バーレスク

バーレスク

土曜に見たのは

「バーレスク」です。

評価:(40/100点) – クリスティーナ・アギレラのPVそのもの


【あらすじ】

アリは田舎の鬱屈に耐えかねアイオワからロスへの片道切符を買った。彼女は歌手の仕事を探していろいろなバーを訪れる。ある日、偶然入ったクラブ・バーレスクで彼女はセクシーな女性達が往年の名曲に合わせてダンスパフォーマンスを行う光景に釘付けになる。なんとかバーレスクで働こうとする彼女は経営者のテスにあしらわれながらも何とかウェイトレスとして潜り込むことに成功した、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アリがウェイトレスとしてバーレスクで働く。
 ※第1ターニングポイント -> アリがニッキーの代役でステージに立つ
第2幕 -> アリの大躍進とマーカス。
 ※第2ターニングポイント -> アリがジャックの家を出る。
第3幕 -> 結末


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【感想】

昨日は1本、バーレスクを見て来ました。クリスティーナ・アギレラの初主演作という触れ込みですが、意外と客席は中年女性ばかりでした。とはいえそこまで混んではおらず、お客さんを他作品に取られているようです。
非常に簡単にいってしまえば、本作はクリスティーナ・アギレラというアイドルのPV以上のものではありません。とはいえ、アギレラはきちんと実力のある歌手ですので少なくとも日本に入ってきている情報だけ見ればあまりアイドルっぽい感じではありません。よく1歳違いのブリトニー・スピアーズと比べて優等生扱いされることの多いアギレラですが、本作でもアイオワ出身の垢抜けない隙だらけな感じを存分に出しています。それだけで「アイドル映画としては満点!」と言いたくはなります。
ただ映画としてはとても雑です。まずはBECKでもある「歌っただけでみんな感動」というまたもや生まれつき天才パターンです。とはいえ、きちんと歌唱力に説得力はありますから、そこまで目くじらを立てるほどではありません。あくまでも話としてどうかというぐらいのレベルです。
話の筋自体は大きく2つ、「ジャックとの恋愛話」と「バーレスクの身売り話」です。しかしどちらも大変唐突に決着がつきます。伏線らしい伏線もほとんど無く思いつきとひらめきで解決してしまうためまったくワクワクがありません。
そして肝心の音楽シーンも基本的には劇中で本当に舞台で歌っているシーンですので、いわゆるミュージカルの演出ではありません。つまり音楽シーンの度にストーリーが完全に止まります。ですので、ストーリー部分だけならこの映画はおそらく20分くらいにまとめられるはずですw そしてこの音楽シーン達は「クリスティーナ・アギレラ7変化」という類のまさにPVそのものです。音楽シーンに限っては、「アイオワから出てきた田舎者のアリ」では無く、完全に「世界的ポップスター・クリスティーナ・アギレラ」です。まったく役作り等はしていません。
ですのでミュージカル映画を期待して見に行くと大変がっかりすることになると思います。下手をすれば「NINE」以上にがっかり感が強いかも知れません。しかし、クリスティーナ・アギレラのファンであれば、これはもう絶対に見に行くべきです。約1時間程度の彼女のディナーショーを大音響の映画館でたっぷり見ることが出来ます。本末転倒な気がしないでもないですが(苦笑)、映画初主演という触れ込みに嘘偽りなく、これは彼女のファンのためだけに作られた映画です。
個人的にはオススメしたいのですが、あくまでもアギレラのファン限定という部分と、映画としては退屈という部分だけは念頭に置いておいた方が良いと思いますw
また、最近は「女主人の良き相方」としてのキャラが定着してきたスタンリー・トゥッチが本作でもとても良い味をだしていますので、コチラもオススメポイントです。

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記事の評価
トロン:レガシー

トロン:レガシー

金曜のレイトショーは川崎109のIMAXで

「トロン:レガシー」を見て来ました。

評価:(50/100点) – 嫌いじゃないけどかなり単調。


【あらすじ】

デリンジャーからスペースパラノイドの権利を奪還し出世街道にのったケヴィン・フリンはエンコム社のCEOとなった。しかしその数年後、ケヴィンは息子のサムに「明日ゲームセンターへ行こう。」と約束して仕事へ向かったのを最後に消息を絶ってしまう。
それから20年後、エンコム社の大株主でありながら自堕落に過ごすサムの元に父の盟友アランが顔をだす。アランはケヴィンから預かったポケベルに着信があったことを告げ、サムにケヴィンがかつて経営していたゲームセンターに行くよう説得する。サムがゲームセンターへ行くと、そこには隠し通路があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エンコム社への侵入
 ※第1ターニングポイント -> サムがグリッドへ行く。
第2幕 -> サム達の旅。
 ※第2ターニングポイント -> サムがケヴィンのディスクを奪い返す。
第3幕 -> 結末


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【感想】

今秋の金曜新作レイトショーは往年の珍作SF映画「トロン」の続編、「トロン:レガシー」です。ロビン・フッドと並ぶお正月大作映画ということもあって、レイトにも関わらず川崎IMAXはチケット完売でした。久々に完全に埋まった劇場です。

