ラブリーボーン

ラブリーボーン

本日は二本観てきました。まず一本目は

ラブリーボーン」です。

評価:(45/100点) – サスペンスというよりはスイーツ・ラブストーリー。


【あらすじ】

スージー・サーモンは両親と妹と弟の5人で幸せに暮らしていた。しかしある日中学校からの帰り道で向かいに住むジョージに殺害されてしまう。死後の世界へと旅だったスージーだったが、家族のことが心配でこの世とあの世の”狭間”に留まることにする。しばらく発って、スージーの家族はストレスから崩壊、ジョージは新たにスージーの妹・リンジーを狙い始めた。

【三幕構成】

第1幕 -> スージーと家族の日常とレイとの恋。
 ※第1ターニングポイント -> スージーが殺される
第2幕 -> 父の捜査と家族崩壊。
 ※第2ターニングポイント -> スージーが自身の死を受け入れる。
第3幕 -> リンジーの捜査とスージーの成仏。

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【感想】

とてもかっちりした構成の作品です。第一ターニングポイントはきっちり開始30分で来ますし、第2ターニングポイントはわざわざ暗転してシーンが変わります。非常にオーソドックスというか普段映画をあまり観ない人にも親切な作り方です。
実際、多少冗長に思う部分はあるものの終盤までは非常にスムーズに展開が進んでいきます。そしてスージー役のシアーシャ・ローナンも15歳とは思えないほど素晴らしい演技を見せてくれます。
と、ここまでは絶賛モードなんですが、いまいち微妙な雰囲気になるのはひとえに終盤の展開によるものです。
せっかく「犯人が妹を連れ去って、父親の捜索に手を貸す幽霊」的なベタなストーリーで盛り上げられるにもかかわらず、終盤のサスペンスシーンは「木の床板をそっと戻す」というこれ以上なくショボい展開のみで終わってしまいます。さらにはとってつけたような因果応報・悪が滅びるストーリーや急に道徳的になるスージー等、それまでの話を全て台無しにしてしまう程の超展開で観客全てを置き去りにして斜め上に突っ走ります。
正直な所、最後の30分までは80点~90点つけても良いほどの出来でした。せっかく前振りをして物語を積み上げていったにも関わらず、最後は家族をほっといて色ボケに走るバカ女のせいでメチャクチャです(笑)。
また、演出面もあまりいただけません。CGはさすがの出来ですし特にあの世の描写は本当に綺麗ですが、一方でスローモ-ションにコーラス曲を合わせる演出がしつこく繰り返されてちょっとイライラします。でも、前半のジョージの顔を隠す演出はなかなか上手いです。ピンボケやフレーム見切れを上手く利用して、何を考えているか分からない不審者としての犯人を表現しています。その割に顔がきちんと映るのが早すぎるんですが、まぁ引っ張っても「木の床板サスペンス」では面白くならないので、これで良いのではないでしょうか。面白くなる要素がそろっているだけに、つくづくラストが心残りです。

【まとめ】

良くも悪くもピーター・ジャクソン監督が仕事と割り切って適当に作るときの傾向が出ています(笑)。
きっと「ディストリクト9」のプロデュースが忙しくて片手間になったのかなとか思いつつ、時間が空いている方にはオススメ出来ます!
でもたぶん後悔するので、半年後にDVDで観た方がダメージは少ないかも知れません。一番おもしろかったのは開始前に流れた「第9地区」と「ブルーノ」の予告編でした(笑)。

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(500)日のサマー

(500)日のサマー

今日は二本見てきました。一本目は

「(500)日のサマー」です。

評価:(40/100点) – トムに感情移入出来るかどうかが全て


【あらすじ】

グリーディングカード会社でコピーライターとして働くトムは、ある日新入社員のサマーに一目惚れする。これはトムがサマーに恋をし、付き合い始め、破局し、そして立ち直るまでの500日を綴った物語である。


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【感想】

正直見る前は結構不安でした。というのも予告の時点で上記のあらすじは公開されていましたので、どこまでトムに乗れるかが心配だったんです。
そしてやはり不安は的中し、いまいちトムに感情移入出来ませんでした。サマー役のゾーイ・デシャネルがあんまり可愛くないというのもあるんですが(←失礼)、見せ方の問題でちょっと置いてきぼりを食らってしまいました。本作はストーリーもへったくれもありません。ひたすらいちゃいちゃするバカップルとその破局後にウジウジする奥手の男の姿が描かれるのみです。ですので、構造的にトムに移入しない限りは面白くなりません。私の場合はこの移入がうまくいかなかったため、退屈に感じてしまいました。たぶん過去に苦い恋愛経験をしていれば移入できるんでしょうが、、、。

移入ポイントについて

おそらく本作でトムにいまいち感情移入できない一番の理由は、トム側の事情があまり良く分からないからです。トムがなぜサマーに惚れたのか?トムがなぜサマーとつきあえるようになったのか?そしてトムが破局後にどういう要因でヤケになったのか?
全く描かれていないわけではないのですが、あんまり共感出来るような説明がありません。結果としてトムのヘタレっぷりとサマーの悪女っぷりが際立ってしまっています。
ネタバレもないとおもいますが、これ要は
「その気になった男が一人で盛り上がって運命の人だと舞い上がったが、単に悪女に二股を掛けられただけで、結局は振り回されて捨てられた。でも開き直って新しい恋に積極的になった。」
という話です。だからトムというジェットコースターに観客は乗る必要があります。

