-

ザ・ライト -エクソシストの真実-

今日は一本、

ザ・ライト -エクソシストの真実-」を観てみました。

評価:(25/100点) – クライマックスの手前で終わるエクソシスト。


【あらすじ】

マイケルは家業が嫌で全寮制の神学校への進学を決める。それから4年、卒業を間近に控えたマイケルは信仰の少なさから司祭になることを辞退しようとする。そんな矢先、先生であるマシュー神父からバチカンへの短期留学を勧められる。それはエクソシストを養成するための特別講座だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マイケルの留学。
 ※第1ターニングポイント -> マイケルとルーカス神父との出会い。
第2幕 -> エクソシズム。
 ※第2ターニングポイント -> ルーカス神父が取り憑かれる。
第3幕 -> マイケルと信仰。


[スポンサーリンク]

【感想】

今日は公開が延び延びになっていた「ザ・ライト -エクソシストの真実-」を見て来ました。アンソニー・ホプキンスが物知りでちょっとマッドなメンター役という企画の時点ですでに面白いに決まっているワケですが、、、オカルトっていうよりは青年の成長物語でした。
所々のテイストは「エクソシスト(1973)」ですし、劇中でも「頭が回ったり黄色い反吐を出さなくて拍子抜けか?」という明らかに「エクソシスト」を意識したセリフが出てきます。主人公は「エクソシスト」と同じく悪魔を信じない(見習い)神父で、その彼がベテランのエクソシストと共に悪魔と戦うことで信仰と決意を深めます。
ということで、基本的なプロットはエクソシストとほぼ同じです。
両作品の決定的な違いは話しの趣旨です。「エクソシスト」は悪魔憑きに否定的だったカラス神父がいろいろあって悪魔払いを決意し、そして悪魔の長年のライバル・メリン神父とともに戦います。しかし、、、というのがエクソシストがカルト的な人気を誇る理由です。対して本作「ザ・ライト」は神父見習いのマイケルがいろいろあって信仰を取り戻し悪魔と戦って終わってしまいます。本作のメインはマイケルという不信心者が信仰を取り戻す話しであって、悪魔払いはその手段でしかありません。明らかに「エクソシスト」の一歩手前で話しが終わっています。約40年前の映画に影響を受けながらそれより温くなるってのは本末転倒です。
少なくとも劇中ではいきなり最初の悪魔払いでクライアントが口から釘を4つも出しているので、マイケルがそれを見ながらもなお悪魔の存在に懐疑的であるというのが説得力に欠けます。「証拠を目の前で見せられてもなお信じたくない」ほどの理由があればまだしもなんですが、本作で示されるのはそこまでの理由ではありません。彼が信仰を失ったのはある事件によって「神様は無力だ」「こんなことが起きるなんて神様は居ないのか」と思ったからです。
しかも、よりによって、本作でマイケルが信仰を取り戻すのは、信仰を失うきっかけになった出来事を乗り越えたからではないんです。もうどうしようもなく悪魔の存在を認めざるをえなくなって、彼は信仰を取り戻します。これはさすがに無いです。信仰を失ってから取り戻すまでの話しなのに、その2つが対応していないんです。そうすると「成長した」というよりも「観念した」という風に見えてしまいます。これによってマイケルがただの甘えたお坊ちゃんに見えます。結構台無しです。
本作ではこの「信じること」「信じないこと」をキーワードに話しが組み立てられています。不気味で胡散臭いルーカス神父を信じることができるかどうか。不可思議な事が目の前で起きているとき、それが超常現象ではないと断言出来るかどうか。つまりは、本作ではオカルト的な要素は直接話しとは関係なく、あくまでも「信仰」がメインなんです。これは劇中でもさらっとセリフで説明されます。ルーカス神父の「不信心者はすぐに科学的な証拠を求める。」「信仰とは胸の内にあるものだ。」というものです。はからずも全体を通して宗教の持つ危険性(=盲目的な信仰の詐欺性)が見えちゃってるわけですが、たぶん制作者の意図ではありません。
さらに、オカルト的な面でも悪魔払いの描写が結構微妙です。本作の悪魔は腕力に頼りすぎです。エクソシズムというのはエクソシストが悪魔を「言葉で追い払う」んですね。ですので、悪魔側も暴力に頼っちゃいけないんです。基本的には悪魔はエクソシストに対して「信仰を揺るがす言葉」をつかって「罪を行うように誘惑」し、それに対してエクソシストは「揺るぎない信仰」でもって対抗するんです。でも本作ではすごい勢いで悪魔が暴力を振るってきます。これだとアクション映画になってしまいます。これが相当がっかりです。

【まとめ】

決してつまらない作品ではないんですが、ちょいちょいテンションが落ちる箇所が出てきます。結果としては今一歩な感じが否めません。もちろんアンソニー・ホプキンスはいつもどおり最高にマッドですし、コリン・オドナヒューもちょっと何を考えているか分からない不思議なイケメンが雰囲気を盛り上げています。オカルト・ホラー好きにはちょっと微妙ですが、描写がかなりソフトなハリウッドエンタテイメントですのでとりあえずそこそこ楽しめるとは思います。

[スポンサーリンク]
記事の評価
悪魔を見た

悪魔を見た

日曜の二本目は韓国映画の

悪魔を見た」を見たぞ見た!

