シャネル&ストラヴィンスキー

シャネル&ストラヴィンスキー

本日は「シャネル&ストラヴィンスキー」を見てきました。

見てる途中で熱が出てきて猛烈に寒気がしましてハァハァ言ってました。ガラガラだったから良かったですが、近くに人が居たら完全に変態と思われたでしょう(笑)。

評価:(60/100点) – これぞフランス映画!!!


【三幕構成】

第1幕 -> ストラヴィンスキーが「春の祭典」をパリで初演する。
 ※第1ターニングポイント -> ストラヴィンスキー一家がシャネルの別荘へ引っ越す。
第2幕 -> シャネルとストラヴィンスキーの不倫関係
 ※第2ターニングポイント ->エカテリーナが子供を連れて出て行く。
第3幕 -> 「春の祭典」の再演。


【あらすじ】

1913年、パリのシャンゼリゼ劇場で「春の祭典」が初演される。しかし当時のバレエの枠を越えた前衛的な光景は観客のヒステリックな反応を招いてしまう。客席でこれを見ていたシャネルはストラヴィンスキーの才能に惚れ込む。その7年後、第1次世界大戦とロシア革命からパリへと逃げてきたストラヴィンスキーは、シャネルから経済的援助を申し入れられる。それは彼女がパリ郊外のガルシュに持つ別荘の提供であった。居候となったストラヴィンスキーは、シャネルと不倫関係を持ち始める、、、。


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【感想】

さて、今日はここ数ヶ月の間で3本目のシャネル映画です。
1本目はアメリカTV映画の「ココ・シャネル」。アカデミー女優・シャーリー=マクレーン扮する晩年のシャネルが若き日を思い起こしながら復活を遂げるストーリーで、彼女が修道院を出てからスイス亡命後のカムバックまでをざっと一通り語ります。
2本目はフランス映画の「ココ・アヴァン・シャネル」です。「アメリ」のオドレイ・トトゥ扮する若きシャネルが、エチエンヌ・バルサンの恋人として社交界を学び、その後アーサー・カペルに乗り換えて帽子屋を開業、そしてカペルが事故死するまでを描きます。25歳~35歳ぐらいまでの「成り上がり期」における彼女のラブストーリーが中心です。
そして3本目の本作です。本作は、ちょうど「ココ・アヴァン・シャネル」のラストから続くような話となっています。両作品ともシャネル社が監修していますので、おそらく意図的なものと思われます。
冒頭でアーサー・カペルが事故死をし、悲嘆に暮れるシャネルがストラヴィンスキーと出会います。このストラヴィンスキーとの出会いと別れが本作のストーリーの全てです。

本作の見所について

本作は、なんと言ってもそのデザインが全てです。フランス映画を見慣れている人にはおなじみですが、多くのフランス映画と同様に本作もストーリーは非常に淡々としていてあまり盛り上がりません。言うなれば究極的な「雰囲気映画」です。
シャネルを演じるアナ・ムラグリスの衣装はまさにシャネルそのものですし、ガルシュの別荘も「これぞシャネル!」としか言いようのない幾何学的でモノクロな要素がそこかしこに散らばっています。それもそのはず。エンディングテロップで驚きましたが、監修でカール・ラガーフェルド本人がクレジットされているんです。もう80歳近いおじいちゃんですが、ファッション界の巨魁が参加してる時点で抜かりはありません。おそらくシャネルの雰囲気を出すのにこれ以上の適役は居ないでしょう。よく参加してもらえたと思います。
そして、その雰囲気を邪魔しない程度のうすっぺらいストーリー(笑)。これは伝記物の宿命ですが、いくらカリスマ的な人間でも、全ての期間がドラマティックなわけではありません。ココ・シャネルで面白いのは、25歳~35歳のバルサンとカペルの「成り上がり期」と、そして70歳~75歳のスイスからフランスに戻って力尽くで復活する「再生期」です。あとは強いて言えば50代後半にナチス高官の愛人をやってた「売国奴期」でしょうか。いずれにしても、ストラヴィンスキーとシャネルの不倫はいくらなんでも地味すぎます(笑)。

【まとめ】

これぞフランス映画!!!としか言いようがありません。すばらしく高レベルな雰囲気作りと内容の無いストーリーはお約束です(笑)。
シャネルブランドが大好きな人にはたまらない物があると思います。シャネル服ファンの女性に強くオススメします!
余談ですがマッツ・ミケルセンは「007 カジノ・ロワイヤル(2006年版)」のル・シッフル役が印象に残りすぎていて、変態にしか見えませんでした(笑
また、シャネル関連の近作3作の内では、シャーリー・マクレーンの「ココ・シャネル」が一番映画として面白かったです。「ココ・アヴァン・シャネル」もいかにもフランス映画っていうテイストでしたが、本作よりはまだストーリーに起伏がありました。本作はデザインではまちがいなく一番ですが、映画としてのバランスがちょっと悪すぎるように思います。とはいえ見て損はありませんので、是非レンタルDVDででもご鑑賞ください。その際は「ココ・シャネル」→「ココ・アヴァン・シャネル」→「シャネル&ストラヴィンスキー」の順がオススメです!!!

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ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女

ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女

2本目は「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」です。

評価:(75/100点) – 変テコな映画だが面白い!


