シャーロック・ホームズ(2009)

シャーロック・ホームズ(2009)

さてさて、雪降ったり暑かったりで体調崩してるんですが、金曜と言えば当然新作のレイトショー。

今日は「シャーロック・ホームズ」を観てきました。

評価:(65/100点) – 同人にしては良くできてる、、、、でも「天使と悪魔」。


【あらすじ】

ロンドンで5人の若い女性が殺される。捜査に乗り出したホームズとワトソンはブラックウッド卿を突き止め、6人目の犠牲者を危ないところで救出しブラックウッドを逮捕する。そしてブラックウッドは死刑を執行される。ところが彼が地獄から復活したという噂が流れ始める。実際にブラックウッドの棺桶を調べた警察とホームズは、その中に見たことのないミゼット(=こびと)を発見する。果てしてブラックウッドは生き返ったのだろうか? 獄中の彼が遺した「あと3件の殺人が起きる」という予言が徐々に真実味を帯びてくる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ブラックウッド卿の逮捕と死刑執行。
 ※第1ターニングポイント -> アイリーン・アドラーがホームズを訪ねてくる。
第2幕 -> 3件の殺人事件。
 ※第2ターニングポイント -> ブラックウッド卿の連続殺人事件の共通点にホームズが気付く。
第3幕 -> ブラックウッド卿の野望を阻止できるかどうか。


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【感想】

さてさて、本日はガイ・リッチーの最新作「シャーロック・ホームズ」です。マドンナと離婚した今となっては完全に「一発屋」扱いのガイ・リッチー監督ですが、久々にビックバジェット・エンタメ大作です。主演はアイアンマンで薬物中毒から一転ヒーロー路線へ復活を果たしたロバート・ダウニーJrです。
やはりホームズのネームバリューなのか、レイトショーでは珍しく6~7割ほどは座席が埋まっていたでしょうか?かなり混んでいました。
本作は説明不要の「シャーロック・ホームズ シリーズ」のキャラクターを使ったオマージュ作品です。予告でも分かるように、ホームズもワトソンもかなりの武闘派になっておりまして、かなりアップテンポな場面が目に付きます。
でもいまいち盛り上がらないというか、エンタメ映画の割にカタルシスがあんまりないんです。もちろんCGは結構豪華ですし目に見えた破綻があるわけではありません。この原因について考えてみます。

お話しの部分について

本作は構成が非常にしっかりしています。ブラックウッドが死刑になるまでが約25分、ホームズが謎を解くのが100分ごろ、そこからは約30分で国会→ロンドン橋でのアクションシーンです。話の構成自体には何の問題もありません。
おそらく本作に欠けているのは、「観客視点の受け皿」と「物語の推進力」です。
まず前者ですが、原作では「語り手」「常識人」としてのワトソンが読者の受け皿でした。読者はワトソンの視点からホームズの奇想天外な推理を感心出来るわけです。ところが、本作にいわゆる「一般人」は出てきません。強いて言えばレストレード警部とメアリーぐらいが平凡なキャラで、ホームズもワトソンもアイリーンもアクが強く曲者です。濃いキャラだらけにしてしまった結果、観客が完全に客観的な視点からホームズを観察してしまうんです。そうすると、次の「物語の推進力不足」問題がより加速します。
先日の「ライアーゲーム~」や「コラライン~」でもちょっと書きましたが、物語には推進力が必要です。それはほとんどの場合、キャラクターが追い詰められて何かしないといけなくなることです。本作の場合は、「レオダンの家探し」→「殺人事件の謎解き」→「テロの阻止」と目的が変わるのですが、どれも中途半端というか他人事っぽい描き方になっています。例えば、レオダンの家は割とあっさり見つかってしまいますし、その後はアクション・シーンです。殺人事件にいたっては最初の一件だけが彼が直前に会っている「見知った人」で、後の2件はあんまり関係ないためやはり他人事です。
これだと、いくら構成が良くても全然面白くはなりません。きちんとホームズを事件に絡めさせて追い詰めないといけないのですが、本作ではそこまで事件捜査をすることもなくクライマックスの100%アクションシーンに行ってしまいます。また、ブラックウッド卿が獄中で宣言する「期日」もタイムリミットの役目を果たしていません。ですので、全体を通してあまり緊迫感が無いままに漫然と物語りが進んでしまいます。
後半は推理もかなり無茶になっていきますので、推進力はどんどん低下していってしまいます。