この映画の場合、トムへの移入は観客自信の過去の経験を投影できるかどうかに全てかかっています。
時系列シャッフルがその典型で、恋愛の記憶を走馬灯のようにして断片で振り返らせるんですね。ただそういう「運命の恋」みたいな記憶が無い私の場合、いきなり振られるところを見せられても何とも思えませんし、振られた後に出会いを見せられてもポカ~ンって感じです。

【まとめ】

話自体はまったく酷くはありません。私は結構ラブストーリーが好きでして、そういった意味では中盤のひたすらバカップルがいちゃついてる所もなんとか耐えられます。でもやはり「耐えられる」という表現になってしまいます。あんまり小細工せずに、思い切って奥手のトムの成長物語に特化してくれた方が見やすかったと思います。

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ジュリー&ジュリア

ジュリー&ジュリア

三が日最後の映画は「ジュリー&ジュリア」です。

評価:(40/100点) – おおむね良作だが最後で台無し。


【あらすじ】

ジュリーはコールセンターに務める公務員である。夫とピザ屋の2階に引っ越してきたジュリーは満たされない気持ちを晴らすためにブログを始めることを決意する。題材は大好きなジュリア・チャイルドの料理本「王道のフランス料理」。こうして524のレシピを一年で完遂するジュリー/ジュリア・プロジェクトが始まった、、、。


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【感想】

いきなりですが、私は本作はわりと好きです。現在パートは「ジュリアの本を使って日々を充実させようとするOLの話」、過去のパートは「夫と共にフランスに引っ越したジュリアが料理教室に通い、料理好きの友人を見つけて一緒に本を書く話」。このジュリーとジュリアの境遇の重ね方とシーンチェンジが中々うまく、「普通のいい話」として楽しめます。なによりお料理がおいしそうですし、俳優達が本当に良いです。
特にジュリアのパートはメリル・ストリープとスタンリー・トゥッチの「プラダを来た悪魔」コンビが非常に秀逸で、本当に微笑ましいというか幸せな気分にしてくれます。このジュリアのパートだけで一時間ドラマにしてくれれば何回でも見られます。

台無しポイント

とまぁ結構褒めモードなんですが、ところがですね、、、ラストがいかんのです。
まず第一に本作がメタ構造をとっており実話を元にした映画であるという点です。、そして寄りによってジュリー・パウエルが原作を書いてるわけです。要は本作の主人公にして「がんばるOL・悲劇のヒロイン」が作者なんですね、、、自画自賛?
自分自身をここまでヒロイックに書くような人は信用できません。
第二に過去の話と現在の話がうまくクロスしない点です。一応最後にスミソニアン博物館のジュリアのキッチン展示でリンクっぽい感じにはなるんですが、一方でジュリアがジュリーのブログを見て苦言を呈しているみたいな表現もあります。
ところがこの件については特にフォローすることもなく完全にスルーされてしまいます。
そこは拾わないとドラマにならないんですが、、、よほど作者に都合が悪いリアクションだったのでしょうか?
この二点のおかげで、私の中でラスト30分あたりから評価が一気に落ちてしまいました。残念です。

【まとめ】

もしこれが完全なフィクションであったなら、たぶん相当良い評価をしていたと思います。演出も無難ですし構成も悪くありません。最近「実話を元にした」作品がやたらと目に付きますが、それも善し悪しかと思います。本作はエンディングロールの一番最後に「この作品は実話を元にしていますが、ドラマティックにするためにキャラクターと物語に脚色を加えています。」と英語で表示されます。一方で、映画の冒頭では「この作品は二つの実話を元にしています」と日本語字幕付きで表示されます。
私の個人的な意見ですが、別に実話を元にしたから作品が偉くなるということは無いと思います。むしろ実話を元にしたということで変な制約が掛かってしまうように思えます。本作で言えばジュリー(=作者)を魅力的に描こうとすればするほど、単に自己顕示欲の強い嫌な女に見えてしまいます。逆にジュリアのパートはジュリーの憧れもプラスされてとっても素敵で魅力的です。
とはいえ、面白いのは間違いないですし、特に料理が好きだったり日常があんまり充実していない方には相当グッと来ると思います。
オススメはオススメなんですが、できればジュリア・チャイルドの伝記ものとして映画化して欲しかったですね。ジュリーのパートは全部いりません(笑)。

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釣りバカ日誌20 ファイナル

釣りバカ日誌20 ファイナル

さて2010年最初の映画はもちろんこれ。
釣りバカ日誌20 ファイナル」です。

評価:(60/100点) – ヌルい。だが、それが良い!


