ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」を見てきました。
意外にも結構人が入ってました。

評価:(5/100点) – いやね、、、見た僕が悪いんです。


【あらすじ】

中卒ニートの「マ男」は母親の死をきっかけにIT系企業に就職する。しかしそこはブラック会社であった。彼は限界を感じ退職を決意する。この物語は彼が入社してから退職を決意するまでを2chに投稿した自己申告型ノンフィクションである。

【三幕構成】

第1幕 -> マ男の就職
 ※第1ターニングポイント -> マ男がプロジェクトリーダに指名される。
第2幕 -> プロジェクトであれこれ
 ※第2ターニングポイント -> 木村が入社する
第3幕 -> 退職の決意とその後


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【感想】

こんな映画見に行った僕が悪いんです、、、えぇ、わかってます、、、でもね、、、想像以上に酷いんですよ。
この映画は早い話が、「マ男」の主観上のブラック企業を視覚化している訳ですが、具体的な指標が無いためさっぱり分かりません。極端な話、実はマ男というのが自意識過剰な妄想狂で他人を見下しまくってるだけの可能性もあるわけです。
私もデスマーチに三年ほど参加した経験がありますが、あれってまともな神経では絶対にできないんですよ。まともな神経の人間は途中で根本を正そうとします。それは納期だったりリーダだったりしますが、普通はデスマーチになった時点でいわゆる年功序列とか役職とかは全部無視して仕事できる人間だけで結託して無理矢理プロジェクトを回しだします。要は極端な実力主義になるんです。じゃないとプロジェクトが進みませんから。本作のストーリー上では全ての能力において藤田さんとマ男が優秀だという事になってますので、普通であればこの2人の発言権は役職関係なく高くなります。でも、肝心の2人が具体的にどの程度能力が高いのかが良く分からないのと、そこまで発言権が無いのとで、すごく怪しく見えてしまうわけです。特に本作は「実話から生まれたワーキング・エンターテインメント」と表していますが、「仕事の楽しさ」とか「達成感」とか「嫌なことでもやらなきゃいけない強制感」とかな~んにも語られないため、まったくファンタジーに見えてしまいます。これ見て「仕事って良いな」と思った人がいたら、是非そのポイントを聞かせていただきたいです。ただただ新入社員のグチを見せられてるだけです。まぁこの文章も私のグチなんですけどね(笑)。
結局「何を見せたいのか?」が最後まで良く分からないわけです。「デスマーチを通して連帯感が生まれた」って話であれば、デスマーチって良い事なんですかね?「仕事の喜びを知って成長したニート」って話なんでしょうか?でも彼のスキルが上がった描写はないですよ。なんせ彼は最初から会社でトップレベルですから(笑)。
途中でカットバックされる気持ちの悪い三国志やサバイバルゲームの例えの寒さも相まって、なんとも言えない嫌~な気持ちにさせてくれる映画でした。
あと全然重要じゃないところで気になったのですが、この会社はオフィスと社長室が広すぎます(笑)。社長+社員7人+派遣一人のソフトハウスでこのオフィスはあり得ないですよ。実はものすごい繁盛してるんでしょうか?こういう所をみても話に信憑性がないです。

【まとめ】

見終わってから気がついたんですが、本作の脚本家はあの悪名高き「ROOKIES-卒業-」のいずみ吉紘さんだそうで、それと佐藤祐市監督がくっついたんじゃこの出来は納得です。本作に興味のある方は、悪いこといいませんからDVDを待ったほうが良いですよ。Z級映画としてのおふざけも無いので、どうも制作者の方は本気で面白いモノを作っていると思っているようです。



無理ッス。
余談ですが、公式サイトに寄せている森永卓郎さんのコメントに我が目を疑いました。
以下抜粋しますと、


何というリアリティだろう。
システム会社に勤めていたときの疲労感、理不尽なリーダーの無責任さ、
締め切りと戦う緊張感、
そして何より仕事の充実感が鮮やかによみがえった。


この人、本当に映画みたんでしょうか?っていうかもし見てこう思ったなら、彼はプログラマとしてすごい低能力だったのではと思ってしまいます。
いや~仕事って本当に良いですね(棒読み)。

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2012

2012

今冬公開作で最も宣伝している「2012」を見てきました。

評価:(15/100点) – ローランド・エメリッヒのいつものやつ。


【あらすじ】

2008年インドで地温の上昇が観測される。近い将来に大規模な地殻変動が起き未曾有の災害に発展すると予想したヘルムズリーは、アンハイザー米大統領首席補佐官にコンタクトをとる。アメリカを中心とした世界約40カ国はこの災害を乗り切るために中国で巨大艦を建造することとした。そして2012年、予想通りに地震が多発し始める、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ジャクソンが子供達を連れてキャンプに行く
 ※第1ターニングポイント -> キャンプ場でチャーリー・フロストより終末の予言を聞く
第2幕 -> 大災害
 ※第2ターニングポイント -> チベット僧ニマの車に乗せてもらう
第3幕 -> 巨大艦の内部でいろいろ。エンディング。


