パラダイス・キス

パラダイス・キス

土曜の2本目は

パラダイス・キス」を見てみました。

評価:(30/100点) – 女王様、調子扱いてすみませんでした m(_ _ “)m


【あらすじ】

早坂ゆかりは高校三年生。受験を控えた大事な時期だがどうも勉強に身が入らない。母は大変熱心な教育ママで少しコンプレックスも抱えている。
そんなゆかりは、ある日道端でチャラい男にナンパされたあげく追い回され、貧血で倒れてしまう。目が覚めると目の前にはナンパ男とギャルがいた。話しを聞くと、彼らは矢澤芸術学院の学生で、卒業制作のファッションショーのモデルを探しているという。早々に切り上げようとしたゆかりの前に、これまたスカしたナルシストが現れる。それが、運命の出会いだった、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゆかりとパラダイスキスのメンバーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ゆかりが家出する。
第2幕 -> ゆかりのバイト生活とジョージ。
 ※第2ターニングポイント -> ファッションショーが始まる
第3幕 -> ファッションショーとその後。


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【感想】

土曜の2本目は「パラダイス・キス」です。ご存じ矢沢あいの大人気コミックスで、私もさすがにZipperは買ってませんでしたが単行本は普通に買ってました。やはり客層は女の子ばっかりで、しかも10代~20代ぐらいの子ばっかりでした。一番前の列だったので周りに人は居ませんでしたが、物凄い肩身が狭かったですw
さて肝心の映画ですが、まず間違いなく原作ファンからは袋叩きに逢うだろうという前提で、私はいまから全力で擁護したいと思います。おそらく叩かれる一番の焦点になるとおぼしきラストについても当然触れざるを得ません。ということで、漫画未読で、まっさらな気持ちで映画を見たい方はご遠慮ください。

原作の肝:現代日本版のプリンセス・ストーリー

本作「パラダイス・キス」は、ストーリーのフォーマットとしてプリンセス・ストーリーの型を使っています。主人公の早坂ゆかりは教育ママの元で進学校に通う”冴えない女の子”です。ポイントは、彼女は漫画ならではのトリックで絵面はすらっとした美形になっていますがストーリー上は決して美人ではないと言う点です。そんな彼女がある日街中でスカウトされます。スカウトといってもファッションデザイン学校の卒業制作のお祭りモデルであって、決してプロではありません。そしてそこで金持ちでナルシストが入った”天才”のジョージに出会うわけです。しかし、ジョージも実際には決して一般的な意味での”天才”ではありません。彼はあくまでも専門学校という井の中の蛙のトップクラスというだけです。ゆかりはそんなジョージと出会うことで、いっときの「夢」を見るわけです。しかしそれはあくまでも「夢」であって、現実はそんなに甘いものではありません。ジョージはゆかりの日常空間に非日常というイリュージョンを生み出したプリンスであり、ゆかりはそのイリュージョンを一瞬垣間見ることで一生の幸せを得るわけです。そしてそれこそが「青春」なわけです。だって青春ってそういうことですから。
ですから、「パラダイス・キス」は間違いなく青春漫画であり、そしてプリンセス・ストーリーなんです。まるでディズニー映画で魔女に出会ってプリンセスに変身する庶民の女の子のように、ゆかりはジョージによってモデルの夢を見るんです。

一方の映画版は、、、

さてさて、一方の映画版はどうかと言いますと、一言で言えば「天才が才能を発掘され調子にのる話し」です。つまり「ハリー・ポッター」「トワイライト」等でお馴染みのいつものアレです。ゆかりは元からモデルの才能があり、家出するなりいきなり雑誌のモデルの仕事を”バイト”としてこなし、しかもプロのモデル達からも一目置かれます。ファッションショーのリハーサルではロクに真っ直ぐ歩けなかったくせに、数時間後の本番ではスタスタと歩いた上にドヤ顔まで披露する余裕を見せます。ゆかりは努力の人ではなく完全に「選ばれし者」です。
このストーリーは才能のあるゆかりがジョージやイザベラという仲間にチヤホヤされてその才能を発揮するまでのストーリーです。当然天才ですから、周りの仲間は簡単に引き離されてしまいます。あれだけ天才扱いされていたジョージもラストでは完全に立場が逆転してしまいます。そうです。この映画版は原作の肝をことごとく潰しています。ゆかりはいっときの夢を見たわけではなく本物の天才モデルです。雑誌の表紙やグラビアを大量に獲得し、CMや街頭ポスターにも出まくりです。一方のジョージはデザインして委託販売したパラダイス・キスの服が一着も売れず、先生からは「彼は感性の人だから商売として服を作るのは無理」と一蹴され、実際にパリに留学しても泣かず飛ばずで結局洋服屋を諦めます。最後はミュージカルの衣装デザイナーに落ち着きます。
この映画版は原作のテーマでもあった「でも現実ってそんなに甘くないぜ。でもそういう調子こけてたことこそが美しき青春じゃん?」というド根本的な部分がバッサリ切り捨てられており「天才が天才としての才能を開花して人生思い通りでバラ色」になって終わります。つまり「現実は甘くない」という視点が無くなって甘やかされて終わるわけです。
ですから私は確信します。本作は間違いなく原作ファンの怒りを買います。当たり前です。だって話しが180度変わってるんですから。原作で儚いからこそ美しかったイリュージョンが、現実にずっと続くようになっちゃってるんですから。北川景子が「王様のブランチ」のインタビューで「原作は消化不良だった」とかふざけた事を言っていましたが、原作は消化不良なのではなく現実的な落としどころを見せることでより青春を美しく見せているんです。夢は覚めるからこそ美しい。醒めない夢の中にいる人はそれが夢だと気付きませんから。
いかんいかん、、、ついつい怒りが出てきてしまいましたw いかん!!! 私は今日は擁護しようと思ってたのに!!!!
ということで次のパートでは力の限り擁護しますw

よ~し。頑張るぞ!!!

