八日目の蝉

八日目の蝉

昭和の日の2本目は

八日目の蝉」です。

評価:(85/100点) – 永作の狂気と母性全開のロードムービー


【あらすじ】

秋山恵理菜は生まれてすぐに父の不倫相手の野々宮希和子に誘拐された。4歳の時に希和子が逮捕され実の両親の元に戻ったものの、結局両親とも上手くいかず、自身も大学に入って不倫に走ってしまう。そんな時、彼女のアルバイト先に千草と名乗るジャーナリストが現れる。彼女は恵理菜に誘拐されていたときの様子を聞き出そうとする。徐々に記憶を辿っていく恵理菜は、やがて希和子との”親子関係”を思い出していく、、、。


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【感想】

昨日の二本目は「八日目の蝉」を見てきました。GWではほぼ唯一の邦画大型作品ですので、結構お客さんが入っていました。原作は角田光代。1993年の「日野OL不倫放火殺人事件」を元ネタにアレンジしたサスペンス小説です。去年一度TVドラマにもなっていたようですが、私はこちらはノーチェックでした。

本作の概要

さて、本作は非常に説明しづらい内容になっています。内容を簡潔にいうと、「子供の時に起きた事件で親の愛情を知らずに育った女性が、自分が妊娠したときに不安を覚えるが、過去と向き合うことで実は親の愛情を受けていたことに気付く。」という話しです。
でまぁそんな感じの話ですので、倫理的には相当きわどいことをやっています。ただ、本作では昨年の「悪人」と違ってかなり丁寧に描写を積み上げていますので倫理的な問題や描写としての不自然さはそれほど感じません。

本作は開始早々、裁判での秋山恵津子(実の母親)と希和子の供述から始まります。ここでハッキリと希和子が反省していないことと、そして恵理菜に感謝をしていることが告げられます。本作はすべての事件が終わった後に大学生になった恵理菜が回想をちょくちょく挟む形で進行していきます。そこで展開されるのが、恵理菜の家庭事情と希和子と恵理菜の逃亡生活です。

かなり序盤の段階で丈博(恵理菜の父)がいかに最低かという部分と恵津子がかなりのヒステリーかつ娘との関係でどんどん精神的に病んでいく部分が語られ、その一方で希和子には同情的に肩入れしていきます。希和子は堕胎により子供が産めなくなり、そして不倫相手の嫁からは罵倒され、ふらっと侵入した秋山家の中でたまたま赤ん坊の恵理菜を見つけて攫います。そして恵理菜に堕胎した娘につけるはずだった薫という名前を付けて実の娘として育てます。

本作のタイトル「八日目の蝉」については劇中で2回ほど言及する部分があります。一度目は夜の公園で恵理菜と千草が語り合う場面。ここでは「普通は一週間で死ぬのに八日目まで生き残ってしまった蝉はさみしい」という説明があります。そして終盤、今度は原っぱに寝そべってやはり二人が語り合う場面です。こちらでは千草が「とはいえ、八日目まで生き残った蝉は、きっと普通の蝉が見られなかった世界が見えたんだ。」と幾分かポジティブな解釈がなされます。

これは微妙に作品のテーマとはずれますが、おそらく希和子の事だと思われます。普通なら不倫がバレて子供が産めない・男不信という最悪な状態で終わるのに、そこから不倫相手の子供を攫ってしまったことで強烈な母性が目覚め、希和子は4年間だけ幸せな時間を送ります。それは希和子にとっては堕胎した娘とすごすはずだった時間の穴埋めであり、非常に利己的・自分勝手な行為です。というか犯罪ですし。

本作において、恵理菜は自分が忘れたと思っていた「育ての親」である希和子と境遇が似てくることに焦りと不安を感じています。自分も希和子と同じように妻子持ちのダメ男と浮気をし、そして希和子と同じように妊娠し、希和子と同じように男からは「今は生まないで欲しい」といわれてしまいます。そんな状態の中で、彼女は唯一の友達となった千草と共に自分のルーツを探る旅にでます。希和子の逃亡生活を追体験するように、恵理菜と千草は旅をし、そしてその土地々々で思い出を取り戻していきます。その思い出が遂にすべて戻ったとき、彼女は自分の境遇に折り合いが付くようになるわけです。

本作の良い所

ということで、本作は二重のロードムービーとなっています。
一つは「希和子と薫の幸せな親子の日々」
もう一つは「恵理菜と千草の自分探しの旅 a.k.a トラウマ克服話し」
このどちらもかなり面白いのですが、やはり尺のボリュームからしても話しの構造からしても、前者の「希和子と薫」の方が圧倒的に面白くなっています。こちらはただひたすら本当に何気ない日常を淡々と描いていきます。ちょっと舞台が某ヤ○ギシ会っぽいカルト・コミューンだったりしますが、そこで行われる親子関係は至って普通のものです。そして舞台が小豆島に移った後はより一般的なノスタルジー描写になっていきます。それは例えば「歩いても 歩いても(2008)」を見て泣いちゃうのと同じような、なんのドラマ性も無いノスタルジーの中にちょろっと見える怖さを魅力として見せてくれます。そして最後には本当に反則的な超ウェットで真っ正面な親子愛をド直球で見せてきます。ものすごいあざとく、感じ悪い演出なのですが(苦笑)、泣いちゃうのが人情ってもんです。「なんじゃこの監督、こんな甘ったるいことしやがって!!!!」と怒りながら顔は泣いてますw

後者の「恵理菜と千草の自分探しの旅」については正直な話しそこまで絶賛するほどとは思えません。一応「親子愛の認識・再確認」というのがこちらの主題なのですが、肝心の千草側の事情については具体的にはほとんど語られませんし、恵理菜についても「希和子に誘拐されていた4年間は実は幸せだった」という劇場予告でも分かる部分を受け入れるかどうかという話しになっています。結局実の両親との関係がどうこうなるわけではありませんし、希和子とどうこうなるわけではありません。正しい意味での「自分探し」だけです。そういう意味では本作はサスペンスでは無く、ジャンル的には「人間賛歌/ヒューマンドラマ」です。「人生はいろいろあるし良い事も悪い事もあるけど、でも最高!!!!」。演出のあざとさとか井上真央と劇団ひとりがダメダメだとか不満はありますが、でもここまでちゃんとやられたら褒めざるを得ません。いや面白いです、本当に。