評価:(30/100点) – これ、グロくもないし、ノリ軽いし、、、深遠か?


【あらすじ】

韓国国家情報員のエージェントを務めるスヒョンは、結婚間もない妻を殺されてしまう。女性を狙った似たような事件が頻発していることから警察は4人の容疑者に絞り込む。怒りに燃えるスヒョンは、義理の父親である退役警官のククァンを通じて捜査情報を入手し独自に復讐を始める。2人の容疑者を病院送りにした後、ついにスヒョンは3人目にして殺人犯を特定する。殺人犯のキョンチョルは連続快楽殺人鬼で今日もまた女子学生を攫っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サンファの死とスヒョンの捜査
 ※第1ターニングポイント -> スヒョンがキョンチョルに発信器を付ける
第2幕 -> スヒョンのいたぶり
 ※第2ターニングポイント -> キョンチョルが発信器をはずす
第3幕 -> キョンチョルの逆襲と結末


[スポンサーリンク]

【感想】

ちょっと日が開いてしまいましたが日曜の二本目は「悪魔を見た」を見ました。監督はグッド・バッド・ウィアードのキム・ジウン。結構な拡大ロードショーでしたが、日曜はガラガラでした。イ・ビョンホンのファンがもう少しくるかなと思っていたんですが、映画オタクみたいな方が多かったのが意外でした。
私も実はかなり期待していた作品だったんですが、正直あんまりピンと来ませんでした。ストーリー自体は「主人公が残酷な復讐をしようとするあまり調子に乗って手痛いしっぺ返しを食らうが、結局は復讐を果たす」というわりと良くある話です。本作の一番の期待所は当然R18+まで食らったゴア描写なわけですが、、、、実際には全然グロいところは映しません。生首とか肉体破損の間接描写が出てきますが、それこそ「冷たい熱帯魚」とか「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」のような直接描写が無いのでそこまで嫌な感じものこりません。この何とも言えない”ヌルい湯加減”が作品全体から伝わってきて、終始微妙な気分にさせられます。「ちょっと面白い」と「ちょっとつまらない」の間をメーターの針が高速で振れまくっているような感覚です。
本作のタイトルは「悪魔を見た/I saw the devil」です。この悪魔とはなんぞやと考えると、直接的には悪魔的な殺人鬼であるキョンチョルを指しています。それにプラスして、悪魔=モラルの破壊者ですから、これは「復讐」という行為そのものを指しているとも考えられます。作中で捜査官(=正義の行使者)であったスヒョンは、復讐心に取り付かれるあまり何度もキョンチョルを痛めつけては解放します。復讐だけを考えるならすぐにキョンチョルを殺せば映画は30分で終わりますw しかし彼はまさに悪魔(=復讐心)に魅入られて道理を忘れてキョンチョルをいたぶり、結果として大きな代償を払うことになります。作品のテーマを考えれば、間違いなく本作の肝はそのスヒョンの心理にあるわけです。この物語はスヒョンの妻が殺されるところで始まり、スヒョンが復讐することで終わるのですから。
おそらく本作がいまいちである大きな要因は、あまりにもスヒョンの格闘力が強すぎてまったく危なげがない点と、スヒョンの調子に乗り方(=悪魔に魅入られ方)が共感しづらい点です。つまりはイ・ビョンホンなわけですが(苦笑)、俳優が悪いというよりはキャラクターが立っていないという方向です。
本作では一番肝心なスヒョンの豹変振りがあまり描かれません。前述の通りこの物語は「真面目だったスヒョンが、我を忘れて”どんどん残忍になっていく(←劇中の台詞)”」のが重要です。つまりスヒョンの落差です。これがほとんど無いんですね。せっかく冒頭でスヒョンの仕事風景がチラッと映るのに、肝心の彼の態度が映りません。彼が冒頭で真面目なら真面目なほど、”どんどん残忍になっていく”過程が面白くなっていくんです。ここが抜けてしまったため、最初から最後までスヒョンは残忍なままですw 結果としてテーマがボケボケです。
そしてスヒョンが最初から強すぎることで、その対比として弱すぎるキョンチョルが全ての美味しいところをかっさらっていきます。キョンチョルは残忍で、小心者で、スケベで、小太りで、しかも弱くて卑怯という敵役キャラクターとしてはパーフェクトな殺人鬼ですw あまりにもキョンチョルのキャラが強すぎるため、これもやはりスヒョンの魅力を激減させています。
ですから見終わった後で印象に残るのは、あまりにも美味しすぎるキョンチョルと、結局適当に流されているだけに見えてしまうスヒョンのがっかり具合です。

