アーマード 武装地帯

アーマード 武装地帯

今日は「アーマード 武装地帯」を観てみました。

評価:(45/100点) – 悪役のが格好良いって本末転倒では?


【あらすじ】

元軍人のタイ・ハケットは弟との二人暮らしの生活を支えるために民間警備会社に就職する。そこには長年世話になっていたマイクや、そのほか個性的な面々がそろっていた。ある日、金に困っていたタイはマイクから輸送金の狂言強盗・着服計画を持ちかけられる。それは誰一人傷つけない計画だったはずだったが、、、。


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【感想】

本日は「アーマード 武装地帯」です。マット・ディロンにジャン・レノにローレンス・フィッシュバーンと、個性派を揃えた豪華なポスターが目に付きます。予告を見た限りはB級アクション映画かなと思っていたのですが、蓋を開けたらヒーロー誕生を描いた人間賛歌でした。ありきたりなような、でもちょっと変わっているような、変テコな作品でした。

話のプロット

話は至って単純です。タイ・ハケットというヘタレな人間が、自身の正義感に目覚める話です。その正義感に目覚める過程で多くの障害を克服していきます。
まずは、弟の品行を含めた家庭の経済問題です。彼の弟はロクに学校にも行かず、問題行動ばかり起こしています。そして家計を支えるためという言い分で学校をサボっており、ついに州の保護が入りかけます。これにプラスで家が二重抵当に入っており、すぐにでも金が必要になります。この追い込まれた状況下で、彼は恩人のマイクから提案された犯罪行為への荷担を了承します。ここで嫌々やるという描写がしつこく示されます。
そして計画を実行するわけですが、ベインズが目撃者のホームレスを射殺したのに怖じ気づいて、装甲車に立てこもって現実逃避を始めます。しかし見回りの警官が撃たれて重傷を負ったのを見て、彼を助けるために奮起します。そしてそこから、反撃という名の救難無線を巡る話が始まります。そして最後には悪党を殺してでも生き残ろうとする根性を見せるまでに至ります。
これはヘタレで前科持ちの若者が、マッチョでゴツいならず者を敵に回して、一時的でも正義のヒーローになる話です。

キャラクター配置について

キャラクターの配置はかなり密接にテーマと結びついていると思います。
悪役側の主要人物3人(マット・ディロン、ジャン・レノ、ローレンス・フィッシュバーン)は俳優としても相当なビッグネームです。一方のヒーロー役であるコロンバス・ショートは、「REC/レック2」や「ホワイトアウト」には出てましたが、はっきり言ってまだまだ知名度は低いです。そしてこの両者の対比構造は「筋骨隆々と細身」「マッチョイズムとヘタレ」です。そういった状況の中で、いうなれば弱い方であり一般人に近いであろう後者が、正義感を発揮して圧倒的な強者である前者を(狡い)工夫でぶちのめすわけです。しかも彼は元軍人で、どうもイラクで傷心して帰ってきているような描写もあります。いうなれば一般的なアメリカ人の観客に対して、「君らも勇気をだして正義感を出せばヒーローになれるよ」と励ましているような構図になっています。そのためにはどうしてもヒーロー役は一般人寄りにする必要があるわけです。これがセガールだったら誰も心配しませんし、悪党なんて瞬殺して映画が30分で終わっちゃいますから(笑)。

気になった点

以上のような配役の意図は大変良いと思うのですが、非常に残念なことに完全に悪党側が映画を「食って」しまっています。なにせ役者力のある(=アクが強い)個性派ばかりですし、装甲車に籠城するヒーローとそれを工夫で突破しようとする悪党というシチュエーションがどうしても悪党側に有利でした。悪党側が強大な壁となる意図は達成されているんですが、壁が高すぎてイマイチ登り切れていません(笑)。基本的にタイ・ハケットがやっていることは隠れて救難無線を入れようとする事だけなんですね。スケール的な問題でカタルシスがあんまり無いんです。結果として悪役の方がどうしても格好良くなってしまいます。
また、これはテーマとあまり関係無いですが、BGMの使い方がダサいのが気になりました。爆音ロックばっかりで、緊迫感があんまり表現できて無いんです。この辺はサウンドデザインになってくると思うんですが、ちょっと話を邪魔してしまっているような箇所が目立ちました。

【まとめ】

ミニマムな舞台構成で見せるアクションものとしてはそこそこの佳作だと思います。小品ではありますが決してショボイ感じはしません。むしろ俳優好きな方には結構面白く見られると思います。とはいえ、盛り上がりに欠けるのも事実でして、正直な所、レンタルDVDを待っても良いかなと思ってしまいます。
ちなみに私は夕方の回で見ましたが、観客は自分を入れて7人だけでした(苦笑)。ポスターは本当に格好いいんですけどね、、、。