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【感想】

内容に対して尺が長すぎます。ただ災害から家族で逃げてるだけなのに158分って、、、いくらなんでも冗長すぎるし無駄なシーンが多すぎます。私は序盤のセスナ機が離陸するぐらいで既に飽きてました。

■ エメリッヒ監督の”ディザスター・ムービー”

ローランド・エメリッヒはいわゆる”大災害モノ”で有名な監督です。宇宙人が侵略してくる「インディペンデンス・デイ」、恐竜が襲ってくる「GODZILLA」、氷河期がいきなりやってくる「デイ・アフター・トゥモロー」、別部族にいきなり攻められた弱小部族の反撃を描く「紀元前1万年」、み~んなやってることは一緒です。「緻密」とか「丁寧」とか「良くできた」などとは無縁な超大味で適当な脚本を使って、ひたすら大金をぶち込んだCGを見せるための映画です。「ピガー」「ちゅドーン」「ドッカ~ン」でエンドクレジット(笑)。早い話がテレビゲームのCGムービーだけ見てるようなものです。話なんてどうでも良いんです(笑)。
また、エメリッヒを語る上で絶対に外せない要素が二つあります。それは「家族愛」と「アメリカ神話」です。
とにかくクドい程に繰り返される家族愛とアジテーションのようなアメリカ神話を許せるかどうかが、エメリッヒの評価の全てです。

■ 「2012」におけるエメリッヒ要素

本作では冒頭からしつこいほどジャクソンと元妻・子供達の関係が描かれます。また、アメリカ大統領(きちんと黒人です)がとんでもないナイスガイになっており、アンハイザーの外道っぷりとの対比がそれを加速させます。しかしですね、今回はそこまで「アメリカ万歳!」という感じはしません。それ以上に、前者の「家族愛」がものすごい曲者です。
一応は主役格として登場するジャクソンですが、この人物は自己中心的な行動を全編通して繰り返します。「自分と家族のためなら全員死ね」と言わんばかりに周りに迷惑をかけまくり、利用しまくり、元妻の恋人まで殺して、最後は親子4人で日の目を見る「美談シーン」にこぎ着けます。こいつのために何万人死んだかは分かりませんが、少なくとも千人単位では死んでます。終盤にサスペンス的なイベントを盛り込んできますが、これもよくよく考えるとジャクソンのマッチポンプです。本当に酷い事になっていまして、とてもじゃないですがディザスター・ムービーの主役としてはどうかと思うほどのキャラクターです。そして許し難いことに、そのすべてが「家族愛」で片付けられてしまいます。
また通常のディザスター・ムービーで必要な要素に「日頃の行いと死の関連性」があります。簡単に言うと「嫌なやつは死に良いやつは生き残る」という因果律ですが、本作ではいまいち有効に活かされていません。すごい嫌なやつであるユーリとその息子も、最終的には”絵に描いたような家族愛”に着地しますし、最も嫌な奴であるアンハイザーは盤石の体制で生き残ります。

【まとめ】

本作は「どこまで細かい所を気にせずに見られるか」という観客のリテラシーに強く依存した作品です。もしあなたが映画をよく見るタイプなら、本作のメッセージに嫌気がさして前半で飽きてしまうでしょう。もしあなたが話を気にせず雰囲気で泣けるのであれば、号泣できます。
そしてここが良く分からないのですが、劇場に観客がかなり入っています、昨日も行ったシネコンでは朝一とレイトショー以外は全て完売でした。まぁ宣伝をバンバンしてますし三連休でもありますから入ってるだけかもしれません。一応ソニー・ピクチャーは「ハリウッド超大作」として売り込んでいますが、はっきり言ってCGにお金が掛かってるだけで、そこを除けばただの糞映画です。もし2009年現在のCGモデリング技術を大画面で見たいのであれば、オススメです!



でも一発ネタで2時間30分はやり過ぎですよ。

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曲がれ!スプーン

曲がれ!スプーン

「曲がれ!スプーン」を見てきました。

東京国際映画祭で見逃したので待望の作品です。

評価:(60/100点) – テレビ世代の凡作コメディ。でも長澤まさみが超カワイイから全てOK。


【あらすじ】

湾岸テレビの桜井米は「あすなろサイキック」という超能力バラエティのADである。超能力を茶化すことで笑いを取っている低俗バラエティである同番組で、彼女はディレクターから視聴者投稿の取材を任される。しかしほとんどの投稿が目立ちたがり屋のインチキであり、テレビのネタに出来るような人はなかなか見あたらない。ある日、やはりインチキな「我慢男」を取材した後、彼女は善通寺通りにある「喫茶カフェ・ド・念力」で「細男」と待ち合わせる。そこは、世を忍ぶ本物の超能力者達の溜まり場だった、、、。