【まとめ】

「チェ・ミンシク」「連続殺人鬼」「R18+」と聞いてかなり期待が高かったのですが、かなり消化不良でした。正直な話し、このレベルなら邦画でもゴロゴロ転がっていますのでわざわざ韓国映画を見るほどではないと思います。
「韓国2大名優であるイ・ビョンホン、チェ・ミンシクが初共演。映画史上最も強烈な比類なき復讐劇が観る者すべての心を鷲掴みにする深遠なる物語。」という宣伝文句は結構偽りありです。強烈でも無ければ深遠でもありません。
140分は長すぎますし、ジャンル映画としても物足りないです。ここのところ劇場はお祭り状態で話題作テンコ盛りですので、本作を見るのはとりあえず後回しでも良いと思います。

[スポンサーリンク]
記事の評価
ヒア アフター

ヒア アフター

二本目は

ヒア アフター」です。

評価:(85/100点) – すごい混ぜ方のオカルト・ヒューマンドラマ。


【あらすじ】

ジョージは子供の頃に病気で生死を彷徨ってから、死者と対話できる能力を身につけた。しかし医者からは精神病患者と見られ、他人からは気味悪がれてしまいまともな生活を送れない。ジョージは霊能力者として生計を立てていたが、その能力を隠して普通の人間として生活することを決める。
一方、フランスの人気ニュースキャスター・マリーはプロデューサーの恋人との旅行中に大津波に遭って生死の縁を彷徨う。彼女はその時あの世を一瞬垣間見たように思い、それが気になって仕事に身が入らなくなってしまう。
時を同じくして、イギリスでは双子の兄を事故で亡くしたマーカス少年が、もう一度兄と対話をするため霊能力者を捜していた、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

本日の二本目は「ヒア アフター」です。本国では昨年の10月公開作品で、4ヶ月遅れで日本上陸です。老いてますます盛んなクリント・イーストウッドの最新作です。とはいえ、正直そこまでお客さんは入っていませんでした。予告でおもいっきりオカルトな面を見せているので、そこが敬遠されてしまったのでしょうか?
いきなりですが、本作はアメリカではあまり評判が良くないようです。ざっとrotten tomatoを見た感じですと、「死についてちゃんと書いていない」とか「意外な事がないから眠い」とか結構散々ですw ですが私は結構好きです。雰囲気映画は雰囲気映画ですし、前述の批判はもっともだとは思いますけどねw
本作は3つの話がまったく別々に展開していきます。一つは本物の霊能力者でありながらそれを呪いだと思って普通の生活に戻りたがる男の物語。これは永遠のとっちゃん坊やマット・デイモンが得意とするタレ目の困り顔で好演しています。霊能者としての苦悩については、正直私達一般人にはどうでも良い話題なので(苦笑)、そこについてどうこうはありません。ただ、本作ではその「霊能力者としての苦悩」を「他人の事がわかりすぎてしまう男」「社会の中で疎外感を感じている男」という一般論に落としてきます。そこがとても素晴らしいです。特に中盤でてくるメラニーとのロマンス未満の理不尽な感じは「あるあるネタ」として私のようなダメ人間にはど真ん中に来ます。
「映画好きなんでしょ?」「いや好きだけど、変なのばっかり好きなのよね」「何が一番好き?」「あー。ショーシャンクの空にとかかな(←好きでもないのに無難な線を言う)」「じゃあこんど家のDVD見せてよ。」<家に来てゾンビ映画やらカンフー映画やらB級輸入DVDの棚を見られる>「あ、、、(絶句andドン引き)こういうの好きなの?」「まぁ嫌いじゃないかな、、、。」<そしてこの後映画の話題に触れられなくなる。>
Noooooo!!!!!!!!!!!!! あるある。超あるある。人生で3回くらいあるw そう、コレが霊能力に変われば本作のマット・デイモンパートのできあがりです。さすがイーストウッド!!!!
2つ目は不倫中のニュース・キャスターの話です。彼女はあの世を一瞬見た事でその光景に取り付かれてしまいどんどん惹かれていきます。こちらはやはりオカルト的な話についての世間の冷たい目を表現している、、、ように見えますが、こちらも一般論としての「私の言うことをちゃんと聞いてくれない彼」の話に落とし込めますw 「スペル(2009)」では主人公のクリスティンが何度「呪われた」と訴えても取り合ってくれなかった彼氏・クレイが「最後はちょっとだけ話を聞いてくれて、でも理解はしてくれない」という線に落とすわけですが、本作では全然理解してくれません。それどころか本作の彼氏は「なんだこいつ?イカれた?」みたいな感じで新しい女を作って捨てやがります。そこに「自分と同じ体験をした(=趣味を持つ)男」が現れて理解してくれるわけです。言うなれば「オタク結婚のススメ」。やっぱそうだよね。うんうん。それしかない。ゾンビ映画やカンフー映画が好きで、筋肉少女帯のアルバムを全部聞いてて、家に「かってに改蔵」が全巻そろってる女性じゃなきゃだめだよね。うんうん。わかるよ。わかる。さすがイーストウッド!!!!
3つ目は不慮の事故で双子の兄を亡くした少年の話です。少年は「もう一人の自分」とも言える兄を失ったショックから立ち直れず、兄の遺品を常に身につけて霊能力者達を訪ね歩きます。言うなれば「失われてしまった古き良き青春を追い求め続ける」話です。そう、私達は「昔の映画ってよかったよね。」「アメリカ映画はやっぱ1940年代までだよね」とかつい懐古主義に走ってしまいがちですが、70年代にはロッキーだってあるし、80年代にはダイ・ハードだってあるし、90年代にはマトリックスがあるし、00年代には少林サッカーがあるんじゃないかと。過去に囚われたってしょうがないってことです。過去の名作は一旦置いておいて、今は前向きに「イップマン」や「KG カラテガール」を見ろって事です。わかる。わかるよ。さすがイーストウッド!!!

