鉄男 THE BULLET MAN

鉄男 THE BULLET MAN

昨日の二本目は

鉄男 THE BULLET MAN」です。

評価:(60/100点) – 鉄男が自分探しって、、、。


【あらすじ】

アンソニーは目の前で”ヤツ”に息子を轢き殺されてしまう。怒り狂うアンソニーはやがて体の異変に気付く。口からオイルのようなものが漏れ、歯茎が鉄に変わっていたのだ。謎の組織からの襲撃を受けたアンソニーは「地下を調べろ」というメッセージを受け取り、実家の地下室へと潜る。するとそこには自分の出生の秘密が隠されていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 息子が殺される。
 ※第1ターニングポイント ->アンソニーが 謎の組織の襲撃を受ける。
第2幕 -> 両親の秘密
 ※第2ターニングポイント ->”ヤツ”が勝負を仕掛ける。
第3幕 -> ”ヤツ”との決闘。


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【感想】

昨日の二本目は先週末公開の大本命、鬼才・塚本晋也の17年ぶりの「鉄男」続編です。皆さんは当然ご存じと思いますが、塚本監督は鉄男でインディカルトムービーの一時代を築き上げた大巨匠で、世界三大映画祭の1つ・ヴェネツィア国際映画祭で審査委員まで務めております。北野武が「HANA-BI」で金獅子賞を獲ったときに猛プッシュした張本人でもあります。
その塚本監督が自身のデビュー作でもあり代名詞でもある「鉄男」の続編を作るんですから、駆けつけるしかないわけです。しか~~~し、観客が少ない!!!! 日曜の夕方なのに3人ってどういうことですか!? あんまり一般受けする監督ではないんですが、にしても少なすぎます。

鉄男が、、、、あの鉄男が、、、、。

結論から言いますと、かなり (´・ω・`)ショボーンな出来です。といのも、事もあろうに鉄男が自分探しを始めてしまうんです。「鉄男」シリーズは元々勢い重視なところがありまして、その暴力的に格好良いカット割りと、ナンセンスすぎるアヴァンギャルドな設定・ストーリーが肝なんです。悪夢的といいますか、筋道立てて説明しようとすると妄言にしかならないような訳の分からない連なりが面白いんです。でも今回の「鉄男3」はあまりにも理路整然としています。見終わった後に映画秘宝のインタビューを読んだら、どうもハリウッド狙いで直しの入ったプロットだったようです。本作では、「アンソニーが何故鉄男なのか?」「”ヤツ”は何故アンソニーを付け狙うのか」というのがハッキリ言葉で説明されてしまいます。ですので、ミステリアスで気色の悪い感覚はかなり減じています。
構成にしてもいわゆるハリウッドスタイルになっていまして、中盤で全部言葉で説明してしまう場面ではやはり驚きと失望を隠せませんでした。あの「鉄男」が、、、「カルトムービー」の代表格のような「鉄男」が、、、「普通のハリウッドっぽい特撮アクション映画」になってる(涙)。
がっくし、、、、。
とはいえ、やはり鉄男だけあって、音響の使い方は大変すばらしいです。「爆圧体験」というキャッチコピーの通り、ちょっと耳鳴りするほどの音量で金属のこすれる音を観客に嫌がらせのごとく叩き付けてきます。

【まとめ】

音については、家ではどうしても環境を揃えづらい物です。本作のように、音響が重要となってくる、、、というか音環境以外に魅力が乏しい作品は、劇場で見ざるを得ません。
皆さんも是非、劇場へ足を運んで塚本ワールドを少しのぞいてみて下さい。本作公開による何よりの収穫は、遂に「鉄男」と「鉄男II」がDVDで発売されたことでした。過度な期待は禁物です。

