劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル

劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル

さて、本日は予告通り新作二本です。

一本目は「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」です。

評価:(30/100点) – 二時間ドラマ以上でも以下でも無い。でも懐かしい。


【あらすじ】

ある日、上田の元に万練村から翔平という男がやってくる。万練村には代々カミハエーリという超能力者がおり、その者が村人を守るというしきたりがあるという。そして彼の祖母であった仙台のカミハエーリが死んだため、自身もカミハエーリの選定テストを受けなければいけないという。彼は自分に超能力が無いことを認めた上で、上田に全ての参加者がインチキであることを暴いてもらい、村の風習を止めてもらいたいと依頼する
一方、売れないマジシャンの奈緒子は浅草花やしきのショーをクビになってしまい、万練村のカミハエーリに応募して財宝をもらおうと企てる。
こうして奈緒子と上田の名コンビは、再び万練村で自称超能力者達を迎え撃つこととなった。

【三幕構成】

第1幕 -> 万練村に山田と上田が行く。超能力者達の紹介。
 ※第1ターニングポイント -> 鈴木が「霊能力者バトルロイヤル」を宣言。
第2幕 -> 三人が殺される。
 ※第2ターニングポイント -> 美代子の謎が明らかになる。
第3幕 -> 奈緒子vs鈴木


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【感想】

本日の一本目は「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」です。あいかわらずのTVドラマ映画の人気は凄まじく、初日の昼ということもあってか客入りは8~9割ぐらいでした。相当入っていました。

感想

ご存じの方が大多数だとは思いますが、本作は2000年に放送していた深夜TVドラマの劇場版3作目です。世間的には仲間由紀恵の出世作であり、アベちゃんの当たり役でもあります。
私は世代的に仲間由紀恵というと「井手功二のゲルゲットショッキングセンター」やエヴァの庵野監督が撮った実写映画「ラブ&ポップ」のイメージが強いんですが、たぶん一般的には「リング0」の貞子と「TRICK」の山田奈緒子で知った方が多いと思います。
そういった意味ではかなり初期からの仲間由紀恵ファンではありまして、TVドラマ版は深夜でやっていた第1/第2シーズンを全部リアルタイムで見てました。なので正直本作が映画としてゴミだとしても、あんまり悪く書く気はありません(笑)。
一応お約束としての指摘ですが、本作はまったく映画的ではありません。というか映画として作る事を最初から放棄しています。だっていきなりオープニングがテレビそのままですし、レギュラー・キャラクターについては一切の説明がありません。シリーズ初見の方は、野際陽子さんがいきなり出てきた時点で意味が分からないと思います。後半に出てくる回想シーンや単語も完全に過去のテレビシリーズを見ていることを前提としています。なので、本作はただの2時間特番(PPV)です。
映画ファンとしては「ふざけんな!そんなもんケーブルTVでやれ!」って話なんですが、一方でお客さんが入っているのも事実でして大変複雑なものがあります。
ちなみに二時間特番のPPVで1800円っていうのは、実は結構高いほうです。
話の内容自体については、特に書くことも無いほど「いつものTRICK」です。くだらない小ネタとオフビートなやりとりが全てで、はっきりいってサスペンス要素は一切ありません。ちなみに映画「プレステージ(2006)」を見ていれば全部分かります(笑)。たぶん今回の脚本の元ネタはこれでしょう。別にパクりとか言うつもりはありません。TRICKというシリーズ自体が巨大なコラージュものですから。「バンサンケツマ (マツケンサンバの逆読み)」とか「紀伊半多」とか、一部お客さんが受けていない小ネタもありましたが、まぁちょっと古いんで仕方ないかな、、、といった感じです。
テレビドラマ版のファンの方でも、いち早くみたいという方以外は劇場まで行く必要はないと思います。内容的にもテレビの2時間特番そのものですし、なによりどうせ来年のGWにはテレビで放送します(笑)。映画を見にいったというよりは、10年前の同窓会に行ったような懐かしい気分になりました。なんで映画としての出来は全っ然気になりません、、、、糞だけど(笑)。
映画を見るつもりなら止めた方がいいですが、TRICKのファンであれば是非。
なんか時が経つのは早いなと実感させられました。



明日TV版のDVD借りて来よっと(←長い連休で現実逃避中の社会人)。

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てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~

てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~

本日は久々の当たり屋家業、、

「てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~」です。

評価:(15/100点) – 別にどうでもいいかも、、、、。


【あらすじ】

沖縄出身の金城健司は何をやっても長続きせず借金150万円を作って故郷に戻ってくる。幼なじみの由莉との結婚のため仕事を真面目にすることを決意した健司は、友人・屋宜啓介のマリンスポーツ店の倉庫を借りてサンゴバーを始める。たちまち評判になって結婚・借金返済・子供誕生と幸せな日々を歩む健司は、しかし突然バーの閉店を宣言し、サンゴの養殖で海の浄化を志す、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 健司のバー
 ※第1ターニングポイント -> 健司が借金完済パーティでサンゴの養殖を宣言する。
第2幕 -> サンゴの養殖を巡るアレコレ。
 ※第2ターニングポイント -> 開発会社からの提携依頼を断る。
第3幕 -> 養殖サンゴが卵を産むかどうか。


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【感想】

昨日4月のまとめをつくっていたら良い映画ばっかりで無性に罪悪感に囚われてしまいまして(笑)、久々に正面から踏みにいってみました。やっぱ当ブログの本分はあからさまに危ない映画にいってキレてナンボだろうと思いまして(笑)。じゃあなんで「矢島美容室」に行かないんだって話もあるんですが、、、とりあえずリハビリってことで勘弁してください(笑)。
今日は夜19時からの回だったのですが、おじいさん・おばあさんや子供連れでかなり混んでいました。正直ビックリです。でもまぁシネコンで今上映中の作品という括りですと、「家族でお手軽に見られそう」と言う意味でベストチョイスかも知れません。
実際見てみると、正直そこまでどうこう言う事もない感じの普通につまらない凡作でした。リハビリに最適(笑)。
本作は金城浩二さんの自伝を元にした「実話脚色話」です。あくまでも劇映画ですが、あまり劇的なエピソードを入れずに”実話感”を上手く表現していると思います。ただですね、ここが本作がつまらない大きな原因だと思います。結局、実話をもとにしたとはいえ、あくまでも劇映画なわけですよ。だから、きちんとストーリーとして盛り上げるところは盛り上がるように嘘をついてもらわないと困っちゃうんです。
例えばクライマックス。クライマックスは、養殖したサンゴが産卵をする感動的なシーンなんですが、主人公の健司が「潜りすぎて鼓膜が破けた」っていう理由で産卵現場を直接見ないんですね。たとえ事実はそうだったとしても、それで盛り上がるわけが無いんですよ。そこは例えそうだったとしても、潜って肉眼できちんと見て、満面の笑みを浮かべてもらわないと困るんです。このシーンを観客はどういう顔して見れば良いんでしょうか? 微妙すぎます。っていうか嘘をつくつもりが無いなら、「プロジェクトX」にすれば良いだけなんです。
また、大前提として突っ込みを入れておけばですね、本作は「世界で初めてサンゴの養殖に成功した男の感動話」という体裁のはずなんですが、「サンゴの養殖」に関する技術的な苦労話が一切ありません。要は「なぜ世界中で健司だけが養殖に成功したのか」という説明が無いんです。本作における養殖の苦労っていうのが、ただ単に詐欺師に騙されて借金を負ったっていうだけなんです。この作品が言いたいのはそこじゃないはずなんですけど、、、あくまでも「海とサンゴと小さな奇跡」なはずでしょう? 本当に理屈も何もなく「たまたま」っていう描きかたなんです。それならそれで良いんですが、、、本当に良いんでしょうか? 特に原作者というか主人公本人の金城さんはOKなんでしょうか?
岡村さんの演技が酷いとか、そもそもこの金城夫婦は何して食ってるんだとか(←一応観光客にサンゴ売ってるらしいですが)色々突っ込みどころはあるんですが、そういうのを問い詰める気も起きないくらい脱力してしまいました。
薬にも毒にもならないつまらない凡作ですんで、是非、家族連れでゴールデンウィークにお楽しみ下さい!!!



これなら同じつまらなさでもアリス・イン・ワンダーランド見た方がマシでした、、、。

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ダーリンは外国人

ダーリンは外国人

昨日見てちょっとツイートしちゃいましたが、

「ダーリンは外国人」です。

評価:(6/100点) – ダーリンは団体職員。私は夢見る漫画家志望!(のニート)


【あらすじ】

小栗左多里は漫画家志望の女の子である。左多里はイラストを人権団体に持ち込んだ際に知り合ったアメリカ人のトニーと恋仲になり同棲を始める。
そんな中、姉の結婚式で両親にトニーを紹介した左多里だったが、父から交際を反対されてしまう。父に認めてもらうため、自身が漫画家になって自立できるよう、左多里は漫画に打ち込んでいく。しかしそれはトニーとのすれ違いを生んでしまった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> トニーとの三回目のデート
 ※第1ターニングポイント -> 姉の結婚式。
第2幕 -> 左多里、漫画家への道。
 ※第2ターニングポイント -> 父が死ぬ。
第3幕 -> 左多里の渡米と結婚。


