ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う

ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う

土曜の三本目は

「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」を見て来ました。

(35 /100点) – 石井隆的というよりは普通のエログロ単館映画。


【あらすじ】

あゆみ、桃、れんの親子は場末でバーを営みながら、保険金殺人を繰り返していた。ある日、いつものように死体を富士山麓に捨てた後、桃はロレックスが無いことに気付く。死体と共に見つかっては製造番号から足が付くと恐れ、桃はれんにロレックスを探してくるよう命令する。森の中から小さなロレックスを探すことなど不可能だと考えたれんは、なんでも代行屋・紅次郎に依頼をする、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ロレックスと紅次郎。
 ※第1ターニングポイント -> れんが紅次郎に人捜しを依頼する。
第2幕 -> 次郎の人捜し。
 ※第2ターニングポイント -> れんが次郎の元へ行く。
第3幕 -> 石切場。


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【感想】

土曜の三本目は「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」を見てきました。意外にもお客さんの半分ぐらいは女性でした。
終盤の雨の中でれんが非常階段に座り込む場面や、次郎の部屋の中でネオンを光らせる場面など、石井隆的なモチーフは随所に散りばめられています。ただ、ここ15年ぐらいの間にこういった表現がもう既に陳腐化してしまっている感が否めません。というのも、それこそ銀座シネパトスのレイトショーにいけば、こういう類のエログロな準ピンク映画はもはや定番になってしまっているからです。
ただし、かならずしも石井隆監督がそういった有象無象に埋没したとは思いません。やはり石切場でのクライマックスのテンションはさすがですし、そこまでの話運びも平凡ながら丁寧に積み重ねていきます。ですが、特にれんのキャラクターがあまりにも浅かったり、紅次郎が本当にただの良い人になってしまっていたり、もったいない箇所が多々あります。石井組とも言うべき大竹しのぶ・井上晴美はいつも通りの棒読みですし、佐藤寛子も慣れないからかキャラクターの掘り下げ不足がかなり酷い事になっています。
話の部分はそこそこまとまってはいるだけに、こういった所でグダグダに見えてしまうのは非常にもったいないという印象でした。位置付けとしては石井隆監督が復活するためのステップという所でしょうか? 良くも悪くもこぢんまりとまとまった佳作だと思います。

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記事の評価
悪人

悪人

さてさて、本日はモントリオール最優秀女優賞で何かと話題の

悪人」を観てきました。

評価:(2/100点) – 人間の振れ幅ではなく、恣意的なキャラの振れ幅。


【あらすじ】

解体業の清水祐一は、出会い系サイトで出会った保険外交員の石橋佳乃を激情にまかせて殺してしまう。その後飄々と生活をしていたが、出会い系サイトで出会った別の女性・光代とデート中に家に警察が来ていることを知り、そのまま光代と共に逃亡生活をする。それまで殺人を何とも思っていなかった祐一だったが、光代に本気で恋したことで罪の重大さに気付いていく、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 石橋佳乃と増尾圭吾
 ※第1ターニングポイント -> 佳乃が殺される。
第2幕 -> 裕一と光代の出会い
 ※第2ターニングポイント -> 裕一の家に捜査が及ぶ。
第3幕 -> 裕一と光代の逃避行


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【感想】

本日は川崎チネチッタが1,000円だったので、あんまり見る気のなかった「悪人」に行ってきました。お客さんはよく入っていまして、ほぼフルハウスだったと思います。本作は先日、深津絵里がモントリオール国際映画祭で最優秀女優賞を獲ったことで話題になっていましたが、そのせいもあるかも知れません。春先の「パレード」よりも観客は入っていました。モントリオール映画祭自体はマスコミをいっぱい連れて行けばくれるモンドセレクションみたいなもんなので価値無いんですが、日本人はこういう謎の横文字に弱いですからね(笑)

大変申し訳ないというか、予告である程度予感はあったんですが、相変わらずな感じでボロカスに書かせていただきます。それも同じ吉田修一原作のパレードみたいに「腹は立つし酷い出来だけどやりたいことはわかるから、点数だけは45点」みたいな事もありません。っていうか満島ひかりと松尾スズキ以外に褒めるところが見当たりません。私の駄文を読んでいただいている奇特な方にはなんとなく察しがついているとおもうんですが、私は好きな俳優や可愛いアイドルがでていると点数が大幅に甘くなりますw 満島ひかりが出ているのに2点を付けたという根拠をこれから一気に書かせていただきます。すなわち私の燃えたぎる怒りのリビドーをw
お約束ですが、以後の文章は多大なネタバレを含みます。まぁ予告を見ただけであらすじは全部分かると思いますが(苦笑)、本作はそれ以上に演出面で本当に怒りを呼ぶレベルの事を平然としてきます。どうしても細部になってしまいますので、これから見ようと思っている映画未見の方はご遠慮下さい。

