ハート・ロッカー

ハート・ロッカー

今日はある意味で一番の話題作、

「ハート・ロッカー」を観て来ました。

評価:(60/100点) – これがアカデミー監督賞の最有力候補なのか!?


【あらすじ】

ジェームズ軍曹はイラクの爆弾処理班「ブラボー部隊」のリーダーとして赴任する。マッチョで冷静なサンボーン軍曹と気の弱いエルドリッジ技術兵と共に、ジェームズは数々の爆弾を処理していく、、、。


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【感想】

本日観ましたのは「ハート・ロッカー」です。おそらくこのエントリーを書いている6時間後には女性初のアカデミー監督賞受賞作として歴史に残るのではないでしょうか?そういった意味では今もっともホットな作品です。
皆さんご存じの通り本作は全米映画批評家協会賞の作品賞・監督賞・主演男優賞を獲って一躍アカデミーの有力候補に躍り出ました。キャスリン・ビグローとジェームズ・キャメロンの元夫婦対決というキャッチーなコピーも相まって、その知名度が急上昇しています。
実際に私が見に行った際も、夕方の回は完全に満員完売で、夜の回も最前列以外は全席埋まっていました。元がインディ映画なので箱が少ないという問題はあるものの、それにしても物凄い入り方です。マナーが悪い客が結構いましたので、それだけアカデミー賞の話題によって普段映画を観ない人まで来ているという事だと思います。
もちろん前評判の高さから、私の期待値も相当高かったです。それ故に観ている最中はちょっと信じられませんでした。これが数々のマイナーなものからメジャーなものまで映画賞を獲っているという事実。そしてアカデミーでも作品賞(プロデューサー賞)と監督賞で最有力候補に挙げられるという事実。その事実こそが本作を読み解くキーワードであり、そして現在のアメリカが抱える病理のようなものだと思います。それを順を追って考えてみましょう。

本作の大枠について

いきなりですが、本作の冒頭である文章が表示されます。ニューヨークタイムズが出版している「War Is a Force That Gives Us Meaning(戦争は我々に存在意義を与える力)」というベストセラー本からの一節で、「The rush of battle is a potent and often lethal addiction, for war is a drug.」という文です。直訳しますと「戦いの連続は良薬であり、時に中毒を引き起こす。戦争とは麻薬だ。」となります。これが本作で描かれる全てです。
テーマをそのまま言葉で表すのは最も避けるべき演出の一つですが、恐ろしいことに本作は冒頭でいきなりテーマをそのままずばりの文章で説明してしまうわけです。なんか演出そのものをいきなり放棄しているというか、映画であること自体を放棄しているように見えます。ところがこの「映画演出としての致命的な下手さ」が、観ている内にだんだん実は意図的なのでは無いかと思えてくるわけです。
本作にはいわゆる三幕構成のようなものはありません。もっというと、話の展開すらロクにしません。ただひたすらジェームズ軍曹とブラボー部隊の爆弾処理を淡々と描くだけです。ですので率直に言って退屈です。物凄く退屈です。その退屈っぷりはかなり度を超していまして、はっきりと観ていてイライラしてくるレベルです。しかしですね、、、どうもこの反応こそが監督の意図のような気がするんです。
というのも、この作品は常にグラグラと揺れるカメラでドキュメンタリータッチな映像が流されるわけです。ここに先ほど書いた「映画としての演出の放棄」が加わり、それがドキュメンタリー感を補強する効果を持ちます。そして別に劇的な事がおこらないというのもある意味では現実的です。
要はですね、本作は観客に戦場を疑似体験させているわけです。そのために意図的に映画を退屈にして、観客に緊張とストレスを与え続けるわけです。結局二時間近くスクリーンには緊張する爆弾処理の様子が映されているわけで、そもそも面白くなんてなりようがないんです。であればこそ、おそらくこの観客のイライラは意図的なものの筈です。すなわちこの「ハート・ロッカー」という映画そのものが、実はアバターと同じく「アトラクション」なんです。ただし、アバターが「楽しいパンドラ観光ツアー」だったのに対して、ハート・ロッカーは「悲惨な戦場ストレス体験ツアー」です。
私が先ほど「現在のアメリカが抱える病理」と書いたのはまさしくこの部分です。つまり、あれだけ「世界の警察」面してイラク戦争を強行しておきながら、実はアメリカ人の大半が戦場のなんたるかを映画アトラクションにしないと理解できないほど薄っぺらにしか考えていなかったということです。そしてこの作品が高い評価を受けているということは、このアトラクションをみんな良くも悪くも気に入ったということです。
注意しなければならないのは、本作には特別政治的な描写は無いということです。というよりも、舞台がイラクであるという必然すらありません。劇中に出てくるイラク人・イスラム教徒は、はっきり言ってゾンビと大差ない描かれ方ですし、限りなく抽象化された「驚異となる敵」以上の存在ではありません。そして、本来であれば爆弾を800個以上解体した英雄のジェームズは、しかし全く英雄的には描かれません。むしろ狂人(=戦争中毒者)として描かれます。妻と子供と暮らす平凡な日常に嫌気が差し、彼は自ら危険な戦場へ志願し続けます。
この作品は救いのない要素で埋め尽くされていて、ただただ緊張とストレスを観客に与え続けます。そういった意味ではもしかしたら反戦映画なのかも知れません。少なくとも本作を観て「超面白かった。サイコー!!!」とか感じる人とは友達になれないと思います(苦笑)。