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記事の評価
シェルター

シェルター

今日は「シェルター」を見てきました。

評価:(45/100点) – オカルト・サイコ・スリラーとして雑。


【あらすじ】

ある日精神科医のカーラは父親からの紹介でアダムと出会う。彼はデヴィッドという第二人格をもっており、デヴィッドになると歩けなくなったり色覚異常が直ったりしてしまう。解離性同一性障害に懐疑的なカーラは、アダムのペテンを証明しようと彼の素性調査を始める。しかしカーラが見つけたのは、実在したデヴィッドという人物だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> カーラが父の紹介でアダムと出会う。
 ※第1ターニングポイント -> デヴィッドの母親に会う。
第2幕 -> カーラの調査。
 ※第2ターニングポイント -> カーラが昔のフィルムを見る。
第3幕 -> アダムからの逃亡と結末。


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【感想】

今日は「シェルター」です。予告で変な仰け反り方をするジョナサン・リース・マイヤーズがとっても面白そうに見える新作です。ところが、、、まぁなんと言いましょうか、、、類型的すぎてちょっと安心して見られてしまうぐらいのヌル~~~イ作品でした。
というのも、全編を通じて”サイコスリラー的””オカルト・ホラー的”な描写を駆け足で適当に流していくんですね。その結果として別に驚くわけでもなく、「過去作品のダイジェスト映像集」を見ているような気分になってしまいます。
さて、毎回恒例ですが、今回も多数のネタバレを含みます。多分映画館にわざわざ見に行く人も少ないと思いますが(笑)、ジョナサン・リース・マイヤーズのファンで未見の方には「早まらないで!!」という言葉と共に、以下のネタバレをお気をつけ下さるようお願いします。早まらないで!!!。

話の骨格について

話自体は非常にありがちなオカルトです。いきなり全部ネタバレしますが、要は
「信仰を利用した悪徳牧師が、信仰厚いシャーマンのババァに呪いを掛けられ、不信心者の魂を攫うシェルター(魂を隔離する殻/悪魔)になる。」という話です。それって「エクソシ(以下略)
そこだけ取り出すと結構面白い話だとおもうのですが、問題は序盤から中盤に掛けてオカルト要素をあまり描かずにあくまでもサイコパス・スリラーの描き方になっている点です。作品がオカルト方向に完全に振り切れるのは、シャーマンの女がシェルターの実演をするシーンで、時間にしておよそ1時間20分。作品の大半がサイコパス方向です。そのため、お化けの話が唐突に見えてしまいます。カーラが最初から解離性同一性障害に懐疑的だからなんですが、それがカメラにも転移してしまっていて、オカルト的な要素が散りばめられているにも関わらずどこか冷めた演出になってしまっているんです。だって、死んだ人物が乗り移った多重人格者とか、咳き込んだ人が突然死したりとか、すっごい夢(?)がある話じゃないですか。でも、そんなの嘘だと言わんばかりのカーラの態度にカメラも同調した結果、見ている方もなんか微妙な空気になってしまいます。
咳き込むといえば、劇中で背中に十字架模様の「みみず腫れ」が出来て咳き込み始めると死ぬという描写があります。でも、実はこれ、冒頭を見れば分かるようにアダムにもあるんですね。ところが最終盤でフィルムに映されるムーア牧師はジョナサン・リース・マイヤーズが演じています。ということは、アダムはムーア牧師に乗っ取られた人間ではなく、完全にオリジナルのムーア牧師とイコールです。なので背中に十字架があるのは別にアダムのターゲットになったからではありません。ということは、、、いったい何がきっかけなんでしょう?
考え得るのは、信仰を失ったものには天罰として背中に「みみず腫れ」が出来るというものです。でもこれだと咳き込んで土を吐き出す描写が説明できません。口に土が詰まるというのはムーア牧師の特徴だからです。ではやっぱりムーア牧師のマーキングなんでしょうか?でもそれだとアダムにもある理由が説明できないし、、、謎。
この辺りのディティールの甘さがとってももったいないです。せっかく良い設定なのに、適当に投げっぱなしなんです。

テーマの消化について

本作は「信じる物は救われる」っていうバリッバリの宗教映画テイストです。正確には「信じない物は悪魔に襲われる」でしょうか。いずれにせよ「信仰」というキーワードに乗れるかどうかはかなり大事です。
集中力が切れてちゃんと英語を聞いてなかったのですが、字幕で牧師となっていたので松浦美奈さんの訳が正確ならこれはプロテスタントの話です。
なんですが、本作ではきっちりとした結末で消化してくれません。前述したように、クリスチャン・ムーア牧師は「信仰を利用した悪徳牧師」であるが故に呪われました。なので、この作品の結末はムーア牧師が信仰を取り戻す以外にあり得ません。しかも最後にちゃんとカーラがお祈りを聞かせるという決定的な場面があるんです。しかし結末は100%腕力です。っていうかオバちゃんのチョーク・スリーパーを振り切れない男って(以下略)
わざわざネタ振りまでして回収しないあたりが適当です(苦笑)。
あとこれは根本的な問題なんですが、どうしても宗教観に頼る作品ではあるので、私のような無宗教の人間にはイマイチ怖くありません。