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【感想】

さて一日遅れですが本日は「ダーリンは外国人」です。小栗左多里の自伝的マンガの映画化で、原作には無い恋愛要素を拡大して劇映画にしています。
で、いきなり結論を言いますが、私は本作を見て怒りも悲しみも湧いてきませんでした。代わりにあったのはものすごい虚無感と放心です。というのも、本作の心底くだらない内容もさることながら、あきらかに適当にテイクをつないだカットとなんとなく適当に撮った構図に辟易したからです。

本作の適当ポイント

まず誰もが思うであろう事をツッコませていただけば、そもそもこの物語自体が「ダーリンは”外国人”」になっていません。
ハッキリ言って、トニーが外国人である必要がまったく無いんです。だって、本編の中でカルチャーギャップコメディはただの一度も成立していません。洗濯物の表示が分からないのは外国人に限りませんし、食器を適当にゆすぐのは外国人だからではありません。もっというと、父親が反対した理由は「外国人だから」ではなく「同棲開始時に挨拶に来なかった」からです。本編の中で、ただの一度も、本当に一瞬ですら、トニーが外国人である事が原因で喧嘩するシーンはありません。
はっきり言います。
本作は「ダーリンは外国人」ではなく「私は夢に恋するニート」です。
全ての喧嘩や仲違いの原因は、左多里の八つ当たりおよび常識の欠如であり、トニーの適当な性格に起因するものです。そこに日本人だの外国人だのといった文化論の入り込むスキは1ミリたりともありません。全て、個人の性格・性質のせいです。
本作で本気で呆れかえったのは、最終盤で左多里が母に「やっぱりトニーが外国人だから上手くいかないのかな」とボヤくシーンです。
400人収容の映画館で私含めて3人しか見ていなかったせいもあるのですが、思わず声に出してツッコんでしまいました。
ちげぇ~よ。オメェがワガママで無神経だからだ!外人関係ねぇし。
ホントに関係ないんですよ。カルチャーギャップ皆無。トニーが日本語ペラペラすぎるため、まったく左多里が異文化交流をしません。冒頭のパーティシーンで孤立する描写が良い例です。もし、彼女が異文化交流をしたがるタイプなら、パーティシーンでは英語が分からなくても身振り手振りだけで飛び込まないといけません。ところが実際には壁際でオロオロしてるだけです。だから、そもそも左多里は異文化交流に興味が無いんです。
ではここで問題です。異文化交流に興味の無い女が、日本語ペラペラの外国人と付き合いたがって、いきなり同棲を始める理由はなんでしょう?
もちろん本気で好きだからもあるんでしょうが、しかし彼女はことあるごとに「トニーは外国人だから」という言い訳/こだわりを持ち込みます。



と言うことで、私の考える答えはコレです。
外国人の彼氏とつきあえる私が大好きだから。
少なくとも本作を見る限りにおいて、左多里はトニーをブランドバッグか何かと勘違いしているようです。可愛そうなトニー。ちょっと間抜けで気が利かないだけなのに、外国人というレッテルで特別視されるなんて、、、。

本作の適当ポイント・その2

さて、カルチャーギャップコメディになっていないという問題もさることながら、次に挙げる点はある意味もっと深刻です。
左多里とトニーは何して食べてるの?
要は二人とも社会生活を営んでいるように見えないんですよ。二人が同棲している家はすごい広いですし、左多里の実家は石垣付きの大豪邸です。もちろんトニーの実家もアメリカでもかなり広い方の一戸建てです。
さて、冷静に考えてみましょう。左多里は漫画家志望で、バイト等している様子はありません。ほぼ収入ゼロです。一方のトニーは、人権ボランティア団体の勤務らしいですが、作中では一日中家に居ます。本物のトニー・ラズローの政治活動は一端脇に置いといて、この作中のトニーはそんなに儲かってるんでしょうか?
二人に全然生活感がないんです。トニーはいつも同じTシャツ着てますし、この二人がどうやって生活しているかがさっぱり見えないんです。少なくとも作中を見る限り、左多里は親からの仕送りのみで生活しているように見えます。
ニートに「私の彼氏って外国人なの。いいでしょ?」って自慢されても、そんなん知るかってことですよ。別にアンタが幸せならいいんじゃない?って。
でも自分と夫の馴れ初めをこんなファンタジー世界に脚色されて全国公開されたら、普通の”日本人”なら恥ずかしくなると思いますよ?
あ! これってカルチャーギャップコメディとして成立してるじゃないですか!?
観客と監督と脚本家と原作マンガ家のカルチャーギャップ(苦笑)。
全員日本人だし、、、どんだけメタ構造のアバンギャルド映画だよ、、、。

