時をかける少女(2010年版)

時をかける少女(2010年版)

2本目は

「時をかける少女」です。

評価:(85/100点) – これこそアイドル映画。


【あらすじ】

ある日、酒屋の吾郎が芳山和子に一枚の写真とラベンダーの花を手渡す。それを見た和子は放心状態で歩き車に轢かれてしまう。事故の昏睡から目覚めた和子は、かつて深町によって消された記憶を取り戻す。そして娘のあかりに自身の代わりに彼女が開発したタイムリープの薬を使って深町に会いに行くよう頼む。しかし、あかりはタイムリープする日付を間違えてしまった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 和子が記憶を取り戻す。
 ※第1ターニングポイント -> あかりがタイムリープする。
第2幕 -> 深町を探す。
 ※第2ターニングポイント ->深町に出会う。
第3幕 -> 1974年、最後の一日。


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【感想】

さて、二作目はもちろん「時をかける少女」です。夜の回で見てきましたが、すごい人の入り方でした。その後、つい今しがたまで「大林版・時をかける少女(1983)」と「細田アニメ版・時をかける少女(2006)」を見返してました。そうしないと本作を褒めるための理論武装が出来ません(笑)。
本作は「大林版・時をかける少女」の直接的な続編となっています。「大林版・時をかける少女」は原田知世の神懸かり的な可愛さと大林監督のカルトな表現技法が使われている、ものすごくイビつで変わった歴史的大傑作です。この大林版の時をかける少女への心酔度によって、おそらく本作の評価は180度変わります。私はこれから本作を絶賛いたしますが、ちょっと言い訳がましくなるのをご了承ください(笑)。
また前提として、私は大林版をリアルタイムでは見ていません。
時をかける少女に触れた順番は
「内田有紀版」→「筒井康隆小説」→「大林版」→「安倍なつみ版」→「アニメ版」→「本作」
となります。
なお、以後の文章では「大林版・時をかける少女(1983)」のことを「前作」と呼ばせていただきます。

ストーリーテーマについて

本作には二つのストーリーがあり、それが同時並行で進んでいきます。一方はおそらくほとんどの方が絶賛するであろうストーリーであり、もう一方は賛否が180度分かれるであろうストーリーです。まずは前者を見てみましょう。

□ ストーリー1:ラブストーリー

ストーリーの一つは、新キャラクターの芳山あかりがタイムリープした事で起こる過去人・涼太との恋愛話です。非常にオーソドックスでして、過去に影響を与えてはいけない未来人が過去の人間に惚れてしまうことから起こる悲恋話です。ここに若い頃の両親との出会いが合わさり、疎遠だった自分を捨てた父との関係にも影響を与えます。このパートでは仲里依紗の顔のアップショットが多用されます。これぞアイドル映画の醍醐味。とにかくいろいろな表情の仲里依紗がスクリーンに映し出され、それがものすごく魅力的に撮れています。
また未来人を”拾ってしまう”涼太の造形もオーソドックスで、ボンクラなダメ人間で映画や特撮に心酔しているオタクです。ですが彼が熱心に撮影する自主映画「光の惑星」の撮影を手伝ううちに、段々とあかりは涼太に惚れていきます。そして「ある事件を阻止しようとするが、過去を変えてはいけないために阻止できない」というお約束もあります。この全ての恋愛話の最後に、前作の和子と同様に記憶を消されて恋心も失われてしまいます。しかし、前作には無かった”救い”が本作には用意されています。安直に見えるかも知れませんが、私はこの救いのシーンで完全に号泣モードに入りました。
私はこちらのストーリーが本作のメインだと思います。

□ ストーリー2:大林版・時をかける少女の続報・回収

二つ目のストーリーは、芳山和子と深町一夫を巡る再会の話です。もう文字で書くだにセンシティブな話題です(笑)。本作では吾郎が持ってきた和子と一夫の2ショット写真と交通事故のショックで、和子が消された記憶を取り戻します。そしてそこから、和子と一夫の再会ストーリーが始まります。
あかりが過去に戻ると、和子はいきなり尾道(本作では東京?)から横浜に引っ越しています。そして新キャラ・長谷川政道に恋をしています。作品単体としては「娘が若い頃の母に出会いその恋愛観を見ることで、母も人間であることを少し理解する。」という比較的良い話です。ただですね、ここに前作の熱狂的なファンが拒絶反応をしめすであろう「引っかかり」が数点あります。
そもそも「原田知世 役」の石橋杏奈が原田知世と比べて可愛く無いというのが一点目です。2010年パートの和子は前作では出てきてませんから、安田成美については何の問題もありません。
おそらく石橋さんやスタッフは嫌だと思いますが、「時をかける少女」を制作し学生時代の芳山和子を演じる以上は、今後未来永劫、原田知世との比較は避けられません。そして前作の活発なショートヘアの芳山和子が、かなりおとなしめの長髪少女に変わっています。これは前作のファンとしてはわりとショックです。尾道という世界観が無くなったのもかなり大きいです。
二点目は深町君の未来描写です。前作では「緑の少なくなった未来からラベンダーを見つけるために来た」のが深町君です。本作の中盤で未来の深町君が映るんですが、なんというか、、、、SFとして致命的なまでに夢の無い手抜きな未来世界がCGで広がっています。これがセンスが皆無でダサ過ぎます。また石丸幹二というのもちょっと違和感があります。深町君はもっと無邪気で好青年なイメージがあったので、石丸さんはあんまり合ってないような気がします。
三点目は吾郎の扱いです。前作では吾郎と深町君と和子で仲良し3人組だったのに、本作では和子が引っ越した関係でほとんど出てきません。前作や原作をみて和子と吾郎がくっつくと思っていた人にとっては、いきなり新キャラが和子と結婚するのは納得が出来ません。
四点目が和子と深町君の再会です。前作は好きなのにすれ違うしか無いというシチュエーションが悲恋だったわけで、記憶を無くしてしまったのに偶然すれ違うことが肝だったと思います。再会させたら前作から27年にわたる余韻が台無しです。
そんなわけで、こちらのストーリーをどう評価するかはかなりパッカリ分かれると思います。いままで「時をかける少女」を見たことが無い人には普通に問題のないストーリーですが、大林版のファンであればあるほど、上記のようなノイズが猛烈に気になります。

そのほか。

本作で絶賛モードの私でもどうしても納得出来ないことがあります。
それは、エンディングを仲里依紗が歌っていないことです。
なんで「いきものがかり」なんじゃ!!!このタイアップで誰が得をするんだ!!!アイドル映画なんだから、最後は大林版のオマージュとして倒れてた仲里依紗がムクッと起き上がっておもむろに「時をかける少女」を歌うべきでしょ!!!
この点に関しては私は一切擁護の言葉を持ちません(笑)。完全に失策です。「なくもんか」を許した私でも、これでいきものがかりが嫌いになりました(笑)。

