X-MEN: ファースト・ジェネレーション

X-MEN: ファースト・ジェネレーション

火曜の2本目は

「X-MEN: ファースト・ジェネレーション(原題: X-Men: First Class)」です。

評価:(85/100点) – グイっと、ロック・オン!!!!


【あらすじ】

時は1962年。オックスフォード大学で新任教授となった遺伝子学の異端児チャールズ・エグゼビアの元に一人のCIAエージェントが協力を要請しに来る。エージェントの名はモイラ。彼女は対ソ連強硬派のヘンドリー大佐を調査中にヘルファイア・クラブで超能力者達を目撃したのだった。テレパシー能力を持つチャールズは、ヘルファイア・クラブによる第3次世界大戦を阻止するためCIAに協力することにする。
一方、かつてユダヤ人収容所でヘルファイアクラブのリーダー・ショウに母親を殺されたエリック・レーンシャーは、復讐を果たすため独自にショウを追っていた、、、。


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【感想】

昨日の2本目は「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」です。ご存じアメコミの人気シリーズ「X-MEN」の前日譚で、2006年から2009年までに刊行されたグラフィックノベル「X-MEN: First Class」の映画化です。公開4日目でしたがかなりお客さんが入っていました。監督はマシュー・ヴォーン。キック・アスに次ぐ監督4作目です。

はじめに

本作は映画化もされたオリジナルの「X-MEN」の前日譚にあたる内容です。X-MENのリーダー・プロフェッサーXは何故政府非公認でミュータントの自警団を指揮しているのか。かつてプロフェッサーXと友人だったマグニートはいかにして過激なミュータント原理主義者となったのか? そういったものが前日譚として語られます。当然本作を見る上ではX-MENの最低限の知識は必要になります。
映画はシリーズ1作目と同様に1944年ポーランドのユダヤ人収容所から始まります。ちゃんと前シリーズのファンにも目配せできるマシューは出来る男ですw
なんと言っても本作が素晴らしいのは、実在のキューバ危機に実はヘルファイア・クラブ(※マーベルユニバースにおける悪役商会。金持ちとかキザな奴の集団)が関わっていたというウソ歴史路線の上でチャールズとエリックの友情と葛藤をストレートに描いていることです。

ご存じのように、X-MENに出てくるミュータント達は等しく何かしらのコンプレックスを抱えています。ミュータントたちは「自分たちは普通じゃない」という点で被差別意識を強く持っています。チャールズは理想主義者としてミュータントと人類の共存を目指します。一方のエリックはミュータント達だけで世界を作る事を臨みます。新人類は旧人類を駆逐して楽園を作れるのだという思想です。
本作の前半は政治的なやりとりや状況の説明が多くつまっていますが、中盤から後半にかけては完全に超能力チームの結成→挫折→修行→活躍と繋がっていきますので、大変愉快なエンタメアクション熱血映画になっています。

心と心の交流映画として

とまぁ表面上の話はこれぐらいにしまして(笑)本題に行きます。つまりX-MENはゲイ映画だっていう例の話ですw

映画版のX-MENはシリーズの一作目から一貫してゲイをモチーフにした映画として作られています。X-MENにおけるミュータントはマイノリティであり、それは性的マイノリティ、、、、つまりゲイの表現になっています。
これはシリーズ1~2作目の監督であり本作のプロデューサーのブライアン・シンガーがゲイであることとも関係しています。
例えば、一作目の冒頭ではローグが男の子(デヴィッド)にファーストキスをすると相手が倒れてしまいます。ローグはミュータントであり、異性と普通の恋愛は出来ないんです。同じく本作で言えば、ここまで多くの男女が出てくるにも関わらず直接的に関係が描写されるのはエリックとレイヴンだけです。チャールズとレイヴンに至っては子供の頃からずっと一つ屋根の下で暮らしているのにまったく恋愛に発展しません。それはエマとショウにも言えます。エマがいつも胸の谷間をチラつかせているにも関わらず、ショウはエマに手を出しません。テンペストも同様です。彼は踊り子として売春をやっていますが、それを「男はみんなバカだから」と言います。男を恋愛の対象とは見ていません。それは何故か? 答えは簡単です。みんなゲイだから。