【まとめ】

原作ファンの方には怒られるかも知れませんが、この映画を見る限りに於いて、左多里には人種差別主義者の匂いがプンプンします。だってトニーが何をやっても「外国人だから」と思ってるような奴ですよ。根本的に左多里の精神構造では「外国人」を馬鹿にして(=特殊視して)見下してるんですよ。個人個人として向き合いたいとか言っておきながら、その心中ではものすごい差別意識があるわけです。しかもブランドバッグ扱い。最低ですね。左多里の両親の態度の方がよっぽど誠実です。
結局ですね、、、この作品はカルチャーギャップコメディにもなっていなければ、恋愛映画にもなっていません。ただワガママな女の見当違いな自慢話を見せられるだけです。
別にこれで良いと思うならいいんじゃないでしょうか?
ただし、こういった精神構造の人間が勢いづいて自己愛が肥大していくと、待っているのは辻仁成や押尾学のラインしかありませんので是非お気をつけ下さい(苦笑)。

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誘拐ラプソディー

誘拐ラプソディー

昨日の2本目は

誘拐ラプソディー」です。

評価:(12/100点) – コメディってなんで簡単だと思われてるんかね?


【あらすじ】

伊達秀吉は借金苦から自殺しようと訪れた公園で家出少年の伝助と出会う。伝助が金持ちだと気付いた秀吉は、彼の家出を手伝うと言いつつ誘拐、両親に5000万を要求する。しかし、伝助の父親は暴力団の一派、篠宮組の組長・篠宮智彦その人であった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 秀吉が自殺しようとする。
 ※第1ターニングポイント -> 伝助の母に身代金を要求する。
第2幕 -> 身代金と逃亡。
 ※第2ターニングポイント -> 伝助を桜公園に捨てようとする
第3幕 -> 終幕。河原にて。


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【感想】

つまんね。



とか一言で終わらせるのもなんなんで、しっかり書きます(苦笑)。
本作は、間抜けな誘拐犯・秀吉を主役として、誘拐・ヤクザからの逃亡を巡るドタバタコメディです。構造的には良くある話でして、要は「秀吉と伝助のほのぼのした逃亡」と「追う篠宮組の殺伐さ」のギャップで笑わせようとしています。
ですが、ことごとく笑いが滑っています。というのも、この笑いの要素が全て一発ギャグだからです。レッドカーペット式と言いましょうか、面白げな動きだったり変な声で笑わせようとする程度の低いギャグなんです。せっかく哀川翔が変な声を出しても、全然笑えません。なぜなら、その場面のトーンはいたって真面目でシリアスだからです。公開二日目にして早くも観客が5~6人しか居ませんでしたが、上映中に愛想笑いすら起きませんでした。それもそのはず、結局ドタバタコメディをやりたいのかヒューマンドラマをやりたいのか、トーンがハッキリしないから、笑いようがないんです。
この作品を見ていて一番恐ろしいのは、「犯罪者に感情移入させる」というかなり難易度の高い事を目標にしながら、まったく秀吉の背景を描かないことです。
秀吉は前科持ちだっていうんですが、何して捕まったんでしょう?
借金まみれだって言うんですが、何をしてお金を擦ったんでしょう?
妻子が居ないっていうんですが、元から居ないのか離婚したのかどっちなんでしょう?
結局、この物語でハートウォーミングな感じに着地させるのであれば、秀吉がなぜ伝助を可愛がるのかをもっと丁寧に描かないと行けません。父に相手にされなかった自分を重ねているのであれば、きちんと父親との過去を描くべきです。そこが言葉で流されてしまうために、ただ単にバカなガキに流されているようにしか見えないんです。これでは秀吉に感情移入するのは無理です。
さらに輪を掛けて酷いのは物語の進め方です。この物語には確かな推進力が存在しているんです。誘拐前半は「身代金を手に入れる」こと。誘拐後半は「伝助をおばあちゃんの家に届ける」こと。ところが、前者はともかく後者にいたっては全く具体的な描写がありません。そもそもおばあちゃんの家を探しているように見えないんですよ。ただドライブしているだけなので全く緊張感も無く、物語が完全に止まってしまいます。しかもそれが一時間近く続くわけです。なんでこんな雑な事をするのかさっぱり理解出来ません。
極めつけはキャラの存在感のなさです。船越英一郎を刑事役にして哀川翔をヤクザ役にしてる時点で、このキャラは完全に記号なんです。ベタで意外性のカケラもないキャスティングをした以上は、当然過去に彼らが演じた船越刑事や哀川組長をスタート地点にしてさらにそこからもう一段積み重ねないといけません。それなのに、記号以上の存在にはならないんです。「みんなが知ってるこんな感じのキャラです」という放り投げ方をされても、面白くもなんともありません。