【まとめ】

タイトルの「ハート・ロッカー(The Hurt Locker)」は「棺桶」を表すジャーゴンで、転じて戦場そのものを表現しています。
そのままずばり、これはこのアトラクションの名前なわけです。
ここまで長々と書いておいてなんですが、、、これって映画として果たして出来が良いのでしょうか? アトラクションとしてはOKだと思うんですが、これがアカデミー作品賞・監督賞の有力候補と言われるとちょっと考えてしまいます。これなら「イングロリアス・バスターズ」の方が数倍面白いですし、なんなら「しあわせの隠れ場所」だってコレよりは面白いです。
「アバター」と「ハート・ロッカー」という両極端なアトラクションがアカデミー賞を争うという構図が、ハリウッドの現状を如実に表しているように思えます。
もし極限のイライラを体験したいという方は止めませんが、エンターテインメントでは無いことを十分にご理解の上でのご鑑賞をオススメします。きっと今週末はアカデミーの影響で入ったカジュアルな観客が、呆然としながら劇場を後にする様子を多く見ることになると思います(笑)。

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記事の評価
プリンセスと魔法のキス

プリンセスと魔法のキス

二本目は今日見た作品です。

「プリンセスと魔法のキス」

評価:(85/100点) – ディズニー・アニメ完全復活!!!


【あらすじ】

ニューオリンズで母親と住むティアナは、亡き父との夢であるレストランを持つために二つの仕事を掛け持ちしてお金を貯めていた。ある時ニューオリンズにマルドニアのナヴィーン王子がやってくるニュースが飛び交う。プリンセスになることを夢見るティアナの友人にして金持ちのシャーロットは、父に頼んで王子とのパーティーを計画する。そしてパーティーの夜、ティアナはシャーロットの部屋で一匹のカエルと出会う。カエルは自身をナヴィーン王子だと言い張り、魔法を解くためのキスの見返りに開業資金の提供を申し出る、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ティアナの半生と夢。
 ※第1ターニングポイント -> ティアナがカエルになる。
第2幕 -> 人間に戻る方法探し。
 ※第2ターニングポイント -> ティアナ一行がニューオリンズに戻る。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

本日公開と同時に見て参りましたのは「プリンセスと魔法のキス」です。昨年「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にも書きましたが、本作はジョン・ラセター体制になったディズニーの非3DCGの長編アニメーション第一作目です。「ボルト」でまだまだ実力があることを証明したディズニー・アニメーション部門が満を持して送る待望の「トラディッショナル・アニメ(=デジタル手塗り/非3DCG)」です。
監督はジョン・マスカーとロン・クレメンツで、80年代後半から90年代初頭のディズニー黄金期の終盤を担ったゴールデンコンビです。2004年に両名ともディズニーを辞めていましたが、ジョン・ラセターの依頼により復活しました。この配置を見ても、ラセターの「ディズニー黄金期復興計画」への想いが伺えます。
公開初日ですが私の見た箱では3割ぐらいの入りでした。子供連れも数組で、どちらかというと男・女問わず一人で見に来ている人が多かったように思います。