【まとめ】

前作との関連ではネガティブな部分ばかり取り上げましたが、もちろんポジティブな部分もあります。桜並木を歩くシーンや最後に深町とすれ違うシーンは明らかに大林版へのオマージュとして成功している部分です。
冒頭で85点としたのは、あくまでも仲里依紗のアイドル映画としての点数です。本編が100点で、エンディング曲無しなので-15点(笑)。ここに前作への心酔度が加わって、人によっては100点になったり-100点になったりします。
ですから、確かめる意味でも是非劇場で見てみてください。大林版を見たことが無い方は、まずレンタルDVDで大林版の鑑賞をオススメします。私も大林版が結構好きだったという意外な発見がありました。

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花のあと

花のあと

今日も二本見てきました。一本目は

「花のあと」です。

評価:(70/100点) – 時代劇というよりは現代劇でありアイドル映画。若い人の方が乗れるかも。


【あらすじ】

父である寺井甚左衛門に剣術の手ほどきを受けて育った以登は、ある日花見中に江口孫四郎に声を掛けられる。羽賀道場の筆頭・孫四郎が気になった以登は、父に頼んで手合わせの機会を設けるが、自身を真っ向から打ちのめした孫四郎に惚れてしまう。しかし自身には許嫁がおり、孫四郎にも婚姻の話があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 以登と孫四郎が出会い、決闘する。
 ※第1ターニングポイント -> 以登が孫四郎に惚れる。
第2幕 -> 孫四郎の結婚と勘解由(かげゆ)の罠。
 ※第2ターニングポイント ->孫四郎が切腹する。
第3幕 -> 以登の敵討ち。


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【感想】

一本目は藤沢周平原作の時代劇「花のあと」です。私は勉強不足にして、監督の中西健二さんを存じ上げておりませんでした。彼の作品を見るのは初めてだと思います。昼の回で見ましたが、年配の方を中心に結構観客が入っていました。
本作は全体として中々良いまとまり方をしていまして、見た後の満足感はかなり高いです。が、、、実は二本目に見た作品で全部吹っ飛んじゃいました(笑)。それはそれとして、まずはストーリーから行ってみましょう。

本作のストーリーについて

本作品のストーリーはかなり良いです。要は男に興味の無かった女性が初めて惚れた男の仇を討つ話しです。シンプルな「女戦士の仇討ちもの」でして梶芽衣子の得意分野です(笑)。とどのつまりは昔の東映・大映に良くあった映画です。まず前半は以登が初恋にとまどいながらも悶々とする話。そして後半はサスペンス仕立ての仇討ち話です。この繋がりが結構面白くなかなかエンターテインメイントとして優れていると思います。
ただ、サスペンス部分に関してはかなり残念な事になっています。第一に、以登は孫四郎がハメられるまさにその場にニアミスするんですが、一方でそれが後半まったく生きてきません。第二に、捜査は全て才助が行ってしまい主役の筈の以登が全然仕事をしないことです(苦笑)。第三に、そしてコレが一番まずいのですが、観客に最初から犯人がハメる場面を見せてしまっていることです。だから謎解きには全く乗れません。以登にとっては謎でも、観客にとってはついさっきスクリーンに映ってたことですから(笑)。なのであんまり盛り上がれません。でも、サスペンス要素はあくまでも蛇足みたいなものです。根幹はあくまでも以登が恋心に悶々とする様子をニヤニヤ見るというアイドル映画です(笑)。
そんなわけで、以登が初恋を追いかけていく内に頼れる才助に惚れていく様子はかなり丁寧に描いています。作品の全編通じて仏頂面をしている以登ですが、最後の最後で、本当に最後で一回だけ笑うんです。そこまでの仏頂面にタメがあるからこそ最後のちょっとした微笑みがとても効果的です。

本作の演出について

演出についてですが、役者の顔のアップがかなり多いために時代劇というよりは現代劇に見えます。それ以上に北川景子と佐藤めぐみが完全に「いまどきの女の子」の顔なので全然江戸時代に見えません(笑)。また、宮尾俊太郎の棒読みもちょっとビックリするレベルです。役者さんでは無いので仕方がないんですが、いくら甲本雅裕や市川亀治郎が超頑張って好演していても全部帳消しになってしまいます。
かくいう以登のキャラ描写にも惜しいところがあります。というのも彼女が「男に興味が無い」という直接的な描写が無いために、孫四郎にちょっとナンパされただけでホイホイ引っ掛かったギャルに見えてしまうんです。冒頭の花見シーンで「別の男に話しかけられても無視した」という描写が欲しかったです。以登は面食いでは無く、あくまでも男勝りの自分を受け入れた初めての男に惚れたはずですから。
その「以登の剣術」についてですが、北川さんは相当頑張ってます。私も剣道を少し囓っていたんですが、映画で俳優さんが素振りをしたときにキチンと左手が鳩尾の高さで止まって右手が絞れているケースはほとんどありません。冒頭の稽古シーンでかなり綺麗な形で左右面の素振りをしているのはグッと来ました。ですが、、、これは仕方がないのかも知れませんが、やはり映画の時代劇で血しぶきの一つも出ないのは納得出来ません。人が切られたら血が出るのは当たり前でしょう? いくらアイドル映画とは言え、「汚いモノは見せない」というのはどうなんでしょう。別にR15+になるまで血糊を使えとは言いません。でもせめて切られた敵の服が赤くなったり、ちょっと返り血を受けるぐらいは当然だと思います。殺陣で血糊が無いと、それだけでショボくて幼稚に見えてしまいます。
最後に最もがっかりする部分を。まさしく最後の最後、以登が初めて笑顔を見せて完全に北川景子の魅力にヤラれたまさにその瞬間に、なぜか一青窈の「J-Popでござい!!!」っていう主題歌が流れ始めます(苦笑)。余韻ゼロ。そして作品のトーンと全くあってない軽快な音楽。それでもエンドロールならまだ諦めはつくんですが、桜並木を才助と以登が歩いていく作品上一番の見せ場が流れてるんですね。挙げ句の果てに間奏部分でナレーションまで入りやがります。タイアップが大事なのは分かるんですが、せめてもう5分待って、エンドロールが始まってからにしてください(苦笑)。これのおかげでせっかくジーンとくる場面が台無しです。

【まとめ】

ストーリーは面白いですし、北川景子さんのアイドル映画としてもバッチりです。ですがちょっと演出がノイズになって結構評価を落としてしまっています。全体のトーンも時代劇というよりは昼ドラっぽいですが、とても良く出来た作品だと思います。時代劇が好きな方よりも、恋愛ドラマが好きな方にマッチするかも知れません。
また、北川景子のファンであれば本作品は鑑賞必須です。義務です。絶対に見に行きましょう。

