てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~

てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~

本日は久々の当たり屋家業、、

「てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~」です。

評価:(15/100点) – 別にどうでもいいかも、、、、。


【あらすじ】

沖縄出身の金城健司は何をやっても長続きせず借金150万円を作って故郷に戻ってくる。幼なじみの由莉との結婚のため仕事を真面目にすることを決意した健司は、友人・屋宜啓介のマリンスポーツ店の倉庫を借りてサンゴバーを始める。たちまち評判になって結婚・借金返済・子供誕生と幸せな日々を歩む健司は、しかし突然バーの閉店を宣言し、サンゴの養殖で海の浄化を志す、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 健司のバー
 ※第1ターニングポイント -> 健司が借金完済パーティでサンゴの養殖を宣言する。
第2幕 -> サンゴの養殖を巡るアレコレ。
 ※第2ターニングポイント -> 開発会社からの提携依頼を断る。
第3幕 -> 養殖サンゴが卵を産むかどうか。


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【感想】

昨日4月のまとめをつくっていたら良い映画ばっかりで無性に罪悪感に囚われてしまいまして(笑)、久々に正面から踏みにいってみました。やっぱ当ブログの本分はあからさまに危ない映画にいってキレてナンボだろうと思いまして(笑)。じゃあなんで「矢島美容室」に行かないんだって話もあるんですが、、、とりあえずリハビリってことで勘弁してください(笑)。
今日は夜19時からの回だったのですが、おじいさん・おばあさんや子供連れでかなり混んでいました。正直ビックリです。でもまぁシネコンで今上映中の作品という括りですと、「家族でお手軽に見られそう」と言う意味でベストチョイスかも知れません。
実際見てみると、正直そこまでどうこう言う事もない感じの普通につまらない凡作でした。リハビリに最適(笑)。
本作は金城浩二さんの自伝を元にした「実話脚色話」です。あくまでも劇映画ですが、あまり劇的なエピソードを入れずに”実話感”を上手く表現していると思います。ただですね、ここが本作がつまらない大きな原因だと思います。結局、実話をもとにしたとはいえ、あくまでも劇映画なわけですよ。だから、きちんとストーリーとして盛り上げるところは盛り上がるように嘘をついてもらわないと困っちゃうんです。
例えばクライマックス。クライマックスは、養殖したサンゴが産卵をする感動的なシーンなんですが、主人公の健司が「潜りすぎて鼓膜が破けた」っていう理由で産卵現場を直接見ないんですね。たとえ事実はそうだったとしても、それで盛り上がるわけが無いんですよ。そこは例えそうだったとしても、潜って肉眼できちんと見て、満面の笑みを浮かべてもらわないと困るんです。このシーンを観客はどういう顔して見れば良いんでしょうか? 微妙すぎます。っていうか嘘をつくつもりが無いなら、「プロジェクトX」にすれば良いだけなんです。
また、大前提として突っ込みを入れておけばですね、本作は「世界で初めてサンゴの養殖に成功した男の感動話」という体裁のはずなんですが、「サンゴの養殖」に関する技術的な苦労話が一切ありません。要は「なぜ世界中で健司だけが養殖に成功したのか」という説明が無いんです。本作における養殖の苦労っていうのが、ただ単に詐欺師に騙されて借金を負ったっていうだけなんです。この作品が言いたいのはそこじゃないはずなんですけど、、、あくまでも「海とサンゴと小さな奇跡」なはずでしょう? 本当に理屈も何もなく「たまたま」っていう描きかたなんです。それならそれで良いんですが、、、本当に良いんでしょうか? 特に原作者というか主人公本人の金城さんはOKなんでしょうか?
岡村さんの演技が酷いとか、そもそもこの金城夫婦は何して食ってるんだとか(←一応観光客にサンゴ売ってるらしいですが)色々突っ込みどころはあるんですが、そういうのを問い詰める気も起きないくらい脱力してしまいました。
薬にも毒にもならないつまらない凡作ですんで、是非、家族連れでゴールデンウィークにお楽しみ下さい!!!



これなら同じつまらなさでもアリス・イン・ワンダーランド見た方がマシでした、、、。

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記事の評価
恋する幼虫 / 中身刑事

恋する幼虫 / 中身刑事

昨日の2本目+短編1本は、
『戦闘少女 血の鉄仮面伝説』公開記念特集上映 「MUTANT MOVIES -SQUAD-」

「恋する幼虫」「中身刑事」二本立てです。

評価:(85/100点) – だって面白いんだも~~ん。井口ワールド全開!


【あらすじ】

●「恋する幼虫」
アスペルガーの気がある漫画家のフミオは、担当編集者のユキのふとした行動にキレて、Gペンで彼女の頬を刺してしまう。やがて出版社から連載打ち切りを告げられ仕事を無くしたフミオは、音信不通になったユキのアパートを訪ねる。するとそこには変わり果てて自暴自棄になるユキの姿があった。彼女の頬のアザは無残に膨れあがり、そこから食指が出て血を吸うようになってしまったのだ。吸血鬼となったユキは腹いせにフミオを扱き使うが、やがて二人の間には不思議な信頼が芽生え始める、、、。
●「中身刑事」
謎の感染症でゾンビが流行する世界。科学者のコージはゾンビ病を直す研究を進めていたがいっこうに成果が上がらない。ある日、恋人で婦警のサチエがゾンビに噛まれて感染してしまう。しかし、偶然にもサチエの同僚でストーカー気質の変態・ムラカミのゲロがサチエに掛かると、なんと病気が治ってしまった!ムラカミのゲロにはゾンビ病を治す不思議な効果があったのだ!次第にムラカミを頼りだすサチエと、それを快く思わないコージ。そして調子に乗り始めるド変態のムラカミ。こうして妙な三角関係が発生した、、、。


