Dr.パルナサスの鏡

Dr.パルナサスの鏡

本日は二本見てきました。一本目は

Dr.パルナサスの鏡」です。

評価:(80/100点) – これぞカルト映画の神髄。安心のテリー・ギリアム印。


【あらすじ】

パルナサスは数世紀前に悪魔・Mr.ニックと賭けをして永遠の命を手に入れた。しかし永遠の命は彼に生きることのつらさを思い知らせることとなる。そんな中、パルナサスは街で見かけた女性に恋をする。しかし彼は1000歳を越える年寄りで寄る辺もない。そこでMr.ニックはパルナサスに若さと彼女の愛を与えることにする。その代償は生まれてくる2人の子供が16歳になった時、ニックに引き渡すことであった、、、。


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【感想】

カルト映画好きならばニヤニヤが止まらない、傑作と呼ぶにふさわしい内容の作品でした。
話の内容は至ってシンプルで、「パルナサス老人が悪魔と勝負をして娘を助ける話」です。「96時間」などと同じプロットです。ただしそこはテリー・ギリアム。老いてなお手練れというか、この人は本当に変な映画を撮らせると天下一品です(笑)。
特に今回の「鏡の中には入場者の理想・妄想の世界が広がっている」「入場者は最後に2択を迫られ、正解を選べば現実に戻れるが不正解だと悪魔の手に落ちる」というこれ以上ないほどシンプルで意地悪な気色悪いゲームの設定は素晴らしいです。シンプルなストーリーも、このギリアム特有の「歪んだ世界」とヒース・レジャーの「胡散臭さ」が見事にトッピングされ、これ以上ないほど魅力的で気持ち悪い(←褒め言葉)ストーリーへと変身します。ごちゃごっちゃいうのも野暮なほど魅力あふれる役者達。そして微妙に薄暗くフィルムグレインのたっぷり乗った画面構成。少ない登場人物で物語の推進力を高める展開の旨さ。何処にも文句の付け所がありません。
強いて言うべきことがあるとするならば、ショウゲートの予告編は嘘ばっかってことです(笑)(Youtube)。
そりゃこんなカルトな映画に若い女性を一杯入れようと思ったらイケメン俳優で釣るしかないんですが、にしても酷い。少なくともヒース・レジャーはメインじゃないし、娘を救い出すために鏡に入るわけではありません。すごい意図的なミスリードです。どちらかというと、TOHOシネマズで流れるジョニーデップとおばちゃんが変なタンゴに乗せて踊る映像が一番内容に即してます(笑)。
是非劇場で見て欲しい作品ではあるんですが決して万人にはお勧めしません(笑)。特にジョニー・デップ狙いの女性には「そんなんじゃないよ!」と警告しつつ、しかし確実に、何があろうと、鉄板でオススメです!!!

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サロゲート

サロゲート

本日見てきたのは「サロゲート」です。

評価:(50/100点) – 普通。平均的。平凡。つまり無。

【三幕構成】

第1幕 -> サロゲートのある世界
 ※第1ターニングポイント -> 殺人事件が起きる
第2幕 -> 殺人事件の捜査 & トムが生身で活動を始める
 ※第2ターニングポイント -> ピーターズの>サロゲートがのっとられる。
第3幕 -> 事件の解決。


【あらすじ】

人間がリンクした疑体「サロゲート」によって世界中の犯罪は限りなく0に近くなっていた。そんななか、サロゲートが襲われオペレータが殺される事件がおこる。絶対安全と思われたサロゲート利用者が殺されたことは重大な問題であるため、FBIのグリアーとピーターズは極秘捜査を行う。そこにはサロゲートの開発者キャンターとVSI社の確執があった、、、。