このシリーズにおけるマイノリティとはゲイであり、そしてブライアン・シンガー自身がゲイであるからこそ、素晴らしく実在感のある描写が出来るんです。
本作のメインテーマは「マイノリティの生き方とは?」です。

チャールズはマジョリティと共存することこそが平和への道だと語ります。つまり、ゲイであることを隠して生きろと言うんです。ビーストは自分の足が大きくて猿のように手として使えることにコンプレックスを抱えています。そして「本質は変わらなくても見た目だけでも普通になりたい」とレイヴンに語り薬をつくります。一方、レイヴンもチャールズの教えに従って普段は普通の女の子の姿に変身しています。そして酒場でちょっと目の色を変えただけで、チャールズから怒られてしまいます。テンペストは羽根を入れ墨のように肌にくっつけて普段は見せないようにしていますし、バンシーやハヴォックはもとより普通の見た目をしています。

一方のショウは能力を隠すことはしません。自分たちがマイノリティであることを一切隠さず、革命を起こしてマジョリティに取って代わろうとします。つまり彼らはゲイであることを100%受け入れた上で、それを当たり前にしてしまおうと言うんです。

さて、この両者の間を揺れ動くのが本シリーズのもう一人の主役・マグニートとなるエリックです。エリックは最初はショウと同様の考えを持っています。自分の能力を理解した上でそれを復讐につかうことしか考えていません。しかしチャールズに出会うことで、彼の考え方に共感し、彼に協力することにします。多くの腐女子アイを持っている方が気付かれていると思いますが(笑)、チャールズはエリックを文字通り「口説き落とし」ます。「君の事は全部なんでも知ってるよ。」と何度も何度も繰り返し耳元でささやき続けるというキモい方法で(笑)、チャールズはエリックを自分のものにします。しかもエリックを(ゲイとして)目覚めさせるために、彼の幼少時の思い出を盗み見たりします。ゲイとか云々を脇に置いても完全に変態です。そしてまさにクライマックスでエリックはチャールズの自己中心的でメンヘラな姿勢に愛想が尽きて例のヘルメットを被るわけです。心で泣きながら。好きなのに別れざるを得ないから。
その後チャールズは非ミュータントのモイラと良い感じの仲になりますが、しかしキスをするのと同時に彼女の記憶を消して追い出します。何故でしょうか? それは彼女が非ミュータントでありストレートだから。チャールズは「ゲイであることを隠して生きろ」と言っていたにも関わらず、自分はストレートの女とは恋仲になれなかったんです。だから彼は森の中に引きこもって「恵まれし子らの学園」を作るんです。ゲイを隠して生きられないなら、ゲイだけの楽園を人里離れた場所に作っちゃえってことなんです。

本作の主題「マイノリティの生き方とは?」に対して、劇中では以上3通りの思想が語られます。「マイノリティであることを隠して生きろ。」「マイノリティであることを誇りにもって革命を起こせ」「マイノリティだけのコミュニティを作って引きこもろう」。この3つの思想を巡ってキャラクターが組んずほぐれつするわけですw

【まとめ】

男の友情にかこつけたアレすぎる描写も含めて、大変愉快な作品です。きちんと所々ギャグでテンポを抜いてきますし、必要な場所ではこれ以上ないほど熱血な展開がまっています。そして対アザゼル戦のワープ・アクション。それに加えてあからさまな心と心の交流を描くシーンもあります。だってチャールズがエリックを完全に落とすシーンは、それまでストレートよりだったエリックが巨大パラボナアンテナ(※丸いものの中央に先が尖った棒が立っているw)を能力で自分の方向にグイっと向けるんですよw そしてゲイに目覚めるw つまりナニがエリックにロック・オン!!!みたいなw 爆笑出来ます。
ゲイネタが嫌いな方も普通にエンタメ映画として楽しめますので是非見に行って下さい。オススメです。
グイっとね。ロック・オン!!!