【まとめ】

まぁいいんじゃないですか(←適当)。少なくともジョナサン・リース・マイヤーズのファンであれば、彼の赤ちゃんプレイが見れる貴重な作品です(笑)。しかし、、、ちょっとジャンルムービーの中でもレベル低いです。とはいえ、「フォース・カインド」よりは面白いので、興味を持った方は是非直感に従って劇場でお楽しみ下さい。
しかしここのところジュリアン・ムーアの地雷率はハンパじゃないです。
・フリーダムランド Freedomland (2006)
・トゥモロー・ワールド Children of Men (2006)
・NEXT -ネクスト- Next (2007)
・美しすぎる母 Savage Grace (2007)
・ブラインドネス Blindness (2008)
・シェルター Shelter (2009)
・50歳の恋愛白書 The Private Lives of Pippa Lee (2009)
・シングルマン A Single Man (2009)
勝率12.5%。面白いの「シングルマン」だけですね(苦笑)。今秋公開が決まったみたいなので是非お楽しみに。

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記事の評価
人の砂漠

人の砂漠

連休最後の映画は

「人の砂漠」です。

評価:

屑の世界     : 2/100点 – 雰囲気のみ
鏡の調書     : 0/100点 – 雰囲気すら無い
おばあさんが死んだ: 4/100点 – わかりきった出オチ
棄てられた女たちのユートピア: 60/100点 – 小池栄子ってこんなに演技できたっけ?



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【感想】

本作は1980年に出版されたジャーナリスト沢木耕太郎のノンフィクション短編を東京芸大の院生が映画化したものです。なので本作はバリバリの素人映画でして、立ち位置としては大学の映研以上プロ未満といったところでしょうか。ぶっちゃけて言いますともし本作が文化祭でふらっと入った映研の上映会で流れていたら、頑張れって感じで好意的に見られたかも知れません。しかし大学配給とはいえ商業ベースに乗せていますし、しかもプロの俳優をキャスティングしてるのですから、今や彼らは立派なプロです。「素人が撮ったのだから」という甘やかしのエクスキューズを無しにして、酷評させていただきます。

まずは総評として

本作は4つの30分短編からなるオムニバス作品です。4つの作品は全て「人の砂漠」から持ってきていまして、全てに共通するテーマは「人と人との繋がり」です。
まず見ていて最初に気がつくのは、一つ一つの短編が終わるごとに逐一スタッフロールが流れることです。つまり計4回のスタッフロールを見ることになります。あのですね、、、本作は仮にも「人の砂漠」という一本の「オムニバス映画」なんですよ。だったら4本の短編を総括する総合プロデューサーが居るわけですよね? 4本の並び順とかトーン調整とかクオリティのチェックを誰かがやってるはずでしょう? だったら、最後にまとめてスタッフロールを出せ!
逐一スタッフロールが流れる時点で、作り手はこの映画を「”人の砂漠”という一本の映画」にまとめる気が無いという風に私は解釈しました。そんな志なら1本450円の4本立て上映にしろ。
次に、「人の砂漠」を「2010年に」映画にするということの根本的な意味です。原作の「人の砂漠」は1970年代当時の日本における「日の目を見ない端っこの人間」を取材したルポです。そこには残酷だったり、可笑しかったり、平凡だったり、そういった「主役になれない人達」が居るわけです。で、、、今、2010年になって、何故この原作を映画化しようと江口友起氏が企画したんでしょうか?
1970年代のノスタルジーを再現したかったからですか?
2010年になっても通用する普遍的なテーマがあると考え、それを掘り起こしたかったからですか?
この映画を見る限りさっぱり分かりません。後述する各作品にも通じることですが、映画は雰囲気だけで成立するものではありません。そんなものは堤幸彦や本広克之のようなエンタメ監督に任せておけばいい話です。学生でしかも映画を専攻しているのであれば、きちんとテーマと演出を勉強してもらって、我々を、世界中の映画ファンを引っ張るような映画監督を目指してもらいたいです。それに挫折してからでも、コネさえアレばTV局や広告代理店経由でなら映画監督にはなれますから。
最後に、ノンフィクション作品を映画化する手法についてです。ノンフィクションを映画にするためには、再取材してドキュメンタリー映画にするか劇映画に脚色するかの選択が必要です。そしておそらく本作は後者を選んでいます。だったら、各作品にテーマを決めて、嘘や誇張を混ぜながらストーリーを組む必要があります。ここが決定的に弱いです。特に前半3編については視点を決められなかったのが完全に失敗です。

1. 屑の世界

まず、1編目の「屑の世界」です。詳しい描写が無いのでさっぱり分かりませんが、おそらくホームレス達に慕われている屑鉄屋の主人公が、行政に強制移転命令を出された腹いせにマンホールや公園遊具の鉄を盗んで逮捕される話です。
これは本当に酷い雰囲気のみの作品です。そもそも孫がなぜ家出をしたのか?何故屑鉄屋がホームレスに慕われているのか?近隣住人との確執は?移転先に仲間を連れて行けない理由は?
背景が全く描かれないためにキャラクターが全て記号としてしか機能していません。まったく人間に見えませんので魅力なんぞあるはずもなく、何が起きても何の感慨も沸きません。
映画にとって視点の受け皿がいかに大事かが良く分かる反面教師的作品です。

