しあわせの雨傘

しあわせの雨傘

日曜日は

「しあわせの雨傘」を見ました。

評価:(45/100点) – 話は酷いが女優のオーラで全てカバー。


【あらすじ】

スザンヌ・ピュジョルは資産家の娘として生まれ結婚して30年、つまらない日常をジョギングと詩とテレビ番組で送っていた。婿養子の夫・ロベールはスザンヌの父から継いだ雨傘工場でやりたい放題やっている。
ある日、労働者達のストライキを諫めにいったロベールは逆に社長室に監禁されてしまう。何とか解放したものの、ロベールは興奮のあまり持病の心臓病の発作を起こして倒れてしまう。労働組合との会合にでるため、今まで「お飾り」として生きてきたスザンヌがついに重い腰を上げる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ストライキとロベールの発作。
 ※第1ターニングポイント -> スザンヌが代役として会合に出席する。
第2幕 -> スザンヌ社長の手腕。
 ※第2ターニングポイント -> 臨時株主総会。
第3幕 -> スザンヌの選挙。


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【感想】

日曜日はフランスの名女優カトリーヌ・ドヌーヴ主演の最新作「しあわせの雨傘」を見て来ました。実は去年の東京国際映画際のセレモニーで一番嬉しかったのが、本作で来場したカトリーヌ・ドヌーヴと(ソーシャルネットワークで来場したけど)ゾンビ・ランドの主演ジェシー・アイゼンバーグを生で見られたことでした。
自分は未見なのですが、「徹子の部屋」にドヌーヴが出てたりしたようで、結構中年~老年の夫婦が多数見られました。
本作は簡単に言ってしまえば「抑圧されていたオバさんが調子に乗る話」です。「スイーツ向け」とか「バカOL向け」とかいろんなジャンル映画がありますが、本作はそれよりもう2周りぐらい上の年代向けですw 話としては本当にそれだけでして、特筆するようなことは何もありません。亭主関白で抑圧されていたオバさんが、ふとしたことから表舞台に立ったら実は超やり手で男遊びもやりたい放題のプレイガールだった、、、というすごい微妙なお話しです。
例によって男女を逆転していただくとこの酷さが良く分かると思いますが(苦笑)、まぁでも世の専業主婦達の夢だと言われてしまえばそうかもしれませんので好きにして貰って良いと思いますw
これでもし主演が市原悦子とか浅丘ルリ子だったら観客の男がブチ切れても仕方無いと思いますが(笑)、なにせカトリーヌ・ドヌーヴの持つ強力な母性=人間力によってそこまで嫌味にならないのが凄い所です。そう、話はびっくりするほど酷いのに、全体としては結構面白いんです。これは凄いと思います。できるだけコメディタッチになるように作っているからでもあるんですが、主役のスザンヌがそこまで外道や天才に見えないのは本当に驚くべきことです。そういった意味では(70歳近い大女優に言うのはどうかとおもいますが)間違いなく本作はカトリーヌ・ドヌーヴのアイドル映画です。
2008年公開の「母べえ」で志田未来(当時15歳)の母親役を吉永小百合(当時63歳!)が演じて局所的に話題になりましたが(俗に言う「吉永小百合・不老説」)、フランスにも吉永小百合級の不老不死がいるぞと、そういう事ですw

【まとめ】

一般的にはあんまり好きこのんで見に行くような映画では無いと思いますが、カトリーヌ・ドヌーヴが好きな方は必見の映画です。久々にカトリーヌ・ドヌーヴが前面に出た映画というだけで十分に見る価値があると思います。ただ、できればあまり夫婦では行かない方が良いかもしれません。本質的には都合の良い女性の妄想話なので、旦那様の仕事のモチベーションに多大な支障がでる恐れがありますのでご注意下さいw
平日の昼間に女友達を誘って見に行くのをオススメしたいと思います。

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記事の評価
バーレスク

バーレスク

土曜に見たのは

「バーレスク」です。

評価:(40/100点) – クリスティーナ・アギレラのPVそのもの


【あらすじ】

アリは田舎の鬱屈に耐えかねアイオワからロスへの片道切符を買った。彼女は歌手の仕事を探していろいろなバーを訪れる。ある日、偶然入ったクラブ・バーレスクで彼女はセクシーな女性達が往年の名曲に合わせてダンスパフォーマンスを行う光景に釘付けになる。なんとかバーレスクで働こうとする彼女は経営者のテスにあしらわれながらも何とかウェイトレスとして潜り込むことに成功した、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アリがウェイトレスとしてバーレスクで働く。
 ※第1ターニングポイント -> アリがニッキーの代役でステージに立つ
第2幕 -> アリの大躍進とマーカス。
 ※第2ターニングポイント -> アリがジャックの家を出る。
第3幕 -> 結末


