私的休館日

私的休館日

んかここのところ、仕事してるか寝てるか映画館にいるかな生活だったので。今日は私的休館日にしてみました。とかいいつつレンタル屋で「DESCENT」と「28日後」を借りてきたので、これからウィスキー片手に見入ります。「DESCENT2」が明後日公開なんで予習だったりします。なにせ明日はレイトショーに釘付けなので、、、。



というのも明日は「スペル」の公開日ですよ!東京国際映画祭で見て以降、私の頭の中であのメインテーマが鳴り止みません。明日やっとまた見られるんです。
もう仕事なんか本気でどうでも良いです。むしろ朝から「スペル」と「REC/レック2」を交互にリピートしたいくらいです。
ってなわけで、今週は完全に「スペル」の前振りでホラーばっか見てたのでした。
たぶん来週はDVDでサム・ライミばっかり見るんだろうな、、、。
ちなみにTIFFで見終わった直後の私のメモはコチラ。今読むと興奮しすぎてて何を書いてるかわからなくなってますね。

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保護中: アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~

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ファイナル・デッドサーキット3D

ファイナル・デッドサーキット3D

二本目は「ファイナル・デッドサーキット3D」です。
なんか今週はホラーばっかり見てる気がします。
評価:(40/100点) – 3Dの嫌な使い方と吹き替え問題


<あらすじ>
ニックは友人とカーレースを観戦していたが、突然事故の予知夢を見てその場を立ち去る。するとサーキットで予知夢通りの大事故が起き、多くの死者がでてしまう。しかし助かった人間達にも死の運命が襲いかかってきた。
<三幕構成>
第1幕 -> サーキット場の大惨事
 ※第1ターニングポイント -> カーター・ダニエルズが事故死する。
第2幕 -> 次々に人が死んでいく
 ※第2ターニングポイント -> ジャネットが助かる
第3幕 -> 映画館での大惨事と終幕


<感想>
本作は「ファイナル・デスティネーション」シリーズの四作目です。このシリーズは全体のプロットはまったく同じです。冒頭に大事故が起きて数人が助かりますが、彼らには「死ぬ運命」がついていて、結局何らかの事故で死んでしまいます。ドラマも大してありません。言うなれば、「いかに細かい出来事を連鎖させて(面白く)人を事故死させるか」という部分を徹底的に研究している非常にストイックなブラックコメディです。
さて、このブラックコメディは1996年にテクモから発売された「刻命館」というゲームのシリーズに影響を受けています。このゲームは「罠ゲー」と呼ばれる独自性の強いホラーゲームで、主人公の館に侵入してくる敵を罠に仕掛けて次々にハメ殺していくという凄い内容のものです。このゲームはホラーとコメディを非常に上手いさじ加減で融合させて大人気になりました。「床の油で滑ったら、柱に頭をぶつけて階段を転げ落ちたあげく、暖炉に突っ込んで服に火がついた直後に、天井からシャンデリアが落ちてきた。」というように「泣きっ面に蜂」を大げさに重ねることで他人の不幸を笑おうという趣旨の嫌~な感じで楽しむゲームです。
このファイナル・デスティネーションシリーズの趣旨も全く同じで、細かい偶然がどんどん連鎖していくことで、しまいには人間が死んでしまいます。そして連鎖から死に至るまでのクリエイティビティが余りに高いために、一種の芸術性すら帯びている変テコなシリーズです。超ブラック。そして超悪趣味。でもちょっと面白い。ホラーと呼んでいいのかすらよく分からない、「珍しい生活事故のアイデア集」です。
さて、本作「ファイナル・デッドサーキット 3D」ですが、シリーズ初の3Dということで、いかに3Dを利用してクリエイティビティを広げてくるかが一つの見所になっています。結論から言いますと、良かったり悪かったり、過去作と比べると結構微妙な内容です。ちょっと偶然と呼ぶには強引な演出が多く、不自然なシーンが結構あります。
ただし本作は3Dを上手く利用しています。作中でもいろいろな「とがったもの」がどんどん飛び出して来て、思わずのけぞってしまうほどです。釘やら木片やらが目の前に飛び出してくるのは、生理的に嫌ですし本当にビックリします。いままでの3D映画にはなかった実験的な使い方をしているとても意欲的な作品です。
■ 吹き替えの問題
これは是非配給会社の方も真剣に考えていただきたいのですが、吹き替えがあまりにも酷すぎます。最近では「くもりときどきミートボール」もそうでしたが、3D映画が吹き替えのみで公開されることが増えてきています。おそらく3D映画で字幕を出すと目が疲れやすいという配慮だと思いますが、一方で吹き替えが酷いときに回避策が無いという深刻な状況を生んでいます。特に本作は素人芸能人のオンパレードで、ことごとく大根役者がそろっています。もはや文化祭レベルの棒読みオンパレードで情緒もへったくれもありません。字幕という選択肢が無い以上、この吹き替えも込みで映画の評価とせざるを得ませんから、本作の評価は作品内容以上に低くなってしまいます。もしかするとDVDでは字幕が付くかもしれませんが、是非劇場でも字幕版を上映していただきたいです。消費者に選択肢すらないのは非常につらいです。
<まとめ>
はっきり言ってドラマは全然面白くないですから、本作の評価はその「珍しい死に方」がいかに面白かったかにかかっています。こればかりは個人個人の趣味ですので、是非見てみてください。ただし、本作は非常に作り物っぽい・安っぽい演出ですが、結構ゴア(残酷)な描写があります。ブラックコメディとはいえ、残虐描写が苦手な方は止めといた方が良いでしょう。嫌なのを我慢してまで見るほど面白くはありません。
また、もしこのシリーズを見たことが無い人は、是非一作目の「ファイナル・デスティネーション」と二作目の「デッドコースター」をDVDで見てみてください。僕たちの身の回りには危険がいっぱいです。

