ニュームーン/トワイライト・サーガ

ニュームーン/トワイライト・サーガ

「ニュームーン/トワイライト・サーガ」を見てきました。予想はしてましたが女の子ばっかでした。

評価:(30/100点) – ティーンエイジャーの女の子&腐女子向け”萌えアニメ”映画


【あらすじ】

ベラの誕生日に恋人の吸血鬼エドワードはカレン家に彼女を招待する。しかし、パーティー中にベラが指を切ってしまったことで状況が一転、興奮したジャスパーが彼女を襲おうとしてしまう。危機感をもったエドワードはカレン家全員でベラの元を離れる決意をする。エドワードと離れ傷心のベラを助けたのはジェイコブだった。いつしかジェイコブに惹かれるベラだったが、映画館でのトリプルデートをきっかけに急に音信不通になる。心配するベラは彼の家を訪ねるが、そこには風貌の変わったジェイコブの姿があった。彼の血脈が街にやってきた吸血鬼達に影響され人狼として目覚めたのだ。そんな中カレン家の仇敵ヴィクトリアがベラを襲う。間一髪ジェイコブに救われたベラだったが、その最中にベラが自殺したと誤解したアリスが彼女の元を訪ねてくる。アリスとのテレパシーで事態を知ったエドワードはベラが心配になってとうとう電話をかけてくる。しかし電話に出たジェイコブがベラが死んだと誤解を与えてしまう。絶望したエドワードはイタリアのヴォルトゥーリ家を訪ねて死刑を求める。ベラはアリスと共にイタリアに急行しなんとか事なきを得、ついに2人は再会する。吸血鬼へ変身してエドワードと共に生きることを求めるベラに、彼は一つの条件をつける。それは彼との結婚だった、、、。


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【感想】

■はじめに

本作品は「トワイライト・サーガ」全4作の映画化第2弾です。1作目は「トワイライト~初恋~」の題で今年の春公開、本作「ニュームーン(新月)」を挟んで3作目「エクリプス(日蝕)」が来春に公開されます。そして最後の「ブレイキング・ドーン(夜明け)」が来冬と2011年春に前・後編で公開予定です。
なんでこんなに映画化されるかというと、早い話が「トワイライト・サーガ」はアメリカの10代女子と30代オタク女子に絶大な人気をもつ「ライトノベル」なんですね。日本ではいまいちマイナーですが、アメリカでは各作品が500万部以上売れてる大ベストセラーでして、日本でいうとドラゴンボールとかガラスの仮面ぐらいの感覚の知名度です。ということで「トワイライト~初恋~」は日本では見事に転けましたが、本作はアメリカで公開初日興収で歴代3位に入った大ヒットでした。
なんですが、、、ぶっちゃけた話、オタク向けの作品なので何回も見に行くリピーターが多いのも事実でして、そこまで評判良い「名作!」って感じの空気ではありません。
というのを前提として、以下の感想を読んでいただければと思います。。

■ 感想

本作は、なんやかや言わずとも冒頭に書いた一文が全てです。「ティーンエイジャーの女の子&腐女子向け”萌えアニメ”映画」。
要はベラという「いたって普通で特別な才能も無い女の子」が実は「吸血鬼に取って特別魅力的な血を持っている」という先天的な要因ゆえにイケメンな優男の吸血鬼にモテモテになるという話です。さらには吸血鬼の天敵の人狼まで出てきて、やっぱり肉体派のイケメン人狼にモテモテ。違ったタイプのイケメン2人にモテモテ。終盤で「わたしのために争わないで~~~~!!!」というギャグを大まじめにやってきて失笑ものなんですが、まぁその一言が全てです。
すっごい俗な事を言ってしまえば、女性向けの「ギャルゲー」です。だから男の性格付けなんかは割と適当です。大事なのはベラにベタ惚れしている点です。あとはフレキシブルに(笑)脳内補完でカバーする感じです。
ただ一点だけ気になるというか頭にくる点があります。あくまで個人的な考えだという断り付きですが、どうも「吸血鬼」「人狼」というのを「恋の障害」としてだけ描いているように見えるんですね。本作では作中で吸血鬼が人間を襲う様子は直接描かれません。人狼も同様です。恋愛における女性心理の一つに「私だけが知っているor許せる彼の欠点」というのがありますが、それに使われてるんです。だから人ならざる者の悲哀とか狂気は描かれません。それがエスカレートしてしまったのか、ベラは終始「吸血鬼になりたい」を繰り返します。カレン家の人間が吸血鬼の「呪い性」を説いてもまったく聞きません。
別にこの程度のラノベに怒ることでも無いんですが、「アンダーワールド・ビギンズ(Underworld: Rise of the Lycans)」という吸血鬼と人狼の良作ラブ・ストーリーを今年見たばかりだったので、本作の薄っぺらい感じがどうも気になるんです。
ま、でもティーンエイジャー向けファンタジーとしては全然OKです。