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【感想】

普通。
悪いところも良いところもあって、いたって平凡な感じです。むしろ見た後に興味が再燃しないので若干つまらないよりかも知れません。非常にオーソドックスなサスペンスで、マクガフィンを探して彷徨うよくある話です。
ちなみに本作を見ている間中、実は攻殻機動隊がずっと頭に浮かんできました。きっと押井守なら、あのラストを人間とサロゲートの立場が逆でやったと思います。それやっちゃうとアバターですかね。
「人間の肉体がロボットで代行できるとしたら、人間の実存はどこに帰属するのか?」という命題は、攻殻機動隊およびイノセンス & 攻殻機動隊S.A.C.が5年以上前にとっくにやってます。
でも本作の方はそこまで踏み込んだ議論はしてくれません。美容整形手術と大差ないくらいの描き方です。そこはやはりSFものとしては不満でした。
10年前では考えられない非常に豪華なキャストが登場していますが、アメリカでは見事に転けました。有名俳優ばかり使っても客が集まらない良い例です。脚本もガタガタなりにこぢんまりとまとまっていますし、Vシネマだと思って気軽に見てみると良いかもしれません。
眠いのとあんまり書くことも無いくらい平凡な作品だったので今日はこの辺で(苦笑)

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ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女

ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女

2本目は「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」です。

評価:(75/100点) – 変テコな映画だが面白い!


【あらすじ】

「ミレニアム」の発行責任者のミカエル・ブルムクヴィストは実業家ヴェンネルストレムへの名誉毀損の罪で3ヶ月の禁固刑の判決を受けてしまう。
一方、ヴァンゲル・コンチェルンのヘンリック・ヴァンゲルはミカエルの身辺調査を行う。調査結果に満足したヘンリックは、刑執行まで6ヶ月の猶予があるミカエルを個人的な調査員として雇い入れる。調査内容はヘンリックの兄の孫娘で失踪中のハリエットについてである。ヴァンゲルは調査を進めるうちに、失踪が連続殺人事件に関連することを突き止める、、、。


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【感想】

この作品を見るのは2度目です。初回は東京国際映画祭でした。原作はスウェーデンの大ベストセラーです。
日本での配給元であるGAGAの宣伝方針なのかやたらとダヴィンチコードを連想させる宣伝を打ちまくっておりますが、はっきりいってまったく関係ありません。
どちらかというと羊たちの沈黙のようなシリアルキラーvs女性捜査官のサスペンス映画です。
サスペンスものなのでネタばれ無しで行こうと思ったらあまり書くことがありませんでした(汗。。
本作の面白さの大半はリスベットが担っています。リスベット役のノオミ・ラパスは苦労人で、長くアルバイトをしながら俳優活動を続けていましたが一向に芽が出ませんでした。ところが本作の大ヒットで一気にスターになっています。確かに眠らせるには惜しい逸材です。リスベットは物語の大半で独特なパンク・ファッションを身にまとっていますが、後半でビジネス・ウーマン風の格好をするシーンがあります。そのギャップたるや凄まじく、ノオミ・ラパスの俳優としての潜在能力が遺憾なく発揮されています。
ツンデレというと安っぽいですが、「難しい精神状態とつらい過去を持ったサディスティックなクールビューティ」というとんでもなく難しい役をこなしたラパスはもっと評価されても良いと思います。
また、話の語り口もかなり巧みです。2時間40分と非常に長い上映時間でありながら、見ている最中はそこまで長く感じませんでした。2012とは大違いです。ただし、容疑者候補となるヴァンゲル一家の紹介が序盤に駆け足で行われてしまうため、なかなか人物関係が頭に入らないと思います。実際、初めて見たときは家族構成がわけ分かりませんでした。
ということで、下記に家系図を載せときます。是非これを何となくでも覚えてから本作を見てみてください。家系図さえ頭に入っていれば相当面白いです。

【まとめ】

映画的な大傑作というたぐいの物ではありませんが、サスペンスとしてはかなり良くできています。一部性的虐待等のシーンがありますので、どなたかと一緒に行く際にはお気をつけ下さい。とはいえ見て全く損は無い映画です。是非見てみて下さい。原作3作全てを映画化するようですので、残り2作を楽しみにしています。
ヴァンゲル家・家系図