物語について

話のベースは劇中でも登場するグリム童話「かえるの王子様」です。ディズニーがかつて得意としていた「有名な童話をディズニー調に書き換えて家族向けのハートウォーム・テーマに噛み砕く」という手法を踏襲していまして、まさしくディズニー・クラシックスにふさわしい内容です。
物語の部分は文句のつけようがありません。ある種の”道徳的問題”を背負ったティアナとナヴィーンが一連のドタバタを通じて「本当の愛」に気がつき成長する普遍的ストーリーです。道徳的問題と書きましたが、ティアナは「働き過ぎ」、ナヴィーンは「女ったらし」というだけで、別にそんなに大問題ではありません。しかしそこはディズニー、「本当の愛」のためならそんな小さな人間的ほころびすら許しません(笑。とはいえこんな優等生的で正論すぎるテーマでも、押しつけがましくすることなく綺麗にストーリーの盛り上がりと併せて発信出来ています。その違和感の無さ(少なさ)がディズニーの特徴であり、そしてこの作品の脚本の巧さでもあります。
物語で言いますと、終盤にある悲劇的事件が起きます。これは過去のディズニー・アニメには無かった(※あったかも)シーンですが、これをエピローグで綺麗に回収して見せます。もしかしたら彼の夢も叶ったのかな、、、とか勝手な事を思えるシーンでして、私は完全に号泣モードでした。
一点気になることがあるとしたら、最後の最後の場面です。王子に起こったある事件は説明があって納得出来るのですが、でもその論法だとティアナに起こった事についてはまったく説明できないんです。なんか勢いで持って行かれますが、ちょっと引っかかりました。

「アナスタシア」について

実は本作を見ている最中に、ものすごい既視感を覚えていました。最後のエンドロールで気付いたんですが、原因は「アナスタシア」だったんです。
皆さん1997年公開の「アナスタシア」という劇場アニメをご存じでしょうか?アナスタシアは20世紀フォックスの作った長編アニメ第一号でして、80年代のディズニーアニメを支えたドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマンがディズニーを辞めた後で制作しました。「アナスタシア」の名前は出しませんでしたが、「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にちょろっと書いた作品です。
(※ カールじいさんの空飛ぶ家はこちら https://qbei-cinefun.com/up/)

この「アナスタシア」はメグ・ライアンが主役の声を当ててましたが、吹き替え版では本作と同じくミュージカル女優の鈴木ほのかさんが演じています。さらには敵役が優男の魔術師でして手下の影を使って主役を追い詰めます。この辺のディティールがそっくりなんです。これはパクリという意味ではなくて今回の作品がそれだけ「80年代ディズニー・クラシックス」のテイストを出せているということです。「アナスタシア」は完全にディズニーアニメのルックスでありながら(作ってるのがディズニーの人なので当然ですが)、ディズニーの枷をはずれたことで少し「怖い事」「酷い事」を描けていたのが画期的でした。本作はその「酷い事」の部分も上手に取り込んでいます。なので、必ずしも子供向けというわけでは無く、大人でも十分に楽しめる内容になっています。

数少ないノイズの部分

と、ここまで絶賛モードなんですが、どうかと思う部分が一点だけあります。それが「劇中内の日本語訳」です。私の気付いたところだと、「お父さんがイラストの上に書く”ティアナのレストラン”」「新聞の見出し”王子が来るよ”」「ティアナの店の看板」が、それぞれ日本語表記になったり英語表記になったりします。特に「ティアナのレストラン」は結構酷くて、同じシーンでもティアナが手に持ってる時は日本語で、額に入れた瞬間に英語になったりします。おそらくディズニーなりの「ローカライズ」なんだと思いますが、はっきり言ってズサンです。やるなら全部のシーンできっちり日本語表記にするべきだし、やらないなら他のアメリカ映画と同様に縦の字幕を出せば良いだけです。中途ハンパ過ぎてものすっごい気になりました。
見出しだけ日本語で本文が英語のニューオリンズ新聞ってどうなんでしょう?(苦笑