【あらすじ】

「ミレニアム」の発行責任者のミカエル・ブルムクヴィストは実業家ヴェンネルストレムへの名誉毀損の罪で3ヶ月の禁固刑の判決を受けてしまう。
一方、ヴァンゲル・コンチェルンのヘンリック・ヴァンゲルはミカエルの身辺調査を行う。調査結果に満足したヘンリックは、刑執行まで6ヶ月の猶予があるミカエルを個人的な調査員として雇い入れる。調査内容はヘンリックの兄の孫娘で失踪中のハリエットについてである。ヴァンゲルは調査を進めるうちに、失踪が連続殺人事件に関連することを突き止める、、、。


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【感想】

この作品を見るのは2度目です。初回は東京国際映画祭でした。原作はスウェーデンの大ベストセラーです。
日本での配給元であるGAGAの宣伝方針なのかやたらとダヴィンチコードを連想させる宣伝を打ちまくっておりますが、はっきりいってまったく関係ありません。
どちらかというと羊たちの沈黙のようなシリアルキラーvs女性捜査官のサスペンス映画です。
サスペンスものなのでネタばれ無しで行こうと思ったらあまり書くことがありませんでした(汗。。
本作の面白さの大半はリスベットが担っています。リスベット役のノオミ・ラパスは苦労人で、長くアルバイトをしながら俳優活動を続けていましたが一向に芽が出ませんでした。ところが本作の大ヒットで一気にスターになっています。確かに眠らせるには惜しい逸材です。リスベットは物語の大半で独特なパンク・ファッションを身にまとっていますが、後半でビジネス・ウーマン風の格好をするシーンがあります。そのギャップたるや凄まじく、ノオミ・ラパスの俳優としての潜在能力が遺憾なく発揮されています。
ツンデレというと安っぽいですが、「難しい精神状態とつらい過去を持ったサディスティックなクールビューティ」というとんでもなく難しい役をこなしたラパスはもっと評価されても良いと思います。
また、話の語り口もかなり巧みです。2時間40分と非常に長い上映時間でありながら、見ている最中はそこまで長く感じませんでした。2012とは大違いです。ただし、容疑者候補となるヴァンゲル一家の紹介が序盤に駆け足で行われてしまうため、なかなか人物関係が頭に入らないと思います。実際、初めて見たときは家族構成がわけ分かりませんでした。
ということで、下記に家系図を載せときます。是非これを何となくでも覚えてから本作を見てみてください。家系図さえ頭に入っていれば相当面白いです。

【まとめ】

映画的な大傑作というたぐいの物ではありませんが、サスペンスとしてはかなり良くできています。一部性的虐待等のシーンがありますので、どなたかと一緒に行く際にはお気をつけ下さい。とはいえ見て全く損は無い映画です。是非見てみて下さい。原作3作全てを映画化するようですので、残り2作を楽しみにしています。
ヴァンゲル家・家系図

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かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ

今日も2本見てきました。ちょっと風邪気味で朦朧としてしまいましたがそれはそれ(笑

1本目は「かいじゅうたちのいるところ」です。

評価:(30/100点) – どうした?スパイク・ジョーンズ!!!

【三幕構成】

第1幕 -> マックスの日常。または彼の家庭環境。
 ※第1ターニングポイント -> マックスが不思議な島に着く
第2幕 -> キング・マックス。
 ※第2ターニングポイント -> キャロルの怒り
第3幕 -> マックスが家に帰る


【あらすじ】

マックスは姉と母との3人暮らし。ある日、母親と喧嘩をしたマックスは近くの港にあったボートを盗んで沖へと出てしまう。嵐に巻き込まれながら見知らぬ島に漂着したマックスは、そこで不思議な怪獣達に出会う。怪獣達に襲われそうになたマックスは、つい「自分はこの世界の王様だ」と嘘をついてしまう。こうしてマックスと怪獣達の楽しい生活が始まった、、、。


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【感想】

さてさて、昨年の秋頃から予告編を飽きるほど見させられてきたスパイク・ジョーンズの新作「かいじゅうたちのいるところ」です。原作はもちろんモーリス・センダックの大ベストセラー絵本。一風変わった「かいじゅうたち(The Wild Things = 野生のなにか)」と少年の交流を描いた感動大作、、、かと思いきや、、、なんじゃこれ。
ともかく「ウザい子供」と良い感じに「”癒し系”な怪獣達」とのギャップが凄まじく、なんか人間嫌いになりそうです。
本作の話を始める前に大前提としてお断りが必要です。本作の監督スパイク・ジョーンズは「映像作家」として一時代を築き上げた巨匠です。そして私も大ファンです。私が彼の名前を知ったのは、忘れもしないあるNIKEのCMです。それはサンフランシスコの交差点でゲリラ撮影された、アガシとサンプラスという当時の男子テニスの2大スターによる「街角テニス」の映像です。もし見たことのない方は、こちらのYouTubeをご覧下さい。この圧倒的なまでのハイテンションと多幸感が強く印象に残っています。当時中学生で広告代理店なんて知らなかった私に、CMも一つの作品になりうると気づかせてくれて、映像表現に興味をもつきっかけになった思い出の作品です。
だからジョーンズが初めて映画を撮ると聞いたとき、友達を無理矢理誘って一緒に見に行きました。それが「マルコビッチの穴」です。奇抜というにはあまりに馬鹿馬鹿しいアイデアとそれを加速させる変態的なストーリーで、初監督作品とは思えない才能を見せつけられる超傑作でした。
それから10年、、、もはやスパイク・ジョーンズといえば「ソフィア・コッポラの元旦那」「おバカ・コメディ映画の監督」といった認識が一般的になっています。
でもですね、、、私の世代(1980年代生まれ)にとっては、やっぱりスパイク・ジョーンズは「映像作家」なんです。30秒に魂を込める職人であり、セリフなしで物語を伝える天才なんです。

