赤ずきん

赤ずきん

日曜は1本、

赤ずきん」を見てきました。

評価:(40/100点) – 赤ずきんというか、簡易版ジェヴォーダンの獣。


【あらすじ】

村には、月が赤くなる週には怪物狼が現れて村人を襲うという伝説があった。ここ数十年来は生贄を捧げることで犠牲を回避してきたが、ある日、村に久方ぶりに犠牲者が出てしまう。殺されたのはヴァレリーの姉であった。
すぐに狼ハンダーのソロモン神父を呼ぶことになったが、気が収まらない村の男達は討伐隊を組んで洞窟へと向かってしまう。一人の犠牲者をだしただけで狼の首を持ち帰った討伐隊に対して、訪れたソロモン神父は衝撃の事実を告げる。怪物狼は人狼で、死後は人間の体に戻るという。狼の首があるということはそれは人狼では無く、よって怪物狼は退治されていないのだ、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ルーシーの死と狼討伐隊
 ※第1ターニングポイント -> ソロモン神父の到着
第2幕 -> 狼の襲撃とヴァレリーの拘束
 ※第2ターニングポイント -> ソロモン神父が襲われる
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

日曜日はモンスター映画「赤ずきん」を見てきました。公開から1週たっていましたが、カップルを中心に客席は一杯でした。予告をどこからどうみても超B級モンスター映画なんですが、かなり不思議な客層です。「恋をした、大人になった赤ずきん」という嘘まるだしのキャッチコピーに引っかかったんでしょうかw ワーナーのマーケティング勝ちです。
正直な所、あんまり書くことがないくらいよくあるB級ホラーなんですが(苦笑)、一応ちょろっとだけ書きます。
本作がいわゆるグリム童話の「赤ずきん」っぽいのはラストもラスト、3幕目の冒頭だけです。そこまではただひたすら普通のカルト系モンスターホラーのフォーマットをさらっと流しながら使っています。大きな狼による村の襲撃。モンスターハンターとしてでてくる怪しげな神父さん。狼は教会には入れないというお決まりの「宗教観」「モンスターのアンチキリスト精神」。何十回と見たことがあるゴシックモンスターホラーそのものです。直近で一番近いのは、「ジェヴォーダンの獣(2001)」、雰囲気で言えばかのシャマランの「ヴィレッジ(2004)」あたりを彷彿とさせます。
そして、「なんじゃこりゃ。パチモノじゃんか、、、。」とゲンナリしていると、突然3幕でみんなが知っている「赤ずきん」が始まるわけです。「おばあさんの家まで赤ずきんが行く」「でも、おばあさんの家に着くと様子がおかしい、、、、。」という例のアレです。そこまでには物凄い退屈なストレスを食らっていますから(笑)、一気にテンションが上がるわけです。よっしゃキタコレ!!!! と思っていると、案外さらっと終わってモンスターの正体が明らかになって、、、、あっちゃー、、、、、、となるわけです。
なんで「ジェヴォーダンの獣」が面白かったのに「赤ずきん」は微妙かといえば、一番大きいのは構造的に本作が「巻き込まれ型サスペンス」になっているからです。本作はヴァレリーが事件に巻き込まれることでストーリーが展開します。事態に対してヴァレリーは主体的に行動し謎を解く余地がありません。さらに途中からヴァレリーがある事件によって事態の蚊帳の外に置かれてしまい、その後はピーターが主役になります。ストーリー上でヴァレリーが100%安全な立場になってしまうため、あんまりハラハラもしなくなってしまいます。そして唐突に語られる解決編。あらぬ所から急に現れる真犯人に「そういや居たね」ぐらいの感慨しか湧きません。結果として、なんか釈然としない終わり方で微妙な気分が残ってしまいます。
あんまり一般向けにオススメする作品ではありませんが、B級モンスター好きはとりあえず押さえておきましょう。そういやせっかくの怪物狼もあんまり怪物っぽい所がなくてただの大きいワンちゃんでした。でもカワイイからOK。全部OK。物語上はカワイくちゃですけど(苦笑)。オススメです!

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127時間

127時間

今日の2本目はダニー・ボイルの新作

「127時間」をみました。

評価:(60/100点) – ソリッド・シチュエーションの佳作。


【あらすじ】

アーロン・ラルストンは登山道具屋の店員である。ある金曜の夜、彼はユタ州のブルー・ジョン・キャニオンに趣味のハイキングをしに向かう。途中で旅行中の女性達とも出会ったりしながら、彼はいつものコースを悠々と散策していく。
しかしそんなとき彼は岩の隙間に落っこちてしまう。しかも大きな岩に右腕を挟んでしまった。周りを人が通りかかるような場所でもなく、食料も水もわずかしかない。果たして彼は生還することができるのだろうか、、、。