【まとめ】

やはり二日連続で女性向け映画を見るのはキツいです(笑)。本作は意外とCGも悪くないですし、演出とストーリーのショボさを無視すればそれなりに楽しめます。ただし、初日興収で全米歴代3位というのは少々納得いきません。たしかに本作の男達は上半身裸が基本ですから、女性向けのソフト・ポルノと思えば分からんでも無いんですが、、、どうなんでしょう(苦笑)。
あと男達の一途さとは裏腹に主役の女の子が浮気性ってのも基本ですね。たぶん「花より男子」で喜べる人なら問題無くハマれると思います。なんだかんだで僕も残り三作品を劇場で見ると思いますし、、、中学生とおばちゃんの横で肩身狭くですが(笑)。
ということで、夢見る10代の女性と夢に逃げたい30代の女性にオススメです!!!

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PUSH 光と闇の能力者

PUSH 光と闇の能力者

いろいろと微妙な噂を聞く「PUSH 光と闇の能力者」の微妙さを確かめてきました。
評価:(60/100点) – 最近このパターン多いですがアイドル映画としてOK。


<あらすじ>
ニック・ガントは物を操るムーバーである。あるとき彼の元に予知能力を持った少女・キャシーが現れる。あるカバンを手に入れると政府機関ディヴィジョンに捕らえられた彼女の母が救えるらしい。ニックはディヴィジョンから脱走したかつての恋人キラと共にキャシーに協力していく、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> ニックのキャラ紹介
 ※第1ターニングポイント -> ニックが目覚めるとキャシーが睡蓮を持っている
第2幕 -> カバンを探して奔走
 ※第2ターニングポイント -> カバンがとある建築中のビルにあるのが分かる
第3幕 -> カバン捕獲作戦