本作の流れ。

本作の流れをざっとおさらいしましょう。第1幕では、殺される事になる佳乃がいかに最低な女で「殺されても仕方がないか」という描写が続きます。

そして第2幕前半では、裕一が祖父の介護をしたり近所の年寄りの世話をしたりする「良い人」描写があります。そして「将来に希望が持てない閉塞的な人生を送る寂しい女」光代と出会います。裕一はここで光代のあまりの純朴さに惚れてしまいます。そして光代もまたそれまでの人生に居なかった「不良っぽい強引で影のあるイケメン」にコロっといきます。そして当初犯人と思われていた圭吾が実は直接的に事件と関係無いことが明らかになり釈放されます。この段に来てついに裕一に捜査の手が及び、裕一は光代をつれて逃亡します。道中の食事中に裕一が光代に語る回想シーンによって、再度、佳乃がいかに殺されて当然の女かという描写が入ります。一方、裕一の居なくなった実家では、祖母が詐欺にひっかかったりマスコミに追い回されたりして踏んだり蹴ったりな状況になっていきます。また、佳乃の父は、警察の取り調べから釈放された圭吾を逆恨みし、モンキーレンチをもって追いかけ回します。一度は自首を決めた裕一でしたが、光代は逃避行の続行を希望し、再び逃げます。

ついに光代のあこがれの灯台に潜伏した裕一は、買い出しにいった光代の後を付けた警察によって取り押さえられてしまいます。取り押さえられる間際、裕一は光代の首を絞めます。これによって光代はあくまでも犯人に連れ回された被害者として、逃亡援助の罪を免れます。

映画におけるモンタージュ理論の基本

ちょっと話がそれますが、映画にはモンタージュ理論というものがあります。いまや常識としていろいろな表現に使われているもので、この理論を使っていない映像はほとんどありません。ソ連のエイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」から脈々と続く革命的な理論です。詳しく知りたい方は沢山本が出ていますので読んでみて下さい。

ざっくり説明しますと、これはまったく別々のカメラで撮った映像を編集によってつなげることでそこに意味が付加されるという理論です。例えば建物の映像が10秒ぐらい流れて、次いで居間のような所で夫婦が話している映像に切り替わるとします。これを見た観客は、当然この居間が建物の中にあると思います。でも、実際に最初に写っていた建物の中に居間があるかどうかは本当は分かりません。テレビドラマであれば、外観はロケで実物を撮影して、部屋はスタジオのセットで撮影していることだってあり得ます。ですが、私達はこの並びで映像を見せられると、「写っていた建物の中に居間がある」と認識します。これがモンタージュ理論です。映像は編集によっていくらでも恣意的に観客の心理や感覚を操ることが出来るんです。

これは映像に限ったことではありません。脚本にも同じ事が言えます。脚本はたとえ個別のシーンが全く同じだったとしても、見せる順番や編集点を変えることでいくらでも恣意的な印象操作をすることができます。これに失敗している映画は、見ててどうでもよくなってきたり、飽きてしまったりします。

本作で怒りを呼ぶ主張。

さて、前置きはこれくらいにしまして、いよいよ本題です。本作は、明らかに監督・脚本家の意図として、佳乃と圭吾を「最低な人間」、裕一と光代を「根は良い人」として印象操作を仕掛けてきています。それはエピソードのつなげ方を見ても明らかです。冒頭から佳乃と圭吾は本当に最低に描かれますし、一方の裕一は地元では世話焼きで無口な純朴青年として描かれます。そして逃避行の最中、駄目押しで犯行シーンを見せて佳乃を決定的な糞女として描きます。

私が一番怒りを感じるのは、この佳乃が完全な最低女として描かれる犯行シーンです。満島ひかりを使ってこれかよってのもあるんですが、それ以上に、このエピソードの入れ方に問題があるんです。いいですか、、、このシーンは、港町っぽい食事処で、裕一が光代に「人を殺してしまった」ことを弁解するシーンに裕一の回想として入れ込まれるんです。これぞまさに前述したモンタージュ理論の最低な悪用です。さんまイカの目のアップから回想に入るという面白演出で見失いがちですが、犯行シーンは真実(=神の視点のカメラ)では無く、あくまでも殺人犯が一緒に逃げてくれる恋人に弁解している都合の良い回想なんですよ? それをこのタイミングで入れてくるんです。そしていかにも同情するような深津絵里の顔を繋いできます。本っっつっっっ当にこういう事をされると腹が立ちます。加えて遺族の父親は指名手配犯の裕一を捜すのではなく、釈放された圭吾に説教しにいきます。おかしいでしょ、どう考えても。作品全体で裕一を全面擁護する方向につなげてるんです。