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ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

アカデミーについて書きたいのは山々なのですが、まずは今日のレイトショーで観た

「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」です。

評価:(45/100点) – 映画としては糞そのもの。しかしアイデアは素晴らしい。


【あらすじ】

バカ正直のナオは、ライアーゲームという大金を掛けたゲームの決勝戦に招待される。人気のない孤島で、ナオはそのほか10人の人間と共に莫大な金を掛けたゲームを始める。


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【感想】

さて、アカデミーについても色々書きたいことはあるんですが、今日は「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」についてです。つい先ほど見終わったばかりです。
人の入りはレイトショーにしては多く、10~20人ぐらいでした。私は例によってドラマ版を全く見ていない上に漫画も読んでいない状態です。ハッキリ言ってボーイズ・オン・ザ・ランの時に書いたように松田翔太を見に行ったようなものです。後はモロにSAWのトリック・ドールをパクってるピエロ人形が気になったという所でしょうか。
見終わっての感想ですが、なんと言いますか、、、非常に評価に困る作品でした。
といいますのも、映画としては文句なく糞なんです。詳しくは後述しますが相当酷いです。ところが本作は(SAWのパチモンとはいえ)日本でソリッド・シチュエーション・スリラーが作れる可能性を見せてくれました。その点は十分に評価に値すると思います。

映画としての難点

冒頭の文を見ていただいて分かるように私は本作には好意的です。なので悪口を先に片付けてしまいましょう(笑)。
本作の映画としての一番の難点は、映画の文法を全く使っていないことです(苦笑)。いきなり話が終わってしまいますが、明確に本作は映画として構成されていません。100%TVドラマの文法で作られています。具体的に言いますと「間の徹底的な排除」「小刻みなカットバック・早回しの多用」「泣き喚き等オーバーリアクションの多用」そして「過剰なインパクト音としてのSE」です。要は、本作はずっ~と何かしらの映像効果や効果音といったエフェクトを掛け続けているんです。まるで作り手に脅迫観念でもあるかのように、映像に常に手を加えて「間」をつぶしています。これはTVチャンネルをたまたま合わせた人を逃がさないための演出です。その過剰さが恐ろしく安っぽく、観客のリテラシーをバカにしているように見えます。これはあくまでもTVドラマ特有の文法で、映画館の大画面で集中力が上がっている時に見せられるとものすごい白けます。
第二の難点は致命的なまでの演出のダサさです。本作を見ていて一番イライラするのはこの部分です。本作に登場する「エデンの園ゲーム」は全部で13回の「投票」が行われるのですが、その全てについて「何かイベントが起こる」→「結果発表」→「裏切り者が勝手に自白」→「罵しり合い」→「次の投票へ」というワンパターンが延々繰り返されます。この中でも特に裏切り者が勝手に自白するパートや、聞かれても居ないのに秋山が手の内をバラすパートは本当に最低な出来です。聞いてもいない悪事や工夫をベラベラ勝手に喋りだすものですから、どっちらけも良いところです。
第三の難点は、すべてを台詞で説明するところです。これは後述する事にも関わってくるのですが、本作はまるで舞台演劇のように台詞だけで物語が進行していきます。映画としてはとても不自然なところが多々あります。なにせ映像の力に全く頼っていないというか、映像自体を利用できていません。なので映画的な興奮や感動は一切ありません。

本作の最も優れた点。「エデンの園ゲーム」のアイデア。

書いていたら割と手厳しくなってしまいましたので、今度は褒めるパートに行きましょう。以上に書いてきたように本作は映画としては全くもって酷い出来です。ところが本作には唯一にして最大の美点である「エデンの園ゲーム」があるんです。エデンの園ゲームのルールを説明するのは面倒なので公式ホームページを見てください。実際にこのゲームにもツッコミ所は結構あります。しかし私が大事だと思うのはこういったソリッド・シチュエーションのアイデアを考えようという脚本家・プロデューサがでてきたということです。
本作の序盤では、同一のルールを使っているにも関わらず、少し状況をいじくるだけで「囚人のジレンマ」を複数パターン作って見せます。そして中盤、ここまで一切使われなかった”新ルール”でさらに別の展開を作って見せます。そして最終盤、きちんとゲームの盛り上がりと話の盛り上がりを一致させてきます。
ソリッド・シチュエーションはキャラクターを論理的・環境的に追い詰めていくための構造です。本作では穴だらけながらもきちんと数学的に追い詰められているように見えますし、言葉で延々と観客を”説得”してきます。
たしかにこのシチュエーションの作り方自体の詰めはボロボロで、実はいくらでも抜け道があったりします。もっというと、おそらく本作は最後のオチから逆算して、脚本の後ろからルールと経過を書いています。そのため、通常の状況ではまったく必要の無い不自然なルールがあります。でもこういうチャレンジをしてきたことに意味があると思います。その志を買いたいです。
木のプレートがあるのに赤リンゴを燃やしちゃったり、焼きごてを使った直後にポケットに入れたり、あまつさえリンゴを隠したり(どこにそんな場所があるんじゃ!)、暖炉の火程度で純金や純銀が燃えたり、脱落した連中がいきなり最後にしれっと復活したり、ディティールは最低ですがあまりにも早い話のテンポと中田ヤスタカの中毒的なワンループ構造音楽の「勢い」で結構誤魔化されます(苦笑)。

【まとめ】

本作は映画としてはかなり酷い出来です。どのぐらい酷いかというと「交渉人 THE MOVIE」とどっこいどっこいなレベルです。しかし、私はソリッド・シチュエーションのアイデアを買いたいと思います。稚拙ながらもこのジャンルに挑戦する作品が出てきたことは大変好ましいことです。もっとディティールを真面目に作った上でゴア描写を追加できれば、本作は十分に面白くなる余地があります。
ということで、本企画の未来に向かってオススメです!!!
余談ですが、本作でも「猿ロック」にみられたような「疑うことを知らない無垢」=「良い事」という気色悪い構図があります。戸田恵梨香がただの頭足りない子にしか見えないのが実は最大の難点でしょうか? 可愛いのに、、、。
またドラマのDVDをとりあえず1シーズン分借りてみました。その程度には期待の持てる作品です。

