モアナと伝説の海

モアナと伝説の海

週末はディズニーアニメ最新作

「モアナと伝説の海」を見てきました。

評価:(75/100点) – ザ・ロックの魅力で持たせる120分


【あらすじ】

かつて女神テフティは世界を作った。その強大な力を手に入れようとする邪悪な者達はテフティの心を狙い闘争を続けていた。そしてある時、マウイがテフティの心を盗む事に成功する。しかしマウイは悪魔テ・カァの襲撃にあいテフティの心と大切な武器・釣り針を海に落としてしまう。マウイは泥棒の罪で無人島に幽閉される。

それから1,000年、サモアの島々は闇に吸収されようとしていた。世界を救うために選ばれたムトゥヌイのモアナは海よりテフティの心を授かる。マウイを探し一緒にテフティに心を返すため、モアナは村の掟を破ってサンゴの海を渡る。

【三幕構成】

第1幕 -> ムトゥヌイに不吉な事が起きる
 ※第1ターニングポイント -> お婆ちゃんの死
第2幕 -> マウイ捜索とテフティへの旅
 ※第2ターニングポイント -> テ・カァに返り討ちにあう
第3幕 -> リベンジ・マッチ


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【感想】

さて、週末は1本、ディズニー映画最新作「モアナと伝説の海」を見てきました。監督はご存知ロン・クレメンツとジョン・マスカーのコンビで、「プリンセスと魔法のキス」以来7年ぶりの新作です。私は有楽町の日劇で見てきました。シアター1の大箱で、観客が6割ぐらいでしょうか。ちょっとさびしい感じでした。

本作のストーリー自体は指輪物語と同じです。世界を変えてしまうような強大な力をもったアイテムを返す・破棄するために、田舎出身の主人公は仲間とともに旅をします。途中なんやかんや妨害を受けながら最終的には目的を達成して、だけどもスーパーパワーを得るわけでもなくまたもとの田舎の生活に戻ります。

そう、この映画はただしく「行って帰ってくる話」であり、そこになんの文句もございません。

この映画は、最近のディズニーでは珍しく明確に子供向けにターゲットを絞っています。モアナは最初から選ばれた「ザ・ワン」として登場し、身体能力も超抜群、特殊能力を使わない生身の体で並み居る悪魔や怪物と戦っていきます。このモアナは完全に子供の考える「スーパーヒロイン」です。ピクサーの「メリダとおそろしの森(2012)」みたいに男勝りの女主人公はいましたが、ここまで明確に「女性であることを捨てずに身体能力抜群なアクションスター」というのを打ち出したのは初めてじゃないでしょうか?

そうすると、やっぱりちょいと年のいった身としては、相方のマウイの方に魅力を感じちゃうわけです。

このマウイがですね、声優をやっているザ・ロックに120%寄りかかったキャラなんですね(笑)。俺様キャラでありながら根は優しく力持ちでニヒルに笑うナイスガイ。挙句の果てには「みんなのヒーロー(=ピープルズ・チャンピオン)になりたいんだ」とかいいながらピープルズ・アイブロー(=ザ・ロックの決め顔で、片眉だけ思いっきり上げるドヤ顔)をする始末。狙いすぎだろっていうくらいザ・ロックそのものです。WWEアティテュードど真ん中世代としては、もうこのキャラだけで2万点だしていいかなと思います。

そんなバディ2人がすったもんだしながら珍道中を繰り広げるわけで、これがつまらないはずがありません。

本作は子供向けに全振りしてますので、細かいところのアラ・ウソはかなり多いです。食料問題とか、モアナが絶対ヤケドしないとか。でもそういうのも全部流して勢いでカバー出来ているのが本作のいいところです。やっぱオトギ話的な冒険譚って理屈じゃなくてノリと勢いですから(笑)。CGで作っているのにミュ―ジカルパートの入り方が往年のディズニークラシックそのものですし、音作りもモロにアラン・メンケンオマージュです。そういったところも勢いに一役買っています。

【まとめ】

取り留めもなくなってしまいましたが、本作はとってもよく出来たファミリームービーです。「大人も楽しめる」みたいな変な色気をださずに、全力で子供向けに作っています。残念ながら賞レースでは「ズートピア」に持って行かれましたが、子供向けとして見れば「アナと雪の女王」には周回抜かしで勝ってるくらいのレベルです。

大人が見ると言う意味で惜しむらくは、字幕上映が少なくザ・ロックが声優をやってるバージョンが見づらいことです。プロレスファンなら絶対字幕で見たほうが良いです。ネーション・オブ・ドミネーションの頃のちょっと太った初期ザ・ロックが見られます(笑)。

とまぁそんなこんなで、見て損はない作品です。なんせ私、吹き替え版を見た後にあまりのロック・リスペクトに感激して字幕版にハジゴしましたから(笑)。

春休みに鉄板でおすすめできる作品です。

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記事の評価
ラ・ラ・ランド

ラ・ラ・ランド

今日はアカデミー賞ノミネートで大宣伝中の

「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

評価:(45/100点) – 雰囲気パロディ


【あらすじ】

ミアは女優を夢見てハリウッドへやってきた。何百回とオーディションを受けながらも結果が出ず、ワーナー撮影所のコーヒーショップで働いている。
ある日、友達とハリウッドのプライベートパーティに参加したミアは、辟易しながら家路についていた。その途中、彼女はレストランから聞こえてきたピアノの旋律に耳を奪われる。それが、ピアニスト・セブとの運命の出会いだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 冬。ミアの上京。
 ※第1ターニングポイント -> ミアとセブがレストランで出会う。
第2幕 -> 春、夏、秋。ミアとセブが恋に落ちる。バンドと一人芝居。
 ※第2ターニングポイント -> ミアが故郷へ帰る。
第3幕 -> ミアが戻ってきてオーディションに受かる。

エピローグ -> 5年後の冬。セブズでの邂逅。


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【感想】

さて、本日は「アカデミー賞大本命!」とギャガが大宣伝中の「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

予告を見るとラブストーリーっぽいのでもっとデート客が多いのかと思ってたんですが、意外と老夫婦が多くちょっとびっくりしました。この辺が宣伝効果ですかね。大成功だと思います。

監督は「セッション」のデミアン・チャゼル。まだ31歳でこれだけ話題の作品が撮れるんですから、素直に凄いと思います。個人的に主演(※厳密には主役ではなく脇役ですが^^;)ライアン・ゴズリングが大好きなんで、宣伝と相まってめちゃくちゃハードルが上がってました。

本作はラブストーリー部分だけに焦点を絞れば別にそんなに作りが変な話でもないですし、いい塩梅だと思います。ただ、いま見終わって1時間くらい経って書いてるんですが、私は個人的に結構キてます(笑)。いっぱい感動した人がいるのはわかりますし、大絶賛する人には多分この映画のバイブスが合ったってことだと思うので、全然いいと思います。いまから例によってグチグチ書きますが、それによって作品の価値が毀損するようなチンケなクオリティではありません。是非、劇場でご覧ください。

この後でもしかしたら取っちゃうかもしれませんが(笑)、個人的にはこれにアカデミー賞作品賞・監督賞はないと思います。それは個人的にどうこうっていうよりも、やってることが最近アカデミー賞を取ったばっかりの「アーティスト」とドンカブりだからです。さすがに二匹目のドジョウにサクッと賞をあげるようなことは無いんじゃないかな、、、と予想しています。とか書いといてハズれそうですが^^;

2017年3月1日追記:
本作、見事にアカデミー賞監督賞を獲得しましたね!おめでとうございます!!!とともに、私の予想の外れっぷりに謹んでお詫び申し上げます。主演女優賞と音楽関連は他にないし獲るんだろうな~とは思ってましたが、監督賞はまったく予想外でした。
m(_ _)mゴメンチャイ

ここでお約束です。これだけ評判の映画にグチるわけですから、具体的な部分に話が及ばざるをえません。以下多数のネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。

良かったところ1:ラブストーリーとして鉄板の話

まずは良かったところから行きましょう。1つ目は、多分本作で感動した皆さんがまさに思っているであろう点です。

この映画は「ハリウッドの夢追い人」=「あたまラ・ラ・ランド♪」な人が織りなす青春劇です。ミアは叔母さんの影を追って女優を目指し、セブは「ジャズの復興」という壮大な夢を提げ、お互いハリウッドにやってきます。ミアの友人たちが(いわゆる枕営業的なノリで)人脈を作ってのし上がろうとする中、ミアはそんな売り込みに馴染めず真っ向からオーディションを受けまくり、そして落ちまくります。一方のセブも「ジャズはバップこそが本流である」という信念を捨てきれず、レストランのBGMを弾くバイトでついうっかり勝手な演奏をしてクビになってしまいます。