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記事の評価
キック・アス

キック・アス

本日は満を持して

キック・アス」を見ました。

評価:(100/100点) – 男は思い立ち、調子に乗り、挫折し、決意を胸に真の英雄になる!!!


【あらすじ】

コミックオタクで冴えないデイヴ・リズースキーは思い立ち、ebayで買ったコスチュームと靴を身につけヒーロー・キックアスになった。彼はパトロール中に偶然遭遇した車上荒らし達を止めようとするが、返り討ちに会ったあげく、朦朧としたところを車に撥ねられて全身を骨折してしまう。しかしそんなことで彼のヒーロー熱は冷めなかった。神経麻痺により痛みを感じなくなった彼は、生まれ変わったヒーロー・キックアスver2としてギャング達に襲われた男を助け、一躍スターになる。
そんな彼はある日意中の彼女・ケイティからヤク中の男に付きまとわれていると相談を受ける。キックアスの衣装に身を包み、意気揚々と男のアジトへと向かうデイヴだったが、、、、。。

【三幕構成】

第1幕 -> キック・アスの誕生と挫折。
 ※第1ターニングポイント -> キック・アスが人気者になる。
第2幕 -> ビッグダディとヒットガール。
 ※第2ターニングポイント -> ビッグダディが殺される。
第3幕 -> 復讐。


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【感想】

本日のレイトショーは満を持して「キック・アス」です。マーヴェルのアイコン・レーベルから発売されたコミックスが原作ですが、連載当初から映画化を前提に作られていたため、どちらが原作というよりは同時制作のような形になっています。アメリカでの評判や9月の「第3回したまちコメディ映画祭in台東」での先行上映の大評判ぶりからか、連日TOHOシネマズ川崎ではソールドアウト状態でまったくチケットがとれなくなっています。今日もレイトショーだというのに一列目以外は完全に満席でした。

話の概略

本作は一応カテゴリとして「コメディ」となっていますが、笑える要素が多いというだけで内容自体はいたってシリアスかつ王道なヒーローものに仕上がっています。作中では何度もバットマンやスパイダーマンを意識した台詞が登場します。つまり、この作品内では現実の私たちと同じように「ヒーローもの」の映画やコミックがあって、そういった内容を前提とした上で「ヘタレなオタクが真のヒーローになるまで」を重たいテンションと残酷な描写と、そして時折混じる笑いによって手際よく描いて見せます。
本作の主人公・デイヴはごく平凡で冴えない学生です。彼は毎日オタク友達と漫画カフェに入り浸り、女友達もいなく、バカ話をして過ごしています。そんな彼がガッツだけでスーパーヒーローになっていくわけです。そこには当然血も流れますし、苦悩も経験します。悪者達を華麗で無邪気に殺すヒットガールを目の前にして、彼は恐怖し一度はヒーローになることを捨てようとします。しかし暴力の連鎖は止まらず、マフィアとビッグダディ達との抗争に嫌でも巻き込まれてしまい、ついには逃げられない状態にまで追い込まれます。当初気軽にヒーローを目指していた彼は、スパイダーマン・ピーター・パーカーの台詞である「力には責任が伴う」と言う言葉を引用し、「力が無くても責任はあるんだ」と考えるに至ります。そして平凡な彼は、精一杯の正義感と勇気でもって、ついには真の意味でスーパーヒロイン・ヒットガールの相棒になります。
この物語は、私たちと同じ平凡な人間が「ヒーローになりたい」という無邪気な夢から調子に乗ってしまったことで本物の復讐劇に巻き込まれ、やがては挫折や痛みを知って真のヒーローに生まれ変わるまでを軽やかで残虐で誠実に描きます。本作は英雄譚であり、そこにはマッチョもスーパーマンも超人も居ない、平凡な人間達のあがきと苦悩とそして最後に訪れる真のヒーローへのカタルシスが詰まった大傑作です。