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【感想】

今日の2本目は前作「スラムドッグ・ミリオネア」でアカデミー賞を獲ったダニー・ボイルの新作「127時間」です。アカデミー賞効果なのか、結構中高年の夫婦が見に来ていました。本作は2003年に実際に起きた事故を元にしたアーロン・ラルストンの自伝「Between a Rock and a Hard Place」の映画化です。
あんまり書きたいことが少ない映画なのでさらっと流させていただきます。本作は昨年公開されたソリッド・シチュエーション・スリラーの「リミット」と同様に動けない人物が延々とそのシチュエーションでもがく姿が描かれます。通常のソリッド・シチュエーション・スリラーでは脱出しようとする努力が中心となりますが、本作においてはアーロンはあまりその努力はしません。どちらかというと精神的なものが中心になります。作品の大半は妄想や回想が中心で、この極限状況で彼が心の底から求めているのは何かというのが段々と明らかになっていきます。ヒューマンドラマですので当然のように結論は「愛」なんですが、そこに至るまでの過程がリアリティがあるといいますか(※実話なのであたりまえですが)、とても面白くできています。
最初の内は食料だったり水だったり性欲だったりするものが、だんだん職場の仲間や家族になっていき、最後は好きな女性になります。そしてある決定的な未練を思い出すことで彼はタフな決断を下します。本作は「極限状態を描くことで人間の本質が見える」というソリッド・シチュエーション・スリラーの王道をきっちりと描いています。ですから、なかなか面白い作品です。主演のジェームズ・フランコは本当にすばらしかったです。前半のいかにもチャラい感じから一転してどんどんシリアスになっていく過程は、彼のタレ目な困り顔があればこそです。
多少不満があるとすれば、中盤に中だるみしてしまう部分と最後に決断を下すところのわかりづらさ、そしてクライマックス以降のエピローグの長さです。大変よくわかるんですが、脱出後のラスト数分でなんぼなんでも水を飲みすぎですw あとはカメラのカット割りのしつこさでしょうか。シチュエーションは固定されているのに、カメラだけはやたらとダイナミックに動きます。さすがに岩の割れ目を空撮で撮られたりサム・ライミばりにシェイキー・カムで早回しされると、どうもちょっと悪ふざけしているように見えてしまいます。
総じて面白いかどうかと言われれば間違いなく面白い作品ですので、是非映画館に見に行って下さい。ちょっとショックシーンもありますがそこまではキつくありませんので、どうしても苦手な方以外は大丈夫だと思います。オススメです。

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スカイライン-征服-

スカイライン-征服-

今日も今日とて新作2本です。一本目は

スカイライン-征服-」です。

評価:(75/100点) – 楽しい楽しい侵略SF。でもちょっと蛇足付き。


【あらすじ】

ジャロッドと恋人のエレインは親友であるテリーの誕生日パーティのためにロサンジェルスまでやってきた。楽しいパーティを過ごし雑魚寝をした夜更け過ぎ、急にマンションが揺れたかと思うと窓からは強烈な光が差し込んでくる。テリーの仕事仲間であるレイは窓からの光を見ると突然姿をけしてしまった。窓の外には強烈な青い光を放つ塊が何個もあったが、それらはすぐに消えてしまう。
不審に思ったジャロッドとテリーは屋上にあがって様子を探る。すると今度は複数の光が地上に落ちて来た。その直後、巨大な宇宙船が上空に現れる、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> テリーの誕生日パーティ。
 ※第1ターニングポイント -> 回想終了。
第2幕 -> 宇宙人の侵略と脱出方法の模索。
 ※第2ターニングポイント -> ジャロッドとエレインが屋上に出る。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今日は新作を2本見てきました。一本目は「スカイライン-征服-」です。「バトル・オブ・LA」と大変紛らわしいですが、新作の侵略SF映画です。完全なジャンルムービーですが、そこそこお客さんは入っていました。監督は「300」「アバター」等の特殊効果で知られるVFX会社・ハイドラックスのストラウス兄弟です。そんなわけなので、本作は人間ドラマと特殊効果が大きな見せ場となっています。
ここでいつものお約束です。以後本作のネタバレが含まれると同時に、関係無い映画までとばっちりを食ってネタバレされますw 本作および関係作を未見の方はお気を付けください。

侵略SFって最高じゃん!!!! という話

本作はいわゆる「侵略SF」と呼ばれるジャンルの映画です。侵略SF自体は昔からあるお決まりのジャンルです。例えば一番有名なところで言いますと、1898年発表のH・Gウェルズの傑作「宇宙戦争」や1953年発表のアーサー・C・クラークのこれまた歴史的傑作「幼年期の終わり」、さらには最近ですと1996年の映画「インデペンデンス・デイ」なんかもあります。基本的には宇宙人がやってきまして、なんだかんだありながら撃退したり撃退できなかったりします。1938年に「宇宙戦争」をラジオドラマにした際に全米が本当だと思って大パニックになったという有名なエピソードもあります。侵略SFは「戦争」や「天災」のメタファーとして描かれることが多く、強大な力や高度な知恵をもったエイリアンは「かなうはずのない圧倒的な敵」や「不条理性」の象徴として描かれます。
そんなわけで侵略SFは作られたタイミングでの時代背景に大きく左右されます。特に最近のハリウッド映画はその傾向が顕著です。個人的にあんまり好きな言葉ではないのですが、「9・11以降」に攻撃される事の恐怖をようやく実感として理解したハリウッド(アメリカ)映画は、侵略SFというジャンルで「個人の無力さと絶望」を描くようになります。

