THE WAVE

THE WAVE

2008年のドイツNo.1ヒット映画「THE WAVE (Die Welle)」を見てきました。
評価:(75/100点) -簡潔にまとめた「集団の隆盛」


<あらすじ>
短大出の体育教師ライナー・ヴェンゲルは、社会科の一週間実習で「独裁」のクラスを受け持つことになる。彼は一週間を使って生徒たちに自分への敬意とクラスの連帯感を持つよう洗脳を施していく。しかし、この「ヴェルレ(波)」と名付けられたクラスは、授業の枠を飛び越えて組織的な行動を起こすようになっていった、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 生徒の日常とヴェンゲルの鬱屈。
 ※第1ターニングポイント -> 独裁の授業にて実習を開始する。
第2幕 -> 「ヴェルレ」の成立とエスカレートする行動
 ※第2ターニングポイント -> 金曜の水球大会での乱闘騒ぎ
第3幕 -> 土曜日の「ヴェルレ」最後の集会


<感想>
非常にスリリングで非常に楽しめるすばらしい作品です。わずか100分で、ある無邪気な集団が誕生してからそれが拡大して危険性を帯びるまでを描ききっています。
■ 本作の概要
本作はドイツ映画で独裁を扱うというチャレンジを行っています。世界中の人がドイツと独裁という単語でナチスを思い浮かべるでしょう。本作はその起こりから栄えるまでを非常に簡潔に描いています。
冒頭、同じ学年という以外ろくに接点の無い子供たちが、「ハイル・ヴェンゲル」という忠誠の言葉と「行進(=行動の一体化)」や「制服(=衣装の統一)」を通じて、連帯意識を高めていきます。そしてその「裏切らない仲間」は人間関係に悩みを持つ子供たちにとってかけがえの無い存在になっていきます。いつしかその組織自体にアイデンティティを求めるようになり、それを誇示し、それを維持するために躍起になり、行動はどんどんエスカレートしていきます。そして解散を告げられた日、ついにはそのアイデンティティ・クライシスに耐えきれずに自殺する人間が出てきます。
■ 「ヴェルレ」という組織
「独裁(Autocracy)」という単語を使用していますが、この「ヴェルレ」においては指導者としてのヴェンゲル先生とは無関係に生徒たちが自発的に暴走していきます。その意味では「カルト宗教」や「秘密結社」と思って見た方がわかりやすいかもしれません。「仲間はずれになりたくない」というごく自然な心理が次第に強烈なアイデンティティと行動力を伴って暴走していく点に本作の怖さがあります。さくっと100分にまとめるためにだいぶ省略はされていますが、おそらく誰しもが「どこからヴェルレが危険集団になったのか?」と聞かれると戸惑うと思います。理論的な段階を踏んで、単なるお遊びクラスが危険集団にゆっくりとモーフィングされていくからです。ですから、本作でヴェルレ内部から問題提起は起こりません。唯一最終盤でマルコから異論が出ますが、彼も「恋人・カロを殴ってしまったことでふと目が覚めた」という描写がなされます。活動が短期間ということもありますが、いわゆる内ゲバのような内部抗争はおこらずに一枚岩の組織を貫きます。そしてこの集団に率先して心酔していくのがティムです。
ティムは家庭の事情とその性格から、友達がほとんどいない「クラスで浮いた存在」として描かれます。そしてだからこそ、最も集団に心酔し、自主的に取り込まれ、そして解散の際に発狂します。これはまったく特殊なことではありません。こういった集団では当たり前に起こりうることです。本作のおもしろさは、突拍子もない展開を混ぜながらも、しかし根底の流れはまったく自然であることです。実際にあってもおかしくないと思えるだけの理詰めがきちんとなされています。それがより一層、人間の理性や価値観の脆さを際立たせています。
■ Autocracy(独裁or専制)について
金曜日の授業で、ヴェンゲルは生徒たちにヴェルレについての意見レポートを書かせます。そこには画一的であることの安心と連帯と、そして強い帰属意識が記されています。すなわちこの危険集団に所属する子供たちは、確実に幸せを感じているんです。これが本作の鍵となる部分です。彼らのコミュニティは少なくとも内部に居る限り居心地がよく安全です。だから、彼らにとってAutocracyは全く悪ではありません。おそらく一般論としても「Autocracyは悪か?」という問いは皆さん困ると思います。「周りに迷惑をかけなければ、本人が幸せなら別に良いのでは?」と思わせられます。落書き等の犯罪行為を行いながらも、本作でヴェルレは悪としては描かれていません。とても怖い話です。
<まとめ>
とてもよく練られている構成で文句のつけようもありません。独裁・選民集団というテーマをものすごく簡略化してわかりやすくまとめています。
是非、皆さんも劇場で見てください。可能であれば高校の倫理の授業か何かで流すと大変おもしろいと思います。果たして日本の学生は集団にアイデンティティを求めるんでしょうか?引きこもりが多い点からも集団に帰属しない気もしますが(笑)、反応はとても興味深いです。
ということで、オススメです。良作なので公開館数増やしてください!