2. 鏡の調書

これが本オムニバスの中で最も酷いです。ある詐欺師のおばちゃんが、田舎の商店街で町内会のおじさん数人とスーパーのレジのおネェチャンを騙す話です。これは演出の方向性を決められていないため終始意味不明な作品になっています。
そもそも本作のプロットは相当面白いはずです。なにせキャラの濃い詐欺師のおばちゃんの話なんですから。
・おばちゃんを格好良いアンチヒーローとして描くのか?
・おばちゃんをどうしようもない極悪人として描くのか?
・またはその振り幅で人間の奥行きを描くのか?
・犯罪サスペンスとして描くのか?
・コメディとして描くのか?
本作を劇映画に落とし込むためには、演出の方向性を決めないと行けません。この作品では方向がグラッグラのため、まったく説得力の無い退屈な映像の羅列になってしまっています。夏木マリの化粧がコントのそれですので、ルックスはコメディ方向に見えます。でも微妙にシリアスな雰囲気覆われていてまったくギャグが入りません。見ていてこの作品を監督がどうしたいかが見えてこないため、こちらも戸惑ったまま見続けることになります。結果的には何も盛り上がらず、何も伝わらない、雰囲気すら作れていない映像の羅列です。ホームビデオ以下。ご愁傷様です。

3. おばあさんが死んだ

これは惜しい作品です。ある母子家庭で性格に問題のある母親が、病気がちな息子の看病を通じて精神を病んでいく話です。まず話全体が完全にラストの出オチのみに向かっていきます。方向性があるだけ「鏡の調書」よりはマシですが、前半で無意味な時系列シャッフルをしてしまうことで出オチが早々にバレてしまい、全て台無しです。時系列シャッフルというのは「オシャレ映画を作るためのカジュアルなツール」ではありません。なんでもかんでも時系列をシャッフルしては逆効果です。また息子の描写が薄いために終盤のインパクトが相当減じています。予定調和過ぎるというか、ベタベタな記号にしか見えません。せっかく向かいの娘さんを盗聴したり気があるそぶりをしたりする描写があるのですから、きちんとそこを積んでいけばもうちょっと良い作品になったと思います。
室井滋はよかったので、もっと親子のすれ違いで母親が追い詰められていく姿を描いた方が良かったです。残念。30分という制約はあるでしょうが、大変惜しいです。

4. 棄てられた女たちのユートピア

これが本作の中で唯一まともに構成された作品です。親に棄てられて自暴自棄になっていた元売春婦が、精神を病んだ人たちの暮らす教会で自分の人生を見つめ直して立ち向かおうとする話です。
不器用な作品ですが、私は結構好きです。
話の根幹は、親に棄てられた「いちこ」の成長物語です。きちんと「いちこ」の内面が描かれていますし、「いちこ」と「香織」と「娘」の関係性の作り方が良く出来ています。娘に説教しながらもその実は自分に説教をしているところなど、なかなか出来ない演出です。
キャラクターを描いて、ストーリーを組んで、きっちり30分にまとまっていますから。4本ともこのスタッフに撮らせた方が良かったのでは?

【まとめ】

ということでざっくりと4編を見てきましたが、はっきりいって劇映画として成立しているのは最後の「棄てられた女たちのユートピア」だけです。とはいえこの「棄てられた女たちのユートピア」がかなり良い作品ですので、見て損は無いと思います。
本作に参加した学生の方達は是非とも良い映画監督を目指していただきたいです。

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アイガー北壁

アイガー北壁

二本目は

アイガー北壁」です。

評価:(95/100点) – 物語の因果律を粉砕する大自然の驚異。


【あらすじ】

時は1936年。ベルリンオリンピックを二週間後に控えたドイツでは、アルプス山脈にある前人未踏のアイガー北壁が話題となっていた。アイガー北壁を初登攀した登山家は五輪会場で表彰を受けるという栄誉が与えられるのである。多くの登山家がアイガー北壁にチャレンジしようと麓に集まるが、その中に二人の若者がいた。トニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーである。これは2人のドイツ人が前人未踏の断崖に命がけで挑んだ、壮絶な死闘の記録である。

【三幕構成】

第1幕 -> ルイーゼの取材。
 ※第1ターニングポイント -> トニーとアンディがアイガー北壁挑戦を決め麓へ向かう。
第2幕 -> アイガー北壁登攀。
 ※第2ターニングポイント -> ヴィリーが重傷を負い、登攀を断念する。
第3幕 -> 引き返し道。