9・11以降の侵略SFの決定版は、おそらく異論の出る余地なくスピルバーグの「宇宙戦争(2005)」です。この「宇宙戦争」において、主人公はただの無力なブルーカラーとして登場します。妻には離婚され娘・息子からはバカにされるチビで情けないダメ親父が、エイリアン達の侵略で地獄絵図となったアメリカを舞台に元妻の所に子供を送り届けることに必死になります。主人公はニュージャージーからボストンまで子供達を届ける過程でガッツを思い出し、父親としての尊厳を取り戻します。ですが、この主人公は大勢に影響を及ぼしません。ヒーロー的な活躍をするわけでも無ければ、彼がすごい人物となるわけでもありません。完全に無力な一市民であり、ただただ逃げ惑っているだけです。しかもこのエイリアンの侵略が食い止められる理由も、人間がすごいからではありません。たんなる偶然です。人類はたまたま助かっただけで、人間様がすごかったわけではないんです。

「クローバーフィールド/HAKAISHA(2008)」も同様です。物語はいきなりニューヨークのマンハッタン島をゴジラっぽい巨大モンスターが襲うところから始まります。主役達はなんとかしてモンスターから逃げますが、別に退治するわけでもありません。逃げるだけです。次々と仲間が死んで脱落していくなか、主人公はただただハンディカメラを回しながら逃げまくります。でも最後まで解決はしません。残るのは必至に生きようとする人間と、その先の圧倒的な絶望だけです。

少しトリッキーな作品では「ミスト(2007)」があります。田舎のスーパーマーケットで急な濃霧に囲まれた主人公達は、濃霧の中から現れたエイリアン達に襲われます。いろいろその場で対処しようとはしますが、彼らは無力でただ籠城することしか出来ません。それすら困難になったとき、主人公達は命からがらスーパーから逃げ出します。しかし外には圧倒的な力をもつエイリアンがうじゃうじゃいます。なんとか生き残ろうとはするものの、、、という展開です。この作品において、主人公達は状況に貢献しないどころかむしろ悪化させてしまいます。そして状況は主人公達とはまったく関係無いところで解決に向かいます。主人公は無力というよりはむしろ結果的には邪魔者になってしまいます。

このように9・11以降、ハリウッドの侵略SFはどうしてもアメリカ同時多発テロを背景とした「大局にあって個人は無力だ」という方向の作品が多くなっていきます。1996年に「インデペンデンス・デイ」でウィル・スミスを先頭にしたアメリカ空軍が無邪気にエイリアン達をぶちのめしていたのを考えるととんでもない変わりようです。

では本作はというと、、、

さて、前述の状況を踏まえますと、本作がいかにオーソドックスな作りをしているかが良く分かります。本作の主人公ジャロッド達もやはりエイリアンの前では無力です。後半に火事場の馬鹿力でエイリアンを数体倒す描写はありますが、基本的には主人公達は今回の侵略行為に対してまったくなんの役にも立ちません。ただビビッてマンションに引きこもってるだけです。たまに部屋を出たかと思うと、すぐに作戦を失敗して戻ってきます。メインで描かれるのは「エイリアンの侵略」というシチュエーションを使った「極限状態における人間達のドラマ」です。2組の恋人達によるドラマであり、そして圧倒的な力の前での無力感とそれでも最後に残る意地の物語です。ですので、これはもう面白いにきまってるんです。
繰り返される痴話げんかとお化け屋敷のように急に画面の外から脅かしてくるエイリアン達。ハラハラどきどきしっぱなしの楽しいアトラクションの90分です。
大変愉快なんですが、一点だけ気になるのがクライマックス以降につくエピローグの展開です。このエピローグで描かれるある出来事によって、主人公のジャロッドが無力な一般人ではなく特別な存在になってしまうんです。本作の一番の良さは「どんなに格好を付けてもやっぱり個人は無力だ」という部分にありますので、主人公が特別になってしまうと話が全然違ってきちゃいます。ジャンルムービーとしてみればアリな展開ですし、つい続編をつくりたくなってしまったのかも知れませんが、急にトーンが変わるのでやっぱりちょっと吹き出してしまいますw

【まとめ】

とっても楽しいエンターテイメント映画です。エクスペンダブルズにも出ていたデクスターのあいつもマンションの管理人とは思えない熱い活躍を見せてくれますし、浮気者のちゃらいあんちゃん・ねぇちゃんにはきちんと天罰が下りますw お約束をしっかりやっているとはいえジャンルムービーには間違いありませんので、見る人は選ぶかも知れません。かなりオススメな作品ですが、もし未見の方はまずスピルバーグの「宇宙戦争」から見ると良いと思います。オススメです。

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X-MEN: ファースト・ジェネレーション

X-MEN: ファースト・ジェネレーション

火曜の2本目は

「X-MEN: ファースト・ジェネレーション(原題: X-Men: First Class)」です。

評価:(85/100点) – グイっと、ロック・オン!!!!


