本日の2本目は
評価:(2/100点) – これはどうしたものか、、、。
【あらすじ】
冬木市では数年に一度、7人の魔術師(マスター)が使い魔(サーヴァント)を召還して殺し合う聖杯戦争が行われていた。
衛宮士郎は放課後の学校でランサーとアーチャーが殺し合う場面を目撃してしまう。目撃者としてランサーに口封じされそうになった士郎は、自覚の無いままにサーヴァント・セイバーを召還、マスターとして第5次聖杯戦争に参加することとなる、、、。
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【感想】
はじめに
え~、、、まずは恒例の言い訳から(笑)。
一応ですね、、、予習として昔のPCゲームを引っ張り出してきてやり直しましたし、「Fate/Zero」という同人ラノベもアニメイトで買ってきて読みました(←これ値段高すぎ。でも面白かったです)。このシリーズに熱心なファンの方々がたくさんついてるのも理解しています。
今回は書く内容が長くなると思いますが、一応シリーズ初見ではなく、そして信者というほどのめり込んでもいない映画好きの戯言です。もし万が一「Fateシリーズ」が大好きでこの映画に100%満足できた方がいるとするならば、それは非常に貴重で大切なことです。私も仕事柄そういう方々には大変助けられていますので。是非その想いを大事にしていただいて私のような訳のわからん若造の戯れ言なんぞ気にせずに絶賛してDVDやBDの初回限定版を一人三個ずつ買っていただければと思います。そんなあなた方のおかげで日本のコンテンツ業界は回っています。
とまぁ言い訳を書いておいて、さらにお約束の注意をば書かせていただきます。
今回、冒頭の点数を見ていただくと分かるように酷評致します。そして以下ネタバレを大量に含みます。さすがに5年前のゲームにネタバレもないとは思いますが、もし本作を楽しみで楽しみでしょうが無い「Fate/stay night」未プレイの方がいましたら直ちにブラウザを閉じてください。
そんなこんなでセーフガードを大量に貼りつつ(苦笑)、本論へと行きます。
本作の立ち位置の確認
本作は2004年に成人向けサウンドノベルゲームとして発売された「Fate/stay night」内の「UNLIMITED BLADE WORKS(=遠坂凛ルート)」を映像化/映画化したものです。非常に忠実に映像化されています。ですので、ゲームの熱狂的なファンの方にとっては「あの名場面が映画館で見られる!」というような位置で語られるような作品です。ということは、いうなれば昨年の「ROOKIES -卒業-」と同種です。作り手側が特定の層のみをターゲットにして、その中でいかに観客一人あたりの収益率を上げるかに特化した作品ということです。なのでゲームの「Fate/stay night」が大好きな人が満足して何度も劇場に入ってグッズやDVDやBDを買ってくれるならば、商業的狙いは成功です。もしかすると、映画として評価すること自体が的外れなのかも知れません。もっというと「映画という収益システムを使っているだけで、これは映画ではない」と開き直られる恐れもあります。
これから書くことは「曲がれ!スプーン」にもあった「別のメディアの作品をそのまま映像化して映画とする問題」に帰着します。ゲームでは問題の無かったものでも、それをそのまま劇場に持ってくるとどうしようも無い駄作になるという構図そのものです。
ストーリー上の問題点
本作の一番の問題点は脚本です。脚本家さんがよくエンドロールで名前を隠さなかったと拍手を送りたい程です。「アマルフィ 女神の報酬」はみんな逃げたのに(苦笑)。とにかくストーリーの構成がメチャクチャでまったく映画の体をなしていません。
いわゆるアート系映画以外には、必ず主題が存在します。そしてその主題に向かって90分なり120分なりで主人公が突き進んでいきます。それが物語(ストーリー・テリング)です。さて、本作の主題は何でしょう?