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ホースメン

ホースメン

本日のハシゴ一本目は「ホースメン」にしてみました。
評価:(5/100点) – スタッフの皆様、役者の皆様、ご愁傷様です。


<あらすじ>
ある日、フックで宙づりにされ殺害された女性の死体が発見される。担当刑事のブレスリンを前に、殺された女性の養女・クリスティンは自分が母を殺したことを告げる。しかしそれは連続猟奇事件の始まりでしかなかった。
<三幕構成>
第1幕 -> ブレスリンと家族の関係
 ※第1ターニングポイント -> クリスティンが自供、逮捕される。
第2幕 -> 猟奇的な事件が連続で起こる
 ※第2ターニングポイント -> 容疑者達の共通点の発見。
第3幕 -> 解決編


<感想>
CMで羊たちの沈黙やソウを引き合いに出していますが、、、なぜこの出来でそれらマスターピースに匹敵すると思ってしまったのでしょうか?見終わって率直な感想は拍子抜けも良いところです。早い話が、セブン風味の「笑い男事件」なのですが、全ての要素が10年遅いです。
予告編を見ると、連続殺人犯のチャン・ツィイーが、獄中から外の事件を操るかの様な印象を受けます。実際にはまったくそんなことはありません。せっかく黙示録のホースメンを持ち出したにもかかわらず、キャッチフレーズにもなっている「COME AND SEE」がただの「かまって」だったり、スケールがみるみる内にショボくなっていきます。期待が持続するのはせいぜい30分程度で、第二幕からは心底どうでも良い描写ばかり。最後に「あれは実は伏線だったのだ」みたいな大仰な演出をされても全く盛り上がりません。非常に申し訳ないですが、ただひたすらショボい印象だけが残ります。
そもそも、2009年にもなって「インターネットってよくわからなくて怖いよね」なんて誰が納得しますか?それこそセブン以降はサイコ・ホラーが量産されましたが、それを今更、しかもまるでパチモノの様な内容で作ってどうしようって言うのでしょう。具体的なネタバレは避けますが、全ての事件に対していわゆる「猟奇的であること」の説得力が全くないんですね。容疑者がそこまで狂っている描写もないですし、物語上の必然がありません。単に制作者サイドの「チャン・ツィイー使ってセブン風味にしたら受けるんじゃない?」っていうビジネス的な意図以外の必然がなくて、何とも言いようがありません。結局なんなのか? 被害者を吊ってどうしたかったのか? さっぱり分かりません。
<まとめ>
正直なところ、駄作と呼ぶのすらためらうほどの酷い出来です。タダ券をもらったのでも無い限り見る価値は限りなく薄いです。ちなみにアイドル映画としてもアウトです。なにせ、チャン・ツィイーがまったく可愛く見えないです。あまりに酷い出来で文句すら言う気が失せる映画がたまにありますが、まさにそのカテゴリーの作品でした。興行収益すら調べる気がしないですが、これ観客はおろかスタッフや制作会社や役者に至るまで、誰も得をしない映画なのでは無いでしょうか?ご愁傷様です。
この作品の予告編を見て少しでも興味を持った方は、いますぐレンタルショップでセブンを借りることをオススメします。そしてこの作品の事は忘れましょう。きっと来年になればジョナス・アカーランド監督のフィルモグラフィからも消えるでしょう。