【あらすじ】

時は1962年。オックスフォード大学で新任教授となった遺伝子学の異端児チャールズ・エグゼビアの元に一人のCIAエージェントが協力を要請しに来る。エージェントの名はモイラ。彼女は対ソ連強硬派のヘンドリー大佐を調査中にヘルファイア・クラブで超能力者達を目撃したのだった。テレパシー能力を持つチャールズは、ヘルファイア・クラブによる第3次世界大戦を阻止するためCIAに協力することにする。
一方、かつてユダヤ人収容所でヘルファイアクラブのリーダー・ショウに母親を殺されたエリック・レーンシャーは、復讐を果たすため独自にショウを追っていた、、、。


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【感想】

昨日の2本目は「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」です。ご存じアメコミの人気シリーズ「X-MEN」の前日譚で、2006年から2009年までに刊行されたグラフィックノベル「X-MEN: First Class」の映画化です。公開4日目でしたがかなりお客さんが入っていました。監督はマシュー・ヴォーン。キック・アスに次ぐ監督4作目です。

はじめに

本作は映画化もされたオリジナルの「X-MEN」の前日譚にあたる内容です。X-MENのリーダー・プロフェッサーXは何故政府非公認でミュータントの自警団を指揮しているのか。かつてプロフェッサーXと友人だったマグニートはいかにして過激なミュータント原理主義者となったのか? そういったものが前日譚として語られます。当然本作を見る上ではX-MENの最低限の知識は必要になります。
映画はシリーズ1作目と同様に1944年ポーランドのユダヤ人収容所から始まります。ちゃんと前シリーズのファンにも目配せできるマシューは出来る男ですw
なんと言っても本作が素晴らしいのは、実在のキューバ危機に実はヘルファイア・クラブ(※マーベルユニバースにおける悪役商会。金持ちとかキザな奴の集団)が関わっていたというウソ歴史路線の上でチャールズとエリックの友情と葛藤をストレートに描いていることです。

ご存じのように、X-MENに出てくるミュータント達は等しく何かしらのコンプレックスを抱えています。ミュータントたちは「自分たちは普通じゃない」という点で被差別意識を強く持っています。チャールズは理想主義者としてミュータントと人類の共存を目指します。一方のエリックはミュータント達だけで世界を作る事を臨みます。新人類は旧人類を駆逐して楽園を作れるのだという思想です。
本作の前半は政治的なやりとりや状況の説明が多くつまっていますが、中盤から後半にかけては完全に超能力チームの結成→挫折→修行→活躍と繋がっていきますので、大変愉快なエンタメアクション熱血映画になっています。

心と心の交流映画として

とまぁ表面上の話はこれぐらいにしまして(笑)本題に行きます。つまりX-MENはゲイ映画だっていう例の話ですw

映画版のX-MENはシリーズの一作目から一貫してゲイをモチーフにした映画として作られています。X-MENにおけるミュータントはマイノリティであり、それは性的マイノリティ、、、、つまりゲイの表現になっています。
これはシリーズ1~2作目の監督であり本作のプロデューサーのブライアン・シンガーがゲイであることとも関係しています。
例えば、一作目の冒頭ではローグが男の子(デヴィッド)にファーストキスをすると相手が倒れてしまいます。ローグはミュータントであり、異性と普通の恋愛は出来ないんです。同じく本作で言えば、ここまで多くの男女が出てくるにも関わらず直接的に関係が描写されるのはエリックとレイヴンだけです。チャールズとレイヴンに至っては子供の頃からずっと一つ屋根の下で暮らしているのにまったく恋愛に発展しません。それはエマとショウにも言えます。エマがいつも胸の谷間をチラつかせているにも関わらず、ショウはエマに手を出しません。テンペストも同様です。彼は踊り子として売春をやっていますが、それを「男はみんなバカだから」と言います。男を恋愛の対象とは見ていません。それは何故か? 答えは簡単です。みんなゲイだから。

このシリーズにおけるマイノリティとはゲイであり、そしてブライアン・シンガー自身がゲイであるからこそ、素晴らしく実在感のある描写が出来るんです。
本作のメインテーマは「マイノリティの生き方とは?」です。

チャールズはマジョリティと共存することこそが平和への道だと語ります。つまり、ゲイであることを隠して生きろと言うんです。ビーストは自分の足が大きくて猿のように手として使えることにコンプレックスを抱えています。そして「本質は変わらなくても見た目だけでも普通になりたい」とレイヴンに語り薬をつくります。一方、レイヴンもチャールズの教えに従って普段は普通の女の子の姿に変身しています。そして酒場でちょっと目の色を変えただけで、チャールズから怒られてしまいます。テンペストは羽根を入れ墨のように肌にくっつけて普段は見せないようにしていますし、バンシーやハヴォックはもとより普通の見た目をしています。

