黒く濁る村

黒く濁る村

火曜は韓国漫画原作の映画、

「黒く濁る村」を見て来ました。

評価:(75/100点) – 出来の良い古典的な「村社会サスペンス」


【あらすじ】

ユ・ヘググは疎遠になっていた父が死んだという知らせを聞き、田舎の村を訪れる。絶対的な権力を持つチョン・ヨンドク村長とその取り巻きの3人はユ・ヘググを迷惑そうに扱い、一刻も早く追い返そうとする。不審に思ったヘググは父の死と村の秘密を探るため、暫く滞在することにする。隠し通路や不審なテープなど村の秘密が次々と明るみになる中、遂にヘググは村長の取り巻き達に襲われてしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ユ・モッキョンの死とヘググの来訪。
 ※第1ターニングポイント ->ヘググが村への滞在を決める。
第2幕 -> ヘググと取り巻き達の対決。
 ※第2ターニングポイント -> キム・ドンチョンの死体が発見される。
第3幕 -> 直接対決。


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【感想】

勤労感謝の日は韓国映画「黒く濁る村」を見ました。こちらも東京国際映画祭で先行上映していましたが未見で、今回が初めてになります。先週の土曜日に公開の作品ですが、あまりお客さんは入っていませんでした。個人的にはこういう陰惨な韓国映画は大好きなんですが(苦笑)、いわゆる韓流オバサンみたいな観客もほとんどいませんでしたので、あまりそっちの世界では話題になっていない作品なのかも知れません。
またサスペンスなので極力ネタバレはしないようにしますが、どうしても不満点を上げるとネタバレ風味になってしまうため、やんわりと輪郭で分かってしまうかも知れません。はっきりいって本作は良く言えば古典的、悪く言えば非常にありきたりなストーリーです。なのでネタバレされたとしても価値が落ちるとは思いませんが、ワクワクは半減すると思いますのでお気を付け下さい。

作品の概要

見る前にちょっとtwitterでも書きましたが、本作は非常に横溝正史的なサスペンスです。暗く、黒く、どんよりとして未来がなさそうな閉鎖村社会に、都会から「近代的価値観を持った」青年がやってきます。そしてカルチャーギャップを味わいつつ、村社会にある暗部を暴いていきます。当然暴かれる側の人間達は激しい抵抗をしますし、それが殺人事件に発展してサスペンス要素を生んでいきます。
本作が唯一オリジナリティを発揮しているとしたら、それは村社会における「古い価値観」がそのまま韓国人の嫌な部分の批評になっているという点です。汚職や警察・検察の買収は当たり前、レイプも当たり前、脅迫・恐喝も当たり前、ちょっと気に入らないことがあると泡を吹いてファビョりだす。そういう外の人間から見たときの「韓国人のここが嫌だ」と言う部分をガッツリいれていきます。
特に30代の韓国人監督には、90年代の反政府学生運動に参加していた人が多く、こういった「韓国人として韓国人の自己批評」というのを入れてくる傾向があります。しかしカン・ウソクの世代の監督は、どちらかというと「何でもかんでも日帝時代のせい」というフレーズが大好きで、あまりこういった自己批評を入れてきません。今回も途中で「今は日帝時代じゃない(から韓国人は清廉潔白だ)」という失笑物のセリフが出てきます。意図しているかどうかはともかく、「ヘググvsヨンドク」は「近代的韓国人vs旧世代的韓国人」として図式化されていますから、これはこれで非常に面白のは間違いありません。
近代的韓国人が盗みや不法侵入や逆ギレをしまくっているのもちょっと面白いですけどw

不満点

やはり全体の世界観として「閉鎖村社会サスペンス」+「嫌な韓国人」という組み合わせはとても愉快で面白いです。上映時間が160分もありますが(なんと踊る大捜査線3とほぼ一緒!)、まったく飽きずに見ることが出来ます。この推進力・演出力はさすがです。
しかし一方で、どうしても話の練り込み不足は否めません。基本的には「過去にあった事件を引きづった共犯関係の村」というフォーマットなんですが、実は取り巻き3人に共犯関係はありません。あくまでも悪はヨンドル村長だけです。後の3人は犯罪者ではありますがきちんと服役しています。そうすると、この3人が村長に縛られている理由がよく分かりません。
そして村長もリアルタイムで悪事を働いてはいますが、賄賂や脅迫など、いわゆるマフィアのやることです。なので、こちらもそこまで「村の暗部」という感じではありません。というか、パク検事の上司がヨンドルとおおっぴらに面会していることからもヨンドルのマフィアっぷりはかなり暗黙の了解です。ですので、ヨンドル村長はかなり公に認知されたマフィアです。
ということで、実際には「村の暗部を暴く」というフォーマット自体がかなり雑です。クライマックスで暴かれる「暗部」も、実際には30年前の出来事であり時効が成立しています(韓国での殺人事件の時効は25年)。すでに逃げ切ってるわけですね。しかも中盤にはこの暗部が示唆されてしまうため、まったく意外性がありません。
ラストもラスト、エピローグで示唆される「ある真相」も話のフォーマット上当たり前すぎて全然意外ではありません。金田一耕助シリーズでは何度も繰り返されてきた「真相」ですし、「金田一少年の事件簿」ですらオマージュとしてやっているほど典型的なお約束です。