キャラクターについて

このキャラクターについてが本作の一番の肝です。おそらくシャーロック・ホームズとワトソン博士のコンビを知らない方はほとんどいないと思います。それほどまでに古典中の古典であるシャーロック・ホームズは、名前だけでも十分なキャラクター意匠になります。なので、本作ではキャラの描き方がかなり雑です。説明しなくてもどうせみんな知ってるという前提です。その上で原作にもあったホームズとワトソンのホモソーシャル的(=男子校的)な関係を拡大し、全キャラに格闘アクション要素を足しています。終盤にホームズの「腕ひしぎ逆十字固め」とワトソンの「胴締めスリーパー」の競演がありますが、場内爆笑でした。そりゃガイ・リッチー監督は柔道黒帯ですけど、、、。
この原作の要素をグッと拡大する感じがとっても漫画っぽいんですね。なので、キャラクターについては映画単体としてはかなり残念です。原作を読んでいるのが大前提で、その上で原作とのギャップを楽しむ感覚です。このあたりが原因で見終わった後にパロディ作品っぽい印象を持ってしまいます。

【まとめ】

キャラクターの名前を借りてきてオリジナルな事をやるという点ではいわゆる同人作品っぽさがあります。ところが見た目や名前がどんなにホームズでも、映画のプロットはそのまんま「天使と悪魔(2009)」です。
もちろんエンターテインメントとして標準のクオリティは十分に保っていますので、小難しいことを考えずに楽しめる良作だと思います。
最後に一点だけ。本作の冒頭でタイトルが出た直後のシーンは、完全に「グラナダ版(=ジェレミー・ブレット版)シャーロックホームズ」のオープニングそのままです。全体のテイストも「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎(1985)」っぽい雰囲気ですので、確実に過去作へのオマージュ感覚は入っていると思います。
もしシャーロック・ホームズが好きならば、確実に「グラナダ版TVドラマシリーズ」をレンタルしてきた方が良いです。でももしハリウッドのエンタメ・アクション映画が見たいのであれば、本作はまさしく適任です。是非、映画館へ足を運んでください。オススメです!!!
今週末ですと、「ハート・ロッカー」を見ていたたまれなくなった方のお口直しにぴったりです。

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記事の評価
ハート・ロッカー

ハート・ロッカー

今日はある意味で一番の話題作、

「ハート・ロッカー」を観て来ました。

評価:(60/100点) – これがアカデミー監督賞の最有力候補なのか!?


【あらすじ】

ジェームズ軍曹はイラクの爆弾処理班「ブラボー部隊」のリーダーとして赴任する。マッチョで冷静なサンボーン軍曹と気の弱いエルドリッジ技術兵と共に、ジェームズは数々の爆弾を処理していく、、、。


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【感想】

本日観ましたのは「ハート・ロッカー」です。おそらくこのエントリーを書いている6時間後には女性初のアカデミー監督賞受賞作として歴史に残るのではないでしょうか?そういった意味では今もっともホットな作品です。
皆さんご存じの通り本作は全米映画批評家協会賞の作品賞・監督賞・主演男優賞を獲って一躍アカデミーの有力候補に躍り出ました。キャスリン・ビグローとジェームズ・キャメロンの元夫婦対決というキャッチーなコピーも相まって、その知名度が急上昇しています。
実際に私が見に行った際も、夕方の回は完全に満員完売で、夜の回も最前列以外は全席埋まっていました。元がインディ映画なので箱が少ないという問題はあるものの、それにしても物凄い入り方です。マナーが悪い客が結構いましたので、それだけアカデミー賞の話題によって普段映画を観ない人まで来ているという事だと思います。
もちろん前評判の高さから、私の期待値も相当高かったです。それ故に観ている最中はちょっと信じられませんでした。これが数々のマイナーなものからメジャーなものまで映画賞を獲っているという事実。そしてアカデミーでも作品賞(プロデューサー賞)と監督賞で最有力候補に挙げられるという事実。その事実こそが本作を読み解くキーワードであり、そして現在のアメリカが抱える病理のようなものだと思います。それを順を追って考えてみましょう。