一方のショウは能力を隠すことはしません。自分たちがマイノリティであることを一切隠さず、革命を起こしてマジョリティに取って代わろうとします。つまり彼らはゲイであることを100%受け入れた上で、それを当たり前にしてしまおうと言うんです。

さて、この両者の間を揺れ動くのが本シリーズのもう一人の主役・マグニートとなるエリックです。エリックは最初はショウと同様の考えを持っています。自分の能力を理解した上でそれを復讐につかうことしか考えていません。しかしチャールズに出会うことで、彼の考え方に共感し、彼に協力することにします。多くの腐女子アイを持っている方が気付かれていると思いますが(笑)、チャールズはエリックを文字通り「口説き落とし」ます。「君の事は全部なんでも知ってるよ。」と何度も何度も繰り返し耳元でささやき続けるというキモい方法で(笑)、チャールズはエリックを自分のものにします。しかもエリックを(ゲイとして)目覚めさせるために、彼の幼少時の思い出を盗み見たりします。ゲイとか云々を脇に置いても完全に変態です。そしてまさにクライマックスでエリックはチャールズの自己中心的でメンヘラな姿勢に愛想が尽きて例のヘルメットを被るわけです。心で泣きながら。好きなのに別れざるを得ないから。
その後チャールズは非ミュータントのモイラと良い感じの仲になりますが、しかしキスをするのと同時に彼女の記憶を消して追い出します。何故でしょうか? それは彼女が非ミュータントでありストレートだから。チャールズは「ゲイであることを隠して生きろ」と言っていたにも関わらず、自分はストレートの女とは恋仲になれなかったんです。だから彼は森の中に引きこもって「恵まれし子らの学園」を作るんです。ゲイを隠して生きられないなら、ゲイだけの楽園を人里離れた場所に作っちゃえってことなんです。

本作の主題「マイノリティの生き方とは?」に対して、劇中では以上3通りの思想が語られます。「マイノリティであることを隠して生きろ。」「マイノリティであることを誇りにもって革命を起こせ」「マイノリティだけのコミュニティを作って引きこもろう」。この3つの思想を巡ってキャラクターが組んずほぐれつするわけですw

【まとめ】

男の友情にかこつけたアレすぎる描写も含めて、大変愉快な作品です。きちんと所々ギャグでテンポを抜いてきますし、必要な場所ではこれ以上ないほど熱血な展開がまっています。そして対アザゼル戦のワープ・アクション。それに加えてあからさまな心と心の交流を描くシーンもあります。だってチャールズがエリックを完全に落とすシーンは、それまでストレートよりだったエリックが巨大パラボナアンテナ(※丸いものの中央に先が尖った棒が立っているw)を能力で自分の方向にグイっと向けるんですよw そしてゲイに目覚めるw つまりナニがエリックにロック・オン!!!みたいなw 爆笑出来ます。
ゲイネタが嫌いな方も普通にエンタメ映画として楽しめますので是非見に行って下さい。オススメです。
グイっとね。ロック・オン!!!

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アジャストメント

アジャストメント

土曜の2本目はみんな大好きSFラブロマンス、

アジャストメント」です。

評価:(60/100点) – レトロSF感満載の小品の良作。


【あらすじ】

2006年、下院議員のデヴィッドは上院議員選挙に出馬するも酔ってスキャンダルを起こしてしまい敗戦してしまう。敗北宣言の練習をしていたトイレの中で、彼は偶然エリースという女性と会う。彼女はホテルに知人の結婚式をぶちこわしに来て、警備員から隠れているのだという。2人は一目でお互い惚れてしまい、デヴィッドは彼女に感化されて敗北宣言をアドリブで行う。
その後暫くして、デヴィッドは偶然にも通勤バスの中でエリースと再会する。運命を感じる2人だったが、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デヴィッドとエリースの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> デヴィッドがオフィスで襲われる。
第2幕 -> 三年後、調整局とデヴィッドの駆け引き。
 ※第2ターニングポイント -> デヴィッドとエリースが別れる。
第3幕 -> 11ヶ月後、エリース奪還作戦。