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Disney’s クリスマス・キャロル IMAX 3D版

Disney’s クリスマス・キャロル IMAX 3D版

「Disney’s クリスマス・キャロル IMAX 3D版」を109シネマズ川崎で見てきました。
レイトショーだったからか、カップルばかりで子供連れがほぼ皆無でした。
評価:(80/100点) – 3D映画って超楽しい~!!!


<あらすじ>
ロンドンで会計事務所を営むスクルージは強欲で血も涙もない男である。彼はクリスマスイブにいつものように店を閉めると、書記のクラチェットに悪態をつきながら家路についた。その晩、スクルージの元に七年前に死んだ共同経営者のマーレイの亡霊が現れる。石と鎖でがんじがらめになったマーレイは、スクルージに徳高い人生を歩むよう説教する。そしてスクルージの元に三人の精霊が訪れ、それが最後のチャンスだと言い放って消える。その直後にドアベルがけたたましく鳴った、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> スクルージの事務所に甥が訪ねてくる。彼の普段の行い。
 ※第1ターニングポイント -> スクルージの元にマーレイの亡霊が訪ねてくる。
第2幕 -> スクルージと三人の精霊
 ※第2ターニングポイント -> スクルージが墓場で「まだ来ぬクリスマスの精霊」に改心を約束する
第3幕 -> 生まれ変わったスクルージ


<感想>
本作は、おそらく誰しもが知っている古典的名作の映画化です。過去に何度も映画化されていますし、ディズニー自身でも「ミッキーのクリスマスキャロル」というアニメがあります。ドナルドの伯父さんであるスクルージ・マクダックが主演で、ディズニーの人気キャラ総出演の「お遊戯会」的な作品です。
なにせ150年以上前の本ですから(笑)、今更ストーリーの目新しさだったりネタバレのようなものはありません。でも語り継がれるにはそれなりの理由があります。疑いようのないキリスト教の道徳話でありながら、いわゆる神への信奉や信心には向かわずに施しと協調精神に向かうところが、この話に一般性・普遍性を持たせています。そこまで長い作品でもありませんので、ストーリーについては原作を読んでいただいて、ここでは「Disney’s」と謳う3D部分を語りたいと思います。
■ 3D映画って超楽しい!!!
本作は、一部の劇場では3D版と2D版を同時上映しています。私は字幕かつ3Dを探した結果、せっかくなのでIMAXシアターを選びました。値段はちょいと高いですが十分満足の出来です。
全編を通じて3Dであることを意識したカット作りがなされています。空を飛ぶにせよ追いかけられるにせよ、すべて奥行きを意識した構図となっています。そのおかげでこれでもかというほど3Dの楽しさが表現されます。とにかく町並みやら雪やらがどんどん飛び出してきて、それはもう「ヒャッホゥゥー!!!」ってなもんです。
また3D映画もIMAXも何度か見ていますが、3DでIMAXは初めてでした。良いですね。XpanD方式やRealD方式よりもIMAX 3Dの方が色調がよくでていてとても見やすいです。明るいですし、動きのあるシーンでも変な残像はありません。あとは値段がもう少し安くなってくれれば問題無いんですが、、、頑張ってください。普通の映画は前売り券で1,300円、レイトショーだったら1,200円なわけで、そこで2,200円はさすがにちょっとなぁ、、、せめて200円増しでお願いしたいです。
<まとめ>
監督ロバート・ゼメギスは「ポーラー・エクスプレス」と「ベオウルフ」で俳優を使ったレンダリングを研究・実践してきました。技術自体はスクウェアが「ファイナルファンタジーX」を制作するときに開発したフェイシャル・モーションキャプチャが元にはなっていますが、わずか八年でここまで人形ライクなレンダリングができるとは驚きです。スクルージなんてジムキャリーそのものでちょっと気味悪いレベルです。そのうちショーン・コネリーやらジョージ・レーゼンビーやらのレンダリングを集めて「歴代ボンド総出演」みたいなことが出来そうです(笑)。
と同時にキャラクターの衣装はジョン・リーチのオリジナル挿絵に非常に忠実です。これは実際の挿絵を見てみてください。(挿絵はコチラ)。
非常にすばらしいCG映画です。2Dで見るのはあまりオススメできません。ということで本作は3D版の、できればIMAXないし大きめのスクリーンで見るのがオススメです。