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REC/レック2

REC/レック2

「REC/レック2」をレイトで見てきました。評価:(80/100点) – ついにバイオハザードの正当な映画化作品が登場!


<あらすじ>
謎の病原菌によって汚染されたアパートにSWATと医師が突入する。彼らが見たのは謎の実験室と病原菌により凶暴化した住人達だった、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> アパートへの突入と探索。
 ※第1ターニングポイント -> 住人のファーストアタック。
第2幕 -> メディロスの血液サンプルの捜索。
 ※第2ターニングポイント -> アンヘラとの合流
第3幕 -> 解決編。


<感想>
皆さんに喜ばしいお知らせがあります。昨年漂流教室を映画化した「ミスト」が話題になりましたが(嘘)、ついに今年になってホラー・アドヴェンチャーの傑作「バイオハザード」も実写化されました。え?すでにミラ・ジョボビッチが実写化してるって?あんな顔のイカついお姉ちゃんのデジロック・CGアクション映画なんて知りません。本作こそが正当なバイオハザードの実写化です。ただし、これから見る方は注意が必要です。まず、主役がラクーン市警特殊班からSWATに変わっています。つぎに、ヒロインだった敏腕婦警・ジルは、色気と年齢がアップしてレポーターになりました。でもそれ以外はバイオハザードです。バイオハザード直撃世代の私は断言します。本作のとりあえず要素を詰め込んだやっつけな感じこそがバイオハザードの一番の魅力だと!
このままバイオハザードについて書きたくなってきたので話を元に戻します。本作は2007年に公開された「REC/レック」の続編で、前作終了直後から物語りが始まります。でも安心してください。前作を見ていなくても単独で十分に楽しめます。それはこの物語りが非常にミニマムでタイトだからです。
まず登場人物は10人もいません。実際に中心となるのは4名のみです。さらに舞台は小さなアパートで、このアパートから外には出ません。「敵」というか「モンスター」はゾンビだけです。非常にこぢんまりとしたスケールです。しかし、見ている間にショボイとは決して思いません。それは本作がいわゆる「フェイク・ドキュメンタリー」形式を採用している事が大きな要因です。
「フェイク・ドキュメンタリー」とは文字通り「偽物のドキュメンタリー」です。すなわち「実際に起きたことの記録映像という体裁で撮影する劇映画」のことです。わりと昔からある古典的な手法で、通常はハンディ・カメラを使用します。この手法の特徴は無論そのリアル表現にあるわけです。ホラーにおいては映画の中での出来事が観客にも起こるかもしれないと感じさせることが重要で、そのためにフェイク・ドキュメンタリー形式で現実と地続きの世界を表現することは効果的です。しかし実はそれ以上に大きな利点があります。それは「35mmフィルムよりも画質が汚くても良い」ということです。
かつてのハンディ・カメラは、フィルムを使用する映画用の固定カメラとは比べものにならないほど低性能でした。なのでハンディ・カムの荒い画質を利用するとセットや特殊メイクの安さを隠すことが出来たわけです。そんなわけで特に低予算のホラーでは非常に重宝されました。
本作はフェイク・ドキュメンタリー形式を使っていますが、冒頭ではそこを観客が意識することはありません。それはハンディ・カメラなのに画質が綺麗だからです。特に第一幕では「普通よりちょっと手ブレが大きい映画」ぐらいにしか思えません。ところがこの高性能なハンディ・カメラは中盤手前で壊れてしまい、代わりに画質の悪いカメラに乗り換えます。こうやってカメラの画質を物語の途中で落とすことによって、ギャップでより恐怖を感じるようにしています。この辺りは非常に上手い演出です。また、ハンディ・カメラ特有の画像の乱れを利用して「本当に怖い事は音だけで表現して、観客に絵を想像させる」というホラー文法の基本をきっちり押さえています。このすばらしい演出力によって本作は実際の規模とは比べものにならないスケール感を獲得しています。これぞ監督の腕の見せ所です。
<まとめ>
この作品は、オカルト的な要素とアドベンチャー的な要素となによりゾンビ映画の要素が入り交じった「ちゃんぽん」な映画です。
はっきり言いますと、話自体はさして目新しくもないですし劇中の謎解きも非常に簡素です。要は非常にテレビゲーム的です。登場人物と一緒にワクワク・ハラハラしながら見る映画なんです。ですから、たぶん二回目を見てもそこまで面白くないと思います。しかし、本作はその素晴らしい演出力によってグイグイと観客を画面に引きずり込んでいきます。是非映画館でみて欲しい映画です。一回目は本当に面白いですよ。オススメです。

