アンダルシア 女神の報復

アンダルシア 女神の報復

今日は当然これしかありません。みんなが待ちに待っていた史上最強のアイドル・コメディ映画

アマルフィ2 「アンダルシア 女神の報復」でどうじゃ!

評価:(30/100点) – マネー・ロンダリングってそういうことじゃないし(´・ω・`)


【あらすじ】

財務大臣の随行でフランスに滞在中の黒田の元に、アンドラ公国行きの指令が下る。アンドラ公国のスキー場のホテルで、現役警視総監の息子・川島直樹の死体が発見されたというのだ。アンドラに着いた黒田を待っていたのは、警視庁からインターポールに出向している神足捜査官と第一発見者の邦人女性・新藤結花だった。
何かから逃げようとする結花を保護して在スペイン日本領事館へと逃げ込む黒田。しかし結花は領事館を抜け出してしまう。果たして結花は何を隠しているのか? そして神足の目的とは?


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【感想】

さて、本日はこれ以外の選択肢は考えられません。全日本人必見の最強アイドル・織田裕二最新作「アマルフィ2 ~アンダルシア 女神の報復~」です。公開初日の昼の回ですが、客入りは3~4割ぐらいでした。とはいえ、前作「アマルフィ 女神の報酬」を見たときは同じ400人入る劇場で完全貸し切りでしたので、前作比で120倍ぐらいの観客です。さすが日本が世界に誇る大娯楽大作です!!!
さて、毎度毎度お馴染みとなりました恒例のお断りです。これ以降、あまりにもオダルフィが好きすぎるあまり話の内容をすべて書いてしまう恐れがあります。未見の方はご注意下さい。また、あまりのつまらなさに気が遠くなっていましたので、特に前半は場面の繋がりが若干前後しているかも知れません。

まずは公式のあらすじに載っているストーリーをプレイバック!

映画はアンドラのスキー場からはじまります。スキーをやっていた男が突如ステッキを投げ捨て、崖から飛び降ります。そして織田裕二映画ではお約束のドコモの携帯電話を取りだし(キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゜Д゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)-_-)=゜ω゜)ノ━━━!!!)、なにやら黒木メイサと会話をします。
そんでもって色々ありつつ舞台は夜になり、花火を尻目に黒木メイサが死体のある部屋でパソコンの認証を解除しようとして諦める場面になり、さらに彼女は荷物を窓から投げ捨てて逃げ出します。
このシーンから分かるのは、黒木メイサが殺したか死体を発見しただけかはともかく、なんらかの情報をパソコンから引き出そうとして諦めてパソコンを一旦隠して逃げ出したということです。
さて、舞台はフランスに移ります。ちょっと気の利いたような雰囲気の路地裏レストランの描写がありつつ、いろいろあってサミットが始まります。ここでやっと我らがオダルフィが登場します。なんと今度のオダルフィはフランス語を喋ります。さすが日本が世界に誇る大娯楽大作!
ちなみにサミットでの村上大臣の命題は「マネー・ロンダリングを防止するために、OECDの規定を強化してタックス・ヘイブン化している国に経済制裁をしよう」というものです。これ自体は別にいいんじゃないでしょうか。実際に今回事件の舞台になるアンドラはタックスヘイブン・ブラックリストに載ってますし。ここでは今回の映画が何かマネー・ロンダリングに関わるものであることが示唆されます。
そしてオダルフィがコーヒーポッドと格闘している中、アンドラで警視総監の息子が死体で発見されたという電話が入り、オダルフィはアンドラ行きを命じられます。なんでもアンドラには日本大使館がないので、最寄りで一番暇なオダルフィに白羽の矢が当たったとか。在スペイン大使館がマドリッドにある気もしますが(゚ε゚)キニシナイ。オダルフィも暇扱いされるとか舐められたもんですw コーヒー飲むのに忙しいのに、、、。
一方、現場では髭が超似合うイケメン海難救助隊員がインターポールとして黒木メイサから事情聴取をしています。強盗殺人を疑う形式的な事情聴取ですが、横から入ってきてあまりにもうろつくオダルフィが目障りになったのか突如喧嘩を始めてしまいます。でも、そこはオダルフィ。トイレを我慢した顔で軽くいなしてみせます。芸歴がモノを言う貫禄勝ちです。
やっぱり色々あって結露が~~~とか、物盗りの犯行じゃなくねぇ~~~~とかスルーしまして、夜になります。黒木メイサは防寒着を身につけてパソコンを回収しに行こうとしますが、不自然なドアノックに危険を感じたメイサはベランダから逃げ出します。そこに監視していた伊藤英明とオダルフィも加わり、本日最初の4チーム・チェイスが始まります。ここでもオダルフィは上手いこと先回りをし、見事メイサをゲットして車でバルセロナの日本総領事館へと向かいます。外交官だから国境の検問もフリーパス。さすが世界のオダルフィです。ちなみにこの段階ではメイサはただの第一発見者ですので、オダルフィには誘拐罪こそあれ捜査妨害等の容疑は掛けられません。
さて、バルセロナについて一服した両名は領事館を拠点に別行動を始めます。オダルフィは世界的プレイボーイ・桜坂とコンタクトを取り、彼からメイサが務めるビクトル銀行の詐欺事件の情報を手に入れます。なんでも、ビクトル銀行の行員が架空の投資話で不正に資金を集めていたというのです。なんかマネー・ロンダリングっぽくなってまいりました!
そうこうしてオダルフィが桜坂といちゃついてるスキにメイサがまたしても逃げ出してしまいます。そういやこの間に戸田恵梨香も出てきた気がしますが、全然何の意味もありませんでした。もったいない、、、超可愛いのに、、、。やっぱりストーカー神足とオダルフィとメイサの3チームチェイスがありまして、オダルフィに軍配が上がってしまいます。しかし今回は正式にメイサが重要参考人となり、インターポールの証人保護マンションに移ることになります。これでもう一安心、、、、と思っていると、何の説明も無しに勝手にオダルフィもついてきてしまいます。おまえはストーカーか。っていうかオダルフィは参考人じゃないし事件の第3者なんだからそんな大事な施設の場所を教えたり、あまつさえ中に泊まらせちゃ駄目だと思うんですけど、、、。
そして退屈な日常が戻ってきたある日、保護マンションから警察に移動するタクシーが何者かに襲撃されます。ちゃっちぃカーアクションと銃撃戦があってオダルフィが左腕を負傷したりしつつ、ここでようやっと危機を切り抜けた神足とオダルフィに微妙な友情が芽生え始めます。
オダルフィは独自捜査で川島がビクトル銀行の架空投資詐欺に引っかかっていた事、そして神足がかつて日本の警察で内部告発しようとしてインターポールに左遷されたことを知ります。インターポールに左遷って凄い話です。「東京都の職員が経済産業省に左遷」みたいなw 左遷じゃなくて超エリート出世コースですけど、、、。
神足もまた、オダルフィがただの外交官ではなく「外務省邦人テロ対策室」というスパイ組織のエージェントであることを知ります。
そんなこんなでちょっとオダルフィと神足のバディ感を演出しつつ、ついにオダルフィが最終手段にでます。それは説得です。
オダルフィの「ユー、全部吐いちゃいなYO!」という説得を聞き入れ、メイサがついに川原の担当行員にして詐欺の主犯・ルカスの事をゲロっちゃいます。なんでも、ルカスはアンダルシアにて巨大テロ組織ARMの幹部と取引きをするというのです。
ようやっとタイトルになっているアンダルシアが出てきます。ここまで90分。いや~~~長かったw
しかしここで問題が出てきます。神足は警視庁より直々に今回の事件をうまいこと処理して川島がビクトル銀行に関わっていたことを揉み消すよう命令を受けます。そして一方のオダルフィも鹿賀丈史よりこの件から手を引くよう命令されます。なんでも、川島は暴力団のマネー・ロンダリングを請け負っていた会計士で、その金をビクトルの詐欺で擦ってしまったというスキャンダルが裏にはあると。しかも川島は警視総監の息子なだけでなく現総理の会計士までやってるそうです。総理直々に圧力を掛けられた鹿賀丈史は屈するほかないのです。イヤーニホンノセイジカハクサッテマスネ(棒読み)。総理もわざわざそこまで話さずにただ「何も言わず手を引け」でいいのにね。いい人w
当然のようにこれを断るオダルフィはやっぱり世界的スターです。
その夜、神足はふらっと寄った闘牛練習場でメイサと出会います。メイサに事件の真相を尋ねると、メイサは真実を語り始めます。川島はメイサの「泣き寝入るべきだ」という説得をきかず、目の前で自殺したと。そしてメイサは「自分に何かあったらビクトルと関わった証拠を隠蔽してくれ」と頼まれたと。もうすでに意味がわからないんですが、細かいことは気にしないw
そんなわけで、一行は遂にタイトルの地・アンダルシアへと向かいます、、、。

