×ゲーム(バツゲーム)

×ゲーム(バツゲーム)

今日も今日とて1本、

×ゲーム」を見てきました。

評価:(55/100点) – 出来はイマイチだが、やっとまともなスリラーが来た!


【あらすじ】

小久保英明は大学生である。ある日、彼の元に小学生時代の同級生から担任が自殺したとのメールが届く。しかし彼らはつい3日前に同窓会で会っていたばかりだった。担任の自殺を不審に思う彼の元に、不思議なDVDが届く。そこには、担任の先生が何者かに拷問されている姿が映っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 英明と同窓会と先生の死。
 ※第1ターニングポイント -> 謎のDVDが届く。
第2幕 -> 黒髪の女の捜索。
 ※第2ターニングポイント -> 英明が拉致される。
第3幕 -> ×(バツ)ゲーム。
 ※第三ターニングポイント -> 英明が13番を引き罰を受ける。
第四幕 -> 逆襲。
 ※第四ターニングポイント -> 英明が小学校から抜け出す。
第五幕 -> 解決編。


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【感想】

さて、本日は一本、先日公開の「×ゲーム」です。若い子を中心にお客さんが4~5割は入っていまして、ちょっとびっくりしました。AKB48とD-BOYSのネームバリューでしょうか? あんまり山田悠介の映画って入っているイメージが無かったのでうれしい誤算です。
本作は「SAW」シリーズに近いソリッド・シチュエーション・スリラーです。SAWが2004年1月で、「×ゲーム」の原作が2004年8月ですから、テーマ的にも見せ方的にもかなり意識していると思われます。ツッコミ所はかなり多く、ストーリーにもずさんな点が目立ちますが、しかし日本で「SAW」をやってみようという気概だけはビンビン伝わってきました。だからソリッド・シチュエーション・スリラーが好きな方は絶対に見た方が良いです。
まず本作で一番好感が持てる部分は、きちんと「拉致」→「部屋に閉じ込められる」→「ゲーム開始」→「いろいろあって一人だけ生き残る」→「だけど、、、」というCUBEから脈々と続くソリッド・シチュエーション・スリラーのジャンルムービーとしてのお約束をきちんと踏襲している点です。日本で最近作られ始めた同ジャンルもどきの作品は、このお約束が全然出来ていません。このジャンルはあくまでもジャンルムービーとして続編が作り易いように、バッドエンドで終わらなければいけません。だから本作の作りはその一点において紛れもなくソリッド・シチュエーション・スリラーとして正しいんです。
肝心のゲーム部分ですが、これがまた良い湯加減です。実は結構ここに不満があるんですが、でもきちんとスプラッター的な嫌な感じを出そうという努力は見えます。ただし、この罰ゲームが思った以上にヌルイです。エグいのは「画鋲の刑」と「洗濯ばさみの刑」ぐらいで、後は「牛乳イッキ飲み」だの「髪を燃やせ」だの「ウジ虫イッキ食い」だの見た目の面白さはあってもスプラッタ方向には行かず、どうしてもギャグに見えてしまいます。しかもそのエグいものは一番先に見せてしまうんです。
本作で一番の問題はまさにこの「ヌルさ」です。ストーリーの核である罰ゲームをギャグにしてしまった結果、CGのショボさも相まってその後の展開が真面目に見られなくなってしまうんです。只でさえ滑稽な背景部分が、これにより一気に嘘臭く見えてしまいます。ここはもう少し見せる順番を考慮して欲しかったです。最初ギャグみたいな物が続いて油断していた所で「画鋲の刑」が来た方がストーリー上は絶対に自然です。
ちょっと細かいツッコミになってしまうんですが、画鋲の刑の後で英明の太腿の裏には血が付いているのにお尻にはズボンの破けた跡さえ無かったり、あれだけやられてるのにすぐにスクッと立ち上がって暴れ回ったり、極めつけは頸動脈や胸の上に焼き鏝を当てられたのにピンピンしていたり、ディティールのずさんさはかなり目立ちます。追加するなら、一応嘘でもいいのでゲームが終わる条件は設定した方が良いかなとは思いました。
ストーリー的なツッコミで言いますと、一番大きいのは「主人公が偶然と奇跡の積み重ねで生き残らないと成立しないトリック」問題です。この手の映画ではよくある問題ですが、ドンデン返しにしたつもりがその罠が成立するためのハードルが物凄い高すぎて全然罠になってません。映画なんで主人公はたまたま生き残りますが、でもそのたまたまを犯人が当てにしてはいけませんw
またこれは構成上の問題ですが、小学校を脱出した後のエピローグが長すぎます。しかも全部犯人側からベラベラとネタばらしをしてくれるため、著しく集中力と興味が低下します。こういうキャストが少ない低予算のスリラーの場合、全ての裏側を説明してしまうと世界観が薄っぺらに見えてしまいます。想像させる分には無料ですから、もっと思わせぶりにバッサリと省略してしまっても良かったと思います。ここまで喋られてしまうと、続編を作ろうにもコピー作品しか作れなくなってしまいます。
この辺りの演出は日本でこのジャンルが成熟してノウハウが蓄積すればある程度進歩していくのではないかとは思います。
ちょっと苦言が多くなってしまいましたが、でも私はこの作品は結構好きです。少なくともSAWの(超)劣化コピーまでは日本でも作れるというのが分かっただけでも儲け物だと思います。