【まとめ】

おそらくきちんと演出力のある監督が撮れば、面白くなる素材だと思います。しかし本作に限って言えば、正直な所、褒める要素が見あたりません。強いて言えば菅田俊さんはやっぱりすごい役者だなって位です。
哀川さんのファンの方には、ゼブラーマン2は絶対見に行くんでこれは勘弁して下さいと



すんませんした!!!(`・ω・´)ゞ

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ブルーノ

ブルーノ

日も二本です。
一本目でブルーノを見てきたんですが、ちゃんと書くのが難しいので駄文で逃げたいと思います(笑)。

評価:(80/100点) – 正気とは思えない、受け止めるのが大変な芸人魂。


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【感想】

この作品は言わずと知れたイギリスの体当たりコメディアン、サシャ・バロン・コーエンの持ちキャラクター「ブルーノ」を映画にしたものです。今回はゲイキャラということで、とにかく「アナル」と「ち○こ」ネタが大量動員されていまして、画面上がモザイクだらけです。相変わらずの有名人ネタも多く、特にメル・ギブソンを「反ユダヤ人の親分・総統」呼ばわりしたり、アイドルにして人権派のポーラ・アブドゥルに男体盛りを出したり、かなり危ないギャグで弄くります。
不謹慎コメディとしてはかなり度を超している凄いレベルなんですが、どうしてもアメリカのドメスティックな笑いになってしまうため、日本人には分かりにくい部分があります。アーカンソーは保守的なのでゲイがやばいとか、ユダヤ教でゲイはやばいとか、アラバマの荒くれ狩人にゲイはやばいとか(笑)。
まぁとにかくゲイがやばい所ばっかに行くわけで、よく生きて帰ってきたなと。
本作が物凄い所は、そういった「たけしの元気が出るテレビ」的というか「ジャッカス」的な不謹慎なことをやりまくっていながら、きちんと劇映画としての「ブルーノの成り上がりストーリー」にまとまっているところです。不謹慎ネタの連続なのにストーリーとしてきちんと成立しているんです。だから子供が伏線になってたりして劇映画としても楽しめるんです。
こう言ってはなんですが日本でお笑い芸人が映画を撮ると、出来もしないのに「一流劇映画」を目指してしまい、結果煮ても焼いても食えない産廃が生まれます。でもお笑い芸人なんだから映画で堂々とお笑いをやれば良いんですよ。本作のサシャ・バロン・コーエンはきちんとシングル・コメディアンでも超面白い映画を作れるということを完璧に証明しています。「映画監督」の肩書きが欲しいだけの糞三流吉本芸人とは違う、本物の一流コメディアンの映画がここにあります。是非映画館でご鑑賞を!!!
ただし下品なエロ・ゲイネタのオンパレードですので、そこいらに耐性がある人限定です(苦笑)。
エア・ゲイ・セックスとか杉作J太郎さん以来の革命です(笑)。

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噂のモーガン夫妻

噂のモーガン夫妻

今日は会社帰りに

「噂のモーガン夫妻」をレイトで見てきました。。

評価:(45/100点) – 潔い割り切り。ラブコメして何が悪い!


【あらすじ】

メリー・モーガンとポール・モーガンは、ポールの浮気が原因で別居していた。ある日仲直りしたいポールはメリーをディナーに誘う。その帰り道で両名はたまたま殺人現場を目撃し、犯人に狙われてしまう。二人は証人保護プログラムを適用されワイオミングのド田舎町・レイで一週間を一緒に過ごすことになる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> モーガン夫妻の別居状態
 ※第1ターニングポイント -> モーガン夫妻がワイオミングに着く
第2幕 -> ワイオミングでの日々
 ※第2ターニングポイント -> 夫婦の仲直り
第3幕 -> 殺人事件の結末