パッと見はスムーズに見えるけど実は結構適当なストーリー

さて、、、本作は適当に流してみているとなんとなくそれっぽい感じで物語が進んで行きます。ですから、な~~~んにも考えずにメイサやオダルフィにムハムハしていると、あんまり違和感が無いかも知れません。
しかし本作は根っこの部分、、、つまり話の進み方が非常に難解です。あんまり適当に書いていると説得力がなくなるので、ここからはおちょくり無しで真面目にいきますw
まず冒頭から順を追いましょう。
黒田はフランスからアンドラへと向かいます。これはアンドラで事件があったからです。何故黒田かはともかく問題はありません。次に黒田はインターポールに追われる結花を見かけます。彼女を強引に車に乗せ、一路バルセロナの領事館に向かいます。この黒田の行動も倫理的には問題がありますが、しかし彼の独断専行な性格と「邦人保護を任務とする」スパイの設定ですから物語上は問題はありません。ぐちゃぐちゃになるのはこの後、結花がインターポールに保護されてからです。
結花は2つの件で事情聴取を受けます。1つは冒頭の川島直樹殺害事件の第一発見者としての聴取。もう1つはビクトル銀行による架空投資詐欺事件におけるルカスの通訳としての聴取です。
第一発見者としての聴取についてはすでにアンドラで一通り終わっています。結花は領事館から逃げ出して捕まった際に「私を逮捕して下さい」と神足にいいますが、何の容疑で逮捕しろというんでしょう。あくまでもこの時点でも彼女は容疑者ではなく重要参考人止まりです。そしてもう一つの件、つまり架空投資詐欺の主犯と見られるルカスの捜査ですが、こちらでも結花はただの参考人です。結花はルカスと川島の通訳だったという設定のため彼女が何か知っている疑いは強いですが、逮捕できるだけの証拠は何もありません。あくまでも彼女はインターポールに参考人として保護されている形になります。
恐ろしい話なのですがインターポールに保護されて以降、インターポールは川島直輝殺害事件に関しては捜査をしません。つまり謎解きの要素がないんです。そしてひたすら「ルカスを探す」ことに躍起になります。タイトルになっているアンダルシアでのビクトル銀行とARMの会合もルカスの捜査の一貫で、川島の件とはまったく別件です。これは、神足が川島がビクトルに関わったことを揉み消すよう警視庁から依頼をうけていたためと説明されます。つまり神足としては強盗殺人で終わらせるつもりだったので捜査をしなかったというわけです。
ではルカスを探す動機はなんでしょう。国際犯罪である詐欺の容疑者を捜すのは当然ですが、一方で彼が川島の金を預かってマネー・ロンダリングをしようとしたことは揉み消さないといけません。この段にきますと、外交官である黒田は完全に部外者になります。彼は結花の人権を保護することをお題目にして首を突っ込んできましたが、この時点で結花自身がビクトル銀行から命を狙われていてインターポールに保護を求めているため、もはや黒田は不要です。
そう、本作はこの結花がインターポールに保護されたタイミングで話が変わるんです。それまでは殺人事件の話でしたが、ここからは全然話に出ていなかったルカスの詐欺事件がメインになります。川島が死んだ件はどうでもいい扱いになります。ひ、、酷い。
このあたりのルカスがらみは最後までみると分かるんですが、都度都度明らかにはされないため、見ているときには興味の持続がありません。突然殺人事件からルカスの捜索に話がかわって大混乱します。

動機が変

そんなわけで、本作ではクライマックスにアンダルシアでのルカス含めた一網打尽劇が置かれます。置かれるんですが、なんと肝心のインターポールによる突入・逮捕の瞬間は画面で見せてくれません。結花が足を引きづりながらアンダルシアを去っていくシーンの裏でちょっと銃声が聞こえて終わりです。ちなみにこの一網打尽劇の容疑ですが、ルカスと目されるハゲについては詐欺罪、ARMの連中についてはテロにまつわる諸々になります。しかしご存じのとおり、ルカスと思われたハゲはルカスでは無いわけで、そうするとハゲを取り調べると結花/ルカスにまつわる真相は全部インターポールにバれてしまうわけです。これは結花にとって限りなくマズイ事態です。結花の計画はずさんだとしか言いようがありません。
また当然このタイミングでビクトル銀行の全員を逮捕しているわけではありませんので、ビクトルによる結花への制裁が止まるとは思えません。むしろ警察に身内を売ったのですから、よりハードに狙われる危険の方が高いです。最後に結花は悠々とスペイン投資銀行に入っていきますが、ちょっと考えられません。
この結花の動機周りの部分はツッコミどころの宝庫です。
そもそも新聞で報道されている詐欺事件に対して、川島がビクトルを訴えるかどうかで悩んで自殺する意味が良く分かりません。新聞で報道されている時点で詐欺事件は明るみになっているわけで、その詐欺にあった金の出所は当然警察だって調べます。それだったら川島は普通にビクトルを訴えればいいじゃないですか。川島の持っていた金が汚い金かどうかと詐欺事件は別の話でしょう? さらに言えば、マネー・ロンダリングをするのに資金を一括で銀行に任せるのはおかしいです。それはロンダリングになっていません。普通は複数の銀行で大量の別名義口座を使います。じゃないとそもそもの金の出所は何度回したって付いてきますから。どう考えても川島はマネー・ロンダリングに関してはど素人です。
さらに、結花が詐欺をしかけた動機が無茶苦茶です。「家族に迷惑をかけても平気なボンボンが許せなかった」とか語りますが、詐欺自体が新聞で公表されるほどバレちゃってるわけで大失敗です。しかも話のつじつまを考えると他にこの詐欺の被害者が何人かいないとおかしいです。だって川島は詐欺の被害者として届けていないんですから、別のルートで詐欺が明るみになってないといけないんです。ということは、結花がウソの動機を語っているか、または詐欺自体が結花が考えたのではなくビクトル銀行として複数の銀行員がいろいろな人物に仕掛けたかのどちらかです。少なくとも銀行が架空の投資を帳簿上利用してマネー・ロンダリングをしていたわけではありません。もしそうなら川島が文句を言う意味がわかりませんから。
そうなんです。話の流れのなかではあたかもビクトル銀行がタックス・ヘイブンのアンドラ公国を利用してマネー・ロンダリングをしていた様に見えますが、すくなくとも劇中でその事実はないんです。今回の件はあくまでも結花が勝手にやったことなんです。もっとも、一応アンダルシアでの一網打尽劇でビクトル銀行とテロ組織のつながりは明らかになりそうなので、最終的にはそういうことになるんでしょうけど。