【あらすじ】

鈴木建設のハマちゃんこと浜崎伝助は釣りが大好きな駄目営業マンである。ところが持ち前の人望によって200億の案件を受注し、会長賞を獲得してしまう。会長はもちろんスーさんこと鈴木一之助。鈴木建設創業者にしてハマちゃんの釣り仲間だ。
祝いに訪れたスーさん馴染みの料亭「沢むら」で、ハマちゃんはスーさんが娘のように大事に面倒を見ている沢村葉子とその娘・沢村裕美を紹介される。亡くなった葉子の両親はスーさんの大親友であった。自身の老い先が短いと悟ったスーさんは、最後に葉子の父の墓参りに北海道を訪ねたいと申し出る。北海道と言えば渓流釣りの名所が目白押し。こうしてハマちゃんとスーさんの北海道旅行が始まった、、、。


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【感想】

あけましておめでとうございます。
2010年のお正月、10年代の始まりにふさわしい映画と言えば、もうこれしかないでしょう。日本最後のプログラムピクチャーにしてお正月映画・お盆映画の代名詞「釣りバカ日誌」であります。
とにかく全編を通してヌルいヌルい。微妙なギャグと古くさい演出のオンパレードで、客観的に見れば映画としてかなり如何な物かと思う出来です。
本作のメインストーリーは劇場予告にもあるとおり、沢村葉子がスーさんの隠し子ではとの疑惑と、裕美の同棲騒動から発展する沢村親子の話です。しかし正直に言って北海道および沢村親子の件は別にどうとも発展しません。極端な話、全部カットしても話は通じます。この適当な感じの脚本とヌル~い掛け合いが全編で続きます。
ここまで書くと酷い駄目映画に思えますが、でも本作はそれで良いと思いますし、それ”が”良いのです。理由は後述します。
役者の方々は全員素晴らしいです。三國さんや西田さんは言わずもがな、益岡徹さんや笹野高史さん、若手では吹石一恵さんも含めて、どなたも皆本当に素晴らしい仕事を見せてくれます。若干一名、塚本高史さんだけが浮いてますが別に出番もセリフも少ないのであんまり気になりません。そもそも演技には期待しない若い女性を劇場に呼ぶための撒き餌ですから(笑)。またカーテンコールで、本作初期のレギュラーメンバーのある方の顔が見えます。最近では健康上の理由で表舞台から離れていますので、本当にうれしいサプライズです。三國さんの本当にうれしそうな笑顔と相まって、私なんぞはこのカーテンコールだけで1000円分の価値はあると思ってしまいます。

最後のプログラム・ピクチャーということ

本作は現存する日本最後のプログラム・ピクチャーのシリーズです。プログラム・ピクチャーとは昔の劇場で二本立ての繋ぎで流れる、時間穴埋め用に適当に作られたB級映画です。ただ一概に適当=駄作とも言えませんで、もともと看板映画ではないので観客の存在を気にしないことから実験場という側面が強くありました。そして毎回独立した作品を撮り下ろすのは面倒ですから、必然的にシリーズ物が多くなります。一聴するとつまらなそうに聞こえますが、とはいえ東映のトラック野郎や不良番長シリーズはいまでも人気がありよく浅草とか神保町の単館でリバイバル上映しています。
プログラム・ピクチャーの低予算シリーズものは、「早撮り低予算」という必然から連続TVドラマのような雰囲気になっていきます。火曜サスペンスのシリーズ物をちょっとまじめに撮ったヤツと思ってもらえれば、当たらずとも遠からずです。
90年代からシネコンが日本でも爆発的に増えました。私は映画ファンとしてこのシネコン大増殖には大賛成ですし大変感謝しています。画一的な上映環境を提供してくれるシネコンのおかげで、都会だろうが田舎だろうが系列シネコンではほとんど同じフィルムが上映されます。ですので、田舎でもある程度ビッグバジェットの映画は見ることが出来ます。もちろん角川やハピネットが配給するB級ホラーや東宝の実験作は東京・大阪でしか見られませんが、それでも映画文化を考えれば田舎の映画上映機会を増やした功績は大きいと思います。一方で、経営的な面で単館に厳しくなっているのは間違いありません。私の近所の単館映画館も10年ぐらい前に2館が閉鎖してしまいました。子供の頃にドラえもんや東映まんがまつりを見に行った思い出の映画館が無くなるのは本当に寂しい物です。でもジャック&ベティや有楽町スバル座のように、大資本の後ろ盾が無いながらも差別化で頑張っている良質な映画館はまだまだあります。
ちょいと脱線してしまいました。シネコンが増えたことによる煽りは映画館だけにあるわけでは無く当然作品側にもあります。その一つが上映形態です。シネコンでは回転率をあげるために「全席指定入れ替え制」が当たり前です。一方でリバイバル上映や2番館(初回ロードショーの半年後ぐらいに余所で使ったフィルムのお下がりで上映するムーブオーバーが主流の映画館)では二本立て三本立ての自由席が主流です。朝チケットを買って入れば、いつまででも座っていられる形式です。前述のプログラム・ピクチャーはあくまでも後者の映画館でメイン作品とサブ作品の間に上映される「トイレ休憩用」の作品です。なのでシネコンでは必要ありません。このシネコン全盛の時代には、プログラム・ピクチャーが流れる環境自体が無くなってしまっています。釣りバカ日誌シリーズの終了も、三國さんのお年の問題とは別にやはりこの上映環境の問題が大きいと思います。日本最後のプログラム・ピクチャー・シリーズの終了が意味するのは、この複数本立てで新作を上映するという文化の終焉を意味します。かつてはメイン作品の看板スターで客を呼び、サブ作品で若手のスター候補を売り出すというのが常識でした。70年代の大映倒産で映画制作所とスター俳優の専属プロダクト制が終焉し、そして00年代のシネコン全盛で二本立て文化が終焉します。