前作「トロン」とその影響

本当にいまさらなんですが、一応のおさらいということでさらっと書いてしまいます。1982年に公開された「トロン」は興行的にはコケました。偶然コンピュータの中に入ってしまったフリンが、その世界の独裁者を倒し”ある証拠”を探すために、盟友トロンと共に戦います。かなり一本調子な話なので面白いかと言われると微妙ですが、特筆すべきはそのアイデアです。それは「コンピュータの中に入る」という部分と「コンピュータ内のデジタル世界を擬人化する」という部分です。透過光エフェクトのような蛍光灯のような独特なレトロSFテイストのアニメで合成された服は、まさに「センス・オブ・ワンダー」という名前がぴったりなワクワクを誘います。今見ると非常にショボいCG風景も、コンピューター内部の表現としては大変刺激的です。そしてなによりテンションが上がるのがライトサイクル戦です。コンピューターゲームをそのまま映像化したシーンは、まさにCG映画かくあるべしという素晴らしい物でした。
そしてこの2つのアイデアはその後「ニューロマンサー(1984)」、「攻殻機動隊(原作1991年)」と受け継がれ、さらにその影響下で「マトリックス(1999年)」が誕生し、それがさらに影響して今年の「インセプション」まで繋がります。「何かに入ってしまう」という類の作品は「ネバーエンディング・ストーリー(原作1979年)」や「ナルニア国物語(原作1950年)」のようなファンタジー色の強いものが多かったのですが、「トロン」のガジェット的な格好良さと相まって、一気にSFのトレンドの一つとなりました。もちろんアシモフの「ミクロの決死圏(1966)」のようなSFもあるにはありましたが、SFでありながらもファンタジーよりの描画になっています。コテコテのSFとして「トロン」は間違いなくエポックメイキングな作品でした。面白さは別にしてですけれど(苦笑)。ちなみに私は作品としてはともかくガジェットや世界観だけはかなり好きです。始めて見てから20年近く経っていますが、今でもちょくちょく見直しています。

本作のお祭り感とがっかりポイント

ここからが本題です。「トロン」という作品はCG表現のエポックメイキングとして確固たるブランド力を持っています。その続編を今作ると聞いた時点で、やはりSFファンとしては「3D表現のエポックメイキング」を期待するわけです。予告で見せる電脳世界や光るディスクはそれだけで十分にワクワクさせるものでした。
しかし、、、結果としてはまったくエポックメイキングが出来ていません。それどころか、3Dの意味すらほとんどないような演出が散見します。
本作で最も3Dを演出として利用しているのは、サムがグリッドに入る話の展開点です。そこまでの現実世界は2Dで描かれているのに対して、グリッドに入ると急に世界が3Dで広がります。これは「オズの魔法使い(1939)」でオズの国に行くとそれまで白黒だった画面がカラフルになるのと同じです。古典的な演出ではありますが、3D映画としては至極まっとうな使い方だと思います。事実、開始から1時間ぐらいは大いに楽しめます。ディスク戦、ライトサイクル戦、そして父との再会。旧作のファンならば燃えないわけがありません。
ところが、ここから先、驚くほど単調な世界と単調なストーリーになります。ただひたすら黒に蛍光白・蛍光赤が入るだけの世界。そして出口を目指すという一本調子なストーリー。ケヴィンはただの「オビワンっぽい賢者(=メンター)」として万能感を見せつけ、敵のボス・クルーはボスとは思えぬ軽さで最前線に飛び出し続けます。途中これでもかと言うほど他作品のパロディを入れ続け、あげくラストでは「そんな力があるなら最初から使えよ!!」というチート行為でもって難局を打破します。そして極めつけは前作の準主役・トロンの扱いの軽さです。本当に誰得としか言えないほどひどい扱いです。

【まとめ】

全体的には、前半の最高に楽しい60分を後半の酷いとしかいいようが無い60分で帳消しにしてしまった感じです。つまりフラットな50点というよりは、前半100点と後半0点で相殺の50点ですw そう考えると東京国際映画祭で本作の前半30分だけを先行上映したのは大正解です。
ちなみに、IMAXには本作は大変よく合っています。重低音で本当に椅子が揺れますから、グリッドに入った直後に陸橋みたいな輸送機が降りてくるシーンは迫力満点です。
また、ダフト・パンクのBGMもかなり良く出来ています。本人達もちゃっかりカメオ出演していますので、そういった見せ場も楽しみに劇場に足を運ぶのは手だと思います。ヒロインもオリエンタル感があって本当可愛いですし。
諸々の条件が揃っていただけに「惜しい」という言葉がどうしても頭から離れません。

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記事の評価
ノルウェイの森

ノルウェイの森

2本目はこちらも久々の”危ない橋”

「ノルウェイの森」を見ました。

評価:(6/100点) – 春樹フリークスのみんな!!! ゴメンね!!!!