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【感想】

二本目は「アイガー北壁」です。私は不勉強にして知らなかったのですが、50歳以上の登山家の方々にはかなり有名な事件の映画化です。公開館が少ないこともあるのでしょうがかなり観客が入っていました。
2人の友情厚い男が命を賭けた挑戦。そして麓で帰りを待つ愛する女性。荒ぶる自然とストイックなまでにヒリヒリとした緊張感ある画面構成。文句無しの傑作です。
本作では劇中何度も、お約束のように伏線めいたものが張り巡らされます。そして事あるごとにその「劇映画的な予定調和・因果律」があっさりと大自然に捻り潰されます。しかしそこにあるのは思い通りにいかないフラストレーションや悔しさではありません。その圧倒的なまでのパワーにただただ圧倒されそして為す術もない人間達が映し出されます。手に汗握る緊張感とどうしようもない無力感。かすかに見える希望とそれが閉ざされる絶望感。本作にはあらゆるサスペンス要素が完璧なまでに詰め込まれています。あっという間の120分の後で、畏怖や感動を与えてくれる映画です。
観客はルイーゼと一緒にペンションで待つしかありません。ルイーゼは暖かい暖炉の前で、我々は手の出しようがないスクリーンの前で、凍える北壁に挑戦する男達を見守るわけです。そこに映し出されるのは感情を剥き出しにして命を削る男達の戦いです。
とまぁ絶賛モードなんですが、一点だけ微妙にひっかかる部分があります。それはオーストリア人の描き方です。登山史に明るくないためもしかしたら史実なのかも知れませんが、本作においてエディとヴィリーのオーストリア隊は最低な奴らとして描かれます。トニーが独自のアイデアで引いた登攀ルートの後を尾いてきて盗みますし、アンディが歴史的なトラヴァース(横渡り)で作った渡り綱を勝手に利用したりします。そして雪崩で負傷して勝手にドイツ組に合流したあげく、足手まといになり続け終いにはドイツ組の夢を壊します。全部おまえらが悪いと言わんばかりの展開でして、ちょっとどうかと思いました。またペンションにもオーストリア人と思われる夫婦が泊まっているんですが、男の方が登山にまったく無関心で、結構嫌な奴に描かれます。政治的な意図は無いのでしょうが、ちょっと気になりました。

【まとめ】

山岳映画といえば、昨年日本でも「剱岳」がありました。「剱岳」は登山描写に関しては根性一発で風景映像のみ楽しむようなところがありましたが、本作ではその心理状況からロジックの部分までとても丁寧に描かれています。ヒューマンドラマとしてみても、スポーツドラマとしてみても、文句無しの大傑作です。おそらく山岳映画としては10年・20年経っても語り継がれる類のマスターピースになるでしょう。
全映画ファン必見の作品です。オススメです!!!

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スパイアニマル・Gフォース

スパイアニマル・Gフォース

本日も二本観てきました。一本目は

新作3D映画「スパイアニマル・Gフォース」です。

評価:(10/100点) – 「可愛いだけじゃダメかしら?」「はい。ダメです。」


【あらすじ】

FBIのベンは独自に動物をスパイ要員として育てるプロジェクトを立ち上げていた。しかし、FBI本部は研究費の削減を理由にプロジェクトの廃止を決定する。なんとか実績を上げてプロジェクト存続を狙うベンは、かねてよりFBIが目をつけていたセーバリング・テクノロジーのCEO・レオナルド=セーバー邸への潜入ミッションを計画する。実戦部隊は三匹のモルモットと一匹のモグラとハエ。こうしてGフォースの初ミッションが始まった。

【三幕構成】

第1幕 -> Gフォースの初ミッション。
 ※第1ターニングポイント -> Gフォースが研究室を追われる。
第2幕 -> ペットショップからの脱出。
 ※第2ターニングポイント -> ベンの元に合流する。
第3幕 -> セーバー邸への再突入。


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【感想】

本日の一本目は「スパイアニマル・Gフォース」です。本当はワーナー・マイカルMMのRealDで見るつもりだったのですが寝過ごしてしまいまして、ブルク13のXpanDで見ました。観客は圧倒的に子供連れが多く、入りは6割といったところでしょうか? そういえば、そろそろ春休みが始まってるんでしょうかね。子供が多かった割には本編上映中はおとなしかったので、子供達はきっと集中して楽しんでいたと思います。
しかしですね、、、本作を子供連れで見に行くのは正直どうなんでしょうか? その理由を述べたいと思います。

本作の立ち位置と難点

本作は人間の言葉が話せるモルモットが活躍する戦隊ヒーローものです。「モンスターズ・インク」と「ボルト」で完全に確立された「動物の毛並みの表現」をフルに使用したモルモットは本当に可愛いです。ラブリーです。そして敵は家電業界のトップ。世界滅亡を企むテロリストとしてFBIが数年来マークしていたそうで、そこにGフォースが突入します。話の構図の単純さやルックスを見るにつけ、完全に子供連れファミリーをターゲットにしています。子供向けの勢い重視の作品で脚本の穴を指摘するのはヤボだと思いますが、しかし本作を私は子供騙しの酷い駄作だと思います。
まず、話に一切驚きや興奮がありません。スパイの大味ヒーローものというと真っ先に「ミッション・インポッシブル」が浮かびますが、あの作品で描かれていたようなハラハラドキドキのシチュエーションが一切ありません。「ミッション・インポッシブル」も決して褒められた作品では無いですが、それでも一時的なサスペンス・シチュエーションだけは作っていました。そういったハラハラが無いので、そもそもGフォースの活躍が良く分からないという事態になっています。