【まとめ】

ということで、本作は見ている間中は涙が止まらない傑作です!!! そりゃ雰囲気だけかも知れませんし、そもそも「霊能力ってそういう事なのか?」とか言う気もチラっと頭をよぎります。「死後ってさぁ」とか「オカルトってさぁ」とか考え始めると、確かに安っぽいヒューマンドラマに見えてしまうかも知れません。しかしですね、この霊能力を一度「自分が持ってる変わった趣味」と言う風に置き換えられると、もう涙が止まりません。
一風変わった趣味を持っている方には自信を持ってオススメできる作品です。劇場で泣いてらっしゃい!!!! オススメです!!!

[スポンサーリンク]
記事の評価
冷たい熱帯魚

冷たい熱帯魚

今日は新宿で3本です。一本目は今更ですが

冷たい熱帯魚」を見ました。

評価:(75/100点) – でんでんは最高 !


【あらすじ】

社本信行は富士郊外で熱帯魚店を経営している。最初の妻を亡くし、一人娘・美津子はグレ、後妻の妙子ともあまり上手くいっていない。
ある日、夜御飯の途中で飛び出していった美津子が万引きをしたとの連絡が信行の元へ来る。急いで妙子と共にスーパーマーケットへ向かった信行は、店長へこっぴどく叱られる。すると、そこに近くで熱帯魚店を経営しているという村田幸雄が現れその場を丸く収めてくれた。そのまま成り行きで村田の熱帯魚店を見学した社本一家は、どんどん村田のペースへと巻き込まれ、やがてにっちもさっちも行かなくなってしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 社本一家と美津子の万引き。
 ※第1ターニングポイント -> 吉田の死。
第2幕 -> 村田のビジネス。
 ※第2ターニングポイント -> 村田の死。
第3幕 -> 社本の逆襲。


[スポンサーリンク]

【感想】

今日は3本見て来ました。1本目は冷たい熱帯魚です。今月頭にちょくちょくレイトショー狙いで新宿テアトルに通っていたのですが、ずっと立ち見ばっかりで見逃していました。公開から1ヶ月経って拡大ロードショーが始まったからか、そこまで混んではいませんでした。
随所でかなり感想が出そろった感がありますので、細かい所を抜かして要点だけさらっと書いてしまいます。
個人的には本作は「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」以上、「愛のむきだし」未満って感じです。キャラクターはどなたも最高に切れてますし、役者はどなたも最高にすばらしいです。特に誰しも言うことですが、でんでん演ずる村田幸雄はいろんな意味でちょっと他では見られないくらい切れてます。激情的に捲し立てたかと思うと突然優しげになったり、本当に嫌な意味での「あるあるオヤジ」の村田は存在感抜群です。このキャラクターを作っただけで勝ちかなという気はします。
ただ逆に言うとこのキャラだけかなという印象もあります。もちろんそんなことは無いですし、社本の成長(?)物語にも見えます。ヘタレな社本が村田という暴力的な男性に感化されて”男らしさ”を獲得するも結局そんなことではどうしようも無いという、、、そういう風にも見えます。でもそういう全部を吹き飛ばすぐらい村田が濃すぎるため、どうしても村田が退場した後のがっかり感というか失速を感じてしまいました。
2時間半の長い映画ですが、すくなくとも途中で飽きることはありません。かなり高いテンションで見ることができます。ですがそこまで万人にお勧め出来るかというとちょっと微妙だと思います。そこまで言うほどでもないですがグロい事はグロいです。とはいえ、でんでんさんには是非賞を獲って欲しいので小声でオススメします。

[スポンサーリンク]
記事の評価
パラノーマル・アクティビティ2

パラノーマル・アクティビティ2

土曜の2本目は懲りずに

パラノーマル・アクティビティ2」を観てみました。

評価:(4/100点) – 前作より悪化しとるやないか!!!