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【感想】

え~、今回は当ブログで初めてとなる非新作映画です。といっても名画座みたいなおしゃれな感じでは無く、完全に悪趣味(笑)。そう、5月末に公開される井口昇最新作「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」にちなんだお祭り企画です。

恋する幼虫

「恋する幼虫」については今や局所的にメジャーな作品で、井口昇監督の出世作と言ってもいいでしょう。ちょっとアスペルガーっぽいフミオの描き方が秀逸ですし、ユキが徐々に心を開いていく姿も完璧です。
なにせ、このフミオのキャラクターというのが、出てきてものの数分で誰の目からも明らかなほど的確かつ簡潔に描写されます。突然気が狂ったように喚き・暴れたり、かと思うと次の瞬間には急にオドオドしたり、最低なクズだけれどもどこか憎みきれないような絶妙な位置です。この糞野郎が徐々にユキに惚れていくのにそれでもここ一番で根性が出ないというもどかしさ。そして溜めに溜めたところからのラストの開放感。もちろん画面で起きていることはかなり酷く惨いんですが、それでも本当に奇跡的なハッピーエンドなんです。
でまぁ一応指摘しておけば、本作の「吸血」というのは直接的にSEXのメタファーになっているわけです。だからこそ、フミオはユキが元恋人や自分の知人を吸血するのを見て嫉妬しますし、ユキは同じ女性のササキさんの血は吸わないんです。
これはかなり重要な井口昇監督の特徴ですが、エログロをメタファーとして使用するため、そこを元の意味に置き換えるととてもオーソドックスな話になるんです。本作で言えば、頬をGペンで刺すのは「深く傷つける事」のメタファーですし、「吸血」はSEXのメタファーです。
ですから、実は本作は
「ある男が気になっているおとなしい女性を傷つけてしまった結果、彼女は自暴自棄になって男遊びに走ってしまう。罪の意識から彼女の言うとおりに合コンをセッティングしていた男だが、やがて二人の間に奇妙な信頼が生まれ、互いに恋に気付き純愛に発展する。」
というストレートなラブストーリーなんです。
ちょっと肉体破損描写があったり、ちょっとゾンビっぽいのが出たりするだけで本質は完全に良質なラブストーリーです。
だから恋を燃え上がらせる要素でしかない点、すなわち「何故ユキが吸血鬼になったのか?」「吸血鬼が増殖していって世界は大丈夫か?」という点は完全にスルーされます(笑)。だってラブストーリーの小道具に理屈もへったくれもないですもん(笑)。
DVDがツタヤにも置いてありますので、よかったら是非お手にとって見てみて下さい。グロいって言ってもモロに安い作り物がちょっと出るぐらいなので、ちょっと苦手なぐらいでも大丈夫ですよ。

中身刑事

こちらはビデオやDVDにはなっていません。昔「刑事(デカ)まつり」というイベント企画がありまして、そのなかで井口昇監督が撮った一本です。完全に出オチの悪ふざけなんですがこの15分という尺の中にこれでもかと下らないギャグネタを詰め込んできて変なニヤニヤ笑いが止まりません(笑)。この作品を見ると、エログロに頼らない井口昇の基礎能力の高さが良く分かります。オススメと言いたいのですが、なにせソフト化していないお蔵入り作品なので、目にするのは難しいかも知れません。
悪い事言いませんから、渋谷の近くの方は5月2日のシアターNで21時からやる再上映に行っといた方が良いですよ。次にいつ上映するか分かりませんから。本当は「刑事まつり」のDVDボックスでも出して欲しいんですけど、、、、やっぱ権利上難しいですよね、、、残念です。

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武士道シックスティーン

武士道シックスティーン

本日は2本です。

1本目は「武士道シックスティーン」です。

評価:(65/100点) – 邦画の中では文句なく良作。若干剣道描写が、、、アレか?


【あらすじ】

剣道の中学チャンピオンの磯山香織は、中学時代に唯一敗れた西荻早苗を追って東松高校に入学する。しかし高校で再会した西荻はへっぴり腰で気迫のない情けない少女であった。そこで磯山は西荻の潜在能力を発揮させるために特訓を企画する。剣道一筋の人生だった磯山は、西荻との交流で徐々に心を開いていく。しかしそれは磯山の強さを奪うことでもあった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 早苗と香織の出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 香織が放課後に早苗を自宅に誘う。
第2幕 -> 地区大会と香織の苦悩。
 ※第2ターニングポイント -> 早苗が父と再会する。
第3幕 -> 早苗と香織の決闘。


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【感想】

さて本日は2本見てきました。一本目は武士道シックスティーンです。原作本の人気もあってか、結構混んでました。映画を見てる間中ずっ~と気持ち悪い笑い声を上げてるキテるアイドルオタク風の人が居る一方で、親子連れや年配の男性一人で来てる人など、観客層もさまざまでした。
でまぁ結論から先に言いますと、これがなかなか良い出来の青春スポーツものでした。本作のような内容はおそらく日本でしか成立しづらいものです。そういった意味で十分に邦画として見る価値のある佳作だと思います。