<感想>
今回は「微妙でした」と一言で終わらしちゃっても良いんですが、結構良いテキストになりそうなのでCGとストーリー構成について考えたいと思います。
■ 舞台とCGについて。
本作の舞台は香港です。この「アジアでありながらイギリスっぽくもある折衷感」があんまり使えておらず、なんで香港にしたかがよく分からないのが正直なところです。おそらく俳優を欧米人で固めたいけれど中国の胡散臭い感じも出したいということだと思いますが、どうにも俳優が浮いちゃってるんですね。あきらかに風景に溶け込めておらず、隠れて逃げてるはずなのに超目立つという失笑ものの事態になってしまっています。
この溶け込めない感じはCGを使ったアクションシーンにも言えます。念力みたいな空気のゆがみが飛んでいったり、かと思えばどうかってぐらいに合成感たっぷりな閃光が散ったり、お金が掛かってるんだか掛かってないんだかよく分からない微妙なチープさを醸し出しています。いかにも「スタイリッシュなアクションだろ!」と自己主張する外連味たっぷりなカメラワークをしてくるんですが、それが一段とダサさを補強してしまっていてなんか可哀想になってしまいます。
根本的な話になってしまうんですが「超能力」を映画で表現する時にCGを使うのは結構勇気がいります。というのも、通常それは「目に見えない」物であるからです。もちろん空気がゆがむとかそういう物理現象が発生するのは良いのですが、それをやり過ぎると完全にマンガ表現になってしまうんです。同じ「超能力で相手を吹っ飛ばす」にしても、例えばスターウォーズでは単純に相手が吹っ飛んでいきます。フォース自体をCGで可視化することはしません。それは明らかに安っぽくなってしまうからです。CGを使えばはまさにお絵かき感覚でいろんな要素を画面に作ることが出来ます。でも嬉しくなってやり過ぎちゃうと貧乏臭くなってしまいます。このサジ加減と自己抑制がイマイチ崩れてしまっているように見えます。
格好良くするためには「描くこと」と「描かないこと」をバランス良く調整しないといけないという良い教訓となっています。
■ ストーリー構成について
○物語における主人公のステップアップ
とはいえ、前項に書いてきたことはあくまでも絵の安さであって、B級映画好きには特別欠点には見えません。むしろ本作で問題なのはストーリー構成についてです。
皆さん、ドラゴンボールというマンガをご存じでしょうか?よく分からない方はドラクエとかファイナルファンタジーのようなRPGゲームを想像してください。
主人公は最初かなり弱いです。ところがいろんな敵と戦ってどんどん強くなっていきます。そして最終的には世界を救っちゃったりします。
ここには二つの大事な要素が入っています。一つは主人公が成長していくという点。もう一つは敵が段々と強くなっていく点です。これは成長していく主人公がその時々で頑張らないと勝てない「自分よりちょっと強い相手」を倒していく必要があるからです。
つまり、レッドリボン軍と戦ってるときにいきなりフリーザが攻めてきたら地球は全滅しちゃうわけです。セル最終形態を倒した後に桃白白が出てきても、下手すればデコピン一発で倒せてしまうわけです。主人公の成長と敵の強さは綺麗に比例していないとシラけてしまうという事です。
映画のストーリーにもこれと同じ事が言えます。主人公は物語上いろいろな困難をクリアし、話が進んでいきます。困難は最初が一番易しく、終わりに向かってどんどん難しくなっていきます。これを次々と越えることで主人公はステップアップしていくわけです。そして最終的に大きな困難を乗り越えるカタルシスが待っているわけです。これがクライマックスです。では本作について、簡単に敵を見てみましょう。
○本作における戦闘歴
まず冒頭の市場で襲われるシーンでは中国人のウォッチャー・The Pop Girl とその弟のブリーダー・The Pop Boysが登場します。このThe Pop Girlは物語を通してキャシーに立ちはだかるライバルです。The Pop Boysは奇声を挙げて相手を流血させるという超強い能力を持っています。すなわち、このシーンはボスキャラの顔見せみたいな物です。実際にこの段階ではニックは全く歯が立ちません。
つづいての戦闘はエージェント・マックとエージェント・ホールデンをキラが翻弄するシーンです。ここではキラがプッシャーとして相手を操る能力がずば抜けていることが分かります。いきなり最強助っ人候補です。
次は飛びましてカーバーと側近ヴィクターが登場する中華料理屋のシーンです。カーバーは父親の仇(?)とも言える人物で因縁の相手です。そして側近のヴィクターはニックと同種の能力者です。すなわち、ニックにとってのライバルがヴィクターであり、ラスボスがカーバーです。やっぱり歯が立ちません。
さて、次ですが、いきなりクライマックスに飛びます。建築現場で中国マフィアとディヴィジョンとニックが入り乱れてのラストバトル、、、かと思いきや、マフィアはヴィクターと洗脳されたキラが殆ど全員瞬殺してしまい、結局ニックとヴィクターの一騎打ちになる、、、、かと思いきや、ヴィクターもThe Pop Boysの片割れに殺され、結局ニックはThe Pop Boysをちょっと竹槍もどきで殺しただけです。そして物語終了。
はい、ここまで読んでいただいた皆さんはもうお解りですね?この物語はニックが成長する様子も無ければ、成長した結果として歯が立たなかった敵を倒したりすることもありません。ストーリーの推進力がこれでもかっていうくらい不足しています。せっかく超能力者が入り乱れての大乱闘になる要素があるのに、設定を全く生かしていません。唯一正当に成長してライバルを越えるのはキャシーです。彼女は自分より能力の優れたThe Pop Girlの裏をかいて倒します。きちんと乗り越えたわけです。でも彼女だけなんです。後の人たちは成長も工夫もたいしてしません。ちなみにニックの最高の見せ場である赤い封筒配りも、あれはカーバーではなくThe Pop Girlへの対策です。みんな彼女を倒すのに夢中ですが、でも彼女はラスボスじゃないんです。駄目だこりゃ。
<まとめ>
毎度の事ながら、何故ここまで微妙なのに60点/100点かというと、それはもうハンナ・ダコタ・ファニングが可愛いからです。アイドル映画としてだったら全く問題ない出来映えです。全編通じて明らかにポール・マクギガン監督がハンナに恋をしている、フェティッシュなカット割りが続きます。ポール・マクギガンは46才で結構のっぺりした顔をしてます。、おまえその年と顔でハンナ萌えはヤバイだろとか思いつつ、堂々たるアイドル映画です。ハンナ・ダコタ・ファニングのファンなら絶対に何があろうとオススメです!