本作の大枠について

いきなりですが、本作の冒頭である文章が表示されます。ニューヨークタイムズが出版している「War Is a Force That Gives Us Meaning(戦争は我々に存在意義を与える力)」というベストセラー本からの一節で、「The rush of battle is a potent and often lethal addiction, for war is a drug.」という文です。直訳しますと「戦いの連続は良薬であり、時に中毒を引き起こす。戦争とは麻薬だ。」となります。これが本作で描かれる全てです。
テーマをそのまま言葉で表すのは最も避けるべき演出の一つですが、恐ろしいことに本作は冒頭でいきなりテーマをそのままずばりの文章で説明してしまうわけです。なんか演出そのものをいきなり放棄しているというか、映画であること自体を放棄しているように見えます。ところがこの「映画演出としての致命的な下手さ」が、観ている内にだんだん実は意図的なのでは無いかと思えてくるわけです。
本作にはいわゆる三幕構成のようなものはありません。もっというと、話の展開すらロクにしません。ただひたすらジェームズ軍曹とブラボー部隊の爆弾処理を淡々と描くだけです。ですので率直に言って退屈です。物凄く退屈です。その退屈っぷりはかなり度を超していまして、はっきりと観ていてイライラしてくるレベルです。しかしですね、、、どうもこの反応こそが監督の意図のような気がするんです。
というのも、この作品は常にグラグラと揺れるカメラでドキュメンタリータッチな映像が流されるわけです。ここに先ほど書いた「映画としての演出の放棄」が加わり、それがドキュメンタリー感を補強する効果を持ちます。そして別に劇的な事がおこらないというのもある意味では現実的です。
要はですね、本作は観客に戦場を疑似体験させているわけです。そのために意図的に映画を退屈にして、観客に緊張とストレスを与え続けるわけです。結局二時間近くスクリーンには緊張する爆弾処理の様子が映されているわけで、そもそも面白くなんてなりようがないんです。であればこそ、おそらくこの観客のイライラは意図的なものの筈です。すなわちこの「ハート・ロッカー」という映画そのものが、実はアバターと同じく「アトラクション」なんです。ただし、アバターが「楽しいパンドラ観光ツアー」だったのに対して、ハート・ロッカーは「悲惨な戦場ストレス体験ツアー」です。
私が先ほど「現在のアメリカが抱える病理」と書いたのはまさしくこの部分です。つまり、あれだけ「世界の警察」面してイラク戦争を強行しておきながら、実はアメリカ人の大半が戦場のなんたるかを映画アトラクションにしないと理解できないほど薄っぺらにしか考えていなかったということです。そしてこの作品が高い評価を受けているということは、このアトラクションをみんな良くも悪くも気に入ったということです。
注意しなければならないのは、本作には特別政治的な描写は無いということです。というよりも、舞台がイラクであるという必然すらありません。劇中に出てくるイラク人・イスラム教徒は、はっきり言ってゾンビと大差ない描かれ方ですし、限りなく抽象化された「驚異となる敵」以上の存在ではありません。そして、本来であれば爆弾を800個以上解体した英雄のジェームズは、しかし全く英雄的には描かれません。むしろ狂人(=戦争中毒者)として描かれます。妻と子供と暮らす平凡な日常に嫌気が差し、彼は自ら危険な戦場へ志願し続けます。
この作品は救いのない要素で埋め尽くされていて、ただただ緊張とストレスを観客に与え続けます。そういった意味ではもしかしたら反戦映画なのかも知れません。少なくとも本作を観て「超面白かった。サイコー!!!」とか感じる人とは友達になれないと思います(苦笑)。

【まとめ】

タイトルの「ハート・ロッカー(The Hurt Locker)」は「棺桶」を表すジャーゴンで、転じて戦場そのものを表現しています。
そのままずばり、これはこのアトラクションの名前なわけです。
ここまで長々と書いておいてなんですが、、、これって映画として果たして出来が良いのでしょうか? アトラクションとしてはOKだと思うんですが、これがアカデミー作品賞・監督賞の有力候補と言われるとちょっと考えてしまいます。これなら「イングロリアス・バスターズ」の方が数倍面白いですし、なんなら「しあわせの隠れ場所」だってコレよりは面白いです。
「アバター」と「ハート・ロッカー」という両極端なアトラクションがアカデミー賞を争うという構図が、ハリウッドの現状を如実に表しているように思えます。
もし極限のイライラを体験したいという方は止めませんが、エンターテインメントでは無いことを十分にご理解の上でのご鑑賞をオススメします。きっと今週末はアカデミーの影響で入ったカジュアルな観客が、呆然としながら劇場を後にする様子を多く見ることになると思います(笑)。

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プリンセスと魔法のキス

プリンセスと魔法のキス

二本目は今日見た作品です。

「プリンセスと魔法のキス」

評価:(85/100点) – ディズニー・アニメ完全復活!!!