演技はアレですが、井上真央と永作博美が顔がすごい似てるんです。目の感じですとかアゴ周りですとかそっくりです。この時点でたぶんキャスティングは大成功だと思います。
相変わらず怪演を見せてくれる永作博美はすばらしいです。この人の魅力はギョロッとして分厚いクマのある引っ込んだ目だと思います。結構危ないことを書きますが、時折ちょっとヤ○中に見えるんです。この「童顔でかわいいんだけどちょっとイッっちゃってる感じがする」のが永作博美の最大の魅力です。ちょいちょい狂気がちらついて、優しそうなのに結構怖いんです。本作でもその狂気性がそのまま母性の爆発に繋がっていきます。それが完全に物語とリンクしているので、ものすごい説得力があるんです。本当いい役者です。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の時と同じような怖さがあります。

井上真央もいままでより明らかにちゃんとした役で(←失礼)、それに本気で取り組もうという姿勢が見えて大変好感が持てます。芸歴は長いのにまだ「これは井上真央の役」みたいな得意技がありませんが、何かハマリ役やゴリゴリに追い込む監督に出会ったら化けるような雰囲気はありました。「ダーリンは外国人」の汚名返上傾向です。

【まとめ】

正直まったく期待しないで見に行きましたし、ぶっちゃけた話し上映時間の都合で「キッズ・オールライト」から「八日目の蝉」に見る物を変えたぐらいノーマークでした。なんか中島美嘉の大仰なテーマソングといい、予告といい、安い泣き脅し映画の匂いをビンビン感じます。実際泣き脅し気味なのは否めませんが、でもちゃんとした泣き脅しです。素直に面白い作品でした。
手放しで大絶賛!って感じではないですが、今年だと邦画の「白夜行」とためを張れるくらいの作品だと思います。拡大ロードショー中ですので、なにか別の映画を見に行ったついでにでも見ていただくと結構満足感が高いのではないでしょうか? 原作をかなりバッサリ整理していて、間違いなく原作よりもスマートになっています。とりあえずGWになにを見るかで迷ったら押さえておくと良いでしょう。オススメです。

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記事の評価
鬼神伝

鬼神伝

GW初日の今日は2本です。
1本目は

鬼神伝」を見て来ました。

評価:(18/100点) – 良くある微妙なエコロジー志向ファンタジー。


【あらすじ】

中学生の天童純はひょんな事から迷い込んだ寺でタイムスリップをして平安京へ連れて行かれてしまう。そこでは鬼と人間とが戦っていた。純は僧正・源雲より自身の能力を聞かされる。源雲によると純は伝説のヤマタノオロチを操ることが出来る選ばれた”救いの御子”なのだ。鬼達に襲われる純と純の護衛につく頼光。果たして純はオロチを目覚めさせることができるのか? そして鬼とは何者なのか? 鬼の素顔を見たとき、純は選択を迫られる、、、。


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【感想】

連休初日の今日の1本目は新作アニメ「鬼神伝」です。監督はアニメーターの川博嗣。監督をやってたのを知らなかったので調べましたら「劇場版 NARUTO -ナルト-」の2作目(2005)以来とのことです。アニメーターとしては結構有名な人ですが、確かに本作を見るとあんまり監督は向いてないかなという気もします。
劇場では連休に当てていろいろな子供向け映画をやっているんですが、本作も客席は子供連れの家族でかなり埋まっていました。ぶっちゃけた話し予告を見るだにあんまり子供向けではありません。もしかしたら「ドラえもん」や「クレしん」や「コナン」から流れてきているだけかも知れません。
正直なところあんまり気が向かないので触りだけさらっと書きます(苦笑)。
本作の世界観はかなりファンタジーレベルが高くなっています。たとえば、冒頭ではいきなり人間と鬼との戦いに祝詞(※ほとんど魔法)が出てきますし、かなり前半からみんなガンガン空を飛びます。話しが転がるきっかけになる現代で始めて純が鬼に追われるシーンなんぞは、いきなり空から黒い煙が振ってきて野良犬に乗り移って鬼になるのに、純は「バ、バケモノ???」とか不思議な事をつぶやいて冷静に逃げます。普通目の前で犬が鬼に変身したら「バ、バケモノ???」どころでは済みません。もうリアリティラインがワケ分からないことになっています。
そしてお約束のように平安時代にタイムスリップしてからは「都市vs田舎」「貴族vs土人」「文明志向vsエコロジー志向」というよくあるパターンが展開します。この点ではそれこそ「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」に代表される宮崎駿的なエコロジー信仰の匂いを感じます。ただ、本作の場合はそこまで突き詰めていないというか、たぶん監督・脚本家も宮崎駿ほどは本気でエコロジーを信じていない感じがします。というのもものっすごいペラいんです。本作では「大自然&土人バンザイ!!!」みたいな方向に行くかと思いきや、結局最後は可愛い女の子に熱を上げてるだけというしょうもない所に落ち着きます。
こういった「異次元(異世界)に迷い込んでファンタジーを経験したあと成長して現実に戻ってくる」という物語は、星の数ほどあります。クラシックで言えば歴史的名作「オズの魔法使い」「ネバーエンディング・ストーリー」、最近だと「千と千尋の神隠し」や「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ 戦国大合戦」なんかもそうです。これらで大事なのは、「現代パートではあくまでもリアリティを重視して私達が生活している現実に近くすること」と「ファンタジーの世界では創意工夫や常識・知識のずれを利用して乗り越えること」です。これが無いと何が何やらさっぱりでおかしな事になってしまいます。
本作でマズいのは、第一に純を「生まれながらの選ばれし者」にしてしまったことです。しかも冒頭でいきなり純は切り札のオロチを手に入れてしまいます。さんざん「オロチは八個の頭の八個のしっぽがある」と言っておきながら登場するとドラゴンボールのシェンロンのような普通の龍であるため、これはもう最後に純の覚醒と同時に真・ヤマタノオロチに変身するのが見え見えです。しかもその姿に誰一人突っ込みを入れません。「頭が八つないじゃん」と誰かに言わせるだけでも救われるのですが、誰も疑問に思わず完全スルーです。あまりにもあんまりです。これによって「いつ純が本気を出すか?」という心底どうでもいいガキのご機嫌取りが物語りの中心になってしまいます。せめてオロチを手に入れるまでの冒険譚にした方がまだ見られたと思います。
そして第二が肝心のエコロジーメッセージです。これもすごい中途半端です。本作の鬼たちは半神半人のような描かれ方をしており、妖怪と言うよりは「自然の化身」「八百万神(やおろずのかみ)」という趣です。神道をモチーフにしている以上は当然です。それこそ「トイレの神様」じゃないですが(苦笑)、「どこにでも神様がいる」というかなり極端な思想はエコロジーとは大変相性が良いです。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」はそれを上手く設定に取り込んで見せていました。本作では肝心のエコロジーメッセージはちょっとセリフと雰囲気であるぐらいで、ほとんど入りません。たとえば鬼達は自然に囲まれた鞍馬山でくらしていて、最後は琵琶湖の化身が大活躍します。しかし「だから大切に」とかそういう方向ではなく、物語はあくまでも権力志向のある極悪支配者を倒すことが目的になってきます。勧善懲悪というシンプルな子供向けのメッセージをファンタジー・エコロジーにぶち込んだ結果、薄い「もののけ姫っぽさ」「千と千尋っぽさ」だけが残っています。
というような感じでして、全体としてはあんまりテンションが上がらない作品でした。「つまらない」というよりは「どうでもいい」部類です。ちなみに本作で一番語りがいがあるのは間違いなく頼光です。彼は鬼と人間との間で揺れ、アイデンティティクライシスを見せてくれます。特に後半は完全に頼光と水葉のエピソードが主役・純を食ってしまいます。
そのくせちょっと怒っただけで純君は覚醒してしまうものですから本当に拍子抜けで、「そんな簡単に覚醒するなら最初から本気出せ(怒」としか思えませんw
なので、連休中にヒマをもてあましてしまった方にのみオススメいたします。変に鬼が気味悪いデザインなので親子連れで見る映画を探している方はやめておいた方が良いと思います。