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【感想】

本日は「噂のモーガン夫妻」です。カップルが数組入っていたぐらいですので、標準的な入りではないでしょうか。
本作については正直あまり書くことがありません。というのも物語がスッカスカだからです。冒頭で起きる殺人事件も結局は「夫婦がいやいやでも一緒に居ないといけなくなる」という効果のみを狙ったものですし、それ以外は別になんにも起きません喧嘩していた筈の夫婦が、田舎の自然に触れて癒されていくうちに素直になって仲直りするっていうだけです。殺人事件だってツッコむ気もおきないくらい適当な設定で、ラブコメの小道具以上の事には使われていませんから。
ヒュー・グラントは相変わらずダメ人間が超似合いますし、サラ・ジェシカ・パーカーも年の割には青春まっただ中に見えます。でも本当にそれだけです。結局、2人の痴話げんかを延々と80分近く見るだけです。俳優力が素晴らしいので見ている間は全然問題無く見られるんですが、面白いってほど面白くもないし、けなすほどつまらないラブコメでもないので、まぁ時間つぶしにカップルで入るならいいのかなってぐらいの感覚です。
私の中では完全に「どうでもいい映画」枠でした。
予告はもっと面白そうだったんですけどね、、、。
ちなみに同じ「浮気と夫婦」を描くにしても「スイートリトルライズ」よりも数段上の綺麗な回収を見せてくれますので、何の問題もない標準的なラブコメなのでは無いでしょうか?
別に見なくて良かったかも、、、。

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時をかける少女(2010年版)

時をかける少女(2010年版)

2本目は

「時をかける少女」です。

評価:(85/100点) – これこそアイドル映画。


【あらすじ】

ある日、酒屋の吾郎が芳山和子に一枚の写真とラベンダーの花を手渡す。それを見た和子は放心状態で歩き車に轢かれてしまう。事故の昏睡から目覚めた和子は、かつて深町によって消された記憶を取り戻す。そして娘のあかりに自身の代わりに彼女が開発したタイムリープの薬を使って深町に会いに行くよう頼む。しかし、あかりはタイムリープする日付を間違えてしまった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 和子が記憶を取り戻す。
 ※第1ターニングポイント -> あかりがタイムリープする。
第2幕 -> 深町を探す。
 ※第2ターニングポイント ->深町に出会う。
第3幕 -> 1974年、最後の一日。


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【感想】

さて、二作目はもちろん「時をかける少女」です。夜の回で見てきましたが、すごい人の入り方でした。その後、つい今しがたまで「大林版・時をかける少女(1983)」と「細田アニメ版・時をかける少女(2006)」を見返してました。そうしないと本作を褒めるための理論武装が出来ません(笑)。
本作は「大林版・時をかける少女」の直接的な続編となっています。「大林版・時をかける少女」は原田知世の神懸かり的な可愛さと大林監督のカルトな表現技法が使われている、ものすごくイビつで変わった歴史的大傑作です。この大林版の時をかける少女への心酔度によって、おそらく本作の評価は180度変わります。私はこれから本作を絶賛いたしますが、ちょっと言い訳がましくなるのをご了承ください(笑)。
また前提として、私は大林版をリアルタイムでは見ていません。
時をかける少女に触れた順番は
「内田有紀版」→「筒井康隆小説」→「大林版」→「安倍なつみ版」→「アニメ版」→「本作」
となります。
なお、以後の文章では「大林版・時をかける少女(1983)」のことを「前作」と呼ばせていただきます。

ストーリーテーマについて

本作には二つのストーリーがあり、それが同時並行で進んでいきます。一方はおそらくほとんどの方が絶賛するであろうストーリーであり、もう一方は賛否が180度分かれるであろうストーリーです。まずは前者を見てみましょう。

□ ストーリー1:ラブストーリー

ストーリーの一つは、新キャラクターの芳山あかりがタイムリープした事で起こる過去人・涼太との恋愛話です。非常にオーソドックスでして、過去に影響を与えてはいけない未来人が過去の人間に惚れてしまうことから起こる悲恋話です。ここに若い頃の両親との出会いが合わさり、疎遠だった自分を捨てた父との関係にも影響を与えます。このパートでは仲里依紗の顔のアップショットが多用されます。これぞアイドル映画の醍醐味。とにかくいろいろな表情の仲里依紗がスクリーンに映し出され、それがものすごく魅力的に撮れています。
また未来人を”拾ってしまう”涼太の造形もオーソドックスで、ボンクラなダメ人間で映画や特撮に心酔しているオタクです。ですが彼が熱心に撮影する自主映画「光の惑星」の撮影を手伝ううちに、段々とあかりは涼太に惚れていきます。そして「ある事件を阻止しようとするが、過去を変えてはいけないために阻止できない」というお約束もあります。この全ての恋愛話の最後に、前作の和子と同様に記憶を消されて恋心も失われてしまいます。しかし、前作には無かった”救い”が本作には用意されています。安直に見えるかも知れませんが、私はこの救いのシーンで完全に号泣モードに入りました。
私はこちらのストーリーが本作のメインだと思います。