【まとめ】

決して目新しい作品ではありませんし、傑作というほど凄い事をやっているわけでもありません。しかし、古典的なストーリーをきちんと飽きずに見せるという演出上のポイントは非常に上手にクリアしています。火曜サスペンスを見るような感覚で気軽に見に行くと、大変愉快な160分を過ごせると思います。大絶賛は難しいですが、十分にオススメできるサスペンス映画だと思いました。オススメです。

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パラノーマル・アクティビティ第2章/TOKYO NIGHT

パラノーマル・アクティビティ第2章/TOKYO NIGHT

本日は

「パラノーマル・アクティビティ第2章/TOKYO NIGHT」を観てきました。

評価:(9/100点) – オリジナルよりは概ね良かったけど、、、。


【あらすじ】

東京に住む山野家の長女・春花はアメリカ旅行で両足を複雑骨折して帰国した。帰国して数日後、彼女は弟に「寝る前と後で車椅子の場所が変わっていた」と相談する。好奇心をもった弟の幸一は姉の寝室にビデオを仕掛ける。そこには超常現象が映っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 春花の帰国
 ※第1ターニングポイント -> 春花が幸一に相談する。
第2幕 -> 超常現象とアメリカでの出来事。
 ※第2ターニングポイント -> お祓いをする。
第3幕 -> 結末


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【感想】

本日は「パラノーマル・アクティビティ第2章/TOKYO NIGHT」です。昨日公開の作品ですが、今日の時点で観客は一桁しか入っていませんでした。完全に転けていますw
本作は1月に公開されたパラノーマル・アクティビティの「日本版続編」という良く分からない立ち位置です。っていうか続編はすでにアメリカで公開されているわけで、下手に「日本版続編」とか「第2章」とかいうとパチモノ臭くなってしまうんですが、、、。
というそもそもの突っ込みは置いておきまして、作品としてはオリジナル版よりは良くできていると思います。
まず、第一に幸一がビデオを撮る理由が明確になっています。これはオリジナルでは一番の不満要素でした。なにせオリジナル版はミカが狂人にしかみえませんでしたから。そして、姉と弟という部分でより明確に「家族愛」「助け合い」が自然に見えます。ここに起こるイベント自体もより心霊テイストが強くなっており、さすがは心霊ホラーの元祖日本といった所です。
しかしその一方で、やはりオリジナル版にあった不満は今回も多数残っています。まず最もシラケルのはやはり編集点の存在です。特に今回はカメラが全部で3台出てきます。冒頭に映る大型のカメラが一台、そして寝室にしかけるハンディカメラとしてキャノンとソニーがそれぞれ一台です。つまり、この3台の
映像を編集して一本にまとめた人間が要るということです。しかも重要なお祓いのシーンではお祓い台の下と幸一の足下に無意味にカメラが置かれています。しかもやらかしているのは、お祓い台の下と幸一の足下のカメラはそれぞれ向かいあっているにも関わらず、お互いが映り込んでいません。超興ざめです。詰めが甘すぎ。しかも、特に足下のカメラについては必然性が皆無のため、どうしても映画の制作者の影がちらつきます。フェイクドキュメンタリーで制作者が透けて見えてしまう時点で作品としては致命的です。
そして特にがっかりするのが、最後の最後です。一番良いシーンのはずですが、よりにもよって本編に一度もでてこなかった防犯カメラの映像になります。すでに作品の体裁すら飛び越えた意味の分からない視点です。無理ッス。笑いを堪えるのに必死でした。

【まとめ】

特に後半、春花にある現象が起きてからは爆笑の連続です。「両足骨折でギブスを填めていればこうなるかも」というそのまんまの動きをコミカルに見せてくれます。カメラワーク自体は「REC/レック」のラストシーンをもろに真似ていますし、決して新しい物ではありません。黒い長髪にワンピースというのも非常に類型的な「日本的心霊ホラーの女霊像」です。まぁアメリカへの逆輸入を考えての企画であれば有りかなとは思いますが、日本人が好きこのんで見る必要は無いと思います。新耳袋シリーズをDVDで見ていた方が100倍楽しめます。
ということで、あんまりオススメはしません。ただ、もしオリジナル版を見たことがないのであれば、間違いなく本作の方をオススメします。オリジナルの時にも書きましたが、こういう類の作品は映画館で見てこそです。私が見たときも後ろの方の女性が中盤ですでに泣いていましたw