こういった「信念はあるけど世渡りが下手で社会的に馴染めない」コダワリ派の2人が出会い、お互い励ましあいながらも夢に邁進していくわけです。そして大人になり、ちょっと回り道をしながら、見事に夢を叶えます。

この基本ストーリーは間違いなくよくできてます。っていうか鉄板です。オリジナリティはあんまり無いですが、「王道的」という意味では間違いなくど真ん中の青春ストーリーです。日本映画だってこの手の物は山程も作られていますし、これがダメなわけがありません。「パラダイス・キス(2011)」なんかはモロにこれですよね。

このストーリーの根幹部分は(面白いかは置いといて)減点法で言えば100点満点です。別にツッコム気は一切起きません。

良かったところ2:名作ミュージカルのパロディ

良かったところの2つ目はミュージカル・パロディです。本作は冒頭からして4:3の画面が広がってシネマスコープになるという20世紀フォックスの往年のロゴから始まります。もうこの時点でわかり易いくらいのパロディです。「いまから古き良きミュージカル映画をやるよ!」って宣言しており、そしてその宣言に違わず、映画はいきなり「ウソみたいな青空のもと」「原色のドレスを着た」人たちが群舞するオープニングソングから始まります。この色がモロに「着色感」があるギトギトなもので、完全に昔の天然色映画をパロっているのは疑いようもありません。余談ですが、このオープニングの長回しはとっても良かったです。

さらにさらに、本作は「本能寺ホテル」も真っ青なくらい、映画の舞台背景に奥行きがありせん。外のシーンでも道の真ん中から歩道を平行に撮るようなカメラ・ショットばかりですし、パーティやレストランシーンの舞台も狭く、そして何より例のポスターのポーズを2人で決める山の上からのシーンではわざわざ下界がピンボケしています。加えてそのシーンでのタップダンスは、今時珍しくクレーン撮影をしています。これらは完全に意図しており、要は「スタジオセットで撮影している」ような雰囲気を出すためなんですね。スタジオには奥行きもクソも無いですから、スケールを出すためにクレーンを多用します。

これを象徴するのが、本作で何度も出てくる「部屋の壁の絵」や「スタジオ内で運送中の書き割り」です。画面を意図的に書き割りとして撮っているわけです。まっすぐの道路や波止場を真正面かつ上から撮るのとかはモロにクラシカルですよね。こういうパロディはとっても微笑ましく見られました。

ワシのグチを聞いてけれ

さて、ここまで絶賛モードなわけですが、なんでこれが45点かという部分を書いていきます。

一番大きいのは、セブが夢を全然叶えてないところです。セブは「バトルスタイルのフリージャズ」にこだわりがあったわけですよ。そしてそういう「古き良きバップ」が若者に人気が無いという危機意識から、「俺が復活させるんだ!」「そのためにJAZZの店をやるぞ!」と野心ギラギラなわけです。ところが、最終的にセブが開いた店は「オシャレな大人向けのJAZZバー」です。カクテルとか出してやがるんですよ?は???おまえバップ至上主義者じゃなかったっけ?ミアがジャズの印象を「エレベーター/天気予報で流れてる曲」みたいなノリで言った時にマジギレしたり、熱くフリースタイルの素晴らしさを語ってなかったっけ?せっかく友達から売れるバンドに入らないかって声かけられた時「セルアウトとかジャズじゃねぇわ」とか言って断りかけたりしなかったっけ?そのおまえが最後に開くのが「大人の夜のオシャレJAZZバー」ってどういうこと?テキーラだの麻薬だので若者がハイになってガンガン踊り狂ってるような「狂乱のバップ酒場」じゃねぇの?

しかもですね、最後に開く「セブズ」ってバーがよりにもよってリラクシン♩な感じの椅子まで用意した本格的オシャレバーなんですよ(笑)。それじゃ踊れねぇだろ!ヤジれねぇだろ!アホか!!!!おまえが好きな「古き良きバップ」はラリったミュージシャンがラリったまんまのグルーヴを延々とアドリブでつなぎ続ける最高にサイケな音楽だぞ!!!!

というこのエピローグをもって、本作の私の中の評価はガタ落ちしたわけです。

そこまでも「ふーんa-haをそう使いますか?」とか「踊りも演奏も下手じゃね?」とか、「プリウスもiPhoneもあるのに、CG撮影はなくて車にもカセットテープなの?」とかちょいちょい引っかかる部分はあったんですが、この終わりが決定打で完全崩壊。

結局それっぽいのを表面だけそれっぽくやりたいってだけの志の映画なのね、、、っていう。じゃあ別にいいっすわ、それで。

そしたら急に雑さが目立ってきちゃったんです。ガラガラの一人芝居で何の前振りもなく急にフックアップってそれでいいのかとか、セブのバンドも最初はフュージョンだったのに初ライブで急にニューエイジポップスになっててジャンル変わってるじゃねぇかとか。

そんなわけで、せっかく一番盛り上がるであろう最後の脳内妄想パートもすっごいシラけてみてました。

結局セブは夢を叶えたんじゃなくて、一番現実的であろうところに妥協したってことなんですね。「若者にバップを広めてジャズを再興する」んじゃなくて「単価の高い大人をターゲットにオシャレバーをする」っていう。じゃあ最初に働いてたレストランと変わらないじゃん。

2017年3月2日追記:
実は私おとといのレイトショーで2回目を見てきたんですが、上記のセブが夢を叶えられなかったの自体が監督の意図のような気もしてきました。下でコメントいただいた「悲しき男代表」さんもおっしゃってますが、セブは未練タラタラでミアに引きずられまくっており、一方のミアはどんどん男たちを乗り換えて踏み台にしてのし上がっていくという構図ははっきりしてます。そんでもってこれ完全に薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」ですよね。

夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ
<中略>
愛した男たちを 想い出に替えて
いつの日にか 僕のことを想い出すがいい
–「セーラー服と機関銃 作詞:来生えつこ より」

まぁでもこの解釈になっちゃうと、本当に「パラダイス・キス(2011)」とまったく同じになるので、やっぱ45点で上等だよな~とも思います^^;

まとめ

多分この映画に乗れないのは、私の心が濁ってるからです(笑)。気に入る人が一杯いても全然いいですし、感動も全然ありです。かくいう私も描写に腹が立ってるだけで、ストーリー自体には別に文句はありません。最後だってそもそも冒頭で今カレから”ビビっと来て”速攻セブに乗り換えた前歴がありますから、別にどうとも思いません。

実際、ちゃんとミュージカルパートでお話が進んだりっていう基本的な部分はちゃんとできてますから、私もあんまり細かいところを気にせずに見ればそれなりに楽しく観れたと思います。

いろいろ書いてきましたが、こういうのは個人個人の好みの部分ですから、まずは見てみないことには始まりません。是非是非、劇場でご覧ください!もしアカデミー賞を取るようなことがあれば劇場が混んじゃいますから、ゆっくり見るなら今のうちです(笑)。

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記事の評価
咲 -saki-

咲 -saki-

2本目はこちら、

「咲 -saki-」です。

評価:(75/100点) – 意味がわからんけどテンションが高い!


【あらすじ】

麻雀がスポーツとして成立している世界。宮永咲を擁する清澄高校は、インターハイの長野県大会決勝まで上り詰めた。対するは最恐の天江衣(あまえ・ころも)擁する龍門渕高校、昨年天江に負けた雪辱に燃える池田華菜(いけだ・かな)擁する風越高校、そして影が超薄いステルスモモこと東横桃子(とうよこ・ももこ)擁する鶴賀学園。いま、長野代表を掛けた麻雀団体戦が幕を開ける!