本作の倫理的な問題点

次に、本作の抱える倫理的な問題です。私が見る限り、許し難い問題点が3点あります。
1点目は途中でダーウィンが自信を無くすシーンです。彼は自分が遺伝子操作をされておらず、普通のモルモットだということにショックを受けます。そして、そこから立ち直る理由が「僕はエリートだから」なんですね。はぁ!!!???? 挙げ句の果てには「僕はペットショップのモルモットとは違う。訓練を積んだスペシャルなモルモットだ!!」とか言い出すわけです。これって素直に「僕は努力をしたから出来るはずだ」って言わせれば済むことなんです。なんでそんな差別的な表現をするんでしょうか? しかも肝心の努力をするシーンが全然映らないものですから、まったくのお笑い草です。
2点目は、ハムスターとフェレットの合いの子を「合いの子だから(純血じゃないから)」という理由で主人公・ダーウィンがいじめる描写です。しかも謝らない。それどころか、その合いの子が実は嫌な奴だというエクスキューズまで後からつけるんです。合いの子をいじめるのはOKなの? 合いの子って根性ひねくれるものなの? それってナチスに通じる純血主義そのものですよ。他民族国家アメリカでは一番センシティブな話題のはずです。もしやアメリカでは、父親が黒人で母親が白人だといじめてOKみたいな裏ルールでもあるんでしょうか?
3点目は、勧善懲悪のフォーマットがボロボロだという点です。今回の黒幕は「両親を人間に殺された」恨みをはらすために人間を皆殺しにする計画を立てます。そして実際に実行に移すのですが、ダーウィンの説得にあっさり応じて計画を緊急停止します。そして罰として自分の作った兵器の後片付けを命じられます。
まず、この緊急停止までにかなり時間があるため、作品内の描写の威力であれば間違いなく何(百)人かは死んでます。人が死んでいるのに後片付け程度で済んで良いのかというのが引っかかります。さらに、そもそも根本的な問題である「黒幕の両親が人間に殺された件」が完全にスルーされています。それは落とし前つけないとダメじゃないですか? 殺した人間が謝るでも良いし、今後殺さないようなルールや工夫ができるでもいいし、何かしら回収するべきです。ものっすごい人命軽視です。

【まとめ】

本作は話が単調でつまらないという以上に、倫理的に問題がありすぎます。可愛ければ/格好良ければなんでもOKという酷いスタンスです。もしあなたが子供連れの親御さんだとして、子供にこういう思想を持って欲しいですか? 「いじめ上等。」「人間は見た目が全て。」「人を殺してもせいぜい数年刑務所に入るだけならいいじゃん。」等々。もしこれがOKということであれば、いますぐお子さんを連れて劇場に行きましょう!! オススメです!!!
本作のプロデューサーであるジェリー・ブラッカイマーの親はナチスから逃げてアメリカに来たユダヤ移民なんですが、本当にこれでいいんですかね? 「ブラックホーク・ダウン」でもソマリアの黒人をゾンビのように描いていましたし、ちょっとブラッカイマーはファミリー映画をやらせるには思想に問題がありすぎるように思えるんですが、、、。

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記事の評価
マイレージ、マイライフ

マイレージ、マイライフ

2本目は、ゴールデングローブの脚本賞を獲りました、

マイレージ、マイライフ」です。

評価:(90/100点) – 大人になるって、悲しいことなのかもね、、、。


【あらすじ】

ライアン・ビンガムはやり手の解雇通告人である。彼は依頼の来た会社に出向き人事担当に変わってリストラを穏便に通告していく。仕事で毎日のようにアメリカ中を横断する彼にとって、飛行機こそが「我が家」であった。ある日、新入社員のナタリーはビデオチャットで解雇を告げるシステムを会社に提案し、出張経費の削減を図ろうとする。これに反対したビンガムに、会社は彼女を実地研修のため出張に同行させるよう命じる。こうして、ビンガムとナタリーの解雇通告の長期出張が始まった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ビンガムの仕事風景とアレックスとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ナタリーが出張に同行するようになる。
第2幕 -> ビンガムとナタリーの仕事。そしてビンガムとアレックスの恋愛。
 ※第2ターニングポイント -> ビンガムの妹の結婚式が終わる。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

さて、残念ながらアカデミーは無冠に終わりましたが、ゴールデングローブ脚本賞を獲りましたマイレージ・マイライフです。監督は「ジュノ」のジェイソン・ライトマン。「ゴースト・バスターズ」で有名なアイヴァン・ライトマンの息子です。主演は大根役者ながら人の良さがにじみ出ているジョージ・クルーニー。ちなみに私はジョージ・クルーニーが大好きです。夜の早い回で見ましたが、かなり観客が入っていました。それでも大箱では無いのが残念です。
本作の原題は「Up In the Air」で、直訳しますと「空中を漂う」となります。ダブルミーニングになっていまして、「飛行機」そのものと「地に足が付いて無い男」の両方を表しています。すばらしいタイトルですので「マイレージ、マイライフ」よりも、これを意訳したタイトルをつけて欲しかったです。
また、以下の文章は例によって若干のネタバレを含みます。結末を知って見方が変わるたぐいのエンタメではありませんが、まっさらな状態で観たい方はご遠慮下さい。