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【感想】

昨日は1本、バーレスクを見て来ました。クリスティーナ・アギレラの初主演作という触れ込みですが、意外と客席は中年女性ばかりでした。とはいえそこまで混んではおらず、お客さんを他作品に取られているようです。
非常に簡単にいってしまえば、本作はクリスティーナ・アギレラというアイドルのPV以上のものではありません。とはいえ、アギレラはきちんと実力のある歌手ですので少なくとも日本に入ってきている情報だけ見ればあまりアイドルっぽい感じではありません。よく1歳違いのブリトニー・スピアーズと比べて優等生扱いされることの多いアギレラですが、本作でもアイオワ出身の垢抜けない隙だらけな感じを存分に出しています。それだけで「アイドル映画としては満点!」と言いたくはなります。
ただ映画としてはとても雑です。まずはBECKでもある「歌っただけでみんな感動」というまたもや生まれつき天才パターンです。とはいえ、きちんと歌唱力に説得力はありますから、そこまで目くじらを立てるほどではありません。あくまでも話としてどうかというぐらいのレベルです。
話の筋自体は大きく2つ、「ジャックとの恋愛話」と「バーレスクの身売り話」です。しかしどちらも大変唐突に決着がつきます。伏線らしい伏線もほとんど無く思いつきとひらめきで解決してしまうためまったくワクワクがありません。
そして肝心の音楽シーンも基本的には劇中で本当に舞台で歌っているシーンですので、いわゆるミュージカルの演出ではありません。つまり音楽シーンの度にストーリーが完全に止まります。ですので、ストーリー部分だけならこの映画はおそらく20分くらいにまとめられるはずですw そしてこの音楽シーン達は「クリスティーナ・アギレラ7変化」という類のまさにPVそのものです。音楽シーンに限っては、「アイオワから出てきた田舎者のアリ」では無く、完全に「世界的ポップスター・クリスティーナ・アギレラ」です。まったく役作り等はしていません。
ですのでミュージカル映画を期待して見に行くと大変がっかりすることになると思います。下手をすれば「NINE」以上にがっかり感が強いかも知れません。しかし、クリスティーナ・アギレラのファンであれば、これはもう絶対に見に行くべきです。約1時間程度の彼女のディナーショーを大音響の映画館でたっぷり見ることが出来ます。本末転倒な気がしないでもないですが(苦笑)、映画初主演という触れ込みに嘘偽りなく、これは彼女のファンのためだけに作られた映画です。
個人的にはオススメしたいのですが、あくまでもアギレラのファン限定という部分と、映画としては退屈という部分だけは念頭に置いておいた方が良いと思いますw
また、最近は「女主人の良き相方」としてのキャラが定着してきたスタンリー・トゥッチが本作でもとても良い味をだしていますので、コチラもオススメポイントです。

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記事の評価
劇場版マリア様がみてる

劇場版マリア様がみてる

今日はレイトショーで

「マリア様がみてる」を見てきました。

評価:(85/100点) – ポスターを見て舐めてました。m(_ _)mペコリ


【あらすじ】

お嬢様学校・私立リリアン女学園に通う一年生の福沢祐巳は、ある日学園のアイドル・二年生の小笠原祥子に声を掛けられる。その場面を写真部の蔦子に撮られた事から一転、祐巳は生徒会演劇に巻き込まれていく。

【三幕構成】

第1幕 -> 祐巳と祥子の写真。
 ※第1ターニングポイント -> 祥子が薔薇様との賭を受ける。
第2幕 -> 演劇の練習と賭け。
 ※第2ターニングポイント -> 祥子が優との関係を祐巳に告白する。
第3幕 -> 結末


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【感想】

本日は「マリア様がみてる」を見て来ました。シネマート新宿は1,000円の日だったからか、公開から一週間経ちますがお客さんは10名ぐらい入っていました。でもほとんど男性ですw