しかも極めつけは、母が訪ねてくるというエピソードと、夕日を灯台で見ている子供の裕一のカットです。つまり、彼は親に捨てられて寂しくってグレちゃったんだから人ぐらい殺してもしょうがないという繋ぎ方なんです。これに関しては、作り手側の良識を疑います。「重力ピエロ(2009)」で「親が人殺しの子供は人を殺しても仕方が無いから自首しなくてOK」という結論がありましたが、それ以来の衝撃です。今度は「孤児はグれて当然だから人を殺しても仕方が無い」そうです。全国の人を殺したことがない孤児の方は本気で怒ったほうが良いです。

もちろん裕一だけでなくこういった描写は光代にもあります。そもそも光代ってそうとう頭がイっちゃってます。だって出会い系サイトでナンパした男にいきなり「ホテル行こうか」って言われてホイホイついて行ったあげくに「私は本気で好きな人が欲しかったの」とかいうような子ですよ。描写がないですが、たぶんこれ出会い系サイトでナンパしたのは初めてじゃないはずでしょ。これって所謂ひとつの「ヤンデレ」ってやつですか? むしろ怖いんですけど、、、。だけど、その明らかにおかしい子を「理解力と包容力のある優しい純朴な子」みたいに演出してくるのがかなり引きます。要は光代はいままで誰からも相手にされなかったのに、裕一が相手にしてくれたのがうれしくって舞い上がっちゃっただけです。それをいかにも「本当の愛を知った」見たいな描かれ方をされるとツッコミたくなります。だって初めて会った日はホテルに連れ込まれてその場でさよならで、次に会った日の夜にはもう逃避行してるんですよ? いくらなんでも早すぎでしょ。もっとも、作りて側の「女なんて一発やっちまえば言うこと聞くんだよ!」という逞しい信念に基づいた物ならば大変結構なんですが、普通それはちょっとねぇ、、、、、女性を馬鹿にしすぎでしょ。北方謙三あたりが言ってるなら苦笑いで済みますけどね(笑)。

なんかもう全部が雰囲気でずさんなんです。そもそも祖母が詐欺に遭う話だって映画の本筋と全然関係ないじゃないですか。悪人と善人の見分けって話ですが、それはそれで余所でやれって。マスコミはマスコミで加害者の祖母の家には押しかけるのに、被害者の葬式や遺族の家には押しかけ無いんですよ。現実のマスコミは被害者の方にだって節操無くガンガンにアタック掛けるでしょ?さらには被害者の父親が、釈放された元容疑者をモンキーレンチで白昼堂々と襲うんですよ。なんで無実の元容疑者を襲うのかもさっぱりですが、そんなもん写真週刊誌に一発でやられますよ。

あと、圭吾君はたいして悪くありません。ストーカー気味の女の子に夜中にばったり会っちゃって仕方無くドライブに誘ったらウザイくらいアピールしてくるから車から蹴り出しただけです。まぁ蹴りはやり過ぎですけど。だから被害者の父は完全に言いがかりの八つ当たりです。そんな暇があったら駅前で裕一の似顔絵のビラでも配れ。そもそも、本作のテーマは「悪人にだって人間的な振れ幅はある」って部分でしょう?そのくせに圭吾を類型的な「嫌な奴」に描くのは、これ作品内矛盾じゃないですか。

ラストで「あの人は悪人なんですよねぇ」とか光代が言いますが、私断言します。裕一は悪人だし、おまえも刑法第100条・逃走援助で普通に逮捕じゃ。もっというと被害者の父も障害罪で逮捕じゃ(っていうか普通に通り魔)。ということで、結論としてはみんな悪人です。監督も、脚本も、こんな程度の演技に賞をくれてやったモントリオールの審査委員も、そしてこんなに口汚い言葉で罵ってる私も。

【まとめ】

映画館で見る価値はありませんが、DVDが出たらレンタルで見る価値はあると思います。確かに日本で出会い系サイトによる売春が普通に行われていて、田舎の閉塞した村社会で切れやすい若者が一杯いて問題視されているとカナダ人が誤解したならば賞の1つぐらいは来てもおかしくはないかも知れません。なぜなら、おそらくこの内容をコンゴとかパキスタンとか日本人に馴染みの薄い国の映画としてやられたら、日本でも文化を誤解して褒める人がいても不思議じゃないと思うからです。
一応マイナス方面でオススメをしておきますが、最後に1つだけ。
見終わった後、30代半ばぐらいの夫婦が「1,000円でよかったね」「いや、これはないでしょ。」という会話をしていたことをご報告いたします。でも後ろの若い女の子2人組は泣いてたんですよね、、、。

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ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士

土曜の3本目は

「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」です。

評価:(45/100点) – あれ?ちょっ、、、、、え!?