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ハリーポッターと死の秘宝 Part1

ハリーポッターと死の秘宝 Part1

2本目は

ハリーポッターと死の秘宝 Part1」をみました。

評価:(40 /100点) – 惰性で見るには申し分ないが、新しいファンを獲得するのは無理。


【あらすじ】

セブルスの裏切りにあった魔法界はヴォルデモート一派に席巻されていた。魔法省の大臣は殺され、ホグワーツにはセブルスが校長として就任する。
ハリー、ロン、ハーマイオニーはヴォルデモートを殺すため、ダンブルドアからの遺品を元に分霊箱を破壊する旅に出る、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 逃走と結婚式。
 ※第1ターニングポイント -> ハリー、ロン、ハーマイオニーが旅に出る。
第2幕 -> ロケットの奪取と破壊方法を探す旅。
 ※第2ターニングポイント -> 分霊箱を破壊する。。
第3幕 -> ヴォルデモートの屋敷からの脱出。


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【感想】

土曜の二本目は「ハリーポッターと死の秘宝 Part1」です。初日の割にはお客さんは6割~7割ぐらいの入りでした。「ハリー・ポッター」シリーズの七作目であり、原作最終刊の前編です。予告では「遂に完結」とあおってはいますが、あくまでも原作が最終刊というだけで3作目から6作目までと同様に普通に前振りだけして終わります。まったく完結ではありません。

おさらい

「ハリー・ポッター」シリーズは当初シリーズ化をにらんではいたものの、前提になっているわけではありませんでした。具体的には「賢者の石」「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」「炎のゴブレット」は一応作品単体として成立しています。ホグワーツにある不思議な事件が起きて、その謎解きをする課程で魔法のガジェットが登場します。さらにそのガジェットに何かしらヴォルデモートに通じるエピソードが入ってきます。物語の最初は必ず学年末休み空けで、乗り物にのってホグワーツに登校、学年が上がるところから始まります。そしてその学年で色々あってハリー達が成長し、最後はその学年末に「またね!」で家に帰るところで終わります。いうなれば完全に定型化されたフォーマットであり、昔からよくある「ちびっ子学園探偵物」です。何故かホグワーツ魔法魔術学校は卒業資格が明記されていませんので、極端な話、ハリーが10年生になっても続けられるようにはなっていますw
このフォーマットが崩れるのが4作目「炎のゴブレット」です。「炎のゴブレット」の最終盤、ヴォルデモートが遂に復活します。これにより、「ハリーvsヴォルデモート」という対立構造がより明確化され、それがストーリーの全てになります。ですので、非常にざっくばらんにいってしまえば、シリーズ未見の人は「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」「炎のゴブレット」は見なくても大丈夫ですw 一話完結で同じような話しかしていませんからw ガジェットだけは本作でも出てきますが、大した意味はありません。
言い換えれば、「炎のゴブレット」以降の作品、「不死鳥の騎士団」「混血のプリンス(謎のプリンス)」「死の秘宝」の3作は全て続き物の作品です。意地悪な言い方をすると、いまさら「死の秘宝 Part1」とか銘打たなくても、すでにこの三作が「ハリーポッターと闇の魔法使い Part1」「Part2」「Part3」なわけで、、、そういう意味では「遂に完結」というラベルですでに失笑が生まれてしまったりはします。

本作の魅力と欠点

作品を重ねる毎にどんどんオッサンになっていくラドクリフ君ですが、本作では笑顔要素ゼロでず~っとしかめっ面をしています。そう、本作は初期の和気藹々な学園探偵物のテイストは完全に消え失せ、一種のディストピアSFになっています。悪に支配された世界で、数少ない正義のレジスタンスが一発逆転のために駆けずり回ります。これ自体は非常に愉快で熱血な展開です。作品としてアクション要素はありませんが、しかし襲い来る敵をかいくぐりつつ戦うという要素はかなり良い感じです。
しかし、まず単純にハリー御一行の三人がほぼ完成されてしまっている(=修行・成長しない)点と、ものがたりの着地が示唆されない(=宛が無いまま駆けずり回る)点にかなりつらい物があります。見ていてワクワク出来ないというか、何がしたいかわからない状態が暫く続いてしまうため、興味が続きません。早い話が飽きます。
そして何より、ハーマイオニーやトビーが強すぎるため、あまりピンチらしいピンチが訪れません。極端な話、真っ正面から戦っても余裕でヴォルデモート派に勝てそうに見えてしまうんです。