おさらい

今更ですが、一応おさらいをしておきましょう。「マリア様がみてる」は雑誌「Cobalt」に連載されたライトノベルで、1998年開始です。当時はまだそこまでジャンルとして確立していなかった「同性同士だけの閉じた世界の甘やかし合い」の代表格でありブームの火付け役です。とはいえ間違ってはいけないのは、この「マリみて」以降氾濫することになった「ホモソーシャルの馴れ合い」だけを拡大コピーした作品とは違い、少なくとも初期の「マリみて」はきちんとクラシカル少女漫画的な悲壮感・愛憎を描いていたという点です。
舞台は「私立リリアン女学園」という完全に閉じた世界で、ファンタジックな階級社会が形成されています。学園のアイドルとしての生徒会長が3名「赤薔薇」「白薔薇」「黄薔薇」の肩書きと共に君臨し、その見習い2年生が3名、さらにその見習いの1年生が3名で「山百合会」というエリート組織が学園の最上部に構成されます。
そのエリート組織にひょんなことから入ることになる「一般民衆」の福沢祐巳を中心とした「身分ギャップ・コメディ」で物語が展開されます。
作品の中心となるのは「紅薔薇のつぼみ」小笠原祥子とその妹(=見習い)・福沢祐巳の関係性です。片や超お嬢様の優等生で浮世離れした存在。片やリリアンには不似合いなほど庶民的で俗世的な存在(=大半の読者と同じ)。この二人がそういった環境のギャップを越えて友情・信頼を深めるというホモソーシャルが「マリみて」の売りです。
一方作品の構造上、「マリみて」は「レギュラードラマ(=同じ時間を永遠に繰り返す作品。ドラえもん等)」ではなく「ストーリードラマ(=時間が進んでキャラが成長する。)」にならざるを得ません。ですので、いつかはこの「閉じた世界」は壊れてしまうんです。それは祐巳が成長しきった時(=祥子を必要としなくなった時)であり、祥子が卒業する時です。
この構造が限界に達したのが11巻の「マリア様がみてる パラソルをさして」です。この11巻によって、祥子と祐巳の関係性は一種の完成を迎えます。そしてこの時点で作品内での「祥子が卒業するまでの時間」が9ヶ月を切ります。ここに至って、作者・今野緒雪は作品の続きを書けなくなってしまいます。なぜなら、これ以上作品内時間を進めると、世界が壊れてしまうからです。苦し紛れとしてこれ以降は短編が増えていくことになります。短編であれば時間をそこまで進める必要はないですから、限りなく「レギュラードラマ」に近い展開ができるからです。
結局、祥子が卒業する「マリア様がみてる ハロー グッバイ」までに6年間も掛かってしまっています。
ファンとしては残念ですが、少なくとも「マリア様がみてる」の作品寿命は11巻までと考えるのが妥当だと思います。それ以降は、良く言えば「ファンサービス」であり、悪く言えば「蛇足」「延命処置」です。

そして実写版

ようやっと実写映画版の話に行きます。この実写版は原作一巻を元に、「祐巳と祥子」にのみ絞って物語を展開させます。元々が「学校」と「祐巳の家」ぐらいしか舞台の出て来ない話ですが、本作では完全に学園内で完結しています。祐巳の家族は出てきませんし、祐巳の友達もほぼ蔦子のみ。山百合会に至っては祥子と志摩子以外の誰一人、明確に台詞や紹介もありません。白薔薇の二人や令・由乃コンビは原作では相当なファンがついていますが、このあたりの要素は全てばっさりカットしています。あくまでも「祥子が祐巳をスールに出来るか否か」というストーリーのみで転がしています。
私はこの整理は大正解だと思います。というのも、90分程度で話をまとめるのであれば、、、そして映画として3幕構成に落とし込むのであれば、あきらかに祥子の成長をメインに据えるよりほかないからです。原作一巻の肝は、「庶民派の祐巳の影響で、お嬢様の祥子が成長する」という部分にあります。これにより、身分を越えた信頼関係が生まれるからです。最初は「シンデレラをやりたくない(=優と向き合いたくない)」から祐巳を構っていた祥子が、第二ターニングポイントで祐巳に相談することで「私はむしろシンデレラをやりたい(=優と向き合ってケリをつける)」と変化するところが一番大事です。
この実写版ではその肝を中心にして、見事に原作がシュリンクされています。映画化はこの時点で確実に大成功です。
もちろん細かい演出からもきちんと原作を噛み砕いているのが見て取れます。本作における原作からの最大の変更点はラストシーンです。ラストのクライマックスにおける祐巳と祥子の会話が変更され、祐巳の台詞が削られています。本作ではあくまでも祐巳は「自信の無い庶民」として描かれますから、クライマックスのシーンで「あまりのことに声も出ない」というのは映画演出としては正しいです。ここは非常に有名な掛け合いシーンですので変更には相当勇気がいたと思いますが、個人的には良い変更だと思います。
また、BECKの時に書いた「歌を誤魔化す」演出も本作では見事にクリアしています。本作の演劇シーンは「夕暮れ時の教室や生徒会室の風景」と「BGM」と「徐々にフェードアウトする台詞」で誤魔化されます。そしてそのシーンの直後に、蔦子と祐巳の会話で「夢のような日々が終わってしまった」という内容が語られます。つまり、演劇シーンの演出は「祐巳が感じたセンチメンタル/ノスタルジーの表現」になっているわけです。これによって、「誤魔化すため」の演出に作品内で必然性をもたせたることに成功しています。