【まとめ】

ずさんはずさんですし、B級と呼ぶにもかなり苦笑いな部分は多いです。でも先月の「KING GAME」のように表面だけなぞっているわけでは無く、きちんと作ろうという気概は感じました。ジャンル好き限定でオススメします!!!

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ザ・ホード 死霊の大群

ザ・ホード 死霊の大群

2本目はアート系映画の鬱憤晴らしw

「ザ・ホード 死霊の大群」を観てきました。

評価:(35/100点) – よくある脱出系ゾンビ映画の凡作。


【あらすじ】

とあるフランスの郊外、警官の一人がナイジェリア人ギャングの兄弟に殺されてしまう。彼の仕事仲間や不倫相手の一行4人は復讐のためギャングのアジトを襲撃する。しかしギャングに囚われてしまい、リーダー格のジメネスは射殺されてしまう。しかしその時、別の死体が急に暴れ始める。外には咆哮が響き、一行はゾンビの大群に襲われることになる。果たして彼らはアパートから脱出することができるのか?

【三幕構成】

第1幕 -> アジトの襲撃
 ※第1ターニングポイント -> 便所の死体が急に襲ってくる。
第2幕 -> ゾンビからの逃走と脱出手段の模索。
 ※第2ターニングポイント -> レネと出会う。
第3幕 -> 地下からの脱出。


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【感想】

さて、アート系映画で眠くなった頭を戻すべく、2本目は「ザ・ホード 死霊の大群」です。近年流行っている「動きの速いゾンビ」の最新型で、おしゃれとスプラッタの国・フランスからやってきました。ジャンル映画な上に公開からも結構時間が経っていますので、さすがのシアターNでもガラガラでした。
いきなりですが、本作はいわゆる「脱出型モンスター映画」のフォーマットに非常に忠実です。というかとても基本的で捻りが無く平凡です。近作ですと「斬撃 -ZANGEKI-」が一番近いでしょうか。なんらの理由でゾンビが増えてしまった世界で建物から脱出することを目的にサバイバルしていきます。ジャンル映画ですので、なんでゾンビが一杯居るのかとか、脱出した後どうするのかとか無粋なツッコミは無しですw きちんとお約束として戦闘力の高い助っ人も登場しますし、生き残るのが一番生き残りそうに無い奴というのもお約束です。
問題点があるとすれば、それはキャラの立ち不足と脱出プロセスのアイデア不足です。
せっかくサスペンス並に入り組んだ人間模様を設定しているのに、それが物語に全く活かされません。本作には対立する警官とギャングが対ゾンビで協力するという面白い設定があります。しかしこれですらロクに使われません。結局変な口喧嘩が頻繁に挟まるだけで、行動自体は普通の仲間です。
そして脱出プロセスについてもどうかと思います。というのも、ただただ曲がり角でゾンビを殺しつつ階段を下りていくだけなんです。裏道があるわけでもないですし、道無き道をアクションを駆使して進むこともありません。本当にただ階段を下りるだけ。これでどうしろというのでしょう、、、、。
とまぁここまでボロクソに書いているわけですが、決して完全な駄作というわけでもないと思います。というのも1カ所だけ褒めるべき所があるんです。それはゾンビのタフさに任せて過剰なまでに「ボコボコにする」描写です。とにかく本作に出てくる人間達は強く、当たり前のように素手でゾンビと渡り合ってしまいます。その時点でホラーとしては怖くないわけですが(苦笑)、一方でコントとして見ればこれが結構成立しています。以前「スペル」の時に書いた「お化けがぼけて人間がツッコむ」という関係性です。とくにオロールとグレコは相手が一人だろうが二人だろうが素手やナイフでゾンビをぶち殺していきます。2人で正面突破出来るんじゃないかと思うほど屈強に描かれています。この辺りはとても好感がもてる描き方です。
とはいえ、やはり物語の部分で残念なところがありすぎます。「俺がここを食い止めるからおまえら逃げろ!!!」という熱い展開を3回もやってしまったり、物語の1/3ぐらいが無意味な泣き言&口喧嘩であったり、どうにも作りが不細工です。決してつまらない作品ではないのですが、どうしてもジャンル映画としての「お約束」を理解していてそれが好きであることが前提となってしまいます。ですので、万人にはとてもオススメ出来ません。
今年はゾンビ映画豊作の年でうれしい限りなんですが、そういった文脈でのみオススメ出来るかと思います。そういえば散々前半で時間を使った不倫や妊娠の件はどこにいったんでしょうw その辺の適当さもジャンル映画ならではです。