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【感想】

フジテレビと博報堂がスポンサー、監督・本広克之、プロデューサがフジテレビ映画事業局・亀山千広ということで、みんな大好き(嘘)少林少女でおなじみの「世界の亀山モデル」です。もうこのメンツが並んだだけで映画ファンであればポスターに唾を吐きかけて千切りたくなるんですが、私は大の長澤まさみファンだったりしまして、舌打ちしながらも見てきました。
結論ですが、私は見ている間中、最近のコント番組を見ているような感じがしました。ボロクソに罵倒するほどつまらなくはないです。でもいわゆる映画的な演出があるわけでもなく延々と細々したボケ・ツッコミを続けていきます。物語としては結局何がしたいかさっぱり解らないんですが、見ている最中はそこまで苦痛ではありません。でも、どうしても「映画みたぞっ」「1800円分楽しんだぜ」という感じはしません。テレビ番組と同等の暇つぶし感覚のバラエティ作品です。

■ 世界観について

本作の世界では超能力者が普通に存在しています。少なくとも「カフェ・ド・念力」に偶然5人も集まっているのですから、かなりの密度で超能力を持った人間が居ると見て間違いないでしょう。そして桜井の幼少期の記憶ではUFOが落下する所を目撃しています。ということで、この実世界よりも作中の方が超能力や超常現象は身近な世界だといえます。しかし一方で、「あすなろサイキック」の番組内では自称・超能力者を徹底的に茶化します。番組に出てくる超能力者達はたいていの場合フェイクなのでしょうが、笑いのSEの入れ方等は完全に「頭がイカれている人」を馬鹿にするものです。「カフェ・ド・念力」では皆さん自分の能力を秘密にしている描写があることから、超能力者はある程度の偏見や差別を受ける立場であると思われます。
そんな中で長澤演じる桜井は自身の幼少体験により超能力を信じています。本作は、桜井という「世を忍ぶ人にとって敵であるマスコミ」と「健気に超能力を信じる良い子」というアンビバレントな役割をもった彼女を通じて、なんかちょっと美談風な結論に落ち着きます。あくまでも美談風ですよ。実際は美談でも何でも無いです。

■ テレビ的な乱暴視点

私は見ている間中、最初から最後までず~~っっと引っかかっていた事があります。それは「UFO」と「超能力者」がなぜか「お仲間」として認識されていることです。桜井は幼少期にUFOの墜落を見たことで超能力を信じるようになります。これの意味がわからないんです。UFOと超能力はまったく違うものでしょう?UFOが実在したら、超能力者も実在するって論理はあきらかに変です。終盤にも「あすなろサイキック・クリスマスSP」にゲストで「UFOを呼べる超能力者」が出てきます。でも、これっていわゆる「チャネラー(交信者)」ですよ。超能力者じゃないです。チャネリング文化や月刊ムーをバカにしてるんでしょうか?個人的にはあんまりUFOとか信じていないですが、どうもこのあたりの雑さにテレビ的なレッテル貼りの感じがして好きになれません。
また、本作は所々「ひそひそ声で話しをする」というシーンで「大声で怒鳴り合い」ます。これもテレビドラマの演出です。なんでもかんでも台詞で説明するため、ラジオドラマで十分かと思うほど映像の意味がありません。実はこの辺は「キサラギ」でも思ったことなんですが、どうも日本のテレビ局系映画は自身のドラマ制作メソッドのようなものを映画にそのまま持ち込んでしまう傾向があるようです。テレビドラマと映画は、文法からして全く別物です。「視聴者はバカだと思って作ってる。バカは言葉がわからないからテロップで全部出すし、笑い声のSEを入れて笑いどころを教えてやるんだ」というのは某汐留テレビの五味プロデューサの名言ですが、本当にそんな感じです。なんでも台詞で解決してしまうので、ただでさえ小さいスケールがどんどん小さく・安く見えてしまいます。随分と映画の演出も安く見られたものです。

【まとめ】

はっきりいって映画としては欠点だらけの本作ですが、その全てを長澤まさみが一身にはねのけてくれます。というのも、特に後半、カフェ・ド・念力に集まった超能力者達が団結するのがただ単に「長澤まさみに萌えたから」という身も蓋もない理由だからです。そして少なくとも私自身は大いに共感出来ます!!!
いや、可愛いッス。マジで。こんな可愛いなら仕方がないッス。
ということで、長澤まさみのファンに限り、オススメです!!!



逆にですね、特に女性で「長澤のブリッコが腹立つ」という人にはおそらく地獄の100分が待っています。そういう方は絶対やめた方が良いです。本当に長澤まさみだけの映画ですから。

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イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ」に行って参りました。

評価:(90/100点) – タランティーノの中二病が上手く出ました


【あらすじ】

第二次世界大戦時ナチス占領下のフランスにてユダヤ人のショシャナは”ユダヤ・ハンター”ランダ大佐に家族を殺され命からがら逃げ出した。その後、彼女はミミューと名乗り映画館の経営者として生活していた。一方、アメリカ軍のアルド・”アパッチ”・レイン中尉は特殊部隊”バスターズ”を率いてナチス狩りを行っていた。
ある日ナチスSSの英雄・フレデリック一等兵はミミューの気をひこうと彼女の映画館で主演映画のプレミア上映を行う事を企画する。それを聞きつけたアメリカOSS(戦略諜報局)はバスターズを送り込むことを決定した、、、。