【あらすじ】

ダン・レイの再婚した妻・クリスティは息子・ハンターを授かった。最初の妻との娘・アリとの四人家族で暮らすダンは幸福な子育てをしていく。ハンターが育ってきたある日、ダンの家では奇っ怪な現象が起こり始める、、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

土曜の2本目は「パラノーマル・アクティビティ2」です。「パラノーマル・アクティビティ」シリーズはこの一年で3本目ですが、若い学生中心で大変入っていました。いかにも普段映画を見ていないというような客層でしたので、アトラクション的な目当てのお客さんでしょうか。予告が始まっても携帯電話で話してる奴とか、本編始まってもずっ~と雑談している奴とか、最近はなかなか見ないくらいのモラルの低さですw まぁ配給会社からすれば本作のメインターゲットは間違いなく彼らでしょうから、そういう意味ではど真ん中にきちんと届いているのではないでしょうか?
駄目な点は「パラノーマル・アクティビティ」「パラノーマル・アクティビティ第二章/TOKYO NIGHT」と一緒ですからそちらを見ていただくとして、本作ではさらにそこから悪化していますw
前作からの決定的な違いは、ついにカメラが複数の防犯カメラになった点です。もはやフェイクドキュメンタリーとしてハンディカムを持つという体裁が崩壊していますw 複数の固定カメラで庭やら居間やら寝室やら玄関やらを撮った結果、明確に制作者の意図がでてしまっています。冷静に考えてみて下さい。ある家があってその各部屋に固定カメラがあるという状況は、これそのまんま撮影所のセットとカメラの関係そのものですw
なのでカメラが切り替わればそれは普通の映画の編集と同じ事なので、なにかあるに決まってます。コレに合わせて相変わらず「ブーーーーン」という重低音で「いくよ、いくよ、いくよ、いくよ、、、、、、ガシャーン!!! キャーーーー!!!!」という馬鹿の一つ覚えを続けてきますので、どんどんどうでも良くなっていきます。無駄に前作との関係を持たせようとしていますが、ファンサービスにすらなっていないような適当な設定なので気にしない方が良いです。しかも、本作で前作でケイティが呪われている理由を提示してしまった結果、このシリーズが「特殊な姉妹の特殊な話」になってしまいました。Jホラーでは状況を限りなく一般化することで、観客の身にも起こるかも知れないという恐怖を見せます。ところが、本作によってこのシリーズは「特殊な人の話」になってしまいましたから、全然怖くありません。前作も怖くは無かったですが、それに重ねて本作は前作のかろうじてあった設定すらぶちこわしています。
本作で唯一の救いは前作では顔が残念だった被写体に若い女の子(=アリ)が追加されたことです。逆に言うと、それ以外はどこも進歩がありません。見た方が悪いので、無かったことにしましょう。

[スポンサーリンク]
記事の評価
デッドクリフ

デッドクリフ

成人の日は

デッドクリフ」を見てきました。

評価:(40/100点) – 細かい所で意味が分からないが、勢いで押し切る!


【あらすじ】

クロエは友人のフレッドとカリーヌのカップル、恋人のルイック、元彼のギョームの5人でクロアチアにクライミングに来ていた。山頂に到達した後にケーブル滑空で降りてくる半日ほどの行程を選んだ一行だったが、途中、立ち入り禁止の行き止まりに会ってしまう。クライミング経験豊富なフレッドは看板の上の崖をよじ登り、注意書きを無視して道を拓いていく。しかしその山には、恐怖が待っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 一行とクライミング
 ※第1ターニングポイント -> フレッドが行方不明になる。
第2幕 -> フレッドの捜索。
 ※第2ターニングポイント -> 山小屋に着く。
第3幕 -> アントンとの決着。


[スポンサーリンク]