【まとめ】

最後にちょっとノイズ部分を書きましたが、作品全体ではとても素晴らしい出来です。なにせミュージカル・パートが楽しいですし、特にワニのルイスは最高です。ルイスのぬいぐるみがあれば欲しいですもの。そのためだけにディズニー・ストアに行くぐらいのテンションです(笑。
率直に言いまして、本作をもってディズニーアニメが完全復活をしたと思って間違いないと思います。
作品単体として見ても、そして歴史を目撃するという意味でも、間違いなくオススメの作品です!!!
ラセターはまだ53歳なので、あと20年はディズニーの第三黄金期が続くのでしょうか。いまからどんな傑作を量産してくれるのか楽しみで仕方がありません。

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猿ロック THE MOVIE

猿ロック THE MOVIE

本日は2作品です。金曜のレイトショーで見てきたのは、

「猿ロック THE MOVIE」です。

評価:(30/100点) – 無垢と”基地の外”の差とは。


【あらすじ】

銀行で起きた立てこもり事件の解決のため、鍵職人・猿丸は友人の山田刑事の依頼を受けて裏口破りを行う。後日、猿丸の元にマユミと名乗る人質だった女性が助けを求めに来た。彼女は猿丸に金庫破りを依頼し、中身のトランクを奪って逃走する。しかしそれは立てこもり事件で銀行から奪われた水樹署長のトランクだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 ->  銀行立てこもり事件
 ※第1ターニングポイント -> 猿丸とマユミがトランクを奪う。
第2幕 -> 猿丸とマユミの逃走劇。
 ※第2ターニングポイント -> マユミが攫われる。
第3幕 ->  解決編。


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【感想】

さて、TVドラマ「猿ロック」の劇場版です。金曜のレイトショーで見ましたが、約250席の劇場で私以外はカップル 2組だけでした。公開から一週間経っているので仕方がないかも知れませんがちょっと寂しい入りです。
内容ですが、トランクというマクガフィンを巡った逃走劇+陰謀劇です。やっていることは非常に単純で良くある話でして、とどのつまりはある程度のクオリティには自動的になります。しかし、本作ではディティール部分がちょっとどうかと思う程に悪すぎます。
まず第一に、その安~い感じの陰謀論タッチです。「警察の汚職」というキーワードをそれこそワイドショー的な記号としてしか使っておらず、結局何がなんなのかさっぱり分かりません。これ、先月の「交渉人 THE MOVIE」にもありました。公務員とか政治家を仮想敵にするのは良いと思うのですが、そのディティールがずさん過ぎて監督・脚本家の「認識の適当さ・レベルの低さ」が露呈してしまっていてすっごい萎えます。
小西真奈美さん演じる水樹瑛子の「正義を求めるが故の強硬手段」みたいなのも全然必要悪に見えず、なんか西村雅彦の記号的悪とどっこいどっこいかなと。はっきりと小西さんも悪に見えてしまうので、こちらの陰謀タッチの部分は論点が相当ボヤけてしまっています。
第二に猿丸のキャラクターそのものの設定です。主演の市原隼人さんは素晴らしい熱演を見せてくれます。竹中直人を彷彿とさせるようなアクの強い「一人舞台コメディ」を随所で炸裂させ、好き嫌いは分かれそうですが強い印象を与えてくれます。私は結構好きです。ただキャラクターとして見るとこの猿丸は単なる頭の足りない「基地の外の人」にしか見えません。猿丸は「他人を疑うということを知らない」人間として描かれるんですが、恐ろしいのはそれが無垢で純真である表現として使われている点です。いかにも「他人を疑わないのは良い事だ」というように見えるのですが、実際に彼の行動は疑わないというよりは「なんでもかんでも鵜呑み」にしています。その鵜呑みっぷりが凄まじすぎるため、話の整合性もさることながらキャラとして気持ちの悪いことになってしまっています。さらにその煽りを受けて、マユミがものっすごい嫌な女に見えます。ただでさえ自己中なのに、基地の外の人間を都合良く利用して自分は高飛びする最低な女です。結局猿丸がやったことは傲慢で自己中な女を助けたことと、自己中で自身が正義だと思い込んでいる女を手伝っただけです。しかもそれが原因で友達が降格してるのに大団円で終わるのはどうなんでしょう、、、。
劇中で市原さんが「本当に大事なもんはな、目には見えねぇんよ!!オメェは上っ面しか見てねぇんだよ!!!」と叫んでいましたが、まさしくその言葉をそのままこの映画の制作者にお返しいたします。
「本当に面白い映画ってのはなぁ、ルックスに頼らねぇんだよ!!オメェは面白い映画の上っ面しか真似してねぇんだよ!!!」
、、、まぁそこまで酷くはないですけどね(笑
これぞセンセーショナリズム。