【あらすじ】

ザラチェンコを襲い瀕死の重傷を負ったリスベットは、強靱な生命力で大学病院へと運ばれ一命を取り留めていた。しかし対するザラチェンコもやはり生き延びてしまい、ニーダーマンに至ってはまんまと逃げ延びて潜伏してしまう。
一方その頃、ザラチェンコが裁判で過去を暴露することを恐れた秘密結社・特別分析班の創設者・エーヴェルト・グルベリは、ザラチェンコとリスベットの口封じを企む。そしてかつての捜査資料を元に国家の暗部へと近づくミカエル。首相からの勅令を受け公安内部の非公式結社の存在を捜査するトーステンとモニカ。特別分析班の息の掛かった検察をも巻き込み、舞台はリスベットの裁判へとなだれ込む、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 特別分析班の登場。
 ※第1ターニングポイント -> フレドリック・クリントンが特別分析班に復帰する。
第2幕 -> ミカエルとリスベットの調査
 ※第2ターニングポイント -> 裁判が始まる。
第3幕 -> 裁判とニーダーマン。


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【感想】

さて、昨日の3本目は「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」です。原題は「Luftslottet som sprangdes」なので「打ち砕かれた空虚な城」って感じなのですが、なんでこんな邦題になったかは良く分かりません。さすがに第2作が公開してすぐの続き物第3作ですので、そんなにお客さんは入っていませんでした。とはいえ、2作目がかなり良いところでぶった切られるので、見たら絶対に続きが気になる作品ではあります。
細かい前提はミレニアム2と同じなので割愛させていただきまして、いきなり本題に行きます。本作ではついに、ザラチェンコの所属していた組織が登場します。前作では思わせぶりで終わっていたんですが、今回でそれが国家ですら把握できていない秘密結社であることが分かります。そして、この”班”の連中達がリスベットをあの手この手で社会的に抹殺しようと企んできます。もちろん最凶ロリコン変態・テレボリアン医師も組織の手先です。そこをリスベットがどう切り抜けていくのか? そしてミカエルはどう援護していくのか? 壮大なリスベットの復讐劇の完結編です。
とか書くと面白そうに聞こえるんですが、、、正直ちょっと拍子抜けというか、、、なんかカタルシス不足を感じてしまいます。というのも、これは仕方が無いことなんですが、実は原作自体が作者の急死により中途半端に終わってしまってるんですね。原作では伏線を張りまくったのに続編が無いという大変微妙な事態が起きていますが、映画ではその伏線部分が綺麗さっぱりカットされています。その分、内容はリスベットと”班”との対決に絞られていてシンプルにはなっているんですが、一方でリスベットという稀代の名ヒロインの復讐劇としてはかなりショボイことになっています。いうなれば「僕らの旅がこれからだ!」エンドでして、ラストで晴れて自由の身となったリスベットがこれからミカエルと組んで大活躍するんだろうな、、、というちょっとした期待で終わってしまいます。本当に静かな終わり方でして、カタルシスはほとんどありません。リスベット物語の第一章で終わってしまったような感じです。もちろん、陰謀仕立ての法廷サスペンスとしては中の上ぐらいの出来ではあります。でも、やはり1作目で「現代のポアロか」ってくらいすばらしい「金持ち一家にまつわる謎を解く」という探偵物を高いレベルで実現し、2作目で「ピンチになったスーパーヒロインの意地と執念の逆襲」を見せてくれたシリーズとしては、ちょっとこの「まぁまぁよくできた法廷劇」では物足りません。
前作以上にミカエルとリスベットの連携が見られますし、よりプレイグ(疫病神)を巻き込んでの「チームもの」としての完成度は上がっています。それだけにもう一押し、せめて班の連中に対する復讐を見せて欲しかったです。いくらなんでも普通に逮捕じゃねぇ、、、。
一応申し訳程度に最後にアクションがあるんですが、それもあまりにショボすぎてむしろ要らないかなという位の感覚です。
惜しいです。

【まとめ】

もちろんシリーズ1作2作を観た方は絶対に行くべきですし、行かないと悶々として過ごすことになりますw また、完全に前作の続きですから、前作を見ずに本作だけ見るというのは限りなく無意味です。
リスベットは相変わらず良い味だしていますし、ミカエルの「船越英一郎化」も着々と進行しています。欲を言えば思い切ってオリジナルストーリーでテレビドラマにしちゃえばいいのにと思わないこともないのですが、これはこれで「ミレニアム3部作」としては無難な着地なのかなとも思います。
なんにせよ1作目と2作目は傑作ですので、観ていない方は1作目をDVD、2作目を劇場で見て、惰性で本作もご鑑賞いただくと良いかと思います。にしても見たのになんか煮え切らないというか悶々とするというか、、、スティーグ・ラーソン生き返って続編書いてくれないかな、、、。