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ジェニファーズ・ボディ

ジェニファーズ・ボディ

今月の映画の日は一本、

「ジェニファーズ・ボディ」を見ました。

評価:(35/100点) – ホラーなのかアイドルPVなのか中途半端。


【あらすじ】

幼なじみのニーディとジェニファーはある夜、郊外のバーで行われるインディロックバンド・ローショルダーのライブに行く。しかしライブ中に火の手が上がりバーは全焼。ニーディは助かるものの多くの死傷者を出し、さらにジェニファーはローショルダーの面々に拉致されてしまう。その夜、ニーディの家に血まみれのジェニファーが訪ねてくる。その日以来ジェニファーは性格が激変し、町では殺人事件が起きるようになる。。

【三幕構成】

第1幕 -> ニーディとジェニファーとチップ
 ※第1ターニングポイント -> バーの全焼事件
第2幕 -> 連続殺人とジェニファー
 ※第2ターニングポイント -> ジェニファーが悪魔であると気付く。
第3幕 -> 春のダンスパーティ


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【感想】

本日は「ジェニファーズ・ボディ」を有楽町みゆき座で見てきました。映画の日ということもあって併設スカラ座の「借りぐらしのアリエッティ」がとんでもない混み方でして、その煽りなのか想像以上に多くのお客さんが入っていました。予告もポスターも完全にミーガン・フォックスを見るためだけの映画なのは一目瞭然ですが(苦笑)、それにしては若い女性の友達連れが多かったのは意外でした。さぞレズのミーガンも喜んでいるでしょうw

概要

本作の基本プロットは予告を見たそのまんまです。バートリ・エルジェーベトよろしく人肉を食って美を保つ悪魔のジェニファーが親友のボーイフレンドを狙っちゃって、、、というオカルトホラーなんですが、全体的に非常に半端かつ適当ですw
実際、劇中で起こる事件というのはまったく大したことがありません。単にジェニファーをニーディが止められるかどうかというだけで、捻りも無ければ伏線もありません。第一、本作は犯罪者用精神病棟に入ったニーディの回想から始まります。もうこの時点で、この話が2ヶ月間の出来事であること、ニーディの身にも性格が変わるような何かが起きること、そしてボーイフレンドは結局死ぬこと、ニーディはジェニファーと対決して生き残る事が分かります。つまり全部分かるw じゃあどうするかというと、回想でそのことの詳細が語られるだけです。しかも全部想像を超えることのない無難なことばかり。これで面白くなるわけが無い。残念ですが構成が無茶すぎます。インセプションみたいにアクロバティックな時系列シャッフルをするならともかく、これは何の意味もありません。フックアップにすらなってないです。
というわけで話の部分はかなりボロボロです。では肝心のミーガンのPVとしてはどうかというと、これもまた大変微妙です。なぜかというと、「男を誘う悪女」というキャラしか見せてくれないからです。全編通じてミーガンは誰かとキスばっかりしてるんですが、逆に言うとそれしかしてないんです。もっといろんな幅を見せてくれないと全然魅力的に見えません。確かに顔もスタイルも良いと思いますが、ただそれだけでフィルムを持たせるのはいくらなんでも無理です。あまりにフィルム上のキャラが立たなすぎて、むしろ顔が若干微妙かつ斜視なアマンダ・サイフリッドの方が魅力的に見えてきます。企画上の問題かもしれませんが、せめてジェニファーが獲物をおびき出すときにいろんなパターンを見せてくれないとどうにもなりません。しかも暴力シーンをカメラで写さないため、ホラー・クイーンにもなれていないんです。なんかもう、、、、ね、、、、どうすっぺこれ(苦笑)