【まとめ】

以上の二点が酷すぎて、市原隼人の面白さを考慮しても差し引きマイナスです。テレビドラマの映画化としてはそこまで失敗しているわけでは無いんですが、やはり映画としてちょっとどうかと思います。
でも市原隼人のファンならば駆けつける価値はありますし、彼の一人芝居のシークエンスは本当に面白かったです。できれば変に小細工をせずに市原君主演のコメディ映画を見てみたい気がします。それこそ竹中直人と親子ものなんてやってくれたら絶対初日に駆けつけます。それほどに魅力的でした。
ということで、市原君のファンの方にはオススメします!!!、、、、まぁファンならこんなこと言われなくても初日に行ってますよね(汗。

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コララインとボタンの魔女

コララインとボタンの魔女

「コララインとボタンの魔女」を観てみました。

評価:(95/100点) – ヘンリー・セリックの狂気の職人芸


【あらすじ】

コララインは両親と共にピンク・パレス・アパートに引っ越してきた。両親に構ってもらえないコララインは、居間に壁紙で隠された小さなドアを発見する。その夜、小さなトビネズミを追ってそのドアをくぐると、そこには現実とうり二つの世界が広がっていた。しかもそちらの世界の両親はとても優しくコララインをもてなしてくれる。もう一つの世界はまさしく夢のようだった。ただ一つ、彼らの目がボタンであることを除けば、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> コララインが引っ越してくる。アンバーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> コララインがもう一つの世界に行く
第2幕 -> もう一つの世界での楽しみ。
 ※第2ターニングポイント ->コララインがボタンの魔女と賭けをする。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

遅ればせながら、本日はコララインとボタンの魔女を見てきました。監督はご存じ「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」で有名なヘンリー・セリックです。ストップモーション・アニメ(=コマ撮りアニメ)の巨匠にして、ディズニーのファンタジアやバンビで有名なジュール・エンゲルの弟子筋に当たる御大です。
本作では「ナイトメア~」からさらに進化/深化した、狂気としか言いようのない程の精巧で緻密な人形コマ撮りを披露してくれます。そもそも、ストップモーション・アニメは一日気合いを入れてガッツリ撮影してようやく数秒の画が撮れるような世界です。
それをこの情報密度で100分間も突っ走るわけですから、もうただただ脱帽です。

物語の推進力

本作はそのストップモーションアニメの凄まじさもさることながら、それ以上に物語の語り口がとても良くできています。本作の様に登場人物が限られた作品の場合、もっとも難しいのは観客の興味を引っ張りながら物語の推進力を得ることです。そこで本作の場合には徹底してコララインを追い詰めていくことで実に上手く物語を進めていきます。
例えば序盤、コララインは両親から冷たく扱われることへの現実逃避としてもう一つの世界へ行きます。次はもう一つの世界で起こるある恐怖から逃げるために奔走します。あまり書くとネタバレになってしまいますが、さらに追加で2つの事件がコララインを襲います。要は映画100分間の内ほとんどで彼女は何かから逃げたり何かをやらざるを得ない状況に追い込まれています。それによって、観客も高いテンションを常に維持しながら画面に引き込まれ続けます。まったく気が休まるときがないですし、画面の情報量も物語の盛り上がりに比例してドンドン上がっていきます。

テーマ

さらに本作が圧倒的なのは、ホラー風味でかつ驚異的なルックスでありながらもテーマがとてもオーソドックスな教訓話だということです。「うまい話には罠がある」「家族は大切に」「変わり者のご近所さんでも実は良い人かも」。こんなに道徳的な話をこんなに怖く描ける人もそうそういないと思います。