物語の基本プロット

本作の物語のプロットは非常に分かりやすい「行って帰ってくる話」です。このブログで取り上げた近作ですと、「ティンカー・ベルと月の石」「カールじいさんの空飛ぶ家」なんかと同じです。主人公が現在の環境に悩み・不満を持って余所へ旅に「行って」、別の世界で様々な体験をして成長して「帰ってくる」話です。
本作のマックスは姉や母親に構ってもらえません。一方怪獣達の所では彼は王様として振る舞いみんな何でも言うことを聞いてくれます。そこでマックスは好き放題やるわけですが、やがて挫折を味わいます。
至ってシンプルで何の変哲もないオーソドックスなストーリーです。
本作で決定的にがっかりなのは、結局マックスが成長しないことです。本当にただ「行って帰ってきた」だけでその中においてマックスに変化がありません。「ワガママの限りを尽くしたマックスが挫折を知った」ところで話が終わってしまい、そこから何を学んだかが分かりません。そのため、マックスがただただ自分勝手でどうしようも無いガキにしか見えません。
特に中盤かいじゅうたちにある遊びを提案するんですが、そのときの一言にどん引きします。「お互い殺し合え!!!」ですよ。さすがにこれは無いです。

デザインについて

ということでストーリーはかなり微妙ですが、一方でかいじゅうたちのデザインは本当に素晴らしいです。昔ながらの着ぐるみとCGを融合させた表現は秀逸の一言です。センダックのちょっとグロい感じのデザインが良い感じに柔らかくなっていて、キモカワイさが前面にでた格好です。さすがはジム・ヘンソン・クリーチャー・ショップの仕事です。
年柄もなくぬいぐるみが出たら欲しいぐらいです。
余談ですが、今「ジムヘンソンのストーリーテラー」を見ながらこの文章を書いてます。話の構成もさることながら、マペットの犬が超カワイくって物凄く面白いです。
また、画面構成も好印象です。相変わらず流行のグラグラ手持ちカメラは健在ですが、一方でそこまで分かりづらい構図も少なく、良いバランスです。
やはりスパイク・ジョーンズの能力は映像の作りにあると再認識しました。ちょっと信者補正は入ってます(笑)。

【まとめ】

肝心の話の部分が微妙でいまいち盛り上がらない作品でした。あまり道徳的な部分が余りませんので、正直なところファミリー映画としても少々どうかと思います。
あまり万人にお勧めできる内容ではないですが、個人的にはDVDレンタルが始まったらもう一回見たい作品ではあります。それほどまでに、人形の造形が良くできています。
ジム・ヘンソンと聞いてピンとくるような人形劇好きの方にはオススメです!

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キャピタリズム マネーは踊る

キャピタリズム マネーは踊る

日は仕事が早く終わったので「キャピタリズム マネーは踊る」を見てみました。
ちょっと感想としてきちんとまとめる気力がないので、日記としてダラダラ書いてみたいと思います。
降ちょっと乱暴に書くのはご容赦ください。詳しく書き始めると高校時代の卒論がフラッシュバックして寝そうなんで(笑)。あと私は無宗教・民主主義者です。キリスト教の熱心な信者の方はもしかすると気を悪くするかも知れないのでお気をつけ下さい。とはいえ陰謀論とかでは無いのでご安心を(笑)。
どうしてもですね、こういう宗教思想丸出しのドキュメンタリーを見るためには危ないところに踏み込んでいかないといけないんです^^;

プロテスタントと科学/経済

世界の設計図という概念

現代の科学(=サイエンス)を発展させたのは、ルネサンス期の強烈に熱心なキリスト教徒/プロテスタント達です。天文学で有名なケプラーなんかですね。彼らは腐敗したカトリック教会に疑問をもち、そして自らこの世に神様が居ることを証明するために「世界の設計図」を発見することに躍起になりました。

例えば太陽は東から昇って西に沈みます。バカボンの主題歌以外では常識です(笑)。
でも、それって本当ですか?今日までは確かに東から昇っていますが、もしかしたら明日は西から昇るかも知れませんよ?どうして「今日までは東から昇ってたから、明日も東から昇るはず」と断言できるんでしょうか?

この質問に論理的に答えられる人は居ません。なぜなら誰にも分からないからです。未来に行って本当にそうかどうか確かめる以外に、確実に断言できる方法はありません。でも一方で、たぶん明日も太陽が東から昇ることを誰も疑ってはいません。 それは何故でしょうか?