そもそもアンダルシアである意味が全く無い

これは大前提の部分ですが、本作は海外を舞台にする理由が一つもありません。「国際テロ組織」が出てくる所でスケール感を出そうとしていますが、話自体は熱海や諏訪で十分成立します。せっかくインターポールなのに国際的なネットワークを活かした捜査をしませんし、アンドラに至っては劇中ではまるでスキー場のホテルの名前のような扱いですw
フラメンコダンスと闘牛場をだしてなんとなくアンダルシアっぽい表現をする演出ですとか、やってることがステレオタイプですごく軽いです。

【まとめ】

とりとめもなく書いてしまいましたが、本作は間違いなく前作の「アマルフィ 女神の報復」よりはマシです。脚本がどうしようもなく下手で演出が限りなくダサいのは相変わらずですが、少なくともやろうとしている意図は本作では伝わってきます。
パソコン内のデータを壊したいだけ(証拠を隠滅するだけ)なのになんで燃やしたり叩いたりしないで持ち出そうとしたのかとか全く意味が分かりませんが、黒木メイサが頑張ってるので全部OKです。1800円払うのはバカらしいので、来週の映画の日なんかに見るにはいいのではないでしょうか。オススメ、、、、、したいようなしたくないような、、、、、でも一応オススメデス。

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記事の評価
SUPER8

SUPER8

さて2本目のこちらが大本命です。

そう「SUPER8」です。

評価:(89/100点) – スピルバーグ的なパブロフの犬


【あらすじ】

時は1979年オハイオ、田舎の炭鉱町。13歳のジョーは母親を事故で亡くしてしまう。父親とはあまり上手くいかず、唯一の楽しみは大好きな特殊メイクや模型制作の腕を活かした友人達との映画作りであった。
ある日真夜中の停車場で撮影中に、突如通りかかった空軍の輸送列車にトラックが突っ込んで大惨事を起こすところに出くわしてしまう。その日から町には不思議な事が起き始めた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 母の死と映画作り。
 ※第1ターニングポイント -> 空軍輸送列車の脱線事故が起きる。
第2幕 -> ジョーとアリスと列車事故のその後。
 ※第2ターニングポイント -> オペレーション・ウォーキング・ディスタンス開始。
第3幕 -> アリスの救出と結末。


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【感想】

今日の2本目はJ・J・エイブラムスの新作「SUPER 8」です。プロデュースにスピルバーグが名を連ね、エイブラムスのバッドロボットとスピルバーグのアンブリンの共同制作となっています。昨年から予告編が大きく話題になっていた期待作で、平日の昼間の回なのに8割方お客さんが入っていてちょっとびっくりしました。
なお、これ以降、いつもどおりネタバレが含まれます。完全に青春・ヒューマンドラマですのでネタバレがあってもあまり問題はないとは思いますが、未見の方はお気を付け下さい。一部であんまり評判が良くないみたいですが、私個人としては十分に今年のトップ10に入ってくる映画だと思います。懐古主義なだけと言われればそうかもしれませんけどねw

本作の概要

本作はタイトルの「SUPER 8」の通り、8mmで自主制作映画を作る少年少女達の物語です。主人公のジョーは13歳の春に母親を亡くし、以後保安官の父親と二人暮らしです。しかしながら父親とはあまり上手くいきません。いつも母の形見であるペンダントを肌身離さず持っていて、悲しみを引きずっています。そんな彼が、夏休みに起きた一連の事件をきっかけに恋をし、母親の死を受け入れて前向きに生きる決意をするまでをテンポよく描きます。
本作に登場するエイリアンは空軍に監禁・実験台にされた怒りから人間達を襲うようになります。それはまさしく主人公ジョーの心境そのものです。好きな女の子・アリスの駄目親父から「二度と顔を出すな」と言われ、父親からは「友達を選べ」「アリスとはもう会うな」と理不尽に命令され、そんなジョーの鬱屈とリンクするように、エイリアンは暴れまくります。こうして、アメリカ空軍のエイリアン捕獲作戦とジョー達の映画制作が並行して語られていきます。
確かにエイリアンは出てきますが本作はあくまでも青春映画です。母親の死から立ち直れない少年が似たような鬱屈を抱えるエイリアンと向き合うことで自身も前向きに生きる決意をするに至ります。そしてそれはスピルバーグが「E.T.」「ジョーズ」で描いたテーマと同じです。

70年~80年代映画とスピルバーグへの愛

本作にはかつての70年代・80年代映画への愛が溢れています。舞台となる1979年は、5月にロメロの「ソンビ(ドーン・オブ・ザ・デッド)」がアメリカで公開され全米のオタク少年が映画館に忍び込んで熱中していた時代です。この映画でも、ロメロのゾンビを見て夢中になったチャールズ達が自主制作でロメロに捧げるゾンビ映画を制作します。そのラグタイムはわずかに2ヶ月。ドーン・オブ・ザ・デッドを見てすぐにゾンビ映画を作り始めている計算になります。まぁ、、、アホですw
そして画作りやテーマはもろに初期アンブリンの青春・ジュブナイル作品そのものです。「未知との遭遇(1977)」「E.T.(1982)」「グーニーズ(1985)」を中心に、列車事故から逃げ惑う所は「スタンド・バイ・ミー(1986)」、バスがエイリアンに襲われるところは「ジュラシック・パーク(1993)」も入っています。要所要所ではCGを使うものの、全体的にはとても静かで基本的な演出を多用します。そしてそれはまさに70~80年代の、CGをほとんど使わずに特殊効果と役者の間合いで見せていたころの映画です。
髪型や服装が昔っぽいというのもありますが、この演出の古さによって本作は強烈に「アンブリンっぽさ」を感じさせます。それはもう冒頭でジョーが家の外で座っているところを窓越しショットから切り返してバストショットで撮るところから一貫しています。
だから何も劇的な事が起きてないのに、私は冒頭から泣きっぱなしでした。強烈にノスタルジックな映画になっています。
主人公のジョーと同じ1966年生まれのJ・J・エイブラムスがいわばこのジャンルの神様であるスピルバーグの公認の元で本作のようなパスティーシュを作ったことに意味があります。ジョーをはじめとする劇中の映画バカ達はエイブラムスの分身であり、そして自分が少年時代に見た映画を自分の分身を主役にして作り直しているわけです。だから映画内でのノスタルジーとメタレベルでのノスタルジーがぐっちゃぐっちゃに混同されており、それに巻き込まれる観客もまたノスタルジーに取り込まれてしまいます。