ストーリーについて

本作のストーリーは早苗と香織という2人の似たもの同士が互いに距離を測りながら友情を深めていく青春映画です。先日見た「海の金魚」とほぼ同じフォーマットです。
早苗の父親は、人が良すぎるために企業秘密を漏洩してしまい大借金を背負って蒸発してします。それを見た早苗は「負けること」に強烈な抵抗を示すようになり、逃げ回ってでも「絶対に負けない」事を信念に気迫のない腰の引けた剣道スタイルになっていきます。
一方の香織は母を亡くし、不器用な剣道家の父親に幼い頃から「勝つ剣道」を叩き込まれ続けます。「勝つこと」だけが生き甲斐で、趣味も剣道の鍛錬と剣道関連書の読書など、完全に剣道のみの人生を歩んできています。
このお互い「父親に理解して欲しい」という欲求を心の底にもったーーしかし表面への出方が180度違う2人が出会うことで相互に支え合うようになっていきます。
主演の成海璃子と北乃きいは結構な好演を見せてくれますし、剣道シーンは一部を除いてなかなか良く出来ています。剣道を囓った身としては、ここまで剣道シーンを描写してくれればもう十分及第点です。
しかしですね、実はこの剣道描写でちょいちょいガックリさせられるんです。
まずは北乃きいが勝つ2つのシーンです。両方とも相手が完全に棒立ちなのも酷いんですが、北乃きいが背中を反っちゃってるのがダメダメです。面を打つときは一足一刀から踏み込んで手を伸ばしつつ絞りますので、背中は絶対に反りません。胸は張りますが、背中が反り返ってるのは変です。
次に最後の決闘シーンです。ここは心底がっかりです。ここでは両者が制服姿で剣道をするんですが、2人とも下手なんです(苦笑)。しかもスゴい下手。もしかして他の剣道シーンはスタントマンの吹き替えなのかもと思ってしまって急に冷めてしまいました。

スポーツにおける「道」の問題。

あまり意識されることが少ないかも知れませんが、日本のスポーツや文化には「道」と言う文字が最後に付くものがあります。ちょっと思いつくだけでも、柔道、剣道、茶道、華道なんかがあります。この「道」という文字はそのまま「生き方」を表しています。要は柔道や剣道や茶道や華道は、単なる技術論や勝負論ではなく、そこから「人生とは?」というところまで拡張された価値観・精神を修行するものなんです。
本作で描いている「剣道」もまさにその典型です。「剣道」は相手の3部位を竹刀の先端から中結いまでの37~38センチで打つスポーツです(プラスで突きもあります)。ルールは超単純です。しかし単純過ぎるがゆえに、そこには技術論以上に精神論が大きくなっていきます。本作で描かれる早苗のように細かい横ステップを多用すると、普通はぶっ飛ばされます(笑)。っていうか本作の剣道シーンでは一足一刀の間合いに入っても動かなすぎです。
本作の早苗と香織は剣道を通じて人生について考えさせられます。剣道を続ける意味を互いに悩んだとき、そこには「父と自分の関係」であったり自分の人生観を見つめ直す事になります。
こういったスポーツと人生観を重ねるというのは非常に日本的な発想です。

【まとめ】

本作は剣道を通じて友情を深め合う2人のまっすぐな少女の成長物語です。役者陣はみなさん良いですし、ストーリーもちょっと類型的な嫌いはあるものの十分に及第点です。
必見というほどでもありませんが、もしお時間があれば映画館で見てみるのも良いかもしれません。随所に小笑いが起きるようなギャグも挟んできますので、剣道を知らない方でも全然問題ありません。万人におすすめできる佳作です。

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ダーリンは外国人

ダーリンは外国人

昨日見てちょっとツイートしちゃいましたが、

「ダーリンは外国人」です。

評価:(6/100点) – ダーリンは団体職員。私は夢見る漫画家志望!(のニート)


【あらすじ】

小栗左多里は漫画家志望の女の子である。左多里はイラストを人権団体に持ち込んだ際に知り合ったアメリカ人のトニーと恋仲になり同棲を始める。
そんな中、姉の結婚式で両親にトニーを紹介した左多里だったが、父から交際を反対されてしまう。父に認めてもらうため、自身が漫画家になって自立できるよう、左多里は漫画に打ち込んでいく。しかしそれはトニーとのすれ違いを生んでしまった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> トニーとの三回目のデート
 ※第1ターニングポイント -> 姉の結婚式。
第2幕 -> 左多里、漫画家への道。
 ※第2ターニングポイント -> 父が死ぬ。
第3幕 -> 左多里の渡米と結婚。


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【感想】

さて一日遅れですが本日は「ダーリンは外国人」です。小栗左多里の自伝的マンガの映画化で、原作には無い恋愛要素を拡大して劇映画にしています。
で、いきなり結論を言いますが、私は本作を見て怒りも悲しみも湧いてきませんでした。代わりにあったのはものすごい虚無感と放心です。というのも、本作の心底くだらない内容もさることながら、あきらかに適当にテイクをつないだカットとなんとなく適当に撮った構図に辟易したからです。