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キャピタリズム マネーは踊る

キャピタリズム マネーは踊る

日は仕事が早く終わったので「キャピタリズム マネーは踊る」を見てみました。
ちょっと感想としてきちんとまとめる気力がないので、日記としてダラダラ書いてみたいと思います。
降ちょっと乱暴に書くのはご容赦ください。詳しく書き始めると高校時代の卒論がフラッシュバックして寝そうなんで(笑)。あと私は無宗教・民主主義者です。キリスト教の熱心な信者の方はもしかすると気を悪くするかも知れないのでお気をつけ下さい。とはいえ陰謀論とかでは無いのでご安心を(笑)。
どうしてもですね、こういう宗教思想丸出しのドキュメンタリーを見るためには危ないところに踏み込んでいかないといけないんです^^;

プロテスタントと科学/経済

世界の設計図という概念

現代の科学(=サイエンス)を発展させたのは、ルネサンス期の強烈に熱心なキリスト教徒/プロテスタント達です。天文学で有名なケプラーなんかですね。彼らは腐敗したカトリック教会に疑問をもち、そして自らこの世に神様が居ることを証明するために「世界の設計図」を発見することに躍起になりました。

例えば太陽は東から昇って西に沈みます。バカボンの主題歌以外では常識です(笑)。
でも、それって本当ですか?今日までは確かに東から昇っていますが、もしかしたら明日は西から昇るかも知れませんよ?どうして「今日までは東から昇ってたから、明日も東から昇るはず」と断言できるんでしょうか?

この質問に論理的に答えられる人は居ません。なぜなら誰にも分からないからです。未来に行って本当にそうかどうか確かめる以外に、確実に断言できる方法はありません。でも一方で、たぶん明日も太陽が東から昇ることを誰も疑ってはいません。 それは何故でしょうか?

ルネサンス期のプロテスタント達はこれを「世界は神様が設計したから」と考えました。神様は万能ですから、神の作ったこの世界は設計図の通りに今日も明日も同じ動きをすると考えたんです。そしてこの設計図を解明することが神様がいる証明につながると考えます。ケプラーが毎晩毎晩、何十年も星の動きをただひたすらメモしつづけた執念はここから来ています。「実験と観察」という科学の基本は、実際にはこうした非常に特殊なキリスト教の価値観の上に成り立っているんですね。

“神の見えざる手”とは?

こでようやく本題の経済の話しに行きます。このプロテスタント達の「神が作った世界の設計図」という思想は科学だけには収まりません。例えばアダム・スミスの「神の見えざる手」という有名な言葉があります。学校では丸暗記させてロクに説明しませんが、この言葉は比喩ではなく文字通り「神様の行う目に見えない操作」を指しています。

自由競争経済下ではそれぞれがバラバラに個々の利益を追求しますので、過当競争で共倒れするリスクがあります。でもアダム・スミスは「神の見えざる手」によって「自然と調整されて最終的には皆がハッピーになる」と考えます。なぜなら世界は神様が作ったからです。
アホな人間が計画するくらいなら、神様の手に委ねる(=放っておいて成り行きに任せる)ほうが上手くいくと考えたのです。これが自由主義経済(=資本主義)の発想です。ですから自由主義経済においては政府の経済政策・市場介入を愚策と考えます。放っておけば神様が良くしてくれるのに、政府(=人間)が余計な手を出すのはマイナスだと考えるからです。
すなわち、自由主義経済/資本主義はキリスト教の価値観の上になりたっているわけです。これが原因で、アメリカの行う中東や南アフリカの「強制民主化政策」はあんまり成功しません。だってそもそもキリスト教徒じゃないですから(汗

そんなこんなで誕生した自由主義経済ですが、実際には内部矛盾をはらんでいます。競争する以上は勝ち負けがつき、そこに貧富の差が生まれるからです。貧富の差は「神の前では皆が平等」というキリスト教のお題目/基本理念に反します。

この自己矛盾を糾弾したのが、レーニンであり、マルクス主義/無神論者達です。社会主義においては「人間がきちんと計画・計算して、その通りに経済活動をする」のが最良と考えます。彼等に言わせれば「大半の人間はアホなので、放っておいたらロクなことにならない」からです。「神が作った世界の設計図」を真っ向から否定するわけです。だから頭の良い連中(=特権階級)が知恵を振り絞って計画を練って、みんなでその計画を実行します。これが「計画経済」です。
自由主義経済と共産主義、民主主義と社会主義は「神様にどう向き合うか」というポリシーが違うだけで、どちらもキリスト教から端を発したわけです。

