今週の本命、
二本目は「告白」です。
評価:(75/100点) – 原作のクオリティを考えると相当頑張ってる。
【あらすじ】
1年B組の年度最後の終業式の日、担任教師・森口悠子は生徒に衝撃の告白をする。事故死と見られていた彼女の娘が実は二人の生徒によって殺されたというのだ。さらに彼女は顛末を皆に語った後ですでに犯人に復讐を仕掛けたと宣言する。それを機に、犯人二人を取り巻く環境が大きく変わっていく、、、。
【三幕構成】
第1幕 -> 悠子先生の告白
※第1ターニングポイント -> 告白終了。
第2幕 -> 委員長と少年A・少年Bの告白。
※第2ターニングポイント -> 少年Bが母を殺す。
第3幕 -> 悠子先生の復讐。
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【感想】
さて、二本目は今週公開映画の本命、中島哲也監督の「告白」です。湊かなえさんによる原作は本屋大賞を獲っており、そこそこ売れているようです。個人的にはあまりに規模が小さすぎるため本屋大賞に価値があるとは思っていないんですが、でも書店受けが良いってのはエンタメ本には大事です。恥ずかしながら原作未読だったため、朝に紀伊國屋で買って、映画見る前まで読んでました。ちょうど原作・第三章の途中ぐらいまで読んで映画を見て、さっき続きを全部読みました。
おさらい:中島哲也監督について
まずはざっと概要を語る上で必要なことを整理しましょう。
中島哲也監督と言いますと、「下妻物語(2004)」以降にその個性を爆発させた感があります。それは当たり障り無い言い方をすればヘンテコで大げさな作風であり、ハッキリ言ってしまえば実相寺昭雄とティム・バートンを足して2で割ったような絵面です。中島哲也監督がCM出身だからなのか、映画的な意味でのメッセージのある/見せたいものがある画面よりも、雰囲気重視の絵作りが目立ちます。そこが生理的にダメっていう人が結構多く、賛否がガッツリ別れることでもおなじみです。
特に私は「嫌われ松子の一生(2006)」は傑作だと思っています。「客観から見ればえげつないことでも主観ではすごくハッピーかも知れない」という所から発展させて、とんでもなくドラッギーな松子の内面を頭がクラクラするような躁状態で描いています。
中島哲也監督は、この「客観」と「主観」、「外見」と「内面」と言う部分にかなり執着・興味があるように見受けられます。それが時としてはちゃめちゃで暴力的な感性を伴ってあふれ出て来てしまうところが彼の特徴であり、そしてそのドラッギーな感覚にヤラれてしまったファンが多く居ます。
原作「告白」について
今しがた読み終わったばかりなので深い読み解きをしていないのはご勘弁下さい。原作は全六章からなり、その中で6人のキャラクターの独白形式の文章が展開されます。第一章は悠子先生、第二章は美月、第三章は少年Bの姉と母親、第四章は少年B、第五章に少年Aが来て、最後は悠子に戻ります。正直小説としてはどうかと思う部分もあるのですが(苦笑)、原作小説の最大の美点は第三章にあると思います。第三章において、少年Bの母は主観全開で悠子先生を糾弾します。それまで悠子先生と美月の独白を読んできた読者には、明らかにこの母が過保護であり自己完結型であり、そして被害妄想傾向にあると分かるようになっています。当ブログでも何度か書いていますが、映画に限らず登場人物が「語り出す」時には必ずその人物の主観が入り、フィルター(=バイアス)が掛かります。それをこの第三章ではかなり分かりやすく提示しています。映画や小説を数多く見ていると常識になってしまうんですが、こういう叙述トリック的な仕掛けが可能なんだという作品形態上の構造を意識させるのにはとても良い方法だと思います。