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【感想】

土曜の2本目はフィリップ・K・ディックがオービット・サイエンス・フィクション誌の1954年9月号に書き下ろした短編「調整班(アジャストメント・チーム)」の世界観だけを持ってきてオリジナルストーリーに膨らませた作品です。ですので、映画化というよりは「”調整班”からアイデアを得たオリジナル作品」という感じです。
マット・デイモンがスーツ姿で走るポスターというそのまんまジェイソン・ボーンシリーズのポスターで話題になっていまして、結構お客さんが入っていました。こういうオールドスクールなSFでちゃんと観客が入っているのはめずらしいです。
本作は典型的な「近未来ディストピアSF」の体裁をとっています。劇中での時間軸こそ2006年~2010年ですが、プロット上では「何者かに実は支配されている近未来」という雰囲気になっています。この「何者かにこっそり支配された世界」「人間に紛れた異物」という世界観はまさしくフィリップ・K・ディックのお家芸であり、例えばマイノリティ・リポートのプリコグやブレード・ランナーのレプリカントなんかがそうです。このあたりのテーマは実際にはディック自身の宗教観がものすごく大きく反映されている部分です。
本作も世界観はディックが作ったモノですから、非常にレトロ感があふれるディストピアSFになっています。本作の中盤で調整員は天使であるとはっきりと台詞で説明されます。この辺りは原作から何も変えていません。この作品の世界では神様が「運命の書」というシナリオブックを書いていて、これを遂行するために天使達がいろいろと弄くっているわけです。コーヒーをこぼしたりコケさせたりw、やってることは大変ショボいですw
ですがそこに追加したのが「神様は人間が自身の予想を超えた意志を獲得するのを期待している」という新しめのキリスト教的価値観なのがなんとも言えません。
原作の場合はこの世界観をドタバタコメディに落としてくるわけで「意外と世界ってこんな間抜けな感じじゃない?」となるわけですが、本作の場合は大真面目に大上段から「神様は人間が予測を超えた動きをするのを喜んでいるのじゃ!!!」みたいな宗教的価値観に振り切れるわけです。
まぁこれが良いかどうかというのはデリケートな問題なんですが、どうしてもこういう「宗教的価値観に基づいた教訓話し」にされると無宗教な私としてはちょっと微妙な気分になってしまいます。
もちろんエンタメとしてさらっと見れば普通に良く出来たSFラブロマンスなんですが、なんか引っ掛かる部分がある惜しい作品でした。いくら運命とはいえデヴィッドがストーカー過ぎますし、なんぼなんでもエリースが「都合の良い女」過ぎますしね。普通2回も裏切られたのに、それでもその男の事を信じますかね? 運命だからってちょっと可哀想すぎです。そんなマッチョイズムも含めて愉快なバカ映画ですw どこでもドアを使った追い駆けっこは夢が一杯ですから。 仕事帰りにレイトショーなんかでフラっと寄るのがちょうどいいのではないでしょうか? わりとオススメです!

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パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉

パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉

久々の金曜のレイトショーはThat’s ハリウッド大作、

「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」です。

評価:(35/100点) – パート4だからキャラのファンさえ喜べばOK。


【あらすじ】

バルボッサにブラック・パール号を奪われたジャックは、自分の名を騙って船員を集めているものが居るという酒場を目指してロンドンに戻ってきた。彼はそこでかつての恋人・アンジェリカと出会う。なんとか警察の追っ手を振り切ったジャックは、しかしアンジェリカに嵌められて史上最恐の海賊・ブラックビアード(黒ひげ)の船に乗せられてしまう。なんとアンジェリカはブラックビアードの船・クイーン・アンズ・リベンジ号の一等航海士だったのだ。そしてブラックビアードの死期が間近に迫ったという預言を信じ、ジャックが地図を持っている「若さの泉」を探していた。
こうして、「若さの泉」と泉での儀式に必要な「人魚の涙」と「ポンセ・デ・レオンの二つの杯」を探す冒険が始まった、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ギブスの救出とアンジェリカとの再会
 ※第1ターニングポイント -> ジャックがクイーン・アンズ・リベンジ号に乗る
第2幕 -> 「若さの泉」を目指す冒険
 ※第2ターニングポイント -> ジャックが杯を持ってブラックビアードの元に戻る
第3幕 -> 若さの泉


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【感想】

金曜は久々に新作レイトショーで「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」を見てきました。初日のレイトショーですが、金曜にしては6~7割ぐらい人が入っていたので結構多い方です。
本作はお馴染み「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの4作目です。1作目の「呪われた海賊たち」は本当に良く出来た冒険活劇でしたが、「デッドマンズ・チェスト」と「ワールズ・エンド」の連作がかなり微妙な出来で、新作のハードルは下がっています。4作目は前3作の根幹にあった「エリザベスとウィルの身分違いの恋物語」が一段落し、仕切り直しとなっています。
極端な話しをすれば、4作目ですのでシリーズのファンさえ喜べればなんの問題もありません。そういった意味では本作は3作目でベビーターンしたバルボッサが大活躍しますし、ジャックはいつもの軽いふざけたノリ全開で来ますので、十分に楽しめると思います。思いますが、、、ちょっと全体的にはすごいことになっています。
一番ずっこけるのは、本作には迷ったり謎を解いたりという「冒険要素」が一つも無いことです。ジャックは最初から「若さの泉」への地図を持っていますし(というか前作の最後で手に入れてましたし)、人魚は最初からホワイトキャップ湾にいるのが分かっています。「ポンセ・デ・レオンの二つの杯」も何故かホワイトキャップ湾のある島にあります。ということで、本作はお宝に向かって最短距離で進みますw
結局アンジェリカがなんなのかは良く分かりませんし、ブラックビアードも「最恐の海賊」というのが納得出来ないほど全然活躍しません。スペイン軍も最後の最後まで目的がわかりませんし、それすらもなんとなくの宗教観・原理主義っぽさで動いています。ブラックビアードのクルーのゾンビも良く分かりません。全体的にすべてがとても記号的です。
本作はそういった薄いストーリーの上で記号的なキャラ達がワイワイキャキャとやるだけなので、これは作り手側がもう完全なファンムービーとして割り切っています。言い方を変えれば、本作を見て喜んでくれるファンが少しでもいれば全く問題ありません。私自身もちょいちょいズッコけながらも全体としては楽しく見られました。ジェフリー・ラッシュは「英国王のスピーチ」の先生役も良かったですがやっぱりバルボッサ役が一番イキイキと輝いています。
ということで、シリーズのファン限定でとりあえずオススメします!
ちなみに、本作では3Dはたいして意味がありませんのでどうでもいいです。暗すぎて全然3Dに見えませんし、最初から3Dカメラで撮ったわりにはあんまり有効に使われていません。私が言うのもなんですが、3Dブーム自体がもう終焉ですのでとりあえず記念に見ておくのは手だと思います。