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猿ロック THE MOVIE

猿ロック THE MOVIE

本日は2作品です。金曜のレイトショーで見てきたのは、

「猿ロック THE MOVIE」です。

評価:(30/100点) – 無垢と”基地の外”の差とは。


【あらすじ】

銀行で起きた立てこもり事件の解決のため、鍵職人・猿丸は友人の山田刑事の依頼を受けて裏口破りを行う。後日、猿丸の元にマユミと名乗る人質だった女性が助けを求めに来た。彼女は猿丸に金庫破りを依頼し、中身のトランクを奪って逃走する。しかしそれは立てこもり事件で銀行から奪われた水樹署長のトランクだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 ->  銀行立てこもり事件
 ※第1ターニングポイント -> 猿丸とマユミがトランクを奪う。
第2幕 -> 猿丸とマユミの逃走劇。
 ※第2ターニングポイント -> マユミが攫われる。
第3幕 ->  解決編。


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【感想】

さて、TVドラマ「猿ロック」の劇場版です。金曜のレイトショーで見ましたが、約250席の劇場で私以外はカップル 2組だけでした。公開から一週間経っているので仕方がないかも知れませんがちょっと寂しい入りです。
内容ですが、トランクというマクガフィンを巡った逃走劇+陰謀劇です。やっていることは非常に単純で良くある話でして、とどのつまりはある程度のクオリティには自動的になります。しかし、本作ではディティール部分がちょっとどうかと思う程に悪すぎます。
まず第一に、その安~い感じの陰謀論タッチです。「警察の汚職」というキーワードをそれこそワイドショー的な記号としてしか使っておらず、結局何がなんなのかさっぱり分かりません。これ、先月の「交渉人 THE MOVIE」にもありました。公務員とか政治家を仮想敵にするのは良いと思うのですが、そのディティールがずさん過ぎて監督・脚本家の「認識の適当さ・レベルの低さ」が露呈してしまっていてすっごい萎えます。
小西真奈美さん演じる水樹瑛子の「正義を求めるが故の強硬手段」みたいなのも全然必要悪に見えず、なんか西村雅彦の記号的悪とどっこいどっこいかなと。はっきりと小西さんも悪に見えてしまうので、こちらの陰謀タッチの部分は論点が相当ボヤけてしまっています。
第二に猿丸のキャラクターそのものの設定です。主演の市原隼人さんは素晴らしい熱演を見せてくれます。竹中直人を彷彿とさせるようなアクの強い「一人舞台コメディ」を随所で炸裂させ、好き嫌いは分かれそうですが強い印象を与えてくれます。私は結構好きです。ただキャラクターとして見るとこの猿丸は単なる頭の足りない「基地の外の人」にしか見えません。猿丸は「他人を疑うということを知らない」人間として描かれるんですが、恐ろしいのはそれが無垢で純真である表現として使われている点です。いかにも「他人を疑わないのは良い事だ」というように見えるのですが、実際に彼の行動は疑わないというよりは「なんでもかんでも鵜呑み」にしています。その鵜呑みっぷりが凄まじすぎるため、話の整合性もさることながらキャラとして気持ちの悪いことになってしまっています。さらにその煽りを受けて、マユミがものっすごい嫌な女に見えます。ただでさえ自己中なのに、基地の外の人間を都合良く利用して自分は高飛びする最低な女です。結局猿丸がやったことは傲慢で自己中な女を助けたことと、自己中で自身が正義だと思い込んでいる女を手伝っただけです。しかもそれが原因で友達が降格してるのに大団円で終わるのはどうなんでしょう、、、。
劇中で市原さんが「本当に大事なもんはな、目には見えねぇんよ!!オメェは上っ面しか見てねぇんだよ!!!」と叫んでいましたが、まさしくその言葉をそのままこの映画の制作者にお返しいたします。
「本当に面白い映画ってのはなぁ、ルックスに頼らねぇんだよ!!オメェは面白い映画の上っ面しか真似してねぇんだよ!!!」
、、、まぁそこまで酷くはないですけどね(笑
これぞセンセーショナリズム。

【まとめ】

以上の二点が酷すぎて、市原隼人の面白さを考慮しても差し引きマイナスです。テレビドラマの映画化としてはそこまで失敗しているわけでは無いんですが、やはり映画としてちょっとどうかと思います。
でも市原隼人のファンならば駆けつける価値はありますし、彼の一人芝居のシークエンスは本当に面白かったです。できれば変に小細工をせずに市原君主演のコメディ映画を見てみたい気がします。それこそ竹中直人と親子ものなんてやってくれたら絶対初日に駆けつけます。それほどに魅力的でした。
ということで、市原君のファンの方にはオススメします!!!、、、、まぁファンならこんなこと言われなくても初日に行ってますよね(汗。

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きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション

きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション

は昨日はシネマート新宿で「きょーれつ もーれつ 古代少女ドグちゃんまつり スペシャル・ムービー・エディション」を見てきました。本編も見たかったんですが、それ以上に目当てだったのは井口昇監督と江口寿史さんと主演の谷澤恵里香さんのトークショーです。
江口さん言うところの「すらっとしたモデル体型の美人ではないが、クラスのみんなが”あの子が良い”って美人に群がる中で僕だけが”後ろに座ってる谷澤さんの方が好き”ってなるような良い存在の女の子」と表する谷澤さんの魅力。男としてはすっごい良く分かるんですが、当の谷澤さんはイマイチ褒められた気がしないようでちょっとむくれていました。谷澤さんはけっしてスタイル抜群ではないですが(←失礼)、自然な美人というか、あきらかに健康を害するほどの無理をしてない範囲での「普通にかわいい魅力的な娘」って感じで、この作品のイメージにぴったりなんです。井口監督も、「オーディションで入ってきた瞬間に”この娘だ!”って思うほどハマリ役だった。」と絶賛するその存在感。本作の大成功を元に、是非とも飛躍して欲しいです。
井口監督は相変わらず「ドグちゃんTシャツを初日(2/20)から一度も脱いでない。多分公開終了まで脱がない。(=二週間着っぱなし)」とキモオタぶりを遺憾なく発揮していました(笑)。いやぁ、世界的にもトップクラスに人気のある監督なんですが、やっぱ変態だなぁと(←褒め言葉ですよ。念のため)。
トークショーの締めで生「ドキドキ・ウェーブ」を見れたので私としては大大満足です。これぞアイドル映画の醍醐味です。