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【感想】

今年は本当に(映画秘宝的な意味で)巨匠監督の新作が目白押しです。ジム・ジャームッシュ、サム・ライミと来て、ついにクエンティン・タランティーノの登場です。まさに真打ち。そして一番頭が悪い(笑)。もちろん褒め言葉ですよ。すばらしいです。

■ストーリーについて

頭が悪いと書きましたが、本作は非常に巧みな構成でストーリーが進んでいきます。本作は「キル・ビル」と同様に一章あたり約30分程度の全5章構成となっており、それぞれ下のようになっています。

  • 第一章 その昔…ナチ占領下のフランスで (Once upon a time in Nazi-occupied France)
  • 第二章 名誉なき野郎ども (INGLOURIOUS BASTERDS)
  • 第三章 パリにおけるドイツの宵 (GERMAN NIGHT IN PARIS)
  • 第四章 映画館作戦 (OPERATION KINO)
  • 最終章 ジャイアント・フェイスの逆襲 (REVENGE OF THE GIANT FACE)

そして第二章~第四章のそれぞれに独立した「主役級」がおり、それが最終章で見事に集結して事件が起きます。この章立てが少々ぎこちなく見えるのは確かですが、それが最終章で収束する時のカタルシスは爽快です。
またポスターや宣伝ではブラッド・ピット扮するアルド・レインが前面に出ていますが、本作のメインはショシャナです。そして今回もタランティーノが大好きな東映ヤクザ映画の基本プロットである「酷い目にあった女性がいろいろあって復讐する」というフォーマットに忠実です。しかしそれだけに留まらず、コラージュのように多くの映画からテイストを持ってきてごった煮になっています。はっきりとは解りませんが、おそらくタランティーノ監督の発想はこうです。


 「ナチスって最低だよね。ボコボコにしようぜ!
 そういや映画を洗脳につかったゲッペルスとかムカツクな~。
 そうだ!映画館でぶっ殺せば面白くね!?
 しかも映画フィルムでぶっ殺せばトンチが効いてていいじゃん!」


すごい中二病(笑)。でも最高です!

■タランティーノ流の悪ふざけ

“ユダヤの熊”ドニーが洞穴から出てくる場面ですとか所々に悪ふざけが満載でとても楽しめます。また、新しくキャラクターが出るときにフラッシュバックのように割り込むショート・シーンの酷さ(←褒め言葉)であったり、多用される長回しであったり、巧みな面も随所に見せます。タランティーノのよく使うストーリーと関係のない長い無駄話も健在です。もちろん軽めのゴア描写も忘れません。
しかし一方で、とても”普通”なハリウッド・エンタメ映画としても通用しています。いわゆる”秘宝ファン”の映画フリーク以外でも、それこそキネ旬しか読まないような人でも全然問題無いと思います。

【まとめ】

本作は、タランティーノの集大成的な作品でありながら、彼には珍しくこぢんまりとまとまった良作です。ですので、タランティーノの熱狂的なファンにはちょっと物足りなく感じます。でも、あんまり酷い作品(←褒め言葉)ばっかり作ってて干されても困るので(笑)、これはこれで良いのではないでしょうか。十分面白いですよ。エンニオ・モリコーネやヤクザ物の音楽が流れる度にニヤニヤできます。
最後に、映画を見る人には常識中の常識ですが、タランティーノは悪趣味で中二病で足フェチのアホです(←褒め言葉)。今回もちょっとではありますが、ついうっかり脳味噌が出たり、ついうっかり顔が蜂の巣になって崩れたり、ついうっかり足を変態的になで回したりしてしまいます(笑)。CMを見て爽快戦争活劇だと勘違いして、デートに使うのは絶対やめましょう。
私の隣で見ていたティーンの女性は、ドニーがドイツ兵を撲殺するシーンから100分近く顔を押さえてうつむいてました(笑)。絶対あとで彼氏がグチられてると思います。
タランティーノの作品は、一人でいそいそと見に行って忍び笑いするのが、オススメです。

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なくもんか

なくもんか

「なくもんか」を玉砕覚悟で見てみました。

評価:(25/100点) – うすら寒いッス。


【あらすじ】


下井草祐太は幼い頃母親と別れ、さらに父親に逃げられてハムカツ屋「山ちゃん」で育てられる。その生い立ちから心を閉ざし誰にでも笑顔を振りまきながら、無類のお人好しとして善人通り商店街の名物となっていく。父親代わりの山岸正徳から「山ちゃん」を継いだ祐太は、山岸の娘・徹子と結婚するも、戸籍謄本で生き別れの弟・祐介の存在を知ることになる、、、。

【三幕構成】


第1幕 -> 祐太の生い立ち
 ※第1ターニングポイント -> 山ちゃんに徹子が帰ってくる
第2幕 -> 祐太と徹子の日常と、弟の発見
 ※第2ターニングポイント -> 父親が祐介の前に現れる
第3幕 -> 祐太と祐介の関係修復と沖縄