ルネサンス期のプロテスタント達はこれを「世界は神様が設計したから」と考えました。神様は万能ですから、神の作ったこの世界は設計図の通りに今日も明日も同じ動きをすると考えたんです。そしてこの設計図を解明することが神様がいる証明につながると考えます。ケプラーが毎晩毎晩、何十年も星の動きをただひたすらメモしつづけた執念はここから来ています。「実験と観察」という科学の基本は、実際にはこうした非常に特殊なキリスト教の価値観の上に成り立っているんですね。

“神の見えざる手”とは?

こでようやく本題の経済の話しに行きます。このプロテスタント達の「神が作った世界の設計図」という思想は科学だけには収まりません。例えばアダム・スミスの「神の見えざる手」という有名な言葉があります。学校では丸暗記させてロクに説明しませんが、この言葉は比喩ではなく文字通り「神様の行う目に見えない操作」を指しています。

自由競争経済下ではそれぞれがバラバラに個々の利益を追求しますので、過当競争で共倒れするリスクがあります。でもアダム・スミスは「神の見えざる手」によって「自然と調整されて最終的には皆がハッピーになる」と考えます。なぜなら世界は神様が作ったからです。
アホな人間が計画するくらいなら、神様の手に委ねる(=放っておいて成り行きに任せる)ほうが上手くいくと考えたのです。これが自由主義経済(=資本主義)の発想です。ですから自由主義経済においては政府の経済政策・市場介入を愚策と考えます。放っておけば神様が良くしてくれるのに、政府(=人間)が余計な手を出すのはマイナスだと考えるからです。
すなわち、自由主義経済/資本主義はキリスト教の価値観の上になりたっているわけです。これが原因で、アメリカの行う中東や南アフリカの「強制民主化政策」はあんまり成功しません。だってそもそもキリスト教徒じゃないですから(汗

そんなこんなで誕生した自由主義経済ですが、実際には内部矛盾をはらんでいます。競争する以上は勝ち負けがつき、そこに貧富の差が生まれるからです。貧富の差は「神の前では皆が平等」というキリスト教のお題目/基本理念に反します。

この自己矛盾を糾弾したのが、レーニンであり、マルクス主義/無神論者達です。社会主義においては「人間がきちんと計画・計算して、その通りに経済活動をする」のが最良と考えます。彼等に言わせれば「大半の人間はアホなので、放っておいたらロクなことにならない」からです。「神が作った世界の設計図」を真っ向から否定するわけです。だから頭の良い連中(=特権階級)が知恵を振り絞って計画を練って、みんなでその計画を実行します。これが「計画経済」です。
自由主義経済と共産主義、民主主義と社会主義は「神様にどう向き合うか」というポリシーが違うだけで、どちらもキリスト教から端を発したわけです。

カトリック/プロテスタントそれぞれの経済思想/価値観

熱心なプロテスタント達は働いて富を増やすことが「生めよ、増やせよ、地に満てよ(旧約聖書:創世記)」につながると考えます。そして稼ぎまくった後でそれを全て寄付でバラマキます。こうすることによって徳(=Virtue)が溜まり、最終的に死んだ後で「正義の女神(レディ・ジャスティス=日本における閻魔大王の美女ver.)」が持っている天秤によって自身の徳が計られ、そして天国に行けると信じています。
だからビル・ゲイツのように財産を腐るほど荒稼ぎした人間でも、引退すると福祉団体に寄付しまくるわけです。プロテスタントにとっての「お金」とは「死んだ後に天国へ行くための”徳”を買うもの」なんですね。ビル・ゲイツは自身の信仰に則って天国に行くために慈善活動をやっているわけです。決して「無償の愛」みたいなものすごい上品なことではありません。もっとも、無宗教の私から見ると、結果的に助かる人達がいっぱいいるなら動機はなんでも良いと思います。
資本主義における「金儲け」は、金の亡者になって現世でウハウハするためではなく、死後に天国に行くための1つの手段にすぎません。

どうでもいい余談ですが、こんな価値観が一番わかりやすく表れるのは、各国のご飯のおいしさです(笑)。キリスト教圏において、プロテスタントの国ほどご飯がまずく、カトリックの国ほどご飯が美味しいという傾向があります。これは完全に「現世」における価値観の違いです。プロテスタント達は、ご飯なんてどうでもいいんですね。そんな美味しいご飯を作ってる暇があったら、その時間でお金儲けをして「徳ポイント」を溜めたほうがいいんです(笑)。一方のカトリックは、「ご飯を作る才能は神様からの祝福である」と考えて、才能を使わないのは神への冒涜だと考えます。ですから、料理の才能がある人は一生懸命、美味しくて見た目も綺麗でお上品で、なにより手間のかかる料理を開発しようとします。

ざっと列挙してみても、スペイン料理、フランス料理、イタリア料理、おいしそうな所は大体カトリックです(笑)。一方のプロテスタント優勢国というと、イギリス料理、アメリカ料理、ドイツ料理。なんかみんな「とりあえず焼いとけ!」「とりあえず揚げとけ!」みたいな雑な感じがしませんか(笑)? 「わざとそういう国を選んでるだけじゃねぇか」って気もするんですが、その国がどっちが優勢かわからなくなったら、「ご飯が美味しいとカトリック。マズそうだとプロテスタント」と覚えておくと、結構当たります(笑)。