【まとめ】

以上のことから、本作はある意味では日本映画文化の遺産であり、そしてプログラム・ピクチャーを象徴する作品でもあります。
適当な脚本も古くさい演出も、それ自体が一つの「型」として成立しているように思えるのです。本作はいわゆる「お正月映画」としてよりも、「最後のプログラム・ピクチャー」としての文脈を背負ってしまっています。だからこそ、ラストのカーテンコールでちょっと泣いちゃうわけです。別に良い話でも無いですし、泣くほど面白い作品ではありません。でも、こういうしょうもない作品を上映する環境が日本には存在していたんだということと、そしてそれが終わってしまったということ、それ自体が本作の価値だと思います。カーテンコールで三國さんが手を振る姿はまさに日活スターが手を振る姿であり、ひいては日本映画黄金期が手を振っているように見えてしまいます。
非常に残念な事に劇場は客入り4割ぐらいで、ほとんどが中年夫婦と老夫婦の家族連れでした。こういう作品だからこそ、是非20代・30代の人たちにも見て欲しいですし見るべきだと思います。私たちの世代は、こういう文化があったんだと言うことを子供達に話す義務があります。点数は60点としましたが全世代必見の歴史的作品です。全力でオススメします!!!
合体!!!

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イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ」に行って参りました。

評価:(90/100点) – タランティーノの中二病が上手く出ました


【あらすじ】

第二次世界大戦時ナチス占領下のフランスにてユダヤ人のショシャナは”ユダヤ・ハンター”ランダ大佐に家族を殺され命からがら逃げ出した。その後、彼女はミミューと名乗り映画館の経営者として生活していた。一方、アメリカ軍のアルド・”アパッチ”・レイン中尉は特殊部隊”バスターズ”を率いてナチス狩りを行っていた。
ある日ナチスSSの英雄・フレデリック一等兵はミミューの気をひこうと彼女の映画館で主演映画のプレミア上映を行う事を企画する。それを聞きつけたアメリカOSS(戦略諜報局)はバスターズを送り込むことを決定した、、、。


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【感想】

今年は本当に(映画秘宝的な意味で)巨匠監督の新作が目白押しです。ジム・ジャームッシュ、サム・ライミと来て、ついにクエンティン・タランティーノの登場です。まさに真打ち。そして一番頭が悪い(笑)。もちろん褒め言葉ですよ。すばらしいです。

■ストーリーについて

頭が悪いと書きましたが、本作は非常に巧みな構成でストーリーが進んでいきます。本作は「キル・ビル」と同様に一章あたり約30分程度の全5章構成となっており、それぞれ下のようになっています。

  • 第一章 その昔…ナチ占領下のフランスで (Once upon a time in Nazi-occupied France)
  • 第二章 名誉なき野郎ども (INGLOURIOUS BASTERDS)
  • 第三章 パリにおけるドイツの宵 (GERMAN NIGHT IN PARIS)
  • 第四章 映画館作戦 (OPERATION KINO)
  • 最終章 ジャイアント・フェイスの逆襲 (REVENGE OF THE GIANT FACE)

そして第二章~第四章のそれぞれに独立した「主役級」がおり、それが最終章で見事に集結して事件が起きます。この章立てが少々ぎこちなく見えるのは確かですが、それが最終章で収束する時のカタルシスは爽快です。
またポスターや宣伝ではブラッド・ピット扮するアルド・レインが前面に出ていますが、本作のメインはショシャナです。そして今回もタランティーノが大好きな東映ヤクザ映画の基本プロットである「酷い目にあった女性がいろいろあって復讐する」というフォーマットに忠実です。しかしそれだけに留まらず、コラージュのように多くの映画からテイストを持ってきてごった煮になっています。はっきりとは解りませんが、おそらくタランティーノ監督の発想はこうです。


 「ナチスって最低だよね。ボコボコにしようぜ!
 そういや映画を洗脳につかったゲッペルスとかムカツクな~。
 そうだ!映画館でぶっ殺せば面白くね!?
 しかも映画フィルムでぶっ殺せばトンチが効いてていいじゃん!」


すごい中二病(笑)。でも最高です!