【あらすじ】

時は1969年、学生運動まっただ中の大学に通うワタナベは自殺した親友・キズキの恋人・直子と再会する。毎週末に直子と会っては無口に東京中を散策して周るワタナベは、徐々に直子に魅かれていく。直子の20歳の誕生日、彼は直子と一晩を過ごすがその後彼女と連絡が取れなくなってしまう。連絡したい一心で直子の実家に手紙を書いたワタナベのもとに、直子からの返事が届く。それは彼女が入院している京都の精神病療養所からであった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ワタナベと直子の再会と交流。
 ※第1ターニングポイント -> ワタナベが療養所に向かう。
第2幕 -> ワタナベと直子と緑。
 ※第2ターニングポイント -> ワタナベが冬に療養所に向かう。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

本日の2本目は新作映画「ノルウェイの森」です。ご存じ村上春樹の代表作であり、日本で最も有名な国産小説と言っても良いのではないでしょうか。その割には、お客さんは4割~5割ぐらいの入りでした。若い方もあまり居なかったので、微妙に「若者の活字離れ」という私の嫌いなキャッチコピーが思い浮かんでしまいましたw
一応念のためのお断りです。400万部以上売れている20年前の小説にネタバレも無いと思いますが、一部結末を感づいてしまうかも知れない程度のほのめかしは入ってしまうかも知れません。極力ネタバレをしない方向には致しますが、小説未見でまっさらな気持ちで映画を見たい方は以下の文章はご遠慮ください
また、せっかくの村上春樹作品なので、前置きとしてウダウダ書こうと思いますw 「知るかヴォケ~」という方は中項目「本題:~」からお読み下さい。

前置き1:作品の概要をおさらいとして。

本作の主題を端的に言うならば「生/性と死」です。
学生運動というテンション全開で暴れまくっていた時代背景の中で、本作の初期主要人物であるワタナベ、キズキ、直子は非常にローテンションな生活を送っています。冒頭に語られるキズキの自殺を筆頭に、作中では何人かが自殺します。そのそれぞれが絶望であったり理想とのギャップであったり、そういった今に通じる精神不安からの行動として自殺します。
一方本作ではその「死」の対義として「生/性」が取り上げられます。「愛する」ということと「欲情する」ということの違いで混乱する直子や、「愛する」ことと「欲情する」ことを明確に分けて考えるプレイボーイの永沢先輩、さらにはワタナベの「それでも生きていく」という美意識/決意、そうしたものを全てひっくるめて本作では生きることのタフさを繰り返し説いていきます。
本作ではワタナベと直子と緑の三角関係が物語りの中心になります。ワタナベは直子に自殺した親友の忘れ形見として「支える人間的義務」を感じる一方で、緑とは”普通の大学生として”恋をします。直子は自殺したキズキを想いながらも、一方で「キズキには欲情できなかったのにワタナベには欲情した」という事実に苦悩し精神的に混乱していきます。緑は”普通の大学生として”ワタナベを好きと公言しながらも、一方で別に付き合っている男がいることも公言し、ワタナベを翻弄します。3人が別々の場面で口にする「自分が幸せになる」というキーワードを巡り、物語は進んで行きます。

前置き2:村上春樹という作家について思うこと。

ここから危ない橋に突入していきますw 私の中学校の卒論の課題作品は村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でした。その際、村上春樹について「ハヤカワSF文庫や創元推理文庫で紹介された近代的アメリカ純文学のエッセンスを日本語ネイティブで書き起こした無国籍文学者」と書いたのを覚えています。中3にして村上春樹に痛烈だったわけですが(苦笑)、決して悪口として書いたつもりはありません。先生には当然細かく聞かれましたけどw
村上春樹の小説はとにかく読みやすいため、一般受けして部数が伸びるのはさもありなんと納得します。熱狂的なファンの方には申し訳ないのですが、私は村上春樹という作家の位置付けは「ライトノベル」の一つ前にあると考えています。つまり、レイ・ブラッドベリやカート・ヴォガネット、ジェイムズ・ティプトリーJr.といった1920年前後生まれの純文学要素をもったSF作家達が50年~60年代にハヤカワSF文庫によって日本で紹介され、その影響を受けたエンターテイメント寄りの現代作家達が続々と誕生した内の一人という位置です。その中には萩尾望都や竹宮惠子のように漫画界で一時代を築く作家がいる一方で、村上春樹のように小説界で活躍する作家もいます。さらにこれらの影響でエンターテイメント色が強くなったのが現代のライトノベルであったり最近の若い作家達の小説群です。そういう意味では村上春樹というのはある種の時代の転換点というか、純文学からエンタメ小説に移りゆく過渡期に誕生した無機質・無国籍な得体の知れない(=これがスタイリッシュな印象につながります)”いまどきの作家”だと思っています。
当然彼の特徴として真っ先にあがるのは、その直訳調の文体です。「おまえは日本語が苦手なのか!?」と突っ込みたくなるほど堅くぎこちない文語体を使い、倒置法や体言止め、さらには極端な擬態語・擬音語を多用します。「やれやれ。」「結局のところ、」「わかったよ。」等々、村上春樹は文章をパロディにしやすい作家としても有名ですw
これはかつての純文学の文法上は完全にアウトですが、一方でアメリカSF小説の翻訳に慣れた読者にとってみればこの上なく取っ付きやすいものとなります。ここが村上春樹という作家の評価がパックリ分かれる大きな要因です。純文学を保守的な文脈で「土着の文化の発露」と捉えるならば、村上春樹はただの得体の知れないエセ文学者です。しかし、彼の小説を「時代の肌感覚をドライに表した進歩的な作品」と考えることも出来ます。後は読み手が考える「文学」の定義次第です。ちなみに、私の友人で小説好きな人の中では村上春樹を擁護する人は皆無ですw 個人的には結構好きですが、私はSFの翻訳本と岩波文庫の政治思想書ばっかり読んでいるため、こと小説眼に関してはまったく当てにはなりません(苦笑)。