【まとめ】

大枠では原作に忠実な流れでありながら、きちんと映画にするための整理を行った素晴らしい映画化だと思います。もちろん、キャラクター人気の高い作品ですから、キャストにあれこれ文句は絶対に出ると思います。個人的には鳥居江利子と柏木優のキャスティングは無しですw
冒頭にも書きましたが、ポスターを見るとものすごい地雷の香りがただよってきますw っていうかはっきり書きますと、未来穂香の顔と鼻が丸すぎます。でも本編を見て納得しました。本作では「祥子が祐巳を心より必要とした」のが大事なんです。だから外見がブサイクならブサイクなほど「内面に惚れた」という表現になるわけです。ストーリー上も、「志摩子には外見で判断してスールを申し込んだけれど、祐巳には内面に惚れてスールを申し込んだ」わけですから、志摩子と祐巳は絶妙な顔バランスでキャスティングしないといけないわけですw
もうすでに公開スクリーンが小さくなってきているようですが、お近くで上映している方は是非是非見てみて下さい。かなり意外な掘り出し物です。オススメします!

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エクリプス/トワイライトサーガ

エクリプス/トワイライトサーガ

久々に休日出勤から解放された今日は2本です。1本目は

エクリプス/トワイライトサーガ」を見て来ました。

評価:(30/100点) – 逆輸入的な「日本の少女漫画風アメリカンラノベ」


【あらすじ】

エドワードを取り戻したベラは高校卒業を控え幸せな日々を送っていた。ある日、エドワードの姉アリスがヴィクトリアの気配を予知する。
その頃、ニューブラッドと呼ばれる吸血鬼に成り立ての集団は暴虐の限りを尽くしていた。果たして彼らの黒幕は、ヴィクトリアか、それともヴォルトゥーリ一族か、、、。


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【感想】

本日の一作目は「エクリプス/トワイライトサーガ」です。世界的には大ヒットしているライトノベルですが、劇場はガラガラでした。
概要は前作と同様に「イケメン吸血鬼とイケメン狼男にモテモテ」というだけの物ですので、別にどうと言うことはありませんw ただ、そういった下らない内容であったとしても、さすがはハリウッドという画面のクオリティだけでそれなりに見えてしまうのが恐ろしい所です。本作では前作より一層、ベラが調子に乗っています。なにせ冒頭からエドワードとジェイコブに対して堂々と二股を掛けてきますw しかも2人ともわかっている上でそれでもベラを奪い合います。いいですね、モテモテでw
挙げ句の果てに「私もあなた(ジェイコブ)の事を愛しているけど、エドワードの方が好きなの」と来たもんです。おじさんには若い娘のモラリティは良く分かりません。
面白いと思うのは、こういった「花より男子」的なモテモテ話がキャストが外人になった途端に日本ではヒットしないと言うことです。もしこれで登場人物が日本人だったら、間違いなくこのガラガラっぷりはあり得ません。極端なことを言ってしまえば、こういう妄想系オトメゲー的な物は日本が本場だったりしますから、どうしても「日本のライトノベルっぽいアメリカの小説」という倒錯が日本の女性には中途半端に見えるのかも知れません。
少なくともテレビ局主導で作るマンガ原作邦画よりは確実によく出来ていますので、一見の価値はあるシリーズだと思います。

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隠された日記 母たち、娘たち

隠された日記 母たち、娘たち

二本目は

隠された日記 母たち、娘たち」です。

評価:(65 /100点) – 「FLOWERS -フラワーズ-」がやりたかったはずの理想型。


【あらすじ】

カナダで働くオドレイは、妊娠をきっかけに2週間の休暇を取って故郷のフランスに戻る。祖父が死んだ直後だったため母・マルティーヌはいつもぴりぴりしている。居づらくなったオドレイは、亡き祖父の家に滞在することにする。彼女はそこで、かつて母と叔父を捨てて家を飛び出した、祖母の日記を発見する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> オドレイの帰郷
 ※第1ターニングポイント -> オドレイが乾燥機の裏で日記を発見する。
第2幕 -> 日記と妊娠。
 ※第2ターニングポイント -> 日記をマルティーヌが見る。
第3幕 -> 結末