っかくなのでこの「古代少女ドグちゃん」についてちょっと書きたいと思います。いまいち知られていないようですが、この特撮ドラマは超ハイレベルで全映画ファン必見の作品です。
引きこもりで母親に先立たれた高校生・杉原誠は、考古学者の父親に無理矢理付き合わされた発掘作業で古代土器を発掘してしまいます。しかしこの土器こそが一万年前に妖怪退治で名を馳せた「土器の神様」ドグちゃんだったのです。現代に蘇ったドグちゃんは誠を下僕にして、相棒の土偶・ドキゴローと共に妖怪退治を行います。こうして普段はドジッコのドグちゃんは杉原家に居候することになりました、、、、。
というストーリーのラブコメ特撮ヒロインものです。
で、これだとどっから見てもありがちな変身ヒロインものなんですが、何せスタッフが超豪華なんです。監督で名を連ねるのは井口昇(「片腕マシンガール」「ロボゲイシャ」)、豊島圭介(「怪奇大家族」「怪談新耳袋」)、清水崇(「呪怨」)、三宅隆太(「ほんとにあった怖い話」「呪怨 白い老女」)。とにかく、日本のインディ・カルト映画シーンで活躍するトップクラスのクリエイター達が惜しげもなく才能を使って悪ふざけをしています。
さらにゲスト俳優もハンパ無く豪華です。ソニン、藤村俊二、田口浩正、斉木しげる、安達祐実、竹中直人、美保純、そして斉藤由貴。
このドラマシリーズを一言で表すならば、「バカじゃないの(笑)、素晴らしい。」です。特撮を見慣れていない方でも、存分に楽しめるだけの強固で正当派な脚本になっていますのでご安心ください。井口昇監督の近作で多用されるグロ描写はまったく無く(TVドラマなんで当然ですけど)、彼の監督としての基礎能力の高さが良く分かる傑作です。関東では放送がありませんが、すでにDVDも出ていますので是非ともチェックしてみてください。
日本にだって世界トップクラスのエンターテインメントを作れるクリエイターが居るという心強い発見があるはずです。
ちなみに井口昇監督の次回作は「戦闘少女」です。シアターNで上映するようなので必ず行きます。こんなに多作なのに傑作をバンバン作る監督も最近では珍しいですよ。

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パレード

パレード

今日も今日とて二本です、一本目は、

行定勲の「パレード」を見ました。

評価:(45/100点) -架空の問題設定で描く箱庭の世界、、、。


【あらすじ】

世田谷のとあるアパートの一室で、4人の男女がルームシェアをしていた。
映画配給会社勤務の直輝、大学生の良介、イラストレーター志望のフリーター・未来、無職の琴美。ある日彼らの元に謎の金髪少年・サトルが現れ共同生活に加わる。4つの章それぞれで4人の視点を描くことで、徐々にこの共同生活の実態が浮き彫りになってくる、、、。


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【感想】

さて、行定勲の最新作「パレード」です。原作は吉田修一。一応売り文句としては「都会で過ごすゆとり世代の心の闇を描き出す」的な宣伝をしています。これについて、冒頭で書いたようにちょっとどうかという意見があるのですが、それは後述します。
主要登場人物は5人。それぞれ、藤原竜也、小出恵介、香里奈、貫地谷しほり、林遣都です。ぶっちゃけ私の嫌いな人しか出てないんですが(笑)、まぁそこそこ人気があってそこそこ演技も出来そうな雰囲気の人を集めたって感じでしょう。予告も含めて全体の雰囲気もいわゆる「エンタメ全開!!」という感じよりは「知る人ぞ知るウェルメイドな映画」感をビンビン出してきています。この辺りの宣伝手法は上手いと思います。じゃなきゃ監督・キャスト含めて地雷の香りしかしませんから(笑)。
ここでお約束ですが、本作を語る上でやむを得ない範囲で若干ネタバレを含みます。全部書くつもりありませんがニュアンスで伝わってしまう部分もあると思いますので、楽しみで楽しみでしょうがないけど原作未読で1800円払いたくないのでレディーズ・デイ/映画の日を待っているという方は、ご遠慮ください。

物語のプロット

物語のプロットは非常に単純です。一見幸せな共同生活をしているように見える4人が実はそれぞれそれなりに心の闇を持っていて、けれど共同生活を維持するための社交性として上辺を繕って仲良くしている。とまぁこんな感じです。
そして、これが今の現代日本の「東京砂漠感」を良く表しているという評価をする方がいるという事です。
実際に章の冒頭に「伊原直輝 映画配給会社勤務 28歳」みたいなのが黒バック白抜き文字で画面に出てそれぞれの視点が描かれますので、これを見た後で話しが分からないという方は一人もいないと思います。「社会派な重たいテーマをポップに見せる」という意味ではシンプルで良い方法なのかも知れません。
でも、、、僕はこの問題設定そのものと、そしてそれを本当に描けているのかという部分に疑問を抱きます。
そのポイントは、サトルと直輝です。

描き方について

話がややこしくなりますので、まずは問題設定が「あり」だと仮定して描き方を見てみましょう。
一番最初に引っ掛かるのは、少なくともこの映画ではサトルが何の役にも立っていないことです。結局なんなのコイツ。ゲイのオッサン向けの売春とピッキングで生活している住所不定の少年なのですが、プロット上で特に役が与えられていません。予告を見ていててっきりこの「異分子」が安定した共同生活を壊すor暴くのかと思ったのですが、別にそういう描写も無く居ても居なくてもなんの影響もありません。強いて言えばラストのある事件を目撃するためだけの第三者なんですが、でもそれって良介でも未来でも琴美でも問題無いわけで、結局コレって言う存在意義がないんです。
さてそのほかの4人の共同生活者には、そもそも闇があるんでしょうか? 良介は浮気しています。琴美は彼氏を盲信しているメンヘラです。未来は男をとっかえひっかえと言葉では出てきますが、別にそういう描写はありません。幼い頃父から暴力を受けたトラウマを持っている普通のフリーターです。そんでもって実は一番えげつない直輝。
これ、冷静に考えると直輝以外に闇がないんですが、、、。良介は言わずもがなですし、琴美は作品内で成長を見せます。未来なんてトラウマとしっかり向き合って折り合いをつけている立派な自立した大人の女性ですよ。しかも成長まで見せます。だから、「一番まともそうな直輝が実は一番狂ってる。こわ~~い。」みたいな描写に無理があるんです。どっちかというと、「頭がおかしい直輝が、女性に振られて不安定になった自身の精神安定を図るために共同生活を主催している。」というように見えます。
別にそういうスリラーならそれはそれで良いんですが、だとしたらもうちょっと描き方を工夫する必要があります。直輝がもっと頼りになりそうな超好青年で底抜けにいい人に見えないといけないんです。でも藤原竜也では残念ながらその雰囲気は出せません。藤原さんはいかにもなコテコテの「舞台芝居」をする俳優さんなので、映画に出てくるとわざとらしすぎて曲者・小者にしか見えません。非常に惜しいです。最初っから藤原竜也の演技が気持ち悪いので、最後のシークエンスでも全然意外性が無くなんか白けてしまいました。そんなわかりきったことを「これがどんでん返しじゃ!ドーン!!!」みたいな大仰さで見せられても、、、なんだかな。