【まとめ】

とっても困った映画でしたw コンセプトだけはありがちとは言えボンクラ男子が大喝采するようなものですが、あまりにも残念な出来すぎます。突き抜け方が足りません。ホラー寄りでやるならばそれこそ井口昇作品並にゴアでやっちゃえば良いですし、PV寄りでやるなら「永遠に美しく・・・」のようなお茶目なコメディ方向に振ることもできたはずです。でもどちらも全然出来ていません。作品のトーンはやけにシリアスですし、かと思いきやダサいロック調の歌謡曲が突然流れたりして青春映画っぽいノリもあります。なんか制作した人間が真面目すぎて退屈になっちゃってる印象があります。もっとふざけたり突き抜けたりしないとこの手の作品は面白くはなりません。
ということで、決して一口にダメだと切り捨てるほどでは無いですが、全体的に赤点というか、全項目が合格点の2段階ぐらい下というなんとも言えない失敗作だと思います。どこが悪いっていうか全部悪いw
強いて言えば、エンドロールでの対位法を使ったローショルダーへの制裁だけは面白かったです。面白かったというか可笑しかったw なんでそのトーンで全編通じて出来なかったのかと不思議でなりません。 決してオススメはできませんが、ミーガンの大ファンならばとりあえず押さえておいても良いかも知れません。

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ゾンビランド

ゾンビランド

2本目は

ゾンビランド」です。

評価:(95/100点) – 爆笑必至。童貞と筋肉バカとマセガキ・悪女のハートフル珍道中。


【あらすじ】

ゾンビ病によりアメリカ合衆国がもはや「ゾンビランド」と化した世界。童貞元引きこもりのコロンバスは、自身の考えたサバイバル32箇条を忠実に守って生き延びていた。ある日、彼は実家のオハイオに戻る途中でゾンビハンターのタラハシーと出会う。ゾンビを殺すことを生き甲斐とするタラハシーにとって、唯一の休息は大好きなトゥインキーを食べることだった。連れだった2人は途中スーパーマーケットに立ち寄りトゥインキーを探すが、そこで詐欺師の姉妹と出会う。色々あって4人連れとなった一行は、ゾンビが居ないという都市伝説を持つLAパシフィック・プレイランドへと向かう。

【三幕構成】

第1幕 -> タラハシーとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> ウィチタとリトル・ロックと合流する。
第2幕 -> LAへの旅とビル・マーレイ
 ※第2ターニングポイント -> 姉妹が居なくなる。
第3幕 -> パシフィック・プレイランド


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【感想】

週末の2作目は「ゾンビランド」です。こちらもハングオーバー同様に昨年公開の映画でアメリカでは大ヒットいたしました。現時点でも興収100億を超えており、ゾンビ映画史上最も売れています。お客さんもホラーにしてはめずらしくかなり入っていました。とはいっても、本作は厳密にはホラーではありません。ジャンルとしてはホラー風コメディです。一番近い感覚は「死霊のはらわたIII/キャプテン・スーパーマーケット」でしょうか? 一応ゾンビは出てきますし、バリバリのゴア描写もありますが、怖いというよりは「うわぁ~~~~キモっwww」という感じで笑える描写が多くなっています。しかも「スペル」とは違い脅かそうという気もありません。完全にギャグのみで使われています。
なにをおいても本作が素晴らしいのは、引きこもりの童貞少年が女に惚れてありもしない勇気を奮い立たせるというそのフォーマットに他なりません。それだけで満点でも良いくらいですw 登場人物はリトルロック以外が全部ダメ人間なんです。コロンバスも、タラハシーも、ウィチタも、みんな変人ばっかりです。でも、そこに最終的に信頼が生まれるところがグッとくるんです。ビル・マーレイの酷い(←褒め言葉)使い方も含めて、絶賛せざるを得ません。間違いなく今年屈指の良作です。
ある種の保存食として良くネタにされるトゥインキーという小道具の選び方、最終的には33に増える「サヴァイバルの掟」の説得力、パシフィック・プレイランドという架空の遊園地の微妙なショボさ、完璧です。
とりあえず、悪い事はいいませんから、劇場に行ってください。手抜きじゃなくて(苦笑)、ごちゃごちゃ言うのはヤボですw。
アホ万歳!!! ゾンビ万歳!!! そんでもってカウボーイ万歳!!! みんな万歳!!!! オススメです!!!!!!!