原作グラフィックノベルについて

原作グラフィックノベルは小学館集英社プロダクションから邦訳版が出ています。2008年2月から2010年2月まで全8冊の小冊子で刊行されたコミックスをまとめたものです。実際にグラフィックノベルと映画を比較すると、プロットはほぼ一緒でもまったく内容・印象が異なる作りになっています。
グラフィックノベル版と映画版の決定的な違いは、デイヴの性格設定とビッグダディ達の動機付けの部分です。
グラフィックノベル版ではデイヴはギーク特有の嫌味で根暗な部分が前面に出てきます。グラフィックノベルにおけるデイヴは、正義のために立ち上がるというよりはむしろ名声や優越感のためにヒーローになりたがります。彼が明確に「正義」を意識して行動を起こす場面は、火事に遭遇する第5話の1カ所のみです。このため、全体を通して自虐的で選民的な、感じの悪いオタク少年の自己憐憫が中心になります。
そしてビッグダディの部分です。こちらは映画版とはまったく異なります。ビッグダディはただのコミックオタクであり、自身がヒーローになるために勝手にストーリーを妄想してギャングに突っかかっていきます。そしてその自分の夢に娘を巻き込みます。こちらの設定は本当に救いやカタルシスがありません。ビッグダディはダメ人間のままで死にますし、デイヴも流されるだけ流されて手ひどい目に遭います。ただ、唯一ヒットガールにとっては、「親の敵討ち」という父の妄想が現実になるわけで、そこでまさに漫画的なヒロインに”一瞬だけ”なります。しかしヒットガールは何を得るでもなく鬱屈した日常へと戻っていきます。
グラフィックノベル版におけるテーマを考えるとすれば、それは「ヒーローなんて居るはずがない」という現実と絶望であり、しかしその一方で時折奇跡的に「ヒーローになってしまう瞬間がある」という幻です。
一方、映画版においては作りがぐっとシンプルかつエンターテイメント寄りになっています。ビッグダディ達とフランク・ダミコ・ファミリーの抗争や因縁は本物ですし、その中でキックアスが右往左往して巻き込まれながらも真のヒーローへと成長するのも本当です。そしてヒーローもののお約束であるヒロインとのラブロマンスもあります。これは「整理した」というよりは「エンターテイメントとして再構成した」と言った方が近いかも知れません。原作ファンには「原作の鬱屈した感じが無い」と言われてしまうかも知れませんが、私は映画版のストーリーの方が好きです。

【まとめ】

全男子必見のヒーロー・ムービーです。冒頭のモノローグで「一度は考えたろう?スーパーヒーローになりたいって。」というデイヴのセリフがあります。そう、私たちは子供の頃には誰もがウルトラマンになりたかったし仮面ライダーになりたかったはずです。でも当然現実にはなれるわけもないですし、実際に悪党(※例えばヤクザ)を敵に回したらとんでもないことになるんです。本作の主人公は、ヒーローになるためにひたすら根性で歯を食いしばります。ヒーローが実在した場合に起こりうる「悪党を惨殺する」という恐怖に駆られ、そしてその責任の重さを実感し、しかし彼はそれでも正義を信じて立ち上がります。これは「もし現実にヒーローが存在したら」という私たちが一度は夢見たことのあるファンタジーに現実を突きつけた上で、それでももしかしたら居るかも知れないという希望を残す堂々たる「英雄誕生譚」です。
是非劇場の大きなスクリーンでご鑑賞下さい。タイツを着たヒーローが苦手な人でも絶対に見て損はありません。近年稀に見る少年の成長物語の大傑作です。オススメです!

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