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母なる証明

母なる証明

本日のハシゴ二本目は「母なる証明」です。
評価:(70/100点) – キレてるオバさんの観察記録

※今回はネタバレ全開です。公式の予告でも既に全部ネタバレしてますが、もしまっさらな気持ちで見たい人は読まないでください。


<あらすじ>
田舎町で女子高校生が殺害される。状況証拠から逮捕されたトジュン。母は息子の無実を信じ非合法な独自捜査を開始する。ついには事件の目撃者を発見するが、彼が見たのは、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> トジュンのキャラ紹介。
 ※第1ターニングポイント -> トジュンが逮捕される。
第2幕 -> 母の独自捜査
 ※第2ターニングポイント -> アジュンの携帯電話を発見する
第3幕 -> 解決編。


<感想>
もし皆さんが映画が好きで多くのサスペンスを見ているならこの映画のオチは予告と映画の冒頭5分を見ただけで分かります。
ある人物が逮捕され、その無実を証明するために主人公が独自捜査を行うという話は過去にいくらでもあります。この場合オチは二通りです。すなわち「誰かにハメられた」か「実際に彼が犯人」かです。そして本作の冒頭でトジュンがいわゆる「知恵遅れ」であることが明らかになります。
ということで、誰がどう見ても実際にトジュンが殺したのにその事を覚えていないというのは明らかです。そしてポン・ジュノ監督も当然そういう見られ方をするのは分かっているはずです。
すなわち本作は、スクリーン上は「真犯人探し」が行われるものの、観客は真犯人なんて最初から分かっているという不思議な環境のもと上映されるわけです。ではそこで画面に浮かび上がってくるのは何でしょうか? それこそが本作のメインテーマでありタイトルにもある「母」の感情です。
思い切って断言しますが、キム・ヘギャ演じる母親に感情移入出来る人は殆どいないと思います。正確には「理解は出来るがさすがにやり過ぎ」という感想を抱くと思います。証拠もないのに被害者の葬式に殴り込んだり家宅侵入したりやりたい放題です。あげくジンテというチンピラを使って脅迫までやります。これは暴走というには余りに凄まじく、まさに狂気です。
第三幕の冒頭で、母親は事件に関わっていると見られる男を訪ねます。話を聞くと、彼がトジュンの殺人現場を目撃したのが明らかになります。しかも証言の具体性や「知らなければ創作できない」トジュンの癖などから、証言の信憑性は明らかです。そこで母親がとった行動は、、、この目撃者を殺害することです。もはや「トジュンの無実を証明する」事など問題ではなく、「トジュンを助けること」のみが目的になっていることが明示されます。
そして彼女は無実だと確信しているダウン症とおぼしき少年にすべての罪をかぶせ、トジュンの釈放を勝ち取ります。
この一連の狂気を「母は強い」と一般論でまとめてしまうのは少々微妙です。あきらかにこの母親は一般平均レベルではありません。最後の最後で、彼女は内股の「嫌なことを忘れるツボ」に自ら鍼を打って、すべてを幸福の内に閉じ込めようとします。しかし出来るはずもなく、ただただ取り憑かれた様に踊ることで全てを忘れようとします。この女の狂気は業が深く、ある種の一貫性と圧倒的な存在感を観客に叩きつけます。
すなわち本作は殺人事件を巡るサスペンスというよりは、そこで解放された一人の女の狂気に恐怖するスリラー映画です。疑いようもなくこのキム・ヘギャは怖いです。
<まとめ>
この作品はハリウッド式エンターテインメントの構成をとった「キレてるオバさんの観察記録」です。このオバさんは一筋縄ではいきません。是非皆さんも映画館で、このオバさんのキレっぷりを堪能してください。「羊たちの沈黙」のレクター博士を筆頭に、映画史には多くの「魅力的な重犯罪者」がいます。キム・ヘギャの母親は、間違いなくこの系譜に入ってくるキャラクターです。オススメです。