すでに観た方ならばこれは自明です。すなわち「主人公・衛宮士郎が自分自身(の行く末であるアーチャー)と向かい合うことで葛藤し成長する話」。これです。
では本作の構成はどうなっているでしょう。
作品の前半部はほとんど主題と関係ありません。これは元々のゲームの性質上の問題です。元のゲームは選択肢でストーリーが分岐していくため、ストーリーの前半部分については後からどうとでもなるような内容しか語れません。これを映画にそのまま持ってくると前半で延々と蛇足のような当たり障りのない話を見せられることになります。この時点で白けます。
さらにまずいのは、テーマ上のクライマックスであるはずの「自分自身と向き合う葛藤・対アーチャー戦」が終わった後、まったく関係無いギルガメッシュ戦を見せられる点です。無関係とは言っても、一応、士郎が自分にアーチャーと同じ能力があると気づいて「UNLIMITED BLADE WORKS」を発動するシーンはあります。ただしこれは成長にはなっていません。あくまでも「自分がアーチャーになる可能性があると自覚した」という場面であり、「自分の考えの破滅性を受け入れた」という表現です。さらにはギルガメッシュがラスボスとして登場する必然性が無いのも問題です。
本来ならばアーチャー戦で文字通り自分自身に打ち勝ってテーマを消化しなければいけません。でも作品上のクライマックスは、演出の仕方でも分かるようにギルガメッシュ戦での「UNLIMITED BLADE WORKS」を発動する場面になってしまっています。つまりクライマックスがずれてしまっているんです。これは「ゼロの焦点」にもあった症状です。そのため最後のギルガメッシュ戦が完全に蛇足になってしまいました。
結局の所、本作のストーリー上の問題は「整理不足」という言葉に要約できます。きちんと「主人公・衛宮士郎が自分自身と向かい合うことで葛藤し成長する話」にするのであれば、前半でアーチャーとの共闘と確執を描き第1ターニングポイントで決裂、中盤でアーチャーと士郎の対立を通してお互いの主張を明文化した上で残るサーヴァント達を一掃、クライマックスで聖杯を巡ってアーチャーがラスボスとして士郎と決闘するべきです。
ゲームをそのまま映画にしてしまったために話がグチャグチャになってテーマがボケボケです。映画にするのであればきちんと映画の文法で書き直す必要がありました。この部分については映画の長さは関係ありません。この手の映画でありがちな「原作を100分にまとめるためにダイジェストみたいになって話が難しくなった。三部作でやればもっと楽しめたのに。」というフォローは残念ながら本作には適用できません。いくら枝葉を詳しくしても構造上の問題は変わらないからです。むしろ100分で語りきるためにテーマを絞るべきです。極端な話、イリヤや慎二や綺礼はテーマには関係無いので出番を全部カットしても良いくらいです。
演出面について
ストーリーの壊滅的な状況と違い、アニメーションはとても良くできていると思います。良い動きをしていますし画面構成も結構きちんとしています。ですので、動きをみるアニメ映画としてはそこそこ楽しめます。しかし演出は本当に酷く、全部台詞で説明してくれるのでラジオドラマで十分なのではないかと思う程です。これは原作者の特徴でもあるのですが登場人物がみんな文語調で会話をします。そんなウザい人間は現実には居ません。さらにはアジテーションまで文語調なので、うっとうしい「中2病」に見えます。「格好つけようとしたら物凄くダサくなった」という目も当てられないシーンの連続です。これは村上春樹の”直訳調文体”を映像化する際に陥っている問題と同種です。そのまま映画に持ってきては通用しません。その雰囲気をいかに映像に置き換えるかが演出家の腕の見せ所です。
驚くことに、後半でついに画面に文字を置いてサウンドノベルそのままの演出がなされます。これにはあまりにも投げやりすぎて呆れかえってしまいました。それならば、画面にゲームのスクリーンキャプチャをそのまま100分流してた方が良かったのではないでしょうか?
【まとめ】
残念ですが、映画としてはあまりにも酷すぎます。ストーリーも演出も、ちょっと他作品とは比べようもないレベルです。
しかし冒頭にも書いたように、本作を映画として評価することに意味は無いかも知れません。ただ、それならそれでOVAでやって欲しかったです。終わった後の満員の劇場では少なくともあまりハッピーな雰囲気ではありませんでした。20世紀少年最終章の時と同じような「観なかったことにしよう」という感じで、ただただどんよりとしていました。
「ファンだからこそこの出来は許せない」となるのか「原作に忠実にやってくれてありがとう」となるかは、観た方の判断次第です。でも、ファンであれば観に行くに越したことはありません。原作ファン限定でオススメします。
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