本作のストーリー

本作の主人公ライアン・ビンガムは、独身で親戚や近所付き合いもほとんど無く、ほぼ一年中出張しています。夢は史上7人目の1000万マイレージを貯めて機長と会話をすること。時には「What’s In Your Backpack? (あなたは何を背負ってる?)」というテーマで「悠々自適な人生」の講演会まで引き受けたりします。彼にとっては家族は重荷であり、女性とも「カジュアルな関係」以上には踏み込みません。非常に合理的というか実利的に生きています。彼にとっては空港と飛行機がくつろげる唯一の場所であり、アテンダントの笑顔が癒しです。
ところが、彼が仕事として解雇通告をする際は非常に人間的で親身な対応をモットーとします。マニュアルに沿って事務的に解雇通告するのではなく、きちんと相手に納得させた上で生きる希望をもたせます。
そんな中で、彼は自分とは180℃考えの違うナタリーの面倒を見ることになります。プレイベートでの彼女は若くしての結婚を望み、高学歴ながら彼氏を追ってオマハまで来て解雇人のような泥臭い仕事に就きます。しかし仕事となると彼女は徹底した合理主義者になります。経費削減のためのビデオチャットを提案し、解雇通告もフローチャートでマニュアル化して誰でも出来るようにしようとします。
そんな全く別の存在・ナタリーがいる一方で、ビンガムは自分と同じく出張好きのアレックスに出会います。彼女との恋愛はあくまでも「カジュアルな関係」であり、お互いにショートメールをしたり落ち合って一晩だけ過ごしたりするだけの関係です。
この「似たもの同士」「正反対」という2人の女性を通じて、ビンガムは自身の価値観を徐々に変えていきます。

ビンガムの価値観

彼にとって家族は重荷です。女性とも真剣に付き合いません。そして飛行機が大好きです。要は「子供」なんです。たしかに仕事中にはとてつもない包容力を見せますが、プライベートは決定的に「子供」です。
彼は終盤、2人の女性を通じて真面目に恋愛しようと決意するに至ります。要は大人になろうという決意を固めたわけですね。まさにそのとき二つの悲劇が起こります。そしてこの悲劇によって彼は否応なく大人に”させられて”しまいます。彼は他人との関係をきちんと考えるようになります。それが如実に表れるのが最後に出てくる「ある手紙」です。
しかしその一方で、彼は夢が叶っても素直に喜べず、いままで好きだったはずの物を前にしてただ呆然としてしまいます。大人になったことで世界から喜びが消えてしまったんです。ビンガムは間違いなく「正しい大人」になったんですが、幸せそうには見えません。
本作における大人への成長は、責任の獲得であり、無邪気さの消失であり、そして夢に向かう情熱の喪失です。
本作が上手いのは、この流れが序盤でビンガムが解雇通告する際の話に通じるところです。ビンガムは自身を「ウェイクアップ・コール(目覚まし電話・価値観の転換を促す存在)」だとし、リストラ対象者に子供のころの夢をあきらめるなと言うんですね。ところが、いざ自分がウェイクアップコールを受けたら夢が消えちゃったんです。
だから、発着陸掲示板を前にしたビンガムの姿を見て、ちょっと泣いちゃうわけです。

【まとめ】

本作はかなりアクロバティックな変形の「少年の成長物語」です。たぶん社会人ならば、そして特に夢をあきらめざるを得なかったサラリーマンやOLなら、誰しも身につまされて心を揺さぶられるでしょう。ただのエンタメではありません。ある種のロマンでありファンタジーがこの作品には詰まっています。
大規模公開ではないですが見ておくべき良作です。間違いなくオススメします!!! 劇場で泣いてしまえ!!!