【まとめ】

この作品はスピルバーグに捧げるオマージュ/パスティーシュ映画です。ですから、大前提として子供の頃にそれらの元作品に触れたことがあるかどうかが鍵になります。30歳~40歳ぐらいの方ならばど真ん中にノスタルジーを刺激されると思います。一方で、10代~20代前半ぐらいの方であんまり昔の映画を見たことがないと、あんまり盛り上がらない映画に見えるかも知れません。派手なイベントもあるにはありますが、間接的に内面を描写する演出ばかりですので「映画」への慣れは必要かと思います。
ピンと来ない方がいるのは仕方が無いかなとは思いつつ、個人的にはかなり気合いを入れてオススメしたい作品です。とりあえず見て損することは絶対ありませんので、是非是非映画館でご覧下さい。オススメです。

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ロシアン・ルーレット

ロシアン・ルーレット

今日は休みで2本みました。最初は

ロシアン・ルーレット(原題:13)」です。

評価:(40/100点) – 絵面のインパクト勝負。


【あらすじ】

ヴィンスは大怪我をした父親の治療費を捻出するため、家を担保に借金をする。しかしヴィンスはまだ見習いの電気技師で収入もロクにない。
ある日、ヴィンスは仕事先で儲け話を立ち聞きする。家主がオーバードーズで死んだすきに手紙を盗んだ彼は、その手紙の指示に従い秘密のゲーム会場へと向かう、、、。


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【感想】

本日の1本目は「ロシアン・ルーレット(原題:13)」です。2005年のフランス映画「13 Tzameti」のリメイクですが、私はオリジナル版は未見です。平日な上に公開から1週間経っていますので、お客さんは1桁でした。
本作はお金がどうしても欲しい青年が殺人ゲームに巻き込まれるというよくあるソリッド・シチュエーション・スリラーです。ただ、ゲームシーンの絵面はかなり面白いのですが、ゲームが100%運のみで決まってしまうためいわゆるゲーム性がまったくありません。ゲーム性が無いため、あんまりハラハラドキドキもしませんし、主人公が成長することもありません。巻き込まれ型のスリラーで、ひたすら主人公はオロオロとするだけです。そしてついに日常に帰ろうというまさにそのとき、、、、という所がちょっとホステルっぽい雰囲気もありつつ良い感じになっています。
(オリジナル版を見ていないのでなんとも言えないのですが、)どうも絵面の面白さが先行してしまったようで、せっかくジェイソン・ステイサムやミッキー・ロークをキャスティングしているのにあんまりキャラクターが立っていません。フォーマット自体はおもいっきりジャンルムービーですが、そんなにテンションが上がることなくなんとな~く気がついたら終わってましたw
追ってる警察もすごい適当ですし、ゲームの主催者側の監視もザルそのものです。参加者はみな従順でイレギュラーなこともまったくおきません。良くも悪くも安心して見られるB級映画でした。スリラーなので安心して見られちゃだめなんですけどねw
アクションなしのジェイソン・ステイサムは貴重なので彼のファンならば見ておいて損は無いと思いますが、あんまり一般にオススメできる内容ではありません。あんまり語りたくなるような映画でもないので、今回はさらっとこの辺で。

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赤ずきん

赤ずきん

日曜は1本、

赤ずきん」を見てきました。

評価:(40/100点) – 赤ずきんというか、簡易版ジェヴォーダンの獣。


【あらすじ】

村には、月が赤くなる週には怪物狼が現れて村人を襲うという伝説があった。ここ数十年来は生贄を捧げることで犠牲を回避してきたが、ある日、村に久方ぶりに犠牲者が出てしまう。殺されたのはヴァレリーの姉であった。
すぐに狼ハンダーのソロモン神父を呼ぶことになったが、気が収まらない村の男達は討伐隊を組んで洞窟へと向かってしまう。一人の犠牲者をだしただけで狼の首を持ち帰った討伐隊に対して、訪れたソロモン神父は衝撃の事実を告げる。怪物狼は人狼で、死後は人間の体に戻るという。狼の首があるということはそれは人狼では無く、よって怪物狼は退治されていないのだ、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ルーシーの死と狼討伐隊
 ※第1ターニングポイント -> ソロモン神父の到着
第2幕 -> 狼の襲撃とヴァレリーの拘束
 ※第2ターニングポイント -> ソロモン神父が襲われる
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

日曜日はモンスター映画「赤ずきん」を見てきました。公開から1週たっていましたが、カップルを中心に客席は一杯でした。予告をどこからどうみても超B級モンスター映画なんですが、かなり不思議な客層です。「恋をした、大人になった赤ずきん」という嘘まるだしのキャッチコピーに引っかかったんでしょうかw ワーナーのマーケティング勝ちです。
正直な所、あんまり書くことがないくらいよくあるB級ホラーなんですが(苦笑)、一応ちょろっとだけ書きます。
本作がいわゆるグリム童話の「赤ずきん」っぽいのはラストもラスト、3幕目の冒頭だけです。そこまではただひたすら普通のカルト系モンスターホラーのフォーマットをさらっと流しながら使っています。大きな狼による村の襲撃。モンスターハンターとしてでてくる怪しげな神父さん。狼は教会には入れないというお決まりの「宗教観」「モンスターのアンチキリスト精神」。何十回と見たことがあるゴシックモンスターホラーそのものです。直近で一番近いのは、「ジェヴォーダンの獣(2001)」、雰囲気で言えばかのシャマランの「ヴィレッジ(2004)」あたりを彷彿とさせます。
そして、「なんじゃこりゃ。パチモノじゃんか、、、。」とゲンナリしていると、突然3幕でみんなが知っている「赤ずきん」が始まるわけです。「おばあさんの家まで赤ずきんが行く」「でも、おばあさんの家に着くと様子がおかしい、、、、。」という例のアレです。そこまでには物凄い退屈なストレスを食らっていますから(笑)、一気にテンションが上がるわけです。よっしゃキタコレ!!!! と思っていると、案外さらっと終わってモンスターの正体が明らかになって、、、、あっちゃー、、、、、、となるわけです。
なんで「ジェヴォーダンの獣」が面白かったのに「赤ずきん」は微妙かといえば、一番大きいのは構造的に本作が「巻き込まれ型サスペンス」になっているからです。本作はヴァレリーが事件に巻き込まれることでストーリーが展開します。事態に対してヴァレリーは主体的に行動し謎を解く余地がありません。さらに途中からヴァレリーがある事件によって事態の蚊帳の外に置かれてしまい、その後はピーターが主役になります。ストーリー上でヴァレリーが100%安全な立場になってしまうため、あんまりハラハラもしなくなってしまいます。そして唐突に語られる解決編。あらぬ所から急に現れる真犯人に「そういや居たね」ぐらいの感慨しか湧きません。結果として、なんか釈然としない終わり方で微妙な気分が残ってしまいます。
あんまり一般向けにオススメする作品ではありませんが、B級モンスター好きはとりあえず押さえておきましょう。そういやせっかくの怪物狼もあんまり怪物っぽい所がなくてただの大きいワンちゃんでした。でもカワイイからOK。全部OK。物語上はカワイくちゃですけど(苦笑)。オススメです!