カトリック/プロテスタントそれぞれの経済思想/価値観

熱心なプロテスタント達は働いて富を増やすことが「生めよ、増やせよ、地に満てよ(旧約聖書:創世記)」につながると考えます。そして稼ぎまくった後でそれを全て寄付でバラマキます。こうすることによって徳(=Virtue)が溜まり、最終的に死んだ後で「正義の女神(レディ・ジャスティス=日本における閻魔大王の美女ver.)」が持っている天秤によって自身の徳が計られ、そして天国に行けると信じています。
だからビル・ゲイツのように財産を腐るほど荒稼ぎした人間でも、引退すると福祉団体に寄付しまくるわけです。プロテスタントにとっての「お金」とは「死んだ後に天国へ行くための”徳”を買うもの」なんですね。ビル・ゲイツは自身の信仰に則って天国に行くために慈善活動をやっているわけです。決して「無償の愛」みたいなものすごい上品なことではありません。もっとも、無宗教の私から見ると、結果的に助かる人達がいっぱいいるなら動機はなんでも良いと思います。
資本主義における「金儲け」は、金の亡者になって現世でウハウハするためではなく、死後に天国に行くための1つの手段にすぎません。

どうでもいい余談ですが、こんな価値観が一番わかりやすく表れるのは、各国のご飯のおいしさです(笑)。キリスト教圏において、プロテスタントの国ほどご飯がまずく、カトリックの国ほどご飯が美味しいという傾向があります。これは完全に「現世」における価値観の違いです。プロテスタント達は、ご飯なんてどうでもいいんですね。そんな美味しいご飯を作ってる暇があったら、その時間でお金儲けをして「徳ポイント」を溜めたほうがいいんです(笑)。一方のカトリックは、「ご飯を作る才能は神様からの祝福である」と考えて、才能を使わないのは神への冒涜だと考えます。ですから、料理の才能がある人は一生懸命、美味しくて見た目も綺麗でお上品で、なにより手間のかかる料理を開発しようとします。

ざっと列挙してみても、スペイン料理、フランス料理、イタリア料理、おいしそうな所は大体カトリックです(笑)。一方のプロテスタント優勢国というと、イギリス料理、アメリカ料理、ドイツ料理。なんかみんな「とりあえず焼いとけ!」「とりあえず揚げとけ!」みたいな雑な感じがしませんか(笑)? 「わざとそういう国を選んでるだけじゃねぇか」って気もするんですが、その国がどっちが優勢かわからなくなったら、「ご飯が美味しいとカトリック。マズそうだとプロテスタント」と覚えておくと、結構当たります(笑)。


やっとこさ「キャピタリズム~」の話になります。マイケル・ムーアは資本主義を非難します。でも彼は神様を否定するわけではありませんし、共産主義に走るわけでもありません。むしろムーアは神様を熱狂的に信じていて、ウォールストリートやゴールドマンサックスという「人間の介入」「金の亡者」を悪であると断罪します。ほとんど陰謀論か妄想かと思うほど、再三再四、ムーアはゴールドマンサックスと金持ち連中をフィルムで罵倒します。
そしてインタビューとして神父さん(=カトリック)のところに話を聞きに行きます。当然神父さんは「金の亡者」を批判します。経済学者ではなく宗教家に聞くところが、ムーアの出来る男たる所以です(笑)。

この映画は、博愛主義(=福利厚生主義)的なカトリックであるマイケル・ムーアが、プロテスタント的な市場主義(=金儲け至上主義)である大手ファンド/金融市場をがっつり非難しているわけです。つまり、キリスト教内におけるカトリックとプロテスタントの喧嘩を映画でやってるわけですね(笑)。完全に宗教戦争です。