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記事の評価
メアリー&マックス

メアリー&マックス

日曜日も1本、

メアリー&マックス」をみました。

評価:(65/100点) – マイノリティ達への優しい物語。


【あらすじ】

メアリーはオーストラリアに住む8歳の少女である。働き者で家庭に無関心な父とアルコール依存症の母と暮らし、友達は誰も居ない。ある日彼女は「子供はビール瓶の底から生まれる」という噂の真実を確かめようとアメリカの電話帳から適当に選んだマックス・ジェリー・ホロウィッツに手紙を出してみた。すると数週間後、彼女の元には返事が返ってきた。こうしてメアリーとマックスの国を超えた文通が始まった。

【三幕構成】

第1幕 -> メアリーの家庭事情と最初の手紙。
 ※第1ターニングポイント -> マックスが返事を書く。
第2幕 -> 文通して過ごした時間とメアリーの論文。
 ※第2ターニングポイント -> マックスが怒る。
第3幕 -> 仲直りと渡米。


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【感想】

先週の日曜日は「メアリー&マックス」を見て来ました。監督は前作「ハーヴィー・クランペット」でアカデミー短編アニメ作品賞を獲得したアダム・エリオット。そこまで大々的な宣伝はしていませんが、少ない公開館のマイナー映画な割には結構なお客さんが入っていました。
本作はいままでのエリオットの4作品「アンクル(叔父さん)」「カズン(いとこ)」「兄弟(ブラザー)」「ハーヴィー・クランペット」と同じく、一人の人物の成長・人生を描きます。画面はいつも通り暗いグレースケールで構成されており、精神的な病をもった人間や社会的弱者に焦点を当てて比較的冷めたトーンで描き、その上で人生をポジティブに見せます。
毎度毎度このパターンで来ていますので、これがエリオットの作家性なんでしょう。ちなみに過去の4作品はすべてイマジカ/BIG TIME ENTERTAINMENT版の「ハーヴィー・クランペット(REDV-00306)」に収録されています。気になる方はチェックしてみて下さい。
本作でもメアリーとマックスはそれぞれかなり壮絶な事になっています。夢も希望もないとは正にこのことで、ありとあらゆる不幸が彼女たちを襲います。しかし、それでもエリオットのキャラクター達はめげません。今回はかなり危ない所まで踏み込みますが、それでもメアリーは復活します。そしてそのシーンで流れるのが本作のテーマをそのままずばり歌った「Whatever Will Be, Will Be (ケ・セラ・セラ)」です。ヒッチコックの「知りすぎていた男」の有名な劇中歌です。ちょっと歌詞を載せておきます。

When I was just a little girl
I asked my mother what will I be
Will I be pretty, will I be rich
Here’s what she said to me
私が少女だった頃
お母さんに大きくなったら何になるのって聞いたの
可愛くなれるかな? お金持ちになれるかな?
そうしたらお母さんはこう言ったの
※Que sera sera
 Whatever will be will be
 The future’s not ours to see
 Que sera sera
ケ・セラ・セラ
なるようになるのよ
未来の事なんてわからないから
なるようになるの
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart what lies ahead
Will we have rainbows, day after day
Here’s what my sweetheart said.
大きくなって恋に落ちたとき
愛しい人にこの先なにが待ってるかなって聞いたの
来る日も来る日も、虹を見られるかしら?
愛しい人はこう言ったの
※繰り返し
Now I have children of my own
They ask their mother, what will I be
Will I be handsome, will I be rich
I tell them tenderly.
今は私にも子供達がいるの
子供達は私に「大きくなったら何になるの?」って聞いたわ
格好よくなれるかな? お金持ちになれるかな? って
私は優しくこう言うの
※繰り返し

この歌がメアリーが自分の踏んだり蹴ったりな人生に絶望した崖っぷちの時に流れるわけです。あまりにもベタですが、これはエリオットが前作までで繰り返してきたテーマそのものです。アスペルガー症候群で鬱病のマックスやアル中で万引き常習犯の母親に似ていってしまうメアリーを、決して特別視するわけでもなければ過剰に擁護するわけでもなく、ただ静かに「なるようになる」と見守りそしてそこに人生の素敵さを描いていきます。
テーマとしてはこれ以上ないほど道徳的な正論ですし、じっさい今の日本の状況下で劇場でケ・セラ・セラを聞くと感慨深いものがあります。あるんですが、じゃあ映画としてどこまで完成度があってどこまで面白いかと言われると、それは別問題です。
というのも、エリオットはヒジョ~にアクの強い監督なんです。例えばものすごいナレーションを多用してきたり、あえて悪趣味な下ネタを入れてきたり、同じ変人を描くにしてもヘンリー・セリックとは違います。ヘンリー・セリックはどこか天然にクレイジーな部分が見えるのですが、それに対してエリオットはよく言えば計算されていて悪く言えばあざとく感じる部分があります。そこに乗れるかどうかが本作を気に入るかどうかのかなり大きな分かれ目だと思います。あまりにも「泣きっ面に蜂」を重ねまくってきますので、ちょっと納得しづらいですし、いかにも結論ありきで説教されている気分になります(苦笑)。
もちろんものすごい努力のたまものですし、全体的にはかなり良作の部類には入ります。見て全く損はありませんので、お近くで上映されている場合は是非劇場でご鑑賞下さい。ただ、アニメだからといって子供連れでいったりデートでみたりするような作品ではありません。ものっすごいえげつないものを浴びせられる覚悟は必要な作品です。オススメです。
※ おまけ
気になったのでメルボルンとニューヨークのエアメールの料金を調べてみたら50gまでは2.25ドル=約200円でした。これなら貧乏なメアリーでもギリギリ払えそうです。ところが、お菓子を入れると話しが変わってきます。
 50g~125g   : 4.5ドル=360円
 125g~250g : 6.75ドル=540円
 250g~500g : 13.5ドル=1080円
 500g以上   : 22.5ドル=1800円
う~~~~ん。コンデンスミルクの缶を入れると1,000円を超えそうです。ちょっとメアリーでは無理かも知れません。おそらく切手は全部万引き品です。そういうことにしておきましょう。
参考:オーストラリア郵便局HP

