先週末の2本目は
「ツリー・オブ・ライフ」でした。
評価:
– 正論すぎるので賞でもあげとくしかないっす。【あらすじ】
ジャックは憂鬱の中で出社し、気も虚ろで部下の話も耳に入らない中、母や父や兄弟の事を思い出す、、、。
【感想】
さて、先週末に見た2本目はカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作「ツリー・オブ・ライフ」です。テレビCMや劇場予告でも「親子の確執」みたいなキャッチーな所を大クローズアップしているからなのか、かなりお客さんが入っていました。配給のディズニーとしては「一本釣り大成功!!!」って感じでしょうか、、、。
え~~~ここからはどうしても宗教的な話が出てきますので、未見の方、キリスト教がどうしても嫌な方、爽快なハリウッド映画を見たい方はご遠慮下さい。ネタバレも何もない映画ですが、どうしても話を解説していくと核心部分に触れてしまいます。そこはご容赦を。
本作を読み解くキーワードにあたって。
この作品には分かりやすいノスタルジックな描写にまじって、一見わけの分からない観念的な絵や、なによりいきなり恐竜がでてきたりします。作品自体は肝のところさえ押さえていればそんなに難しい話ではないのですが、監督の嫌がらせみたいな場面転換で混乱してしまう方も居るかと思います。まずは本作で実際に劇中にでてくるキーワードを元に、作品の概要を見ていきましょう。
また本作は全編を通して完全に宗教映画です。キリスト教の価値観ありきで話がすすんでいきますので、以後かなり宗教色が強い読み解きになってしまうことをお詫びします。
ちなみに私の感想だけを書くとたった40文字で終わるので只のブログ記事水増しともいいますw 一応私は無宗教ですのであしからず。
キーワードその1:ヨブ記38章4節~7節
さて、いきなり小難しいキーワードが出てきましたw 「ヨブ記38章4節~7節」。旧約聖書です。このヨブ記38章4節から7節が映画の冒頭でいきなりドカっと表示されます。映画の冒頭にモノローグや有名な格言・本の引用が出てきた場合、それは間違いなく映画のド根本的なテーマです。ただ、そんな何の準備もなくいきなり旧約聖書が表示されたりしたら、困っちゃいます。ということでプレイバックです。
38:4 Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.
38:5 Who marked off its dimensions? Surely you know! Who stretched a measuring line across it?
38:6 On what were its footings set, or who laid its cornerstone
38:7 while the morning stars sang together and all the angels shouted for joy?
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。
ヨブ記は敬虔な信者・ヨブが悪魔からの試練を受けるという話です。そしてその試練の後、「おれどうすっぺ」と迷い始めたヨブに、神は遂に語りかけます。それが上記の38章です。ものすごい乱暴にいうならば、これは「おまえら人間が何をわかってるっていうんじゃ。わしは人間の外の世界もちゃんと知ってるんだぞ。調子に乗るなよ。(by 主)」ってな具合です。敬虔なユダヤ教信者の方々すみません。
つまりここで提示されるテーマというのは、「人間なんてのは所詮ちっぽけであり、大局である神の計画の前には翻弄されるんだ」「だけれども、人間は神の作った世界で神の祝福を受けて生きているんだ」という事です。これは劇中でもう一度別の言葉で表現されます。それは次男の死を悲しむジャックの母が掛けられる言葉です。「神は全てを与え、全てを奪う」。つまり神様の行いっていうのは人間がコントロールできるようなモノではないし不条理だけどそれは仕方無いんだってことです。これが第一のキーワードです。
作中に出てくる地球が出来るところや恐竜のシーンはこの「人間のコントロールの外側の世界」を表現しているわけです。「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。」というのをそのまんまでCG映像化するという、、、律儀です。
キーワードその2:「生き方には二つある。世俗に生きるか、神に委ねるか、どちらか選ばなくては」
さて、つづいてのキーワードはこれまた映画の冒頭にでてくるモノローグです。劇場版予告でも流れていますので印象に残っている方もおおいかとおもいます。これは訳がアレなので、英語のセリフそのままで見てみましょう。
there are two ways through life …
the way of Nature…
and the way of Grace.