【感想】


「舞妓Haaaaan!!!」「少年メリケンサック」「カムイ外伝」と宮藤官九郎とは相性が悪い(笑)私ですが、本作も見事に撃沈しました。とにかく作品全体に流れるうすら寒いギャグと、これでもかと言うほど畳みかけてくる内容の伴わないお涙頂戴に、130分間ずっと心の中で舌打ちが止まりませんでした(笑)。

■ 宮藤官九郎のギャグ

私、ブッチャーブラザーズは大好きです。学生の頃「ゲームWAVE」でぶっちゃあさんが出てる回は全部見てましたし、伊集院光の深夜の馬鹿力でフィーチャーされるたびに録音していました。でも、、、でもですね、、、本作のコント・シーンはひどすぎます。
本作は「笑う警官」の角川春樹のように、宮藤官九郎の「僕ってインテリでしょ。オサレでしょ。」というオーラが節々に出てきます。水田監督・宮藤脚本・阿部主演といえば「舞妓Haaaaan!!!」が思い浮かびますが、あの作品も肝心の舞妓修行の動機等がロクに描かれずにテキトーなギャグが散りばめられた酷いものでした。随所で言われているように、宮藤脚本の特徴はこの畳みかける小ネタギャグにあります。
本作で最もどうかと思うのは、劇中に出てくる「売れっ子お笑い芸人の弟」がまったく面白くないことです。画面内では爆笑されてモテモテなのに実際には全然面白くないため、猛烈な乖離感に襲われます。僕の笑いのセンスが悪いんでしょうか?でも劇場内でもまったく笑い声が起きていなかったので、客観的にもスベってると思います。この「宮藤ノリ」という猛烈なアクに乗れるかどうかが本作の全てと言って良いと思います。
クライマックスのコント・シーンなんて、最も安直な笑いである「下ネタ」ですよ?もはやストーリーテリングを放棄しているとしか思えません。カタルシスが起こるわけ無いじゃないですか。

■ ストーリーについて

ストーリーは安直で捻りが無く、よく言えば王道であり悪くいえば平板で退屈です。本作の中心になっているのは「親と子/兄弟のかたち」です。本作にはいろいろな家族関係が出てきます。父子関係で「健太と祐太(バカ親父と捨てられた子)」「山ちゃんと祐太(育ての親)」「祐太と徹子の連れ子」「大臣と認知した子」の4パターン、兄弟では「祐太と祐介(実の兄弟)」「祐介と大介(仕事上の兄弟)」と2パターン、描こうと思えばいくらでも展開できる材料はそろっています。しかし「真の家族とは?」とか「家族の形って?」みたいな所まではテーマが及びません。ただ単に連れ子が祐太を受け入れて大団円になってしまいます。残念ですが、本作の兄弟関係・親子関係は状況のハードさとは裏腹に大変浅薄に描かれてしまいます。

【まとめ】


見ている最中にいろいろと映画について考えさせられました。宮藤さんはおそらく舞台演劇ではすばらしい評価を得ているのでしょうが、やはり映画には向いていません。くだらない小ネタを重ねても、暗い中でスクリーンに集中している映画観客はあんまり笑えません。それよりは脚本でのテーマ設定だったり時間配分だったり、そういった所をもう少し丁寧にやっていただかないとやっぱり駄目映画なんです。
家族や親子関係についての映画であれば、今年「湖のほとりで」というすばらしい映画がありました。まだ掛かっている映画館もありますので、「なくもんか」よりも「湖のほとりで」をオススメします!
二時間見るには正直に厳しい内容でした。徹子が祐介に「おまえがそこまで言う笑いを見せてみろ」と詰め寄る場面がありますが、私も宮藤さんにそっくりそのまま伝えたいです。
「くだらない小ネタはいらないから、あなたが本当に面白いと思う全力の笑いを見せてくれ!」

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実験室KR-13

実験室KR-13

「実験室 KR-13」に行ってきました。

評価:(45/100点) – テンションは高いんですが、、、


【あらすじ】


表情を読む天才である女性学者エミリーは、ある極秘プロジェクトの採用試験を受ける。彼女が研究所につくと、責任者のDr.フィリップスからある録画映像を見て所見を述べるよう指示された。そこには4人の男女を一つの部屋に集めた「人間の精神の限界を探る実験」の様子が記録されていた、、、。

【三幕構成】


第1幕 -> エミリーが施設に着き入社試験としてテープを見る
 ※第1ターニングポイント -> テープ内でケリーが射殺される
第2幕 -> 実験の録画テープ映像
 ※第2ターニングポイント -> テープが終わる
第3幕 -> 最終実験が行われる。