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ブラック・スワン

ブラック・スワン

今日は二作です。1作目は水曜公開で早くもそこそこ話題作

「ブラック・スワン」です。

評価:(100/100点) – 抑圧を狂気で解き放て!!! 永遠の清純派を卒業できるのか!?


【あらすじ】

ニナ・セイヤーズはバレエ団のソリスト(準主役)である。バレエ団は経営難から立ち直るために次シーズンでプリマ(主役)の交代を考えていた。タイトルは新しく振り付けし直した古典・白鳥の湖。即席のオーディションに合格したニナは念願のプリマの座を射止める。しかし、彼女は完璧主義者であるが故に感情を表に出した演技が苦手で、オデット(白鳥)の演技は出来てもオディール(黒鳥)の演技が上手く出来ない。演技監督のトマスの厳しい指導を受けるうちに、彼女の周りには不思議な事が起き始める。

【三幕構成】

第1幕 -> ニナのオーディション。
 ※第1ターニングポイント -> ニナがスワン・クイーンに選ばれる。
第2幕 -> ニナの苦悩と演技指導。
 ※第2ターニングポイント -> ニナがリリーと夜遊びに行く。
第3幕 -> ニナの開花と初演。


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【感想】

今日の1本目はアカデミー主演女優賞を獲った「ブラック・スワン」です。監督はレスラーのダーレン・アロノフスキー。日本では水曜公開でしたが、平日の初動で結構観客が入ったと話題になっていました。
もしかしたら興味ある人はもうレイトショーで見ちゃってるのかも知れませんが、私の見た回はあんまり人が入っていませんでした。

本作全体のテーマ

本作はダーレン・アロノフスキー監督の前作・レスラーと同様にハンディカメラ調のドアップ画角を中心にして徹底したニナ・セイヤーズの一人称視点で描かれます。どこまでが現実でどこまでが彼女の幻覚かまったく分からないまま(※そしてそんなことはどうでもいいんですが、、、)、世界全体が彼女を追い詰めていきます。
ニナは元端役のバレエダンサーでシングルマザーの母親の夢を全て引き受け、完全なる「良い子」として才能を発揮してきます。彼女は技術的には完璧でありながらバレエへの情熱が踊りには出ません。そんな彼女が「情熱の化身」とも言うべき黒鳥を踊るために苦悩し、そのプレッシャーに耐えきれずに発狂していきます。
本作では「白鳥の湖」の一番の見所である白鳥と黒鳥の一人二役をモチーフに、がちがちの母親に管理され続け抑圧されたニナの解放を描きます。
本作が大変すばらしく大傑作であると思う一番の理由がクライマックスの強烈なカタルシスです。彼女は完全にイっちゃってますが、しかしそれこそが彼女にとっては「解放」だからです。彼女は最後彼女にとってまさに「Perfect…」な結末を迎えたわけで、それがハッピーエンドで無いはずがありません。

やってること自体はレスラーと同じだけど、、、

とまぁ最高なワケですが、メタレベルでやっていることはレスラーとほとんど同じです。つまり13歳でリュック・ベッソンにフックアップされてレオンで世界規模のアイドルになり、さらには18歳でスターウォーズEP1を撮影しながら受験勉強をしてハーバード大学に合格、何カ国語も喋れる美人で秀才なセレブという完璧超人のナタリー・ポートマン自身を役柄に投影します。「超良い子だけどいまいち”良い少女”感が抜けない」というのはまさにナタリー自身であるわけで、それがニナ・セイヤーズの実在感に貢献しているのは間違いありません。
プラスとして、本作では発狂系サイコスリラーからの明らかな引用も随所にあります。一番言われるのはおそらくロマン・ポランスキーの「反撥(1965)」と今敏の「パーフェクトブルー(1998)」だと思います。「反撥」は発狂に至るプロセスと「性的な幻覚」を重ねてくるテーマ的な部分、「パーフェクトブルー」は壁一面の絵/ポスターが話しかけたり笑ったりしてくる演出と鏡の中の自分が挑発してくる場面、プラスでお腹を刺す部分ですね。まぁほとんどそのまんまですw