字幕では分かりにくいですが、ムーアが「キャピタリズム~」において非難しているのは「資本主義」そのものではなく「アメリカのやったプロテスタント的な資本主義の運用」です。だって資本主義はキリスト教的価値観に忠実に乗っ取っているんですもの。事実、劇中でも日本やドイツを例にして、「いままで日本・ドイツは資本主義で成功したけど、アメリカの真似して規制緩和した(=プロテスタント的な方向に梶を取った)からもうダメだ」という意見をだします

そして「キャピタリズム~」でおもしろいのは、ムーアがかなりの愛国者でもあるという点です。
彼が「いまこそ革命をおこそう!」と言ってるのを見て短絡的に「共産革命主義者」「学生運動と一緒」と思ってはいけません。むしろ彼は民衆による革命を通して、「カトリック的な良心的資本主義の運用」を求めています。というか、「リメンバー宗教戦争!」ですね(笑)。「いまこそマルティン・ルターを倒せ!」っていう方向の革命です。
その結果が、ルーズベルトの礼讃です。ルーズベルトの演説は理想的な「神様の前では皆平等」宣言です。ムーアはルーズベルトを引用した上で、富を増やすだけ増やして寄付しない連中達に「それじゃ地獄におちるぞ!」と罵っているわけです。これが転じて、銀行に対して「借金の取り立てばっかりやってないで、困ってる人に家ぐらい寄付しろ!」と言ってるわけです(笑)。ムーアの要求は法的には無茶苦茶ですが、カトリック的には至極妥当です。

ですから、本作の原題は「Capitalism ~a love story~」なわけです。ここでいう「love」は当然神様からの無償の愛であり、つまりは金儲け至上主義の連中たちの寄付=博愛行動なわけです。

まぁこんなもん日本人に見せられてもコメントしようがないですよね。僕ら仏教文化圏なんで(笑)。南無三(-人-)。
日本人で良かった(笑)。

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(500)日のサマー

(500)日のサマー

今日は二本見てきました。一本目は

「(500)日のサマー」です。

評価:(40/100点) – トムに感情移入出来るかどうかが全て


【あらすじ】

グリーディングカード会社でコピーライターとして働くトムは、ある日新入社員のサマーに一目惚れする。これはトムがサマーに恋をし、付き合い始め、破局し、そして立ち直るまでの500日を綴った物語である。


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【感想】

正直見る前は結構不安でした。というのも予告の時点で上記のあらすじは公開されていましたので、どこまでトムに乗れるかが心配だったんです。
そしてやはり不安は的中し、いまいちトムに感情移入出来ませんでした。サマー役のゾーイ・デシャネルがあんまり可愛くないというのもあるんですが(←失礼)、見せ方の問題でちょっと置いてきぼりを食らってしまいました。本作はストーリーもへったくれもありません。ひたすらいちゃいちゃするバカップルとその破局後にウジウジする奥手の男の姿が描かれるのみです。ですので、構造的にトムに移入しない限りは面白くなりません。私の場合はこの移入がうまくいかなかったため、退屈に感じてしまいました。たぶん過去に苦い恋愛経験をしていれば移入できるんでしょうが、、、。

移入ポイントについて

おそらく本作でトムにいまいち感情移入できない一番の理由は、トム側の事情があまり良く分からないからです。トムがなぜサマーに惚れたのか?トムがなぜサマーとつきあえるようになったのか?そしてトムが破局後にどういう要因でヤケになったのか?
全く描かれていないわけではないのですが、あんまり共感出来るような説明がありません。結果としてトムのヘタレっぷりとサマーの悪女っぷりが際立ってしまっています。
ネタバレもないとおもいますが、これ要は
「その気になった男が一人で盛り上がって運命の人だと舞い上がったが、単に悪女に二股を掛けられただけで、結局は振り回されて捨てられた。でも開き直って新しい恋に積極的になった。」
という話です。だからトムというジェットコースターに観客は乗る必要があります。

この映画の場合、トムへの移入は観客自信の過去の経験を投影できるかどうかに全てかかっています。
時系列シャッフルがその典型で、恋愛の記憶を走馬灯のようにして断片で振り返らせるんですね。ただそういう「運命の恋」みたいな記憶が無い私の場合、いきなり振られるところを見せられても何とも思えませんし、振られた後に出会いを見せられてもポカ~ンって感じです。