やっとこさ「キャピタリズム~」の話になります。マイケル・ムーアは資本主義を非難します。でも彼は神様を否定するわけではありませんし、共産主義に走るわけでもありません。むしろムーアは神様を熱狂的に信じていて、ウォールストリートやゴールドマンサックスという「人間の介入」「金の亡者」を悪であると断罪します。ほとんど陰謀論か妄想かと思うほど、再三再四、ムーアはゴールドマンサックスと金持ち連中をフィルムで罵倒します。
そしてインタビューとして神父さん(=カトリック)のところに話を聞きに行きます。当然神父さんは「金の亡者」を批判します。経済学者ではなく宗教家に聞くところが、ムーアの出来る男たる所以です(笑)。

この映画は、博愛主義(=福利厚生主義)的なカトリックであるマイケル・ムーアが、プロテスタント的な市場主義(=金儲け至上主義)である大手ファンド/金融市場をがっつり非難しているわけです。つまり、キリスト教内におけるカトリックとプロテスタントの喧嘩を映画でやってるわけですね(笑)。完全に宗教戦争です。

字幕では分かりにくいですが、ムーアが「キャピタリズム~」において非難しているのは「資本主義」そのものではなく「アメリカのやったプロテスタント的な資本主義の運用」です。だって資本主義はキリスト教的価値観に忠実に乗っ取っているんですもの。事実、劇中でも日本やドイツを例にして、「いままで日本・ドイツは資本主義で成功したけど、アメリカの真似して規制緩和した(=プロテスタント的な方向に梶を取った)からもうダメだ」という意見をだします

そして「キャピタリズム~」でおもしろいのは、ムーアがかなりの愛国者でもあるという点です。
彼が「いまこそ革命をおこそう!」と言ってるのを見て短絡的に「共産革命主義者」「学生運動と一緒」と思ってはいけません。むしろ彼は民衆による革命を通して、「カトリック的な良心的資本主義の運用」を求めています。というか、「リメンバー宗教戦争!」ですね(笑)。「いまこそマルティン・ルターを倒せ!」っていう方向の革命です。
その結果が、ルーズベルトの礼讃です。ルーズベルトの演説は理想的な「神様の前では皆平等」宣言です。ムーアはルーズベルトを引用した上で、富を増やすだけ増やして寄付しない連中達に「それじゃ地獄におちるぞ!」と罵っているわけです。これが転じて、銀行に対して「借金の取り立てばっかりやってないで、困ってる人に家ぐらい寄付しろ!」と言ってるわけです(笑)。ムーアの要求は法的には無茶苦茶ですが、カトリック的には至極妥当です。

ですから、本作の原題は「Capitalism ~a love story~」なわけです。ここでいう「love」は当然神様からの無償の愛であり、つまりは金儲け至上主義の連中たちの寄付=博愛行動なわけです。

まぁこんなもん日本人に見せられてもコメントしようがないですよね。僕ら仏教文化圏なんで(笑)。南無三(-人-)。
日本人で良かった(笑)。

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マッハ!弐

マッハ!弐

今日は「マッハ!弐」を見てきました。

評価:(45/100点) – やっぱりプラッチャヤー・ピンゲーオは偉大だった。

【三幕構成】

第1幕 -> ティンが奴隷商人に捕まる
 ※第1ターニングポイント -> ティンがガルーダの翼峰に拾われる
第2幕 -> ガルーダの翼峰での修行とティンの回想
 ※第2ターニングポイント -> ラーチャセーナの即位式に殴り込みを掛ける
第3幕 -> ラーチャセーナの即位式とガルーダの翼峰アジトでのアクション


【あらすじ】

アユタヤ王国が勢力を広めるタイ。その東にある王国ではクーデターが勃発していた。 ラーチャセーナの謀反より家臣によって救い出された王子・ティンは、道中家臣とはぐれ奴隷商人に捕らえられたところを山賊に助けられる。ガルーダの翼峰と名乗る山賊達の中でティンはあらゆる戦闘術を学び、やがて組織のトップへと成長する。
山賊のリーダー・チューナンよりリーダーの座を譲られたティンは、やり残した事があるとしてこれを固辞する。そして両親の仇であるラーチャセーナの即位式へと単身殴り込みを掛けるのだった、、、。


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【感想】

ついに日本で公開されました。 「Ong-Bak2」こと「マッハ!弐」です。アクション映画ファンならば言わずと知れた、タイの誇るスーパースター、トニー・ジャー主演の最新作です。ちなみに映画自体は2008年公開作品でして、すでに続編「Ong-Bak3」が来週・1月21日にタイで公開されます。つまり周回遅れ。
でもハリウッド以外の海外映画なんてそんなもんです。劇場公開されただけでもありがたいと思っておきましょう。

本作のストーリーについて

本作にとってストーリーはまったく問題ではありません。というか普段ハリウッド映画や日本映画を見慣れている人からすれば、ものすごく変テコな映画です。
例えば、いつの間にか回想シーンが始まっていてそれがなかなか終わらなかったり、場面転換したと思ったらいきなり10年近く経ってたり、おそらく戸惑うと思います。アクション映画ですのでストーリーは割とどうでも良いんですが、それにしても非常に分かりにくい構成をしています。とはいえ一度分かってしまうとものすごくシンプルな話だと気づきます。ある程度分からなくてもそういうものだと割り切ってしまいましょう(笑)。