【まとめ】

物語、画面構成、演出、全てが超一流レベルでまとまったとんでもない傑作です。アメリカで大ヒットした話は聞いていましたが、正直なところここまでは期待していませんでした。今年はのっけから高レベルな作品が目白押しでうれしい限りです。もし、子供向けアニメーションだと思って敬遠している方は、騙されたと思って是非見に行ってください。圧倒的な映像体験を確約します。
またストップモーションアニメと3D上映の親和性の高さも良く表れていました。ボタンの魔女が迫ってくる場面は本気で怖かったですし、なんか夢に出てきそうです。
もしかしたら早くも今年一番の作品かもと思いつつ、絶対にオススメな作品です!!!
一応最後に触れなければいけない点がありまして、それはGAGAで良くある吹き替え問題です。なにせオリジナルは天才・ダコタ・ファニングですよ。戸田恵子さんはまったく問題無いですが、やはり榮倉奈々と劇団ひとりをメイン級で使うのはどうかと思います。芸能人枠なら脇役でやってくださいよ、本当。でもそのノイズを差し引いても素晴らしい大傑作なのは間違いありません。

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しあわせの隠れ場所

しあわせの隠れ場所

2本目は

「しあわせの隠れ場所」をみました。

評価:(75/100点) – 嘘のような本当の話の脚色。


【あらすじ】

マイケルはスポーツの才能を見込まれ、ブライアクレスト・クリスチャンスクールというお坊ちゃん高校に入学する。家族も生活する家も持たない彼は、大富豪のリー・アン・トゥヒーに招かれトゥヒー家の居候となる。父は生後一週間で居なくなり母親はドラッグ中毒という環境で幼い頃から州の保護を受けていたマイケルにとって、トゥヒー家は初めて味わう優しい家族であった。やがて彼はトゥヒー家のバックアップでアメフトの才能を開花させ、数々の名門大学からのスカウトを受けることになる。


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【感想】

さて、二本目はアカデミー賞ノミネート作品の「しあわせの隠れ場所」です。原題は「The Blind Side(=死角)」。チームの大黒柱であるクォーターバックの死角を守るオフェンシブタックルのポジションを表しています。
本作はとても丁寧な描き方でもってマイケルが家族を得て心を開いていく課程が描かれます。ちょっと劇的過ぎるのとどう考えてもリー・アン・トゥヒーが聖人として描かれすぎてるように見えるんですが、それは脚色部分として置いておきましょう。サンドラ・ブロックの大根演技を差し置いても十二分に面白い人間ドラマです。
そして彼が心を開く課程とアメフトで才能が開花する課程がほとんどシンクロして描かれるのも上手いです。
フローズンリバーほどではないですが、さらっと見られる良い話という意味では近作では一番かも知れません。
実は本作で一番不思議なのはサンドラがゴールデングローブ賞・ドラマ部門の主演女優賞を取ったことです。放送映画批評家協会賞はメリル・ストリープとの同時受賞なのでまだ分からなくはないのですが、正直なところ演技ではなくてキャラクターの魅力だけでとってるんじゃないかと思う部分です。たしかにドラマ部門の多作品が微妙だったのはあるんですが、それにしてもどうかなと。2007年のプロレス大賞MVPで、本来なら受賞者無しの所を過去の功績で三沢さんにあげた時のような微妙な感じがします。
もちろん嫌いじゃないですし、45歳にしては驚くほど綺麗ですけどね。
本作はインビクタスと一緒に見るのがオススメです。インビクタスで描いていなかった試合の部分が、本作ではかなり上手く描かれています。

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ニューヨーク、アイラブユー

ニューヨーク、アイラブユー

今日も二本です。

一本目は「ニューヨーク、アイラブユー」です。

評価:(35/100点) – 雰囲気オムニバス地獄


【あらすじ】

なんかいろいろ。


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【感想】

今日はニューヨーク、アイラブユーを見てきました。でまぁこれがなんとも言えない感じのオムニバスでして、とにかく何が言いたいか良くわからない美談っぽい話が延々続くという地獄のような内容でして、面白くなさ過ぎて腹も立たないという壮絶な内容でした。
どこがダメと逐一具体的にツッコむのは出来るんですが、そういう事よりももっと根本的な問題、すなわちこの映画(というか映像の羅列)が果たして何のために作られて何を目的としてるかがまったく分からないわけです。
一応オムニバスの中では岩井俊二監督のパートとシェーカル・カプール監督のパートは楽しめました。でも別にこのオムニバスに入っている意味が分からないですし、そもそもニューヨークと全然関係無い話なので何とも言えません。いっそのこと最初から「ショート・ショート」として映画祭とかに出せばいいのかなとか思ったりしました。
正直なところ、実際には点数もつけられません。というか、この映画自体が一つの作品として成立しているとは思えません。
なのでちょっと書きようが無くてこんな変な駄文を徒然と書いてみました。
あとこれは作品とは直接関係ないのですが、私の座った列の端っこの中年3人組が、開始直後に缶チューハイを音たてて開けて酒盛りを初めて騒ぎ始めたときはちょっと驚きました(笑)。いままでいろんな面白い観客を見たことがありますが、酒盛り宴会はかなり上位です。ちなみに私が見た過去最強の客は、上映中に携帯電話で仕事の話を始めて、カバンからノートPCを取り出しておもむろにメールし始めたナイスミドルです。
こういうおしゃれ系の映画は面白い客に遭遇する確率が高いので、そういった不思議体験をしたい方には断然オススメです!!!