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PUSH 光と闇の能力者

PUSH 光と闇の能力者

いろいろと微妙な噂を聞く「PUSH 光と闇の能力者」の微妙さを確かめてきました。
評価:(60/100点) – 最近このパターン多いですがアイドル映画としてOK。


<あらすじ>
ニック・ガントは物を操るムーバーである。あるとき彼の元に予知能力を持った少女・キャシーが現れる。あるカバンを手に入れると政府機関ディヴィジョンに捕らえられた彼女の母が救えるらしい。ニックはディヴィジョンから脱走したかつての恋人キラと共にキャシーに協力していく、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> ニックのキャラ紹介
 ※第1ターニングポイント -> ニックが目覚めるとキャシーが睡蓮を持っている
第2幕 -> カバンを探して奔走
 ※第2ターニングポイント -> カバンがとある建築中のビルにあるのが分かる
第3幕 -> カバン捕獲作戦


<感想>
今回は「微妙でした」と一言で終わらしちゃっても良いんですが、結構良いテキストになりそうなのでCGとストーリー構成について考えたいと思います。
■ 舞台とCGについて。
本作の舞台は香港です。この「アジアでありながらイギリスっぽくもある折衷感」があんまり使えておらず、なんで香港にしたかがよく分からないのが正直なところです。おそらく俳優を欧米人で固めたいけれど中国の胡散臭い感じも出したいということだと思いますが、どうにも俳優が浮いちゃってるんですね。あきらかに風景に溶け込めておらず、隠れて逃げてるはずなのに超目立つという失笑ものの事態になってしまっています。
この溶け込めない感じはCGを使ったアクションシーンにも言えます。念力みたいな空気のゆがみが飛んでいったり、かと思えばどうかってぐらいに合成感たっぷりな閃光が散ったり、お金が掛かってるんだか掛かってないんだかよく分からない微妙なチープさを醸し出しています。いかにも「スタイリッシュなアクションだろ!」と自己主張する外連味たっぷりなカメラワークをしてくるんですが、それが一段とダサさを補強してしまっていてなんか可哀想になってしまいます。
根本的な話になってしまうんですが「超能力」を映画で表現する時にCGを使うのは結構勇気がいります。というのも、通常それは「目に見えない」物であるからです。もちろん空気がゆがむとかそういう物理現象が発生するのは良いのですが、それをやり過ぎると完全にマンガ表現になってしまうんです。同じ「超能力で相手を吹っ飛ばす」にしても、例えばスターウォーズでは単純に相手が吹っ飛んでいきます。フォース自体をCGで可視化することはしません。それは明らかに安っぽくなってしまうからです。CGを使えばはまさにお絵かき感覚でいろんな要素を画面に作ることが出来ます。でも嬉しくなってやり過ぎちゃうと貧乏臭くなってしまいます。このサジ加減と自己抑制がイマイチ崩れてしまっているように見えます。
格好良くするためには「描くこと」と「描かないこと」をバランス良く調整しないといけないという良い教訓となっています。
■ ストーリー構成について
○物語における主人公のステップアップ
とはいえ、前項に書いてきたことはあくまでも絵の安さであって、B級映画好きには特別欠点には見えません。むしろ本作で問題なのはストーリー構成についてです。
皆さん、ドラゴンボールというマンガをご存じでしょうか?よく分からない方はドラクエとかファイナルファンタジーのようなRPGゲームを想像してください。
主人公は最初かなり弱いです。ところがいろんな敵と戦ってどんどん強くなっていきます。そして最終的には世界を救っちゃったりします。