【感想】


久々に話題の新作ソリッドスリラーがやってきました。舞台は「Killing Room(殺人部屋)-13号室」とその監察室がメインで、その他はほとんど出てきません。メインの登場人物もわずか5人、とてもタイトです。
私はかなり期待して見に行ったのですが、ちょっと残念な部分が目立ちました。序盤から「実験は第4フェイズ」までと宣言されており、いわゆる謎かけは2つしかありません。小さなイベントを入れても披験者への”刺激”は数えるほどで、実際にはあまり盛り上がりません。役者を含めてシーンのテンションだけは最後まで高いのですが、その根拠が「密室に閉じ込められているから」「殺されるかもしれないから」という部分に焦点を絞ってしまっていて、脱出のための試行錯誤だったり協力だったりという部分がかなり唐突で稀薄です。
本作を見終わった後にふと気がついたんですが、この作品は同じソリッド・シチュエーション・スリラーの「CUBE ZERO」に似ています。これは褒めている訳では無く、むしろ欠点が似ているんです。このジャンルの金字塔である「CUBE」シリーズの最後となっている「CUBE ZERO」は、シリーズで初めて「不条理な立体殺人迷路」の裏側というか運営側を映してしまった衝撃的な作品でした。「本当に怖いことは映さない」というホラーの基本にも通じるのですが、スリラーで仕組みが解らないほうが不気味で怖いのは言わずもがなです。「CUBE ZERO」の場合、シリーズで大事にしてきた不気味さの絡繰りを全部見せてしまった結果、とんでもない駄作になってしまいました。そりゃ用務員のおっさん2人が監視カメラで運営してる所なんて見せられたら、もうワクワクしようが無いじゃないですか。
本作では、いきなり「殺人部屋」に若い精神心理学の女性・エミリーが就活にくるところから始まります。つまり、冒頭からシチュエーションの舞台裏です。そこでオープンリールの録画映像で実験模様を見せられます。この時点ですっごい興醒めします。
一般的なソリッド・シチュエーション・スリラーの場合、観客はシチュエーションの中に感情移入してドキドキワクワクします。要はゲームの中に入って「自分だったらどうするか」というのを体験する訳です。ところが本作の様にいきなり舞台裏を見てしまうと、ゲームの中に入りようがないんです。客観視点を獲得してしまうからです。サバイバルゲームを外から見たって面白い訳が無いと思うんですが、、、。
テレビゲームは自分でやるから面白いんであって、他人がやってるのを横で見てたって大して面白くないでしょう?そういうことです。
さてラスト30分で、ようやくオープンリールが終わって劇中のリアルタイムに実験が追いつきます。でも、これがリアルタイムに追いついたところで別段変わらないんです。唯一エミリーの葛藤みたいなものが描かれますが、でもそれって冒頭からやってる事なんです。リアルタイムに追いついたことで「行動すれば助けられるかも」という可能性がちょっと出るくらいですが、しかしその行動力もありません。見てて結構イライラします。
シチュエーションのアイデア自体とても良いんですが、いかんせん活かせていないもどかしさが全編を覆っています。

【まとめ】


予告はとても面白かったんですが、本編はかなり残念な出来でした。監督の意図はわかりませんが、できれば「KR-13」の内部の視点を大事にして「意味がわからない不気味な実験に巻き込まれた」というスリラーを描いた方が良かったように思えます。実際にwebで「実験室 KR-13」と検索していただくと解るとおり、配給元の角川映画が公式で発表しているあらすじにはエミリーの事はまったく出てきません。あくまでも「~4人は、詳しい内容を知らされないまま、ある実験の契約書にサインする」と、シチュエーション内部の事に情報を絞っています。つまり配給会社でさえ「舞台裏から始まると書いたらつまんなそうに見える」と判断してるってことです。
またラストでいかにも続編に繋がりそうなカットがありますが、もう舞台裏をみせてしまっているのでシリーズ化してもはっきりと意味がないです。
見ている間中、実はエミリーこそが本当の実験の被験者だとオチがつくと思っていました。でも何にも無しで、本当に運営側の人です。劇中ですら「モニタの中のこと」なのに、さらにそれをフィルムを通して見せられても、もはや感情移入もへったくれもありません。
もしお近くの劇場でやっていて時間があり余っているのであればオススメの作品ですが、別にDVDレンタルでも十分だと思います。先週末公開の映画の中で一番期待してたんですが、がっかり。

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風が強く吹いている

風が強く吹いている

見たい映画のスケジュールが合わなくて急遽「風が強く吹いている」を見てみました。

評価:(15/100点) – 前半は良かったんですが、、、はぁ。


【あらすじ】
寛政大学一年の蔵原走は学校に野宿していたところを清瀬灰二に拾われ、竹青荘に入居する。ハイジはカケルの歓迎会にて、竹青荘が実は陸上部の練成所であることを明かし、皆で箱根駅伝を目指すことを宣言する。こうして未経験者たちの陸上部がスタートした、、、。
【三幕構成】
第1幕 -> カケルが竹青荘へ入居する。そこでのあれこれ。
 ※第1ターニングポイント -> ハイジがみんなで箱根駅伝を目指すことを宣言する。
第2幕 -> 練習と箱根駅伝予選会。
 ※第2ターニングポイント -> 予選会で箱根駅伝への出場権を獲得する
第3幕 -> 箱根駅伝。