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運命のボタン

運命のボタン

今日は「運命のボタン」を観て来ました。

評価:(2/100点) – オカルトは断じて逃げの手段ではない。


【あらすじ】

ある日の早朝に突如ルイス家の呼び鈴が鳴らされる。不審に思いながらもドアを開けたノーラの前には、小箱が置かれていた。その日の夕方、ルイス夫妻の元にアーリントン・スチュワードと名乗る男が現れ、1つの提案をする。小箱の中のボタンを押せば、ルイス夫妻には賞金100万ドルが贈られるからりに見知らぬ人がどこかで一人死ぬという。決して裕福とは言えないノーラは、悩んだ末に勢いでボタンを押してしまうが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ルイス夫妻に箱が届く。夫妻の日常。
 ※第1ターニングポイント ->ノーラがボタンを押す。
第2幕 -> 不審な人々と、アーサーによる捜査。
 ※第2ターニングポイント -> ウォルターが誘拐される。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今日は一本、「運命のボタン」を見てきました。原作はご存じホラー・SFの巨匠リチャード・マシスンがプレイボーイ誌に載せた短編「Button, Button」で、1986年にはマシスン自身の脚本で映像化(連続ドラマ・トワイライトゾーンのシーズン1・20話)しています。
実際には、原作の短編とトワイライトゾーンでは結末が違います。もちろんこの映画版もです。
原作の短編では、アーサーがボタンを押した時、夫が列車事故で死亡します。そして「あなたは本当に夫の事を知っていますか?」というオチが付きます。
一方、トワイライトゾーン版では、目に見えては何も起こりません。しかしスチュワードが「次はこのボタンをリセットして別の人に渡します。きっとその人はあなたのことを知らないと思いますよ。」と言い、アーサーが「やっべ。次は私が死ぬかも」って顔をして終わります。
どちらにも共通しているのは、「正体不明のオジさん」が「正体不明の箱」を持ってきて「良く分からないけど大金をくれる」という不気味さです。
それを踏まえた上で、では映画版はどうなっているかと言いますと、もはや完全に別物の単なる出来の悪いX-FILEもどきになってしまっています。昨日の「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」と同じ症状でして、要は「説明が無いからこその面白さ」「どうしようもなく下らない説明」を付けてしまった結果、「想像の余地が無くなってしまった」って事です。
しかもオカルト系の話にしちゃうとか、リチャード・ケリーが正気だとは思えません。オカルトって言えば何でも許されるわけではないんですよ。オカルトっていうのはしばしば「理屈が付かなくて当然の事」として適当なシナリオの免罪符に使われることがあります。つまり「ここの辻褄が合わないじゃないか!」というツッコミに対して「いやオカルトですから何でもアリです」と言い訳が出来ると思われているんです。オカルト・ホラー好きとして断言しますが、オカルトは脚本家の逃げ道ではありません。オカルト・ホラーにするのであれば、きちんとそれ以外の部分を丁寧に演出して説得力を持たせないと行けないんです。ハッキリ言って本作のシナリオはあまりにもずさん過ぎます。正直かなり腹が立っています。本作の関係者は本気でマシスンに泣いて土下座するレベルです。舐めてるとしか思えません。

【まとめ】

まったくオススメできません。こんな糞映画を見るぐらいなら、是非原作を立ち読みするなり、レンタルDVDでトワイライトゾーンを見るなりして下さい。
断言しますが、こういう有名原作の良さを全部消すような適当な映画を撮って、しかも米国内で赤字をだした監督は干されます。
暫くさようなら、リチャード・ケリー。「ドニー・ダーコ」だけは面白かったよ(苦笑)。

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いばらの王 -King of Thorn-

いばらの王 -King of Thorn-

本日はアニメ映画の二本立てです。一本目は

いばらの王 -King of Thorn-」です。

評価:(4/100点) – ポスト・エヴァンゲリオンの有象無象の一つ。


【あらすじ】

体が石化してしまう謎の奇病”メデューサ”が流行した世界。コールドスリープカプセルセンターにて治療法が見つかるまでの眠りについたカスミ・イツキは、突如眠りから起こされる。するとそこにはモンスター達が蔓延っていた。逃げ惑う160人のほとんどは殺され、残ったのはわずかに7人。はたしてイツキはセンターから脱出することができるのか? そして世界に何が起こったのか?

【三幕構成】

第1幕 -> 世界観の説明。カスミとシズクとコールドスリープ。
 ※第1ターニングポイント -> カスミがコールドスリープから目覚める。
第2幕 -> 城からの脱出。
 ※第2ターニングポイント -> カスミがビデオカメラの映像を見て城に再突入する。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

本日はアニメ映画の新作を2作見てきました。1作目は「いばらの王」です。さすがに平日の昼間でしたので、観客も数人でした。
基本的に本作はかなり駄目駄目だと思うのですが、原作のファンの方もいらっしゃると思いますので、どうしても具体的な指摘をせざるを得なくなってしまいます。ですので、以下は多大なネタバレを含んでしまいます(=というか結末も書きます。)ので、例によって原作未読の方や楽しみにしていらっしゃる方はご遠慮下さいo(_ _*)o。
ちなみに私は原作未読で、前知識もまったく無い状態で見ています。

本作の概要と基本プロット

まずは概要をざっとおさらいしておきましょう。本作のストーリーは、宇宙から飛来した細菌「メデューサ」が核となります。「メデューサ」は感染者の「夢」「空想」を具現化します。作中では「進化を促す存在」とされており、一種のオーパーツ的な存在、もっというと「2001年宇宙の旅」のモノリスのイメージです。
で、この「メデューサ」を宗教の信仰として利用としたのが「ヴィナスゲート社」の社長さんで、彼がイツキの双子の姉・シズクを適合者として確保するところから話しがややこしくなります。シズクは確保される直前に愛する妹を殺してしまっており、軽い錯乱状態にありました。ということで、シズクが「メデューサ」で生み出したのは「妹のコピー」と「茨のツタ」でした。彼女は茨のツタで世界から城を隔離して、妹のコピーと平和に暮らそうとしましたとさ、、、とまぁこんなところです。全部ネタバレ(笑)。
上記のような概要が背景で、基本プロットとしては「モンスター有りの脱出もの」です。ミラ・ジョボビッチの映画版「バイオハザード」一作目と同じプロットです。なんか良く分からない怪物達がウヨウヨする中で、サバイバル型の脱出作戦が展開されます。主人公一行は完全にテンプレ通りで、頼れる勇者(正義のマッチョマン)、物知りの案内役、母性剥き出しの介護キャラ、サブ・マッチョマン(キャラかぶってるので途中で脱落)、役に立たない嫌な奴、そして内通者。
襲い来るモンスターから逃げながら、彼らはサバイバルしていきます。
とまぁここまで書くとB級ホラーとして私の大好物なように思えるのですが、、、、、、。