問題設定について

次に根本の問題設定の部分です。
さて、心に闇をもっていない人間が果たして居るでしょうか?もっというと、自分のプライベートを全てあけすけに公開するような人は世界中でどれだけ居るんでしょうか?
私は、少なくとも文明化した近代社会では皆無だと思います。誰にだって一つや二つ他人に言いたくないことはあるでしょう?むしろ飲み会とかで全部のプライベートを話してくる人間がいたら、ちょっと警戒しますよ。
この「みんな隠し事があるのに上辺だけを繕って共同幻想のもとで社会を運営している」っていうこと自体が、別に当たり前すぎて問題提起になっていないと思うんです。それなら「家族ゲーム(1983)」の方がよっぽどスマートに描いています。そもそもそれが「社交性」ってことですし。
さらに問題になってくるのは最終シークエンスです。
最終シークエンスで「そんな隠し事でも、実はみんな知ってるぜ?」みたいなことをサトルに言わせます。そして最後の最後、直輝が「”共同幻想を守れ!”という圧力」を感じるという場面で終わります。映画だから分かりやすいように極端に描いたと言えなくもないのですが、あまりにも極端すぎてこれを「社会の縮図を上手く表現した問題設定」とは到底思えません。

【まとめ】

実は私が懸念しているのは、本作が「ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞」を獲得したという先日のニュースです。論評をまだ読んでないんですが、もしこれが「日本の若者の社会観念を抉り出した社会派映画」みたいな受け取られ方をしていたらそちらの方がホラーです。
私は本作は「架空の問題提起から膨らませた空想上の社会派問題遊び」だと思います。
若者としての自分の感覚ですが、私はむしろ自分も含めた若い人は、いわゆる団塊世代とかにある団結性はあまり持っていないと思ってます。アイデンティティの規定において、連帯感みたいなものにはあまり頼っていないのかなと。極度の個人主義というか「一人に一つの携帯・パソコン世代」って感じです。
なので、本作は私の目から見ると「オッサンのグチ」に見えるんです。「最近の若者は~~~」で始まる飲み屋のグチを「極端な空想キャラクターの箱庭」を使ってただただ見せられているような感覚です。まったく乗れません。
今回私が見た劇場は結構な大箱だったんですが、若い方と中年が半々ぐらいでした。こういう作品こそ、ちょっとアンケートを取ってみたい気がします。多分若者の評価が低くて中年が絶賛するんじゃなかろうかと、そんな作品だと思います。
ということで、最近職場で虐げられている中間管理職の皆さんや、お子さんが反抗期でうまくいっていないお父さんにはおススメです!!!
※書き忘れてましたが、音楽の使い方は驚くほどダサイです。ピアノではじまるワンパターンな演出に口あんぐりでした。こんなテーマなんだからバックミュージック無しでいいのに、、、。

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涼宮ハルヒの消失

涼宮ハルヒの消失

ようやく原作で消失まで読み終わりました。ということで、満を持して

「涼宮ハルヒの消失」です。

評価:(85/100点) – 萌えアニメの皮を被った上質なヒューマノイドSF。


【あらすじ】

12月18日、もうすぐ終業式が来るクリスマスの準備も慌ただしい師走のただ中、キョンが目覚めると世界が変わっていた。
居ないはずのクラスメイトが居て、居るはずのクラスメイトが居ない世界。キョンは自分以外の全てが自然に生活する奇妙な世界に迷い込んだ。混乱の中で訪ねた文芸部室で彼は見知った長門有希を見つけるが性格は似てもにつかない。翌日、手詰まりながらも再び訪れた文芸部室で書棚の本を手に取ると、そこには元の世界の長門が残した手書きメッセージ付のしおりが挟まっていた。「プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後」。プログラムとは何か?そして鍵とは何か?
そしてキョンは元の世界に帰れるのだろうか?


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【感想】

満を持して「涼宮ハルヒの消失」です。原作未読の状態で二度見に行ったのですが、それは別に一度目で分からなかったからではありません。とにかく面白かったからです。
映画文法としてはイマイチなところもあるのですが、そんなアラは全て吹き飛ばすほどの圧倒的な展開と圧倒的なテンションで画面が迫ってきます。三時間近い上映時間ですが、まったくダレることなく二度ともあっという間でした。
サスペンス調なのでネタバレを控えようとも思ったのですが、どうせ見たい人は全員見てるだろうということでオチを含めて全開で書かせていただきたく思います。
この作品にはそれをするだけの価値があると思いますし、それは非常に偏愛を生みやすい作品だと言うことです。
なお、現在私は原作を六巻(涼宮ハルヒの動揺)まで読んだ状態でこの文章を書いています。

原作・涼宮ハルヒシリーズを読んで。

涼宮ハルヒ・シリーズは、傍若無人でツンデレで世界を再構築する能力を持った涼宮ハルヒ、どじっこ萌えキャラで未来から来た朝比奈みくる、無口で無表情なヒューマノイドの長門有希、優等生で少しイヤミな超能力者の古泉一樹、そして主人公のキョンを構成員とするサークル・SOS団を中心にしたドタバタコメディです。早い話が、非常にオタク的な要素を詰め込んだ典型的なキャラもの作品です。原作の熱狂的なファンには怒られるかも知れませんが、はっきり言ってオリジナルな要素はありません。涼宮ハルヒの機嫌が悪くなると世界が変質し涼宮ハルヒが願うとそれが実体化してしまうという、これ以上無いほど「セカイ系」のど真ん中です。
正直な話、原作を読んでいて特に「涼宮ハルヒの退屈」まではハッキリと微妙な感じでした。私自身が元々アニメオタクなので苦ではないんですが、一昔前のギャルゲーのテキストを読んでいる感じといいますか、ただただ類型的で没個性なキャラがワイワイやってるだけのどこにでもあるオタク向け文章という印象しかありませんでした。
ところが「涼宮ハルヒの消失」が面白いんです。今現在六巻までしか読んでいませんが、ここまでで唯一「萌えキャラ設定に頼らない正当な人間ドラマ」を描いています。実際、ここまで娯楽的なカタルシスを詰め込みつつもヒューマノイドの悲哀を描けている作品はなかなかありません。涼宮ハルヒというシリーズを無視してでも、作品単体で十分に評価されうる作品です。