You have to choose which one you’ll follow.直訳:
人生には2通りの生き方がある。
“ネイチャーの生き方”か”グレイスの生き方”か。
どちらに従うかを、あなたは選ばなければいけません。
本作は「the way of Nature」と「the way of Grace」の対立概念の話です。
え~これが非常にめんどくさいです。この「ネイチャー」を「大自然」と訳してしまうと全く正反対なことになってしまいますので。この「ネイチャー」は神学的な意味での「自然な状態」つまり「神様への信仰・神様からの愛を受けていない野蛮な状態」を表しています。そして一方の「グレイス」。これはそのまま「神様の祝福を受けている状態」です。ですので、これはそんなに小難しく考えずに、「キリスト教をあんまり信じていない人生」「キリスト教をちゃんと信じている人生」ぐらいに捉えていただけると大丈夫です。前者はこの世の生活を重視しますので、地位や名誉、金を重要視します。一方の後者は死んだ後で天国に行くことが大切ですから、周りの人に優しくしますし徳高く清貧に生きるわけです。人間の生き方はこの2つの内のどちらかだって言うんです。
こちらが本作の大テーマです。
結局どういう話よ。
とまぁ以上2つのテーマを頭に入れて映画を見ると、この映画は滅茶苦茶分かりやすいです。逆に言うとちゃんとテーマを冒頭で要約してから話が始まるので、大変親切ともいえます。
本作では、まずはフックとして冒頭で子供の頃のちょっとした思い出、そして弟が若いときに死んだことが語られます。そこからショーン・ペンがちょっとだけ出てきて、開始30分で問題の第2幕、つまり地球誕生と恐竜の話が始まります。なんやかんやあって子供の頃の思い出話が終わった後、再びショーン・ペンに画面が戻ってきてすごい晴れやかな顔をしてエレベーターを下りて映画が終わります。
この映画はあくまでも最初と最後に出てくるジャック(ショーン・ペン)の話であり、中盤は彼がひたすら神に語りかけるモノローグと思い出で埋まります。そしてこの思い出を最後まで見ると、つまりこれは信仰についての話だったのだと分かります。
ジャックは(おそらく母が死んだことで)憂鬱に囚われてしまい、頭がぼっーとして超高層ビルのいかにも大会社なオフィスで昔の事を思い出します。その中で彼はいかに母親が信仰心に満ちて優しい人だったか、そしていかに父が金や名誉を重視したことで悲しい人生を歩んでしまったのかを思い出します。彼は母親よりは父親に似ており、自身も信仰よりは金や名誉を重視して社会的な地位を築いてきました。だけれども、妙に空しい。彼は信仰の大切さに気づいて外に出ます。するとそこには晴れやかで明るい世界が待っていたのでした。神様バンザーい!!! 人生は美しい!!!! いぇーい!!!!
感想。
さて私の感想を40文字で書きたいと思います!!!
正しいかどうかで言えば圧倒的に正しいけど、面白いかどうかで言えば面白くは無い。
だって説教臭いし、、、、だって別にキリスト教信者じゃないし、、、っていうかキリスト教的な意味で信心がゼロな今でも十分に人生楽しいですけど、、、。仕事ばっかりの人生に空しくなったんなら趣味でも作れば、、、。
【まとめ】
というわけで、小難しい割には大変分かりやすい教育的で道徳的な内容の映画でした。キリスト教文化圏でなら絶賛されてもいいかなと思いますし、確かにこれを持ってこられたらグランプリぐらいは”差し出して”おかないと後からその筋からの圧力が大変そうです。なので、熱心なキリスト教信者の方は当然見に行くべきですし、なんならミッション系の学校なら神学の時間に授業で流しても良いのではないでしょうか? でもあんまり世間一般にはオススメしません。だって、、、、、、言ってしまえばこれは宗教の勧誘みたいなものですから。「信じる者は救われる」っていう類の映画です。一応メジャーなキリスト教だからギリギリセーフですけど、これがもしカルト系だったりとかしたらいつものアレな映画になっちゃいますし。
そういう意味ではテレンス・マリックが最初メル・ギブソンにオファーを出したのは大正解です。彼なら下手すれば私財を投じてやってくれそうです。
オススメ、、、しないと駄目ですかね、、、駄目ですよね、、、うん。オススメです!!!!!!!!!!
※私は一応幼稚園の時はミッション系で毎週ミサだの聖書読書会だのやらされていましたが、基本はズブのど素人です。軽めの文体でヨブ記をまとめたことで気を悪くされるような事がございましたら、ユダヤ教の方々には謹んでお詫び申し上げます。