ここには二つの大事な要素が入っています。一つは主人公が成長していくという点。もう一つは敵が段々と強くなっていく点です。これは成長していく主人公がその時々で頑張らないと勝てない「自分よりちょっと強い相手」を倒していく必要があるからです。
つまり、レッドリボン軍と戦ってるときにいきなりフリーザが攻めてきたら地球は全滅しちゃうわけです。セル最終形態を倒した後に桃白白が出てきても、下手すればデコピン一発で倒せてしまうわけです。主人公の成長と敵の強さは綺麗に比例していないとシラけてしまうという事です。
映画のストーリーにもこれと同じ事が言えます。主人公は物語上いろいろな困難をクリアし、話が進んでいきます。困難は最初が一番易しく、終わりに向かってどんどん難しくなっていきます。これを次々と越えることで主人公はステップアップしていくわけです。そして最終的に大きな困難を乗り越えるカタルシスが待っているわけです。これがクライマックスです。では本作について、簡単に敵を見てみましょう。
○本作における戦闘歴
まず冒頭の市場で襲われるシーンでは中国人のウォッチャー・The Pop Girl とその弟のブリーダー・The Pop Boysが登場します。このThe Pop Girlは物語を通してキャシーに立ちはだかるライバルです。The Pop Boysは奇声を挙げて相手を流血させるという超強い能力を持っています。すなわち、このシーンはボスキャラの顔見せみたいな物です。実際にこの段階ではニックは全く歯が立ちません。
つづいての戦闘はエージェント・マックとエージェント・ホールデンをキラが翻弄するシーンです。ここではキラがプッシャーとして相手を操る能力がずば抜けていることが分かります。いきなり最強助っ人候補です。
次は飛びましてカーバーと側近ヴィクターが登場する中華料理屋のシーンです。カーバーは父親の仇(?)とも言える人物で因縁の相手です。そして側近のヴィクターはニックと同種の能力者です。すなわち、ニックにとってのライバルがヴィクターであり、ラスボスがカーバーです。やっぱり歯が立ちません。
さて、次ですが、いきなりクライマックスに飛びます。建築現場で中国マフィアとディヴィジョンとニックが入り乱れてのラストバトル、、、かと思いきや、マフィアはヴィクターと洗脳されたキラが殆ど全員瞬殺してしまい、結局ニックとヴィクターの一騎打ちになる、、、、かと思いきや、ヴィクターもThe Pop Boysの片割れに殺され、結局ニックはThe Pop Boysをちょっと竹槍もどきで殺しただけです。そして物語終了。
はい、ここまで読んでいただいた皆さんはもうお解りですね?この物語はニックが成長する様子も無ければ、成長した結果として歯が立たなかった敵を倒したりすることもありません。ストーリーの推進力がこれでもかっていうくらい不足しています。せっかく超能力者が入り乱れての大乱闘になる要素があるのに、設定を全く生かしていません。唯一正当に成長してライバルを越えるのはキャシーです。彼女は自分より能力の優れたThe Pop Girlの裏をかいて倒します。きちんと乗り越えたわけです。でも彼女だけなんです。後の人たちは成長も工夫もたいしてしません。ちなみにニックの最高の見せ場である赤い封筒配りも、あれはカーバーではなくThe Pop Girlへの対策です。みんな彼女を倒すのに夢中ですが、でも彼女はラスボスじゃないんです。駄目だこりゃ。
<まとめ>
毎度の事ながら、何故ここまで微妙なのに60点/100点かというと、それはもうハンナ・ダコタ・ファニングが可愛いからです。アイドル映画としてだったら全く問題ない出来映えです。全編通じて明らかにポール・マクギガン監督がハンナに恋をしている、フェティッシュなカット割りが続きます。ポール・マクギガンは46才で結構のっぺりした顔をしてます。、おまえその年と顔でハンナ萌えはヤバイだろとか思いつつ、堂々たるアイドル映画です。ハンナ・ダコタ・ファニングのファンなら絶対に何があろうとオススメです!