■タランティーノ流の悪ふざけ

“ユダヤの熊”ドニーが洞穴から出てくる場面ですとか所々に悪ふざけが満載でとても楽しめます。また、新しくキャラクターが出るときにフラッシュバックのように割り込むショート・シーンの酷さ(←褒め言葉)であったり、多用される長回しであったり、巧みな面も随所に見せます。タランティーノのよく使うストーリーと関係のない長い無駄話も健在です。もちろん軽めのゴア描写も忘れません。
しかし一方で、とても”普通”なハリウッド・エンタメ映画としても通用しています。いわゆる”秘宝ファン”の映画フリーク以外でも、それこそキネ旬しか読まないような人でも全然問題無いと思います。

【まとめ】

本作は、タランティーノの集大成的な作品でありながら、彼には珍しくこぢんまりとまとまった良作です。ですので、タランティーノの熱狂的なファンにはちょっと物足りなく感じます。でも、あんまり酷い作品(←褒め言葉)ばっかり作ってて干されても困るので(笑)、これはこれで良いのではないでしょうか。十分面白いですよ。エンニオ・モリコーネやヤクザ物の音楽が流れる度にニヤニヤできます。
最後に、映画を見る人には常識中の常識ですが、タランティーノは悪趣味で中二病で足フェチのアホです(←褒め言葉)。今回もちょっとではありますが、ついうっかり脳味噌が出たり、ついうっかり顔が蜂の巣になって崩れたり、ついうっかり足を変態的になで回したりしてしまいます(笑)。CMを見て爽快戦争活劇だと勘違いして、デートに使うのは絶対やめましょう。
私の隣で見ていたティーンの女性は、ドニーがドイツ兵を撲殺するシーンから100分近く顔を押さえてうつむいてました(笑)。絶対あとで彼氏がグチられてると思います。
タランティーノの作品は、一人でいそいそと見に行って忍び笑いするのが、オススメです。

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笑う警官

笑う警官

「笑う警官」を見てきました。
観客動員150万人いかなかったら角川春樹引退とか言ってるので協力してやってください(笑)。
評価:(20/100点) – もう何も言えません。


<あらすじ>
ある朝、生活安全課の婦人警官が分署で死体となって発見される。本庁から介入があり不自然な形で追い出された大通署の面々。さらに直後には同僚警官の津久井に逮捕状と射殺命令が出る。不振に思った面々はすすき野の喫茶・ブラックバードに集まり、真相解明のため独自捜査を開始した。
<三幕構成>
第1幕 -> 事件の勃発
 ※第1ターニングポイント -> ブラックバードに津久井が現れる。
第2幕 -> 事件捜査
 ※第2ターニングポイント -> 浅野が自殺する(殺される)
第3幕 -> 百条委員会への護送


<感想>
見終わって最初に感じるのは「間違いなく角川春樹監督作だ」という疲労感です(笑)。音楽から画角から台詞回しまで、あらゆるところから「俺ってオシャレだろ」というオーラがびんびん伝わってきて、何ともいえない気分になります。それもそのはず。だって角川春樹なんですから。怖いんであんまり言及できませんが、、、いろいろお察しください。
私は小説未読ですので、あくまでもこれから書くのは映画版「笑う警官」についてであるとお考えください。
■ 役者陣の健闘について
まず役者の方々は相当良いです。絶対的なレベルで良いわけではないですが、かなり健闘しています。というのも本作自体がもう完全に角川春樹の顔しか見えないくらい全ての要素に角川春樹印がついているからです。その時点でアクが強すぎて他の要素なんて吹き飛んでしまいます。、、、キツイっす。
本作は間違いなく大森南朋と松雪泰子で持っています。また、若干一名ほど腐敗体制側でスーパー役者魂を見せている猛者がいますが(笑)、あれはもはや反則の飛び道具です。笑うなっていう方が無理。シリアスな場面なのであんまり笑っちゃいけないんですが、絶対わざとやってるだろっていう役者根性、感服いたしました。
私は大森南朋がかなり好きなんですが良くも悪くも織田裕二の域に達してきてしまっていて少々心配です。重たい顔して俯いてればOKみたいな型に嵌らないで、是非ともすばらしい演技を続けていただければと思います。他の面々はいうことありません。非常に堅実に荒ぶる監督(笑)のオーダーをこなせていると思います。中川家だけがちょっとなんだかなぁという感じですね。宮迫さんがキチンとチンピラに見えていたので、中川さんももうちょい小物チンピラ感を出せれば大変良かったのではないでしょうか。でも角川演出自体がある意味で意図的に全員を大根役者にさせているような所がありますから、仕方ないでしょう。というか何を書いても結局角川春樹に行き着いてしまうというこのキツさ(笑)。
■ 角川春樹流の荒ぶる回顧権威主義
作品を通じて流れ続けるジャズの何ともいえない感じであったり、全ての台詞回しが「台詞舞台劇」調の説明体であったり、極めつけは全ての要素からビンビン伝わってくる警察への恨みだったり(笑)、一観客の僕にどうしろっていうんですか!?。
角川春樹御大が警察嫌いなのはよくわかります。でも肝心の「腐った組織に反抗して正義を貫く人間達」みたいな芯がなくて、「笑う警官」の面々も正義感っていうよりは好奇心で動いているように見えてしまいます。でもそこがエンターテインメントだったりするので良いのかもしれませんが、、、ねぇ。
作品の根底に流れているのは、間違いなく角川春樹監督自身の「かくあるべし」という信念です。「邦画は1960~70年代が黄金期だ」「ジャズ喫茶は漢(おとこ)の溜まり場」「国家権力は腐っている」「若者は正義感に燃えるくらいがちょうどいい」などなど。なんと言いましょうか全共闘の亡霊がフィルムに焼き付いている感覚です(笑)。2時間ずっと説教されてる気分(笑)。私はその荒ぶる魂を華麗にスルーしながらお茶を飲んで耐えてました。がっぷり四つは無理ですよ、いくら何でも。20代のペーペーと角川御大では気合いというか情念が違いすぎます。とはいえ客席は結構若めだったので、純朴にふらっと映画でも見に入ったカップルがどう思ったかはちょっと聞いてみたかったりします。
<まとめ>
すごいものを見させていただきました。ありがたく拝承いたします。敬礼!!!
でもつまんないから20点!!!