3Dについて

本作には特に前半に多くの「3D演出」が登場します。例えば冒頭、セブルスがヴォルデモートの屋敷に入っていくシーンでは、奥行きのある長い庭を真っ正面から捉え手前では門が閉まる演出がされます。 さらにその直後、不死鳥の騎士団サイドの面々がハリーに変身するシーンでは、意図的に全員がカメラから見て別々のレイヤーに立ちます。つまり本来であれば”違った飛び出し方”で何人ものハリーが見られるという「マルコビッチの穴」的なギャグだったわけです。魔法省に忍び込むシーンではエレベーターを真っ正面から捉え、奥に急に引っ込んだり、手前に急に出てきたり、かなり意識して奥行きを使っています。
本作は事前のアナウンスでは普通のフィルム(コダックのVision3)で撮影した後、夜中にHDDにテレシネ(キャプチャー)して、その後で3D変換するはずでした。ところが、10月12日に3D版のお蔵入りが発表されます。公式発表では「最高の3D品質基準で観客の皆さまにお届けすることができないと判断した」となっています。
残念ながら3D変換が間に合わなかったという話は聞いていませんが、10月の頭に本国のワーナーブラザーズが各国の支社に12月払いで上納金の御触れを出したという話は聞いています。ちなみに、Part2も含めて、「ハリーポッターと死の秘宝」は2010年6月12日にクランクアップしています。ですので、そこからラッシュにしてファーストプレビューするのはおそらく7月中旬です。ちなみに2Dから3Dへの変換は2時間もので通常3ヶ月掛かります。(余談ですが「海猿」はその4分の1の超短納期やっつけ仕事でしたので質が低いのも当然ですw) 逆に言えば、通常なら多分9月下旬には3D版「死の秘宝」が出来ているはずなんです。
少なくとも、上期で不調だったワーナー・エンターテイメント・ジャパンとしてはどう考えても3Dによる入場料金アップは欲しかったはずなので、本国はともかく日本法人として3Dを中止にする理由はありません。なので、これは確かに間に合わなかったかプロデューサーOKが出なかったぐらいしか考えられません。穿った見方をすれば、もしかすると春先の「タイタンの戦い」がアメリカでそこまでヒットしなかったため、「ハリー・ポッター」という不動人気のシリーズを使って3D映画の将来性をテストしているのかなとも思います。
真相はともかく、本作を見た限りは3Dで公開する必然性はそこまで感じませんので、観客サイドとしてはどうでもいいかなとは思いますw

【まとめ】

「ハリー・ポッター」シリーズのファンであれば間違いなく行くべきですし、行かないと気になってかなり気持ち悪いと思いますw ですが、そこまで熱狂的なファンで無ければ、Part2の公開時にDVDでチェックするのも手だと思います。なにせあくまでも前編ですので、本作でなにかが起こるわけではありません。ひたすら風呂敷を広げるだけで終わります。決して手放しではオススメしませんが、エマ・ワトソンの成長っぷりを微笑ましく見ているだけでもやり過ごせますので、テンション低めでオススメします!
※ちなみに私はシリーズを全部DVDとBDで揃えています。なので一応はファンですw あしからず。

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ストーン

ストーン

本日は2本です。1本目は

「ストーン」です。

評価:(30/100点) – 宗教観の入る話は日本ではちょっと、、、。


【あらすじ】

刑務所で仮釈放の審査官をするジャックは定年を控え放火犯のストーンを受け持つ。しかしストーンは手強く、一向に面接が進まない。そうこうするうち、ストーンは妻のルセッタをけしかけ、ジャックを誘惑しようとする、、、。


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【感想】

今日の1本目は「ストーン」です。銀座のシネパトスで見ましたが、そこそこお客さんがはいっていました。個人的には予告のウェズリー・スナイプスとセガールでテンションMAXになってしまい(苦笑)、本作自体はあんまり盛り上がれませんでした。
本作は典型的な誘惑話です。「創世記」や「失楽園」ででてくるアダムとイブと蛇の話ですね。本作でオリジナルな要素があるとすれば、ジャックには冒頭から影があるという部分と、そしてストーンが途中で人の死を目の当たりにすることで宗教的な悟りを経験するという部分です。
位置関係としては、ルセッタが最初から最後まで無邪気に倫理観を破壊する「サタン(ルシフェル)」であり、ストーンは新興宗教(=邪教)にのめり込む異端者、ジャックがキリスト教的正義の執行者から堕落した人間、ジャックの妻・マデリンのみが最初から最後まで祈って耐え続ける良き信者です。
そうなんです。本作は劇映画的な面白さはほとんどありません。誘惑っていっても大した描写はありませんし、話が進むのはほとんどが面接部屋です。さもありなん。本作は舞台用の企画です。
確かに舞台で見れば面白いかなと思う部分はあったのですが、しかしいかんせん、下手に有名な俳優が出ている分Vシネマ臭いというか、非常に「手抜き」「退屈」な印象が前に出てしまいました。
正直DVDでも良い作品だと思います。演出自体はそこまで下手ではないため、映画化するには脚本自体に無理があったかなという印象でした。