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記事の評価
GANTZ PERFECT ANSWER

GANTZ PERFECT ANSWER

土曜は

「GANTZ PERFECT ANSWER」を見てきました。

評価:(45/100点) – 名作の使い捨て、モッタイナ~イ。


【あらすじ】

前作から数ヶ月後、玄野は多恵とともに死んだ加藤の弟の面倒を見ながら、着々とGANTZの得点を稼いでいた。そんなある日、玄野の元に死んだはずの加藤が現れる。時を同じくして打倒黒服星人のミッションではバトルフィールドが現実世界とリンクし、一般人に直接的な被害者が出てしまう。果たしてGANTZはどうなってしまうのか、、、?


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【感想】

土曜日は劇場版GANTZの後編、「GANTZ PERFECT ANSWER」を見てきました。相変わらず中高生の女子を中心に物凄い人が入っていまして、客席は8割方は埋まっていました。これについては言いたいことは一杯あるのですが、とりあえず興行的には良い線に行っていると思います。製作費用もかかっているのでペイできるかは厳しそうですが(苦笑)。

本作の良い所:CG満載だけど十分に見応えがある剣劇アクション

後から不満をたくさん書きますので、まずは良かったところを挙げてしまいたいと思います。
本作で本当に良かった点は前作から大幅に改善したバトルシーンです。前作では引き金を引けば全てが片付く絶大な威力の「Xガン」しか武器がほぼ無かったため、バトルは「いつ引き金を引くか」というしょうもない引っ張りしかありませんでした。ところが本作ではXガンはほとんど使われず、ガンツソードが多用されます。これによって前作のテイストとは全く違うCGテンコ盛りの剣劇アクションが展開されます。たしかにCGを使ったワイヤーアクションもどきばっかりだったりカメラを揺らしすぎだったりはしますが、この剣劇アクションは本当に面白いです。特に序盤の地下鉄での黒服討伐ミッションでの水沢奈子vsGANTZ古参3人の対決はかなり良いクオリティです。
後半に行くと剣劇が減ってバトルシーンもかなり失速していくのですが、それでも偽加藤vs玄野&加藤でもそこそこ見られる瞬間もあるぐらいの感覚です。これに関しては、邦画の中ではかなり頑張っている方です。

本作の悪い所:剣劇アクション以外の全て

とまぁ一応褒めた上でなのですが、、、ハッキリ言って剣劇アクション以外はかなり厳しい事になっています。「剣劇以外」と言っているのは、つまり剣劇アクション以外のバトルシーンもがっかりポイントだという意味です。というか突っ込み所が多すぎます。
時系列で行きますと、まずはチビガンツの存在です。本作では冒頭でチビガンツが鮎川の元に届けられ、彼女がチビガンツからのミッションを遂行していく所から始まります。そしてそこをフックにして時間を戻して、そこに至る経緯を描いていきます。
本作では鮎川を使ってガンツ100点卒業生達を殺させることで、ガンツはガンツ部屋にOBを召還しようとします。そのターゲットとなるのが小林(メガネデブ)と中村(アフロ)と山本(女子高生)と多恵です。
ところが本作では多恵がガンツに召還される意味が分かりませんし、何の説明も何の伏線もありません。普通に考えれば多恵も100点卒業生なのですがそれに対するものがなにも無いので、後半のストーリーの流れが非常に理解しづらいです。
後半はガンツからの「小林多恵を倒せ」という緊急ミッションを巡るあれこれになります。このミッションはそもそも「チビガンツのミッションを偽加藤が完遂してしまうとガンツ部屋に来られてしまうから、ミッションを完遂できないように先に多恵を殺せ」というガンツの意志だという説明が作中にあります。ところが、チビガンツはあくまでもガンツのパシリみたいなもので、そもそもガンツの意志でOB集めをしていたはずです。「4人殺せというミッションなのに最後の一人を殺すだけで手柄になるのか?」という話しもありますし、「そもそも自分でだしたミッションなんだからミッション自体を無かったことにすればいいんじゃないか?」とか思いますが、やっぱり何の説明もないので良く分かりません。
実はここも含めて今回の作品では「GANTZ」の設定そのものが持っている変な所がかなり目立ってしまっています。例えば冒頭の黒服ミッション編です。GANTZの世界ではミッションが始まると異次元に迷い込んでターゲットの星人以外は誰もいない世界でバトルが行われます。ところが異次元で破壊された建物は現実でも実際に壊れます。これは前作でも何度か描写されています。
そうすると当然思うのは、「ミッションが始まる瞬間、ターゲットの星人はどうなるのか」です。ガンツの討伐メンバーは変な光で転送されますが星人もそうなのでしょうか? でもそんなあからさまなことになったら星人側に警戒をあたえてしまいます。前作でも星人とのファーストコンタクトで星人が「自分が狙われている」という明確な警戒を抱いている描写はありませんでした。
一方、地下鉄のシーンではその逆で異次元から現実に討伐メンバーが移動して、その直後に乗客が「何かのイベントかしら?」とつぶやく描写があります。人が急に現れたら「イベントかしら?」じゃすまないと思うのですが、これは現実側からはどういう風に見えていたんでしょう?本来こういう部分は気にしないで適当にスルーするべきなのですが、下手に「現実とリンクする」という展開にしたためにワケの分からないことになっています。
とはいえ、設定や描写の変さというのはそれ以外が良ければ勢いで何とかなったりします。例えば前述の地下鉄のシーン。普通地下鉄には緊急安全装置が付いてますし司令室から送電停止すると止まります。本作では運転手が殺されていますし、発砲事件になっているのですからすぐに止めてしかるべきです。また本作では前方の電車に追突もしないですし対向列車とすれ違うこともありません。明らかに変です。でもそんな細かいことは気にならないくらいアクションが良く出来ているため、こういった描写のおかしさはあまり気になりません。
特に後半につらくなっていく一番の理由は、作品に玄野と多恵のヌル~い恋愛要素が入り始めるからです。せっかく玄野が多恵を背負って逃げるという良いシーンなのに、途中で突然手を引いて走り出したり(※背負ってるときはガンツスーツのおかげで超速いですが、手を引いてるときは普通の人間の早さです。じゃないと多恵の腕がもげます。)いきなり甘ったるい愁嘆場を展開したりします。前編では西君がスーツのステルス機能を使う描写がありましたが、よりによって今回は追いかけっこの最中に誰一人ステルス機能を使いません。なによりシラケるのは、鈴木と多恵が二人で逃げる場面です。よりによってここのシークエンスでは、予想外に見つかったり画面の外から急に攻撃されたりする描写が一回もありません。かならず追っ手側は画面の向かって奥からゆっくりと現れ、鈴木達にXガンを向けながら警告します。さっさと撃てばいいのに、そして不意打ちすればいいのに、何故か一回もそういった行動は取りません。これは偽加藤にも言えます。偽加藤はかなりジェントルメンで、目の前でいちゃついているのを待ってくれたり、わざわざ多恵がすぐに死なないように急所をはずして3回も甘く切りつけたりしてくれます。あまりのジェントルメンぶりにちょっと涙が出てきました。アクビのせいですけど、、、。
そうなんです。相変わらず後半は安い泣き脅しの展開になってしまうんです。せっかく前半はアクションのテンポが良かったのに、後半はいつもどおり愁嘆場を演じて、いつもどおり致命傷を負ってるのになかなか死ななくて、いつもどおり都合の良い生き返り方をします。最終盤なんて銃弾の嵐で蜂の巣にされてるのに、加藤はピンピンしていて、玄野はハァハァいいながらも10分ぐらい雑談する余力があって、それなのに他のメンバーはみんな即死なんです。意味がまったく分かりません。主人公補正かかりすぎ。というか本来はここのシーンって玄野以外はみんな虫けらのようにあっさりと死なないと成立しないんです。そこで絶望するから自己犠牲に繋がるわけで、劇中だと別に玄野がそういう決断をする必要はなくて他のだれかでも良いんです。そもそも玄野って本当は死んでいてガンツに生かされている立場なんだから、最終盤の状況はマッチポンプになっておかしいでしょ。電池を入れ替える際には一瞬とはいえ電源が落ちるわけだから。
今回の作品では、「ガンツとは何だったのか?」とか「星人って何なのか?」という事に関しては全く触れられません。でもそれはOKです。「CUBE」シリーズが「CUBE ZERO」で設定を説明された途端にものすごいズッコケたように、おそらくガンツについても下手な説明があるくらいなら謎のままの方がSFとして遙かに面白いはずです。
ただ、「多恵が何故チビガンツに召還されたのか?」というようなストーリーの流れを把握するために絶対に必要な部分まで説明がないのは頂けません。あまりにもそういった細かい部分の整合性がとれていないため、とても難解でわけのわからないストーリーになってしまっています。(もちろんGANTZの大ファンなら描かれていない部分も汲み取って想像で補ってやることはできますけど、、、)