もう欠点は指摘いたしましたので、ここからは全力で擁護するパートに行きたいと思います。制作関係者の皆様、ならびに北川さん・向井さんの熱狂的ファンの方々、お待たせいたしました!!!
まず何がすごいって、本作に出てくるジョージの衣装は完璧です!!! 一目で「うわぁ、、、、こいつセンス無いわ、、、、ダッサ、、、。」と分かるのに、劇中では高校に勝手に入り込んでキャーキャー言われるほどイケメン扱いされるわけです。この描写によって本作の舞台がファンタジックな異空間であり、まさしくイリュージョンの中だと分かるようになっています。つまり、画面に映っているジョージは驚くほどダサいのに、作中の人々の脳内では超絶なイケメンに見えているわけです。これは青春で舞い上がった少年少女達の新しい表現の仕方です。まさしくブラン・ニュー!!!
また、北川景子さんの表現も完璧です。冒頭からお嬢様・勉強できる子とは対極にある茶髪で厚化粧な状態で出てきますので、そりゃあ生活指導で呼び出されるのも当然です。この辺りは実在感が完璧です。います!!! いますよ、進学校でグレちゃって自分探しをはじめちゃう子にこういう雰囲気の子はいます!!! 完璧!!! しかも身長が160cm弱しかないのに道端でモデルとして声を掛けられるほどの圧倒的な存在感とドヤ顔感。これはもう北川景子にしかだせません。特に前半のサディスティックな雰囲気は最高に魅力的でした。鼻の穴にも華があって完璧なドヤ顔です。100点!!!!
恋愛要素という意味でも本作は良く表現できています。ゆかりはジョージを一目見た瞬間に惚れてしまうわけで、これは北川景子さんの「イケメン食い伝説」と相まって物凄い実在感を伴っています。ジョージはジョージで早い話が結局口だけの小者なんですが、しかしその小者がキザなハッタリを言ったばっかりに意志の強いギャルギャルしたイケイケな女に絡め取られていく感じがサイコホラーとして哀愁すら漂わせます。「あぁ、、、こういう半端な男ができちゃった結婚とかで強いチョイ可愛い女性に人生を食われていくんだな、、、。」という現実がしみじみと表現されていました。まさに弱肉強食。身につまされます、、、お大事に。
やっぱり実写で「パラダイス・キス」を表現するのってとんでもなく難しいと思うんです。だって原作は「青春ならではのキラキラとした夢の様なイリュージョン」を見せるものだったわけですから、それを実写にしたら全然イリュージョンじゃなくなっちゃうんです。「パラダイス・キス」を実写化するのであれば、どうしても一般的な恋愛映画にするのが一番簡単ですし、そうすると「実は天才な女の子がフックアップされる話し」「ハンパに才能のある男が慢心した末にイケイケな女に絡め取られて人生を潰す話し」に落とし込んじゃうのが手っ取り早いです。やっつけ仕事としては十分にまとまっていますし、問題無いクオリティだと思います。
そういう意味では、本作のヒーロー・ヒロインのキャスティングは本当に最適だとおもいます。時折清楚に見えるけど基本はガツガツした強いギャル女である北川景子と、遠くから見ると雰囲気がイケメンに見えるけど実はすごい弱気で純朴な丸顔をしている向井理。この2人がそのまんま本作のゆかりとジョージとしての強烈な実在感を支えています。もちろん原作のゆかりとジョージとはほとんど正反対なのが難点ですが、、、。

【まとめ】

ということで、本作のテーマは実は「半端な男の人生転落劇」だったんです。それまでイケイケだったのに自分よりはるかに上手(うわて)な女性と出会ってしまったことで主導権を完璧に奪われて転落していく話し。しかもその転落の瞬間が北川景子の本気で恐いドヤ顔@ファッションショーなんです。ドヤ顔一発で自称天才だった男の自信を粉砕した上に踏み台にして、かつその直後のキスで完全に男の人生を掌握する。あまりの恐ろしさに身震いしてちょっとチビりました。
パラダイス・キスとして見ればこんなゴミフィルムになんの価値もありませんが、恐い女と弱気な男の恋愛話としては大変面白い作品です。ドMな男の子とドSな女の子には全力でおススメします!!!!
YOUもこんな男の子or女の子に出会っちゃいなYO!!!! オススメDEATH!!!!

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もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

本日の1本目は

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」です。

評価:(2/100点) – ドラッカーがまったく関係ない (‘A`)


【あらすじ】

川島みなみは親友で野球部のマネージャーの夕紀が入院したのを機に代役として臨時マネージャーに就任する。しかし、みなみは初日でいきなり部員達とぶつかってしまう。学校帰りに駆け込んだ本屋でマネージャーに関する本を探した彼女は、そこでドラッカーの「マネジメント」を購入する。マネージャーはマネージャーでも「管理職」の本を買ってしまったみなみだったが、彼女は「マネジメント」に書いてある教えが野球部にも活かせるのではないかと思い実行に移すことにする、、、。


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【感想】

本日の1本目は「もしドラ」です。初日でしたが、驚いたことに中学生ぐらいの子と親子連れとアイドルオタクっぽい人が入り乱れてそこそこ観客が入っていました。かなり異様な組み合わせの客層ですw

そもそもの話し

本作はいろいろと「曰く付き」な作品ですw 元々この原作の仕掛け人は某アスキーに居た加藤さんという方でして、彼がダイヤモンド社に移ってやったことと言うのが「アスキー的な方法論」をお堅いダイヤモンド社に持ち込むことでした。すなわち「オタク的なもの」と「ビジネス的なもの」のコラボです。原作はそれだけを見るとまったく面白くないラノベですが、それをダイヤモンド社のビジネス書シリーズで売ることで「ドラッカーの入門書」という付加価値をつけることに成功し、見事にドラッカーを読めない(めんどくさがりやな)叔父様達への「HOW TO本」に仕立てたわけです。
ところが、、、ここからが面倒なのですが、、、原作者の岩崎夏海さんはあくまでも「自分の作品がおもしろいから売れたのだ」という自意識が強いかたでして、この加藤さんのやり方にものすごい反発しています。ぶっちゃけた話し、岩崎さんは文庫化するときにはダイヤモンドから版権を引き上げて別の出版社でお堅い装丁にして出すとまでおっしゃってました。なので、実は岩崎さんとしてはNHKでやってるアニメ化にはかなり消極的でして、どちらかというと実写の本作の方に力を入れています。元々、岩崎さん自身は秋元康の事務所で放送作家をやっていたバリバリの秋元チルドレンで初期のAKB48にも関わっていますので、映画で前田敦子が主役をやって主題歌がAKB48なのは当然の流れです。

ドラッカーが関係無い。

という背景の元での本作の話しに行きます。確かに原作には忠実なのですが、それを映画にすることでより直接的に問題点が浮かび上がってしまっています。
一番の問題はーーそしてこれは根本的な問題ですがーー本作の内容はドラッカーのマネジメントと全く関係がありません。本作は「高校野球のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んで、経営の方法論を高校野球部に持ち込んで成功する」というストーリーだと勘違いされがちですが、実際にはただ単に「天才の集まりなのに団結力と精神力に問題がある高校野球部員が悶え合った末に仲間の死で一致団結して力を発揮する」という大変安っぽい話しです。
本作には技術論や効率的な方法論はまったく出てきません。基本的には「みんな頑張るぞ!!!!」という根性論でなんとかなってしまいます。唯一マネジメントっぽいのはチーム分けをして内部競争を起こすという部分ですが、それも野球部であればどこでもやっていることなので別にマネジメントがどうこうではありません。