スタッフと制作時のゴタゴタについて

知っている方は知っていると思いますので読み飛ばしてください。実は本作は制作時にとてもゴタゴタしました。これはタイ・アクション映画のそもそもを語らないと説明しづらいため、少々長くなります。
アクション映画というと皆さんご存じの通り香港のカンフー映画が有名です。実際、スティーブン・セガールやジャン・クロード・ヴァン・ダム、近年だとウェズリー・スナイプスあたりの生粋のアクションスターは欧米にも居ます。ですが、やはり香港が生身のアクションでは最先端を突っ走っていました。
ところが2003年にまったくノーマークだったタイからとんでもない作品が登場します。それが「マッハ!!!!!」です。ムエタイを駆使して細身のトニー・ジャーがアクロバティックなアクションをこなす姿は本当に衝撃的でした。この作品をきっかけに、監督のプラチャヤー・ピンゲーオとアクション監督のパンナー・リットグライの名前がアクション映画界に轟きます。この2人はどちらも監督が出来るゴールデンコンビとして、時には監督、時にはプロデューサーとしてアクション映画を量産しはじめます。
特にピンゲーオ監督はかなり本気でタイをアクション大国に育てようと苦心し、独自に若手の育成に着手し始めます。なにせトニー・ジャーがたまたま天才だった可能性が有りましたから、タイ映画を香港映画のようなブランドにするためには育成システムの用意が急務だったわけです。そしてピンゲーオが育て上げた第1号が「チョコレート・ファイター」で鮮烈なデビューを飾ったジージャー・ヤーニンです。彼女もデビュー作にして素晴らしいアクションとスター性を見せ、ピンゲーオとタイ・アクション大国計画が本物であることを証明しました。
さてそういった背景の中で、ピンゲーオを抱える映画会社サハモンコル・フィルムは「マッハ!!!!!2」を企画します。ところがトニー・ジャーが超問題児でして、映画は自分が居れば成立すると嘯いて自らメガホンを取ると言い出します。サハモンコル・フィルムはプロデューサー兼お目付役としてリットグライをブッキングしてトニー・ジャーに監督をやらせます。そしてトニー・ジャーが「マッハ!!!!!2」を撮っている間に、問題児トニーの後釜としてピンゲーオに若手育成を託します。それが見事成功しジージャーが誕生するわけです。
じゃあ「マッハ!!!!!2」を撮っている間はトニー・ジャーもおとなしかったかというと、そんなわけはありません。急に失踪したり、テレビで奇行を披露したり、自分のギャラを上げたあげく制作費を使い込んで勝手にボイコットしたりしてます。超問題児。性格最悪です。
そんなわけで、「マッハ!!!!!2」はまさにトニー・ジャーのトニー・ジャーによるトニー・ジャーのための「オレ様映画」になりました。
しかしあまりにも問題行動が多かったため、トニー・ジャーはもはや「マッハ!!!!!」をシリーズ化する以外に俳優として生きる術はありません。どこも使ってくれないですし、すでに自分の代わり(=ジージャー)が世界的な評価を得ています。ピンゲーオ監督とも喧嘩別れ同然です。一方的にトニーからピンゲーオは要らないとか言っちゃってますから。ということで、本作はかなりがっかりな内容でしたが、次作は俳優生命を賭けて死にもの狂いでくるはずです。

【まとめ】

本作はストーリーもさることながらアクションも相当がっかりな出来です。というのも、トニー・ジャーが自分でやりたいことを詰め込んだという印象が非常に強く、ティンのアクションに整合性が見られないためです。前作では古式ムエタイという核がありましたが、本作は本当に「何でもあり」になってしまっており、あまりにもティンが万能過ぎます。万能すぎるが故にハラハラ感も薄く、漫然と戦闘が続いてしまいます。
この点はトニー・ジャーの監督としての力量不足だと言わざるを得ません。やはり「トム・ヤム・クン!」や「マッハ!」で世界を驚愕させた一因である「テーマを持ったアクション・シーン」はピンゲーオ監督の力量でした。トニー・ジャーとピンゲーオにはフィルム構成力に圧倒的なまでの差があります。
トニー・ジャーには心を入れ替えてピンゲーオに謝罪していただいて、是非ともまたすばらしいアクション映画を作って欲しいです。
ま、可愛いくってアクションも凄まじいジージャーがいれば、トニーこそ要らないんですけど(笑)。
そういった意味でも、トニーにはピンゲーオに謝りに行く事をオススメします!
こんな映画作ってたら、本当に居場所なくなっちゃいますよ、、、。

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記事の評価
彼岸島

彼岸島

二本目の映画は「彼岸島」です。

評価:(5/100点) – 血糊の無駄使い。

【三幕構成】

第1幕 -> 明と冷の出会い。吸血鬼とのファーストコンタクト
 ※第1ターニングポイント -> 明達が彼岸島に着く。
第2幕 -> 彼岸島でのサバイバル
 ※第2ターニングポイント -> 明が師匠に弟子入りを志願する。
第3幕 -> 明と師匠一行が雅のアジトに殴り込みを掛ける