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ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜

先月から見逃していた「ヴィヨンの妻」を見てきました。
評価:(72/100点) – 世界の亀山モデルの中では文句なくオススメ


<あらすじ>
大谷は酒遊びの酷い作家である。ある夜、大谷は中野の小料理屋から金5000円を盗む。店の主人にそのことを聞かされた妻・サチは人質として店で働きはじめるが、いつしか働く喜びに目覚め店の人気者になっていく。快く思わない大谷は自分の女遊びを棚に上げ妻の浮気を勘ぐり始める。いつしか夫婦の間にすれ違いが起こり始めた、、、。


<感想>
■ 雑観
まずタイトルを見ても分かるように、この作品は妻である松たか子演じるサチの視点を中心に描かれていきます。非常に簡単にまとめてしまえば「駄目な夫を健気に支える妻を通して見える人生の無常観」の話です。
浅野忠信演じる大谷は完全に駄目人間で、毎日飲んだくれて有り金全部使うかと思えば愛人宅で作家仕事してたり、正直救いようもありません。ただし、いわゆる詩的な駄目人間と申しましょうか、人生を嘆いて口では死にたいと繰り返すのにその度胸もなかったりする女性にモテるタイプの鬱風優男です。これがクセ者で、どんなに駄目な事を繰り返していても母性本能をくすぐればすべて許してもらえると本人が知っているんですね。だから懲りずに繰り返すしそこから成長する気も無いんです。もちろん大谷だけでは話は成立しません。ただのアホですから。そこで登場するのがほとんど菩薩かと思うほどのサチの存在です。
正直な所、サチが大谷を愛しているかどうかはよく分かりません。過去にある事件で大谷に助けられたことがきっかけでサチは大谷と結婚します。それが愛情なのか、助けてもらった引け目で面倒を見てるだけなのかは最後まで分かりません。ただ、とにかくサチは自分を殺してひたすらに大谷を支えます。上記のあらすじでは乱暴に「働く喜びに目覚め」としましたが、小料理屋で働くことは彼女がアイデンティティを獲得する手段でもあります。家庭でひたすら自分を抑えて献身する彼女は、小料理屋でアイドル的な存在になることでついに居場所を見つけ、自己実現を果たします。ただ、裏を返せばそれは「夫の面倒を見る」こと以上に人生の意義を見つけたと言うことです。当然大谷は気に入らないわけで、そこから彼の被害妄想と破滅願望が暴走していきます。
太宰のすごいところは、ひとえに自己を客観的に評価するその視点にあると思います。正直なところ、太宰のような破滅願望をもった人間は現在でも山ほどいます。というより非常に現代的な病で、下手すれば皆が持っているかもしれません。でも普通それを客観的には見られません。誰だって自分は可愛いですから、卑屈にも限度があります。でも太宰は自分に対して殆ど私情を挟まずに断罪できるんですね。この「ヴィヨンの妻」でも、サチという客観(=被害者)を通すことで、より大谷の駄目さが際立っています。最後まで更正する様子すら見せない大谷を、それこそ人間の本質ではないかと思ってしまう所がこの話をなぜだかひどくハッピーエンドに見せています。
ハッピーエンドなんですよ、これ。すごい悲惨でバカに振り回されまくってるだけに見えますが、でもハッピーエンドなんです。もとの鞘に収まってるわけですから。
久々にきちんとした人間ドラマの邦画を見た気がします。
■ 俳優について色々
この映画は期待していた以上に出来がよいです。ただ、、、、ただですね、、、俳優がちょっと、、、。