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127時間

127時間

今日の2本目はダニー・ボイルの新作

「127時間」をみました。

評価:(60/100点) – ソリッド・シチュエーションの佳作。


【あらすじ】

アーロン・ラルストンは登山道具屋の店員である。ある金曜の夜、彼はユタ州のブルー・ジョン・キャニオンに趣味のハイキングをしに向かう。途中で旅行中の女性達とも出会ったりしながら、彼はいつものコースを悠々と散策していく。
しかしそんなとき彼は岩の隙間に落っこちてしまう。しかも大きな岩に右腕を挟んでしまった。周りを人が通りかかるような場所でもなく、食料も水もわずかしかない。果たして彼は生還することができるのだろうか、、、。


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【感想】

今日の2本目は前作「スラムドッグ・ミリオネア」でアカデミー賞を獲ったダニー・ボイルの新作「127時間」です。アカデミー賞効果なのか、結構中高年の夫婦が見に来ていました。本作は2003年に実際に起きた事故を元にしたアーロン・ラルストンの自伝「Between a Rock and a Hard Place」の映画化です。
あんまり書きたいことが少ない映画なのでさらっと流させていただきます。本作は昨年公開されたソリッド・シチュエーション・スリラーの「リミット」と同様に動けない人物が延々とそのシチュエーションでもがく姿が描かれます。通常のソリッド・シチュエーション・スリラーでは脱出しようとする努力が中心となりますが、本作においてはアーロンはあまりその努力はしません。どちらかというと精神的なものが中心になります。作品の大半は妄想や回想が中心で、この極限状況で彼が心の底から求めているのは何かというのが段々と明らかになっていきます。ヒューマンドラマですので当然のように結論は「愛」なんですが、そこに至るまでの過程がリアリティがあるといいますか(※実話なのであたりまえですが)、とても面白くできています。
最初の内は食料だったり水だったり性欲だったりするものが、だんだん職場の仲間や家族になっていき、最後は好きな女性になります。そしてある決定的な未練を思い出すことで彼はタフな決断を下します。本作は「極限状態を描くことで人間の本質が見える」というソリッド・シチュエーション・スリラーの王道をきっちりと描いています。ですから、なかなか面白い作品です。主演のジェームズ・フランコは本当にすばらしかったです。前半のいかにもチャラい感じから一転してどんどんシリアスになっていく過程は、彼のタレ目な困り顔があればこそです。
多少不満があるとすれば、中盤に中だるみしてしまう部分と最後に決断を下すところのわかりづらさ、そしてクライマックス以降のエピローグの長さです。大変よくわかるんですが、脱出後のラスト数分でなんぼなんでも水を飲みすぎですw あとはカメラのカット割りのしつこさでしょうか。シチュエーションは固定されているのに、カメラだけはやたらとダイナミックに動きます。さすがに岩の割れ目を空撮で撮られたりサム・ライミばりにシェイキー・カムで早回しされると、どうもちょっと悪ふざけしているように見えてしまいます。
総じて面白いかどうかと言われれば間違いなく面白い作品ですので、是非映画館に見に行って下さい。ちょっとショックシーンもありますがそこまではキつくありませんので、どうしても苦手な方以外は大丈夫だと思います。オススメです。

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記事の評価
スカイライン-征服-

スカイライン-征服-

今日も今日とて新作2本です。一本目は

スカイライン-征服-」です。

評価:(75/100点) – 楽しい楽しい侵略SF。でもちょっと蛇足付き。


【あらすじ】

ジャロッドと恋人のエレインは親友であるテリーの誕生日パーティのためにロサンジェルスまでやってきた。楽しいパーティを過ごし雑魚寝をした夜更け過ぎ、急にマンションが揺れたかと思うと窓からは強烈な光が差し込んでくる。テリーの仕事仲間であるレイは窓からの光を見ると突然姿をけしてしまった。窓の外には強烈な青い光を放つ塊が何個もあったが、それらはすぐに消えてしまう。
不審に思ったジャロッドとテリーは屋上にあがって様子を探る。すると今度は複数の光が地上に落ちて来た。その直後、巨大な宇宙船が上空に現れる、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> テリーの誕生日パーティ。
 ※第1ターニングポイント -> 回想終了。
第2幕 -> 宇宙人の侵略と脱出方法の模索。
 ※第2ターニングポイント -> ジャロッドとエレインが屋上に出る。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

今日は新作を2本見てきました。一本目は「スカイライン-征服-」です。「バトル・オブ・LA」と大変紛らわしいですが、新作の侵略SF映画です。完全なジャンルムービーですが、そこそこお客さんは入っていました。監督は「300」「アバター」等の特殊効果で知られるVFX会社・ハイドラックスのストラウス兄弟です。そんなわけなので、本作は人間ドラマと特殊効果が大きな見せ場となっています。
ここでいつものお約束です。以後本作のネタバレが含まれると同時に、関係無い映画までとばっちりを食ってネタバレされますw 本作および関係作を未見の方はお気を付けください。

侵略SFって最高じゃん!!!! という話

本作はいわゆる「侵略SF」と呼ばれるジャンルの映画です。侵略SF自体は昔からあるお決まりのジャンルです。例えば一番有名なところで言いますと、1898年発表のH・Gウェルズの傑作「宇宙戦争」や1953年発表のアーサー・C・クラークのこれまた歴史的傑作「幼年期の終わり」、さらには最近ですと1996年の映画「インデペンデンス・デイ」なんかもあります。基本的には宇宙人がやってきまして、なんだかんだありながら撃退したり撃退できなかったりします。1938年に「宇宙戦争」をラジオドラマにした際に全米が本当だと思って大パニックになったという有名なエピソードもあります。侵略SFは「戦争」や「天災」のメタファーとして描かれることが多く、強大な力や高度な知恵をもったエイリアンは「かなうはずのない圧倒的な敵」や「不条理性」の象徴として描かれます。
そんなわけで侵略SFは作られたタイミングでの時代背景に大きく左右されます。特に最近のハリウッド映画はその傾向が顕著です。個人的にあんまり好きな言葉ではないのですが、「9・11以降」に攻撃される事の恐怖をようやく実感として理解したハリウッド(アメリカ)映画は、侵略SFというジャンルで「個人の無力さと絶望」を描くようになります。

9・11以降の侵略SFの決定版は、おそらく異論の出る余地なくスピルバーグの「宇宙戦争(2005)」です。この「宇宙戦争」において、主人公はただの無力なブルーカラーとして登場します。妻には離婚され娘・息子からはバカにされるチビで情けないダメ親父が、エイリアン達の侵略で地獄絵図となったアメリカを舞台に元妻の所に子供を送り届けることに必死になります。主人公はニュージャージーからボストンまで子供達を届ける過程でガッツを思い出し、父親としての尊厳を取り戻します。ですが、この主人公は大勢に影響を及ぼしません。ヒーロー的な活躍をするわけでも無ければ、彼がすごい人物となるわけでもありません。完全に無力な一市民であり、ただただ逃げ惑っているだけです。しかもこのエイリアンの侵略が食い止められる理由も、人間がすごいからではありません。たんなる偶然です。人類はたまたま助かっただけで、人間様がすごかったわけではないんです。