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ファイナル・デッドサーキット3D

ファイナル・デッドサーキット3D

二本目は「ファイナル・デッドサーキット3D」です。
なんか今週はホラーばっかり見てる気がします。
評価:(40/100点) – 3Dの嫌な使い方と吹き替え問題


<あらすじ>
ニックは友人とカーレースを観戦していたが、突然事故の予知夢を見てその場を立ち去る。するとサーキットで予知夢通りの大事故が起き、多くの死者がでてしまう。しかし助かった人間達にも死の運命が襲いかかってきた。
<三幕構成>
第1幕 -> サーキット場の大惨事
 ※第1ターニングポイント -> カーター・ダニエルズが事故死する。
第2幕 -> 次々に人が死んでいく
 ※第2ターニングポイント -> ジャネットが助かる
第3幕 -> 映画館での大惨事と終幕


<感想>
本作は「ファイナル・デスティネーション」シリーズの四作目です。このシリーズは全体のプロットはまったく同じです。冒頭に大事故が起きて数人が助かりますが、彼らには「死ぬ運命」がついていて、結局何らかの事故で死んでしまいます。ドラマも大してありません。言うなれば、「いかに細かい出来事を連鎖させて(面白く)人を事故死させるか」という部分を徹底的に研究している非常にストイックなブラックコメディです。
さて、このブラックコメディは1996年にテクモから発売された「刻命館」というゲームのシリーズに影響を受けています。このゲームは「罠ゲー」と呼ばれる独自性の強いホラーゲームで、主人公の館に侵入してくる敵を罠に仕掛けて次々にハメ殺していくという凄い内容のものです。このゲームはホラーとコメディを非常に上手いさじ加減で融合させて大人気になりました。「床の油で滑ったら、柱に頭をぶつけて階段を転げ落ちたあげく、暖炉に突っ込んで服に火がついた直後に、天井からシャンデリアが落ちてきた。」というように「泣きっ面に蜂」を大げさに重ねることで他人の不幸を笑おうという趣旨の嫌~な感じで楽しむゲームです。
このファイナル・デスティネーションシリーズの趣旨も全く同じで、細かい偶然がどんどん連鎖していくことで、しまいには人間が死んでしまいます。そして連鎖から死に至るまでのクリエイティビティが余りに高いために、一種の芸術性すら帯びている変テコなシリーズです。超ブラック。そして超悪趣味。でもちょっと面白い。ホラーと呼んでいいのかすらよく分からない、「珍しい生活事故のアイデア集」です。
さて、本作「ファイナル・デッドサーキット 3D」ですが、シリーズ初の3Dということで、いかに3Dを利用してクリエイティビティを広げてくるかが一つの見所になっています。結論から言いますと、良かったり悪かったり、過去作と比べると結構微妙な内容です。ちょっと偶然と呼ぶには強引な演出が多く、不自然なシーンが結構あります。
ただし本作は3Dを上手く利用しています。作中でもいろいろな「とがったもの」がどんどん飛び出して来て、思わずのけぞってしまうほどです。釘やら木片やらが目の前に飛び出してくるのは、生理的に嫌ですし本当にビックリします。いままでの3D映画にはなかった実験的な使い方をしているとても意欲的な作品です。
■ 吹き替えの問題
これは是非配給会社の方も真剣に考えていただきたいのですが、吹き替えがあまりにも酷すぎます。最近では「くもりときどきミートボール」もそうでしたが、3D映画が吹き替えのみで公開されることが増えてきています。おそらく3D映画で字幕を出すと目が疲れやすいという配慮だと思いますが、一方で吹き替えが酷いときに回避策が無いという深刻な状況を生んでいます。特に本作は素人芸能人のオンパレードで、ことごとく大根役者がそろっています。もはや文化祭レベルの棒読みオンパレードで情緒もへったくれもありません。字幕という選択肢が無い以上、この吹き替えも込みで映画の評価とせざるを得ませんから、本作の評価は作品内容以上に低くなってしまいます。もしかするとDVDでは字幕が付くかもしれませんが、是非劇場でも字幕版を上映していただきたいです。消費者に選択肢すらないのは非常につらいです。
<まとめ>
はっきり言ってドラマは全然面白くないですから、本作の評価はその「珍しい死に方」がいかに面白かったかにかかっています。こればかりは個人個人の趣味ですので、是非見てみてください。ただし、本作は非常に作り物っぽい・安っぽい演出ですが、結構ゴア(残酷)な描写があります。ブラックコメディとはいえ、残虐描写が苦手な方は止めといた方が良いでしょう。嫌なのを我慢してまで見るほど面白くはありません。
また、もしこのシリーズを見たことが無い人は、是非一作目の「ファイナル・デスティネーション」と二作目の「デッドコースター」をDVDで見てみてください。僕たちの身の回りには危険がいっぱいです。