【あらすじ】

ニューオリンズで母親と住むティアナは、亡き父との夢であるレストランを持つために二つの仕事を掛け持ちしてお金を貯めていた。ある時ニューオリンズにマルドニアのナヴィーン王子がやってくるニュースが飛び交う。プリンセスになることを夢見るティアナの友人にして金持ちのシャーロットは、父に頼んで王子とのパーティーを計画する。そしてパーティーの夜、ティアナはシャーロットの部屋で一匹のカエルと出会う。カエルは自身をナヴィーン王子だと言い張り、魔法を解くためのキスの見返りに開業資金の提供を申し出る、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ティアナの半生と夢。
 ※第1ターニングポイント -> ティアナがカエルになる。
第2幕 -> 人間に戻る方法探し。
 ※第2ターニングポイント -> ティアナ一行がニューオリンズに戻る。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

本日公開と同時に見て参りましたのは「プリンセスと魔法のキス」です。昨年「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にも書きましたが、本作はジョン・ラセター体制になったディズニーの非3DCGの長編アニメーション第一作目です。「ボルト」でまだまだ実力があることを証明したディズニー・アニメーション部門が満を持して送る待望の「トラディッショナル・アニメ(=デジタル手塗り/非3DCG)」です。
監督はジョン・マスカーとロン・クレメンツで、80年代後半から90年代初頭のディズニー黄金期の終盤を担ったゴールデンコンビです。2004年に両名ともディズニーを辞めていましたが、ジョン・ラセターの依頼により復活しました。この配置を見ても、ラセターの「ディズニー黄金期復興計画」への想いが伺えます。
公開初日ですが私の見た箱では3割ぐらいの入りでした。子供連れも数組で、どちらかというと男・女問わず一人で見に来ている人が多かったように思います。

物語について

話のベースは劇中でも登場するグリム童話「かえるの王子様」です。ディズニーがかつて得意としていた「有名な童話をディズニー調に書き換えて家族向けのハートウォーム・テーマに噛み砕く」という手法を踏襲していまして、まさしくディズニー・クラシックスにふさわしい内容です。
物語の部分は文句のつけようがありません。ある種の”道徳的問題”を背負ったティアナとナヴィーンが一連のドタバタを通じて「本当の愛」に気がつき成長する普遍的ストーリーです。道徳的問題と書きましたが、ティアナは「働き過ぎ」、ナヴィーンは「女ったらし」というだけで、別にそんなに大問題ではありません。しかしそこはディズニー、「本当の愛」のためならそんな小さな人間的ほころびすら許しません(笑。とはいえこんな優等生的で正論すぎるテーマでも、押しつけがましくすることなく綺麗にストーリーの盛り上がりと併せて発信出来ています。その違和感の無さ(少なさ)がディズニーの特徴であり、そしてこの作品の脚本の巧さでもあります。
物語で言いますと、終盤にある悲劇的事件が起きます。これは過去のディズニー・アニメには無かった(※あったかも)シーンですが、これをエピローグで綺麗に回収して見せます。もしかしたら彼の夢も叶ったのかな、、、とか勝手な事を思えるシーンでして、私は完全に号泣モードでした。
一点気になることがあるとしたら、最後の最後の場面です。王子に起こったある事件は説明があって納得出来るのですが、でもその論法だとティアナに起こった事についてはまったく説明できないんです。なんか勢いで持って行かれますが、ちょっと引っかかりました。

「アナスタシア」について

実は本作を見ている最中に、ものすごい既視感を覚えていました。最後のエンドロールで気付いたんですが、原因は「アナスタシア」だったんです。
皆さん1997年公開の「アナスタシア」という劇場アニメをご存じでしょうか?アナスタシアは20世紀フォックスの作った長編アニメ第一号でして、80年代のディズニーアニメを支えたドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマンがディズニーを辞めた後で制作しました。「アナスタシア」の名前は出しませんでしたが、「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にちょろっと書いた作品です。
(※ カールじいさんの空飛ぶ家はこちら https://qbei-cinefun.com/up/)

この「アナスタシア」はメグ・ライアンが主役の声を当ててましたが、吹き替え版では本作と同じくミュージカル女優の鈴木ほのかさんが演じています。さらには敵役が優男の魔術師でして手下の影を使って主役を追い詰めます。この辺のディティールがそっくりなんです。これはパクリという意味ではなくて今回の作品がそれだけ「80年代ディズニー・クラシックス」のテイストを出せているということです。「アナスタシア」は完全にディズニーアニメのルックスでありながら(作ってるのがディズニーの人なので当然ですが)、ディズニーの枷をはずれたことで少し「怖い事」「酷い事」を描けていたのが画期的でした。本作はその「酷い事」の部分も上手に取り込んでいます。なので、必ずしも子供向けというわけでは無く、大人でも十分に楽しめる内容になっています。