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劇場版マリア様がみてる

劇場版マリア様がみてる

今日はレイトショーで

「マリア様がみてる」を見てきました。

評価:(85/100点) – ポスターを見て舐めてました。m(_ _)mペコリ


【あらすじ】

お嬢様学校・私立リリアン女学園に通う一年生の福沢祐巳は、ある日学園のアイドル・二年生の小笠原祥子に声を掛けられる。その場面を写真部の蔦子に撮られた事から一転、祐巳は生徒会演劇に巻き込まれていく。

【三幕構成】

第1幕 -> 祐巳と祥子の写真。
 ※第1ターニングポイント -> 祥子が薔薇様との賭を受ける。
第2幕 -> 演劇の練習と賭け。
 ※第2ターニングポイント -> 祥子が優との関係を祐巳に告白する。
第3幕 -> 結末


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【感想】

本日は「マリア様がみてる」を見て来ました。シネマート新宿は1,000円の日だったからか、公開から一週間経ちますがお客さんは10名ぐらい入っていました。でもほとんど男性ですw

おさらい

今更ですが、一応おさらいをしておきましょう。「マリア様がみてる」は雑誌「Cobalt」に連載されたライトノベルで、1998年開始です。当時はまだそこまでジャンルとして確立していなかった「同性同士だけの閉じた世界の甘やかし合い」の代表格でありブームの火付け役です。とはいえ間違ってはいけないのは、この「マリみて」以降氾濫することになった「ホモソーシャルの馴れ合い」だけを拡大コピーした作品とは違い、少なくとも初期の「マリみて」はきちんとクラシカル少女漫画的な悲壮感・愛憎を描いていたという点です。
舞台は「私立リリアン女学園」という完全に閉じた世界で、ファンタジックな階級社会が形成されています。学園のアイドルとしての生徒会長が3名「赤薔薇」「白薔薇」「黄薔薇」の肩書きと共に君臨し、その見習い2年生が3名、さらにその見習いの1年生が3名で「山百合会」というエリート組織が学園の最上部に構成されます。
そのエリート組織にひょんなことから入ることになる「一般民衆」の福沢祐巳を中心とした「身分ギャップ・コメディ」で物語が展開されます。
作品の中心となるのは「紅薔薇のつぼみ」小笠原祥子とその妹(=見習い)・福沢祐巳の関係性です。片や超お嬢様の優等生で浮世離れした存在。片やリリアンには不似合いなほど庶民的で俗世的な存在(=大半の読者と同じ)。この二人がそういった環境のギャップを越えて友情・信頼を深めるというホモソーシャルが「マリみて」の売りです。
一方作品の構造上、「マリみて」は「レギュラードラマ(=同じ時間を永遠に繰り返す作品。ドラえもん等)」ではなく「ストーリードラマ(=時間が進んでキャラが成長する。)」にならざるを得ません。ですので、いつかはこの「閉じた世界」は壊れてしまうんです。それは祐巳が成長しきった時(=祥子を必要としなくなった時)であり、祥子が卒業する時です。
この構造が限界に達したのが11巻の「マリア様がみてる パラソルをさして」です。この11巻によって、祥子と祐巳の関係性は一種の完成を迎えます。そしてこの時点で作品内での「祥子が卒業するまでの時間」が9ヶ月を切ります。ここに至って、作者・今野緒雪は作品の続きを書けなくなってしまいます。なぜなら、これ以上作品内時間を進めると、世界が壊れてしまうからです。苦し紛れとしてこれ以降は短編が増えていくことになります。短編であれば時間をそこまで進める必要はないですから、限りなく「レギュラードラマ」に近い展開ができるからです。
結局、祥子が卒業する「マリア様がみてる ハロー グッバイ」までに6年間も掛かってしまっています。
ファンとしては残念ですが、少なくとも「マリア様がみてる」の作品寿命は11巻までと考えるのが妥当だと思います。それ以降は、良く言えば「ファンサービス」であり、悪く言えば「蛇足」「延命処置」です。