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【感想】

今日のもう1本は「咲 -saki-」です。アニメの存在はしっていたのですが未見な上に漫画も読んだことが無く、完全に前知識なしの初見でした。いきなりダイジェストが流れて県大会が始まったので「すごい割り切り方だな(笑)」と思って見てたんですが、これ、前日譚でドラマもやってたんですね^^; いきなり連ドラの最終回だけ見ちゃったみたいなもんだったみたいです(笑)

実際、前知識がまったくないので最初よくわからなかったんですが、最初の10分ぐらいでだーーっと舞台を説明してくれて、しかも決勝がはじまるとちゃんとキャラ紹介の回想が挟まるので、終わったときにはもう「池田最高ーーー!!!!」ってぐらいテンションが上がってました^^;

そう、この映画、いわゆる「ドラマ」に関してはスッカスカなんですね。だけれども、フィルム全体から監督の「情熱」というか「愛」がめちゃくちゃ伝わってくるんです。それもこれも、ちゃーんと限られた時間の中で特定のキャラだけがきっちり”立つ”ようになってるからなんですね。猛烈に甘ったるくてただただホモソーシャルなところでイチャイチャしているだけに見えて、そこにちゃんと説得力があって、キャラごとの行動原理がわかるようになってるんです。だから私のようにまったく元がわからなくても、いきなりこの映画だけでも話が通じるんです。

作品のフォーマット自体はいわゆる「超能力スポ根もの」です。私の世代ですと「キャプテン翼」ですし、ちょっと下の世代だと「テニスの王子様」とか「黒子のバスケ」みたいなやつですね。スポーツを題材にしてるんだけどやってることはファンタジックな「必殺技」の応酬で「超能力バトル」が展開されるジャンルです。一見するとバカバカしくも見えますし、実際一時期は「シュート!」とか「スラムダンク」みたいなリアル路線のスポ根のほうが流行ってました。

本作では主要キャラがあり得ないような超能力を駆使して麻雀で戦っていきます。主人公・咲はカンからのリンシャンカイホウで必ずツモってきて超連鎖を起こしますし、ラスボス・天江衣はリーチからのハイテイを確実に決めてきます。劇中でも「2人の魔物」と称されていますが、とんでもないイカサマ級の超能力です(笑)。

この2人と戦う池田・加治木の両名は全然必殺技をもっていないわけで、こんなのに勝てるわけがありません。だけど、ちゃーんとこの作品はそんな「一般人」の2人に熱い見せ場を用意してくれます。池田の起死回生の数え役満からの「そろそろまぜろよ」で、私、涙がとまりませんでした。加治木も実は虎視眈々とオーラスで國士舞双を狙っていたり、もうね、こういう脇の描き方に親指が上がりっぱなしです。

ということで、遅ればせながら漫画に手をだそうと思います(笑)。いやね、本当によかった。

これ、原作ファンの方にはいつもの漫画映像化な感じで不評なんでしょうか? 個人的にはめちゃめちゃ面白かったですし、実際に原作漫画に手を出しそうな男がここにいますので大成功だと思います(笑)。テラフォーマーズとか映画はそれなりに楽しくても別に原作読みたくはならないですからね^^;

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セル

セル

今日は2本見てきました。1本目はこちら、

「セル」です。

評価:(35/100点) – オカルト侵略SFの凡作


【あらすじ】

クレイ・リデルは漫画家である。妻と息子を置いて放蕩の旅に出て1年が経ったが、やっと漫画の契約が取れて自宅へ戻ろうとしていた。そんなとき、空港で突然の暴動に巻き込まれる。どうも電話を使っていた人が凶暴化しているようだ。わけがわからないまま、クレイはやっとのことで空港を抜け出し地下鉄のホームまで辿りつく。地下鉄運転士のトムと共に、クレイは自宅を目指す、、、

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【感想】

今日の1本目はスティーブ・キング原作の映画化「セル」です。監督はパラノーマル・アクティビティ2のトッド・ウィリアムズ。脚本をスティーブン・キング本人が書いています。スティーブン・キングでホラーSFといえばお家芸なわけで、これは否が応でもB級の期待をするしかありません!

そして実際に見てみると、、、これ、B級が過ぎます(笑)。

どこかで見たような話のオンパレードでなんかちょっとパロディっぽさすらあり、あんまり盛り上がりません^^;

今回の一発アイデア風呂敷は、「ある瞬間に電話を使っていた人が急にゾンビみたいに凶暴化して襲ってくる」というものです。これ、すごいつい最近、まさにサミュエル・L・ジャクソンが出てた「キングスマン(2014)」にそのまんまのものがありました^^; もちろん小説の発表は「セル」が2006年で圧倒的に早いので全くパクりではないんですが、目新しさはありません。そして、途中で携帯人間がするある”進化”も、まんま「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!(2013)」でエイリアンがやってたのと同じです。大人の男2人と子供の男女4人の珍道中というのもテンプレ的ですし、「いろんなところに立ち寄りながら絶望的なパターンを体験していく」というのもありがちです。

そんなこんなで、な~んかテンションあがらないな~と思って微妙に目が泳ぎながら見ていますと、急に頭にとある作品が浮かんできました(笑)。

これ、全体的な雰囲気がニコラス・ケイジの「ノウイング(2009)」に似てるんです。シャマラン的といいましょうか、アイデア一発でグワァーーーっと風呂敷を広げまくって、それが急激にしぼむ感じ。オカルトホラーなんだけど、な~んか微妙に小じんまりした感じ。以前「スカイライン-征服-(2010)」の時に「最近の侵略SFは主人公たちの無力さを表現するから楽しいんだ!」みたいなことを書きましたが、本作は主人公たちが縦横無尽の大活躍をして携帯人間共をたぶん数千体単位で退治します(笑)。そんなところも引っくるめて、ジャンル映画としても「なんか微妙」なんです。最後の最後の絵面だけは最高にニヤニヤできるんですが、そのために1時間半はキツいです、、、

ということで、無かったことにしましょう^^;

「アンダー・ザ・ドーム」「骨の袋」「11/22/63」と、最近のスティーブン・キング原作者はドラマで当たりが多かっただけに、久々にアレなのを見た気がします。

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マリアンヌ

マリアンヌ

先週末はロバート・ゼメキスの最新作

「マリアンヌ」を見ました。

評価:(40/100点) – オシャレ。以上!


【あらすじ】

時は1942年、モロッコのカサブランカ。RAF(ロイヤルエアフォース=イギリス王立空軍)のマックスは、ドイツ大使の暗殺任務を負ってスパイとして彼の地へ降りたった。マックスに先行して現地社会に潜り込んだフランス人工作員のマリアンヌとともに、マックスは作戦を遂行する。その過程でマックスはマリアンヌに惹かれていく、、、。

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【感想】

さてさて、先週末はロバート・ゼメキスの「マリアンヌ」を見てきました。

ロバート・ゼメキス監督に脚本がイースタン・プロミスのスティーヴン・ナイト、音楽は毎度コンビのアラン・シルヴェストリ。そして主演でブラッド・ピットとマリオン・コティヤール。ガッチガッチに固めてきているこのスタッフ・キャストリストを見ただけで、「こりゃ絶対オシャレないい映画になるんだろうな」という雰囲気をビンビンに出しています。

しかもタイトルが「ALLIED」ですよ。大戦中の連合軍を意味する「ALLIED」の文字間をちょっと開くことで、「ALL LIED = 全部 嘘だった」と「LIED = ドイツ語で”歌”」を掛けてくるというこのオシャレっぷり。

そして実際に見てみますと、、、お、、、オシャレしかない(笑)。

久々に凄いアレな映画がやってきました。雰囲気7割、音楽2割、内容1割。とてもオシャレでオシャレなオシャレ映画です。

前半後半で話が全然違う

本作は良くも悪くも古風な作りをしています。昔は3時間超えの映画だと真ん中に休憩が入ったじゃないですか。私が劇場で見て覚えているのだと、「サウンド・オブ・ミュージック」とか、「十戒」とか、「2001年宇宙の旅」とか。日本映画で最近だと、「愛のむきだし」とか「沈まぬ太陽」とかですかね。本作も、作りはモロにこの「休憩付き前半後半構成」の映画です。

本作の前半1時間はカナダ出身イギリス軍人のマックスがカサブランカで同じく同志マリアンヌと出会い、偽装夫婦としてドイツ大使を暗殺するというスパイものです。マックスがフランス語の訛りをケベック訛からパリ訛に特訓したり、モロッコの風習をマリアンヌに教わったりと、コッテコテのスパイものです。

後半ではうって変わってその18ヶ月後にすっ飛び、マリアンヌがマックスと結婚・引退してロンドン郊外で家庭をもつ話になります。そしてそこで、マリアンヌのダブルスパイ疑惑が浮上し、マックスが真相を探るために奔走します。

そう、この映画は、完全に前半と後半で話が分断されているんです。しかも肝心の中心人物であるマリアンヌが結構な形でキャラ変します(笑)。前半部分では「戦う女」だったマリアンヌは、後半は「子供と家庭の庇護者」としてマックスに守られる”か弱い”存在になります。そしてマックスも、家族を守る男と軍人との間で走り回ります。前半はとっても愉快なんですが、一方の後半は、とっても甘ったるい家族愛ものに変わります。サスペンス・探偵要素も特にありません。

そうなると、当然これはもうストーリーとかほったらかしでベテラン実力俳優の掛け合いを楽しむだけの映画になるわけで、「オシャレだね~」という感想しか出てこないのです(笑)。

とにかくオシャレなんだよ!