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ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女

本日は一本です。

ぼくのエリ 200歳の少女」を見ました。

評価:(95/100点) – 珠玉の青春映画


【あらすじ】

いじめられっ子のオスカーはある日隣の部屋に引っ越してきた子と出会う。エリと名乗るミステリアスな少女に魅かれるオスカーは、やがて彼女の勧めに従いいじめに抵抗するようになる。一方その頃、町では奇妙な殺人事件が発生していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> エリがヨッケを襲う
第2幕 -> オスカーとエリ。
 ※第2ターニングポイント -> オスカーがエリが吸血鬼だと気付く。
第3幕 -> いじめの結末。


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【感想】

本日は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。まだ全国で銀座テアトルシネマのみ公開ですので、完全に満席でした。完全に映画オタクで埋まっており、前評判の高さもあって凄いことになっています。スウェーデンでは2008年に公開された作品で、多くのファンタスティック映画祭で話題を攫っていました。2年掛かってようやく日本公開です。

はじめに

まず、私としては謝らなければいけません。今年の3月に「渇き」を見て「そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできない」と書いてしまいましたが、「そんじょそこら」でないとんでも無い映画が来てしまいました。本作はラブストーリーでありながら怪奇映画でもあります。
ヴァンパイアのラブストーリーというと、どうしても「トワイライト・シリーズ」を思い浮かべてしまうかも知れません。たしかに「トワイライト」もヴァンパイアのラブストーリーでした。しかし、大変申し訳ないですが、本作とはかなりレベルに開きがあります。それは、ラブストーリーとしても、そしてヴァンパイアムービーとしてもです。本作ではヴァンパイアとしての負の部分をがっつりと描きます。決して恋愛の障壁としてのみ使っているわけではありません。そして生まれながらの魅力ある血とかいうご都合主義丸出しの設定もありません。本作の主人公・オスカーはなんの変哲もない少年です。いじめられっ子で、それに抵抗する勇気も無く、一人で夜な夜な憂さを晴らすようにエア抵抗をするような内気な少年です。その少年が、いつしかヴァンパイアの子と交流し、お互いにお互いが絶対必要な存在になっていくわけです。
本作の原題は「Lat den ratte komma in ( Let the Right One In / 正しき者を入れよ)」です。文字通り、オスカーは物理的にもそして心理的にも、エリを”正しき者”として受け入れていきます。この過程で、彼は彼女への共感と恋と拒絶を味わいます。それは決して一目惚れというレベルではなく、もはや分かち難いものとしての依存関係なわけです。

本作におけるヴァンパイア

本作において、エリは決して怪物としては描かれません。彼女は「血を吸い日光に弱い」という性質をもった一人の少女です。そしてホーカンという庇護者と共に生活しています。ホーカンはエリのために夜な夜な通り魔殺人を起こし、ポリタンクで血を収拾します。ある事件があってホーカンが居なくなってからも、彼女はむやみに人間を襲うことはしません。エリは無慈悲なモンスターではなく、あくまでも生きるために血を吸わなければならないという性質をもってしまっているだけです。それはまるで私たちが魚や肉でタンパク質を取らなければいけないように、彼女にとっては血を吸うことが必要なんです。
そして、彼女は人間以上の身体能力を持っていますが、決して万能なわけでもありません。特に「日光に当たると死んでしまう」という一種の虚弱体質でもあります。極端な話、彼女を殺そうと思えば昼間に部屋に忍び込んでカーテンを開けるだけで良いんです。そういった意味で、彼女は弱い存在でもあります。

オスカーとエリ

オスカーは徐々にエリを唯一の友人として、そして唯一の居場所として心の支えとしていきます。一方のエリも、彼女を怖がらずに話をしてくれる人間としてオスカーに魅かれていきます。本作で最もすばらしい所は、このエリとオスカーの交流が、文字通り性別を超えた心の繋がりになっていく点です。
そして、エリはいつまでも年を取らず、オスカーは年を取っていきます。これは穿ち過ぎかも知れませんが、彼らの行き着く先が、エリとホーカンに思えてなりません。ホーカンは冒頭ではエリの父親として登場します。しかし仕草や覚悟は親子と言うよりは恋人のそれです。明らかにホーカンはエリを愛しています。しかしその一方、エリはあまり愛情を表現しません。
彼女は数百年も12歳の姿で生き続けています。ですから、もしかしたらホーカンとも彼が子供時代に出会ったのかも知れませんし、オスカーも彼女にとっては数十人目の庇護者かも知れません。実際にはエリは生存本能としてホーカンの代わりにオスカーを必要としただけなのかも知れません。それでも、本作ではオスカーとエリの甘く重苦しい交流を情緒的に描ききります。まるでハッピーエンドのように描かれるラストの甘酸っぱいシーンにあってさえ、彼らには「血の調達」という困難がすぐに迫ってきます。オスカーはエリと一緒にいるためにこの先何十年も人を殺し続けなければいけません。でもそんな厳しい現実を見る直前の、まるで一瞬の休息のような彼らの希望溢れるラストシーンに、どうしても心揺さぶられざるをえません。