本作の適当ポイント

まず誰もが思うであろう事をツッコませていただけば、そもそもこの物語自体が「ダーリンは”外国人”」になっていません。
ハッキリ言って、トニーが外国人である必要がまったく無いんです。だって、本編の中でカルチャーギャップコメディはただの一度も成立していません。洗濯物の表示が分からないのは外国人に限りませんし、食器を適当にゆすぐのは外国人だからではありません。もっというと、父親が反対した理由は「外国人だから」ではなく「同棲開始時に挨拶に来なかった」からです。本編の中で、ただの一度も、本当に一瞬ですら、トニーが外国人である事が原因で喧嘩するシーンはありません。
はっきり言います。
本作は「ダーリンは外国人」ではなく「私は夢に恋するニート」です。
全ての喧嘩や仲違いの原因は、左多里の八つ当たりおよび常識の欠如であり、トニーの適当な性格に起因するものです。そこに日本人だの外国人だのといった文化論の入り込むスキは1ミリたりともありません。全て、個人の性格・性質のせいです。
本作で本気で呆れかえったのは、最終盤で左多里が母に「やっぱりトニーが外国人だから上手くいかないのかな」とボヤくシーンです。
400人収容の映画館で私含めて3人しか見ていなかったせいもあるのですが、思わず声に出してツッコんでしまいました。
ちげぇ~よ。オメェがワガママで無神経だからだ!外人関係ねぇし。
ホントに関係ないんですよ。カルチャーギャップ皆無。トニーが日本語ペラペラすぎるため、まったく左多里が異文化交流をしません。冒頭のパーティシーンで孤立する描写が良い例です。もし、彼女が異文化交流をしたがるタイプなら、パーティシーンでは英語が分からなくても身振り手振りだけで飛び込まないといけません。ところが実際には壁際でオロオロしてるだけです。だから、そもそも左多里は異文化交流に興味が無いんです。
ではここで問題です。異文化交流に興味の無い女が、日本語ペラペラの外国人と付き合いたがって、いきなり同棲を始める理由はなんでしょう?
もちろん本気で好きだからもあるんでしょうが、しかし彼女はことあるごとに「トニーは外国人だから」という言い訳/こだわりを持ち込みます。



と言うことで、私の考える答えはコレです。
外国人の彼氏とつきあえる私が大好きだから。
少なくとも本作を見る限りにおいて、左多里はトニーをブランドバッグか何かと勘違いしているようです。可愛そうなトニー。ちょっと間抜けで気が利かないだけなのに、外国人というレッテルで特別視されるなんて、、、。

本作の適当ポイント・その2

さて、カルチャーギャップコメディになっていないという問題もさることながら、次に挙げる点はある意味もっと深刻です。
左多里とトニーは何して食べてるの?
要は二人とも社会生活を営んでいるように見えないんですよ。二人が同棲している家はすごい広いですし、左多里の実家は石垣付きの大豪邸です。もちろんトニーの実家もアメリカでもかなり広い方の一戸建てです。
さて、冷静に考えてみましょう。左多里は漫画家志望で、バイト等している様子はありません。ほぼ収入ゼロです。一方のトニーは、人権ボランティア団体の勤務らしいですが、作中では一日中家に居ます。本物のトニー・ラズローの政治活動は一端脇に置いといて、この作中のトニーはそんなに儲かってるんでしょうか?
二人に全然生活感がないんです。トニーはいつも同じTシャツ着てますし、この二人がどうやって生活しているかがさっぱり見えないんです。少なくとも作中を見る限り、左多里は親からの仕送りのみで生活しているように見えます。
ニートに「私の彼氏って外国人なの。いいでしょ?」って自慢されても、そんなん知るかってことですよ。別にアンタが幸せならいいんじゃない?って。
でも自分と夫の馴れ初めをこんなファンタジー世界に脚色されて全国公開されたら、普通の”日本人”なら恥ずかしくなると思いますよ?
あ! これってカルチャーギャップコメディとして成立してるじゃないですか!?
観客と監督と脚本家と原作マンガ家のカルチャーギャップ(苦笑)。
全員日本人だし、、、どんだけメタ構造のアバンギャルド映画だよ、、、。

【まとめ】

原作ファンの方には怒られるかも知れませんが、この映画を見る限りに於いて、左多里には人種差別主義者の匂いがプンプンします。だってトニーが何をやっても「外国人だから」と思ってるような奴ですよ。根本的に左多里の精神構造では「外国人」を馬鹿にして(=特殊視して)見下してるんですよ。個人個人として向き合いたいとか言っておきながら、その心中ではものすごい差別意識があるわけです。しかもブランドバッグ扱い。最低ですね。左多里の両親の態度の方がよっぽど誠実です。
結局ですね、、、この作品はカルチャーギャップコメディにもなっていなければ、恋愛映画にもなっていません。ただワガママな女の見当違いな自慢話を見せられるだけです。
別にこれで良いと思うならいいんじゃないでしょうか?
ただし、こういった精神構造の人間が勢いづいて自己愛が肥大していくと、待っているのは辻仁成や押尾学のラインしかありませんので是非お気をつけ下さい(苦笑)。

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誘拐ラプソディー

誘拐ラプソディー

昨日の2本目は

誘拐ラプソディー」です。

評価:(12/100点) – コメディってなんで簡単だと思われてるんかね?


【あらすじ】

伊達秀吉は借金苦から自殺しようと訪れた公園で家出少年の伝助と出会う。伝助が金持ちだと気付いた秀吉は、彼の家出を手伝うと言いつつ誘拐、両親に5000万を要求する。しかし、伝助の父親は暴力団の一派、篠宮組の組長・篠宮智彦その人であった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 秀吉が自殺しようとする。
 ※第1ターニングポイント -> 伝助の母に身代金を要求する。
第2幕 -> 身代金と逃亡。
 ※第2ターニングポイント -> 伝助を桜公園に捨てようとする
第3幕 -> 終幕。河原にて。