まったく野球を描いていない

ですので、本作はROOKIESと同じくただただ仲間がイチャイチャしているだけのどうしようもない作品です。敵校が誰かも良く分かりませんし、そもそも味方も主要人物以外は良く分かりません。ピッチャーとキャッチャーとショートと代走ぐらいしかまともに名前も出てきません。なんとなく雰囲気だけで野球っぽい体裁を整え、なんとなく野球っぽいことをやっているだけです。そもそも応援団がピッチャー交代でもないのにピッチャーのテーマ曲を演奏するなんぞ聞いたことがありません。守備側のブラバン応援は高野連の禁止要項です。この映画の監督はそんな常識も知らないのか!!! 相手チームに失礼だろ!!!!
本作で映し出されているのは野球ではなく、ただの悶えあいごっこです。大振りして相手を油断させて次でホームランを打つというのも、結局は相手を舐めているだけで作戦でもなんでもありません。2塁ランナーがいるのに1塁ランナーが8歩もリードするのはリスクこそあれメリットはありません。無茶苦茶です。劇中ではイノベーションとか言ってますが、ノーバント・ノーボール戦法もまったく新しくありません(※往年の権藤監督の横浜ベイスターズ1998年~2000年はまさにノーバント・ノーボール戦法でした)。ちなみにこの権藤監督の方針と酷似した戦法をマネジメントの観点から実戦したのがオークランド・アスレチックスのGM:ビリー・ビーンで、2003年に「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」として彼の考えが本にまとめられ日本でも知られるようになります。
ぶっちゃけていうと、そもそもからして原作は明らかにこの「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」に影響を受けています。ただ岩崎さんが野球に詳しくなかったのか、「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」の肝心なところをパクリ損なっているのがなんとも微妙です。

役者も野球の動きがまったくなっていない

そもそもロクに場面もないくせに野球の動きがおかしいです。
特に一番酷いのがピッチャーの慶一郎こと瀬戸康史の動きで、どん引きするぐらい「手投げ」です。左足がまったくあがらない上に腰が回っていないので、砲丸投げみたいなフォームになっていますw しかも運動音痴で足腰が弱いのか、投げた直後にちょっと可哀想になるぐらい体が一塁側に流れます。ストライクが入らないのは精神論ではなく明らかにフォームの問題と筋力不足です。つまり練習不足。せっかく良い役をもらったんだからせめてキャッチボールぐらいは練習しようよ、、、、別にいいですけど。
また、バッティングも悲しいぐらいヘッドが寝ています。バットの動きとボールのはじき方が不自然なので打球はCGだと思うんですが、それにしてもちょっと野球映画としては、、、、無理でしょう。
ちなみに名前が分かりませんが、レフト(サード?)の子がショートのエラーをカバーしたときだけはちゃんとした動きでした。もしかしてメイン所以外はそこそこ出来る人をつかったんでしょうか?

【まとめ】

とまぁ書いてきたように大変残念な作品となっています。ほとんどが原作の不出来による問題ですので映画の制作側に言っても仕方がないのですが、、、所詮は人気作品を人気アイドルで実写化するというだけの企画だって言うことです。唯一良かったのは、前田敦子や峯岸みなみよりも川口春奈が遙かに可愛くて遙かに魅力的だったというのが分かったことです。前田さんも頑張ってはいたんですが、、、どうもね、、、。彼女に演技させるなら、「マジすか学園」1期みたいになるべく喋らない役の方が良いと思います。しゃべると途端にボロがでてしまいますので。
オススメはなかなか難しいですが、野球のことやビジネスのことをまったく知らないのであれば意外と楽しめるかも知れません。川口春奈を見に行く目的ならギリギリありではないでしょうか。
また、どうでも良い部分ですが、前半30分ぐらいのホンジャマカ石塚と青木さやかのセンテンスは思わず劇場から逃げ出したくなるほど恥ずかしいです。しかもストーリー上はまったく意味がありませんので、本当になんでいれたんでしょう?
大変残念な作品でした。

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アンノウン

アンノウン

土曜の2本目は

アンノウン(2011)」でした。

評価:(65/100点) – 安心と信頼のダークキャッスル印


【あらすじ】

バイオテクノロジー学者のマーティン・ハリス博士は妻リズと共に学会に出席するためベルリンに来ていた。無事会場のホテル・アドロンに着いたものの、空港に忘れ物をしたマーティンは一人タクシーを拾って空港に戻ろうとする。しかしその途中、彼は交通事故にあって昏睡してしまう。
それから4日後、目を覚ました彼は朦朧とした意識の中でやっと思い出したホテルへと向かう。しかし妻は自分の事を知らないと言い、さらにまったく別の人間がマーティン・ハリス博士を名乗っていた。
彼は交通事故で記憶が混乱してしまったのだろうか? 彼はいったい何者なのか?


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【感想】

土曜の2本目は「エスター(2009)」のジャウム・コレットセラ監督の新作「アンノウン」です。予告を見るだにB級臭がプンプンしますw その臭いにつられたのか、結構中高年のお客さんが入っていました。
サスペンスですのでネタバレ無しで行きたいと思います。
本作は前半と後半でまったくテイストが違います。前半はどちらかというとサイコスリラー風味なんですが、ある出来事をきっかけに急にアホな力技のサスペンス映画になります。でまぁ前半からダークマンの頃のようにちょっと猫背でガシガシ歩くリーアム・ニーソンが待ってましたとばかりに暴れまくるわけで、これがつまらないはずがありません。
直接的に連想されるのは昨年の「パリより愛をこめて」。それとリュックベッソンの一連のバカ・アクション映画です。全体的に投げっぱなしな感じですとか、実は凄い人という体裁の脇役が出てくるのに妙に薄っぺらい感じですとか、結局身内だけで全部完結してる感じですとか、そっくりですw
こういう「ド」が付くほどのB級映画は細かい事を考えずにポップコーンを食べられるかどうかが勝負ですので、これはもう大変すばらしいポップコーン映画に仕上がっています。だって俺たちのアニキが困り顔でモテモテなんですよ!!!! だってダイアン・クルーガーがちょっとヤンキーっぽくってイケイケなんですよ!!! パスポートを持ってない外人が事故って昏睡してるのに警察は調べに来ないのかとか、一流ホテルのドアマンがVIP客の顔を忘れるわけ無いとか、webサイトの画像を差し替えたってキャッシュで分かるしそもそもプロがそんな証拠になる痕跡を残さねぇよとか細かい所は一杯ありますが、一切気になりません。
超最高!!! 超楽しい!!! 超オススメです!!!!



って浮かれられれば良いんですけど、でもたぶんこれってリーアム・ニーソンが元々アマチュア・ボクサーでアクション俳優(アイドル)だっていう前提を分かってないとただのハチャメチャな映画に見えてしまうかも知れません。その辺はバットマン・ビギンズ以降でかなりアクション畑に戻ってましたのである程度は大丈夫かと思います。
タレ眉毛で困り顔なのに超強いというギャップがリーアム・ニーソンの一番の魅力なので、本作はまさしくバッチリの企画です。だからやっぱ最高!!!! 超楽しい!!! 超オススメです!!!!
っていうぐらい大味な感想がぴったりな映画です[emoji:i-229]

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アバター(2011/邦画)

アバター(2011/邦画)

4月最後の映画は同名のハリウッド映画とは全く無関係な

「アバター」です。

評価:(65/100点) – 無茶苦茶すぎて一周して面白い。


【あらすじ】

阿武隈川道子(あぶくまがわ みちこ)は高見女子高校に通う二年生。しかしクラスは女王様・阿波野妙子が牛耳っており、教師の面前で平然とイジメが行われるほど荒れていた。
道子は17歳の誕生日祝いで母親から携帯電話をプレゼントされた。喜んで学校にもっていった道子だったが、それを阿波野に見つかり、強制的にアバQなるSNSに招待されてしまう。この学校ではアバQの人気こそが絶対で、そのゲーム内でレアアイテムを持っていることが阿波野の権力の源だったのだ!
しかし道子が期間限定スロット企画でレアアイテムを手に入れてしまったことから状況は一転する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 道子とアバQの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 道子と西園寺の結託。
第2幕 -> アバターサークル結成と道子の復讐。
 ※第2ターニングポイント -> 道子が阿波野に復讐する
第3幕 -> 阿波野の逆襲