ショウゲートによる改変の問題

本作はオスカーとエリの依存関係の成立が肝になるわけですが、その際に重要な改変が配給会社により行われています。
劇中で何度も「私は女の子じゃないよ」というセリフが出てくるように、エリは男です。終盤エリの去勢根をオスカーが見てしまう場面もあります。これはオスカーとエリの愛情というのが完全に性別を超えた心理的関係であることを表しています。なんかヤオイ肯定派みたいな言い草ですがw
それを「ぼくのエリ 200歳の少女」とかいう変な邦題でエリが女性であるような先入観を与えたり、肝心の場面に修正を入れたりして普通の少年少女のラブストーリーのように誤解させようとしてる根性が気に入りません。エリが男で何が悪い。宣伝のために内容変えるとか最低の悪行です。

【まとめ】

すばらしい作品でした。ラブストーリーとしても、ヴァンパイアムービーとしても、何の文句もございません。ヴァンパイアムービーでここまで愛おしく実在感を持ったストーリーはなかなかありません。ホラームービーが苦手という方もご安心ください。ホラー要素はほとんどありません。それ以上に異種間恋愛としてとても良く出来ています。本当に惜しむらくはフィルム1本の4スクリーン順次興行という上映形態です。こんなに素晴らしく、こんなに話題の作品が小規模公開というのは映画文化にとって間違いなく損失です。
本作はハリウッドでのコピーリメイクが決まっており、10月に公開される予定です。もしかするとリメイク版がシネコン上映されかねない状況だったりするのが、非常に複雑な心境です。ですが、もし、もしお近くで上映がある方は是非とも足を運んでみてください。映画ファンであれば絶対に見ておくべき作品です。
文句なく、全力でオススメいたします!

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恐怖

恐怖

3本目は

恐怖」です。

評価:(15/100点) – あれ? 高橋さん、どうしたの??


【あらすじ】

太田みゆきは、自殺した父親の命日に、インターネットで知り合った男女4人とともに練炭自殺をする。彼女は死の間際に夢を見る、、、。それは脳外科医の母親が人体実験を行うというおぞましいものだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> みゆきの自殺
 ※第1ターニングポイント -> かおりが上京してくる。
第2幕 -> みゆきの捜索と母の研究。
 ※第2ターニングポイント -> かおりがみゆきを発見する。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

3本目はJホラーのパイオニアにして偉大なる脚本家・高橋洋監督の「恐怖」です。
眠くなってきたのでいきなり結論を書きますが、本作はまったく怖くありません。それはもうパラノーマル・アクティビティ並に怖くありません。その理由は非常に簡単でして、要はこれは脳に電極を埋め込まれた女性がこの世ならざる者になってしまう話だからです。つまり日常と関係無いw
題材としてはいわゆるディメンジョン・スリップ(位相ズレ)ものです。例えば有名な話ですが、カタツムリは3次元立体を理解出来ません。ガラスの表と裏にそれぞれカタツムリを貼り付けて同一線上で向かい合わせると、カタツムリは正面衝突すると思ってお互いに避けます。これはカタツムリが2次元平面のみ認知して生きているためで、3次元を理解出来ないからです。本作は『通常の人間には理解出来ない第5次元という軸がこの世にはあってそれが「死者の国」なんだ』という設定の元で、脳に電気刺激を与えられるとそちらが見えるということになっています。
それ自体はとってもワクワクする良い設定だと思います。しかし、、、、
肝心の描写がまったくよろしくありません。幽体離脱を表現するのがCGで人が出てくるだけとか、目がカラコンで青くなるだけとか、、、失笑w
しかも中盤で斉藤陽一郎さんが幻覚でお化けをみるシーンで寄りによってCGで半透明になった男が歩いてくるというコントみたいな描写があります。さらには地獄が漏れ出すシーンで黄色い煙がプレステ1ってレベルのCGで表現されます。もうね、、、、これでどう怖くなれっていうんでしょう?
本作は、本気で怖く作ろうって気が無いように見えます。なにせ最後は夢オチです。正確には夢ではなく「みゆきの主観」オチなんですが、それにしても酷いです。さんざん下らない映像を見せられた上に結局それかよ、、、、っていうゲンナリする気分ですw。
一応フォローしておきますと、間違いなく高橋洋さんはJホラーのトップ・クリエイターです。重要人物の一人であり、脚本家として傑作も書いています。だからこそ、ちょっとこのクオリティはまずいです。

【まとめ】

俳優さんはどなたも素晴らしかったと思います。ですが、あまりにも演出と話が悪すぎます。Jホラーで怖くないって時点で商品価値としては限りなくゼロです。実は「鉄板に面白いだろう」ってくらい期待していた作品だけに、この落差はかなりキツイです。とっても残念です。

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エルム街の悪夢(リメイク)

エルム街の悪夢(リメイク)