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【感想】

本日の2本目はフランス・カナダ合作映画「隠された日記 母たち、娘たち」です。文芸系作品にしてはかなりお客さんが入っていました。
本作はいわゆる「母娘もの」の正当な作りをしています。同性の親子3代でまったく同じ悩みを持ち、同じような結末に向かおうとしていきます。本作では祖母の日記と幻と対話することにより、オドレイが祖母に強烈な共感を感じていきます。そして描かれる悩みは「近代的な女性」についてです。いわゆる”働く女性”、結婚をせずやりたいことをやる女性です。かつての保守的なフランス社会の体現者たる祖父に抑圧されていた祖母が残した教えにしたがい、マルティーヌもオドレイも仕事一筋で生きていきます。ここに「ボルベール〈帰郷〉」のようなサスペンス要素が入ります。
っていうか、この作品はまんま「ボルベール〈帰郷〉」です。ボルベールはカンヌの女優賞と脚本賞を取ってアカデミーにもノミネートされた作品ですので、さすがにジュリーロペス=クルヴァル監督が知らないわけは無いです。とはいえ、この形式自体が一種のジャンルムービーですので、そこまで騒ぐことではないとは思います。
面白いのは、こういった「母娘もの」は海外ではわりと定期的にそこそこのものが作られるにも関わらず、日本ではからっきし作れないという所です。 たぶん「FLOWERS -フラワーズ-」だって仲間由紀恵と小雪でコレがやりたかったはずなんです。全然出来てませんでしたがw
ということで、OLの方々にはオススメです!!!!

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トイレット

トイレット

8月最後の映画は

トイレット」です。

評価:(45/100点) – 見やすくはなった荻上ワールド


【あらすじ】

ある日レイの母親が亡くなってしまう。残されたのはレイと、引きこもりで兄のモーリー、学生の妹リサ、そして母が死ぬ直前に日本から連れてきた祖母・バーチャンだった。4人は一つ屋根の下で暮らしながら、交流を深めていく。


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【感想】

8月の最終日は荻上直子の「トイレット」を見てきました。OLを中心にかなりのお客さんが入っていまして、男の私は若干肩身が狭かったです。
本作を語る上ではどうしても荻上直子という監督に注釈が必要になってきます。荻上監督は「ぴあフィルムフェスティバル」のスカラシップ上がりで独特の世界観を作ってくる個性派です。ここから私が書くことはあくまでも個人的な見方ですので、荻上監督の熱烈なファンの方には先に謝っておきます。
荻上監督が「かもめ食堂(2006)」「めがね(2007)」で行ったのは「なんとなくそれっぽい”雰囲気”だけを積み重ねることで生じる”癒し空間”を観客とスクリーンが共有する」ことです。ファンの方には本当にすみませんが、ハッキリ言います。これは新興宗教のミサと同じです。その独特の”癒し空間”にわらわらとメンヘラなOLの方々が引き寄せられる作品ですから、当然彼女たちの作品の評価・満足度は相当に高くなります。しかしその一方で、これは決して普遍的な何かをメッセージとしているわけではありません。だからその他の観客にとっては退屈だったり意味がわからなかったりするわけです。
私の「かもめ食堂」と「めがね」の感想は、一言で言うと「気持ち悪い」です。あまりにも押しつけがましい”癒し”に逆に身構えてしまいましたし、何より周りの女性達の異様なまでの熱気に本当にマズい宗教行事に紛れ込んでしまったような気分になりました。そういった意味では昨年の「仏陀再誕」と同じとも言えます。
さて、その中で三年ぶりの新作である本作です。当然世界観は全二作を踏襲していまして、本当に気色の悪い共同生活が唐突に始まります。引きこもりを舐めているとしか思えないモーリーのキャラ設定に心底腹がたったり、レイのあまりのステレオタイプの「いけてないギーク」っぷりに心底腹が立ったり、リサのいかにもババァの考える「イケイケな白人女子大生 a.k.a ビバリーヒルズ青春白書」っぷりに心底腹が立ったり、そしてバーチャンの「雰囲気だけミステリアスな奇人」な描き方に心底腹が立ったりしたんですが、そういったことはとりあえず置いておきましょう。
本作で全二作から大きな進歩だとおもうのは、とはいえその雰囲気を説明しようとする努力の跡だけは見えることです。つまりいままでは雰囲気だけで完全に流されていった不思議設定達に、ちょっとは意味らしきものを深読みして汲み取ってやれないこともないくらいにはなっているということです。なので、腹は立ちますが決して「まったく意味不明」というわけでは無く、「意味はあるけど下らない」というぐらいには良くなっています。全然褒めてませんがw

【まとめ】

間違いなく荻上ワールドの中では見易い(=嫌悪感が少ない)作品になっています。前2作を観ていない方は、是非「荻上ワールド入門編」としてご覧になると良いかもしれません。でもくれぐれも「癒し空間」の勧誘にだけは乗らないように注意しましょう。そこはフォースのダークサイドですw

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東京島

東京島

本日は新作1本、

「東京島」です。

評価:(3/100点) – サバイバルしないサバイバル映画。それすなわちピクニック。


【あらすじ】

清子は結婚10周年の記念旅行中に船が遭難し無人島に漂着する。すぐにフリーター男の一群と中国人密航団も不時着する。すぐに清子の夫・隆はガケから転落死し、新たにフリーターの中からカスカベを夫にするも彼も転落死。そんな中で、清子は無人島で唯一の女性として優雅な生活を満喫していく。