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【感想】

土曜の2本目は「アバター」です。とはいっても某ジェームズ・キャメロンの3D大作では無く、「リアル鬼ごっこ」「Xゲーム」でお馴染みの山田悠介原作の方です。たぶん製作費用はキャメロンの800分の1ぐらいですw 初日で昼の回は舞台挨拶をやっていましたが、あまり混んでるのが苦手なので敢えてレイトショーで見てみました。そして予想的中。初日に行くような人は当然舞台挨拶が見られるなら見たいわけで、夜の回はガラガラでした。現在渋谷のシアターNと名古屋のシネマスコーレだけで上映していまして、画質が荒かったのでたぶんBD上映だと思います。
いきなり結論を言ってしまいます。本作は突っ込み所だらけで出来もヘッたくれもありませんが、テンションだけは無駄に高く、面白さはかなりのものです。なので全然OKです。問題なし。オススメです!!!!!
真面目な話し、面白さだけで言えば間違いなくジェームズ・キャメロンのアバターを越えてます。いまからダメな所を書きますが、でもだから最低ということではなく、そういう適当な所も含めて本作はアイドル映画として十分成立しています。
ここでいつものお約束です。これ以後書くことは本作の直接的なネタバレを含みます。まっさらな気持ちで鑑賞したい方はご遠慮下さい。重ねて言いますが、オススメですよ!!!!

本作の話しの流れ

本作は行き当たりばったりで滅茶苦茶な話しなので整理しないとワケが分かりませんw なのでまずは設定とストーリーを整理しましょう。
本作における学校ではアバター(=ネット上の似顔絵キャラ)を着せ替える「アバQ」というサイトが物凄く流行っています。「アバQ」は広告収入で成り立っており、アバQ公式サイト内のアフィリエイト広告をクリックするとポイントが溜まり、そのポイントと着せ替えグッズを交換してアバターを着飾っていきます。
ポイントを獲得するにはアフィリエイト以外にも、他人を招待したり直接的にwebマネーで買う方法やイベントゲームで獲得する方法もあります。また着せ替えグッズには星1~星5までのレア度が設定されており、レア度の高い物はイベントゲームでしか手に入りません。
学校内では阿波野妙子が絶対的な女王様として君臨しています。彼女は手下をつかって弱い者達からレアアイテムをカツアゲしており、そのレアアイテムを見せびらかすことで生徒達から指示を得ています。レアアイテムの譲渡を拒んだ西園寺真琴(さいおんじ まこと)は猛烈なイジメにあっています。
そんな状況下でたまたま道子が全国で50個しかないレアアイテムを手に入れたことから状況が一変します。西園寺と道子は美人局をしながら金を巻き上げレアアイテムを次々と購入、学園内でのし上がっていきます。
その道子の強烈な野心の背景として、かつて妙子によって父親を間接的に殺されたことと、そして自身の顔に対するコンプレックスが描かれます。次第に道子は権力におぼれ、狂気に走るようになります。
この作品はいろいろなエピソードがぐちゃぐちゃに混ざっていますが、柱になるのはこの道子のコンプレックスの話しであり、コンプレックスがやがて強迫観念に変わり、そして遂には決定的な狂気になって周りも巻き込んでいくというサイコホラーになっています。
本作の一番の見所はこの「道子がどんどん狂っていく」部分です。ただの内気な少女が、自己表現としてのゲームにのめりこんで行き、しまいには完全にそこに取り込まれます。このディティールは素晴らしく良く出来ています。それこそお金と時間を掛けて脚本を書き直せば、普通にファンタスティック系の賞レースに絡めるぐらいのプロットです。

本作のツッコミ所。又は、ほつれ具合

本作のツッコミの全ては「大仰」「嘘くさい」「そんなアホな!」。この3パターンが全てです。そしてその全てが脇がガラ空き過ぎてそもそもガードする気が無いくらい途方もなくほつれており、そこが逆に魅力になっています。
一番ひどいのは道子が整形手術するくだりでしょう。整形前と整形後でかわったのはアイシャドーとファンデーションが濃くなって髪がシャギ掛かっただけ。つまりただの高校デビューです。それは整形じゃないw しかもこの前後で橋本愛がものすごい無理をして話し方を変えようとするものですから、その滑舌の悪さと相まって悶えるレベルの恥ずかしさになっています。この瞬間、私はこの映画がアイドル映画として完璧に成功していると確信しましたw
これ以外にもツボは山ほどあります。たとえば何故かサークルの皆が付けるガスマスクです。ガスマスクには「金のガスマスク(道子専用)」と「銀のガスマスク(西園寺専用)」と「銅のガスマスク(幹部用)」と「黒のガスマスク(雑魚用)」があるんです。何故ガスマスクかもわかりませんし、ガスマスクを特注している意味もわかりませんw 東急ハンズとかで頼めるのでしょうか? 意外と部活グッズで流行るかも知れません。 しかもこのガスマスクはチェーンソーを跳ね返すほどの強度をもってます。是非一家に一個!!!
あとはなにせ阿波野です。昨年の実写版マリみてで令ちゃんを演じた坂田梨香子がいかしたテンションで怪演しています。男に振られた腹いせにチーズ味のカールを泣きながらヤケ食いしたり、キレてチェーンソーを持ち出してきたり、いちいち小ネタを仕込んできます。阿波野最高。
アバター程度でなんでそこまで人を操れるのかとか、この世界の警察は無能すぎるとか、夜中に学校に侵入している割に声が大きすぎとか、プロジェクターがどんだけでかいんだとか、高校性がwebマネーを何百万も使ったら不審だろうとか、そういう現実とつなげたリアリティは全くありません。ですが逆に言うと本作のリアリティ水準は冒頭からその程度ですので、特に引っ掛かる部分もなく見ることが出来ます。
本作は最初から最後まで設定が無茶苦茶なため、ある意味ではツッコミ所だけで出来ているとも言えます。ただその無茶苦茶さこそがハイテンションさにつながり、そしてアイドル映画としての魅力にもなっています。だから昨年の「私の優しくない先輩」と似たような雰囲気になります。純粋に映画としてみれば酷い出来ですが、アイドル映画としては十分ですし、結果として面白さはかなりのものです。

【まとめ】

ということで、本作は好事家専用の良作と言って良いと思います。とにかく面白いですが絶対に一般受けはしませんし、なによりアイドル映画視点を持っていないと結構つらいと思います。演技力は全員お察し下さいレベルですし、話しも無茶苦茶です。でもあまりに弾けすぎていてむしろ物凄く熱気・スクリーン圧力のある作品になっています。DVDが出るかもわからない作品ですので、お近くの方は是非映画館で見てみて下さい。オススメです!!!