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スペル( 2回目鑑賞 )

スペル( 2回目鑑賞 )

を持して「スペル」を見てきました。TIFFについで二回目です。公開したらネタバレありで書きたいこと全部書こうと思ってメモとってたのですが、パンフレットを買ったら高橋諭治さんがほとんど書いちゃってました。
なので、それ以外のことを書いてみようかと思います。ちょっと悔しい(笑)
あらすじとかその辺の基本的な事はコチラを見てください。


【感想補足】

■ 非常に「道徳的な話」
間違いなく主人公のクリスティンは超常識人です。すごい良い子。どんなにテンパってても(猫以外の)無実の他人は自分から巻き込みません。すばらしいです。ホラークイーンにあるまじき(笑)優等生です。

■ 直接的な表現を極力控えている
これはサム・ライミ自身も清水崇さんと中田秀夫さんからの影響と語っていますが、直接表現が殆どありません。例えば変な黄色いゼリーや泥を効果的に使って、グロいものを映すことを避けています。
既に見た方はお気づきかと思いますが、ラストのあるシーンでクリスティンが泥水の中に沈むシーンがあります。そこから出てくるときの演出も素晴らしいのですが、それ以上にすごいのは泥の質感です。サラッとしつつも顔に薄く土が張り付く感じは、完全に血の描写方法です。ここは本来であれば血の海に沈む描写のはずなんです。でも、それをやらずに泥水でやってるところが中途半端ながらJホラーイズムみたいなものを感じてすごく好感が持てました。

■ そもそもギャガの宣伝がおかしい。
言葉通りです。宣伝が明らかにおかしい。特に宣伝映像は方向性がおかしいです。この物語は単にババァに逆ギレされて不条理にも呪いをかけられたOLが右往左往する話ではありません。もっというと、「逆ギレされた」と解釈してしまっては話を根本から誤読してしまいます。
作品中で何度も出てくるとおり、クリスティンは「自らの意志」で「出世のために」ババァのローン延長要請を断ったんです。そしてそれがもっとも重要です。この物語の原型は「因果応報の話」です。すなわち、クリスティンが自らの出世のためにババァの生活を壊してしまったことの報いを受ける話なんです。ただし「クリスティンがやったこと」と「クリスティンがやられること」のギャップが凄まじすぎるが故にギャグっぽくもなるし道徳的にもなるということです。
皆さんは子供の頃に「指切りげんまん、嘘付いたら針千本飲~ます。指切った。」ってやりませんでした?あれと一緒です。この場合「嘘をつくこと」と「一万回げんこつで殴られる」&「針を千本飲む」というのがトレードオフになっています。普通それは釣り合いがとれないので「嘘をつくの辞めよう」となるわけです。これが道徳です。本作は「ちょっと悪い事をしただけでも、こんなに酷い目に会うんだからやっちゃ駄目だよ」というのを物凄いスケールでやってるという訳です。なんせ命がけ+地獄でずっと拷問ですから。しかもクリスティンは完全に反省してるんですよ。それでもやっちゃった以上は報いを受けるんです。
だから「逆ギレ」「不条理」という風に捉えるとこの道徳教育が成立しなくなってしまいます。クリスティンはあくまでも自分がやった事の責任を取ってるわけで、意味もなく巻き込まれたのではありません。ギャガの宣伝映像を企画した方はこの一番大事なテーマを見落としたみたいです。

