久々の金曜レイトショーは
評価:(65/100点) – 鉄板のハリウッド・エンタテインメント
【あらすじ】
獅子心王・リチャード1世の時代。リチャード王に率いられたイングランド軍フランス遠征部隊に射手として参加していたロビン・ロングストライドは、王の死を知るや仲間を連れていち早く逃げ出した。イングランドへ渡る船へと向かう途中、ロビンは王冠を持ったロバート・ロクスリーが襲われた現場に出くわしてしまう。ロバートより王冠とロクスリー家の剣を託されたロビンは、騎士の服装を纏ってイングランドへ帰国する。そこには、リチャードの弟・ジョンとその腹心・ゴッドフリーが待っていた、、、。
【三幕構成】
第1幕 -> シャールース攻城戦とリチャード王の死。
※第1ターニングポイント -> ロビンがノッティンガムに住む。
第2幕 -> ジョン王の圧政。
※第2ターニングポイント -> 北の諸侯とともにゴッドフリー軍を撃退する。
第3幕 -> フランス軍との戦い。
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【感想】
今日は久々のレイトショーでリドリー・スコットの新作「ロビン・フッド」を見て来ました。金曜レイトにしてはそれほどお客さんは入っていませんでした。とはいえ、本作と来週の「トロン レガシー」がお正月大作映画の本命なのは間違いありません。(個人的には「キック・アス」と「モンガに散る」もですけどw)
最近BBCでもテレビドラマで「ロビン・フッド」をやっていましたのでその流れでコメディ寄りかもと若干心配したんですが、良くも悪くもいつものリドリー・スコット映画でしたw 「いつものリドリー・スコット映画」というと非常に乱暴ですが、つまりは政治的なメッセージを入れつつのスペクタクル映像満載でちょっと血が出る冒険活劇です。リドリー監督の前作「ワールド・オブ・ライズ(ボディ・オブ・ライズ)」で太りすぎてビックリされたラッセル・クロウも、きっちり割れた腹筋を披露してくれますw
ロビン・フッド物語へのリドリー的アプローチ
ロビン・フッドと言われて私が真っ先に思い出すのは、1973年のデイズニーアニメ版「ロビンフッド(※ロビンがキツネの作品)」と1976年のオードリー・ヘップバーンとショーン・コネリーの「ロビンとマリアン」です。この二つは共にロビン・フッドを題材にしていながら、まったく別のタッチの作品として歴史に名前が残っています。デイズニー版はひたすらコミカルで、プリンス・ジョンとロビン・フッドはさながら「トムとジェリー」や「ルーニー・トゥーンのロードランナーとワイリーコヨーテのコンビ」のような夫婦漫才を繰り広げます。一方の「ロビンとマリアン」は、年老いたロビンとマリアンがかつての代官との戦いを再びと老体にむち打ちます。こちらは哀愁に満ちた「枯れたラブロマンス」です。
ロビン・フッドというキャラクターは、判官贔屓から来る魅力とその圧倒的な人気によって、架空でありながらも多くの「お約束事」をもっています。マリアンとのラブロマンスしかり。”優しい力持ち”リトル・ジョンとのでこぼこコンビ。お茶目でずる賢いタック神父との交流。そしてジョン王を小馬鹿にしつつ金品を奪う義賊要素。ライオンハート・キング・リチャードの元で十字軍に参加し、その弟ジョン王の圧政に先王の代わりに鉄槌を下す正義の化身。多くの要素が相まって、アーサー王と並ぶイングランドのフィクション・ヒーローとして成立しています。
今回、リドリー・スコット監督はここ最近の監督作と同様のアプローチをしています。すなわち、「プライベート・ライアン以降のリアリズム表現」です。1998年のスピルバーグ監督作「プライベート・ライアン」は冒頭約30分におよぶ壮絶なノルマンディー上陸作戦の描写が大いに話題になりました。そしてそれまでの大作戦争映画ではなかなか無かった(もちろんサム・ペキンパーの不朽の名作「戦争のはらわた」とかはありましたけど。)、四肢や肉塊が飛び散る描写を行いました。手持ちカメラをグラグラ揺らすリアリズム表現もこの頃からです。