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わたしを離さないで

わたしを離さないで

ようやく原作を読み終わりました。先週の日曜日に見たのは

わたしを離さないで」です。

評価:(96/100点) – 原作の世界観を利用した極上のラブストーリー


【あらすじ】

キャシー・Hは28歳の介護士である。彼女は提供者の安らかな最期を看取りながら、昔を振り返っていく。それは「ヘールシャム」という幻想的な学校で育った思い出だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 1978年、ヘールシャムでの思い出。
 ※第1ターニングポイント -> トミーとルースが付き合い始める。
第2幕 -> 1985年、三人のコテージでの思い出。
 ※第2ターニングポイント ->
第3幕 -> 1994年、現在。


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【感想】

原作を読んでいて一週間遅くなりました。先週の日曜日は「わたし離さないで」を見ました。原作はご存じ日本の生んだイギリス人ブッカー賞作家・カズオ・イシグロ。昨年の東京国際映画祭でも上映されていましたが、当日券目当てで朝8時に窓口にならんだらもう完売してました。当時は「カズオ・イシグロの作品がついに」っていうよりは「若手俳優の有望株が豪華集合!」みたいな扱いだったと記憶しています。公開2日目だったのですが、そこまでお客さんは入っていませんでした。たぶんこの一週間でだいぶ評判にはなっていると思いますが、勿体ない事です。
本作を見ていると、これは確かに俳優力が半端でなく凄いことになっていると分かります。一種のアイドル映画と見られないこともありません。ですが、それ以上に、本作はすばらしい純愛映画に仕上がっています。この「純愛映画」と言う部分がこれ以降書くことのキーワードです。アメリカやイギリスでの評判を見ますと、この「純愛」成分が賛否両論の的になっています。つまり、「原作と全然違うじゃないか」という不満が原作ファンから挙がっているんです。原作付きの作品にはある程度仕方が無いことですが、私は原作を映画の後に読んでみてそれでもこの映画は最高に上手く脚色していると思います。
ここで例によって注意があります。本作はSFラブストーリーですが若干のミステリー要素も含んでいます。個人的には世界観のネタバレについては全く問題ないと思いますし、実際、映画の冒頭2分ぐらいの「匂わせ」でSFファンならすぐ理解できる程度の内容です。原作者のカズオ・イシグロ氏も「ミステリーのつもりで書いたワケじゃないけど、発表後に読者に言われて気付いた。」と語っていますが、やはりネタバレによって幾分か面白さが減ってしまう可能性はあります。肝心の部分については書きませんが、もし完全にまっさらな状態で観たい方は、ここから先はお控え下さい。

作品の世界観

本作について書こうと思いますと、やはりまずは世界観と原作について触れなければいけません。正直に申しますと、世界観については本来なら予告編や公式のあらすじでバラしてしまっても良いと思います。というか本作の一番の肝はこの世界観の設定の部分なので、ここを説明しないと面白さがまったく伝わりません。この辺りがいつもの「SF作品はお客さんが入らない」という例の宣伝方針なのかな、、、とちょっと複雑な気分になります。
さて、本作は今現在2011年から見て過去の話しになります。そして映画の冒頭で一気にダイアログによって世界観が説明されます。
1952年、科学技術の発展によってそれまで不治の病とされてきた病気が駆逐され平均年齢が100歳を越えます。そしてその中で、提供者と呼ばれる人々を育てる学校が各所に建てられます。作品はその中の一つ「ヘールシャム」で育った仲良し三人組をメインに語られます。
本作の世界観は「臓器提供のためだけに”造られた”クローン人間達」の人生を描きます。原作にしろ映画にしろ、この世界観を設定したことですでに「勝ち」です。
まったく同じ世界観に大味馬鹿映画でお馴染みマイケル・ベイの「アイランド」があります。しかし本作は「アイランド」とは”人生”についての解釈が180度違います。「アイランド」は不条理な一生を余儀なくされたクローン人間の復讐・逆襲を描きます。つまり「被差別層の最終目標は自身が差別層と入れ替わることである」という価値観をストレートに描きます。一方で本作のクローン人間達は常に達観しています。彼女たちは幼少時より隔離された世界で育てられ、自身の人生を「そういうものだ」という前提として受け入れています。そして受け入れた上で一生を”普通に”送っていきます。
言うなれば、本作におけるクローン人間・臓器移植という設定は「人生をギュッと圧縮するための設定」なんです。本作のクローン人間達は成人すると「通知」と呼ばれる手紙が来ます。そして自身の臓器を提供します。最高でも4回、通常は2~3回目の提供手術でクローン人間は亡くなります。このとき大抵は30歳前後です。一方、その臓器を提供された「普通の人間」は、移植によって100歳近くまで生きることが出来ます。つまり寿命という点では非常に両極端な事態になっているわけです。
肝は、クローン人間達の寿命が極端に短いからといって一生が薄いというワケではないという点です。彼女たちはまさしく普通の人間が送るのと同じような一生を、ギュッと圧縮して送るわけです。幼少時は学校で保護者達に守られた生活を送り、次は同年代の人間達のみで共同生活を送り、そして成人して一人暮らしをしながら仕事をし、通知を受け取ってからは臓器提供を行うことで体が思うように動かなくなり、ついには一生を終えます。これはモロに幼少期→青年期→成人期→老年期のメタファーです。
本作はSF設定を用いることで人間の一生を擬似的に圧縮し、それによって「否が応でも迫ってくる人生の不透明性/不条理性」を浮かび上がらせています。
昨年末の「ノルウェイの森」の時にちょっと書きましたが、これはまさしく1960年代的な純文学要素をもったSFそのものです。原作「わたしを離さないで」は、新しいような古典的なような、懐かしさをいれつつ今風のポップな文体に起こした大傑作だとおもいます。

映画における脚色の妙

さて、前述のように「わたしを離さないで」は人間の一生を圧縮して見せています。原作において、キャシー・Hは一生を多感に過ごします。幼少時には無邪気なグループ間の争いやイジメ的なものも目撃しますし、青年期には一夜の遊びも何度も経験します。成人期には仕事に没頭しつつもストレスや学閥による嫉妬も経験します。まさしく私達が送るであろう人生そのものを経験します。
一方、映画版においてはその描写は恋愛要素に大きく偏っています。キャシー・Hは幼い頃より好きだったトミーをずっと思い続けます。なかなか自分に振り向いてくれないトミーを見ながら、それでもずっと一生を送っていきます。映画版におけるテーマはここです。「人生は怖い」「いつかは終わりが来てしまう」「もしその恐怖に対抗できるとしたら、それは愛だけである」。本作のクライマックスにくるエピソードはまさしくこれを表現しています。そして、クローン人間達の人生が圧縮されていることで、この「愛」が相対的に長くなり、それが「純愛」要素を帯びてくるワケです。ファンタスティックMr.FOX的な表現をするなら、「人間時間で15年、提供者時間で70年の恋愛」です。
これによって、本作はもの凄い大河ロマン的な恋愛ストーリーとなります。私はここの部分において映画版は原作を越えているとさえ思います。大河ロマンになることで、最終盤にふとキャシー・Hが見せる涙が、それまで達観していた人生からふと漏れ出して見えるわけで、これこそ一生の不条理性を強烈に印象づけます。しかもそこに人生の不条理を絞り出すブルース調の「Never let me go」と、まだそれに気付いていない無邪気で無垢な少年少女達による「ヘールシャム校歌」がかぶさってくるワケです。
まぁ泣くなって方が無理です。