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ミレニアム2 火と戯れる女

ミレニアム2 火と戯れる女

2本目は

「ミレニアム2 火と戯れる女」を観てみました。

評価:(75/100点) – テレビドラマのクオリティでは無い。


【あらすじ】

前作にて逮捕されたミカエルが出所してから暫く経ち、「ミレニアム」には新たなネタの売り込みが来ていた。中でもダグが持ち込んだのは、政府高官達の売春に関わるスキャンダルネタ。2ヶ月の臨時雇用を得たダグだったが、まさに最終稿をあげるそのときになって、恋人と共に射殺体となって発見されてしまう。時を同じくして、リスベットの後見人・ビュルマンも寝室で射殺体で発見される。銃から指紋が発見され3名の殺人容疑で指名手配されたリスベットは、独自の捜査で犯人を捜索する。そこには彼女が長年追い続けた「ザラ」の関与の証拠があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ダグの持ち込みと取材。
 ※第1ターニングポイント -> ダグが殺される。
第2幕 -> リスベットの逃亡とミカエルの捜査。
 ※第2ターニングポイント -> ミカエルがパルムグレンと接触する。
第3幕 -> リスベットとザラの対決。


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【感想】

今日の2本目は「ミレニアム2 火と戯れる女」です。1作目から1年も経たずに早くも続編の登場です。本日から渋谷のシネマライズではオールナイトイベントで「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」まで一挙上映していますが、とりあえず2作目だけ見てきました。前作の評判が良かったからか、そこまで宣伝していない非ハリウッド作品としてはかなりお客さんが入っていました。

立ち位置の確認

本作はスウェーデンの雑誌編集者・スティーグ・ラーソンの死後に発表されたミレニアム3部作の2作目の映像化です。元々テレビの二時間ドラマとして制作されていましたが、1作目の映画があまりに大ヒットしたため、急遽編集をしなおして映画として公開されました。そのため本作には35mmフィルム版が無く、日本でもブルーレイで上映されています。
ちょっと先日も「怪談新耳袋 怪奇」で書きましたが、ブルーレイ上映ですとどうしても色深度がフィルムより浅かったり、字幕の「シャギ」がすごく目立ったりします。ただ本作はそこまで画像的な破綻はなく、どちらかというとそのままセルBDにする気が満々なために入る「人物紹介テロップ」にゲンナリします。さすがに「リスベット(天才ハッカー)」と出たときは笑いを堪えるのに必死でしたw
特に前半は非常にテレビドラマ的な固定カメラワークが多く、たしかに映像はチープになったように感じます。しかし、それにもまして圧倒的に面白いサスペンス展開にグイグイ引き込まれるため、中盤以降はまったく気になりません。とにかく無類に面白いシリーズです。

シリーズの肝

本作は、1作目よりも謎解き/サスペンス要素はかなり減っています。というよりも、まさに三部作の二部目といった感じでキャラクターを掘り下げるためのストーリーとなっています。当然掘り下げる対象は暴走少女・リスベットなわけで、本作はリスベットの過去にグイッと入り込むことに重点が置かれています。
ですので、例えば犯人は誰かとか、犯行手法はどうとうか、そういった要素はほとんどありません。実行犯はかなり早めに分かりますし、黒幕もパルムグレンに会いに行くだけで分かります。
本作は1作目にあった「リスベットとミカエルの信頼/愛情関係」をすれ違わせ続けて物語の推進力にしています。「果たしてミカエルはリスベットと会えるのか!?」だけで二時間持たせるわけです。なのでどうしても「キャラもの」として見ざるを得ない部分があります。もっとも、リスベットのキャラが濃すぎてまったく問題は無いんですが、ファン限定の作品ということにはなってしまうかと思います。

【まとめ】

サスペンスものは毎回物凄い書きづらいんですが(苦笑)、本作は間違いなくイかした良作です。アクション要素あり、連続殺人あり、そしてお色気あり、娯楽作としては相当に良い線に行っていると思います。
1作目の「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」はDVDも出てますしレンタルにもありますので、是非前作を見てから、ダッシュで映画館に駆け込んで下さい! 3作目がすぐに公開されてしまうため、2作目の公開期間はあらかじめどこも短く予定されています。最近は数が減っているサスペンスでは間違いなく良作ですので、是非是非劇場で見て下さい。大プッシュでオススメです。