舞台となったカサブランカ/ロンドンの背景といい、ジャズ中心の音楽といい、そしてブラピとマリオン・コティヤールの衣装といい、本作にはオシャレ要素がテンコもりです。とにかく画面上の全てがオシャレ。そんななかで火曜サスペンス劇場もびっくりのやっすいサスペンスが展開されたとしても、果たしてそれに文句をいっていいのかというそんな気さえします。言うて見れば荻上ワールドみたいなもんです。だからストーリーを期待してはいけません。とにかくオシャレ。雰囲気命。そして疑いようもなく、オシャレ作りは成功しています。

まとめ

私自身が、何を隠そうオシャレとは正反対の人生を送っていますので、こういう映画の感想を書くのにどうしても語彙が貧弱になってしまいます(笑)。

だってマリオン・コティヤールがセクシーでオシャレじゃん。ブラピだって渋くて軍服が似合っててオシャレじゃん。2人の子供が来てるニットのベビー服だってすごいオシャレじゃん。だからもう映画自体がオシャレじゃん。

ということで、オシャレな方たちのオシャレな昼下がりを彩るのに最適なオシャレ映画です。オシャレにオシャレな時間を過ごしたいオシャレ男子・女子のみなさんにオシャレにおすすめします!

これを見れば、今日から君もオシャレ(ウー)メンだ!

※余談ですが、こういうのを見ると女子高生が「カワイイ!」という単語だけで会話が成り立つという都市伝説がすごい納得できます(笑)。たぶんこの映画をカッポーとかで見て感想を言い合うと、マジで「オシャレ」しか出てこないと思います。

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雑記:脱線よもやま話 音楽の著作権を考える

雑記:脱線よもやま話 音楽の著作権を考える

うも、おはこんばんにちは。きゅうべいです。なんかJASRACが音楽教室から受講料の2.5%を著作権料として徴収しようとしているというニュースが結構話題になっております。

そこで今日は著作権について、また例によってグダグダに語っていきたいと思います。一応、私の見解というか立場を先にハッキリさせておきましょう。

JASRACが今回のように音楽教室の著作権使用料を請求・徴収するのは当然だと思います。そこに異論はありません。ただし、「音楽教室から受講料の2.5%を著作権料として徴収」という部分については断固として反対ですし、そこに大義は無いと思っています。

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ch1: そもそも著作権とは?

我々がざっくりと「著作権」といった場合、これは「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律(平成16年6月4日法律第81号)」にかかれた権利の事を指します。

本気で大真面目に興味があるかたは、(もちろん法律ですので)政府がちゃんと国民に公示してますので、原文を読んでみて下さい。

コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律
(平成十六年六月四日法律第八十一号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16HO081.html

著作権法 (全文)
(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%92%98%8d%ec%8c%a0&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S45HO048&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

以降は、相変わらず噛みくだいて雑に書いていきます(笑)。一応本職ですからあってるはずです^^;

ch1-1: 要件

まずは著作権の対象になるコンテンツを見てみましょう。

上記法律条文の第2条1項に「著作権が発生するコンテンツとはなんぞや?」が列挙されています。

この法律において「コンテンツ」とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラム(電子計算機に対する指令であって、一の結果を得ることができるように組み合わせたものをいう。)であって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう。

要は「創造的活動により生み出される」「教養又は娯楽の範囲に属するもの」が「コンテンツ」だって言ってるわけです。だから、私のこの文章とか、音楽の歌詞とか、もちろん芸術的な絵画とか、こういったものが著作権の発生するコンテンツになります。私の文章が創造的かは怪しいですけど(笑)。実際、「創造的じゃない」として著作権を却下されるケースはままあります。一番有名な所だと「新聞の見出し」ですね。見出しはただ内容を要約しただけなので、著作物とは認められていません。もっと最近の身近なところだと「映画のタイトル」なんかもそうです。「映画の本編」は著作物ですが、タイトルは著作物とは認められていません。だから「君の名は(2016)」が「君の名は(1952)」の著作者から訴えられることはありません。

ちなみに「タイトルをパクられた!」として訴えるためには、著作権ではなく商標権を利用する必要があります。「登録商標」として「君の名は」がもし登録してあったら、オリジナルの「君の名は(1952)」の権利者は「君の名は(2016)」を訴えて何億円も取れます。其の話をはじめると「PPAP問題」に脱線するので今日はつまみ食いは止めておきます(笑)。

そう、いま「登録商標」の話が出ましたが、著作権は登録制ではありません。日本では著作物を作った瞬間にそこに著作権が発生します。これは超強い&著作者に有利なルールなので、そのぶん法律的な安定性に欠けます。具体的には、実際に裁判で争われない限り、あなたの著作物が「著作権の発生するコンテンツかどうか」はわからないんです。自分ではクリエイティブな仕事をしたとおもっても、裁判で「おまえの見出しにはクリエイティビティがないから著作権は与えられねぇわ。」と言われてしまう可能性があるわけです(笑)。

ch1-2: 著作権の種類

さて、そんな著作権ですが、実際には「著作権」という一つの権利ではなく、条文上で多くの「権利」が定義されており、その複合体となっています。

大まかに言って、「著作権」には「その人に一生ついてまわる著作者人格権」と「誰かと売ったり買ったりできる財産権」とに分けることができます。まずは全部をざーーーーっと列挙してみましょう。

●売り買いできない「著作者人格権」

  • 公表権(コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律 第18条1項)
  • 氏名表示権(同 第19条1項)
  • 同一性保持権(同 第20条1項)
  • みなし著作者人格権侵害(同 第113条6項)

●売り買いできる「財産権」

  • 複製権(コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律 第21条)
  • 上演権(同 第22条)
  • 上映権(同 第22条の2)
  • 公衆送信権・送信可能化権・伝達権(同 第23条)
  • 口述権(同 第24条)
  • 展示権(同 第25条)
  • 頒布権(同 第26条)
  • 譲渡権(同 第26条の2 第1項)
  • 貸与権(同 第26条の3)
  • 翻訳権・翻案権(同 第27条)
  • 出版権(同 第79条)

山ほど種類があります。私、大学の授業で暗記させられました^^; いまはもうあんま覚えておらず条文片手にカンニングしながら書いてます(笑)。

ch1-3: 著作者人格権

まずは著作者人格権を見てみましょう。これは売り買いができません。死ぬまでオリジナル作者についてまわりますし、死んだ後も残ります。

「公表権」とは著作者がボツにした作品を勝手に公表されたり、また世間への発表日を自分で決められる権利です。CDやゲームや漫画の発売日前のフライング販売は厳密に言うとアウトです。週刊少年ジャンプの早売りをしている本屋やコンビニは、漫画の作者に訴えられると負けます。

「氏名表示権」は、「作品を発表する時の名前」を著作者が自由に決められる権利です。ペンネームとかですね。ですから、某ラ○ライブの声優さんみたいに、昔でていたアダルトビデオがバレちゃった場合、「あの〇〇が昔出てたアダルトビデオ!」という宣伝をされたら訴えることが出来ます。この場合は彼女は実演家(=台本に準じてなんか演じたり喋ってる人)なので、厳密には「著作権」ではなくて「著作隣接権」の「氏名表示権」にあたります。ややこしい^^;

「同一性保持権」は、いまパーマ大佐の「森のくまさん」替え歌で揉めてるやつです。どこもかしこも揉めてばっかだな(笑)。同一性保持権は勝手に変更を加えられない権利です。これは大変面倒でして、どこまでが批評でどこからが引用パロディかでよく裁判になります。君子危うきに近寄らず。パロったりする場合は、後から訴えられないように一声かけるのが礼儀です。

「みなし著作者人格権侵害」はそのまま条文を引用しましょう。

著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。

要は、明らかに名誉を害するために使っちゃだめってことです。実際の判例がこちらのwebページに乗ってます。

知財弁護士.com
平成25年7月16日判決(東京地裁 平成24年(ワ)第24571号)
http://www.ip-bengoshi.com/hanrei/25_1/20131021.html

漫画家の佐藤秀峰さんが自分のイラストを意図しない形で政治利用されたとして訴えた裁判です。

上記の4つの権利をまとめた「著作者人格権」は、著作者に一生ついてまわります。何度も書きますが売り買いはできません。そして、第60条にあるとおり、「著作者が存しなくなった後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害にあたる行為をしてはならない」とあり、さらに116条で「遺族が著作者の代わりに訴えていいよ」となっています。ですから、厳密には遺族が相続することもできません。完全に著作者固有の権利です。

もし「”吾輩は猫である”を書いたのは実はオレだ!」とか言って「吾輩は猫である 作:山田太郎」みたいな本を勝手にだすと夏目漱石の遺族に訴えられます^^;

ch1-4: 財産権としての著作権

長くなっちゃってすみません。やっとJASRAC様が登場する場面がやってきました!