【まとめ】

本作はキャシー・Hという内気な女性の一代記になっています。そしてそれがとんでも無いほどの魅力を放っています。ですので、当然演じるキャリー・マリガンのアイドル映画として見ることも出来ます。そう、本作は1年かけて大河ドラマでやるような「女性の一代記」をわずか100分に濃度そのままで超圧縮しているんです。この恐るべき編集力と脚本力はどれだけ褒めても褒めきれません。小説版にでてくる脇役達も大きく削り、メインの三人組に集中したのも上手い脚色です。しかもそれでいて端折っている感じはありません。きちんと100分で完結しています。アンドリュー・ガーフィールドも神経質で多感な少年をすばらしく演じていますし、キーラ・ナイトレイの悪女っぷりも最高です。
これは心の底から是非映画館で見て欲しい作品です。確かに原作をゴリゴリのSFとして読んだ方には若干甘ったるい印象を与えるかも知れませんし、そこで違和感を感じるのも分かります。しかし、ここまですばらしく纏まったラブストーリーはなかなか見られません。かなりのテンションでオススメします。とりあえず、この1本!

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ツーリスト

ツーリスト

今日は新作2本です。

1本目は「ツーリスト」です。

評価:(10 /100点) – こ、、、これは、、、Vシネマか?


【あらすじ】

アレクサンダー・ピアースは詐欺師にして7億4400万ポンド(=約1000億円)の脱税を行う国際指名手配犯である。彼の恋人であるエリーズはフランス警察に完全マークされていた。ある日、いつもの喫茶店で朝食を取っていたエリーズのもとにアレクサンダーからメッセージが届く。指示通りにイタリア・ベニス行きの列車に乗ったエリーズは、そこでアレクサンダーと似た体型の男に声を掛ける。彼はアメリカ人で失恋旅行中の冴えない数学教師だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリーズの逃亡。
 ※第1ターニングポイント -> 電車内でエリーズがフランクに声を掛ける。
第2幕 -> フランクの災難
 ※第2ターニングポイント -> エリーズがフランクにカミングアウトする。
第3幕 -> エリーズの囮作戦。


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【感想】

今日の1本目はツーリストです。本国では興行的に爆死し、さらには買収してまで推したゴールデングローブ賞ではあまりの出来にミュージカル・コメディ部門でノミネートされるという赤っ恥までかいた問題作ですw
とはいえ、今週公開作の中では間違いなくポップな作品ですので、結構若い方を中心にお客さんは入っていました。学生の内はもっとちゃんとした映画を見た方がいいですよ、、、。
本作はフランス映画「アントニー・ジマー(2005)」のリメイクとのことですが、私はオリジナル作品は未見です。前知識をまったく入れない状態で見に行きました。
で、、、率直に言うと、、、、これは無い。根本的に役者の”格”が主役2人とそれ以外で開きすぎているため、開始早々にオチがわかりますw そしてそのオチを最後の最後まで引っ張るものですから、なんか終始微妙な気持ちで見ることになります。端的に言うと超眠いw
もちろんディモシー・ダルトンは有名ですが、正直”格”っていう意味ではちょっと、、、、。
ということで、本作は最初っから話しがあって無いようなものです。ですので、これはもうアンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップを見るためだけの作品なわけです。ところが、これがまた微妙なんです、正直。
アンジーはものっすごいマスカラの厚化粧で正直老けてますし、ジョニデもおどけ方が完全にジャック・スパロウのそれなのでセルフ・パロディにしか見えません。途中でジョニデが屋根の上をふらふら走るシーンがあるんですが、肩をすぼめて乙女走りみたいな格好をするのがまんまジャック・スパロウです。すっごい安っぽいんです。しかもちょっと太っちゃってます。このスター2人しか見所がないのに、肝心の2人が微妙に撮れているので、、、、、誰得って言葉が頭をグルグル回りますw
結果としては、「楽しかった!!!!」みたいな幸福感とはほど遠い「あぁ、、、、、あぁ、、、、。」というやっちまった空気が残ります。話しが適当で有名な男女スターがワイワイやるだけのサスペンスというのはツタヤにいけば山のように置いてありますが、それらと違い爽快感が決定的に欠けています。スリラーなのにロクなピンチもないため、カタルシスが一切ありません。アンジーとジョニデがスターそのままで適当に活躍して、適当にくっついて、適当に終わります。見ていてどんどんどうでも良くなってしまいました。
本作を映画館で見るぐらいならツタヤに行ってサスペンスのコーナーを漁った方が有意義だと思います。デートムービーとして時間つぶしにするぐらいでちょうどいいのでは無いでしょうか。積極的なオススメはちょっと厳しいです。

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イップ・マン-序章-

イップ・マン-序章-

日曜日の3本目は

イップ・マン-序章-(葉問)」です。

評価:(90/100点) – ヘンテコな歴史風アクション映画の傑作。


【あらすじ】

中国の佛山は武家(=道場)が乱立するカンフーの盛んな地である。武家通りには多くの道場が開かれ切磋琢磨している。1935年、佛山に金山找と名乗る道場荒らしが現れる。数々の武家を破り最強を自負する金山找だったが、茶屋の主人に「佛山最強の葉問師匠を倒さずにどうする」と挑発され、葉問の家を訪ねる。しかし葉問は道場を開かず、妻と幼い一人息子に愛想をつかれながらも自己修練に励む日々を送っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 葉問と廖師匠。
 ※第1ターニングポイント -> 佛山に金山找が現れる。
第2幕 -> 金山找の道場破りと葉問。
 ※第2ターニングポイント -> 1937年、日中戦争が勃発する
第3幕 -> 日本占領下の佛山と三浦将軍の武芸修練。
 ※第三ターニングポイント -> 葉問が日本人空手家10人をまとめて倒す。
第四幕 -> 葉問vs三浦将軍


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【感想】

日曜の3本目は「イップ・マンー序章ー」です。新宿武蔵野館の夕方の回でしたが、キャパ133人で100人近く入っていたでしょうか。「イップ・マン2」よりも入っていました。「イップ・マン2」に武蔵野館で5,000人入ったら「イップ・マンー序章ー」を公開するという元も子もないキャンペーンをやっていまして、その結果の本作上映です。本当に5,000人入ったのかは知りませんが(笑)、フィルム1巻なら公開してペイできると見込めたというのは非常に大きいと思います。