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東京島

東京島

本日は新作1本、

「東京島」です。

評価:(3/100点) – サバイバルしないサバイバル映画。それすなわちピクニック。


【あらすじ】

清子は結婚10周年の記念旅行中に船が遭難し無人島に漂着する。すぐにフリーター男の一群と中国人密航団も不時着する。すぐに清子の夫・隆はガケから転落死し、新たにフリーターの中からカスカベを夫にするも彼も転落死。そんな中で、清子は無人島で唯一の女性として優雅な生活を満喫していく。


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【感想】

今日見たのは新作映画の「東京島」です。宣伝もバリバリやっていますし、結構人が入っていました。個人的にはサバイバルものだと言う点と、敬愛する大友良英さんが音楽をやられていると言うことで楽しみだったんですが、、、、これは無い。あまりにもすごい内容に呆れるよりはちょっと楽しくさえなってしまいました。
ちょっとここでお断りですが、私は原作本を読んでいません。なので、ストーリー部分については100%映画のせいではなく原作がそもそもおかしいということもあるかも知れません。申し訳ございませんが、比較はしていないため原作ファンの方はご勘弁ください。

無人島ということ。サバイバルということ。

無人島ものと聞きますと、最近では「LOST」を思い浮かべる人が多いかも知れません。私もテレビを全然見ないくせに「LOST」はDVDで全部見てるんですが、あれはどんどんソープオペラになっていきはするものの、サバイバルものとして最低限のお約束は守っていました。
さて、無人島サバイバルでの最低限のお約束とは何でしょう?
・ 外部との交信が困難であること。ただし不可能ではない。(←このわずかな交信で最後脱出するため)
・ 食料は工夫次第で採れるが、決して潤沢でないこと。
・ 武器は限られていること。
・ 全員が脱出することが困難であること。
・ 政治力と武力・知力を駆使して派閥が出来ること。
こんな所でしょうか。大切なのは、無人島で助けが来ないかも知れないという「極限状態」に直面して、登場人物達が追い込まれて「人間の本性」が浮き彫りになってしまうことです。だから私たち(と断言しますがw)はサバイバルものが大好きなんです。

本作の最低な所。

本作で最低なのは、このサバイバルという緊張感や危機感がまったくすっぽり抜けていることです。つまり、こいつら楽しそうなんです。あのね、、、楽しかったら脱出しなくていいじゃんw 暮らせよ、そこで。
まぁ本当に住んじゃって困るんですがw
本作では食料がわりと潤沢に採れているんです。一応セリフでは「豚肉なんて滅多に食べられないのよ。」とか言うんですが、そのわりにスクリーン上では年中食べてます。だから食料の取り合いがありません。つまり「食料の枯渇」=「生命の危機」が存在しないんです。だから崖から落として殺した後放置したりするんです。本当のサバイバル環境では、人間という高カロリー高タンパクの肉を捨てることはしません。大岡昇平の「野火」とか武田泰淳の「ひかりごけ」をちゃんと読んでください。
この食料問題からはじまり、本作では一切人間の狂気が描かれません。描かれるのは超良い人ぞろいの漂流者達と、その中であくまでも自己中心的で独善的に振る舞い続ける勘違い女のやりたい放題さです。
清子を除いて良い人たちすぎるんですよ、皆さん。だから秩序の保たれた生活を営めちゃってるんです。すなわちサバイバルではないんです。生き残るための努力が描かれないんです。この時点で、これはもうピクニックでしかないんです。
それは恐ろしい事に劇中に登場する「日本人vs中国人」にも現れます。そもそも対決してないですし。まったくいがみ合うことがないんです。なぜなら、日本人側は魚と果実を採って元気いっぱいですし、中国人側は豚を養殖して不自由なく生活しているからです。
このように根本的なこと(=生命の危機)ができていないから、イベントがスムーズに起きないんです。その結果、全てのイベントは清子の身勝手さから発生するという目も当てられない展開を生みます。そしてそれをやっちゃうと、どんどん清子は嫌な奴に見えてくるわけです。

本作の最低な所2 窪塚という狂気を生かせていない。

本作でほとんど唯一の曲者として存在するワタナベ(窪塚)は、しかしその狂気を一切生かすことなく脱出してしまいます。
本作の構造をおさらいしましょう。東京島には3派閥が存在します。日本人、中国人、そしてワタナベです。ワタナベは一人我が道を行く人間で、途中で中国人に荷担したりもします。彼は東京島の秩序におさまらない人間であり、唯一の”異物”なんです。だから構造上は彼が脱出の鍵を持っているはずなんです。そして実際に彼は鍵を持っていていち早く脱出します。ところが、彼の脱出がその後、残された人間に何の役にもたたないんです。本来であれば清子は彼の脱出方法を解き明かして、その方法で最後脱出しないといけないんです。ところが、彼女が脱出できるのは完全な運です。その時点でもう話を積み重ねる気が無いんです。
残念ですがこのストーリーはサバイバルとしても映画作品としても最低限の起伏が書けていません。