数少ないノイズの部分

と、ここまで絶賛モードなんですが、どうかと思う部分が一点だけあります。それが「劇中内の日本語訳」です。私の気付いたところだと、「お父さんがイラストの上に書く”ティアナのレストラン”」「新聞の見出し”王子が来るよ”」「ティアナの店の看板」が、それぞれ日本語表記になったり英語表記になったりします。特に「ティアナのレストラン」は結構酷くて、同じシーンでもティアナが手に持ってる時は日本語で、額に入れた瞬間に英語になったりします。おそらくディズニーなりの「ローカライズ」なんだと思いますが、はっきり言ってズサンです。やるなら全部のシーンできっちり日本語表記にするべきだし、やらないなら他のアメリカ映画と同様に縦の字幕を出せば良いだけです。中途ハンパ過ぎてものすっごい気になりました。
見出しだけ日本語で本文が英語のニューオリンズ新聞ってどうなんでしょう?(苦笑

【まとめ】

最後にちょっとノイズ部分を書きましたが、作品全体ではとても素晴らしい出来です。なにせミュージカル・パートが楽しいですし、特にワニのルイスは最高です。ルイスのぬいぐるみがあれば欲しいですもの。そのためだけにディズニー・ストアに行くぐらいのテンションです(笑。
率直に言いまして、本作をもってディズニーアニメが完全復活をしたと思って間違いないと思います。
作品単体として見ても、そして歴史を目撃するという意味でも、間違いなくオススメの作品です!!!
ラセターはまだ53歳なので、あと20年はディズニーの第三黄金期が続くのでしょうか。いまからどんな傑作を量産してくれるのか楽しみで仕方がありません。

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コララインとボタンの魔女

コララインとボタンの魔女

「コララインとボタンの魔女」を観てみました。

評価:(95/100点) – ヘンリー・セリックの狂気の職人芸


【あらすじ】

コララインは両親と共にピンク・パレス・アパートに引っ越してきた。両親に構ってもらえないコララインは、居間に壁紙で隠された小さなドアを発見する。その夜、小さなトビネズミを追ってそのドアをくぐると、そこには現実とうり二つの世界が広がっていた。しかもそちらの世界の両親はとても優しくコララインをもてなしてくれる。もう一つの世界はまさしく夢のようだった。ただ一つ、彼らの目がボタンであることを除けば、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> コララインが引っ越してくる。アンバーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> コララインがもう一つの世界に行く
第2幕 -> もう一つの世界での楽しみ。
 ※第2ターニングポイント ->コララインがボタンの魔女と賭けをする。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

遅ればせながら、本日はコララインとボタンの魔女を見てきました。監督はご存じ「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」で有名なヘンリー・セリックです。ストップモーション・アニメ(=コマ撮りアニメ)の巨匠にして、ディズニーのファンタジアやバンビで有名なジュール・エンゲルの弟子筋に当たる御大です。
本作では「ナイトメア~」からさらに進化/深化した、狂気としか言いようのない程の精巧で緻密な人形コマ撮りを披露してくれます。そもそも、ストップモーション・アニメは一日気合いを入れてガッツリ撮影してようやく数秒の画が撮れるような世界です。
それをこの情報密度で100分間も突っ走るわけですから、もうただただ脱帽です。

物語の推進力

本作はそのストップモーションアニメの凄まじさもさることながら、それ以上に物語の語り口がとても良くできています。本作の様に登場人物が限られた作品の場合、もっとも難しいのは観客の興味を引っ張りながら物語の推進力を得ることです。そこで本作の場合には徹底してコララインを追い詰めていくことで実に上手く物語を進めていきます。
例えば序盤、コララインは両親から冷たく扱われることへの現実逃避としてもう一つの世界へ行きます。次はもう一つの世界で起こるある恐怖から逃げるために奔走します。あまり書くとネタバレになってしまいますが、さらに追加で2つの事件がコララインを襲います。要は映画100分間の内ほとんどで彼女は何かから逃げたり何かをやらざるを得ない状況に追い込まれています。それによって、観客も高いテンションを常に維持しながら画面に引き込まれ続けます。まったく気が休まるときがないですし、画面の情報量も物語の盛り上がりに比例してドンドン上がっていきます。

テーマ

さらに本作が圧倒的なのは、ホラー風味でかつ驚異的なルックスでありながらもテーマがとてもオーソドックスな教訓話だということです。「うまい話には罠がある」「家族は大切に」「変わり者のご近所さんでも実は良い人かも」。こんなに道徳的な話をこんなに怖く描ける人もそうそういないと思います。