【感想】

月曜の成人の日はシネパトスで「デッドクリフ」を見て来ました。完全に単館の上映でしかも2009年の作品ですが、かなりお客さんが入っていました。こういう誰がどう見てもB級なタイトル&ポスターでここまで入るというのは、大変素晴らしいことだと思います。
恥ずかしながらgoogleで検索してはじめて気付いたのですが、タイトルが「レッドクリフ」のパロディになってたんですね。非常にパチモノ臭くて完璧な邦題だと思います。フランスでの原題は「vertige」で「空間識失調」=「高いところでの極度の目眩い」のことです。本作では前半から高いところが苦手なルイックがずっーっと掛かってしまった症状です。とはいえ、もちろん本作の主役はクロエです。何せ5人の人間関係がクロエを橋渡しにして繋がっていますから。
さて、本作はいわゆるシリアルキラーものです。クロアチアの断崖に囲まれた山の頂で、五人は謎のハンターに狙われ、一人また一人と襲われていきます。いきますが、、、、、、本作は本当に割り切ったジャンルムービーでして、このハンターがいったい何なのかですとか、普段何してるのかとか、そういったことは全く分かりませんw ちょっとだけエンドロール直前にテロップで説明が出ますが特別どうという意味もありません。発想としては、ワイワイキャッキャな若者がシリアルキラーに襲われてギャーーーーッという「13日の金曜日」「エルム街の悪夢」でお馴染みの例のフォーマットを山の上に移しただけですw
割り切るというと聞こえは良いですが、実際には結構雑です。前半はクライミング本来の部分での落下するスリルを重点的に見せておいて、二幕目と同時に急にシリアルキラーものに展開します。その展開のしかたがびっくりするほどやっつけ仕事でして(苦笑)、場面がまったく繋がらないというか、シリアルキラーものになった途端に”崖”要素が消えますw 山の上という体裁のだだっぴろい林&野原に場面が変わってしまうため、クリフハンガー的なスリルは一切ありません。タイトルに偽りありですw
そして唐突にでてくるシリアルキラー・アントンも、見た目が完全にロブ・ゾンビ版の「ハロウィン」に出てくるマイケル・マイヤーズです。
そうです。この映画は楽しそうな要素をごった煮にして適当に並べた、正しい意味での娯楽B級映画ですw 細かい所にツッコミは無用。その場面その場面を頭をカラッポにして楽しむ映画です。ですから、「あれ?おかしくね?まぁいいや。ウヒョー!!」みたいな感じで、観客の見ている態度まで雑になってきますw とはいえ間違いなく面白いですし、見ている間は勢いだけでノリノリになれます。
オススメはオススメですが、真面目な態度で見に行くのだけは絶対に止めた方が良いです。ちょっと半笑いな感じで劇場の席に座れれば、きっと楽しい100分が待っているはずです。

[スポンサーリンク]
記事の評価
ノルウェイの森

ノルウェイの森

2本目はこちらも久々の”危ない橋”

「ノルウェイの森」を見ました。

評価:(6/100点) – 春樹フリークスのみんな!!! ゴメンね!!!!


【あらすじ】

時は1969年、学生運動まっただ中の大学に通うワタナベは自殺した親友・キズキの恋人・直子と再会する。毎週末に直子と会っては無口に東京中を散策して周るワタナベは、徐々に直子に魅かれていく。直子の20歳の誕生日、彼は直子と一晩を過ごすがその後彼女と連絡が取れなくなってしまう。連絡したい一心で直子の実家に手紙を書いたワタナベのもとに、直子からの返事が届く。それは彼女が入院している京都の精神病療養所からであった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ワタナベと直子の再会と交流。
 ※第1ターニングポイント -> ワタナベが療養所に向かう。
第2幕 -> ワタナベと直子と緑。
 ※第2ターニングポイント -> ワタナベが冬に療養所に向かう。
第3幕 -> 結末。


[スポンサーリンク]

【感想】

本日の2本目は新作映画「ノルウェイの森」です。ご存じ村上春樹の代表作であり、日本で最も有名な国産小説と言っても良いのではないでしょうか。その割には、お客さんは4割~5割ぐらいの入りでした。若い方もあまり居なかったので、微妙に「若者の活字離れ」という私の嫌いなキャッチコピーが思い浮かんでしまいましたw
一応念のためのお断りです。400万部以上売れている20年前の小説にネタバレも無いと思いますが、一部結末を感づいてしまうかも知れない程度のほのめかしは入ってしまうかも知れません。極力ネタバレをしない方向には致しますが、小説未見でまっさらな気持ちで映画を見たい方は以下の文章はご遠慮ください
また、せっかくの村上春樹作品なので、前置きとしてウダウダ書こうと思いますw 「知るかヴォケ~」という方は中項目「本題:~」からお読み下さい。

前置き1:作品の概要をおさらいとして。

本作の主題を端的に言うならば「生/性と死」です。
学生運動というテンション全開で暴れまくっていた時代背景の中で、本作の初期主要人物であるワタナベ、キズキ、直子は非常にローテンションな生活を送っています。冒頭に語られるキズキの自殺を筆頭に、作中では何人かが自殺します。そのそれぞれが絶望であったり理想とのギャップであったり、そういった今に通じる精神不安からの行動として自殺します。
一方本作ではその「死」の対義として「生/性」が取り上げられます。「愛する」ということと「欲情する」ということの違いで混乱する直子や、「愛する」ことと「欲情する」ことを明確に分けて考えるプレイボーイの永沢先輩、さらにはワタナベの「それでも生きていく」という美意識/決意、そうしたものを全てひっくるめて本作では生きることのタフさを繰り返し説いていきます。
本作ではワタナベと直子と緑の三角関係が物語りの中心になります。ワタナベは直子に自殺した親友の忘れ形見として「支える人間的義務」を感じる一方で、緑とは”普通の大学生として”恋をします。直子は自殺したキズキを想いながらも、一方で「キズキには欲情できなかったのにワタナベには欲情した」という事実に苦悩し精神的に混乱していきます。緑は”普通の大学生として”ワタナベを好きと公言しながらも、一方で別に付き合っている男がいることも公言し、ワタナベを翻弄します。3人が別々の場面で口にする「自分が幸せになる」というキーワードを巡り、物語は進んで行きます。