今月の映画の日は

エルム街の悪夢」を見てきました。

評価:(60/100点) – え? リメイク?。


【あらすじ】

ディーン・ラッセルは3日間寝ずに精神が不安定になっていた。ディーンは彼女・クリスの目の前で自らの喉を切って死んでしまう。彼女はディーンの葬式で幼い頃の自分が墓穴に引きづりこまれる幻覚を見る。その夜、彼女は夢の中で右手にかぎ爪を付けた男に襲われる。

【三幕構成】

第1幕 -> ディーンの死。
 ※第1ターニングポイント -> クリスが死ぬ。
第2幕 -> ナンシーとクエンティンの捜索。
 ※第2ターニングポイント -> 不眠72時間が経過する。
第3幕 -> フレディ退治。


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【感想】

今月の1日は「エルム街の悪夢」です。ご存じ「フレディ・クルーガー・シリーズ」の9作目(スピン込みで12作目)で1作目のリメイクというアナウンスをされています、、、が、、、リメイクか?これ。
1,000円かつ名作リメイクということもあってか、レイトショーでしたがそこそこの人が入っていました。

一応おさらい

念のためということで一応おさらいをしておきましょう。「エルム街の悪夢」は1984年公開の超有名ホラーです。ジェイソンと並ぶホラー・ヒーロー:フレディを生んだ傑作で、夢の中で襲ってくるという変な設定と特徴的なボーダーセーターによって一躍ヒーローになったフレディは、シリーズを重ねる毎にギャグキャラ化していきます。この辺は前に「スペル」の時にちょろっと書きましたが、まさに「ホラーとギャグは紙一重」というのを突進してしまったんです。そしてそれが極限に達したのが「フレディVSジェイソン」です。
「フレディvsジェイソン」はお茶目なフレディがジェイソンを操ろうとして失敗しちゃって、、、、という完全に人間的というかヘタレなフレディになってまして、ちょっとキャラとしては閉塞的になっちゃったわけです。
早い話がこの作品は「アウトロー・ヒーローvsトップ・ヒール」のプロレス映画です。両方ヒールなのでフレディがベビィターンしたところが重要です。つまりニュー・ライン・シネマの中では、シリアル・キラーっぽさで言えばフレディよりジェイソンの方が上だという判断があったという事です。

再誕失敗!?

そこで、フレディをホラー・ヒーローとしてリセットする目的で作られたのが本作です。実際に見てみると、たしかにフレディのお茶目さは影を潜め、完全にシリアル・キラーになっています。が、、、、
非常に厳しい言い方をすれば、フレディがフレディでは無いというか、「フレディ」というキャラクターの持っていた個性が完全に消え失せて、単なる「ロリコン逆恨み地縛霊」になってしまっているんです。しかもフレディに人間味を感じさせないようにする目的なのか、彼のバックボーンが全く描かれません。だから、本当にイカれたロリコン以上のキャラクターではありません。
フレディの部分の不満を無視したとしても、お話しの部分で演出上かなり気になる点はあります。中でも一番違和感を感じるのが、群像劇スタイルで始まるにも関わらず唐突にナンシーとクエンティンの視点に絞られる中盤です。そしてこちらも唐突に始まる、「フレディ冤罪説」を巡る半端なサスペンス・ストーリー。あのですね、、、、「エルム街の悪夢のリメイク」って聴いて見ている人にとって、「フレディが冤罪かも」っていうのは茶番以外のなにものでもないんですよ。「そんなわけあるか!?」っていう。仮にそこを変えちゃったら、今までのシリーズよりもっと人間味が出ちゃって本末転倒じゃないですか。
しかも本作では「フレディは夢の中の存在だから、人々に忘れられると存在が消えてしまう」という大前提が崩れちゃってます。実際に完全にフレディを忘れていた人たちが襲われますし、被害者達に記憶を取り戻させようとするのもフレディの被虐趣味でしかなくなっています。
全体として、「旧作のフレーバーを残しながらもリアル路線を目指す」というバットマン・ビギンズやスーパーマン・リターンズと同じ手法を使っていますが、結果としてまったく意味不明でがっかりなキャラクターになってしまいました。

【まとめ】

一応このリメイク版(=仕切り直し版)の続編として二本は新作を作る計画のようです。ですが、個人的には本作の続編を見たい気はしません。あまりにも今作のフレディには魅力が無さ過ぎます。
「エルム街の悪夢」だということを忘れて見る分には平均よりちょっと悪いぐらいのスプラッタ・モンスター・ホラーだと思いますが、ちょっと期待していた分だけがっかり感が強いです。
シリーズのファンであれば、間違いなく見に行くべきですし見に行ってるとは思いますが、もし旧作を見たことが無い方は、レンタルで「エルム街の悪夢(1984)」を見た方が良いと思います。