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ブルーノ

ブルーノ

日も二本です。
一本目でブルーノを見てきたんですが、ちゃんと書くのが難しいので駄文で逃げたいと思います(笑)。

評価:(80/100点) – 正気とは思えない、受け止めるのが大変な芸人魂。


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【感想】

この作品は言わずと知れたイギリスの体当たりコメディアン、サシャ・バロン・コーエンの持ちキャラクター「ブルーノ」を映画にしたものです。今回はゲイキャラということで、とにかく「アナル」と「ち○こ」ネタが大量動員されていまして、画面上がモザイクだらけです。相変わらずの有名人ネタも多く、特にメル・ギブソンを「反ユダヤ人の親分・総統」呼ばわりしたり、アイドルにして人権派のポーラ・アブドゥルに男体盛りを出したり、かなり危ないギャグで弄くります。
不謹慎コメディとしてはかなり度を超している凄いレベルなんですが、どうしてもアメリカのドメスティックな笑いになってしまうため、日本人には分かりにくい部分があります。アーカンソーは保守的なのでゲイがやばいとか、ユダヤ教でゲイはやばいとか、アラバマの荒くれ狩人にゲイはやばいとか(笑)。
まぁとにかくゲイがやばい所ばっかに行くわけで、よく生きて帰ってきたなと。
本作が物凄い所は、そういった「たけしの元気が出るテレビ」的というか「ジャッカス」的な不謹慎なことをやりまくっていながら、きちんと劇映画としての「ブルーノの成り上がりストーリー」にまとまっているところです。不謹慎ネタの連続なのにストーリーとしてきちんと成立しているんです。だから子供が伏線になってたりして劇映画としても楽しめるんです。
こう言ってはなんですが日本でお笑い芸人が映画を撮ると、出来もしないのに「一流劇映画」を目指してしまい、結果煮ても焼いても食えない産廃が生まれます。でもお笑い芸人なんだから映画で堂々とお笑いをやれば良いんですよ。本作のサシャ・バロン・コーエンはきちんとシングル・コメディアンでも超面白い映画を作れるということを完璧に証明しています。「映画監督」の肩書きが欲しいだけの糞三流吉本芸人とは違う、本物の一流コメディアンの映画がここにあります。是非映画館でご鑑賞を!!!
ただし下品なエロ・ゲイネタのオンパレードですので、そこいらに耐性がある人限定です(苦笑)。
エア・ゲイ・セックスとか杉作J太郎さん以来の革命です(笑)。

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ダレン・シャン

ダレン・シャン

さて二本目は

「ダレン・シャン( Cirque du Freak: The Vampire’s Assistant )」です。

評価:(40/100点) – オープニングでテンション爆上げ。本編始まってテンション崩落。


【あらすじ】

ダレン・シャンは普通の高校生である。ある日、観覧した「シルク・ド・フリークス」で盗んだ毒グモに親友・スティーブが噛まれてしまう。彼を助けるためにダレンは毒グモの主・クレプスリーとの取引に応じてハーフ・バンパイアになる。こうしてダレンは家族と離れ、シルク・ド・フリークスに世話になることになった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ダレンとスティーブ。またはシルク・ド・フリークスのショー。
 ※第1ターニングポイント -> ダレンがハーフ・バンパイアになる。
第2幕 -> シルク・ド・フリークスでの生活。
 ※第2ターニングポイント -> レベッカが攫われる。
第3幕 -> レベッカの救出。


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【感想】

二本目はダレン・シャンです。「パーシー・ジャクソン~」と同じく、ハリーポッターの後釜を狙った児童向けファンタジー小説の映画化です。原作は全13巻ありまして、その約1/4弱を映画にしています。本作は驚くべき事に吹き替え版ばかりが上映されていまして、字幕を見るために図らずも今日オープンの横浜ブルク13で観てきました。これがゆとりパワーかと驚愕しつつ、一方でたまたま行った横浜ブルク13が新宿バルト9級に良い箱だったのでうれしかったりします。3Dの時にもよく書いてますが、字幕と吹き替えをせめて半々にして欲しいところです。

物語について

本作の物語は非常に薄っぺらでショボいです。さすがシリーズものの第一弾ということなのか、肝心要のダレン・シャンがまったくと言っていいほど活躍しません。それどころか存在感ゼロ。全ての敵はクレプスリーが追い払ってくれますので、主役が一番いらない子です(笑)。これは原題を見れば一目瞭然で、本当に「バンパイアのお手伝いさん(The Vampire’s Assistant)」なんです。手伝いって言うより足を引っ張っていますが気にしない(苦笑)。一応ダレンが特別な人間だという話はチラっと出てくるのですが具体的な描写がないのでまったく分かりません。本作は風呂敷を広げるだけで終わってしまっていますので、残念ながら映画単体としてみるとダメ映画と言わざるを得ません。特に昨日「渇き」を見ていたので、さすがに2日連続の吸血鬼ものとして比べてしまうと数段見劣りします。
特段バンパイアになった悲劇性みたいな描写も無いため、シルク・ド・フリークスの子達とそれなりに楽しくやってて良かったねってなもんです。
せっかくのバンパイアなのに何でこんな中途半端にするんでしょう?
とはいえ、オープニングの影絵風アニメは本当に最高です。2~3分だとおもいますが、このためだけにDVDを借りるかも知れないぐらいです。本編はもう見たくないです(苦笑)。

【まとめ】

非常にシンプルな話は、もろに少年ジャンプの息吹を感じます。ある日平凡だった男の子が特別な力を与えられる話。そして自分と同じ立ち位置で敵対する合わせ鏡としてのかつての親友。ベタベタすぎる前振りだけにこれを上手く回収して欲しい所ですが、、、米国内のBOXOFFICEを見ると制作費が4千万ドルで興収が1千300万ドルですから超大赤字。DVDでペイできるレベルを越えちゃってるので、多分続編は作られません(苦笑)。
ということで、本作は「続編がないであろうシリーズの前振りのみの一作目」です。そんなもんオススメできるか~~~~~!
気になった人は原作の小説を読みましょう。原作はちゃんと完結してますんで(笑)。

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