本題:今回の映画化について。

既に2200文字も書いてますが(笑)ここからが本題です。 上の文章を読んでいただいた方は、村上春樹を映画化するというのがいかに難しいかというのがなんとなく分かっていただけると思います。つまり、彼は小説界の中での「純文学からエンタメ路線へ」というトレンドの移項という文脈ありきでの作家なんです。ですから、それを映画にする際には、どうにかしてこの「村上春樹の日本文学界における立ち位置」の空気感を映画に移植してやる必要があります。
その移植作業の一つとして、本作の監督にトラン・アン・ユンを起用したのは大正解だと思います。トラン・アン・ユンの持つ暗めのカメラカット・空気感は、村上春樹の持つ無国籍性に通じる物があります。そしてそれは、本作のほとんど唯一の見所となっています。早朝の療養所の森が見せる冷たい感覚、夜の森が見せる不安な感覚、そして冬の海の見せる孤独で厳しい感覚。どれもトラン・アン・ユンとリー・ピンビンが見せるカットの巧さで引き込まれます。
ですがもう一つの部分、すなわち村上春樹の直訳調文体をどう処理するかという部分については、まったく戴けません。よりにもよって、本作ではそのまま直訳調の文語体を俳優が喋ります。この直訳調の文語体というのは、俳優が喋るととたんに嘘くさく安っぽく見えてしまうと言う特徴があります。なぜかというと、それは単に棒読みで大根役者に見えてしまうからです。「わたしが今なに考えているか、分かる?」「わからないよ。」とか普通の会話では言わないでしょう? 口語体であれば、「ねぇ、私が何考えてるか分かる?」「わかんないよ。」となります。「わからないよ。」と「わかんないよ。」の間には、台詞としてはものっっっすごい大きな差があります。
個人的にはあまり好きではありませんが、この酷い台詞達をもってしても自然にみえてしまう菊地凛子はやっぱり凄いです。直子役には合ってないとも思いますけどねw
今回の映画化は、原作に”比較的”忠実にしています。前述の通り台詞はほぼそのままですし、プロットも省略がありこそすれ大幅な改編は(ワタナベと直子の療養所でのワンシーンを除いて)ほとんどありません。非常に意地悪な見方をすれば、これは原作小説のファンに最大限配慮したやり方だと思います。未読の人にとっては肝心な描写が足りないわりにレイコとの後日談のような本筋とあまり関係無い描写が入ってきますし、既読の人にとっては大急ぎで原作の名場面を端折って再現しているだけにも見えます。
結果、単体の映画として見た場合には、ファンには申し訳ないですがそこいらにあるどうしようもない映画と大差ない出来になってしまっています。実在感の無い若者達が無菌室の中で「勝手に人類を代表して悩んでやがる」感じです。小説ではあれほど読み易かった直訳調の台詞も、無機質な映像と相まって観客の感情移入を拒絶してきます。まったく観客のあずかり知らぬ所で勝手に140分過ぎていく感覚。そう、置いてきぼりとはこのことです。

【まとめ】

村上春樹作品を映像化する際にやってはいけないことをがっつりとやってしまっています。結果、単調で、無機質で、実在感の乏しい、謎のファンタジー世界で繰り広げられる文学的風景の連続写真になっています。原作ファンの方は当然見に行くと思いますが、原作を読んだことが無い方は先に原作を読むことをオススメします。その上で本作を見て頂けると、いかに小説の映画化が難しいのかが良く分かると思います。
村上春樹作品の映画化はまた30年後でいい気がします。

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記事の評価
キス&キル

キス&キル

今日は凄い映画を2本も連続で見てしまいました。

1本目は「キス&キル」です。

評価:(2/100点) – エアベンダーを抜いてぶっちぎりで洋画の年間ワースト


【あらすじ】

ジェンは両親とフランスのニースに旅行に来ていた。彼女はホテルでスペンサーと名乗るイケメンに一目惚れ、一緒に食事や観光をするうちに恋に落ちる。やがて二人は結婚して、3年がたったある日、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ジェンとスペンサーの出会いと結婚生活。
 ※第1ターニングポイント -> スペンサーがヘンリーに襲われる。
第2幕 -> 2人の逃走。
 ※第2ターニングポイント -> 自宅に戻る。
第3幕 -> 結末