まず、伊武雅刀と室井滋と広末涼子はすばらしかったです。特に広末涼子。彼女はゼロの焦点でも「昭和の女」を演じますが見事です。結婚前に現代劇ばかりやってた時はクドくてうっとうしいと思っていましたが、この「ちょっと昔」の舞台にはベストマッチです。アイドル的な可愛さではなく、ちゃんと苦労してきた女が演じられるようになったなんて、、、同世代として感無量です。実生活で苦労したんですね、色々と。眼力や口元の表情の作りなど本当に素晴らしいです。また、伊武さんと室井さんはもはや何も申しますまい。はっきり言って本作の演出は特に台詞回しが下手です。なんでもかんでも言葉に出すテレビ的な演出が随所に見られて、「見てれば分かるわ!」とイラっとする事がしばしば。でも、伊武さんと室井さんはきっちり背中で演技ができるんです。画面の端や奥に見切れてる時でも、彼らが何を考えているか分かります。私のような若輩者が恐縮ですが、本当に良かったです。
一方、浅野忠信、堤真一の両名は本当に勘弁してください。松たか子は惜しい感じでイマイチでした。とくに浅野さん。演技派で売ってる方だと思いますが、剣岳の時もそうだし、つくづく時代物には向きません。ファンには申し訳ないですが「演技が安い」んです。薄っぺらい。台詞回しなんて棒読みで酷すぎます。本作では大谷は駄目人間だけどそれを補って余りあるぐらいの魅力が無いといけないんですよ。残念ですが、浅野=大谷が女性にモテるという人間的魅力にまったく説得力がありません。それは台詞が口から出る前にその人物の中で作られる様子が見えないからです。台詞から感情が見えません。ご愁傷様です。
松たか子にも同じ事が言えますが、彼女の場合は台詞ではなく表情です。本作のサチは前半の「自分を殺す献身的な妻」が話を追うごとにどんどん「表情豊かに」人間性を獲得していかないといけません。本作は結局元の鞘に収まる「行って帰ってくる話」ですが、唯一サチだけが人間的に成長(変化)します。そのクライマックスが「他人には言えない手段」を使って大谷を救うところです。だからクライマックスに向かって、菩薩然としていた女神様みたいなサチがある意味で俗世に紛れて人間になっていく課程を演じないといけません。これはもの凄くハードルの高い役です。非常に残念ですが、松さんには少々荷が重かったように思います。
浅野さん松さんの両名に共通することですが、演技が非常に舞台的です。舞台演劇と映画では声の出し方だったり表情の作り方だったりが全然違います。例えば宝塚出身の女優さんが現代劇に出たとき妙にわざとらしく見えてゲンナリすることがありますが、その感覚です。そりゃ舞台だったら後ろの方の席まで届けないといけませんからどうしてもオーバーリアクションになりますし、腹式発声が基本です。でも映画は暗い中で観客がスクリーンに集中してるんです。それこそ、小さい音一つ、眉の動き一つ、瞬き一つを凝視してます。だから、広末涼子が口元をほんのちょっとつり上げただけでも、「私は勝った」「私は大谷にこの世で一番必要とされている」という表現が成立するわけです。別に高笑いしなくても良いんです。その辺の文化的な違いが悪い方に出てしまったかなと思います。浅野さんと松さんはミュージカルとかトレンディ・ドラマが良いのでは無いでしょうか。
最後に堤真一ですが、本当に映画にでない方が良いですよ。テレビドラマの二時間枠に行ったほうが絶対に本人のためになります。彼は人間が演じられていません。決められたスクリプトどおりに動くサイボーグのようです。端的に言って会話してるシーンでも相手の言葉に対して一切リアクションがないんです。だから映画のように画角が広くて自分のメイン・カット以外の演技を強く求められる媒体には不向きです。テレビドラマのように顔のアップが基本で、話してる人だけが画面に映る媒体ならバッチリです。是非そちらに注力してください。
<まとめ>
長々と書いてきましたが、本作は今年の邦画の中では文句なく良作です。DVD鑑賞でも全然問題ない作品ですが、途中で抜けられない・一時停止できないという映画館ならではの拘束力がとても作品に合っています。ですので是非映画館で見てください。オススメです!