そして実写版

ようやっと実写映画版の話に行きます。この実写版は原作一巻を元に、「祐巳と祥子」にのみ絞って物語を展開させます。元々が「学校」と「祐巳の家」ぐらいしか舞台の出て来ない話ですが、本作では完全に学園内で完結しています。祐巳の家族は出てきませんし、祐巳の友達もほぼ蔦子のみ。山百合会に至っては祥子と志摩子以外の誰一人、明確に台詞や紹介もありません。白薔薇の二人や令・由乃コンビは原作では相当なファンがついていますが、このあたりの要素は全てばっさりカットしています。あくまでも「祥子が祐巳をスールに出来るか否か」というストーリーのみで転がしています。
私はこの整理は大正解だと思います。というのも、90分程度で話をまとめるのであれば、、、そして映画として3幕構成に落とし込むのであれば、あきらかに祥子の成長をメインに据えるよりほかないからです。原作一巻の肝は、「庶民派の祐巳の影響で、お嬢様の祥子が成長する」という部分にあります。これにより、身分を越えた信頼関係が生まれるからです。最初は「シンデレラをやりたくない(=優と向き合いたくない)」から祐巳を構っていた祥子が、第二ターニングポイントで祐巳に相談することで「私はむしろシンデレラをやりたい(=優と向き合ってケリをつける)」と変化するところが一番大事です。
この実写版ではその肝を中心にして、見事に原作がシュリンクされています。映画化はこの時点で確実に大成功です。
もちろん細かい演出からもきちんと原作を噛み砕いているのが見て取れます。本作における原作からの最大の変更点はラストシーンです。ラストのクライマックスにおける祐巳と祥子の会話が変更され、祐巳の台詞が削られています。本作ではあくまでも祐巳は「自信の無い庶民」として描かれますから、クライマックスのシーンで「あまりのことに声も出ない」というのは映画演出としては正しいです。ここは非常に有名な掛け合いシーンですので変更には相当勇気がいたと思いますが、個人的には良い変更だと思います。
また、BECKの時に書いた「歌を誤魔化す」演出も本作では見事にクリアしています。本作の演劇シーンは「夕暮れ時の教室や生徒会室の風景」と「BGM」と「徐々にフェードアウトする台詞」で誤魔化されます。そしてそのシーンの直後に、蔦子と祐巳の会話で「夢のような日々が終わってしまった」という内容が語られます。つまり、演劇シーンの演出は「祐巳が感じたセンチメンタル/ノスタルジーの表現」になっているわけです。これによって、「誤魔化すため」の演出に作品内で必然性をもたせたることに成功しています。

【まとめ】

大枠では原作に忠実な流れでありながら、きちんと映画にするための整理を行った素晴らしい映画化だと思います。もちろん、キャラクター人気の高い作品ですから、キャストにあれこれ文句は絶対に出ると思います。個人的には鳥居江利子と柏木優のキャスティングは無しですw
冒頭にも書きましたが、ポスターを見るとものすごい地雷の香りがただよってきますw っていうかはっきり書きますと、未来穂香の顔と鼻が丸すぎます。でも本編を見て納得しました。本作では「祥子が祐巳を心より必要とした」のが大事なんです。だから外見がブサイクならブサイクなほど「内面に惚れた」という表現になるわけです。ストーリー上も、「志摩子には外見で判断してスールを申し込んだけれど、祐巳には内面に惚れてスールを申し込んだ」わけですから、志摩子と祐巳は絶妙な顔バランスでキャスティングしないといけないわけですw
もうすでに公開スクリーンが小さくなってきているようですが、お近くで上映している方は是非是非見てみて下さい。かなり意外な掘り出し物です。オススメします!

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ラスト・ソルジャー

ラスト・ソルジャー

二本目は

「ラスト・ソルジャー」です。

評価:(35/100点) – ジャッキーと王力宏のアイドル映画


【あらすじ】

春秋戦国時代末期。鳳凰山の戦いで衛と梁の軍は互いに全滅した。しかし、死んだふりをして生き残った梁の兵が居た。彼はかろうじて息のある衛の将軍を捕虜として縛り上げ、故郷への帰路につく。しかし、将軍には謎の追っ手が迫っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 鳳凰山の戦い
 ※第1ターニングポイント -> 将軍に追っ手が迫る。
第2幕 -> 梁への旅とならず者集団。
 ※第2ターニングポイント -> ならず者と追っ手が戦闘になる。
第3幕 -> 結末