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【感想】

つまんね。



とか一言で終わらせるのもなんなんで、しっかり書きます(苦笑)。
本作は、間抜けな誘拐犯・秀吉を主役として、誘拐・ヤクザからの逃亡を巡るドタバタコメディです。構造的には良くある話でして、要は「秀吉と伝助のほのぼのした逃亡」と「追う篠宮組の殺伐さ」のギャップで笑わせようとしています。
ですが、ことごとく笑いが滑っています。というのも、この笑いの要素が全て一発ギャグだからです。レッドカーペット式と言いましょうか、面白げな動きだったり変な声で笑わせようとする程度の低いギャグなんです。せっかく哀川翔が変な声を出しても、全然笑えません。なぜなら、その場面のトーンはいたって真面目でシリアスだからです。公開二日目にして早くも観客が5~6人しか居ませんでしたが、上映中に愛想笑いすら起きませんでした。それもそのはず、結局ドタバタコメディをやりたいのかヒューマンドラマをやりたいのか、トーンがハッキリしないから、笑いようがないんです。
この作品を見ていて一番恐ろしいのは、「犯罪者に感情移入させる」というかなり難易度の高い事を目標にしながら、まったく秀吉の背景を描かないことです。
秀吉は前科持ちだっていうんですが、何して捕まったんでしょう?
借金まみれだって言うんですが、何をしてお金を擦ったんでしょう?
妻子が居ないっていうんですが、元から居ないのか離婚したのかどっちなんでしょう?
結局、この物語でハートウォーミングな感じに着地させるのであれば、秀吉がなぜ伝助を可愛がるのかをもっと丁寧に描かないと行けません。父に相手にされなかった自分を重ねているのであれば、きちんと父親との過去を描くべきです。そこが言葉で流されてしまうために、ただ単にバカなガキに流されているようにしか見えないんです。これでは秀吉に感情移入するのは無理です。
さらに輪を掛けて酷いのは物語の進め方です。この物語には確かな推進力が存在しているんです。誘拐前半は「身代金を手に入れる」こと。誘拐後半は「伝助をおばあちゃんの家に届ける」こと。ところが、前者はともかく後者にいたっては全く具体的な描写がありません。そもそもおばあちゃんの家を探しているように見えないんですよ。ただドライブしているだけなので全く緊張感も無く、物語が完全に止まってしまいます。しかもそれが一時間近く続くわけです。なんでこんな雑な事をするのかさっぱり理解出来ません。
極めつけはキャラの存在感のなさです。船越英一郎を刑事役にして哀川翔をヤクザ役にしてる時点で、このキャラは完全に記号なんです。ベタで意外性のカケラもないキャスティングをした以上は、当然過去に彼らが演じた船越刑事や哀川組長をスタート地点にしてさらにそこからもう一段積み重ねないといけません。それなのに、記号以上の存在にはならないんです。「みんなが知ってるこんな感じのキャラです」という放り投げ方をされても、面白くもなんともありません。

【まとめ】

おそらくきちんと演出力のある監督が撮れば、面白くなる素材だと思います。しかし本作に限って言えば、正直な所、褒める要素が見あたりません。強いて言えば菅田俊さんはやっぱりすごい役者だなって位です。
哀川さんのファンの方には、ゼブラーマン2は絶対見に行くんでこれは勘弁して下さいと



すんませんした!!!(`・ω・´)ゞ

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半分の月がのぼる空

半分の月がのぼる空

今日は

半分の月がのぼる空」です。

評価:(100/100点) - 単なるお涙頂戴では無い、難病ものの大傑作。


【あらすじ】

裕一は肝炎で入院している。ある日夜中に抜け出した罰として、看護婦の亜希子から一人の少女・里香の友達になるよう頼まれる。しぶしぶ了承した裕一だったが、次第に彼女に魅かれていく。彼女は心臓に穴が開く重病で病院を転々としており、生きる希望を失っていた。
一方、元心臓外科医の夏目はかつて妻を助けられなかったことに絶望し内科に転属していた。彼の元に院長から直接、心臓に穴の開いた少女の手術を行うよう依頼が来る。自身の体力を理由にこれを固辞する夏目だったが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 裕一と里香の出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 砲台山での告白。
第2幕 -> 裕一と里香の恋愛。
 ※第2ターニングポイント -> 裕一の退院。
第3幕 -> 終幕。


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【感想】

本日の1本目は「半分の月がのぼる空」です。まったく前知識を入れずに見に行ったので、ラノベの原作やアニメの存在はまったく知りませんでした。見終わってwebを見た限りだと原作ファンにはあまり好評では無いようですが、私は大傑作だと思います。
このブログでは去年の10月終わりから5ヶ月で104本の映画について色々書いてきました。その中で満点を付けたのはたったの1本、サム・ライミ監督の「スペル」のみです。今、私は再び満点をつけるに値する作品を紹介できる喜びを噛みしめつつ、そしてどこまでネタバレしていいのか怯えつつ(笑)、この大傑作を紹介させていただきます。断言しますが、「難病もの」というジャンルの中で本作を越える作品はしばらく期待できないでしょう。
文句なしの大傑作です。

作品のストーリーとテーマについて

本作はボンクラな高校生の裕一と、難病と闘うツンデレ美少女・里香の出会いから始まります。余談ですが、この”ツンデレ”という要素が非常に類型的な描かれ方をしているため、最初は正直ちょっとオタク臭い作品に見えました(←ラノベなんで仕方ないんですけどね)。里香は冷たい態度で裕一をパシリとして使い倒します。ある日、友達からの「好きな女の頼みなら何でも聞いてやれ」というアドバイスを真に受け、裕一は夜の病院を抜け出して里香を砲台山に連れて行きます。そこでの里香の独白と裕一からの告白を機に、二人の中は急接近、見ているこっちがニヤニヤしっぱなしになるような甘酸っぱい青春恋愛模様が展開されます。そしてここから「ツンデレ少女」と「難病もの」というアクの強いストーリーが、完全に類型的な形で展開していきます。はっきり言ってベタベタすぎる展開でちょっと中だるみしますが、忽那汐里のアイドルパワーで物語を持たせます。そして、第二幕の終了と同時に物語はあり得ない方向に急展開し、観客の目の前に本作の真のストーリーが放り出されます。
このストーリーが見えた途端、本作の脚本構成のあまりの見事さが浮き彫りになります。
私はこの瞬間、夏目がアパートである行動をする瞬間から、約20分間泣きっぱなしでした(笑)。仕方ねぇ~じゃんかよ!!!(逆ギレ)。こんなもん見せられたら泣くわ、普通(怒)。
ネタバレぎりぎりですが、本作は「絶望に沈む男が、亡き妻との思い出を胸に秘めて復活を果たす」話です。
おじさんはもうすぐ30歳なのでこういうのに弱いんですよ、、、。