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ホワイトアウト

ホワイトアウト

レイトで「ホワイトアウト」を見てきました。
今日の二本ハシゴははずれかな、、、。
評価:(30/100点) – 予告だけなら80点。蓋を開けたら、、、(溜め息)。


<あらすじ>
南極で働く女性保安官キャリー・ステッコは2年の任を終えアメリカ本土への帰国と退職を考えていた。アメリカ帰国まであと3日に迫った日、アイスピックで刺された一つの死体が見つかる。殺人事件を捜査するうちに、彼女は五〇年前のロシアの墜落機に秘密があることに気づく。
<三幕構成>
第1幕 -> ステッコの日常と死体発見。
 ※第1ターニングポイント -> ボストーク基地でムーニーが殺される。
第2幕 -> 墜落機の発見と犯人の逮捕。
 ※第2ターニングポイント -> アメリカ行き飛行機の離陸。
第3幕 -> 解決編。そして真犯人の捜査。


<感想>
予告編の出来がすばらしいです。そのため、私は勝手にSF・ホラーだと思い込んでいました。だって南極の隕石調査隊員が謎の死を遂げるんですよ? だって隕石調査隊員が墜落機を見つけるんですよ? どう考えたってエイリアンが人を襲ってるか、宇宙からきた寄生虫みたいな奴に感染した人間が凶行に及んでるに決まってるじゃないですか!



でも、、、そんな事ないんですよ、、、、、これ。
序盤も序盤、開始30分程度でゴーグルつけてモコモコのジャケット着た男がアイスピッケルで襲ってくるんです。この時点でエイリアンではなくモロに人間です。じゃあ寄生虫か?とか思ったら、墜落機はただのロシアの輸送機で、なにかのお宝を調査隊が盗っちゃってそれを奪い合ってるとか言い出すんですよ、、、。ただの内輪揉めかよ、、、、。一気にしょぼくなっちゃって、、、。南極でマクガフィン奪い合ってるだけ。しかも外は吹雪なのでアクションが非常にスローかつ見にくい(失笑)。あの~この手のスリラーってそれこそレンタルDVDショップ行けば山ほどあるんですけど、、、。
<まとめ>
あんまり一般に知られていませんが、ダークキャッスル・エンターテインメントは好事家の間ではある種の一流ブランドです。さもありなん。バック・トゥ・ザ・フューチャーで有名なロバート・ゼメギス監督の作った映画マニア向けの制作会社なんですね。ホラーやサスペンスの専門ブランドで良質なB級映画をたくさん生み出しています。あくまでB級っていう所がポイントです。
そこでホワイトアウトなのですが、ダークキャッスル制作であの予告編を見たら、誰だって期待するわけですよ。ところが蓋を開けたら超ショボイ。ケイト・ベッキンセイルが格好良いだけで、あと何にも見所ありません。BOX OFFICEの興行収入みたら案の定赤字です。ここは是非ダークキャッスルに投資する目的で、映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。だってせっかく良質な作品が出来ても日本未公開なんて嫌じゃないですか。だから、ホワイトアウト、オススメです!

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