前置き2:村上春樹という作家について思うこと。

ここから危ない橋に突入していきますw 私の中学校の卒論の課題作品は村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でした。その際、村上春樹について「ハヤカワSF文庫や創元推理文庫で紹介された近代的アメリカ純文学のエッセンスを日本語ネイティブで書き起こした無国籍文学者」と書いたのを覚えています。中3にして村上春樹に痛烈だったわけですが(苦笑)、決して悪口として書いたつもりはありません。先生には当然細かく聞かれましたけどw
村上春樹の小説はとにかく読みやすいため、一般受けして部数が伸びるのはさもありなんと納得します。熱狂的なファンの方には申し訳ないのですが、私は村上春樹という作家の位置付けは「ライトノベル」の一つ前にあると考えています。つまり、レイ・ブラッドベリやカート・ヴォガネット、ジェイムズ・ティプトリーJr.といった1920年前後生まれの純文学要素をもったSF作家達が50年~60年代にハヤカワSF文庫によって日本で紹介され、その影響を受けたエンターテイメント寄りの現代作家達が続々と誕生した内の一人という位置です。その中には萩尾望都や竹宮惠子のように漫画界で一時代を築く作家がいる一方で、村上春樹のように小説界で活躍する作家もいます。さらにこれらの影響でエンターテイメント色が強くなったのが現代のライトノベルであったり最近の若い作家達の小説群です。そういう意味では村上春樹というのはある種の時代の転換点というか、純文学からエンタメ小説に移りゆく過渡期に誕生した無機質・無国籍な得体の知れない(=これがスタイリッシュな印象につながります)”いまどきの作家”だと思っています。
当然彼の特徴として真っ先にあがるのは、その直訳調の文体です。「おまえは日本語が苦手なのか!?」と突っ込みたくなるほど堅くぎこちない文語体を使い、倒置法や体言止め、さらには極端な擬態語・擬音語を多用します。「やれやれ。」「結局のところ、」「わかったよ。」等々、村上春樹は文章をパロディにしやすい作家としても有名ですw
これはかつての純文学の文法上は完全にアウトですが、一方でアメリカSF小説の翻訳に慣れた読者にとってみればこの上なく取っ付きやすいものとなります。ここが村上春樹という作家の評価がパックリ分かれる大きな要因です。純文学を保守的な文脈で「土着の文化の発露」と捉えるならば、村上春樹はただの得体の知れないエセ文学者です。しかし、彼の小説を「時代の肌感覚をドライに表した進歩的な作品」と考えることも出来ます。後は読み手が考える「文学」の定義次第です。ちなみに、私の友人で小説好きな人の中では村上春樹を擁護する人は皆無ですw 個人的には結構好きですが、私はSFの翻訳本と岩波文庫の政治思想書ばっかり読んでいるため、こと小説眼に関してはまったく当てにはなりません(苦笑)。

本題:今回の映画化について。

既に2200文字も書いてますが(笑)ここからが本題です。 上の文章を読んでいただいた方は、村上春樹を映画化するというのがいかに難しいかというのがなんとなく分かっていただけると思います。つまり、彼は小説界の中での「純文学からエンタメ路線へ」というトレンドの移項という文脈ありきでの作家なんです。ですから、それを映画にする際には、どうにかしてこの「村上春樹の日本文学界における立ち位置」の空気感を映画に移植してやる必要があります。
その移植作業の一つとして、本作の監督にトラン・アン・ユンを起用したのは大正解だと思います。トラン・アン・ユンの持つ暗めのカメラカット・空気感は、村上春樹の持つ無国籍性に通じる物があります。そしてそれは、本作のほとんど唯一の見所となっています。早朝の療養所の森が見せる冷たい感覚、夜の森が見せる不安な感覚、そして冬の海の見せる孤独で厳しい感覚。どれもトラン・アン・ユンとリー・ピンビンが見せるカットの巧さで引き込まれます。
ですがもう一つの部分、すなわち村上春樹の直訳調文体をどう処理するかという部分については、まったく戴けません。よりにもよって、本作ではそのまま直訳調の文語体を俳優が喋ります。この直訳調の文語体というのは、俳優が喋るととたんに嘘くさく安っぽく見えてしまうと言う特徴があります。なぜかというと、それは単に棒読みで大根役者に見えてしまうからです。「わたしが今なに考えているか、分かる?」「わからないよ。」とか普通の会話では言わないでしょう? 口語体であれば、「ねぇ、私が何考えてるか分かる?」「わかんないよ。」となります。「わからないよ。」と「わかんないよ。」の間には、台詞としてはものっっっすごい大きな差があります。
個人的にはあまり好きではありませんが、この酷い台詞達をもってしても自然にみえてしまう菊地凛子はやっぱり凄いです。直子役には合ってないとも思いますけどねw
今回の映画化は、原作に”比較的”忠実にしています。前述の通り台詞はほぼそのままですし、プロットも省略がありこそすれ大幅な改編は(ワタナベと直子の療養所でのワンシーンを除いて)ほとんどありません。非常に意地悪な見方をすれば、これは原作小説のファンに最大限配慮したやり方だと思います。未読の人にとっては肝心な描写が足りないわりにレイコとの後日談のような本筋とあまり関係無い描写が入ってきますし、既読の人にとっては大急ぎで原作の名場面を端折って再現しているだけにも見えます。
結果、単体の映画として見た場合には、ファンには申し訳ないですがそこいらにあるどうしようもない映画と大差ない出来になってしまっています。実在感の無い若者達が無菌室の中で「勝手に人類を代表して悩んでやがる」感じです。小説ではあれほど読み易かった直訳調の台詞も、無機質な映像と相まって観客の感情移入を拒絶してきます。まったく観客のあずかり知らぬ所で勝手に140分過ぎていく感覚。そう、置いてきぼりとはこのことです。