とりあえず以上の三点ぐらいでしょうか。あとちょっと気になったのは、上映中にあんまり笑い声が無かったことです。TIFFの時はみんな爆笑してたんですけど、やはり「映画は静かに見る」というマナーが良く行き届いてるんでしょうか?「映画は静かに」っていうのは「知人と雑談するな」っていう意味であって、クスクスしたりはOKですよ。特にホラー映画は隣の人がビクつと飛び起きたり目を覆ったり、ちょっと笑ったりしてるのが雰囲気作りに役立ちますから。TIFFで笑いが起こってたのは、外人がいっぱいいてちょっとぐらい騒いでも良い雰囲気があったのが要因かも知れません。

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保護中: アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~

保護中: アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~

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ファイナル・デッドサーキット3D

ファイナル・デッドサーキット3D

二本目は「ファイナル・デッドサーキット3D」です。
なんか今週はホラーばっかり見てる気がします。
評価:(40/100点) – 3Dの嫌な使い方と吹き替え問題


<あらすじ>
ニックは友人とカーレースを観戦していたが、突然事故の予知夢を見てその場を立ち去る。するとサーキットで予知夢通りの大事故が起き、多くの死者がでてしまう。しかし助かった人間達にも死の運命が襲いかかってきた。
<三幕構成>
第1幕 -> サーキット場の大惨事
 ※第1ターニングポイント -> カーター・ダニエルズが事故死する。
第2幕 -> 次々に人が死んでいく
 ※第2ターニングポイント -> ジャネットが助かる
第3幕 -> 映画館での大惨事と終幕


<感想>
本作は「ファイナル・デスティネーション」シリーズの四作目です。このシリーズは全体のプロットはまったく同じです。冒頭に大事故が起きて数人が助かりますが、彼らには「死ぬ運命」がついていて、結局何らかの事故で死んでしまいます。ドラマも大してありません。言うなれば、「いかに細かい出来事を連鎖させて(面白く)人を事故死させるか」という部分を徹底的に研究している非常にストイックなブラックコメディです。
さて、このブラックコメディは1996年にテクモから発売された「刻命館」というゲームのシリーズに影響を受けています。このゲームは「罠ゲー」と呼ばれる独自性の強いホラーゲームで、主人公の館に侵入してくる敵を罠に仕掛けて次々にハメ殺していくという凄い内容のものです。このゲームはホラーとコメディを非常に上手いさじ加減で融合させて大人気になりました。「床の油で滑ったら、柱に頭をぶつけて階段を転げ落ちたあげく、暖炉に突っ込んで服に火がついた直後に、天井からシャンデリアが落ちてきた。」というように「泣きっ面に蜂」を大げさに重ねることで他人の不幸を笑おうという趣旨の嫌~な感じで楽しむゲームです。
このファイナル・デスティネーションシリーズの趣旨も全く同じで、細かい偶然がどんどん連鎖していくことで、しまいには人間が死んでしまいます。そして連鎖から死に至るまでのクリエイティビティが余りに高いために、一種の芸術性すら帯びている変テコなシリーズです。超ブラック。そして超悪趣味。でもちょっと面白い。ホラーと呼んでいいのかすらよく分からない、「珍しい生活事故のアイデア集」です。
さて、本作「ファイナル・デッドサーキット 3D」ですが、シリーズ初の3Dということで、いかに3Dを利用してクリエイティビティを広げてくるかが一つの見所になっています。結論から言いますと、良かったり悪かったり、過去作と比べると結構微妙な内容です。ちょっと偶然と呼ぶには強引な演出が多く、不自然なシーンが結構あります。
ただし本作は3Dを上手く利用しています。作中でもいろいろな「とがったもの」がどんどん飛び出して来て、思わずのけぞってしまうほどです。釘やら木片やらが目の前に飛び出してくるのは、生理的に嫌ですし本当にビックリします。いままでの3D映画にはなかった実験的な使い方をしているとても意欲的な作品です。
■ 吹き替えの問題
これは是非配給会社の方も真剣に考えていただきたいのですが、吹き替えがあまりにも酷すぎます。最近では「くもりときどきミートボール」もそうでしたが、3D映画が吹き替えのみで公開されることが増えてきています。おそらく3D映画で字幕を出すと目が疲れやすいという配慮だと思いますが、一方で吹き替えが酷いときに回避策が無いという深刻な状況を生んでいます。特に本作は素人芸能人のオンパレードで、ことごとく大根役者がそろっています。もはや文化祭レベルの棒読みオンパレードで情緒もへったくれもありません。字幕という選択肢が無い以上、この吹き替えも込みで映画の評価とせざるを得ませんから、本作の評価は作品内容以上に低くなってしまいます。もしかするとDVDでは字幕が付くかもしれませんが、是非劇場でも字幕版を上映していただきたいです。消費者に選択肢すらないのは非常につらいです。
<まとめ>
はっきり言ってドラマは全然面白くないですから、本作の評価はその「珍しい死に方」がいかに面白かったかにかかっています。こればかりは個人個人の趣味ですので、是非見てみてください。ただし、本作は非常に作り物っぽい・安っぽい演出ですが、結構ゴア(残酷)な描写があります。ブラックコメディとはいえ、残虐描写が苦手な方は止めといた方が良いでしょう。嫌なのを我慢してまで見るほど面白くはありません。
また、もしこのシリーズを見たことが無い人は、是非一作目の「ファイナル・デスティネーション」と二作目の「デッドコースター」をDVDで見てみてください。僕たちの身の回りには危険がいっぱいです。