シナリオがガタガタですよ、、、。

まずですね、開始して10分くらいで私の心が折れました(苦笑)。
というのも、見てるこっちが赤面するほど画面作りがダサイんです。本作の冒頭、世界各国のニュースで「メデューサ」と「ヴィナスゲート社」が報道されている映像がでます。ここでいきなり言語の不一致が起きています。日本のアニメですので、別に外人が日本語を喋っているのはそこまで気になりません。問題は、ヴィナスゲート社長の記者会見でイギリスの放送でも中国の放送でも日本語を喋っている点です。仮に劇中で本当は英語をしゃべっているのだとしたら、中国の放送では中国語の字幕が必要です。もし中国の放送が同時通訳の放送なら、LIVEとかのマークの横に訳者の名前が出ないといけません。そのくせ、囲いとか下のテロップは英語・中国語なんです。
その直後、城に入るときにケージにある英語の注意看板が写ります。これはわざわざ日本語字幕を付けてきます。意味不明。格好付けすぎてダサさが半端無いことになってます。イングロリアス・バスターズほど徹底しろとは言いませんが、背伸びするなら中途半端な事はしないで欲しいです。
次に心が折れるのは、7人になってから初めてモンスターが襲ってくるシーンです。このモンスターは目がほとんど見えないらしく音に反応するそうです。つまり、「ディセント」に出てくる地底人のアイツと一緒です(笑)。ところが、、、ガキが「走っちゃ駄目だよ!あいつらは音に反応するんだ!」って大声で叫ぶんです(苦笑)。しかもモンスターはその声をスルー(笑)。ちょ、おま(笑)。
このモンスターの「音に反応する」という設定は劇中通してメチャクチャ適当です。都合の良いときだけ反応して、都合の悪いときは完全スルーを何度もします。それって全然サバイバルホラーになってないんですけど、、、っていうか自分らで作った設定なら、最後までちゃんとやって下さいよ。
さらになんかいろいろあって、SDカードに機密データをいれたりとかを華麗にスルーしますと(←セキュリティ厳しいパソコンに外部記憶デバイスは普通無いです。)、やはり次なるがっかりは全部喋ってくれるヴェガの登場です。出来の悪いセカイ系作品の大きな特徴として「聞いても居ない裏設定をベラベラと長時間喋るキャラが出てくる」という要素があります(苦笑)。まさにそれ。ヴェガ独演会によって、ようやく話しの概要が浮き彫りになり、サバイバルホラーから一転してヘボいセカイ系作品に急展開します。
ここからがもう怒濤のツッコミどころです。まず「眠ってた時間が48時間ぽっちってどういうこと?」っていう所でしょうか?
また、モンスター達の存在も意味不明すぎます。だって彼らは途中でメデューサに罹って石化する描写があるんです。ところが一方でメデューサで夢が具現化した者はメデューサには罹らないとも言っています。ってことは、、、あのモンスターはメデューサから生まれたのでは無いんです。じゃあ、48時間で驚異の進化を遂げた謎の巨大生物なんでしょうか? 結局コイツらの正体は最後まで語られません。なんじゃそれ?
さらに、3幕に入る直前に、なんとA.L.I.C.E.が監視するための腕輪をポロッと外す描写があるんですね。あれはさすがにビックリしました。「え、はずれるの?それも簡単に?」っていう(笑)。よく洪水とか大爆発で外れなかったと感心します(笑)。それって物語上は外れちゃ駄目なんじゃないのでは、、、とか思っていると別に何にも使われていないみたいでそれもズッコケです。てっきり腕輪がキーかと思ったら、なんと首筋注射が鍵だった!、、、、、ミスリードにすらなってない、、、、。
とはいえ本作一番のツッコミどころはラストです。結局、本作では「メデューサ病」は何にも解決していないんです。唯一分かっているのは、メデューサによって具現化したコピー・カスミはメデューサには罹らないってことだけです。で、一緒に生き残るガキは生身なんです。だから本作が終わって数日後には、人類が全滅してカスミだけが生き残るはずです。ま、いっか、、、別に。セカイ系が恐ろしいのは、主人公さえ良ければハッピーエンドって所です。人類全滅おめでとうございます(笑)。

【まとめ】

一応フォローしておきますと、私は片山一良監督は大好きです。「THE ビッグオー」というアメコミ風(=バットマン風)アニメの傑作を世に出しましたし、なによりポスト・エヴァンゲリオンのアニメ群で最も私が好きな「アルジェントソーマ」の作者です。「アルジェントソーマ」は既存の「エヴァンゲリオン風セカイ系」というフォーマットを逆手に取って、最終的には「コミュニケーションの齟齬における悲劇」と「夢敗れたロマンチストがそれでも愛を貫こうとする執念」というすばらしいヒューマニズムに着地する離れ業をやってのけました。
だからこそ、そんな片山監督が本作のような「出来の悪いセカイ系」を監督しているのは、正直信じられません。彼は10年前にはもっと凄い作品を作っていたんです。私は今でも「エヴァンゲリオンのフォロワー」の中で最も重要な作品は「アルジェントソーマ」だと思っています。まぁ「ラーゼフォン」も好きなんですけど(苦笑)。
とにかく、すくなくとも本作は劇場で見るような作品ではありません。極端な事を言えばですね、こういう台詞で全部説明するようなセカイ系の作品は、全部ラジオドラマで十分です。
ですので、本作を見るぐらいなら今すぐレンタルDVD屋に走っていただいて、片山監督の「アルジェントソーマ」を一気鑑賞するのがオススメです!!!!!