【あらすじ】

高校生の宮本明はある日チンピラに絡まれているところを不思議な女性に助けられる。彼女は行方不明になっている明の兄・宮本篤の免許証を明に渡し、彼女と共に篤を助けにある島に来て欲しいと告げる。友人5人を加えた明一行は、冷と名乗る女性と共に彼岸島へと向かう。そこは吸血鬼達の跋扈する修羅場であった、、、。


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【感想】

残念!!!
本作について実は結構期待していました。というのも、予告で見る限り近年の日本俳優映画(実際には8割方韓国映画ですが)にしては珍しく血糊を結構使っていたからです。モンスターサバイバルもので敵を切っても血の一滴もでないんじゃ拍子抜けです。TAJOMARUなんて、血しぶき一つ出て無いのに何故か刀を拭うそぶりをしたりして失笑ものでした(笑)。それを考えると少なくとも志はあると思えたんです、、、予告をみた限りは、、、予告だけは、、、。

本作の格好悪さ

本作はとても格好悪いです(笑)。身も蓋もない表現ですが、全編通じて主人公側がまともな思考回路を持ち合わせていません。唯一まともなのが兄の篤で、後の連中は本当に馬鹿ばっか(笑)。そのくせ泣き喚きだけは多いので、ものっすごいイライラします。特に中盤、仲間の一人が吸血鬼になってしまう場面は本当に酷いです。主人公の明が延々と理屈の通らないことを大声で喚きながら駄々をこねるために、心の底から早く死ねばと思ってしまいました。なにせ主人公達は全く役に立ちません。というか主人公以外は最後まで何の役にも立ちません。その主人公も、いきなりレジスタンスでもトップクラスな強さを発揮してしまい、全く成長が描かれません。
せっかく冒頭の弓道部ですごい能力を発揮しているユキもただ捕まってるだけですし、せっかく冒頭で爆薬を使っている西山もただオロオロしているだけです。加藤はただのデブですし、ポンは気持ち悪いだけで何の役にも立ちません。ケンは格好つけてるだけで、ヤンキー流のバット術は発揮されません。「漫画では活躍してるんだろうな」という片鱗を感じることは出来るんですが、しかし何の慰めにもならないほどにみんな足手まといです。
ただただテンション高く喚いて血糊を一杯使ってるだけで、やってることは非常にショボくてくだらない事です。しかも宮本兄弟は無敵じゃないかと思えるほどに頑丈で、何回致命的な傷を負わされてもケロッとしてますし、顔の切り傷も場面転換すると綺麗に無くなっていて傷跡すら残りません。
せっかく血糊でリアリティレベルをあげているのに、なんでこんな半端なことをするんでしょう?格好悪いです。

スターウォーズ病について

本作では上記の格好悪さに加えて、スターウォーズ病を発症してしまっています。ジェダイのように目隠ししてトレーニングしたり(SW EP4 新たなる希望)、コロッセオのようなところでモンスターと戦ったり(SW EP2 クローンの攻撃)、最後はラスボスと1対2のチャンバラです。(SW EP1 ファントム・メナス)
ただしCGやアクションが中途半端なため、完全にデッドコピーになってしまっています。やるならちゃんとやって欲しいのですが、、、残念です。

【まとめ】

とてつもない事になっている映画です。整合性は全くありませんしストーリー構成もグダグダです。登場人物の大半は物語に不要ですし、なにより活躍しない有象無象の味方が多すぎます。公式webサイトに「上陸者殺到中。いまだ生還者0」というキャッチコピーが出てますが、そりゃこの出来じゃ生還できません(笑)。皆さん映画館で撃沈されていることでしょう(笑)。
昨年のカムイ外伝と戦えるレベルの超絶クソ映画でした。そういえばCGレベルも似たり寄ったりです(笑)。
まったくオススメ出来る要素が無いのですが、原作ファンがネタとして見るならかろうじて100円ぐらいの価値はあるでしょうか?お金を払ってみるのは全くオススメ出来ません(笑)。
瀧本美織が可愛かったのがせめてもの救いです。でも水川あさみがエラ張り過ぎなのでプラマイゼロ(笑)。
出演者の方々にはお悔やみを申し上げます。

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(500)日のサマー

(500)日のサマー

今日は二本見てきました。一本目は

「(500)日のサマー」です。

評価:(40/100点) – トムに感情移入出来るかどうかが全て


【あらすじ】

グリーディングカード会社でコピーライターとして働くトムは、ある日新入社員のサマーに一目惚れする。これはトムがサマーに恋をし、付き合い始め、破局し、そして立ち直るまでの500日を綴った物語である。


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【感想】

正直見る前は結構不安でした。というのも予告の時点で上記のあらすじは公開されていましたので、どこまでトムに乗れるかが心配だったんです。
そしてやはり不安は的中し、いまいちトムに感情移入出来ませんでした。サマー役のゾーイ・デシャネルがあんまり可愛くないというのもあるんですが(←失礼)、見せ方の問題でちょっと置いてきぼりを食らってしまいました。本作はストーリーもへったくれもありません。ひたすらいちゃいちゃするバカップルとその破局後にウジウジする奥手の男の姿が描かれるのみです。ですので、構造的にトムに移入しない限りは面白くなりません。私の場合はこの移入がうまくいかなかったため、退屈に感じてしまいました。たぶん過去に苦い恋愛経験をしていれば移入できるんでしょうが、、、。