ごめんなさい、本当にごめんなさい。マゾっ気がある方にはおすすめです、ごめんなさい。

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Disney’s クリスマス・キャロル IMAX 3D版

Disney’s クリスマス・キャロル IMAX 3D版

「Disney’s クリスマス・キャロル IMAX 3D版」を109シネマズ川崎で見てきました。
レイトショーだったからか、カップルばかりで子供連れがほぼ皆無でした。
評価:(80/100点) – 3D映画って超楽しい~!!!


<あらすじ>
ロンドンで会計事務所を営むスクルージは強欲で血も涙もない男である。彼はクリスマスイブにいつものように店を閉めると、書記のクラチェットに悪態をつきながら家路についた。その晩、スクルージの元に七年前に死んだ共同経営者のマーレイの亡霊が現れる。石と鎖でがんじがらめになったマーレイは、スクルージに徳高い人生を歩むよう説教する。そしてスクルージの元に三人の精霊が訪れ、それが最後のチャンスだと言い放って消える。その直後にドアベルがけたたましく鳴った、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> スクルージの事務所に甥が訪ねてくる。彼の普段の行い。
 ※第1ターニングポイント -> スクルージの元にマーレイの亡霊が訪ねてくる。
第2幕 -> スクルージと三人の精霊
 ※第2ターニングポイント -> スクルージが墓場で「まだ来ぬクリスマスの精霊」に改心を約束する
第3幕 -> 生まれ変わったスクルージ


<感想>
本作は、おそらく誰しもが知っている古典的名作の映画化です。過去に何度も映画化されていますし、ディズニー自身でも「ミッキーのクリスマスキャロル」というアニメがあります。ドナルドの伯父さんであるスクルージ・マクダックが主演で、ディズニーの人気キャラ総出演の「お遊戯会」的な作品です。
なにせ150年以上前の本ですから(笑)、今更ストーリーの目新しさだったりネタバレのようなものはありません。でも語り継がれるにはそれなりの理由があります。疑いようのないキリスト教の道徳話でありながら、いわゆる神への信奉や信心には向かわずに施しと協調精神に向かうところが、この話に一般性・普遍性を持たせています。そこまで長い作品でもありませんので、ストーリーについては原作を読んでいただいて、ここでは「Disney’s」と謳う3D部分を語りたいと思います。
■ 3D映画って超楽しい!!!
本作は、一部の劇場では3D版と2D版を同時上映しています。私は字幕かつ3Dを探した結果、せっかくなのでIMAXシアターを選びました。値段はちょいと高いですが十分満足の出来です。
全編を通じて3Dであることを意識したカット作りがなされています。空を飛ぶにせよ追いかけられるにせよ、すべて奥行きを意識した構図となっています。そのおかげでこれでもかというほど3Dの楽しさが表現されます。とにかく町並みやら雪やらがどんどん飛び出してきて、それはもう「ヒャッホゥゥー!!!」ってなもんです。
また3D映画もIMAXも何度か見ていますが、3DでIMAXは初めてでした。良いですね。XpanD方式やRealD方式よりもIMAX 3Dの方が色調がよくでていてとても見やすいです。明るいですし、動きのあるシーンでも変な残像はありません。あとは値段がもう少し安くなってくれれば問題無いんですが、、、頑張ってください。普通の映画は前売り券で1,300円、レイトショーだったら1,200円なわけで、そこで2,200円はさすがにちょっとなぁ、、、せめて200円増しでお願いしたいです。
<まとめ>
監督ロバート・ゼメギスは「ポーラー・エクスプレス」と「ベオウルフ」で俳優を使ったレンダリングを研究・実践してきました。技術自体はスクウェアが「ファイナルファンタジーX」を制作するときに開発したフェイシャル・モーションキャプチャが元にはなっていますが、わずか八年でここまで人形ライクなレンダリングができるとは驚きです。スクルージなんてジムキャリーそのものでちょっと気味悪いレベルです。そのうちショーン・コネリーやらジョージ・レーゼンビーやらのレンダリングを集めて「歴代ボンド総出演」みたいなことが出来そうです(笑)。
と同時にキャラクターの衣装はジョン・リーチのオリジナル挿絵に非常に忠実です。これは実際の挿絵を見てみてください。(挿絵はコチラ)。
非常にすばらしいCG映画です。2Dで見るのはあまりオススメできません。ということで本作は3D版の、できればIMAXないし大きめのスクリーンで見るのがオススメです。

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ゼロの焦点

ゼロの焦点

ゼロの焦点」を昨日見てきました。TOHOシネマズデーと初日効果で激混みです。
評価:(10/100点) – 電通+テレビ朝日+韓国ロケ=????