【まとめ】

とまぁグダグダとグチを書いてきましたが、前作を見た上で本作を見るかどうか悩んでいる方は間違いなく観た方が良いです。少なくとも漫画に囚われずに映画は映画でまとめるんだという制作者側のガッツは見ることが出来ますし、なにより前半の地下鉄バトルまでは本当に面白いです。
私は冒頭で「中高生の女子が一杯入っていることに言いたいことがある」と書きましたが、たぶん一番の微妙な点はここだと思うんです。GANTZの話しは本来的には「魔物狩り」の話しであり、それってグロい描写と相まって非常にアクション色やカルトSF色・モンスター映画色が強い作品なんです。だから当然それは男の子向けなワケです。本作は主演と準主演に二宮和也と松山ケンイチというあんまり演技の上手く無いアイドルを起用することで、女性向けなマーケティングに寄らざるを得なくなったように思います。結果、話しの本筋に全く関係無い薄っぺらい恋愛要素が入ってきて、それがせっかくのアクションシーンのテンポを壊滅的に破壊していきます。そうすると残るのはいつものテレビ屋映画、大袈裟でテンポが悪い愁嘆場の連続になってしまいます。
せっかく作って貰ってなんですが、多分GANTZの映画化はVシネのように限られた予算でアクションに徹した方が良い出来になったと思います。そういった意味では惜しい作品でした。
とりあえずしばらくは劇場で掛かっていると思いますので、迷っている方はゴールデンウィークの合間にでも暇つぶしで見てみて下さい。前半は結構テンション上がります。オススメします。

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記事の評価
孫文の義士団

孫文の義士団

水曜日は久々にレイトショーで

「孫文の義士団(原題:十月囲城)」をみました。

評価:(70/100点) – 「長坂橋仁王立ち」が5回も見られるなんて!!!


【あらすじ】

時は1906年。西太后の圧政が吹きすさぶ清朝から逃れるため、民主革命を志す本州人達はイギリス領香港へと渡ってきていた。そんな時、日本へと逃げ延びていた革命運動の首謀者にして革命団体・中国同盟会の創設者・孫文が香港を訪れるとの情報が流れる。そして孫文の渡航に合わせて清の本土からも各地の革命指導者達が集合し会議が開かれるという。
しかし、この情報は西太后にも伝わっていた。西太后は反政府分子を一網打尽にするため、500人からなる暗殺集団を差し向ける。一方の革命家たちは香港で護衛団を結成する。孫文の滞在時間はわずか1時間。護衛団は果たして一時間を持ちこたえることが出来るのか、、、。