一応前提:そもそもこれは事実ではない

まず第一の前提としてそもそもこの話は「伝記物」っぽい体裁の完全フィクションです。本作は「伝記物」の雰囲気を見せながらナショナリズムを喚起する作りになっています。プルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」等を見ていれば戦時中~戦後すぐを舞台にした香港カンフー映画で嫌味な日本人が敵役なのは常識です。確かに渋谷天馬演じる佐藤はあまりにあんまりというか、「出っ歯でカメラぶら下げてるチビな日本人像」そのまんまでちょっと腹立つんですが、映画の出来とは関係無いので政治的な部分は目を瞑りましょう。あくまでも「イップ・マン2」のあまりにあんまりな調子扱いてる白人・ツイスターを見るときのような生暖かい目で微笑ましく見ましょう。
一応、葉問の本当の略歴をざっとまとめておきましょう。
葉問は1893年、広東省・佛山の裕福な家庭の次男として生まれます。兄と姉が1人ずつ、妹が1人の6人家族です。13歳で陳華順師匠の詠春拳に入門します。15歳で香港に引っ越すと、セント・ステファンズ高校というお坊ちゃん学校に入学します。10年後の1918年、葉問は佛山に戻り警察官になります。そして警察官の傍ら、仲間に内々で詠春拳を教え始めます。そしてこの内弟子達が広東省に散らばり、詠春拳葉問派を広げていきます。
1937年に日中戦争が始まると、彼は家族と共に弟子の一人・郭富(クォック・フー)を頼り疎開します。そして1945年、終戦と同時に佛山に戻り警察官に復職します。しかしわずか4年後の1949年、中国内戦で共産党が南京を制圧すると、裕福だった葉問は共産党に財産を没収されてしまいます。路頭に迷いかけた葉問は、学生時代を過ごした香港へ逃げます。当時内戦後の食糧難で物価が高くなっており、香港に来たものの葉問は大好きなアヘンが買えませんでした(苦笑)。そこで彼はついに内弟子だけでなく本格的な詠春拳の道場を開き収入を得ることにします。この時葉問は56歳。「イップ・マン2」の舞台はまさにここです。ドニー・イエンが若すぎてピンと来ませんけど。 ちなみに「イップ・マンー序章ー」や「イップ・マン2」で葉問が吸ってたタバコっぽいものはアヘン入りですw
いろいろ弟子をとったり香港詠春拳体育会を設立したりとかありまして、1972年にガンで亡くなります。79歳でした。
ということで、本作のように1937年の日本占領下の佛山で葉問が誇りをかけて戦うというのは全くのファンタジーです。実物はその頃にはいち早く弟子の所に逃げています。この辺りをもって「中国共産党のプロパガンダ映画だ!」と非難するのはたやすいですが、本作はあくまでもエンタテイメント映画です。それは宇宙戦艦ヤマトに「65,000トンの巨大軍艦大和が空を飛ぶわけないだろ!」というのと同じなので気にするだけ野暮です。
あくまでも本作は葉問というカンフー界の有名人を題材にして、それこそ「ドラゴン怒りの鉄拳」がそうであったようにナショナリズムという分かりやすく燃える展開をベタに乗せた作品です。

テーマは一緒。語るスタイルが別。

いきなりですが、実は本作の内容は「イップ・マン2」とあまり変わりませんw 両作品ともに最終的には友情と愛国心のためにイケ好かない外人をぶちのめします。違いがあるとすれば、「イップ・マン2」が「ロッキー4/炎の友情」と同じプロットでそのまんまハリウッド映画の作りをしているのに対して、「イップ・マンー序章ー」は前半・後半でガラッと話しが変わるヘンテコな構成になっている点です。
本作の前半・道場荒らしの件と後半・三浦大佐の件はまったく別物でなんの繋がりもありません。ですが、それを「日中戦争」という歴史的事件に乗せることで「歴史物」っぽさを演出しています。適当な歴史年表をググって見てもらえれば分かりますが、歴史年表はいわゆるストーリーの本筋としての事件の他に直接本筋とは関係無い事件がちょくちょく挟まってきます。この年表の雑多煮な感じと、前半・後半でガラッと話しが変わる感じが非常に相性が良いです。言うなれば年表の箇条書きを見ている感覚です。「1935年、佛山に道場荒らしが現れる。」「1937年、日中戦争が勃発する」というような事です。
ストーリー構成としてはヘンテコながら、この「本当の歴史っぽい」という一点において、この構成は大いに効果的です。
さらに本作は時間軸とイベントの配置が見事です。前半の舞台は言うなれば活気あふれる「ヤンチャな佛山」です。ここでは夫婦漫才的なギャグがどんどん入ってきますし、悪役として登場する道場破りの金山找もコミカルで熊さんっぽい魅力を放っています。画面は彩り豊かで、爆竹や青空が花を添えます。
しかし、これが後半になると一転して超シリアスな展開になっていきます。ギャグが入る余地は無く、色あせて粉塵が舞う黄色い荒廃した佛山が舞台の大半を占めます。室内のシーンでも全体的に暗く黒く、画面からは否応なく鬱屈したプレッシャーがにじみ出てきます。そしてこの鬱屈に合わせて、どんどん葉問も感情を表情に出すようになります。前半では全く無かった葉問が怒鳴り散らすシーンが繰り返され、彼のカンフーも寸止めではなく実戦仕様で相手を破壊するようになります。こういったスクリーン自体が鬱屈した中にあって、ラストのあるイベントの直後から急に画面に色が戻り始めます。その見事さとカタルシスたるや並のアクション映画ではありません。
歴史物っぽさと相まって、気付いたら「佐藤なんざやっちまえ!!!」と葉問を応援しています。で、ふと我に返って「あれ?なんだこの反日描写。チッ。」とかなるわけですw

【まとめ】

前述したように本作はあくまでもフィクションなので日本人に対する犬畜生的な腹立つ描写は気にしないのが一番です。三浦も佐藤も「敵役」以上の何者でもありませんから。ただ冷静に考えると「三浦って普通に弱くね?」とか、「葉問師匠が武器を練習する描写がないのに棒術上手すぎじゃね?」とか気になるところは出てきてしまいます。
これは推測ですが、「イップマンー序章ー」で比較的真面目な「伝記風アクション映画」をやってヒットしたため、続編「イップ・マン2」ではより分かり易くエンタテイメント性を重視したキャラもの作品にしたという流れだと思います。見やすさで言えば「イップ・マン2」の方が格段に上ですが、見易いというのは「話しが軽い」というのと表裏一体なので(苦笑)、是非どちらも見ていただきたいと思います。
そしてさすが柔道・黒帯の池内博之。もう日本の男子若手アクション枠はアンタに任せます!!!! G.J. !!!!!
オススメかって言われれば、そりゃもうオススメしないわけにはいきません。とりあえず「孫文の義士団」の前にドニー・イエン分を補給しておきましょう。オススメです!!!

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KG カラテガール

KG カラテガール

今日の3本目は

「KG カラテガール」です。

評価:(30/100点) – 不満ばっかりなので次作に期待!