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【感想】

今日見たのは新作映画の「東京島」です。宣伝もバリバリやっていますし、結構人が入っていました。個人的にはサバイバルものだと言う点と、敬愛する大友良英さんが音楽をやられていると言うことで楽しみだったんですが、、、、これは無い。あまりにもすごい内容に呆れるよりはちょっと楽しくさえなってしまいました。
ちょっとここでお断りですが、私は原作本を読んでいません。なので、ストーリー部分については100%映画のせいではなく原作がそもそもおかしいということもあるかも知れません。申し訳ございませんが、比較はしていないため原作ファンの方はご勘弁ください。

無人島ということ。サバイバルということ。

無人島ものと聞きますと、最近では「LOST」を思い浮かべる人が多いかも知れません。私もテレビを全然見ないくせに「LOST」はDVDで全部見てるんですが、あれはどんどんソープオペラになっていきはするものの、サバイバルものとして最低限のお約束は守っていました。
さて、無人島サバイバルでの最低限のお約束とは何でしょう?
・ 外部との交信が困難であること。ただし不可能ではない。(←このわずかな交信で最後脱出するため)
・ 食料は工夫次第で採れるが、決して潤沢でないこと。
・ 武器は限られていること。
・ 全員が脱出することが困難であること。
・ 政治力と武力・知力を駆使して派閥が出来ること。
こんな所でしょうか。大切なのは、無人島で助けが来ないかも知れないという「極限状態」に直面して、登場人物達が追い込まれて「人間の本性」が浮き彫りになってしまうことです。だから私たち(と断言しますがw)はサバイバルものが大好きなんです。

本作の最低な所。

本作で最低なのは、このサバイバルという緊張感や危機感がまったくすっぽり抜けていることです。つまり、こいつら楽しそうなんです。あのね、、、楽しかったら脱出しなくていいじゃんw 暮らせよ、そこで。
まぁ本当に住んじゃって困るんですがw
本作では食料がわりと潤沢に採れているんです。一応セリフでは「豚肉なんて滅多に食べられないのよ。」とか言うんですが、そのわりにスクリーン上では年中食べてます。だから食料の取り合いがありません。つまり「食料の枯渇」=「生命の危機」が存在しないんです。だから崖から落として殺した後放置したりするんです。本当のサバイバル環境では、人間という高カロリー高タンパクの肉を捨てることはしません。大岡昇平の「野火」とか武田泰淳の「ひかりごけ」をちゃんと読んでください。
この食料問題からはじまり、本作では一切人間の狂気が描かれません。描かれるのは超良い人ぞろいの漂流者達と、その中であくまでも自己中心的で独善的に振る舞い続ける勘違い女のやりたい放題さです。
清子を除いて良い人たちすぎるんですよ、皆さん。だから秩序の保たれた生活を営めちゃってるんです。すなわちサバイバルではないんです。生き残るための努力が描かれないんです。この時点で、これはもうピクニックでしかないんです。
それは恐ろしい事に劇中に登場する「日本人vs中国人」にも現れます。そもそも対決してないですし。まったくいがみ合うことがないんです。なぜなら、日本人側は魚と果実を採って元気いっぱいですし、中国人側は豚を養殖して不自由なく生活しているからです。
このように根本的なこと(=生命の危機)ができていないから、イベントがスムーズに起きないんです。その結果、全てのイベントは清子の身勝手さから発生するという目も当てられない展開を生みます。そしてそれをやっちゃうと、どんどん清子は嫌な奴に見えてくるわけです。

本作の最低な所2 窪塚という狂気を生かせていない。

本作でほとんど唯一の曲者として存在するワタナベ(窪塚)は、しかしその狂気を一切生かすことなく脱出してしまいます。
本作の構造をおさらいしましょう。東京島には3派閥が存在します。日本人、中国人、そしてワタナベです。ワタナベは一人我が道を行く人間で、途中で中国人に荷担したりもします。彼は東京島の秩序におさまらない人間であり、唯一の”異物”なんです。だから構造上は彼が脱出の鍵を持っているはずなんです。そして実際に彼は鍵を持っていていち早く脱出します。ところが、彼の脱出がその後、残された人間に何の役にもたたないんです。本来であれば清子は彼の脱出方法を解き明かして、その方法で最後脱出しないといけないんです。ところが、彼女が脱出できるのは完全な運です。その時点でもう話を積み重ねる気が無いんです。
残念ですがこのストーリーはサバイバルとしても映画作品としても最低限の起伏が書けていません。