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【感想】

本日は2本見て来ました。1本目はとりあえずリハビリと思って比較的アンパイそうな「キス&キル」にしたんですが、、、、これは無い。カップルを中心に結構お客さんが入っていたんですが、ちょっとコレは酷いです。ラブコメを前提で見に行ってますのでかなりハードルが低めになってはいるんです。にもかかわらず、さらにそのハードルの下をリンボーダンスのようにくぐってきますw
本作は非常に狭いコミュニティの中で展開されます。出てくる単語だけは「CIA」だの「国家」だのと大きいことを言うのですが、登場人物はご近所さん止まりでまったくスケール感がありません。コメディならコメデイで割りきってしまえばいいのですが中途半端に真面目に作ろうとしているため、一般のご近所さんがサブマシンガン等の武器やコンバットスーツを持っている意味が全くわかりません。あげくの果てには黒幕の存在や事件の真相すら半径2mの世界で完結してしまいます。
あまりにもスケール感が小さく、そしてあまりにもアシュトン・カッチャーのアクションがショボイため、まったく何一つ乗れる部分がありません。あまりにも退屈すぎるため、「トム・セレックってドン・フライに似てきたな~~~。」とかどうでも良いことばっかりが頭をよぎってしまいました。
テイストだけはラブコメ風ですが、やってること自体は中学生の学園祭レベルです。褒めるところが本気で1カ所もない珍しい作品です。早く記憶から消したいのと、2本目が重たいのでこの辺で切り上げますw 例えレンタルDVDでの鑑賞だとしてもオススメはしません。久々の洋画核地雷ですw

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ロビン・フッド

ロビン・フッド

久々の金曜レイトショーは

ロビン・フッド」です。

評価:(65/100点) – 鉄板のハリウッド・エンタテインメント


【あらすじ】

獅子心王・リチャード1世の時代。リチャード王に率いられたイングランド軍フランス遠征部隊に射手として参加していたロビン・ロングストライドは、王の死を知るや仲間を連れていち早く逃げ出した。イングランドへ渡る船へと向かう途中、ロビンは王冠を持ったロバート・ロクスリーが襲われた現場に出くわしてしまう。ロバートより王冠とロクスリー家の剣を託されたロビンは、騎士の服装を纏ってイングランドへ帰国する。そこには、リチャードの弟・ジョンとその腹心・ゴッドフリーが待っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> シャールース攻城戦とリチャード王の死。
 ※第1ターニングポイント -> ロビンがノッティンガムに住む。
第2幕 -> ジョン王の圧政。
 ※第2ターニングポイント -> 北の諸侯とともにゴッドフリー軍を撃退する。
第3幕 -> フランス軍との戦い。


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【感想】

今日は久々のレイトショーでリドリー・スコットの新作「ロビン・フッド」を見て来ました。金曜レイトにしてはそれほどお客さんは入っていませんでした。とはいえ、本作と来週の「トロン レガシー」がお正月大作映画の本命なのは間違いありません。(個人的には「キック・アス」と「モンガに散る」もですけどw)
最近BBCでもテレビドラマで「ロビン・フッド」をやっていましたのでその流れでコメディ寄りかもと若干心配したんですが、良くも悪くもいつものリドリー・スコット映画でしたw 「いつものリドリー・スコット映画」というと非常に乱暴ですが、つまりは政治的なメッセージを入れつつのスペクタクル映像満載でちょっと血が出る冒険活劇です。リドリー監督の前作「ワールド・オブ・ライズ(ボディ・オブ・ライズ)」で太りすぎてビックリされたラッセル・クロウも、きっちり割れた腹筋を披露してくれますw

ロビン・フッド物語へのリドリー的アプローチ

ロビン・フッドと言われて私が真っ先に思い出すのは、1973年のデイズニーアニメ版「ロビンフッド(※ロビンがキツネの作品)」と1976年のオードリー・ヘップバーンとショーン・コネリーの「ロビンとマリアン」です。この二つは共にロビン・フッドを題材にしていながら、まったく別のタッチの作品として歴史に名前が残っています。デイズニー版はひたすらコミカルで、プリンス・ジョンとロビン・フッドはさながら「トムとジェリー」や「ルーニー・トゥーンのロードランナーとワイリーコヨーテのコンビ」のような夫婦漫才を繰り広げます。一方の「ロビンとマリアン」は、年老いたロビンとマリアンがかつての代官との戦いを再びと老体にむち打ちます。こちらは哀愁に満ちた「枯れたラブロマンス」です。

ロビン・フッドというキャラクターは、判官贔屓から来る魅力とその圧倒的な人気によって、架空でありながらも多くの「お約束事」をもっています。マリアンとのラブロマンスしかり。”優しい力持ち”リトル・ジョンとのでこぼこコンビ。お茶目でずる賢いタック神父との交流。そしてジョン王を小馬鹿にしつつ金品を奪う義賊要素。ライオンハート・キング・リチャードの元で十字軍に参加し、その弟ジョン王の圧政に先王の代わりに鉄槌を下す正義の化身。多くの要素が相まって、アーサー王と並ぶイングランドのフィクション・ヒーローとして成立しています。