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フェーズ6

フェーズ6

本日は新宿で二本観ました。一本目は

「フェーズ6」です。

評価:(25/100点) – 炭酸の抜けたコーラ。ソバの無い広島焼き。牛丼つゆだく牛肉抜き。


【あらすじ】

全世界が謎のウィルスに感染してほぼ死滅した世界。ブライアンとダニーの兄弟は、ガールフレンドのボビーとケイトを連れて4人でタートルビーチを目指していた。途中様々な人に会いながらも必死にビーチを目指す内、徐々に彼らは人間性を失っていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 4人とフランク&ジョディ親子との出会い。
 ※第1ターニングポイント -> フランクとジョディを置き去りにする。
第2幕 -> ウィルスから逃げる4人。
 ※第2ターニングポイント -> ブライアンが感染する。
第3幕 -> ダニーとブライアン。


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【感想】

さて、GWの最後は新宿で二本見てきました。一本目は「フェーズ6」です。
関東では「シネマスクエアとうきゅう」だけの公開ですが、その割には結構空いていました。レディーズデーだからなのか、ホラー映画にしては女性一人での来場もチラチラ見受けられまして、やはり若干とはいえ日本でもまだまだジャンル映画のニーズはありそうです。
本作を端的に表すならば「ゾンビの出て来ないゾンビ映画」です。まさに炭酸の抜けたコーラ。逆に言えば、ホラー映画が苦手だけどホラー映画の”フレーバー”だけちょっと味わいたいという微妙なニーズに応える映画です。微妙すぎる、、、。
本作は約90分の映画ですが、その間に起きる事は2つだけです。1つはひたすら「安息の地」に向けて必死に逃げるうちに段々と人間性を失って非道になっていく人間達の狂気の話。もう1つは全ての汚れ役を兄に押しつけて甘えていた弟・ダニーが、 遂に兄離れを果たして自立する話です。
そういった意味では、いわゆるゾンビ映画で起きる人間ドラマの部分は一通り網羅されています。唯一「恋人を助けるヒーロー」がありませんが、ミニマム規模だと考えればまぁ及第点でしょう。しかしですね、、、ゾンビ映画からゾンビを抜いてしまった結果、最も大事なドラマがごっそり抜け落ちてしまっているんです。
それは「襲われる恐怖」と「敵を倒すカタルシス」です。要は敵が出て来ないわけですんで、明確なカタルシスがまったく無いんです。
本作では「タートルビーチに着いてパンデミックが沈静化するまで待つ」のが最終ゴールとして設定されています。ただコレに根拠は全くありません。あくまでも記号としてしか使われていないんです。つまり本作の監督・脚本家は別に結末を描くつもりが無いんです。あくまでもその過程における「非人間的な行為」に対して、「そこまでして生き残る虚しさ」みたいなものを情緒的に表現しようとしています。
でもそれって本来ならばゾンビ映画の要素の一部分でしか無いわけです。ゾンビ映画の名作達がそれでも名作たりえるのは、その人間的な葛藤がありつつも一方で明確な「敵から逃げ、敵を倒す」というエンターテイメント的カタルシスがあるからです。本作ではそこがすっぽり抜け落ちてしまっているため、結果としてなんか微妙な「ホラー風味青春ロードムービー」になっています。
よく考えれば「ホラー風味青春ロードムービー」ってすんごいジャンルです(笑)。なんでも出来そうですよ。「ホラー風味青春スポコン映画」とか「ホラー風味青春ラブストーリー」とか(笑)。あ、それは「恋する幼虫」か。
もはや書いてて意味わかんないですが、肝心な所が抜けちゃったジャンルムービーってそりゃ一体誰がターゲットなんだって話しなわけで、、、それこそtwitterでちょっと書いたように、デートで怖くないお化け屋敷に入って予定調和的に「キャッ!」みたいな事しか用途が浮かびません、、、、、、微妙。
しかもぶっちゃけダブルデートしながらのロードムービーなのに全っ然恋愛要素が無いんですよ。若い男女が密閉空間の車の中で、しかも周りはほぼ人間全滅してるわけで、なんでそこで「アダムとイヴ」的な関係にならないのかさっぱり分かりません。ってかこのプロットをちょっと弄くれば、すくなくとも「アダムとイヴ」の人類創世(再生)の話にも出来るんですけど、、、、そこまではやらないか、、、そうか、、、、、微妙。

【まとめ】

なんといいますか、、、オタフクソースの無いたこ焼きというか、メンマの無いラーメンというか、ダシの無い味噌汁というか、、、、カタルシスな~んもないゾンビ抜きゾンビ映画というか、、、カルピスソーダ・カルピス抜きというか、、、、(以下略)。
ハッキリ言いましょう。
ツマンネ。
以上(笑)。完全に不完全燃焼です。宣伝は面白そうだったのに、、、、(涙)。



あ~レンタルでREC2借りてくれば良かった(笑)。

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恋する幼虫 / 中身刑事

恋する幼虫 / 中身刑事

昨日の2本目+短編1本は、
『戦闘少女 血の鉄仮面伝説』公開記念特集上映 「MUTANT MOVIES -SQUAD-」

「恋する幼虫」「中身刑事」二本立てです。

評価:(85/100点) – だって面白いんだも~~ん。井口ワールド全開!