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パイレーツ・ロック

パイレーツ・ロック

「パイレーツ・ロック」を見てきました。
評価:(55/100点) – 音楽は良いし面白いけど映画としては、、、。


<あらすじ>
1966年、イギリスBBCラジオでは週に2時間しかロックとポップが流れなかった。そんな中、海賊ラジオ局は法の届かない公海から毎日24時間、ロックとポップを流し続け、多くの国民から支持を集めていた。そんな海賊ラジオ局のひとつ「ラジオ・ロック」を舞台に、ゆるい日常をお送りする。


<感想>
面白いことは面白いんです。面白いんですが正直映画としてはかなり出来が悪いんですね。それは何故かと申しますと、結局ドラマが無いからなんです。実は上のあらすじを書くのにすごく悩みました。だって書くことが無いんです。一応映画の大枠では、「ラジオ・ロックはイギリスの風紀を乱している」として潰そうとする政府の偉い人が出てきて、彼のラジオ・ロック掃討作戦が柱になっています。なっていますが、どうでもいいというか、描写が非常に淡泊で、はっきり言って演出に全く力が入ってないんです。そんなことより熱心に描写されるのは、下品で、ユニークで、だけどすごく爽やかなラジオ・ロックのDJ達の緩い日常的な”おちゃらけ”です。
ふつう映画と言えば、一つの柱があってそこに沿うように90分なり120分かけてドラマを展開させていきます。例えば誘拐された娘を助けたり、例えば悪の親玉を倒したり、例えばお宝を奪い合ったり、なにかしら物語上のクライマックスに向けて進んでいきます。ところが、このパイレーツ・ロックにはいわゆる物語の柱がありません。あるのは魅力的なキャラクター達だけです。フィリップ・シーモア・ホフマンやビル・ナイを筆頭に、実力派が勢揃いして馬鹿な事をやりまくってます。だから間違いなく面白いんです。でもそれって映画的ではありません。
「魅力的なキャラクター達がいろいろやる」というのは、これ典型的な「ソープ・オペラ」の方式です。ソープ・オペラというのはアメリカにおける「連続ドラマの文法」の一つで、特に大きなストーリーを決めることなく魅力的なキャラクターをたくさん作って、ひたすらキャラクター同士の絡みで転がしていく劇スタイルです。今放映している作品だと、例えば「LOST」とか「HEROES」なんかが分かりやすいと思います。キャラクターごとに過去の出来事を掘り下げたり、キャラとキャラがくっついたり離れたりして際限なく話を展開させていきます。ソープ・オペラにおいては、ストーリーのクライマックスは決まっていないことが多いです。むしろ打ち切りが決まって初めてストーリーの最後を考えたりします。言ってみれば一話完結の週刊連載マンガみたいな物です。
<まとめ>
さて、以上のようにこのパイレーツ・ロックはバリバリのソープ・オペラ方式です。だから映画としては完全に駄目です。ただし舞台はすごく良いですし、キャラクター造形もなかなか魅力的です。できれば連続ドラマとして企画して欲しかったですね。連続ドラマだったら、間違いなく毎週見てたと思います。
でも少なくとも上映中につまらないと思うことは無いと思います。なにせ音楽も役者も一流揃いですから、60年代ロックが好きな方や連続ドラマが好きなかたにはオススメです。