<あらすじ>
見合いで結婚したばかりの禎子は夫・鵜原憲一が出張から戻らないことを不審に思い単身新潟へ捜索に向かう。そこでは禎子の知らない鵜原憲一のもう一つの顔が見え隠れした。やがて彼女の周りで起こる2つの殺人事件と2人の女から、夫のもう一つの顔が明らかになる、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 憲一が新潟出張から戻らず、禎子は新潟に捜索へ向かう。
 ※第1ターニングポイント -> 禎子が室田耐火煉瓦で室田佐知子に会う
第2幕 -> 新潟での捜索と殺人事件。そして東京に戻り捜査続行。
 ※第2ターニングポイント -> 禎子が集合写真に佐知子を見つける。
第3幕 -> 解決編


<感想>
ザ・電通。そしてザ・テレ朝。130分がここまで苦痛だったのは「20世紀少年・最終章」以来です。沈まぬ太陽でももうちょと盛り上がりました。全編通じて映像描写よりも言葉で説明することを優先しながら、あまつさえその語り口さえも混乱するという非常にカオティックな作品です。どこからツッコんで良いかよくわからないので、大枠のところから攻めてみたいと思います。
なお、なんとなく点数と冒頭でお察しのことと思いますが、今回はネタバレ込みで広末さん中谷さん犬堂監督の悪口と取られてしまうかと思います。彼女達のファンの方は今すぐブラウザを閉じて、幸せに過ごしていただければと思います。