リドリー・スコットはこのプライベート・ライアンを相当苦々しく思っているのか(笑)、その後ことある事にプライベート・ライアンに対抗する演出を行っています。プライベート・ライアンの公開後すぐに制作を始めた「ブラックホーク・ダウン」では、彼は露骨にプライベート・ライアンを意識してほとんどパクリと言われかねないほどに似通った演出を行いました。
リドリーは初期の3作「エイリアン」「ブレードランナー」「レジェンド」で圧倒的なまでの世界観構築力を見せつけました。それ故にいまだにこの3作には熱狂的なファンがついています。彼がこの3作で行ったのは、予算の限りを尽くして特殊メイクや舞台セットを作り込むという「スペクタクル」の創造です。さすがにこの3作でやりすぎてしまったのと「レジェンド」が商業的に大コケしたことで、彼の「スペクタクル要素」は引きのショットを多用した「大自然風景スペクタクル」に移行していきます。本作でも特にラスト30分は空撮が目立ちます。大人数のエキストラ達が戦う合戦シーンも、彼なりの「スペクタクル要素」です。
本作ではその「スペクタクル要素」と「リアリズム表現」を徹頭徹尾ぶち込むことで、ロビン・フッドをより実在感のある存在として描こうとしてきます。ロビン・フッドの前日譚というある程度自由が効く設定を使うことで、リドリーは彼なりの「ヒーロー像」をいつも通りの演出で見せていきます。
そしてそのロビンの実在感の一端を担うのはもはや常連と化したラッセル・クロウです。ロビン・フッド=射手が持つ優男で小柄なイメージをぶちこわすマッチョで男臭いラッセル版ロビンは、しかし「十字軍に参加」「イングランドの英雄」というヒーロー像を分かりやすく体現しています。これも一つの実在感の表現です。非常に細かいところですが、本作のラッセル・クロウは常に両頬にでかいニキビをつけています。これも12世紀で風呂もロクに無い時代の実在感です。
本作におけるロビン・ロングストライドは血統書付きのナチュラル・ボーン・ヒーローです。「また生まれつき天才か」とかちょっと思ってしまうんですが(苦笑)、それはきっと私の心が汚れているせいです。ですが確かにこの12世紀という舞台では、一介の弓兵がヒーローとして諸侯と並ぶためにはそれなりの階級や根拠が無いと無理です。ですからこれも監督なりにリアリティを追求した結果のご都合主義だと取れないこともありません。
話の内容自体は非常にシンプルですし、ご都合主義や突っ込み所の嵐です。とくに後半にゴッドフリーが裏切り者だとジョン王が知る辺りからは、もはやストーリーもへったくれもないくらいの混乱が始まりますw ついワンシーン前までロバート・ロクスリーとして振る舞っていたのに次のシーンではいきなりロビンと呼ばれていたり、かと思いきや直後にはまたロクスリー家として周囲から認識されていたり、結構無茶苦茶なことになっています。とはいえ、きっちりケイト・ブランシェットの甲冑姿のサービスがあったり(もちろんクイーン・エリザベス仕様です)、義賊シーンがあったり、お約束事も入れてきます。タック神父が蜂を飼っているというのも、前述のディズニー版「ロビン・フッド」でタック神父がアナグマになっていることへのオマージュです。
そしてそういったリアリティ表現やお約束を入れた「エンタテインメント大作」の総仕上げとして、リドリー・スコットは遂にクライマックスで「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦の完全コピーに挑みますw 12年の歳月を経て、リドリー・スコットの「スピルバーグに追いつけ追い越せ」精神の集大成を見ることが出来ます。
【まとめ】
雑な話をスペクタクル映像で乗り切るという非常に”ハリウッドっぽい”大作です。その出来はまさに鉄板。つまらないこともなく、かといって面白すぎることも無く、きっちりとハリウッド式エンタテインメント映画を見せてくれます。リドリー・スコットがスピルバーグに追いつけたのかどうかは、是非皆さんが劇場で確認してください。個人的にはまだちょっと追いつけてないかなという印象です。
お正月にご家族やカップルで見に行くには、可もなく不可もなく、予備知識も特に必要ない鉄板の作品です。とりあえず冬休みに何を見るか迷っている方には無難な一本です。オススメです。
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