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ホースメン

ホースメン

本日のハシゴ一本目は「ホースメン」にしてみました。
評価:(5/100点) – スタッフの皆様、役者の皆様、ご愁傷様です。


<あらすじ>
ある日、フックで宙づりにされ殺害された女性の死体が発見される。担当刑事のブレスリンを前に、殺された女性の養女・クリスティンは自分が母を殺したことを告げる。しかしそれは連続猟奇事件の始まりでしかなかった。
<三幕構成>
第1幕 -> ブレスリンと家族の関係
 ※第1ターニングポイント -> クリスティンが自供、逮捕される。
第2幕 -> 猟奇的な事件が連続で起こる
 ※第2ターニングポイント -> 容疑者達の共通点の発見。
第3幕 -> 解決編


<感想>
CMで羊たちの沈黙やソウを引き合いに出していますが、、、なぜこの出来でそれらマスターピースに匹敵すると思ってしまったのでしょうか?見終わって率直な感想は拍子抜けも良いところです。早い話が、セブン風味の「笑い男事件」なのですが、全ての要素が10年遅いです。
予告編を見ると、連続殺人犯のチャン・ツィイーが、獄中から外の事件を操るかの様な印象を受けます。実際にはまったくそんなことはありません。せっかく黙示録のホースメンを持ち出したにもかかわらず、キャッチフレーズにもなっている「COME AND SEE」がただの「かまって」だったり、スケールがみるみる内にショボくなっていきます。期待が持続するのはせいぜい30分程度で、第二幕からは心底どうでも良い描写ばかり。最後に「あれは実は伏線だったのだ」みたいな大仰な演出をされても全く盛り上がりません。非常に申し訳ないですが、ただひたすらショボい印象だけが残ります。
そもそも、2009年にもなって「インターネットってよくわからなくて怖いよね」なんて誰が納得しますか?それこそセブン以降はサイコ・ホラーが量産されましたが、それを今更、しかもまるでパチモノの様な内容で作ってどうしようって言うのでしょう。具体的なネタバレは避けますが、全ての事件に対していわゆる「猟奇的であること」の説得力が全くないんですね。容疑者がそこまで狂っている描写もないですし、物語上の必然がありません。単に制作者サイドの「チャン・ツィイー使ってセブン風味にしたら受けるんじゃない?」っていうビジネス的な意図以外の必然がなくて、何とも言いようがありません。結局なんなのか? 被害者を吊ってどうしたかったのか? さっぱり分かりません。
<まとめ>
正直なところ、駄作と呼ぶのすらためらうほどの酷い出来です。タダ券をもらったのでも無い限り見る価値は限りなく薄いです。ちなみにアイドル映画としてもアウトです。なにせ、チャン・ツィイーがまったく可愛く見えないです。あまりに酷い出来で文句すら言う気が失せる映画がたまにありますが、まさにそのカテゴリーの作品でした。興行収益すら調べる気がしないですが、これ観客はおろかスタッフや制作会社や役者に至るまで、誰も得をしない映画なのでは無いでしょうか?ご愁傷様です。
この作品の予告編を見て少しでも興味を持った方は、いますぐレンタルショップでセブンを借りることをオススメします。そしてこの作品の事は忘れましょう。きっと来年になればジョナス・アカーランド監督のフィルモグラフィからも消えるでしょう。