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パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

今日はレイトショーで「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を観てみました。

評価:(60/100点) – ハリー・ポッターの後継狙いとしてはそこそこ。


【あらすじ】

神の世界である日ゼウスの稲妻が盗まれてしまう。ゼウスは初め兄のポセイドンを疑うが、彼が潔白を証言するやいなやポセイドンの息子に疑いを向ける。一方その頃、高校生のパーシー・ジャクソンは授業で訪れた博物館で魔物に襲われてしまう。ケイロン先生の力で魔物を何とか追い払うが、危機を感じたパーシーは親友のグローバーと母親と共にキャンプ・ハーフブラッドを目指して逃走する。しかし目前で母親をミノタウロスに攫われてしまう。パーシーはキャンプ・ハーフブラッドで自身の血筋を聞かされ、仲間と共に母親を救出する旅に出かける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゼウスとポセイドン。またはパーシーが襲われ逃げる。
 ※第1ターニングポイント -> パーシーとグローバーとアナベスが旅に出る。
第2幕 -> ハデスを目指す旅。そしてハデスとの邂逅。
 ※第2ターニングポイント ->冥界から脱出する。
第3幕 -> 最後の対決とオリンポス訪問。


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【感想】

さて、本日は「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」です。監督は少年向け冒険ファンタジーの脚本を多数手がけるクリス・コロンバスです。どちらかというとホーム・アローンやハリー・ポッター初期2作の監督といった方が通りがよいかも知れません。
会社こそ違いますが、ワーナーのハリー・ポッター・シリーズが残すところ1冊分(=前後編で映画二本)で終了することを見越して、後継のシリーズを狙ってきたという趣旨がヒシヒシと伝わってくる作品です。原作の児童書はハリー・ポッターに負けず劣らずアメリカで大人気ですし、素材としてはこれ以上ないほど適しています。

物語の大筋とキャラクター

物語部分は非常にシンプルでありがちなストーリーです。主人公が実はものすごい力を隠し持っていて、それを突如開花させ大活躍する話です。まるでRPGゲームのようなベタさです。主人公はキャラが薄くて「正義感がある真面目な子」という以外の背景はまったく描かれませんし、仲間のアナベスとグローバーに至ってはただの賑やかしです。
しかし、展開のつけ方やちょっとした神話の引用など子供心をくすぐるポイントはきっちり押さえています。中二病を上手くくすぐる絶妙な湯加減で、見終わってからギリシャ神話を読み直したくなってしまいました。

展開の無茶さ

とはいえ、展開はかなり強引かつ行き当たりばったりです。一番気になるのは本作のタイトルにもなっている稲妻泥棒の件です。気付いたら勝手に解決しているというか、答えが勝手にこっちに向かってきてくれて、ご都合主義なんて言葉では言い表せないほどです。そもそも主人公が気付かないのが変ですし、犯人の計画も無理がありすぎます。主人公が無事にハデスの元に着く確率は相当低いはずなのに、それを見越して計画を建てていないと本作は成立しません。
また、犯人の人間描写もイマイチ稀薄です。「例のアレな感じの人」みたいな「雰囲気のみで構成されたキャラクター」になってしまっています。記号的といいますか、「みんなこんな感じのキャラ見たことあるでしょ?それ。そのイメージで。」という適当な描写が目立ちます。
とはいえ、児童書が原作で小中学生をターゲットにしている割には整理はされていますし、そこそこの佳作だと思います。