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戦闘少女 血の鉄仮面伝説

戦闘少女 血の鉄仮面伝説

本日はようやっと

戦闘少女 血の鉄仮面伝説」を見てきました。

評価:(90/100点) – 僕、こういうの好き。勧めないですけどw。


【あらすじ】

いじめられっ子の高校性・渚凜は右腕の痛みに悩まされていた。16歳の誕生日に特殊部隊の襲撃で両親を惨殺された凜はヒルコとして覚醒、そのまま襲い来る人間達をなぎ倒していく。街で出会った如月と玲に従って訪れたヒルコ部隊で、彼女はヒルコの仲間と共に戦士として修行することになるが、、、。


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【感想】

本日はようやく「戦闘少女」を見て参りました。先週末は某フェスで踊り狂っていて渋谷に行けなかったので、念願の鑑賞です。やはり人気監督&アイドル映画ということなのか、お客さんはかなり入っていました。
本作の監督は井口昇・西村喜廣・坂口拓という悪趣味映画の第一線で活躍するトリオです。本作は、3幕構成に従ってきっちり章立てされており、各章毎にそれぞれの監督が仕切っています。しかし仲が良いのかあまりに趣味が似通っているのか、まったくチグハグした感じが無く、一人のディレクションで撮っているといわれても何の違和感も無いほど良く出来ています。
とはいえ、他の井口作品・西村作品と同じく、決して一般受けするような作品ではありません(笑)。なにせ基本は「外国人が見た誤解や偏見が入りまくった日本観」の誇張に乗っけて70年代の東映・女性アクション映画を好き放題やっている作品です。そこにはグロい肉体破損を徹底的にギャグとして描く悪趣味センスがあったり、人間では無いヒロインが苦悩しながらも人間との調和を目指すというデビルマン的な異形愛があります。中盤で玲がフリークス・ショーで見世物にされていたという過去エピソードが入りますが、これこそまさに典型的な一昔前のアメリカンモンスター/スラッシャームービーの設定そのものです。
そういった意味でも、やはり本作では主役級3人の魅力というものに大きな比重がかかってきます。結果としては、3人ともとても魅力的に見えますのでアイドル映画としても大成功だと思います。血みどろのアイドル映画ってのも変な話ですが(笑)、それこそ梶芽衣子とかかつてのグラインドハウスっぽいB級ならではの(雑な)熱量を物凄く感じます。特に自ら「コスプレナースの佳恵です!」と意味が分からない自己紹介をする森田涼花さんは主役を食うほどの存在観を見せてくれます。なんというか、笑いながら人を惨殺するシーンがこれほど似合う人は居ません。(←一応褒め言葉w) ファンの方には申し訳ないのですが、ちょっと腹黒い感じが漏れてしまっているような「無垢な笑顔」がとんでもなく可笑しくもあり怖くもあります。
杉本有美さんもきちんと回し蹴りが頭まで届いていますし、ちょっとギコチないなからも身体能力の高さが良く分かるアクションを見せてくれています。残念ながら私はあんまり特撮ヒーローものを見てないのでゴーオンジャーでの活躍を見てないのですが、これなら将来アクション路線に行っても通用するかもと思わせてくれる内容でした。
また、敵役ながらやはり竹中直人はいろんな意味で群を抜いています(笑)。下らないっちゃあ下らないんですが、天丼のくだりは完全に爆笑でした。反則というか場をぶちこわして全部持ってくというか、感服です。そして忘れていけないのがやはり亜紗美の存在感です。完全にB級映画のアクション女優として板についた彼女ですが、かなり驚くレベルの殺陣を見せてくれます。
ストーリーとしてはよくあるタイプではあります。異形の者が覚醒して、同種の仲間達に合流して、でも結局は人類との調和を目指し敵対者と戦う。ダレン・シャンもそういう話ですし、パーシー・ジャクソンもそうです。そこにとにかく悪趣味なものを詰め込みまくると本作になります。それが竹中式ギャグであったり、井口式のゴア・ギャグであったりするわけです。

【まとめ】

個人的にはかなり好きな作品ですが、他人には決して勧めません(苦笑)。あまりにも内容が偏り過ぎていてとてもじゃないですが映画としての完成度は低いです。でもそんなことはまったく問題ありません。決して日本ではメインストリームに行けないタイプの作品ですが、作り手達が本当に楽しんで作っていて、そしてファンサービスをしようとしているのがとても伝わってくるので、変な連帯感というか共犯感がついて回ります。
好きな人だけがこそこそ見に行って、好きな人同士で「面白かったね」って盛り上がる。そういうニッチでカルトよりな良作だと思います。

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