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【感想】

実は私、この映画は劇場で見るつもりがありませんでした。だってどう見たって「地雷」じゃないですか(笑)。今日は別の映画を見るつもりだったんですが、ちょっと仕事の関係で時間を逃してしまいまして、せっかくだからと思い入ってみたんです。前半に関しては面白かったです。”挫折した天才”が率いる変人の集まりに”訳ありの天才”が現れて自己の再確認と実現を果たすというフォーマットは、これそのまんまドカベンです。途中語られるエピソードもステレオタイプな”熱血スポ根もの”の寄せ集めで、オリジナリティは無いものの非常によく出来ています。少なくとも予選終了までは結構良い感じでした。それだけに、、、後半のがっかりっぷりは本当に残念です。

映画の構成について

映画を見すぎるのも嫌なもので(笑)、私は映画を見ながらちょくちょく腕時計を見ます。全体の尺とイベント構成を把握するためです。物語の鍵になったりターニングポイントとなる事件の時には、おおよその時間を覚えておきます。

本作では、第一幕が約20分あってハイジがカケルの歓迎会で箱根駅伝出場を宣言します。その後、50分程度練習と予選会があって、開始75分頃に出場が決まります。残り終了までの60分はひたすら箱根駅伝開催の二日間でした。

この時間配分ですが、とってもバランスが悪いです。もし「箱根駅伝を目指す」というテーマに絞って映画を作るなら、この構成で第三幕を20分程度にすれば良いんです。極端な話、箱根駅伝のスタートと同時にエンドロールでも良いぐらいです。でも実際は、第三幕が映画の半分を占めています。つまり、今作は「箱根駅伝出場を目指して頑張る」という第1パートと「箱根駅伝でシード権獲得(10位以内)」という第2パートに完全に分かれてしまっている形になります。こんな変な構成は他に見た記憶がありません。すごく奇妙なバランスです。
第二幕までは、適当ではありますが乗り越える壁(トライアルで5,000mを17分など)が設定され、それなりにドラマが展開します。そこに過去のスポ根ものの変なオマージュやら小ネタが詰め込まれていて案外面白いです。

ところが第三幕の箱根駅伝になると、全てが安い泣き脅しになってしまいます。整合性や説得力を放棄して登場人物達がひたすら熱血・感動を繰り返してしまい、私なぞはちょっと目眩がしました。ライバル役と思われていた六道大学・藤岡と東京体育大学・榊は走ってるところがほとんど出てきません。当然競り合ったりもしません。完全にどうでもいい扱いになっています。付け加えるなら寛政大学以外の選手については藤岡と榊以外は名前すら出てきません。もっと言うと出場校の大学名さえ全部は怪しいです。区間ごとの特徴のような基礎知識は少しナレーションされますが、そもそも駅伝の面白さ・スポーツ性が全然描けていないのでナレーションの意味がありません。泣いたり感動するようなフレーズを言うためだけに箱根駅伝という舞台が利用されているため、それっぽい描写に乗れない人は置いてきぼりをくらいます。「熱出ちゃってかわいそう」「足痛くってかわいそう」とかそんなのばっかです。駅伝映画なのに駅伝をきちんと描かないってどういうことでしょう?

この映画の後半の腐りっぷりを端的に表現しているのが、最終10区でハイジがブレーキを起こすところです。画面上では21km過ぎ(残り2km強)でハイジが足を痛めて引きずりはじめました。その直前、田崎監督は10位との差が1分ちょっとだと言っています。そしてゴール後に10位の東京体育大を1秒上回ってシードを獲得したと言います。では、あれだけ偉そうにしてライバル役であった榊君は、2km以上もびっこを引いて走ったけが人よりも1分以上遅かったんですか?とんでも無い雑魚ってことですか(笑)?しかも、少なくとも画面上ではハイジがびっこ引いてる横を後続走者が追い越す描写はありません。ハイジの後ろを走っていた選手(最低4人)は全員ブレーキだったんでしょうか(笑)?

もちろんそんな筈はありません。この場面に監督の意図が全て詰まっています。つまり他のチームなんてどうでも良いんです。邪魔なんです。なぜなら、本作はアオタケの変人・10人の馴れ合いの話だからです。駅伝だってどうでもいいんです。監督にとっては別に野球でもサッカーでも何でも良かったはずです。そう考えると、第二幕までの物語の全てはこの「キャラ同士の馴れ合い」をやるための前振りだったわけです。最低です。そもそもライバル同士(カケルと榊)を同じ区間にしないのが不思議だったんです。駅伝というスポーツのハイライトである2人並んでのデッド・ヒートや心理戦を描けない段階で、監督が駅伝に興味が無いのがバレバレです。

【まとめ】

何度も書きますが前半は良かったんです。しかし尺構成を考ると、監督が本当にやりたかったのは後半の熱血ドラマと男同士の馴れ合いだったことは明白です。まさかこんなに早く「ROOKIES-卒業-」のフォロワーに会えるとは思いませんでした。可能であれば予選会が終了した時点で映画館の席を立つのが、オススメです!