【あらすじ】

●「恋する幼虫」
アスペルガーの気がある漫画家のフミオは、担当編集者のユキのふとした行動にキレて、Gペンで彼女の頬を刺してしまう。やがて出版社から連載打ち切りを告げられ仕事を無くしたフミオは、音信不通になったユキのアパートを訪ねる。するとそこには変わり果てて自暴自棄になるユキの姿があった。彼女の頬のアザは無残に膨れあがり、そこから食指が出て血を吸うようになってしまったのだ。吸血鬼となったユキは腹いせにフミオを扱き使うが、やがて二人の間には不思議な信頼が芽生え始める、、、。
●「中身刑事」
謎の感染症でゾンビが流行する世界。科学者のコージはゾンビ病を直す研究を進めていたがいっこうに成果が上がらない。ある日、恋人で婦警のサチエがゾンビに噛まれて感染してしまう。しかし、偶然にもサチエの同僚でストーカー気質の変態・ムラカミのゲロがサチエに掛かると、なんと病気が治ってしまった!ムラカミのゲロにはゾンビ病を治す不思議な効果があったのだ!次第にムラカミを頼りだすサチエと、それを快く思わないコージ。そして調子に乗り始めるド変態のムラカミ。こうして妙な三角関係が発生した、、、。


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【感想】

え~、今回は当ブログで初めてとなる非新作映画です。といっても名画座みたいなおしゃれな感じでは無く、完全に悪趣味(笑)。そう、5月末に公開される井口昇最新作「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」にちなんだお祭り企画です。

恋する幼虫

「恋する幼虫」については今や局所的にメジャーな作品で、井口昇監督の出世作と言ってもいいでしょう。ちょっとアスペルガーっぽいフミオの描き方が秀逸ですし、ユキが徐々に心を開いていく姿も完璧です。
なにせ、このフミオのキャラクターというのが、出てきてものの数分で誰の目からも明らかなほど的確かつ簡潔に描写されます。突然気が狂ったように喚き・暴れたり、かと思うと次の瞬間には急にオドオドしたり、最低なクズだけれどもどこか憎みきれないような絶妙な位置です。この糞野郎が徐々にユキに惚れていくのにそれでもここ一番で根性が出ないというもどかしさ。そして溜めに溜めたところからのラストの開放感。もちろん画面で起きていることはかなり酷く惨いんですが、それでも本当に奇跡的なハッピーエンドなんです。
でまぁ一応指摘しておけば、本作の「吸血」というのは直接的にSEXのメタファーになっているわけです。だからこそ、フミオはユキが元恋人や自分の知人を吸血するのを見て嫉妬しますし、ユキは同じ女性のササキさんの血は吸わないんです。
これはかなり重要な井口昇監督の特徴ですが、エログロをメタファーとして使用するため、そこを元の意味に置き換えるととてもオーソドックスな話になるんです。本作で言えば、頬をGペンで刺すのは「深く傷つける事」のメタファーですし、「吸血」はSEXのメタファーです。
ですから、実は本作は
「ある男が気になっているおとなしい女性を傷つけてしまった結果、彼女は自暴自棄になって男遊びに走ってしまう。罪の意識から彼女の言うとおりに合コンをセッティングしていた男だが、やがて二人の間に奇妙な信頼が生まれ、互いに恋に気付き純愛に発展する。」
というストレートなラブストーリーなんです。
ちょっと肉体破損描写があったり、ちょっとゾンビっぽいのが出たりするだけで本質は完全に良質なラブストーリーです。
だから恋を燃え上がらせる要素でしかない点、すなわち「何故ユキが吸血鬼になったのか?」「吸血鬼が増殖していって世界は大丈夫か?」という点は完全にスルーされます(笑)。だってラブストーリーの小道具に理屈もへったくれもないですもん(笑)。
DVDがツタヤにも置いてありますので、よかったら是非お手にとって見てみて下さい。グロいって言ってもモロに安い作り物がちょっと出るぐらいなので、ちょっと苦手なぐらいでも大丈夫ですよ。

中身刑事

こちらはビデオやDVDにはなっていません。昔「刑事(デカ)まつり」というイベント企画がありまして、そのなかで井口昇監督が撮った一本です。完全に出オチの悪ふざけなんですがこの15分という尺の中にこれでもかと下らないギャグネタを詰め込んできて変なニヤニヤ笑いが止まりません(笑)。この作品を見ると、エログロに頼らない井口昇の基礎能力の高さが良く分かります。オススメと言いたいのですが、なにせソフト化していないお蔵入り作品なので、目にするのは難しいかも知れません。
悪い事言いませんから、渋谷の近くの方は5月2日のシアターNで21時からやる再上映に行っといた方が良いですよ。次にいつ上映するか分かりませんから。本当は「刑事まつり」のDVDボックスでも出して欲しいんですけど、、、、やっぱ権利上難しいですよね、、、残念です。