■ 語りの視点
問題点の第一に、語り口の混乱があげられます。この作品は広末涼子演じる鵜原禎子の独白から始まります。そして作中なんども独白によって禎子の感情が吐露されます。この作品は新婚である禎子の視点で「夫が突然いなくなって、捜索していくうち夫の裏の顔が見えてくる」というサスペンスが根幹にあります。ですから独白で始まるのは非常に正解というか必然的なもので、ここに関しては何の違和感もありません。問題はその語り口と映画視点の混乱です。
まずは一般論ですが、どの作品にも必ず視点というものがあります。言い換えるならば、観客の目線・カメラマンの立ち居地です。映画やドラマは、役者が演じている何らかのイベントをカメラマンが撮影します。ですからカメラマンはある「立場」「役柄」を持って作品を録画します。これが映画の視点です。
たとえば、何気ないテレビドラマの場合、そのほとんどは「神の視点」を採用します。これは「誰が」「どこで」「どんなイベントを」行っていても撮影できる万能でオーソドックスな視点です。たとえば風呂のなかで溜息をついてるところだったり、便所で顔を洗ってたり、密室殺人の殺人現場でさえ撮影できます。なにせカメラマンは「神」なので、どこにでも入れるし、ワープだってタイムスリップだってできます。なんでもありです。
一方カメラマンが登場人物として作中に登場すると、いわゆるフェイクドキュメンタリーになります。この場合、カメラマンは役名を持ってハンディ・カムなんかを使い撮影します。当然登場人物たちはカメラマンに話しかけますし、カメラマンも人間なので彼が居るその場しか撮影できません。いわゆる空撮みたいなものもできません。場合によっては死んでしまうこともあります。ブレア・ウィッチ・プロジェクトやクローバー・フィールドあたりが有名だと思います。
「ゼロの焦点」においてカメラ自体は匿名の第三者視点を持っていますが、禎子の独白(心の声)から始まることでわかるように禎子の視点となっています。この作品は禎子に感情移入することによって「夫が何者だかよくわからない」という乗り物に観客を乗せて進んでいきます。ところが終盤、もっとも大事なクライマックスで破綻と混乱が起きてしまいます。それは崖沿いのハイウェイで行われる佐知子と久子のやり取りのシーンです。まさにクライマックスで、音楽も話も最高潮に盛り上がる場面です。ところが本作は禎子の視点で描かれています。ですからイベントのまさにその場に存在できない禎子にはこの場面は知りようがありません。そこで、おそらく意図的だとは思いますが、犬堂監督はこの佐知子と久子のやり取りを禎子が列車の中で眉間に皺を寄せるカットで挟みます。つまり、最高潮に盛り上がる物語のクライマックスが「禎子の空想」として描かれているんですね。ここにものすごい違和感というかガッカリ感があります。
メインストーリーの人物相関からすれば禎子は「善意の第三者」であり「巻き込まれる人」です。そしてサスペンスは憲一と佐知子と久子の関係性であり、禎子はあくまでも観客の移入先/語り手です。だからこそ、余所者である禎子を「佐知子と久子のシーン」に登場させるのは非常に難しいのです。でも登場しなければ撮影ができません。そこでちょっとだけ禎子の苦い顔で挟むことで「空想であること」を気付きにくくしたのは、犬堂監督のせめてもの工夫だと思います。たぶん私のように映画を見すぎて捻くれた(笑)見方をしていなければ、すんなりあのシーンが事実だとミスリードされたかもしれません。演出としては巧みなんですが、視点が混乱しているのは否めません。これは非常に根深い問題で、ストーリー全体にも実は影響を及ぼします。それは次項で見ていきましょう。
■ 物語の構成について
前項で触れたように、本作は新妻・禎子の視点でサスペンスが描かれます。観客は禎子とともに事件を体験していくわけです。一部・憲一の兄が殺されるシーン等で視点の混乱はあるものの、第二幕までは概ね禎子の視点のみで、「素人探偵もの」が展開されていきます。
ところが、第二ターニングポイントで佐知子がマリーだと分かった段階から、カメラの視点が突如佐知子にフォーカスされます。前述のとおり、描き方としてはあくまでも禎子の主観で「空想シーン」ではありますが、カメラは完全に佐知子に飛びます。すなわち観客は急に「禎子」という乗り物から「佐知子」という乗り物に強制乗り換えさせられるんです。そして佐知子の過去から動機から現在の心情・状況まで、まるでテレビの再現ドラマのように完全な説明口調で情報を畳みかけられます。もうここまでくると、禎子なんてどうでもよくなってしまいます。中谷美紀のまるで宝塚かシェイクスピアのような大仰で威圧的な「熱演」も相まって、これでもかというほどの佐知子の”業”が観客に叩きつけられます。難しいのは、ここでほとんどの人は佐知子に感情移入してしまうことです。旧映画版のように禎子の視点で通していれば佐知子は単なる「独善的な犯罪者」なのですが、佐知子の事情を観客が知ることで情状酌量の余地というか「見知った人」になってしまいます。だからこそ、佐知子と久子のシーンが物語上で一番盛り上がるクライマックスになってしまいます。
これがすでに混乱しているんです。本来、この物語のクライマックスは「佐知子と禎子の対決」でなければいけないはずです。だって禎子の物語なんですから。ところが、実際の佐知子と禎子のシーンはまったく盛り上がりません。それは佐知子への観客の移入度が上がりすぎて、クライマックスがずれてしまっているからです。
これが原因で、佐知子と久子のシーン以降がまったく盛り上がらず蛇足に見えてしまいます。禎子が佐知子に一太刀浴びせても、なんのカタルシスもないんです。なぜならすでにその一太刀は久子がやっちゃってるからです。これは脚本・構成の根本的なミスだと思います。本来の「傍観者たる禎子がひょんなことから怖い世界を覗き見ちゃった」というフォーマットではなくなっているわけです。
そんなわけで、おそらく映画を見終わった後は誰しも中谷美紀の印象が残ると思います。それは中谷美紀が上手いからではなく、脚本がそうなっているからです。これを良しとするか駄目とするかは難しいところです。
■ 広末さんと中谷さんについて
広末さんの役は完全にはずれでした。というのも、この人の声は舌っ足らずというかアホに聞こえるんです。子供っぽいと言っても良いです。ヴィヨンの妻では好演してたので残念です。「善意の第三者」にしては恐怖とか怯えとか好奇心とか、そういう部分がまったくナレーションに表れないので、何を考えてるかわからないアホの子にしか見えません。できれば広末さんはもうちょい悪女とか頭悪い子とか世間知らずの役の方が良いと思います。ご本人の悪口ではなく得手不得手の部分ですよ。本人はそれこそたくさん社会の裏を見て世渡りしてきてるはずなので(笑)。
また中谷さんですが、悪い意味で主役を食ってしまい作品を混乱させてしまっています。犬堂監督の意向でしょうが、いくらなんでも大仰ですし、とくに最後の柱に頭を打ち続けるところとか演説のところなんかはヒロイック過ぎます。棒立ちで後ろに倒れるところなんかは完全にコントでした。ショックで放心した場合、人はああは倒れません。膝が落ちてその場で腰を抜かします。格好良いんですがやりすぎです。中谷さんというよりは演出家の問題でしょうか?
最後に木村多江さんは出番が少ないながら非常に良い感じだったと思います。正直あのクライマックスが成立してるのは木村さんがいればこそです。中谷さんだけだと、それこそ舞台演劇になってドン引きしてしまいますから。
<まとめ>
え~~~~良いんじゃないでしょうか(笑)。本作はサスペンスとして頭を使いながら見てると失望します。でもぼけ~っと見てる分にはそれなりに盛り上がって、それなりに社会派っぽくて、それなりな出来に見えます。でもちょっと考えたとたんに破綻がいっぱいで突っ込みたくなります。そもそもこのテーマと内容で130分使っている時点で脚本がおかしいです。残念ですが、物語をせめて100分前後にして語り口を整理・統一するべきだったと思います。そうすればサスペンスとしてのスピード感がもう少し出て、勢いで破綻がごまかせたと思います。ただ、何にせよ火曜サスペンスで十分な内容です。私は昨日TOHOシネマズで1,000円で見ました。1,000円でももったいないと思います。ということで、タダ券をもらってから見に行くのがオススメです!

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