物語の根幹・迷い込んだ異人の話

本作はキョンの独白から始まり、全編を通じて合間合間でキョンの独り言がナレーションで挟まり、ラストもキョンの独白で終わります。元々、涼宮ハルヒシリーズ自体の構造として「SOS団で唯一普通の人間」であるキョンは読み手の感情移入先として用意された器のような存在です。そして映画でも視聴者は完全にキョンの視点のみから世界を見せられます。これが非常に効果的に働いています。本作においてキョンは終盤まで「巻き込まれた善意の第三者」という立場を崩しません。唯一終盤の長門有希の台詞を除き、キョンが作中で得た情報は例外なく視聴者にも提示されます。これにより視聴者はキョンを利用して不思議な世界と時空修正中のタイムパラドックスのハラハラドキドキに完全に同調することが出来ます。非常に丁寧な作りで、上手く感情移入させています。
実はこのナレーションの時制がおかしいという問題はあるのですが、それも作品の勢いに圧されてそこまで気になりません。
不思議な世界に迷い込んだキョンの行動も非常に理にかなっています。目立ったご都合主義的強引さも無く、非常にスムーズにタイムリミットが迫り、そして嵐のように傍若無人なハルヒによってあっという間に問題が”勝手に”解決します。それもそのはずで、キョンは本当に普通の無力な人間なんです。なので問題を解決するような超人的活躍は一切しません。彼は終始オドオドしているだけで実質的にはたいしたことは何にもやっていません。でも、だからこそ視聴者は感情移入できるわけです。あくまでもこれは一般人が巻き込まれて体験してしまった不思議な世界を描いた作品です。

長門有希とタイムパラドックス

そして本作を私が気に入った一番の理由は、この長門有希の存在です。彼女を通してヒューマノイドの悲哀がシンプルに描かれます。
本作では、非常に独特な人生観・世界観がまかり通っています。それは未来至上主義と言っても良いほど、「予定調和」を大事にする世界です。本作には朝比奈さんが居てタイムトラベルが可能です。そこで未来で何かが起こっていると言う事それ自体が、「必須イベント・ノルマ」として過去に求められます。例えば、本作では最初からハッピーエンドに終わることは分かっているわけです。なぜなら、未来から朝比奈さんが来ているからです。これがすなわち「未来が存在する」ことの証明になり、「世界が終わらないこと」の証明になっています。長門も三年後に自身が暴走する未来を知っておきながら、そのイベントを起こすために振る舞います。すでに未来というのが決定していて、それに向かって行動をしていくだけという何とも地獄のような世界観です。しかしそんな世界観の中で、長門は「感情らしきバグ」を発現させます。これも予定調和の一つではあるんですが、それを十分に理解した上で「予定調和」として受け入れる長門の姿に「ヒューマノイドは心を持ちうるのか」というありがちな問題提起がすんなりと回答されます。
心を持つかも知れないが、その心ですら一種の計算結果であり予定調和であるという発想。この世界には人間に自由意志がほとんどありません。終盤にキョンが変革後の世界と変革前の世界のどちらを選択するかで葛藤するシーンがありますが、それですらこの世界観の中では予定調和なのです。「全てが起こるべくして起きている。」という冷たい舞台の中で、それでも自由意志のような物を見せるキョンの姿が、そのまま「心を持ってバグってしまった長門有希」の姿と重なります。
2人とも定められた枠組みの中で必死にもがいているわけです。でもその”もがき”ですらこの世界では「予定されたイベント」になってしまいます。
タイムパラドックスの論法をそのまま世界観にまでシフトさせてしまった作者の発想にはただただ脱帽します。
巨大な運命に対して無力と分かっていながらもがいて自己証明をしようとする人間達が図らずも描かれているわけです。
これが本作をただの「キャラもの作品」ではない一級品のSFにしています。

【まとめ】

最後になりましたが、本作では大きく二カ所が原作から変更されています。一カ所は、変革後の世界でハルヒ・古泉・キョンが東中に入り込むシーン。もう一カ所はラストのキョンと長門の会話シーンです。前者はキョンが教室と外を往復する場面をカットして話のテンポをスムーズにしています。後者はおそらく雪が降るシークエンスをやりたいためだけに屋上に舞台を移しています。両場面とも変更した効果は十分に出ていると思いますし、監督および脚本家の方が十分に原作を租借している様が全編から伝わってきます。
実は私は原作の「涼宮ハルヒの消失」以外はそこまで好きではありません。というのもあまり読み返す気が起きないほど内容が薄く、萌えキャラものに偏重しているからです。しかし、少なくとも「涼宮ハルヒの消失」は傑作ですし、映画も大変面白くできています。なにせシリーズ未読の私がリピートするほどでした。是非シリーズ未読の方も劇場に足を運んでみてください。
「アイ、ロボット」を見るぐらいなら、本作を見る方が何倍もヒューマノイドに心揺らされることでしょう。
日本のアニメ映画に抵抗が少ない方であれば、全力でオススメいたします。

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記事の評価
交渉人 THE MOVIE タイムリミット 高度10000mの頭脳戦

交渉人 THE MOVIE タイムリミット 高度10000mの頭脳戦

木曜日、「交渉人 THE MOVIE タイムリミット 高度10000mの頭脳戦」を観てきてました。

評価:(5/100点) – 交渉しない交渉人とアクションのできないアクション・スター


【あらすじ】

宇佐木玲子は警視庁徳署捜査班の交渉人である。ある日スーパーの立てこもり事件で交渉に臨んだ宇佐木は、主犯・御堂啓一郎を逮捕するも共犯者を一名逃してしまう。その後羽田空港で見かけた元人質の木元祐介が気になり、急遽彼の搭乗機に飛び乗ってしまう。彼女の読み通り、木元はハイジャックを行った、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 立てこもり事件。
 ※第1ターニングポイント ->宇佐木の乗った飛行機がハイジャックされる。
第2幕 -> 飛行機の上でのやりとり
 ※第2ターニングポイント ->御堂が射殺される。
第3幕 -> 解決編


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【感想】

先日のブログではハルヒの後と書いたのですが、ハルヒが面白くてその後見た映画を忘れそうなので先に書いてしまおうと思います。一作目は木曜に見ました「交渉人 THE MOVIE」です。テレ朝ドラマの番外編ということですが、相変わらずテレビを一切見ない私は完全初見です。で、またこれがとにかく酷い酷い。な~んにも考えてないんじゃないかと思うほどのストーリー展開と、気持ち悪いくらい前面に出てくる政治思想。そしてそれらを腕っ節で解決しようとする強引な展開。
こういってはなんですが、昨年のアマルフィと勝負できるほどの珍作です。あの~そんな所でまでフジテレビとテレ朝でやり合わなくて良いんですが(笑
とにかく何が酷いって言ってもストーリー運びです。
これはもう順を追ってツッコミ入れるしかないので、沈まぬ太陽の時と同様にストーリーをほぼ全部書きます(笑
なので、ネタバレが嫌な方は今すぐブラウザを閉じて映画館へ駆け込んでください!!!