「クローバーフィールド/HAKAISHA(2008)」も同様です。物語はいきなりニューヨークのマンハッタン島をゴジラっぽい巨大モンスターが襲うところから始まります。主役達はなんとかしてモンスターから逃げますが、別に退治するわけでもありません。逃げるだけです。次々と仲間が死んで脱落していくなか、主人公はただただハンディカメラを回しながら逃げまくります。でも最後まで解決はしません。残るのは必至に生きようとする人間と、その先の圧倒的な絶望だけです。

少しトリッキーな作品では「ミスト(2007)」があります。田舎のスーパーマーケットで急な濃霧に囲まれた主人公達は、濃霧の中から現れたエイリアン達に襲われます。いろいろその場で対処しようとはしますが、彼らは無力でただ籠城することしか出来ません。それすら困難になったとき、主人公達は命からがらスーパーから逃げ出します。しかし外には圧倒的な力をもつエイリアンがうじゃうじゃいます。なんとか生き残ろうとはするものの、、、という展開です。この作品において、主人公達は状況に貢献しないどころかむしろ悪化させてしまいます。そして状況は主人公達とはまったく関係無いところで解決に向かいます。主人公は無力というよりはむしろ結果的には邪魔者になってしまいます。

このように9・11以降、ハリウッドの侵略SFはどうしてもアメリカ同時多発テロを背景とした「大局にあって個人は無力だ」という方向の作品が多くなっていきます。1996年に「インデペンデンス・デイ」でウィル・スミスを先頭にしたアメリカ空軍が無邪気にエイリアン達をぶちのめしていたのを考えるととんでもない変わりようです。

では本作はというと、、、

さて、前述の状況を踏まえますと、本作がいかにオーソドックスな作りをしているかが良く分かります。本作の主人公ジャロッド達もやはりエイリアンの前では無力です。後半に火事場の馬鹿力でエイリアンを数体倒す描写はありますが、基本的には主人公達は今回の侵略行為に対してまったくなんの役にも立ちません。ただビビッてマンションに引きこもってるだけです。たまに部屋を出たかと思うと、すぐに作戦を失敗して戻ってきます。メインで描かれるのは「エイリアンの侵略」というシチュエーションを使った「極限状態における人間達のドラマ」です。2組の恋人達によるドラマであり、そして圧倒的な力の前での無力感とそれでも最後に残る意地の物語です。ですので、これはもう面白いにきまってるんです。
繰り返される痴話げんかとお化け屋敷のように急に画面の外から脅かしてくるエイリアン達。ハラハラどきどきしっぱなしの楽しいアトラクションの90分です。
大変愉快なんですが、一点だけ気になるのがクライマックス以降につくエピローグの展開です。このエピローグで描かれるある出来事によって、主人公のジャロッドが無力な一般人ではなく特別な存在になってしまうんです。本作の一番の良さは「どんなに格好を付けてもやっぱり個人は無力だ」という部分にありますので、主人公が特別になってしまうと話が全然違ってきちゃいます。ジャンルムービーとしてみればアリな展開ですし、つい続編をつくりたくなってしまったのかも知れませんが、急にトーンが変わるのでやっぱりちょっと吹き出してしまいますw

【まとめ】

とっても楽しいエンターテイメント映画です。エクスペンダブルズにも出ていたデクスターのあいつもマンションの管理人とは思えない熱い活躍を見せてくれますし、浮気者のちゃらいあんちゃん・ねぇちゃんにはきちんと天罰が下りますw お約束をしっかりやっているとはいえジャンルムービーには間違いありませんので、見る人は選ぶかも知れません。かなりオススメな作品ですが、もし未見の方はまずスピルバーグの「宇宙戦争」から見ると良いと思います。オススメです。

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記事の評価
X-MEN: ファースト・ジェネレーション

X-MEN: ファースト・ジェネレーション

火曜の2本目は

「X-MEN: ファースト・ジェネレーション(原題: X-Men: First Class)」です。

評価:(85/100点) – グイっと、ロック・オン!!!!


【あらすじ】

時は1962年。オックスフォード大学で新任教授となった遺伝子学の異端児チャールズ・エグゼビアの元に一人のCIAエージェントが協力を要請しに来る。エージェントの名はモイラ。彼女は対ソ連強硬派のヘンドリー大佐を調査中にヘルファイア・クラブで超能力者達を目撃したのだった。テレパシー能力を持つチャールズは、ヘルファイア・クラブによる第3次世界大戦を阻止するためCIAに協力することにする。
一方、かつてユダヤ人収容所でヘルファイアクラブのリーダー・ショウに母親を殺されたエリック・レーンシャーは、復讐を果たすため独自にショウを追っていた、、、。


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【感想】

昨日の2本目は「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」です。ご存じアメコミの人気シリーズ「X-MEN」の前日譚で、2006年から2009年までに刊行されたグラフィックノベル「X-MEN: First Class」の映画化です。公開4日目でしたがかなりお客さんが入っていました。監督はマシュー・ヴォーン。キック・アスに次ぐ監督4作目です。

はじめに

本作は映画化もされたオリジナルの「X-MEN」の前日譚にあたる内容です。X-MENのリーダー・プロフェッサーXは何故政府非公認でミュータントの自警団を指揮しているのか。かつてプロフェッサーXと友人だったマグニートはいかにして過激なミュータント原理主義者となったのか? そういったものが前日譚として語られます。当然本作を見る上ではX-MENの最低限の知識は必要になります。
映画はシリーズ1作目と同様に1944年ポーランドのユダヤ人収容所から始まります。ちゃんと前シリーズのファンにも目配せできるマシューは出来る男ですw
なんと言っても本作が素晴らしいのは、実在のキューバ危機に実はヘルファイア・クラブ(※マーベルユニバースにおける悪役商会。金持ちとかキザな奴の集団)が関わっていたというウソ歴史路線の上でチャールズとエリックの友情と葛藤をストレートに描いていることです。

ご存じのように、X-MENに出てくるミュータント達は等しく何かしらのコンプレックスを抱えています。ミュータントたちは「自分たちは普通じゃない」という点で被差別意識を強く持っています。チャールズは理想主義者としてミュータントと人類の共存を目指します。一方のエリックはミュータント達だけで世界を作る事を臨みます。新人類は旧人類を駆逐して楽園を作れるのだという思想です。
本作の前半は政治的なやりとりや状況の説明が多くつまっていますが、中盤から後半にかけては完全に超能力チームの結成→挫折→修行→活躍と繋がっていきますので、大変愉快なエンタメアクション熱血映画になっています。