□ ストーリー2:大林版・時をかける少女の続報・回収

二つ目のストーリーは、芳山和子と深町一夫を巡る再会の話です。もう文字で書くだにセンシティブな話題です(笑)。本作では吾郎が持ってきた和子と一夫の2ショット写真と交通事故のショックで、和子が消された記憶を取り戻します。そしてそこから、和子と一夫の再会ストーリーが始まります。
あかりが過去に戻ると、和子はいきなり尾道(本作では東京?)から横浜に引っ越しています。そして新キャラ・長谷川政道に恋をしています。作品単体としては「娘が若い頃の母に出会いその恋愛観を見ることで、母も人間であることを少し理解する。」という比較的良い話です。ただですね、ここに前作の熱狂的なファンが拒絶反応をしめすであろう「引っかかり」が数点あります。
そもそも「原田知世 役」の石橋杏奈が原田知世と比べて可愛く無いというのが一点目です。2010年パートの和子は前作では出てきてませんから、安田成美については何の問題もありません。
おそらく石橋さんやスタッフは嫌だと思いますが、「時をかける少女」を制作し学生時代の芳山和子を演じる以上は、今後未来永劫、原田知世との比較は避けられません。そして前作の活発なショートヘアの芳山和子が、かなりおとなしめの長髪少女に変わっています。これは前作のファンとしてはわりとショックです。尾道という世界観が無くなったのもかなり大きいです。
二点目は深町君の未来描写です。前作では「緑の少なくなった未来からラベンダーを見つけるために来た」のが深町君です。本作の中盤で未来の深町君が映るんですが、なんというか、、、、SFとして致命的なまでに夢の無い手抜きな未来世界がCGで広がっています。これがセンスが皆無でダサ過ぎます。また石丸幹二というのもちょっと違和感があります。深町君はもっと無邪気で好青年なイメージがあったので、石丸さんはあんまり合ってないような気がします。
三点目は吾郎の扱いです。前作では吾郎と深町君と和子で仲良し3人組だったのに、本作では和子が引っ越した関係でほとんど出てきません。前作や原作をみて和子と吾郎がくっつくと思っていた人にとっては、いきなり新キャラが和子と結婚するのは納得が出来ません。
四点目が和子と深町君の再会です。前作は好きなのにすれ違うしか無いというシチュエーションが悲恋だったわけで、記憶を無くしてしまったのに偶然すれ違うことが肝だったと思います。再会させたら前作から27年にわたる余韻が台無しです。
そんなわけで、こちらのストーリーをどう評価するかはかなりパッカリ分かれると思います。いままで「時をかける少女」を見たことが無い人には普通に問題のないストーリーですが、大林版のファンであればあるほど、上記のようなノイズが猛烈に気になります。

そのほか。

本作で絶賛モードの私でもどうしても納得出来ないことがあります。
それは、エンディングを仲里依紗が歌っていないことです。
なんで「いきものがかり」なんじゃ!!!このタイアップで誰が得をするんだ!!!アイドル映画なんだから、最後は大林版のオマージュとして倒れてた仲里依紗がムクッと起き上がっておもむろに「時をかける少女」を歌うべきでしょ!!!
この点に関しては私は一切擁護の言葉を持ちません(笑)。完全に失策です。「なくもんか」を許した私でも、これでいきものがかりが嫌いになりました(笑)。

【まとめ】

前作との関連ではネガティブな部分ばかり取り上げましたが、もちろんポジティブな部分もあります。桜並木を歩くシーンや最後に深町とすれ違うシーンは明らかに大林版へのオマージュとして成功している部分です。
冒頭で85点としたのは、あくまでも仲里依紗のアイドル映画としての点数です。本編が100点で、エンディング曲無しなので-15点(笑)。ここに前作への心酔度が加わって、人によっては100点になったり-100点になったりします。
ですから、確かめる意味でも是非劇場で見てみてください。大林版を見たことが無い方は、まずレンタルDVDで大林版の鑑賞をオススメします。私も大林版が結構好きだったという意外な発見がありました。