【まとめ】

本作は決して高いレベルのハリウッドエンタメではないですが、ハリー・ポッターの後継としては十分通用するレベルだと思います。何より徹底したキャラの記号化によって抽象度が上がっていますから、観客各自が好きなように移入することが出来ます。裏を返せばそこまでキャラに惹かれるものが無いとも言えますが、まぁまぁありかなと思います。
子供向けのエンターテインメント映画としてなら十分に及第点のオススメ作品です。。

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きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション

きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション

は昨日はシネマート新宿で「きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション」を見てきました。本編も見たかったんですが、それ以上に目当てだったのは井口昇監督と江口寿史さんと主演の谷澤恵里香さんのトークショーです。
江口さん言うところの「すらっとしたモデル体型の美人ではないが、クラスのみんなが”あの子が良い”って美人に群がる中で僕だけが”後ろに座ってる谷澤さんの方が好き”ってなるような良い存在の女の子」と表する谷澤さんの魅力。男としてはすっごい良く分かるんですが、当の谷澤さんはイマイチ褒められた気がしないようでちょっとむくれていました。谷澤さんはけっしてスタイル抜群ではないですが(←失礼)、自然な美人というか、あきらかに健康を害するほどの無理をしてない範囲での「普通にかわいい魅力的な娘」って感じで、この作品のイメージにぴったりなんです。井口監督も、「オーディションで入ってきた瞬間に”この娘だ!”って思うほどハマリ役だった。」と絶賛するその存在感。本作の大成功を元に、是非とも飛躍して欲しいです。
井口監督は相変わらず「ドグちゃんTシャツを初日(2/20)から一度も脱いでない。多分公開終了まで脱がない。(=二週間着っぱなし)」とキモオタぶりを遺憾なく発揮していました(笑)。いやぁ、世界的にもトップクラスに人気のある監督なんですが、やっぱ変態だなぁと(←褒め言葉ですよ。念のため)。
トークショーの締めで生「ドキドキ・ウェーブ」を見れたので私としては大大満足です。これぞアイドル映画の醍醐味です。


っかくなのでこの「古代少女ドグちゃん」についてちょっと書きたいと思います。いまいち知られていないようですが、この特撮ドラマは超ハイレベルで全映画ファン必見の作品です。
引きこもりで母親に先立たれた高校生・杉原誠は、考古学者の父親に無理矢理付き合わされた発掘作業で古代土器を発掘してしまいます。しかしこの土器こそが一万年前に妖怪退治で名を馳せた「土器の神様」ドグちゃんだったのです。現代に蘇ったドグちゃんは誠を下僕にして、相棒の土偶・ドキゴローと共に妖怪退治を行います。こうして普段はドジッコのドグちゃんは杉原家に居候することになりました、、、、。
というストーリーのラブコメ特撮ヒロインものです。
で、これだとどっから見てもありがちな変身ヒロインものなんですが、何せスタッフが超豪華なんです。監督で名を連ねるのは井口昇(「片腕マシンガール」「ロボゲイシャ」)、豊島圭介(「怪奇大家族」「怪談新耳袋」)、清水崇(「呪怨」)、三宅隆太(「ほんとにあった怖い話」「呪怨 白い老女」)。とにかく、日本のインディ・カルト映画シーンで活躍するトップクラスのクリエイター達が惜しげもなく才能を使って悪ふざけをしています。
さらにゲスト俳優もハンパ無く豪華です。ソニン、藤村俊二、田口浩正、斉木しげる、安達祐実、竹中直人、美保純、そして斉藤由貴。
このドラマシリーズを一言で表すならば、「バカじゃないの(笑)、素晴らしい。」です。特撮を見慣れていない方でも、存分に楽しめるだけの強固で正当派な脚本になっていますのでご安心ください。井口昇監督の近作で多用されるグロ描写はまったく無く(TVドラマなんで当然ですけど)、彼の監督としての基礎能力の高さが良く分かる傑作です。関東では放送がありませんが、すでにDVDも出ていますので是非ともチェックしてみてください。
日本にだって世界トップクラスのエンターテインメントを作れるクリエイターが居るという心強い発見があるはずです。
ちなみに井口昇監督の次回作は「戦闘少女」です。シアターNで上映するようなので必ず行きます。こんなに多作なのに傑作をバンバン作る監督も最近では珍しいですよ。

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