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記事の評価
THE WAVE

THE WAVE

2008年のドイツNo.1ヒット映画「THE WAVE (Die Welle)」を見てきました。
評価:(75/100点) -簡潔にまとめた「集団の隆盛」


<あらすじ>
短大出の体育教師ライナー・ヴェンゲルは、社会科の一週間実習で「独裁」のクラスを受け持つことになる。彼は一週間を使って生徒たちに自分への敬意とクラスの連帯感を持つよう洗脳を施していく。しかし、この「ヴェルレ(波)」と名付けられたクラスは、授業の枠を飛び越えて組織的な行動を起こすようになっていった、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 生徒の日常とヴェンゲルの鬱屈。
 ※第1ターニングポイント -> 独裁の授業にて実習を開始する。
第2幕 -> 「ヴェルレ」の成立とエスカレートする行動
 ※第2ターニングポイント -> 金曜の水球大会での乱闘騒ぎ
第3幕 -> 土曜日の「ヴェルレ」最後の集会


<感想>
非常にスリリングで非常に楽しめるすばらしい作品です。わずか100分で、ある無邪気な集団が誕生してからそれが拡大して危険性を帯びるまでを描ききっています。
■ 本作の概要
本作はドイツ映画で独裁を扱うというチャレンジを行っています。世界中の人がドイツと独裁という単語でナチスを思い浮かべるでしょう。本作はその起こりから栄えるまでを非常に簡潔に描いています。
冒頭、同じ学年という以外ろくに接点の無い子供たちが、「ハイル・ヴェンゲル」という忠誠の言葉と「行進(=行動の一体化)」や「制服(=衣装の統一)」を通じて、連帯意識を高めていきます。そしてその「裏切らない仲間」は人間関係に悩みを持つ子供たちにとってかけがえの無い存在になっていきます。いつしかその組織自体にアイデンティティを求めるようになり、それを誇示し、それを維持するために躍起になり、行動はどんどんエスカレートしていきます。そして解散を告げられた日、ついにはそのアイデンティティ・クライシスに耐えきれずに自殺する人間が出てきます。
■ 「ヴェルレ」という組織
「独裁(Autocracy)」という単語を使用していますが、この「ヴェルレ」においては指導者としてのヴェンゲル先生とは無関係に生徒たちが自発的に暴走していきます。その意味では「カルト宗教」や「秘密結社」と思って見た方がわかりやすいかもしれません。「仲間はずれになりたくない」というごく自然な心理が次第に強烈なアイデンティティと行動力を伴って暴走していく点に本作の怖さがあります。さくっと100分にまとめるためにだいぶ省略はされていますが、おそらく誰しもが「どこからヴェルレが危険集団になったのか?」と聞かれると戸惑うと思います。理論的な段階を踏んで、単なるお遊びクラスが危険集団にゆっくりとモーフィングされていくからです。ですから、本作でヴェルレ内部から問題提起は起こりません。唯一最終盤でマルコから異論が出ますが、彼も「恋人・カロを殴ってしまったことでふと目が覚めた」という描写がなされます。活動が短期間ということもありますが、いわゆる内ゲバのような内部抗争はおこらずに一枚岩の組織を貫きます。そしてこの集団に率先して心酔していくのがティムです。
ティムは家庭の事情とその性格から、友達がほとんどいない「クラスで浮いた存在」として描かれます。そしてだからこそ、最も集団に心酔し、自主的に取り込まれ、そして解散の際に発狂します。これはまったく特殊なことではありません。こういった集団では当たり前に起こりうることです。本作のおもしろさは、突拍子もない展開を混ぜながらも、しかし根底の流れはまったく自然であることです。実際にあってもおかしくないと思えるだけの理詰めがきちんとなされています。それがより一層、人間の理性や価値観の脆さを際立たせています。
■ Autocracy(独裁or専制)について
金曜日の授業で、ヴェンゲルは生徒たちにヴェルレについての意見レポートを書かせます。そこには画一的であることの安心と連帯と、そして強い帰属意識が記されています。すなわちこの危険集団に所属する子供たちは、確実に幸せを感じているんです。これが本作の鍵となる部分です。彼らのコミュニティは少なくとも内部に居る限り居心地がよく安全です。だから、彼らにとってAutocracyは全く悪ではありません。おそらく一般論としても「Autocracyは悪か?」という問いは皆さん困ると思います。「周りに迷惑をかけなければ、本人が幸せなら別に良いのでは?」と思わせられます。落書き等の犯罪行為を行いながらも、本作でヴェルレは悪としては描かれていません。とても怖い話です。
<まとめ>
とてもよく練られている構成で文句のつけようもありません。独裁・選民集団というテーマをものすごく簡略化してわかりやすくまとめています。
是非、皆さんも劇場で見てください。可能であれば高校の倫理の授業か何かで流すと大変おもしろいと思います。果たして日本の学生は集団にアイデンティティを求めるんでしょうか?引きこもりが多い点からも集団に帰属しない気もしますが(笑)、反応はとても興味深いです。
ということで、オススメです。良作なので公開館数増やしてください!

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