財産権としての著作権は、項目自体が全部で13個あります。こちらは著作者人格権と違い売り買いができますし、売り買いができるということは第3者に委託することもできます。ここで注目しないといけないのは、「著作者人格権」の持ち主は絶対に著作者本人ですが、「財産権としての著作権」の権利者は本人とは限らないということです。よく細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一のYMOが揉めていますが、「財産権としての著作権」をレコード会社に売ってしまっていると、「実際に曲を作った本人達」の意図しない形で「権利者としてのレコード会社」がベスト盤を発売することができます。本人たちにはもう権利がないのですから、それを止める手段も権限もありません。

さて、JASRACはまさにこの「財産権としての著作権」を委託管理する法人です。ただしこれは「信託」なので普通の「委託」ではありません。「財産権としての著作権」そのものを原著作者から一定期間譲り受けてJASRAC自体が正式な「財産権としての著作権者」になります。だからJASRACは直接的に著作権侵害者との裁判ができます。

元々の「財産権としての著作権者」は、「歌詞」「メロディ」「レコーディングされた演奏・唄」の権利をJASRACに委託します。JASRACは権利者との委託契約についてそれぞれの権利区分の選択制をとっています。


JASRACホームページ:お預けいただく範囲の選択について
出典:http://www.jasrac.or.jp/contract/trust/range.html

ですから、「テレビ・ラジオ放送とカラオケの利用料だけ徴収して」という契約はメニュー上は可能です。

JASRACの委託契約はホームページのデータベースから検索することができます。
http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/

ch2: JASRACの問題点と音楽教室問題

さて、そんな「財産権としての著作権者」の強い味方であるJASRACですが、問題点が一個だけあります。それはよく言われる「本当に著作権者に分配されてるの?」という話です。結論から言うとグレーです。本来はあり得ないことですが、そこには「包括契約と按分」というこの問題で一番難しい闇があるからです。

ch2-1: JASRACの問題点

本来のJASRACの業務とは、第3者の著作物の利用に対して「財産権としての著作権者」が行う「許可・料金契約の事務作業」を代行することです。あくまでも契約の代行業ですから、そこにグレーゾーンの入り込む余地はありません。一回の契約を代行する毎にパーセンテージで手数料をハねるだけです。これならばなんの問題も起きようがありません。

しかし、JASRACには実際に何百万曲と委託されており、さらに社員はたかだか500人弱しかいません。これを一曲一曲契約代行するのは面倒くさいです。そこで、JASRACはテレビ局やラジオ局、さらにはレコード会社と「包括契約」を始めます。これは月額いくらでJASRAC信託曲が使い放題になるというパック販売です。これはJASRACの発明した最高の手抜き効率的手段です。

JASRACのホームページからこの包括契約について引用しましょう。

<演奏会の場合の計算例>
● 公演1回の使用料
定員1,000名の会場で入場料2,500円のコンサートを開催する場合、
使用料は、(2,500円×1,000名×80%)×5% = 100,000円(税抜) ですが、
年間の包括的利用許諾契約を締結すると、
使用料は、(2,500円×1,000名×50%)×5% =  62,500円(税抜) となり、
包括的利用許諾契約を締結しない場合と比較して、約4割引になります。
(注)入場料がない場合や、上記計算による使用料が「定員数×5円」又は「2,500円」を下回る場合には適用されません。

年間の包括的利用許諾契約について
http://www.jasrac.or.jp/info/create/contract.html

突っ込みどころは2箇所あります。

まず第一に、JASRACが定める上演権の値段は、何故か「1曲(=1権利)いくら」ではなく、総入場料の4%です。100曲歌おうが1000曲歌おうが全部で4%です。そうすると歌いまくれば歌いまくっただけ、著作権者に入る単価は少なくなります(笑)。謎の値引きサービスです。

第2に、JASRACと包括契約を結ぶことで、料率が総入場料の2.5%に値引きされます(笑)。著作権者にとっては同じ1回歌われただけでも、使った人がJASRACと包括契約をしてるかどうかで入ってくるお金が変わるわけです。すさまじいシステムです。代行業のくせに「抱き売値引き」してくれちゃうんですから(笑)。ちなみに今回の件で「音楽教室の売上の2.5%を請求するなら値段の根拠を示せ!」という意見をよく見ますが、正直根拠はどうでもいいんです。「財産権としての著作権」は物権ですから、別にいくらに設定しても構いませんしその根拠も必要ありません。たとえば、もしあなたが駐車場を経営する場合、別に利用価格はいくらでもいいですし、法的な制限もありません。高すぎれば誰も使いませんし、安ければ使う人が増えるってだけです。著作権使用料も同じ事です。

むかし大槻ケンヂさんが「JASRACの本社前で自分の曲をライブして使用料を払ったのに、JASRACから入金されてこなかった」という都市伝説があります。こういうのは実際にあり得て、この包括契約におけるサンプリング利用率にのっとった割り振りと最低支払い料により入金が切り落とされているパターンです。

著作権者からするとこんなにふざけた話はありませんが、一方で利用者からするとこの包括契約は悪くない仕組みです。なにせパック売りで安くしてくれますし、さらには細かい利用明細を提出する手間が省けますから。本当なら一曲一曲全部調べていつ何回演奏したかをJASRACに出して費用を請求してもらうんですが、包括なら適当に一括でドンと払えばそれで終わりです。

使う方は安くなってハッピー、JASRACも手間がかからず集金できてハッピー、著作権者はちょっと取り分が減るけどそれでも取りっぱぐれるよりはハッピー、とWin-Win-微Winな関係になっています。約1名軽く被ってますが結果オーライ。

もし一曲一曲の使用実績を全部個別に事前申請させて本気で集計すると、たぶん使用料を10倍以上にしないとそもそも経費がまかなえないんじゃないでしょうか。でも、個人的にはそっちのほうが不公平が無くて良い気がします。ライブチケットが3万円ぐらいになりますが、まぁ芸術ですからそんなもんでしょう^^; あとは完全事前承認性って手もありますよね。本来は承認を受けなきゃいけないものですから、本当は申請を待つ受け身スタイルでも良いんです。無断使用は問答無用で高額民事訴訟。これだと結構いけそうです。先ほども書いたように「財産権としての著作権」には定価もヘッタクレもないので「俺の曲は1回演奏すると1億円だ!」という設定もありです。

一方、この包括契約は大変独占力が強いビジネスモデルです。なにせ包括契約さえすればJASRAC信託曲は使い放題ですから、下手にJASRAC信託曲以外の曲を使う理由がありません。余分にお金がかかりますし、権利者を探して話をするのも面倒です。そうすると、必然的に使うのはJASRAC信託曲が中心になり、著作権者もJASRACに委託しないと機会損失が発生することになります。何年かおきに公正取引委員会が監査にはいってますよね。個人的にはこの包括だけは徹底的に潰してほしいです。そうしないとネクストーンとか他の業者が出てこないですから。