演出と脚本の妙

開始してすぐに、私は画面のあまりのフィルムグレインの多さにちょっとびっくりしました。特に屋上で裕一と里香が初めて会うシーンや夕方のシーンは空がちょっとモアレを起こすほどのフィルムグレインの量です。そして、忽那さんの顔の輪郭がぼやけるほどソフトフォーカスを掛けています。ところが、ある場面以降、このソフトフォーカスが取れてフィルムグレインも減り、かなりシャープな画作りに変わります。観た方には分かると思いますが、コレが本作の叙述トリックを演出面からサポートしています。
そしてなんと言っても脚本面では2つのエピソードです。
1つは当然、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」です。「銀河鉄道の夜」は最初は里香と里香の母との関係性を象徴する物でした。それが段々と里香と裕一をつなぐ絆の象徴になっていきます。そして終盤、ついに裕一と里香との絆そのものに変わるわけです。この展開は本当に素晴らしいです。これこそが正しい伏線の張り方です。
もう1つは、夏目と裕一の関係性です。裕一は、院長が「体力的にもう長時間の手術は出来ない」という理由で里香の手術を断ったことで、離ればなれになる危機を迎えます。一方の夏目は、「精神的に手術はもう出来ない」という理由で手術を固辞します。この二つの境遇がシンクロした瞬間、彼らの目の前に真実が浮かび上がってきます。要はこのエピソードに気付いた時、夏目が自身を見つめ直すきっかけになるわけです。この構成は絶妙です。

子供の頃に嫌だった大人に自分自身がなってしまった事に気付いた瞬間、夏目は絶望から立ち上がる決意をするわけです。そしてかつての自分が一番必要とした大人になるために、思い出の場所で亡き妻に謝罪をします。先に進まないと行けないから悲しむのはこれ限りにする、ゴメンと。忘れるわけじゃないけど、自分は必要とされているからやらなくちゃと。

号泣に決まってるでしょうが!!!(笑)
しかもですね、本作はお涙頂戴ばかりではなくきちんとギャグも挟んでくるんです。文化祭の演劇なんてシチュエーションコメディとして面白いですし、悪友と部屋に集まって彼女自慢したり馬鹿話したりするのも凄く懐かしくって微笑ましいです。学生で時間もてあましてる時ってあんな感じです。
あと、これは少し余談ですが、忽那さんの顔にきちんとニキビの化粧(?)をしていた(orニキビを化粧で隠さなかった)のは正解だと思います。10代の上にロクに風呂も入れない入院患者なんですから、顔は多少不潔なんですよ。この辺りをきちんと描いているのは素晴らしいと思います。

【まとめ】

本作はあまりに第二ターニングポイントでの叙述トリックが凄すぎて、そこだけで全部持って行かれてしまうような部分があります。しかし、第二幕までの難病もの青春恋愛映画という部分も本当に良く出来ています。なにせ「甘酸っぱさ」のツボがよくわかっていますし、病気を小道具ではなく場面転換のリミッターとして描いています。青春映画では絶対必要な若い男女が力の限り走り回る描写ももちろんあります。青春映画としても、恋愛映画としても、そして男の復活劇としても、文句の無い完璧な出来です。
自信をもってオススメします。
劇場に行ってきんさい!!!必見やろ!!!

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記事の評価
人の砂漠

人の砂漠

連休最後の映画は

「人の砂漠」です。

評価:

屑の世界     : 2/100点 – 雰囲気のみ
鏡の調書     : 0/100点 – 雰囲気すら無い
おばあさんが死んだ: 4/100点 – わかりきった出オチ
棄てられた女たちのユートピア: 60/100点 – 小池栄子ってこんなに演技できたっけ?



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【感想】

本作は1980年に出版されたジャーナリスト沢木耕太郎のノンフィクション短編を東京芸大の院生が映画化したものです。なので本作はバリバリの素人映画でして、立ち位置としては大学の映研以上プロ未満といったところでしょうか。ぶっちゃけて言いますともし本作が文化祭でふらっと入った映研の上映会で流れていたら、頑張れって感じで好意的に見られたかも知れません。しかし大学配給とはいえ商業ベースに乗せていますし、しかもプロの俳優をキャスティングしてるのですから、今や彼らは立派なプロです。「素人が撮ったのだから」という甘やかしのエクスキューズを無しにして、酷評させていただきます。