移入ポイントについて

おそらく本作でトムにいまいち感情移入できない一番の理由は、トム側の事情があまり良く分からないからです。トムがなぜサマーに惚れたのか?トムがなぜサマーとつきあえるようになったのか?そしてトムが破局後にどういう要因でヤケになったのか?
全く描かれていないわけではないのですが、あんまり共感出来るような説明がありません。結果としてトムのヘタレっぷりとサマーの悪女っぷりが際立ってしまっています。
ネタバレもないとおもいますが、これ要は
「その気になった男が一人で盛り上がって運命の人だと舞い上がったが、単に悪女に二股を掛けられただけで、結局は振り回されて捨てられた。でも開き直って新しい恋に積極的になった。」
という話です。だからトムというジェットコースターに観客は乗る必要があります。

この映画の場合、トムへの移入は観客自信の過去の経験を投影できるかどうかに全てかかっています。
時系列シャッフルがその典型で、恋愛の記憶を走馬灯のようにして断片で振り返らせるんですね。ただそういう「運命の恋」みたいな記憶が無い私の場合、いきなり振られるところを見せられても何とも思えませんし、振られた後に出会いを見せられてもポカ~ンって感じです。

【まとめ】

話自体はまったく酷くはありません。私は結構ラブストーリーが好きでして、そういった意味では中盤のひたすらバカップルがいちゃついてる所もなんとか耐えられます。でもやはり「耐えられる」という表現になってしまいます。あんまり小細工せずに、思い切って奥手のトムの成長物語に特化してくれた方が見やすかったと思います。

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ジュリー&ジュリア

ジュリー&ジュリア

三が日最後の映画は「ジュリー&ジュリア」です。

評価:(40/100点) – おおむね良作だが最後で台無し。


【あらすじ】

ジュリーはコールセンターに務める公務員である。夫とピザ屋の2階に引っ越してきたジュリーは満たされない気持ちを晴らすためにブログを始めることを決意する。題材は大好きなジュリア・チャイルドの料理本「王道のフランス料理」。こうして524のレシピを一年で完遂するジュリー/ジュリア・プロジェクトが始まった、、、。


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【感想】

いきなりですが、私は本作はわりと好きです。現在パートは「ジュリアの本を使って日々を充実させようとするOLの話」、過去のパートは「夫と共にフランスに引っ越したジュリアが料理教室に通い、料理好きの友人を見つけて一緒に本を書く話」。このジュリーとジュリアの境遇の重ね方とシーンチェンジが中々うまく、「普通のいい話」として楽しめます。なによりお料理がおいしそうですし、俳優達が本当に良いです。
特にジュリアのパートはメリル・ストリープとスタンリー・トゥッチの「プラダを来た悪魔」コンビが非常に秀逸で、本当に微笑ましいというか幸せな気分にしてくれます。このジュリアのパートだけで一時間ドラマにしてくれれば何回でも見られます。

台無しポイント

とまぁ結構褒めモードなんですが、ところがですね、、、ラストがいかんのです。
まず第一に本作がメタ構造をとっており実話を元にした映画であるという点です。、そして寄りによってジュリー・パウエルが原作を書いてるわけです。要は本作の主人公にして「がんばるOL・悲劇のヒロイン」が作者なんですね、、、自画自賛?
自分自身をここまでヒロイックに書くような人は信用できません。
第二に過去の話と現在の話がうまくクロスしない点です。一応最後にスミソニアン博物館のジュリアのキッチン展示でリンクっぽい感じにはなるんですが、一方でジュリアがジュリーのブログを見て苦言を呈しているみたいな表現もあります。
ところがこの件については特にフォローすることもなく完全にスルーされてしまいます。
そこは拾わないとドラマにならないんですが、、、よほど作者に都合が悪いリアクションだったのでしょうか?
この二点のおかげで、私の中でラスト30分あたりから評価が一気に落ちてしまいました。残念です。

【まとめ】

もしこれが完全なフィクションであったなら、たぶん相当良い評価をしていたと思います。演出も無難ですし構成も悪くありません。最近「実話を元にした」作品がやたらと目に付きますが、それも善し悪しかと思います。本作はエンディングロールの一番最後に「この作品は実話を元にしていますが、ドラマティックにするためにキャラクターと物語に脚色を加えています。」と英語で表示されます。一方で、映画の冒頭では「この作品は二つの実話を元にしています」と日本語字幕付きで表示されます。
私の個人的な意見ですが、別に実話を元にしたから作品が偉くなるということは無いと思います。むしろ実話を元にしたということで変な制約が掛かってしまうように思えます。本作で言えばジュリー(=作者)を魅力的に描こうとすればするほど、単に自己顕示欲の強い嫌な女に見えてしまいます。逆にジュリアのパートはジュリーの憧れもプラスされてとっても素敵で魅力的です。
とはいえ、面白いのは間違いないですし、特に料理が好きだったり日常があんまり充実していない方には相当グッと来ると思います。
オススメはオススメなんですが、できればジュリア・チャイルドの伝記ものとして映画化して欲しかったですね。ジュリーのパートは全部いりません(笑)。

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