心と心の交流映画として

とまぁ表面上の話はこれぐらいにしまして(笑)本題に行きます。つまりX-MENはゲイ映画だっていう例の話ですw

映画版のX-MENはシリーズの一作目から一貫してゲイをモチーフにした映画として作られています。X-MENにおけるミュータントはマイノリティであり、それは性的マイノリティ、、、、つまりゲイの表現になっています。
これはシリーズ1~2作目の監督であり本作のプロデューサーのブライアン・シンガーがゲイであることとも関係しています。
例えば、一作目の冒頭ではローグが男の子(デヴィッド)にファーストキスをすると相手が倒れてしまいます。ローグはミュータントであり、異性と普通の恋愛は出来ないんです。同じく本作で言えば、ここまで多くの男女が出てくるにも関わらず直接的に関係が描写されるのはエリックとレイヴンだけです。チャールズとレイヴンに至っては子供の頃からずっと一つ屋根の下で暮らしているのにまったく恋愛に発展しません。それはエマとショウにも言えます。エマがいつも胸の谷間をチラつかせているにも関わらず、ショウはエマに手を出しません。テンペストも同様です。彼は踊り子として売春をやっていますが、それを「男はみんなバカだから」と言います。男を恋愛の対象とは見ていません。それは何故か? 答えは簡単です。みんなゲイだから。

このシリーズにおけるマイノリティとはゲイであり、そしてブライアン・シンガー自身がゲイであるからこそ、素晴らしく実在感のある描写が出来るんです。
本作のメインテーマは「マイノリティの生き方とは?」です。

チャールズはマジョリティと共存することこそが平和への道だと語ります。つまり、ゲイであることを隠して生きろと言うんです。ビーストは自分の足が大きくて猿のように手として使えることにコンプレックスを抱えています。そして「本質は変わらなくても見た目だけでも普通になりたい」とレイヴンに語り薬をつくります。一方、レイヴンもチャールズの教えに従って普段は普通の女の子の姿に変身しています。そして酒場でちょっと目の色を変えただけで、チャールズから怒られてしまいます。テンペストは羽根を入れ墨のように肌にくっつけて普段は見せないようにしていますし、バンシーやハヴォックはもとより普通の見た目をしています。

一方のショウは能力を隠すことはしません。自分たちがマイノリティであることを一切隠さず、革命を起こしてマジョリティに取って代わろうとします。つまり彼らはゲイであることを100%受け入れた上で、それを当たり前にしてしまおうと言うんです。

さて、この両者の間を揺れ動くのが本シリーズのもう一人の主役・マグニートとなるエリックです。エリックは最初はショウと同様の考えを持っています。自分の能力を理解した上でそれを復讐につかうことしか考えていません。しかしチャールズに出会うことで、彼の考え方に共感し、彼に協力することにします。多くの腐女子アイを持っている方が気付かれていると思いますが(笑)、チャールズはエリックを文字通り「口説き落とし」ます。「君の事は全部なんでも知ってるよ。」と何度も何度も繰り返し耳元でささやき続けるというキモい方法で(笑)、チャールズはエリックを自分のものにします。しかもエリックを(ゲイとして)目覚めさせるために、彼の幼少時の思い出を盗み見たりします。ゲイとか云々を脇に置いても完全に変態です。そしてまさにクライマックスでエリックはチャールズの自己中心的でメンヘラな姿勢に愛想が尽きて例のヘルメットを被るわけです。心で泣きながら。好きなのに別れざるを得ないから。
その後チャールズは非ミュータントのモイラと良い感じの仲になりますが、しかしキスをするのと同時に彼女の記憶を消して追い出します。何故でしょうか? それは彼女が非ミュータントでありストレートだから。チャールズは「ゲイであることを隠して生きろ」と言っていたにも関わらず、自分はストレートの女とは恋仲になれなかったんです。だから彼は森の中に引きこもって「恵まれし子らの学園」を作るんです。ゲイを隠して生きられないなら、ゲイだけの楽園を人里離れた場所に作っちゃえってことなんです。

本作の主題「マイノリティの生き方とは?」に対して、劇中では以上3通りの思想が語られます。「マイノリティであることを隠して生きろ。」「マイノリティであることを誇りにもって革命を起こせ」「マイノリティだけのコミュニティを作って引きこもろう」。この3つの思想を巡ってキャラクターが組んずほぐれつするわけですw

【まとめ】

男の友情にかこつけたアレすぎる描写も含めて、大変愉快な作品です。きちんと所々ギャグでテンポを抜いてきますし、必要な場所ではこれ以上ないほど熱血な展開がまっています。そして対アザゼル戦のワープ・アクション。それに加えてあからさまな心と心の交流を描くシーンもあります。だってチャールズがエリックを完全に落とすシーンは、それまでストレートよりだったエリックが巨大パラボナアンテナ(※丸いものの中央に先が尖った棒が立っているw)を能力で自分の方向にグイっと向けるんですよw そしてゲイに目覚めるw つまりナニがエリックにロック・オン!!!みたいなw 爆笑出来ます。
ゲイネタが嫌いな方も普通にエンタメ映画として楽しめますので是非見に行って下さい。オススメです。
グイっとね。ロック・オン!!!

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記事の評価
さや侍

さや侍

ようやっと休みが取れたので

「さや侍」を観てきました。

評価:(25/100点) – 切腹を申しつける!by 伊武雅刀


【あらすじ】

伊香藩水位微調役だった野見は脱藩の身で追われていた。賞金稼ぎに追われながらも娘のたえと逃避行を続ける野見は、ある夜、多幸藩に入ったところを捕まってしまう。野見はお白州にて「三十日の業」を宣告される。それは母親の死でふさぎ込んでしまった若君を笑わせるために、30日間異なる芸を一日一個披露するというものだった、、、。


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【感想】

さて、本日は2本観てきました。1本目は松本人志監督3作目の「さや侍」です。予告をみるだに危なげな臭いがプンプンでしたが、とりあえずはずせないので見てきました。平日の昼間ですが結構中高年で埋まっていました。TOHOシネマズで1000円だったからでしょうが、それでもまだまだファンはいるようです。
ちょっと今回は最終盤まで書かざるを得ないのでネタバレありで行きたいと思います。申し訳ございませんが、未見の方はご遠慮下さい。結論としては、前2作よりも映画っぽい部分は増えていますが、その分だけより明確に失敗しているのが見えてしまい残念な事になっています。さらにメッセージの不快さは桁違いにパワーアップしています。どうなるかはわかりませんが、個人的には仮に松本監督の次回作ができたとしても見に行くかどうかはかなり怪しいレベルです。

「三十日の業」の流れ

話は野見に課せられた「三十日の業」が中心になります。そして「三十日の業」にはフェイズが3つ用意されています。まず第1フェイズとして、野見は自分でギャグを考えます。これは腹芸だったりどじょうすくいだったりとクラシカルなものでクオリティは目も当てられませんが、劇中でもきちんとすべっているので特に問題はありません。
次に野見は門番2人を味方につけ、彼らのアイデアをそのまま実行するようになります。ここが一番長く取られている部分で、かご抜けだったり白刃取りだったりです。ここから最後まで野見は何も考えなくなります。これ以降はすべて誰かに言われた通りのネタを披露するだけで、本人が努力するような描写はありません。このフェイズが一番長いため、どうしても野見はただ周りに流されているだけのような印象がついてまわります。
最後のフェイズは人間大砲以降です。ここからヘソを曲げていた娘が協力して口上するようになり、ギャグはすべて大道具をつかったバラエティ的なものになります。また、これより舞台にギャラリーがはいるようになり公開の出し物になります。一貫してギャラリーたちは野見の出し物に手を叩いて喜びますが、若君は無表情なままです。
そんなこんなでクライマックスの最終日、殿様までも味方につけた野見は「何をやっても若君が笑ったことになる」というインチキな状況の中で、何もやらずに切腹します。作品上では、それまでみじめだった野見が最期に武士としてプライドをもって死を選ぶというような雰囲気で描かれています。