【まとめ】

物語、画面構成、演出、全てが超一流レベルでまとまったとんでもない傑作です。アメリカで大ヒットした話は聞いていましたが、正直なところここまでは期待していませんでした。今年はのっけから高レベルな作品が目白押しでうれしい限りです。もし、子供向けアニメーションだと思って敬遠している方は、騙されたと思って是非見に行ってください。圧倒的な映像体験を確約します。
またストップモーションアニメと3D上映の親和性の高さも良く表れていました。ボタンの魔女が迫ってくる場面は本気で怖かったですし、なんか夢に出てきそうです。
もしかしたら早くも今年一番の作品かもと思いつつ、絶対にオススメな作品です!!!
一応最後に触れなければいけない点がありまして、それはGAGAで良くある吹き替え問題です。なにせオリジナルは天才・ダコタ・ファニングですよ。戸田恵子さんはまったく問題無いですが、やはり榮倉奈々と劇団ひとりをメイン級で使うのはどうかと思います。芸能人枠なら脇役でやってくださいよ、本当。でもそのノイズを差し引いても素晴らしい大傑作なのは間違いありません。

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しあわせの隠れ場所

しあわせの隠れ場所

2本目は

「しあわせの隠れ場所」をみました。

評価:(75/100点) – 嘘のような本当の話の脚色。


【あらすじ】

マイケルはスポーツの才能を見込まれ、ブライアクレスト・クリスチャンスクールというお坊ちゃん高校に入学する。家族も生活する家も持たない彼は、大富豪のリー・アン・トゥヒーに招かれトゥヒー家の居候となる。父は生後一週間で居なくなり母親はドラッグ中毒という環境で幼い頃から州の保護を受けていたマイケルにとって、トゥヒー家は初めて味わう優しい家族であった。やがて彼はトゥヒー家のバックアップでアメフトの才能を開花させ、数々の名門大学からのスカウトを受けることになる。


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【感想】

さて、二本目はアカデミー賞ノミネート作品の「しあわせの隠れ場所」です。原題は「The Blind Side(=死角)」。チームの大黒柱であるクォーターバックの死角を守るオフェンシブタックルのポジションを表しています。
本作はとても丁寧な描き方でもってマイケルが家族を得て心を開いていく課程が描かれます。ちょっと劇的過ぎるのとどう考えてもリー・アン・トゥヒーが聖人として描かれすぎてるように見えるんですが、それは脚色部分として置いておきましょう。サンドラ・ブロックの大根演技を差し置いても十二分に面白い人間ドラマです。
そして彼が心を開く課程とアメフトで才能が開花する課程がほとんどシンクロして描かれるのも上手いです。
フローズンリバーほどではないですが、さらっと見られる良い話という意味では近作では一番かも知れません。
実は本作で一番不思議なのはサンドラがゴールデングローブ賞・ドラマ部門の主演女優賞を取ったことです。放送映画批評家協会賞はメリル・ストリープとの同時受賞なのでまだ分からなくはないのですが、正直なところ演技ではなくてキャラクターの魅力だけでとってるんじゃないかと思う部分です。たしかにドラマ部門の多作品が微妙だったのはあるんですが、それにしてもどうかなと。2007年のプロレス大賞MVPで、本来なら受賞者無しの所を過去の功績で三沢さんにあげた時のような微妙な感じがします。
もちろん嫌いじゃないですし、45歳にしては驚くほど綺麗ですけどね。
本作はインビクタスと一緒に見るのがオススメです。インビクタスで描いていなかった試合の部分が、本作ではかなり上手く描かれています。