【まとめ】

サバイバル・スリラーかと思って見に行ったらババァが調子こく話だったという、、、もうね。やはり現代の邦画界でまともなスリラーは作れないんでしょうか? もしまともなスリラーを期待していくならば絶対に止めた方が良いです。というか何かを期待していくならば絶対に止めた方が良いですw ということで無かったことにしましょう。
※ 余談ですが大友さんは相変わらず良い音楽を作っています。ちょっといつもより手抜きっぽいですが、まぁこの映画じゃ仕方無いかなぁと。完全に無駄使いです。

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ハナミズキ

ハナミズキ

本日の2本目は

「ハナミズキ」です。

評価:(1/100点) – テレビでやれ。


【あらすじ】

釧路に近い北海道の港町。水産高校に通う木内康平は、免許筆記試験の日、自動車教習所に向かう途中の電車が止まってしまう。そこで同じく早稲田大学の推薦試験のために急いでいた平沢紗枝を連れだって、親戚の自動車を盗んで高校に向かうが、スピード違反したあげくにハンドル操作を誤って事故を起こしてしまう。
停学を食らった康平だったが、なぜか紗枝からは感謝され急接近。紗枝は康平からの励ましで早稲田の文学部を受験する事を決める。やがてつきあい始める2人だったが、紗枝が早稲田に受かって上京することで遠距離恋愛になってしまう。紗枝は大学の写真部の北見先輩と仲良くなり、やがて康平とは疎遠になってしまう。康平は地元で漁師をするが、借金苦から父が船を手放すことになり、さらに最後の漁で父が心臓発作で死んでしまう。母と妹と借金を背負った康平は、紗枝と別れ漁師として一生暮らす事を決意する。一方の紗枝は夢を見すぎるあまりなかなか就職が決まらず、結局北見先輩の紹介でニューヨークの写真会社に潜り込むことになる。
やがて康平は幼なじみのリツ子と結婚し、紗枝も北見からプロポーズを受ける。しかし康平は借金苦から自己破産しリツ子から三行半を突きつけられ、マグロ漁船に長期勤務することにする。紗枝も北見との結婚を決意した矢先に北見が写真撮影中に死亡し、結局傷心のまま生まれた地・カナダのルーネンバーグを訪ねる。そこでたまたま康平のマグロ漁船とニアミスした紗枝は、康平にメッセージを残し北海道へと戻る。そしてメッセージを受け取った康平も北海道へと戻る。
ついに再会した2人はやがて結婚し、娘を持つ。

【五幕構成】

第1幕 -> 康平と紗枝の出会いと交通事故。
 ※第1ターニングポイント -> 康平と紗枝がつきあい始める
第2幕 -> 紗枝の受験。
 ※第2ターニングポイント -> 紗枝が上京する。
第3幕 -> 遠距離恋愛と破局。
 ※第3ターニングポイント -> 紗枝がニューヨークに行く。
第4幕 -> 康平の結婚と紗枝のニューヨーク生活。
 ※第4ターニングポイント -> 北見が死ぬ。
第5幕 -> カナダへの旅と結末。


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【感想】

さて本日2本目は「ハナミズキ」です。お客さんは若いカップルを中心に大変入っていまして、日本の未来が心配になってきますw
ここを読んでる時点で遅いかも知れませんが、今回はネタバレ100%でお送りします。っていうか上のあらすじで全部書いちゃってるんですけど、それはそれ。お察しください。

本作の概要と基本プロット

本作は一青窈の歌「ハナミズキ」をモチーフに制作され、TBSと東宝が中心に、新垣結衣の所属事務所「レプロエンタテインメント」と生田斗真のジャニーズ事務所の別働隊「ジェイ・ストーム」が出資しています。肝心の一青窈の所属事務所「大家」やフォーライフミュージックが出資していないというところがポイントですw 一青窈はあくまでダシであって、話自体には彼女は一切関係ありませんし、彼女へのリスペクトも感じられません。
基本的なプロットは単純明快です。高校時代にナンパで知りあった高卒ヤンキーと良いとこのお嬢さんが、10年間いろいろあった末、結局結婚するという話です。いや~いいですね、バカっぽくてw
このプロットとキャッチコピーの「君と好きな人が、百年続きますように」を見るとまるで純愛ラブストーリーと勘違いしてしまうかも知れませんが、本作はサイコ・スリラーです。 康平の父は最後の漁で偶然にも心臓発作で他界し、紗枝の恋人も「帰ってきたら結婚しよう」というまるでどこぞのコピペのような安い展開で死にます。でも、そんな不幸を物ともせず、2人はお互いの尻を追いかけます。
奥さんが居ようが、恋人が居ようが、そんなことは関係ありません。ただひたすらお互いを安全牌として確保しつつ、結局全てに挫折して傷の舐め合いのように最後にはくっつくんです。
そう、これ純愛じゃないですし、ハッピーエンドでもないんですよ。要は、バラ色の未来を夢見た男と女が夢のためにお互いを捨てて邁進するけれど、結局挫折してお互いに傷を舐め合う話なんです。実際に結構至る所で泣いている女性が居たんですが、よくこんなんで泣けると感心します。