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【感想】

土曜の二本目は香港映画の「ラストソルジャー(大兵小将)」です。今年3本目のジャッキー映画ですが、全然お客さんが入っていませんでした。ダブル主演として台湾のアイドル・王力宏が捕虜となる将軍を演じています。
本作は、話の内容がかなり滅茶苦茶です。春秋戦国時代の七雄をモデルに架空の「梁」「衛(←こちらは名前だけは実在しますが別物です。)」の兵士の交流を通じて愛国心(望郷の念)と平和への希望を描いた、、、フリをしてジャッキーと王力宏のバディ感を楽しむアイドルムービーですw
ロクにキャラクターの名前も登場しませんし、「何故追われているのか?」や「そもそもならず者集団が何者なのか」も最後の最後まで良く分かりません。そして思わせぶりに登場する林鵬が演じる女性も、結局最後まで良く分かりません。でも、おそらく本作ではそういったストーリーは制作上もあまり重要視されていません。
本作で重要視されているのは、王力宏の格好良さとジャッキーの「達観したヘタレ感」のみです。ジャッキーは近作の「新宿インシデント」や「ベスト・キッド」を見てもわかるように、第一線のアクションスターから徐々に老獪なキャラクターへとイメージチェンジを図っています。
プロデューサにジャッキー自身がクレジットされているように、本作ではそのジャッキーのキャリアプランがより明確に出ています。すなわち、ジェット・リーやドニー・イェンという40代の次に続く若手アクションスターの育成です。
もっとも今回ダブル主演となっている王力宏は7~8年前に活躍した台湾を代表するアイドル歌手です。しかし、アクション要素のある作品はデビュー作の「SPY N」と鉄拳のパロディ作品「拳神」だけです。そしてアクション要素と言っても王力宏自身はそこまで動いていません。彼も台湾での人気はここ2~3年は落ちてきていますので、キャリア転換になると考えての出演だと思います。
こういった状況ですので、本作はジャッキーや王力宏のファン以外にはつらい物があります。なにせただただ二人が夫婦漫才をしながら逃げるだけですし、ジャッキーもファンサービスとして酔拳っぽい動きは見せてくれるもののそこまで本気のカンフーアクションをやっているわけではありません。あくまでも二人のスターの掛け合いを楽しむだけの映画です。
決して万人に勧められる内容の映画ではありませんが、ジャッキーのファンであれば間違いなく押さえておくべきですし、頭をカラッポにして笑いに行くには丁度良い湯加減ではあります。
ということで、オススメはオススメですが、「余力があれば」というレベルに留めておくぐらいのオススメ度です。

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クレイジーズ

クレイジーズ

今日はTOHOシネマズで2本見てきました。1本目は

「クレイジーズ」です。

評価:(70/100点) – リメイクとしては上出来だが、意味があるかと言われると、、、。


【あらすじ】

アイオワ州はオグデン・マーシュ。保安官のデヴィッドと補佐のラッセルは、訪れた野球の試合会場に男がショットガンを持って乱入するのを目の当たりにする。何とか事を収めたデヴィッドだったが、今度は別の家庭で放火殺人が起きる。共通するのはどちらも加害者が朦朧として凶暴になっていることであった。
そんな中、保安官事務所に一本の電話が入る。地元のハンター達が森の中でパラシュートを付けた死体を発見したという。調査に赴いたデヴィッド達は、そこで墜落した軍用機を発見する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 二件の殺人事件と墜落事故。
 ※第1ターニングポイント -> デヴィッドとジュディが軍に拘束される。
第2幕 -> 高校からの脱出と逃走。
 ※第2ターニングポイント -> ラッセルの死。
第3幕 -> 逃走。


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【感想】

本日の一本目は「クレイジーズ」です。ご存じゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロが1973年にインディで制作した「ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖」のリメイクです。ホラー映画としてはそこそこ観客は入っていました。先月の東京国際映画祭でも先行上映していましたが、私は真裏の「神々と男たち」を見ていたので今回が初見です。
実は先週ぐらいから急にゾンビ熱が出ていまして(笑)、ロメロの「~of the dead」シリーズをここ一週間で全部見直していたりします。

話の概要

本作を一言で表すならば「知能を持ったゾンビが襲ってくるゾンビ映画」です。アメリカ軍が密かに開発していた細菌兵器が誤って飲み水に混入してしまい小さな街全体が”ゾンビ病”に感染してしまいます。この辺りのゾンビ病の背景についてはオリジナル版では皮肉めいた反体制メッセージが込められていましたが、今回のリメイクではその要素はまったく無くなっています。
概ねリメイクとしては出来の良い部類なのですが、ここに今回のリメイクの大きな特徴であり不満点があります。オリジナル版にあったメッセージを薄めて娯楽作に傾けた結果、本作の持つ毒っ気が削ぎ落とされ、”普通によくあるゾンビ映画”になってしまっているんです。
ロメロの描くゾンビ・ホラー映画の大きな特徴は、ゾンビやモンスター自体はそこまで驚異ではなく、そのモンスターによって露わにされる生身の人間の猜疑心であったり本質としての暴力性が一番驚異であるという点です。つまり、ゾンビなんかよりも人間の方が恐ろしいんです。
本作でも人間狩りをする連中が途中で出てきます。彼らは荒廃した街の中で理性のたがが外れて、ヒャッハー状態(a.k.a. 北斗の拳)になってしまっているんです。この連中は非常にロメロ的です。「ゾンビ」にも出てくる彼らのようなイッちゃってる脳筋バカは、こういった荒廃した世界観には必要不可欠です。
しかし、、、本作では彼らもまたゾンビとして登場してしまいます。本作では「知能を持ったゾンビ」が登場してしまっているおかげで、人間様の立場がありません。本来であれば語られていたはずの「キれてる人間の方がはるかに怖い」という部分が「キれてるゾンビ」になってしまっているんです。これではあまりにも当たり前すぎます。
本作の不満点がまさにここ、つまり「普通すぎる」という点につきます。40年前ならともかく、今せっかくリメイクしたにも関わらず本作は「いままで沢山あったゾンビ映画の最大公約数」になっています。ジャンルムービーとしては正しいのかもしれませんが、ロメロのリメイクにしてはあまりにも寂しすぎます。
一方で、この「普通すぎる」部分を「お約束」として許せるのであれば、本作は大変愉快なコラージュ映画になります。「スーパーマーケットでならず者が襲ってくる」「遺体安置室で検死官が襲ってくる」というシチュエーションはそれだけでも「ゾンビ映画あるあるネタ」として楽しめます。徹底的に安っぽいバックミュージックで盛り上げる手法も無しではありません。