まずは総評として

本作は4つの30分短編からなるオムニバス作品です。4つの作品は全て「人の砂漠」から持ってきていまして、全てに共通するテーマは「人と人との繋がり」です。
まず見ていて最初に気がつくのは、一つ一つの短編が終わるごとに逐一スタッフロールが流れることです。つまり計4回のスタッフロールを見ることになります。あのですね、、、本作は仮にも「人の砂漠」という一本の「オムニバス映画」なんですよ。だったら4本の短編を総括する総合プロデューサーが居るわけですよね? 4本の並び順とかトーン調整とかクオリティのチェックを誰かがやってるはずでしょう? だったら、最後にまとめてスタッフロールを出せ!
逐一スタッフロールが流れる時点で、作り手はこの映画を「”人の砂漠”という一本の映画」にまとめる気が無いという風に私は解釈しました。そんな志なら1本450円の4本立て上映にしろ。
次に、「人の砂漠」を「2010年に」映画にするということの根本的な意味です。原作の「人の砂漠」は1970年代当時の日本における「日の目を見ない端っこの人間」を取材したルポです。そこには残酷だったり、可笑しかったり、平凡だったり、そういった「主役になれない人達」が居るわけです。で、、、今、2010年になって、何故この原作を映画化しようと江口友起氏が企画したんでしょうか?
1970年代のノスタルジーを再現したかったからですか?
2010年になっても通用する普遍的なテーマがあると考え、それを掘り起こしたかったからですか?
この映画を見る限りさっぱり分かりません。後述する各作品にも通じることですが、映画は雰囲気だけで成立するものではありません。そんなものは堤幸彦や本広克之のようなエンタメ監督に任せておけばいい話です。学生でしかも映画を専攻しているのであれば、きちんとテーマと演出を勉強してもらって、我々を、世界中の映画ファンを引っ張るような映画監督を目指してもらいたいです。それに挫折してからでも、コネさえアレばTV局や広告代理店経由でなら映画監督にはなれますから。
最後に、ノンフィクション作品を映画化する手法についてです。ノンフィクションを映画にするためには、再取材してドキュメンタリー映画にするか劇映画に脚色するかの選択が必要です。そしておそらく本作は後者を選んでいます。だったら、各作品にテーマを決めて、嘘や誇張を混ぜながらストーリーを組む必要があります。ここが決定的に弱いです。特に前半3編については視点を決められなかったのが完全に失敗です。

1. 屑の世界

まず、1編目の「屑の世界」です。詳しい描写が無いのでさっぱり分かりませんが、おそらくホームレス達に慕われている屑鉄屋の主人公が、行政に強制移転命令を出された腹いせにマンホールや公園遊具の鉄を盗んで逮捕される話です。
これは本当に酷い雰囲気のみの作品です。そもそも孫がなぜ家出をしたのか?何故屑鉄屋がホームレスに慕われているのか?近隣住人との確執は?移転先に仲間を連れて行けない理由は?
背景が全く描かれないためにキャラクターが全て記号としてしか機能していません。まったく人間に見えませんので魅力なんぞあるはずもなく、何が起きても何の感慨も沸きません。
映画にとって視点の受け皿がいかに大事かが良く分かる反面教師的作品です。

2. 鏡の調書

これが本オムニバスの中で最も酷いです。ある詐欺師のおばちゃんが、田舎の商店街で町内会のおじさん数人とスーパーのレジのおネェチャンを騙す話です。これは演出の方向性を決められていないため終始意味不明な作品になっています。
そもそも本作のプロットは相当面白いはずです。なにせキャラの濃い詐欺師のおばちゃんの話なんですから。
・おばちゃんを格好良いアンチヒーローとして描くのか?
・おばちゃんをどうしようもない極悪人として描くのか?
・またはその振り幅で人間の奥行きを描くのか?
・犯罪サスペンスとして描くのか?
・コメディとして描くのか?
本作を劇映画に落とし込むためには、演出の方向性を決めないと行けません。この作品では方向がグラッグラのため、まったく説得力の無い退屈な映像の羅列になってしまっています。夏木マリの化粧がコントのそれですので、ルックスはコメディ方向に見えます。でも微妙にシリアスな雰囲気覆われていてまったくギャグが入りません。見ていてこの作品を監督がどうしたいかが見えてこないため、こちらも戸惑ったまま見続けることになります。結果的には何も盛り上がらず、何も伝わらない、雰囲気すら作れていない映像の羅列です。ホームビデオ以下。ご愁傷様です。

3. おばあさんが死んだ

これは惜しい作品です。ある母子家庭で性格に問題のある母親が、病気がちな息子の看病を通じて精神を病んでいく話です。まず話全体が完全にラストの出オチのみに向かっていきます。方向性があるだけ「鏡の調書」よりはマシですが、前半で無意味な時系列シャッフルをしてしまうことで出オチが早々にバレてしまい、全て台無しです。時系列シャッフルというのは「オシャレ映画を作るためのカジュアルなツール」ではありません。なんでもかんでも時系列をシャッフルしては逆効果です。また息子の描写が薄いために終盤のインパクトが相当減じています。予定調和過ぎるというか、ベタベタな記号にしか見えません。せっかく向かいの娘さんを盗聴したり気があるそぶりをしたりする描写があるのですから、きちんとそこを積んでいけばもうちょっと良い作品になったと思います。
室井滋はよかったので、もっと親子のすれ違いで母親が追い詰められていく姿を描いた方が良かったです。残念。30分という制約はあるでしょうが、大変惜しいです。

4. 棄てられた女たちのユートピア

これが本作の中で唯一まともに構成された作品です。親に棄てられて自暴自棄になっていた元売春婦が、精神を病んだ人たちの暮らす教会で自分の人生を見つめ直して立ち向かおうとする話です。
不器用な作品ですが、私は結構好きです。
話の根幹は、親に棄てられた「いちこ」の成長物語です。きちんと「いちこ」の内面が描かれていますし、「いちこ」と「香織」と「娘」の関係性の作り方が良く出来ています。娘に説教しながらもその実は自分に説教をしているところなど、なかなか出来ない演出です。
キャラクターを描いて、ストーリーを組んで、きっちり30分にまとまっていますから。4本ともこのスタッフに撮らせた方が良かったのでは?