作品内での問題点

さて、全体を通して言える作品内での問題点は3つです。
1つは野見の努力がほとんど描かれないことです。野見は最初から最後までただただ周りに流されまくるだけでほとんど自主的な行動をしません。ですから、そもそも感情移入も出来なければ応援しようという気もおきません。
2つめはギャグのクオリティの問題です。特に2フェイズ目までは作品内でもすべっているので気にはなりませんが、3フェイズ目は作品内のギャラリーは爆笑しているのに実際にはまったくおもしろくないという現象がおきています。これは例えば「ランウェイ☆ビート」で作品内では絶賛されているのに実際にフィルムに映っているファッションはダサいというのと同じで、どんどんフィルム内との価値観のズレが気になって興味自体がなくなっていってしまいます。
3つ目はフィクション・ラインの設定の問題です。本作では、冒頭で三味線の隠し刀で背中をざっくり切られて血が噴き出してもすぐに治ってしまいますし、鉄砲で頭を撃たれてもケロっとしています。ですから、どう見ても本作はルーニー・テューンズのような世界なんです。上から大岩が振ってきて押しつぶされても「ひらひらひらひら」みたいに人間がペチャンコになってすぐ元に戻るような世界観です。だから切腹くらいじゃ野見は死なないと思えるんです。介錯で首を切られたとしても、すぐ首がもどって生き返るんじゃないですか? だから全然感動できません。そもそも散々それまで生き恥をさらしていたくせに最期だけ「侍のプライド」みたいなことを言われてもどういう反応をしていいか分かりませんし。最終盤でお墓参りをした娘と若君の前に幽霊っぽい野見がでてきますが、このフィクション・ラインだとそれが幽霊かどうかすら分からないんですよ。単に切腹して首を切られても死ななかっただけにも見えます。

作品の世界観から見るメッセージの不愉快さ

とまぁ単純に映画としてかなり如何かと思う出来なのですが、はっきりいってこれだけであればそんなにケチョンケチョンに言うようなレベルの作品ではありません。よくある失敗した邦画です。ですがここに描かれるメッセージというのが本当に不愉快で本当にがっかりするんです。
見ればすぐ分かるように、本作は監督の前作「しんぼる」と同じく「天才・松本人志の苦悩」という自己評価がテーマになっています。本作の野見は松本人志の投影になっています。松本はアンチ松本(賞金かせぎトリオ)から致命傷と思われる攻撃をくらいますが、しかし本人はそんなことは一切気にせず、またたいしたダメージも負いません。ところが松本は奉行所につかまってしまい、辛口評論家である若君を笑わせなければいけないというバツゲームを食らうハメになります。しかし彼一人の力ではまったく笑わせることが出来ません。体を使った小規模なギャグではまったく笑いをとることが出来なかった彼は壁にブチ当たります。
その後に板尾と柄本Jrというブレーンを仲間にしてギャグを繰り出しますが、それでも評論家(若君)を喜ばせる事は出来ません。しかし、喧嘩別れしていた後継者(娘)が戻ってくることで、彼は本来の力を発揮します。大道具を使ったお金の掛かるギャグ(映画orTV)を繰り出すようになり、彼は一般大衆の人気者になります。しかしそれでも評論家(若君)を笑わせることは出来ません。評論家以外のほぼ全てを味方につけた彼は完全にイエスマンに囲まれた状況の中で「何をやっても笑ってもらえる」という状況を拒絶します。「自分にも表現者/男としてのプライドがあるんだ」として自ら切腹するわけです。
時は経ち、何百年もたって、町に残ったのは若君(評論家)ではなく彼の墓石(=作品)でした。彼は若君を笑わせることは出来ませんでしたが、歴史が彼を正当に評価したのです、、、。
ということなので、本作のテーマは「天才・松本人志の苦悩」となるわけです。彼の脳内では、彼はいま正当に評価されていないのです。「市中の人(一般人)には受けているのに若君(評論家)には評価されていない」というのが彼の自己認識です。しかしイエスマン・松本信者ばっかりに囲まれて甘やかされるのは嫌だと。そんな事になるぐらいなら引退したほうがマシだって言ってるんです。だけど今に見てろと。周りがどうこう言おうと、自分の正当性は50年とか100年経ったときにひっそりと作品が語り継がれていることで証明されるんだと。




好きにすればいいんじゃないですか。でも、今の松本人志さんの状況はまさしく「イエスマン・信者に囲まれて甘やかされている」んですから、わざわざ映画を撮ってまで宣言した以上はさっさと引退するべきだと思いますよ。それこそ「生き恥をさらすぐらいなら自害しましょう(by たえ)」な状況なんですから。

そもそもこの作品自体にオリジナリティがないんですけど、、、。

実は一番どうかと思うのはこの作品のオリジナリティの部分です。本作の元ネタは「千夜一夜物語」または「最後の一話(A Story Short/ケルト民話)」です。どちらもある事情によって毎日一つずつネタを披露しなければいけなくなった人間がネタ切れに悩みながらも表現者としての能力を発揮していく話です。本作はこれに松本人志本人の自己表現をかぶせてくるんです。そこに乗っかるギャグもクラシカルなものから大道具を使った良くあるバラエティ企画ものまで、まったくオリジナリティがありません。「わざと寓話的にしたんだ」と言われればそうかも知れませんが、ここまで類型的なモノで固めておいて「表現者でござい」と言われてもかなり困ります。しかもこのテーマ自体も前作でやったことの焼き直しなわけで、それすらオリジナルではありません。だから本作にはどこにも見所がありません。

【まとめ】

最初に戻りますが、私は本作を見て松本人志作品はもうお腹いっぱいです。私は「ごっつええ感じ」のど真ん中世代でとんねるずよりもダウンタウン派でしたし、松本人志のダラダラしゃべりのショートコントは本当に天才的だと思います。ですが、ここまで自意識が肥大化してしまうと、これはもう手が付けられないように思えます。松本さんの中ではもう彼は立派な歴史的映画監督になってしまっていて、死後に評価が改められるような位置に自分を置いちゃってるんです。そりゃあ確かに吉本興行の映画では良い方ですし、周りも稼ぎ頭に文句をいいづらいのも分からないではないですが、、、いい加減これは誰か止めた方がいいと思いますし、100歩譲ってもちゃんとした監督や脚本家を雇って本人は制作とか原案とかでクレジットさせた方が良いと思います。
特にオススメはしません。でも松本さんが好きな人は見に行った方が良いと思います。ある意味では信心テストのようなもので、「これでもまだついてこれるか?」って聞かれているようでした。申し訳ないですが私にはもう無理です、、、。本当にすべっているにも関わらず「わざとすべってるんだ」という負け惜しみを前面にだしてしまった時点で、もう彼に求心力は残っていないんだと思います。寂しい話です。

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