こうして、JASRACは著作権の大巨人へと成長しました。

ch2-2: 音楽教室からの徴収問題

ここまで5000文字以上を使って書いてきましたが、いよいよ本題の音楽教室からの徴収問題です。

まず、大前提として、日本の著作権には「フェア・ユース」という概念がありません。「フェア・ユース」は「商業目的ではなく」「作成される複製物が少なく」「著作物の潜在的マーケットを侵さない」場合に著作物の使用が認められる制度です。アメリカ合衆国著作権法 第107条に規程されています。

「フェア・ユース」が無い代わりに、日本における「著作権の制限」は第30条から第49条までで具体例で個別に定められています。

今回の音楽教室問題に相当するのは第38条です。

著作権法第38条第1項
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

「音楽教育」と言われて100%善意のボランティアで子どもたちに音楽を教えてるような教育機関を想定するのは不適当です。今回JASRACが対象としているのは正に音楽塾であり「営利を目的」そのものです。当然商売で使ってるんですから、そこから使用料を取ろうという方針は当たり前です。JASRACがトチ狂って小学校の音楽授業から利用料を取ろうとしたら怒っていいですが、営利目的の私塾から取らない理由はありません。100%取るべきだと思います。

ただし、ここで想定しているのは音楽学校の教師が生徒に向けてお手本としてJASRAC曲を演奏するようなケースです。例えば、生徒側が1分に満たない楽曲のフレーズを練習として演奏した場合とか、音楽教室内の自由時間に生徒が勝手に演奏した場合は私はカウントする必要無いし払わないでいいと思います。いろいろケースはありますから、包括契約には反対です。

補足:日本には「カラオケ法理」といってその上演を「管理」「支配」し「利益が帰属」しているのは誰かによって著作権侵害の主体を判断するという判例があります。(「クラブキャッツアイ事件 最高裁昭和63年3月15日」)
これを使うと、生徒の演奏も「先生の指示(管理・支配下)」で、「教室の運営(営利目的)内」で行われていたと判断することもできます。この論法が裁判でとおれば、生徒の演奏からも上演権料が取れる可能性があります。

ポイントは「教室内が公衆か」「演奏そのものが営利目的にあたるのか」と「演奏した楽曲が楽曲足り得るのか(※要は2小節とかものすごい短くないか)」の部分です。また、もし歌詞カードや楽譜をコピーして配ってたら当然アウトです。さすがにそれは論外なので争点にならないと思います^^;

喫茶店のBGMがアウトなのと同様に、曲の演奏そのものに対価が発生していなくても、その曲を使うことによって営利に寄与していると考えられる場合には「営利目的の演奏」になります。音楽教室がクラシックやオリジナル曲などのライセンスがクリアされた曲ではなくてわざわざJASRAC信託曲(ポップスが多い)を使うのであれば、それは当然「生徒の人気につながる」「その曲が売りになる/その曲目当てに生徒が来る」「売上アップに寄与する」という考えで採用しているわけであり、「営利目的じゃない!」というのは無理筋でしょう。「先生が見本として演奏するのは”演奏技術の実演のための引用”であって曲そのものに価値を見出して聞かせているわけではない!」という意見をちょいと見かけましたが、だったら著作権フリーの曲を使えばいいわけであって、これもちょいと苦しいかと思います。もっとも、一小節だけ使って特定・個別のテクを見せるとかなら引用が認められてセーフの可能性があります。

しかし一方で、JASRACが包括契約として授業料の2.5%を取ろうとしているのはオカシイとおもいます。2.5%ってちょっと前に出てきましたよね?そう、これ、音楽教室と「ライブハウスの包括契約」を結ぼうっていうんですね。業態としては「演奏者が他人の著作物を演奏してお金を取って入場した観客に聞かせている」わけですから、ライブハウスと音楽教室の構造は一緒っちゃあ一緒です。

とはいえ、音楽教室でJASRAC信託曲をどれだけ演奏してるかっていうデータはあるんでしょうか?

個人的には、いきなり包括契約をJASRACから提案するのはオカシイと思います。まずは全部の楽曲を逐一教室に申告させて、JASRACも監査員を割り当てるか授業風景をビデオ提出させて、虚偽申告がないかをキッチリ確認する個別申請から始めるべきです。当然JASRAC側も経費がかかりますが、でもそれって本当は当たり前のことですからね^^; そこでJASRACの思惑通り信託曲がガンガン使われているならガッツリ利用料をとれますし、もしそんなに使ってないなら包括にする理由はありません。それにもし個別申告にして虚偽申告があったら、著作権侵害で訴えればたんまり賠償金がとれます。

そう、これって構造的に包括契約を申し込むのはJASRAC側ではなく教室側からじゃないと説明がつかないんです。だって包括契約って値引きシステムなんですから、お金貰う方から先に値引きを提案するのは変でしょう?そもそも著作物の利用って事後報告じゃないですから。「演奏させて下さい」「嫌じゃ」ってパターンだって当然ありえます。「使った分だけ後から払えばいいんだろ!」っていうのは本質的におかしくて、許可を受けるのが先で実際の利用/演奏は後です。

もしいま音楽教室が著作物の使用料を払わずに勝手に営利目的で演奏したり楽譜をコピーしたりしてるのが明白ならそれはただの犯罪ですから、いますぐ損害賠償請求と刑事告発をするべきです。著作権者の受託者たるJASRACはすぐにでも著作権者を守るために法的措置をとるべきでしょう。

ちなみにざっと見たところ、宇多田ヒカルさんの曲は「映画」「CM」「ゲーム」以外の利用については全てJASRACに窓口を委託していますから、今回の音楽教室の料金徴収も宇多田さんがツイッターで何を言おうが当然徴収されます。もし本当に営利目的の音楽教室に無料で使ってほしいなら、宇多田さんは上演権を全部JASRACから引き上げればいいだけですし、それはとても簡単にできます。そしたらみんな大手を奮ってバンバン使えるので、意外とレンタルや配信で回り回って儲かるかもしれません。他人のライブでカバーされる際の著作権契約を自分でやらないといけませんが、そこはソニー・ミュージックパブリッシングにぶん投げとけば、NOとは言わないでしょう。「やってくれないならユニバーサル・ミュージック・パブリッシングに権利移す」って言えば一発です^^。

それと宇多田さんは何故かアメリカのASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)の会員です。ですから、外圧としてASCAP経由でJASRACに対して委託者と個別の委託契約を結べるように交渉してみるのも面白いかも知れません。さすがに一人一人と個別契約だとJASRAC内でも収集がつかなくて現実的じゃないですが(笑)。

まとめ

本件は全面的にJASRACバッシングしている人が多いですが、営利目的で公衆に演奏する利用に対して料金を徴収するのは当たり前の話です。

あとはJASRACの想定/把握している今回の音楽教室における演奏が「公衆」かつ「営利目的」かどうかだけですね。

JASRACは原著作者から「信託」を受けています。「信託」には普通の「委託」と違い、顧客の利益を最大化する義務があります。ですから怠慢は許されません。法律上著作権を侵害していると見込まれる使用者とは、速やかに使用許諾契約を結び料金を徴収し、必要であれば裁判を起こさないといけません。

ただ、包括契約だけは本当に根拠不明です。たぶんJASRACを叩いている方も「音楽教室なんだからクラシックとかJASRAC信託曲以外のが多いんじゃね?」みたいなイメージが先行してると思います。私もなんとなくそんなイメージがあります。ピアノ・バイエルとか。音楽教室がいちいち著作者個人に許可を受けにまわっているとは考えづらいですから、普通なら著作権フリーのクラシックが多いんじゃないかと。ライブと同じ2.5%って言われると、ちょっとボッてる感はあります(笑)。でも実際にJASRACが信託曲を使われたと言っている以上は、本当に使われてるんでしょう。そしたら、その使用実態に則って個別曲ごとに粛々と利用料を請求し、過去分については裁判すればいいだけなんじゃないかと思います。

著作権まわりは大変面倒ですが、ざっくりの考え方は上に書いたとおりです。
個人的には是非、JASRACには大手音楽教室(ヤマハ? カワイ?)を相手に裁判して欲しいと思います。こういうのは裁判で白黒ハッキリさせないと絶対後で気持ち悪いことになりますから^^;