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ダーリンは外国人

ダーリンは外国人

昨日見てちょっとツイートしちゃいましたが、

「ダーリンは外国人」です。

評価:(6/100点) – ダーリンは団体職員。私は夢見る漫画家志望!(のニート)


【あらすじ】

小栗左多里は漫画家志望の女の子である。左多里はイラストを人権団体に持ち込んだ際に知り合ったアメリカ人のトニーと恋仲になり同棲を始める。
そんな中、姉の結婚式で両親にトニーを紹介した左多里だったが、父から交際を反対されてしまう。父に認めてもらうため、自身が漫画家になって自立できるよう、左多里は漫画に打ち込んでいく。しかしそれはトニーとのすれ違いを生んでしまった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> トニーとの三回目のデート
 ※第1ターニングポイント -> 姉の結婚式。
第2幕 -> 左多里、漫画家への道。
 ※第2ターニングポイント -> 父が死ぬ。
第3幕 -> 左多里の渡米と結婚。


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【感想】

さて一日遅れですが本日は「ダーリンは外国人」です。小栗左多里の自伝的マンガの映画化で、原作には無い恋愛要素を拡大して劇映画にしています。
で、いきなり結論を言いますが、私は本作を見て怒りも悲しみも湧いてきませんでした。代わりにあったのはものすごい虚無感と放心です。というのも、本作の心底くだらない内容もさることながら、あきらかに適当にテイクをつないだカットとなんとなく適当に撮った構図に辟易したからです。

本作の適当ポイント

まず誰もが思うであろう事をツッコませていただけば、そもそもこの物語自体が「ダーリンは”外国人”」になっていません。
ハッキリ言って、トニーが外国人である必要がまったく無いんです。だって、本編の中でカルチャーギャップコメディはただの一度も成立していません。洗濯物の表示が分からないのは外国人に限りませんし、食器を適当にゆすぐのは外国人だからではありません。もっというと、父親が反対した理由は「外国人だから」ではなく「同棲開始時に挨拶に来なかった」からです。本編の中で、ただの一度も、本当に一瞬ですら、トニーが外国人である事が原因で喧嘩するシーンはありません。
はっきり言います。
本作は「ダーリンは外国人」ではなく「私は夢に恋するニート」です。
全ての喧嘩や仲違いの原因は、左多里の八つ当たりおよび常識の欠如であり、トニーの適当な性格に起因するものです。そこに日本人だの外国人だのといった文化論の入り込むスキは1ミリたりともありません。全て、個人の性格・性質のせいです。
本作で本気で呆れかえったのは、最終盤で左多里が母に「やっぱりトニーが外国人だから上手くいかないのかな」とボヤくシーンです。
400人収容の映画館で私含めて3人しか見ていなかったせいもあるのですが、思わず声に出してツッコんでしまいました。
ちげぇ~よ。オメェがワガママで無神経だからだ!外人関係ねぇし。
ホントに関係ないんですよ。カルチャーギャップ皆無。トニーが日本語ペラペラすぎるため、まったく左多里が異文化交流をしません。冒頭のパーティシーンで孤立する描写が良い例です。もし、彼女が異文化交流をしたがるタイプなら、パーティシーンでは英語が分からなくても身振り手振りだけで飛び込まないといけません。ところが実際には壁際でオロオロしてるだけです。だから、そもそも左多里は異文化交流に興味が無いんです。
ではここで問題です。異文化交流に興味の無い女が、日本語ペラペラの外国人と付き合いたがって、いきなり同棲を始める理由はなんでしょう?
もちろん本気で好きだからもあるんでしょうが、しかし彼女はことあるごとに「トニーは外国人だから」という言い訳/こだわりを持ち込みます。



と言うことで、私の考える答えはコレです。
外国人の彼氏とつきあえる私が大好きだから。
少なくとも本作を見る限りにおいて、左多里はトニーをブランドバッグか何かと勘違いしているようです。可愛そうなトニー。ちょっと間抜けで気が利かないだけなのに、外国人というレッテルで特別視されるなんて、、、。

本作の適当ポイント・その2

さて、カルチャーギャップコメディになっていないという問題もさることながら、次に挙げる点はある意味もっと深刻です。
左多里とトニーは何して食べてるの?
要は二人とも社会生活を営んでいるように見えないんですよ。二人が同棲している家はすごい広いですし、左多里の実家は石垣付きの大豪邸です。もちろんトニーの実家もアメリカでもかなり広い方の一戸建てです。
さて、冷静に考えてみましょう。左多里は漫画家志望で、バイト等している様子はありません。ほぼ収入ゼロです。一方のトニーは、人権ボランティア団体の勤務らしいですが、作中では一日中家に居ます。本物のトニー・ラズローの政治活動は一端脇に置いといて、この作中のトニーはそんなに儲かってるんでしょうか?
二人に全然生活感がないんです。トニーはいつも同じTシャツ着てますし、この二人がどうやって生活しているかがさっぱり見えないんです。少なくとも作中を見る限り、左多里は親からの仕送りのみで生活しているように見えます。
ニートに「私の彼氏って外国人なの。いいでしょ?」って自慢されても、そんなん知るかってことですよ。別にアンタが幸せならいいんじゃない?って。
でも自分と夫の馴れ初めをこんなファンタジー世界に脚色されて全国公開されたら、普通の”日本人”なら恥ずかしくなると思いますよ?
あ! これってカルチャーギャップコメディとして成立してるじゃないですか!?
観客と監督と脚本家と原作マンガ家のカルチャーギャップ(苦笑)。
全員日本人だし、、、どんだけメタ構造のアバンギャルド映画だよ、、、。