【まとめ】

村上春樹作品を映像化する際にやってはいけないことをがっつりとやってしまっています。結果、単調で、無機質で、実在感の乏しい、謎のファンタジー世界で繰り広げられる文学的風景の連続写真になっています。原作ファンの方は当然見に行くと思いますが、原作を読んだことが無い方は先に原作を読むことをオススメします。その上で本作を見て頂けると、いかに小説の映画化が難しいのかが良く分かると思います。
村上春樹作品の映画化はまた30年後でいい気がします。

[スポンサーリンク]
記事の評価
デイブレイカー

デイブレイカー

日曜の二本目は

デイブレイカー」です。

評価:(55/100点) – ジャンル映画としては相当良い感じ。


【あらすじ】

世界の大半をヴァンパイアが占めた世界。人間の絶滅が危惧され、ヴァンパイア達は血に飢えていた。代替血液の研究を行うエドワードはある日帰宅途中に逃走する人間達をかばったことから一転、反ヴァンパイアのレジスタンスに引き入れられる。レジスタンスの頭領・コーマックはヴァンパイアから人間に戻ったと言い、その再現方法を研究していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エドワードと会社と弟。
 ※第1ターニングポイント -> エドワードがレジスタンスに引き入れられる。
第2幕 -> ブロムリー・マークス社の人間狩り。
 ※第2ターニングポイント -> エドワードが人間に戻る
第3幕 -> ブロムリー・マークス社への潜入


[スポンサーリンク]

【感想】

11月28日の二本目はデイブレイカーです。こちらも東京国際映画祭で先行上映していましたが、TIFFでは未見でした。夕方の回で見たのですが、結構お客さんが入っていて驚きました。大抵こういう作品はおじさんと好き者ばっかりなんですが、以外とカップル客も来ていました。
実は12月に入ってから仕事で徹夜が続いていまして、すでにあんまり良く覚えていませんw なのでメモを頼りにさっくりと書きたいと思います。
本作は、ジャンルムービー的なお約束もまぜつつ新しいアイデアも盛り込みつつ、バランスが結構良いなという印象です。最近よくあるヴァンパイアものですと、「ヴァンパイアが人間とのギャップと怪物性に苦悩する」というタイプの作品が多く見られます。「ぼくのエリ」しかり、「渇き」しかり。本作の場合、極端な事をいってしまえば、作品内でヴァンパイアがヴァンパイアである必然はありません。というか、作品全体が「搾取する側・される側」の構造になっていて、非常に意図的に社会問題をつっこんできています。あくまでもヴァンパイアは体制側の暗喩として使われています。
というと退屈そうに聞こえますが、実際に見てみるとこれが結構乗れます。というのも、所々に挟まれるゴア描写によってジャンルムービーとしてのサービスをきっちり入れてくるからです。共同監督のスピエリッグ兄弟はかなり演出が上手いです。間の引っ張り方や長回しのアクションシーンで、そこまでエキサイティングな内容では無いシーンでも十分に引きつけてきます。
もちろん役者陣に演技派を揃えているからでもあるのですが、ジャンルムービーとしてはかなりの出来だと思います。
アイデアをテンコ盛りにしたディストピア・ヴァンパイアムービーという変なジャンルの作品として、結構画期的ではないでしょうか? この手のやり方は今後定番化していくような気もします。ということで、まぁDVDでも十分かなとは思いつつ、そこそこオススメな作品でした。
余談ですが、ポスターのいかにも近未来SFっぽいデザインに反して中身は結構ゴアです。あんまりデートでは行かない方が良いと思いますw

[スポンサーリンク]
記事の評価