著作権は、著作者人格権と財産権に分かれており、人格権は問答無用で破ってはいけない。財産権は対価を払えば譲ってもらえたり許可をもらったりもできる。そう覚えておくと良いと思います。
よく「自分の曲を演奏してるのにJASRACにお金を取られる」と言っているミュージシャンがいますが、それは上演権をレコード会社/音楽出版社にすでに売っちゃったか、上演権をJASRACに委託する時に例外条項を付けなかった本人の落ち度です。もっとも、売れないバンドなんかがデビューの時に「財産権としての著作権」を有無を言わさずレコード会社に召し上げられちゃうって問題も別にあります。日本で昔からあるレコード会社と音楽出版社との資本関係問題ですね。ここに触れるといろいろヤバい話がいっぱいなので、それはまた別の機会に^^;

著作権はコンテンツ・ビジネスでは当たり前の基礎知識ですので、一度原文を読んでおいて損はないと思います。

追記

ちょいと某2ちゃんねるで「楽譜を買ってるんだからいいじゃんか!」「楽譜にも著作権料があって、演奏する時も著作権料を払うんじゃ二重取りだ!」というのを見かけたので追記いたします。

たとえば漫画を買ってきて、これをスキャンしてネットにアップロードしてバラ撒くとお縄になりますよね? だけどGoogleドライブにバックアップを取るためにアップロードするだけなら大丈夫です。

これはなぜかというと、漫画を買ったからといって「漫画という著作物」に対してユーザーが権利を取得したわけではないからです。「財産権としての著作権」に複製権がありますから、他人向けに勝手にコピーをつくる/つくらせると複製権侵害になります。上記漫画のケースだとネットワーク公開なので「送信可能化権侵害」も入ります。もし雑誌の早売りや日本未公開のアメコミだったりしたら「公表権侵害」にもあたります。さらにアメコミに勝手に日本語訳を付けていたら「翻訳権侵害」もつきます。賠償金がうなぎのぼりです(笑)

もちろん、勝手に自分でスキャンしてタブレットとかで個人的に見ている分にはまったく問題ありません。これは著作権法第30条の制限規定である「私的使用のための複製」にあたります。でもこれを非営利だろうかなんだろうが不特定多数にばら撒くと複製権の侵害になります。どこまでが「私的」なのかはグレーゾーンでよく揉めますね。家族はいいのか?離婚した嫁の再婚相手はいいのか?遠い親戚はいいのか?とかですね^^;これは裁判しないと分かりません。

これと同じで、楽譜を買ったからってその楽譜の著作権を貰えることにはなりません。買った楽譜でライブをするなら上演権に基づく契約が必要になりますし、宇多田ヒカルのCDを持ってるからって勝手にカバーアルバムを発売したらそりゃ当然に違法です。漫画だと誰でも「勝手にスキャンしてアップロードしたら犯罪だな」って分かるのに、なぜか音楽関連・楽譜だと急に感覚が変わる人がいるのは心理学的に面白い所です。もしかしたら「楽譜」→「演奏・歌唱に使うもの」→「演奏して当たり前」っていう固定観念があるからかもしれません。もちろんあくまでも「上演権」の対象となるシチュエーションが駄目なだけですので、家で勝手に弾いてる分には大丈夫ですし、ストリート・ミュージシャンでもお金を貰わない(※投げ銭もアウトです)ならまったく問題ないです。たまたま聞いてる人がいたとしても、ただの大きな独り言です(笑)。

たとえばツタヤに置いてあるレンタル用DVDは、レンタル事業に利用する為に「貸与権(※映画の場合は頒布権)」をクリアしてある(=著作権者と貸与権に関わる契約をしてありその分お金を払っている)高いDVDを使っています。中身が一緒だったとしても貸与権料が上乗せされています。これは図書館に置いてあるDVDなんかでも同様です。図書館用のDVDは「貸与権」と「上映権」がくっついた状態で販売されるものが多いです。その権利許諾料があるので、市販で3000円ぐらいのDVD作品でも、1万円ぐらいします。

冒頭の方は、たぶん「著作権」という一つの権利があると思ってしまってるんだと思います。これは「印税」という単語でくくられてしまうことからくる誤解でもあります。実際には著作権は複数の権利の複合体ですから、その一つ一つの権利に対してちゃんと許諾契約が必要です。極端な話ですが、例えば「”いい日旅立ち”を今度ライブで演奏します!」と言って「上演権」に関する契約を交わした人が、ライブで急に「いい日旅立ち~デスメタルVersion」を披露した場合、勝手にアレンジしたとして「同一性保持権」を理由に訴えられる可能性があります(笑)。あとは「上演権」の許諾だけをとってグッズとして歌詞掲載パンフレットを売っちゃったケースも当然アウトです。「上演権」と「複製権」はまったく別ですし、印刷物だと「出版権」というまた別の「複製権を独占できる権利(※ただし契約後6ヶ月以内の発売や重版など義務も負う)」もあります。ちょっと前のパーマ大佐の「森のくまさん問題」の歌詞変更なんかも「同一性保持権」を無視して勝手にアレンジしちゃったケースですね。和解おめでとうございます。

著作権は難しいですが、原理原則を把握すればすれすれの所以外はわりと納得しやすいと思います。

今回のJASRACの主張は、たぶん法的にも通ると思います。感情的に「JASRACが嫌い」っていうのは全然別の話です。

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記事の評価
ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

週末は1本、

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を見ました。

評価:(65/100点) – やる気復活のティム・バートン節


【あらすじ】

ジェイクは、いつもお爺ちゃんから不思議な話を聞かされて育った。空を飛ぶ女の子。奇妙な双子。力持ちの兄弟に、透明な男の子。そしてそんな奇妙な子どもたちの世話をするミス・ペレグリン。お爺ちゃんの話に空想を膨らませ、彼は学校でもちょっと浮いた存在になっていた。
ある日、ジェイクはお爺ちゃんから電話を受ける。心配になったジェイクがお爺ちゃんの家に駆けつけると、そこには家を荒らされ、そして裏の林で両目をくり抜かれたお爺ちゃんがいた。

「島へいけ。1943年9月3日のループへ。鳥が全てを教えてくれる」。

息を引き取ったお爺ちゃんの言葉を頼りに、ジェイクは父親と共にお爺ちゃんの昔話に出てきたケインホルム島へ向かう。

【三幕構成】

第1幕 -> お爺ちゃんが襲われ、ケインホルムへ行く。
 ※第1ターニングポイント -> ジェイクがループへ入る。
第2幕 -> ミス・ペレグリンの屋敷での交流。
 ※第2ターニングポイント -> ペレグリンがバロンに捕まる
第3幕 -> ペレグリン救出大作戦。


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【感想】

さてさて、週末はティム・バートンの最新作「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を見てきました。

最近--特に「 スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 (2007)」以降のティム・バートンはちょっと中途ハンパというか、「オレに求められてるのはフリークスが出てくるサブカル受けするコメディだろ?」みたいな感じが凄いでていました。 「アリス・イン・ワンダーランド(2010)」しかり、 「ダーク・シャドウ (2012)」しかり、なんというか、思いっきり滑ってるうえにあんまり監督自身も楽しそうじゃない感じが伝わってきて、ちょいといたたまれない感じです。もうやる気なくなっちゃったのかな、、、という寂しさこみで。

本作は、その迷いが晴れたように、ものすごく全力で「ティム・バートン」をしています(笑)。

ちょいとグロテスクだけどキュートな「奇妙な子どもたち」のキャラクター造形。正統派ゴシック・ホラー調の舞台・背景。「こまけぇことはいいんだよ!」っていう言葉が聞こえてきそうなほど雑だけど勢いのある脚本と、そしてたぶんハリー・ハウゼンのオマージュであるカクカクしたCGドクロ兵士やモンスターたち。同じくハリー・ハウゼン・リスペクトのギレルモ・デル・トロとちょっとモンスター造形が似ちゃってるというところも含めて、とっても画面全体から楽しんでる様子が伝わってきます。

そう、たぶん昔からのティム・バートンのファンならばファンなほど、本作はとってもニヤニヤしながら楽しめるはずです。ジョニー・デップ/ヘレム・ボナム=カーター
の呪縛から解き放たれた無邪気なティム・バートンを楽しめる、とても愉快な作品です。