【まとめ】

話自体はまったく酷くはありません。私は結構ラブストーリーが好きでして、そういった意味では中盤のひたすらバカップルがいちゃついてる所もなんとか耐えられます。でもやはり「耐えられる」という表現になってしまいます。あんまり小細工せずに、思い切って奥手のトムの成長物語に特化してくれた方が見やすかったと思います。

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ジュリー&ジュリア

ジュリー&ジュリア

三が日最後の映画は「ジュリー&ジュリア」です。

評価:(40/100点) – おおむね良作だが最後で台無し。


【あらすじ】

ジュリーはコールセンターに務める公務員である。夫とピザ屋の2階に引っ越してきたジュリーは満たされない気持ちを晴らすためにブログを始めることを決意する。題材は大好きなジュリア・チャイルドの料理本「王道のフランス料理」。こうして524のレシピを一年で完遂するジュリー/ジュリア・プロジェクトが始まった、、、。


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【感想】

いきなりですが、私は本作はわりと好きです。現在パートは「ジュリアの本を使って日々を充実させようとするOLの話」、過去のパートは「夫と共にフランスに引っ越したジュリアが料理教室に通い、料理好きの友人を見つけて一緒に本を書く話」。このジュリーとジュリアの境遇の重ね方とシーンチェンジが中々うまく、「普通のいい話」として楽しめます。なによりお料理がおいしそうですし、俳優達が本当に良いです。
特にジュリアのパートはメリル・ストリープとスタンリー・トゥッチの「プラダを来た悪魔」コンビが非常に秀逸で、本当に微笑ましいというか幸せな気分にしてくれます。このジュリアのパートだけで一時間ドラマにしてくれれば何回でも見られます。

台無しポイント

とまぁ結構褒めモードなんですが、ところがですね、、、ラストがいかんのです。
まず第一に本作がメタ構造をとっており実話を元にした映画であるという点です。、そして寄りによってジュリー・パウエルが原作を書いてるわけです。要は本作の主人公にして「がんばるOL・悲劇のヒロイン」が作者なんですね、、、自画自賛?
自分自身をここまでヒロイックに書くような人は信用できません。
第二に過去の話と現在の話がうまくクロスしない点です。一応最後にスミソニアン博物館のジュリアのキッチン展示でリンクっぽい感じにはなるんですが、一方でジュリアがジュリーのブログを見て苦言を呈しているみたいな表現もあります。
ところがこの件については特にフォローすることもなく完全にスルーされてしまいます。
そこは拾わないとドラマにならないんですが、、、よほど作者に都合が悪いリアクションだったのでしょうか?
この二点のおかげで、私の中でラスト30分あたりから評価が一気に落ちてしまいました。残念です。

【まとめ】

もしこれが完全なフィクションであったなら、たぶん相当良い評価をしていたと思います。演出も無難ですし構成も悪くありません。最近「実話を元にした」作品がやたらと目に付きますが、それも善し悪しかと思います。本作はエンディングロールの一番最後に「この作品は実話を元にしていますが、ドラマティックにするためにキャラクターと物語に脚色を加えています。」と英語で表示されます。一方で、映画の冒頭では「この作品は二つの実話を元にしています」と日本語字幕付きで表示されます。
私の個人的な意見ですが、別に実話を元にしたから作品が偉くなるということは無いと思います。むしろ実話を元にしたということで変な制約が掛かってしまうように思えます。本作で言えばジュリー(=作者)を魅力的に描こうとすればするほど、単に自己顕示欲の強い嫌な女に見えてしまいます。逆にジュリアのパートはジュリーの憧れもプラスされてとっても素敵で魅力的です。
とはいえ、面白いのは間違いないですし、特に料理が好きだったり日常があんまり充実していない方には相当グッと来ると思います。
オススメはオススメなんですが、できればジュリア・チャイルドの伝記ものとして映画化して欲しかったですね。ジュリーのパートは全部いりません(笑)。

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ティンカー・ベルと月の石

ティンカー・ベルと月の石

うってかわって2作目は「ティンカー・ベルと月の石」です。

評価:(80/100点) – 子供向けと侮る無かれ。堂々たる傑作!