映画作品としての圧倒的な不細工さ

とまぁ話としては相当いかがなものかと思うのですが、本作は映画作品としての体裁すら成していません。顔のアップが多すぎるとか、台詞で説明しすぎとか、そういう基本的な駄目さもあるんですが、それ以上に構成が酷いです。
本作は珍しく5幕構成を採用しています。あんまり聞いたことがないかと思うのですが、5幕構成はギリシャ演劇の古典スタイルの一種です。「導入」→「葛藤」→「進展」→「危機」→「解決」からなりまして、通常は「葛藤」「進展」「危機」がセットで二幕目になります。ですので、別にこれはこれで良いんです。
ところが、本作の五幕というのは明確に主役2人の関係性に寄っていまして、「出会い」→「付き合い始める」→「遠距離恋愛と破局」→「新恋人との別れ」→「寄りを戻す」となっています。このそれぞれのセクションについて、さらに起承転結が存在しているんです。だから話としては物凄い不細工です。なにせ開始1時間頃に紗枝の上京に合わせて一青窈の歌が流れ始めるんです。これでエンドロールに行くかと思ったらまだ1時間半近くあるのでゲンナリしましたw
はっきり言いましょう。これは5幕構成ではなく、全5話のドラマです。つまり、映画としてまとめることなしにテレビの企画をそのまま5話分垂れ流しているだけなんです。これは恐ろしい事です。いつかやる奴が出てくるとは思っていたんですが、こんなえげつないやり方で制作されるとは思いませんでした。それが証拠に、いちいち各セクションに起承転結があってその度にえげつないイベントがあるので、見ていて物凄い疲れるんです。しかもセクションをまたぐ前に「次週も見てね」と言わんばかりの”フック”が入るんです。これはもう、、、有料放送のテレビでやれよ。
TBSやフジテレビは昔から映画を「有料放送の一括上映システム」としか見ていない節があるんですが、ここまで開き直った作りは珍しいです。もはや映画の形すらしてないんですから。
さて、そもそも純愛じゃないという件はまだ良いでしょう。新垣結衣が偏差値57.5程度で早稲田の推薦取る気満々でしかも受験して普通に受かるとか、日本で仕事を探せないメンヘラがニューヨークで成功するとか、北海道の田舎で個人経営の子供向け英語塾が大繁盛するとか、そういう細かいディティールも1万歩譲りましょう。そもそもマグロ漁船はカナダに寄らないとか、マグロ漁であんなヒョロイ奴は役に立たないとかそういうのも1億歩譲ります。(詳しくはこちらを参照 http://www.maguro-jp.com/fishing/tuna-boat/)
一番問題で一番腹が立つのは、結局こいつら(メイン2人および脚本家)は北見先輩やリツ子さんをどう思ってるんだってことなんです。要は2人以外の全てがただの撮影セットでしかないんです。 紗枝と別れた翌日に康平がリツ子を襲うのは「愛」じゃないでしょ? 死んだ恋人の追悼をした直後に紗枝が康平の尻をワクワクして追いかけるのは変でしょ? おまえら何考えてるわけ? これでは2人がただのイカレた馬鹿にしか見えないんです。描写としておかしいんです。
だから、彼らがエンディング後に正常な生活を営めるとは思えません。紗枝は就活で1社も引っ掛からなかったわけで、康平は釧路で漁師をしていけなくなってマグロ漁船に乗ったわけでしょう? しかも康平は浮気性の甲斐性無しで親戚にあずけた扶養家族が居ます。この2人が釧路の片田舎で幸せに生計を立てられる可能性は限りなくゼロです。

【まとめ】

なんといいますか、、、胸くそ悪いメンヘラ向けテレビドラマを1,800円払って大画面で見るという素敵体験ができました。まともな神経の方には絶対にオススメしませんが、もしあなたが「恋空」とかで泣いちゃうような思考回路の持ち主ならもしかしたら刺さるかも知れません。繰り返しますが、決してまともな方は行かない方が賢明です。
ちなみにテレビ宣伝に出ずっぱりでまるで主役扱いの向井理は、扱いも出番も少ないためファンの方は要注意です。もう向井理ばっかで生田斗真が宣伝にあんまり出ない時点で、宣伝的にもお察しくださいな状態ではないでしょうか。

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