【まとめ】

ということでざっくりと4編を見てきましたが、はっきりいって劇映画として成立しているのは最後の「棄てられた女たちのユートピア」だけです。とはいえこの「棄てられた女たちのユートピア」がかなり良い作品ですので、見て損は無いと思います。
本作に参加した学生の方達は是非とも良い映画監督を目指していただきたいです。

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記事の評価
スイートリトルライズ

スイートリトルライズ

今日は一本です。サービスデーで1,000円でしたので、

「スイートリトルライズ」を見ました。

評価:(10/100点) – 「お家に帰ろう」なメンヘラ雰囲気映画。


【あらすじ】

瑠璃子と聡は結婚三年目のおしどり夫婦である。しかしそれは見た目だけ、夫との生活にドキドキが足りないと感じた瑠璃子はふと知り合った春夫と浮気を始める。一方、夫の聡も大学のサークル同窓会で再開した後輩・しほと浮気をする。しかし春夫が彼女と別れて本気で自分にアプローチしてきたことに尻込みし、瑠璃子は夫の元に返る。その事情を悟り、聡もまた浮気をやめる事を匂わせる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 夫婦の日常。
 ※第1ターニングポイント -> 瑠璃子の個展に春夫が訪ねてくる。
第2幕 -> 浮気。
 ※第2ターニングポイント -> 春夫が文と別れる。
第3幕 -> 瑠璃子の決心。


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【感想】

本日は江國香織原作の「スイートリトルライズ」です。あんまり見る気は無かったんですが、1000円だったので入ってみました。小さな箱でしたが、女性を中心に結構お客さんが入っていました。ホワイトデーに女性だけで江國香織を見に来てる時点で「お察しください」なわけですが、それを言ったら私もなのであまり言及しません(笑)。

さて、本作については実はあんまり言及するようなネタもありません。というのも私の大嫌いな「雰囲気映画」だからです(苦笑)。
まず、本作のストーリーは上記の「あらすじ」が全てです。瑠璃子が夫婦生活に満足出来なくなって、ドキドキを求めるために浮気するが、相手が本気になったのにビビって元のサヤに戻る話です。このストーリーなら普通は瑠璃子に変化があるはずです。例えばポジティブ展開なら夫と積極的にコミニュケーションをとるようになったり、ネガティブ展開なら現状に歯を食いしばりながら耐えるようになったり。成長でも諦めでもなんでもいいんですが、必ず何かしら変化しないと物語にならないわけです。

ところが、、、本作ではそういう描写は全くありません。もっというと、そもそも瑠璃子と聡が「愛し合っている」という描写が無いんですね。だから初っ端からまったく乗れないわけです。聡はゲーマーで家に居るときは自室に籠もりがちで、一方の瑠璃子はわけ分からないことをブツブツ言ってる不思議ちゃんです。結局この2人がなんで夫婦なのかという肝心の前提が全っ然見えてこないんです。せめてオープニングの5分ぐらいで結婚前の恋愛状態を見せるとかの「愛し合っている描写」が無い限り、その後の展開がまったく意味の無いものになってしまいます。たぶん本作は「愛し合っていた2人が、結婚3年目にしてお互いに慣れすぎて愛を実感できなくなってしまった」っていう状況のもとで「いろいろあって互いの愛を実感できるようになる」「自分の(精神的な)安息の地としての家族/我が家へ戻る」って話をやろうとしてると思います。でも前提状況が描けていないために、さっぱり意味不明な映画になっています。

そんなわけ分からない話の中でも、本作のテーマを考える上で完全に失敗していると思うのは聡の描写です。聡が夫婦関係に不満を持っている様子が一切描かれませんので、少なくとも映画を見る限りでは聡が浮気したのは単にしほに誘惑されたからです。これってテーマにまったく合ってないんですね。夫婦がお互い浮気するのはいいんですが、一方は夫との恋愛に物足りなさを感じ、一方は単なる浮気(笑)。つまり根本的に浮気した理由がずれています。これじゃあ「互いの愛を実感」するのは無理です(笑)。なにせ、本作のなかで聡は浮気を辞めていません(苦笑)。いいのかそれで、、、。

【まとめ】

え~ここまでの文章であえてストレートな表現を避けてきたんですが、最後に身も蓋もないことを書きます。

 馬鹿いってんじゃないよ 
 お前と俺は ケンカもしたけど 
 ひとつ屋根の下暮らして来たんだぜ
 馬鹿いってんじゃないよ 
 お前のことだけは
 一日たりとも忘れたことなど なかった俺だぜ
 (以下略)

もうお分かりですね。本作は、ヒロシ&キーボーの名曲「3年目の浮気」を再解釈しただけです(笑)。再解釈と言っても、サイフォンやテディベアといったOL風オシャレ要素を足しただけ。ところが、中谷さんの演技の問題か演出家の問題かはわかりませんが、オシャレと言うよりは瑠璃子が単なるサイケな変人にしか見えないんです。しかも聡は普通に浮気。テーマが描けていない以上は結局雰囲気しか無いので、もうどうにもなりません。中谷さん以外の役者さんは結構良かったと思うんですが、、、ご愁傷様です。
作中で聡が瑠璃子を「彼女には実在感が無いんだ」と評しますが、それ言っちゃうと本作の世界全体に実在感がありません(苦笑)。この台詞が出た瞬間に「お、メタ構造の日本版レボリューショナリーロードか?」と期待した自分が恨めしいです。あ~~~8時間前にタイムリープしたい(笑)。
本作が気になった方はレンタルで「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」を借りてきて、本作を無かったことにするのがオススメです!!!

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