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スペル

スペル

仕事帰り東京国際映画祭に行ってきました。
サム・ライミの最新作「スペル」です。

評価:(100/100点) – ホラーとギャグは紙一重という真理


【あらすじ】

銀行の融資係をするクリスティンは、ある日、小汚いババァのローン延長要請を断る。するとその夜ババァが駐車場で襲ってきた! ババァはクリスティンのボタンをむしり取ると呪いの言葉をかけて去っていく。その日から、クリスティンの周りに不可解な事が起こり始めた。

【三幕構成】

第1幕 -> クリスティンの日常。
 ※第1ターニングポイント -> ババァが呪いをかける。
第2幕 -> 呪いをかけられてから、四苦八苦して解決策を探すまで。
 ※第2ターニングポイント -> 降霊会の終わり。
第3幕 -> 解決編

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【感想】

はじめに

とにかく面白いです。ホラーが苦手な方には朗報ですが、この映画にいわゆる「グロい演出」はありません。すべてのショック・シーンやホラー演出は、ホラー文法に則った緻密な怖さをきちんと体現しています。しかし、たとえば血が出ると言ってもせいぜい鼻血ぐらいです。肉体破損描写もありません。ですからホラーが苦手な方も安心して(笑)見に行ってください。もちろん怖いというかビクッとする「音で脅かす演出」はあります。東京国際映画祭の先行上映でしたが、ホラー好事家が集まってるのかと思えばそうでもありませんでした。会社帰りの人といかにもな人が7:3ぐらいで、みんな終わった後はゲラゲラ笑いながら「ヤバイ」「キテる」を連呼されてました。まだ劇場公開されていない作品なので、いつもガンガンやってるネタバレは控えめにします。ですが、せっかくなので「ホラーとギャグは紙一重だ」という話、そしてホラー文法の基本について考えてみたいと思います。

ホラーとギャグは紙一重

さて今日の題目にもしましたが、ホラーとギャグは紙一重です。この感覚はホラーをあまり見ない人には分かりづらいかもしれません。そこで一般論に行く前にまずは本作「スペル」についていくつか脇道にそれてみます。

「スペル」って、、、(失笑)

まず「スペル」を見た方はこの映画がホラーだと思うでしょうか? おそらく皆さんがホラーだと言います。それはひとえにお化けが出てくるからです。では「この映画はギャグとして面白かったですか?」と聞くとどうでしょう。やはり皆さんがギャグとして良かったと言うと思います。これが何故かと言うことを考えていくわけですが、まずは原題を見てみてください。この「スペル」の原題は「Drag me to hell」です。直訳すると「私を地獄へ引っぱって」となります。これ要は「Take me out to the BALLGAME(私を野球に連れてって)」と同じ感覚なんです。つまり「地獄」が楽しい所で、「私」は行きたがってるんですね。これを見てアメリカ人は「あ、これギャグだ」と分かるわけです。
今月号の映画秘宝で町山さんがサム・ライミに「Don’t drag me~」にしなかった点を聞いていましたが、まさに普通行きたくない地獄に「Drag me~」と言ってる時点で作品全体のトーンが分かるんです。タイトル一つで作品の趣旨を全部表しているわけですから、すばらしいセンスだと思います。なので、配給元のギャガで「スペル(呪文)」などという恥ずかしいタイトルをつけた担当者は本気で反省してください。センスなさ過ぎ。サム・ライミへの冒涜です。