これは巻末インタビューでも中島監督が語っていますが、原作には「地の文」が無いため、全てのストーリーが誰かしらの主観で語られます。なので極端な話、真実は何所にも無いかも知れないわけです。複数人が同時に語って一致したことは良いとしても、それ以外の事柄は全て完全に自己申告です。だから疑おうと思えば全て疑うことが出来ます。極端な話、少年Bが妄想狂で、目を開けた云々をでっち上げている可能性だってあるわけです。
映画について
さて原作を読んで思うのは、この本は間違いなく中島哲也という個性に合っているということです。なにせ上記のような「主観のみで構成される世界」というのは中島監督の資質そのものです。よくこんなぴったりな本を見つけてきたと感心するほど、本当に中島監督が映画化するためにあるような原作です。しかし一方で、登場人物が延々とグダグダ一人語りをするというのは映画的には完全にアウトです。ですから、本作で忠実な映画化を目指すのはかなり無謀です。では中島監督はどうするか、、、。
これが非常に上手いと思ったのですが、彼は本作で主観と客観を上手に切り分けて演出しているんです。例えば、、、冒頭、約30分に渡って松たか子の「告白」が展開されます。当然ここは小説では一人称語りなのですが、映画では客観視点で描かれます。そして再現映像のような形で主観のイメージ映像が合間合間に入ります。この場面に見られるような「物語の整理」を中島監督は全編で丁寧に行っています。結果として、ラジオドラマの方が向いていそうな原作を上手く映画化出来ていると思います。
映画版ではかなり大規模に原作の内容を変えています。起こっているディティールは一緒なのですが、その細かい部分でキャラクターをよりキ○ガイ方向に振って、可能な限り悠子先生側の論理を強化できるように組み立てています。例えば、少年Bは小説では途中までは理性を保っていますが、映画では引きこもってすぐに発狂します。少年Aも起こした事件の詳細をより具体的に描写し、また「処刑マシーン」という新たな要素を足すことで、より救い難い方向へ持って行きます。
そして腹立ち必至の少年Bの母親・木村佳乃の超自分勝手なモンスターペアレンツぶり。はっきりと「こいつらは酷い目にあって当然だ」という印象を持てるようになっています。そしてウェルテルのキレっぷりと委員長の危ないメンヘラ全開な感じ。「学校では真面目そうな子がゴスロリ私服で出てくると危ない」という邦画のお約束をちゃんと守っています(笑)。もちろんそれは悠子先生といえども例外ではありません。最後の最後に彼女が言うワンフレーズによって、実は彼女の内面も相当キてるという片鱗が見られます。
こういった形で全てのキャラクターをマッドにすることで、本作全体の躁状態・お祭り感を存分に発揮できていると思います。ところが、、、演出が完全に一本調子なのがすごく気になります。とくに音の使い方に顕著なのですが、ほとんど全部の場面で映像と音楽の対位法を用いてきます。一回くらいなら良いんですが、それが本当に何度も何度も繰り返されるため、すっごい嫌気が差してきます。なんか変なCMを見せられてる気分です。また、これは作品上仕方がないのですが、やはり各キャラの告白シーンを全てセリフで説明しようとするため、映画的にはまったく盛り上がりません。
ただ、倫理的な所に話を落ち着けるのではなく、あくまでもエンターテイメントに徹して一種の青春映画にしたててきたのには大拍手を贈りたいです。
【まとめ】
正直に言って、このつまらない原作をこれだけの映画に出来たのだから十分だと思います。細かいストーリーについてはツッコみ所が一杯あります。そもそも少年Aが全然匿名になってないとか、悠子先生はどこで爆発を見たのかとか 少年Bの第2の犯罪は正当防衛だとか etc。でもそれ以上にテンションの高さかがかなり面白かったです。間違いなく見て損はありません。個人的には、シネコン映画できっちりバラバラ殺人の返り血を出しただけで合格です。
オススメです!!!
余談ですが、原作小説は本当につまらないので、下手に読まずに映画を先に見た方が良いと思います(苦笑)。
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