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【感想】

水曜日は昨年の香港電影金像奨のグランプリ作品、「孫文の義士団」です。レディースデーだからなのか香港スター全員集合だからなのか、女性の一人客が結構居てちょっとビックリしました。カンフー映画なのに、、、。
最近は「*****版エクスペンダブルズ」という表現が非常に多くて大変喜ばしい限りですが(笑)、本作も「香港版エクスペンダブルズ」の名に恥じぬオールスターっぷりを披露してくれます。ちょい役なのにいきなりサイモン・ヤムが出てきたり、いつも以上にヘタレなドニー・イエンや浮浪者のレオン・ライ、敵のパシリでストライクフォースのカン・リーまで出てきます。そして話しのフォーマットも昨年の「十三人の刺客」に似ています。少数対多数の集団戦をメインにして、それまでの過程を前振りとしての前半でさらっと見せます。
ただ、「十三人の刺客」と比べればまだ丁寧に前振りをしている方だと思います。本作の話しの軸は数々の親子関係です。革命に賛同しながらも息子にはまっとうな人生を臨むリー・ユータン。酒とギャンブルにおぼれて娘と会えなくなったシェン・チャンヤン。両親が自分のせいで死んでしまったリウ・ユーパイ。父の弔い合戦に挑むファン・ホン。育ての親の恩に報いるために命を賭けるアスー。革命家のシャオバイと破門僧ワン・フーミン以外の全ての護衛団は親子関係を動機として行動します。この辺はきちんと統一されていますし、きちんと描く部分を整理していて頑張った跡が見えます。
ところが、、、やっぱりアクションの繋ぎ方がちょっとワンパターン過ぎます。なにせ本編である「孫文の滞在1時間」が始まってからというもの、「刺客が襲ってくる」→「護衛団の誰か一人が仁王立ち」→「護衛が敵を決死で食い止めるが力尽きる」→「次の刺客が襲ってくる」というパターンを延々と見せられます。たしかに一回一回のシチュエーションは非常にテンションが上がりますし、特にドニー・イエンはやっぱり圧巻のクオリティです。ただ、、、ただですね、、、、全体的にワイヤーを使いすぎなのとカメラの動きで誤魔化しすぎで、正直なところアクションについてはおしなべて中の上っていう位のクオリティです。
なんというか、、、せっかく豪華なメンツを使ってお祭り的なエンタメ映画を作っているのに、いまいち絶賛しきれない感じなんです。もちろん所々演出上で上手い部分はあるんです。孫文が1905年に死んでいないのは誰でも知っていることなので、物語は途中で「孫文の影武者を守れるかどうか」という話しにスライドしてちゃんと最後までハラハラさせる展開にしますし、孫文ほどの大メジャー人物に興味が移らないようにワザと孫文の顔を最後の最後まで映さなかったり、工夫の跡は結構見られます。とはいえあんまりテンションが振り切れるような熱血展開も無いまま、気付いたらなんとな~く終わっています。決め絵は本当に格好良いんです。レオン・ライが鉄扇を持って階段で仁王立ちするのなんか鳥肌ものの格好良さです。
なにが物足りないかと考えると、キャラクターとアクションの説得力だと思います。本作では護衛団同士の連携があんまりありませんので、どうしても一種のシチュエーション演舞に見えてしまうんです。「ここから5分はクリス・リーの時間」とか「ここからはレオンの出番」となっているため、前後とのつながりが全然ありません。そうするとそこまでの流れが一切関係なく俳優のプロモーションタイムが始まっちゃうんです。それでいてアクションを誤魔化してるのはさすがにちょっと厳しいです。

【まとめ】

全体的には面白いですし、概ねエンタメ映画としては良く出来ています。個人的にアクションを期待しすぎていただけのような気もしますが少々物足りなさが残ってしまいました。さすがに「十三人の刺客」と比べるのは厳しいですが、面白い映画なのは間違いないですし歴史を知らなくてもシンプルなエンタメ構造なので十分に楽しめます。オススメかどうかと言われれば、それはもう当然オススメです。アクションはニコラス・ツェーも出ている新作「新・少林寺」に期待しましょう。オススメです。

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キラー・インサイド・ミー

キラー・インサイド・ミー

昨日の日曜日は1本、

キラー・インサイド・ミー」を見ました。

評価:(50/100点) – サイコパス視点のカントリー映画


【あらすじ】

ルー・フォードは紳士的な性格で皆から愛されているテキサスの保安官助手である。ある日、彼は町外れで売春を行っている女を追い出すようボブ保安官から依頼を受ける。女の元に向かったルーだったが、彼は彼女に魅了されてしまう、、、。


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【感想】

日曜日は一本、「キラー・インサイド・ミー」を見ました。そこそこ話題のサスペンスでしたがあまりお客さんは入っていませんでした。
実は正直なところ、どう扱ったらいいか困ってます。というのも、本作は典型的なサイコパス・シリアルキラーもので、別段書くような内容がないからです(笑)。幼少時のトラウマからサイコパスになった男が、なんだかんだで人を殺しまくっていくだけです。本作で特徴的なことがあるとすれば、対位法を多用して悲惨な場面にオペラやカントリーミュージックを掛けてくる部分です。でもそれ以外はごくごく平凡なサスペンスです。
ルーを徹底マークするハワード検察官も別段なにかをしかけてくるわけではありませんし、先輩のボブも最後までルーを信用してくれます。恋人のエイミーも最後までルーの味方ですし、ジョイスもそうです。強いて言えばルーを劇中で誰からも愛される魅力的な人物で「どんなに酷い事をされても嫌いになれない」人物として描いているとも見られるんですが、、、、でもそれっていつもの甘やかしってことです。
じゃあ実際にスクリーンに映っているルー・フォードが魅力的な人物かと言われると、、、、、それは別に、、、、って感じがして何とも煮え切りません。
なので、完全にフラットな意味での50点です。面白くないけどつまらなくも無く、飽きはしないが特別興味も湧かない。
たま~~にありますね、こういう本当にどうでも良い映画(笑)。
ということで、オススメデーーース。(←眠すぎて超適当)

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エンジェル ウォーズ

エンジェル ウォーズ

土曜は一本、

エンジェル ウォーズ(サッカー パンチ)」を見てきました。

評価:(70/100点) – さすがザック!!! オタク丸出しのダークファンタジー!!


【あらすじ】

母の遺産を全て継ぐことになったベイビードールと妹は、継父に逆恨みされ命を狙われる。妹は継父に殺され、ベイビードールはその殺人の罪を着せられ(※)レノックス・ハウス精神病院に入れられてしまう。
継父に買収されたレノックス・ハウスのブルー・ジョーンズは、ベイビードールにロボトミー手術を行って廃人にしようとする。ベイビードールは果たしてレノックスから脱出することができるのだろうか?
※ http://www.metacafe.com/watch/6185190/exclusive_six_minutes_of_sucker_punch/
  何度かこのシーンを見直してるんですが、ベイビードールが撃った弾が誤って妹に当たっている様な
  演出にも見えます。その場合普通に逮捕されただけです。

【三幕構成】

第1幕 -> レノックスへの入所とロボトミー手術
 ※第1ターニングポイント -> ベイビードールが始めてダンスを踊る。
第2幕 -> 脱出作戦。
 ※第2ターニングポイント -> 脱出作戦がばれる。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今週の土曜日は信頼できるバカ(笑)、ザック・スナイダー監督の最新作「エンジェル ウォーズ」を見てきました。新宿ピカデリーでは半分ぐらいの座席が埋まっていたと思います。アメリカでは漫画オタク狙い撃ちなマーケティングをして見事に興行的に大コケしていますが、日本ではファンタジー色を前面に出して上手い具合にその辺りはぼかしています(笑)。とはいえ、アイドル声優ユニットのスフィアを吹き替えのメインどころに起用して、ちゃんとオタクを狙い撃ちにしてはいます。このマーケティングがすごい嫌だったので(笑)、あえて字幕上映に行ってみました。なんですが、字幕公開館が少なすぎです。3D映画以外でここまで吹き替えに偏重しているのはかなり異例です。