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猿ロック THE MOVIE

猿ロック THE MOVIE

本日は2作品です。金曜のレイトショーで見てきたのは、

「猿ロック THE MOVIE」です。

評価:(30/100点) – 無垢と”基地の外”の差とは。


【あらすじ】

銀行で起きた立てこもり事件の解決のため、鍵職人・猿丸は友人の山田刑事の依頼を受けて裏口破りを行う。後日、猿丸の元にマユミと名乗る人質だった女性が助けを求めに来た。彼女は猿丸に金庫破りを依頼し、中身のトランクを奪って逃走する。しかしそれは立てこもり事件で銀行から奪われた水樹署長のトランクだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 ->  銀行立てこもり事件
 ※第1ターニングポイント -> 猿丸とマユミがトランクを奪う。
第2幕 -> 猿丸とマユミの逃走劇。
 ※第2ターニングポイント -> マユミが攫われる。
第3幕 ->  解決編。


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【感想】

さて、TVドラマ「猿ロック」の劇場版です。金曜のレイトショーで見ましたが、約250席の劇場で私以外はカップル 2組だけでした。公開から一週間経っているので仕方がないかも知れませんがちょっと寂しい入りです。
内容ですが、トランクというマクガフィンを巡った逃走劇+陰謀劇です。やっていることは非常に単純で良くある話でして、とどのつまりはある程度のクオリティには自動的になります。しかし、本作ではディティール部分がちょっとどうかと思う程に悪すぎます。
まず第一に、その安~い感じの陰謀論タッチです。「警察の汚職」というキーワードをそれこそワイドショー的な記号としてしか使っておらず、結局何がなんなのかさっぱり分かりません。これ、先月の「交渉人 THE MOVIE」にもありました。公務員とか政治家を仮想敵にするのは良いと思うのですが、そのディティールがずさん過ぎて監督・脚本家の「認識の適当さ・レベルの低さ」が露呈してしまっていてすっごい萎えます。
小西真奈美さん演じる水樹瑛子の「正義を求めるが故の強硬手段」みたいなのも全然必要悪に見えず、なんか西村雅彦の記号的悪とどっこいどっこいかなと。はっきりと小西さんも悪に見えてしまうので、こちらの陰謀タッチの部分は論点が相当ボヤけてしまっています。
第二に猿丸のキャラクターそのものの設定です。主演の市原隼人さんは素晴らしい熱演を見せてくれます。竹中直人を彷彿とさせるようなアクの強い「一人舞台コメディ」を随所で炸裂させ、好き嫌いは分かれそうですが強い印象を与えてくれます。私は結構好きです。ただキャラクターとして見るとこの猿丸は単なる頭の足りない「基地の外の人」にしか見えません。猿丸は「他人を疑うということを知らない」人間として描かれるんですが、恐ろしいのはそれが無垢で純真である表現として使われている点です。いかにも「他人を疑わないのは良い事だ」というように見えるのですが、実際に彼の行動は疑わないというよりは「なんでもかんでも鵜呑み」にしています。その鵜呑みっぷりが凄まじすぎるため、話の整合性もさることながらキャラとして気持ちの悪いことになってしまっています。さらにその煽りを受けて、マユミがものっすごい嫌な女に見えます。ただでさえ自己中なのに、基地の外の人間を都合良く利用して自分は高飛びする最低な女です。結局猿丸がやったことは傲慢で自己中な女を助けたことと、自己中で自身が正義だと思い込んでいる女を手伝っただけです。しかもそれが原因で友達が降格してるのに大団円で終わるのはどうなんでしょう、、、。
劇中で市原さんが「本当に大事なもんはな、目には見えねぇんよ!!オメェは上っ面しか見てねぇんだよ!!!」と叫んでいましたが、まさしくその言葉をそのままこの映画の制作者にお返しいたします。
「本当に面白い映画ってのはなぁ、ルックスに頼らねぇんだよ!!オメェは面白い映画の上っ面しか真似してねぇんだよ!!!」
、、、まぁそこまで酷くはないですけどね(笑
これぞセンセーショナリズム。

【まとめ】

以上の二点が酷すぎて、市原隼人の面白さを考慮しても差し引きマイナスです。テレビドラマの映画化としてはそこまで失敗しているわけでは無いんですが、やはり映画としてちょっとどうかと思います。
でも市原隼人のファンならば駆けつける価値はありますし、彼の一人芝居のシークエンスは本当に面白かったです。できれば変に小細工をせずに市原君主演のコメディ映画を見てみたい気がします。それこそ竹中直人と親子ものなんてやってくれたら絶対初日に駆けつけます。それほどに魅力的でした。
ということで、市原君のファンの方にはオススメします!!!、、、、まぁファンならこんなこと言われなくても初日に行ってますよね(汗。

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