今回、リドリー・スコット監督はここ最近の監督作と同様のアプローチをしています。すなわち、「プライベート・ライアン以降のリアリズム表現」です。1998年のスピルバーグ監督作「プライベート・ライアン」は冒頭約30分におよぶ壮絶なノルマンディー上陸作戦の描写が大いに話題になりました。そしてそれまでの大作戦争映画ではなかなか無かった(もちろんサム・ペキンパーの不朽の名作「戦争のはらわた」とかはありましたけど。)、四肢や肉塊が飛び散る描写を行いました。手持ちカメラをグラグラ揺らすリアリズム表現もこの頃からです。

リドリー・スコットはこのプライベート・ライアンを相当苦々しく思っているのか(笑)、その後ことある事にプライベート・ライアンに対抗する演出を行っています。プライベート・ライアンの公開後すぐに制作を始めた「ブラックホーク・ダウン」では、彼は露骨にプライベート・ライアンを意識してほとんどパクリと言われかねないほどに似通った演出を行いました。

リドリーは初期の3作「エイリアン」「ブレードランナー」「レジェンド」で圧倒的なまでの世界観構築力を見せつけました。それ故にいまだにこの3作には熱狂的なファンがついています。彼がこの3作で行ったのは、予算の限りを尽くして特殊メイクや舞台セットを作り込むという「スペクタクル」の創造です。さすがにこの3作でやりすぎてしまったのと「レジェンド」が商業的に大コケしたことで、彼の「スペクタクル要素」は引きのショットを多用した「大自然風景スペクタクル」に移行していきます。本作でも特にラスト30分は空撮が目立ちます。大人数のエキストラ達が戦う合戦シーンも、彼なりの「スペクタクル要素」です。
本作ではその「スペクタクル要素」と「リアリズム表現」を徹頭徹尾ぶち込むことで、ロビン・フッドをより実在感のある存在として描こうとしてきます。ロビン・フッドの前日譚というある程度自由が効く設定を使うことで、リドリーは彼なりの「ヒーロー像」をいつも通りの演出で見せていきます。

そしてそのロビンの実在感の一端を担うのはもはや常連と化したラッセル・クロウです。ロビン・フッド=射手が持つ優男で小柄なイメージをぶちこわすマッチョで男臭いラッセル版ロビンは、しかし「十字軍に参加」「イングランドの英雄」というヒーロー像を分かりやすく体現しています。これも一つの実在感の表現です。非常に細かいところですが、本作のラッセル・クロウは常に両頬にでかいニキビをつけています。これも12世紀で風呂もロクに無い時代の実在感です。
本作におけるロビン・ロングストライドは血統書付きのナチュラル・ボーン・ヒーローです。「また生まれつき天才か」とかちょっと思ってしまうんですが(苦笑)、それはきっと私の心が汚れているせいです。ですが確かにこの12世紀という舞台では、一介の弓兵がヒーローとして諸侯と並ぶためにはそれなりの階級や根拠が無いと無理です。ですからこれも監督なりにリアリティを追求した結果のご都合主義だと取れないこともありません。
話の内容自体は非常にシンプルですし、ご都合主義や突っ込み所の嵐です。とくに後半にゴッドフリーが裏切り者だとジョン王が知る辺りからは、もはやストーリーもへったくれもないくらいの混乱が始まりますw ついワンシーン前までロバート・ロクスリーとして振る舞っていたのに次のシーンではいきなりロビンと呼ばれていたり、かと思いきや直後にはまたロクスリー家として周囲から認識されていたり、結構無茶苦茶なことになっています。とはいえ、きっちりケイト・ブランシェットの甲冑姿のサービスがあったり(もちろんクイーン・エリザベス仕様です)、義賊シーンがあったり、お約束事も入れてきます。タック神父が蜂を飼っているというのも、前述のディズニー版「ロビン・フッド」でタック神父がアナグマになっていることへのオマージュです。
そしてそういったリアリティ表現やお約束を入れた「エンタテインメント大作」の総仕上げとして、リドリー・スコットは遂にクライマックスで「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦の完全コピーに挑みますw 12年の歳月を経て、リドリー・スコットの「スピルバーグに追いつけ追い越せ」精神の集大成を見ることが出来ます。

【まとめ】

雑な話をスペクタクル映像で乗り切るという非常に”ハリウッドっぽい”大作です。その出来はまさに鉄板。つまらないこともなく、かといって面白すぎることも無く、きっちりとハリウッド式エンタテインメント映画を見せてくれます。リドリー・スコットがスピルバーグに追いつけたのかどうかは、是非皆さんが劇場で確認してください。個人的にはまだちょっと追いつけてないかなという印象です。
お正月にご家族やカップルで見に行くには、可もなく不可もなく、予備知識も特に必要ない鉄板の作品です。とりあえず冬休みに何を見るか迷っている方には無難な一本です。オススメです。

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記事の評価
エクスペリメント

エクスペリメント

12月に入ってようやく初映画です。
今日は

エクスペリメント」を観て来ました。

評価:(25/100点) – 何故リメイクしたか分からないほどes[エス]にほど遠い。


【あらすじ】

老人ホームで働いていたトラヴィスはある日リストラされてしまう。若くして職にあぶれた彼は反戦デモの最中に知り合った女性と恋に落ちるが、彼女は理想を求めてインドで暮らすと言い出してしまう。インドへ行く資金を稼ぐため、彼は新聞広告にのっていた高額なアルバイトに募集する。それは一週間「心理的実験」の被験者となるものであった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> トラヴィスとベイの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 心理実験が始まる。
第2幕 -> バリスの暴走とトラヴィスの反抗。
 ※第2ターニングポイント -> トラヴィスがカメラに実験終了をアピールする。
第3幕 -> 囚人役の決起。