【まとめ】

原作ファンの方には怒られるかも知れませんが、この映画を見る限りに於いて、左多里には人種差別主義者の匂いがプンプンします。だってトニーが何をやっても「外国人だから」と思ってるような奴ですよ。根本的に左多里の精神構造では「外国人」を馬鹿にして(=特殊視して)見下してるんですよ。個人個人として向き合いたいとか言っておきながら、その心中ではものすごい差別意識があるわけです。しかもブランドバッグ扱い。最低ですね。左多里の両親の態度の方がよっぽど誠実です。
結局ですね、、、この作品はカルチャーギャップコメディにもなっていなければ、恋愛映画にもなっていません。ただワガママな女の見当違いな自慢話を見せられるだけです。
別にこれで良いと思うならいいんじゃないでしょうか?
ただし、こういった精神構造の人間が勢いづいて自己愛が肥大していくと、待っているのは辻仁成や押尾学のラインしかありませんので是非お気をつけ下さい(苦笑)。

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記事の評価
シェルター

シェルター

今日は「シェルター」を見てきました。

評価:(45/100点) – オカルト・サイコ・スリラーとして雑。


【あらすじ】

ある日精神科医のカーラは父親からの紹介でアダムと出会う。彼はデヴィッドという第二人格をもっており、デヴィッドになると歩けなくなったり色覚異常が直ったりしてしまう。解離性同一性障害に懐疑的なカーラは、アダムのペテンを証明しようと彼の素性調査を始める。しかしカーラが見つけたのは、実在したデヴィッドという人物だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> カーラが父の紹介でアダムと出会う。
 ※第1ターニングポイント -> デヴィッドの母親に会う。
第2幕 -> カーラの調査。
 ※第2ターニングポイント -> カーラが昔のフィルムを見る。
第3幕 -> アダムからの逃亡と結末。


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【感想】

今日は「シェルター」です。予告で変な仰け反り方をするジョナサン・リース・マイヤーズがとっても面白そうに見える新作です。ところが、、、まぁなんと言いましょうか、、、類型的すぎてちょっと安心して見られてしまうぐらいのヌル~~~イ作品でした。
というのも、全編を通じて”サイコスリラー的””オカルト・ホラー的”な描写を駆け足で適当に流していくんですね。その結果として別に驚くわけでもなく、「過去作品のダイジェスト映像集」を見ているような気分になってしまいます。
さて、毎回恒例ですが、今回も多数のネタバレを含みます。多分映画館にわざわざ見に行く人も少ないと思いますが(笑)、ジョナサン・リース・マイヤーズのファンで未見の方には「早まらないで!!」という言葉と共に、以下のネタバレをお気をつけ下さるようお願いします。早まらないで!!!。

話の骨格について

話自体は非常にありがちなオカルトです。いきなり全部ネタバレしますが、要は
「信仰を利用した悪徳牧師が、信仰厚いシャーマンのババァに呪いを掛けられ、不信心者の魂を攫うシェルター(魂を隔離する殻/悪魔)になる。」という話です。それって「エクソシ(以下略)
そこだけ取り出すと結構面白い話だとおもうのですが、問題は序盤から中盤に掛けてオカルト要素をあまり描かずにあくまでもサイコパス・スリラーの描き方になっている点です。作品がオカルト方向に完全に振り切れるのは、シャーマンの女がシェルターの実演をするシーンで、時間にしておよそ1時間20分。作品の大半がサイコパス方向です。そのため、お化けの話が唐突に見えてしまいます。カーラが最初から解離性同一性障害に懐疑的だからなんですが、それがカメラにも転移してしまっていて、オカルト的な要素が散りばめられているにも関わらずどこか冷めた演出になってしまっているんです。だって、死んだ人物が乗り移った多重人格者とか、咳き込んだ人が突然死したりとか、すっごい夢(?)がある話じゃないですか。でも、そんなの嘘だと言わんばかりのカーラの態度にカメラも同調した結果、見ている方もなんか微妙な空気になってしまいます。
咳き込むといえば、劇中で背中に十字架模様の「みみず腫れ」が出来て咳き込み始めると死ぬという描写があります。でも、実はこれ、冒頭を見れば分かるようにアダムにもあるんですね。ところが最終盤でフィルムに映されるムーア牧師はジョナサン・リース・マイヤーズが演じています。ということは、アダムはムーア牧師に乗っ取られた人間ではなく、完全にオリジナルのムーア牧師とイコールです。なので背中に十字架があるのは別にアダムのターゲットになったからではありません。ということは、、、いったい何がきっかけなんでしょう?
考え得るのは、信仰を失ったものには天罰として背中に「みみず腫れ」が出来るというものです。でもこれだと咳き込んで土を吐き出す描写が説明できません。口に土が詰まるというのはムーア牧師の特徴だからです。ではやっぱりムーア牧師のマーキングなんでしょうか?でもそれだとアダムにもある理由が説明できないし、、、謎。
この辺りのディティールの甘さがとってももったいないです。せっかく良い設定なのに、適当に投げっぱなしなんです。