【あらすじ】

伝説の空手家・紅宗次郎の末裔・紅達也は謎の男達の道場破りに会い、次女・菜月を攫われ自身も殺されてしまう。なんとか生き延びた長女の彩夏は池上家にやっかいになり、池上彩夏として紅家に伝わる宗次郎の黒帯を守り続ける。
それから数年後、高校生になった彩夏はバイト先でひったくり犯を撃退したことで「スーパー空手少女」としてニュースになってしまう。彩夏が生き延びていることを知った謎の集団のボス・田川は、彩夏へ刺客を放つ、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 彩夏がひったくり犯を撃退し有名になる。
 ※第1ターニングポイント -> 彩夏が二人組に襲われる。
第2幕 -> 彩夏とサクラ。
 ※第2ターニングポイント -> サクラが田川の人質となる。
第3幕 -> 菜月の救出。


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【感想】

本日の三本目は「KG カラテガール」です。T-JOY作品ですので、自社のバルト9とブルグ13のみでの公開となります。初日のレイトショーですがまぁまぁ人が入っていました。主演はハイキックガールの武田梨奈。監督はハイキック~で脚本だった木村好克。アクション監督で西冬彦。キャストも殺陣は大志塾門下が出演で、ほぼハイキックガールの陣容そのままです。続編ではないですが、西冬彦組の一連のカラテ作品の最新作です。
結論から言ってしまいますと、本作はダメダメですw これより書くことはダメ出しばっかりになるとおもいますが、でもこれは期待の裏返しです。間違いなく武田梨奈は日本アクション界の期待の星です。可愛いですし、十分に動けます。そしてきっちりエンディングを歌うなどアイドルとしての佇まいもできています。だから、是非、この素材をフル活用して素晴らしい作品を撮って欲しいんです。今から書くことはアクション馬鹿からの提言というか(苦笑)、アクション映画の面白さの肝の部分になります。

提言その1: アクションでキャラクターを語れ!!!

本作で一番の肝はここになります。アクションはただ戦えばいいというわけではありません。アクションはキャラクター描写の一種であり、立派な演技なんです。例えば先日見たドニー・イェンの「イップマン2」を例に見てみましょう。
イップマンは詠春拳を使います。詠春拳は守りのカンフーであり、空手の「三戦立ち」のように内股気味で正面に構えます。攻撃は適切な時に適切なタイミングで最小限のカウンターを入れます。技は拳が中心となり、足技は相手の動きを制するため、遠い間合いから牽制したり相手の攻撃をかいくぐる際に使用します。この一連の型は、イップマンの平和主義と直結しています。イップマンは決して自分から手を出す人間ではなく、普段は至って温厚で低姿勢です。詠春拳はこのイップマンの性格・理念を体現しています。
このように、アクションとはその動きでキャラクターの性格や理念を表現するものです。力任せの攻撃を行う人間なのか、それとも守りを中心にカウンターで制するのか。足技を多用するのか、拳を多用するのか。正々堂々とした攻撃を使うのか、卑怯な手段を使うのか。とにかく勝利にこだわるのか、勝利よりも礼節を重んじるのか。その動き全てがキャラクターを表さなければいけません。「この人物ならばこういう動きをするはずだ」という物であり、逆に「この動きをするのだからこういう人物に違いない」という物です。
本作では、アクションが一切キャラクターを表しません。敵も味方も似たように飛び跳ねていますし、似たように踏み込んできます。これは本当に残念です。キャラクターを表さないアクションは、もはやただの「演舞」です。これでは例え動きが良くても映画作品にはなりません。

提言その2: アクションでストーリーを語れ!!!

前項にも通じますが、アクションはキャラクターだけでなくストーリーも語る物です。
本作では田川は傭兵集団のボスで「宗次郎の黒帯」をブランドに仕事をしています。しかしそれ以外の具体的なことは何も描写がありません。作中において一番意味が分からないのは「結局田川とは何者なのか」という部分です。それは田川側のアクションに一貫性と特徴がないからです。例えば、田川側の刺客たちが「田川流」的な技を使いさえすれば、この作品は「田川流」と「紅流」の抗争の話なのだと一目で分かります。また、もし田川本人が戦うシーンがあって、そして紅流のあの独特の構えを使いさえすれば、それは十分ストーリーの説明になります。田川が紅流というブランドを奪おうとしている表現になるからです。
ですが、本作には前述のようにアクションに特徴がありません。アクションとストーリーが完全に分離してしまっていますので、アクションパートではストーリーが前に進みません。唯一ストーリーのあるアクションは海沿いでの姉妹の一騎打ちです。ここでは、2人が同じ型を使うことで姉妹だと気付くという描写があります。この積み重ねがないため、90分しかない上映時間が長く感じてしまいます。

提言その3: アクションは主演のプロモーションタイムと心得よ!!!

アクション俳優とアイドルは紙一重です。というのもアクション俳優は演技力よりもアクション力を重視されるため、より俳優本人の魅力・技量がストレートに表れるからです。ですから、アクションシーンは主演俳優のプロモーション的な要素が強くなります。衣装であったりシチュエーションであったり、アクションシーンに物語り上とは別の「テーマ」を設けることが肝心です。
では本作の彩夏のアクションを順を追って見てみましょう。
最初のアクションはひったくり犯との対決です。ここは顔見せ程度であり、素人相手に圧倒的な強さを見せます。
次いでのアクションは額のペットボトルを蹴り飛ばす模擬シーンです。これは彩夏のハイキックの高さと正確さを見せています。
その直後がサクラと武田一馬との2対1の対決です。ここがひったくり犯とのアクションと同じ構図でレベルを上げた物です。
次がサクラとの一騎打ちです。ここは前述のようにお互いが同じ技を出し合って相打ちになるシーンです。
次はもう本拠地に乗り込みます。乗り込み先で1対1の空手戦、1対多数の乱取りの後、ヌンチャクで木刀相手に戦います。ここが本作で唯一武器を使うシーンです。
最後にいかつい外人リチャード・ウィリアム・ヘセルトンとの1対1から菜月が援護にはいった1対2の戦いです。ここでは劇中で唯一の姉妹連携が見られます。
とまぁ羅列してみるとわかるように、パターンが少なすぎますw すべてのアクションは平らな床の上でおこなっており、地形や施設を利用した戦いがありません。武器もヌンチャク対木刀が1回、それも1分ぐらいで終わってしまいます。本作は武田梨奈のアイドル映画でもあるわけですから、彼女の能力を知らしめないといけません。だからもっと戦いのバリエーションを増やして「武田梨奈ってこんな事もできるんだ」というプロモーションをするべきです。本作では空手家・武田梨奈の魅力の半分も伝えられていません。

【まとめ】

残念です。ただただ残念です。正直な所、ドグーンVで私は一気に武田梨奈の魅力にやられました。だから本作もかなり期待していたんです。ところが蓋を開ければ、、、本当に残念です。疑問なのは、本作のスタッフ(=ハイキックガールのスタッフ)は本当にアクション映画が好きなんでしょうか? どうもアクションに愛が感じられないというか、「アクション映画」という一種のジャンルムービーの肝が分かっていないような気がしてなりません。とはいえ、武田梨奈は文句なく可愛いですから、彼女のファンはとりあえず押さえておくに越したことはありません。ただし、間違っても傑作や良作ではありません。つまらない映画だという前提で、是非将来のアクションスターへの投資だと思って見に行ってもらえるといいかなと思います。小声でオススメします。

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