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【感想】

ようやっと仕事に一段落つきまして、本日は「エクスペリメント」を見て来ました。公開から少し経っているからか、お客さんはほとんど入っていませんでした。

本作の作品位置と概要

本作は1971年のスタンフォード監獄実験を元にした作品です。とかいうと分かりにくいですが、早い話が2001年のドイツ映画「es[エス]」のハリウッドリメイク作品です。es[エス]のオリジナルタイトルも「Das Experiment(The Experiment)」でしたから、完全に同一タイトルでのリメイクとなります。

概要はほぼ同じですが、作品のタッチはかなり変更が加えられています。

オリジナルの「es」はどちらかというとサスペンスよりの作品でした。主人公のタレクはあらかじめ何が行われるかを知った上で取材と好奇心で実験に参加します。ところが本作のトラヴィスはまったく知らない状態でお金を手っ取り早く稼ぐために参加します。そのため、本作では一幕目を丸々使ってかなりどうでもいいトラヴィスのラブロマンスが展開されます。もちろん「反戦活動をしていた男が最後にはみずから戦争を始める」という痛烈な揶揄にはなっているんですが、作品を始めるにあたっての非常に事務的な説明パートですのでかなり退屈はしてしまいます。この退屈な部分を乗り切ると、ようやく本題となる監獄実験が始まります。始まるんですが、、、、はっきりいいますと、この監獄実験がかなり変な味付けになってしまっているように感じました。
というのも、実験開始早々のフラッシュバックで、ウィテカー演じるバリスがかなり母親に虐げられていて且つ厳格なキリスト教義に抑圧されているという描写が入ってくるためです。彼は看守という「支配者」を演じることで、そういった抑圧されたストレスフルな状態から現実逃避して自己実現を果たしていきます。

ちょっとここでそもそもの「スタンフォード監獄実験」に立ち返りましょう。スタンフォード監獄実験は心理学者のフィリップ・ジンバルドーが一般人21人を看守役と囚人役に分けてスタンフォード大学の地下に作った摸擬監獄に隔離したものです。結果、看守役による囚人役への暴行がはじまり、囚人役も被害妄想や精神的な錯乱を見せるようになっていきます。人道的にかなり無茶苦茶な実験ですが、この実験の肝は「普通の人でも特殊な環境下に入れられると”かくあるべし”というロールプレイを始める」ということです。

本作におけるバリスは「特殊な環境下だからロールプレイを始めた」のでは無く、日常の抑圧から解放されたために暴走していきます。なのでエンターテイメントのモンスターとしては申し分ないのですが、そもそものソリッドシチュエーションからは大分はずれてしまっています。それはトラヴィスも同じです。彼が囚人側のリーダーになっていく課程が全く描かれないため、「主人公だから」という理由以外に彼のカリスマ性を裏付ける根拠がありません。囚人側のキャラクターがほとんど立っていないという部分と相まって、かなり残念な感じになっています。またそれとは別に、そもそもソリッドシチュエーションなのに最低限のルールが守られていないという致命的な問題があります。

本作では厳密に規定されたルールが3つあります。一つは暴力行為の禁止。もう一つは囚人側への「相応の罰則」の行使。最後に、一人でも離脱意志がある場合の即時中止です。
そしてこの3つはまったく守られません。ですから「実はルールが存在しない(=実は監視者側のブラフであり実験の一貫)」というのが本当のルールなんです。
ところが、、、、恐ろしい事にこの3つのルールは最後の最後に中途半端に守られます。「人が死んでも止めないのに馬乗りで殴ると止める」というのがまったく意味不明です。この最後の赤ランプですべてが台無しです。しかも赤ランプがついているのに本作では報酬がきちんとでています。

この手のゲーム型ソリッドシチュエーションの場合、最初に決めたルールを守るのは大前提です。もちろんどんでん返しとしてルールをひっくり返すのは有りですが、いきなり最初から無視したあげくに中途半端に適用するというのはいくらなんでも酷すぎます。最後の赤ランプがついた瞬間にそこまで比較的楽しめていた時間が一気に冷めました。

【まとめ】

たしかにこの手の映画を映画館で見るのは楽しいんですが、さすがにこれですとDVDで「es[エス]」を見た方が良いと思います。アメリカでは9月にDVDが出ているタイトルですので、日本でも少しまでばすぐに出るかと思います。ジャンル好きな方は止めませんが、ふらっと入って見るには少々厳しい内容だと感じました。DVDを待って、エスと本作を2本立てで見比べてみるのも面白いかも知れません。
余談として、日本の宣伝はかなり「インシテミル」を意識しているようですが、さすがに「インシテミル」と比べれば本作の方が5億倍マシですw