【三幕構成】

第1幕 -> ティンカー・ベルが“聖なる杖”を制作する大役を任される。
 ※第1ターニングポイント -> ティンカー・ベルが月の石を割ってしまう。
第2幕 -> インカンタの魔法の鏡を探す冒険
 ※第2ターニングポイント -> 魔法の鏡を手に入れる
第3幕 -> テレンスとの仲直りと秋の祭典


【あらすじ】

「物作りの妖精」ティンカー・ベルはフェアリー・メアリーの推薦で、秋の祭典用の聖なる杖を制作する大役を任される。秋の祭典は、8年に1度昇る「青い月」の光を杖の先の「月の石」に当てることで青い妖精の粉を生みひいては妖精達を生む大事な儀式である。ところがひょんなことからテレンスと大喧嘩したティンカー・ベルは、癇癪を爆発させた際の事故で月の石を割ってしまう。月の石は大変貴重な石で、簡単には手に入らない。そこで彼女は、願いの叶う伝説の「インカンタの魔法の鏡」を使って月の石を直す事を決意する。こうして魔法の鏡を求めるティンカー・ベルの冒険が始まった、、、。


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【感想】

素晴らしい。素晴らしいの一言に尽きます。わずか90分で道徳的でシンプルなテーマを完璧に語りきっています。是非とも文部科学省推薦で小学校低学年の道徳の授業に見せるべきです。お子さんをお持ちの親御さんは是非子連れで見に行ってください。正直に言って期待を大幅に上回る出来です。ディズニーはジョン・ラセターによって本格的に復活したのかも知れません。
あまりの出来の良さにちょっと興奮気味です。
話の構成は至ってシンプルです。「友達と喧嘩した女の子が一人で困難に立ち向かうが失敗し、友達の大切さを知って仲直りをする。二人で協力した結果、困難を乗り越え大成功を収める」。
超が付くほどベタで道徳的な話です。でも説教臭さが全然ないのです。アクションあり笑いあり冒険あり。そして根幹には道徳的なストーリー。「子供向けアニメとはかくあるべし」という鉄則を完璧に超ハイレベルで実践しています。大変よくできた子供向けファミリーエンタメ映画ですので、見終わった後に考えさせられるとか余韻に浸るとかいったことはありません。評価80点としてのはあくまでも映画として見たときにまだ上があるというだけの意味ですので、子供向けファミリー映画として見れば文句なしに100点満点です。脚本も一切無駄がありませんし、人物配置も完璧です。ただただ脱帽します。ディズニー・アニメもやれば出来るじゃない!というかジョン・ラセター凄すぎ。貫禄の安定感です。

【まとめ】

本作を「どうせ子供向けのアニメでしょ」と思って侮ってはいけません。ここまで基本を完璧にこなしている劇映画はそうそうありません。お子さん連れに限らず、カップルでも友達同士でもお一人でも、是非見に行ってください。間違いなく2009年のトップ10に入れるレベルの傑作です。超おすすめです!

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The 4th Kind フォース・カインド

The 4th Kind フォース・カインド

The 4th Kind フォース・カインド」見て参りました。

評価:(5/100点) – 工夫はしているが、、、。


【あらすじ】

アラスカ州ノーム。アビゲイル・タイラー博士は寝室で就寝中に隣で夫を殺害される。その後、子供2人を育てながら不眠症の村人のサイコ・セラピーを続けるうちに、多くの人が共通の体験を持っていることに気がつく。夜中に見えるフクロウとは何なのか?そして彼らが体験したことは?セラピーの結果から徐々にタイラー自身の体験と夫の死の真相が明かされる。


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【感想】

非常に微妙な出来です。予告はそこそこB級っぽい雰囲気を出していますが実際には矢追純一やMMRと何ら変わりありません。しかも矢追純一を見たときに感じる真剣過ぎてくだらないというギャグすら成立していません。本作はよく言えば器用に作りすぎであり、悪く言えばテーマと語り口のトーンがチグハグです。