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ニューヨーク、アイラブユー

ニューヨーク、アイラブユー

今日も二本です。

一本目は「ニューヨーク、アイラブユー」です。

評価:(35/100点) – 雰囲気オムニバス地獄


【あらすじ】

なんかいろいろ。


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【感想】

今日はニューヨーク、アイラブユーを見てきました。でまぁこれがなんとも言えない感じのオムニバスでして、とにかく何が言いたいか良くわからない美談っぽい話が延々続くという地獄のような内容でして、面白くなさ過ぎて腹も立たないという壮絶な内容でした。
どこがダメと逐一具体的にツッコむのは出来るんですが、そういう事よりももっと根本的な問題、すなわちこの映画(というか映像の羅列)が果たして何のために作られて何を目的としてるかがまったく分からないわけです。
一応オムニバスの中では岩井俊二監督のパートとシェーカル・カプール監督のパートは楽しめました。でも別にこのオムニバスに入っている意味が分からないですし、そもそもニューヨークと全然関係無い話なので何とも言えません。いっそのこと最初から「ショート・ショート」として映画祭とかに出せばいいのかなとか思ったりしました。
正直なところ、実際には点数もつけられません。というか、この映画自体が一つの作品として成立しているとは思えません。
なのでちょっと書きようが無くてこんな変な駄文を徒然と書いてみました。
あとこれは作品とは直接関係ないのですが、私の座った列の端っこの中年3人組が、開始直後に缶チューハイを音たてて開けて酒盛りを初めて騒ぎ始めたときはちょっと驚きました(笑)。いままでいろんな面白い観客を見たことがありますが、酒盛り宴会はかなり上位です。ちなみに私が見た過去最強の客は、上映中に携帯電話で仕事の話を始めて、カバンからノートPCを取り出しておもむろにメールし始めたナイスミドルです。
こういうおしゃれ系の映画は面白い客に遭遇する確率が高いので、そういった不思議体験をしたい方には断然オススメです!!!

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パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

今日はレイトショーで「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を観てみました。

評価:(60/100点) – ハリー・ポッターの後継狙いとしてはそこそこ。


【あらすじ】

神の世界である日ゼウスの稲妻が盗まれてしまう。ゼウスは初め兄のポセイドンを疑うが、彼が潔白を証言するやいなやポセイドンの息子に疑いを向ける。一方その頃、高校生のパーシー・ジャクソンは授業で訪れた博物館で魔物に襲われてしまう。ケイロン先生の力で魔物を何とか追い払うが、危機を感じたパーシーは親友のグローバーと母親と共にキャンプ・ハーフブラッドを目指して逃走する。しかし目前で母親をミノタウロスに攫われてしまう。パーシーはキャンプ・ハーフブラッドで自身の血筋を聞かされ、仲間と共に母親を救出する旅に出かける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゼウスとポセイドン。またはパーシーが襲われ逃げる。
 ※第1ターニングポイント -> パーシーとグローバーとアナベスが旅に出る。
第2幕 -> ハデスを目指す旅。そしてハデスとの邂逅。
 ※第2ターニングポイント ->冥界から脱出する。
第3幕 -> 最後の対決とオリンポス訪問。


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【感想】

さて、本日は「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」です。監督は少年向け冒険ファンタジーの脚本を多数手がけるクリス・コロンバスです。どちらかというとホーム・アローンやハリー・ポッター初期2作の監督といった方が通りがよいかも知れません。
会社こそ違いますが、ワーナーのハリー・ポッター・シリーズが残すところ1冊分(=前後編で映画二本)で終了することを見越して、後継のシリーズを狙ってきたという趣旨がヒシヒシと伝わってくる作品です。原作の児童書はハリー・ポッターに負けず劣らずアメリカで大人気ですし、素材としてはこれ以上ないほど適しています。

物語の大筋とキャラクター

物語部分は非常にシンプルでありがちなストーリーです。主人公が実はものすごい力を隠し持っていて、それを突如開花させ大活躍する話です。まるでRPGゲームのようなベタさです。主人公はキャラが薄くて「正義感がある真面目な子」という以外の背景はまったく描かれませんし、仲間のアナベスとグローバーに至ってはただの賑やかしです。
しかし、展開のつけ方やちょっとした神話の引用など子供心をくすぐるポイントはきっちり押さえています。中二病を上手くくすぐる絶妙な湯加減で、見終わってからギリシャ神話を読み直したくなってしまいました。

展開の無茶さ

とはいえ、展開はかなり強引かつ行き当たりばったりです。一番気になるのは本作のタイトルにもなっている稲妻泥棒の件です。気付いたら勝手に解決しているというか、答えが勝手にこっちに向かってきてくれて、ご都合主義なんて言葉では言い表せないほどです。そもそも主人公が気付かないのが変ですし、犯人の計画も無理がありすぎます。主人公が無事にハデスの元に着く確率は相当低いはずなのに、それを見越して計画を建てていないと本作は成立しません。
また、犯人の人間描写もイマイチ稀薄です。「例のアレな感じの人」みたいな「雰囲気のみで構成されたキャラクター」になってしまっています。記号的といいますか、「みんなこんな感じのキャラ見たことあるでしょ?それ。そのイメージで。」という適当な描写が目立ちます。
とはいえ、児童書が原作で小中学生をターゲットにしている割には整理はされていますし、そこそこの佳作だと思います。