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デイブレイカー

デイブレイカー

日曜の二本目は

デイブレイカー」です。

評価:(55/100点) – ジャンル映画としては相当良い感じ。


【あらすじ】

世界の大半をヴァンパイアが占めた世界。人間の絶滅が危惧され、ヴァンパイア達は血に飢えていた。代替血液の研究を行うエドワードはある日帰宅途中に逃走する人間達をかばったことから一転、反ヴァンパイアのレジスタンスに引き入れられる。レジスタンスの頭領・コーマックはヴァンパイアから人間に戻ったと言い、その再現方法を研究していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エドワードと会社と弟。
 ※第1ターニングポイント -> エドワードがレジスタンスに引き入れられる。
第2幕 -> ブロムリー・マークス社の人間狩り。
 ※第2ターニングポイント -> エドワードが人間に戻る
第3幕 -> ブロムリー・マークス社への潜入


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【感想】

11月28日の二本目はデイブレイカーです。こちらも東京国際映画祭で先行上映していましたが、TIFFでは未見でした。夕方の回で見たのですが、結構お客さんが入っていて驚きました。大抵こういう作品はおじさんと好き者ばっかりなんですが、以外とカップル客も来ていました。
実は12月に入ってから仕事で徹夜が続いていまして、すでにあんまり良く覚えていませんw なのでメモを頼りにさっくりと書きたいと思います。
本作は、ジャンルムービー的なお約束もまぜつつ新しいアイデアも盛り込みつつ、バランスが結構良いなという印象です。最近よくあるヴァンパイアものですと、「ヴァンパイアが人間とのギャップと怪物性に苦悩する」というタイプの作品が多く見られます。「ぼくのエリ」しかり、「渇き」しかり。本作の場合、極端な事をいってしまえば、作品内でヴァンパイアがヴァンパイアである必然はありません。というか、作品全体が「搾取する側・される側」の構造になっていて、非常に意図的に社会問題をつっこんできています。あくまでもヴァンパイアは体制側の暗喩として使われています。
というと退屈そうに聞こえますが、実際に見てみるとこれが結構乗れます。というのも、所々に挟まれるゴア描写によってジャンルムービーとしてのサービスをきっちり入れてくるからです。共同監督のスピエリッグ兄弟はかなり演出が上手いです。間の引っ張り方や長回しのアクションシーンで、そこまでエキサイティングな内容では無いシーンでも十分に引きつけてきます。
もちろん役者陣に演技派を揃えているからでもあるのですが、ジャンルムービーとしてはかなりの出来だと思います。
アイデアをテンコ盛りにしたディストピア・ヴァンパイアムービーという変なジャンルの作品として、結構画期的ではないでしょうか? この手のやり方は今後定番化していくような気もします。ということで、まぁDVDでも十分かなとは思いつつ、そこそこオススメな作品でした。
余談ですが、ポスターのいかにも近未来SFっぽいデザインに反して中身は結構ゴアです。あんまりデートでは行かない方が良いと思いますw

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怪盗グルーの月泥棒 3D

怪盗グルーの月泥棒 3D

日曜日は2本。1本目は

怪盗グルーの月泥棒 3D」をみました。

評価:(50/100点) – 安心して見れる幼児向け3Dアニメ


【あらすじ】

怪盗グルーは年齢とともに落ち目を迎えていた。そんなある日、彼はTVニュースでピラミッドが盗まれたと知る。グルーはこの偉業に遅れをとるまいとして、史上最大の大泥棒を計画する。彼のターゲットは宇宙に浮かぶ月だった、、、。


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【感想】

先週の日曜は「怪盗グルーの月泥棒 3D」を見て来ました。公開から結構たっていましたので、お客さんの入りも少なく、子供連れもいませんでした。
本作はユニバーサル初の3Dアニメと銘打っています。いますが、、、、正直に言うと、3Dという部分についてはかなりありきたりな使い方しかしていません。予告でジェットコースターの場面がありますが、まさにその場面が最も3D効果を感じます。逆に言えばそれ以外はあまり3Dの意味はありません。
本作はドリームワークス的な毒っ気もなければピクサー的な完成度もありません。非常にベタで教育的な内容の「大人が見せたい子供向けアニメ」です。ですので、決して手放しで褒めるような作品では無いと思います。序盤のピラミッドのシーンから、この作品ではどんなに酷い事がおきても人が傷つかないのはあきらかですし、なにより真の意味での「悪人」は出てきません。ベクターもあくまでコメディ内での「嫌な奴」であり、ナードで嫌味な男以上ではありません。原題は「Despicable Me」=「どうしようもない僕」ですが、グルー自身はそこまで卑劣漢という感じでは無く、むしろ若い才能に突き上げられる中年男の悲哀がメインに描かれます。
ですので、本作は非常に安心して見ることが出来ます。ワクワクできないと言っても良いんですが(苦笑)、ベタな展開を無難にこなしているという印象が強いです。もう公開規模もかなり小さくなっていますが、もし時間が空いていれば見てみても良いかも知れません。アメリカでは夏休み映画として5億ドルを越えるものすごいヒットを記録していますが、あんまりそこまで騒ぐほどでは無いように思いました。

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