お話しの展開

まず冒頭、ショッピングモールでの立てこもり事件が描かれます。犯人は3人、主犯の津川雅彦とポイズン反町と雑魚一名です。
ショッピングモールにたった3人で立てこもってるのに警察が防犯カメラを見れてないとか、周りを警官で取り囲んでるのに野次馬だらけで何故かテレ朝の中継車だけが唯一のマスコミで独占生中継とか(笑)。まぁいきなり酷いんですが、そこで津川が全共闘的なアジテーションを行います。曰く、「全部社会が悪い(笑)!」「頑張っている人が正当に評価される時代にしてみせる!(笑)」。共産党と社民党のポスターに普通に書いてあるキャッチコピーですが、これに林遣都がビビっと反応します。いや~青いね、青い。
そして暴走する雑魚一名。人質一人を盾に何故か警官の前に姿を現します。津川に窘められ引っ込むものの即粛正。これがいわゆる内ゲバですな。
銃声を聞いて突然強行突入を決めるSATも失笑ものですが、それ以上に失笑なのはショーガラスも吹っ飛ぶ程の大爆発なのに人質全員が無傷で飛び出してくるところ(笑)。
おまえら元気ですね。っていうか無傷って、、、。こいつらガムテープで目隠し&手縛りされてたんですが、どうしたんでしょう?
犯人グループはこの時点で津川とポイズンだけなので、順番にガムテープ外していったら数の論理で犯人側が負けちゃいます。多分魔法を使って一瞬で全員のガムテープを蒸発させたんでしょう(笑)。
さらに何故か人質に紛れ込んでパトカーに乗り込むポイズン。一人だけ口にガムテープの跡ないし人質名簿に無いんだから即逮捕でしょ(笑)。作り手から「警察なんてこんなもんでしょ」という侮りがビンビン伝わってきます。
その後、身柄を拘束されて外に連れ出される津川、、、、と思いきや拘束してねぇ~~~!!!(笑)。
周りから銃を突きつけられてるだけの津川が悠然と登場(失笑)。そんなわけあるか!!!津川が爆弾でもポケットに持ってたらどうすんだよ。銃奪われて暴れるかもしれないだろ!!!拘束しろ拘束。手錠はめとけ!
さらには何故か木元が近寄って会話。おまえそんなことしたら当然共犯者と疑われるぞ。っていうか喋らすなよ周りの警官!!!アホか!!!
華麗な捨て台詞を残す津川のシーンでこのシークエンスは終わります。ここまで開始約10分弱。すでに疲労困憊な私(笑)。
さてシークエンスが変わって、いきなり狭いアパートでシャツ一丁の林遣都とカップ麺をすする川野直樹が登場します。テレビには先日の事件。プラスで壊れたクーラー。おそらくこれがテレ朝的な社会の底辺描写です(笑)。まぁ年収1,000万越えのテレビマンや広告代理店が考える社会の底辺なんてこんなもんですよ。僕には普通の貧乏学生のルームシェアに見えますが(失笑)。
さらに変わって米倉と筧の乳繰り合いがあって(中略)、飛行機に乗り込む米倉。まずおまえチケットカウンターで警察手帳を見せただけで飛行機に乱入できるわけないだろ!
搭乗者名簿に載ってないという描写が出てくるので、その場でチケットを発行してもらってすらいない(笑)。しかも知ってる奴を見かけただけで押し入る無茶苦茶さ。ご都合主義って言うか強引すぎです。そして見事に筧の隣に偶然着席。思惑通りハイジャク発生。やったね!!!
ってまず、少なくとも二丁は拳銃を持ち込まれてるのね、この作品。あのね、、、世の中には手荷物検査っていうのがあってね、、、銃を分解っていったって細かい鉄板にまでバラせる訳じゃなくてね、、、ネジならともかく、銃口とかグリップとかは絶対に手荷物検査で引っかかるのよね、、、、。木元兄弟が使う拳銃は便所から降りた貨物室に仕込んであるようですが、もう何がなにやら???この脚本家ふざけてるんでしょうか???
コックピットが制圧され副操縦士が撃たれますが、ちょっと待て!!! 操縦室で銃をぶっ放すとか正気の沙汰とは思えません!!!しかも至近距離からの発砲(笑)
弾が貫通して計器を壊したら即墜落だし、ガラスが割れでもしたら気圧差で酸欠になってパイロット窒息→墜落ですよ。飛行機内で発砲するってのは自殺に等しいんです。絶対にやりません。ハイジャックするなら刃物の凶器が必須です。
ここからは怒濤の展開で雲の上での米倉涼子ワンマンライブが始まります。衛星携帯が欲しくてコスプレして操縦席に向かう米倉ですが、まず制服手に入れて着替えている間中も犯人に気付かれないというスニーキング能力の高さ。これならポイズンと木元ブラザーズを実力で制圧した方が早いのでは?
さらに便所に隠れて衛星携帯で地上とコンタクトをとるんですが、米倉さん声出し過ぎ(笑)。飛行機の便所のドアなんて薄いですよ。木元もドンドン扉を叩く前に耳をつけろ!!!ようやっと米倉のアクションが入りまして、機内ではポイズンがネズミ(笑)の存在に気付きます。ネズミってセンスもどうかと思いますが、ここでもやっぱり発砲があってついに米倉とフェイストゥフェイスが実現します。ところがここで第4の男が登場!!!政府がついに犯人の要求を飲んで・御堂啓一郎釈放→射殺のコンボが決まったあと、木元ブラザーズ兄が殺され、ポイズンがエスケープして、なんだかんだがあって米倉がついに操縦桿を握ります!!!
キタ━━━(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚  )━(  )━(  ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━━━!!!!
もはや無茶苦茶です。ここまで交渉要素ゼロ。あれ?タイトルって「交渉人 THE MOVIE」だったんじゃなかっt(以下略
もうなんか色々あるんで良くわかんないんですが万能なんですよ米倉さんは!!! 目をずっと見開いてるしアイシャドウが濃すぎて気持ち悪いですが、でも万能なんです。

【まとめ】

面倒くさくなって中盤以降投げやりにしましたが、なんせ酷いんですよ。怖い物見たさで行くのは良いですが、私からアドバイスがあるとすれば「やめた方が良いですよ」ってことです。止めはしませんが1,000円でももったいないです。あとこれだけは書かねばならないでしょう。本作で伝わってくる政治主張です。
 一つ、政治家は皆腐っておる!!!特にアメリカのシンパは最低だ!!!
 一つ、若者にフリーターが多いのは社会が悪い!!!格差社会だ!!!
 一つ、警官なんて皆適当だ!!!テロリストのが格好良いぞ!!!
 一つ、マーク・チャップマンは国に守られている!!!
どうかしてるぜ、、、全く。

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