【まとめ】

本作は決して高いレベルのハリウッドエンタメではないですが、ハリー・ポッターの後継としては十分通用するレベルだと思います。何より徹底したキャラの記号化によって抽象度が上がっていますから、観客各自が好きなように移入することが出来ます。裏を返せばそこまでキャラに惹かれるものが無いとも言えますが、まぁまぁありかなと思います。
子供向けのエンターテインメント映画としてなら十分に及第点のオススメ作品です。。

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ルドandクルシ

ルドandクルシ

本日の二本目は

「ルドandクルシ」です。

評価:(60/100点) – バカ兄弟が調子をこく話


【あらすじ】

ベトとタトはメキシコ郊外のバナナ園で働く兄弟である。ある日彼らの町にサッカー選手のスカウトを仕事とするバトゥータ(指揮者)と名乗る男が訪ねてくる。彼はタトをスカウトし、メキシコシティへと連れて行く。FWととして一軍入りしたタトを見て、バトゥータは兄のGKベトもスカウトする。こうしてベトとタトの兄弟はそれぞれルド(頑丈)とクルシ(自惚れ屋)として人気選手になっていく。しかし兄はギャンブル、弟は女性に嵌り、身を崩していく、、、。


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【感想】

本作はメキシコの新会社「チャ・チャ・チャ・フィルム」の初作品です。この制作会社を立ち上げたのは「アルフォンソ・キュアロン(ハリー・ポッターとアズカバンの囚人の監督)」「アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(バベルの監督)」「ギレルモ・デル・トロ」とメキシコのトップ監督3人です。特に私はヘルボーイとパンズ・ラビリンスでギレルモ・デル・トロの大ファンになっていますので、これはもう駆けつけるしかないというわけです。

本作のプロット

本作のプロットは予告編でほぼ全部流れています。田舎で暮らすバカな兄としっかり者の弟が都会で人気者になって調子に乗りまくり、結局は挫折を味わいます。作品中では兄のルドが本当にどうしようもなく描かれまして見ててイライラするレベルです。一方の弟・クルシは本当に可愛そうで、どっちかというと悪女に嵌って遊ばれてしまう被害者です。ところがそこはメキシコ映画、互いに「母への愛」「家族への愛」が人一倍強くダメダメなのにちょっとハート・ウォームな感じに着地します。
私はカルロス・キュアロン監督を存じ上げていないのですが、描き方で工夫しているなと思う部分が随所にありました。
一番初めに気付くのは、ロクにサッカーのシーンを映さないことです。本作ではルドとクルシは最初から天才という設定です。ところが当然両方とも俳優さんなのでそんなスーパープレーは出来ませんし、すぐにボロが出てしまいます。そこでプレー映像をほとんど映さず、実況や観客席の様子で適当に流します。これは結構良くも悪くもとれる手法で、よく言えば上手いごまかしなんですが悪く言えばサッカーがまったく描けていないとなります。でもCGを使っていかにもな画を撮られるよりはマシだと思います。
次にストーリーの構成です。ルドとクルシは中盤には早くも身を崩し始めるのですが、これが決定的になるのが妹が麻薬王と結婚する場面です。両者の共通の目的だった「愛する母のために家を建てる」というのが婿様にあっさり達成されてしまい、両者が母への愛を証明する機会を奪われてしまいます。そしてこの機会損失と同時に両者が決定的に追い詰められます。この流れは絶妙です。
とまぁ巧さは目立つのですが、最終的には微妙な印象を持ってしまいました。やはりサッカーシーンの弱さがありますし、何より元から天才っていうのがスポ根的な意味で残念な感じです。結局この一連の物語を通して二人に「何が残ったのか」or「何を得たのか」っていうところがあまり分かりません。ただ「調子に乗って挫折した」という事実を見せられるだけなので、ドラマがあんまり残らないんです。ルドもクルシも魅力的なキャラクターなので、もっと転がせたのではないかと思います。

【まとめ】

ルドもクルシも本当にキャラクターが立っていて、役者さんはすばらしい演技を見せてくれます。PKを使った伏線の張り方もベタベタですがちゃんとしています。それだけにあまり突き抜けていない作品というか、安定したエンターテインメント感を強く感じました。ハリウッド的と言ってしまっても良いかもしれません。もっとはじけたメキシコ映画を想定していたので思いのほか普通でビックリしました。オススメはオススメなんですが、単館映画ですのでDVDが出てからでも良いかもしれません。
わざわざ遠出してまで見るほどでは無いと思います。

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