本作に見られる工夫の跡

厳しいことを書きましたが、本作には一つ大きな工夫があります。それはフェイク・ドキュメンタリーをいかに本物っぽく見せるかという部分です。
例えばブレア・ウィッチ・プロジェクトでは、公開前のネタ振りとしてケーブルテレビで「ブレア・ウィッチの謎」と称した特番を放送しました。また前後にwebを用いて嘘のニュースを流し続け、映画があたかも事実であるかと思わせるために多くの宣伝手段を利用しました。報道と称して映画の宣伝を行うことの倫理的是非はありますが、しかし成功したのは事実です。
一方、本作では特に前振りは行っていません。webを検索していただくと分かるようにタイラー博士のそれっぽい嘘記事もほとんどありませんし、むしろユニバーサルの公式コメント(=あくまでも作り物であるという宣言)ばかりが目につきます。この時点でフェイク・ドキュメンタリーとしては駄目です。
しかし本作では2重の創作をかませるという発明を行っています。嘘のドキュメンタリーを劇中でさらに再現映像化することにより、より嘘ドキュメンタリーの信憑性を高めようという発想です。この手法は本当に発明だと思います。惜しむらくは、ドキュメンタリー部分(=劇中における”実際の映像”)の出来があまり芳しくないことです。話の内容自体はよくあるアブダクトもの(=宇宙人による誘拐話。)ですから、本作の成功はこのドキュメンタリー部分の出来にかかっています。せっかくタイラー博士にぴったりの役者を連れてきているのに、肝心のビデオカムが微妙すぎて何とも言えない雰囲気になってしまいました。残念です。
とはいえちょいと腹が立つ部分もあります。それはラストで完全に監督が投げっぱなしにしていることです。「信じるか信じないかはあなたの自由です」とか言うのは勝手ですが、じゃあ入場料返せと思ってしまいます。アブダクトものの映画ならそれらしく、最後まで「UFOは実在する」で押し切ってもらわないと困ります。だって弱気になる矢追純一なんて誰が見たいですか?弱気になる糸井重里なんて誰が見たいですか?彼らが真剣だからこそ客観的に見てる我々は面白いんです。「なにムキになってんの?バカじゃね(笑)」というのが彼らを見る偽らざる観客心理ですし、だからこそ人気があるわけです。でも本作では監督すら本気でUFOの存在を信じていないわけです。そんなもの見せられても何とも言えません。「はいはい、わかったわかった。で?」というのが私の率直な感想です。だって信じてないならこの映画の存在意義が無いじゃないですか。UFOの存在を啓蒙する気もなくUFOを否定する気もない。いったい誰をターゲットにして何故作った作品なのでしょうか?ハッキリしているのはこれよりも100倍は「奇跡体験!アンビリバボー」の方が作り手の意図が見えて面白いって事です。

【まとめ】

え~本作は春先にバルト9で見たアルマズ・プロジェクトとタメをはれるレベルのがっかり映画です。個人的な意見ですが、フェイク・ドキュメンタリーの面白さはやっぱり出落ちであり、そしていかに制作側が真剣に「捏造しようとしているか」だと思っています。本作のような酷い作品を見ると、改めて「ブレア・ウイッチ~」の偉大さが良く分かります。予算は関係ありませんし役者も関係ありません。いかに知恵と情熱を傾けられるかが勝負のジャンルです。
本作からは真剣さが一つも伝わりませんでした。もっとまじめにやっていればコメディとして成立していたのに、なんとも残念な話です。
劇中の村人よろしく、我々もこの映画の存在を忘れましょう。それが一番幸せです。
最後になりましたが大事なことを一つだけ書かせてください。昨年「曲がれ!スプーン」を見て良い話だと思った人は本作を見る責任があります(笑)。だって、UFOを信じるのが純真で素晴らしいことなんでしょ?だったら本作を見て是非とも信じてください。本作をつまらないといった人は本広克行にぶん殴られますよ(笑)。

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