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ホワイトアウト

ホワイトアウト

レイトで「ホワイトアウト」を見てきました。
今日の二本ハシゴははずれかな、、、。
評価:(30/100点) – 予告だけなら80点。蓋を開けたら、、、(溜め息)。


<あらすじ>
南極で働く女性保安官キャリー・ステッコは2年の任を終えアメリカ本土への帰国と退職を考えていた。アメリカ帰国まであと3日に迫った日、アイスピックで刺された一つの死体が見つかる。殺人事件を捜査するうちに、彼女は五〇年前のロシアの墜落機に秘密があることに気づく。
<三幕構成>
第1幕 -> ステッコの日常と死体発見。
 ※第1ターニングポイント -> ボストーク基地でムーニーが殺される。
第2幕 -> 墜落機の発見と犯人の逮捕。
 ※第2ターニングポイント -> アメリカ行き飛行機の離陸。
第3幕 -> 解決編。そして真犯人の捜査。


<感想>
予告編の出来がすばらしいです。そのため、私は勝手にSF・ホラーだと思い込んでいました。だって南極の隕石調査隊員が謎の死を遂げるんですよ? だって隕石調査隊員が墜落機を見つけるんですよ? どう考えたってエイリアンが人を襲ってるか、宇宙からきた寄生虫みたいな奴に感染した人間が凶行に及んでるに決まってるじゃないですか!



でも、、、そんな事ないんですよ、、、、、これ。
序盤も序盤、開始30分程度でゴーグルつけてモコモコのジャケット着た男がアイスピッケルで襲ってくるんです。この時点でエイリアンではなくモロに人間です。じゃあ寄生虫か?とか思ったら、墜落機はただのロシアの輸送機で、なにかのお宝を調査隊が盗っちゃってそれを奪い合ってるとか言い出すんですよ、、、。ただの内輪揉めかよ、、、、。一気にしょぼくなっちゃって、、、。南極でマクガフィン奪い合ってるだけ。しかも外は吹雪なのでアクションが非常にスローかつ見にくい(失笑)。あの~この手のスリラーってそれこそレンタルDVDショップ行けば山ほどあるんですけど、、、。
<まとめ>
あんまり一般に知られていませんが、ダークキャッスル・エンターテインメントは好事家の間ではある種の一流ブランドです。さもありなん。バック・トゥ・ザ・フューチャーで有名なロバート・ゼメギス監督の作った映画マニア向けの制作会社なんですね。ホラーやサスペンスの専門ブランドで良質なB級映画をたくさん生み出しています。あくまでB級っていう所がポイントです。
そこでホワイトアウトなのですが、ダークキャッスル制作であの予告編を見たら、誰だって期待するわけですよ。ところが蓋を開けたら超ショボイ。ケイト・ベッキンセイルが格好良いだけで、あと何にも見所ありません。BOX OFFICEの興行収入みたら案の定赤字です。ここは是非ダークキャッスルに投資する目的で、映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。だってせっかく良質な作品が出来ても日本未公開なんて嫌じゃないですか。だから、ホワイトアウト、オススメです!

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