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左:ポランスキー監督「反撥」(1965/仏)  右:ダーレン・アロノフスキー監督「ブラック・スワン」(2010/米)

ただ、パクリまくってるから駄目だと言うことではなく、それらを使ってきちんと「抑圧からの解放」というドラマを作ってくる所がダーレン・アロノフスキーの小憎らしい所ですw こんだけ面白ければパクってようが目新しくなかろうがなんでも良いやって言う、、、それぐらい黒鳥のピルエットには強烈なカタルシスがあります。まぁ演出的にやり過ぎって話しもありますし、ちょっと吹き出しそうにはなるんですが、、、でも「成長したね!!!」って感じで微笑ましい場面です。文字通り強く羽ばたいてるのでw
この作品のずるいところは、きちんと作劇上のクライマックスと劇中劇「白鳥の湖」のクライマックスが完全にシンクロしていることです。オデットは王子をオディールに奪われたことで絶望しますが、身を投げることで終に呪いから解放されます。そしてニナ・セイヤーズは、、、、というのは見てのお楽しみです。

【まとめ】

発狂系サイコ・スリラーの新しい大傑作です。あの童顔で可愛いナタリー・ポートマンが最後には血走った目をかっぴらいて黒鳥に生まれ変わるワケで、これはもうファンならずとも感涙です。現実でも本作の振り付け担当のべンジャミン・ミルピエとよりによって出来ちゃった結婚して清純派のイメージを破ったので(笑)、間違いなく本作が彼女自身の解放にも良い方向にいったんでしょう。というわけで、これからは「レオンの子役のナタリー・ポートマン」「アミダラ役のナタリー・ポートマン」では無く、「ブラック・スワンのナタリー・ポートマン」です。間違いなく彼女の代表作です。オススメします。マジ必見。

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記事の評価
アンノウン

アンノウン

土曜の2本目は

アンノウン(2011)」でした。

評価:(65/100点) – 安心と信頼のダークキャッスル印


【あらすじ】

バイオテクノロジー学者のマーティン・ハリス博士は妻リズと共に学会に出席するためベルリンに来ていた。無事会場のホテル・アドロンに着いたものの、空港に忘れ物をしたマーティンは一人タクシーを拾って空港に戻ろうとする。しかしその途中、彼は交通事故にあって昏睡してしまう。
それから4日後、目を覚ました彼は朦朧とした意識の中でやっと思い出したホテルへと向かう。しかし妻は自分の事を知らないと言い、さらにまったく別の人間がマーティン・ハリス博士を名乗っていた。
彼は交通事故で記憶が混乱してしまったのだろうか? 彼はいったい何者なのか?


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【感想】

土曜の2本目は「エスター(2009)」のジャウム・コレットセラ監督の新作「アンノウン」です。予告を見るだにB級臭がプンプンしますw その臭いにつられたのか、結構中高年のお客さんが入っていました。
サスペンスですのでネタバレ無しで行きたいと思います。
本作は前半と後半でまったくテイストが違います。前半はどちらかというとサイコスリラー風味なんですが、ある出来事をきっかけに急にアホな力技のサスペンス映画になります。でまぁ前半からダークマンの頃のようにちょっと猫背でガシガシ歩くリーアム・ニーソンが待ってましたとばかりに暴れまくるわけで、これがつまらないはずがありません。
直接的に連想されるのは昨年の「パリより愛をこめて」。それとリュックベッソンの一連のバカ・アクション映画です。全体的に投げっぱなしな感じですとか、実は凄い人という体裁の脇役が出てくるのに妙に薄っぺらい感じですとか、結局身内だけで全部完結してる感じですとか、そっくりですw
こういう「ド」が付くほどのB級映画は細かい事を考えずにポップコーンを食べられるかどうかが勝負ですので、これはもう大変すばらしいポップコーン映画に仕上がっています。だって俺たちのアニキが困り顔でモテモテなんですよ!!!! だってダイアン・クルーガーがちょっとヤンキーっぽくってイケイケなんですよ!!! パスポートを持ってない外人が事故って昏睡してるのに警察は調べに来ないのかとか、一流ホテルのドアマンがVIP客の顔を忘れるわけ無いとか、webサイトの画像を差し替えたってキャッシュで分かるしそもそもプロがそんな証拠になる痕跡を残さねぇよとか細かい所は一杯ありますが、一切気になりません。
超最高!!! 超楽しい!!! 超オススメです!!!!



って浮かれられれば良いんですけど、でもたぶんこれってリーアム・ニーソンが元々アマチュア・ボクサーでアクション俳優(アイドル)だっていう前提を分かってないとただのハチャメチャな映画に見えてしまうかも知れません。その辺はバットマン・ビギンズ以降でかなりアクション畑に戻ってましたのである程度は大丈夫かと思います。
タレ眉毛で困り顔なのに超強いというギャップがリーアム・ニーソンの一番の魅力なので、本作はまさしくバッチリの企画です。だからやっぱ最高!!!! 超楽しい!!! 超オススメです!!!!
っていうぐらい大味な感想がぴったりな映画です[emoji:i-229]

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