本題

ここからが本題です。ホラーとギャグは紙一重。これを説明するのにもっとも分かり易いのは「お化け屋敷」の構造です。皆さん、学生時代の文化祭で喫茶店とかやりましたか?たぶん文化祭のポピュラーかつ安易な出し物の一つに「お化け屋敷」があると思います。黒いカーテンで教室を暗くして机やロッカーで迷路を作った上で入ってきたカップルや客を、特にカップルを私怨を混ぜて脅かすわけです(笑)。さてこのお化け屋敷の構造は、真面目に考えるとずいぶんとマヌケじゃないですか?だって普段知ってる奴が、いつ来るかもしれないお客さんを待ってひたすらロッカーの中に入ってたりするんですよ?トイレとか必死に我慢して(笑)。つまりこれがホラーとギャグは紙一重という構造です。お化けは人間を脅かすためにひたすら待ってるんです。その待ってる方にフォーカスすると完全にギャグになるわけです。ドリフターズの定番ネタで消化器を使う幽霊コントがありますが、要はそれです。
「スペル」の中でもクリスティンをババァやお化けが脅かす演出がなされますが、特にババァについてはすべての登場シーンについて「ひたすら待ってる」んです。舞台の袖で(笑)。しかもサム・ライミは明らかにこの構造を熟知していて、いわゆる画面の端に「見切れる」演出を毎度やってきます。つまり、ロッカーの中で客が通りかかるのを待ってる友達が、ロッカーの窓からちょっと見えちゃってるんですね。ドリフの「志村!後ろ!後ろ!」を徹底的にやってるんです。是非これから見る方は、その「見切れ演出」に注目してください。ウォーリーを探せみたいなものです(笑)。
そういえば「ハリー・ポッターと秘密の部屋」で便所に住んでる女の子の幽霊がいましたが、彼女は全然怖く無いじゃないですか。それはどう見ても人間にしか見えないという要因もありますが、それにプラスして無害だからという事があります。彼女は危害を加えませんから。そうすると、幽霊の能力である「ものを透けて通れる」事だったり「飛べる」ことだったりが残って味のあるキャラになるわけです。物を投げても素通りしたり、そもそも物がつかめなかったり、そういう特徴はとてもギャグに生かしやすいものです。
「スペル」の大きな特徴は、クリスティンがお化けを怖がる描写がある一方で、彼女がとてもタフであることが挙げられます。彼女は劇中でそれこそ何度もお化けを腕力で撃退します。ここで「腕力で撃退」=「ツッコミを入れる」という構造が成立し、お化けがお化けらしく前述した特徴をいかした「ギャグ的な存在」として成立できています。ですので見ている間中、それこそ全体の六~七割程度はギャグシーンといっても差し支えありません。実際にスクリーン内で起こっていることはとても笑える状況では無いのですが、それでも笑いが絶えないのは、ホラーとギャグは紙一重という真理を上手く表現しているからです。お化けとクリスティンの夫婦漫才が行われているんです。クリスティンは命がけですけどね。

ホラー文法の基本

ホラー文法の基本はそれこそ無数にありますが、ちょっと長くなりすぎているので一個だけ紹介します。それは「いかに脅かすか」と言うことです。
みなさん、稲川淳二さんをご存じでしょうか?夏になるとテレビ番組に引っ張りだこで、怪談話のカリスマ的存在です。実は彼の話し方は「いかに脅かすか」というホラー文法に非常に忠実です。それは「集中と衝撃」というロジックです。
人間の感覚には閾値があります。閾値とは「これ以上になると~する」という境界線の事です。ホラーでは閾値を超えるとビクっとする訳です。例えば寝るときに部屋の電気を消すとします。最初は暗くて何にも見えないですね。でもしばらく経つと段々と見えるようになってきます。これは目の光に対する閾値が下がっている訳です。閾値が下がるとより少ない光を知覚できるようになりますから暗い中でも見えるわけです。ここで、いきなり電気を付けるとどうなるでしょう。すごく眩しくて目を細めますよね。これが衝撃です。あまりに閾値が低くなってしまったので、普段ならどうって事無い光でもとてつもない衝撃を受けるわけです。これをホラーに応用したのが「集中と衝撃」です。
ホラーでは「暗いシーン」や「静かなシーン」を続けることで、観客の閾値を下げていきます。暗いシーンであれば集中してよく見ないといけません。静かなシーンであれば耳をすまして集中しないと台詞や音が良く聞き取れません。そうすると当然観客は聴覚や視覚の閾値を生理的に下げるわけです。これは観客が意識してやるようなことではありません。人間である以上、勝手にそうなってしまうんです。そこで、いきなり画面いっぱいに怖い顔をだしたり大きな音を鳴らしたりすると「ビクッとする」わけです。これがホラーにおけるショック演出の基本です。「スペル」ではこの基本が随所に使われています。是非集中して見てみてください。

【まとめ】

ここまで色々と書いてきましたが、この映画は間違いなく今年の映画でトップクラスに面白い作品です。それどころか、ある種のマスターピースになる可能性をもった作品です。是非、映画館で歴史を目撃しましょう。ホラーが嫌いな方でも大丈夫です。なにせギャグ映画ですから。文句なくオススメです。

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