【まとめ】

単体の映画としてはかなり纏まったゾンビ映画の佳作ですが、リメイクとして考えると少々微妙な気分になります。ゾンビ映画ファンであれば間違いなく楽しめるとは思いますが、もし気合いがある方は中古DVDでオリジナル版を探した方が良いかも知れません。
ただ、オススメかといわれれば、当然オススメです!!!!
というか、ただでさえ「ゾンビ映画は当たらない」といわれて公式HPやお抱えのライター達が一生懸命「ゾンビ映画じゃないですよ。感染しただけなので厳密には人間です!!!」とかいう苦し紛れのアピールをしていますので(笑)、これでヒットしないと本気でゾンビ映画がシネコン公開されなくなってしまいます(涙)。多少つまらない部分もありますが、今後くるであろう優良ゾンビ映画への投資と思って是非是非劇場へ足を運んで下さいw

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記事の評価
マチェーテ

マチェーテ

今日は久々のレイトショーで

マチェーテ」を見てきました。

評価:(65/100点) – 頭悪っw


【あらすじ】

メキシコの連邦捜査官・マチェーテは目の前で麻薬王トレホに家族を殺されてしまう。それから三年後、アメリカへと不法入国したマチェーテは、日雇い労働者のスラムでスーツ姿の男から過激右派の上院議員・マクラーレンの暗殺を依頼される。しかしそれはマクラーレンの補佐官の仕掛けた罠だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マチェーテとトレホと貧民街。
 ※第1ターニングポイント -> 暗殺の失敗。
第2幕 -> マチェーテの逃走。
 ※第2ターニングポイント -> ルースが殺される。
第3幕 -> メキシカンの逆襲。


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【感想】

本日はグラインドハウスの嘘予告から飛び出したスピンオフ作品「マチェーテ」を見て来ました。かなりイかした予告編にも関わらず、お客さんはまったく入っていませんでした。まぁ、ロバート・ロドリゲス監督という時点で、日本アニメとアクション映画とスプラッタ・ホラーの見過ぎな頭悪い中2映画なのは確定なので仕方がありませんw
本作はまさにそのロバート・ロドリゲスの悪ノリが炸裂した内容になっています。支離滅裂としたキャラクター描写の中で、それでも一貫して血しぶきとコスプレ美女に拘る姿勢は大変信頼がおけますw 監督の従兄弟・ダニー・トレホも遺憾なくその悪顔を発揮していますし、何より無敵超人・スティーブン・セガールを遂に悪役として起用したということは悪ノリの最高峰です。なにせラスボスがセガールという時点で、人類に勝ち目があるようには思えませんw
全体を通して大変愉快なバカ映画なのですが、一方でどうしても「お祭り騒ぎ」だけで終わってしまっている感は否めません。というのも、「セガールがボスって面白くない?」「ロバート・デ・ニーロにアホなヘタレ役って無駄使いっぽくて良くない?」「ミシェル・ロドリゲスと言えば眼帯にタンクトップじゃん?」という小学生が授業中にノートの隅に書いた落書きレベルのアイデアを20億円ほど掛けて実現してみたという内容のみだからです。一応ヒスパニックの移民問題みたいなものも入ってはいますが、あくまでもお祭りを盛り上げる御輿程度の感覚です。いうなれば「先生!!真面目なクラブですから活動費を下さい!!!」といっておいて、部費でエロビデオとカンフー映画を買いあさって麻雀してるだけという感じですw
すなわち、これは昨年の「ドゥームズデイ」と同じ種類の作品です。好きな人は大爆笑できますが合わない人には全く意味がわからないと類のものです。もし、あなたが「ゾンビ」「マッチョ美女」「金髪ナース」「セガールの剣術」という単語にビビっと来るのであれば、間違いなく見た方が良いです。
ただし、決して何かのためになったり、何かを得るような作品ではありませんw DVDで友達と酒を飲みながら見るような、そんなタイプの頭の悪い映画です。でも私は大好きなので、結構オススメです!

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