ここでいつものお約束です。本作にはいわゆる”オチ”がつきます。オチが付くんですが、構造上そのオチを前提にしないと色々と説明が出来ません。ここ以後、直接的なネタバレが含まれます。未見の方はご注意下さい。とりあえず本作は確実に面白い映画ですので是非見に行って下さい。かなりオススメです。

本作の構造

いきなりネタバレから話しを始めたいと思います。
本作はデヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ(2001)」と同じ構造をしています。要はある少女の夢見心地な走馬燈の話しです。それを時系列で見てみましょう。

物語はベイビードールが過去形で喋るモノローグから始まります。冒頭は台詞無しで彼女がレノックス精神病院に入れられるまでの経緯が描写されます。そして開始7分~8分ぐらいには彼女は椅子に縛られロボトミー手術(※目の上に長い釘を刺される治療)を受けます。その釘がささる瞬間に突然舞台が変化し、売春宿の話しが始まります。ロボトミー手術自体は夜の出し物の舞台で、縛られていたのはスイートピー。スイートピーは唐突に「やめやめ!!」と宣言し、そこから舞台がガラッと変わります。ベイビードールは夜の舞台で踊るダンスの練習をさせられ、その踊りの最中に突如迷い込んだ夢の中で老人に「5つのアイテムを探して自由を勝ち取れ」と教えられます。必要なアイテムは「地図」「炎」「ナイフ」「鍵」、そして最後だけが謎。ベイビードールはスイートピーを含めた4人の仲間と共に、この売春宿からの脱出を謀ります。本作はこの4人+1人の脱出作戦がメインになります。色々あって物語の終盤、舞台は再びレノックスに戻りロボトミー手術を受けた直後のベイビードールが映されます。そしてそこで事の真相が明らかになります。

この物語はベイビードールがロボトミー手術を受ける瞬間の頭の中を描写しています。彼女は妹を助けられなかった自責の念とレノックスに入ってからブルー・ジョーンズに受けた虐待によって、そのとき既に頭がおかしくなってしまっています。これにより彼女の走馬燈(=回想)は彼女の妄想によって実在の登場人物や舞台の設定が変わってしまっています。実際にレノックスで起きた出来事がそのまま歪んだ形で描写されていますので、これは夢の様なものです。現実の人物が彼女の印象によって別の設定で登場してきます。この回想の中で語られる出来事に「スイートピーとロケットという姉妹の話」があります。このエピソードで、ベイビードールがこの姉妹を助けることを自分の「運命」と割り切ったことが伺えます。自分の妹を助けられなかったことを悔いた彼女がいかにレノックスの中で振る舞い、そして受け入れたのかが明らかになります。

最後の最後、エピローグとして登場するスイートピーのバス停シーンはまるでベイビードールの見た妄想です。なぜならバスの運転手として登場する老人は唯一ベイビードールの回想の中のさらにファンタジーシーンだけで登場する人物で、彼女に助言を与える人物、すなわち彼女自身の意識の投影だからです。そして本作は完全にベイビードールの一人称視点であることも言及しないといけません。本作の妄想シーン以外は全て彼女の見た(=見られる)シーンで構成されています。このあたりは冒頭でベイビードールが鍵穴から継父が妹を襲いに行くのを見るシーンで印象づけられます。

ということを踏まえると、本作は病んだハッピーエンドだということになります。妹を助けられず継父に嵌められた少女が、精神病棟からの脱出を試み、そして仲間が犠牲になりながらもスイートピー(=精神病院にいれらている姉妹の姉。)だけを脱出させることに成功します。ベイビードールはロボトミー手術を受け、その瞬間に自分の人生を「自身の境遇に似たスイートピーを助けるためのものだった/彼女が主役だった」と割り切って納得します。そして壊れた心の中で、スイートピーが脱出した後で見事に故郷に戻るというハッピーエンドの妄想に閉じこもります。もちろん実際にどうなったかは分かりません。誰かを逃げそうとしたのは間違いないですが、本当に逃げられたのかもしれないですし、妄想かもしれません。

この辺はオリジナル版(143分バージョン)の「未来世紀ブラジル」とも同じです。

ザック・スナイダーの頭の悪さ(笑)。

という基本的なフォーマットを言い訳に使いつつ、本作は予算の限りをアクションとパンチラにつぎ込んできます(笑)。いきなりフェティッシュなコスチュームでパンツをチラチラ見せながら刀を振り回してゾンビをぶっ殺しまくるわけで、これは完全に言い訳できません(笑)。

パっと見ただけでも、ベイビードールは押井守の「Blood The Last Vampire(2000)」、最初のファンタジーシーンは純オリエンタルな「鬼武者(2001/Play station)」、その次のナチスとの戦争シーンはスチームパンク風の「ナチス・ゾンビ 吸血機甲師団(1980)」「処刑山 -デッド・スノウ-(2009)」に「サクラ大戦(1996/Sega Saturn)」のロボット付き、さらに中世ファンタジー風の「ドラゴン・ハート(1996)」「ロード・オブ・ザ・リング(2001~2003)」、その後の暴走列車は「スパイダーマン2(2004)」や「バットマン ビギンズ(2005)」「ファイナルファンタジー7(1997/Play Station)」のような近未来風な舞台で「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス(1999)」風の対アンドロイドのチャンバラ活劇。きちんとやりたいことをぶち込んだ上で好きなように予算を使っています。まさにオタクの夢可愛い女の子達に可愛いコスチュームを着せて好きなようにゾンビやロボットをぶち殺すアクション映画を撮る。70億円もかかったあまりにもスケールがでかい中二病ですが、ある種の到達点という感じがして大変好感が持てます。というか画面からもハッキリとザック・スナイダーがはしゃいで居るのが分かります(笑)。

本作は「ガフールの伝説(2010)」という本当に酷い企画の映画を撮ってきっちりと利益を出してみせたザック・スナイダーへのワーナーブラザースからのご褒美の意味合いが強いです。

WB:「よくやったザック。予算をやるから好きな映画を撮って良いぞ。」
ザック:「マジッスか!?じゃあアクションものやらせて下さい!!!! パンチラとゾンビ多めで!!」