【まとめ】

サバイバル・スリラーかと思って見に行ったらババァが調子こく話だったという、、、もうね。やはり現代の邦画界でまともなスリラーは作れないんでしょうか? もしまともなスリラーを期待していくならば絶対に止めた方が良いです。というか何かを期待していくならば絶対に止めた方が良いですw ということで無かったことにしましょう。
※ 余談ですが大友さんは相変わらず良い音楽を作っています。ちょっといつもより手抜きっぽいですが、まぁこの映画じゃ仕方無いかなぁと。完全に無駄使いです。

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シークレット

シークレット

本日の2本目は韓国映画

シークレット」です。

評価:(30/100点) – サスペンスとしてはどうかと思うほど適当。


【あらすじ】

キム・ソンヨルは刑事である。ある日の朝、ソンヨルの妻ジヨンは何時にもまして正装をして家を出て行く。深夜0時近くになって戻ってきたジヨンは、片耳のイヤリングを無くし、シャツには血痕がついていた。問いただすソンヨルにジヨンはなにも答えない。翌日、マフィアのボスの弟・ドンチョルが刺殺され発見される。現場にはジヨンのなくしたイヤリングとブレザーのボタンが落ち、ワイングラスにはジヨンの付けていた紫の口紅が付いていた。妻が殺したと判断したソンヨルは必死に証拠を隠そうとする。一方その頃、ドンチョルの兄・ジャッカルは怒り心頭で犯人の独自捜査を始めていた、、、。


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【感想】

本日の2本目は韓国映画の「シークレット」です。本日公開ですが、全く話題にもなっておらず映画館もガラガラでした。
本作はある意味「瞬 またたき」と同じフォーマットを持っています。ドンチョルが殺された瞬間が最後の最後まで明かされず、その空白の時間を巡ってソンヨルが右往左往していきます。いわゆる巻き込まれ型のサスペンスなんですが、本作で問題なのは、謎が謎じゃないという部分なんです。というのも、真相はジヨンが知っているわけで、単に喋らないっていうだけなんです。極端な話、重要参考人としてジヨンを警察に呼んで取り調べれば10分ぐらいで映画が終わります。
ですが本作ではそこを根底にして、脅迫者(ピエロ)とジャッカルとソンヨルと同僚チェの4者が独自の思惑で動き始めます。そしてストーリーはどんどん横滑りしていき、気付いたら殺人事件はどこかへいってしまい麻薬バイヤーの話になっていきます。
実は本作を見ていて、すごく伊坂幸太郎映画っぽいと思いました。気が利いてるようで実はグダグダな伏線の張り方だったり、メインストーリーであったはずの所からどんどん関係無い話にずれていく感じがすごく似ています。そして、物語で写る部分以外が雰囲気だけというのも共通しています。ネタバレになってしまいますが、劇中でもう一つ分かりやすい殺人事件があるのにそれが何の捜査もされていないんです。そちらは完全な衝動殺人で、それこそ指紋や目撃者が沢山いるような状況です。でも劇中では完全スルー。いいのかそれで、、、。
結局、本作がやろうとしているのはとても入り組んだ「パズル型サスペンス」なんです。でも全然出来ていない上に、そもそもの話すらとっちらかってしまいます。残念ですが、お世辞にも出来が良いとは言い難い映画でした。
本作で唯一良いところは、韓国の警官は汚職が当たり前という部分です。他の韓国映画でもよく出てくるんですが、こういう自国の汚点を普通に映画に入れてしまえるというのは韓国独特の感覚だと思います。恥だと思ってない感じw
オススメはしませんが、もし時間とお金が余っていて映画館の椅子に座ってのんびりしたい方には良いかも知れません。

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瞳の奥の秘密

瞳の奥の秘密

木曜は久々のレイトショーで

瞳の奥の秘密」を見てきました。

評価:(90/100点) – 傑作ロマン・サスペンス


【あらすじ】

検察官として活躍したベンハミン・エスポシトは定年を迎え、小説を書いて老後を過ごすことにした。彼が真っ先に書こうと思いついた題材は25年前に担当した婦女暴行殺人事件であった。彼はかつての上司にして才女イレーネ・メネンデス・ヘイスティングスを訪ね、書き連ねた文章を見せていく。それは愛と正義と政治の渦巻く悲しい物語だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 婦女暴行殺人
 ※第1ターニングポイント -> エスポシトがリリアナ・コロトの写真アルバムを見る。
第2幕 -> イシドロ・ゴメスの捜索と結末
 ※第2ターニングポイント -> エシポストが事件を再捜査する。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