テーマの消化について

本作は「信じる物は救われる」っていうバリッバリの宗教映画テイストです。正確には「信じない物は悪魔に襲われる」でしょうか。いずれにせよ「信仰」というキーワードに乗れるかどうかはかなり大事です。
集中力が切れてちゃんと英語を聞いてなかったのですが、字幕で牧師となっていたので松浦美奈さんの訳が正確ならこれはプロテスタントの話です。
なんですが、本作ではきっちりとした結末で消化してくれません。前述したように、クリスチャン・ムーア牧師は「信仰を利用した悪徳牧師」であるが故に呪われました。なので、この作品の結末はムーア牧師が信仰を取り戻す以外にあり得ません。しかも最後にちゃんとカーラがお祈りを聞かせるという決定的な場面があるんです。しかし結末は100%腕力です。っていうかオバちゃんのチョーク・スリーパーを振り切れない男って(以下略)
わざわざネタ振りまでして回収しないあたりが適当です(苦笑)。
あとこれは根本的な問題なんですが、どうしても宗教観に頼る作品ではあるので、私のような無宗教の人間にはイマイチ怖くありません。

【まとめ】

まぁいいんじゃないですか(←適当)。少なくともジョナサン・リース・マイヤーズのファンであれば、彼の赤ちゃんプレイが見れる貴重な作品です(笑)。しかし、、、ちょっとジャンルムービーの中でもレベル低いです。とはいえ、「フォース・カインド」よりは面白いので、興味を持った方は是非直感に従って劇場でお楽しみ下さい。
しかしここのところジュリアン・ムーアの地雷率はハンパじゃないです。
・フリーダムランド Freedomland (2006)
・トゥモロー・ワールド Children of Men (2006)
・NEXT -ネクスト- Next (2007)
・美しすぎる母 Savage Grace (2007)
・ブラインドネス Blindness (2008)
・シェルター Shelter (2009)
・50歳の恋愛白書 The Private Lives of Pippa Lee (2009)
・シングルマン A Single Man (2009)
勝率12.5%。面白いの「シングルマン」だけですね(苦笑)。今秋公開が決まったみたいなので是非お楽しみに。

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記事の評価
渇き

渇き

いまさらですが「渇き」を観てきました。

評価:(75/100点) – 変テコながらハイテンション。


【あらすじ】

神父のサンヒョンは己の無力感からエマニュエル・ウィルスの被験者となる。死亡率の高いEV実験の中で、サンヒョンは発症しながらも生き残った初めての被験者として奇跡の象徴となる。しかし彼が生き残ったのは、輸血を受けた謎の血液の効果だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サンヒョンがEV実験の被験者となる。
 ※第1ターニングポイント -> サンヒョンがヴァンパイアになる
第2幕 -> サンヒョンとテジュの浮気
 ※第2ターニングポイント -> テジュがヴァンパイアになる。
第3幕 -> 結末


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【感想】

今日はパク・チャヌクの「渇き」を見てきました。観ようみようと思ったまま時間が合わず、気付いたら公開終了だったので滑り込みです。
とても変テコでハイテンションで、そして凄まじいフィルムでした。
大ざっばなジャンルとしてはモンスターホラーものです。神父であるサンヒョンがひょんなことからヴァンパイアとなり、聖職者としてのモラルとヴァンパイアとして生きるのに必要な血の獲得の間で揺れ動きます。そしてその均衡を崩す存在としてのテジュ。崩れるまでの苦悩と崩れた瞬間からの開き直り。まるで前半と後半で別の映画を見ているようで、それでも確実にサンヒョンの価値観だけがまっすぐに芯が通っています。分かりやすいモンスターとして描かずに、まるでヴァンパイアであることを病気か障害のように苦悩する人間像というのは結構珍しかったりします。
ヴァンパイアみたいな怪物は「十字架が嫌い」「神の敵」みたいな位置でキャラ付けをされることが大変多いのですが、本作ではむしろ神に忠実な人間くさい男です。このアイデアは中々です。
演出面ではかなりぎこちないカメラワークを使ってきまして、とても無骨で荒い印象を受けます。それは本作のトーンにばっちりです。
またソン・ガンホのすこしやつれた顔がまるで苦悩が張り付いているように見えてきてとても嵌っていますし、キムオクビンの終盤でがらっと変わる演技も本当に素晴らしいです。手放しで褒められるような脚本ではありませんが、しかし丁寧な人間描写と的確な伏線運びはさすがのパク・チャヌクです。
ゴア描写有りの怪奇映画でここまで人間ドラマを描かれてしまっては、正直そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできません。そういった意味で、文句なくオススメできる良作です。ゴア描写が平気な人にだけですが(苦笑)。

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