ってなもんです。まぁいいんじゃないですか、、、楽しそうだし(苦笑)。一応本作全体という意味での一番の元ネタはイギリスのロックバンドコンビ「ユーリズミックス」のセカンドアルバム「スイート・ドリームス」です。本作のレノックス・ハウスの名前もこのユーリズミックスのアニー・レノックスから取ってますし、冒頭でそのままずばりこの曲が流れて「レノックス・ハウス」の門が映るというコントみたいなシーンもあります(笑)。

ザックの素晴らしい所はこういう元ネタを一切隠さないことです(笑)。クリストファー・ノーランやダーレン・アロノフスキーは元ネタを指摘されてもしらばっくれるのですが、間違いなくザックはそこからオタク話に花が咲くタイプです。つまり生粋の良い人。クエンティン・タランティーノとかJ・Jエイブラムスみたいな明るいリア充オタクです(笑)。

【まとめ】

とりあえず男の子は見に行って下さい。苦笑しながらも微笑ましく見られること必至です。大傑作というわけではないですが、ザック・スナイダーが趣味丸出しで好きなことを好きなようにやっているそのテンションの高さは感じとれると思いますし、そのテンションがフィルムから否応なく漏れ出しています。ちょっと吹き替えを見に行く気力はないですが、字幕版であれば終了前にもう一回ぐらいは見に行こうと思っています。こういう無駄使いなバカ映画は無駄に大きなスクリーンで見た方が面白いに決まってますから(笑)、DVD待ちと言わずに劇場に駆けつけましょう。オススメです。

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ザ・ライト -エクソシストの真実-

ザ・ライト -エクソシストの真実-

今日は一本、

ザ・ライト -エクソシストの真実-」を観てみました。

評価:(25/100点) – クライマックスの手前で終わるエクソシスト。


【あらすじ】

マイケルは家業が嫌で全寮制の神学校への進学を決める。それから4年、卒業を間近に控えたマイケルは信仰の少なさから司祭になることを辞退しようとする。そんな矢先、先生であるマシュー神父からバチカンへの短期留学を勧められる。それはエクソシストを養成するための特別講座だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マイケルの留学。
 ※第1ターニングポイント -> マイケルとルーカス神父との出会い。
第2幕 -> エクソシズム。
 ※第2ターニングポイント -> ルーカス神父が取り憑かれる。
第3幕 -> マイケルと信仰。


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【感想】

今日は公開が延び延びになっていた「ザ・ライト -エクソシストの真実-」を見て来ました。アンソニー・ホプキンスが物知りでちょっとマッドなメンター役という企画の時点ですでに面白いに決まっているワケですが、、、オカルトっていうよりは青年の成長物語でした。
所々のテイストは「エクソシスト(1973)」ですし、劇中でも「頭が回ったり黄色い反吐を出さなくて拍子抜けか?」という明らかに「エクソシスト」を意識したセリフが出てきます。主人公は「エクソシスト」と同じく悪魔を信じない(見習い)神父で、その彼がベテランのエクソシストと共に悪魔と戦うことで信仰と決意を深めます。
ということで、基本的なプロットはエクソシストとほぼ同じです。
両作品の決定的な違いは話しの趣旨です。「エクソシスト」は悪魔憑きに否定的だったカラス神父がいろいろあって悪魔払いを決意し、そして悪魔の長年のライバル・メリン神父とともに戦います。しかし、、、というのがエクソシストがカルト的な人気を誇る理由です。対して本作「ザ・ライト」は神父見習いのマイケルがいろいろあって信仰を取り戻し悪魔と戦って終わってしまいます。本作のメインはマイケルという不信心者が信仰を取り戻す話しであって、悪魔払いはその手段でしかありません。明らかに「エクソシスト」の一歩手前で話しが終わっています。約40年前の映画に影響を受けながらそれより温くなるってのは本末転倒です。
少なくとも劇中ではいきなり最初の悪魔払いでクライアントが口から釘を4つも出しているので、マイケルがそれを見ながらもなお悪魔の存在に懐疑的であるというのが説得力に欠けます。「証拠を目の前で見せられてもなお信じたくない」ほどの理由があればまだしもなんですが、本作で示されるのはそこまでの理由ではありません。彼が信仰を失ったのはある事件によって「神様は無力だ」「こんなことが起きるなんて神様は居ないのか」と思ったからです。
しかも、よりによって、本作でマイケルが信仰を取り戻すのは、信仰を失うきっかけになった出来事を乗り越えたからではないんです。もうどうしようもなく悪魔の存在を認めざるをえなくなって、彼は信仰を取り戻します。これはさすがに無いです。信仰を失ってから取り戻すまでの話しなのに、その2つが対応していないんです。そうすると「成長した」というよりも「観念した」という風に見えてしまいます。これによってマイケルがただの甘えたお坊ちゃんに見えます。結構台無しです。
本作ではこの「信じること」「信じないこと」をキーワードに話しが組み立てられています。不気味で胡散臭いルーカス神父を信じることができるかどうか。不可思議な事が目の前で起きているとき、それが超常現象ではないと断言出来るかどうか。つまりは、本作ではオカルト的な要素は直接話しとは関係なく、あくまでも「信仰」がメインなんです。これは劇中でもさらっとセリフで説明されます。ルーカス神父の「不信心者はすぐに科学的な証拠を求める。」「信仰とは胸の内にあるものだ。」というものです。はからずも全体を通して宗教の持つ危険性(=盲目的な信仰の詐欺性)が見えちゃってるわけですが、たぶん制作者の意図ではありません。
さらに、オカルト的な面でも悪魔払いの描写が結構微妙です。本作の悪魔は腕力に頼りすぎです。エクソシズムというのはエクソシストが悪魔を「言葉で追い払う」んですね。ですので、悪魔側も暴力に頼っちゃいけないんです。基本的には悪魔はエクソシストに対して「信仰を揺るがす言葉」をつかって「罪を行うように誘惑」し、それに対してエクソシストは「揺るぎない信仰」でもって対抗するんです。でも本作ではすごい勢いで悪魔が暴力を振るってきます。これだとアクション映画になってしまいます。これが相当がっかりです。

【まとめ】

決してつまらない作品ではないんですが、ちょいちょいテンションが落ちる箇所が出てきます。結果としては今一歩な感じが否めません。もちろんアンソニー・ホプキンスはいつもどおり最高にマッドですし、コリン・オドナヒューもちょっと何を考えているか分からない不思議なイケメンが雰囲気を盛り上げています。オカルト・ホラー好きにはちょっと微妙ですが、描写がかなりソフトなハリウッドエンタテイメントですのでとりあえずそこそこ楽しめるとは思います。

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