さて、8月はここまで全然映画が見られていないんですが、久々にレイトショーに行ってきました。タイトルはアルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」。本年度のアカデミー賞外国語映画賞受賞作品です。完全な単館映画ということもあってか、かなりの観客が入っていました。

作品の概要

本作はミステリー仕立てのロマン映画です。定年を迎えたエスポシトが、自分の人生を振り返るようにかつて担当して完全解決に至らなかった殺人事件を回想していきます。そして事件は意外な方向に転がっていき、アルゼンチンの政治情勢とも絡んで大きな流れへと発展していきます。
一応本作を見る上で必要となるアルゼンチンの歴史をざっと復習しておきましょう。
本作の回想シーンの舞台となる1970年代後半のアルゼンチンは1976年のビデラ将軍の軍事クーデターに端を発する超極右的軍事政権のもとで極端な左翼狩りが行われていました。本作で登場するある男は、この左翼狩り要員として雇われることによって特赦を受けます。そしてこの時代のアルゼンチンは決定的に官の腐敗が進行しており、ほとんど何でもありの無法状態となっています。
本作の主人公であるエスポシトとイリーナは、そんな状況下でも職分を越えて正義を貫こうとします。彼らは無茶な捜査で犯罪まがいの事も行いますが、徹底的に善人として描かれます。そしてここに「身分違いの恋」による甘酸っぱい思い出がプラスされるわけです。エスポシトは正義感や道徳心が強く、特に女性に対してはかなりの奥手です。劇中でなんどもイリーナがサインを送りますが、このヘタレはまったく踏み込みません。その純情さが、やがて遺族の夫・モラレスの狂信的なまでの妻への愛に重なっていきます。そしてエスポシトとモラレスとの共感関係が、互いの人生を変えていきます。
本作はすべての要素が「愛憎」によって巻き起こります。さすが情熱のラテン系w 特にタイトルにもなっている瞳が本作では「外からでも心が見えてしまう場所」として大変重要な要素になっています。エスポシトは写真の中の視線でもって物証も無しに犯人のあたりを付けますし、イリーナはイシドロが取調中に自分の胸を凝視しているのを見て犯人だと確信します。そして判事は保身とプライドのために犯人と司法取引を行います。
その全てが、あるタイミングで一時停止し、そして人生の終わる直前に一斉に再始動します。全体的にはB級サスペンスな作りをしているんですが、その悲哀というかロマンスの部分が本作をとても素敵な作品に押し上げています。

【まとめ】

猟奇殺人が出ると点数が甘めになってしまうんですが(笑)、本作は大変よくできた”文芸作品”だと思います。話の内容がそこまであるわけではないですし、謎解きがどうこうという事でもありません。ただただエスポシトとイリーナにうっとりしながら、パブロで笑って、モラレスで涙する。そういう類の”良質な文芸作品”です。
で、なんでカッコつきで「文芸」というかと言いますと、正直面白い事は面白いんですが、すごくもったいない気もするんです。というのも、本作はやろうと思えばそれこそデヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック(2007)」みたいな「傑作捜査チームもの」にも出来たはずなんです。でもそこはやはりラテン系なのか、どうしてもロマンスの方にどんどん寄っていってしまいます。だから、犯罪捜査物としてはあんまり出来が良くないんです。あくまでも文芸作品、もっといえば「毒にも薬にもならないけどなんとなくおしゃれな雰囲気にはなれる映画」としての良作です。
ですので、デートにはぴったりですし、夫婦で休日に見に行くにもぴったりです。
あくまでもアルゼンチンの政治闘争等を深く考えずに、さらっと良い雰囲気を楽しむのがオススメです。

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インセプション(超ネタバレ)

インセプション(超ネタバレ)

式公開から1週間経ってるわけですが、インセプションが「良く分からん」という声が随所から聞こえてきます。そこで、えいやと思い立って超ネタバレなタイムラインを書きましたw
下記の画像が後半というか第3幕の目玉「インセプション作戦」のタイムラインになります。2回見たのでたぶんあってると思うんですが、間違ってたらすみません。
特に3層~4層は本作で一番ツッコミ所が多くかつ混乱する所ですので、人それぞれで解釈が違う可能性があります
※「インセプション」はギミックだけの映画で内容はあまりありません。そしてノーランの演出が下手なためこのような混乱が起きていますw ネタバレは著しく作品の価値を損ないますので、鑑賞後にご覧いただくか、絶対映画館で見る気が無い人だけご覧ください。
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inception_timeline

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