とてもストレートなジュブナイル活劇

本作はとっても古風なジュブナイルものです。私は原作の小説を読んでいないのですが、この本が2011年発表というのを聞いてちょっとびっくりしました。本作は、それこそ70~80年台に流行った一連の「少年冒険映画」そのものです。「お爺ちゃんから”宝の地図”をもらった少年が、悪党たちに追われながらも旅の仲間と共に宝を探しだす」という超王道ストーリー。このド直球な話に、ティム・バートンの為にあるんじゃないかってくらいちょいグロ・悪趣味なモンスターや異能者たちの要素を載っけていきます。ただ、この映画はたぶん昨年のスピルバーグ監督作「BFG」のように現役の子供に向けて作ったものではなく、「昔こどもだったティム・バートンファンへ作ったセルフパロディ」的な要素が強いです。それこそ目玉をくり抜いたり、小学生が見るにはちょっときつめなショッキング描写が所々に散りばめられており、あきらかに楽しんでワザとやってる感じがビンビン伝わってきます。良くも悪くもポリコレとかなんも気にしてないです(笑)。

これ、作戦としてはとても良く機能しています。いうなれば作品全体として「ダブル・スタンダード」を観客にすんなりと押し付けてきてるんですね。ストーリーが雑な部分は「だって子供向けだし」で押し切ってきて、一方悪趣味描写な部分については「だってこういうの見に来たんでしょ?」と急に大人向けになるという(笑)。でもこれこそが、ティム・バートンであり、そしてヘンリー・セリックと組んだ一連の傑作(ナイトメアー・ビフォア・クリスマス (1993)、コララインとボタンの魔女(2009))の一番の肝だったと思います。キモかわいい的な意味でのグロテスク・ファンタジーとして成立している本作は、もうそれだけでファンならば大満足できるはずです。

逆に言うと、ティム・バートンがあんまり好きじゃないっていう人は、この映画はただのトンデモ作品に見えてしまうかと思います。話や設定が結構穴だらけですし、敵のバロンはおちゃめすぎて脇ががら空きですしね^^; 一番気になるのはループとよその世界との繋がりですよね。ループの中の「奇妙な子どもたち以外の人」はどうなってるんだろうとか、時空の穴/特異点みたいな扱いなのに意外とすんなり未来と繋がっちゃってるなとか、変に平行世界ものみたいになってる部分はうまい具合にボヤかして適当に流してたりしてます(笑)。

【まとめ】

ということで、ティム・バートンのファンの方は当然見に行ったほうがいいですし、見たらもう大満足すること請け合いです。久々に「ちゃんとティム・バートンしてる作品」が見られます(笑)。一方、もし彼にあんまりピンと来ないという方は、まずは 「チャーリーとチョコレート工場(2005)」あたりで予習したほうが良いかもしれません。個人的にはティム・バートンは「PLANET OF THE APES/猿の惑星(リメイク版/2001)」より前が最高に好きです。本作は、なんか昔の彼がちょっと戻ってきた気がしてとても楽しめました。是非是非、劇場でお楽しみください。

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記事の評価
ドクター・ストレンジ

ドクター・ストレンジ

週末はマーベル最新作

「ドクター・ストレンジ」を見ました。

評価:(70/100点) – ん!?雑か!?


【あらすじ】

ドクター・ストレンジは天才的な神経外科医である。その類まれな手腕でもって多くの命を救ってきたものの、いかんせん性格に難があり超自己中だ。彼はある夜に脇見運転で崖から転落し、両手の神経を激しく損傷してしまう。医者として致命的な怪我をおった彼は自暴自棄になっていく。そんな時、ストレンジは奇跡的に下半身不随から復活したという患者の話を聞く。藁にもすがる思いでその男・パングボーンに会った彼は、「カーマ・タージへ行け」という言葉を頼りにネパール・カトマンズへ向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ストレンジの日常と事故
※第1ターニングポイント -> ストレンジがカーマ・タージへ着く
第2幕 -> ストレンジの修行とカエシリウスの反乱
※第2ターニングポイント -> エンシェント・ワンの死
第3幕 -> 香港サンクタム攻防戦


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【感想】

さてさて、土曜はマーベル・シネマティック・ユニバースの最新作「ドクター・ストレンジ」を見てきました。昨年のシビル・ウォーは結構な客入りだったのですが、本作はそんなでも無く、やっぱちょっとキャラの知名度が低いのかな~と思ったりしました^^;

主演はおなじみベネディクト・カンバーバッチ。「スター・トレック イントゥ・ダークネス(2013)」では歴代屈指のヴィラン・カーンを演じていましたが、比較的真面目な映画に出ているイメージが強く(笑)、正直ドクター・ストレンジはどうなんだろうとちょっと不安でした。ところがですね、蓋を開けてみたら超似合ってる。というか、序盤は普通にいつものカンバーバッチなんですが、魔法を身に着けてヒゲを揃えてからはもうイラストのドクター・ストレンジにしか見えません。蝶野正洋かカンバーバッチかってくらいバッチリです。本当にマーベルは俳優を連れてくるのが上手いです。

そして今回の監督・脚本はこれまたファミリー映画と正反対のスコット・デリクソンを連れてきました。リメイク版「地球が静止する日 (2008)」、「ヘルレイザー ゲート・オブ・インフェルノ(2000)」「デビルズ・ノット(2013)」「NY心霊捜査官 (2014)」などなど、決してできが良いとはいえないアホ映画ばっかり撮っている監督です^^;ホラー・サスペンス演出の人なんですが、なにせ元ネタ丸わかりのオマージュばっかり詰め込んでくる人で、「楽しそうだけど頭悪っ(笑)」っていう監督なんですね。「あぁゾディアックね」「いまさらブレアウィッチ・ネタか」とか(笑)。

本作でもガッツリとオマージュネタをぶっこんできています。ベースは脚本をDCEUのデヴィッド・ゴイヤーがやった「ダークシティ(1998)」です。本作一番のビジュアル面では、当然「インセプション(2010)」と一連のマトリックスシリーズ、特に「マトリックス レボリューションズ(2003)」です。ビジュアルでマルチバース(多元宇宙)を飛んで行くところとか、ミラー・ディメンジョンで建物や街を歪めるところとかはモロです。あとは、回転廊下で「2001年宇宙の旅(1968)」も入ってますね。階段に落ちてからマントで戻ってくるのとかは「バック・トゥ・ザ・フューチャー2(1989)」ですし。こういった感じで、とにかく監督が好きなものを根こそぎぶっこんできて、あとは勢いでカバーしています。

そう。本作は近年のマーベル・シネマティック・ユニバースでは珍しいなってくらい話のプロットが雑です(笑)。

ドクター・ストレンジが魔法を使えるようになる修行過程がよくわかりませんし、カーマ・タージに魔法使いが多すぎて全然秘密結社になってないうえに、他の魔法使い達がその後全然戦力として出てきません。そもそもカーマ・タージでストレンジが相応の期間修行してるはずなのに、その間はカエシリウスがなんにもしないで潜伏しててくれるんですよね。カエシリウスからしたら待ってる理由はないですからさっさと攻めてこないといけないんですが、ストレンジの修行中は律儀に大人しくしてて、修行が一段落したらいきなりロンドンとニューヨークに立て続けに攻めてくるという^^; ストレンジが途中で離脱して手術を受けるシーンでも、カエシリウスはニューヨーク・サンクタムを潰さずに待ってますしね。結構空気が読める良い人なんです(笑)。

そういった意味だと、本作ラスボスのドルマムゥもかなり素直で良い人です。ストレンジの嫌がらせを受ける損な役回りで、そのわりにあんまり悪いこともしてないっていう可哀想なキャラです。

そんなわけで、本作はもう話の筋とかどうでも良くて、とにかくカンバーバッチ演じるドクター・ストレンジが「嫌味で高飛車だけど格好いい!」というだけを見る完全に割り切ったキャラものになっています。個人的にはMCUの中では「マイティ・ソー(2011)」以上「アントマン(2015)」以下ぐらいの出来かな~と思います。低いんだか高いんだか良く分かりません(笑)。

決してつまらないわけではないんですが、かといって面白いわけでもなく、やっぱりMCUお得意のキャラ紹介シリーズにしかなってないかなと思います。今後、「マイティ・ソー3(マイティ・ソー:ラグナロク)」と「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」に登場しますので、その顔見せですね。本作のエンドロール中にはまさにこの「ソー:ラグナロク」のイントロが流れます。

ですから、一応チェックはしておいたほうがいいんですが、まぁあんまりハードルを上げずにポップコーンとビール片手にふらっと見に行くぐらいの姿勢で丁度いいかと思います。

余談ですが、カーマタージの本拠地が原作のチベットからカトマンズに変更になってるあたりに、諸々の政治的な配慮を感じます(笑)。マーケットとして無視できないですからね^^;

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